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2024年1月 1日

2024年 新年のご挨拶

令和6年 みなさま明けましておめでとうございます

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「ウィンナー・ワルツオーケストラ new year 2023 宮殿祝賀コンサート」 開演前
  2023年1月3日 撮影 東京オペラシティコンサートホール


コロナ禍4年目の昨年、冬になってまた感染者数は増え、第8波となり、日本全国の感染者は累計3千万人を超えました。しかし、春になると感染者数は著しく減少し、5月8日から「5類感染症」に移行され、行動制限も緩和されました。ですが、お盆休みを挟んで再び増加傾向となり、感染者数は5類になって最高になりました。その前後に私どもは6回目、7回目のワクチン接種を受け、幸い今日まで感染せずに過ごしてきました。秋の行楽シーズンには多くの外国人観光客が日本を訪れています。

 昨年もいろいろなことがありました。最も痛ましいことは、パレスチナのイスラム組織ハマスが10月7日、ロケット弾や戦闘員の侵入によってイスラエルへ大規模な攻撃を仕掛け、それに対するイスラエルが報復を開始したことです。死者は2万人を超えています。一方、ロシアのウクライナへの軍事侵攻開始から1年10か月がたち、市民の死者はすでに1万人を超えています。
 5月20日にはゼレンスキー大統領がG7サミット開催中の広島に到着し、岸田首相と会談したのをはじめとして、サミット2日目には各国首脳と相次ぎ会談しています。


 はじめに昨年の世界的な異常気象について振り返ってみたいと思います。

 昨年はほんとに暑い夏でした。もちろん、ところによって異なりましたが、東京の場合は昨年7月~9月の最高気温(月間平均)は、いずれも観測を始めた1875年以降で1位の記録だそうです。35℃を上回る猛暑日は22日もあり、真夏日は90日もありました。私が住む横浜市では、猛暑日は1日だけだったのですが、30℃以上の真夏日は37日ありました。7月10日、八王子では39.2℃の猛烈な暑さでした。
 昨年の日本の平均気温は、統計開始以降最高となりました。平年より、1.34℃高かったそうです。これは、春から秋にかけて上空の偏西風が平年に比べて北寄りに流れ、日本付近が暖かい空気に覆われやすかったことや、日本の南で高気圧の勢力が強かったことが要因とされています。

 2023年の世界の平均気温も、1891年の統計開始以降、2016年を上回り、最も高い値となりました。世界の年平均気温は、様々な変動を繰り返しながら上昇しており、長期的には100年あたり0.76℃の割合で上昇しているといいます。特に1990年代半ば以降、高温となる年が多くなっているそうです。

 11月にはアラブ首長国で、世界の200近い国と地域のほとんどの代表が集まるCOP28が開催されました。気候変動にさらされるカリブ海に浮かぶ人口28万人の島国バルバドスのモトリー首相は、いまの気候変動は死刑宣告に等しい。気候変動によって海面が上昇し、年々海岸線が浸食されている。国の主要産業の観光業にも深刻な影響が広がっているとして、「安全な地球 それが望み」と訴えました。

 今回のCOP28でも日本はまた「化石賞」を受賞してしまったようです。原発のこともありますが、化石燃料の使用を削減するために、日本は非化石エネルギーの技術的な開発で世界をリードし、世界で指導的な立場の国になることを期待したいです。
 全日本空輸(ANA/NH)は12月25日、羽田-八丈島線で代替航空燃料「SAF(Sustainable Aviation Fuel:サフ、持続可能な航空燃料)」を活用した運航を始めたというニュースがありました。期待したいと思います。
 という私もガソリン車を運転し、化石燃料なしでは生活して行けない人間になってしまっていますが、二酸化炭素排出が地球温暖化、地球沸騰化の原因であるとするなら、なんとしてもそれを防がなくてはなりません。

 事象は気温だけではありません。関連して、世界では洪水や、山火事などの大きな被害が出ています。
 日本でも台風6号や、7号などにより、線状降水帯が発生し、大雨の被害が出ていますが、イタリア北部、スペイン、中国湖北省の大雨、パキスタンでは記録的な大雨で国土の3分の1が冠水したとされています。秋にはブラジルでサイクロンによる大雨で大洪水となり32名が死亡しています。リビアでは、大雨でダムが決壊し、洪水で5,300人が亡くなり、1万人が行方不明と伝えられました。このほかにも大雨による多くの被害が報じられています。

 その一方で、日本の近畿地方の水瓶である琵琶湖では深刻な雨不足で、水位は12月26日午前6時の時点で基準となる水位からマイナス75cmとなり、例年のこの時期の平均を40cm下回って、滋賀県が「渇水対策本部」を設置する目安まで下がっているそうです。幻の城の跡が姿を現したとも伝えられます。

 8月のハワイのマウイ島の山火事は100人近い方が亡くなりました。また、ギリシャ、カナダ東部、カナダ北部、スペイン領カナリア諸島、トルコなどでも大きな山火事が発生したと伝えられています。
 また、11月にはパプアニューギニアで大規模な噴火があり、日本への津波の影響も心配されました。12月には、インドネシアのマラピ火山の噴火で登山者11人が死亡したと報じられました。
 直近では、アイスランドの南西部レイキャネスにある火山が12月18日噴火し、溶岩と煙が噴出しました。大地はおよそ4キロにもわたって裂け、噴き出す溶岩の高さは100m以上にもなっていると伝えられています。その前の数週間に、火山活動に伴う地震が頻発しており、レイキャネスの住民約4,000人は先月既に避難しており、近隣の地熱温泉施設も閉鎖されているそうです。

 身近なことで異常気象を感じることとして、東京で平年より10日も早い3月9日に桜の開花宣言がありました。また、私が住む横浜などでは、季節外れの10月下旬に、ソメイヨシノやカワヅザクラが、数輪の花を咲かせました。
 今年はクマが人里に現れ、人的被害が統計開始以降最多となっていると聞きます。クマの主要な餌であるブナの実(ドングリ)が「大凶作」であることが指摘されています。


 さて、スポーツでは明るい話題が多くありました。

 まず、野球はWBCの優勝に始まり、大谷選手の大活躍です。米大リーグ・エンゼルスの大谷翔平選手は44本塁打で日本人初の本塁打王に輝きました。また、史上初となる2度目の「満票」でアメリカン・リーグ最優秀選手(MVP)に選出されました。さらに、メジャーリーグ選手会選出のア・リーグ最優秀野手、シルバースラッガー賞、オールMLB・ファーストチームの先発投手/指名打者部門で選出、ハンク・アーロン賞など数々の名誉ある賞を受賞しました。そして、ドジャースと10年契約の7億ドル(約1,015億円)で入団が決まりました。凄いとしか言いようがありません。

 日本のプロ野球では、阪神タイガースが38年ぶりの日本一に輝きました。

 そして、同じく甲子園で、私の出身校である慶應義塾高校が、107年ぶりで優勝しました。神奈川県の代表決定戦も逆転で劇的に勝利し、甲子園に出場、仙台育英高校に勝利して107年ぶりに優勝するまで、毎試合TV中継を見て応援しました。感動し、嬉しかったです。  しかし、10月に鹿児島で行われた秋の国体1回戦で、再び仙台育英と対戦した慶応は、オール3年生で臨み、7回コールドで完敗しました。仙台育英の選手や関係者はどう思われたか、ちょっと気がかりです。

 スポーツ界はこれ以外にも明るい話題があります。女子やり投げの北口榛花選手は、2023年8月23日に行われたブダペスト世界選手権大会で、66m73の大投てきを見せ、日本の陸上女子フィールド種目でオリンピック・世界選手権を通して史上初となる金メダルを獲得しました。今年のパリ・オリンピックでの活躍が期待されます。

 12月のフィギュア・スケート世界選手権で、男子シングルで宇野昌磨選手、女子シングルで坂本花織選手がともに日本史上初の連覇達成です。
 バスケットボール日本代表はアジア1位で、2024年パリ・オリンピック出場権を48年ぶりに自力での獲得しました。バスケットボールがこんなに面白いスポーツであることを知りました。
 12月に帯広で行われたワールドカップ第4戦で、女子1,500mでは高木美帆選手が優勝して今シーズン4連勝を記録、また、男子500mでは新濱立、森重航、村上右磨の各選手が1位から3位まで独占しました。

 卓球では、パリ・オリンピック女子の個人戦出場は早田ひな選手の代表は揺るぎませんが、あと1名の代表枠を平野美宇、伊藤美誠、そしてダークホースとして張本美和の3選手が熾烈なポイント獲得を競ってます。今月行われる全日本選手権で決まります。

 そして、暮れの26日に行われたボクシングで、井上尚弥選手は、スーパーバンタム級の4団体王座統一戦で10ラウンド、ノックアウト勝ちし、史上2人目となるバンタム級に続く2階級での主要4団体の王座統一を成し遂げました。2階級で4団体統一を果たしたのはこれまで、ことし7月にスーパーライト級に続いてウエルター級でも達成したアメリカのテレンス・クロフォード選手のただ1人で、井上尚弥選手は2人目がそうです。国民栄誉賞の声が出そうです。

 私は囲碁、将棋は不調法なのですが、藤井聡太さんの史上初八冠達成というのも、昨年の大きな話題となりました。囲碁はオリンピック正式競技化を目指しているそうですが、将棋もスポーツと思います。

 話は飛びますが、暮れが近づくにつれ、岸田内閣の支持率が25%と過去最低となってしまいました。
 私は、詳しく理解しているわけではありません。感想として述べるのですが、岸田首相は、外交・安全保障を唱え、自由で開かれた国際秩序の維持・強化のための外交を積極的に展開していきたいと、海外へも積極的に出かけ各国首脳と情報交換し、広島でのG7サミットでは、「核兵器のない世界」の実現に向けた歩みを訴えました。活動されていると思います。 新しい資本主義 賃上げや企業の投資意欲など足下の前向きな動きを更に力強く拡大すること、こども・子育て政策 少子化は我が国の社会経済全体に関わる先送りのできない「待ったなしの課題」であることを唱えて、進められてきましたが、今一つその声は国民に届いていないようでした。
 そんな時に、自民党の派閥の政治資金パーティー収入が収支報告書に記載されていないという不正問題が持ち上がりました。東京地検による家宅捜査や、関係者の事情聴取が行われています。東京地検は本気で捜査しているようです。
 いわゆるパーティー券売り上げのキックバックを得ていた閣僚は辞職に追い込まれました。
 こうなったのは、自民党という組織、閣僚のガバナンスが甘かったのだろうと思います。
 首相一人ではできません。国民に選ばれた議員さんによる、国民に届く、国民のための政治を、その全員で目を開いて、襟を正して行って欲しいと思います。岸田首相にはリーダーとして、毅然とした立場で改革の推進力になっていただきたいと考えます。

 日本のドル建てGDPは去年、世界全体に占める割合が過去最低の4.2%になり、統計が比較可能な1980年以降で最も低くなりました。2023年はドイツに抜かれ世界4位に後退です。円安で、ドルに換算した場合のGDPが目減りしたことが影響したようですが、2022年のドル建て国民一人当たりのGDPは何と21位だったそうです。


 さて、最後にわたくしの趣味についてです。
 体力も衰えてきていますので、好きな蝶の撮影も高山蝶など珍しい種を撮るために、難しいところへ行くのは困難になっています。もっぱらマイカーで高尾山周辺、箱根などの近いところへ日帰りで行くほかは、近所の公園へ出かけています。普通種をできるだけきれいに撮影してやろうと、シャッターを押しています。それでも昨年は夏にマイカーで入笠山へ行ったのと、バスを利用して上高地へ行ってきました。北海道や先島諸島へも行きたい気持ちはあるのですが足が伸びません。

 秋になるとチョウの数が増えます。特に昨年秋は近くの公園で、多くのチョウが目を楽しませてくれました。鮮やかな黄色のセイタカアワダチソウに、赤銅色のキタテハの秋型が飛来して、蜜を吸う姿は私の好きなシーンです。秋には自宅付近で、約20種のチョウを撮影しました。

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2023年に近くの公園などで撮影したチョウたち

2020年、2021年と、南国のチョウであるクロマダラソテツシジミが我が家の周辺で何回も見られたのですが、一昨年は全く見ることが出来ませんでした。ところが昨年の秋に、数は少ないながらまた見ることが出来ました。これも地球温暖化のなすところなのでしょうか。


 さて、今年はどんな年になるのでしょうか? まずは、ウクライナとロシア、イスラエルとハマスの争いが終わることを祈ります。みなさまにとって令和6年が平穏な良い年になることをお祈りいたします。

 本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

2023年3月27日

旅行 高松→丸亀→鞆の浦→尾道 ①横浜から栗林公園へ

3月12日に香川県の丸亀で娘の婿殿の家の法事があり、旅好きの私たち老夫婦も厚かましく同行することになった。
 3月11日、新横浜8時21分発の「ひかり」に乗る。娘たちとは岡山駅の在来線ホームで待ち合わせだ。私たちは「大人の休日」の3割引きを利用するので、「のぞみ」は利用しない。
 無事、娘たち夫婦と合流し、岡山からは瀬戸大橋線のマリンライナーに乗り換え、高松へ向かう。1時間ほどで高松に着いた。学生時代に同じ釜の飯を食った友人が高松にいる。その友人の家は、高松で代々続く老舗の料亭「二蝶」で、夜はそこで夕食をしようと、予約をしていた。
 高松の駅前で讃岐うどんで簡単な昼食を済ませ、歩いて今宵泊まるホテルに行った。荷物を置いて、ホテルでタクシーを呼んでもらい、栗林公園に着いたのは午後3時だった。高松には2回ほど行った事があるが、栗林公園へは行く機会がなかったので、今回は是非訪れたかったのだ。栗林公園に着くと「二蝶」から伝えてもらっていたボランティア・ガイドさんが待ってくれていた。
 午後4時に園内の「掬月亭」に着いた。ここも「二蝶」が経営している。目の前に広がる南湖という美しい池を眺めながらお抹茶をいただいたあと、南湖のほとりを歩いて、栗林公園を退出し、いったんホテルに戻り、チェックインを済ませて、すぐ近くの「二蝶」へ向かった。家族4人と、今は代替わりしている友人夫妻も交えて、楽しい食事の時間を過ごした。
 今回の旅は載せたい写真が100点ほどあるので、続きは何回かに分けて載せていく。

000_230311424 X700 栗林公園 北湖 夫婦松 Z50 Z18-140.jpg
栗林公園 北湖と夫婦松 2023年3月11日 香川県高松市

001_230311003 X900 〇新幹線 G7X.jpg 1.大きな富士山(車窓から)
この写真を撮ったのは9時少し前である。三島を過ぎたあたりだった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.0 1/1250秒 37mm ISO160 ) 露出補正 なし
002_230311011 X900 〇新幹線 浜名湖 G7X.jpg 2.浜名湖 -1 (車窓から)
浜松駅をでて、しばらくすると右側の車窓に浜名湖が見えてきた。ここらが浜名湖が一番広く見えるところだ。向こう側は三ケ日の方だろう。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.0 1/1250秒 15mm ISO125 ) 露出補正 なし
003_230311015 X900 〇新幹線 浜名湖 G7X.jpg 3.浜名湖 -2 (車窓から)
浜名湖のボートレース場を過ぎた。浜名湖ともお別れだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/1250秒 15mm ISO125 ) 露出補正 なし
004_230311018 X900 〇新幹線 伊吹山 G7X.jpg 4.伊吹山 -1 (車窓から)
関が原のあたりから雪をかぶった伊吹山の山頂が見えていたが、関が原を過ぎるとその全容が見えた。伊吹山は滋賀県米原市、岐阜県揖斐郡揖斐川町、不破郡関ケ原町にまたがる伊吹山地の主峰(最高峰)で標高1,377 mの山である。滋賀県で最も高い山だ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
005_230311021 X900 新幹線 伊吹山 G7X.jpg 5.伊吹山 -2 (車窓から) 新幹線に乗り込んだ時、この日は天気が良いので車窓から富士山と浜名湖と伊吹山の写真を撮りたいと思っていた。間もなく米原を通過だ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.0 1/1250秒 28mm ISO125 ) 露出補正 なし
006_230311030 X900 新幹線 岡山駅 特急しおかぜ G7X.jpg 6.岡山駅
婿殿たちの乗る「のぞみ」は私たちが乗った「ひかり」の6分後に岡山に到着する。在来線のホームで無事合流した。ホームで見る車両は見慣れている関東の車両と違っている。これは12時35分発の特急「しおかぜ」松山行だ。「しおかぜ」は、JR四国およびJR西日本が岡山駅 - 伊予西条駅・松山駅を宇野線・本四備讃線(瀬戸大橋線)・予讃線経由で運行している特別急行列車である。車両は8600系。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 14mm ISO1000 ) 露出補正 なし
007_230311041 X900 〇瀬戸大橋線 G7X.jpg 7.瀬戸大橋線
4人は瀬戸大橋線高松行の「マリーンラーナー」に乗車した。児島から瀬戸大橋を渡る。瀬戸大橋は、本州の岡山県倉敷市と四国の香川県坂出市を結ぶ10の橋の総称である。瀬戸内海をまたぐ本州四国連絡橋の児島・坂出ルートにあたり、橋の大部分は香川県に属する。1988年(昭和63年)に全線開通。それにより初めて四国と本州が陸路で結ばれた。橋には道路と鉄道が通り、鉄道道路併用橋としては世界最長である。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1250秒 12mm ISO250 ) 露出補正 なし
008_230311052m X900 〇瀬戸大橋線 坂出 川崎重工 G7X.jpg 8.坂出工業地帯(番の州臨海工業団地)
瀬戸大橋を渡り坂出の近くになる。ここは瀬戸大橋のたもとにある香川県随一の大型コンビナート工業団地で、620haの広大な用地を整備している。大型生産拠点の誘致を図るため、工業用水の整備や大口の電力供給が可能な工業団地だそうだ。川崎重工(造船)の工場が見える。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/1250秒 28mm ISO125 ) 露出補正 なし
009_230311371 X900 高松 栗林公園 Z50 Z18-140.jpg 9.栗林公園へ
最初に記した通り、栗林公園の入り口には午後3時ごろ着いた。ボランティア・ガイドさんの受付に行くと、ベテランガイドのOさんが待っていてくれた。さっそく園内に入る。案内板の前でOさんから園内の鑑賞コースの説明を受ける。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 23mm ISO110 ) 露出補正 なし
010_230311381 X900 高松 栗林公園 大禹謨 Z50 Z18-140.jpg 10.商工奨励館
園内に入って、まっすぐ西へ向かう。大きな木の向こうに見える建物は商工奨励館という。江戸時代には歴代高松藩主が藩の文化を生み育て、発信する場でもあった栗林公園に、 商工奨励館は、明治32年(1899年)に建てられた延床面積1,262㎡の建物で、当時は「香川県博物館」として使用されていた。宇治の平等院鳳凰堂のように左右対称の造りになっており、日本古来の建築様式のなかに西洋的技法も見受けられる。昭和13年(1938年)には現在の「商工奨励館」と名を改めた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.0 1/500秒 25mm ISO110 ) 露出補正 なし
011_230311390 X900 高松 栗林公園 大禹謨 Z50 Z18-140.jpg 11.商工奨励館 本館 大禹謨(だいうぼ)
写真は商工奨励館の本館である。本館2階では、讃岐の家具をこよなく愛し、昭和30年代には「讃岐民具連」に参加した米国の家具デザイナー、ジョージ・ナカシマが手掛けたテーブルや椅子が展示されている。本館の奥に北館、向こう側に西館、手前に東館がある。ガイドさんが「大禹謨」の説明をしてくれた。商工奨励館中庭に「大禹謨」と刻まれた高さ60㎝くらいの石が立てられている。西嶋八兵衛は、江戸時代の初め、伊勢藤堂藩から讃岐生駒藩へ招かれ、多数のため池を造り、新田の開発を行うなど偉大な業績を残した人。渇水で取りざたされることの多い香川県・高松だが、市内を流れる香東川は、扇状地の暴れ川であったのを西嶋八兵衛によって治められた。wikipediaによれば「禹(う)」は、中国古代の伝説的な帝で、夏朝の創始者であり、黄河の治水を成功させたという伝説上の人物である。香東川の改修工事を手掛けた西島八兵衛が、中国の治水の大聖人「禹」王にあやかろうとこの石碑を作り、工事地点に沈めたものと言われている。この工事の成功により、東側の流れの後に豊富な地下水に恵まれた土地が生まれ、やがて大規模な栗林荘に発展していった。「大禹謨」と刻まれた石碑は大正元年に偶然発見され、現在は商工奨励館中庭に設置されている。園内南庭の掬月亭では、毎年西島八兵衛の功績をしのんで「八兵衛茶会」も開催されている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/500秒 25mm ISO110 ) 露出補正 なし
012_230311401 X900 栗林公園 紫雲山 Z50 Z18-140.jpg 12.紫雲山
栗林公園は1953年に特別名勝に指定された。栗林公園の西側には標高200mほどの紫雲山がたたずみ、尾根沿いから複数の古墳が発見されるなど、古くから人との関わりが深い山である。その紫雲山の東側に江戸時代前期に作られた池泉回遊式の大名庭園、栗林公園が広がっているのだ。栗林公園の平庭部の広さは、東京ドーム3.5個分にあたる約16.2ha。これだけでも大名庭園の中では最大級だが、背景となっている紫雲山を含めた面積は、なんと東京ドーム16個分の約75haにも及び、文化財に指定された庭園の中では日本一の大きさを誇る。大きな池の周りに起伏に富んだ地形で山や谷を表現し、池の周りを散策できるように造られた大名庭園は、広い園内を回りながら様々な景色を楽しむのが最大の魅力である。広大な敷地に6つの池、13の築山を有する栗林公園は、江戸時代初期の大名庭園として優れた地割り石組みを有する南庭、明治以降に近代的な公園として整備された北庭にわかれており、それぞれの多彩な景色を堪能することができる。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.2 1/500秒 35mm ISO140 ) 露出補正 なし
013_230311395 X900 栗林公園 紫雲山 Z50 Z18-140.jpg 13.紫雲山 檜御殿跡とお手植松
商工奨励館の西側は檜御殿跡という。檜御殿跡は高松藩初代藩主の松平頼重(よりしげ)が隠居した館があったところだそうだ。その南側には お手植松があった。案内板には、前に並んでいる背丈の高い5本の松は、次の 方々が来園を記念してお手植えされた松であり、配置は向かって右から ・宣仁親王(高松宮)(大正3年) ・昭和天皇 (大正3年) ・雍仁親王(秩父宮)(大正3年) ・エドワード8世(大正 11 年、皇太子のとき) ・能久親王妃富子(北白川宮)(大正 14 年)と記されていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.0 1/500秒 18mm ISO110 ) 露出補正 なし
014_230311396 X900 栗林公園 鶴亀松 Z50 Z18-140.jpg 14.鶴亀松(百石松)
栗林公園は松の庭園と思う。wikipediaによれば、栗林公園にはクロマツ、アカマツ、ゴヨウマツなどのマツ類は約1,370本あり、手入れマツは約1,000本であるという。美しい松や、よく手入れされた松が多いが、その中でこの鶴亀松は栗林公園で最も姿が良いとされる松だそうだ。もとは家老の屋敷にあった松で、家老がこの松の手入れに熱中して遅刻したために石高を500石から400石に減らされたという言い伝えがあるそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 20mm ISO100 ) 露出補正 なし
015_230311410 X900 栗林公園 屏風松 Z50 Z18-140.jpg 15.箱松
北庭と南庭の中間あたりには松の生垣が数か所あり、箱状に仕立てられていることから箱松と呼ばれている。箱松を屏風松との間の路から見ると、複雑に絡むように枝を曲げたあと、枝を下に向けて生け垣の形を作っていることがわかる。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 44mm ISO320 ) 露出補正 なし
016_230311416 X900 栗林公園 屏風松 Z50 Z18-140.jpg 16.屏風松と箱松
横から眺めると箱松(手前)の倍ほど背丈がある屛風松が伸びている。立てられた案内板には「北側の背丈の高い松並を屏風松という。絡み合うように屈折して伸びたその見事な枝ぶりはまさに圧巻。南側に並ぶ箱松はその名の通り箱のかたちを装った松。長い年月の手入れのたまもので樹芸の粋を極めたこの箱松はほかには見られない本園ならではの景観を作っている。」と書かれていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.0 1/500秒 44mm ISO100 ) 露出補正 なし
017_230311421 X900 栗林公園 北湖 Z50 Z18-140.jpg 17.北湖(ほっこ)
栗林公園内にはいくつか池があるが、南庭ではこの北湖は南湖に次ぐ大泉水である。特に白い玉敷きの汀線の美しさを青い水面にくっきり見せている。北湖は高松松平家の2代藩主頼常(よりつね)が飢饉で苦しむ領民のために、改修工事をさせたり、珍しい木石などを持ち寄らせて食料などの報奨を与えたりしたそうだ。ここから見る北湖の対岸(東側)には芙蓉峰という築山がある。その芙蓉峰から望む北湖は、紫雲山を背景として右に前嶼・左に後嶼、その求心点には、紅の橋である「梅林橋」がある。また、右には箱松・屏風松が重なるように見え、景観をさらに厚く演出しているという。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 26mm ISO160 ) 露出補正 なし
018_230311429 X900 栗林公園 日暮亭 Z50 Z18-140.jpg 18.日暮亭
南庭を南に進むと、右側の西湖の近くに日暮れ亭が見えた。江戸時代初期の入母屋茅葺き屋根の大名茶室「旧日暮亭」が栗林公園内の南東の端にあったのをここに移築されている。江戸時代初期、高松藩2代藩主・松平頼常の時代に、吹上げの水流沿いに建てられたという「考槃亭」がルーツという歴史ある茶室だそうだ。昭和20年に現在地に蘇った。茶室内部には3畳の畳と3畳の広さの土間があるという珍しい造りで、大きな開口部である貴人口が西面にあり、大名などの身分の高い人が頭を下げずに出入りできる構造になっているという。この「日暮亭「も「二蝶」が営むそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.0 1/500秒 32mm ISO560 ) 露出補正 なし
019_230311435m X900 栗林公園 掬月亭 Z50 Z18-140.jpg 19.掬月亭(きくげつてい) -1
更に南に進むと「掬月亭」が見えてきた。西日がまぶしい。まず、wikipediaによれば、「掬月亭」は江戸時代の初期に建てられた数寄屋造りの純和風建築で、茶室を備える。もとは7棟の配置が北斗七星に似ていることから、「星斗館(せいとかん)」と命名され、歴代藩主には「大茶屋」と呼ばれていた。明治初年に北側の2棟が取り払われ、5棟になる。東南の南湖に突き出る棟が、「水を掬(すく)えば月が手にある」という中国唐代の詩の一節から名付けられた「掬月楼」にあやかり、建物が「掬月亭」に改名された。1965年(昭和40年)、伊藤要太郎の設計で保存修理を完了する。「掬月亭」は四方正面の造りで、床を低くし、壁は少なく、風通しの良い夏向きの建物である。舟をモチーフにした部屋は、へさきの雰囲気を醸し出す。亭内には第68・69代内閣総理大臣の大平正芳の自筆題字を付した「栗林園二十詠」の屏風が展示されている。南庭の中心的な存在の亭内からの眺めは絶景で、開放感にあふれるとされている。と記されている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f11.0 1/500秒 18mm ISO100 ) 露出補正 なし
020_230311441 X900 栗林公園 掬月亭 Z50 Z18-140.jpg 20.掬月亭 -2
「掬月亭」を北側から眺める。立てられた案内板には、「江戸時代初期の頃(1640年頃)に建てられた回遊式大名庭園の中心的建物であり、歴代藩主が大茶屋と呼び最も愛用した建物である。1745年に、5代藩主松平頼恭公が、中国の詩人干良史(うりょうし)の詩の一句「水を掬すれば月手にあり」からとって「掬月亭」と命名したものである。」と記されていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/500秒 18mm ISO100 ) 露出補正 なし
021_230311442 X900 栗林公園 掬月亭 Z50 Z18-140.jpg 21.南湖を巡る和船
「掬月亭」の東側は南湖が広がる。南湖は栗林公園で最も大きな泉水である。広さ約7,890㎡の南湖に舟を浮かべて巡る南湖周遊和船が人気がある。今回も「二蝶」に頼んでみたが、すでに予約がいっぱいだった。湖面に映った半月を思わせる「偃月橋(えんげつきょう)」を水面から眺めるのは、また格別の美しさという。「掬月亭」と南湖のことは次回に続ける。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.0 1/500秒 115mm ISO200 ) 露出補正 なし

2022年11月 5日

日塩もみじライン 日帰りドライブ 10月20日

久しぶりの快晴。家内を乗せ、紅葉を見に日帰りドライブをした。目的地は一度走ってみたいと思っていた日塩もみじラインである。朝6時に自宅を出発し、東北道を西那須野塩原インターで下り、国道400号線を塩原温泉へ。そこから日塩もみじラインを鬼怒川へ向かった。今がベストと思って出かけたが、少し時期尚早で、残念ながら日塩もみじラインの紅葉はいまいちだった。途中もあまり見どころはなく、標高1,170mの白滝を見た後は、カーブが続く山道をあっという間に鬼怒川温泉まで下りてきてしまった。
 東武鉄道の鬼怒川温泉駅の標識が出てきたので、それに従って進み、駅前の駐車場の車を停め、何を食べようかとぶらぶら歩いてみた。今年8月オープンした斬新な店、金谷製菓本舗のカフェがあった。そこで昼食にする。
 余談になるが、日光金谷ホテルと鬼怒川金谷ホテルとの関連に興味を持った。以下に「KANAYA RESORTS」のホームページを引用させていただいた。

「1871(明治4)年、日光東照宮の楽人(雅楽の奏者)だった金谷善一郎と、日光見物に来て宿がとれず途方に暮れていた一人の外国人との運命的な出会いがありました。この外国人が「ヘボン式ローマ字」の発案者として有名なヘボン博士でした。善一郎は、彼から「国際的観光地として日光が発展するためには、外国人観光客を受け入れる宿泊施設が必要である」と助言を受け、自宅の一部を外国人に提供し、1873(明治6)年、「カッテージ・イン」と名付け宿を始めました。このことが、当社のルーツとなる、日本におけるホテルの起源となった"日光金谷ホテル"の誕生となり、ここから"金谷のおもてなし"がはじまりました。」と記されていた。そして、金谷善一郎さんの長女である金谷多満さんと夫・正生さんの長男である鮮治さんは、1953年(昭和28年)に日光金谷ホテル株式会社から分離して、鬼怒川温泉ホテル株式会社を設立。初代社長に就任した。1978年(昭和53年)には、同じ鬼怒川温泉に鬼怒川金谷ホテルを開業した。

 観光客は多くはなかった。家内は土産物屋さんを見に行くという。私は、駅の様子を見に行った。ちょうどSL列車が到着したところだった。乗客を降ろした後、機関車の方向転換のため駅前の転車台に来るという。SL C11123 が転車台に乗って方向転換するところを見てきた。
 帰路で寄った蓮田SAはなかなか楽しかった。北海道の生チョコレートなども売っている。私は好物のクジラベーコンを買った。往復8時間ほどの運転だったが、夕方6時過ぎには自宅に戻れ、それほど疲れを感じなかった。

000_221020007 X700 日塩もみじライン エーデルワイススキーリゾート 塩原 Z50 18-200.jpg
日塩もみじラインの紅葉 2022年10月20日 那須塩原市中塩原~日光市藤原

001_221020001 X800 もみじ谷大吊橋 塩原 Z50 18-200.jpg 1.塩原ダム湖
東北自動車道を西那須野塩原インターでおりて、国道400号線を塩原温泉に向かって30分ほど走ると左に「もみじ谷大吊橋」入り口の表示があったので、誘われるように下りて行った。塩原ダム(しおばらダム)は、栃木県那須塩原市の那珂川水系箒川に建設されたダムである。1978年(昭和53年)に完成させた。ダムの型式は重力式コンクリートダム、高さは60.0 mで洪水調節、不特定利水、塩原・那須台地の農地への灌漑を目的としている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
シャッタースピード優先オートで撮影  ( f4.8 1/500秒 54mm ISO 280 ) 露出補正 なし
002_221020002 X800 もみじ谷大吊橋 塩原 Z50 18-200.jpg 2.もみじ谷大吊橋 ダム湖である塩原湖周辺は環境整備がなされており、ダム右岸には塩原ダム公園が整備された。ここに1999年(平成11年)、「もみじ谷大吊橋」が完成した。この「もみじ谷大吊橋」は箒川下流の塩原ダム湖に架かる、トラスなどの補剛桁を用いず、横に張ったワイヤーロープで強度を確保した「無補剛桁歩道吊橋」としては本州一長い全長320mの大吊橋である。トラスとは三角形を基本単位としてその集合体で構成する構造形式のこと。通行料金は、大人が1回300円だった。私たちは敬老料金で200円だった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
シャッタースピード優先オートで撮影  ( f5 1/500秒 18mm ISO 110 ) 露出補正 なし
003_221020003 X800 もみじ谷大吊橋 塩原 Z50 18-200.jpg 3.もみじ谷大吊橋 主塔
吊橋のワイヤーを支える支柱の高さは26mある。ダムはこの吊橋の東側にある。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
シャッタースピード優先オートで撮影  ( f7.1 1/500秒 18mm ISO 110 ) 露出補正 なし
004_221020004 X800 もみじ谷大吊橋 塩原 Z50 18-200.jpg 4.もみじ谷大吊橋の真ん中
南北に架かる吊橋のセンターには「温泉と滝と吊橋の町 しおばら」というプレートが張られていた。残念ながら紅葉にはまだ早かった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
シャッタースピード優先オートで撮影  ( f4.5 1/500秒 18mm ISO 100 ) 露出補正 なし
005_221020004 X800 日塩もみじライン エーデルワイススキーリゾート 塩原 Z50 18-200.jpg 5.日塩もみじライン
国道400号に戻り塩原温泉郷へ向け走る。しばらく行くと道が二つに分かれていた。カーナビに従って右側を行くとトンネルに入る。どうやらこれは新道のようで、左側の道を行くと箒川に沿って、「回顧の吊橋」「回顧の滝」「山髭の滝」「連珠の滝」といろいろ見どころがあったようだ。事前の学習不足だった。再びその旧道と合流したあと、左、鬼怒川方面への日塩もみじラインに入る。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
シャッタースピード優先オートで撮影  ( f5.6 1/500秒 24mm ISO 110 ) 露出補正 なし
006_221020005 X800 日塩もみじライン エーデルワイススキーリゾート 塩原 Z50 18-200.jpg 6.日塩もみじライン 「エーデルワイススキーリゾート」駐車場
途中、右側に「エーデルワイススキーリゾート」と看板の出ている車が1台も止まっていない駐車場があった。もみじが少し色づいているようだったので、その道路わきに車を停めてみる。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
シャッタースピード優先オートで撮影  ( f6.3 1/500秒 27mm ISO 110 ) 露出補正 なし
007_221020006 X800 日塩もみじライン エーデルワイススキーリゾート 塩原 Z50 18-200.jpg 7.日塩もみじライン -1
紅葉はいまいちだったが、西側は日光方面だろうか、山の連なりが眺められた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
シャッタースピード優先オートで撮影  ( f6 1/500秒 105mm ISO 110 ) 露出補正 なし
008_221020008 X800 日塩もみじライン 塩原 Z50 18-200.jpg 8.日塩もみじライン -2
日塩もみじラインは鬼怒川温泉と塩原温泉とを結ぶ全長28キロメートルの観光道路だ。栃木県道路公社が管理する一般有料道路・日塩有料道路(もみじライン、龍王峡ライン)となっていたが、2020年12月11日に無料開放されている。例年、紅葉の色づき始めは10月初旬で、見ごろは10月下旬前後。モミジ、カエデ、ブナ、カツラ、シラカバ、ナラ、ナナカマド、ヤマウルシ、カラマツ、ツタなどが鮮やかな赤・橙・黄色に染まるというが、まだ少し早く、その感動はなかった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f11 1/125秒 17mm ISO125 ) 露出補正 なし
009_221020009 X800 日塩もみじライン 白滝 塩原 Z50 18-200.jpg 9.白滝 -1
日塩もみじラインを塩原から半分ほど走ったところに、それほど大きな滝ではないが白滝という滝があった。紅葉が進めば眺めがよいと思う。滝のそばに「峠の茶屋」があったが閉まっていた。「峠の茶屋」の前にある「思いもみじ・思われもみじ」と名付けられた2本のもみじは、春はさわやかな新緑、秋は紅葉と毎年、多くの観光客の目を楽しませてくれるという。滝からの流れは道路の橋の下をくぐり、さらに落ちていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f9 1/125秒 17mm ISO125 ) 露出補正 なし
010_221020010 X800 日塩もみじライン 白滝 塩原 Z50 18-200.jpg 10.白滝 -2
滝の落ち口にカメラを向けると、紅葉している木々があった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f8 1/125秒 17mm ISO125 ) 露出補正 なし
011_221020011 X800 日塩もみじライン 白滝 塩原 Z50 18-200.jpg 11.白滝からの眺め 谷と山並み
滝が落ちる先は、深い谷になっていた。見える山並みは川治から尾瀬のあたりだと思う。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f11 1/125秒 20mm ISO125 ) 露出補正 なし
012_221020012 X800 鬼怒川温泉駅前 金谷菓子本舗 Z50 18-200.jpg 12.鬼怒川駅前のCafe
カーブが続く道を鬼怒川温泉まで下りてきた。鬼怒川温泉駅という標識を左に入って駅前に出た。駅前の駐車場に車を置き、昼食の場所を探す。駐車場の道を挟んで向かい側に、まだ新しそうな店が目についた。入ってみる。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f10 1/125秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
013_221020013 X800 鬼怒川温泉駅前 Z50 18-200.jpg 13.「金谷菓子本舗」
そこは、今年8月2日にオープンしたオリジナルの焼き菓子などを展開するギフトショップと、飲食やランチを楽しめるCafeを併設した「金谷菓子本舗」という店だった。鬼怒川金谷ホテル(日光市鬼怒川温泉大原)などを運営する「KANAYA RESORTS」の新店舗だった。中に入るときれいなパッケージのクッキーなどが並び、2人の店員さんがいたので「お二人も入れて、お店の写真を撮っていいですか」と許可を求めて撮った。1927年(昭和2年)、浅草から日光まで東武鉄道が開通。それに伴い日光金谷ホテルの鬼怒川支店として、鬼怒川の発展の端緒を開く形で1931年(昭和6年)に鬼怒川温泉ホテルが開業し、1953年(昭和28年)に日光金谷ホテルから独立し、独自の発展を遂げ、その後「KANAYA RESORTS」になる。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/125秒 11mm ISO125 ) 露出補正 なし
014_221020014 X800 鬼怒川温泉駅前広場 Z50 18-200.jpg 14.「鬼怒太」
鬼怒川温泉駅の駅前広場にこんな像が立っていた。何だろうと思ったら鬼怒川川治・温泉ライオンズクラブ結成40周年記念の「鬼怒太」像だった。鬼怒太の像は鬼怒川温泉のキャラクターとして2003年10月8日に登場した。見かけは少し怖けど、どこか憎めない立ち姿である。像の作者は環境陶芸家の藤原郁三氏。広場の向こう側のあずまや風の「足湯」の左側に見えるのが「金谷菓子本舗」だ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f11 1/125秒 10mm ISO125 ) 露出補正 なし
015_221020015 X800 鬼怒川温泉駅 SL大樹 Z50 18-200.jpg 15.東武鉄道SL「大樹」ふたら
食事をした後、土産物屋さんを見たいというかみさんを残して駅構内を見に行った。そうしたら、思いもかけずにSL列車がホームに止まっていた。入場券を買って中に入る。13時37分に着いた「SL大樹 ふたら」だった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5.6 1/125秒 30mm ISO125 ) 露出補正 なし
016_221020016 X800 鬼怒川温泉駅 SL大樹 Z50 18-200.jpg 16.C11123
C11形蒸気機関車は、鉄道省が1932年(昭和7年)に設計した過熱式のタンク式蒸気機関車である。C11形123号機は、もとは「C11 1」として、1947年に滋賀県の江若(こうじゃく)鉄道向けに製造された車両だそうだ。北海道の鉄道に譲渡された後、1975年に廃車。以降は日本保存鉄道協会が保有する形で、北海道で静態保存されてきた。2018年、この車両を東武博物館が取得し、東武鉄道によって、大手私鉄では初となる蒸気機関車の動態復元作業に着手した。今年4月に試運転が公開された。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f7.1 1/125秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
017_221020017 X800 鬼怒川温泉駅 SL大樹 Z50 18-200.jpg 17.転車台へ
鬼怒川温泉駅13時37着の SL大樹ふたら72号 を牽いてきた C11123 は客車を切り離し駅前広場にある転車台へ向かう。この日運行されたSL列車はこの SL大樹ふたら72号 のみだったようだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/125秒 37mm ISO200 ) 露出補正 なし
018_221020018 X800 鬼怒川温泉駅 SL大樹 Z50 18-200.jpg 18.客車
この客車は14系のようだ。SL大樹は、SLが客車3両を引っ張る定員約200席の列車で、その客車のうち12系は、1969年に製造され、その後夜行列車等での使用のため、グリーン車へと改造を行い、形式が「オハ」から「オロ」へと改められ、ムーンライト高知・松山として2009年まで使用されていたそうだ。12系のほか昭和40~50年(1965年~1975年)に製造され、JR四国から譲り受けた14系客車(スハフ14-1、スハフ14-5、オハフ15-1、オハ14-1)、JR北海道から譲り受けた(オハ14-505(ドリームカー)、スハフ14-501)が使われている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/125秒 37mm ISO125 ) 露出補正 なし
019_221020019 X800 鬼怒川温泉駅 SL大樹 Z50 18-200.jpg 19.転車台
東武鉄道ではC11を使ったSL大樹を鬼怒川温泉〜下今市間に運行する関係で、鬼怒川温泉駅、下今市駅に転車台を設備している。逆走が困難なSLの運行では転車台は終点駅には必須の施設で、SL復活運転プロジェクトにあわせてJR西日本から譲り受けた転車台だそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f8 1/125秒 37mm ISO125 ) 露出補正 なし
020_221020020 X800 鬼怒川温泉駅 SL大樹 Z50 18-200.jpg 20.転車台に入線
13時55分ごろ、駅前に設置された転車台にC11123が入ってきた。ホームで客車を切り離したあと、まっすぐ走って、バックで側線に入り、前進してこの転車台に入ってきた。見学者のために転車台に入る時刻表が掲示されていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/125秒 29mm ISO125 ) 露出補正 なし
021_221020021 X800 鬼怒川温泉駅 SL大樹 Z50 18-200.jpg 21.転車台が回転 -1
C11123と車掌車を載せた転車台が回転していく。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/125秒 22mm ISO125 ) 露出補正 なし
022_221020022 X800 鬼怒川温泉駅 SL大樹 Z50 18-200.jpg 22.転車台が回転 -2
ほぼ90度回転した。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/125秒 17mm ISO125 ) 露出補正 なし
023_221020023 X800 鬼怒川温泉駅 SL大樹 Z50 18-200.jpg 23.転車台が回転 -3
ほぼ180度の回転を終える。車掌車のヨ8634はJR貨物から譲渡を受けたものだそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f10 1/125秒 11mm ISO125 ) 露出補正 なし
024_221020024 X800 鬼怒川温泉駅 SL大樹 Z50 18-200.jpg 24.転車台が回転 -4
右側へ移動して、再び機関車を見る。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f9 1/125秒 15mm ISO125 ) 露出補正 なし
025_221020025 X800 鬼怒川温泉駅 SL大樹 Z50 18-200.jpg 25.転車台から側線へ
転車台と戻っていく側線のレールの位置を合わせ、機関車は動き始めた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f9 1/125秒 15mm ISO125 ) 露出補正 なし
026_221020026 X800 鬼怒川温泉駅 SL大樹 Z50 18-200.jpg 26.機関士さんが手を振って
手を上げたら、機関士さんも手を振ってくれた。東武鉄道では、SL機関士は2017年の運行開始当時、SLの運転免許を保有する社員がいなかったことから、 SLを従来から運転している秩父鉄道、大井川鐵道、真岡鐵道に協力を仰ぎ、6名 のSL機関士がおられるそうだ。このC11形123号機の動態復元完了によって、東武鉄道のSLはC11形3両という、日本では唯一の同一形機3両体制となった。この123号機が、「SL大樹」の運転開始時からの207号機、真岡鐵道から活躍の場を写した325号機とともに運用に入るにあたり、さらに機関士2名の自社養成が2020年12月から開始されていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f6.3 1/125秒 15mm ISO125 ) 露出補正 なし

後記 実は今回もKさんご夫妻とご一緒する予定だったが、Kさんのご親戚にご不幸があり、私たちだけで来ることになった。Kさんは栃木県のご出身で、この辺のことはとても詳しい。帰ってきて、報告がてら電話すると、「塩原から鬼怒川へ抜けたのなら逆光で走り難かったでしょう」と言われた。ご指摘の通りだった。また、鬼怒川近くへ降りてきて「龍王峡辺りは見ましたか」と聞かれたが、残念ながらナビは教えてくれなかった。ご一緒できなくて残念だった。

2022年4月11日

高野山 墓参 3月28日

3日目。娘は昨日、仕事で東京へ戻ってしまったが、娘の主人が私たちの高野山墓参に付き合ってくれた。私の兄が存命の頃は、3年に1回、親族が高野山に集まる機会があったが、9人いた父親の兄弟も高齢になり、その集まりも終了した。
 その後も数年に1回、父母、兄夫婦の眠る高野山へお墓参りに来ている。前回来たのは2018年11月だったので、3年と4か月ぶりの墓参になった。
 京阪電車、祇園四条駅発6時37分の特急に乗り淀屋橋で地下鉄御堂筋線に乗り換え難波へ出た。南海高野線の特急こうや号は8時42分発だ。駅構内でカフェに入りモーニングセットを食べたが、なかなか美味しかった。
 特急こうや号の車両は新しくなっていた。(ところが後で調べてみたところ、実は30年前に造られた車両だった)終点の極楽橋から高野山へ上るケーブルカーも新型の車両になっていた。難波駅で購入した特急券に高野山でのバスのフリー切符が付いていたので、ケーブル高野山駅からバスに乗り、まず、菩提寺である恵光院へ行った。今日は月曜日で観光客は少ない。
 恵光院の本堂で位牌にお参りした。過去帳には私がお参りした記録も残されている。  家内が昨年10月にアキレス腱を損傷し、歩行が完全ではないので、いつもは歩いて石畳の杉並木を歩き、中の橋のちょっと手前にある先祖代々の墓にお参りするのだが、今回は恵光院でタクシーを呼んでもらい、中の橋のバス停まで乗って行った。そこから、杉並木の奥の院参道に戻り、その中の橋の近くにある墓にお参りした。  杉並木の石畳を歩き、再び恵光院に戻り、タクシーを呼んでもらう。娘の小学校の同級生の母親で、家内と今も付き合いのあるかたの、若くして亡くなられた息子さん(娘の同級生)の菩提寺、正智院まで行ってお参りしてきた。
 本堂でお参りしたあと、その庭園と襖絵、掛軸など寺の素晴らしい所蔵品を見せていただいた。正智院の記述については、平成29年7月7日に発行された「霊訪館だより」に鳴海祥博氏が書かれている「高野山の古建築 第27回 正智院」を参照させていただいた。
 今回は奥の院も、金剛峯寺にもお参りはしなかった。  午後1時半になった。高野山駅へ行くバスの停留所の近くの食堂に入りそばを食べ昼食にした。この季節、高野山は肌寒い。桜もまだ咲いていない。朝早かったこともあり少々疲れた。
 帰りの特急こうや号は、15時39分迄ない。新大阪に着いたのは夕方6時近かった。

000_220328441 X700 〇高野山 中の橋 Z50 18-140.jpg
高野山参道 奥の院への杉並木 2022年3月28日 和歌山県

001_220328065 X800 南海高野線 G7X.jpg 1.特急こうや号 車内
この日は月曜日であり、電車はガラガラだった。南海高野線のこうや号はJR和歌山線(王寺~和歌山)と接続する橋本駅から先は勾配が大きく、単線になる。橋本駅 -極楽橋駅間は「こうや花鉄道」の愛称が付けられ、特に高野下駅以南は50‰の勾配、制限速度33km/h、半径100m以下の急カーブが続く登山鉄道となっており、21m級の車両は走行できないため、この区間に乗り入れる列車にはズームカーと呼ばれる17m級の中型車両のみが使用されている。(wikipediaを参照)

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
002_220328072 X800 南海高野線 極楽橋駅 G7X.jpg 2.高野山ケーブル
南海高野線の終点極楽橋駅から霊峰高野山の玄関口であるケーブル高野山駅までを結ぶ、南海電気鉄道のケーブルカー路線は通称高野山ケーブルと呼ばれるが、前回来たときに比べると車両が新しくなったようだ。2018年(平成30年)11月26日 - 2019年(平成31年)2月28日:車両の新造ならびに諸設備の更新工事実施のため運休し、その間バスで代行され、2019年(平成31年)3月1日:運行再開。車両は新造の4代目のN10・20形に置き換えられたそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/800秒 37mm ISO3200 ) 露出補正 なし
003_220328493 X800 高野山 恵光院 本堂 Z50 18-140.jpg 3.恵光院本堂 外観
ケーブルの高野山駅からバスに乗って苅萱堂前で下り、まず、菩提寺である恵光院へ行った。高台にある本堂へ上がり、位牌に参拝する。この本堂は平成3年に近藤説巌上綱により再建された。昨年、第53世近藤大玄上綱が亡くなられ、現在は近藤説秀さんが住職を務められている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 40mm ISO160 ) 露出補正 なし
004_220328080 X800 恵光院 本堂 G7X.jpg 4.恵光院本堂 内部
若いお坊さんが過去帳を開いてくれた。そして、お祀りされていた位牌をご本尊様の仏像の前に配してくれたので、お参りする。ご本尊様は、中央に阿弥陀如来、向かって右に弘法大師、左に不動明王が祀られている。左手に置かれているのは、昨年亡くなられた近藤大玄上綱のお写真。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f2.5 1/320秒 15mm ISO3200 ) 露出補正 なし
005_220328082 X800 恵光院 G7X.jpg 5.恵光院 玄関から本堂への廊下
恵光院は宿坊をしており、今はコロナ禍で泊る人も少ないだろうが、世界遺産に登録された後、外国人の客が多いようで、案内板に英語が添えられていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO800 ) 露出補正 なし
006_220328439 X800 高野山 中の橋 Z50 18-140.jpg 6.写真業界先賢萬霊の碑
中の橋バス停から、大きな杉の木の立ち並ぶ奥の院への石畳の参道へと歩く途中に、写真業界先賢萬霊の碑というのがあった。昭和31年(1956年)6月1日建立。たくさんの写真が焼き付けられている。写真業界先賢萬霊の碑と彫られた石碑の形はブローニー版のパトローネの様だ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 40mm ISO100 ) 露出補正 なし
007_220328447 X800 〇高野山 中の橋 Z50 18-140.jpg 7.中の橋
昭和27年に第二次世界大戦の戦死者を供養するために建てられた、英霊殿を背にして歩いてくると、右は奥の院弘法大師御廟、左は一の橋という案内板が立つ大きな杉の木の建ち並ぶ奥の院への石畳の参道に出る。この日は奥の院へお参りするのを割愛させていただき、墓参を優先させて左に行く。中の橋が見えてきた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 40mm ISO100 ) 露出補正 なし
008_220328449 X800 〇高野山 中の橋 姿見の井戸 Z50 18-140.jpg 8.姿見の井戸
中の橋を渡る手前の橋詰に汗かき地蔵をお祀りしているお堂があるのだが、 このお堂の右側に姿見の井戸と呼ばれる小さな井戸がある。 この井戸を覗きこんで、自分の顔が映らないと3年以内に死んでしまうといわれているのだそうだ。覗き込んでみた。映った。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO3200 ) 露出補正 なし
009_220328451 X800 〇高野山 中の橋 汗かき地蔵 Z50 18-140.jpg 9.汗かき地蔵
汗かき地蔵の説明板には、「汗かき地蔵は、常に人々の犯した罪に苦しみ、その苦しみを慈悲によって変わって受け、そのため汗を流しておられると言われています。黒っぽい石材に地蔵尊が半肉彫りされていて、実際にツユが吹いて汗が流れているように見えるときがあるようです。」と記されていた。高野山に伝わる伝承としては、奥の院への参拝者を含めた世の中全ての人々の罪を一身に背負って、代わりに汗をかいていると言われているそうだ。そしてこの地蔵堂と中の橋の向こうに、私の先祖代々の墓がある。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 24mm ISO720 ) 露出補正 なし
010_220328452 X800 高野山 中の橋 Z50 18-140.jpg 10.市川団十郎墓所
中の橋から一の橋へ参道を下がっていくと、市川団十郎の墓所があった。 「初代市川團十郎供養塔」と表示されている資料(「高野山奥の院の墓碑を訪ねて」)があるという。市川團十郎と云えば、約350年も続いているという成田屋の市川宗家であり、元禄17年(1704年)没。舞台上で役者に刺殺されたといわれている。初代が最初に眠っていた墓は、東京都港区芝公園にある常照院とされ、初代から七代目までは常照院に墓があったそうだ。九代目の市川團十郎は宗派を神道に改宗したために、亡くなった後はその公営の墓地がある青山霊園に建立された。今までの歴代團十郎が眠っていた墓地を青山霊園に移す事となり、歴代の團十郎は青山霊園で合墓となったという。では、この写真の市川団十郎墓所というのは何なのだろうか。放置されて荒れているようにも見えるが。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 24mm ISO800 ) 露出補正 なし
011_220328469 X800 〇高野山 中の橋-一の橋 Z50 18-140.jpg 11.杉並木の石畳
一の橋から奥の院御廟までの参道約1.6kmの両側にそびえ立つ樹齢約200年~600年の大杉林は、和歌山県の天然記念物に指定されている。大杉の総数は1300本を数え、樹高50m級の巨木もある。なかでも樹形材質共に優れた樹木を保存し、優良な種子穂木を確保する目的で農林水産大臣が法律に基づき、特別母樹林に指定している。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 28mm ISO450 ) 露出補正 なし
012_220328472 X800 高野山 中の橋-一の橋 Z50 18-140.jpg 12.明智光秀墓所
私が知っている明智光秀の墓は、2020年11月に訪れた滋賀県大津市坂本にある西教寺である。NHKの大河ドラマにもある。しかし、一説に、本能寺の変のあと、山崎の合戦で討ち死にしたのは影武者であり、光秀は中洞(岐阜県山県市中洞)に落ち延びて荒深小五郎と名乗り、住んでいたと伝えられていて、その後、慶長5年(1600年)、関ケ原の合戦に参戦しようとした道中、増水した藪川(根尾川)で馬共に流されて亡くなったとされているそうだ。中洞白山神社の林の中に光秀の墓とされる「桔梗塚」があり、現在まで地元の荒深氏一族によって大切に守り続けられ、年に2回供養祭が行われているそうだ。では、ここ高野山の墓所は何なのだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO250 ) 露出補正 なし
013_220328475 X800 高野山 中の橋-一の橋 Z50 18-140.jpg 13.石田三成墓所
すぐ近くに石田三成の墓があった。石田三成の墓は京都市の大徳寺三玄院にあるが、江戸時代は、徳川家が三成の墓を許さなかったようである。このため三成の墓は、土に埋められ、世の中に顔を出さなかっというが、戦前にはその墓が発掘されて遺骨も出土しているそうだ。高野山の墓は生前に長命祈願のために自身が建てた「逆修墓」だという説がある。なぜ、高野山にはこのような戦国武将の墓があるのだろうか。 和歌山歴史物語というサイトには、中には武田信玄、上杉謙信、織田信長、豊臣秀吉、伊達政宗といった戦国武将の墓もある。 これは高野山、しいては空海のそばで眠りたいとの先人たちの願いがこめられているという。高野山への納骨の風習は鎌倉時代から始まり、墓石として石造りの五輪塔が登場したのが室町時代末期。現在は江戸時代初期造立の諸大名の五輪塔が墓石群の中核となっている。これは徳川家康が高野山を墓提所と定めたため、諸大名がこぞって高野山に墓石を建てたことが大きな要因。結果、大名家の墓は110家にもおよび、その数は全国大名の約40%を占めるという。「高野山で眠りたい」という願いは一般庶民も同じ。そこで、素朴でこじんまりとした一石五輪塔を奉って願いを叶えたのだ。ほかに、織田信長、豊臣一族、明智光秀ら多くの戦国武将の墓も。皇族、貴族、大名、一般庶民と、生前の所業や敵味方は死後は一切関係なし。すべての人を等しく受け入れるのは高野山の懐の深さか。しかし、私の祖先が、なぜ高野山に墓所を持つことが出来たのだろうか? 菩提寺である恵光院の当時のご住職と、コネがあったからだと聞いたことがあるが、それ以上のことは次男坊の私にはわからない。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO250 ) 露出補正 なし
014_220328485 X800 〇高野山 中の橋-一の橋 Z50 18-140.jpg 14.陽の光が差し込む杉並木
戦国大名の墓を見ているうちに一の橋が近くなった。差し込む陽の光に杉並木が生える。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.8 1/500秒 47mm ISO900 ) 露出補正 なし
015_220328554 X800 〇高野山 正智院 Z50 18-140.jpg 15.正智院
若くして心臓病で急逝した娘の小学校時代の同級生が眠る正智院に寄った。母親同士が、その頃から今もお付き合いが続いている。正智院は、壇上伽藍の北側の奥にある静かなところだ。正智院は、天平年間(1110年~1113年)に正智坊教覚によって開基され、その中興の学僧・道範大徳は高野八傑のひとりであり、聖僧・学僧等が相次いで傑出し高野山でも屈指の学問寺院として、その法灯を守り続けた寺院という。筑前の黒田家、薩摩の島津家の帰信が厚い。本尊は阿弥陀如来。有名な国宝文館詞林 、不動明王、五銛鈴その他仏像、仏画・典籍を多数所蔵されている。岩山を背景に枯山水の庭園、客間の襖絵などを見せていただいた。ご住職がとても立派なお方だった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO250 ) 露出補正 なし
016_220328495 X800 〇高野山 正智院 本堂 Z50 18-140.jpg 16.正智院 本堂
ご住職にご挨拶して、まず御本堂でお参りをした。本堂は大楽院というお寺の本堂を移築したものだそうだ。そのため、右手の一段高い内陣の奥に大楽院の本尊が、左手の奥に正智院の本尊が祀られている。中は非常に暗かった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/8秒 18mm ISO6400 ) 露出補正 なし
017_220328498 X800 高野山 正智院 庭園 Z50 18-140.jpg 17.正智院の庭
実は前回、2018年11月にも正智院に参拝している。その時は紅葉の頃だったので鮮やかだったが、今の季節はちょっと殺風景なのは仕方がない。この庭は、重森三玲が作庭した苔と岩肌の美しい枯山水庭園で国登録名勝になっている。写真は庭のごく一部。いい写真が撮れなかった。昭和27年(1952年)に重森三玲が水墨画水面的な発想を基に作庭した。庭の正面に大きな岩山があるが、この「影向岩」(明神岩とも呼ばれる)という巨大な岩は道範大徳がこの場所で明神様(影向明神・高野明神)を感得したことから名づけられたと言われている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO200 ) 露出補正 なし
018_220328510 X800 〇高野山 正智院 美術品 Z50 18-140.jpg 18.正智院の客殿
正智院の客殿は広くて立派だった。大きな客殿は襖で仕切られ、襖を開けば連続した座敷になる。庭園に面した客間の襖絵は谷文晁や、名のある絵師によって描かれている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/60秒 18mm ISO6400 ) 露出補正 なし
019_220328521 X800 〇高野山 正智院 美術品 Z50 18-140.jpg 19.正智院の大広間の襖絵 -1
部屋を取り囲むように、広間の襖に、正智院の枯山水の庭が描かれていた。ご住職が説明してくださったのだが、撮影に夢中になり、作家の名前を覚えておくことが出来なかった。襖絵には庭の春夏秋冬が描かれ、庭の正面の大きな岩山「影向岩」に降り立つ白い束帯姿の影向明神が描かれている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/160秒 18mm ISO6400 ) 露出補正 なし
020_220328522 X800 高野山 正智院 美術品 Z50 18-140.jpg 20.正智院の大広間の襖絵 -2
明神様の左側が描かれている。部屋の広さが推し量れる。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/125秒 18mm ISO6400 ) 露出補正 なし
021_220328525 X800 高野山 正智院 美術品 Z50 18-140.jpg 21.正智院の大広間の襖絵 -3
さらにひとつ襖をあけて下さり、見せていただいたのは、庭の秋が描かれた襖画だった。そして右側の襖に冬が描かれている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/125秒 18mm ISO6400 ) 露出補正 なし
022_220328543 X800 〇高野山 正智院 美術品 Z50 18-140.jpg 22.正智院 円山応挙の掛軸
右下に「應擧」の銘が見られる。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/100秒 24mm ISO6400 ) 露出補正 なし
023_220328570 X800 高野山 壇上伽藍 金堂 Z50 18-140.jpg 23.根本大塔と八角灯篭
正智院のお参りを終え、根本大塔の後ろ側から壇上伽藍に上がった。何回も高野山に来ているが根本大塔の内部に入ったことはなかった。今朝、難波駅で購入した特急こうや号の「高野山・世界遺産きっぷ」に、高野山内バスのフリー切符のほかに根本大塔の入場割引券が付いていたので、入って見ることにした。wikipediaによれば、根本大塔は何度かの焼失の後、現在の塔は1937年(昭和12年)に空海入定1100年を記念して再建したもので1階平面が方形・2階平面が円形の鉄筋コンクリート造の16間(約30m)四面・高さ16丈(約50m)の2層の多宝塔である。中尊(左右に脇立を従えて、中央に安置される仏像)は、丈六(立像のたけが一丈六尺=約5m ある仏像。座像では、その半分の高さの仏像)の胎蔵大日如来坐像、その中尊を取り囲むように、四方に金剛界四仏の、阿閦・宝生・阿弥陀・不空成就の4如来を安置し、本来別々の密教経典に説かれている「胎蔵曼荼羅」の仏像と「金剛界曼荼羅」の仏像を一緒に安置するが、これは「金胎不二(こんたいふに)」の教えで、両者は不二一体である(根本的には1つ)という空海の思想を表したもので、堂内そのものが立体曼荼羅となっている。また塔内の柱16本には、十六大菩薩画像、壁面には真言八祖画像が堂本印象画伯によって描かれている。そして内部正面の梁には昭和天皇宸筆の勅額「弘法」が掲げられている。内部は撮影禁止であった。根本大塔の前にある「八角燈籠」は東大寺大仏殿の金銅八角燈籠(国宝)とよく似ている。楽器(横笛、尺八、鈸子、笙)を奏する音声菩薩(おんじょうぼさつ)が、鉄格子と唐草文様の透かしに浮彫で表されている。これは根本大塔の再建を記念して南海電鉄が奉納したものだそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 29mm ISO220 ) 露出補正 なし
024_220328566 X800 高野山 壇上伽藍 御影堂 Z50 18-140.jpg 24.御影堂(みえどう)
私はこの建物の姿は美しいと思う。御影堂は金堂の北側、根本大塔の西側にある。wikipediaによれば、御影堂は大師の持仏堂として創建され、天保14年(1843年)の大火で消失し、弘化4年(1847年)再建、梁間15.1mの向背付宝形造檜皮葺。空海の弟子の真如親王筆とされる弘法大師御影を本尊とし、外陣には空海十大弟子の肖像が掲げられている。堂の背後には、土蔵造りの御影堂宝蔵があり、かつては数々の霊宝や貴重な文書を保管する金庫や宝物庫としての重要な役割を果たした。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO280 ) 露出補正 なし
025_220328590 X800 高野山 壇上伽藍 Z50 18-140.jpg 25.壇上伽藍入り口
いつもはここから根本大塔の方へ歩いて行くが、今回はここから出てきた。秋には道の両側の紅葉がきれいだ。壇上伽藍へ通じるまっすぐなこの道を蛇腹道と言い、高野山では紅葉のスポットとして有名である。蛇腹道という由来は、高野山全体の寺院の並びを、蛇に見立てた時、ちょうどこの壇上伽藍に通じる蛇腹道が、蛇のお腹のあたりなるので「蛇腹道」の名前が付されたという。それにしてもこの日は観光客が少ない。こんな静かな高野山は初めてだった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 42mm ISO220 ) 露出補正 なし
026_220328593 X800 高野山 壇上伽藍 Z50 18-140.jpg 26.金剛峯寺
今回は金剛峯寺は参拝しないで失礼した。金剛峯寺は弘法大師が金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経の真意に基づいて名付けられた高野山の総称だったが、現在は高野山弘法大師御廟を信仰の中心として結成された高野山真言宗3600寺、信徒1千万人の総本山の名称として知られる。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 42mm ISO320 ) 露出補正 なし
027_220328096 X800 ケーブル高野山駅 G7X.jpg 27.ケーブル高野山駅
千手院橋バス停の傍で簡単に昼食をとり、バスに乗ってケーブル高野山駅へ向かった。極楽橋からの特急こうや号に接続するケーブルまで1時間ほど待たされることになった。帰りの切符は買ってなかったので、購入し、駅舎の外へ出てみた。駅の標高は867m。1930年(昭和5年)に高野山電気鉄道鋼索線開通と同時に開業し、2015年にリニューアルされている。国の登録有形文化財に登録されている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1250秒 13mm ISO125 ) 露出補正 なし
028_220328103 X800 ケーブル極楽橋駅 G7X.jpg 28.ケーブル極楽橋駅の天井
ケーブルカーが高野線に接続する極楽橋駅は2020年7月にリニューアルされていた。和歌山経済新聞に記事によると、駅名になった朱塗りの「極楽橋」は、高野山の聖域と俗世を区切る結界とされることから「はじまりの聖地、極楽橋」をコンセプトに、高野線側コンコースを「俗世」、ケーブルカー側コンコースを「聖域」に見立て、改装されている。南海高野線側コンコースは黒を基調とし、「いのちのはじまり」をテーマに極楽鳥や高野山ゆかりの動植物など約50種を天井画にした。写真のケーブルカー側コンコースは赤色と白色で構成する「宝来」と呼ばれる切り絵をモチーフに、極楽鳥や干支、縁起物が天井に描かれている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
029_220328106 X800 〇ケーブル極楽橋駅 G7X.jpg 29.極楽橋駅に並んだ特急車両
改札がはじまって南海高野線のホームへ行くと、特急電車の車両が並んでいた。一番右側に見えるのが、来るときに乗ってきた最新の車両で、と言っても1992年11月から運用されている31000形。真ん中は1983年年5月に3代目「こうや」として誕生した30000形。左が橋本ー極楽橋の「天空」で高野線で1969年から運用されている2200系だ。一番新しい31000形でも今から30年前にできた車両だが古さを感じさせない。無事、新大阪から「ひかり」に乗って新横浜に着いたのは夜9時少し前だった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO160 ) 露出補正 なし


2022年1月 1日

2022年 新年のご挨拶

令和4年 みなさま明けましておめでとうございます

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横浜市の保土ヶ谷神明社 元旦の御神楽(獅子舞)


毎年、自分の備忘録のような新年のご挨拶になってしまいますが、お許しください。
昨年もコロナに開け、コロナに暮れた1年でした。一昨年、9月16日に安倍前首相の突然の辞任の後を受け、菅義偉内閣が発足しました。一昨年の大晦日にそれまでの1日あたり新規感染者数が過去最多となる4,432人となり、昨年の新春を迎えました。1月8日には7,957人にまで増加し、同日、1都3県に緊急事態宣言が発出され、1月13日には11都府県に拡大されました。その後1日の新規感染者数は千人程度まで下がり、2月末に6府県、そして、3月21日には一旦全面解除されました。
 しかし、それでは治まらず、再び新規感染者が5千人を超えるようになり、4月25日に4都府県に緊急事態宣言が再発出され、5月22日には10都道府県に拡大されました。これが第4波です。6月に入り、千人台にまで収まってきて、6月20日には沖縄を除いて解除されましたが、7月中頃からの第5波はさらに大きくなり、7月31日には緊急事態宣言は6都道府県に拡大されました。1日の新規感染者数が25,992人を数えた8月20日には、さらに21都道府県まで拡大されました。

 一方、菅総理大臣からワクチン接種に全力を挙げる意向が表明され、全体の調整に当たるよう指示された河野規制改革担当大臣はワクチン担当大臣として尽力され、推進しました。2月17日に医療従事者への接種がスタートし、5月後半から接種の機会、場所が拡大され、順調に進みました。
 4月12日に高齢者へのワクチン接種が始められ、さらに一般成人への接種、職域接種などが展開されました。9月末には、日本の全人口に占める接種人数は、1回目がほぼ70%、2回目もほぼ60%となりました。欧米諸国に追いつきました。
 私も1回目6月21日、2回目7月5日に接種を受けました。注射の部位が翌日迄少し痛みを感じたほか副反応はありません。

 8月の終わり頃から、日本の新規感染者は急激に減少し始め、同時に死者、重傷者の数も減少の一途をたどりました。一時、逼迫していた医療体制も一息付けました。医療従事者の皆様に感謝です。ワクチン接種とマスク着用が功を奏しているといいますが、それだけなのでしょうか。良いことなのですが、疑問です。
 そして、10月1日に全国緊急事態宣言が解除されました。年初からそこまで緊急事態宣言およびまん延防止等重点措置の出てなかった日は28日間だけです。

 ところが南アフリカで確認された新たな変異株オミクロンがWHOで懸念される変異株に指定され、日本でもナミビアから到着した30代男性のオミクロン株感染が確認されました。日本に於いてもオミクロン株による市中感染が出始めているのが、若干気がかりです。11月末時点では、1日当たりの新規感染者は全国で、131人迄減少していましたが、クリスマスには、322人と増えています。

 COVID19の世界の状況を見るに、アメリカ、イギリス。フランス、イタリア、スペインなどの国々では、ここのところ1日新規感染者数は過去最多を更新し、いったんはK-防疫でコロナに勝ったとまで言っていた韓国も11月からデルタ株による感染者数が増加、1日7千人に及んでいます。昨年暮れ、12月30日現在での世界の感染者数は284,530,653人、死者: 5,422,092人に及んでいます。
 日本における同じく12月30日時点での総感染者数は、1,733,766人、死者は18.405人でした。

 3回目のワクチン接種が医療関係者から始められました。私たちが接種を受けられるのは4月頃と思います。私がその日本法人に勤務していた米国メルク社で開発されたCOVID19の内服薬モルヌプラビルが日本でも12月25日に承認になり、さっそく全国の医療機関に送り込まれています。アメリカではさらに効果があるというファイザー社パクスロビドも承認申請されます。予断は許されませんが、明るい材料も出てきています。


 さて、昨年の最も大きなイベントは、1年延期して迎えることになった東京2020オリンピックでした。
 開催されるまで色々なことがありました。メインスタジアムとなる新しい国立競技場の建設案は予算が膨らみ、いったん計画白紙になり、また、他のロゴと似ているとして訴えがあった大会のエンブレムについて組織委員会は使用中止を決定し、撤回されました。
 2018年12月には、東京大会の招致をめぐって贈賄疑惑が浮上し、招致委員会の理事長であったJOCの竹田恒和前会長は会長退任を余儀なくされました。
 そして、COVID19の影響で、史上初めて大会が1年延期されたあとも混乱は続きました。昨年2月には、当時、組織委員会の会長を務めていた森喜朗氏の女性蔑視ととれる発言に国内外から批判があがり、発言の責任を取って会長を辞任、橋本聖子内閣府特命担当大臣と交代しました。
 翌月の3月には、東京大会の開閉会式の統括責任者だった佐々木宏クリエーティブディレクターが女性タレントの容姿を侮辱するような演出案を提案していたことが明らかになり、不適切な表現の責任を取って辞任しました。
 直前の7月になっても、東京オリンピックの開会式の作曲担当者の1人だったミュージシャンの小山田圭吾さんが20年以上前に雑誌のインタビューであかした障害がある生徒などへのいじめの告白が批判を受け、開会式まであと4日に迫った7月19日に辞任しました。その翌日には、東京大会の文化プログラムに出演する予定だった絵本作家ののぶみさんが過去の著書やSNSで発信したとされる内容に対してインターネット上で批判の声があがり出演を辞退しています。
 さらに、開会式前日の22日、東京大会の開会式と閉会式のショーディレクターを務める小林賢太郎氏を過去にナチス・ドイツによるユダヤ人の大量虐殺を揶揄するセリフを使用していたとして、大会組織委員会が解任する事態となりました。
 昨年になってからも開催する場合は観客は入れるのか入れないのか、なかなか決まりませんでしたが、大会開幕まで15日に迫った7月8日にようやく無観客開催が決まりました。入場券の払い戻しや、ボランティアの調整など、実際に動かれる方々は大変なご苦労だったと思います。

 東京2020は、2021年7月23日、史上最多の33競技、およそ206の国と地域から11,000人余りが参加し開始され、8月8日まで17日間わたって行われました。1964年の東京オリンピックは93ヵ国・地域だったそうです。

 開会式当日、第5波の最中で緊急事態宣言が出されていた東京の新規感染者数は、1,128人、全国で3,574人でした。

 大学を卒業したばかり、1964年の東京オリンピックを知っている私にとって、7月23日テレビで見た開会式は、「日本は変わったのだ」ということを感じさせてくれました。1964年のときは古関裕而氏作曲のオリンピックマーチで整然と入場した各国選手たちは、今回は、オーケストラの「ドラゴンクエスト・ロトのテーマ」にのせて発祥国のギリシャから国立競技場にラフに入場してきました。「ドラクエ」以降の音楽も「ファイナルファンタジー」や「モンスターハンター」など、19の人気ゲーム音楽が使用されました。
 歌舞伎俳優の市川海老蔵(43)さんは荒事の代表的演目「暫(しばらく)」の鎌倉権五郎に扮して登場。 ジャズピアニスト・上原ひろみ(42)さんが演奏する軽快なピアノに合わせて豪快な見得を披露して日本の伝統文化を世界に発信しました。
 1824台のドローン群が東京五輪のエンブレムを形作り、そのまま青い地球へと姿を変える。ショーを提供したのは国際オリンピック委員会(IOC)の技術パートナーとなっている米インテルでした。

 今回ロシアはロシアという国名でなく、ロシア・オリンピック委員会の略称「ROC」と紹介されて77番目に登場しました。ロシア勢は、組織的なドーピング問題による処分のため、開会式は、国旗が振れない中での行進でしたが、個人資格が認められて大会に臨む選手たちは、赤いジャケットやスカーフを身に纏い、晴れやかな表情を浮かべていました。


 日本のメダル獲得数は金27、銀12、銅17と好成績でした。なかでも印象に残ったのは、卓球混合ダブルスの水谷隼・伊藤美誠組です。準々決勝でドイツペアに最終ゲーム2-9というまさしく絶体絶命のピンチまで追い詰められたものの、そこから驚異的な追い上げを見せて歴史的な逆転勝利、準決勝では台湾ペアに4-1で勝ち、決勝はフルセットで中国ペアを破って金メダルを獲得したのは嬉しいことでした。
 中国の国営メディアは「卓球で中国が3大会連続で金メダルを独占してきた勢いが、日本のペアに止められた」と伝えたそうです。
 また、体操競技では19歳の橋本大輝選手が団体優勝を牽引し、個人総合では内村航平選手を継いで金メダルを獲得したことは見事でした。

 8月7日、「Worlds We Share」というテーマで、各国選手4,500人が参加して行われた閉会式では、古関裕而さんのオリンピックマーチを聴いてほっとした思いでした。

 次の開催地パリでこの閉会式が生中継され、オリンピックの旗がパリ市のイダルゴ市長に引き継がれとき、パリ市民から歓声が上がった様子が大型スクリーンに映し出され、ひときわ大きな歓声があがっていました。

 引き続いて行われた13日間のパラリンピックは9月5日に幕を閉じました。車いすテニスの絶対的エースの国枝慎吾選手は9歳の時に脊髄の病気で下半身が不自由になり車いすテニスを始めたそうです。パラリンピックは過去4大会連続出場、北京とロンドンでシングルス2連覇。右肘の手術を経て復活し2020年全豪と全米優勝し、東京2020で2大会ぶりの金メダルは見事でした。

 東京2020オリンピック・パラリンピックの大会関係者の皆様はほんとにごくろうさまだったと思います。


 昨年も世界ではいろいろな出来事がありました。主だったところでは、1月、アメリカでバイデン政権が誕生しました。2月はミャンマーでクーデターが起こり、国軍が全権掌握です。5月には、イタリアでロープウェイが転落し、15人が亡くなるという事故がありました。サミットでは台湾の平和と安定が重要課題となり、中国との間で緊張が高まっています。
 そして8月にはタリバンがアフガニスタンを制圧するに至り、アメリカ軍は撤退をしました。しかし、アフガニスタンの国民は食事もとれないと云う危機的な状態だと伝えられます。

 そして、日本国内では、菅首相は解散、総選挙を模索していましたが、9月29日に行われた総裁選に出馬を見送りました。新しい自民党総裁は岸田文雄氏に決まり、1年余と短かった菅内閣は菅首相の任期終了をもって、総辞職、第100代の総理大臣に岸田文雄氏が就任しました。
 衆議院選挙は10月31日に行われ、自民党が「絶対安定多数」で勝利し、保守安泰となりました。立憲民主党が100議席を割り込んだ半面、大阪を中心に票を伸ばした日本維新の会が選挙前の4倍近い議席を獲得しました。これで憲法改正に必要な議席数が整いました。憲法改正は国民投票で決められます。
 8月22日に行われた地方選挙で、横浜市では自民党小此木氏や林文子前市長を破り、野党系でカジノ建設に反対する中山竹春氏(横浜市立大学医学部教授)が新市長に決まりました。
 8月に発生したみずほ銀行のシステム障害は大きな問題であり、社長、会長、頭取が退陣しています。
10月26日、眞子さまと小室敬さんとの結婚届が出されました。宮邸の玄関で見送りに出られた秋篠宮ご夫妻と妹の佳子さまとそれぞれ言葉を交わされ、最後に、眞子さまは佳子さまとハグされたのは印象的でした。
 凄いのは将棋の藤井聡太棋士です。18歳で九段に昇格し、9月には最年少19歳で三冠を獲得しました。さらに王位・叡王・棋聖に続く竜王となり、四冠を達成しました。なんと、19歳3か月です。


 11月にはCOP26がイギリスで開催されましたが、温室効果ガスの削減が叫ばれるなか、自然が猛威を振るいます。地球上で観測史上最も暑い記録は更新され、アメリカでは7月以降、カリフォルニア州、オレゴン州などで山火事(森林火災)が拡大し、深刻な被害が出ていると伝えられます。
 昨年も終わろうとしている頃に、南米ブラジル北東部で大雨による洪水が発生し、12月26日、寒波襲来中のカナダ西部各地で、マイナス50度を超える記録的寒さが、また、ケンタッキー州などアメリカの南部や中西部で12月10日夜から11日にかけて相次いで発生した竜巻では、100人を超える死者が出ていると報じられています。

 日本でも1月9日日本海側で大雪が降り、新潟、上越の道路で立ち往生が発生、1月19にも雪と強風によるホワイトアウトが原因で、東北道で140台が絡む事故が起きています。
 2月には栃木県足利で山火事があり、鎮火する2月26日までに30世帯を超える人々が避難しました。
 昨年の桜は九州では平年より3週間早く、東京では平年より12日も早く開花しています。

 7月3日には、熱海雨量観測所における降り始めからの総雨量が400mm以上となった梅雨前線による大雨に伴い、熱海市伊豆山の逢初川で大規模な土石流が発生しました。死者26人、不明者1人の犠牲はあまりに大きく、ずさんな盛り土の責任が指摘されています。

 9月まで猛暑が続きましたが、寒くなるのも早く、9月9日は富士山の初冠雪が伝えられました。
 10月27日小笠原諸島の海底火山「福徳岡ノ場」噴火で、軽石が沖縄や伊豆半島などに漂着し、船舶が航行不能となり、漁業やマリンレジャーに影響が出ました。
 11月26日、再び冬が訪れた北海道では平年の2倍を超える記録的大雪となり、12月7日には、滋賀県彦根市など近畿北部で大雪となっています。12月14日には横浜で初雪が降りました。
 さて、スポーツですが、東京2020以外にも、記憶に残ることが沢山あります。
1月には、全日本卓球選手権で、石川佳純選手が5年ぶりに優勝しました。2月には大坂なおみ選手が全豪テニスで2年ぶり2度目の優勝を果たしました。
 病気と闘っていた池江璃花子選手が50mバタフライで復帰後初優勝したのは嬉しいニュースであり、さらに4月に行われた東京2020大会の代表選考を兼ねた競泳の日本選手権では、50m,100mそれぞれのバタフライと自由形で優勝し、4冠を達成しました。敬意を表します。
 復帰と云えば、昨年2月に自動車事故を起こし、足の複雑骨折、粉砕骨折で再起不能と云われたタイガー・ウッズは、エキジビジョンながらリッツカールトンGC(パー72)で、12歳の息子・チャーリー君とのコンビでプレーし、2位になったそうです。試合後「自分の人生は闘うこと。(復帰は)期待できる。」と語ったと言います。医学の進歩は目を見張るものがあります。

 そして、4月は松山英樹選手の日本人として初めてのマスターズ優勝がありました。TV中継で、解説をしていた中島常幸プロも涙されていました。

 7月に行われたMBAのオールスターゲームに二刀流で出場した大谷翔平選手については、私が言うに及びません。そして、投手として150奪三振、打者として150打点を越え、46本塁打を記録したオータニサーンはMVPに満票で選出されました。
 平幕大栄翔の優勝で始まった大相撲は、7月には白鵬が45度目の優勝をし、引退をしました。7月には惜しくも白鵬に敗れて優勝が叶わなかった照ノ富士は横綱に昇進し、11月の福岡場所では全勝優勝で6度目の優勝を飾りました。


 今年は北京で冬季オリンピックが開催されますが、スキー・ジャンプの小林陵侑選手は暮れの12月30日に逆転で今季4勝目を挙げました。女子スピード・スケートとともに活躍が期待されます。

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2021年秋 自宅の近所で撮ったチョウたち 中心の4コマがクロマダラソテツシジミ

さて、最後に私の趣味のことです。昨年の前半は日帰りで毎年訪れているところへ蝶を撮りに出かけましたが、宿泊を伴う撮影旅行は、7月18日~20日に一人で信州の湯の丸高原に行っただけでした。この時は新鹿沢で最近では少なくなったコヒョウモンモドキと、池の平湿原でミヤマモンキチョウを撮影してきました。その後、7月、8月のトップシーズンには、コロナウィルスが蔓延り、悶々とした毎日を過ごすことになってしまいました。

 秋になって嬉しいことがありました。
 一昨年のことですが、9月30日に近所で偶然にクロマダラソテツシジミに遭遇し、その後、注意をしているとさらに近所の公園や、私が住んでいる集合住宅の玄関先にある植栽の花にまで姿を見せるようになり、最終12月1日まで楽しませてくれたのです。このチョウはもともと日本には生息していなかった南方系のチョウで、地球温暖化のためか台風などで飛ばされてきた個体が、神奈川県では三浦半島のような温かい海岸付近の、たまたま食草であるソテツがあるところで産卵し発生するようになりました。横浜市内での発見はそれまで聞いたことがありませんでした。
 でも、冬を越して世代を繋ぐことは無理だろうと考えていました。ところが、まだ、暑さが残る9月10日、一昨年、このチョウがいたところを注意して見ていたところ、近所の小さな公園の猫の額のような花壇に咲くセンニチコウで吸蜜する姿を発見し感激しました。それから、11月20日まで、ほぼ100日間にわたり、観察と撮影を楽しませてくれ、クロマダラソテツシジミに癒されました。その100日間で観察した個体数は少なくとも30頭から40頭に及んだのではないかと思います。いったいどこで発生していたのだろうかと思うのですが、突き止められません。この冬は寒そうです。今年は会えるかどうか分かりませんが、会えたらいいなと楽しみにしています。

 コロナが少し落ちつき緊急事態宣言が全面解除されたあと、10月の7日~10日に、紅葉鑑賞を目的に北海道を旅行しました。

 お陰さまで私は、何とか健康で過ごすことが出来たのですが、家内が10月の北海道旅行のあと、躓いた拍子にアキレス腱の部分断裂を惹起してしまい、クリスマスまで装具を付けて過ごさなくてはなりませんでした。幸い快方に向かっています。
 というわけで暮れはおとなしく過ごし、新年を迎えた次第です。


 皆様にとって、本年が良い年となりますことをお祈りいたします。



 

2021年12月25日

原鉄道模型博物館 1 of 4 11月27日

前回、原鉄道模型博物館へ行ったのは、2017年11月だった。その後、久しぶりに行って見ようと思って、ホームページを開いてみると、コロナ感染防止のため閉館になっていた。
 今年も秋になってようやくコロナ感染者数が減少し、10月1日に緊急事態宣言も全面解除となって、原鉄道模型博物館は10月14日に営業再開された。ただ、密にならないように、事前にチケットの購入が求められる。久しぶりに行って見たくなって、11月27日の10時の予約をとった。
 当日は開館時間前に10名ほどの列が出来ていた。子供さんを連れて来られているかたもいるが、むしろ大人の入場者が多い。この日は SONY RX10M4 を携行する。写真を撮りながら2時間ほど滞在した。写真撮影は許可されている。

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JR九州の観光列車「在る列車」の原型となった模型のこと 2021年11月27日 原鉄道模型博物館

001_211127002 X800 原鉄道模型博物館 DSC04018.jpg 1.「在る列車」
wikipediaを見ると、明治時代末期に九州鉄道がアメリカ合衆国のJ.G.ブリル社より輸入した豪華客車のイメージを持たせて設計された車両とあるが、写真が原信太郎さんが制作したその模型である。 今回のJR九州の観光列車である「在る列車」の専用車となった車両は、四国旅客鉄道(JR四国)で2011年4月に廃車となったキハ47形気動車のキハ47 176・1505を譲り受け小倉総合車両センターで改造した2両編成 で、2015年7月18日に報道関係者向けに公開され、同日小倉総合車両センターから出場した。その車両は世界的に著名な鉄道模型愛好家の原信太郎が製作した模型をベースに、次男で原鉄道模型博物館副館長である原健人の監修のもと、水戸岡鋭治がデザイン・設計を行ったと記されていた。列車名の「或る列車」は、この車両のコンセプトの基となった豪華客車に対して当時の鉄道趣味者が付けた呼び名である。また、キーワードの"ARU"には A - AMAZING(「素晴らしい」九州の魅力を広く紹介) R - ROYAL(「豪華な」デザイン、「素晴らしい」スイーツコース) U - UNIVERSAL(「世界中の」「皆さま」に愛される列車を目指して)の意味が込められている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
シャッター優先オートで撮影 ( f3.2 1/200秒 14mm ISO3200 ) 露出補正 なし
002_211127030 X800 〇原鉄道模型博物館 DSC04018.jpg 2.ブダペストの地下鉄
電車を使った地下鉄として、世界最古のハンガリーの首都ブダペストの地下鉄1号線が開業時に導入した木造車両の模型。私が2009年11月に中欧旅行をした折、ブダペストでその古い駅舎跡を見たようなな記憶があるが定かではない。一号線は2002年に世界文化遺産の一部になった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
シャッター優先オートで撮影 ( f3.5 1/320秒 32mm ISO3200 ) 露出補正 なし
003_211127033 X800 〇原鉄道模型博物館 DSC04018.jpg 3.ボストン高架鉄道の車両
私は路面電車が好きだ。広島とか熊本へ行くとしばしば見とれていることがある。高知の土佐電鉄もいい。ここではケースの中に多くの路面電車の車両が展示されていて、見惚れてしまう。ボストン高架鉄道の車両が何両かあった。wikipediaでは、ボストン高架鉄道は、マサチューセッツ州ボストンとその周辺地域の街路の上、下、を運行する路面電車と高速輸送鉄道だった。 1894年に設立され、最終的にリースと合併によりウェストエンドストリート鉄道を買収し、市内の主要な公共交通機関のプロバイダーとなった。と記されていた。しかしこの車両のことかどうかわからない。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
シャッター優先オートで撮影 ( f3.5 1/500秒 22mm ISO2200 ) 露出補正 なし
004_211127040 X800 〇原鉄道模型博物館 DSC04018.jpg 4.京阪電気鉄道60号 びわこ号
説明板には、1930年代の流線形の流行をいち早く採用し、電力方式の異なる2路線を直通するため、パンタグラフとトロリーポールを持つ。日本初の2車体連接構造を採用して急曲線の輸送力確保を両立した。と記されている。1934年に製造され、現役時代の形式は60型で3編成が製造された。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
シャッター優先オートで撮影 ( f4 1/400秒 48mm ISO3200 ) 露出補正 なし
005_211127044 X800 〇原鉄道模型博物館 DSC04018.jpg 5.阪神電気鉄道 71型
説明板には、1937年に登場した14.5mの路面電車用大型車両。大きな窓と当時関西で流行していた流線形の外観から「金魚鉢」の愛称でも親しまれたとある。1937年に製造されて1975年にい引退した。10両製造され、71号が水明公園(尼崎市水明町)、74号が蓬川公園(尼崎市崇徳院3丁目)、79号が民間企業敷地内(滋賀県)の3両が保存されている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
シャッター優先オートで撮影 ( f4 1/400秒 37mm ISO3200 ) 露出補正 なし
006_211127058 X800 〇原鉄道模型博物館 DSC04018.jpg 6.パリ・リヨン・地中海鉄道(上)とチェサピーク・オハイオ鉄道の蒸気機関(下)
車 上のパリ・リヨン・地中海鉄道の蒸気機関車は151A型、151A3 (1932年製造)で、蒸気圧の使用効率を高めるため、前後2基、左右合計で4基のシリンダーを搭載している。1,520tの貨車を牽引して1/125の勾配を50km/hで登った。下のチェサピーク・オハイオ鉄道の蒸気機関車 H8型 H8 1601(1941年製造) は、アメリカ東部アリゲーニー山脈を越えるルートで使われた。最大5,200tがけん引可能でウェスト・バージニア州で採掘された石炭の輸送などで活躍した。UP(ユニオン・パシフィック)のビッグボーイを超える強力な機関車と云えると説明されている。展示ケースにはまだまだたくさんの美しい車両たちの模型があった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
シャッター優先オートで撮影 ( f3.5 1/200秒 32mm ISO3200 ) 露出補正 なし
007_211127083 X800 〇原鉄道模型博物館 DSC04018.jpg 7.世界の模型店巡り
原信太郎さんは海外旅行をすると鉄道模型店巡りが楽しみだったようだ。ひとたび店に入ると、引っ越しの荷物のような木箱をいくつも持ち帰ったと記されている。海外では鉄道模型は大人の趣味のひとつであるという。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
シャッター優先オートで撮影 ( f2.4 1/400秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
008_211127085 X800 〇原鉄道模型博物館 DSC04018.jpg 8.原信太郎さんの「青年時代満州への旅」
青年時代になると大陸の鉄度を見たいと思うようになる。大学入学前には、北朝鮮の当時最新の鋼製電車である金剛山電気鉄道を見た。1942年には戦争の緊迫感のなか、東京から下関、下関から連絡船で釜山へ連絡船で渡り、釜山から北京へ行き、北京から国際列車「大陸」で奉天(現瀋陽)へ行った。奉天からソ連製の寝台列車で異国情緒溢れるハルピンに到着した。なお、wikipediaによれば、有名な「あじあ号」は南満州鉄道(満鉄)が1934年(昭和9年)から1943年(昭和18年)まで大連駅 - 哈爾濱(ハルビン)駅間の約950kmを連京線・京浜線経由で運行していた特急列車である。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
シャッター優先オートで撮影 ( f2.4 1/400秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
009_211127090 X800 〇原鉄道模型博物館 DSC04018.jpg 9.貴重なメルクリン社の模型
下の3両の電車模型は20世紀初頭、ドイツのケルン・ボン鉄道が重役15人に記念品として贈るため、ドイツのメルクリン社に発注した15台(45両)のうちの1台(3両)だそうだ。原信太郎さんはこれを1950年にスイスで購入したとのこと。世界で15台しかない希少性に加え、メルクリン社の歴史としても貴重な模型であり、同社から譲って欲しい懇願されたことのある1品という。「メルクリン」は150年以上の歴史を持つ、ドイツの老舗玩具メーカーの名前であり、1895年に最初の鉄道模型を発売して以来、世界中の人たちに愛されて、世界最大級のシェアを持ち続けている。私も子供の頃はあこがれたが、親にねだれるほど安くはなかった。なお、メルクリン社は2009年2月4日 、 資金繰りに行き詰まって裁判所に破産手続きを申請したが、2010年10月 に自己再生をはたしている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
シャッター優先オートで撮影 ( f3.2 1/200秒 15mm ISO3200 ) 露出補正 なし


2021年7月22日

ミドリシジミを見に箱根湿性花園へ 1 of 2 7月10日

箱根湿性花園のミドリシジミの発生時期が気になっていた。従来は7月20日ごろ行っていたが、ここのところ発生時期を外してしまっていたように思う。また、ノリウツギの花が開花するタイミングとも合わない。そこで今回は1週間ほど早めに行って見ようと思っていた。
 はじめ、7月12日を予定していた。その数日前から天気予報とにらめっこをしていたが、どうも芳しくない。ところが7月10日の朝、天気予報を見てみると、この日の方が良さそうだ。と思ってそそくさと支度をして、8時に家を出た。土曜日なので東名高速の渋滞が心配されたが、かえってトラックが少なく空いていて9時半前に箱根湿性花園に到着した。しかし、御殿場のインターまでは晴れていたが、仙石原に入ると怪しくなり、湿性花園は雲が垂れこめていた。でも、雨は降りそうになく、気温は高いのでチョウは飛びそうだ。

000_210710 園内案内板 X600.jpg 箱根湿性花園 園内案内板


1.ハグロトンボ<br> 最初に目についたのはハグロトンボだった。検索してみると、主に平地から低山地のヨシなどの挺水植物や、エビモ、バイカモなどの沈水植物などが茂る、ゆるやかな流れの川に生息するとある。まさしくこの湿性花園はピッタリのところだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels<br> プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 201mm ISO1600 ) 露出補正 なし
001_210710004 X800 箱根湿性花園 RX10M4.jpg
2.ミソハギ(禊萩)
wikipoediaによれば、お盆の頃に紅紫色6弁の小さい花を先端部の葉腋に多数つける。 盆花としてよく使われ、ボンバナ、ショウリョウバナ(精霊花)などの名もある。ミソハギの和名の由来はハギに似て禊(みそぎ)に使ったことから禊萩、または溝に生えることから溝萩によるといわれる。茎はまっすぐに立ち、株元は少し木質化するが、写真はその先端に付けた花。

Nikon D5300 TAMRON AF90mm f/2.8 Di macro
絞り優先オートで撮影 ( f4.5 1/500秒 90mm ISO640 ) 露出補正 なし
002_210710350 X800 箱根湿性花園 D5300 TAMRON 90.jpg
3.ウラギンヒョウモン -1
午前10時、ヒョウモン類が飛びはじめた。箱根湿性花園ではウラギンヒョウモンをあまり見ていない。すでに擦れてきている個体だ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 220mm ISO200 ) 露出補正 なし
002_210710018 X800 ◎箱根湿性花園 RX10M4.jpg
4.オオウラギンスジヒョウモン -1
午前10時、南側の奥にある仙石原湿性植生復元区へ行って見た。群生するオカトラノオの花にオオウラギンスジヒョウモンがいる。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 220mm ISO200 ) 露出補正 なし
004_210710022 X800 ◎箱根湿性花園 RX10M4.jpg
5.オオウラギンスジヒョウモン -2
きれいな♂だ。発生初期のようだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 206mm ISO400 ) 露出補正 なし
005_210710033 X800 ◎箱根湿性花園 RX10M4.jpg
6.ルリタテハ -1
オカトラノオにルリタテハがいるのを見つけた。越冬したルリタテハがアセビの花に来ているのを見たことがあるが、オカトラノオでの吸蜜を観察したのは初めてだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 208mm ISO500 ) 露出補正 なし
006_210710042 X800 ◎箱根湿性花園 RX10M4.jpg
7.ルリタテハ -2
前の写真と同じ個体だが、きれいな個体だった。日本のチョウの中では特異的な瑠璃色の帯をもつこのチョウは美しく、私の好きなチョウでもある。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 215mm ISO500 ) 露出補正 なし
007_210710048 X800 ◎箱根湿性花園 RX10M4.jpg
8.クサレダマ(草連玉)
仙石原湿性植生復元区の雲行きが怪しくなってきた。気温が下がるとチョウが飛ばない。この花はクサレダマという。wikipediaによると、花期は7-8月で茎の先端または葉腋に円錐花序をつけ、多数の花をつける。線状の小さな苞があり、萼は深く5裂する。花冠は黄色で径12-15mmになり、5深裂する。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
008_210710058 X800 〇クサレダマ 箱根湿性花園 RX10M4.jpg
9.チダケサシ(乳蕈刺)
この花にミドリシジミが吸蜜に来ることもあるのだが。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
009_210710060 X800 箱根湿性花園 RX10M4.jpg
10.コバギボウシ(小葉擬宝珠)
wikipediaによれば、「擬宝珠」は、橋の欄干につける装飾品のことであり、花の蕾の形が擬宝珠に似ていることに由来するという説の他、ネギ坊主に似ているという説がある。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
010_210710061 X800 〇箱根湿性花園 RX10M4.jpg
11.カセンソウ(歌仙草)
仙石原湿原植生復元区には、オカトラノオ、クサレダマとともに、このカセンソウが群生する。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
011_210710067 X800 カセンソウ 箱根湿性花園 RX10M4.jpg
12.ノハナショウブ(野花菖蒲)
少し遅いかなと思ったが、仙石原湿原植生復元区のところどころにノハナショウブが咲いていた。園芸種であるハナショウブの原種である。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
012_210710068 XZ800 ハナショウブ 箱根湿性花園 RX10M4.jpg
13.ウラギンヒョウモン -2
しばらくチョウが飛ばなかったので花を撮っていたが、オカトラノオにウラギンヒョウモンがやってきた。ここは圧倒的にオオウラギンスジヒョウモンが多く、ウラギンヒョウモンは多くない。擦れてきていた。

Nikon D5300 TAMRON AF90mm f/2.8 Di macro
絞り優先オートで撮影 ( f4.5 1/500秒 90mm ISO720 ) 露出補正 なし
013_210710355 X800 箱根湿性花園 D5300 TAMRON 90.jpg
14.ウラギンヒョウモン -3
前の写真と同じ個体。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 90mm ISO640 ) 露出補正 なし
014_210710073 X800 ◎箱根湿性花園 RX10M4.jpg
15.キジ(雉子、雉)
カセンソウが咲くあたりを歩いていたら、不意に大きな鳥が飛び出し、復元区の柵を越えていった。行って見たが姿は見えない。今度は地味な♀が追うように飛び、柵に止まった。振り返ったところを撮る。キジは日本の国鳥である。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 94mm ISO2000 ) 露出補正 なし
015_210710089 X800 箱根湿性花園 RX10M4.jpg
16.コウホネ(河骨)が咲く池
箱根湿性花園にはいくつかの池が点在する。この池は一番南側に位置する池で、西側から見ている。コウホネの黄色い花が咲いている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 30mm ISO640 ) 露出補正 なし
016_210710090 X800 箱根湿性花園 RX10M4.jpg
17.ユウスゲ(夕菅)
和名は花が夕方に開き翌日の午前中にしぼみ、葉がスゲに似ていることに由来する。日本では開発や自然遷移、園芸採集などにより減少し、多くの都道府県で、レッドリストの指定を受けている。また、長野県の霧ヶ峰や滋賀県の伊吹山3合目のユウスゲ群落などでは、ニホンジカの食害により植生の衰退が危惧されているそうだ。午前11時、まだ花は開いていない。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 65mm ISO400 ) 露出補正 なし
017_210710091 X800 ユウスゲ 箱根湿性花園 RX10M4.jpg
18.サンショウバラ(山椒薔薇)
別名 ハコネバラ(箱根薔薇)という。和名の由来は、葉がサンショウ(山椒)の葉に似ているため。はじめ種名が判らず、インターネットで検索していたが、バラの仲間とまではわかったが同定が出来ない。ふと箱根湿性花園の入園券を見たところ、ノハナショウブ、ニッコウキスゲとともに写真が印刷されていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 218mm ISO400 ) 露出補正 なし
018_210710095 X800 箱根湿性花園 RX10M4.jpg
19.台ヶ岳
一旦、入り口のところまで戻って、何か冷たいものでも飲もうと園内中央へと歩く。南側に向け方角を示した表示物が置かれていて、正面が箱根の最高峰である神山(1,438m)だが、手前の台ヶ岳(1,046m)に遮られて見えない。この時はその台ヶ岳も雲に遮られて見えなかった。箱根湿性花園の標高は650mである。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 218mm ISO400 ) 露出補正 なし
019_210710094 X800 箱根湿性花園 RX10M4.jpg
20.オオウラギンスジヒョウモン -3
この日飛んでいたオオウラギンスジヒョウモンはすべて♂だった。この個体も羽化したてのようだ。元気にオカトラノオの花から花へ飛び回っている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 220mm ISO500 ) 露出補正 なし
020_210710110 X800 ◎箱根湿性花園 RX10M4.jpg
21.オオウラギンスジヒョウモン -4
裏面が美しい。ウラギンスジヒョウモンがいないかと、撮影した画像をモニターで確認するが、いずれもオオウラギンスジヒョウモンだった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 220mm ISO400 ) 露出補正 なし
021_210710121 X800 ◎箱根湿性花園 RX10M4.jpg
22.猫じゃらし?
確信はないが「猫じゃらし」だろうか?「猫じゃらし」は俗称で、エノコログサ(狗尾草)というらしい。(コバナワレモコウかもしれない)

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 58mm ISO400 ) 露出補正 なし
022_210710148 X800 箱根湿性花園 RX10M4.jpg
23.オオウラギンスジヒョウモン -5
園の中央の辺りにもオカトラノオは咲き、そこにもオオウラギンスジヒョウモンが来ている。本種の食草はタチスボスミレやニョイスミレなど各種スミレ植物だそうだ。主に山地の樹林地周囲の草原に生息する。これまでのところ、狙いのミドリシジミの姿は見ていない。まだ発生していないのだろうか。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 210mm ISO640 ) 露出補正 なし
023_210710155 X800 ◎箱根湿性花園 RX10M4.jpg


2021年4月17日

小石川植物園 ツマキチョウを撮りに (2) 4月9日

発生しているかどうか心配だったツマキチョウも11時半ごろには姿を見せ始め、♂が♀を求めて飛ぶ姿が見られるようになった。アブラナなどの花に止まってゆっくり吸蜜する姿は少なかったが、カメラに収めることは出来た。
 アブラナの花が咲くポイントへは、また後で戻ってくることにして、日本庭園の方へ歩く。咲いていてくれた枝垂れ桜や八重桜を眺め、日本庭園へ向かうと、ツツジが咲き、フジも咲いていた。
 旧東京医学校本館を左に見て、日本庭園の北側から、ツツジが咲く丘を登って大きな木が茂る高台に着いた。大木に咲くトキワマンサクの白い花や、ツクシカイドウを見たり、数人の女性の方々が見ておられた雄株の木に実のなったオオモミジの説明を伺ったりした。
 サクラは、ソメイヨシノは散ってしまい、サトザクラの一葉や普賢象が咲き残っていた。

26.藤棚とツツジ
日本庭園の池にかかる橋は藤棚になっていてフジが咲いていた。その手前にはアゲハが来ていたツツジが咲く。この時は青空が見えていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 16mm ISO100 ) 露出補正 なし
026_210409147 X800 日本庭園上 小石川植物園 RX10M4.jpg
27.旧東京医学校本館
きれいに刈りこまれたツツジの植栽が池に映っている。  この建物は、当初は東京大学の前身である東京医学校の施設として1876年に本郷キャンパス鉄門の正面に建てられたが、1911年に赤門わきに移築され、さらに1969年に小石川の現在地に移築された。国指定重要文化財となり保存修復され、博物館として一般公開されている。明治初期らしい擬洋風建築で、擬洋風建築としては昨秋訪れた滋賀県近江八幡市の白雲館を思い起こす。新型コロナウイルス感染拡大防止のため、入館手続きを要するが、館内も見学できるようだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 15mm ISO160 ) 露出補正 なし
027_210409155 X800 日本庭園 小石川植物園 RX10M4.jpg
28.ムラサキサギゴケ(紫鷺苔)
日本庭園の旧東京医学校本館の前の草地に、一面に可愛い花が咲いていた。和名は、花が紫色で、形がサギに似ていることからだそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 15mm ISO125 ) 露出補正 なし
028_210409159 X800 サギゴケ 日本庭園 小石川植物園 RX10M4.jpg
29.日本庭園東側
藤棚のある橋の上から日本庭園の東側を眺める。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 15mm ISO100 ) 露出補正 なし
029_210409161 X800 日本庭園 小石川植物園 RX10M4.jpg
30.ツツジが咲く道
藤棚の橋を渡り北へ高台に向かって歩く。ツツジの群落が見えた。受付でいただいた園内案内図によればこの辺りにはキリシマツツジがあるはずだ。藤棚のそばに咲いていたケラマツツジに似ているが、さらに色が濃いように思う。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 10mm ISO1250 ) 露出補正 なし
030_210409165 X800 日本庭園上 小石川植物園 RX10M4.jpg
31.旧東京医学校本館を見下ろす
振り返ると、 旧東京医学校本館の北東側の棟が見えた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 16mm ISO320 ) 露出補正 なし
031_210409167 X800 日本庭園上 小石川植物園 RX10M4.jpg
32.カラスアゲハ
キリシマツツジにカラスアゲハ♂が飛来した。こんなに擦れていないきれいな春型のカラスアゲハを見るのは久し振りである。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 102mm ISO1000 ) 露出補正 なし
032_210409169 X800 ◎カラスアゲハ 日本庭園上 小石川植物園 RX10M4.jpg
33.熱心な観察者
大きな木が茂る高台に上がった。カエデと思われる大きな木を見上げている4~5人のグループの女性たちがいた。何を見ているのかなと思い、その方々の視線の先を見る。この木はオニモミジ(別名 カジカエデ 梶楓 )といい、雌雄異株の樹木であり、雌株の木には実がなるが、雄株の木には実はつかない。しかし、このご夫人たちが見ているオニモミジの木は雄株でありながら、実が付いている。一対の翼果になっている。珍しいのだと教えてくださった。  

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 105mm ISO400 ) 露出補正 なし
033_210409182 X800 オニモミジ 小石川植物園 RX10M4.jpg
34.オニモミジの実
右側の2枚の翅を広げたように見えるのが、オニモミジの実(翼果)だそうだ。その左にあるのが咲き終えた花だという。 wikipediaによれば、花期は4-5月。葉が展開する前に、長さ3-5cmの散房花序を前年枝の側芽から出す。花はふつう暗紅色で、雄花と比べ雌花の方が色が淡い。雄花序は花が5-15個垂れ下がり、花柄は長さ1-3cm、萼片と花弁が部分的に合着した長さ5mmになる鐘形の花被筒になり、雄蕊は7-10個で花被筒より長く、退化雌蕊は微小。雌花序は花が3-9個やや上向きにつき、萼片、花弁は5個ときに4個で合着せず、雄蕊はなく、子房は短毛が密生し、花柱は外曲する。果期は7-8月。果実は翼果で、黄褐色の長剛毛があり、分果の長さは2.5-3cmになり、翼果は鋭角に開くか、ほとんど開かない。雄株では雄花が、雌株では雌花が咲くのが雌雄異株だそうだ。と記されていた。また、ややこしいが、カエデ類の性には3タイプがあり、まずは雌雄異株。次いで雄株と両生花の株のある雌雄異株。最後にハウチワカエデのような雄性同株。このタイプはひとつの株に雄花と両性花がつくそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO250 ) 露出補正 なし
034_210409180 X800 〇オニモミジ 小石川植物園 RX10M4.jpg
35.オニモミジの葉
あとで確認できるよう葉の写真を撮っておいた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 30mm ISO800 ) 露出補正 なし
035_210409183 X800 オニモミジ葉 小石川植物園 RX10M4.jpg
36.トキワマンサク(常磐万作)
マンサクの花は春先に舞岡公園や保土ヶ谷公園などでよく見かける。しかし、こんな大きなマンサクの木は始めて見る。また、白い花が咲くマンサクを見たのも初めてだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 13mm ISO250 ) 露出補正 なし
036_210409185 X800 トキワマンサク 小石川植物園 RX10M4.jpg
37.トキワマンサクの花
写真のような細長い4枚の花弁の花を咲かせる。花の色は、基本種はごく薄い黄色であるが、紅色の変種であるベニバナトキワマンサクがよく栽培されている。トキワマンサクは日本での自生は極めて限定的で、静岡県湖西市・三重県伊勢神宮・熊本県荒尾市で知られるのみだそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
037_210409188 X800 トキワマンサク 小石川植物園 RX10M4.jpg
38.ツクシカイドウ (筑紫海棠)
  右の方に白い花が咲いているのが見えた。何かなと思って行ってみると、ツクシカイドウという札が架かっていた。カイドウと云えばピンクの花を想いうかべるが白い可憐な花が咲いていた。 環境省レッドリストによれば、日本では野生絶滅種である。熊本、大分に分布していたが、現在は絶滅が確認されているそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 12mm ISO200 ) 露出補正 なし
038_210409191 X800 ツクシカイドウ 小石川植物園 RX10M4.jpg
39.モミジバスズカケノキ(紅葉葉鈴懸の木)
スズカケの木の大木が並ぶところへ来た。この木は モミジバスズカケノキという。スズカケノキとアメリカスズカケノキとの交配種だそうだ。大木である。現在街路樹として広く使われている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO200 ) 露出補正 なし
039_210409194 X800 モミジバスズカケノキ 小石川植物園 RX10M4.jpg
40.スズカケノキ( 鈴懸の木) プラタナスの大木だ。この木は明治9年に導入された日本で最も古いスズカケノキだそうだ。ここにはスズカケノキ、アメリカスズカケノキ、そして、その交配種であるモミジバスズカケノキの、3種類のスズカケノキがある。樹皮は白っぽく剥離する。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 19mm ISO250 ) 露出補正 なし
040_210409200 X800 スズカケノキ 小石川植物園 RX10M4.jpg
41.ユリノキ(百合の木)
スズカケノキの傍に樹高が高いユリノキがあった。ステンレスの立派な説明板には、「ユリノキ(モクレン科) ユリノキとシナユリノキはそれぞれ北米と中国に分布しており、近縁な種が隔離分する例にあげらます。この木は明治の初めの頃に植えられたわが国で最も古い株のひとつで、理学部植物学教室の員外教授として植物園で活躍した伊藤圭介が米国からもらい受けた種子を育てたものです。明治23年、大正天皇が皇太子の頃に御来園された際に、この木を見てユリノキと命名されたと言わtれています。」と記されていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
041_210409197 X800 ユリノキ 小石川植物園 RX10M4.jpg
42.ツバキの品種 熊坂
ツバキ園に寄ってみた。このツバキは熊坂(C. japonica cv. Kumasaka)という園芸品種である。小石川植物園のホームページによれば、ツバキ属は日本・中国・ヒマラヤ・東南アジアに約120種が知られ、日本には4種1変種が自生している。お茶として栽培されるチャノキの他、ツバキ(C. japonica)はその花の美しさから日本では古くから親しまれ、多くの園芸品種が生み出されてきた。ツバキ園では、ツバキの園芸品種を中心に約80品種と、日本産種・外国産種をみることができるとあった。また、ツバキ園にあった「椿品種群」説明板には、園芸品種の多くはヤブツバキの突然変異体であるが、侘助など多種との間で生じた異種交配によって生まれた園芸系統もある記されていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO250 ) 露出補正 なし
042_210409207 X800 ツバキの品種 小石川植物園 RX10M4.jpg
43.絞りのツバキ
始めて見るような咲き始めのツバキの花があった。ツバキの品種は私が思っていたよりはるかに多いのだ。このツバキは何という品種なのだろうか? 品種が書かれた札がない。「椿品種群」という説明札の隣に、「侘助椿の来歴」という説明札が立てられていた。「侘助ツバキは謎に満ちたツバキである。本品種は胡蝶侘助とも言われ、古く18世紀増補地錦抄にも記録が残る古い品種。(中略)近年様々な解析から、侘助品種群は中国産のヤブツバキ近縁種と日本のヤブツバキ近縁種との交雑して出来た有楽をルーツとすることが明らかになってきた。(後略)」と書かれていたので、これはその説明板の写真から、胡蝶侘助かと思って、帰宅後ネットで調べて見たところ、あるサイトで「胡蝶侘助」は、ツバキ園の一番奥の暗いところまで入って、「これは何というツバキか?」とひとつひとつ見て確認していかないと見つからないという記述があったので、私が撮った写真のツバキは胡蝶侘助ではないのだろう。ネットで絞りのツバキを検索してみたが、菊更紗(キクサラサ)、古金欄(コキンラン)、光源氏(ヒカルゲンジ)あたりかなと思えるが。難しい。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 43mm ISO800 ) 露出補正 なし
043_210409210 X800 ツバキの品種 小石川植物園 RX10M4.jpg
44.サトザクラ(一葉) -1
一葉は先日訪れた新宿御苑でも見てきた。随分長く、散らずに咲いているのだなと思った。  

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
044_210409212 X800 サトザクラ 一葉 小石川植物園 RX10M4.jpg
45.キヨスミミツバツツジ(清澄三葉躑躅)
キヨスミミツバツツジの特徴は、雄しべは10本、雄しべの花糸と雌しべに毛がなく、子房に長く白い毛が生えるとのこと。先日ギフチョウが飛来していたミツバツツジの雄しべは5本だった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし  
045_210409214 X800 キヨスミミツバツツジ 小石川植物園 RX10M4.jpg
46.サトザクラ(一葉) -2
サトザクラの枝は、地面近くまで垂れて伸びている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 15mm ISO125 ) 露出補正 なし
046_210409214 X800 サトザクラ 一葉 小石川植物園 RX10M4.jpg
47.トウゴクミツバツツジ(東国三葉躑躅)
    wikipediaには、関東の山地に多いことからこの名が付いた。代表種のミツバツツジとは違い、おしべが10本あり、主に5月中旬~6月上旬にかけて咲く。ミツバツツジよりも花期がやや遅く、標高の高い場所(概ね標高1000m以上)に見られる。平地では咲く場合は、早く咲くのだろうか。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 16mm ISO125 ) 露出補正 なし
047_210409216 X800 トウゴクミツバツツジ 小石川植物園 RX10M4.jpg
48.サトザクラ(普賢象) -1
普賢象はオオシマザクラを基に生まれたサトザクラ群のサクラで日本原産の栽培品種のヤエザクラだそうだ。名前の由来は、花の中央から出ている雌しべの先端が曲がっており普賢菩薩の乗る白象の鼻に似ているためという。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 16mm ISO125 ) 露出補正 なし
048_210409218 X800 サトザクラ 普賢象 小石川植物園 RX10M4.jpg
49.サトザクラ(普賢象) -2
八重の花が咲くのを見上げる。wikipediaによると、東京の花期は4月下旬。開花が進むほど花弁が白くなっていき最盛期を過ぎると花の中心部が赤く染まっていく。命名の由来となった中央から2本出ている雌しべは正常な柱頭と花柱ではなく細い葉のように葉化していて生殖能力を失っており、結実できないため接ぎ木や挿し木でないと繁殖ができないそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 13mm ISO100 ) 露出補正 なし  
049_210409219 X800 サトザクラ 普賢象 小石川植物園 RX10M4.jpg
50.甘藷試作碑跡
享保20年(西暦1735年)に青木昆陽が、この地でサツマイモの栽培を試みた。この試作の成功により、サツマイモが全国的に栽培されることになった。この記念碑は大正10年(西暦1921年)にその功績をたたえて建てられたもの。

    SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
050_210409220  X800 甘藷試作跡小石川植物園 RX10M4.jpg
51.オオバベニガシワ (大葉紅柏)
サクラを見て、植物園本館の方へ歩いて行くと20cmほどある大きな葉を付けた、目立つ小さな木があった。以前も見たことがあるオオバベニガシワだ。若葉のときは赤い色をしている。葉は成長すると緑色になるようだが、これはその途中というところなのか。5月にはさらに色が変わり始め、初夏にはすっかり緑色になるそうだ。いつもツマキチョウの時期に来ていると、それがわからない。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 9mm ISO250 ) 露出補正 なし  
051_210409222 X800 オオバベニガシワ 小石川植物園 RX10M4.jpg
52.植物園本館
正門からまっすぐ坂を上がっていくと、左側に、正門を背にして建つ位置にある。逆に私のように、サクラの林から正門へ戻るとき見えるこの建物の構成は左右対称で、中央には装飾のない列柱のある玄関が見える。建物は左右対称のウイングが横に伸びていく形で、中央には大きな窓が付き、中に階段が見える大きな塔がある。塔の横には象徴的な壁時計が付いていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
052_210409227 X800 植物園本館 小石川植物園 RX10M4.jpg
53.アカタテハとイラクサ
正門の手前まで坂を下りて、さあ、もう一度アブラナの花が咲くところへ行こうと歩き始めると、右手の草むらに何かタテハチョウが飛んできた。アカタテハ♀だ。そして開翅して止まった葉をみると、その食草であるイラクサのようだ。  

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 220mm ISO320 ) 露出補正 なし  
053_210409229 X800 アカタテハ イラクサ 小石川植物園 RX10M4.jpg


2021年4月 1日

舞岡公園 進む春(2) 3月16日

12時を過ぎると、また一段と暖かくなったようだ。菜の花の周りを飛び交うモンシロチョウの数も増えてきた。この春羽化した、今年生まれのチョウは、モンシロチョウと、スジグロシロチョウがいた。
 3月に舞岡公園を歩いたことは数えるほどしかないが、飛んでいるのはキタテハとキタキチョウくらいで、モンシロチョウもいないことが多い。2011年3月30日に行ったときにはベニシジミが飛んでいた。今日はベニシジミに会えるかなと思ったが、見かけることはなかった。

12.キタテハ -1
菜の花が咲き休耕地になっているところを左へ、狐久保の方へ入る。路傍にはオオイヌノフグリ、カントウタンポポ、ホトケノザ、タチツボスミレなど春の花が咲く。キタテハが飛んできて、路上の枯葉の上に止まり、翅を広げる。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 220mm ISO100 ) 露出補正 なし
210316045_012 X800 舞岡公園 RX10M4.jpg
13.キタテハ -2
なかなか敏捷で近づいて撮ろうとするとすぐ飛び立ってしまう。何とかモニターのライブビューで、ローアングルで撮る。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
210316050_013 X800 舞岡公園 RX10M4.jpg
14.モンシロチョウ -1
畑に咲く菜の花の間をモンシロチョウが飛ぶ。チョウまでの距離があるので狙いにくい。モンシロチョウを撮るのにこんなに真剣になるとは。今年初めてカメラに収めたモンシロチョウだった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1000秒 220mm ISO100 ) 露出補正 なし
210316059_014 X800 舞岡公園 RX10M4.jpg
15.モンシロチョウ -2
♂が菜の花で吸蜜する。  

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 220mm ISO100 ) 露出補正 なし
210316070_015 X800 〇舞岡公園 RX10M4.jpg
16.スジグロシロチョウ♂
スジグロシロチョウが、ヒメオドリコソウのこれから開こうとしている花に、口吻を伸ばしていた。  

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 218mm ISO100 ) 露出補正 なし
210316075_016 X800 〇舞岡公園 RX10M4.jpg
17.ミツマタ(三叉・三椏)
古民家の裏手に背の低いミツマタの木が何本か植えられている。葉の柄は長さ5〜10mm。葉の展開前に開花する。枝先の頭状花序に小さな花が30〜50個つく。花は両性で、花弁はなく、萼が目立つ。昨年11月に滋賀県湖東の百済寺を訪ねたとき、ミツマタの群落を見た。その冬芽は裸芽で、銀白色の絹毛におおわれていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
210316083_017 X800 〇舞岡公園 RX10M4.jpg
18.ボケ(木瓜) -1
春は黄色い花が多いが、ボケの花は赤が色鮮やかである。ボケはバラ科ボケ属で、葉は長さ4〜8cmの楕円形または長楕円形で先はとがり、ふちには鋭い鋸歯がある。両性花と雄花が混生する。両性花には花柱が5個、雄花には雌しべがない。葉の展開前に開花する。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
210316088t_018 X800 〇舞岡公園 RX10M4.jpg
19.ボケ -2
  古民家のある小谷戸の里にはボケが何本か植えられている。ボケは、庭木や盆栽、生け垣、切り花として観賞され、ボケの品種は200種類以上あるとされており、花も一重や八重咲きなど様々である。 花色も鮮やかな朱色や赤、白、ピンク、まだらに色が入るタイプ、一本の株に紅と白の花をつけるものなどがあると言われる。果実が瓜に似ており、木になる瓜で「木瓜(もけ)」とよばれたものが「ぼけ」に転訛したとも、「木瓜(ぼっくわ)」から「ぼけ」に転訛したとも言われるそうだ。『本草和名』(918年)には、果実の漢名を木瓜(もくか)、和名を毛介(もけ)として登場するという。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
210316099_019 X800 舞岡公園 RX10M4.jpg
20. ボケ -3
ボケはいろんな花の咲き方があり、同じ枝より赤と白の花が咲いたり、花色が変化する咲き方や枝や、花が変形するものなどいろんな特色のあるボケがあるという。これは1本の木に白と紅の花が咲く品種だが、花が白と紅に絞り分けられる安田錦とか東洋錦という人気品種もあるようだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
210316100_020 X800 〇舞岡公園 RX10M4.jpg
21.ハナモモ
小谷戸の里にはモモの花が咲いていた。モモの花は紅色の印象があるが、この花色は淡いピンク色である。モモは大きく分けて2種類あり、食用の実桃と、園芸品種のハナモモに分けられる。花を観賞するための品種は「ハナモモ」と呼び、食用の実桃とは性質が異なる。ハナモモにも実はなるが、小さくて食べられない。日本で数多くの品種改良が行われ、種類が豊富。観賞用のハナモモとして改良が行われるようになったのは江戸時代に入ってからで、現在の園芸品種の多くも江戸時代のものが多いそうだ。どれくらいの品種数があるのか知りたかったが、わからなかった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 208mm ISO100 ) 露出補正 なし
210316092_021 X800 〇舞岡公園 モモ RX10M4.jpg
22.ムクドリの水浴び -1
長久保池でムクドリが数羽集まって、水浴びをしていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 198mm ISO320 ) 露出補正 なし  
210316109t_022 X800 〇舞岡公園 RX10M4.jpg
23.ムクドリの水浴び -2
「水浴びはこうするのよ」とお手本を示しているような様子だった。埃をとるのはもちろん、寄生虫なども洗い流しているらしい。数十羽のムクドリの群れが集団で水浴びをすることがあるらしい。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 198mm ISO320 ) 露出補正 なし
210316110t_023 X800 舞岡公園 RX10M4.jpg
24.アカバナマンサク マンサクの花は黄色いものと思っていたが、マンサクには、日本の山野に自生する在来種とか シナマンサクとかアメリカ産のマンサクとか色々あって、しかも各々を人工交配した園芸品種が沢山あり、種類が多いそうだ。舞岡公園の南門のそばにアカバナマンサク?があった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
210316113_024 X800 舞岡公園 RX10M4.jpg
25.ヒイラギナンテン(柊南天)
この時期には黄色い可愛い花を咲かせる。wikipediaによれば、葉は奇数羽状複葉で、互生し、小葉は硬く、ヒイラギの葉に似て鋸歯はとげとなる。常緑で落葉はしないが、冬に赤銅色になる部分があり、紅葉のようになる。春先に総状花序に黄色い花をつける。その中にある雄しべは、昆虫などが触れることによる刺激で内側に動いて、花粉をなすりつける。果実は液果で、秋に青く熟す。江戸時代に中国から日本に持ってこられ、栽培される。ヒイラギナンテン属(英語版)には約60種あり、中国から北米・中米にかけて分布するそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
210316116_025 X800 舞岡公園 RX10M4.jpg
26.ジョウビタキ♀
私にとって、野鳥の同定は難しい。「くらべてわかる野鳥 ヤマケイ文庫 叶内拓哉」を首っ引きで調べ、ジョウビタキの♀にたどり着いた。羽の白い斑紋と尾羽の裏側の赤褐色が同定の根拠となった。先日、かっぱ池で♂を観察したが、♂と♀ではいでたちが随分違う。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 220mm ISO100 ) 露出補正 なし
210316124tm_026 X800 〇舞岡公園 ジョウビタキ♀ RX10M4.jpg     


2021年1月11日

琵琶湖をぐるっとGo To トラベル 11月25日~27日 (10)西教寺 11/27

今回のツアー最後の名刹である西教寺に着いた。今回は、西明寺、金剛輪寺、百済寺、延暦寺、教林坊、そして西教寺と滋賀県内の6つの寺院を巡ったが、いずれも天台宗の寺院であった。
 西教寺ホームページによれば、天台真盛宗総本山 西教寺は聖徳太子が恩師である高麗の僧慧慈、慧聡のために創建したと伝えられている。その後、久しく荒廃していたが、慈恵大師良源上人が復興、念仏の道場とした。恵心僧都も入寺、修業されたところから次第に栄えるようになったという。鎌倉時代の正中2年(1325年)に入寺された恵鎮(円観)上人は、伝教大師が畢生(終生)の事業として提唱された大乗円頓戒を復興、その後百有余年を経た文明18年(1486年)に真盛上人が入寺されるに至り、堂塔と教法を再興、不断念仏の道場とした。以来全国に約400余りの末寺を有する総本山となった。
 総門を入ったところにある受付で拝観券を受けとって、後は自由に参拝ということになった。約1時間滞在という制約もあったのだが、結果として、境内を中心に歩いてしまい、本堂に上がるのを割愛し、客殿やその庭園を見逃してしまっていたは大失敗だった。本殿に上がって、重要文化財である本尊「阿弥陀如来像」をお参りして、本堂の奥にある重要文化財の客殿 (豊臣秀吉の伏見城にあった旧殿で慶長3年(2598年)に大谷刑部吉隆の母と山中山城守長俊の内室が檀越となり、寄進・移築したものと言われている。)  および、その庭園を見なかったという大失態である。これも事前の勉強不足と反省した。
 正月3日もNHK大河ドラマ「麒麟がくる」を見た。池端俊策の脚本で明智光秀の生涯を描き、主人公の明智光秀役には長谷川博己が起用されている。タイトルは仁政を行う王の元に現れるとされる伝説の動物「麒麟」が由来となっており、モチーフとしての麒麟が何者で、如何にして何れの英雄の前に現れるのかを問うていく物語だ。新型コロナ・ウィルス感染症のため、5月15日には第21回(6月7日)を以て放送は一時休止され 2021年2月7日に最終回を放送することになっている。光秀が比叡山焼き討ちの戦功で与えられた地に築いた坂本城、その延暦寺焼き討ちで焼失した後、明智光秀(1528-82)が西教寺の復興に尽力したことから、西教寺の境内には、光秀一族の墓がある。
 11月に行ったこの琵琶湖一周の旅日誌も、12月以降感染者が増加し、Go To トラベルが一時中止され、1月8日には緊急事態宣言が再び発出されることになった。ブログのタイトルに肩身の狭い思いをしている。

<img alt= 西教寺ホームページより

193.西教寺到着
西教寺の総門に着いた。 西教寺は坂本城から山手に進んだところにあり、この総門は坂本城の城門を天正年間に明智光秀が移築したものと伝えられている。春には総門から勅使門までの直線の参道の両側にサクラが咲く。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 11mm ISO640 ) 露出補正 -0.3段
201127787_193 X800 西教寺 RX10M4.jpg
194.禅智坊の門
総門からまっすぐに進む参道の両側にはいくつかの 塔頭  があった。これは総門を入ってすぐ左にあった禅智坊である。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/320秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
201127792_194 X800 西教寺 RX10M4.jpg
195.禅明坊
禅智坊の参道を挟んで前にある禅明坊だ。明治時代に作られた門が国登録有形文化財に登録されている。文化庁の 「文化遺産オンライン」というサイトによれば、1間1戸高麗門の形式で,親柱を上部に延ばして直接棟木を受け,軒は疎垂木,屋根は桟瓦葺とする。親柱を結ぶ内法虹梁と木鼻に施した絵様や,親柱足元の八艘飾などが,意匠の見所となっている。参道の北側の東端に位置し,参道らしい連続性を保っている。また、庭園も大きいのだが最近造られたものかもしれない。この塔頭(里坊)では「麒麟がくる」の大河ドラマ館のひとつとして、「びわ湖大津・光秀大博覧会~戦国ぶらさんぽ~」というイベントが「麒麟がくる」の最終回放映日に合わせ、2021年2月7日まで行われている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 13mm ISO400 ) 露出補正 -0.3段
201127793_195 X800 西教寺 RX10M4.jpg
196.徳乗坊の門
参道中ほどの右側の徳乗坊がある。この門も明治時代に建てられた国登録有形文化財である。 「文化遺産オンライン」によれば、 形式は1間1戸の薬医門であるが、軒は疎垂木・木舞打で、起りのある桟瓦葺の屋根を架け、冠木を丸太状の材とするなど,数寄屋風の意匠が取り込まれており、近代和風の造形と思われる。参道の北側,實成坊と禅明坊の間に位置し,参道空間に欠かせない存在。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 13mm ISO1000 ) 露出補正 -0.3段
201127794_196 X800 西教寺 RX10M4.jpg
197.塔頭ともみじ
ちょっと記憶が怪しいが、写真は徳乗坊の庭のもみじだったと思う。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 13mm ISO640 ) 露出補正 -0.3段
201127795_197 X800 西教寺 RX10M4.jpg
198.實成坊の門
「文化遺産オンライン」によれば、實成坊は近世より続く西教寺の塔頭のひとつである。敷地南の門は1間1戸の薬医門で、軒が疎垂木、屋根が桟瓦葺、組物は簡素な絵様肘木であるが、妻の虹梁・大瓶束架構を見所とする。両側に続く穴太衆積の石垣と一体となって参道景観を形成している。直轄教区宿坊の看板も掛けられていた。江戸時代後期に作られた門は登録有形文化財である。庭は比較的近年作庭された枯山水と池泉式の組合せた庭園だそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 19mm ISO800 ) 露出補正 -0.3段
201127796_198 X800 西教寺 RX10M4.jpg
199.禅林坊の門
同じく「文化遺産オンライン」によれば、木造、瓦葺、間口2.3m、1830-1867ごろに建てられた禅林坊の門で、2001年10月12日に登録有形文化財に登録されている。1間1戸薬医門の形式で、軒は疎垂木、屋根は桟瓦葺、妻飾は蟇股とする。木鼻や蟇股などの絵様細部に江戸末期らしい造形がある。北にある實成坊と対になっている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 11mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
201127797_199 X800 西教寺 RX10M4.jpg
200.筑紫門
参道の突き当りに筑紫門があった。いつ建てられた門かネットで調べてみたが、良く分からなかった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 20mm ISO640 ) 露出補正 -0.3段
201127798_200 X800 〇西教寺 RX10M4.jpg
201.筑紫門の前で
筑紫門の前で猫が寝転んで見せた。ジャリ道が暖かいのだろうか?写真を撮っていると、私の方へ寄ってきた。人懐こい。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 11mm ISO1000 ) 露出補正 -0.3段
201127799_201 X800 西教寺 RX10M4.jpg
202.真盛学院 西教寺文庫
猫が寝そべる筑紫門の右側に通用門があり、その先に、真盛学院 西教寺文庫の研修道場が見える。 もみじは少しくすんでいた。2000年11月、宗祖・真盛(しんせい)上人が文明18年(1486年)、西教寺へ入寺して不断念仏を始めてから十八万日を迎えるため、今回の十八万日大法会の記念事業では境内の研修道場前に鉄筋コンクリート2階建ての専門書3万冊を収蔵する書庫と図書館がある「西教寺文庫」と教学を研究、講義する「真盛学院」が完成した。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 12mm ISO800 ) 露出補正 -0.3段
201127803_202 X800 〇西教寺 RX10M4.jpg
203.本堂
本堂は、江戸時代、元文4年(1739年)落成した建築面積240㎡。重要文化財である。境内西寄りに東面して建つ。桁行14m梁間16m規模で、入母屋造本瓦葺とし、正面に一間向拝、背面に縋破風を付ける。浄土真宗本堂の標準的な平面構成になるが、正面広縁を外陣と一体的に扱う。三斗組を重ねる妻飾りや、向拝の龍虎の彫刻など見応えがある。内陣には重要文化財の本尊丈六の阿弥陀如来(平安時代・定朝様式)が安置されている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 12mm ISO800 ) 露出補正 -0.3段
201127808_203 X800 西教寺 RX10M4.jpg
204.明智光秀の妻の墓 -1
奥の右側にある大きい石碑の左下の小さい墓石が、明智光秀の妻・煕子(ひろこ)の墓である。手前は松尾芭蕉の句碑だ。芭蕉没後参百年記念句碑で、「月さびよ明智が妻の咄(はなし)せむ はせ越」と明智光秀の妻煕子を詠んだ句という。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/250秒 15mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段  
201127813_204 X800 〇西教寺 RX10M4.jpg
205.來迎阿弥陀如来二十五菩薩像と明智光秀と妻 煕子の墓
ちょっと外れてしまったが、一番左にあるのが妻 煕子の墓で、一番右側が明智光秀の墓だ。そして中央に並んだ菩薩像は來迎阿弥陀如来二十五菩薩といい、もともとの西教寺二十五菩薩石仏(桃山時代 天正12年 1584年、笏谷石、高さ 120cm 弥陀)は破損が著しいため西教寺屋内の書院と桃山御殿(客殿)を結ぶ、「欣浄廊」に安置されている。阿弥陀如来が二十五菩薩を従え、浄土の世界から音楽を奏でながら来迎し、念仏者を極楽浄土へ導くという。旧二十五菩薩石仏は近江国栗太郡冨田民部進が愛娘をなくし、娘が極楽往生することを願って、天正12年(1584年)3月18日に造立安置した。そして、平成16年4月に復元され法要開眼されたのが、この菩薩像群である。そして右端に見える墓石が明智光秀の墓だ。天正10年にこの世を去った明智光秀は6年前に亡くなった内室 煕子や一族の墓とともに祀られている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 12mm ISO2000 ) 露出補正 -0.3段
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206.戦国武将に仕えた人たちの墓
この西教寺には、明智一族墓所の他にも、一般墓所内に歴史上の人たちの墓所がある。墓所の入口に「戦国武将に仕えた人達の墓」と言う地図入りの説明板があった。それによると、この西教寺を開山した真盛上人の持戒と念仏の布教によって、信仰した武将や民衆が供養されているという。そろばんを広めた長谷川左兵衛藤広の墓所、豊臣秀吉の家臣で、大谷吉継とこの西教寺の檀越(檀家)となり、慶長3年(1598年)に秀吉の伏見城御殿を西教寺に移築寄進した山中山城守の墓所、また、一番墓所の高い場所には、前田利家の六女であった前田菊子墓所があった。ほかにも、出雲松平出羽守の家臣、比良太郎兵衛墓所、肥後細川越中守家臣の長岡監物一族の墓所などがある。

  SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 13mm ISO640 ) 露出補正 -0.3段
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207.墓所から琵琶湖を眺める
「戦国武将に仕えた人達の墓」から、南東の方向には宗祖大師殿の屋根越しに坂本の街と琵琶湖が眺められた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 120mm ISO640 ) 露出補正 -0.3段
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208.鐘楼
本堂の前に鐘楼があった。鐘楼の梵鐘は坂本城の陣鐘で、明智光秀が寄進したものだそうだ。平安時代に造られ、重要文化財になっている。釣鐘堂から本堂にワイヤーロープが渡ってあって、そのロープを引いて撞くという大変珍しい鐘撞きになっているというが。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 10mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
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209.正教蔵
本堂を背にして左側、鐘楼の隣に正教蔵がある。文化遺産オンラインによれば、「正教蔵は2階建の土蔵。切妻造・桟瓦葺で、西面には切妻造・起り屋根の庇を設け、蔵前とする。外壁は上部白漆喰塗、下部縦板張とし、蔵前は柱から軒裏まで漆喰で塗り込める。庇の虹梁絵様や誇張的な板蟇股など、明治初期の意匠が伺える」と記されていた。登録有形文化財  西面のは切妻造・起り屋根の庇ともみじを撮った。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 35mm ISO2000 ) 露出補正 -0.3段
201127830_209 X800 〇西教寺 RX10M4.jpg
210.大本坊
本堂に向かって右側に大本坊がある。ここも大河ドラマ「麒麟がくる」に関わる展示が行われているようだった。 大本坊(庫裡)、本堂、客殿、書院の中心伽藍は、回廊で結ばれている。明智光秀は 元亀3年(1572年)から天正2年(1574年)にかけて西教寺の壇信徒と協力して仮本堂の建立を始め、同年3月には落慶の運びとなったが、その時、宇佐山城の陣屋を移築して庫裏(大本坊)も造営され、その時に梁に使用されていた材木には「天正年中明智公所造古木」と刻銘が入っていて、今も残っています。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 13mm ISO800 ) 露出補正 -0.3段
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211.本堂と大本坊の渡り廊下
大本坊と本堂の間を入ってみると、本堂(左)と大本坊はこの渡り廊下でつながっていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/200秒 13mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
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212.客殿
本堂の奥には重要文化財の客殿がつながっていた。 客殿は、豊臣秀吉の伏見城にあった旧殿で、慶長3年(1598年)に、大谷刑部吉隆の母と山中山城守長俊の内室が檀越となり、寄進・移築したものと説明されている。桁行12間、梁間8間、一重、屋根南面入母屋造り、北面切妻造り、杮葺きの建物である。質素で落ち着いた、桃山様式を伝える数少ない建物でと、パンフレットに紹介されていた。狩野派によって描かれた鶴の間、猿猴の間、厳選の間、花鳥の間の襖絵、さらに、本堂の奥、西側(山側)には小堀遠州の作庭と伝わる客殿庭園があり、庭の中央にびわ湖の形を取り入れた池が配されているという。今回は、西教寺参拝で最も見てこなくてはいけなかったこれらを見損なってしまった。他にも書院庭園( 明治時代作庭 枯山水庭園 )、裏書院庭園(平成元年に地元の庭師によって作庭された池泉鑑賞式庭園) 、大本坊庭園(江戸時代初期作庭 枯山水庭園)があり、 西教寺には 計4っの庭園がある。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/200秒 25mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
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