岩手・秋田・山形 ドライブ旅行<5月19日~22日> (4) 酒田市 本間美術館と山居倉庫 5月21日 - Studio YAMAKO

2019年7月 1日

岩手・秋田・山形 ドライブ旅行<5月19日~22日> (4) 酒田市 本間美術館と山居倉庫 5月21日

増田を出たところのドライブインで昼食にした後、国道107号線を一路西へ向かった。107号線(本荘街道)の本荘を過ぎて、国道7号線(秋田街道)を日本海に沿って南へ下る。象潟町を過ぎて、遊佐町へ入るところで、秋田県から山形県に入る。右側は日本海、左側は鳥海山なのだが、あいにく雲が多く日本海も、鳥海山も見られなかった。
 やがて、酒田の市街地に入る。午後3時になっていた。酒田では本間美術館と山居倉庫が目的である。
wikipediaによれば、本間美術館は、山形県庄内地方の大地主であった本間家が収集した品を保管、展示する山形県の登録博物館で、公益財団法人本間美術館が運営する。収集品を展示する美術館としてのみならず、京風の純和風建築「清遠閣」、庭園「鶴舞園」による庭園美術館としての性質も持つ。庭園の片隅にある窯では、民芸品である本間焼が造られている。 観覧券はひとり1,000円であったが、庭園と和風建築に堪能した。ゴルフでは、パーシモンといえば本間というほど、木製ウッド全盛の時代「ヒロホンマ」ブランドは高級ゴルフクラブとして人気があった「本間ゴルフ」の創業者兄弟は酒田本間氏庶流にあたる。現在は中国企業の傘下にあるが、大統領選勝利後当時のドナルド・トランプ次期大統領と非公式会談した安倍晋三首相からトランプ氏に本間ゴルフの特注品「BERES S-05」が贈られたそうだ。
 1時間ほど、本間美術館とその庭園を見学した後、次に、山居倉庫へ行った。午後も遅かったので人も少なく、倉庫の裏側(西側)にあたる 「山居倉庫とケヤキ並木」の落ち着きのある眺めは、穏やかな気分にしてくれ、来てよかったと思った。wikipediaによれば、ここはNHK連続テレビ小説「おしん」の脚本を手掛けた橋田壽賀子さんが、貧しい農家に生まれた「おしん」が米一俵で、身売りされ、酒田に奉公に出され、その地で倉庫に続々と運び込まれる米俵を見て、驚きのあまり、言葉を失うという着想を得たところとされている。  あす、最後の日は羽黒山、五重塔、鶴岡、加茂水族館を巡ることを予定している。山居倉庫見学のあとは、もうひとっ走り、「休暇村庄内羽黒」へ。夕方5時過ぎの到着となった。

15.本間美術館入り口
1947年(昭和22年)に開館した本間美術館は、戦後の荒廃した人心を励まし芸術文化の向上に資することを目的として、本間家に伝わる庄内藩酒井家や米沢藩上杉家など東北諸藩からの拝領品を中心に展示活動を始めたそうだ。1968年(昭和43年)には新館が完成し、現在使用している「本間美術館」のロゴは新館完成を祝って画家の故中川一政氏から贈られたもの。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
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16.本間美術館庭園
本間美術館の館内での写真撮影は禁止になっていた。展示品の中では円山応挙の「紙本淡彩鼬(いたち)図」や岸駒の「猛虎図」が目を引いた。館内を見終えて庭園「鶴舞園」を歩く。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 23mm ISO400 ) 露出補正 なし
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17.茶室「六明廬」
庭園「鶴舞園」 の中に茶室「六明廬」があった。「六明廬」の名はにじり口や下地窓など6っの明り取りがあることから名づけられたそうだ。酒田の茶道は、文政2年(1819年)玉川遠州流四代大森宗震の指導に始まったが、本間家五代光暉、六代光美とも茶道をたしなみ、玉川遠州流は隆盛を極めたと説明されていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 24mm ISO1600 ) 露出補正 なし
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18.京風の純和風建築「清遠閣」へ
16の写真で見ていただいた「清遠閣(せいえんかく)」の入り口へ回り込む。「清遠閣」は日本一の大地主として知られた酒田の本間家の「本間家旧本邸」だそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1000秒 14mm ISO320 ) 露出補正 なし
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19.「清遠閣」1階広間
文化10年(1813年)に建てられた「清遠閣」 の中に入った。6000坪の敷地内に建つ本間家旧別荘「清遠閣」は、戦前は酒田の迎賓館として利用されていた。大きな広間からは庭園「鶴舞園」が眺められる。置かれている椅子は2方向に額縁庭園が広がる絶好なビューポイントだった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1000秒 14mm ISO320 ) 露出補正 なし
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20.赤石と青石
庭園「鶴舞園」は文化10年(1813年)四代本間光道が築造した鳥海山を借景とする池泉回遊式庭園である。庭園の整備は港で働く人々の冬の間の失業対策事業として実施されたそうだ。北前船が運んできた佐渡の赤玉石や伊予の青石が配されている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 20mm ISO640 ) 露出補正 なし
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21. 「清遠閣」1階
「清遠閣」は昭和22年(1947年)に本間美術館として開業し一般公開され、平成24年(2012年)に国指定名勝を受ける。ここは食堂エリアで酒田市の迎賓館としても利用されており、大正14年には皇太子殿下(昭和天皇)がご宿泊されたとのこと。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/800秒 12mm ISO3200 ) 露出補正 なし
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22.「清遠閣」2階
「清遠閣」は明治時代末には一部2階建てに増改築された。その磨き上げられた階段を2階へ上がる。2階も座敷が広がり、ここにも一脚の椅子が置かれていた。2階からは舞鶴園のほぼ全景が見渡せる。池の中心に中島があり、反り橋などで繋がっている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
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23.「清遠閣」2階「御座所」
2階の奥に「御座所」と示された床の間があり、円山応挙の「双鶏図」(寛政3年)が架けられていた。円山応挙の作品はいろいろなところで多く見ることがあるが、この「双鶏図」は鶏のリアルさが京都中の評判となり、写生画家 円山応挙の(1733-1795)の名を世に知らしめた京都八坂神社にある「双鶏図」ともよく似た構図で描かれていると説明されていた。酒田市指定文化財になっている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1800秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
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24.大正ロマン
2階のこの灯も大正ロマンを感じさせる調度品である。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1000秒 13mm ISO400 ) 露出補正 なし
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25.ウグイスの影
階段の上がり口の上に装飾として彫られた梅の木の影が、壁に映っていた。案内の女性が、その梅の木の上に、彫られていないはずのウグイスが止まっているような影があると教えてくれた。これは偶然できた影ではなく、製作者の遊び心だという。梅の花が重なって、ウグイスに見えるように、作られている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/125秒 19mm ISO3200 ) 露出補正 なし
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26.「清遠閣」全景
「清遠閣」の見学を終え、「鶴舞園」から出口へと向かう。もう一度振り返って「清遠閣」の全景を撮る。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 18mm ISO320 ) 露出補正 なし
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27.カキツバタ
出口へ向かうところにある池でカキツバタが咲いていた。そのむこうに、葉に切れ込みが見られるのでスイレンと思うが、その葉の緑もきれいだ。夏には白いきれいな花が咲くのだろう。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1250秒 22mm ISO125 ) 露出補正 なし
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28.山居倉庫(さんきょそうこ)
車に戻って山居倉庫まで移動した。山居倉庫は、山形県酒田市にある米穀倉庫(二重屋根・倉の内部は湿気防止構造・ケヤキ並木と自然を利用した低温管理倉庫) である。 山居倉庫は1893年(明治26年)に酒田米穀取引所の付属倉庫として、旧庄内藩酒井家により最上川と新井田川に挟まれた通称「山居島」に建てられた。舟による米の積み下ろしに便利な立地で、12棟の巨大な木造の倉庫を連ねた美しい建物と、最上川側のケヤキ並木が独特の風情を伝えている。建設された14棟のうち12棟が残っており、現在も米穀倉庫として使用され、一部は「庄内米歴史資料館」や「観光物産館」として活用されている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 18mm ISO200 ) 露出補正 なし
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29.三居稲荷神社
山居倉庫の木造の建物の切れ目から反対側(最上川側)に出てみた。そこに稲荷神社があった。この稲荷神社の由緒は、明治26年倉庫をこの地に建設するとき、旧藩主酒井家の太郎稲荷および徳川家の禎祥稲荷の二柱勧請して従来から鎮座せる、山居稲荷神社に合祀して三居稲荷神社と改名し、倉庫鎮守の神としたそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO320 ) 露出補正 なし
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30.ケヤキ並木と倉庫 -1
三居稲荷神社 がある12棟の倉庫が立ち並ぶ裏側(西側・最上川側)は、ケヤキ並木になっていて、しばしばテレビや雑誌で紹介されるところだった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 19mm ISO320 ) 露出補正 なし
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31.ケヤキ並木と倉庫 -2
2018年時点で12棟が残り、このうち9棟は現役の米蔵として使用されているそうだ。残りのうち1棟は1985年に「庄内米歴史資料館」、もう1棟が2004年に「酒田市観光物産館 酒田夢の倶楽(くら)」として改装され、それぞれ一般開放されている。写真は入り口側一番奥にある1号倉庫の方を撮っている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 11mm ISO250 ) 露出補正 -0.7段
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32.ケヤキ並木と倉庫 -3
前の写真とは逆に、「荘内米歴史資料館」、「観光物産館 酒田夢の倶楽」として改装され、公開されている倉庫の方向を撮った。倉庫と石畳とケヤキ並木、そしてその奥行きが景色になる。ケヤキ並木のケヤキは日本海からの強風(西風)と夏の直射日光(西日)を遮り、倉庫内の温度変化を少なくする目的で植えられたもので、現在41本残っているそうだ。また、土蔵と屋根の間を空けることで、温度と湿度が急激に上昇するのを防ぎ、倉庫内を一定の温度に保つため、二重屋根が採用された。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 12mm ISO320 ) 露出補正 -0.7段
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33.「山居橋」
倉庫の表側、新井田川に架かっている「山居橋」だ。この橋は酒田市街地方面と山居倉庫エリアをを結ぶ歩道橋になっている。 1959年までここに木橋が架かっていたようだが、1993年に現在の橋が橋長52mの鋼桁木装橋として架けられた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 10mm ISO125 ) 露出補正 -0.7段
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34.JA全農山形山居倉庫
JA全農山形山居倉庫と看板が掛かった蔓が絡んだ木造の事務所があった。山居倉庫は現在も使用されている。この事務所の傍に川に面して石畳の船着場も設けられており、舟運の拠点のひとつであったことがわかる。江戸時代は規定により平田舟による運搬が主だったが、明治に入ってからは、最上川舟運において物資の輸送のために作られた小鵜飼舟に代わった。復元された小鵜飼舟が敷地内で保管されていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 20mm ISO160 ) 露出補正 なし
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