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2022年12月25日

金沢紀行 11月20日~22日 その8 にし茶屋街 と 忍者寺 11月21日

近江町市場のエルザ口を出て、百万石通り(国道157号線)からタクシーに乗り、にし茶屋街に向かった。157号線を南に進み、犀川に架かる犀川大橋を右に行ったところがにし茶屋街の入口だった。
 にし茶屋街は金沢三茶屋街のひとつで、文政3年(1820年)、加賀藩12代藩主前田斉広の公許を得たことにより、ひがし茶屋街と共に誕生した。金沢城の方角からそれぞれ「東の廓」、「西の廓」と呼ばれた。現在でも料亭や芸妓置屋が立ち並び、藩政期の独特の雰囲気を味わうことができる。金沢の茶屋街において、にし茶屋街に在籍する芸妓数は最大となっているそうだ。多くの観光客で賑わうひがし茶屋街に比べ、にし茶屋街のエリアは南北130m、東西180m、1.8haが指定エリアと小さいが、約100mの目抜き通りは江戸時代の面影を色濃く残し、出格子が美しい2階建ての茶屋建築に老舗割烹が軒を並べ、趣のある一角を作り上げている。夕暮れ時になると、着飾った芸妓が街を歩き、家並みからは三味線の音色が流れて、芸の町・金沢の夜が感じられるという。いわば、現役の茶屋街なのである。確かに観光客の姿は少なかった。夕暮れ時に訪れると良かったのかもしれない。
 にし茶屋街の近くには「寺町台寺院群」がある。しかしこの日は、兼六園、金沢城公園、近江町市場と歩き回って、少々疲れてきた。ちょっと休もうと、和風のカフェとみて入った「甘納豆かわむら」という店の店員さんに、比較的近くにある忍者寺(妙立寺)へ行く道を教えてもらう。忍者村の境内に入ると、外国人を含め多くの観光客の姿があった。拝観は要予約となっている。
 そこから歩いて犀川大橋を渡り、片町にあるホテルに戻った。一休みして、夕食は、あれこれ考えるのも "しんどい" ので、また昨日と同じ、ホテルの近くにある寿司屋へ行くことにする。酒の肴に注文した、12月から禁漁になる白エビのから揚げがとても美味かった。
 記述については、wikipedia、金沢旅物語などのサイト、また、各店のことについてはそれぞれのホームページなどを参照させていただいた。

000_221121223 X700 金沢 にし茶屋街 G7X.jpg
金沢三茶屋街の一つ 「にし茶屋街」の出格子が美しい街並み 2022年11月21日 石川県金沢市野町

164_221121214 X800 金沢 にし茶屋街 G7X.jpg 164.にし茶屋街入り口
タクシーは犀川大橋を渡り、寺町通りを右に曲がって、にし茶屋街の入り口で止めてくれた。入り口の前に立つと茶屋街には観光客は少なく、それほど長くない茶屋街の全貌を見渡すことができた。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1000秒 13mm ISO125 ) 露出補正 なし
165_221121215 X800 金沢 にし茶屋街 G7X.jpg 165.にし茶屋街
にし茶屋街は、この通りがメインストリートで茶屋建築の町屋が続く。およそ100mほどだ。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1000秒 13mm ISO160 ) 露出補正 なし
166_221121216 X800 金沢 にし茶屋街 G7X.jpg 166.「らくがんや」
茶屋街の入り口の右側に、「らくがんや」という店があった。落雁とは、米や麦、豆などの穀類を蒸してから作った粉に砂糖や水あめなどの甘味を加えて着色し、さまざまな形の型に押し固めて乾燥させた干菓子である。暖簾に「諸江屋」とある。「諸江屋」は、嘉永2年(1849年)創業の和菓子屋だそうだ。落雁を中心に金沢の菓子文化を今に伝えるとうたう。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1000秒 13mm ISO160 ) 露出補正 なし
167_221121217 X800 金沢 にし茶屋街 G7X.jpg 167.手裏剣体験 忍者武器ミュージアム
金沢らしい店があった。中に入ってみなかったが、館内には、手裏剣や鎖武器、甲冑の他、50種類、約160点が展示されているそうだ。子供にも楽しめる「手裏剣体験」コーナーもあり、もちろんお土産ショップもある。近くの寺町には忍者寺もある。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1000秒 13mm ISO500 ) 露出補正 なし
168_221121218 X800 〇金沢 にし茶屋街 G7X.jpg 168.出格子 -1
にし茶屋街は、出格子が美しい2階建ての茶屋建築が並ぶ。出格子とは、町屋の1階の表通りに突き出た形式の格子のことだ。木虫籠と書いて「きむすこ」または「きむしこ」と読む金沢の町家の特徴である格子は、割付が細かい出格子(格子の桟の間隔が狭い)で、インドのベンガル地方の赤色顔料を用いたことから「弁柄(紅殻)格子」とも呼ばれるようになったという。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1000秒 21mm ISO640 ) 露出補正 なし
169_221121219 X800 金沢 にし茶屋街 G7X.jpg 169.にし茶屋街の説明板
にし茶屋街一帯は、明治13年(1880年)の大火により焼失してしまったが、通りに面して、一階に揃いの出格子を設け、座敷を備える背の高い二階を吹放しの縁側とする藩政期以来のお茶屋の伝統的な街並みが、大火以降も踏襲されて現在に残っていると記されていた。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 16mm ISO320 ) 露出補正 なし
170_221121220 X800 金沢 にし茶屋街 G7X.jpg 170.出格子 -2
外側は美しい茶屋建築である。しかし、右側の建物は「数登美」という古いお茶屋を改装した和風モダン・バーだそうだ。ここは夜に来ないとわからない。左側の建物は割烹、懐石料理 「にし料理茶屋」という。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1000秒 12mm ISO500 ) 露出補正 なし
171_221121221 X800 金沢 にし茶屋街 G7X.jpg 171.越前おろしそば「手打ちそば はなれ」
越前おろしそばという暖簾の掛かった店を、外国人連れの観光客が覗き込んでいた。ここは「手打ちそば はなれ」という店だった。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 32mm ISO1000 ) 露出補正 なし
172_221121222 X800 〇金沢 にし茶屋街 Dr.Xのすし屋G7X.jpg 172.すし屋「桜桃(ゆすら)」
赤い床几に2人の観光客が待っている店は、すし屋「桜桃(ゆすら)」という。「現地ガイドが配信する金沢観光メニュー」というサイトを見ると、この店、「Doctor-X 外科医・大門未知子 スペシャル」で撮影に使われた店だそうだ。この店は2014年2月まで「田むら」という贔屓のお客さんの多い有名な寿司屋だったらしい。店を閉める時には、石川県で最も部数のある北國新聞に「にし茶屋街の名店に別れ 寿司・田むら 今月限り」と大きく掲載されたという。店主の田村さんが高齢になったため閉店と記されていた。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2 1/1000秒 11mm ISO400 ) 露出補正 なし
173_221121226 X800 〇金沢 にし茶屋街 G7X.jpg 173.西検番事務所
にし茶屋街の芸妓たちの稽古場や管理事務所として、大正11年(1922年)に建築された。事務所のある洋風建築が正面に建ち、その洋風の事務所棟と中庭を隔てた木造2階建、和風の稽古場棟とから成り、事務所棟は寄棟造、桟瓦葺の木造2階建、下見板張りで、明治期に流行したバージボード(軒先飾板)付きの玄関ポーチに特色がある。稽古場のある和風建築が奥に繋がっている。伝統的な茶屋建築が建ち並ぶにし茶屋街において、洋風意匠が目を引くシンボル的な存在である。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2 1/1000秒 11mm ISO125 ) 露出補正 なし
174_221121225 X800 金沢 にし茶屋街 G7X.jpg 174.「甘納豆かわむら」 テイクアウト専門店「MAME ノマノマ」
西検番事務所の前、ちょうどにし茶屋街のメインストリートが終わるあたりに「甘納豆かわむら」という和菓子店のような感じの店があった。「甘納豆かわむら」には、「MAME ノマノマ」というモナカスイーツなどのテイクアウト店があった。「甘納豆かわむら」で注文すると蔵や中庭を眺められるところに用意された椅子のあるところで食べることができた。ラムレーズンの最中スイーツを注文すると、早めに食べてくれという。モナカのサクサク具合が保たれる時間が6分なのだそうだ。「甘納豆かわむら」の2階は「サロン・ド・テ・カワムラ」というカフェになっていた。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO250 ) 露出補正 なし
175_221121230 X800 金沢 にし茶屋街 G7X.jpg 175.「甘納豆かわむら」の店内
店内の様子を撮らせていただいた。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO2500 ) 露出補正 なし
176_221121231 X800 金沢 にし茶屋街 G7X.jpg 176.「MAME ノマノマ」で注文
テイクアウト専門店「MAME ノマノマ」でラムレーズンの最中を注文し、ここにあるベンチで食べた。写真に見える蔵の中にも椅子があり、空いていればそこでも食べられる。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO200 ) 露出補正 なし
177_221121232 X800 金沢 寺町寺院群 G7X.jpg 177.願念寺
「甘納豆かわむら」で会計をする際に、忍者寺への行き方を聞いてみた。西検番事務所の右手の路地を道なりに行って、国道157号線を渡って、そのまままっすぐ行くと着くという。その途中、157号線(ここでは南大通りという)を渡って少し行くと右手に願念寺という寺があった。願念寺は「寺町台寺院群」の一角にある。真宗大谷派の寺で、慶長年間(1596年~1615年)創建で、万治2年(1659年)に河原町(現在の片町)からここに移転した。本堂は文化5年(1808年)に再建されたもので、いわゆる現代の真宗の本堂形式の典型的な建物だそうだ。後から知ったが、境内に松尾芭蕉の「塚もうごけ我が泣く声は秋の風」の句碑があり、この句は奥の細道の旅の途中、弟子・小杉一笑の死を知って詠んだ句という。寺町は加賀藩3代藩主前田利常の城下町づくりによって、犀川南岸の高台に70を超える寺院が集められた町である。寺院が並ぶ寺町通りの築地塀の連なりや、苔むした石垣は、今もなお藩政時代の香りを漂わせている。寺町台は2012年(平成24年)、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定された。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO1250 ) 露出補正 なし
178_221121235 X800 金沢 寺町寺院群 妙立寺 G7X.jpg 178.妙立寺(忍者寺) -1
加賀藩第三代藩主前田利常が創建した。複雑な建築構造と外敵を欺く仕掛けから、忍者寺(にんじゃでら)とも呼ばれる。ちょっと長くなるがwikipediaを引用させていただくと、「寛永20年(1643年)、三代藩主利常が金沢城の近くから移築建立する。利常は徳川幕府により改易されるのを避けるため、徳川家から嫁を迎えるとともに母親を人質に出し、鼻毛を伸ばして馬鹿殿様を演じることで幕府を欺き安心させる。一方、多くの武士が起居できる寺院群(現在の寺町寺院群)を新築し、その中心に出城の役目を持たせた妙立寺を建立する。要塞としての機能を備えた妙立寺は、隠し階段・隠し部屋・落とし穴・見張り台・金沢城へ続く地下通路など外敵を欺く種々な仕掛けを備える。忍者寺と称されるのは、同寺に忍者がいたからではなく、伽藍の複雑な建築構造に由来する。建造は、日蓮の法孫、日像と伝えられる。」と記されている。なんで利常は城下町の寺院を移転させてまで、わざわざ寺町を築いたのだろうか。その理由は二つあるという。一つは、金沢城の防衛能力を強化する為である。金沢城は弱点も多く、あまり堅固な城郭ではなかった。そこで城下町の入口に寺町を設ける事で、有事の際にはこれらの寺町に武士を配置し、砦として用いる意図があった。もう一つの理由は、一向一揆対策だった。一向宗以外の寺院をまとめ、一向宗の寺院はあえて城下町内に散在させたままにしておく事で、一向宗に対して監視の目を光らせ、一揆を未然に防ぐという目的があったという。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2 1/1000秒 11mm ISO1250 ) 露出補正 なし
179_221121236 X800 〇金沢 寺町寺院群 妙立寺 G7X.jpg 179.妙立寺(忍者寺) -2
この妙立寺は日蓮宗の寺院である。寛永20年に日通上人が運上町に創建、のちに藩命により、能登の石動山、新堅町へと移築され、万治2年(1659年)現在地に転じている。文久2年に祖師堂の一部を焼失、それ以前は、ここ、願念寺の前の通りを正面としていたが多数の参拝者で混雑のため、13代藩主前田齋泰の命により、兼六園内にあった「竹澤御殿」の正門を移築、鶴来街道(県道179号)側を正面とした。ここ(写真178)はいわば旧正門ということか。この左わきの路地を進んだ右側に境内、本堂があった。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2 1/1000秒 11mm ISO1250 ) 露出補正 なし
180_221121237 X800 金沢 寺町寺院群 妙立寺 G7X.jpg 180.妙立寺(忍者寺) -3
旧正門と思しきところの左側の路地の先は、絵馬が奉納されているところがあり、ここから見ると閑静な寺に思えた。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2 1/1000秒 16mm ISO1250 ) 露出補正 なし
181_221121240 X800 金沢 寺町寺院群 妙立寺 G7X.jpg 181.妙立寺(忍者寺) -4 境内と本堂
絵馬が奉納されているところから右を見ると、そこは境内と本堂になっていて、多くの観光客がいた。鶴来街道側の門から入ってきた参拝者だ。本堂は幕命で3階建て以上の建物は禁止されていたことにより、外観は2階建てだが、内部は4階建て7層になっているという。中2階、中々2階があり、部屋数は23、階段数は29もあるのだとか。藩主が庶民に気づかれずに、お忍びで詣るための隠し拝殿が、本堂内に中2階のような形で設けられている。戦火を免れた妙立寺は、歴代藩主の祈願所として崇拝される。北陸の豪雪に耐え、その独特の建築様式を現在に伝えている。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 17mm ISO500 ) 露出補正 なし
182_221121241 X800 金沢 犀川大橋 G7X.jpg 182.犀川大橋 -1
忍者寺に入ってきた路地を戻り157号線に出て右へ行くと、犀川大橋が見えてきた。車道上部の梁には、現在の犀川大橋が完成した1924年(大正13年)当時の石川県知事であった長谷川久一が記した橋名板が掛けられている。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/1250秒 37mm ISO125 ) 露出補正 なし
183_221121243 X800 神明宮大けやき G7X.jpg 183.神明宮の大ケヤキ(欅) -1
犀川大橋の手前、左側に大きなお社があった。まず、大きなケヤキの木が目につく。そこは、幣形に串刺しにした餅を聖火であぶり食すると悪事災難厄除けに御利益があると言われている300年以上続く「あぶり餅神事」でも知られていて、詩人中原中也や文豪室生犀星とも縁深い神社だそうだ。境内には樹齢1000年を超える大ケヤキが立っている。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1000秒 13mm ISO200 ) 露出補正 なし
184_221121247 X800 神明宮大けやき G7X.jpg 184.神明宮の大ケヤキ -2
神明宮の御神木で、パワースポットでもある "神明の大けやき" は、樹齢1000年を越えると云われる県下最大の大けやき(樹高33m、幹周7.83m、枝幅25m)で、1943年(昭和18年)に当時の文部省より「史跡名勝天然記念物」の指定を受け、金沢市指定保存樹の第一号であると説明されていた。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 24mm ISO800 ) 露出補正 なし
185_221121251 X800 〇神明宮大けやき G7X.jpg 185.神明宮 大ケヤキの紅葉
神明宮は天照皇大神、豊受姫神を祭神とし、古来より "お神明さん" の愛称で親しまれ、金沢旧五社(藩政期より藩主・前田家の信仰特に厚く、中別当または社僧が奉仕しないで、神官だけが守護する5つの神社)の一社で、加賀藩5代藩主・前田綱紀は当宮を氏神とするに至ったそうだ。そして、全国七神(他の6つは東京・芝神明、山形・湯殿山神明、大阪城神明、長野・安曇神明、京都・東岩倉神明、京都・朝日神)、または三神明の一社と云われる。私が住む横浜市保土ヶ谷にも神明社がある。神明社、神明宮は神社本庁によると日本全国に約5千社あるとされている。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 37mm ISO320 ) 露出補正 なし
186_221121254 X800 犀川大橋 G7X.jpg 186.犀川大橋 -2
再び犀川大橋に向かって歩く。犀川大橋の橋長は62.3 m、幅員は18.7 m(完成当時の幅員は車道12.5m、歩道1.8mX2)である。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5.6 1/1250秒 37mm ISO125 ) 露出補正 なし
187_221121255 X800 〇犀川大橋 G7X.jpg 187.犀川大橋から犀川下流の眺め
浅野川の愛称「女川」に対して、犀川は、「男川」と呼ばれ金沢市を流れて日本海に注ぐ二級河川である。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/1250秒 21mm ISO125 ) 露出補正 なし
188_221121259 X800 〇犀川大橋 G7X.jpg 188.犀川大橋から犀川上流の眺め
金沢市の南端に位置する奈良岳に源を発し北流する。上流には犀川ダム、内川ダムがあり、さらに2012年(平成24年)には、洪水対策として工事が行われていた辰巳ダムが竣工した。江戸時代初期、犀川上流の水を金沢城に引いた辰巳用水が建設され、現在も流れている。そのほか、金沢市内を流れる数々の用水が取水しており、市民の水資源として重要な役割を果たしている。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/1250秒 37mm ISO125 ) 露出補正 なし
189_221121262 X800 〇犀川大橋 G7X.jpg 189.犀川大橋 -3
現在の犀川大橋は1924年(大正13年)に完成し、国の登録有形文化財に登録されている。犀川大橋の完成当時は鋼材が関東大震災の影響もあり入手し難く、英国産を一部使用している。最初の架橋は加賀藩祖、前田利家が造った木造大橋だ。城下一の大きさを誇り、犀川に架かる唯一の大橋であったことから、今と変わらず当時も人の交流や物流が盛んだったという。明治維新以後も洪水や氾濫により度々流失し、明治31年(1898年)に木造橋最後の架け替えが行われた。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/1250秒 14mm ISO125 ) 露出補正 なし

2021年12月14日

保土ヶ谷公園 紅葉探し 11月25日

少し早いかと思ったけれど保土ヶ谷公園のイチョウとカエデの紅葉を見に行った。保土ヶ谷公園では、「辻広場」というところを除いて、カエデ類の紅葉はあまり多く見られない。
 星川駅前で乗った市営バスは、横浜新道の星川入り口からへ左へ曲がって、イチョウ並木を上がって行く。イチョウはもちろん色づいているが、まだピークではないようだ。明神台のバス停で下りて、辻広場へ向かう。
 見渡したところ、カエデ類は紅葉はしているもののあまり色濃くない。イロハモミジはまだ青い葉が残っている一方、ハナカエデは葉が落ち始めていた。

000_211125050 X700 保土ヶ谷公園 D750 TAMRON 35-150.jpg
保土ヶ谷公園 イチョウ並木のバス通り 11月25日

001_211125003 X800 保土ヶ谷公園 D750 TAMRON 35-150.jpg 1.オオモミジ
保土ヶ谷公園のなかでは一番紅葉が美しく、何種かのカエデがある「辻広場」に来た。このカエデは葉が大きく7裂になっている。オオモミジのようだ。あまり赤くはなってていない。葉は色が褪せて、落ち始めていた。オオモミジに関してはタイミングが遅かったようだ。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 150mm ISO110 ) 露出補正 なし
002_211125008 X800 保土ヶ谷公園 D750 TAMRON 35-150.jpg 2.イロハモミジ
これはイロハモミジのようだ。まだ、紅葉していない葉も残っている。陽を浴びて輝いていた。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 150mm ISO180 ) 露出補正 なし
003_211125012 X800 保土ヶ谷公園 D750 TAMRON 35-150.jpg 3.ハナカエデ -1
このハナカエデの木は美しく紅葉するのだが、やや遅く、葉は落ち始めていた。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f2.8 1/500秒 35mm ISO160 ) 露出補正 なし
004_211125014m X800 〇保土ヶ谷公園 D750 TAMRON 35-150.jpg 4.若いお母さんと幼児 -1
「辻広場」で若いお母さんが子供を遊ばせていた。お母さんに「2歳ですか?」と尋ねるとまだ1歳だとのこと。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f2.8 1/500秒 35mm ISO110 ) 露出補正 撮影後補正
005_211125015m X800 保土ヶ谷公園 D750 TAMRON 35-150.jpg 5.若いお母さんと幼児 -2
「遠くから撮らせてください」と言って、この女の子に手を振ると、バイバイをしてくれた。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 90mm ISO140 ) 露出補正 撮影後補正
006_211125018 X800 保土ヶ谷公園 D750 TAMRON 35-150.jpg 6.ハナカエデ -2 「辻広場」の奥の方にもハナカエデがあり、まだ、紅葉の進まない葉が残っていた。ハナノキともいう。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 150mm ISO180 ) 露出補正 なし
007_211125019 X800 保土ヶ谷公園 D750 TAMRON 35-150.jpg 7.「下池」
「下池」の手前から「上池」、「にぎわい広場」方向を眺める。午前十時、人影はない。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f2.8 1/500秒 35mm ISO320 ) 露出補正 なし
008_211125021 X800 保土ヶ谷公園 D750 TAMRON 35-150.jpg 8.「わんぱく広場」
逆に「上池」を背に、「辻広場」の下にある桜丘高校方面への出口の方を見る。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f3.2 1/640秒 35mm ISO100 ) 露出補正 なし
009_211125027 X800 保土ヶ谷公園 D750 TAMRON 35-150.jpg 9.「ふれあいの森」の紅葉
保土ヶ谷公園のカエデの紅葉は、そう広い範囲ではない。「上池」の先の「にぎわい広場」を左に階段を上がると「ふれあいの森」がある。そこのモミジが逆光できれいだった。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 120mm ISO180 ) 露出補正 なし
010_211125028 X800 保土ヶ谷公園 D750 TAMRON 35-150.jpg 10.春を待つ「梅園」
「にぎわい広場」を右へ上がると5面のテニスコートがある。年配の方々がプレーを楽しんでおられた。右下に「上池」、「下池」を眺めながら戻るように進むと「梅園」に出る。約40品種、約120本のウメがあり、2月には「梅まつり」が行われる。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 65mm ISO100 ) 露出補正 なし
011_211125032 X800 保土ヶ谷公園 D750 TAMRON 35-150.jpg 11.イチョウ並木 -1
星川駅前から、横浜新道の星川入り口を左に曲がる路線バスは、保土ヶ谷公園へのイチョウ並木を登って、明神台から右の方へ、保土ヶ谷公園のなかを花見台方面へ進む。そのイチョウの写真を撮ろうと明神台から、横浜新道の星川入口の方へ下って行った。イチョウ並木の左側を下りていくと、右後ろからお日様が照り、イチョウ並木の遊歩道に影をつくる。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f3.2 1/500秒 46mm ISO100 ) 露出補正 なし
012_211125038 X800 保土ヶ谷公園 D750 TAMRON 35-150.jpg 12.イチョウ並木 -2
イチョウ並木をいったん下まで下りて、バス通りを反対側に渡り、再び明神台へと上っていく。今度はイチョウ並木は順光である。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 72mm ISO100 ) 露出補正 なし
013_211125039 X800 保土ヶ谷公園 D750 TAMRON 35-150.jpg 13.イチョウ並木 -3
一本一本の木々は色づき方が異なり、グラデーションになっていた。神宮外苑のイチョウには叶わないが、ここのイチョウ並木も美しい。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f4 1/640秒 150mm ISO100 ) 露出補正 なし
014_211125057 X800 光栄山法性寺 D750 TAMRON 35-150.jpg 14.寺光榮山法性寺
明神台のバス停から、帰路にいつも寄る明神台公園へ寄って見た。明神台公園の隅にキバナコスモスが植えられていて、秋にはツマグロヒョウモンがいつも来ている。そのキバナコスモスは、整備のためか抜かれてしまっていたが、土から顔を出す可愛い芽が見えた。この公園は保土ヶ谷区の土木事務所で管理されているようだ。そこから、法性寺へ。大イチョウが見たかった。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f7.1 1/500秒 44mm ISO100 ) 露出補正 なし
015_211125063 X800 ◎光栄山法性寺 D750 TAMRON 35-150.jpg 15.10月桜
法性寺の門を入ると、七面堂の前に今年も10月桜が咲いていた。「猫の足あと」というサイトの寺社案内によると、このお寺は日蓮宗の寺院で、芝生村の人齋藤忠兵衞が開基檀那となり、法性院日在(元和7年寂)が元和2年(1616)に開山したと記されていた。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムで撮影  ( f4.1 1/640秒 150mm ISO100 ) 露出補正 なし
016_211125068 X800 光栄山法性寺 D750 TAMRON 35-150.jpg 16.法性寺山門と大イチョウ
御本堂でお参りをして、山門と大イチョウの写真を撮った。まだ、紅葉の見ごろまではちょっと間があったようだ。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f4.1 1/500秒 35mm ISO100 ) 露出補正 なし
017_211125075 X800 光栄山法性寺 D750 TAMRON 35-150.jpg 17.法性寺山門への階段と大イチョウ
山門をくぐると星川駅から保土ヶ谷公園へ向かうバス通りに向けて、石段が造られていた。振り向くと大イチョウはその右側に立つ。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 56mm ISO100 ) 露出補正 なし
018_211125079 X800 ◎峰岡公園 D750 TAMRON 35-150.jpg 18.コセンダングサとキタテハ
自宅に戻る途中、何か飛んでいないかと、いつもの公園の裏手にある空き地に寄った。キタテハとウラナミシジミ、ヤマトシジミが元気に飛んでいた。クロマダラソテツシジミはどうかと、いつものポイントを見回ったが見られなかった。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 150mm ISO100 ) 露出補正 なし


2021年5月23日

三ツ沢公園と豊顕寺 5月15日

緊急事態宣言が発出されているし、天候も今ひとつだ。今日あたりは、裏高尾へでも初夏のチョウを撮りに行きたいところだが、もう一つ意気が上がらない。かといってじっと家にいるのも飽きてしまう。
 しばらく行っていなかった三ツ沢公園から 豊顕寺(ぶげんじ)を歩いてみることにした。数年前までは時々歩いていたのだが、最近はしばらく行っていない。三ツ沢公園までは自宅からは登り坂になり、ゆっくり歩いて30分はかかる。
 道に迷ってしまって、仕方なく国道1号線の岡沢町の交差点へ出た。ここには、以前通っていた鳥小屋(ゴルフ練習場)があったが、それが立派な有料介護老人ホームになっていた。
 そこからは右方向に。大分遠回りをしてしまったが、ニッパツ三ツ沢球戯場に出た。花が植えられているところもあるのだが、チョウの姿はない。そこから、横浜市戦没者慰霊塔へ行き、豊顕寺市民の森へ行った。そこには、江戸時代三澤壇林という、いわば仏教寺院における僧侶の養成機関があった。1720年(享保5年)に老中久世重之の力などで法照山豊顕寺に江戸幕府の許可が下ったため、檀林が設置された。 豊顕寺市民の森の藤棚のある辺りで、豊顕寺と三澤壇林を結んでいたと思われる坂道の参道に出る。いったん右へ坂を上り切り、参道の石段を下る。しばらくすると豊顕寺の山門(赤門)が見えてくる。
 豊顕寺から、国道1号は近い。帰りは三ツ沢上町から横浜市営地下鉄に乗り、横浜駅からはバスで帰宅した。11,000歩、大したことないが、アップ・ダウンがあったので少々疲れた。

000_210515 X700 三ツ沢公園マップ 横浜市緑の協会公式サイトより.jpg
三ツ沢公園マップ 横浜市緑の協会公式サイトより

1.ビワの実
自宅から車で第三京浜へ出る道を歩き始めた。車だとなんということはないが、歩くと結構な上り坂だ。途中に古くから住まわれている家もあるが、その庭にビワの木があって、沢山の実が付いていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
001_210515003 X800 近所のビワ RX10M4.jpg
  2.ヤマトシジミ
カタバミ(ヤマトシジミの食草)が生えているところを、行ったり来たりしているヤマトシジミがいた。  

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
002_210515006t X800 ◎近所 カタバミ RX10M4.jpg
3.平沼亮三さんの銅像
裁判所通りに出る。ここから右へ入って、次を左へ行くところを間違えてしまった。見覚えのない住宅地を歩き、また、裁判所通りに戻ってしまった。仕方なく、国道1号線の岡沢町のバス停に出て、そこから右へ上がっていく。しばらく進むと、三ツ沢競技場の脇に出た。実業家であり政治家、また、アマチュアスポーツ選手で、衆議院議員(憲政会、民政党)、貴族院議員(同成会)、そして横浜市長を務め、日本における市民スポーツの父と呼ばれる平沼亮三さんの像があった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1000秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
003_210515015 X800 平沼亮三像 RX10M4.jpg
4.ニッパツ三ツ沢球戯場
ニッパツ三ツ沢球戯場は、1964年(昭和39年)の東京オリンピックのサッカー会場として使用されたほか、現在では、サッカーJリーグや全国高校サッカー選手権の会場として使用されている球技場で、横浜F・マリノスがホームゲームを多く開催している。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
004_210515017 X800 ニッパツサッカー場 RX10M4.jpg
5.横浜市戦没者慰霊塔
テニスコートの脇を通って、首都高を歩道橋で渡る。横浜市馬術協会の馬場を見ながら北へ上がって行くと横浜市戦没者慰霊塔が見えてきた。 横浜市戦没者慰霊塔は、2本の塔と安置堂からなり、昭和28年3月に建立され、戦後50周年にあたる平成7年に改修されている。西南戦争から第2次世界大戦までの戦没者2万余柱の御霊を安置しているそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
005_210515019 X800 〇戦没者慰霊塔 RX10M4.jpg
6.豊顕寺市民の森
戦没者慰霊塔を背にさらに進むと豊顕寺市民の森の入口があった。この時季は花もなく、薄暗い感じがする。豊顕寺市民の森は面積2.3haほどで、広さの点では少々こぢんまりとしているが、市街地の中にあってひっそりと緑豊かな空間を保っており、散策を楽しむ人も多い。桜の名所として知られている他に、秋の紅葉や初夏のアジサイなども見事だと聞く。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1250秒 12mm ISO1250 ) 露出補正 なし
006_210515020 X800 豊顕寺市民の森 RX10M4.jpg
7.藤棚広場
豊顕寺市民の森の入口を入って少し歩くと藤棚広場というところがあった。藤棚があったが、フジはもう終わってしまっていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 16mm ISO800 ) 露出補正 なし
007_210515022 X800 豊顕寺市民の森 RX10M4.jpg
8.豊顕寺本堂へ下る石段
藤棚広場を進むと豊顕寺への石段(参道)へ出る。下ると豊顕寺という寺があるが、その参道をいったん右へ上がる。そこに八幡広場という広場があり、四阿が設けられている。この八幡広場のあたりが豊顕寺市民の森の南端部と言ってよく、抜け出ると南には三ツ沢公園が隣接している。この辺りが三澤壇林だったところだろうか。享保5年(1720年)に壇林として学舎5棟、学寮25棟を建設、その後も再建、増築をし宏大宏大な規模になったが、明治時代になり火災による焼失、大正期には地震による倒壊によって壇林は廃絶したといった内容が、横浜市教育委員会文化財課、財団法人横浜国際観光協会による豊顕寺の説明板に記されていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 67mm ISO3200 ) 露出補正 なし
008_210515024 X800 豊顕寺 参道 RX10M4.jpg
9.赤門
その石段(参道)を下りきるところに朱に塗られた門があった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 30mm ISO3200 ) 露出補正 なし
009_210515026 X800 豊顕寺 山門 赤門 RX10M4.jpg
10.赤門を振り返る
その赤門をくぐると左手に豊顕寺境内が見える。赤門の説明板には、豊顕寺の山門は弁柄という赤色の顔料で塗られていたことから、赤門と呼ばれ、檀林の門と呼ばれ親しまれてきた。門を赤く塗るのは幕府のお墨付きが無ければできないことで、三澤壇林は幕府の許可を得て創設されたことから、赤門の建立が許されたと考えらる。赤門は壇林の廃止後も戦火を免れ、豊顕寺の山門としてこの地を守り続けてきた。この歴史ある赤門を後世に残すべく平成27年の豊顕寺開創五百年慶讃記念事業の一環として保全工事が行われた。といったことが書かれていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 10mm ISO1600 ) 露出補正 なし
010_210515029 X800 豊顕寺 山門 赤門 RX10M4.jpg
11.豊顕寺境内への門
赤門をくぐり、小さな石段を下りると、すぐ左側に豊顕寺境内への門があり、本堂が見える。これが山門かと思っていたが、当山と書かれた赤門の説明板には、豊顕寺の山門は赤門と呼ばれたとある。この門は何と呼ばれるのかと疑問を持った。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 10mm ISO1600 ) 露出補正 なし
011_210515032 X800 豊顕寺 境内 RX10M4.jpg
12.本堂と寺務所
その門の正面に本堂があった。右側には立派な寺務所らしき建物がある。境内はそう広くはない。本堂は、昭和42年(1967年)建立の鉄筋コンクリート造りだそうだ。屋根瓦には、「井桁に橘」と「三つ鱗」の紋が見られた。本堂の正面は閉ざされていた。豊顕寺は法華宗陣門流の寺院である。山号は法照山。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
012_210515038 X800 豊顕寺 境内 RX10M4.jpg
13.日蓮上人像
日蓮上人は鎌倉時代の仏教の僧で、鎌倉仏教のひとつである日蓮宗、法華宗の宗祖である。日蓮上人が宗祖である日蓮宗と法華宗の違いはどうなのかと、ちょっと検索してみたが、一口では言えない。法華宗(陣門流)は総本山本成寺(三条市)を中心とする教団で、日蓮宗は久遠寺(身延町)を中心とする教団であることは分かった。訪れた各地のお寺で日蓮上人像を見ることがある。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO200 ) 露出補正 なし
013_210515041 X800 豊顕寺 境内 RX10M4.jpg
14.大イチョウ
本堂前から、いま境内に入ってきた門を見る。門の右側に大きなイチョウの木が見える。樹齢600年ということだが、樹高はそれほどでもない。豊顕寺の大イチョウの名がある。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
014_210515042 X800 豊顕寺 境内 大イチョウ RX10M4.jpg
15.大イチョウの幹
推定樹齢600年だそうだが、回り込んで幹を見ると、樹皮が剥がれてしまっている。樹齢1千年といわれ、神奈川県の天然記念物に指定されていた鎌倉の鶴岡八幡宮の大イチョウが、2010年(平成22年)3月10日未明、強風で倒壊したのを思い出した。頑張って欲しい。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/320秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
015_210515044 X800 豊顕寺 境内 大イチョウ RX10M4.jpg
16.法照山豊顕寺 総門
入り口の門で一礼して、境内を退出する。国道一号線、そして横浜市営地下鉄の三ツ沢上町駅入り口への道にある総門を出て、振り返る。右の門柱に法照山、左に豊顕寺とあった。赤門が見える。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 9mm ISO640 ) 露出補正 なし
016_210515046 X800 豊顕寺 総門 RX10M4.jpg
17.せせらぎ緑道 門前橋広場
国道1号線に向かって歩くと、右側にせせらぎ緑道門前橋広場と彫られた石版がはめ込まれた石畳の散策路があった。河川の浸食によって形成された崖線沿いを、ここ門前橋広場を少し西へ行った水門広場から、東へ三ツ沢下町手前の上田橋跡までの、総延長1kmほどの緑道で、もともと反町川(滝の川)という川が流れていた場所に湧水を使ったせせらぎが流れている。このせせらぎは地下鉄三ツ沢上町、三ツ沢下町両駅に湧き出ている地下浸透水を水源に利用した珍しいものであるらしい。改めてこの 三ツ沢せせらぎ緑道 を西の入り口の水門広場から上田橋跡迄歩いてみたいと思う。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO160 ) 露出補正 なし
017_210515047 X800 三ツ沢せせらぎ緑道 RX10M4.jpg
18.せせらぎ緑道のせせらぎ
50mほどせせらぎ緑道に入ってみた。せせらぎの水は澄んでいる。「三ツ沢せせらぎ緑道」は昭和56年から工事が始められ、完成したのは昭和63年(1988年)だったそうだ。せせらぎに下りることが出来、右側にある門前橋をくぐることが出来るようになっていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 23mm ISO2000 ) 露出補正 なし
018_210515049 X800 三ツ沢せせらぎ緑道 RX10M4.jpg


2020年9月27日

南房総館山へ一泊旅行敢行(3) 清澄寺→御宿→海ほたる 9月10日

石堂寺で波の伊八の彫刻を観たあと、再び国道128号線に戻り、道の駅和田浦に寄った。一息入れて、海沿いに鴨川の先を左に上がって、まっすぐ行けば養老渓谷へ通じる道を、日蓮宗の大本山である清澄寺へ向かった。
 この日は御宿のサヤンテラスというホテルのレストランで昼食にすることになっていた。清澄寺から128号線に戻り、御宿に着いたのは午後1時を過ぎていた。道向かいにある海産物の店で、サザエなどを買うことも予定にある。御宿の海岸は、緩やかに弧を描いて東西に伸びる網代湾の、三日月型をした遠浅の海岸で、全長約2kmにわたって続くきめ細かい白砂の砂浜が形成されているという美しい海岸だ。しかし、今年の夏は、コロナ禍で海水浴場は開設されていない。まだまだ暑く、海水浴もできる陽気だが、もちろん泳いでいる人や、サーフィンをする人は見かけられなかった。
 近くに、童謡「月の沙漠」の作詞者であり、御宿をこよなく愛した詩人「加藤まさを」の作品や資料、御宿にゆかりのある文人や画家たちの作品の紹介など、伝統ある御宿の再発見と、新たな文化の創造を目指してて建てられた月の砂漠記念館があり、その前の砂浜にはラクダに乗った王子と姫の銅像があった。そして、すぐ近くにある、通称メキシコ記念塔と呼ばれるオベリスク型の日西墨(日本、スペイン、メキシコ)三国交通発祥記念之碑が立てられている丘へ寄った。 午後3時、メキシコ記念塔を後にして、国道465号を大多喜へ上がり、さらに297号を北へ向かい、市原鶴舞ICで圏央道にあがって、海ほたるへ戻る。Kさんご夫妻とはここで別れる。今回もいろいろとガイドをしていただき感謝に堪えない。
 海ほたるで夕焼けを撮りたいと思って、少し待機したが、空が赤く染まらなかった。木更津側の空に虹がかかっていた。  

51.清澄山
右手に海を見ながら国道128号線を走る。鴨川を過ぎ、小湊の手前を左に〈北)に清澄山方面へ上がる。12時少し前に清澄寺の駐車場、と言っても土産物屋さんの駐車場で、駐車料500円をお支払いした。その高台になったところから海を眺める。歌川広重が嘉永5年(1852年)に清澄寺を参拝していたと書かれた札が立てられていた。清澄の地を訪れた6年後の1858年に、広重は、日本各地の名所を描いた20枚の錦絵を「山海見立相撲」という名で世に出している。その錦絵20枚の中には、4枚の千葉の風景「安房清住山」、「安房小湊」、「上総木更津」、「上総鹿楚山」が収められていたが、この絵は、「安房清住山」だそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 11mm ISO100 ) 露出補正 なし
051_200910423 X800 南房総 清澄寺 RX10m4.jpg
52.清澄寺仁王門
駐車場から、土産物屋が並ぶ道をしばらく歩くと仁王門があった。文久3年(1863年)に建てられたもので、左右に金剛力士像が立つ。正面に向かって右の口を開けている阿像(那羅延金剛)は一切の法の最初を表し、左の口を閉じている吽像(密迹金剛)は一切の法の窮極を表しているそうだ。 

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 10mm ISO250 ) 露出補正 なし
052_200910426 X800 南房総 清澄寺 RX10m4.jpg
53.清澄山境内
境内に入る。参道は直角に曲がり、その正面に本堂である摩尼殿(大堂)、右手前に観音堂、その向こうに鐘楼の屋根は見える。清澄寺(せいちょうじ)は清澄山の頂上近くにあり、宝亀2年(771年)に不思議法師と呼ばれる僧がこの山を開いたといわれている。清澄寺は日蓮宗の大本山だ。山号は千光山。日蓮が出家得度および立教開宗した寺とされ、久遠寺、池上本門寺、誕生寺とともに日蓮宗四霊場と呼ばれる。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 16mm ISO320 ) 露出補正 なし
053_200910466 X800 南房総 清澄寺 RX10m4.jpg
54.摩尼殿(大堂)
摩尼殿は大堂とも呼ばれ、度重なる改修を繰り返し、現在の摩尼殿は17世紀後半のものであるそうだ。 清澄山の主峰は標高377mの妙見山で、千葉県で3番目に高い山である。大堂付近の標高は約310mという。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 12mm ISO500 ) 露出補正 なし
054_200910434 X800 南房総 清澄寺 RX10m4.jpg
55.摩尼殿(大堂)内部
大堂の中央には虚空蔵菩薩、その両側には日天子、月天子を祀る。さらにその外側には不動明王と毘沙門天を祀り、正面右手奥には六老僧の一人・日向上人、左手奥は妙見菩薩の遥拝所としている。  

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/400秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
055_200910435 X800 南房総 清澄寺 RX10m4.jpg
56.摩尼殿(大堂)外陣
摩尼殿(大堂)のなかには立派な彫刻が掛けられていた。 説明書きを探せなかったが、帰宅後ネットで検索してみたところ、青山貞一さん、池田こみちさんのサイト 「伊能忠敬と日蓮の足跡をたどる千葉の旅  清澄寺3」に、堂内の欄間には、十六羅漢とその弟子が智慧の宝珠を授かる一場面や、東端は持国天、西端は広目天、宮殿斜め上には唐獅子牡丹が彫られている。また、正面頭上には、江戸時代の有名な宮彫り師・後藤義光作の梵字額が飾られているといった記述があった。   

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/100秒 15mm ISO3200 ) 露出補正 なし
056_200910436 X800 南房総 清澄寺 RX10m4.jpg
57.摩尼殿(大堂)の扁額
向拝の上には「摩尼殿」と書かれた扁額が架かっていた。摩尼とは仏教用語で、珠玉とか宝石という意味のようだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 15mm ISO1600 ) 露出補正 なし
057_200910441 X800 南房総 清澄寺 RX10m4.jpg
58.摩尼殿(大堂)の彫刻
摩尼殿(大堂)の彫刻  についての説明立札があった。それには「清澄寺本堂には数多くの彫刻が取り付けられている。懸魚には「鳳凰」、向拝には「蓬莱島」と愛染明王の台座、柱の左右の木鼻「獅子と象」、そして東西の破風には「阿吽の力士像」一対が飾られている。後略」と記されている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 20mm ISO1000 ) 露出補正 なし  
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59.摩尼殿(大堂)の破風の彫刻これがその「 阿吽の力士像」一対の片側のようだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 90mm ISO1600 ) 露出補正 なし
059_200910457 X800 南房総 清澄寺 RX10m4.jpg
60.祖師堂
お万の方の奉納とされる、日蓮聖人像を祀っている祖師堂は、建築家内井昭蔵氏が法華経の世界観、日蓮聖人の軌跡を設計に取り入れ、日蓮聖人聖誕750年慶讃事業として昭和48年に完成した。 

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO160 ) 露出補正 なし
060_200910445 X800 南房総 清澄寺 RX10m4.jpg
61.鐘楼堂
平成7年12月に完成した。鐘の側面には奉納者の氏名が彫られている。 また庫裡(かっては1647年(正保4年)年築の    桃山風の庫裏があったようだが、新しく建て替えられたようだ)の正面には明徳3年(1392年)の銘の入った古梵鐘がある。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 12mm ISO250 ) 露出補正 なし
061_200910459 X800 南房総 清澄寺 RX10m4.jpg
62.中門
1647年(正保4年)に創建され、1837年(天保8年)に改修された。 昭和39年4月28日、千葉県指定有形文化財になる。 この門は一門一戸の四足門(2本の親柱の前後にそれぞれ2本、計4本の控え柱を設けた門)で、屋根は茅葺の切妻造りである。 箱棟の鉄板を覆っており、主柱の左右には袖板を付し、正面左右にのみ通路用の「小開扉戸」を備えてある。 軒は二軒につくり、妻軒も深く設計し、耐湿・防風への効果も考慮されていることがうかがえる。和様を主とした折衷様式とのこと。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/800秒 9mm ISO250 ) 露出補正 なし
062_200910447 X800 南房総 清澄寺 RX10m4.jpg
63.古梵鐘と宝篋印塔
中門の先に、「明徳三年在銘」とされた梵鐘と、清澄寺石造宝篋印塔があった。いづれも千葉県指定有形文化財である。梵鐘の大きさは高さ123,2cm、口径66,.7cmで三段組で鋳造されている。宝篋印塔は高さ157cmで地元の嶺岡山系で算出する蛇紋岩で作られている。この塔はその形態から関西様式に類別され、集団・橘家がかかわった可能性が想定されているそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/800秒 9mm ISO250 ) 露出補正 なし
063_200910452 X800 南房総 清澄寺 RX10m4.jpg
64.大楠
中門を抜けた左側に、樹齢800年の大楠があった。清澄寺では、大正13年に国の天然記念物に指定された、高さが約47m、幹周りは約15m、樹齢およそ800年といわれている千年杉が有名であるが、この大楠は市の天然記念物である。 この奥に建て替えられた庫裏と宝物殿がある。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 9mm ISO640 ) 露出補正 なし
064_200910453 X800 南房総 清澄寺 RX10m4.jpg
65.月の砂漠公園
御宿のホテルのレストランで遅めの昼食をとった後、最後の目的地イタリア記念塔へ向かう途中、右手の海岸に月の砂漠記念公園があった。童謡「月の沙漠」は御宿の海岸がモデルとなったそうだ。大正時代に活躍した詩人・抒情画家加藤まさを 作詞の童謡「月の沙漠」に登場するラクダに乗った王子と姫の銅像が公園内に据えられていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 16mm ISO100 ) 露出補正 なし
065_200910470 X800 南房総 御宿 月の砂漠公園 RX10m4.jpg
66.月の砂漠公園 ラクダ像
Wikiwandには、「月の沙漠が御宿の砂丘で生まれたことを記念するために、町で記念像を建てたい」と加藤まさをに告げた。加藤は観光宣伝目的なら真っ平だと断ったが、内山は青少年の情操教育が目的だと主張して加藤を説き伏せた。記念像の除幕式は1969年(昭和44年)7月6日に行われた。  ラクダ像の制作は彫刻家の竹田京一が担当し、アラビア砂漠のベドウィンを取材した経験を持つ朝日新聞記者の本多勝一が監修した。完成当初は合成樹脂製だったが、1990年の「月の沙漠記念館」開館に合わせ、青銅製に作り直された。と記されている。なかなか良い像と思う。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 136mm ISO200 ) 露出補正 なし
066_200910472 X800 南房総 御宿 月の砂漠公園 RX10m4.jpg
67.記念塔(日西墨三国交通発祥記念之碑)
通称メキシコ記念塔と呼ばれる。wikipediaによれば、1609年(慶長14年)に岩和田の海岸で起こったスペインの前フィリピン臨時総督ドン・ロドリゴ・デ・ビベロの乗船したサン・フランシスコ号の漂着事故が、日本とスペイン(西班牙)、およびメキシコ(墨西哥、当時はスペイン領ヌエバ・エスパーニャ)との直接交流を生むきっかけになったことから、漂着と救助を記念する目的で1928年(昭和3年)に建設された。鉄筋コンクリート製で高さ17メートルだそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 11mm ISO100 ) 露出補正 なし
067_200910477 X800 南房総 御宿 メキシコ記念公園 RX10m4.jpg
68.御宿網代湾岩和田漁港
高台にあるメキシコ記念公園からは、御宿網代湾の東端にある岩和田漁港が眺められた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 16mm ISO100 ) 露出補正 なし
068_200910479 X800 南房総 御宿 メキシコ記念公園 RX10m4.jpg
69.抱擁の碑
冷え切った漂着者を岩和田村の女性が素肌で温め蘇生させている姿を表現した像があった。2009年9月29日に漂着400年を記念してメキシコ政府から贈られた。 碑には、嵐に遭遇したガレオン船サン・フランシスコ号が 1609年9月30日 この地へ漂着した。岩和田の住民による人道的且つ決死の救助作業によって ドン・ロドリーゴ・デ・ビベーロ・イ・アベルーサ並びに316名が命を救われた。その史実を介して、メキシコと日本、両国国民の間に友好の絆が結ばれた。メキシコ政府は 墨日交流400周年に因み この彫刻を御宿町に寄贈する。 2009年9月26日 と刻まれている。この時 海女たちは、飢えと寒さと不安にうちふるえる異国の遭難者たちを素肌で暖め蘇生させたと伝えられている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 23mm ISO200 ) 露出補正 なし
069_200910483 X800 南房総 御宿 メキシコ記念公園 RX10m4.jpg
70.海ほたる 夕刻
海ホテルで、軽く寿司をつまんだ後、Kさんご夫妻と別れた。時刻は午後5時半。まもなく日没だが、空はあまり鮮やかではなかった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/1250秒 37mm ISO125 ) 露出補正 なし
070_200910042 X800 海ほたる.jpg
71.虹
ふと、木更津側の空を見上げると虹が出ていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/1250秒 37mm ISO125 ) 露出補正 なし
071_200910046m X800 海ほたる.jpg
72.アクアラインにかかる虹
   川崎側にいたが、虹が消えないうちにと急いで木更津側に回ってみた。トワイライトタイムの虹だ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 31mm ISO125 ) 露出補正 なし
072_200910067 X800 海ほたる.jpg
73.海ほたる 5時45分
空は少し赤くなったが、茜色には染まらなかった。駐車場に戻り、アクアライン浮島から大黒を経由、首都高羽横線へ。羽横線は少し混んでいたが、ほぼ順調に自宅に戻ることが出来た。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1250秒 37mm ISO125 ) 露出補正 なし
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2020年1月13日

神楽坂から飯田橋へ 12月21日

忘年会が続く。今日で4日連続である。現役時代と違うのは、ほとんどが昼の会であるということだ。この日は12時から情報システム部時代名残りの忘年会が、神楽坂であった。
会は3時に終わった。この日は東京駅丸の内のイルミネーションを撮りに行こうかと思っていたのだが、イルミネーションにはまだ時間が早い。来た時に地下鉄東西線の神楽坂駅で降りたが、改札を出て表に上がると赤城神社があった。会の終了後、そこまで戻り、赤城神社に参拝したあと、ゆっくりと神楽坂の通り(早稲田通り)をJR飯田橋駅西口まで下りた。

1.赤城神社鳥居
神楽坂通を北へ入ると、地下鉄神楽坂駅の入り口の先に朱塗りの赤城神社の鳥居が見えた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
シャッタースピード優先オートで撮影 ( f2.5 1/125秒 15mm ISO125 ) 露出補正 なし
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2.赤城神社 社殿
正面に社殿があった。参拝の列ができていたので、その列に並ぶ。しかし、正面がガラス張りの何とも斬新な社殿である。鎌倉時代の正安2年(1300年)、群馬県に鎮守されている赤城神社の分霊を祀ったのが、この神社のはじまりといわれている。寛正元年(1460年)、江戸城を築城した太田道灌により牛込台に移された。その後、弘治元年(1555年)、大胡宮内少輔により現在地に移される。江戸時代には徳川幕府によって江戸大社の一つとされ、牛込の鎮守として信仰を集めた。 太平洋戦争の戦災により、社殿全焼し、昭和26年に本殿を再建、昭和34年に拝殿、幣殿が再建されていたが、平成22年(2010年)9月に「赤城神社 再生プロジェクト」に伴う建て替えが完成した。平成23年(2011年)10月には2011年度グッドデザイン賞を受賞しているそうだ。デザイン監修は、地元神楽坂に在住し同神社の氏子でもある、建築家の隈研吾さんが担当したそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
シャッタースピード優先オートで撮影 ( f2.2 1/125秒 14mm ISO1000 ) 露出補正 なし
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3.蛍雪天神 本宮
境内社として赤城神社社殿に向かって左側に蛍雪天神があった。祭神は菅原道真である。説明板には「古来より天神様として民衆に崇め奉られています。ご祭神は学問の神様菅原道真公を祀ります。この神社はかって横寺町に鎮座し朝日天満宮と称されておりました。江戸二十五社の一つに列しておりましたが、その後信徒なき為、明治九年三月当境内に御遷座。その後戦災により焼失したものを平成十七年十月、現在横寺町にある旺文社のご寄進により蛍雪天神として復興しました。社名額には社長赤尾文夫奉納の銘がある。蛍雪とは中国の故事で、苦労して勉学に励むことを意味します。全国の受験生の皆さん、蛍雪天神はそんな皆さんを応援しています。」と記されていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
シャッタースピード優先オートで撮影 ( f2.2 1/125秒 9mm ISO1000 ) 露出補正 なし
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4.社殿と茅の輪
赤城神社の主祭神は岩筒雄命、赤城姫命。どんなご利益があるのかわからないが、赤城神社は女性の願いを叶えてくれる話題のパワースポットだそうで、女性が多く訪れている。「東京で一番オシャレな神社」としても有名になっている。 茅の輪があったが、潜れないように柵が置かれていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
シャッタースピード優先オートで撮影 ( f2.5 1/125秒 15mm ISO200 ) 露出補正 なし
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5.社殿と狛犬
小さめの狛犬は何かデフォルメされたように見えるが実はそうではないらしい。説明板には「江戸時代、加賀白犬とよばれて流行りましたが、残っているものはわずかです。型や表情はシンプルで、スフィンクスに似ていますが、胸を張り力がみなぎっています。高天原からかみさまのお供をしてきたような表情で澄まして座っていますが前肢は力強く全体に緊張感がみなぎっています。」とあった。古い時代の神殿狛犬の系譜を引くと思われる小型の石造狛犬が、石川県、福井県、岐阜県など白山を仰ぎ見る地域に多く残っていて、それらは「白山狛犬」とも呼ばれているそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
シャッタースピード優先オートで撮影 ( f2.5 1/125秒 18mm ISO160 ) 露出補正 なし
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6.善國寺 石虎
神楽坂通りを飯田橋のほうへ下りて来ると右側に 善國寺があった。ここは以前にお参りしたことがある。善國寺(ぜんこくじ)は、安土桃山時代の文禄4年(1595年)、池上本門寺第12代貫主である日惺上人により、文禄4年(1595年)馬喰町に創建された日蓮宗の寺院。 たびたび火災に見舞われ、麹町を経て寛政5年(1793年)には現在地へ移転した。wikipediaによれば、本堂の左右には神社の狛犬のように阿吽一対の狛虎像が置かれている。案内板には「石虎」と表記され、制作は江戸時代後期のもので、保存状態は、向かって右側の阿形(写真)が比較的良く残っている。向かって左の吽形には全身にヒビ割れや多少の欠けと縞模様に若干の磨耗がありこれは東京大空襲による損傷とその後の修復の痕とされる。虎の作風は頭部が扁平し前肢が長大でどちらかといえば類人猿にも近い印象の肉付きの良い作風の像である。台座部にも虎のレリーフ彫刻が施されている。とあった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
シャッタースピード優先オートで撮影 ( f1.8 1/125秒 9mm ISO500 ) 露出補正 なし
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7.善國寺毘沙門天
本尊の毘沙門天は江戸時代より「神楽坂の毘沙門さま」として信仰を集め、芝正伝寺、浅草正法寺とともに江戸三毘沙門と呼ばれた。 現在は新宿山ノ手七福神の一つに数えられているという。像高30cm、木造の毘沙門天像。製作時期は不明。開山の日惺上人が池上本門寺へ入山する際、関白二条昭実より贈られたとされる。なお通常は御簾が掛かっているため像を直接見ることはできない。(wikipedia)

  Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
シャッタースピード優先オートで撮影 ( f1.8 1/125秒 9mm ISO320 ) 露出補正 なし
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8.善國寺 浄行菩薩
本堂左に回ってみると浄行菩薩があった。身代わり菩薩としても知られている。柄杓で水をかけて、自身の悪い部分を置いてある布でゴシゴシこすりながら願い事をするのだそうだ。

  Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
シャッタースピード優先オートで撮影 ( f2 1/125秒 9mm ISO1250 ) 露出補正 なし
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9.江戸城外堀跡 牛込御門跡
善國寺を出て、JR飯田橋駅西口のほうへ神楽坂を下る。神楽坂下の交差点を渡って、JRの跨線橋を行くと右手に、「史跡 江戸城外堀跡 牛込見付(牛込御門)跡」との説明書きがあった。石垣は江戸城外郭門のひとつである牛込見付の一部だ。江戸城の外郭門は敵の進入を発見し防ぐために、二つの門を直角に配置した「枡形門」という形式だった。この牛込見付は、外堀が完成した寛永13年(1636年)に阿波徳島藩主蜂須賀忠英(松平阿波守)によって石垣が建設されていると説明されていた。明治35年に石垣の大部分が撤去されたが、その名残である。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
シャッタースピード優先オートで撮影 ( f2.2 1/125秒 13mm ISO250 ) 露出補正 なし
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10.日本基督教団 富士見町教会
早稲田通りの牛込見付の交差点の右側に立派な教会が見えた。植村正久によって設立されたプロテスタント教会を代表する教会は1887年に千代田区三番町に日本基督一致教会 番町教会が設立された。1906年には富士見町6丁目3番地に建設した新会堂に移ったが、1923年関東大震災で教会堂は全焼したため、新しい土地の払下げを受け、1929年7月15日に新会堂を建設する。その後1985年に建て替えられ、市街地再開発に伴い(飯田橋グラン・ブルーム)2013年8月に再度建て替えを行った。これが現在の会堂である。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
シャッタースピード優先オートで撮影 ( f2.8 1/125秒 23mm ISO160 ) 露出補正 なし
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11.JR飯田橋駅西口から神楽坂(早稲田通り)を振りかえる
飯田橋とは、実はもうひとつ水道橋寄りの、目白通りに架かる橋で、1881年(明治14年)、交通の便のため、新たに外濠を跨ぐ橋が架けられ、飯田町に接する橋であることから「飯田橋」と命名された。橋梁としての「飯田橋」は、目白通りが外堀を渡る短い橋である。写真は飯田橋駅の西口の「牛込橋」から、まっすぐ神楽坂通り(早稲田通り)を振り返った。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
シャッタースピード優先オートで撮影 ( f2.8 1/125秒 37mm ISO250 ) 露出補正 なし
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2019年12月27日

江ノ電に乗って 12月3日 ④鎌倉に寄り安国論寺と八雲神社へ(終)

長谷での予定は終わった。まだ、時間も早い。鎌倉駅から逗子のほうへ向かったところに安国論寺という寺院があり、鎌倉市観光協会の紅葉情報では「見ごろ」になっていたので、行ってみることにした。かみさんは途中にある「スワニー」という洋装生地屋さんに残していく。
 安国論寺までは鎌倉駅から歩いて20分くらいかかった。参拝者は私以外に一人二人しか居らず、落ち着いた境内だった。しかし、「見ごろ」と期待した安国論寺の紅葉は、残念ながら既に葉が落ち始めていて、期待外れだった。
 安国論寺を辞して、鎌倉駅へ戻る途中の右側に八雲神社入り口と書かれた路地があったので、入ってみた。鎌倉最古の厄除け神社という。
 「スワニー」へ寄ってかみさんをピックアップし、鎌倉駅へ戻る。良く歩いた。家に帰ってスマホの歩数計を見ると15,000歩を越えていた。

66.安国論寺山門
安国論寺は日蓮が鎌倉での修行、布教の拠点とした草庵跡に建立された。「立正安国論」を著した窟もある。日蓮は本論で、相次ぐ災害の原因は人々が正法である妙法蓮華経(法華経)を信じずに浄土宗などの邪法を信じていることにあるとして諸宗を非難し、法華経以外にも鎮護国家の聖典とされた「金光明最勝王経」なども引用しながら、このまま浄土宗などを放置すれば国内では内乱が起こり(自界叛逆難)、外国からは侵略を受けて滅びる(他国侵逼難)と唱え、邪宗への布施を止め、正法である法華経を中心「立正」とすれば国家も国民も安泰となる「安国」と説いた。(wikipedia)

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 48mm ISO720 ) 露出補正 なし
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67.安国論寺 山門から参道
安国論寺の開山は日蓮とされるが、弟子の日朗が文応元年(1260年)に、日蓮が前執権北条時頼に建白した「立正安国論」を執筆した岩穴(法窟)の側に安国論窟寺を建てたのが始まりであるという。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f4 1/320秒 50mm ISO3200 ) 露出補正 なし
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68.本堂ともみじ
このもみじが 鎌倉市観光協会の紅葉情報で「見ごろ」 とされていた。しかし、ご覧の通り葉は大分落ちてしまっていた。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 48mm ISO2500 ) 露出補正 なし
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69.サザンカ
安国論寺の本堂左手に樹齢350年といわれるサザンカの古木があった。白い花が咲いていた。江戸時代のツバキとの交配種と伝えられ、市天然記念物に指定されている。

   Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 48mm ISO2800 ) 露出補正 なし
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70.石仏
本堂の手前右側に写真のような石仏があった。とても美しい石像と思い、インタネットで検索を試みたが、由緒はわからなかった。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 50mm ISO3200 ) 露出補正 なし 
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71.石畳の参道
ここは良いアングルだったと思う。イチョウの落ち葉に風情はあるが、それにしても紅葉したカエデの葉が淋しかった。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 50mm ISO2000 ) 露出補正 なし
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72.安養院
安国論寺を後にして、かみさんを残してきた「スワニー」へ向かう。途中、右側の石段を上がったところに安養院があった。案内板には「尼将軍と称される北条政子が、夫である源頼朝の冥福を祈るために佐々目ガ谷に建立した祇園山長楽寺が前身であると伝えられます。その後鎌倉時代末期に善導寺の跡(現在地)に移って安養院 になったといいます。安養院  は北条政子の法名です。延宝8年(1680年)に全焼したため、頼朝に仕えていた田代信綱がかって建立した田代寺の観音堂を移します。こうして祇園山安養院田代寺となりました。」と記されていた。中には入らなかった。浄土宗の寺院だそうだ。  

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/500秒 85mm ISO360 ) 露出補正 なし
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73.上行寺
今度は左側に上行寺という寺があった。上行寺は、日蓮宗寺院で、山号は法久山、院号を大前院という。創建は正和2年(1313年)で、開山は日範上人。本尊は三宝祖師。本堂は1886年(明治19年)に名越の妙法寺の法華堂を移築したものといわれており、堂内には日蓮上人像や開山の日範上人像、水天像などが安置されているほか、格天井には花鳥の絵、欄間には十二支の彫刻が施されている。山門には左甚五郎作といわれる竜の彫物が、本堂の表欄間や梁などには熊本藩の大名細川氏による竜の彫物があるという。由緒ある寺のようだ。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 50mm ISO750 ) 露出補正 なし
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74.癌封じの寺
上行寺は癌封じの寺として知られるが、境内には万病、特に癌に効があるといわれている瘡守稲荷堂がある。「癌」という文字が大きく書かれていて、歴史のある寺とのバランスが取れないように思える。 

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 50mm ISO160 ) 露出補正 なし
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75.八雲神社
さらに「スワニー」に向かって歩くと、右へ入る路地に八雲神社があった。創建は永保年間(1081~1084年)。主祭神は須佐之男命、稲田姫命、八王子命という。もと鎌倉祇園社や祇園天王社などと称したが、明治維新に際して現社名に改称した。裏山は衹園山ハイキングコースの起点となっており、神社脇にハイキングコースの入口がある。  

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 50mm ISO250 ) 露出補正 なし
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76.厄除け開運神社
此の地で疫病に苦しむ民の姿を見た新羅三郎義光が京都の祇園社(八坂神社)を勧請したのが始まりとされている。地元では厄除け開運の神社としても知られておりそうだ、「八雲さん」や「お天王さん」などと呼ばれ親しまれているそうだ。  

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 48mm ISO2000 ) 露出補正 なし
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77.境内社(末社)
右手に見える白い説明板には、右から諏訪神社、稲荷神社、於岩稲荷社と書かれている。於岩稲荷はもともと田宮家の庭にあった屋敷社で、四谷怪談で有名なお岩さんが信仰篤く、そのおかげで田宮家は復活した、と言う話はたちまち評判になり、近隣の人々はお岩さんの幸運にあやかろうとして、屋敷社を「於岩稲荷」と呼んで信仰するようになったという。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 28mm ISO500 ) 露出補正 なし
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78.天水盤
社殿の前に天水盤というのが置かれていた。天水盤とは防火用水として雨水をためるための容器だが、説明板には「武州鋳物師 鈴木文吾氏により惣型法にて鋳造さる。東京オリンピック聖火台も同氏が鋳造した」と書かれていた。さて、そろそろかみさんに約束した時間になるので「スワニー」に向かった。かみさんは少々時間を持て余していたようだった。今日の鎌倉散歩はこれで終了だ。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 28mm ISO450 ) 露出補正 なし
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2019年12月13日

江ノ電に乗って 12月3日 ①光則寺と高徳院 鎌倉大仏

鎌倉に紅葉を見に行こうと思っていた。今年は円覚寺、東慶寺、明月院ではなく、長谷のほうへ行ってみようと思う。 インターネットで鎌倉市観光協会の紅葉情報をみると、紅葉はそろそろ見ごろになってきているようだ。ただ、今年は台風15号、19号の影響で葉が落ちたり、傷んだりしているという。 横浜から横須賀線に乗って、鎌倉へ出る。途中、北鎌倉の駅を出たところで、車内から円覚寺の紅葉が眺められた。山門へ上がる石段のもみじがきれいだ。 鎌倉からは江ノ電に乗る。先頭車両の一番前に並んで、折り返しの電車が入ってくるのを待って乗り込む。一番前の前向きの席に座った。 鎌倉から3駅目の長谷で下車した。時刻は午前9時半。まだ観光客は少ない。この日、長谷では光則寺、高徳院の鎌倉大仏長谷寺甘縄神明神社、御霊神社へ行く予定にしている。まず向かったのは初めて行く光則寺。紅葉は見るべきところはなかったが、梅に始まる春はカイドウも咲き、良いところのようだ。次に高徳院へ向かった。

1.古都を走る江ノ電
鎌倉を発車した江ノ電が、次の駅である和田塚を出てすぐの線路際に、「無心庵」という古都を思わせる店構えの甘味処が見えた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5.6 1/1250秒 19mm ISO3200 ) 露出補正 なし
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2.由比ヶ浜駅
江ノ電は2番目の駅、由比ヶ浜に入る。左側が由比ヶ浜海岸だ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f7.1 1/1250秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
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3.光則寺門前
長谷駅で江ノ電を下車し、県道32号線を大仏に向かって歩き始める。長谷観音前という交差点があり、そこを左に行くとに長谷寺である。長谷寺は後にして、まず光則寺に向かう。長谷観音前の信号の先を左に入る。瀟洒な住宅が建ち並ぶ道を進むと光則寺の門前だった。門前には幼稚園があり、子供を送ったお母さんが自転車で走り去る。  

   Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/500秒 70mm ISO360 ) 露出補正 なし
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4.光則寺山門
光則寺は日蓮宗の寺院で山号を行時山という。 wikipediaによれば、「日蓮の佐渡配流に際して鎌倉幕府5代執権北条時頼は、弟子の日朗も捕らえて家臣の宿屋光則邸の土牢に監禁した。しかし、監視役の光則は日朗と日蓮を私淑するようになり、1274年(文永11年)には日蓮を放免した後の自邸を寺に改め、日朗を開山に迎えに創建した」とあった。道の先には石段があり、山門があった。山門は朱塗りで、桁行1間(約3m)、梁間2軒の四脚門で、江戸初期(17世紀中期)のものとのことだ。特徴として、内法貫(うちのりぬき: 鴨居の上部に通っている貫のこと)の中間に、龍の透彫りがある大きな蟇股がある。あとで、新しくなっているが以前にあったものと同じような雰囲気をもつ見事なものと知った。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 44mm ISO800 ) 露出補正 なし
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5.オオモミジ
山門を入ってすぐ右手に真っ赤に紅葉した大きな葉を付けるカエデがった。木に「オオモミジ」の札がかけられている。葉は少し傷み始めていた。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 44mm ISO640 ) 露出補正 なし
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6.山門を振り返る
本堂の前まで来て、山門の方を振り返ってみた。境内は広くはないが落ち着いた雰囲気だ。植栽の手入れをされている人がいたが、私たち以外に参拝者はいない。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 28mm ISO140 ) 露出補正 なし
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7.ミツマタ
本堂の手前にミツマタの木があった。たくさんの蕾を付けている。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/500秒 105mm ISO1100 ) 露出補正 なし
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8.本堂
本堂への参道の前には日蓮聖人の真筆に基づく「立正安国論 御勧由来」を彫った石碑が立っていた。本堂は、慶安3年(1650年)、江戸時代初期のものだが、寛政12年(1799年)と関東大震災の修理などを経ているものの、比較的新しく見える。桁行5間、梁間5間で、正面と両側に縁がめぐらされている。外側は、角材を使い、縁長押と内法長押( 鴨居の上にあるなげし ) がめぐらされている。扁額は「師孝第一」となっていたが、写真では隠れてしまった。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 28mm ISO560 ) 露出補正 なし
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9.池
本堂に向かって右手前には樹齢おおよそ150年の海棠(カイドウ)があり、開花の時期(4月~5月)には大勢の人が訪れるという。その季節にまた訪れてみたい。本堂に向かって左手には池があり、季節の花や木々を楽しむことが出来るというが、今回は何もなく淋しかった。池の手前には宮沢賢治の碑があったが、これは宮沢賢治が日蓮宗に深く帰依し、活動したことから建てられたという。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f3.8 1/500秒 34mm ISO2500 ) 露出補正 なし
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10.土の牢
先にふれたが、日蓮上人が佐渡へ流された時、高弟・日朗が捕らえられて鎌倉幕府第5代執権 北条時頼の重臣・宿屋左衛門尉光則の邸内の土牢に監禁された。その土牢が残っている。  

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 28mm ISO1250 ) 露出補正 なし
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11.ハツカリ
今の季節は花は少ないが、境内に白い椿のような花が咲いていた。枝に名札があって、ハツカリ(初雁)、またはショウワワビスケ(昭和侘助)と書かれていた。ツバキ科である。花は11月~3月に咲くそうだ。日本原産の植物なので耐暑性、耐寒性ともに高いという。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/500秒 105mm ISO400 ) 露出補正 なし
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12.高徳院(鎌倉大仏)
仁王門光則寺を退出し、長谷寺は後で行くことにして、県道32号へ出て左に行く。少し歩くと道は右へ緩やかの曲がり、高徳院の仁王門が見えてきた。高徳院 は大異山高徳院清浄泉寺といい、法然上人(1133年 ~ 1212 年)を開祖とする浄土宗の寺院である。大仏は高徳院の本尊(阿弥陀如来)である。かって大仏殿があったが、何度も台風や震災に遭い倒壊していて、再建されていない。2004年(平成16年)2月27日、境内一帯が「鎌倉大仏殿跡」の名称で国の史跡に指定された。この仁王門は、18世紀初めに他所から移されてきたものと考えられ、安置されている仁王像も同時期のもの考えられているそうだ。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 28mm ISO450 ) 露出補正 なし
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13.大仏 -1
仁王門をくぐって、左側にある受付で参拝券を求め、石畳の参道を歩く。左手に熟したようなカエデの紅葉があった。鎌倉市観光協会の紅葉情報によれば、高徳院は「葉に傷みあり。イチョウは台風被害で葉が3/4程度落ちている。」となっていた。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f5 1/640秒 38mm ISO100 ) 露出補正 なし
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14.大仏 -2
高徳院に本堂はない。「鎌倉大仏」「長谷の大仏」また、「露坐の大仏」として名高い高徳院の本尊は、国宝銅造阿弥陀如来坐像だ。像高約11.3m、重量約121tトンのこの仏像は、規模こそ奈良東大寺の大仏(盧舎那仏) に及ばぬものの、ほぼ造立当初の像容を保ち、我が国の仏教芸術史上ひときわ重要な価値を有しているという。wikpediaによれば、高徳院 は、初期は真言宗で、鎌倉・極楽寺開山の忍性など密教系の僧が住持となっていた。のち臨済宗に属し建長寺の末寺となったが、江戸時代の正徳年間(1711年 - 1716年)に江戸・増上寺の祐天上人による再興以降は浄土宗に属し、材木座の光明寺(浄土宗関東総本山)の末寺となっている。「高徳院」の院号を称するようになるのは浄土宗に転じてからである。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/640秒 28mm ISO100 ) 露出補正 なし
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15.大仏のお顔 右側から
大仏の建造時期であるが、「吾妻鏡」には、建長4年(1252年)から「深沢里」にて金銅八丈の釈迦如来像の造立が開始されたとの記事もある。「釈迦如来」は「阿弥陀如来」の誤記と解釈し、この1252年から造立の開始された大仏が、現存する鎌倉大仏であるとするのが定説であるそうだ。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/640秒 85mm ISO100 ) 露出補正 なし
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16.大仏の背中
大仏の後ろに回ってみた。大仏像の脇に胎内への入り口があり、中に入ることが出来る。大仏の背中から自然光が取り入れられている。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 28mm ISO100 ) 露出補正 なし
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17.大仏のお顔 左側から
鎌倉大仏の眼に瞳があるのかどうか、俯き加減の眼を見上げてみたがよくわからない。インタネットで検索してみたが、わからなかった。奈良東大寺の大仏の眼には瞳があったように思う。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f6.3 1/640秒 78mm ISO100 ) 露出補正 なし
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18.大仏 -3
鎌倉大仏の高さは11.31m、重さ121トン。因みに奈良の大仏は高さ14.98m、重さ350トンだそうだ。また造られたのは、鎌倉大仏が1252年(建武4年)、奈良の大仏は742年(天平14年)と古い。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f6.3 1/500秒 35mm ISO100 ) 露出補正 なし
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19.大仏 -4
鎌倉大仏は阿弥陀如来で、印相(いんそう:手の組み方)は九品(くほん)で最も格式高い上品上生印(じょうぼんじょうしょういん)を組んでいるという。または定印(じょういん)とも言い、阿弥陀如来の一般的な印相だそうだ。この大仏の大きさなので、印相がとても目立つ。まねして写真を撮ってみたくなる。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f6.3 1/500秒 35mm ISO100 ) 露出補正 なし
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20.門と紅葉
ここのカエデはオレンジ色に紅葉していた。近づいてみるとやはりは葉は傷んでいるところがあるが、離れて撮ると隠せる。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f4.2 1/500秒 56mm ISO180 ) 露出補正 なし
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21.大仏 -5
時刻は10時を回った。だんだん外国人観光客の方々が多くなってきた。もう一度大仏を振り返って退出し、長谷寺に向かう。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f5.6 1/500秒 55mm ISO100 ) 露出補正 なし
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22.華正樓
長谷観音前に戻る道筋に、横浜中華街に本店がある華正樓の「長谷華正樓」がある。写真の右奥に立派な本館が見えるが、メニューを見ると、ランチで¥3.3K~¥7.7K、ディナーコースは、¥5,5k~¥22Kになっていた。この売店で肉まんを買って食べ歩きもできるようだが、それもお行儀が悪い。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f5.6 1/500秒 34mm ISO100 ) 露出補正 なし
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23.對僊閣(たいせんかく)
長谷観音前を右に曲がって長谷寺の参道を行くと左側に「對僊閣」という古い木造の建物があった。説明板を見ると、「對僊閣」は明治末期からこの場所で旅館業を営んいる。4っの欄間窓、高欄、組子が密な格子窓を持った華やかな北側のファサードは、創建当初の姿をよく留めている。鎌倉における戦前の和風旅館として歴史的にも貴重な建物である。平成12年に鎌倉市景観重要建築物に指定されている。と記されていた。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 28mm ISO280 ) 露出補正 なし
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2019年11月15日

池上本門寺(後) 11月5日

境内の一番奥にある日蓮聖人御廟所にお参りして、来た道を戻ることにする。ここまでは総門からほぼ真っすぐに歩いてきたが、境内はその両側に広がり、多宝塔、大坊本行寺、五重塔などがある。境内案内図を頼りに歩いてみようと思う。
 そこへ私より先に外出していたかみさんから、スマホに電話があった。家のカギを持たずに出てしまったようで、なるべく早く帰って来いという。と言われてもせっかく来たのだから、しっかり見ておきたいのだが。後で大堂の中にも入ってゆっくり見たいと思っていたが、それはまた改めて、桜の咲く頃にでもということにして、境内の中をざっと歩いてみることにした。
 帰りの電車の中で、身延山久遠寺と池上本門寺の関係はどうなっているのかなと気になっていた。帰宅して、日蓮宗の公式サイトを開いてみると、日蓮宗の総本山は身延山久遠寺で池上本門寺はその下にある七つの大本山のひとつであることが分かった。また、別のサイトでは、江戸時代の初めに、徳川家康によって日蓮宗の不施不受派が弾圧された為に、不施不受派の本山だった池上本門寺が、不施不受派を廃して久遠寺の傘下に入らざるを得なくなったと記されていた。

21.苔
日蓮聖人の廟所をあとにして、再び本殿横の石畳を通る。この辺りは歩く人が少ないのだろうか、この時も私一人しかいなかった。木漏れ日が差す地面には苔が蒸していて緑がきれいだった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 15mm ISO250 ) 露出補正 なし
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22.日蓮聖人御廟所を振り返る
   本殿のわきの石畳の参道から日蓮聖人御廟所を振り返る。wikipediaによれば、本殿は1969年(昭和44年)に、戦災で焼失した釈迦堂を再建したもの。戦後に建てられた近代仏堂建築として評価が高いとあった。落ち着いた安定感のある佇まいと思う。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/1250秒 29mm ISO125 ) 露出補正 なし
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23.多宝塔 重要文化財
本殿の参道から本殿門を出たところの紅葉坂に繋がる大坊坂を、右(西)へ行くと、右手に多宝塔が見えた。その説明板を見ると、宗祖日蓮大聖人の尊骸を荼毘に付した霊蹟(いわれのある場所)に建つ供養塔で、その建立は宗祖550遠忌(50回忌以上の年忌になると遠忌という)を期して行われ、江戸芝口講中の本願により、文政11年(1828年)に上棟、同13年(天保元年)に開堂供養を修している。石造の方形基壇に築いた円形蓮華座の上に建つ木造宝塔形式の建物で内外ともに漆や彩色によって華やかな装飾が施されている。塔内中央には金箔や彩色で華やかに装飾された木造宝塔を安置し、日蓮大聖人御所持の水晶念珠を奉安している。宝塔形式の木造塔婆は極めて現存例が少なく、当山多宝塔はその中でも最大規模を誇る本格的な宝塔として、極めて重要な建物である。と言った内容が記されている。なお、「多宝塔」の名称は建立当初から呼称されているものであり、重要文化財に指定されたその名称は「池上本門寺宝塔」である。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1250秒 17mm ISO125 ) 露出補正 なし
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24.大坊本行寺
さらに西へ進むと右手には、身延山の峰に棲む二体の天狗である妙法両大善神が火難・盗難除けの神様として祀られている妙法堂があり、その先に大坊本行寺  の境内へ入る山門(赤門 本行寺の正面玄関)があった。wikipediaによれば、本行寺の境内は、1282年(弘安5年)9月18日に常陸国へ湯治に向かう途中の日蓮が身をよせ、同年10月13日に日蓮が病没した池上宗仲の館跡にあたる。10月15日にこの地で日蓮は荼毘に付され、遺骨は遺言により久遠寺に納められた。 本行寺の起源は1276年(建治2年)に池上氏館内の持仏堂が法華堂とされたことに始まり、日蓮入滅後間もない1283年(弘安6年)に日朗の弟子九老僧の大乗阿闍梨本成院日澄に池上氏館の地共々寄進されて本行寺が開創されたとされる。以来宗祖入滅の霊場として、池上本門寺の子院(末頭)のなかでも特に格式の高い、池上三院家の筆頭として大乗坊日澄の名から「大坊」と称された。本堂は、昭和56年(1981年)に聖人七百遠忌記念事業として、大改築された。元々中本山であったが昭和61年に本山(由緒寺院)に昇格した。また池上法縁五本山の1つにも挙げられている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1250秒 34mm ISO125 ) 露出補正 なし
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25.瘡守稲荷(かさもりいなり)
大坊本行寺のサイトによると、境内にある瘡守稲荷は、江戸時代中期より五穀豊穣を祈り、特に病気除けの稲荷として、目黒区碑文谷に祀られていたが、昭和57年(1982年)に縁があって本行寺に出世移転した。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
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26.御硯井戸(おすずりいど)
日蓮聖人が身延山から到着した翌日、この井戸の水で墨をすり、9年の間庇護を受けた波木井実長 にあてた礼状などをしたためたと伝えられている。  

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1250秒 12mm ISO125 ) 露出補正 なし
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27.大坊本行寺 本堂
鎌倉幕府の作事奉行であった池上右衛門大夫宗仲が、日蓮聖人入滅の後、日澄(大聖人の本弟子・日朗の弟子)に公邸を寄進し寺を建立、「長崇山 本行寺」と称した。昭和56年(1981年)に大聖人七百遠忌記念事業として大改築された本堂は、境内の正面に立ち、本行寺の"顔"として1年を通じて様々な行事の舞台となる。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1250秒 17mm ISO125 ) 露出補正 なし
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28.池上大坊
池上大坊と書かれた大きな提灯が本堂の左右に掛けられていた。前にも記したが、ここは弘安5年(1282年)日蓮聖人が亡くなった池上宗仲の館跡である。滅後まもなく宗仲が館を寄進して本行寺が開創された。大坊という呼び名は池上本門寺の子院並びに末寺を代表する寺という意味の尊称であると言われる。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5.6 1/1250秒 17mm ISO125 ) 露出補正 なし
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29.御会式桜(おえしきざくら)
前に立てられた札には「日蓮聖人がご入滅されたとき、庭先の桜が旧暦10月(今の11~12月)にもかかわらず時ならぬ花を咲かせたと伝えられており、お会式の万灯に桜の花を飾るのは、この故事に由来しています。現在も敷地内に残る桜は、聖人がご入滅された時期になると花を咲かせます。」 と説明がある。よく見ると、まだ枝先に数輪の桜の花が残っていた。 10月桜だろうか。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/1250秒 11mm ISO125 ) 露出補正 なし
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30.五重塔
再び大堂まで戻ってくると五重塔が見えた。仁王門の手前から左(東)に入り、高さ31.8メートルの五重塔を目指す。wikipediaによれば、「空襲による焼失をまぬがれた貴重な古建築の1つで、江戸幕府2代将軍徳川秀忠の乳母である岡部局(大姥局)(正心院日幸尼)の発願により、1608年(慶長13年)に建立され、後に現在の位置へ移築された。全面ベンガラ(赤色塗料)塗り、屋根は初層と二重は本瓦葺き、三重以上は銅板葺きとする(当初はすべて本瓦葺き)。建築様式は初層は和様、二重から上は禅宗様になる。初層の各面は中央を桟唐戸、両脇間には格狭間(ごうざま)形の装飾を入れ、蟇股(かえるまた)には十二支の彫刻を入れる。1997年(平成9年)10月から2002年(平成14年)3月にかけて国庫補助事業として解体修理が行われた。基礎部分の石段からはホンモンジゴケというコケの一種が見つかっている。五重塔下付近、東京国立博物館蔵・池上本門寺経筒(藤原守道作)が出土している。」とあった。平成9~13年、日蓮聖人立教開宗七百五十年慶讃記念事業の一つとして、全解体修理が施され、全容を一新した。国の重要文化財に指定されている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1250秒 11mm ISO125 ) 露出補正 なし
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31.力道山の墓
五重塔に近くに「力道山の墓所はあちらです←」の立札があった。力道山とは懐かしい。子供のころ、白黒TVでプロレスに夢中になり、プロレスごっこで空手チョップの真似をして遊んだのを思いだす。力道山の略歴を見ると、昭和29年(1954)2月17日シャープ兄弟来日、太平洋沿岸タッグ王座獲得、12月21日木村政彦柔道7段と「日本選手権大試合」を闘い力道山の勝利といったことが記憶に残っている。昭和32年のルー・テーズ戦は視聴率87%だったそうだ。 場所は少しわかりにくかったが、通りがかりの地元の方に聞いてたどり着いた。力道山は昭和30年に広大な屋敷を購入して昭和35年頃まで大田区に住んだそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1250秒 15mm ISO125 ) 露出補正 なし  
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32.日蓮大聖人説法像
宗祖七百遠忌記念として昭和58年富山県新湊市の黒谷美術株式会社より奉納された。制作は、斯界の権威 長崎県出身の彫刻家 北村西望。  純アルミで造られ、高さ3.4m 重さ約1t 。もとここには明治の政治家 星 亨  の銅像があったが、星家の協力により、台座の奉納を受け、この像を建立したという池上本門寺の説明板があった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1250秒 14mm ISO125 ) 露出補正 なし
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33.照栄院 妙見堂 -1
妙見堂への道しるべがあったので、行ってみることにした。妙見堂は日蓮宗に属す池上三院家の一つである朗慶山照栄院の妙見大菩薩を奉安するお堂だった。小さなお堂だが、銅板の屋根と欅の柱のバランスが大変よくできているといわれている。慶応2年(1866)の再建で、明治時代に増築工事が行われている。奉安されている開運除厄妙見大菩薩は、寛文4年(1664年)に、肥後之守加藤清正の息女、瑶林院殿が夫君の紀伊国太守亜相源頼宣卿の現世安穏後生善処のために、本門寺へ納めた室町時代の御尊像だそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 15mm ISO200 ) 露出補正 なし
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   34.照栄院 妙見堂 -2
妙見堂の中からは団扇太鼓(うちわだいこ)の音が聞こえてきた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 37mm ISO1250 ) 露出補正 なし  
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35.永寿院 万両塚
妙見堂の近くに池上本門寺の子院である永寿院というお寺があった。この万両塚は1708年(宝永5年)に没した芳心院の墓所である。永寿院は、寛永19年以前の開創で日遠の隠棲地として庭瀬藩主の戸川達安が下屋敷を寄進し創建したという。日遠の弟子、日東が堂宇を完成させた。芳心院は紀州藩祖徳川頼宣の第一女。名を茶々姫といい、鳥取藩祖池田光仲に嫁したことから因幡姫とも呼ばれる。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO200 ) 露出補正 なし
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36.石門 永寿院
万両塚の最も奥まったところに石門があった。「宝塔の門柱基礎と寸法が合わないため、外堀の外に建てました。何度も加工が加えられた跡があります」という説明がなされている。宝塔とは堀に囲まれた芳心院墓所(写真35)の中央にある芳心院宝塔のこと。石門をくぐると、芳心院の侍女たちの墓と供養塔があった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO1000 ) 露出補正 なし
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37.万両塚遺跡霊園の案内板
万葉塚には芳心院墓所(写真35)のほか、復元弥生住居跡や復元古墳墳丘、古墳遺跡内合祀墓や万葉塚型個人墓がある。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 15mm ISO640 ) 露出補正 なし
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   38.復元弥生住居跡
万両塚には復元された弥生住居跡がある。万両塚調査の過程で約2千年前の弥生式住居跡が10棟以上発見されたそうだ。かなり長い期間、この地に集落が存在していたことがわかると記されている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/1000秒 28mm ISO125 ) 露出補正 なし
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39.復元された弥生住居跡 -1
2003年に終了した調査では、万両塚の周囲から、弥生時代中期~後期の竪穴住居跡が10棟も出土した。また、堤方権現台古墳と言われるところからは、馬の尻部分を飾る馬具が見つかった。およそ6世紀前半と見られている貴重なものだそうだ。昭和7年(1932年)の宅地造成で遺跡は破壊されたようだが、都内では狛江市に次ぐ2例目であると言われる貴重なものだそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO160 ) 露出補正 なし
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40.復元された弥生住居跡 -2
弥生式住居跡が復元されている。発掘調査の過程で、2000年前の弥生時代の多数の土器も発見されたそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 24mm ISO1250 ) 露出補正 なし
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41.古墳墳丘
江戸時代、万両塚が建てられ古墳には寺院が建てられたとある。永寿院の開山は寛永7年(1630年)である。不変山永寿院のホームページにある歴史の扉 に詳しい説明があった。

  Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
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42.此経難持坂上
此経難持坂の上に戻ってきた。何人かの方が写生をされている。下っていく石段の写生をするのは難しいと思う。何段あるのか数えて下りて行ってみたが、その時は94段と数えた。実際は96段で、踊り場になっているところで数え間違えたようだ。来るときに、霊山橋の手前にしゃれた店構えの蕎麦屋があったので、帰りにそこで食べて帰ろうと思っていたが、カギを忘れて家に入れないかみさんのことを思い出して、寄らずに帰ることにした。 

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
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2019年11月12日

池上本門寺(前) 11月5日

10月11日~13日に池上本門寺のお会式があるのを知った。池上本門寺は日蓮宗の大本山であるということは知っていたが、横浜という比較的近い所に住みながら行ったことがない。ならば、お会式が行われる10月11日から13日の間で、12日、 万灯練供養が行われる前の時間に池上本門寺を歩いてみようと計画していた。もちろん夕方6時半から始まる「万灯練供養」の様子を撮りたいと思っていた。しかし、10月12日夜は台風19号が接近するとの予報で、大雨警報も出ていたので、断念せざるを得なかった。「宗祖報恩御逮夜法要」は予定通り行われたが、さすがに「万灯練供養」は中止になったようだ。
 改めて快晴の11月5日に池上本門寺を訪れた。
 池上線の池上駅で下車し、五反田に向かって右側に下車、本門寺通りを北に進む。呑川という川にかかる霊山橋を渡ると正面に本門寺の総門とその先に続く石段が見えた。仁王門、大堂を見て、紅葉坂の通りを渡って、本殿、日蓮聖人御廟所まで歩いた。
 行ってみて、池上本門寺の規模の大きさに驚いた。都内でありながら一大霊山が形成されていて2時間かけても回りきれなかった。
 記述には池上本門寺ウェブサイト、wikipedia などを参照させていただいた。

1.東急蒲田駅
横浜から蒲田に出て池上線で池上へ向かう。東急多摩川線と池上線の始発駅になっている。多摩川線は2000年に目黒線と分割された。池上線の隣のホームに多摩川線の電車が入ってきた。池上線、多摩川線ともに3両編成のローカル線だ。写真の車両は2007年に運用開始された新7000系だ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 17mm ISO800 ) 露出補正 なし  
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2.池上線池上駅
蒲田から2っ目の池上で下車。小さな駅だった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 18mm ISO2500 ) 露出補正 なし
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3.久寿餅屋さん
駅前には宝暦2年(1752年)創業の老舗「浅野屋本店」という久寿餅屋さんがあったが、写真の店は本門寺通りの途中にある江戸時代創業の老舗「池田屋久寿餅店」だ。 久寿餅は葛粉ではなく、小麦粉のでんぷんを発酵させて作る。川崎大師にも名物久寿餅がある。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
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4.久寿餅屋さん 店内
失礼してガラス戸越しに店内を覗かせていただいた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 15mm ISO400 ) 露出補正 なし
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5.池上本門寺 総門と石段
池上本門寺の南側を東進する呑川という川に架かる霊山橋を渡ると、参道の向こうに総門が見えた。その総門の先には"急峻"な石段が続いている。どうやらあれを登らなくてはならない。エスカレータなどはないようだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/1250秒 37mm ISO125 ) 露出補正 なし
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  6.鬼子母神堂
総門の手前の左側に、中道院、本成院、右側に、常仙院、鬼子母神堂、本妙院といった池上本門寺の塔頭や子院などがある。写真は鬼子母神堂といい、池上本門寺の子院である厳定院の別院だそうだ。池上鬼子母神堂は、大正9年(1920年)厳定院40世、山田潮栄上人が「子育て鬼子母神」を勧請し、昭和6年(1931年)本門寺総門前に別院として池上鬼子母神堂が建立された。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2 1/1250秒 10mm ISO125 ) 露出補正 なし
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7.総門
これから訪ねる五重塔、多宝塔、経蔵などと共に、昭和20年4月15日の戦災を免れた数少ない古建築の重要な一棟とされている。昔から世に知られ、安藤広重の「江戸みやげ」や「江戸近郊八景」にも描かれているそうだ。簡素ながら、主柱間5.3mの壮大な門である。 記録は失われたが、第22世日玄聖人代の元禄年間に建立されたと伝えられている。扁額「本門寺」は門より古く、寛永4年(1627年)本阿弥光悦の筆になる。  

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1250秒 13mm ISO125 ) 露出補正 なし
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  8.理境院
総門を入ってすぐ右側に理境院がある。理境院は、元享年間(1321-1324年)池上本門寺3世日輪聖人の住坊として久成院と称して創建、延宝年間(1673-1681年)に檀越長澤氏の母、理境院妙性日貞尼の寄進の法功をたたえ理境院と改称したといわれる。大坊本行寺、照栄院と共に池上三院家のひとつだそうだ。  

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1250秒 13mm ISO125 ) 露出補正 なし
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9.96段の石積参道 此経難持坂(しきょうなんじざか)
   何とか石段を上ってきた。この石段は熱心な法華信者で築城家としても有名な、加藤清正が築造寄進している。加藤清正は、慈母の第七回忌にあたる慶長11年(1606年)、その追善供養のため、祖師堂(現大堂)を建立寄進し、併せて寺域も整備しているので、その折の築造と考えられるそうだ。第14世日詔聖人のときである。第22世日玄聖人代の元禄年間(1688-1704年)に大改修されているが、清正当時の原型を残す貴重な石造遺構であるといわれる。なお、名称の由来は「妙法蓮華経」見宝塔品第十一、此経難持の偈文96字にちなみ、その石段は96段だそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/1250秒 17mm ISO125 ) 露出補正 なし
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10.仁王門
96段の石段を上がりきると、正面に大きな仁王門があった。三門である。旧三門は、慶長13年(1608年)に徳川2代将軍秀忠が五重塔と共に建立。桃山期の豪壮な門として旧国宝に指定されていたが、昭和20年4月15日の空襲で灰燼に帰し、三門は同52年に再建、仁王尊は同54年に新造された。今年は台風19号来襲で中止になったが、例年、盛大に厳修されるお会式の、お逮夜(10月12日夜)の万灯行列が支障なくくぐれるよう、通常より下層の桁と梁の高さを上げてある。扁額「長栄山」は第80世金子日威聖人の揮毫だそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/1250秒 11mm ISO125 ) 露出補正 なし
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11.長英堂
仁王門の手前右側に「大黒天」「長英天」の旗が立てられた長英堂があった。長英山の守護神である「長栄大威徳天」が奉安されている。現在の堂は昭和34年に再建されたとある。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
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12.鐘楼と旧梵鐘
仁王門をくぐってすぐ左側に1958年(昭和33年)に再建された鐘楼がある。鐘楼の左側にかっての梵鐘が仮置きされていた。第17世日東聖人の代、加藤清正の娘で御三家紀州藩祖徳川頼宣の正室となった瑤林院が、正保4年(1647年)に寄進した。その後、正徳4年(1714年)、第23世日潤聖人の代に改鋳されたが、当初の銘文が残っている点は貴重である。昭和20年4月15日の空襲で火をかぶり、一部に亀裂と歪みが生じたため、現在は傍らに仮安置している。江戸前期の代表的な形態を示し、その雄大かつ豪快重厚な作風は、都内第一級のものだそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
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13.仁王門を振り返る
仁王門を振り返って眺めると、雲一つない青空に輝く太陽がまぶしかった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1250秒 12mm ISO125 ) 露出補正 なし
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14.大堂
正面に大堂があった。日蓮聖人の尊像を奉安する大きな建物である。旧大堂は、昭和20年4月15日の空襲で焼けてしまい、戦後は仮堂でしのいでいたが、第79世伊藤日定聖人が精力的に各地を行脚し、全国の檀信徒ならびに関係寺院等からの浄財寄進を得て、昭和39年、ようやく鉄筋コンクリート造の大堂の再建にこぎつけたとある。聖人は落慶後ほどなくして亡くなられたため、大扁額「大堂」は第80世金子日威聖人の揮毫になる。旧大堂は、第14世日詔聖人代の慶長11年(1606年)、熱心な法華信者として有名な加藤清正が、慈母の七回忌追善供養のために建立、間口25間の堂々たる大建築であったと言われる。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1250秒 18mm ISO125 ) 露出補正 なし
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15.菊花展
東京菊友会による菊の展示が大堂前にて行われていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
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16.池上本門寺 本殿門
大堂と経堂の間を通って、さらに進むと紅葉坂という道路があって、その向こうに本殿への参道と、右手に立派な寺務所があった。この門は本殿に入る門であるが、新しく作られたのか、あるいはどこからか移築されたものなのだろうか。古くからの釈迦堂(本殿)は幾度となく罹災、天正年間に再建された堂も宝永7年(1710年)に焼失、第25世日 聖人代の享保15年(1730年)、徳川8代将軍吉宗が御母深徳院殿の追福のために再建した。旧扁額「釈王殿」は伏見宮親王宸筆であった。また、旧一尊四士四天の尊像は、伝運慶作、日蓮聖人御開眼であったという。昭和20年4月15日の空襲で灰燼に帰した釈迦堂を再建したのが本殿であり、場所は、祖師堂(旧大堂)の左隣から境内の奥の方へ移した。開堂供養大導師は第80世金子日威聖人。昭和44年完成。現代的な鉄筋コンクリート造の仏堂建築として評価が高く、その後、各地で当堂を模す例が増えているという。 

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/1250秒 14mm ISO125 ) 露出補正 なし
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17.池上本門寺客殿
本殿の右側には池上本門寺客殿があった。昭和53年9月完成。地上2階、地下4階建て。総面積は延べ1,780坪の鉄筋コンクリート造りで総受付・寺務所・書院・山主執務室・役課寮・学僧寮などがある立派な建物だ。  

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/1250秒 14mm ISO125 ) 露出補正 なし
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18.本殿の仁王像
本殿外陣に仁王像が安置されていた。 写真左は呼形、密迹(みっしゃく)金剛である。手に金剛杵を持ち、帝釈天の武器である、一振りで天候でさえ左右する力を持っている。右は阿形で那羅延金剛(ならえんこんごう)または那羅延堅固王(ならえんけんこんごう)とも言われる。作者は彫刻家・圓鍔勝三さんという方で  昭和50年(1975年)正月より全国の仁王像を訪ね始め、二分の一(2メートル)の塑像原型から本番の4メートルの木彫に取りかかったと大田区史誌に述べられているようだ。wikipediaによれば、元は再建された仁王門に祀られていたが、1978年(昭和53年)修理のため撤去され、修理後は本殿に移されたとあった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 15mm ISO3200 ) 露出補正 なし
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19.日蓮聖人御廟所 -1
境内最奥の、築地塀で囲まれたところに、宗祖日蓮聖人の灰骨を奉安する墓塔が廟堂内中央に祀られている。かつては昭和6年の高祖六百五十遠忌に建てられた八角裳階付二重屋根の御真骨堂があったが、これも昭和20年4月15日の空襲で焼失した。昭和54年、宗祖第七百遠忌報恩事業の再建および整備により、宗祖御廟所が完全に復興された。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/1250秒 22mm ISO125 ) 露出補正 なし
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20.日蓮聖人御廟所 -2
中央は日蓮聖人の廟堂で、向かって左の廟堂には第2世日朗聖人の墓塔が、右には第3世日輪聖人の墓塔が安置されている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1250秒 14mm ISO125 ) 露出補正 なし
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2019年3月12日

快晴! 保土ヶ谷公園散策 3月8日

前日の3月7日は本厚木カントリー倶楽部というところでゴルフだったが、1日中雨に降られ、びしょ濡れになってしまった。ところが翌日の3月8日は、朝から快晴になった。最近の天気予報は本当によく的中する。保土ヶ谷公園の梅園の梅はまだ咲いていると思うし、カワヅザクラも満開と思う。花を啄むメジロも撮りたいと思い、昼前に出かけた。
 桜に比べると梅の花は咲いている期間が長い。しかし、花をつけている木はさすがに少なくなってきている。その中で「思いのまま」は見ごろだし、「緑蕚春日野」という品種はまだ沢山蕾をつけていた。  数年前に上池と下池の間に植えられたカワズザクラは今が満開だ。残念ながら、鳥はヒヨドリだけで、メジロはやってこなかった。
 普段はプログラムオートを常用しているが、この日は、F16 に絞り込んで、近くと遠くの両方にピントがどの程度合うのか試してみた。プログラムオートでも焦点距離9mm(広角端)で花に近寄って撮ると、遠景も形がわかる程度に撮れるし、逆に F16 に絞り込むと、全体にピントが合ったように見えるが、近接した花の解像が悪くなる。花に来た蝶や、路上にとまった蝶を、9mm 広角で被写体に 5~10cm に近づいて、周囲の環境を入れて撮る場合は、プログラムオートでよいのではないかと思った。
 もう一つ、従来は JPEG のみで撮っていたが、この日は RAW+JPEG で撮ってみた。RAW の1画像ファイルは約20MB 、JPEG のファイルは 5~10MB になった。RAWの現像には SonyのImaging Edge(Remote/Viewer/Edit) を使ってみた。

1.保土ヶ谷公園 梅園
梅園にはまだ梅の花が咲いていた。この日は少し風はあったが、気持ちの良い快晴だった。ベンチに座る夫婦や子供連れの姿が見える。絞り優先で f16 にして、手前の梅に花にピントを合わせて撮った。奥までピントは合っているようだが、肝心の手前の梅の花が今一つシャープではない。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f16 1/500秒 23mm ISO1250 ) 露出補正 なし
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2.「思いのまま」 -1
先月の初めに行ったときは、まだ咲いていなかった。同じ木に紅白の花をつける。このショットも f16 で撮ったが、フォーカスした手前の白い花にピントが合った。逆に奥の紅い花がシャープでない。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f16 1/500秒 23mm ISO1250 ) 露出補正 なし
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3.「思いのまま」 -2
この写真を見ると同じ枝から白い花と紅い花が咲いているのがよくわかる。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1000秒 24mm ISO100 ) 露出補正 なし
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4.「緑萼春日野」
先月初めに行ったときには、この品種は全く花が咲いていなかった。その名前のとおり、萼も、細い枝も緑がかっている。これはいつものとおりプログラムオートで撮った。絞り値は f4 なっていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1000秒 24mm ISO100 ) 露出補正 なし
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5.老木
見たところ老木に見えるが、その幹から細い枝が伸びて、花を咲かせている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f16 1/500秒 34mm ISO1000 ) 露出補正 なし
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6.梅園全景
ご覧のとおり、それほど広い梅園ではない。それでも約50品種、約120本の梅がある。この画はプログラムオート(f4)で撮っている。焦点距離が 10mm(35mm版換算で27mm程度)くらいであると、全体にシャープに撮れる。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 10mm ISO100 ) 露出補正 なし
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7.河津桜 -1
上池から下池へのせせらぎ沿いに植えられたカワヅザクラが満開だった。この場面ではプログラムオートで撮ったほうがよかった。ASA100で十分シャープな写真が撮れたと思う。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f16 1/500秒 9mm ISO1250 ) 露出補正 なし
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8.河津桜 -2
蕾が全部開いた満開である。葉も少し出てきている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1000秒 16mm ISO100 ) 露出補正 なし
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9.河津桜 -3
まだ花びらはほとんど落ちていない。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1000秒 10mm ISO100 ) 露出補正 なし
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10.サンシュユ
上池の少し先、花見台の近くまで行くと、これも最近植えられたのだろう、サンシュユ(山茱萸)の木があり、花が咲いていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/1000秒 41mm ISO100 ) 露出補正 なし
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11.ロウバイ -1
ロウバイの花がまだ残っていた。調べてみると、開花時期は、12/25 ~ 翌3/15頃とあった。花の内側が赤い。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 39mm ISO100 ) 露出補正 なし
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12.ロウバイ -2
背景をシャープにと思い、絞り優先 f16 で撮った。焦点距離30mm(35mm版換算80mm)で、花から 1m ほどの距離で撮ると、f16 でも、被写界深度は浅くなる。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f16 1/500秒 30mm ISO800 ) 露出補正 なし
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13.桃色雪柳(フジノピンク)
ユキヤナギは白い細長い房のような花という印象だが、近くによってみると、きれいな5弁花である。バラ科シモツケ属の園芸種のようだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 19mm ISO160 ) 露出補正 なし
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14.河津桜 -4
帰り際に今一度、青空をバックに、枝の先までびっしり花をつけたカワヅザクラを見る。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/1000秒 90mm ISO100 ) 露出補正 なし
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15.トサミズキ
明神台のバス停の近くには、今年もトサミズキが咲いていた。この季節は鮮やかな黄色の花が多い。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f16 1/500秒 20mm ISO800 ) 露出補正 なし
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16.ヒヨドリ
天気が良いので、ウメか、カワヅザクラにメジロが来ていないか、運が良ければ上池でカワセミに会えないかと期待していたのだが、この日はヒヨドリだけだった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f4 1/800秒 198mm ISO100 ) 露出補正 なし
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17.ハーデンベルギア
胡蝶蘭を小さくしたような、かわいい花が連なって咲いていた。マメ科の植物ということはすぐに分かったが、名前がわからない。後で調べたところ、ハーデンベルギアという花だった。つる性でオーストラリア、タスマニアに3種程度が分布するという。花の色は紫やピンクもあり、「小町藤」とも呼ばれる。背景に法性寺の鐘楼を入れて撮ろうとしたが、角度が取れなかった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f4 1/500秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
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18.春の日差し
法性寺の山門を出て参道である階段を下りながら、振り返ると、春の日差しがまぶしかった。まともに太陽を撮ってみた。もっと暗く撮れてしまうかと思ったが、絞り優先オートで露出補正なしできれいな空の色になった。法性寺は、日蓮宗寺院で山号は光榮山という。芝生村の人齋藤忠兵衞が開基檀那となり、法性院日在(元和7年寂)が元和2年(1616年)に開山したと言われている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f4 1/500秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
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