県立大磯城山公園(1) 旧吉田茂邸  - Studio YAMAKO

2017年11月 8日

県立大磯城山公園(1) 旧吉田茂邸 

そのワンマンぶりは「バカヤロー解散」「ワンマン道路」などの話にもあったが、戦後の混乱期に通算5期にわたり首相を務め、日本の戦後復興の礎を築いた吉田茂が、昭和19(1944)年頃から亡くなった昭和42(1967)年までを過ごしたのが大磯の旧吉田茂邸である。
 2009年に原因不明の火災により焼失したが、その後、地元・大磯町が神奈川県からの協力を得ながら、再建事業が具体化。総工費5億4,000万円をかけ、2017年に再建工事が終了し、4月1日より一般にに公開されるということを知って、ぜひ、行ってみたいと思っていた。
 台風22号が通過した後、関東地方には好天で暖かい日が訪れている。大磯なら車でそう遠くはないので、行ってみることにした。
 午前10時に旧国道1号線沿いにある県立城山公園の旧吉田茂邸地区駐車場に着いた。昭和22年ごろ建てられた応接間棟、および昭和30年代に吉田五十八が設計し、近代数寄屋建築で建てられた新館をメインに再建されていた。まだ真新しいその応接間棟と新館の中に入った。


1. 旧吉田茂邸 正門
西湘バイパスを西大磯で降りて、旧国道1号を小田原側から平塚へ進むと右側に旧吉田邸がある。この門はその旧国道1号に面した正門である。 旧吉田茂邸は、明治17年に吉田茂の養父健三が別荘として建てたもので、吉田茂が昭和19年頃から、その生涯を閉じる昭和42年までを過ごした。 

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 17-70mm F2.8-4.5 DC MACRO​​
絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f​3.2​​​​​​​​​​ 1/​250​秒 2​4​mm ISO​800​​​​ ​) 露出補正​ ​-0.3段
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2.吉田茂元首相の出迎え
駐車場から、まずトイレに寄っていきたいと思い管理事務所へ行くと、羽織袴でステッキ、そして葉巻を咥えた吉田茂元首相のパネルに出迎えられた。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 17-70mm F2.8-4.5 DC MACRO​​
絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f​3.3​​​ 1/​250秒 26mm ISO​​360​​​​ ​) 露出補正​ ​-0.3段
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3.日本庭園と兜門​​
管理事務所の脇から日本庭園に出る。写真右に見えるのは兜門といい、2009年(平成21年)に原因不明の火災の際、焼失を免れた貴重な建造物である。本来はここから日本庭園に入る。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 17-70mm F2.8-4.5 DC MACRO​​​​
絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f​9​​​ 1/​320秒 19mm ISO​​200​​​​ ​) 露出補正​ ​-0.3段
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4.日本庭園
この庭は外国からの賓客を招くため吉田茂邸の改築が始まった昭和36年ころに造られたという。庭園を設計したのは造園家の中島健だそうだ。吉田茂は昭和30年代に建てられた新館の居間から、この庭園と富士山の眺めを楽しんだそうだ。日本庭園は約3,000㎡ある。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 17-70mm F2.8-4.5 DC MACRO​​
絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f​9​​​ 1/​320秒 24mm ISO​​200​​​​ ​) 露出補正​ ​-0.3段
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5.母屋玄関
元は昭和22年頃建てられ、このたび再建された応接間棟(母屋)の玄関である。旧吉田茂邸が火災により焼失したのは平成21年3月でそう昔のことではない。吉田茂が暮らした当時の邸宅がこのたび復原されたのだ。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 17-70mm F2.8-4.5 DC MACRO​​
絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f​5.6​​​ 1/​250秒 17mm ISO​​200​​​​ ​) 露出補正​ ​-0.3段
171108_005.jpg
6.玄関ホール​​
靴を脱いで素足、またはスリッパに履き替えて屋敷の中に入る。まだ木の匂いが残る新築だ。順路は右に楓の間に進むが、左を見るとこの玄関ホールが見えた。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 17-70mm F2.8-4.5 DC MACRO​​​​
絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f​4​​​ 1/​250秒 17mm ISO​​200​​​​ ​) 露出補正​ ​-0.3段
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7.楓の間
玄関入ってすぐ右のこの広い部屋は応接間として使われていて、吉田茂の執務机やソファーセットが置かれていた。ご覧の通り、この日はグループで来られている大勢の見学者があった。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 17-70mm F2.8-4.5 DC MACRO​​
絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f​​​2.8 1/​250秒 17mm ISO​​1800​​​​ ​) 露出補正​ ​-0.3段
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8.楓の間に展示されていた写真
楓の間のガラス戸の棚の中には、吉田茂と関りのある世界の要人の写真があった。ジョン・ダレス元米国務長官、アデナウアー元西独首相、蒋介石、チャーチルなどの顔が見える。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 17-70mm F2.8-4.5 DC MACRO​​
絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f​​​3.5 1/​250秒 32mm ISO​​1100​​​​ ​) 露出補正​ ​-0.3段
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9.書斎 北西縁​​
2階に上がる。限られた身内以外は許可なく入れない、吉田茂の私的な書斎があった。官邸直通のダイアルのない黒電話が置かれていたという。書斎には北西縁と南縁があった。これは北西縁だったと思う。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 17-70mm F2.8-4.5 DC MACRO​​​​
絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f​​​4 1/​250秒 24mm ISO​​200​​​​ ​) 露出補正​ ​-0.3段
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10.書斎 南縁​​​​
こちらはたっぷりと陽の光が注ぎ込む南側だ。相模湾の海が見渡せる。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 17-70mm F2.8-4.5 DC MACRO​​​​​​
絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f​​​9 1/​320秒 21mm ISO​​200​​​​ ​) 露出補正​ ​-0.3段
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11.書斎の書架​​​​​​
吉田茂の私的な書斎の書架には、「アメリカの新しい労働法」、「我が国の公的年金」、「災害対策基本法」、「防衛大学校」、そして「日僑秘録(中共国賓の手記1953年)といった当時の、いわば貫禄のついた書籍が並んでいた。 む南側だ。相模湾の海が見渡せる。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 17-70mm F2.8-4.5 DC MACRO​​​​​​​​
絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f​​​3.3 1/​250秒 26mm ISO​​500​​​​ ​) 露出補正​ ​-0.3段
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12.浴室
書斎の北側には舟形の風呂があった。この風呂の作成には、大磯の船大工が関わったといわれている。来客用の浴室だったのだろう。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 17-70mm F2.8-4.5 DC MACRO​​
絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f​​​2.8 1/​250秒 17mm ISO​​500​​​​ ​) 露出補正​ ​-0.3段
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13.葉巻
2階から再び1階に下りてきたところにあった展示室には、吉田茂ゆかりの品々が展示されていた。これは愛用していたシガーケース、マッチ、灰皿だ。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 17-70mm F2.8-4.5 DC MACRO​​
絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f​​​3.5 1/​250秒 32mm ISO​​1000​​​​ ​) 露出補正​ ​-0.3段
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14.食堂(ローズルーム)
1階にある食堂として使用されていた部屋で、別名ローズルームともいう。アール・デコ調の室内が特徴である。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 17-70mm F2.8-4.5 DC MACRO​​
絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f​​​3 1/​250秒 21mm ISO​​250 ​) 露出補正​ ​-0.3段
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15.新館2階
ローズルームの前から新館2階へ上がる階段が続いている。昭和30年代に建てられた新館も焼失したが、今回、再建された。まず、西側の窓からの景色が印象的だった。富士山が見える。吉田茂はこの部屋から見える富士山をたいそう気に入っていたという。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 17-70mm F2.8-4.5 DC MACRO​​
絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f​​​10 1/​400秒 29mm ISO​​200 ​) 露出補正​ ​-0.3段
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16.新館2階から相模湾を望む​​
居間の南側の窓からは、菜園広場、そしてその向こうに相模湾を見渡すことが出来た。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 17-70mm F2.8-4.5 DC MACRO​​​​
絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f​​​10 1/​400秒 55mm ISO​​200 ​) 露出補正​ ​-0.3段
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17.新館2階 「金の間」
この新館2階の居間は「金の間」ともいわれ、賓客をもてなす応接間として利用されていたそうだ。箱根の山々と富士山、相模湾を一望できる。「金の間」という名称は、部屋の装飾に金を用いたことからきている。天井に金の装飾がなされている。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 17-70mm F2.8-4.5 DC MACRO​​
絞り優先​​オートで撮影(​ ​f​​​4 1/​250秒 55mm ISO​​200 ​)露出補正​ ​-0.3段
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18.寝室兼書斎 「銀の間」
新館2階のもう一つの部屋として、寝室兼書斎だった「銀の間」がある。これは吉田茂のベッドで、ここで最期を迎えたそうだ。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 17-70mm F2.8-4.5 DC MACRO​​
絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f​​​3.2 1/​250秒 24mm ISO​​1000 ​) 露出補正​ ​-0.3段
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19.「銀の間」の天井​​
「金の間」と対になる形で、「銀の間」は装飾品に銀が使用されていた。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 17-70mm F2.8-4.5 DC MACRO​​​​
絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f​​​3.3 1/​250秒 26mm ISO​​280 ​) 露出補正​ ​-0.3段
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20.「銀の間」からの眺め​​​​
「銀の間」は吉田茂が寝起きしていた部屋であり、書斎としても利用していた。部屋のガラス棚には蔵書が並べられ、ベッド横の窓際には執務用の机が置かれていたという。ベッドからは富士山が眺められる。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 17-70mm F2.8-4.5 DC MACRO​​​​​​
絞り優先​​オートで撮影(​ ​f​​​3.2 1/​250秒 24mm ISO​​1000 ​)露出補正​ ​-0.3段
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21.ローズルーム​​​​​​
再び食堂「ルーズルーム」へ戻ってきた。新館2階へ上がる階段ある入口の方を見ている。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 17-70mm F2.8-4.5 DC MACRO​​​​​​​​
絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f​​​3.2 1/​250秒 17mm ISO​​250 ​) 露出補正​ ​-0.3段
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22.サンルーム(温室)​​​​​​​​
食堂正面から庭園を眺めて右側にこのサンルームが見える。平成21年(2009年)の3月に旧吉田邸が焼失した際、唯一焼け残った建物だそうだ。そして、この写真でもわかるが、外壁には激しい火災による焼け跡が残されている。吉田茂の生前には、ブーゲンビリアなどの熱帯植物が植えられ、吉田茂の憩いの場となっていたそうだ。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 17-70mm F2.8-4.5 DC MACRO​​​​​​​​
​​ 絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f​​​9 1/​320秒 24mm ISO​​200 ​) 露出補正​ ​-0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
23.内門 (兜門)​​​​​​​​
​​ 玄関から外へ出た。内門は、焼失を免れた貴重な建築物だ。サンフランシスコ講和条約締結を記念して建てられたもので、昭和29年に完成している。別名「講和条約門」とも呼ばれる。また、兜の形に似ていることから「兜門」とも呼ばれている。京都の裏千家の兜門と同じ製作者を京都から呼び寄せて造られ、屋根は「檜皮葺き」という伝統的技法が用いられている。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 17-70mm F2.8-4.5 DC MACRO​​​​​​​​​​
​​ 絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f​​​8 1/​250秒 24mm ISO​​200 ​) 露出補正​ ​-0.3段
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24.菜園広場から
​​ 南側(相模湾側)に広がる菜園広場に出て、再建された吉田茂邸を見上げる。石垣の上に建てられていて、もはや城のようだ。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 17-70mm F2.8-4.5 DC MACRO​​
絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f​​​9 1/​320秒 21mm ISO​​200 ​) 露出補正​ ​-0.3段​​
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25.バラ園​​
駐車場の横はバラ園になっていた。向こう側に兜門が見える。バラ愛好家であった吉田茂は、ここに広いバラ園を持っていた。しかし、彼の死後、昭和54年に当時の大平首相とカーター大統領の会談でこの吉田邸が使われた時、バラ園を縮小して駐車場としたそうだ。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 17-70mm F2.8-4.5 DC MACRO​​​​
絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f​​​9 1/​320秒 17mm ISO​​200 ​) 露出補正​ ​-0.3段
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26.七賢堂
バラ園から駐車場に戻ろうと思ったところ、あるグループを案内していたガイドさんが「次はちょっと上りますけど七賢堂と銅像を見ましょう」と話していた。見ないで出てしまうところだったが、これを聞いてそのグループの後についていった。七賢堂も焼失を免れた貴重な建物だそうだ。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 17-70mm F2.8-4.5 DC MACRO​​
絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f​​​3.2 1/​250秒 17mm ISO​​200 ​) 露出補正​ ​-0.3
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27.「七賢堂」とは
「七賢堂」は伊藤博文の自邸、大磯の「滄浪閣」に建てられたそうだ。はじめ、明治維新の元勲のうち、岩倉具視、大久保利通、三条実美、木戸孝允の4人が祀られた「四賢堂」であった。その後、伊藤博文が祀られ、昭和35年に吉田茂がこの地に移築し、西園寺公望を加えて「六賢堂」とした。吉田茂の死後、佐藤栄作が吉田茂も加え「七賢堂」となったそうだ。正面の扁額の文字「七賢堂」は佐藤栄作の揮毫とのこと。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 17-70mm F2.8-4.5 DC MACRO​​
絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f​​​4.5 1/​250秒 49mm ISO​​200 ​) 露出補正​ ​-0.3
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28.吉田茂銅像​​
「七賢堂」から少し進むと、昭和58年に建立された吉田茂の銅像があった。日米講話条約締結の地サンフランシスコと首都ワシントンの方を向いていると言われる。銅像の後には相模湾が広がる。余談だが、皇居の北の丸公園中央通りから清水門に抜ける芝生地の一角にも船越保武により1981年(昭和56年)に建立された吉田茂の銅像があるそうだ。また、高知県龍馬空港の敷地内には、昭和59年建立された吉田茂の銅像がある。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 17-70mm F2.8-4.5 DC MACRO​​​​
絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f​​​8 1/​250秒 21mm ISO​​200 ​) 露出補正​ ​-0.3
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