2025/6/21-24 関西旅行 ④ 高野山中の橋まで 2025年6月22日 和歌山県北部 伊都郡高野町 - Studio YAMAKO

2025年8月24日

2025/6/21-24 関西旅行 ④ 高野山中の橋まで 2025年6月22日 和歌山県北部 伊都郡高野町

墓参を終え、奥の院へと石畳の参道を進む。左右には、戦国武将や著名人の墓や供養塔が数多く並んでいる。織田信長、豊臣秀吉、伊達政宗など有名な武将たちのほか、宗派や敵味方関係なく集まっているのは、高野山が「浄土(仏の世界)である」という考え方によるものだそうだ。

 高野山の墓所には鳥居が多く見られるが、これは、仏教と神道が融合した神仏習合の歴史的背景があるためと言われる。高野山の開祖である弘法大師のルーツとなる 丹生都比売大神は 高野御子大神として高野山に祀られており、鳥居は神道において神域を示すシンボルであるため、神仏の境界を超えて両方の信仰が共存する高野山ならではの光景だそうだ。
 奥の院への入り口である御廟橋まで進み、合掌してお参りした。

 水向地蔵で涼しさを感じ、お茶処で一休みし、奥の院前のバスターミナルへ戻る。タクシーを探していると、たまたま、恵光院から乗ってきたのと同じ運転手さんが客待ちをしていた。高野山へ来たのだからゴマ豆腐を食べたいと衆議一決し、壇上伽藍の近くにある「角濱」という店まで乗っていった。

 夕方4時過ぎのケーブルカーで下り、極楽橋からは16時25分発の「こうや14号」に乗り、難波に夕方6時少し前に着いた。このまま、この近くで食事をしていこうということになり、何回か仕事で来ている娘の案内で、地蔵通り横丁の、「PESUKA」というイタリアンの店に入った。カジュアルなところだったが、新鮮な魚のカルパッチョが旨かった。

 今夜と明日の晩は御堂筋の本町にあるホテルに泊まる。昨日泊ったオリエンタルホテルに戻って、預けておいた荷物をロッカーから取り出し、タクシーに乗って、ホテルにチェックインした。明日は万博見物である。

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松平秀康および同母霊屋 重要文化財 2025年6月22日 和歌山県高野山

058_250622733 X900 高野山 Z50 Z18-140.jpg 58.戦国武将の墓
中の橋から奥の院へ石畳の参道を進むと、その両側には石鳥居と宝篋印塔がある墓所が多くある。この墓が誰のものか解らなかったので、AIに写真を送って調べてもらったが、加藤清正の墓所かもしれないとの返信があったものの、さらに尋ねて見ると、その可能性は低いという答えがあった。一の橋から、石畳の参道の両側に並ぶ武田信玄、上杉謙信、織田信長、豊臣秀吉、伊達政宗などの有名な戦国武将の墓は、その説明の柱が立てられているのでわかるのだが。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO1800)
059_250622737 X900 高野山 Z50 Z18-140.jpg 59.合掌
木の幹の低いところに、2体のひとがたが挟まれていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.8 1/500秒 51mm ISO5600)
060_250622744 X900 高野山 安芸浅野家Z50 Z18-140.jpg 60.安芸 浅野家の墓所
仏教と神道が融合した神仏習合の、石鳥居と宝篋印塔がある墓所だ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO1600)
061_250622747 X900 高野山 Z50 Z18-140.jpg 61.松平秀康および同母霊屋 重要文化財
トップの写真も見ていただきたいのだが、説明版には、向かって右が越前松平家初代当主である松平秀康を祀る霊屋で西暦1607年(慶長12年)に二代当主忠直によって建立された。左側は秀康自身が母公を祀るために西暦1604年(慶長9年)に建立したと記されている。世界遺産・重要文化財建造物になっている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 18mm ISO2200)
062_250622748 X900 高野山 豊臣家墓所 Z50 Z18-140.jpg 62.豊臣家墓所
御廟橋の手前の左側に、豊臣家墓所があった。「ぐるりん関西」というサイトの「豊臣家墓所」には、この墓所には、豊臣秀吉(1537-1598)とその母、秀吉の弟である大納言秀長と夫人など豊臣一族の墓がある。現在、石塔が11基並んでいる。そのうち、中央の1基(303cm)は、昭和15年(1940年)、豊公会(豊臣秀吉の顕彰活動を目的として1890年(明治23年)に創設された組織)によって造立されたもので、京都の豊国廟から霊土を移したという。五輪塔の正面には、「豊臣太閤秀吉公之墓」と記されている。この五輪塔の内部には、秀吉の衣冠束帯姿の古い木造が納められている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 18mm ISO2200)
063_250622752 X900 高野山 奥の院へ Z50 Z18-140.jpg 63.奥の院 水向け地蔵 -1
奥の院の御廟橋まで行った。今回はここで、手を合わせてお参りした。水向地蔵(みずむけじぞう)は、御廟橋の近くにある地蔵菩薩像の集まりで、柄杓で水盤の水をすくい、供養したい故人の冥福を祈る「水向」の供養を行うことに由来する名前である。正しい作法は、仏像の顔や体ではなく、仏足元の蓮台に水を手向けることだそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 23mm ISO1400)
064_250622757 X900 高野山 Z50 Z18-140.jpg 64.奥の院 水向け地蔵 -2
この写真は、一番奥に立っている優しいお顔をした仏さまだ。紀伊名所圖會(名所図解とは江戸時代後期に盛んに刊行された、各地の名所旧跡や神社仏閣などを紹介する絵入りの地誌)では文化9年(1812年)~嘉永4年(1851年)にかけて完成している。当初は二体のみだったものが天保年間には六体に増え、現在は十五体にまで増えているという。御廟川を背にして地蔵菩薩、不動明王、観音菩薩など諸尊が、並んでいる。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 32mm ISO1250)
065_250622759 X900 高野山 Z50 Z18-140.jpg 65.無縁塚
ガイドさんが引率して参詣者に説明していた。高野山の敷地内には、いまでは誰を供養したのかわからなくなってしまった墓石が無数に埋もれていて、墓石や五輪塔が大量にあるという。一つの石で作られた「一石五輪塔」と呼ばれるタイプのものが多くみられる。供養塔の石材だけであるから集めてもゴミ捨て場のような感じにはならない。そのような無縁の石塔を一ケ所に集めたのがこの無縁ピラミッドである。高さは5m位だろうか。下の方の手の届くところには頭巾やヨダレかけが掛けられている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO1250)
066_250622762 X900 高野山 Z50 Z18-140.jpg 66.高野山大学墓所
奥の院のバスターミナルへと歩く途中に、高野山大学墓所があった。たしかに高野山大学墓所と書かれた石柱が立てられているのだが、ネットで調べて見ても、Chat GPTで尋ねて見ても、情報は得られなかった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 20mm ISO1000)
067_250622763 X900 高野山 Z50 Z18-140.jpg 67.英霊殿入口
水向け地蔵から、石畳、杉並木の参道の一本東側の道を歩いている。左(東)側に第2次世界大戦の供養のため1952年(昭和27年)に建造された英霊殿への入り口があった。ノムラモミジの葉が赤く、美しい。英霊殿の中は非公開だそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 38mm ISO720)
068_250622767 X900 高野山 Z50 Z18-140.jpg 68.東日本大震災物故者慰霊碑
墓誌には次のように記されているという。「東日本大震災は平成23年(2011年)3月11日午後2時46分宮城県牡鹿半島東南東沖130kmの海底を震源として発生した東北地方太平洋沖地震と、それに伴う大津波を引き起こした大規模災害である。この大震災により東北地方の太平洋沿岸は壊滅的な被害を受け、死者、行方不明者併せて18,000余名が犠牲となった。高野山真言宗と総本山金剛峯寺は、この大震災により犠牲となられた物故者供養のため慰霊塔を建立し、至心に冥福を祈ると共に、被災地の早期復興を祈念するものである。平成25年3月11日 高野山真言宗 総本山金剛峯寺」

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 26mm ISO200)
069_250622770 X900 高野山 Z50 Z18-140.jpg 69.新明和工業慰霊碑
ロケットを形どった供養塔?のある慰霊碑があった。新明和工業のホームページには、これは新明和工業の慰霊碑「アポロの塔」、「航空殉難者之碑」で、「アポロの塔」は名前の通り、ロケット「アポロ11号」を模した慰霊碑である。会社が1969年に創立20周年を迎えたのを機に、その前身である川西航空機時代の空襲殉職者や新明和の在職中に亡くなった役員・社員を慰霊するため、奥之院の公園墓地に建立されたとあった。(完成は1970年5月)

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 28mm ISO560)
070_250622774 X900 高野山 Z50 Z18-140.jpg 70.ゴマ豆腐を食べに
高野山の名物にゴマ豆腐がある。娘がゴマ豆腐を好きで食べに行くことになった。奥の院のバスセンターまで行って、タクシーに乗った。恵光院から中の橋の近くまで、乗ってきたのと、たまたま同じタクシーが客待ちをしていて、高野町にある「角濱」という店に行った。この写真は、席が空くのを待つ間、店の前のベンチに座っていた時に撮った写真で、ここは高野町でもメインストリートと思うが、見ての通り戸が閉まっている。人手不足なのだろうか。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 26mm ISO200)
071_250622191 X900 恵行院 G7X.jpg 71.祓川弁財天
「角濱」での食事を終え、高野山駅行のバス停で待つとき、バス通りの向こうの小高いところに写真のようなお社が見えた。高野山では珍しいお社と思い、写真に撮った。横浜に帰ってきて、スマホのGoogleレンズでその写真を検索してみると祓川弁財天と判った。祓川弁財天は、弘法大師が勧請したと伝えられ、その名は開創時に弘法大師が高野山一円の魔性をお祓いしたことに由来する。もともとこの場所は、壇上伽藍の「聖域」に入る前に身を清める祓川(はらいがわ)が流れていたとされ、川の守護神として弁財天が祀られている。高野七弁天の一つ。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 37mm ISO640 )
072_250622202 X900 高野山駅 下りケーブルカー G7X.jpg 72.高野山ケーブルカーで極楽橋駅へ
高野山駅から16時10分発の極楽橋行ケーブルカーに乗る。車両の一番前に陣取った。登って来るケーブルカーと行き交う。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 22mm ISO1000 )
073_250622216 X900 難波界隈 G7X.jpg 73.難波で夕食
難波に戻ってきたのは、夕方6時だった。一旦、今晩泊る御堂筋・本町のホテルにチェックインするか、あるいはこのまま難波で夕食にするか、迷ったが、衆議一決、難波で食べようということになった。娘の案内で地蔵通り横丁の「PESCA」というイタ飯屋に入った。荷物を取りに行かなくてはならないので、昨夜泊ったミナミ千日前のホテルの近くを選んだようだ。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO1600 )
074_250622220 X900 難波界隈 G7X.jpg 74.地蔵通り横丁
新鮮な魚のカルパッチョが旨かった。時刻は7時半、地蔵通横丁を北へぶらぶら歩いて、ホテルに向かう。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/800秒 9mm ISO3200 )
075_250622223 X900 難波グランド花月 G7X.jpg 75.なんばグランド花月
なんばグランド花月の前を通る。出演者のビッグ・ネームが並んでいる。夜は活気がある。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO1600 )
076_250622226 X900 難波高島屋 G7X.jpg 76.高島屋大阪店
荷物を取り出してタクシーに乗ろうと、歩いて南海難波駅につながる高島屋大阪店の前にでた。1898年に心斎橋で開業したのが始まりで、その後、御堂筋の整備に合わせて、1932年に現在地の南海難波駅ビルに移転した。当初は高島屋南海店と称した。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/640秒 9mm ISO3200 )
077_250622227 X900 難波 G7X.jpg 77.戎橋筋入口
この辺りでタクシーに乗った。御堂筋に出て北へ。本町にある今晩と明日の晩と二泊するホテルに入った。少々疲れたのと、夕食の時のアルコールが心地よく。シャワーを浴びて、パタンキューだった。明日は万博見物である。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 9mm ISO2000 )

 なお、この稿ををアップする数日前の、2025年8月18日の午前9時50分ごろ、私たちが大阪に入った初日(6月21日)に、夕食をしようとミナミの繁華街を歩き、太左衛門橋を渡って道頓堀川沿いに歩いたが、そのすぐ近くの遊覧船の乗り場付近の雑居ビルから出火し、消防隊員2人が亡くなられたという火災があった。6階建てビル1階の外側に設置された室外機付近が激しく燃えていたという。大阪市消防局は、ビルの1階で出火後、火は外壁に設置された広告を伝い、燃え広がった可能性があるとの見方を明らかしたそうだ。亡くなられた関係者のかたのご冥福を祈る。

 

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