小石川伝通院 4月15日 - Studio YAMAKO

2014年4月30日

小石川伝通院 4月15日


 小石川植物園へツマキチョウの写真を撮りに行った帰り、少し歩いて徳川家の菩提寺のひとつである伝通院へ行ってみた。古い佇まいを想像していたが、山門、本堂ともに新しくなっていた。
 徳川家康の生母・於大の墓や千姫の墓がある。於大の法名「伝通院殿」にちなんで院号を伝通院という。明治時代になって墓地が一般に開放されるようになると、庶民の墓も建てられるようになった。
 昭和20年(1945年)5月25日のアメリカ軍による空襲で小石川一帯は焼け野原となり、伝通院も江戸時代から残っていた山門や当時の本堂などが墓を除いてすべて焼失した。かつての将軍家の菩提所としての面影は完全に消え去った。昭和24年(1949年)に本堂を再建、さらに現在の本堂は、昭和63年(1988年)に戦後2度目に再建されたものである。平成24年(2012年)3月には山門が再建された。道理で新しいわけだ。
 Wikipedia を引用させていただきながら記録しておく。

1.山門
小石川植物園から春日の方に向かって、最短距離(自分ではそう思っている)を歩いて、伝通院山門へ出た。ピカピカに新しい。昭和20年(1945年)5月25日のアメリカ軍による空襲で焼けたあと、山門は無かったが、平成24年3月にこの立派な山門が再建された。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.6 1/900秒 8.8mm ISO200 ) 露出補正 なし
山門;クリックすると大きな写真になります。
2.鐘楼
山門から本堂に向かって左手に立派な鐘楼がある。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4.0 1/100秒 15.0mm ISO400 ) 露出補正 なし
鐘楼;クリックすると大きな写真になります。
3.本堂
昭和24年に再建された本堂。奥行きが深い。正式名称を 無量山 傳通院 寿経寺 といい、額に無量山の文字が見える。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4.5 1/950秒 5.9mm ISO400 ) 露出補正 なし
本堂;クリックすると大きな写真になります。
4.千姫の墓
千姫は徳川二代目将軍秀忠の娘で、慶長8年(1603年)幼少の身で豊臣秀頼に嫁ぎ、大阪城に入った。元和元年(1615年)、桑名城主 本多忠政の子、忠国忠刻と再婚するが、死別とともに天樹院と号して江戸に帰り、竹橋に住まった。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4.5 1/800秒 7.9mm ISO400 ) 露出補正 なし
千姫の墓;クリックすると大きな写真になります。
5.本堂の屋根
千姫の墓は墓所の一番奥まったところにある。そこから本堂の屋根を振り返る。八重桜が見事だ。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F5.0 1/900秒 17.3mm ISO400 ) 露出補正 なし
本堂の屋根;クリックすると大きな写真になります。
6.千姫の命日
千姫は寛文6年(1666年)2月6日(旧暦)、江戸で死去した。享年70歳だった。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4.0 1/800秒 8.8mm ISO200 ) 露出補正 なし
千姫の命日;クリックすると大きな写真になります。
7.孝子の墓
孝子は三代将軍 徳川家光の正室である、公家の鷹司信房の娘で、京都から江戸に下り、江戸城西の丸に入る。寛永2年(1625年)家光と結婚するが、公家出身で武家の生活になじめないまま、73歳で亡くなった。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F3.2 1/450秒 6.0mm ISO100 ) 露出補正 なし
孝子の墓;クリックすると大きな写真になります。
8.於大の墓
於大の方は徳川家康の生母である。三河 刈谷の城主 水野忠政の娘。天文10年(1541年)岡崎城主 松平広忠と結婚、翌年に家康を生む。しかし、後に離婚して阿古屋城主 久松俊勝と再婚するも、人質として、織田方や今川方を転々とする我が子家康を慰め、音信を絶やさなかったという。この寺を伝通院というのは、於大の戒名である 伝通院殿蓉誉光岳智香大禅定尼 に由来する。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F8.0 1/850秒 6.0mm ISO400 ) 露出補正 なし
於大の墓;クリックすると大きな写真になります。
9.山門から春日方面を眺める
入るときは山門の左側の通りを来たが、境内から山門を見ると、その向こうには伝通院前通りという広いまっすぐな道が延びていて、春日の方に向かう。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.6 1/180秒 10.1mm ISO100 ) 露出補正 なし
山門から春日方面を眺める;クリックすると大きな写真になります。
10.ベニハナミズキ
白山から小石川植物園に行く通りにもあったが、街路樹には紅白のハナミズキが植えられている。 文京区の樹にでも指定されているのか調べてみたが、そうではなかった。ハナミズキは、明治時代に東京からワシントンに贈ったサクラの返礼として、大正初期にアメリカから贈られたという。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4.5 1/600秒 22.4mm ISO100 ) 露出補正 なし
ベニハナミズキ;クリックすると大きな写真になります。


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