2025/8/16-24 熊野大花火大会と夏の高知・佐世保クルーズ ⑦ 飫肥城下町と油津 2025年8月19日 宮崎県日南市油津 - Studio YAMAKO

2025年10月17日

2025/8/16-24 熊野大花火大会と夏の高知・佐世保クルーズ ⑦ 飫肥城下町と油津 2025年8月19日 宮崎県日南市油津

それこそ"ざっと"だったが、飫肥城城跡を見て歩いた。二度とは来れないと思うので、飫肥城歴史資料館や松尾の丸は見ておくべきだったかなと思うが、暑さと手すりのない長い石段が躊躇させた。

   城跡を見終えて飫肥城の城下町を見て歩く。最初に入った豫章館は、飫肥藩第14代藩主・伊東祐帰が藩知事に任命されたのち、城内より父・祐相とが移り住んだ屋敷だそうだ。  豫章館を見た後、まず、南にまっすぐ大手門通りを下る。左手に小村寿太郎記念館、伊東裕正の家があり、次の角を左に曲がる。そこに「蔵」と書かれた暖簾が掛けられた店があった。何か冷たいものを飲みたい一心で中に入る。メニューにアイスコーヒーがあった。ここは後でふれるが「飫肥天」の老舗だった。
 四つ角に赤いポストのある家があった。この辺りは、歴史と伝統の街・重要伝統的建造物保存地区である。
 さらに大手門通りを進むと、後町通りという道の両側にきれいな水が流れ、石垣が見事な通りに出た。そこを左へ行って見た。その溝の澄んだ水には錦鯉が泳いでいた。
 次を右に曲がって、本町商人通りへ出る。再び右へ曲がり歴史のある家々を眺めながら、大手門通りに戻り、飫肥城下町案内所から、娘がタクシーGOで読んでくれた、この車は「70万キロ走っているんですよ」と運転手が話すクラウンのタクシーに乗った。

 そのタクシーの運転手さんに「何処か見るところはありますか」と尋ねた結果、広島カープが毎年キャンプを行う天福球場とJR油津駅を周って、堀川運河にかかる堀川橋(乙女橋)を眺め、五平津神社にお参りして、船に戻った。

000_250819817 〇FUJI船尾 G7X.jpg
船尾に掲げられた旗  上はバハマ国旗 下のアルファ旗は港での安全や停泊中の規則として掲げる旗 
2025年8月19日 宮崎県日南市 油津港

104_250819707 X900 小村寿太郎記念館 D50.jpg 104.小村寿太郎記念館
大手門通りを、大手門を背に南へ歩くと、小泉寿太郎記念館があった。門を入ったところに咲くヒギリ(緋桐)の赤い花が綺麗だった。原産地はインドなど熱帯アジアでシソ科のクサギ属だそうだ。小村寿太郎は飫肥藩出身の明治時代の外交官・政治家で、 ポーツマス条約締結、日英同盟締結、そして幕末からの不平等条約改正による関税自主権の回復に尽力した。ハーバード大学で法律を学び、外務次官や駐米・駐露公使などを歴任した後、外務大臣として活躍し、日本の国際的地位の確立に大きく貢献した。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 32mm ISO220 )
105_250819711 X900 〇おび天「蔵」 D50.jpg 105.「飫肥天」
「蔵」という暖簾のかかった歴史のありそうな店は、江戸時代に飫肥藩の藩役所の置かれたというところにあった。そこは郷土料理の店だ。立て看板に書かれた「おび天」を「えび天」と見誤ってしまい、蕎麦屋かと思った。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 22mm ISO200 )
106_250819712 X900 〇おび天「蔵」 D50.jpg 106.「飫肥天」の実演販売
お店には叱られるかもしれないが、「飫肥天」とは言って見れば、さつま揚げである。Wikipediaを見ると、「飫肥藩領であった江戸時代に領民たちによって案出され、飫肥地方に伝わる料理である。もともと飫肥周辺では味噌を使う料理が多く、南西諸島からの移住者を中心に19世紀半ばにサトウキビの栽培が始まったことなどを背景に、味噌と黒砂糖を使う飫肥天が誕生したと考えられている」とあった。イワシ・アジ・シイラ・サバ・トビウオ・サワラなど日向灘の近海でとれる大衆魚を丸ごとすり身にしたものに豆腐を混ぜ、味付けに味噌や醤油、黒砂糖を加えて揚げて作る。見た目は薩摩揚げに似ているが、豆腐が入っているため薩摩揚げに比べて柔らかく、ふわりとした食感で、少し甘めで独特の味わいがある。いくつか買ってそこで食べてみたが、甘みがあり、うまかった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO1800 )
107_250819717 X900 建造物群保存地区 D50.jpg 107.歴史的建造物と紅いポスト
いまどき、赤い郵便ポストは目を引く。ここは何の建物かと近くへ行って見ると、カフェだった。この建物も飫肥城下町歴史的建造物だ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR プログラムオートで撮影  ( f7.1 1/500秒 36mm ISO200 )
108_250819720 X900 〇鯉泳ぐ建造物群保存地区 D50.jpg 108.後町通り -1
写真は紅いポストのある十字路から大手門通りの右(西)側の「後町通り」を見たところである。美しい石垣が続く。城下の形成は、天正15年(1587年)に飫肥藩初代伊東祐兵が豊臣秀吉から飫肥を領地として与えられてから、本格的に建設が進んだと考えられている。飫肥城近くから上級家臣、中級家臣、町屋、下級家臣の屋敷地となっている。石垣のほとんどは、「肥石」と呼ばれている溶結凝灰岩が使用されている。後町通りは見どころの一つだそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 25mm ISO220 )
109_250819723 X900 鯉泳ぐ建造物群保存地区 D50.jpg 109.後町通り -2
大手門通りと後町通りの十字路を左(東)曲がった。案内図によれば、後町通りから振り返って見る十字路の向こう側は右が後藤家、少し先の左手が合屋家だ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/640秒 66mm ISO200 )
110_250819727 X900 〇鯉泳ぐ建造物群保存地区 D50.jpg 110.後町通り 鯉が泳ぐ -1
後町通りの両側には水路が作られていて、清らかの水に錦鯉が泳いでいた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 38mm ISO220 )
111_250819728 D900 ◎鯉泳ぐ建造物群保存地区 D50.jpg 111.後町通り 鯉が泳ぐ -2
この水路に泳ぐ鯉は色鮮やかで、数が多い。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 34mm ISO220 )
112_250819736 X900 〇鯉泳ぐ建造物群保存地区 D50.jpg 112.後町通り 鯉が泳ぐ -3
振り返って鯉が泳ぐ水路を見る。石垣と白い壁の塀が美しい。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.8 1/500秒 54mm ISO360 )
113_250819740 X900 〇高橋源次郎家 建造物群保存地区 D50.jpg 113.旧高橋源次郎家
鯉の泳ぐ道を右に折れて、本町(商人)通りへ出た。とにかく歩いていると暑い。そろそろ戻ろうと、その道を右(西)へ曲がると右側に旧高橋源次郎家があった。飫肥城下町の町家筋である本町通りのほぼ中央に南面して立地している。飫肥の実業家で貴族院議員高橋源次郎が建築した。主屋の屋根は寄せ棟で飫肥地区において、それまで茅葺きであった民家が瓦葺きへ転換していく初期の建築としても価値が高いと言われる。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 18mm ISO200 )
114_250819746 X900 明治三十六年創業 建造物群保存地区 D50.jpg 114.地味噌・地醤油の安藤商店
路の向こう側には、創業明治三十六年・富士安と暖簾に書かれた商店が見えた。飫肥は昔から味噌がよく料理に使われ、「飫肥の天ぷら」(飫肥天のこと)にも味噌が使われている。この店には「麦味噌」、麦・米・玄米に餅米等を加えた「合わせ味噌」の他に、一風変わった「黒豆味噌」というものがある。また、厳選素材を昔ながらの製法、天然醸造でじっくり手間と時間をかけて造られた「手作り一番搾り丸大豆醤油」、刺身の持ち味を生かす「刺身甘口醤油」がある。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.8 1/500秒 47mm ISO380 )
115_250819747 x900 小村寿太郎生誕の地 建造物群保存地区 D50.jpg 115.小村寿太郎生誕地碑
大手門通りに戻ってきた。本町通を右に曲がったところに小村寿太郎生誕地碑があった。碑のおもてには元帥東郷平八郎の書で、裏面には小村の親友杉浦重剛の詩文が記されている。内容は、ポーツマス条約の仕上げとして清国との交渉に向かう小村に対して、小村の人柄を賞賛するとともに激励と日本人の期待を託したもの。生家は、大手門から東に続く、残念ながら今回は歩かなかった武家屋敷通りに移築されている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f8 1/500秒 30mm ISO220 )
116_250819751 X900 旧山本猪平家 建造物群保存地区 D50.jpg 116.旧山本猪平家
大手門通りの本町商人通りと後町通りの間で見た明治の商人屋敷だ。飫肥の豪商(材木商)であった山本猪平が明治40年(1907年)頃に建築した商家の本宅で、ほぼ建築当初のまま残されているという。飫肥の商人屋敷を現代に伝える遺構として貴重なものといわれる。旧山本猪平家は、明治40年代に豪商山本猪平が、隣接する小村寿太郎生家が没落した際に、土地を買い取り新築したものだそうだ。昭和4年に増築した以外は、ほぼ建築当初のままであるという。平成9年に市が公有化している。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO220 )
117_250819755 X900 油津駅 D50.jpg 117.JR油津駅
9時過ぎから飫肥城跡および飫肥城下町を歩いて、お昼少し前に観光案内所へ戻り、タクシーを呼んだ。このまま船に帰るのも早すぎるので、どこか油津で見るところがあったらと運転手さんに問いかけてみたところ、鵜戸神宮はどうですかと推された。鵜戸神宮は日南海岸の断崖に建つ朱塗りの本殿が印象的な神社のようだが、歩く道が厳しそうなので、敬遠する。では、広島カープがキャンプをする天福球場へ行って見ましょうということになった。写真はJRの駅舎で、カープ色になっていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 64mm ISO400 )
118_250819756 X900 天福球場 油津 D50.jpg 118.天福球場
天福球場の前には広島カープの監督・選手の大きなパネルが置かれていた。観光客も写真を撮る所だそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 18mm ISO220 )
119_250819762 X900 天福球場 油津 D50.jpg 119.JR油津駅駅舎
JR油津駅は、地域住民の有志によってカープカラーの赤色に塗り替えられたことから「カープ油津駅」として知られている。駅舎の正面には球団のロゴが入れられ、球団マスコットのカープ坊やのタペストリーも飾られていろ。駅ではカープグッズが販売され、球団の応援ムードが感じられ、ファンだけでなく観光客にも人気のスポットだそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 24mm ISO220 )
120_250819766 X900 堀川運河 堀川橋 油津 D50.jpg 120.堀川運河と堀川橋(乙女橋)
タクシーは日南市の観光案内所に寄ってくれた。少し歩いて堀川運河と乙女橋を見て来ようということになったが、私の奥さまは少々疲れたと言って、ここで待っているという。堀川運河は、宮崎県日南市の広渡川と油津港とを結ぶ全長984m、幅約30mの運河。江戸時代初期に木材を運搬するために開削された。堀川橋は、堀川運河に面して祭られている吾平津神社(乙姫神社)前に架かる石橋で乙姫橋とも呼ばれる。かつては、油津の港と南郷町や串間市を結んだ幹線道路の橋でもあったが、海岸寄りに私たちも渡ってきた国道220号の港大橋が竣工して静かな橋の姿を運河に映している。石橋の架設により取付道路が嵩上げされた結果、堀川運河沿いの家は二階を入口とする造りとなった。油津の景観にとって欠くことのできない存在で,町のシンボルにもなっているという。登録文化財。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/640秒 71mm ISO200 )
121_250819770 X900 五平津神社 油津 D50.jpg 121.吾平津神社(あひらつじんじゃ) -1
堀川橋を渡ると吾平津神社があった。ここは映画「男はつらいよ・寅次郎の青春」第45作のロケ地だそうだ。マドンナは後藤久美子と風吹ジュンだった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/500秒 30mm ISO200 )
122_250819772 X900 五平津神社 油津 D50.jpg 122.吾平津神社(あひらつじんじゃ) -2
吾平津神社の創建は 709年。もともとは乙姫大明神とよばれていたそうだ。主祭神は吾平津毘売命(あひらつひめのみこと)で、神武天皇(かむやまといわれひこ)の妃であり、神武天皇が大和朝廷をおこすため東遷された時に、同行せずこの地に残り東遷の成功を祈り成就されたことから、諸祈願成就の神として信仰されているそうだ。本殿に上がる石段の手前にある鳥居の手前に五平津媛(あひらつひめ)の像があった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/500秒 30mm ISO200 )
123_250819776 X900 クマソ 五平津神社 油津 D50.jpg 123.五平津神社のクロマダラソテツシジミ
五平津神社の石段を上がって、本殿にお参りした。そこにクロマダラソテツシジミが開翅していた。ちょっと擦れていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 140mm ISO280 )
124_250819778 X900 クマソ 五平津神社 油津 D50.jpg 124.野口雨情碑
野口雨情に関わる碑はいろいろなところにある。ここは日南市春日町の野口雨情が日南を訪れたとき、「水と筏を 堀川橋の 石の手すりは見て暮らす」と詠んだ野口雨情の歌碑だ。見ては来なかったが飫肥の本町通りにも野口雨情詩碑というのがあったようだ。東京の武蔵野市の井の頭公園にもあるし、茨城県の潮来市にも歌碑があるようだ。水戸には生誕百年記念碑がある。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 24mm ISO200 )
125_250819779 X900 油津港岸壁 油津 D50.jpg 125.油津港へ戻る
午後1時少し前に油津港に戻ってきた。日南の名産品を並べた出店が並んでいた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f8 1/500秒 24mm ISO220 )
126_250819835 X900 〇出港離岸 午後5時 G7X.jpg 126.油津港のチップ集積所

今朝、港に着いた時に何が積まれていて、何故こんなにトラックが集まっているのかと思った。タクシーの運転手さんに聞いたのだが、油津には王子製紙グループの日南工場がある。王子製紙グループはここ日南市油津港にチップヤード(チップ置き場)を持つ「王子製紙(株)日南工場」を運営しており、港の近くでチップの作業を行っている。木材チップを積んだ船を受け入れているのだ。輸入先は針葉樹チップでは米国とオーストラリア、広葉樹チップではベトナムという。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影  ( f3.2 1/25秒 9mm ISO125 )
127_250819847 X900 ショウ 太鼓小泉謙一と横笛朱鷺たたら G7X.jpg 127.今夜のショータイムは「日本太鼓と横笛の演奏」
今日の夕食は、娘たち夫婦が、三國シェフ監修のフレンチをご馳走してくれた。ジャケットを着てネクタイをして、レストラン北斎で夕食だった。夕食後はショーを観たが、この日の夜は、太鼓ソリスト・小泉謙一さんと、篠笛は朱鷺たたらさんだった。内容のある演奏だった。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影  ( f7.1 1/10秒 37mm ISO125 )

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