2016年1月アーカイブ: Studio YAMAKO

2016年1月26日

三島スカイウォークと江川邸、韮山反射炉へドライブ(3) 韮山反射炉 1月5日

江川邸から韮山反射炉までは近かった。駐車場があまり広くなさそうなので車を停められるかどうか心配だったが、難なく駐車できた。今日は見学者はそれほど多くはないのだろう。
 入口を入るとすぐ反射炉の塔が見えた。ここでもボラティアのかたが見学者の前で説明をされている。私は恥ずかしながら反射炉とは何なのだろうかをはっきり知らなかった。ましてや大砲を鋳造するために必要となったことなど思いもよらなかった。
 wikipediaによれば、日本に現存する近世の反射炉は、この韮山反射炉と萩反射炉(山口県萩市)のみであるため貴重な遺構という。1922年(大正11年)敷地も含めて国の史跡に指定され、2007年(平成19年)、経済産業省により、近代化産業遺産に認定されている。さらに2009年には、萩反射炉などと共に九州・山口の近代化産業遺産群の構成資産としてユネスコの世界遺産(文化遺産)暫定リストに掲載され、2015年には「明治日本の産業革命遺産 製鉄、製鋼、造船、石炭産業」として正式登録されたのだ。
 反射炉の周囲を、その説明板を見ながら左回りに見て歩いた。30分もあれば十分、見て歩くことができる。

12時半過ぎには、韮山反射炉を後にした。伊豆スカイラインを走って、十国峠、箱根回りで帰ろうかと思ったが、雲が出てきて富士山がきれいに見える保証が無くなったので、思い直して三島へ出て、三島大社にお参りし、その近くで鰻を食べて帰ろうということになったが、三島大社は車が混んでいて近づくことができなかった。三島駅前の駐車場に車を停めて、「鰻屋さんはどこが美味しいですか」と尋ねてみると、「桜屋」との答え。しかし、そこからは少々遠い。JR駅前で「不二美」という鰻屋さんを探して入った。旨かった。

33.韮山反射炉 -1
駐車場に車を停めて、韮山反射炉の入り口を入った。目の前にTV番組などで見た韮山反射炉がある。ボランティアの方だろうか見学者に説明をされている。私は韮山反射炉についてほとんど知識がなかった。知っていたのは「明治日本の産業革命遺産 製鉄、製鋼、造船、石炭産業」として世界文化遺産として正式登録された遺構の一つだということくらいである。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/800秒 24mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
34.韮山反射炉全景
入場券の裏面には、反射炉とは鉄を溶かすための溶鉱炉で、鉄の溶解に必要な千数百度という高温をつくるために、反射炉内の天井部分をドーム型にして、炎と熱を反射させ、材料に集中させるので反射炉と呼ばれると説明されていた。wikipediaによれば、最初の反射炉は中世の時代にあり、鐘を鋳込むために青銅の溶解に使用されたという。17世紀末に初めて金属の製錬に適用されたそうだ。反射炉というと何か太陽光を利用して高熱を作り出すように思いがちであるが、それでは鉄は溶けないだろう。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/800秒 20mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
35.反射炉の構造 -1
反射炉は天井がドーム状になった炉体部と煉瓦積みの高い煙突からなる。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 18mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
36.反射炉の構造 -2
反射炉は連双2基4炉からなる。これは出湯口側で、4つあるそれぞれの上の四角い穴を方孔といい、溶解した鉄をここからかき混ぜ熱度を一定にしたり、鉄湯を取りだし、品質を調べたりする。その下にある右側の丸く見える穴は、出滓口で溶解した鉄の上部に溜まる滓(かす)を取り出すところ、さらに少し下の左側の穴は出湯口で溶解した鉄が流れ出てくるところ。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 24mm ISO720 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
37.大砲
右側を見ると大砲があった。江川英龍は日本に迫る諸外国の艦隊に備えるため、反射炉で鉄製の大砲を鋳造し江戸湾の台場をはじめとする砲台に設置することを目指した。説明をしていたガイドさんから「あの大砲を作るためにこの反射炉を作ったのですよ」という声が聞こえてきた。展示されている24ポンド カノン砲は、銑鉄製で株式会社木村鋳造所が1998年に、韮山反射炉で1門製造された青銅製の24ポンド カノン砲のレプリカとして製造されたものだそうだ。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/500秒 22mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
38.臼砲
左手前は青銅製の29ドイム臼砲で、韮山反射炉で製造されたという。その名の通り臼のような形をしていている臼砲(モルチール砲)は45度の角度で砲弾を射出し城壁などの上を越えて攻撃する砲口装填式の滑空砲。弾道が高く命中精度は低いが、城郭や要塞攻撃に多用されたそうだ。ドイム(拇)とは、オランダの長さの単位だが幕末の日本では1ドイム=1センチメートルと定義されているそうだ。ドイムなんていう長さの単位は初めて聞く。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/400秒 23mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
39.韮山反射炉 -2
韮山反射炉で見るところはそれほど広くはない。反射炉の周りを左回りで見ていく。この位置からは連双2基4炉が重ならずにすべて見られる。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/640秒 23mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
40.反射炉の構造 -3
左側の口を鋳口といい、溶解させる銑鉄などを入れるところで燃焼ガスの集中により最も高温になるところ。右下の方は焚口といい、筑後や常磐等の石炭を入れるところだそうだ。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 18mm ISO360 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
41.韮山反射炉 -3
反射炉の裏側に回ってきた。左側の反射炉の下のところに石積みの焚所風入口と灰穴が見える。灰穴は焚口のある焚所(燃焼室)の下に位置し、焚所への自然送風口と共に、焚所で燃えた燃料の灰を落とす所だそうだ。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/500秒 18mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
42.韮山反射炉 -4
さらに左回りに進むともう一基の反射炉の焚所風入口と灰穴が見える。これで連双2基4炉の反射炉の周りを一回りした。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/800秒 18mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
43.一級河川 韮山古川起点
反射炉の見学を終え、駐車場の方へ戻る途中に小さな川が流れていた。一級河川韮山古川起点という看板が立っていた。韮山古川は狩野川水系の一級河川で、ここから田方平野南部に出て、準用河川皆沢川、準用河川山田川を合わせて狩野川右岸に合流する。鉄を溶かして鋳型で固めた鉄の塊でしかない砲身を、水車で回転させ削孔(さっこう)するのは、工作機械「三連錐台」で行われた。昼夜休みなく回る水車によって約1ヶ月かけて穴が開けられたのだ。反射炉が古川沿いに築造されたのも、水力を必要とするためであったそうだ。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/800秒 48mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。


2016年1月21日

三島スカイウォークと江川邸、韮山反射炉へドライブ(2) 江川邸と本立寺 1月5日

次の目的地である江川邸にカーナビをセットした。それほど遠い距離ではなく、むしろ韮山反射炉へ行く通り道から少し入ったところにある。
 江川邸の駐車場に到着。入口でいただいたパンフレットによると、以前は宇野姓を名乗っていた江川家は、清和源氏の流れをくみここ韮山に定住していた。源頼朝の平家に対する挙兵(1180年)に応じて参戦し、江川庄を賜ったという。その後、鎌倉時代、室町時代と伊豆の豪族として地盤を固め、15世紀中ごろに狩野川の支流の名にちなんで性を江川と改めたそうだ。要するに江川家は伊豆の豪族である。
 北条氏の伊豆進出(1493年)に当っては土地を提供して韮山城を築城させた。北条氏の家臣となった江川家は、その後徳川家康に仕え、28代江川英長は幕府の直轄地となったこの地を代官として統治するようになった。以後明治維新にいたるまで江戸時代のほぼ全期間を通じて代々徳川幕府の代官を世襲した。特に幕末の36代英龍は文化人、開明思想家、革新的技術者として有名であったのだ。通称は太郎左衛門(たろうざえもん)、号は坦庵(たんあん)で知られている。

高さ12mあまりの大屋根を支える豪壮な架構の主屋(552㎡)を持つ江川家住宅は、重要文化財に指定されている。
 受付を入る。門をくぐり正面に玄関があるが、ボランティアの方が数名の見学者グループに説明をされていた。入り口は土間からになっている。江川邸の屋敷と庭を見学し、裏門から外へ出た。裏門から外を見ると真正面に富士山が見えた。
徒歩5分くらいのところに江川家の菩提寺である本立寺があると聞いたので、行って見ることにする。観光客の姿はなく、静かだった。蝋梅の花が満開だった。

14.江川邸の佇まい
駐車場に車を停めて、江川邸の入り口に向かった。駐車場からは江川邸を眺めながら入口へ向かうが、その落ち着いた佇まいは美しかった。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/400秒 45mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
15.江川邸受付
受付で入場料をお支払する。入場料はひとり500円だが、前のご夫婦と受付の方との話を聞いていると、JAFの会員であればひとり100円割引になるという。JAFカードは車の中だ。走って車まで取りに戻った。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 34mm ISO720 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
16.表門
元禄9年(1696年)に建築され、文政6年(1823年)に一度補修されているそうだ。三間一戸の薬医門だ。この写真の右側に枡形と呼ばれる広場があった。江川邸の場合、代官が外出する際人数をそろえるのに使われていたと説明されていた。平成12年に屋根の葺き替えと部分修理が行われている。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 26mm ISO220 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
17.センダン(栴檀)の実
その枡形の奥に大きなセンダンの木があり、可愛い実を付けていた。「栴檀は双葉より芳し」の栴檀である。広辞苑によればこれは、「栴檀は発芽の頃から早くも香気があるように、大成する人は子供のころから並はずれて優れている。」ということ。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/800秒 50mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
18.主屋の屋根
枡形と屋敷との間の黒塀越しに見る主屋の大屋根は立派だった。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/400秒 50mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
19.土間
玄関を右に回り、土間から主屋の中に入った。広い。およそ50坪の広さだそうだ。北側中央にかまど、東側には生き柱と呼ばれる江川氏がこの地に移り住んできた時、生えていたケヤキの木をそのまま柱として利用したとされる柱があった。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/100秒 35mm ISO6400 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
20.主屋の座敷 江川英龍とお台場、韮山反射炉
土間から靴を脱いで主屋の畳に上がった。そこには江川太郎左衛門英龍が立案、建設したお台場、韮山反射炉など様々な偉業に関する展示がなされていた。お台場と江川英龍との関係はここに来るまで知らなかった。嘉永6年(1853年)ペリーがやってきて武力を背景に日本に開国を迫った。当時対抗できる武力を持たなかった日本は、急いで防御策を講じ必要に迫られ、東京湾に12の人工島(実際に完成したのは6)を築き、たくさんの大砲を備え付けることになった。これが台場であるが、その設計から完成までの総指揮に当ったのが江川英龍だったのだ。そしてその台場に備え付ける大砲を鋳造するために韮山反射炉が造られた。英龍が死去した後は息子の英敏があとを継ぎ、安政4年(1857年)に完成させている。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/50秒 27mm ISO6400 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
21.江川英龍の絵
江川英龍は一方で多彩な余技を持つ文化人であり、数多くの書画、詩作、工芸品などが残されいる。下段に蝶の画がある。キタキチョウ、コミスジ、アオスジアゲハが描かれている。右下の蝶は種が判別できない。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/60秒 18mm ISO6400 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
22.土間全景
各部屋に展示されていた資料の数々を見学したあと、再び土間に下りた。北側中央にある釜戸の手前右側の丸い柱が生き柱であろう。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/125秒 23mm ISO6400 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
23.大屋根を支える架構
土間から見上げる、主屋の大屋根を支える架構は見事だ。天井板が張られていないため屋根裏の架構(小屋組み)をそのまま目にすることができる。現在銅板葺きとなっているが、当時は高さ約12mにもなる茅葺の屋根を支えてきた。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/6秒 18mm ISO6400 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
24.パン租の碑
入ったところから主屋を出た。肥料蔵、南米蔵、北米蔵などがあり、出口(裏門)へ出る右側にパン租の碑が立っている。江川英龍は天保13年(1842年)ごろ、パン(今日の乾パンのような保存性の高いもの)を兵糧として用いようと考え、配下の者にパンの製造方法を学ばるとともに、自邸内にパン窯を築いて実際にパンを焼かせた。昭和28年、全国パン協会は英龍を「パン租」として顕彰しこの碑を建てた。碑文は徳富蘇峰による・・・とパンフレットに記されている。土間にパン焼き窯があった。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/800秒 27mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
25.裏庭から主屋を見る
大きなトチノキがある。そのほかにも桜の木に楓と樫の木が宿った木もあった。春には桜の花が咲き、秋には紅葉が楽しめるというが、今は老木にしか見えなかった。主屋の屋根は大きい。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/400秒 26mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
26.裏門
文政6年(1823年)建築だが、門扉はもっと古いものをそのまま使っている。裏門の真後ろからは富士山が見えた。昭和62年に修復されている。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 23mm ISO220 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
27.裏門の門扉
その裏門の門扉であるが、所伝によれば天正18年(1590年)、豊臣秀吉の軍勢によって韮山城が包囲されたとき、砦のひとつだった江川邸(江川曲輪)も激しい攻撃を受けた。門扉はその当時のもので多数残る穴は鉄砲玉や鏃(やじり)の跡だとされている。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 18mm ISO250 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
28.のどかな風景
江川邸を後にして、駐車場に戻り、車で江川家の菩提寺という本立寺へ行ってみた。これは本立寺付近の民家だが、手前に畑があって屋根の向こうには富士山が見え、のどかな光景である。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/1600秒 52mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
29.本立寺山門
江川家16代当主の江川英親は流罪にされて伊東に居住していた日蓮上人を、1261年に数日間江川邸に招いたとされているが、wikipediaによれば、その1261年に日蓮は近郷を教化し、経塚を作るとある。本立寺は日蓮宗の本山(由緒寺院)で山号は大成山という。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 45mm ISO250 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
30.本立寺本堂
のちの1506年(永正3年)、二十四代当主英盛が江川邸内にあった大乗庵を移し本立寺(日澄大堂)が建立されている。その後、大永5年(1525年) に 山崩れで崩壊、永禄元年(1558年) 再建、そして明治36年(1902年) -には本堂が焼失した。この本堂はその後に再建されたものであろう。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 48mm ISO220 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
31.本立寺鐘楼
本堂の手前右側に鐘楼があった。本立寺の鐘楼には、鎌倉の東慶寺にあった梵鐘が吊されているという。なぜ、鎌倉東慶寺の梵鐘が本立寺にあるのだろうか。調べてみると、鎌倉手帳(社寺散策)というサイトに「梵鐘が鋳造された1332年(元徳4年・元弘2年)の翌年、鎌倉幕府が滅亡すると、覚海円成は子女を連れて伊豆韮山に移り住み、北条氏邸跡に円成寺を建立して北条氏の菩提を弔ったという。おそらく、そのときに東慶寺の梵鐘も伊豆韮山に運ばれ、江戸中期に円成寺が焼失した後、韮山の有力者で徳川幕府の代官だった江川氏の菩提所へ移されたものと考えられる。」という記述を見付けた。インターネットがなければこんなに簡単に調べたいことにたどり着けない。IT革命だ。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 26mm ISO1400 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
32.ロウバイ(蝋梅)
境内には2、3本のロウバイの木があって、どれもきれいな花を咲かせていた。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/640秒 70mm ISO1400 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。


2016年1月16日

三島スカイウォークと江田邸、韮山反射炉へドライブ(1) 三島スカイウォーク 1月5日

2015年7月5日に行われた第39回世界遺産委員会で世界文化遺産に登録された「明治日本の産業革命遺産」の構成資産の一つである韮山反射炉へ行ってみたいと思っていた。また、昨年12月になって、三島と箱根の間に歩行者専用としては日本一長い「三島スカイウォーク」という吊り橋がオープンしたとTVで報じられていた。
 はじめ、日帰りバスツアーで行こうかと思っていたが、それほど遠い距離でもなく、また、先日n-shuhei さんが行ってこられた江田邸にも是非寄りたいので、マイカーで出掛けることにした。

朝6時半に自宅を出発し、三島スカイウォークに着いたのが開場時間前の8時40分ごろだった。雲一つない晴天だったが何かクリアな空ではない。PM2.5でもなかろうと思うのだが。江田邸には10時40分着、そして江田氏菩提寺である本立寺に寄って、最終目的地である韮山反射炉に着いたのはちょうど正午ごろだった。反射炉を見て歩くのに30分もかからなかった。
 12時半には、この日の目的を終え、さて、帰路はどのようにしようかと思案した。伊豆スカイラインを走って富士山の写真を撮って帰ろうかと思い、国道136号線へ出る信号で一旦ウィンカーを左に出したものの、信号待ちの間にかみさんと協議の結果、考えを変え、三島に行って三島大社にお参りし、その近くで鰻を食べて帰ろうと、ウインカーを右に出しなおした。
 ところが三島大社の周辺は大渋滞でとても寄り付けそうもない。仕方なく三島駅近くの駐車場に車を入れて、駅前の鰻やさんに入った。その店は、間口は小さかったが結構奥行きがあり、お客さんも入っていた。
 帰路、東名高速のインターに出るのに迷ってしまい、結局、長泉沼津ICから第二東名に入った。御殿場を過ぎると下り坂になり、流れが早くなる。その後も順調に走り、夕方5時前には自宅に着いた。

1.足柄サービスエリア
自宅から1時間少々走って、8時ごろ足柄サービスエリアに車を停めた。朝食にする。走行中も真正面に雲一つない富士山を見ながら走ってきたが、ここからの富士山も大きく見える。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5​ ​4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f6.5 1/400秒 258mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
2.三島スカイウォーク入口付近から見た富士山
東名沼津から伊豆縦貫道に入り、三島塚原ICで下りて、国道1号線を箱根方面に向かった。10分も走らないうちに三島スカイウォークの大きな駐車場に入った。開場は午前9時でチケット売り場はまだ開いていなかった。往復渡橋の入場料は@1,000円。しばらく待つとゲートが開き、左手にある大吊り橋の渡り口へ向かう。さっそく、富士山が迎えてくれた。遮るものがない。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/1600秒 140mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
3.吊り橋を歩く
対岸に向けて吊り橋を歩く。少し揺れるがまったく不安を感じない。左側には富士山が見えるが、それ以外には見るべきものは何もない。季節が変わるとどうなるのだろうか。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5​ ​4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.6 1/1600秒 6mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
4.400mを渡り反対側へ
写真を撮りながら15分くらい吊り橋の上を歩いただろうか。反対側の丘の上に着いた。橋の向こう側に見えるのは三島市、さらに駿河湾だ。係りの人も言っていたがこの日は晴れてはいるものの、なにか靄がかかっているようで、いまいちくっきり見えない。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/1600秒 18mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
5.谷
手すりから首を出して覗いてみると、橋の下は谷になっていて水は流れているようだが美しい渓流があるわけではない。まだ開発中なのだろうが裸地が多かった。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/640秒 122mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
6.展望台から見える富士山 -1
吊り橋を渡り切った反対側には展望台が設けられていた。しかし、雨や曇りの日に来られた人たちは気の毒だなと想った。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5​ ​4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/800秒 21mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
7.展望台から見える富士山 -2
裾野市の向こうに富士山を見る。この日は少し靄がかかっていたが、それにしても青空を背景に富士山を撮るのは難しい。全体が青みがかってしまい、富士山がくっきりと浮かばない。また、レンズの周辺光量不足が目立ってしまう。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/1600秒 122mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
8.吊り橋を戻る
途中、振り帰って入口(入場口)の方を背にもう一度富士山を撮る。やはりくっきりとは撮れない。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/1000秒 26mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
9.入口側の展望台
入口側にも展望台があって撮影スポットが設けられていた。今日は入場者が少ない。しかし、何人かが順番を待って記念写真を撮っている。写真を撮られるときにVサイン(ピースサイン)をするようになったのは何時頃からだろうか。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/2000秒 35mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
10.入口側展望台から見た吊り橋全景 -1
木が切られた跡が目立つ。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/800秒 35mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
11.入口側展望台から見た吊り橋全景 -2
今度は吊り橋の右側から富士山を入れて撮る。パンフレットによると全長400mで谷からの高さ70.6m、歩道幅1.6m、主塔の全校44mとなっていて、歩行者専用吊り橋としては日本一の長さとのこと。また、車椅子同士がすれ違うことができる幅に設計されているそうだ。空気が乾燥してクリアな時は富士山のみならず、駿河湾の眺めも良いだろうなと思う。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/1250秒 30mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
12.花が降るショップ スカイガーデン
入場ゲートの手前左側の小高い丘の上にスカイガーデンというショップがあった。エスカレータが付いている。登ってみた。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5​ ​4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/1600秒 5mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
13.スカイガーデンのなか
エスカレータを上がってスカイガーデンの中に入る。中は温室のようになっていて、天井からはトロピカルな花が吊られていた。雨の日に来られた人たちは、しばしここで時間を過ごすことになるのだろう。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5​ ​4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/200秒 8mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。


2016年1月13日

築地本願寺と場外市場 1月2日

1月2日はかみさんの父親の命日で毎年、八王子にあるお墓へお参りに行くことになっている。今年も行ってきたが、末っ子であるかみさんにとっては、父母、そして兄弟たちも墓に入った人が多くなり、お参りに行く人が限られれてきた。今年はかみさんの姉も体調が優れず、私たち夫婦と姪の夫婦と4人で出かけた。

ここ数年正月の墓参りのあとは姪の父親、つまりかみさんのすぐ上の兄が行っていた築地の寿司やで食事をしている。今年も姪が予約を入れてくれていた。12時に八王子の墓があるお寺を出たが、中央高速の上りが混んでいて、築地の寿司やに着いたのは予約を入れた時間、2時ちょうどだった。
 2時間ほど美味しい酒と鮪を堪能した後、今までお参りしたことのない築地の本願寺へ行ってみることにした。午後4時頃のこともあり、参拝者は多くない。お参りを済ませ、築地場外市場を歩いてみた。正月2日の夕刻でもあり、ほとんどの店は閉まっていた。場外市場の先にある波除稲荷神社にお参りしたが、ここは人出が多かった。
 波除稲荷神社のお参りを済ませ、東銀座まで歩いて都営地下鉄、京浜急行で横浜に返ってきた。

1.築地場外市場
新大橋通りを築地本願寺の方へ歩いてくると右手に築地場外市場がある。本願寺にお参りした後でちょっと見てみよう。

Panasonic DMCーSZ-10​ f3.1-6.3 4.3mm-51.6mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5.6 1/100秒 25mm ISO160 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
2.築地本願寺 -1
築地本願寺の前に着いた。お寺というより西洋の寺院(実は古代インド様式)を感じさせる。wikipediaによれば、築地本願寺は浄土真宗本願寺派の寺院。東京都内における代表的な寺院の一つで、京都市にある西本願寺の直轄寺院である。築地本願寺は江戸時代の1617年に、西本願寺の別院として浅草近くの横山町に建立され「江戸浅草御坊」と呼ばれていた。しかし明暦の大火(振袖火事)により本堂を焼失。その後、江戸幕府による区画整理のため旧地への再建が許されず、その代替地として八丁堀沖の海上が下付された。そこで佃島(現中央区佃)の門徒が中心となり、本堂再建のために海を埋め立てて土地を築き、1679年に再建。「築地御坊」と呼ばれるようになった。この埋め立て工事が地名築地の由来となっているそうだ。なお、このときの本堂は西南(現在の築地市場)を向いて建てられ、場外市場のあたりが門前町となっていたそうだ。

Panasonic DMCーSZ-10​ f3.1-6.3 4.3mm-51.6mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.1 1/160秒 4mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
3.築地本願寺 -2
さらにwikipediaによれば、築地本願寺は1923年9月1日の関東大震災では、地震による倒壊は免れたが、すぐ後に起こった火災により再び伽藍を焼失した。現在の本堂は1934年の竣工。古代インド様式をモチーフとしたこの建物は、当時の浄土真宗本願寺派法主・大谷光瑞と親交のあった東京帝国大学工学部名誉教授・伊東忠太による設計だそうだ。当時の宗教施設としては珍しい鉄筋コンクリート造で、松井組(現松井建設)の施工により建築されたとのこと。

Panasonic DMCーSZ-10​ f3.1-6.3 4.3mm-51.6mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/80秒 14mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
4.築地本願寺内部 -1
正面の大階段を上がると「広間」と称する横長の前室を経て外陣があり、その奥が本尊を安置する内陣である。平面構成は、内陣の両脇に「余間」を設ける点、外陣を広く取る点などは伝統的な真宗本堂の形式を踏襲しているが、外陣は椅子席となっている。

Panasonic DMCーSZ-10​ f3.1-6.3 4.3mm-51.6mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/15秒 9mm ISO400 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
5.築地本願寺内部 -2
本堂正面の左右には「大太鼓(だだいこ)」があった。これは雅楽に用いられる太鼓の類だそうだ。築地本願寺では、法要や結婚式などで雅楽が奏されるという。

Panasonic DMCーSZ-10​ f3.1-6.3 4.3mm-51.6mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.1 1/20秒 4mm ISO400 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
6.築地本願寺 -3
再び外から見ると、中央部正面には4本の列柱を有する向拝と大階段が設けらえている。大階段の手摺は独特の曲線を描き、左右に2体ずつの獅子像を置く。この大階段を上がると2階になり外陣がある。

Panasonic DMCーSZ-10​ f3.1-6.3 4.3mm-51.6mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/100秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
7.円正寺
築地本願寺を出て、場外市場への道を入っていくと天護山円正寺というお寺があった。円正寺は宗誓(寛永12年卒)が開基となり深川海辺町に創建された。江戸時代、明暦の大火(1657年)を機に、円正寺は、横山町から海を埋め立てて土地を築き、移転、建立された築地本願寺の境内に移転した。その築地本願寺の境内には地中子院(ぢちゅうしいん)と言われる58ヶ寺が集い寺町を形成していたという。現存する寺院はこの円正寺と、稱揚寺、妙泉寺、善林寺の4寺だそうだ。

Panasonic DMCーSZ-10​ f3.1-6.3 4.3mm-51.6mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.8 1/6秒 8mm ISO800 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
8.築地場外市場
正月2日の午後4時過ぎということで、場外市場はひっそりとしていた。

Panasonic DMCーSZ-10​ f3.1-6.3 4.3mm-51.6mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.7 1/60秒 7mm ISO320 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
9.波除稲荷神社
​明暦の大火後、築地の埋め立て工事が行われたが、荒波の影響で工事は難航した。その最中のある晩、光を放ち漂う稲荷大神​の​御神体が見つかり、万治2年(1659年)、現在地に社殿を建て​その御神体を​祀った​という​。その後、波が収まり工事が順調に進んだことから、以降厄除けの神様として信仰を集めることとなった​。これが波除稲荷神社の​由来だそうだ。

​Panasonic DMCーSZ-10​ f3.1-6.3 4.3mm-51.6mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.2 1/60秒 10mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
10.波除稲荷神社 社殿と茅の輪
現在の社殿は昭和12年に建てられた。国産の檜が使われた神明造だそうだ。衣食住、殖産、商業の守り神である倉稲魂命(うがのみたまのみこと)が祀られ、波除様と敬われている。

Panasonic DMCーSZ-10​ f3.1-6.3 4.3mm-51.6mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.2 1/30秒 10mm ISO400 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
11.波除稲荷神社 天井大獅子
参道の右手に厄除け、災難除けの天井大獅子がある。先にあった天井大獅子は、江戸末期に焼失していたが、平成2年に神社の鎮座330年を記念して、樹齢約三千年の黒檜の原木を用いて、高さ2,4m、幅3,3m、重さ1tの厄除け天井大獅子が再建されたそうだ。神楽殿を基礎より全面改築された獅子殿に納められたとのこと。参道を挟んで反対側に赤い顔の雌の大獅子「弁財天 お歯黒獅子」が祀られていた。

Panasonic DMCーSZ-10​ f3.1-6.3 4.3mm-51.6mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.3 1/20秒 5mm ISO400 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
12.築地市場
波除稲荷神社を出て左側を見ると中央卸売市場が見えた。もちろん閉まっている。2016年(平成28年)11月7日​に​豊洲市場が開場予定​である​。ほぼ同時期に​この​築地市場は解体され、中央卸売市場の機能を新市場へ引継ぐこととなる。場外市場はそのまま残るそうだ。

Panasonic DMCーSZ-10​ f3.1-6.3 4.3mm-51.6mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.4 1/80秒 12mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
13.歌舞伎座
​夕方4時半を過ぎ、築地の場外市場から波除稲荷神社にお参りして、晴海通りを地下鉄の東銀座に向かうと、右手にライトアップされた新しい歌舞伎座が見えてきた。初代の​歌舞伎座は木造で外観は西洋風の劇場として1889年(明治22年)に開場した。1911年には和風の外観​になり​新しい劇場が竣工したが、1921年に漏電により焼失​してしまった。​第3期は1925年竣工の桃山様式風建物で開場した​のだ​が、1945年に戦災に​遭ってしまった。​、戦後1951年に第3期の躯体を生かして修築された。そして、2013年に​その​第4期の建物のデザインを踏襲して、複合ビルとして竣工したのがこの建物である。

Panasonic DMCーSZ-10​ f3.1-6.3 4.3mm-51.6mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/80秒 14mm ISO1600 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。


2016年1月 9日

紅葉の古都鎌倉を巡る (4) 鶴岡八幡宮 12月7日

昨年の12月7日、その日鎌倉を歩く目的の一つは、平成22年3月10日未明、強風に煽られて根元から倒壊した大銀杏がその後どうなったかを見たいことだった。
 鎌倉街道を建長寺の方から歩いてくると、いわば鶴岡八幡宮の横丁に出る。丸山稲荷社があるところを上がっていくと本宮の脇に出る。本宮にお参りして石段を下ると右手に大銀杏がある。いくつも出ていた「ひこばえ」の中から選ばれた1本の若木がすくすくと伸びていた。
 若宮から白旗神社の紅葉を眺め、源平池へ出た。沢山の水鳥が遊んでいた。
  鶴岡八幡宮の境内への入り口である三の鳥居から見る参道、「段蔓」は工事中だった。2014年(平成26年)11月から改修工事が行われていて通行できない。桜の木も取り除かれている。そのため、平成27年の桜は観ることはできなかったという。工事は平成28年3月までかかるそうだ。新たなに桜とツツジが植えられる予定という。

65.丸山稲荷社と本宮
建長寺からそれほど歩くことなく鶴岡八幡宮の鳥居があった。鳥居をくぐって進むと右手の小高いところに丸山稲荷社があった。丸山稲荷社は鶴岡八幡宮の末社である。その本殿は重要文化財に指定されている。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f7.1 1/250秒 11mm ISO900 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。

66.本宮 そのまま進むと舞殿のほうから大きな石段を上がってきたところの横に出た。このまま本宮に進んでお参りをさせていただいた。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f7.1 1/500秒 20mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。

さて、ここで平成22年3月10日に倒れた大銀杏のことに触れたい。

e-66-1.jpg

↑ 上の写真は、2008年12月4日に撮影した写真で、2010年(平成22年)3月10日の未明に強風に煽られて倒れる前の立派な大銀杏の木だ。3代将軍源実朝を暗殺した公暁が隠れていたという伝説から「隠れ銀杏」とも呼ばれていた鶴岡八幡宮の大銀杏である。長い間、鎌倉の歴史を見守ってきた古木は、樹齢は1千年ともいわれ、昭和30年に神奈川県の天然記念物に指定されていた。左は大石段を上がって、本宮前から眺めたところで、左に見えるは舞殿だ。

e-66-2.jpg

↑ 2010年4月23日、倒壊してまだひと月半も経っていない時に、八幡宮を訪れて驚いた。ご覧のとおり、倒れた大銀杏の根はそのままに残されて、そこには早くも「ひこばえ」が芽吹いていた。そして、倒れたところから切られた大きな幹は、その隣に移植されていた。中の写真が元の根に芽生えた「ひこばえ」で、右の写真が移植された幹である。その時の私のブログには、「倒れた翌日の3月11日、早くも八幡宮は大銀杏を移植し、再生を目指す方針を固めたそうだ。倒壊した大銀杏を移植する作業が14日に行われた。根元から約4メートルで切断された幹(約17トン)がクレーンでつり起こされ、元あった場所の西側約7メートル地点に掘削された穴へ植え直された。新しい芽を使った後継樹の育成については、新しい芽は数本を生育させ、状態の良いものを(10年前後の期間を見ながら)後継樹として選びたい」という。切断された上の部分から、もう新しい芽が出ている。」と記されている。

e-66-3.jpg

↑ そして、倒壊してから9か月後の2010年12月6日、再び紅葉の頃、鶴岡八幡宮を訪れたが、元の根の「ひこばえ」はその数を増やし、移植された幹にも多くの「ひこばえ」を見ることができた。倒れた幹部分を「残せる限り、元の大きさで再生させたい」と、高さ約4メートルで切って移植した幹が、右側の写真だ。日当たりの良い側からぐんぐんと枝が生えている。 中の写真、階段の下から見ると、2010年3月に折れた根から新しく生えた枝は2mにも達している。

e-66-4.jpg

↑ 上は2011年12月12日に撮影した。倒れて1年9か月が経った。「ひこばえ」というか、もう枝と言っても良いほど太くなり、ぐんぐんと伸びている。生命力の強さを感じる。これから、移植した幹から延びた木と、元の根から伸びた木はどのように大きくなっていくのだろうか? 千年後には2本の大銀杏になるのだろうか。

 そして、今回4年9ヶ月後、久々にその後の姿を見に行った。
67.倒壊して4年9ヶ月後の大銀杏 -1
元の根から生えていた「ひこばえ」は整理され、最も優秀な子孫?が1本残されてすくすくと育ち、葉はもう一人前に黄色く色づいていた。高さも4~5mになっているように見える。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f7.1 1/400秒 56mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
68.倒壊して4年9ヶ月後の大銀杏 -2
石段の左にあって、もう十分存在感がある。立派だ。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f7.1 1/500秒 27mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
69.倒壊して4年9ヶ月後の大銀杏 -3
移植された幹からの再生根の確認にはまだまだ時間がかかると言われる。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f7.1 1/500秒 27mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
70.倒壊して4年9ヶ月後の大銀杏 -4
少し離れて、本宮と石段とその左に育っている銀杏で構図した。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f7.1 1/640秒 56mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
71.倒壊して4年9ヶ月後の大銀杏 -5
この銀杏の若木は倒れた根から生えているのだが、その根の部分が土に覆われて、地面から伸びているように見えるようになった。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f7.1 1/640秒 140mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
72.境内にあるもう一本の大銀杏
舞殿から本宮に向かって左側、広くなったところの縁にもう一本、大きな銀杏の木がある。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f7.1 1/320秒 27mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
73.奉納樽酒
同じく舞殿の左側の広くなったところに、全国津々浦々の樽酒が棚に奉納されている。8樽を納める棚が18もあり、棚の空きはひとつしかなく、そこにもビールなどが奉納されていた。樽の中に酒は実在するのだろうか?薦で包んだこの酒樽は、四斗樽(約72リットル入り)というそうだ、酒樽は主に祝いの席を華やかに盛り上げる慶びのセレモニー用具として使われる。外国人観光客が熱心に写真を撮っていた。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f7.1 1/250秒 18mm ISO400 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
74.直会館前の紅葉 -1
参道に向かって舞殿の前を左側に折れると若宮があり、白旗神社の手前に池がある。その池に赤い橋が架かっていて、その周囲の紅葉がきれいだった。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f7.1 1/250秒 22mm ISO250 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
75.橋から見る舞殿
赤い橋の手前から、静御前が義経を慕い、心を込めて舞った若宮廻廊跡に建つ下拝殿とも言われる舞殿が見えた。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f7.1 1/250秒 23mm ISO220 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
76.直会館前の紅葉 -2
この赤い橋のあたりのモミジの木は枝を大きく張り出してとてもきれいだった。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f7.1 1/250秒 60mm ISO450 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
77.斎館の庭
源平池の方へ進むと左側に斎館がある。斎館は献幣使を迎えたり、国の内外からの賓客を持て成すところだそうだ。だが、休館中だった。門から中を覗いて1枚撮らせていただいた。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f7.1 1/250秒 18mm ISO250 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
78.源平池
右手に鶴岡幼稚園があり、正面に源平池がある。池には島があり旗上弁財天社が見える。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f7.1 1/500秒 50mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
79.源平池の水鳥
いろいろな水鳥がいる。オナガガモ、ヒドリガモ、それにユリカモメが見える。そういえば、この冬は帷子川でもユリカモメがとても多く見られる。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f7.1 1/500秒 140mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
80.オナガガモ♀
見栄えのするオナガガモの♀もいた。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f7.1 1/400秒 140mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
81.ヒドリガモ エクリプス
見たときは♂なのか、♀なのか良くわからなかったが、♂の生殖羽への換羽前のエクリプスのようだ。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f7.1 1/250秒 140mm ISO450 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
82.太鼓橋から本宮を望む
鶴岡八幡宮の太鼓橋は、1182年(寿永元年)、源平池が造営されたときに架れたものと考えられている。将軍家が鶴岡八幡宮に参拝するときは、この橋で輿を下乗したという。当時は朱塗りの板橋であったことから、「赤橋」(あかはし・あかばし)と呼ばれていたそうだ。その橋の脇から本宮が見える。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f7.1 1/640秒 70mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
83.神苑ぼたん庭園
以前にぼたんの季節にこの中に入って美しく咲くぼたんを鑑賞した。いまは休園になっていた。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f7.1 1/250秒 48mm ISO360 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
84.太鼓橋から舞殿と本宮を望む
G12で撮った。太鼓橋から参道がまっすぐ伸び、その先に舞殿と本宮が重なるように見える。

Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f​4​.5 1/​320秒 25mm ISO80 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
85.赤い橋
太鼓橋の両側にも橋が架けられている。参拝客はそこを渡っていく。当初は左側の橋のみだったそうだ。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f7.1 1/640秒 85mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
86.ステンレスの灯篭
三の鳥居を入って池の手前の両側にステンレス製の大きな灯篭がある。これは私の先輩のご実家で制作されたもので、以前よりそのことは聞いていた。掃除も行き届いてきれいだった。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f7.1 1/800秒 23mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
87.小町通り
段蔓のある若宮大路へ出て、途中から小町通りに入った。大勢の人が歩き、賑わっている。また、新しい店ができているようだ。

Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f​5 1/​1250秒 14mm ISO160 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
88.工事中の段蔓
三の鳥居から二の鳥居へと続く若宮大路を見たとき、覆いが施されて工事中だった。若宮大路の中央部に位置する段葛の改修工事は、11月4日から始まったという。老朽化の目立つ参道を補強し史跡としての風致・遺構を保全するとともに、参拝者と車両の安全確保、桜並木の回復と育成が主な目的だそうだ。工事が終わる2016年3月まで通行できない。桜の老化が進んでいると聞いた。神奈川新聞によれば、「ソメイヨシノの寿命はおよそ60、70年ともいわれ、段葛もこの時期を迎えた老木が多い。鶴岡八幡宮に残る記録では、大正時代に大掛かりな植え込み工事が、昭和初期には改修工事が行われた。今回、植え替えの必要な老木を選別し、新たな成木に植え替える」という。 工事が終わるのは3月だそうだが、今年(2016年)の花見はできるのだろうか?現在植えられている桜は、専門家が「育成が期待できる」と鑑定したものを平家池(本宮に向かって源平池の左側の部分)周辺に移植し、そのほかは伐採する。参道を支える石積みのたるみやひび割れの改修後は、種類や樹齢など可能な限り統一した桜を新たに植えるが育成に適した樹間を確保するため従来(248本)より少ない180本程度となる予定だそうだ。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f7.1 1/1250秒 35mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
89.鎌倉駅
ウィキペディアによれば、鎌倉駅は1889年(明治22年)6月16日 、 官設鉄道大船駅~横須賀駅の開通時に、開業した。1909年(明治42年)10月12日 に 横須賀線所属駅となる。1984年(昭和59年)10月3日 、 国鉄の駅舎を現在のものに改築(3代目)した。駅舎落成記念乗車券が発売される(私はこの記念乗車券を入手し、保存している)。1987年(昭和62年)4月1日 、 国鉄分割民営化により、国鉄の駅はJR東日本の駅となった。2000年(平成12年) 、 関東の駅百選に選定された・・・とあった。鎌倉駅の西口側には江ノ電の鎌倉駅がある。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f7.1 1/320秒 18mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。


2016年1月 5日

紅葉の古都鎌倉を巡る (3) 建長寺 12月7日

昨年12月7日の鎌倉歩きの続きである。
 明月院の紅葉を堪能した後、再び鎌倉街道に戻ろうと明月院通りを歩いていくと右手に葉祥明美術館というのがあった。葉祥明氏は熊本市出身の日本の絵本作家。祖父の代に日本へ渡来した中国人の家系で、ご自身は30代で日本国籍になっている。実兄の葉祥栄は建築家だそうだ。
  鎌倉街道を建長寺の方に向かって歩いていくと、大勢の中学生か高校生が歩いてくる。その流れはなかなか途切れない。はじめは修学旅行の生徒たちかと思ったがどうやらそうではなさそうだ。しばらく行くと左手に鎌倉学園(私立で中学と高校がある)という学校があった。建長寺のすぐ手前だ。

建長寺の天下門から入る。wikipediaによれば建長寺は、禅宗の寺院で、臨済宗建長寺派の大本山。山号を巨福山(こふくさん)と称し、寺号は詳しくは建長興国禅寺(けんちょうこうこくぜんじ)という。鎌倉時代の建長5年(1253年)の創建で、本尊は地蔵菩薩、開基(創立者)は鎌倉幕府第5代執権北条時頼、開山(初代住職)は南宋の禅僧蘭渓道隆で、第二世は同じく南宋の兀庵普寧である。鎌倉五山の第一位。境内は「建長寺境内」として国の史跡に指定されている。
  2011年の冬に来たときは、山道を上がって半僧坊まで上がったが、今日は唐門を見て引き返すことにした。

48.建長寺バス停
北鎌倉の駅へ歩く鎌倉学園の生徒さんたちの流れに逆らって、後ろから来る車に気を付けながら歩いていくと建長寺のバス停に出た。左手に天下門が見える。

Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f​4​ 1/​400秒 6mm ISO80 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
49.天下門
バス停の前がすぐ建長寺の天下門だ。門をくぐると観光バスも停まる駐車場になっていた。一般の車が駐車できるのかどうかはわからない。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 23mm ISO220 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
50.総門
天下門を入って左手に総門がある。総門には巨福山という額が架かっていた。執権北条時頼が寛元4年(1246)に宋からきた蘭渓道隆を開山として、巨福呂坂上の地獄谷の地蔵堂を中心に寺を建立したことからこの名があるのだといわれる。完成したのが建長5年(1253)でその年号が寺名となった。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 18mm ISO400 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
51.総門と三門
総門から三門が見える。三門、仏殿、法堂、方丈が一直線に並び宋風禅寺の様式を残しているといわれる。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/320秒 32mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
52.山門
立派な三門だった。1775年、万拙和尚(ばんせつおしょう)が浄財を募り再建し、その時狸が助けたとの伝説から名狸の三門とも言うそうだ。建長興国禅寺の大きな額が架かっている。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 112mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
53.仏殿と法堂
三門を抜けて、左側から仏殿(手前)と法堂を撮った。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f7.1 1/400秒 20mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
54.仏殿
仏殿は本尊の地蔵菩薩像が安置されている。中に入ってお参りしたが、大きな仏様だった。現在の重層寄棟造りの建物は創建当初から4代目と言われ、1647年に徳川家の菩提寺だった東京、芝の増上寺より移築したものだそうだ。国指定の重要文化財になっている。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f7.1 1/320秒 18mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
55.法堂
仏殿の奥に法堂がある。はっとうと読む。法を説くための堂。当初の法堂は、1275年(建治元年)、建長寺開基で五代執権の北条時頼十三回忌のときに創建されたとのこと。現在の法堂は、文化11年(1814年)の建立だそうだ。内部には千手観音坐像が安置されている。鎌倉最大級の木造建築で2005年に重要文化財に指定された。天井には小泉淳作筆の雲龍図がある。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f7.1 1/250秒 18mm ISO250 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
56.唐門
仏殿の向こうに法堂があり、その先は大庫裡(宗務本院事務所)になっていた。そしてその左手にこの唐門がある。先日上野の東照宮で拝観した唐門に良く似ているという印象を持った。 唐門も、仏殿と同じく芝の増上寺から移築されたものだそうだ。勅使門とも言う。唐門とは屋根が唐破風(中央部を凸形に、両端部を凹形の曲線状にした)になった門のことを言うそうだ。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f7.1 1/1250秒 52mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
57.方丈
唐門は方丈の正門であったそうだ。建長寺の方丈(龍王殿)は過去には度重なる罹災と復興が繰り返され、1641年(寛永18年)にも再建されているが、1923年(大正12年)の関東大震災により倒壊したため、現在の建物は、総門と同じく昭和15年に京都の般舟三昧院から移築されたものという。方丈の正門が重要文化財の唐門(勅使門)で、こちらは仏殿 と同じく芝増上寺から徳川秀忠御台所小督の霊屋から移築されたものだそうだ。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f7.1 1/400秒 34mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
58.仏殿の屋根とモミジ
今回は半僧坊まで上らず、唐門から引き返すことにした。仏殿の青緑色の屋根にかかるモミジがきれいだった。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f7.1 1/​250​秒 ​62mm ISO​400​ ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
59.震災慰霊塔と曙観音
三門まで戻ってきたが、右手に漢音像が見えたので行ってみた。曙漢音という。震災慰霊塔があったがいつの震災の慰霊塔なのか良くわからなかった。

​Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f7.1 1/​400秒 ​26mm ISO​200​ ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
60.おびんずるさま
​「鎌倉 風の旅」というサイトを見させていただいた。​お釈迦様の弟子の中に、ビンドラ・バラダージャという方が​いたそうだ​。日本では尊敬の意味を込めて、おびんずる​さま​と呼ばれてい​る​。漢字ではお賓頭盧様と書​く。おびんずる​さま​の説法は力強く、獅子のようであったため、弟子の中でも獅子吼第一と称されてい​たという​。慈悲深く、神通力をお持ちであったと伝えられて​いるそうだ​。おびんずる​さま​は衆生を済度する役割を持って人の世に遣わされた16人の阿羅漢、いわゆる十六羅漢の第一とされ​ている​。​ここ​建長寺の三門の下には、このお賓頭盧様の木像が置かれてい​た​。 体の中で痛むところや具合のよくないところをなでると神通力で​治してくれるという。「痛いところを摩ると治してくださいます」と書かれていた。昨年9月に行った足利の鑁阿寺でもおびんずるさまがおられた。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f7.1 1/​250秒 ​27mm ISO​220 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
61.三門から仏殿を見る
三門を抜けて総門に向かう。振り返ると三門からはまっすぐに仏殿がある。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f7.1 1/​400秒 ​18mm ISO​200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
62.総門と三門​
総門を出て駐車場になっている広場に出た。総門の塀越しに三門の「建長興国禅寺」の額が見える。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f7.1 1/​320秒 ​50mm ISO​200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
63.天下門
​鎌倉街道のバス停の脇からこの門を入ってきたが、総門を出てなかがわから見た天下門だ。​かつては建長寺の総門の前には東西の外門があったが現在は、1923年(大正12年)の関東大震災で倒壊後、1984年(昭和59年)に再建された西外門のみがあり、それがこの天下門だ。「天下禅林」の扁額を掲げているため「天下門」と呼ばれるそうだ。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f7.1 1/​500秒 ​116mm ISO​200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
64.切通し​
​​建長寺を出て、鎌倉街道を鎌倉八幡宮へ向けて歩き出した。すぐにこのようなところに出た。切通しだ。「巨福呂坂洞門1993年6月」の銘板がはめ込まれている。この落石防護施設は​鎌倉七切通しの一つで国指定史跡「巨福呂坂」の近くにあることにちなんで​​巨福呂坂洞門と名付けられた。切通しを歩いている実感が損なわれないようにアーチ状の梁、大きな六角形の天井開口部、石積み壁などの工夫がなされているという。

Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f​2.8 1/​30秒 6mm ISO160 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。


​ ​

2016年1月 1日

新年のご挨拶

みなさま 明けましておめでとうございます

平素は Studio YAMAKO をお訪ね下さりありがとうございます。n-shuheiさんからお声掛けいただき、2006年6月にはじめた私の拙い写真のブログは10年を経過しました。ひとえにn-shuheiさんのご支援の賜物と厚く御礼申し上げます。みなさまにはたびたびお訪ねいただき、ありがとうございました​。

​  昨年1月は、2013年に続き2度目のバリ島旅行をし、蝶の写真も撮ってきました。また、3月には単身で石垣島と竹富島へ撮影に行ってきました。あいにく、石垣島と竹富島を訪れたときは気温が低く、活動する蝶の数が少なかったのが残念です。石垣島、竹富島には10年前にも行っています。

石垣島、竹富島で2005年5月と昨年3月に撮った蝶たち
nenga2016.jpg

左上から右へ順次 
  • ヤエヤマウラナミジャノメ ​2005年5月8日 ​石垣島真栄里林道
  • ヤエヤマイチモンジ ​2005年5月8日​ 石垣島真栄里林道
  • イシガキチョウ 2005年5月8日 石垣島真栄里林道
  • アオタテハモドキ♂ 2005年5月8日 石垣島真栄里林道
  • アオタテハモドキ♀ 2005年5月8日 石垣島真栄里林道
  • スジグロカバマダラ 2005年5月8日 石垣島南部
  • ナミエシロチョウ♀ 2005年5月8日 石垣島真栄里林道
  • シロオビアゲハ♀ 2005年5月8日 石垣島南部
  • ジャコウアゲハ♂ 2005年5月8日 石垣島南部
  • カバタテハ 2005年5月​9​日 竹富島
  • リュウキュウアサギマダラ 2005年5月​9​日 竹富島
  • ヒメウラナミシジミ 2015年3月9日 石垣島真栄里林道
  • クロアゲハ♀ 2015年3月9日 石垣島真栄里林道
  • ミカドアゲハ 2015年3月9日 石垣島真栄里林道
  • オオゴマダラ 2015年3月​10​日 竹富島
  • リュウキュウヒメジャノメ 2015年3月​11​日 石垣島バンナ公園

さて、みなさまにとって昨年はどのような1年でありましたでしょうか?
​ 世の中ではいろいろと恐ろしいことがありました。​2月の初め、 日本人ジャーナリストがイスラム国​の兵士に​残酷非道な処刑を受けるというショッキングな報道がありました。胸が痛みます。​その後も​世界各国でイスラム国​に​よるテロが相次​ぎ​、クウェート、フランス、チュニジア、エジプトなど、同時多発的に​テロが​発生​しました。​そして11月には、多くの日本人が住み、多くの​日本人​観光客が訪れて​いる​フランス​の​パリ中心部で​連続​テロ事件が発生、劇場や競技場で銃撃や爆発、120人が死亡、200人以上が負傷​するという事態になりました。​安否を心配された方も多かったと思います。

  一方、うれしいこともたくさんありました。
  今年のノーベル賞は梶田隆明先生が物理学賞を、大村智先生が生理学医学賞を受賞されました。快挙です。ノーベル​生理学​医学賞受賞の大村智先生​は、米国メルク社と​共同開発した​「イベルメクチン」の業績が評価されました。​寄生虫による風土病の治療薬として実用化した「イベルメクチン」は人間のオンカセルカ症(河川盲目症)への有効性が認められ、アフリカなど世界で年間​数億人を失明の恐怖から救っている​そうです。​「イベルメクチン​」​のおかげで、アフリカで生まれてくる子供たちには​、​もう感染症による失明の恐れがないと​いうほど​、人類の健康に大きく貢献し​ました​。世界保健機関(WHO)はメルク社の協力を得て、アフリカなど寄生虫病に苦しむ地域に​「​イベルメクチン​」​を​無償​配布するプログラムを​展開​、メルク社によると、​2012​年までに延べ1​10​億人以上に​「​イベルメクチン​」​が提供された​そうです。メルク社により無償供与された「イベルメクチン」は、重篤な熱帯病オンコセルカ症およびリンパ系フィラリア症の予防と治療に使用​され​、撲滅作戦が進められたのです。さすがメルクです​。​
 ​1949年の湯川秀樹先生のノーベル物理学賞受賞に始まり、 ​日本は非欧米諸国の中で最も多い24名のノーベル賞受賞者を輩出しています。この24名の受賞者はすべて国立大学のご出身でした。

​​

スポーツ界では、10月、イギリスのグラスゴーで行われた世界体操選手権で内村航平選手が個人総合でなんと6連覇を達成しました。​
  同じく10月のラグビーワールドカップでは、日本代表チームはラグビー強国の南アメリカに勝ったのをはじめ、決勝リーグには進めなかったものの、グループリーグで3勝を挙げました。活躍した五郎丸選手が一躍脚光を浴び、その後日本で行われるラグビーの試合が大人気になったのは御存じのとおりです。​
 フィギュアスケートでは、羽生結弦選手がNHK杯で322.40​点、​それに続く​バロセロナで行われた​グランプリファイナルでは​330.43点と2度も300点を越えで世界の頂点に立ちました。​凄いです。​

 3月には北陸新幹線が開通し、東京・金沢間が2時間半で結ばれました。金沢が観光客で大賑わいです。今年3月には北海道新幹線が営業開始されます。

2020年に開催が決まった東京オリンピックに関してもいろいろなことがありました。9月には公式エンブレムに盗作疑惑が持ち上がり、ベルギーのデザイナーが同国の劇場のロゴに酷似しているとして、国際オリンピック委員会を提訴、東京五輪組織委員会は使用中止を決定しました。新国立競技場の建設計画は一旦白紙撤回され、12月に新たな案が決まりました。しかし、この案についても問題が提起されています。とにかく2020年春には完成させなければなりません。

​  8月には ​九州電力川内原子力発電所1号機​が​新規制基準に基づき4年3カ月ぶりに再稼働​しました。日本の原発ゼロ期間は13年9月に関西電力大飯原発(福井県)が停止して以来、1年11カ月で終了したことになります。​
 そして9月、安全保障関連法が成立しました。国会議事堂を囲むデモが行われる中、自民、公明両党などの賛成多数で可決されたのです。従来の憲法解釈を変更、集団的自衛権の行使が可能になると憲法学者らからは「憲法違反」であるとの批判が相次いだのですが・・・。
​  10月にはマイナンバー法が施行、日本で住民票を持つ全ての人に12桁の番号が割り当てられます。社会保障と税の一元管理のためです。私たち夫婦にも11月末マイナンバー通知カードが届きました。
 年の暮れ、12月28日には、日韓外相会談が行われ、慰安婦問題の解決を見ました。大きな問題をクリアできたのではないかと思いましたが・・・。

一昨年に続き、昨年もわたくしが関心を持ったことは自然現象についてでした。
 小笠原諸島の無人島である西ノ島新島は噴火以来2年が経過しましたが、その面積が数百倍に膨れたことはみなさまご承知のとおりです。一昨年は木曽の御嶽山が大噴火して、多くの登山客が犠牲になりました、そして、昨年も日本全域で火山活動が報じられ、​5月には身近な箱根で火山活動が活発になり、箱根ロープウェイが運休になりました。さらに鹿児島県口永良部島の新岳で爆発的噴火が発生、気象庁は噴火警戒レベルを導入以降初となる5に引き上げるに至りました。信州の浅間山でも小規模噴火がありました。浅間山は2009年の噴火以来6年ぶりの噴火だそうです。また、熊本県の阿蘇山中岳第1火口で噴火が発生し、噴火警戒レベルが2(火口周辺規制)から3(入山規制)に引き上げられました。8月になると鹿児島県桜島の山容が膨張し地震が多発、気象庁により噴火警戒レベルは3から4(避難準備)に引き上げられました。
 幸い大事に至ることはなくホッとしたところです。

天候も普通ではありませんでした。
 6月、パキスタン南部を熱波が襲い、最高気温45度を記録、3日間で692人の人が死亡、最大都市のカラチでも300人が亡くなられたと報道されています。
 日本では、2月こそ寒い日もありましたが、3月は平年並みで、4月、5月は歴史的な暖かさとなりました。8月上旬は太平洋高気圧が本州付近に張り出し、北日本から西日本にかけて各地で最高気温が35℃以上の猛暑日が続きました。
​  8月中旬を過ぎると、こんどは9月上旬頃にかけて、西日本から東北の広い範囲で、平年より降水量が多く、日照時間が少ない状態となりました。そして台風18号が東海に上陸、​本州を縦断、その影響で北関東を中心に大雨が降り、宮城県大崎市では渋井川の堤防が、茨城県常総市では鬼怒川の堤防が決壊、甚大な被害をもたらしました。栃木県小山市に住んでいる友人の家のまわりは、お気の毒にも水が溢れ、床下浸水ながら、愛車も水を被り、ガス給湯器が使い物にならなくなるなどの被害に遭われました。
 今も世界中でエルニーニョ現象によると思われる異常気象が続いています。11月以降も暖かい日が続き、紅葉も遅かったように感じます。ドイツでは桜の花が咲いたそうですね。山梨ではヒマワリが咲き、福岡ではアブラゼミが出てきているとのことです。

今年はどんな気候になるのでしょうか?ギフチョウが舞う穏やかな春が待ち遠しいです。

 みなさまにとりまして本年が良い年になりますことをお祈りいたします。