岩手・秋田・山形 ドライブ旅行<5月19日~22日> (5) 羽黒山と五重塔 5月22日 - Studio YAMAKO

2019年7月 4日

岩手・秋田・山形 ドライブ旅行<5月19日~22日> (5) 羽黒山と五重塔 5月22日

3泊4日の東北ドライブ旅行も最終日になった。この日は朝から晴れ間が広がっている。休暇村庄内羽黒は、スキー場、キャンプ場に隣接している。朝の散歩にはもってこいだ。南に月山も見えていた。
 チェック・アウトして、まず、羽黒山有料道路を標高414m羽黒山へ上がる。出羽三山というのは、この羽黒山、月山、湯殿山のことだ。羽黒山山頂には、出羽三山の神々を合祀する山で「三神合祭殿」があった。「三神合祭殿」近くの草むらで、ギフチョウに会えたのは驚きだった。はじめはアゲハかと思った。しかし、飛び方が緩やかだし、アゲハの♀より黄色い。ヒメギフチョウか、ギフチョウかと思えた。ファインダーで確認してギフチョウとわかったが、やはり時期的には遅く、大分破損していた。後で調べたら、羽黒山はギフチョウの多産地として知られ、採集者も多いようだ。ギフチョウが生息する北限は秋田県の鳥海山麓と聞いている。
 羽黒山を下りて、月山ビジター・センターに寄って、羽黒山の南側を周るようにして、五重塔へ向かった。途中月山がきれいに見える展望台があった。この羽黒山五重塔は東北地方では最古の塔と言われ、平将門の創建と伝えられているという。高さ29m。昭和41年には国宝に指定されている。塔の内側を見学してきた。次は先日(6/18夜)地震の被害があった鶴岡市へ向かう。

1.休暇村庄内羽黒 スキー場
朝7時前、休暇村庄内羽黒の外へ出てみる。北側にはスキーのゲレンデがあった。このゲレンデの上が羽黒山山頂の方向だ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1250秒 21mm ISO125 ) 露出補正 なし
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2.月山
休暇村庄内羽黒 の上に月山(海抜1,984m)の姿が見えた。その8合目までの道路は、今年はまだ開通していないという。(今年、 県道211号月山公園線が八合目まで開通したのは6月24日だったそうだ)

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1250秒 37mm ISO125 ) 露出補正 なし
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3.国立公園出羽三山案内図
朝食を済ませ出発。羽黒山有料道路を上って、羽黒山山頂へ行く。駐車場から「三神合祭殿」のほうへ歩くと、写真のような案内図があった。出羽三山といっても実は羽黒山の案内図だった。私は許す限りこのような案内板は撮っておくことにしている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 20mm ISO100 ) 露出補正 なし
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4.世界平和塔
正面の建物は参集殿でその前にあるのは世界平和塔。あとで調べてみたが、台座に乗る球は地球を表し、縦と横の線は日本人と外国人が手をつなぎ、平和であるようにとの願いが込められているという。球は開祖蜂子皇子を羽黒山に導いた三本足の八咫烏(ヤタガラス)を戴いている。上下ちぐはぐな感じがするが、実は明治の廃仏毀釈までは、「宝篋印塔」があり、台座のみが残ったのか上部は昭和に造られたもののようだ。丸い部分は地球、青いラインは日本、赤いラインは日本以外で亡くなった方々の霊を意味するそうだ。左側奥に「三神合祭殿」が見える。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 16mm ISO125 ) 露出補正 なし
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5.鐘楼と梵鐘
鐘楼は元和3年(1617年)台風で倒れたのを翌年山形城主最上源五郎家信が再建した。寛延2年(1749年)柱の根継が行われたとある。梵鐘は社伝によれば、文永11年(1274年)10月の蒙古来襲の折、幕府より所望され、祈願したところ、鏡池(「三神合祭殿」の前にある池)より九頭竜王の光影が出て酒田の港に飛んで行ったところ、蒙古の舟は残らず海中に没した。このことにより鎌倉幕府より鐘を寄付されたとされている。この巨鐘は、日本第3の大鐘で「羽黒山の大鐘」ともいわれ、「建治元年乙亥(1275年)8月27日」の年紀があるといわれている。国指定重要文化財になっている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO160 ) 露出補正 なし
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6.「三神合祭殿」 -1 内部 wikipediaによれば、出羽三山は、出羽三山神社の社伝によれば崇峻天皇の皇子、蜂子皇子(能除太子)が開山したと伝えられる。崇峻天皇が蘇我氏に弑逆(殺害)された時、蜂子皇子は難を逃れて出羽国に入った。そこで、3本足の霊烏(ヤタガラス)の導きによって羽黒山に登り、苦行の末に羽黒権現の示現を拝し、さらに月山・湯殿山も開いて3山の神を祀ったことに始まると伝えられる。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/200秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 -0.7段
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7.「三神合祭殿」 -2 内部
同じくwikipediaを参照すると、江戸時代以前、出羽三山は真言宗であったが、江戸時代の初期、羽黒山の宥誉別当が徳川将軍家の庇護を受けるために、将軍家に保護されていた比叡山延暦寺にあやかり、羽黒山・月山は天台宗に改宗した。 天台宗への改宗に湯殿山は反発し、湯殿山派のみ真言宗となった。 羽黒山出羽神社 - 伊氐波神の本地仏を正観世音菩薩とし、一山を寂光寺と称して天台宗の寺院(輪王寺の末寺)であった。羽黒山全山は、江戸期には山の至る所に寺院や宿坊が存在した。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/200秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 -0.7段
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8.「三神合祭殿」 -3 正面
「三神合祭殿」 の正面の祭壇へと上がると、中央に月山神社、左側に湯殿山神社、そして右側に羽黒山出羽神社の扁額が上がっている。「三神合祭殿」は月山、羽黒山、湯殿山の三神を合祭した日本随一の大社殿。厚さ2.1mの萱葺の屋根、総漆塗の内部など、迫力があって見ごたえがある。「三神合祭殿」は後方にある本殿と、前面の拝殿が一体となった複合建築である。文化8年(1811年)に焼失し、文政元年(1818年)8月に完成したものだそうだ。国指定重要文化財になっている。手前の鏡池は、神秘の池として古来より多くの信仰を集め、羽黒信仰の中心でもあった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/200秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 -0.7段
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9.スジグロシロチョウ ♂
ここまで、チョウは全く見なかったが、「三神合祭殿」の手前にある草むらでスジグロシロチョウが飛んでいた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1000秒 181mm ISO100 ) 露出補正 -0.7段
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10.ギフチョウ
スジグロシロチョウを撮っていると、少し離れた前方にアゲハのようなチョウが飛んでいる。ヒメギフチョウかとも思ったが、ギフチョウのようだ。いったん視界から消えてしまったが、また戻ってきてくれ、ササの葉に止まった。ちょっと離れていたが、撮れるところまで近づくことができた。擦れて破損した個体だし、良い写真ではないが、記念になった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 220mm ISO100 ) 露出補正 -0.7段
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11.蜂子皇子の墓
駐車場へ戻る途中に、欽明天皇23年(562年)に崇峻天皇の第三皇子として誕生したと伝わる蜂子皇子の墓があった。後に蜂子皇子は出羽三山を開いたとされている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 10mm ISO1250 ) 露出補正 -0.7段
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12.羽黒山神社の末社
出羽三山には百一末社と称し、羽黒山を始め月山、湯殿山の山嶺、または幽谷に多数の末社が散在している。写真の末社は右手前から、思兼神社、 白山神社、大山祗神社、稲荷神社、健角身神社、大雷神社であるが、思兼神社の手前にもうひとつ画に入らなかった八坂神社がある。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO160 ) 露出補正 -0.7段
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13.月山全容
五重塔へ向かう途中に車を停められる展望台があり、抜けるような青い空とはいかなかったが、そこからは月山(海抜1,984m)の全容が見えた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5.6 1/1000秒 70mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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14.羽黒山 随神門
私たちは有料道路を車で「三神合祭殿」のあるところまで上ってしまったが、羽黒山の入り口は五重塔のある、こちら側である。随神門より内は出羽三山の神域となり、神域は遠く月山を越え、湯殿山まで広がる。随神門はこの広い神域の表玄関である。この門は初め仁王門として元禄年間秋田矢島藩主より寄進されたが、明治の神仏分離の折り、随身像を祀り随神門と名付けられた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO500 ) 露出補正 -0.3段
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15.羽黒山天地金神社(末社)
随神門の右手前の石段の上に、朱塗りのお社が見えた。後で調べてみると、羽黒山神社の末社の一つで、天地金神社という。出羽三山神社のホームページでは、応永4年学頭法性院尊量により創建されたが兵乱のため大破し、後に羽黒山智憲院宥然により安永8年(1779)再興された。もと「元三大師像」を御本尊としてお祀りしたので大師堂と称していたが、昭和39年、須佐之男命をお祀りし、天地金神社となり現在に至っている。とあった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 20mm ISO640 ) 露出補正 -0.3段
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16.神橋と祓川と須賀の滝
随神門をくぐって、五重塔へと歩く。継子坂を下りると祓川に掛かる神橋に出る。出羽三山神社のホームページでは、昔三山詣での人々は必ず祓川の清き流れに身を沈め、水垢離をとり三山への登拝の途についた。朱塗りの美しい神橋は見事な浸蝕谷にかかり、向かいの懸崖から落ちる須賀の滝と相対し、その景観はまことに清々しく美しい。滝は承応3年(1654)時の別当天宥により月山々麓水呑沢より約8kmの間を引水し祓川の懸崖に落し、不動の滝と名付けた。又、一般的には神域とは随神門と伝えられているが、ここより山上と山麓を呼び分け、山上には維新まで本坊を始め30余ヶ院の寺院があり、肉食妻帯をしない「清僧修験」が住み、山麓には336坊の「妻帯修験」が住んでいたそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 20mm ISO640 ) 露出補正 -0.3段
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17.国宝羽黒山五重塔 -1
やがて、左手の杉木立のなかに国宝羽黒山五重塔が見えた。渋い。五重塔への道に入らず、まっすぐ進むと、一の坂、二の坂、三の坂と続き、先ほど行ってきた羽黒山山頂に至る参詣登山道である。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 20mm ISO640 ) 露出補正 -0.3段
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18.国宝羽黒山五重塔 -2
随神門から羽黒山頂までの1.7kmの参道の両側に立ち並ぶ杉並木は、総数約600本、樹齢300年~500年の老木で、慶長初期から寛永(1596年~1643年)にかけて、第48代 宥源、第49代 宥俊、第50代 天宥の三代にわたる別当が十数年の歳月をかけて植林したという。特別天然記念物になっている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 17mm ISO800 ) 露出補正 -0.3段
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19.国宝羽黒山五重塔 -3
さて、国宝羽黒山五重塔であるが、は西暦931年から939年の承平年中、平将門創建と伝えられ、昭和41年国宝に指定されている。高さ29.4メートル、杉材による三間五層の素木作り、屋根は杉板厚さ2.4ミリの木羽を重ね合わせた杮葺きである。その後幾度も修復され、中世には庄内地方を治めていた武藤政氏が1372年から1374年の文中年間に再興したと伝えられ、現在の塔は建築様式からこの時のものと云われている。お釈迦様のお墓に見立てた五重塔は、昔この周辺を龍水寺が治めていたことから明治までは瀧水寺の塔と呼ばれていたそうだ。羽黒山に残る建造物として最も古い国宝羽黒山五重塔は、明治以降公に開扉した記録はないそうだ。今年は平成から令和への御世代わりの年にあたり、また、1400年以上の歴史を持つ出羽三山神社においても、昨年「三神合祭殿」再建200年という佳年を迎えた。これらを奉祝し、4月27日~11月30日までの間、これまで秘中の秘とされてきた国宝羽黒山五重塔の扉を開き、内部特別拝観として一般公開されていた。折角の機会だったので、拝観料500円をお支払いして、開かれた扉から体を乗り出して塔の中を拝観してきた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO800 ) 露出補正 -0.3段
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20.鶴岡へ
午前10時半、五重塔の拝観を終え、鶴岡へ向かった。鶴岡までは車で30分ほどだ。左手には庄内平野の田んぼの向こうに月山が眺められた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/1000秒 31mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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