2012年3月アーカイブ: Studio YAMAKO

2012年3月29日

世田谷線巡り 3月6日 3/3


 上町駅からら、宮の坂駅へひと駅電車に乗る。世田谷線は三軒茶屋から終点の下高井度まで全線5kmしかない。宮の坂の先は、山下、松原、下高井戸だ。全部で10駅である。宮の坂で保存車両を見たり、世田谷八幡宮をお参りしたりして、山下へ移動した。山下は小田急線の豪徳寺駅と接続するので、豪徳寺というお寺は、山下が最寄り駅と思い込んでいた。ところが宮の坂が最寄りだった。全線5kmといえども、あちこち歩き回ったのでだいぶ疲れてきた。320円の「世田谷線散策きっぷ」を利用して再度、宮の坂駅へ戻り、世田谷八幡宮とは線路の反対側にある豪徳寺にお参りした。
  12時半に三軒茶屋を出発、午後4時を過ぎた。3時間半、電車に乗った時を除いては休みなしで歩いていたので少々疲れた。昼飯も食べていない。今日の世田谷線巡りは豪徳寺参拝で終わりにし、豪徳寺駅前のファミレスに入ってビールとスパゲティなどを食べてひと休みした。帰りは小田急線で、相模大野、大和を経由して、相鉄線星川にたどりついた。なかなか見どころの多い楽しい散策だった。

28.デハ80型
宮の坂駅のホームの隣にデハ80型の保存車両が置かれていた。デハ80型は1950年から1953年にかけて、28両が製造された。ただし、新規製造は最初の6両(81号から86号)のみで、後の22両(87号から108号)は旧型車の鋼体化改造で登場している。この車両は87号で大正14年(1924年)に旧型車両として製造され、デハ80型に更新され、昭和44年(1969年)まで玉川線を走り、その廃線により、江ノ電に譲渡され、601号となり、1990年に運転終了した。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4 1/320秒 6.1mm ISO400 ) 露出補正 なし
デハ80型;クリックすると大きな写真になります
29.デハ80型(江ノ電601号)車内
玉電から江ノ電に譲られた600形は、それまで江ノ電を走っていた電車に比べて大型で、しかも乗降扉が3枚と、混雑時に威力を発揮することを期待されての入線だったそうだ。ただ江ノ電はホームが普通の電車のように高く、路面電車仕様のままでは乗り降りできないため、600形は乗降扉のステップを切りつめて普通の電車のように改造されている。里帰りして、宮の坂駅前にある宮の坂区民会館で維持されているが、車内のシートなどもきれいだった。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4 1/100秒 6.1mm ISO400 ) 露出補正 なし
デハ80型(江ノ電601号)車内;クリックすると大きな写真になります
30.世田谷八幡宮 城山通りの大鳥居
宮の坂駅の線路を背に西へ進んだところの右側に、見あげるような大きな鳥居があった。寛治5年(1091年)後三年の役の帰途、源義家がこの宮の坂の地で豪雨に会い天気回復を待つため、滞在した折、今度の戦勝は日頃氏神としている八幡大神の御加護に依るものと思い、豊前国の宇佐八幡宮の御分霊をこの地に勧請しお祭りしたと伝えられている。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4 1/640秒 6.1mm ISO400 ) 露出補正 なし
世田谷八幡宮 城山通りの大鳥居;クリックすると大きな写真になります
31.狛犬と拝殿
明治維新後の明治5年には政府により世田谷地区の総鎮守として郷社宇佐神社となったが、終戦後に神社は国家管理を離れたので、宇佐神社の社号も元の社号「世田谷八幡宮」に戻したという。現在の社殿は昭和39年5月に改築された鉄筋コンクリート製であるが、文化10年(1813年)の建築といわれる本殿は、現在の本殿の中にそっくりそのまま納められているという。狛犬はちょっと不気味だった。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4 1/1250秒 6.1mm ISO400 ) 露出補正 -0.7段
狛犬と拝殿;クリックすると大きな写真になります
32.土俵
参拝を終え、拝殿を背に石の鳥居をくぐったところの左手に弁天池がある。その少し上手に土俵が設けられ、観客席がちょうど円形劇場のように広がっている。江戸時代には「江戸三大相撲」の一つといわれるほど有名になり、現在も秋季大祭の9月15日には、学生や若者の奉納相撲が行われる。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4 1/200秒 8.1mm ISO400 ) 露出補正 なし
土俵;クリックすると大きな写真になります
33.宮の坂駅
住宅街を分けて山下方面から電車が来る。先にふれたが、山下は小田急線の豪徳寺駅と接続しているので、豪徳寺というお寺は山下駅が最寄り駅だろうと思い込み、ひと駅電車に乗ってしまった。線路の左側が世田谷八幡宮、豪徳寺はこの右側にあった。307・バイオレット

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F5 1/1250秒 30.5mm ISO400 ) 露出補正 なし
宮の坂駅;クリックすると大きな写真になります
34.豪徳寺山門
ひと駅戻って再び宮の坂駅へ。今度は線路の反対側を進む。左手に豪徳寺の山門が見えた。立派な構えのお寺だ。正面に仏殿が見える。山門には碧雲関と書かれている。碧雲関「せいうんかん」と読むそうだ。 寺に入る前に注意書きの石碑を見ると女性のお化粧のにおいはお坊さんを惑わすので禁止と書かれている。 惑わされるお坊さんにはさらなる修行が必要。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F4 1/640秒 8.9mm ISO400 ) 露出補正 なし
豪徳寺山門;クリックすると大きな写真になります
35.香炉と仏殿 豪徳寺
仏殿は世田谷区の指定有形文化財で、1677年完成、江戸初期の建物だそうだ。仏殿の前には大きな香炉がある。 この広大な豪徳寺の敷地はもともと世田谷城の本郭部分にあたるとされている。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4.5 1/1250秒 6.1mm ISO400 ) 露出補正 -0.7段
香炉と仏殿 豪徳寺;クリックすると大きな写真になります
36.豪徳寺仏殿寺
伝よれば今から500年前に世田谷城内の「弘徳院」と呼ばれていた小庵が豪徳寺の原型だそうである。これは文明12年(1480年)に吉良政忠が伯母の供養ために建てたもので、その法号「弘徳院殿久栄理椿大姉」に因んでいるという。その後天正12年(1584年)に門菴宋関住職が中興開山し、臨済宗から曹洞宗に改宗したそうだ。ちなみにこの門菴宋関住職は忠臣蔵で有名な高輪泉岳寺を開山した人でもあり、豪徳寺は泉岳寺の末寺という関係になるようである。そして江戸時代に入り、寛永10年(1633年)に彦根藩世田谷領が成立後、彦根藩主井伊家の菩提寺として取り立てらた。中興開基を行った二代目藩主井伊直孝の没後に、彼の法号「久昌院殿豪徳天英大居士」から豪徳寺と寺号が改められたとのこと。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4 1/250秒 6.1mm ISO400 ) 露出補正 なし
豪徳寺仏殿;クリックすると大きな写真になります
37.灯篭と本堂
敷地内には仏殿の北側に本堂がある。豪徳寺の敷地内の建物は禅宗伽藍配置の基本通りに、手前から山門、仏殿、本堂と一直線上に建てられている。木製で古い山門や仏殿に対して、本堂は江戸時代からの建物が関東大震災のときに焼失したとのことで、昭和42年に鉄筋コンクリート造りに改築されたそうだ。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4 1/1250秒 6.1mm ISO400 ) 露出補正 なし
灯篭と本堂;クリックすると大きな写真になります
38.深紅の梅
本堂の脇に、紅梅よりはるかに深い紅色の梅が咲いていた。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4 1/1000秒 6.1mm ISO400 ) 露出補正 なし
深紅の梅;クリックすると大きな写真になります
39.境内から山門を振り返る
山門は江戸時代に建てられたもの。パトカーで隠れてしまったが、パトカーの後ろに参道が続く。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4 1/640秒 13.8mm ISO400 ) 露出補正 +0.7段
境内から山門を振り返る;クリックすると大きな写真になります
40.三重塔 豪徳寺
境内から山門の方に向かい右手にある三重の塔は、平成18年(2006年)5月14日に落慶したものだ。まだ木の新しさが残り、境内の中ではちょっと浮いた感じの存在である。この塔の特徴としては一階部の屋根の下あたりに、一面に三個づつ、十二支の彫り物が飾られている事である。真北を向いた面の真ん中のところから、時計回りに鼠、牛、寅、兎・・・・と。そして塔の何カ所かに猫の彫り物がさりげなく施されているそうだが良くわからなかった。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4 1/640秒 13.8mm ISO400 ) 露出補正 +0.7段
三重塔 豪徳寺;クリックすると大きな写真になります
41.招き猫の奉納所
招き猫で名が知れる豪徳寺、そしてその由縁となる場所は、三重の塔の北側、仏殿の西側にある招福堂という小さなお堂だそうだ。この中には、「招福観音」が祀られていて、「家内安全」「商売繁盛」「心願成就」というご利益があるそうだ。堂の前にある絵馬掛けにかけられているのは、絵馬ならぬ絵猫。そして堂の横の奉納所には多数の招き猫が返納されていた。何故、豪徳寺は招き猫なのか・・・ちょっと長くなるが、せたがや百景公式紹介文を引用した説明によると、世田谷吉良氏の滅亡後世田谷城が廃城となり、城内にあった豪徳寺(当時は弘徳院)もどんどんと寂れ、貧乏寺になってしまった。時の住職が、ある日我が子のように可愛がっていた猫に「私の恩がわかるならば、何か果報を将来せよ。」と無茶な注文をした。その数ヶ月後の夏、鷹狩の帰りの武士達が寺の前を通りかかると、山門の前で「オイデオイデ」と手招きする猫がいるではないか。なんだろうと不審に思った武士は休憩がてら寄ってみた。そして住職が渋茶をもてなしながら説法なんぞ説いていると、急に空が曇りだし激しい雷雨が降ってきた。もし寺に寄っていなければ大変な事になっていたところだ。これも猫が招き入れてくれたおかげだ。と武士はこの幸運を喜び、福を招く猫のいる寺として、この寺を大事にすることを決めた。この武士が彦根藩の二代目藩主井伊直孝公であり、後に豪徳寺を東京における井伊家の菩提寺とすることに決めたと伝えられている。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.5 1/125秒 9.8mm ISO400 ) 露出補正 +0.7段
招き猫の奉納所;クリックすると大きな写真になります
42.拓本
招福堂の奥にいくつかの石碑が建っていた。その石碑に刻まれた文字を写し取っていた方がいた。拓本は まず石碑の上にぬらした紙をかぶせる。その上から、ハケでこすって空気を抜き、さらにブラシや木槌を使って、文字の窪みに紙を押し込むようにして密着させた後、タンポという道具に墨をつけて墨をなじませる。タンポで叩くようにして、紙に墨を付けていくと墨が濃くなり、墨のついていない文字の部分が鮮明に浮き上がってくるという。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4.5 1/500秒 30.5mm ISO400 ) 露出補正 +0.7段
拓本
43.駅のミラーに映ったオレンジ
豪徳寺のお参りを終えて帰路に着く。宮の坂駅の進行方向先端に設けられている運転手さん用のミラーに、対向車線のホームに入った 309・オレンジ が映った。再び山下まで世田谷線に乗って、小田急線の豪徳寺駅構内のファミレスでビールを1杯、そして空腹を癒してから帰路に着いた。320円の「世田谷線散策きっぷ」も十分もとがとれた。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4 1/200秒 18.1mm ISO400 ) 露出補正 +0.7段
駅のミラーに映ったオレンジ;クリックすると大きな写真になります

2012年3月25日

世田谷線巡り 3月6日 2/3


 松陰神社は初めての参拝だったが、とても立派なお社が印象に残った。次は世田谷、上町へ行く。世田谷駅周辺には、円光院、大吉寺がある。上町には有名な世田谷ボロ市の通りがある。世田谷線は上町駅から北へカーブし、世田谷通りと離れる。

17.世田谷駅
世田谷線は住宅街の中を走る。この世田谷線を走っている電車は、全て同じ形式の車両10編成で、車体カラーはすべて違う。308・レッド

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4.5 1/1250秒 15.7mm ISO400 ) 露出補正 なし
世田谷駅;クリックすると大きな写真になります
18.世田谷線
「玉電」として親しまれ、ひところは通学にも利用していた、国道246号を走る渋谷ー二子玉川間の本線は、昭和44年(1969年)5月10日、多くの人々に見送られながら、その60年余りの生涯を閉じた。玉川線と砧線は廃止されたものの、下高井戸線は全線専用軌道だったということもあって、「世田谷線」と改称されて生き残った。そして、2001年に今走っている300型新型車両に全て置き換えられ、カラフルな地元住民の足として元気に活躍している。303・ブルー

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4.5 1/1250秒 21.5mm ISO400 ) 露出補正 なし
世田谷線;クリックすると大きな写真になります
19.円光院本堂
世田谷駅の裏手に幼稚園のある円光院というコンクリート造りの大きなお寺があった。真言宗豊山派寺院のここ円光院は、大悲山明王寺といい、一説によると、この寺は武蔵の豪族吉良家の祈願寺であったと伝えられる。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F5 1/1250秒 9.8mm ISO400 ) 露出補正 なし
円光院本堂;クリックすると大きな写真になります
20.大吉寺
世田谷通りに面して、円光院の隣に大吉寺があった。浄土宗の大吉寺は、護国山天照院と号し、創建年代は不詳だが、真言宗寺院として創建、ここも世田谷吉良氏の祈願所となっていたそうだ。後、目黒祐天寺の祐天上人、その弟子祐海上人の尽力により浄土宗寺院として再興したと伝えられる。境内には、有職故実の研究者伊勢貞丈の墓があった。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4 1/1250秒 6.1mm ISO400 ) 露出補正 なし
大吉寺;クリックすると大きな写真になります
21.ボロ市通りと代官屋敷表門
また、ひと駅電車に乗り、上町へ来た。400年以上の歴史を有する世田谷の伝統行事、世田谷ボロ市は、代官屋敷のあるボロ市通りを中心に、世田谷駅と上町駅の間で開催され、小道具や骨董品、日用雑貨などの露店が所狭しと並び、多くの人々でにぎわう。駒沢に住んでいた子供の頃、親父に連れられて行った記憶がよみがえる。ボロ市は毎年1月15・16日と12月15・16日に開催される。この写真の住宅は大場家七代六兵衛盛政が元文2年(1737年)と宝暦3年(1753年の2度にわたる工事によって完成したものである。大場家は元文4年(1739年)から幕末まで彦根藩世田谷寮の代官職を世襲したので、その役宅としても使用されていた。江戸中期上層民家の遺構をよく保存する建物として、主屋およびこの表門の2棟が昭和53年1月21日国の重要文化財に指定されたと、左下に見える石碑に書かれていた。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4 1/500秒 8.1mm ISO400 ) 露出補正 なし
ボロ市通りと代官屋敷表門;クリックすると大きな写真になります
22.代官屋敷主屋
表門の左手にある入口を入ると受付があるが、入場料は無料だった。ちょうど表門の後ろにこの主屋の玄関があり、この写真はその反対側、つまり中庭から見ている。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4 1/800秒 6.1mm ISO400 ) 露出補正 なし
代官屋敷主屋;クリックすると大きな写真になります
23.サンシュユ(山茱萸)
代官屋敷主屋の庭にサンシュユが黄色い花を咲かせていた。はじめ蝋梅かと思って近づいたがそうではなかった。昔、中国や朝鮮から伝わり、薬用植物として栽植された。早春にこのような黄色い小花を開き、秋には赤い実が熟すると説明されていた。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4 1/640秒 6.1mm ISO400 ) 露出補正 なし
サンシュユ(山茱萸);クリックすると大きな写真になります
24.天粗神社
代官屋敷から再び上町駅に戻ってくる途中、世田谷通りの手前右側に天粗神社があった。創建年代は不詳のようだが、もと横根の地(伊勢森)にあった稲荷社の祠を、嘉永己酉(1849年)当地へ移して新たに祠を作ったと伝えられている。明治42年に近くの世田谷八幡宮に合祀されたが、昭和6年地元の要望により本殿を建築、昭和29年宗教法人として登記されたとのこと。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F5 1/1250秒 6.1mm ISO400 ) 露出補正 なし
天粗神社;クリックすると大きな写真になります
25.上町車庫
上町駅に並行して、世田谷線の車庫である雪が谷検車区上町車庫が併設されている。この写真は裏側の塀の外から撮った。301・玉電色グリーン X クリーム

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4.5 1/1250秒 6.1mm ISO400 ) 露出補正 なし
上町車庫;クリックすると大きな写真になります
26.上町から宮の坂駅へ
上町駅から宮の坂駅方面の線路を眺める。同じ色の電車が上りと下りで走っているようだが、実は右側は310・ブルーグリーンで、左側は302・ライトブルーである。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4.5 1/1250秒 30.5mm ISO400 ) 露出補正 なし
上町から宮の坂駅へ;クリックすると大きな写真になります
27.上町車庫 車内から
宮の坂へ向け走り出した電車の車内から上町車庫に入っている玉電カラーの301号編成を撮る。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4 1/1000秒 9.8mm ISO400 ) 露出補正 なし
上町車庫 車内から;クリックすると大きな写真になります

2012年3月22日

世田谷線巡り 3月6日 1/3


 1月に都電荒川線に乗った。昭和29年から3年間ほど、駒沢に住んだことがある。小学校の6年から中学2年にかけてであった。当時のいわゆる玉電は、渋谷から二子玉川へ、いわば本線が走り、駒沢は三軒茶屋から4つ目の駅だった。私立の中学を受験した時もこの玉電に乗って渋谷に向かった。雪が降った日で、玉電は大橋から道玄坂の上までの坂道を登れなかった。親父がタクシーで受験校まで連れて行ってくれたのを思い出す。
 その玉電は、今や世田谷線として、三軒茶屋と下高井戸の間を専用軌道を走る。美しいカラフルな車体がTVドラマなどでもしばしば登場する。そういえばこの世田谷線にはまだ乗ったことがないと思い、午前中に雨がやみ暖かくなったこの日、思い立ってG12を持って出掛けた。
 なお、松陰神社のことについては、Wikipediaの記述を多々引用させていただいた。

1.三軒茶屋駅
横浜から東横線で渋谷に出て、田園都市線の乗換、三軒茶屋に着いたのは12時半少し前だった。世田谷線三軒茶屋駅の切符売場で、沿線内なら何度乗り降りしても良い320円の「世田谷線散策きっぷ」を買った。1回の乗り降りでは140円なので、3回でもとがとれる。 世田谷線散策きっぷ 世田谷線の三軒茶屋駅は線路が1本しかない。停まっている電車が発車してから、次発の電車がやってくる。あとで気がついたことだが、電光行き先表示板の「下高井戸」がはっきり見える。シャッタースピードは1/125秒だった。偶然旨くいったのはこの1枚だけ。先日都電荒川線で経験しているのに、このことを全く忘れてしまい、明るいところで撮った電車はすべて、行き先表示を写し撮れていない。同じ失敗をしてしまった。308・レッド

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4 1/125秒 9.8mm ISO400 ) 露出補正 なし
三軒茶屋駅;クリックすると大きな写真になります
2.三軒茶屋を出発
三軒茶屋駅を出発した電車は、西太子堂へ向かう。私はここは電車に乗らずに歩くことにした。西太子堂駅まで300mだ。世田谷線は若林の環七の踏切以外は全て専用軌道を走る。308・レッド

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F5 1/1250秒 12.1mm ISO400 ) 露出補正 なし
三軒茶屋を出発;クリックすると大きな写真になります
3.目青不動尊
三軒茶屋駅の裏手に回り、世田谷線線路沿いを西太子堂に向けて、歩き始めた。すぐ右側に天台宗竹園山最勝寺教学院目青不動尊というのがあった。目黒川傍に勤務先があったときに、よく初詣に出かけた目黒不動が有名だが、五色不動といって、五行思想の五色(白・黒・赤・青・黄)の色にまつわる名称 や伝説を持つ不動尊があるそうだ。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4.5 1/1250秒 9.8mm ISO400 ) 露出補正 なし
目青不動尊;クリックすると大きな写真になります
4.三軒茶屋の高層ビル
目青不動尊を出てきたところから、三軒茶屋駅の方を振り返ると、1996年にできたキャロット・タワーという高層ビルがそびえていた。307・バイオレット

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4.5 1/1250秒 9.8mm ISO400 ) 露出補正 なし
三軒茶屋の高層ビル;クリックすると大きな写真になります
5.西太子堂駅
西太子堂駅の三軒茶屋行きのホームに上がってみる。都電荒川線と同様に改札口はない。オレンジ色の車体がきれいだ。309・オレンジ

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4 1/1250秒 13.8mm ISO400 ) 露出補正 なし
西太子堂駅;クリックすると大きな写真になります
6.若林稲荷神社
次の若林へは若林稲荷神社を見て行こうと、少し線路から離れて歩く。由緒としては江戸時代中期の明和6年(1769)にこの社へ土地が奉納されたという記録があるそうで、その頃もしくはそれ以前からあったことが知られている。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F5.6 1/1250秒 6.1mm ISO400 ) 露出補正 なし
若林稲荷神社;クリックすると大きな写真になります
7.若林稲荷神社本殿
紅い鳥居をくぐり、狐様のお出迎えを受け、朱塗りの本殿に参る。どこから見ても稲荷神社であるが、本殿の額を見ると「稲荷神社・天祖神社」と書かれていた。これは、もともと代田にあった神明社を合祀したものだという。神明社は常林寺という寺の内宮だったそうだが、明治10年(1877)に常林寺が焼失してしまったため、この稲荷神社に合祀されたということだそうだ。だからここには、稲荷神社の倉稲魂命と天祖神社(神明社)の天照大神が祀られていることになる。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4 1/1000秒 6.1mm ISO400 ) 露出補正 なし
若林稲荷神社本殿;クリックすると大きな写真になります
8.環七若林踏切
世田谷線は交通量の多い国道138号線(環状7号線)と平面交差する。信号も鉄道優先でなく、電車が信号に従って停車し、道路交通に合わせて信号が変わるのを待つ。自動車はこの踏み切りに関しては「一旦停止」の義務はなく、ただの信号機のある交差点である。306・イエロー

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4.5 1/1250秒 13.8mm ISO400 ) 露出補正 なし
環七若林踏切;クリックすると大きな写真になります
9.若林天満宮
境内には紅梅、白梅が咲いていた。若林天満宮(若林北野神社)は環状七号線沿いの若林駅近くにある小さな神社だ。祭神は菅原道真で学問の神様で、創建不明であるが本社は15世紀以前からこの場所にあったと伝えられる。道路沿いにすぐ階段があり、数段上るともう本堂で、境内も狭い。環状七号線建設時に道の拡張に伴って境内の前の方は大幅に削られ、先に訪れた若林稲荷神社に合祀され、本堂だけが残されて現在のような寂しい状態になったそうだ。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4 1/1000秒 6.1mm ISO400 ) 露出補正 +0.7段
若林天満宮;クリックすると大きな写真になります
10.世田谷線車内
若林から次の松陰神社前まで、初めて三軒茶屋駅で購入した「世田谷線散策きっぷ」を使用して電車に乗った。車内は明るい。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4 1/320秒 6.1mm ISO400 ) 露出補正 なし
世田谷線車内;クリックすると大きな写真になります
11.松陰神社
駅前の賑やかな商店街を抜け、松陰神社の正面に出る。初めて訪れたがとても立派なお社である。山口県萩市にも松陰神社があり、1984年か85年だったか、福岡勤務時代、夏休みに萩、津和野へ家族旅行をした思い出があるが、その折に参拝した記憶がある。松陰神社は、江戸時代末(幕末)の思想家・教育者である吉田松陰を祭神とする神社であり。松陰の墓所があるここ世田谷と、松陰の生誕地である山口県萩市にある。どちらも、学問の神として崇敬を受けている。世田谷の鎮座地にはかつて長州藩主の別邸があった。松陰が安政の大獄で刑死した4年後の文久3年(1863年)、高杉晋作など松陰の門人によって小塚原の回向院にあった松陰の墓が当地に改葬されたとのこと。明治15年(1882年)11月21日、門下の人々によって墓の側に松陰を祀る神社がここ、世田谷に創建されたとのこと。現在の社殿は昭和2年から3年にかけて造営されたものである。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F5 1/1250秒 15.7mm ISO400 ) 露出補正 なし
松陰神社;クリックすると大きな写真になります
12.吉田松陰の墓所
吉田松陰は長州藩士にして思想家、教育者、兵学者。明治維新の事実上の精神的理論者とされる。安政5年(1858年)、幕府が勅許なく日米修好通商条約を結ぶと松陰は激しくこれを非難、老中・間部詮勝の暗殺を企てた。長州藩は警戒して再び松陰を投獄。安政6年(1859年)、幕府の安政の大獄により長州藩に松陰の江戸送致を命令。松陰は老中暗殺計画を自供して自らの思想を語り、同年、江戸伝馬町の獄において斬首刑に処される、享年30(29歳没)。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4 1/1250秒 6.1mm ISO400 ) 露出補正 なし
吉田松陰の墓所;クリックすると大きな写真になります
13.松陰神社御社殿
大鳥居をくぐって参道をまっすぐ進むと立派な社殿があった。吉田松陰ほか烈士の墓所はこの左側にある。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4 1/1250秒 13.8mm ISO400 ) 露出補正 なし
松陰神社御社殿;クリックすると大きな写真になります
14.松下村塾
有名な松下村塾は 山口県に現存する。 この写真は世田谷の松陰神社の境内にある模築である。長州で松陰の叔父・玉木文之進が開いた松下村塾は、近所で塾を営む久保五郎左衛門が名前を引き継いでいた。松陰の幽囚室での講義に久保五郎左衛門が聴くようになると自然と松陰が塾の主となる。当初は3畳という僅かな幽囚室で行なわれていたものの、受講するものが増え杉家の納屋を塾舎に改修。ここに世に有名な松下村塾が誕生した。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4 1/500秒 6.8mm ISO400 ) 露出補正 なし
松下村塾;クリックすると大きな写真になります
15.石燈籠
境内には毛利元昭公を始め、先生門下の伊藤博文、山縣有朋等の縁故者より奉献された32基の石燈籠がある。その燈柱に刻されている文字は書家竹山先生の所謂、八分隷書体に成るもので貴重な文化財であるとのこと。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4 1/500秒 8.9mm ISO400 ) 露出補正 なし
石燈籠;クリックすると大きな写真になります
16.石燈籠と白梅
並んだ石燈籠の端に白梅が咲いていた。松陰神社の参拝を終え、再び商店街を通って世田谷線の松陰神社前に戻った。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4 1/1250秒 8.9mm ISO400 ) 露出補正 なし
石燈籠と白梅;クリックすると大きな写真になります


2012年3月18日

幻の蝶「ヒマラヤの貴婦人」ブータンシボリアゲハ展 3月4日


 3月4日、数日前に姪からのメールで知らされていた、世田谷の馬事公苑の近くにある東京農業大学の進化生物学研究所「食と農」の博物館で開催されている、幻の蝶「ヒマラヤの貴婦人」ブータンシボリアゲハ展を観てきた。
  昨年の10月30日にNHKスペシャルという番組で、「秘境ブータン幻のチョウを追う」というタイトルで、2011年8月中旬に、日本の調査隊により、78年ぶりに再発見され、飛来や産卵などの様子が初めてテレビカメラで撮影され5頭が捕獲された記録が放映された。
  ブータン政府は豊かな生態系を代表する蝶を保護していくためには、基礎的な研究が不可欠と考えているものの、国内にそうした専門家が乏しいことから、五十嵐邁氏をはじめとする日本の研究者の功績を認め、共同調査をすることになったとのことだ。五十嵐邁さんは2008年4月6日、胃癌により享年83歳で故人となられているが、2010年3月に田端のファーブル昆虫館で開催されていた「五十嵐邁コレクション展」でお目にかかった、五十嵐邁さんの奥様もこの調査隊の一員として参加されていた。
  そして、昨年11月に来日したブータンのワンチュク国王夫妻から、調査隊員の勤め先である東大総合研究博物館と東京農大進化生物学研究所にそれぞれブータンシボリアゲハの雄の標本が1頭ずつ贈られた。今回の幻の蝶「ヒマラヤの貴婦人」ブータンシボリアゲハ展は、その贈られた標本が展示されていた。

1.東京農業大学 進化生物学研究所「食と農」の博物館
幻の蝶「ヒマラヤの貴婦人」ブータンシボリアゲハ展の会場である、東京農業大学 進化生物学研究所「食と農」の博物館は、世田谷通りから馬事公苑の方へ入った右側にあった。

Nikon D5000 SIGMA 17-70mm F2.8-4.5G
絞り優先オートで撮影 ( F5.6 1/125秒 24mm ISO400 ) 露出補正 なし
東京農業大学 進化生物学研究所「食と農」の博物館;クリックすると大きな写真になります
2.博物館入口
この左手が入口になる。マイカーで出掛けたが、駐車場はない。博物館の手前、世田谷通り側にコインパーキングがあったが、1時間ちょっと停めてコインでは済まなかった。

Nikon D5000 SIGMA 17-70mm F2.8-4.5G
絞り優先オートで撮影 ( F6.3 1/125秒 17mm ISO400 ) 露出補正 なし
博物館入口;クリックすると大きな写真になります
3.ブータンシボリアゲハの展示
1階フロアの一角にブータンシボリアゲハの展示コーナーがあった。ワンチュク国王夫妻から送られた♂の標本、調査隊により撮られた写真、そして説明のパネル、およびブータンシボリアゲハの近縁種の標本が展示されていた。

Nikon D5000 SIGMA 17-70mm F2.8-4.5G
絞り優先オートで撮影 ( F3.5 1/125秒 34mm ISO1800 ) 露出補正 なし
ブータンシボリアゲハの展示;クリックすると大きな写真になります
4.ブータンシボリアゲハ再発見経緯
ブータンのヒマラヤ山脈の標高約2,200m山腹で1933年にイギリス人により発見採取され、5頭の標本のみが大英自然史博物館で保存されたが、その後本種の記録は途絶え、「幻の大蝶・ヒマラヤの貴婦人」とも呼ばれていた。(国際自然保護連合(IUCN)により危急種の指定を受けている種である。)2009年ブータン森林保護官がトラシャンツェ渓谷で本種と思われる個体の撮影に成功したとの情報がもたらされた。そして、今回2011年8月、日本蝶類学会メンバー6人、日本人スタッフ3名、ブータン王国政府・農林省のメンバー5人で調査隊が結束され、以前と同じ場所で78年ぶりに再発見、5頭が捕獲された。この発見を受けてブータンシボリアゲハはブータンの国蝶に指定されたという。

Nikon D5000 SIGMA 17-70mm F2.8-4.5G
絞り優先オートで撮影 ( F3.8 1/125秒 40mm ISO400 ) 露出補正 なし
ブータンシボリアゲハ再発見経緯;クリックすると大きな写真になります
5.ブータンシボリアゲハの標本 -1
ブータン王国から贈られた標本箱には"A GIFT FROM THE PEOPLE OF BHUTAN"と記されている。

Nikon D5000 SIGMA 17-70mm F2.8-4.5G
絞り優先オートで撮影 ( F3.3 1/125秒 26mm ISO720 ) 露出補正 なし
ブータンシボリアゲハの標本 -1;クリックすると大きな写真になります
6.ブータンシボリアゲハの標本 -2
博物館に入館する際に、受付けで「撮影の可否」を伺った。フラッシュを使用しないこと、また、近接撮影を控えることとご注意があった。厚いアクリル板で保護されてはいるが、何せ貴重な標本である。

Nikon D5000 SIGMA 17-70mm F2.8-4.5G
絞り優先オートで撮影 ( F4 1/125秒 50mm ISO1250 ) 露出補正 なし
ブータンシボリアゲハの標本 -2;クリックすると大きな写真になります
7.シボリアゲハの仲間 -1
シボリアゲハの仲間は、ブータンシボリアゲハ(Bhutanitis ludlowi )のほか、3種いる。その標本が展示されていた。この標本箱に入っているシボリアゲハの仲間のうち、左側3列と次の1頭の計13頭はシナシボリアゲハ(Bhutanitis thaidina)、右側の1列5頭はウンナンシボリアゲハ(Bhutanitis mansfieldi)と示されている。

Nikon D5000 SIGMA 17-70mm F2.8-4.5G
絞り優先オートで撮影 ( F3.8 1/125秒 40mm ISO1250 ) 露出補正 なし
シボリアゲハの仲間 -1;クリックすると大きな写真になります
8.シボリアゲハの仲間 -2
別の標本箱には、もう1種のブータン産とインド産のシボリアゲハ(Bhutanitis lidderdalii )があった。この写真はインド産のシボリアゲハ。シボリアゲハの仲間は、ヒマラヤ山脈ブータン、アッサム、中国雲南省、四川省、陝西省からミャンマー、タイに生息するという。

Nikon D5000 SIGMA 17-70mm F2.8-4.5G
絞り優先オートで撮影 ( F4.5 1/125秒 70mm ISO3200 ) 露出補正 なし
シボリアゲハの仲間 -2;クリックすると大きな写真になります
9.タイスアゲハ族
タイスアゲハ族というのは、アゲハ蝶科、ウスバシロチョウ亜科に含まれ、タイスアゲハ族は5属16種に分けられる。シボリアゲハ属はこのタイスアゲハ族の5属のうちの一つである。日本にはギフチョウ属のギフチョウ、ヒメギフチョウが生息する。隣国韓国に生息するホソオチョウ属、ヨーロッパ中部から中近東に生息するタイスアゲハ属、シロタイスアゲハ属のタイスアゲハ族の蝶はすべてユーラシア大陸南部温帯域に遺存的に分布し、原始的(祖先的)な形態をもっているといわれる。

Nikon D5000 SIGMA 17-70mm F2.8-4.5G
絞り優先オートで撮影 ( F3.5 1/125秒 32mm ISO720 ) 露出補正 なし
タイスアゲハ族;クリックすると大きな写真になります
10.馬事公苑
ゆっくりとブータンシボリアゲハを鑑賞し、外に出た。眼の前に馬事公苑がある。馬事公苑には来たことがないのでちょっと見てみることにした。馬事公苑のホームページによると、馬事公苑は、人馬の馬術訓練、馬術競技会の開催、馬事に関する知識の向上などを目的として昭和15年に開苑されたとのこと。開苑当初から競馬の騎手養成を行い、昭和57年の競馬学校開設に至るまでその大きな役割を担ってきている。 また、昭和39年には、第18回オリンピック東京大会の馬場馬術競技会場となり我が国における馬術の拠点として世界の注目を集めることとなった。

Nikon D5000 SIGMA 17-70mm F2.8-4.5G 絞り優先オートで撮影 ( F9 1/320秒 19mm ISO400 ) 露出補正 なし
馬事公苑;クリックすると大きな写真になります
11.馬術競技 -1
この日は関東学生新人戦が行われていた。

Nikon D5000 SIGMA 17-70mm F2.8-4.5G
絞り優先オートで撮影 ( F6.3 1/640秒 62mm ISO400 ) 露出補正 なし
馬術競技 -1;クリックすると大きな写真になります
12.馬術競技 -2
もう1枚、これは女性の選手。帽子が格好よかった。

Nikon D5000 SIGMA 17-70mm F2.8-4.5G
絞り優先オートで撮影 ( F6.3 1/640秒 70mm ISO400 ) 露出補正 なし
馬術競技 -2;クリックすると大きな写真になります


2012年3月13日

ごぜ唄(瞽女唄)を聴き、梅を観る 2月25日


 世田谷区の東松原にあるブロードハウスというライブハウスへ「ごぜ唄」を聴きに行った。今も時々オフ会でお目にかかる、現役時代、同業他社の情報システム部門で仕事をされていた友人が、企画・製作されていて、毎年2月開催され、今年で5回目になる。昨年もチケットを予約していたが、あまり早くから予定していたためか、失念してしまい、その友人に大変失礼をしてしまった。
  この日はごぜ唄を後世に伝えるべく活動を行っている萱森直子さんの「山椒大夫」を聴いた。瞽女(ごぜ)とは、生きるために三味線をたずさえて村々を回っていた盲目の女性旅芸人のこと。三味線を弾きながらの物語であるが、ストーリーは我々が知っている「安寿と厨子王」と少し違う。
  約1時間半の公演だったが、その間、咳ばらいが聞こえたのは唯の一度だけ、観客も素晴らしい。
  江戸時代までは、日本の各地に瞽女さんがいたという。明治から昭和初期になって、各地でその後継者がいなくなってしまったが、新潟県を中心に多くの瞽女が活躍していた。しかし、第二次大戦後、ほとんどの瞽女は廃業し、その数は急速に減っていったとのこと。 共演した福岡から萱森直子さんのところへ瞽女唄を習いに行っている北村紋さんの春歌(艶歌)も興味あるものだった。

1.「ごぜ唄が聞こえる」会場
井の頭線の東松原駅の近くにあるこじんまりとしたライブハウス「ブローダーハウス」が会場だった。(金)、(土)2回、(日)と4回の公演があるが、今日、私が鑑賞したのは土曜日の午後13時からの公演で、満席だった。出演の萱森直子さんは、国から指定された無形文化財保持者の長岡瞽女故小林ハルさんに長年師事され、今日では希少な瞽女唄伝承者だ。当然のことながら、舞台の撮影は禁じられていた。

Canon IXY900IS F2.8-5.8 4.6mm-17.3mm 7.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F2.8 1/160秒 4.6mm ISOオート ) 露出補正 なし
「ごぜ唄が聞こえる」会場;クリックすると大きな写真になります
2.羽根木公園「梅まつり」
公演が終わったのは、午後4時前だったが、近くの羽根木公園で2月4日から2月26日まで、第35回せたがや梅まつりが開催されているようなので寄ってみた。羽根木公園は1956年に都立公園として開園し、1965年に世田谷区に移管されて区立公園になっている。公園の北口から入る。入ってすぐに草広場というところがあり、そこは「梅まつり」会場の梅林ではないが、何本かの梅の木がある。たった1本だけ、花が咲いていた。

Canon IXY900IS F2.8-5.8 4.6mm-17.3mm 7.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4 1/100秒 9.1mm ISOオート ) 露出補正 なし
羽根木公園「梅まつり」;クリックすると大きな写真になります
3.梅の蕾
草広場のほとんどの梅の木も蕾はびっしり付いていたが、咲くのにはまだ何日か掛かりそうだ。午前中に降った雨の水滴には、周りの梅の木が写り込んでいた。

Canon IXY900IS F2.8-5.8 4.6mm-17.3mm 7.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F2.8 1/100秒 4.6mm ISOオート ) 露出補正 なし
梅の蕾;クリックすると大きな写真になります
4.中村汀女の石碑
公園の中を進むと野球場があり、テニスコートがあって、子供たちの遊び場もある。その向こう側には、梅林が広がる。梅林には俳人中村汀女の石碑と句碑があった。中村汀女は、昭和12年(1937)から世田谷区代田に住み、閑静だった世田谷の自然に親しみ、この辺りを散策したそうだ。句碑には、 代表作のひとつ 「外(と)にも出よ ふるゝばかりに 春の月」が刻まれている。

Canon IXY900IS F2.8-5.8 4.6mm-17.3mm 7.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F2.8 1/100秒 4.6mm ISOオート ) 露出補正 なし
中村汀女の石碑;クリックすると大きな写真になります
5.白梅
南側の梅林は全体が小高い丘になっており、紅梅、白梅合わせて60種以上、約650本の梅の木があるというが、梅まつりは明日までというのに、ほんのちらほらとしか咲いていない。

Canon IXY900IS F2.8-5.8 4.6mm-17.3mm 7.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F2.8 1/100秒 4.6mm ISOオート ) 露出補正 なし
白梅;クリックすると大きな写真になります
6.紅梅
五分咲きの紅梅の木があった。明るく撮ろうと思って、プラス露出補正をしたが、ちょっと補正しすぎだったようだ。

Canon IXY900IS F2.8-5.8 4.6mm-17.3mm 7.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F2.8 1/60秒 4.6mm ISOオート ) 露出補正 +2.0段
紅梅;クリックすると大きな写真になります
7.星辰堂(和室)と日月庵(茶室)
園内の一角にお茶・生花・句会などに利用できる施設、星辰堂(和室)、日月庵(茶室)があった。この写真は星辰堂で、茶室の日月庵は右側にある。

Canon IXY900IS F2.8-5.8 4.6mm-17.3mm 7.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F5.6 1/80秒 14.7mm ISOオート ) 露出補正 なし
星辰堂(和室)と日月庵(茶室);クリックすると大きな写真になります
8.飛梅
菅原道真にまつわる梅の伝説に登場する梅の木「飛梅」に関する石碑があった。 平安時代、右大臣であった道真が九州の大宰府に左遷となり京の都を発つとき、日頃大切に育てていた梅に向かって、「こちふかば にほひおこせよ 梅のはな あるじなしとて 春なわすれそ」 と詠むと、 梅は主人を慕って大宰府まで飛び、根付いたということだが、その伝説の「飛梅」の分身紅白一対が大宰府天満宮から寄贈されてここに植えられている。

Canon IXY900IS F2.8-5.8 4.6mm-17.3mm 7.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F2.8 1/100秒 4.6mm ISOオート ) 露出補正 なし
飛梅;クリックすると大きな写真になります
9.飛梅(紅梅)
その飛梅の白梅の方は、まだ蕾だったが、紅梅の方は花が咲き始めていた。

Canon IXY900IS F2.8-5.8 4.6mm-17.3mm 7.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F2.8 1/60秒 4.6mm ISOオート ) 露出補正 なし
飛梅(紅梅);クリックすると大きな写真になります
10.猫
雨上がりの午後はそれほど寒くはなかった。しかし、肝心の梅が咲いていなければ訪れる人も少ない。猫がベンチでのんびりと座っている。時々通りがかる人が頭をなでていく。

Canon IXY900IS F2.8-5.8 4.6mm-17.3mm 7.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F5 1/125秒 12.7mm ISOオート ) 露出補正 -1.0段
猫;クリックすると大きな写真になります
11.売店
売店のテントの前を通るときに「お茶は如何ですか?」と声を掛けられた。町内会の方々だろうか、売店の売り手の方々は手持無沙汰の様子。本来なら、今日は土曜日で賑わうはず。しかし、天候がいまいちで、梅が咲いていない。梅まつりは明日の日曜日が最終日。

Canon IXY900IS F2.8-5.8 4.6mm-17.3mm 7.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F5.8 1/80秒 17.3mm ISOオート ) 露出補正 なし
売店;クリックすると大きな写真になります
12.井の頭線東松原駅への商店街
梅林からは小田急線の梅ヶ丘駅の方が近いようである。しかし、私は渋谷から東横線で横浜に出るので、再び井の頭線の東松原駅へ向かった。商店街の街路灯に架けられた「せたがや梅まつり」の旗を見ると気の毒に思う。

Canon IXY900IS F2.8-5.8 4.6mm-17.3mm 7.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F5.6 1/100秒 14.7mm ISOオート ) 露出補正 なし
井の頭線東松原駅への商店街;クリックすると大きな写真になります

2012年3月 9日

舞岡公園冬景色 その2 2月20日


 瓜久保からは、さらに前田の丘というところを越えて舞岡ふるさとの森への散策路もあるが、そこへは行かずに、再び瓜久保の家がある休憩所までも戻り、元来た道を辿る。途中、左へ入って谷戸を渡り、舞岡町小川アメニティと呼ばれている道にでて、右へ進む。ときどきカワセミが見られ、いつも三脚が立ち並ぶ宮田池には、今日は撮影者が少なかった。
今回 Nikon COOLPIX P90 で野鳥を撮る機会があったが、35mm版換算624mm は、
  1. 被写体が明るいこと。開放でF5.0なので、そこで少なくとも1/200秒より早いシャッターが切れること。
  2. ズームの望遠端、すなわち110.4mm(35mm版換算624mm)にズームしてからAFしようとすると、経験上、なかなか合焦しない。一旦、50mmくらいで合焦させてから、被写体をAF枠に置いたまま、改めて望遠端にズームして、シャッターボタン半押しするとうまく合焦することがあった。
  3. 被写体までの距離は少なくとも2mないと合焦しない。すなわち望遠端での最短撮影距離は2mということ。・・・
といった条件で使用できた。旨く行った時には比較的シャープな絵が得られる。ここぞという時に、合焦させられず、撮り逃がすことも多い。

14.望遠レンズ
かっぱ池でも大きなレンズを付けたカメラで何かを狙っている人がいた。500mmか600mmの望遠レンズのように見える。とても高価なレンズだ。

Nikon COOLPIX P90 F2.8-5.0 4.6mm-110.4mm 12.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4.5 1/76秒 37.7mm ISO180 ) 露出補正 なし
望遠レンズ;クリックすると大きな写真になります
15.車止め
ここは瓜久保の休憩所の前。左の舞岡駅方面からの車道はここで車止めとなる。ここから後ろの舞岡方面への路上も駐車禁止の立て札があるが、駐車している車が絶えない。

Nikon COOLPIX P90 F2.8-5.0 4.6mm-110.4mm 12.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.5 1/150秒 5.9mm ISO64 ) 露出補正 なし
車止め;クリックすると大きな写真になります
16.舞岡町小川アメニティ
ここから、谷戸の反対側の小川がある道を歩いて、宮田池の方へいく。夏も涼しげな道である。しかし、ここを左へ、舞岡駅の方へ歩いたことはない。

Nikon COOLPIX P90 F2.8-5.0 4.6mm-110.4mm 12.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.5 1/91秒 4.6mm ISO64 ) 露出補正 なし
舞岡町小川アメニティ;クリックすると大きな写真になります
17.ヒヨドリ -1
再び谷戸を渡って、北門に戻り、きざはしの池に来た。ここは撮影者が多い。私もその中に加わり、何かいないかと思っていると3mくらいのところにヒヨドリが止まって、木の実をついばみ始めた。珍しくない鳥はほかの撮影者は見向きもしない。トリミングはしていない。

Nikon COOLPIX P90 F2.8-5.0 4.6mm-110.4mm 12.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F5 1/150秒 85.6mm ISO87 ) 露出補正 なし
ヒヨドリ -1;クリックすると大きな写真になります
18.持久戦
このかたのは望遠レンズではなく、スコープだろうか。携行した椅子に座って、持久戦での撮影のようだ。時刻は正午になろうとしている。荷物から「おにぎり」を取り出し、腹ごしらえをされていた。

Nikon COOLPIX P90 F2.8-5.0 4.6mm-110.4mm 12.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4 1/76秒 16.9mm ISO66 ) 露出補正 なし
持久戦;クリックすると大きな写真になります
19.メジロ -1
3~4mのところにメジロが来た。AFで、望遠端でピントを合わせようとするとなかなか合焦しない。一旦ズームを中ほどまで戻して、合焦させ、再び望遠端にズームし、再度シャッターボタンを半押しすると合焦しやすいようだ。

Nikon COOLPIX P90 F2.8-5.0 4.6mm-110.4mm 12.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F5 1/171秒 110.4mm ISO102 ) 露出補正 なし
メジロ -1;クリックすると大きな写真になります
20.メジロ -2
さらに近くの枝に止まって、こっちを向いてくれた。トリミングなしでこの大きさで撮れた。とても可愛らしい。これ以上近くなるとマクロでも望遠端では合焦しなくなる。望遠端でのマクロ撮影は被写体までの距離2mが最短撮影距離のようだ。

Nikon COOLPIX P90 F2.8-5.0 4.6mm-110.4mm 12.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F5 1/124秒 110.4mm ISO198 ) 露出補正 なし
メジロ -2;クリックすると大きな写真になります
21.ヒヨドリ -2
また、ヒヨドリが来た。なかなかいい顔をしていると思う。

Nikon COOLPIX P90 F2.8-5.0 4.6mm-110.4mm 12.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F5 1/170秒 110.4mm ISO64 ) 露出補正 なし
ヒヨドリ -2;クリックすると大きな写真になります
22.スダジイ
南の丘というところに大きなスタジイの木が生えていた。3年ほど前になるだろうか、「移植したスダジイの養生のため当面の間立ち入り禁止」という札が立ち、南の丘の尾根道は通れなくなっていた。スダジイは南の丘の西側を通る「横浜藤沢線」という都市計画道路の建設工事で引越しとなったのだ。このかつて鎌倉古道のシンボルだったスダジイ(いわゆる椎の木)は見事な高さ15mの大木。移植工事費用378万円は市の予算で賄われたそうだ。立ち入り禁止で閉ざされた金網の扉の脇から覗くと、元生えていたところから30mくらい奥に移植されたスダジイは健在だった。

Nikon COOLPIX P90 F2.8-5.0 4.6mm-110.4mm 12.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F5.6 1/280秒 7.3mm ISO64 ) 露出補正 なし
スダジイ;クリックすると大きな写真になります
23.俺はそっちへは行きたくない
南門を出て、駐車場へ向かう。駐車場から道路を渡って舞岡公園に入る「ばらのまる橋」というのがある。ここで可愛い犬を連れたご婦人とあったが、愛犬は足を踏ん張って動かない。どうやら、飼い主が行く方向は犬の行きたくない方向らしい。その格好が可愛いので「1枚撮らせてください」といってシャッターを切った。この犬は、カメラを向けると必ず目をそらしてしまうと、飼い主のご婦人が言っておられた。

Nikon COOLPIX P90 F2.8-5.0 4.6mm-110.4mm 12.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F5 1/252秒 18.8mm ISO64 ) 露出補正 なし
俺はそっちへは行きたくない;クリックすると大きな写真になります

2012年3月 6日

舞岡公園冬景色 その1 2月20日


 私が舞岡公園へ出掛けるのは蝶の撮影が目的である。従って、舞岡公園へ通い始めて10年目を迎えるが、今まで蝶の飛ばない季節に訪れたことはない。しかし、舞岡公園を知るためには冬も歩いてみなくてはいけないと思うようになった。この日は晴れ間も覗き、寒さも和らぐというので、出掛けて行った。

1.舞岡公園南門
いつもの駐車場に車を停め、いつものコースを歩き始める。当然のことだが木々の葉は落ちていて、枝と枝の隙間からその向こうが見通せる。ここは、南門。

Nikon COOLPIX P90 F2.8-5.0 4.6mm-110.4mm 12.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.5 1/78秒 11.5mm ISO74 ) 露出補正 なし
舞岡公園南門;クリックすると大きな写真になります
2.タイワンリス
歩いていると、道の左側の木の枝から、右側の木の幹へとリスが飛んだ。大きさといい、立派な尻尾といい、外来種であるタイワンリスだと思う。伊豆大島で飼われていたのを江の島植物園で飼育していたが、台風で飼育小屋が壊れて逃げ出し、県内で繁殖するようになったという。舞岡公園に少なくとも10頭以上はいるそうだ。

Nikon COOLPIX P90 F2.8-5.0 4.6mm-110.4mm 12.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F5 1/142秒 75.5mm ISO95 ) 露出補正 なし
タイワンリス;クリックすると大きな写真になります
3.大原谷戸池
「古谷戸の里」の方へ歩いて行くと、最初の池が左手に見える。夏は緑に覆われていて、全く違う眺めだ。

Nikon COOLPIX P90 F2.8-5.0 4.6mm-110.4mm 12.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4.5 1/114秒 23mm ISO64 ) 露出補正 なし
大原谷戸池;クリックすると大きな写真になります
4.「古谷戸の里」
「古谷戸の里」は月曜日はお休みである。中に入ることができない。4月になると、ここには桜の花が咲き、「古谷戸の里」の古民家の庭には鯉のぼりが泳ぐ。

Nikon COOLPIX P90 F2.8-5.0 4.6mm-110.4mm 12.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.5 1/153秒 8.2mm ISO64 ) 露出補正 なし
「古谷戸の里」;クリックすると大きな写真になります
5.「古谷戸の里」のトイレから
「古谷戸の里」の門の左手にトイレがある。「古谷戸の里」の中には入れないけど、トイレは利用できた。そのトイレから、「古谷戸の里」の中へ入れるようになっているが、その扉には鍵がかかっていた。

Nikon COOLPIX P90 F2.8-5.0 4.6mm-110.4mm 12.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F5 1/168秒 4.6mm ISO64 ) 露出補正 なし
.「古谷戸の里」のトイレから;クリックすると大きな写真になります
6.アオサギがカエルを捕食 -1
「古谷戸の里」を出てきたところに古谷戸池がある。何人かの方がその池の方向にカメラを向けたり、双眼鏡で覗いたりしている。ご婦人がアオサギがカエルを食べていると教えてくれた。小さい池だが、その反対側にアオサギの姿があった。はじめは良く見えなかったが、やっと捕捉して、驚いた。小さなカエルを捕食したのだと思っていたところ、大きなカエルだった。ウシガエルというのだろうか、体調20cmくらいあろうかと思えるカエルをくちばしに咥えている。凄いシーンだ。この日は、24倍ズームのNikon COOLPIX P90 を持ってきていたので、35mm版換算624mm画角で撮った。明るかったので、ほとんどぶれなかった。

Nikon COOLPIX P90 F2.8-5.0 4.6mm-110.4mm 12.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F5 1/311秒 110.4mm ISO64 ) 露出補正 なし トリミング
アオサギがカエルを捕食;クリックすると大きな写真になります
7.アオサギがカエルを捕食 -2
アオサギはくちばしに咥えた大きなカエルを、一旦池に入れては咥え直す。カエルの腹部が見える。しばらく、見ていたら、完全に呑みこんでしまった。凄い迫力だった。アオサギの顔にあるカエルの手が、付け睫毛をした眼のように見える。6.7.とも邪魔なものが写り込んだので、若干トリミングした。

Nikon COOLPIX P90 F2.8-5.0 4.6mm-110.4mm 12.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F5 1/313秒 110.4mm ISO64 ) 露出補正 なし トリミング
アオサギがカエルを捕食;クリックすると大きな写真になります
8.きざはしの池 タシギ?
瓜久保の方へ歩く。すぐ左手にきざはしの池があり、ここも野鳥が多いようだ。ここでもじっと双眼鏡をのぞいている方がいるので「何がいるんですか?」訪ねた。良く聞き取れなかったが、「あの木の左側を左へ1mくらいのところに何かいます。」と教えてくれた。やっと捕捉し、まず中間距離でピントを合わせ、110.4mm(624mm相当)へズームする。鳥の形がやっとはっきり見えた。鳥の名は良くわからないが、タシギだろか?

Nikon COOLPIX P90 F2.8-5.0 4.6mm-110.4mm 12.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F5 1/234秒 110.4mm ISO64 ) 露出補正 なし トリミング
きざはしの池 タシギ?;クリックすると大きな写真になります
9.舞岡公園北門
舞岡公園には南門、北門と東門がある。これらの門の内側は公園(市)の土地であり、ここから外は、私有の農営地ということか。

Nikon COOLPIX P90 F2.8-5.0 4.6mm-110.4mm 12.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4 1/118秒 7.3mm ISO64 ) 露出補正 なし
舞岡公園北門;クリックすると大きな写真になります
10.さくらなみ池
谷戸の水田を挟んで向こう側に、さくらなみ池、そしてその右側に宮田池がある。ここは何時も三脚で望遠レンズを付けたカメラを構える方が多い。

Nikon COOLPIX P90 F2.8-5.0 4.6mm-110.4mm 12.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4.5 1/174秒 32.7mm ISO64 ) 露出補正 なし
さくらなみ池;クリックすると大きな写真になります
11.瓜久保の池
北門を出て、市営地下鉄の舞岡駅の方へ行くと、左手に瓜久保の家という休憩所がある。ここを左に入って瓜久保と呼ばれる高台に進むと、夏には睡蓮の花を咲かせるかっぱ池という池があり、母親に連れられた子供たちがザリガニ釣りに夢中になる。この日は薄氷が張っていた。

Nikon COOLPIX P90 F2.8-5.0 4.6mm-110.4mm 12.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.5 1/69秒 6.6mm ISO64 ) 露出補正 なし
瓜久保の池;クリックすると大きな写真になります
12.ロウバイ(蝋梅)の花
かっぱ池の傍に蝋梅の花が咲いていた。今の時期に訪れることがないので、ここに蝋梅の木があったのに気がつかなかった。

Nikon COOLPIX P90 F2.8-5.0 4.6mm-110.4mm 12.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4 1/166秒 8.2mm ISO64 ) 露出補正 なし
ロウバイ(蝋梅)の花;クリックすると大きな写真になります
13.早咲きの梅
今年は梅の花も咲き始めるのが遅い。かっぱ池の先の瓜久保の広場で早咲きの梅が1本、花を咲かせていた。何かほっとする。

Nikon COOLPIX P90 F2.8-5.0 4.6mm-110.4mm 12.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F5 1/196秒 32.7mm ISO64 ) 露出補正 なし
早咲きの梅;クリックすると大きな写真になります

2012年3月 3日

日本橋と日本橋七福神巡り その2 2月17日


 日本橋のたもとを小網神社へ向けて歩き始めたのが2時15分過ぎで、八福神の三つ目のお社である水天宮のお参りを終えたのが、3時少し前だった。次は松嶋神社が近い。そして、途中、少々道に迷ったりしたが、新日本橋駅に近い、最後の寶田恵比寿神社のお参りをしたのは4時10分過ぎだった。八福神巡りの所要時間はおおよそ2時間だった。
  新日本橋駅からJR総武線の電車にひと駅乗り、東京駅に寄った。修復工事完成間近の丸の内東京駅丸の内駅舎を見たかった。

14.松嶋神社-大国神
水天宮交差点にある交番で、松嶋神社はどこですかと尋ねたら、お巡りさんが親切に教えてくれた。新大橋通りを右へ行き、大門通りを左へ入ったところにあった。
 創建は鎌倉時代の1312年。当時、あたり一帯は入り海で、松の茂る小島に建つ祠(ほこら)に毎晩灯火を掲げていたところ、舟人たちはそれを目標に航海の安全を得たという。その後、正徳年間(1711~1715年)、近辺を埋め立て、武家屋敷を造営するために日本各地から呼び寄せられた職人たちが、松島神社に故郷の神々の合祀を頼んだことからご祭神は14柱を数えるまでになった。大国神もその社殿に合祀されている。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F2.8 1/160秒 4.9mm ISOオート ) 露出補正 -0.7段
松嶋神社-大国神;クリックすると大きな写真になります
15.松嶋神社(大鳥神社)
お社はビルの中に入っていた。大鳥神社ともいうらしい。明暦の大火前、ここ大鳥神社の周囲は歓楽街であった為、人形細工職人、呉服商人、歌舞伎役者、葭町の 芸妓傾城等々、芸能関係や庶民の参拝によりたいへん賑わったとのこと。11月の酉の市が往時を伝える風物詩として今に残っている。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F2.5 1/30秒 4.9mm ISOオート ) 露出補正 -0.7段
松嶋神社(大鳥神社);クリックすると大きな写真になります
16.末廣神社
松嶋神社の前を人形町通りと平行した大門通りを北西へ進む。この通りの右側にあるはずだ。大きな通りに出る少し手前の路地を入ってみると小さなお社があった。松嶋神社で前後してお参りした御嬢さんとまた一緒になった。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4 1/50秒 9.9mm ISOオート ) 露出補正 -0.7段
末廣神社;クリックすると大きな写真になります
17.末廣神社-毘沙門天
勝運を授け、災難をよける神様として、400年以上前から信仰されているという。末廣神社はこの地にあった葭原(吉原)の守り神だったそうだ。葭原は明暦の大火で移転している。延宝3年(1675年)、社殿を修復した際に、縁起の良い末廣扇が見つかったことから、これに因んで末廣神社と名付けられたとのこと。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4 1/80秒 9.9mm ISOオート ) 露出補正 -0.7段
末廣神社-毘沙門天;クリックすると大きな写真になります
18.笠間稲荷神社
末廣神社から清州通りに向けて歩き、久松町交差点の手前にあった。ここで六つ目だ。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4 1/80秒 9.7mm ISOオート ) 露出補正 -0.7段
笠間稲荷神社;クリックすると大きな写真になります
19.笠間稲荷神社
笠間稲荷神社の小さな境内には、おきつねさんが祀られていた。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4 1/60秒 9.3mm ISOオート ) 露出補正 -0.7段
笠間稲荷神社;クリックすると大きな写真になります
20.笠間稲荷神社-寿老神
江戸末期 安政6年(1859年)、笠間藩主・牧野貞直が、日本三大稲荷のひとつ常陸笠間神社の御分霊を江戸下屋敷に奉斎。以降、五穀をはじめ水産、殖産の守護神として信仰を集めたとのこと。寿老人は長寿の神にして、お導きの神、幸運の神として、人々の運命を開拓する福徳長寿の守護神とされている。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4 1/80秒 9.7mm ISOオート ) 露出補正 -0.7段
笠間稲荷神社-寿老神;クリックすると大きな写真になります
21.椙森神社
次の椙森(スギモリ)神社へ行くのが大変だった。全く反対方向を探してしまった。笠間稲荷神社から一旦人形町の方へ戻ればよかったのだが、方向音痴になり、清州通りを東日本橋駅の方向に進んでしまった。これは違うと思い、日本橋公会堂でいただいた「日本橋と五街道ー開催記念日本橋マップ」をメガネをかけて良く見た。反対だ。水天宮通りの方へ戻って行くと、日本橋税務署というのがあった。これで椙森神社はすぐ傍と分かった。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.2 1/30秒 7.2mm ISOオート ) 露出補正 -0.7段
椙森神社;クリックすると大きな写真になります
22.椙森神社-恵比寿神
創建は約1千年前。田原藤太秀郷の平将門の討伐祈願や、太田道灌の雨乞い祈願などの記録も残る古社だそうだ。祀られている恵比寿様は、右手に釣竿、左手に鯛を持ち、はじめは豊漁の神さまとして、後に「えびす顔」と言うとおり商売繁盛の神さまへと変化したという。江戸時代には、江戸城下の三森(烏森神社、柳森神社、椙森神社)の一つに数えられ、椙森稲荷と呼ばれて、江戸庶民の信仰を集め、当たりくじ富興行も行われたと伝えられる。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.2 1/30秒 7.2mm ISOオート ) 露出補正 -0.7段
椙森神社-恵比寿神;クリックすると大きな写真になります
23.於竹大日如来井戸跡
最後のお参りとなる寶田恵比寿神社へ向かう途中に「於竹大日如来井戸跡」という石碑があった。寛永の頃(1640年頃)江戸大伝馬町佐久間家(一説に馬込家)の下女お竹は日頃より慈悲心が深く、ある日、羽前羽黒山の行者より大日如来の化身であると告げられたとのこと。ここは、お竹が愛用し、貧困者が市をなしたという井戸の跡だそうだ。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F2 1/30秒 4.9mm ISOオート ) 露出補正 -0.7段
於竹大日如来井戸跡;クリックすると大きな写真になります
24.寶田恵比寿神社
いよいよ最後に残った寶田恵比寿神社になる。一旦昭和通りへ出て、シオノギ本町共同ビルの手前を右に入り、前述の「於竹大日如来井戸跡」を見て、辿り着いた。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F2.8 1/125秒 4.9mm ISOオート ) 露出補正 -0.7段
寶田恵比寿神社;クリックすると大きな写真になります
25.寶田恵比寿神社-恵比寿神
日本橋の恵比寿神は椙森神社と、ここ寶田恵比寿神社に二神が祀られている。もとは江戸城外の宝田村の鎮守で、現在の皇居前にあったが、徳川家康公による江戸城拡張により日本橋本町に移転したという。祭壇中央に祀られる恵比寿神像は、慶長11年(1606年)に三伝馬取締役の馬込勘解由が徳川家から譲り受けたもので、運慶作とも左甚五郎作とも伝えられる。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4 1/50秒 9.3mm ISOオート ) 露出補正 -0.7段
寶田恵比寿神社-恵比寿神;クリックすると大きな写真になります
26.寶田恵比寿神社
寶田恵比寿神社の御祭神は、事代主命(コトシロヌシノミコト)、少彦名命(スクナヒコナノミコト)、大國主命(オオクニヌシノミコト)、大己貴命(オオアナモノミコト)、素戔嗚命(スサノオノミコト)と記されているが、寶田稲荷神社も合祀されていて、御祭神は宇迦之御魂神とある。難解である。これで八福神を巡り終えた。約2時間で、福徳、金運、長寿延命、学芸成就、除災勝運、生産、営業繁栄、離職、といった御利益を得られたことになるのだが。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F2 1/30秒 4.9mm ISOオート ) 露出補正 -0.7段
寶田恵比寿神社;クリックすると大きな写真になります
27.修復工事完成間近い東京駅丸の内駅舎
1914年(大正3年)に創建された東京駅丸の内駅舎は、辰野金吾により設計され、その堂々たる姿で、多くの人々に愛されてきた。しかし、1945年(昭和20年)、戦災により南北のドームと屋根・内装を焼失。戦後、3階建ての駅舎を2階建て駅舎に復興し、1947年から2007年まで使用されてきた。その東京駅丸の内駅舎を、元の姿にしようと2007年4月11日から「保存・復原工事」が始まった。「保存・復原工事」では、外観を創建時の姿に忠実に再現するのはもちろんのこと、さらに、未来へ継承するため、鉄骨煉瓦造の下に地下躯体を新設し、機能拡大の工事が行われている。2012年6月10日完成予定である。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F2.8 1/60秒 4.9mm ISOオート ) 露出補正 -0.7段
修復工事完成間近い東京駅丸の内駅舎;クリックすると大きな写真になります
28.東京駅丸の内駅舎 南ドーム
これは完成が近い南ドームである。1947年から2007年まで使用されてきた駅舎では、木造三角屋根に形を変えていたものを、創建時のドーム型屋根に復原されている。そして切妻の部分は戦災で失った3階部分と、屋根が復原されている。これまでの1、2階の外壁は、化粧レンガや石の補修が行われている。まだ、北から南までの全容を見ることができないが、6月に完成して、その姿を見るのが楽しみである。10月からはライトアップもされるようだ。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4.5 1/60秒 11.8mm ISOオート ) 露出補正 -0.7段
東京駅丸の内駅舎 南ドーム;クリックすると大きな写真になります