三渓園へは今年の6月に行っている。その時に紅葉のころはきれいだろうなと思ったので、再び12月4日に出かけた。9時開園である。9時15分ごろ、付近に到着したが、三渓園の駐車場から車の列ができている。係りの方が来て、すでに満車であるので、三渓園の反対側の入口、すなわち南門の近くに本牧市民公園の大きな駐車場があるので、そこに停めて、南門から入園してほしいと説明があった。私たちの前に並んでいた車は次々とそちらへ向かう。私たちも従った。本牧市民公園の駐車場は大きな駐車場だった。公園内にある「上海横浜友好園」を眺めながら、南門から三渓園に入った。横浜市民で65歳以上は入園無料だった。
横浜の生糸商で茶人でもある原富太郎氏がつくった三渓園は、明治39年に開園し、周辺一帯は閑静な住宅地としても開けていった。名称の三渓園は原の号である三渓に由来する。三渓園に隣接して、本牧市民公園も整備され、一帯は市民の文化レクリエーションの地として親しまれている。
1.上海横浜友好園
本牧市民公園は昭和43年に終了した本牧埠頭関連造成用地の海面埋立てにより、それまで海であったところに、庭球場、運動広場、池などの施設を整備し、昭和44年に公開されました。 「上海横浜友好園」は平成元年に横浜市と上海市の友好都市締結15周年を記念してつくられたとのこと。
Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F14 1/800秒 20mm ISO400 ) 露出補正 なし
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2.上海横浜友好園 湖心亭
「上海横浜友好園」は横浜市が上海市に寄贈した「横浜上海友好園」のお返しとして上海市から提案、整備されたもので、中国江南様式による庭園だそうだ。 上海市の木、花のハクモクレンに因んで命名された玉蘭庁を中心に、庭院、曲橋で結ばれ、六角形の二重屋根が特徴的な湖心亭からもう一つの出入口の竹門などが池の中に巧みに配置され、背景となっている三溪園の緑と崖が独特の雰囲気を醸し出している。
Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F13 1/640秒 42mm ISO400 ) 露出補正 なし
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3.海岸門
三渓園の南門から入って左に中国梅林を見ながら進むと左手に海岸門がある。海岸門から先は内苑になる。原三渓家族が住んでいた内苑は非公開であったが、昭和33年に公開された。海岸門の手前のモミジが色鮮やかで、カメラを持った多くの人たちが撮っていた。
Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F10 1/420秒 32mm ISO400 ) 露出補正 なし
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4.旧天瑞寺寿塔覆堂の銀杏
海岸門をくぐって少し進むと右手に旧天瑞寺寿塔覆堂が見える。この堂は、豊臣秀吉が母のために建てた寿塔を覆うための建物で、現在、秀吉が建てたものと確認できる数少ないものだそうだ。 その屋根に傍に立つイチョウの黄色い葉が落ちていた。
Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F10 1/400秒 44mm ISO400 ) 露出補正 なし
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5.旧天瑞寺寿塔覆堂 裏側
ここは旧天瑞寺寿塔覆堂の裏側。先ほどのイチョウの落ち葉が地面を覆っている。
Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F8 1/250秒 26mm ISO400 ) 露出補正 なし
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6.旧天瑞寺寿塔覆堂 表側
旧天瑞寺寿塔覆堂の表側に回る。天正16年(1588)、豊臣秀吉は母・大政所の病気平癒を祈って京都の大徳寺山内に塔頭・天瑞寺を創建した。そして母のさらなる長寿を祈願して、同寺内に寿塔(生前に建てる墓塔)を建て、これを覆堂内に納めたという。天瑞寺は明治7年に廃寺となり、この覆堂は大徳寺内の瑞光寺、黄梅院を経て、明治35年に三渓園に移築されたとのこと。墓塔は総高9.65尺の石造宝塔で、現在も竜翔寺(旧天瑞寺)の境内に残されているとのこと。
Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F10 1/400秒 18mm ISO400 ) 露出補正 なし
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7.旧天瑞寺寿塔覆堂の手水鉢
旧天瑞寺寿塔覆堂の前にあった手水鉢にモミジが写り込んで鮮やかな色になっていた。内苑には、これとは別に有名な「瓢箪文手水鉢」という周囲に瓢箪の文様がある、豊臣秀吉が愛用したという手水鉢がある。
Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4 1/80秒 6.1mm ISO400 ) 露出補正 なし
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8.茶会 月華殿
この日は、内苑のいくつかの建物で横濱茶道連盟による茶会が行われていた。ここ月華殿は初代徳川家康により、京都伏見城内に建てられたものといわれており、 1918年(大正7年)に春草廬と共にこの地に移築されたとのこと。原三溪が建てた金毛窟とつながっている。
Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F6.3 1/160秒 40mm ISO400 ) 露出補正 なし
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9.旧燈明寺三重塔
池の周りを巡ってみたが、紅葉はほとんど見るべきところがなく、それではと、正門から池越しに見える旧燈明寺三重塔へ上ってみた。残念ながらここの紅葉も大したことはなかった。旧燈明寺三重塔は1457年(康正3年)建築された重要文化財で、園内のほぼ全域から、その姿を見ることができる。 三溪園には、1914年(大正3年)に移築されたと書かれている。
Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F6.3 1/640秒 105mm ISO400 ) 露出補正 なし
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10.初音茶屋
三重塔から降りてきて、角を曲がると真っ赤に染まったモミジが見えてきた。ここは「初音茶屋」という。茶屋の真ん中には囲炉裏が有る。案内板には、かって三渓園を訪れたインドのノーベル賞文学者「タゴール」や「芥川龍之介」によって書きしるされた茶屋とされている。芥川は、大正4年(1915)の初秋、ここでの印象を「ひとはかり うく香煎や 白湯の秋」と俳句に残している。
Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F8 1/250秒 34mm ISO400 ) 露出補正 なし
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11.内苑側から見た海岸門
期待した紅葉は旧天瑞寺寿塔覆堂、初音茶屋、そしてここ海岸門といくつかのところに限られた。内苑側から、海岸門をくぐって、右へ曲がり、南門から再び本牧市民公園の駐車場へと戻った。
Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F9 1/320秒 34mm ISO400 ) 露出補正 なし
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