少しだけ菓子屋通りを見て歩き、川越蔵造りの町並みの北側入り口にある札ノ辻交差点近くのバス駐車場へ戻った。
小1時間バスに揺られ、川越から久喜市の先にある、利根川に近い幸手幸手権現堂桜堤に着いた。まず目についたのは一面黄色の広大な菜の花畑であった。
あいにく空は雲に覆われていて、クリアではないが、その菜の花畑の向こうに桜堤が見える。桜はまだ少し早かったようだが、十分来た甲斐があった。
菜の花畑と権現堂桜堤は、利根川水系の権現堂川が調節池である行幸湖から中川へと流れるが、その南西側に位置する。江戸時代には江戸川とともに整備され、江戸(東京)を守る重要な堤防であったそうだ。桜が咲く権現堂堤は明治時代に整備された。
菜の花畑をと桜が咲く堤を、写真を撮りながら歩き、菜の花畑が途切れるところで、権現堂桜堤に上がった。桜堤をバスの駐車場へ戻るように散策した。惜しみなくはもう少し、咲き進んでいてくれればよかったのだが。

一面の菜の花畑と権現堂桜堤 2025年4月2日 埼玉県幸手市
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20.菜の花畑と桜堤 -1
サクラは手前の小さな木が咲いてきているが、堤に植えられている古木はまだ、三分咲きというところだ。菜の花に魅了される。
Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f4.2 1/500秒 34mm ISO200 )
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21.菜の花畑と桜堤 -2
手前の菜の花畑にピントを合わせた。
Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f4.8 1/500秒 51mm ISO320 )
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22.菜の花畑と桜堤 -3
堤のサクラが咲いている辺りを背景にして撮った。
Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f6.3 1/500秒 140mm ISO560 )
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23.菜の花畑と桜堤 -4
サクラの花が咲いているところを背景にする。
Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f6 1/500秒 115mm ISO560 )
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24.菜の花畑と桜堤 -5
桜堤に咲く枝垂桜が比較的よく咲いていてくれた。
Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f5.6 1/500秒 90mm ISO640 )
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25.菜の花畑と桜堤 -6
菜の花畑の一番奥のほうへきた。この先を左へ折れて、堤へ上がる。
Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 28mm ISO320)
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26.桜堤のサクラ -1
菜の花畑のはずれを左に廻って、桜堤へ上がった。権現堂桜堤では、春を迎えると長さ1kmにわたる堤に約1,000本のソメイヨシノが咲き誇り桜のトンネルを作る。桜祭りは、今年は3月26日から4月9日に行われている。
Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f5.3 1/500秒 78mm ISO1000 )
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27.桜堤のサクラ -2
桜まつり期間中は、桜並木の遊歩道の向こう側(菜の花畑の反対側)に、約100店舗の露店が出店し、さまざまなイベントが行われ、多くのお花見客で賑わうという。
Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f6.3 1/500秒 140mm ISO1600 )
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28.桜堤のサクラ -3
黄色い背景がサクラの花を引き立てる。
Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 37mm ISO320)
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29.桜堤のサクラ -3
G7の望遠端で撮ったが、サクラと背景の菜の花の黄色と緑が旨く表せたと思う。気に入ったショットになった。
Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 37mm ISO400)
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30.桜堤のサクラ -4
サクラの花にピントを合わせて、バックをぼかしました。
Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f5.3 1/500秒 70mm ISO800 )
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31.桜堤のサクラ -5
サクラと菜の花の取り合わせは、桜を前に出して背景に菜の花を入れるとそのコントラストが浮き立ちます。
Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f5.3 1/500秒 70mm ISO500 )
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32.菜の花畑と桜堤 -7
再び菜の花畑の方へ戻ってきて、今度は菜の花ピントを合わせ、背景にサクラを入れた。サクラが陽に照らされているとどうだったか?
Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f5.3 1/500秒 70mm ISO640 )
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33.菜の花畑と桜堤 -8
ここは菜の花畑の一番奥だ。桜堤のこの辺りのサクラが咲き進んでいて、明るいピンク色が生える。
Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f5.6 1/500秒87mm ISO1100 )
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34.色の濃いサクラ
この桜の品種は何というのだろう。既に葉が多く出ている。八重ではないようだ。河津桜のようにピンクの色が濃い。
Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 37mm ISO640)
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35.桜堤のサクラ -6
桜堤から菜の花畑の道を歩く人たち。
Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 22mm ISO640)
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36.桜堤のソメイヨシノ -1
桜堤の散策路の両側に植えられたサクラはソメイヨシノだ。この辺りは五分咲き程度だと思う。wikipediaによれば、「ソメイヨシノは、母をエドヒガン、父を日本固有種のオオシマザクラの雑種とする自然交雑もしくは人為的な交配で生まれた日本産の栽培品種のサクラ。遺伝子研究の結果、ソメイヨシノは、エドヒガンとオオシマザクラの雑種が交雑してできた単一の樹を始源とする栽培品種のクローンであることが、1995年に明らかにされた。」とあった。
Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 16mm ISO500)
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37.桜堤のソメイヨシノ -2
桜堤の遊歩道のソメイヨシノは、見上げると思ったより密集して咲いていた。満開になれば素晴らしいと思う。ChatGPTに尋ねたところ、幸手権現堂桜堤のソメイヨシノの樹齢は、1920年に植樹されたものと、太平洋戦争末期に薪として伐採された後、1949年に植え直されたものがあり、それぞれ約105年と76年程度と推定できるそうだ。.
Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f5.3 1/500秒71mm ISO2200 )
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38.シダレザクラと菜の花 -1
この一重の枝垂れ桜の品種は何というのだろうか。一重の枝垂れ桜で検索してみると、「一重の紅しだれ桜(品種名はヒトエベニシダレザクラ)は、江戸彼岸(エドヒガン)の変種で、枝垂れ形の中で花色が特に濃いものを指す。 花は濃い紅色で小輪の一重咲きである。 平安時代から記録があり、古くから全国各地で栽培されている。」という解説がヒットした。
Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f5.3 1/500秒85mm ISO1250 )
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39.シダレザクラと菜の花 -2
シダレザクラの花が密集して咲いている枝をさがし、背景に黄色を取り入れて撮った。
Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 37mm ISO400)
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40.菜の花畑と桜堤 -9
バスの駐車場へ戻る途中、最後に、ローアングルから手前の菜の花にピントを合わせ、サクラが咲く桜堤をぼかして撮っておきたかった。桜堤に咲くサクラもサクラらしく撮れたと思う。
Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 22mm ISO400)
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菜の花とサクラに圧倒されて、意識になかったが、帰りのバスの中で、ふと幸手権現堂というのはいったいどこにあったのだろうかと思った。
調べて見ると、村の中に、「熊野権現社」「若宮権現社」「白山権現社」という三つの神社を一緒にまつった旧い神社があったので、「権現堂村」という名になった。「権現堂」という地名の由来は、江戸時代後期に幕府が編さんした地誌「新編武蔵風土記稿」(しんぺんむさしふうどきこう)に記されているという。
その「熊野若宮白山権現合社」 の項に村の鎮守で、昔は大きな神社だったとあった。「権現堂」という村名の起こりも、この「権現三社」であると。
このように、村の中に「三つの権現」があったことから、「権現堂村」の名前が付けられたと考えられている。この社の創建は、天正年間(1573~92年)と伝えられているが、はっきりとしたことは分かっていないそうだ。江戸時代初期には「権現堂村」という村名が確実にあったと判明したようだが、結局、それがどこなのか、また、「権現三社」は何処にあったのか分からなかった。
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