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Studio YAMAKOで“神仏分離令”が含まれるブログ記事

2023年5月 7日

いにしえの奈良 2泊3日のサクラ見物 ③ 2023年4月5日ー7日 吉野山 吉水神社

2023年4月6日の続き。金峯山寺の蔵王堂は、各自、自由時間に拝観するということで、先に吉水神社を団体としてお参りし、本殿に参拝し、重要文化財の書院を見学、そして、庭園と展望台からの中千本、上千本の桜の眺めを楽しんだ。
 この吉水神社の有料で拝観できる書院は、①南北朝時代、後醍醐天皇が吉野に潜幸(おしのびの行幸)したときに行宮(あんぐう)を設け、一時居所とした南朝の本拠地、②さらに源義経が潜居したり、③豊臣秀吉が花見の本陣とした等のエピソードがある凄い場所である。後醍醐天皇玉座の間、太閤秀吉花見の間、義経潜居の間なども写真撮影が許されていていた。古文書や武具、楽器など100点を超える宝物もあった。書院の見学を終え、外に出ると、「一目千本」、山が笑うほどの明るい桜の山が待っていてくれた。良いところを見ることができた。ツアコンさんの案内がなければ、見落としてしまっていたかもしれない。小一時間を吉水神社で過ごした。

000_2304060582 X700 ◎吉野山 Z50 Z18-140.jpg
吉水神社「一目千本」から中千本の眺望 2023年4月6日 奈良県吉野町

063_2304060572 X900 〇吉野山 吉水神社 Z50 Z18-140.jpg 63.吉水神社 表門(山門?)
吉水神社には3つの門があった。書院の奥にある北闕門(ほっけつもん)以外その名称が分からない。これは最初の門だ。山門というのだろうか。吉水神社の社伝では、白鳳年間に金峯山寺の僧坊「吉水院(きっすいいん)」として役行者(役小角)により建立されたと伝えられている。写真には写っていないが、この門の右側に、元弘の変に敗れ、隠岐に流される途中の後醍醐天皇へ児島高徳という忠義の武士が桜の木に刻んだ十字(10文字)の漢詩が掲げられている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm IS0250 ) 露出補正 なし
064_2304060576 X900 〇吉野山 吉水神社 Z50 Z18-140.jpg 64.吉水神社 中門
中門と言ってよいのかどうかはわからないが、最初の門の内側、本殿の手前にある門である。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 23mm IS0180 ) 露出補正 なし
065_2304060586 X900 ◎吉野山 Z50 Z18-140.jpg 65.一目千本
表門を入って、右側に「一目千本」展望台があった。書院見学の前だが、ちょっと見たいと立ち寄ってしまった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.0 1/500秒 64mm IS0250 ) 露出補正 なし
066_2304060579 X900 ◎吉野山 Z50 Z18-140.jpg 66.中千本の桜 -1
この山は宝月尾(ほおづき尾)と呼ばれるそうだ。「ほおづき尾」をチャットGPTに聞いてみると、「奈良県吉野山のほおづき坂は、桜の名所の一つで、特に「ほおづき尾」として知られています。ソメイヨシノの桜が植えられています。ほおづき尾は、ほおずき坂の途中にある一帯のことを指し、桜のトンネルを形成している美しい景色が有名です」という答えがあった。ただ、吉野山はおおよそ3万本のヤマザクラというが、「ほおづき尾」はソメイヨシノなのかなと疑問に思った。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 125mm IS0250 ) 露出補正 なし
067_2304060580 X900 〇吉野山 Z50 Z18-140.jpg 67.中千本の桜 -2
中千本から上千本に連なる桜の眺めはまさしく「一目千両」だった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.8 1/500秒 44mm IS0280 ) 露出補正 なし
068_2304060587 X900 ◎吉野山 吉水神社 Z50 Z18-140.jpg 68.吉水院庭園 -1
国指定名勝の池泉鑑賞式庭園で、豊臣秀吉によって造られた。吉水院庭園という説明板があったが、吉水院というのは明治時代の神仏分離令以前、お寺だった時代の名称。この庭園は1594年(文禄3年)に太閤・豊臣秀吉が吉野山で大花見を行った際、本陣だった吉水院に秀吉自らが設計した庭園とされている。安土桃山時代の華やかな雰囲気を今日に伝える「桃山様式の日本庭園」であると説明されていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 21mm IS0250 ) 露出補正 なし
069_2304060589 X900 吉野山 吉水神社 Z50 Z18-140.jpg 69.吉水神社本殿
1874年(明治7年)12月17日に吉水院は後醍醐天皇社の名で神社になることが太政官に承認されたとのこと。1875年(明治8年)2月25日、社名を吉水神社に改称し、併せて南朝方の忠臣であった楠木正成、吉水院宗信法印を配祀(はいし)(主祭神のほかに、同じ神社の中に他の神を祭ること)し、やがて村社に列している。現在、本殿には2001年(平成13年)に焼失した勝手神社の祭神が仮遷座されているそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.0 1/500秒 31mm IS0280 ) 露出補正 なし
070_2304060591 X900 吉野山 吉水神社 Z50 Z18-140.jpg 70.南朝皇居
吉水神社のホームページによれば、「延元元年(1336年) 後醍醐天皇が京の花山院から吉野へと行幸された際に、吉水宗信法印の援護のもと、この吉水院を南朝の皇居とされ、ここに住まわれました。それから南朝四代五十七年の歴史ははじめられ、それから南朝四代五十七年の歴史は始められ、吉水神社は現存する南朝唯一の行宮となっています。」と説明されている。石碑は新しいものであるが、「世界遺産・南朝皇居・吉野神社書院」と彫られていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.0 1/500秒 59mm IS0500 ) 露出補正 なし
071_2304060085 X900 吉水神社 G7X.jpg 71.書院 源義経潜居の間 -1
義経は後白河法皇から勝手に任官を命ぜられたことなどから、鎌倉の謀反人となり兄頼朝から追われる身となる。京を離れ、義経、静、弁慶など少ない手勢は、奈良の吉野山にあるここ「吉水院」にかくまわれた。文治元年12月、源義経が静御前、弁慶等と共に数日間この部屋に身を潜め再起を計ったが、それも束の間、すでに鎌倉から吉水院に義経追討状を送られ義経も止むなく山伏姿に身を替え弁慶等と共に吉野落をしたという。右側に弁慶思案の間がある。弁慶がここで見張りをしながら一世一代の秘策を考へ思案した。(吉水神社のホームページや、「セルフ塾のブログ」などの記述を参照させていただいた。)

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1250秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
072_2304060593 X900 吉野山 吉水神社 Z50 Z18-140.jpg 72.書院 源義経潜居の間 -2
ここから先は、女人禁制の「大峰山」で逃れられないと、義経は静に京に帰るよう命じたという。このとき静御前は義経の子を身ごもっていた。「吉野山 峰の白雪踏み分けて 入りにし人の跡ぞ恋しき」と歌われた、天下に名高い大ロマンスの舞台だそうだ。その際に身に着けていた数々の武器や道具や衣装を吉水院へ隠し残されていった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/200秒 21mm IS06400 ) 露出補正 なし
073_2304060090 X900 吉水神社 G7X.jpg 73.書院 後醍醐天皇玉座
吉永神社のホームページによれば「吉永神社書院の中にあるこの部屋は、延元元年(1336年)後醍醐天皇が京の花山院より秘かに吉野に行幸された時、吉水院の宗信法印が三百名の僧兵を従えて、天皇をここにお迎えしました。後醍醐天皇はこの部屋を南朝の皇居と定められて、吉野朝の歴史の第一頁が始まりました。天皇は建武の中興の偉業を成されるため、昼夜御努力をなされ王政復古を願われながら、南朝での御生活をされましたが、延元四年(1339年)にこの地で病により倒れられ、静かな最後を遂げられました。」と記されていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/400秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
074_2304060104 X900 吉水神社 G7X.jpg 74.庭園と北闕門(ほっけつもん)
書院の縁から書院裏庭と北闕門を見る。書院裏庭に現存する北闕門は古来より修験者(山伏)たちの祈りの場であった。大峰山に入山するにあたり、無事に下山できるようにここから祈った聖地であった。山伏達は吉水院にて入山許可書をもらい、護摩を焚き崖から落ちたり、熊や猪や蝮に襲われることなく「平穏無事」の下山できるように念じたという。そして、この北闕門にて後醍醐天皇も朝夕に京都の方角の空を仰ぎながら邪気払いの「九字」を切られたといわれている。北闕門は後醍醐天皇が京都に凱旋する時の門でもあった。その後、楠正行も出陣にあたり「九字真法」の印を切り結んだ場所と伝えられている。(吉水神社ホームページ参照)

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1250秒 9mm ISO250 ) 露出補正 なし
075_2304060111 X900 吉水神社 G7X.jpg 75.吉野之花見図
これは複製だそうだ。細やかなタッチで花見の様子が描かれている。吉水神社ホームページには「文禄三年(1594年)に豊臣秀吉が南朝を偲んで吉水院(吉水神社)を本陣として盛大なる花見の宴を催しました。徳川家康・加藤清正・前田利家・伊達政宗など時の武将たちを含め総勢五千人の家来を引き連れて吉野山を訪れ、吉水院(吉水神社)に約五日間滞在されました。その時に、歌の会、茶の会,能の会などを開いて豪遊されました。一世の英雄がその権勢を天下に示し念願の大花見をしたのでした。豊臣秀吉はその時に後醍醐天皇玉座の間の修繕や庭園の設計などを含め、数多くの能面や金屏風などの宝物を吉水院(吉水神社)に残され寄贈されました。と記されている。「竹の図」(桃山時代後期 狩野山雪筆)、「桜の図」(桃山時代前期 狩野承穂筆)の屏風もあった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/250秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
076_2304060115 X900 吉水神社 G7X.jpg 76.秀吉花見の本陣
書院の庭に「秀吉花見の本陣」という標識が立てられていた。向こうに見えるのは北闕門である。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 20mm ISO125 ) 露出補正 なし
077_2304060599 X900 〇吉野山 吉水神社 Z50 Z18-140.jpg 77.書院の縁と裏庭
書院の縁側からは、その裏庭と、右手に北闕門が見える。広くはないが、見応えがある。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm IS0160 ) 露出補正 なし
078_2304060605 X900 〇吉野山 吉水神社 Z50 Z18-140.jpg 78.吉水院庭園 -2
神仙思想に基づく鶴亀蓬莱の庭と言われる。この石は鶴島を表している。その左手に、写真には写っていないが亀島がある。鶴と亀は千年生きたとされ、これを見た人は千年生きられると考えられていると説明されていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm IS0400 ) 露出補正 なし
079_2304060616 X900 ◎吉野山 吉水神社 Z50 Z18-140.jpg 79.「一目千本」からの眺め -1 中千本と上千本
最後にもう一度、「一目千本」展望所から、中千本、上千本の桜を眺めた。写真の左から右へ中千本から、上千本へと桜の尾根が連なる。画面は中千本と上千本の手前だが、今回撮った写真の中では気に入った写真になった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm IS0400 ) 露出補正 なし
080_2304060619 X900 ◎吉野山 吉水神社 Z50 Z18-140.jpg 80.「一目千本」からの眺め -2 宝月尾(ほおづき尾)のあたり
いくら眺めていても飽きない。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.0 1/500秒 33mm IS0125 ) 露出補正 なし
081_2304060622 X900 〇吉野山 吉水神社 Z50 Z18-140.jpg 81.「一目千本」からの眺め -3 桜の花色
木によって微妙に異なる花色が織りなすバリエーションが素晴らしい。青空の下であればと欲が出る。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR プログラムオートで撮影  ( f5.0 1/500秒 61mm IS0180 ) 露出補正 なし
082_2304060626 X900 ◎吉野山 吉水神社 Z50 Z18-140.jpg 82.「一目千本」からの眺め -4 中千本
中千本エリアは広い。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/500秒 90mm IS0100 ) 露出補正 なし
083_2304060628 X900 ◎吉野山 吉水神社 Z50 Z18-140.jpg 83.「一目千本」からの眺め -5 中千本
「一目千本」展望所からは中千本と上千本が見えるというが、どこからが上千本なのかよくわからなかった。昨夜までは今日は雨だろうとあきらめていたが、ここまで桜を眺めることができてラッキーであった。吉野神社でよい時間を過ごし、退出したのは、11時少し前だった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.8 1/500秒 54mm IS0125 ) 露出補正 なし
084_2304060641 X900 〇吉野山 勝手神社 Z50 Z18-140.jpg 84.勝手神社
吉水神社から少し、上千本の方へ進んだところに、勝手神社の境内があった。吉水神社の本殿には、現在は2001年(平成13年)に焼失した勝手神社の祭神が仮遷座されているということを知った。吉野町のホームページには「境内は、義経と別れた静御前が追手に捕えられ、請われて舞いを舞ったといわれる地。社殿は2001年(平成13)に焼失してしまいました。」とあった。再建計画が進められており、平成29年から再建工事が開始される予定であったが、コロナ禍のためか遅れているようだ。再建に必要な経費は約4億円とされている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 26mm IS0110 ) 露出補正 なし
085_2304060645 X900 吉野山 ダラスケ Z50 Z18-140.jpg 85.ダラスケ丸
和漢胃腸薬である「陀羅尼助」という胃腸薬の老舗があった。ホームページを見ても立派に営業されているようだ。高野山にも「大師陀羅尼錠」というのがあった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm IS0360 ) 露出補正 なし
086_2304060656 X900 〇吉野山 東南院 Z50 Z18-140.jpg 86.東南院 多宝塔
東南院につぃては、前回の写真61.で調べているが、多宝塔は、もともと江戸初期に和歌山に建てられたものを、昭和12年にこの地に移された。明治初年まで和歌山県海草郡野上町の野上八幡宮にあった。古い霊地霊山には東南院あるいは、東南寺という 名の寺院があることが多いが、これは、霊山を開くときに中心となる伽藍(吉野山の場合は金峯山寺である。) を建て、そこから巽(東南)の 方角に当たる所に寺を建て、一山の安泰と興隆を祈願したためであるそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f8 1/500秒 18mm IS0110 ) 露出補正 なし
087_2304060656 X900 〇吉野山 東南院 Z50 Z18-140.jpg 87.奈良漬
これからどこかで食事をして、バスの駐車場へ戻らなくてはならない。この店で奈良漬を買い求めた。帰宅して食べてみたがとても美味しかった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.0 1/500秒 32mm IS0160 ) 露出補正 なし
088_2304060663 X900 吉野山 Z50 Z18-140.jpg 88.吉野山郵便局
吉野町の世帯数と人口は、そのホームページによれば、令和5年4月末日現在で、世帯数が3073世帯、人口は6,151人(先月比-33人)である。どれほどの町民が郵便物配達の対象になるのかなと、写真を撮りながら考えた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/500秒 18mm IS0110 ) 露出補正 なし

2019年2月20日

冬の石山寺(前編) 2月14日

前の日に京都は本山興生寺霊山本廟での法事を終え、娘は10時から勤め先の会議に出るといって、早朝に出立した。娘の主人は大阪出張だという。もとより何の用事もない私たちには、まっすぐ帰る理由はない。
 昨年秋にも京都と滋賀の紅葉を見に来たが、今回は滋賀県大津市の石山寺と日吉大社を見てこようと計画した。「星乃珈琲店」という喫茶店で、久しぶりにモーニング・サービスのトーストとボイルド・エッグを食べて、JRで石山駅へ行った。石山で京阪石山坂本線に乗り換え、終点の石山寺で下車。観光客はいない。駅から10分ほど歩いて石山寺の東大門に着いた。東大門からまっすぐ参道が続くが人の姿はなかった。
 石山寺は、滋賀県大津市石山寺1丁目にある東寺真言宗の寺院。巡拝供養券(パンフレット)によれば、聖武天皇の勅願により、天平勝宝元年(749年)に良辨僧正によって開基された。
 wikipediaによれば、石山寺は琵琶湖の南端近くに位置し、琵琶湖から唯一流れ出る瀬田川(淀川の滋賀県内での名称)の右岸にある。創建年は天平19年(747年)。本堂は国の天然記念物の珪灰石(「石山寺硅灰石」)という巨大な岩盤の上に建ち、これが寺名の由来ともなっている(石山寺珪灰石は日本の地質百選に選定)。本尊は如意輪観音、開基(創立者)は良弁。石山寺は京都府の清水寺や奈良県の長谷寺と並ぶ、日本でも有数の観音霊場であり、西国三十三所観音霊場第13番札所となっている。また当寺は「蜻蛉日記」「更級日記」「枕草子」などの文学作品にも登場し、「源氏物語」の作者紫式部は、石山寺参篭の折に物語の着想を得たとする伝承がある。「近江八景」のひとつ「石山秋月」でも知られるとある。

IMG_20190217_0002 X700.jpg  ↑ 石山寺境内図 巡拝供養券(パンフレット)より

1.朝焼け
時刻は朝6時48分、京都の町に朝日が昇ってきた。日の出は横浜より少し遅い。日の出の時刻を調べてみると、この日2月14日は、横浜が6時29分、京都は6時44分だった。ホワイト・バランスを「日陰」にして赤みを強調した。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 37mm ISO400 ) 露出補正 -0.7段
190214001.jpg
2.京阪石山坂本線石山寺駅
JR石山駅で乗り換え、京阪石山坂本線で終点の石山寺駅は2駅目だった。2両編成の電車は、まるでかっての玉電のようだ。写真の電車は1984年製である。車両は小さく幅も狭いが堂々たる標準軌だった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 16mm ISO250 ) 露出補正 なし
190214002.jpg
3.石山寺東大門
石山寺駅から琵琶湖を背に瀬田川に沿って10分ほど歩くと右手に石山寺の東大門があった。 鎌倉時代初期、建久元年(1190年)の建立と伝わるが、鬼瓦に記された慶長5年(1600年)の銘や様式などから、淀殿の寄進による慶長年間の境内の整備の際に、大規模な修理改造が行われたと推察されている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1000秒 12mm ISO160 ) 露出補正 なし
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4.東大門仁王像 -1
門の両脇には仁王像が祀られている。鎌倉時代の仏師運慶・湛慶の作と伝えられ、歴史を感じさせる古さがある。これは向かって左側の仁王像で、後ろに草履がある。 昨秋湖東三山を訪れたが、その仁王門にも草履が架けられていた。しかし湖東三山は天台宗の寺院であったが、石山寺は東寺真言宗である。また、石山寺は西国観音札所であるが、湖東三山はそれに含まれないので、草履の有無は巡礼とも関係なさそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO160 ) 露出補正 なし
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5.東大門仁王像 -2
こちらは向かって右側の仁王像。一般的に向かって右側の仁王像は阿吽の阿形(口を開ける)であることが多いが、ここは左右どちらの仁王様も口を開けているように見えた。仁王像は仏像の位で言えば、如来、菩薩、明王の下に位置する天部に属し、仏像のランクでは天部の仏像は最下位にあるのだそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO160 ) 露出補正 なし
190214005.jpg
6.法輪院
東大門を入って石山寺の参道の左側に、中には入れなかったが​、​門の外から松の枝ぶりのいい小さな庭園​が​見​られた​。ここは法輪寺といい、石山寺の寺坊(禅宗寺院では塔頭という)のひとつとして建立されたものだそうだ。江戸時代前期のものと伝​えられる​表門から中を眺めると、 東に桟瓦葺の庫裡・西に檜皮葺の書院が建っており両者は北側に妻を向けている。白い壁が美しい。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 14mm ISO200 ) 露出補正 なし
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7.くぐり岩
参道を進んで参拝受付を入ると右手に「くぐり岩」というのがあった。穴をくぐると願い事が叶うとされるパワースポットだそうだ。立てられた説明板には「このあたりの岩は全部大理石である奇岩怪石の幽邃の境中天然自然に体内くぐり状態をなすこの池は天平時代のものである」とあったが意味がよくわからなかった。マグマによって接触変成作用を受けるのは、珪灰石のほかに大理石、ベスブ石、ざくろ石、菫青石などがあり、くぐり岩は大理石とのこと。池には大きな鯉が泳いでいた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO800 ) 露出補正 なし
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8.御手洗(みたらし)
くぐり石の近くに参拝者が手や口を洗って清める手水舎があった。手水舎に龍はよくあるのだが、ここのはいつごろのものかわからないが、時代を感じさせる。神仏を守護するために竜神が働くというのは昔から言われているそうで、手水舎の龍は人間の汚れを清め、聖域を守るのだそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO1600 ) 露出補正 なし
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9.毘沙門堂
インターネットのニッポン旅マガジンというサイトには、毘沙門堂について「本堂の東側に観音堂と並んで建つのが毘沙門堂。重要文化財の東大門と並び、建久年間(1190〜1199年)に源頼朝により寄進で創建されていますが、現存する建物は、江戸時代中期の安永2年(1773年)の再建で、滋賀県の有形文化財に指定。 堂内に兜跋毘沙門天(とばつびしゃもんてん=唐代に中国の西域に現れ、外敵から国土を守ったという毘沙門天/重要文化財)、吉祥天・善膩師童子(ぜんにしどうじ=毘沙門天の息子のひとり)を祀っていますが、源頼朝の乳母・亀谷禅尼の夫である中原親能(なかはらのちかよし=文官御家人で、鎌倉幕府政所公事奉行)がこの毘沙門天の駕籠を受け凶賊を退治したという逸話が残されています。」と記されていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO200 ) 露出補正 なし
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10.蓮如堂
同じくニッポン旅マガジンによると、建物は、慶長7年(1602年)に淀君による慶長年間の伽藍復興の際に、石山寺の鎮守社である三十八所権現社の拝殿として建築されたもので、文化8年(1811年)に桟瓦葺き(さんがわらぶき)に修築され、明治の神仏分離令により蓮如堂となっている。三十八所権現とは、日本古来の神々と神武天皇から天智天皇まで38代の天皇を祀る社で、権現とは仏や菩薩が仮に姿を変えて日本の神として現れること。神仏習合時代の名残の堂(寺院における鎮守拝殿)で、蓮如堂(旧拝殿)も神事と仏事の両方で使用可能という珍しい造りになっているという。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO400 ) 露出補正 なし
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11.本堂前 鉢植えの梅
いよいよ本堂に上がる。その手前に鉢植えの梅が咲いていた。本堂の前の広くなったところで、毘沙門堂とその向こうに観音堂が見える。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2 1/1000秒 11mm ISO160 ) 露出補正 なし
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12.本堂入口
鉢植えの梅を撮ったところから、石段を上がると本堂の入り口があった。平安時代後期再建の本堂は国宝である。外陣(礼堂)が見えるが、残念ながらここから撮影禁止である。右手が内陣(正堂)で、中央に据えられている巨大な厨子の中には、秘仏の本尊である平安時代作の如意輪観音半跏像(重要文化財)が祀られているという。また、礼堂と正堂を繋ぐ相の間の右端には、紫式部の間という小部屋が設けられている。これは紫式部が石山寺に篭り、源氏物語の発想を得たという逸話に基いたものだそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/320秒 10mm ISO3200 ) 露出補正 なし
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13.硅灰石
天然記念物に指定されている石山寺の名前の由来となっている奇岩だ。硅灰石(けいかいせき)という。本堂から多宝塔へ上る途中にその露頭がある。硅灰石 が地中から突出した花崗岩と接触し、その熱作用のために変質したものというが、石山寺のように雄大な 硅灰石となっているのは大変珍しいそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/320秒 9mm ISO1000 ) 露出補正 なし
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14.経堂と安産の腰掛石
本堂の北東の高いところに建っている経堂は経典を収めるための高床の校倉で、滋賀県最古の校倉造の建物は重要文化財である。その高床式に建てられた経蔵の束の部分は露出した硅灰石の岩盤に直接建てられているが、その束を抱くように岩盤に座ると安産になると伝えられているそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO800 ) 露出補正 なし
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15.鐘楼
瀬田川の方向に見えるこの鐘楼も重要文化財である。源頼朝の寄進と伝えられているそうだ。上層には平安時代の梵鐘が吊られており、下層から撞木(シモク:釣鐘を突く棒​)​を引いて撞く珍しい構造となっている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2 1/1000秒 10mm ISO320 ) 露出補正 なし
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16.国宝 多宝塔 -1
源頼朝の寄進により建立されたと伝えられ、上下二層のバランスや軒の曲線の美しさで日本が誇る最古最美の多宝塔として知られる。この多宝塔は、鎌倉時代の建久5年(1194年)に建立されたもので、建築年が明確なものとしては日本最古の多宝塔。国宝に指定されている。和歌山・金剛三昧院多宝塔、大阪・慈眼院多宝塔に並び、日本三名塔のひとつにも数えられている。下層が方形(四柱造)、上層は円形の平面を持ち、屋根は宝形造の檜皮葺きになっている。多宝塔内部の柱や天井の回りなどには仏像や草花などの絵が描かれ、須弥壇には鎌倉時代を代表する仏師・快慶作という重要文化財の金剛界(大日如来の智慧が堅固な悟りで、 何ものにも傷ついたり揺らぐことがないことを表わす)の大日如来坐像が安置されているそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2 1/1000秒 10mm ISO500 ) 露出補正 なし
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17.心経堂
琵琶湖側の高いところまで上がってきた。この心経堂は比較的新しく建てられたお堂である。花山法皇西国三十三所復興一千年記念行事の一環として、平成2年(1990年)に建立された堂宇で、多宝塔の北東の一番高い場所に位置する。内部中央には如意輪観世音菩薩と、石山寺の奉納された写経を収める輪蔵が安置されている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO320 ) 露出補正 なし
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18.国宝 多宝塔 -2 心経堂のあたりから多宝塔を眺める。なるほど美しい形をしている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1000秒 14mm ISO250 ) 露出補正 なし
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2019年2月 7日

続 保土ヶ谷歴史散歩 2月4日

先月、1月20日に「保土ヶ谷歴史散歩」をしてきたが、探しあてることが出来なくて、見逃してきたところがいくつかあった。昨日から2月10日まで、天王町の岩間市民プラザで「保土ヶ谷の歴史建造物巡り」パネル展というのが開催されている。このパネル展を見て、過日見逃した保土ヶ谷宿の史跡も見てこようと午前中に家を出た。
 まず、岩間市民プラザへ。そのパネル展は4階建てのそれほど大きくない建物の3階にあるギャラリーで行われていた。
 パネル展を見たあと岩間市民プラザを退出し歩き始める。1月20日に見落としてしまっていた2つの寺院、香象院と大蓮寺を訪ねた。ともに立派なお寺だった。
 環状1号線が終わりになるところから旧東海道に入り、第二常盤湯という銭湯を見て、案内札以外は何も残っていない問屋場跡、助郷会所跡の前を通って、国道1号線(東海道)へ出た。大通りを渡って通りの向こう側を戸塚方面へ歩く。1月20日に来たときは道路の反対側を歩いていたので気が付かなかった、旅籠本金子屋や復元された一里塚と松並木、上方見附のモニュメントを見て、保土ヶ谷駅西口へ引き返してきた。これで紹介されていた保土ヶ谷の歴史建造物と旧東海道の保土ヶ谷宿史跡はほとんど巡ることが出来たと思う。

1.「保土ヶ谷の歴史建造物巡り」パネル展
1月20日に歩いてきた歴史的建造物の説明文と写真が30数点のパネルにして展示されていた。中には、保土ヶ谷にあった当時の大日本麦酒や古川電池などの写真もあった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO800 ) 露出補正 +0.3段
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2.香象院
天王町から環状1号線を保土ヶ谷駅西口に向かうと、右側に、入口にまるで山門のように大きなお釜が2つある高野山真言宗のお寺があった。山号を普賢山という。「猫のあしあと」というサイトを見ると、香象院の創建年代等は不詳ながら、忠秀法印が天正11年(1583)に中興、元文年間(1736-1740)に当地に移転したとされている。ここには保土ヶ谷宿で最大の寺子屋があり、明治6年(1873)に保土ヶ谷小学校の分校となったそうだ。保土ヶ谷郷土史家・磯貝正氏の功績を称えた碑がある。さらに検索してみると「仮想旅」というブログに、門前にある大きな鉄釜について書かれていた。以前は本堂の前に置かれていて「天水桶/本堂の屋根に降った雨を溜めておき、火事が起きたとき消化に使う。」ためのものであったらしい。戦時中には鐘は供出させられたが、天水桶はもしもの時(火事や炊き出し)に使えると供出を免れたそうだ。本堂の再建に当たって門前に持ち出された。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
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3.大蓮寺 山門
1月20日に歩いた時に訪れた天徳院の先を右に入ったところに、山号を妙栄山西孝院という大蓮寺があった。なかなか立派な寺院である。仁治3年(1241年)、是聖房蓮長(のちの立正大師日蓮)が宿泊した地に建てられた法華堂が起源という。寛永2年(1625年)現在地に移転した。石段を上がって山門をくぐると、境内の石畳の参道の先に本堂があった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
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4.大蓮寺 おまんの方手植のザクロ
本堂の左側には、「おまんの方の御手植 柘榴」と書かれた石碑があった。徳川家康の側室であった養珠院(お万の方)のことである。その向こうに今は葉を落としている柘榴の老木が植えられていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
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5.第二常盤湯(休業中)
2018年の「保土ヶ谷歴史まちあるき」のマップの説明では、"戦後復興期に建てられた現在でも営業している銭湯"と書かれていたが、行ってみると昨年12月1日から休業になっていた。マップでは旧東海道からちょっと左に入ったところとなっているのだが、ここを探しあてるのは難しかった。細い路地があってその先に赤い小さな鳥居が見える。もしかしてと思ってその路地に入っていくと、第二常盤湯はあった。

左:Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1250秒 13mm ISO125 ) 露出補正 なし
右:Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1000秒 13mm ISO250 ) 露出補正 なし
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6.旅籠屋「本金子屋」跡
前回見落とした。保土ヶ谷区役所作成の「横浜旧東海道 保土ヶ谷宿」というパンフレットによれば、格子戸や通用門が当時の旅籠の雰囲気を伝えている。現在の建物は明治時代初期の建築と記されていた。伝承では明治2年(1869年)に建替えられたものであるとされる。家の前には「歴史の道 旅籠屋(本金子屋)跡」史跡標柱が立てられている。天保年間には本金子屋の家長は伝左衛門であったとある。江戸時代が終わり、大名の参勤交代はなくなるから、明治3年(1870年)に宿駅制度が廃止されると本陣や脇本陣も旅籠屋になっていったのであろう。鉄道が施設され、線路が敷かれる以前は依然として旅人たちは徒歩で旅立った。そのあたりが明治2年に旅籠屋として建て替えられた理由かもしれない。この歴史的建物の左、奥まったところに「金子」という表札がある立派な邸宅があった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO320 ) 露出補正 なし
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7. 一里塚跡と上方見附跡 -1
ここも前回見落としていた。広い国道1号を歩いているとほとんど目立たないのだ。江戸時代に、宿で町並を形成し、その両端に道を挟んで見付を築き、これを宿場の入口の標識とした。つまり、見附は宿場の出入り口に設けられた番所のことで江戸側を江戸見付、京都・大坂側を上方見付と言ったそうだ。大名行列もこれより隊伍を整えたという。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5.6 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
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8. 一里塚跡と上方見附跡 -2
同じく保土ヶ谷区役所作成の「横浜旧東海道 保土ヶ谷宿」というパンフレットによれば、平成17年12月第1回「ヨコハマ市民まち普請事業」に選ばれ、平成19年2月一里塚と松並木が復元した。場所の制約から十分な大きさの塚を築くことはできなかったが、塚の上には昔のようにエノキを植え、松並木とともに宿場時代の再現に努めたとあった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5.6 1/1250秒 20mm ISO125 ) 露出補正 なし
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9.仙人橋
国道1号の脇を流れる今井川には、仙人橋という名の橋が架けられていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
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10.外川神社
その仙人橋を渡った右側に外川神社という古い社があった。この外川神社は、幕末の頃に、程ヶ谷宿にあった出羽三山講の講元で先達でもあった清宮輿一という人が、湯殿山・月山・羽黒山の出羽三山の霊場を参拝した際に、羽黒山麓の外川仙人大権現の分霊を勧請し、自分の屋敷内(現在の地)に祭ったのが始まりであるとされる。外川仙人大権現と称していたが、明治2年(1869年)の神仏分離令により、日本武尊を祭神と定め、社名を外川神社と改めたそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2 1/1250秒 10mm ISO125 ) 露出補正 なし
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11.東海道線踏切
保土ヶ谷駅西口に戻るには東海道線、横須賀線らの踏切を渡らねばならないが、上り下りとひっきりなしに電車が来て、なかなか渡ることが出来なかった。余談だが電車の行き先表示板は、このシャッタースピードでは読み取れるようには撮れない。検索してみると、電光掲示板ではなく、LED方向膜だそうだが、LEDは高速で点滅しているので、その点滅スピードに合わせたシャッタースピードで撮影しないと文字が切れてしまう。シャッター・スピードはLEDの機種によっても異なるらしいが1/100秒~1/125秒あたりで良いようだが、もっと完璧を望むむなら1/50秒~1/60秒(あるいはそれより遅い)ということらしい。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
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12.宿場そば「桑名屋」
保土ヶ谷駅西口のロータリーに出る前に、創業明治19年の「宿場そば桑名屋」という蕎麦屋があった。保土ヶ谷宿のパンフレットには、この地で4代続く店主は、保土ケ谷宿や、旧東海道の歴史的保存などにはとても熱心で、店も町並み博物館となっていて、浮世絵や保土ヶ谷宿に関連する歴史資料が展示されているとある。 桑名屋という名の通り三重県桑名から1886年(明治19年)に保土ケ谷に移転してきたそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 25mm ISO125 ) 露出補正 なし
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2018年11月22日

日光東照宮と古峯神社・古峯園 バスツアー(3) 古峯神社と古峯園 10月27日

日光東照宮近くのバス駐車場を出発し、日光宇都宮道路を走って約1時間半、栃木県鹿沼市の古峰ヶ原というところにある古峯神社に到着した。
 wikipediaによれば、「古峯神社は大芦川上流に位置し、もともと古峰ヶ原(こぶがはら)は修験者達の休息場だったらしい。その後天狗の社として関東、東北各地で信仰を集めるようになる。特に明治に入り1880年代以降、各地で開通する蒸気機関車が火の粉を撒き散らすようになったが当時の民家は茅葺きであるため火の粉に弱く、羽扇を持つ天狗が火防(ひぶせ)の霊験大として信仰を急速に集めるようになった。栃木でも1890年(明治23年)に日本鉄道日光支線(現JR日光線)が開通すると、一層盛んになった。関東・東北の各集落に「古峯講中」「こぶがはら講」が存在し、 村の代表が代参して、奉納された多数の天狗の面や額に見守られながら、お籠もりをする。一の鳥居(24.6m)は銅製としては日本最大の大きさを誇る。」とあった。その銅製の一の鳥居は、バスで通ってきたところだ。
 失礼ながら、神社への参拝は後にして先に、古峯園へ入る。古峯園は言うまでもなく、古峯神社の庭園だが、紅葉にはまだ早いと思っていた。ところが予想以上に見事な紅葉を見ることができた。古峯園は関東一と名高い大芦川の清流を引き、広大な自然の地形を生かして造られた面積はおおよそ82,500㎡(25000坪)の廻遊式日本庭園であるが、いつ造られたかは分からなかった。それほど古いものではないように思う。だが、この庭園は思っていたより立派だった。

52.「汽車弁当」
明治18年宇都宮駅開業と同時にゴマ塩おにぎり2個を竹の皮に包み5銭で売り出したのが発祥と言われる。その宇都宮の「汽車弁当」がこの日の昼食だった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/500秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
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53.前日光の山々
栃木県西部、鹿沼市の北西部、足尾山地にある地域。ヤマトタケルノミコト (日本武尊)を祀り、古峰神社は五穀豊穰と防火の神として知られる。一帯は前日光県立自然公園に属する。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 67mm ISO160 ) 露出補正 なし
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54.大芦川の清流
大芦川の清流を眺めながら、古峯神社の参道を進む。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 13mm ISO640 ) 露出補正 なし
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55.古峯神社
鳥居をくぐって古峯神社の境内に入る。古峯神社は右側へ上がって行ったところにお社がある。紅葉が始まっていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 28mm ISO640 ) 露出補正 なし
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56.古峯園入り口
バスツアーの皆さんは神社への参拝は後回しにして、古峯園へと入っていく。古峯神社神苑「古峯園」、この庭園内には、裏千家の「又隠」(裏千家の代表的な茶室)を写した茶室「峯松庵」や、中京の名家神野家から茶席と待合が移築され、床柱と落掛には金閣寺の古材を使った茶室「翠滴」、水辺に錦鯉が群れ集う立礼席「静峯亭」など多くの数寄施設がある。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 12mm ISO800 ) 露出補正 なし
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57.大芦川に架かる橋
古峯園の門をくぐると、橋が掛かっていた。橋の途中から上流を眺める。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 12mm ISO800 ) 露出補正 なし
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58.古峯園への橋
古峯園の門をくぐって、橋を渡る。橋の上から古峯園入り口の門を振り返った。紅葉が良い。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 16mm ISO1000 ) 露出補正 なし
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59.古峯園の池
橋を渡って庭園の中に入ると大きな池が広がる。池の向こうは紅葉が始まっていた。これは入り口から左側を眺めたところ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 30mm ISO1250 ) 露出補正 なし
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60.峯の茶屋 -1
池の右側には、積み上げられた石垣の上に「峯の茶屋」という茶店がある。池の対岸から眺める紅葉は、まだ少し早いようだが、美しい。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 48mm ISO1000 ) 露出補正 なし
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61.御神木 御神木があった。周りの苔がまた良い。神木はヒノキで、近郊の林業に携わっている人たちからこの古峯神社は「良い種木が採れる」「木が真直ぐにすくすく育つ」とされ、「子宝」「子授け」の神社と崇敬されているとのこと。推定樹齢250年、樹高32m 太さ2.9m 。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 48mm ISO1000 ) 露出補正 なし
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62.「峯の滝」 -1
造られた滝だろうがなかなか風情がある。張り出したモミジと、緑のコントラストも良い。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 48mm ISO1000 ) 露出補正 なし
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63.池と紅葉
池を右回りに「峰の茶屋」に進む。そこから見る池の対岸。池の水面に色づいた樹々が映る。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 11mm ISO640 ) 露出補正 なし
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64.池の周り
池の周りは歩いて一周できる。池を4分の1ほど回ったところから、紅葉を背に立礼席「静峯亭」が見えた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 16mm ISO1250 ) 露出補正 なし
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65.「峯の茶屋」 -2
ここで季節ごとに風雅な表情と彩りを持つ庭園を見ながら、食事(軽食・懐石料理)、甘味などをお楽しむことができるという。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 16mm ISO2500 ) 露出補正 なし
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66.「峯の茶屋」からの眺め -1
「峯の茶屋は石垣の上にある。そこから峰の滝から池に流れ込む水を眺める。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 25mm ISO3200 ) 露出補正 なし
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67.「峯の茶屋」からの眺め -2
「峯の茶屋」の石垣の上からは、自然の地形を生かして造られた、おおよそ82,500㎡(25000坪)の廻遊式日本庭園である古峯園のほぼ全景が眺められる。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 15mm ISO800 ) 露出補正 なし
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68.ガラス戸に移る紅葉
「峯の茶屋」の座敷をのぞき込むと、そのガラス戸にモミジが映り込んだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/250秒 21mm ISO3200 ) 露出補正 なし
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69.茶室
「翠滴」という茶室があった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 16mm ISO1250 ) 露出補正 なし
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70.ウメモドキ
池の入り口から見た反対側は、木々の間を歩く道になっている。9月に舞岡公園で見たウメモドキはまだ葉が若かった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 16mm ISO1600 ) 露出補正 なし
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71.幹に絡む紅葉
葉の形を見るとどうもツタではなさそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 16mm ISO2000 ) 露出補正 なし
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72.「峯の茶屋」 -3
振り返って「峯の茶屋」を眺める。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 29mm ISO2000 ) 露出補正 なし
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73.「峯の滝」 -2
「峯の滝」の近くまで下りることができる。熱心に写真を撮っている先客があった。カエデの色が鮮やかだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 39mm ISO3200 ) 露出補正 なし
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74.色鮮やかなカエデ
「峯の滝」から落ちてきた水を背景にモミジの葉が輝いていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 65mm ISO3200 ) 露出補正 なし
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75.「静峯亭」
池を4分の3周してきた。入ったときに池の左側に見えていた立礼席「静峯亭」のところへ来た。手を叩くと池の鯉が寄ってくる。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 41mm ISO1600 ) 露出補正 なし
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76.古峯神社と天狗
古峯神社の祭神の使者である天狗は災厄を除災するとして古くから信仰を集めており、別名「天狗の社」とも呼ばれ、境内では大小様々な天狗に逢うことが出来るそうだ。昨今、ご朱印集めが流行っているようで、今回のツアーの参加者の中でも行く先々でご朱印をいただいている方がいた。ここのご朱印は興味がある。天狗の社と呼ばれるだけあって、様々な天狗が描かれているが、手書きであるので同じものはないとのことだ。この絵のものが欲しいと言っても、書く人が違えば無理なのだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
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77.古峯神社社殿
日光山を開いた勝道上人は、ここで修行を積み古峯の大神の御神意によって、日光開山の偉業を成しとげられたと伝えられる。 この縁起にもとづき、古峯神社を中心とする古峯ケ原は日光全山26院80坊の僧たちが、修行に励む霊地となり、明治の初めの神仏分離令で現在の古峯神社となった。社殿には江戸時代に奉納された鼻の高さがおよそ90cmもある大天狗の面が高下駄とともに掲げられている。 また、「天狗の宿」として知られる当社の参籠は、昔から全国に知れ亘り、翌朝黎明の一番祈祷を受けて下山する慣わしは創始以来執行され、当神社の一大特色だそうだ。厳粛に斎行されるこの一番祈祷を受けることにより、崇敬者はより一層の御神陵(みたまのふゆ)を賜るものとして深く信じられており、古来より今日に至る迄、変わることなく受け継がれているという。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO640 ) 露出補正 なし
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78.古峯神社の鳥居と参道
あとさきになってしまったが古峯神社社殿でお参りをして、バスの待つ駐車場へ戻る。鳥居と参道を振り返る。14:30に帰路に着く。秋の日は暮れるのが早い。今日は降水確率80%という予報だったが、雨が降ることはなく、ラッキーだった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO1600 ) 露出補正 なし
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2018年11月18日

日光東照宮と古峯神社・古峯園 バスツアー(2) 輪王寺大猷院 10月27日

東照宮で改修なった眩いばかりの「陽明門」や「三猿」を堪能した後、二荒山神社へ回って、輪王寺大猷院に向かったのは11時20分ごろだった。二荒山神社を神門から出て右側に、輪王寺大猷院の入り口がある。この時間になって、境内は霧が降りたような感じになったが、幸い雨は落ちてこなかった。
 今回の日帰りバスツアーのタイトルに「秋色に染まる日光東照宮・・・」とあったが、東照宮と二荒山神社では紅葉らしい紅葉は見られなかった。やっと、輪王寺の境内では色づいたモミジが見られた。
 輪王寺は東照宮、二荒山神社が神社なのに対しお寺なのだ。wikipediaによれば、輪王寺は、766年(天平神護2年)に下野国出身の奈良時代の僧、勝道上人により開創されたと伝えられている天台宗の門跡寺院である。明治初年の神仏分離令以後、東照宮、二荒山神社と併せて「二社一寺」と称されている。近世まではこれらを総称して「日光山」と呼ばれていた。現在、「日光山」は輪王寺の山号とされている。
 また、輪王寺は日光山中にある寺院群の総称でもあるのだ。表参道を上がってくると東照宮の手前に、輪王寺の境内があり、そこには現在修復中の三仏堂がある。少し余談になるが、東日本最大の木造建築ともいわれる「日光山 輪王寺・三仏堂」の約50年ぶりの修復工事(平成の大修理)が、平成19年から平成30年までの予定で行われている。約10年間という長期に渡っての大修繕である。三仏堂を覆う「素屋根」が完成し、地上26メートル、ビルの7階に位置する「天空回廊」が平成23年4月29日に設けられ、三仏堂の屋根頂上と同じ高さから修理現場を見学でき、さらに外に目を向ければ東西に広がる日光門前町の眺望が眺められる日光山の新名所となっていた。しかし、本堂(三仏堂)の修理完了へ向け、平成30年3月より素屋根の解体が開始され、「天空回廊」は3月31日をもって終了となった。残念。
 東照宮、二荒山神社のさらに奥の離れたところにある輪王寺大猷院は、徳川三代将軍「家光公」の廟所(墓所)である。

27.輪王寺大猷院 入口
二荒山神社の神門をでて下ってくると、右手に輪王寺大猷院の境内が見えた。実はここは、日光輪王寺本坊のすぐ近くなのだ。三仏堂のあたりから、輪王寺大猷院を含む広大な輪王寺境内を形成している。さらに中禅寺湖畔には、輪王寺の別院として中禅寺立木神社がある。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 21mm ISO400 ) 露出補正 なし
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28.常行堂
輪王寺大猷院のほうへ歩き出すと、すぐ左に常光堂があった。輪王寺のホームページによれば、常光堂は嘉祥元年(848年)に慈覚大師円仁によって、比叡山延暦寺の「にない堂」に模して建立された。純和様の宝形造で、隣の純唐様の法華堂との間に、歩廊を設け接続されている。この形式は大変珍しいもので、現在では比叡山延暦寺と、ここ輪王寺常行堂の二か所のみとなっているそうだ。常行堂の本尊阿弥陀如来の修理完成を記念して特別参拝が行われていた。

SONY C yber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/80秒 12mm ISO3200 ) 露出補正 なし
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29.仁王門
常行堂の先の右側に、半分紅葉しているカエデがあった。その向こうに霧にかすんで仁王門が見える。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 26mm ISO320 ) 露出補正 なし
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30.仁王門石段
仁王門の石段を上がっていくとその向こうに紅葉した木々が見えた。仁王門は輪王寺大猷院の最初の門で、重要文化財に指定されている立派な門だ。その黒と赤の深みと金の輝きは偉容である。口を開いた「阿形」と、口を閉じた「吽形」の2体の仁王像「金剛力士像」が安置されている。「阿形」は密迹金剛、「吽形」那羅延金剛。「阿吽の呼吸」はここから来ていると言われている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 38mm ISO640 ) 露出補正 なし
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31.紅葉を撮る人
仁王門を入ると広場があった。右に御水舎があり、その左は二天門への石段がある。その間に色づいたカエデがあった。ここは東照宮と比べると、とても静かだ。輪王寺は寺なのだが、神社のように御水舎があるのは、明治時代前の神仏習合の名残である。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 39mm ISO640 ) 露出補正 なし
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32.仁王門付近
仁王門の石段を上がって、二天門に続くところは広場になっている。そこに御水舎があるが、その傍の木々が紅葉を始めていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 23mm ISO320 ) 露出補正 なし
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33.二天門
そのカエデの紅葉を眺めながら二天文の石段に向かう。輪王寺大猷院のHPのよれば、二天門は世界遺産日光の境内で1番大きな門だそうだ。桁行5間(約10m)、梁間3間(約6m)ある。持国天(じこくてん)、広目天(こうもくてん)の二天を安置している事から二天門と呼ばれている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 13mm ISO800 ) 露出補正 なし
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34.二天門とカエデ
紅葉はまだ十分ではないが、紅葉した赤い葉と、これから紅葉する緑の葉が美しい。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 31mm ISO800 ) 露出補正 なし
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35.二天門の像
門の正面左右には二天門の名の由来となる「二天」、四天王の内の「持国天」と「広目天」が安置されている。こちら側、すなわち正面の左側(東)を守護するのが「持国天」である。一方、右側(西)を守護するのが「広目天」だ。wikipediaによれば、四天王は、仏教の世界観における須弥山の中腹にある四天王天の四方に住んで、仏教を守護する四つの神(東方の持国天、南方の増長天、西方の広目天、北方の多聞天)のことだそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 13mm ISO3200 ) 露出補正 なし
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36.二天門の扁額
二天門は重要文化財で、創建は1653年(承応2年)で2012年(平成24年)に再建されている。正面の扁額は、108代天皇「後水尾上皇(ごみずのおじょうこう)」による筆という。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 12mm ISO2500 ) 露出補正 なし
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37.御水舎
二天門をくぐって、夜叉門へと続く石段の上は踊り場のようになっていて、ここから、御水舎と紅葉し始めたカエデを眺める。御水舎の屋根は四隅に各3本ずつ計12本の御影石の柱で支えられた構造をしていて東照宮の御水屋と同じ構造になっている。東照宮では御水屋と称され、ここ輪王寺大猷院では御水舎と呼ばれている。御水舎は 銅瓦葺切妻造り軒唐破風の建物で、天井には、狩野安信の龍の墨絵が描かれていて、その龍が水盤に映し出されることから、「龍鏡」、「水飲み龍」とも呼ばれていたそうだが、現在では墨が薄くなっているのではっきりとは映らなくなっている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 12mm ISO1250 ) 露出補正 なし
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38.二天門からの眺め
二天門の上から 御水舎の左を見ると、大きな建物と広い庭が眺められた。ひっそりとしている。これは竜光院だろうか? 大猷院霊廟別当所竜光院とすると、これも重要文化財に指定されている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 29mm ISO3200 ) 露出補正 なし
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39.夜叉門への石段
石段は二天門から、夜叉門へと続く。写真は夜叉門から二天門を振り返ったところ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 16mm ISO1250 ) 露出補正 なし
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40.拝殿 本殿
夜叉門をくぐると、拝殿、相の間、本殿が現れた。写真に見られる説明札には、「大猷院の中心となる建物で、国宝に指定されています。ここでは月に一度法要が行わら画ます。特に家光公の御命日にあたる4月20日の法要は大きなものです。手前から拝殿・相の間・本殿、と3っの部屋の並ぶ造りを権現づくりといいます。たくさんの金箔が使われていることから、別名を金閣殿と呼ばれています。」と記されていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO800 ) 露出補正 なし
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41.本殿
輪王寺大猷院のホームページによれば、拝殿に続く本殿の最奥部、「厨子(御宮殿/ごくうでん)」の中には、現在、宝物殿で初公開中の「家光公座像」と「御位牌」が、又その前後には、家光公の本地「釈迦如来」(非公開)が奉安されている。この建物を「廟(びょう)」といい、参り墓を意味し、一般の人たちの正式な参拝所となる。金、黒、赤の彩色をくまなく施された外観は、別名「金閣殿」の呼び名があるほど豪華で、江戸芸術の極みを示している。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 11mm ISO2000 ) 露出補正 なし
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42.皇嘉門
夜叉門から入って本殿の右側に皇嘉門がある。もちろん重要文化財だ。大猷院の最も奥に位置する家光公廟へは、この「皇嘉門」から入る。中国、明朝の建築様式を取り入れたその形から、一名「竜宮門」とも呼ばれてる美しい建物でである。門を潜るときに見上げると、天上には「天女の画像」が描かれており、これから先が家光公の霊を奉る聖域であることを象徴している。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO400 ) 露出補正 なし
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43.石垣の苔
皇嘉門に続く本殿脇の石垣には苔がむしていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 10mm ISO500 ) 露出補正 なし
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44.夜叉門
この写真は拝殿、本殿側から見た夜叉門である。夜叉門には、4体の夜叉「阿跋摩羅(あばつまら)、毘陀羅(びだら)、烏摩勒伽(うまろきゃ)、犍陀羅(けんだら)」が、安置されている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 10mm ISO1250 ) 露出補正 なし
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45.唐門
夜叉門を潜り拝殿の前、大猷院の中心に位置するのがこの唐門だ。輪王寺のホームページによれば、その名のように唐破風を持つ、一間一戸の小規模な門だが、隅々まで繊細な彫刻と金、白を基調とした彩色が施されており、その意匠装飾は大変気品のある。柱や貫・梁には七宝・麻の葉などの細かい地模様が彫られ、扉には上に鳳凰、下に唐草、前後の破風の下には雄雌の双鶴と白竜などの彫刻で余すところ無く、美しく装飾されている。両側の袖塀の羽目には多くの鳩が彫られ、百間百態の群鳩とされている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 10mm ISO500 ) 露出補正 なし
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46.夜叉門正面
戻る際に撮った写真なので、前後してしまったが、夜叉門の内側の写真である。背後に拝殿、本殿がある。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 10mm ISO800 ) 露出補正 なし
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47.二天門から
紅葉のポイントはここしかないので、再びカメラを向ける。皆さん、この色づいたカエデの写真を撮っている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 10mm ISO640 ) 露出補正 なし
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48.灯篭の並ぶ道
さっき二天門の上から見た竜光院への道のようだ。並んだ灯篭がシャッターを押させた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 18mm ISO640 ) 露出補正 なし
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49.灯篭と落ち葉
石燈籠の傘には、苔が生え、落ち葉が降る。落ち葉が真っ赤に染まったカエデの花なら、申し分ないのだが。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 24mm ISO1250 ) 露出補正 なし
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50.二荒山神社の鳥居
輪王寺大猷院の二天門から、常行院のところへ戻ってきた。二荒山神社の鳥居とその奥に神門が見える。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 42mm ISO1600 ) 露出補正 なし
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51.西参道
そろそろバスの駐車場へ戻らなくてはならない。西参道を緩やかに下っていく。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 34mm ISO1000 ) 露出補正 なし
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2018年5月 2日

2泊3日で山陰山陽を周遊(7・終) 安芸の宮島 厳島神社 3月31日

津和野から、再びバスに乗り、最後の目的地である宮島へ向かう。津和野から国道187号線を走り、六日町で中国自動車道に上がる。島根県からいったん山口県岩国市に入り、中国自動車道の最高地点721mを通過して広島県に入った。広島北から広島自動車道を走って山陽道に入り、宮島で下りた。昼食はこの日もバスの中で弁当だった。
 宮島口の大きな駐車場から歩いてフェリーの乗り場へ行く。この日は行楽シーズンの土曜日で、さすが人が多い。フェリーは予約されていて、待たずに乗船できた。宮島桟橋で待っていてくれた清盛通りと呼ばれる表参道商店街にある「だいこん屋」という土産物屋さんの女性が厳島神社参拝のガイドをしてくれた。とても丁寧に説明してくれたが、人が多く、聴き取りにくかった。
 この日は大潮だった。後で調べたところこの日の干潮のピークは、15時52分で、潮位は30cm(平均海水面=海抜)とあった。満潮は午前10時ごろで、潮位は350cmになる。
 私たちが厳島神社を見学していたのは午後2時から3時くらいの間で、十分、鳥居まで歩いて行けるほど潮が引いていた。 潮位100cm以下で鳥居まで歩いて行けるといわれ、 250cm以上で嚴島神社が海に浮かんで見えるという。
  厳島神社は推古天皇元年(593)、佐伯鞍職(さえきくらもと)により創建されたと伝えられている。説は、色々あるそうだがが、「いつき島にまつれる神」という意味から、「伊都伎島(いつきしま)神」、「厳嶋神社」等呼称され、現在は、「嚴島神社」となっているという。原始宗教のなごりで、島全体が神の島として崇められていたので、陸地では畏れ多いと潮の満ち引きするところに社が建てられたのだそうだ。 平清盛が久安2年(1146)安芸守に任官され、平家の守護神として尊崇し、平家一門の権力が増大するにつれてこの社を尊崇する度合いも増し、社殿を現在の姿に造営したと伝えられる。

厳島神社の参拝順路は決められている。(厳島神社ホームページより)

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 まず海から見て左側から、海の上に築かれた廻廊に上がる。客神社本殿から東廻廊、本社拝殿から幣殿、その奥の本社本殿にお参りして、西廻廊を通って、反橋の前を通り、能舞台を見て、海側から見て右側の出口から出るようになっている。撮った写真の説明は、宮島観光協会のホームページを参照させていただいた。出口から少し大鳥居のほうへ歩いていくと階段があって、海に下りることができた。もちろん大鳥居まで歩いてみた。 厳島神社の参拝と見学を終え、案内してくれた女性の土産物屋さんに集合して、宮島桟橋へ戻った。
  午後3時半ごろ、フェリーで宮島口へ。宮島口から再びバスに乗り、岡山に向かう。190kmのドライブになった。そして、19時33分発の新幹線に乗車し、今回の駆け足のツアーを無事、終えることになった。
 往きに岡山駅で下電観光バスに乗ったときに、声は大原麗子さんから、「今回このバスは1,000km走ります。ゆっくり見たい、時間が足りないと思われるでしょうが、できません。今回は下見だと思ってください。」と釘をさされていた。確かにバスの乗っている時間のほうが長かったようにも思うが、「もう一回来てみたい」と思うところを観ることができた楽しい旅行だった。そして、3日間の快晴と、満開の桜のもてなしは、何にも代えられなかった。

114.フェリー
宮島口から宮島桟橋までのフェリーは、JR西日本フェリーと宮島松大汽船の2社が頻繁に運航していて、運賃は片道 大人ひとり180円、SUICA、PASMOも利用できる。所用時間は約15分だった。私たちが乗船したのは松大汽船だった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f4 1/640秒 36mm ISO100 )露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
115.フェリーの客室から
フェリー客室のガラス越しに、宮島を眺める。午後1時半、潮は引いていて、大鳥居近くまで歩く人の姿が見られた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 220mm ISO125 ) 露出補正 なし
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116.石造りの鳥居
フェリーの桟橋からしばらく右側に海を見ながら歩くと、左側から表参道商店街(清盛通り)が合流するところに、石造りの鳥居があった。海に立つ朱色の大鳥居に遠慮してか、質素な鳥居だった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
117.表参道商店街
海寄りから1本中に入った通りが清盛通りと呼ばれる表参道商店街だった。ここで私たちが歩いてきた海寄りの道と合流する。案内してくれている女性の土産物屋さんもこの商店街にあり、参拝が終わるとそこに集合だ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 17mm ISO100 ) 露出補正 なし
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118.干潮 大鳥居
この写真を撮った時刻は午後2時ちょっとすぎ。厳島神社の参拝入口を目指して海沿いを歩いていると、右側に大鳥居が見えてきた。大鳥居まで潮の引いた海を歩いている人たちが見える。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/1000秒 18mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
119.干潮 厳島神社
参拝入口のほうへ曲がると、厳島神社のお社まで水が引いていた。厳島神社の境内は、宮島の「御笠浜(みかさはま)」の中心に位置し、浜の入江に沿うようにして建てられている。そのため昇殿するためのメインとなる出入口は、浜の東西に位置する。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/1000秒 18mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
120.大鳥居の扁額
大鳥居の扁額に何と書かれているか見たかったので、望遠で引いてみた。 「伊都岐島神社」と書かれていた。反対側(海側)には「厳島神社」と書かれているそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/1000秒 181mm ISO100 ) 露出補正 なし
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121.参拝入口
参拝入口からすぐのところに国宝・客神社(まろうどじんじゃ)がある。 厳島神社本社と同様に、本殿・幣殿・拝殿・祓殿からなり、厳島神社の祭典は、この客神社から始まりまる。天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)・活津彦根命(いきつひこねのみこと)・天穂日命(あめのほひのみこと)・天津彦根命(あまつひこねのみこと)・熊野櫞樟日命(くまのくすびのみこと)の5男神が祀られている。摂社の中でも一番大きく、厳島神社の祭事のおりには、一番先に神職がお参りするという。 右側には、右門客神社、平舞台が見える。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 18mm ISO100 ) 露出補正 なし
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122.祓殿 拝殿
同じ位置から広角で撮ると、平舞台の後ろ側にある祓殿が見える。その奥に厳島神社の拝殿、幣殿、本社本殿と続く。これから、左側の東廻廊を渡って拝殿の脇から、祓殿へと進む。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f4 1/640秒 10mm ISO100 ) 露出補正 なし
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123.参拝廻廊入口
ここから廻廊に入る。左側は客神社本殿、右側にその祓殿があり、廻廊の入口には、世界文化遺産 国宝厳島神社と記されていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO160 ) 露出補正 なし
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124.拝殿
参拝廻廊に上がったところから右側に厳島神社本社の拝殿が見えた。これから回って拝殿に行く。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 20mm ISO100 ) 露出補正 なし
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125.鏡の池
まっすぐ進むと左側に鏡の池があった。清水が湧き出ていて、潮が引くと手鏡のように見えることから鏡の池と呼ばれている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f4 1/800秒 23mm ISO100 ) 露出補正 なし
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126.枡形
廻廊は本社拝殿のほうに右に曲がる。その右に曲がったところから、客神社祓殿と右楽房の間から大鳥居を望む。客神社祓殿と廻廊で囲まれたところを、枡形という。毎年旧暦6月17日に行われる「管絃祭」で御座船や阿賀・江波の曳船がここで船を3回廻すそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 31mm ISO100 ) 露出補正 なし
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127.五重塔
右へ曲がったところから、今通ってきた参拝入口からの廻廊を眺める。廻廊の向こうに豊臣秀吉と加藤清正を祀る豊国神社の五重塔が見える。五重塔は高さ27.6mある。応永14年(1407)建立で桧皮葺で和様・唐様を融合した見事な建造といわれる。内部は彩色がしてあり豪華絢爛で、内陣の天井には龍が、外陣の天井には葡萄唐草の模様が描かれているそうだ。国の重要文化財に指定されている。ツアーの私たちは、とても見学できる時間はない。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 10mm ISO100 ) 露出補正 なし
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128.大鳥居 東回廊から
本社拝殿に向かう廻廊の途中から、大鳥居を撮った。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 37mm ISO100 ) 露出補正 なし
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129.厳島神社祓殿
祓殿の前まで来て、平舞台の脇を海側に下がって、祓殿を撮る。 祓殿はお祓いをするところで、管絃祭の時に鳳輦(ほうれん・屋根の上に金色の鳳凰の飾りをつけた輿 )、御輿が置かれる場所であり、また雨天時の舞楽奉奏などに使われるそうだ。wikipediaによれば、祓殿は拝殿の手前に棟を直交させて建つ入母屋造、妻入の建物で、桁行6間、梁間3間である。全面吹き放し(柱間に壁や建具を入れない)の開放的な建物である。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
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130.大鳥居 平舞台から
潮は引いているが、こちら側に向かって、道のように水たまりができている。今日は海に浮かんでいる大鳥居は見られないが、どんな感じなのだろうか。祓殿の前の高舞台に対し平らなところを平舞台という。寝殿造りでいえば庭にあたるところで、束石は赤間石で毛利元就の寄進といわれている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/1000秒 16mm ISO100 ) 露出補正 なし
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131.拝殿内部
拝殿は、参拝者がご祭神と向き合い、お祓い・参拝をするところ。拝殿の下から見上げると棟が2つ見え、その上を一つの棟で覆っている。これを三棟造りといい、奈良時代の建築様式だそうだ。大鳥居からの距離は、百八間(約196m)ある。 厳島神社の祭神は、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、田心姫命(たごりひめのみこと)、湍津姫命(たぎつひめのみこと) の3柱で、「宗像三女神」と総称される。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/320秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
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132.武者の絵
拝殿の脇に板に描かれた武者の絵が奉納されていた。絵の由緒が気になった。厳島神社は平家の信仰があるが、平家武者の絵なのだろうか。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/80秒 15mm ISO3200 ) 露出補正 なし
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133.能舞台と能楽屋
拝殿から本殿への参拝を終え、西廻廊へ進む。右手に今まで見てきた朱色と趣を異にする墨色の能舞台(左)と能楽屋が見えた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
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134.能舞台
永禄11年(1568年)毛利氏は、観世太夫を招き、仮の能舞台を海中に設けさせ、能を奉納した。現在の建物は、延宝8年(1680年)広島藩主浅野綱長により改修されたもので、廻廊の反対側に見える天神社(創建年1556年・弘治2年/室町時代、再建年 1945年・昭和20年)と同じく、建造時期が下がるので、丹塗りはされていない。特徴は、日本で唯一海中に建てられていることと、切り妻造りであり、笛柱が独立していることである。 毎年4月16日から3日間桃花祭神能が行われ、初日と2日目には、初めに翁が舞われ、3日間とも五番立で、間に狂言が入り、江戸時代からの本式な演能を観ることができるそうだ。平成3年の台風19号で倒壊したが、古材をできるだけ使用し、平成6年に再建された。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 15mm ISO100 ) 露出補正 なし
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135.反橋 -1
西廻廊を右に曲がって歩くと左手に反橋が見えた。 反橋は長さ約24m、幅4m、高欄は丹塗り・橋脚は墨塗り。鎌倉期に既にあったが、現在のものは弘治3年(1557)毛利元就・隆元父子により再建されたものという。別名、勅使橋ともいい天皇からの使者(勅使)だけがこの橋を渡ることができたそうだ。中央に階段を設けて渡ったものと思われる。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
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136.反橋 -2
傍に行ってみると登り始めの傾斜は大きい。むかし、子供たちが廻廊を走ってきて、勢いをつけて、橋を駆け上がっていたと案内をしてくれた女性が話してくれた。重要文化財になっている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 31mm ISO100 ) 露出補正 なし
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137.大願寺多宝塔
廻廊の出口が近くなったころ、厳島神社から南のほうにある大願寺の多宝塔が見えた。 多宝塔は、僧周歓が大永3年(1523)に建立したといわれ、薬師如来像をお祀りしていたが、明治維新の神仏分離令で大願寺に移され、建物は、現在厳島神社に帰属しているそうだ。特徴は、外部は純和様で、貫の鼻が拳鼻になっているなど大仏様や台輪など禅宗様も細部に見られる。屋根は方形だが、下層の屋根には饅頭型の亀腹があるため、上層の柱は円形に配列されている。大願寺にも寄ることはできなかった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/1000秒 53mm ISO100 ) 露出補正 なし
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138.大願寺境内
厳島神社参拝順路を出ると大願寺の境内が見えた。亀居山放光院大願寺は、真言宗で、開基は不明、鎌倉時代の建仁年間(1201~1203年)に僧了海(りょうかい)により再興されたと伝えられている。現在の本堂は昔の僧坊で、 天正15年(1587年)、豊臣秀吉が戦歿将兵の慰霊のために大経堂として建立した千畳閣(豊国神社本殿)が本堂になる予定だった。昔、参拝者は、大鳥居をくぐり、大願寺近くの砂浜に上陸した後、大願寺の裏にあった大風呂で身を清め、僧坊で休憩、着替えをして厳島神社に参拝したという。厳島神社の出口が唐破風造りで、昔は入口であったことがうかがえる。また境内の池の中には、弁財天の使いとされる厳島龍神が祀られている。 本堂には、国の重要文化財である仏像が4体あり、その中の薬師如来坐像は、弘法大師の作と伝えられている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 16mm ISO100 ) 露出補正 なし
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139.大願寺の九本松
案内してくれた女性が、 大願寺境内にある、根もとあたりから9本に分かれて伸びている松のことを説明してくれた。明治時代、伊藤博文が頻繁に厳島を訪ねた際に植えた松だと伝えられているそうで、大願寺の九本松と呼ばれているクロマツだそうだ。樹高は30m、太さ・目通り幹囲3.6m、推定樹齢は100年~200年。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1000秒 29mm ISO100 ) 露出補正 なし
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140.豊国神社 千畳閣と五重塔
出口付近から入口のほうを眺めると、豊国神社の 千畳閣 と、厳島神社拝殿の後ろに五重塔が見えた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 29mm ISO100 ) 露出補正 なし
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141.海へ
出口の先に海に下りる階段があった。大鳥居の先のほうまで人影が見える。時刻は2時37分。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/1250秒 35mm ISO100 ) 露出補正 なし
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142.海の大鳥居 -1
大鳥居は境内の沖約200mに立つ。wikipediaによれば、現鳥居は明治8年(1875年)の再建である。棟の高さ16.6メートル、柱間10.9メートルの、大型の木造両部鳥居(各主柱に2本ずつの控柱がつく)である。主柱はクスノキの自然木で、控柱はスギ材である。主柱は1本が宮崎県岡富村(現西都市)、もう1本が香川県和田浜(現観音寺市)で切り出された。両柱とも、1950年の修理時に根継ぎを行っており、根継ぎ材は東柱が福岡県久留米市、西柱が佐賀県佐賀郡川上村大字池ノ上字池ノ上(現在賀市大和町池ノ上)で切り出されたものだそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
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143.海の大鳥居 -2
傍に行って大鳥居を見上げた。触っても見た。満潮時には柱が水につかるあたりには、フジツボがいっぱい着いていて、そこに硬貨が埋め込むように置かれていた。wikipediaによると、2012年以降、大鳥居にできた亀裂の部分に、一部の観光客によって硬貨が差し込まれるケースが多発している。神社側は「鳥居の柱の老朽化が進む虞があり、止めてほしい」と呼び掛けているそうだ。2本の大きな柱は、整った形ではなく、自然木の形が現れていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/1000秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
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144.潮干狩り?
大勢の観光客が行き来するところから少し離れたところで、地元の方であろううか、潮が引いた海で何かを掘っていた。「大鳥居の内側で貝を取ってはいけません 厳島神社」という札が立っていたが・・・。貝ではないのかもしれない。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/1000秒 181mm ISO100 ) 露出補正 なし
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2018年4月25日

2泊3日で山陰山陽を周遊(5) 萩の城下町 3月30日

出雲大社の参拝を終え、次は日本海に沿って西へと走り、山口県の萩に行く。出雲から、くにびき海岸通り、国道9号線、そして、ところどころ開通している山陰道で益田まで行き、益田からは、191号線で萩まで行くのだ。距離にして約190km、時間は3時間半ほどかかるようだ。12時半に出雲大社の駐車場を出発し、途中、浜田のゆうひパークという道の駅でトイレ休憩を取り、萩の城下町に着いたのは、午後4時半だった。昼食は出雲で積み込んだ弁当だった。
  下電観光バスのバスガイドさんは、63歳。この道40年のベテランである。沿道のことを何も見ないで良く説明してくれる。自分では「顔を見ないと、声は大原麗子に似ている言われる」と言っていたが、若い頃は可愛いかっただろうと思う。歌もうまい。この地にゆかりのある島村抱月に見いだされた女優・ 松井須磨子 の「カチューシャの唄」を歌ってくれたが、とてもうまかった。
 萩が近くなると、関ケ原の戦いのあと、毛利は領地を没収され、萩に領地替えを強いられたこと、長州藩と尊王攘夷、吉田松陰が死罪となった安政の大獄、高杉晋作と討幕の動き、そして大政奉還など幕末のことを説明してくれた。長い道中だったが、飽きることはなかった。
  萩に着いて、バスガイドさんは、その古い城下町の一角を小一時間、案内してくれた。(写真に関する記述は、 萩市観光協会「ぶらり萩あるき」 を参照させていただいた。)萩では、松下村塾、萩城跡、 明倫学舎 など、もっともっと観たいところもあったが、時間がなかった。菊ヶ浜の夕日も見たかった。
 この日の宿は「北門屋敷」というところだった。 「北門屋敷」は毛利の居城であった萩城からほど近い場所で、かつて城を守る重臣達が居を構えた萩城三ノ丸の、毛利一門・吉敷毛利家屋敷跡にある。世界遺産・萩城下町の中にある、唯ひとつの旅館ということだ。

75.浜田・ゆうひパーク
ちょうど、出雲から萩への行程の半分くらい来たところの、浜田・ゆうひパークという道の家でトイレ休憩となった。日本海が眺められた。ここでも桜がきれいに咲いていて、その向こうに浜田大橋を望む。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/1250秒 37mm ISO125 ) 露出補正 なし
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76. 萩城下町案内図
バスは萩城下町の駐車場に着いた。この写真で現在地とあるところから、世界遺産「明治日本産業革命遺産」萩城下町巡りを始める。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 16mm ISO100 ) 露出補正 なし
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77.旧野田家の土塀
この写真は歩きだす前に、76.の案内図でいう左上方向を見たところ。旧野田家住宅の長い土塀が続く。嘉永年間(1848年~1854年の当主・野田七郎左衛門は身分は 萩藩・中士下等の遠近付で51石余を給されていた。江戸時代武家屋敷の面影をよく伝えている。 ここから前の写真の案内図の下の方にある江戸屋横丁を右へ歩く。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 18mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
78.円政寺
まず左側に「高杉晋作、伊藤博文 幼年勉学のところ」という石碑が立った円政寺の入口があった。幼少の高杉晋作が肝試しした小天狗の面や博文のレンガの硯が残っているという。もともと、真言宗御室派 月輪山 円政寺は、鎌倉時代頃に大内氏の祈願寺として今の山口市に創建された。大内氏滅亡後、慶長9年(1604)毛利輝元が萩へ築城と同時に萩城下 塩屋町(現 多越神社)に移転され、毛利氏の祈願寺となったという。神仏分離令後、明治3年(1870)円政寺の名が惜しまれ、この場所にあった法光院と合併・改称、現在の 円政寺 になった。山口市には現在も円政寺町という地名が残っているという。残念ながら、境内の中に入って見学する時間はとってもらえなかった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f2.5 1/500秒 9mm ISO250 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
79.青木周弼邸
しばらく行って左側に13代藩主・毛利敬親の侍医を務めた青木周弼の旧宅があった。幕末当時、日本屈指の蘭学医でもあった青木周弼は、享和3年 (1803) 、周防大島郡の医師青木玄棟の長男として生まれた。三田尻の名医能美友庵・洞庵父子に学び、江戸に出て蘭方医坪井信道などに学んだそうだ。長崎に遊学した際には、シーボルトに師事している。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 11mm ISO800 ) 露出補正 なし
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80.木戸孝允旧宅
次は 木戸孝允誕生地という石碑の立ったその旧宅だ。 木戸孝允は天保4年(1833年)に藩医・和田家に生まれた。慶應2年(1866年)西郷隆盛と会合し、薩長同盟を結び、後に維新三傑と呼ばれた。志士・桂小五郎の名でも有名である。この旧宅は江戸に出るまでの約20年間を過ごした実家の和田家である。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO320 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
81.公衆便所
江戸屋横丁が終わりになるところにトイレがあった。和風のしゃれた建物で、萩城下町らしさを表現している。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 39mm ISO200 ) 露出補正 なし
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82.青木研蔵旧宅
青木研蔵(1815~1870)は医者青木家に生まれる。青木周弼の弟で、兄の周弼とともに長崎へ出て、シーボルトに学ぶ。さらに江戸へ出て、蘭学者伊藤玄朴に学んだ。のちに兄の養子となり、文久3年(1863)兄の没後、青木家の家督をついだ。種痘法を取得して、藩内に広め、維新後明治天皇の大典医になった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO200 ) 露出補正 なし
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83.土塀と桜
江戸屋横丁の角を左に曲がって、次の角の左手には白く長い土塀が続く伊勢屋横町が見えた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 18mm ISO250 ) 露出補正 なし
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84.伊勢屋横町
北側に伊勢屋という商家があったことから、この名がつけられたという。また、元禄4年に仲一左衛門の屋敷を召し上げて絹織場とし、絹機の職人を置いたことから絹機屋町などとも呼ばれた。その後閉業し、元禄8年に町人がこれを買い受けて町屋敷としたというが、当時の商人の財力の高さが伺える。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO200 ) 露出補正 なし
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85.菊屋家住宅
藩の御用達を勤めた豪商・菊屋家の住宅で、その屋敷は幕府巡見使の宿として度々本陣にあてられたという。屋敷は江戸初期の建築、現存する商家としては最古の部類に属し、400年の歴史がある。藩の御用商人・菊屋家は、大内氏時代には武士であったが、毛利輝元公萩城築城の際には有力町人として萩に入り、町づくりに力を尽くした。主屋、本蔵、金蔵、米蔵、釜場の5棟が国指定重要文化財に指定され、約2000坪の敷地の約3分の1が現在公開されている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/1000秒 18mm ISO200 ) 露出補正 なし
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86.田中義一生誕地
菊屋家住宅の先を左に、菊屋横町へ入る。第26代内閣総理大臣 田中義一の生誕地は城下町・菊屋横町にあった。田中義一は、元治元年(1864)、藩士・田中信祐の三男として生まれた。陸軍士官学校を経て陸軍大学校を卒業し、日清戦争出征後、軍事情勢の探索のためロシアに留学。日露戦争では、開戦論を唱え満州軍参謀として出陣した。大正7年(1918)原敬内閣の陸軍大臣、大正10年 陸軍大将となり、大正14年に立憲政友会総裁に推され政界に入る。昭和2年(1927)金融恐慌の渦中に内閣総理大臣となり、支払猶予緊急勅令(モラトリアム)を発行し、銀行取りつけ騒ぎを沈静化した。昭和3年、第1回普通選挙法を施行。同年、張作霖爆殺事件が勃発し、昭和4年、責任を問われて総辞職した。ニックネームは「おら(俺)が大将」だそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 9mm ISO200 ) 露出補正 なし
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87.高杉晋作誕生地
幕末の風雲児・高杉晋作の誕生地​だ​。現在は、南側半分が公開されており、産湯に使ったと伝えられる井戸や自作の句碑などがあ​るというが見学する時間はなかった。高杉晋作は、天保10年(1839)に萩藩大組士、禄高200石 高杉小忠太の長男として生まれた。藩校明倫館に通う一方で松下村塾に通い、頭角を表し、久坂玄瑞と並んで「松門の双璧」と称された​という​。文久2年(1862)、外国に支配される清国(現:上海)を視察し危機感を抱いた晋作は、翌文久3年(1863)に身分を問わない我が国初の軍事組織"奇兵隊"を結成。討幕戦を勝利へと導​い​たが、胸の病が悪化し、下関・吉田(現:東行庵)に隠居​した​。慶応3年(1867) 結核のため、27歳と8ヶ月という若さでこの世を去​ったという​。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO500 ) 露出補正 なし
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88.塀と桜の木
菊屋横町を進むと左側に長い塀が続き、大きな桜の木が満開の花を咲かせていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/640秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
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89.晋作広場
木戸を入ると広場になっていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 15mm ISO100 ) 露出補正 なし
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90.高杉晋作立志像
高杉晋作誕生地の近くにある晋作広場に、平成22年10月​、この像が​に建立された。若かりし頃のまげ姿の晋作像​である。​ 銅像は、晋作が明倫館や松下村塾に通っていた20歳頃の若々しく凛々しい顔をイメージしており、両刀を差した羽織、袴の立ち姿​だ​。銅像の高さは​18​mで、台座を含めて3m。晋作誕生地と萩城の方角を向いて建てられてい​る​。また広場には晋作が好きだった梅の木も植樹されてい​るそうだ​。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 25mm ISO160 ) 露出補正 なし
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91.旧野田家住宅の長い塀
高杉晋作立志像から慶安筋を進むと江戸屋横町に出て、出発点へ戻る。結局、このツアーでの萩観光は城下町を一回りするに終わってしまったが、萩の最も萩らしいところを見せていただいたのだと思っている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO160 ) 露出補正 なし
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92.旧野田家の桜
野田家は中級武士の家で、今でも野田さんが住まわれているそうだ。 嘉永年間(1848~1854)の当主野田七郎左衛門は、萩藩遠近付で、51石余を給されていたそうだ。建物は、木造平屋建、寄棟造、桟瓦茸で、道路に面した門とそれに続く土塀、主座敷南側に造られた庭園なども残り、江戸時代武家屋敷の面影をよく伝えている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 15mm ISO100 ) 露出補正 なし
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93. 「北門屋敷」の宵
今宵は「北門屋敷」という宿に泊まる。世界遺産となっている萩城下町の中にある。 夕食後、月が明るい夜8時の北門御殿の庭。 今日も1日良い天気だった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/100秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
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2017年6月 7日

人形町・水天宮・門前仲町 5月16日

あれは東日本大震災の年だったと思う。古希を迎えた小学校の同級生で、クラス会を行った折に、これからは半年に一度は会う機会を作ろうかということにして、もう、5年が過ぎた。前回集まった時に、次回は人形町の「玉ひで」さんの親子丼を食べたいとの意見が出た。私も以前に2~3回並んで順番を待って「玉ひで」の親子丼を食べたことがある。しかし、まとまって座って、ちょっとゆっくりしたいとなると、並んで待って、食べ終わったらすぐ出るというのでは落ち着かない。「親子昼膳」を予約して席を確保することにした。
 いつものクラス会は8名~10名くらい集まるのだが、今回は参加者が6人と少なかった。しかもひとりが日にちを勘違いしてドタキャンになった。幸いキャンセル料は勘弁していただいたが・・・
  食後の腹ごなし散策のこともあるので、私は少し早めに行って、人形町界隈を歩いてみることにした。横浜から人形町へは京浜急行、都営地下鉄浅草線直通で乗り換えなしで行けた。
 人形町駅で下車、まず、久松町の方へ歩いてみる。そこから浜町へ。甘酒横丁を通って、人形町へ戻ってきて、クラスメートと落ち合った。
 「玉ひで」さんでは、江戸の古地図の屏風が置かれた落ち着いた椅子席に案内された。親子丼は旨かった。
 「玉ひで」を出て、安産はもう関係ないが、まず水天宮へお参りした。すっかり新しくなっている。
 男3人、女2人の一行は、水天宮から地下鉄半蔵門線に乗って清澄白河で都営大江戸線に乗り換え門前仲町へ。深川不動堂、富岡八幡宮にお参りし、喫茶店でしばし話に花を咲かせた後、次回の約束をして解散となった。

1.明治座
人形町から久松町へ出て、久松町の交差点を右に曲がり、清州通り進むと、こののぼりが見えてきた。明治座だ。

Panasonic DMC SZ-10 f3.1-6.3 4.3mm-51.6mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f4 1/320秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
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2.新しくなった明治座
​明治座がこのビルに入ったのは1993年だ。wikipediaによると、​明治時代からの長い歴史を持つ「日本橋明治座」は、「銀座歌舞伎座」「新橋演舞場」「お堀端帝劇」などとともに、東京を代表する劇場として親しまれてきた。​1945年(昭和20年)3月10日の東京大空襲で焼失した明治座は、その残骸をむき出しのまま放置されていたが、地元有志の間で明治座復興の気運が盛り上がり、​​​​​​再建され​​​​​​1950年(昭和25年)11月30日に開場に漕ぎ着けた。1993年には、再開発で建て替えた賃貸オフィスビルの浜町センタービル低層階を占める形となっている。​

​​​​​​​ Panasonic DMC SZ-10 f3.1-6.3 4.3mm-51.6mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f4 1/400秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
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3.玉ひで
明治座から甘酒横丁を人形町方面に戻る。5月21日、TV番組の「路線バスの旅」で徳光和夫さん、伍代夏子さん、田中律子さんが、この通りを歩いていた。人形町通りを渡って少し行くと、この日親子丼を食べる「玉ひで」さんだ。予約をしておいたので、落ち着いた部屋の椅子席で「親子昼膳」を食べながらのひと時を過ごした。旨かった。

​​​​​​​ Panasonic DMC SZ-10 f3.1-6.3 4.3mm-51.6mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f3.1 1/800秒 4mm ISO100 ) 露出補正 なし
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4.水天宮
「玉ひで」を出て、まず、水天宮にお参りする。水天宮も新しくなっている。wikipediaによれば、江戸鎮座200年記念事業として社殿の建て替えを行った。それに伴い、平成25年(2013年)3月1日から平成28年(2016年)4月7日までの間は、日本橋浜町の明治座そばに仮宮(位置)が設けられていた。これは少なくとも、昭和40年代初期に嵩(かさ)上げ工事をして二階建てとなって以来、ほぼ半世紀ぶりの遷座である。平成28年4月8日より新社殿への参拝者の受け入れを開始したとある。このコンクリートの階段がいわば参道なのだろう。

​​​​​​​ Panasonic DMC SZ-10 f3.1-6.3 4.3mm-51.6mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f3.​5​​​​​​​ 1/80秒 ​6​mm ISO100 ) 露出補正 なし
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5​.水天宮新社殿​
白木を基調とした神社建築様式を取り入れ​​​られている​​​。また代々受け継がれている伝統文化の錺金具や彫刻等も施されている​​​。免震構造など最新技術を用い、古きよきものと新しきものを取り入れた、時代に即した社殿という。安産、​子授けはもはや関係ないがお参りをした。ここが、福岡勤務時代に訪れたことがある福岡県久留米市の久留米水天宮の分社とは知らなかった。​​​​​​​​​

​​​​​​​ Panasonic DMC SZ-10 f3.1-6.3 4.3mm-51.6mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.​7​​​​​​​ 1/400秒 ​7​mm ISO100 ) 露出補正 なし
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6.水天宮 子宝犬
周囲を取り巻く十二支のうち自分の干支を撫でると安産、子授け、無事成長など様々なご利益があるのだそうだ。​​​

​​​​​​​ Panasonic DMC SZ-10 f3.1-6.3 4.3mm-51.6mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.​7​​​​​​​ 1/320秒 ​7​mm ISO100 ) 露出補正 なし
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7.深川不動堂入り口
水天宮前から地下鉄半蔵門線(東京メトロ)に一駅乗り、清澄白河で都営大江戸線に乗り換え、また一駅乗って門前仲町で下車した。永代通りの朱塗りの門を入ると深川不動堂の参道だ。

​​​​​​​ Panasonic DMC SZ-10 f3.1-6.3 4.3mm-51.6mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.​1​​​​​​​ 1/640秒 ​4mm ISO100 ) 露出補正 なし
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8.深川不動堂 旧本堂とわらじ願掛け
深川不動堂は、真言宗智山派の寺院であり、千葉県成田市にある成田山新勝寺の東京別院である。正面に見えるのは旧本堂で、前本堂が東京大空襲で焼失した後、千葉県本埜村(現・印西市)の龍腹寺の堂(文久3年・1863年建立)を移築して本堂としたもので、昭和25年(1950年)に移築が完了、翌年に落慶法要が営まれている。旧本堂の西側(写真では左側)にある外壁に梵字(不動明王真言)を散りばめてある建物が現在の本堂で、開創310年を期に平成23年(2011年)に完成したそうだ。境内に足を踏み入れて目立つのは巨大なわらじだ。​​​​​​​​​​これには願かけの絵馬やわらじが無数にぶら下げられていた。​​​​​​​この巨大なわらじは本堂に登る​石段​​​​​​の両側にあり大変目立​​​​​​​​​​​つ。靴を脱いで旧本堂に​​​上がって、およそ10,000体のクリスタル五輪塔が祀られている「祈りの廻廊」、4階にある天井画「大日如来蓮池図」、そして本堂で行われていた護摩行を見学した。​​​​​​​​​

​​​​​​​ Panasonic DMC SZ-10 f3.1-6.3 4.3mm-51.6mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.​7​​​​​​​ 1/500秒 ​7mm ISO100 ) 露出補正 なし
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9.深川開運出世稲荷
境内に成田山開運出世稲荷の分霊である稲荷社があった。「荼枳尼天尊」の扁額がかかっている。よく判らないが、狐が玉のようなものを咥えている。反対側の狐も何かを咥えている。狛犬と同様に社殿に向かって右(上座)が口を開いた「阿(あ)」であり、左(下座)が口を閉じた「吽(うん)」と言われるがここのは左右同じように見える。稲荷神社の狐は玉のほかにも鍵や鎌や稲穂を咥えた狐もいて、いくつかのバリエーションがあるようだ。 ​​​​​​

​​​​​​​ Panasonic DMC SZ-10 f3.1-6.3 4.3mm-51.6mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.​1​​​​​​​ 1/​640​​​​秒 ​4mm ISO100 ) 露出補正 なし
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10.富岡八幡宮 分社
深川不動堂を出て左へ行き、富岡八幡宮の鳥居をくぐって境内に入る。その左手にひっそりとこの分社があった。左から、富士浅間社、金刀比羅社、大黒社、恵比寿社、鹿島神社、大島神社とある。正面から入るとここは境内の一番奥になる。

​​​​​​​ Panasonic DMC SZ-10 f3.1-6.3 4.3mm-51.6mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.​3​​​​​​​ 1/​160​​​​秒 ​5mm ISO100 ) 露出補正 なし
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11.富岡八幡宮 本殿
本殿は改修中だった。本年例大祭までを完成目標として、外壁等の塗り替えを中心に、本殿、南参道鳥居、西参道鳥居の修繕工事が行われていた。​​

​​​​​​​ Panasonic DMC SZ-10 f3.1-6.3 4.3mm-51.6mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f​4.4​​​​​​​​ 1/​250​​​​秒 ​12mm ISO100 ) 露出補正 なし
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12​.日本一の御神輿
一の宮神輿と二の宮神輿があるが、この一の宮神輿の方が大きい。​​​​​説明板などによると、富岡八幡宮にはもともと、江戸、元禄時代に深川に屋敷があった紀伊国屋文左衛門​​より、三社託宣に因み、八幡造り、神明造り、春日造りの三基三様の神輿が奉納され、みこし深川と言われてきたが、大正12年の関東大震災で惜しくもそのすべてを焼失した。長い年月、宮神輿がなかったが平成になり、昔に優るとも劣らない豪華なお御神輿が復活した。日本最大の神輿と言われている高さ4.4メートル重さ4.5トン、随所に純金・宝石が散りばめられた絢爛豪華な一の宮神輿が平成3年(1991年)に奉納された。神輿の最上部の鳳凰や中段の狛犬のダイヤモンドの目は光り輝いており、非常に豪華な作りになっている。一の宮神輿は非常に大きすぎて担ぐ事が出来ないということで、1997年(平成9年)に、この一の宮神輿の右側に置かれている二の宮御輿が作られ御本社祭りの際担がれる様になった。こちらは一回り小さいが、それでも高さ3.3メートル重量2トンもある。

​​​​​​​ Panasonic DMC SZ-10 f3.1-6.3 4.3mm-51.6mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f​3.1​​​​​​​​ 1/​60​​​​秒 ​4mm ISO100 ) 露出補正 なし
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13.木場の木遣りの碑
富岡八幡宮の正面まで来た。大関力士碑があり、横綱力士碑は本殿の横にあるとあったので、先にそちらを見に行こうと東参道へ入るとこの木遣りの碑(角乗り碑)があった。「木場の木遣り」の発祥は古く、現存の文献によれば、既に慶長初期の昔に行れている。当時、幕府のお船手の指図で、伊勢神宮の改築用材を五十鈴川より木遣りの掛け声で水揚げをした、とある。元来、神社仏閣の鳥居や大柄な用材を納める場合には木場木遣り特有の「納め木遣り」が用いられ、保存会により今日に伝えられている。元禄の始めには、武家屋敷の並ぶ両国の七つ谷の倉の間部河岸という所で3代将軍家光公に筏の小流し(さながし、筏組)、角乗り、木遣りをご覧に入れ、以後年中行事となった。この時、川並みという言葉が発祥したと伝えられる。 江戸の昔より正月2日から7日に掛け木遣りにて初曳きし、材木屋さんに売り捌くのを年中行事としていた。これはブログ「東京都江東区の歴史」より引用させていただいた。また、「東京ぐるり」というブログを見ると、木材の町「木場」は、江戸時代より昭和50年「新木場」に移転するまで約270年間木材産業の町として栄えた。江戸材木置場は、寛永18年(1641年)、明暦3年(1657年)の大火後、永代島に集中移転し木場と称した。元禄14年(1701年)現在の木場に移転以来270年間、木場は繁栄を続けた。昭和51年夏までに大半の材木業者が夢の島の新木場に移転したとあった。

​​​​​​​ Panasonic DMC SZ-10 f3.1-6.3 4.3mm-51.6mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.1​ ​​ ​1/60秒 4mm ISO100 ) 露出補正 なし
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1​4.七渡神社
弁天池の真ん中の道の向こうに七渡神社がある。立てられれていた説明板には、「七渡神社は八幡宮御創建以前よりお祀りされ、八幡様の地主神として七渡弁天さまと尊ばれて参りました。あわせてお祀りされる粟島神社は女性の守り神として2月8日に献針祭(針供養)が行われます。」と記されていた。​

​​​​​​​ Panasonic DMC SZ-10 f3.1-6.3 4.3mm-51.6mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.​3​​​​​​​ ​1/​8​0秒 ​5​mm ISO100 ) 露出補正 なし
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15.横綱力士碑
目当ての「横綱力士碑」は改修中の本殿の東側にあった。富岡八幡宮のホームページによると、富岡八幡宮は江戸勧進相撲発祥の地として有名である。江戸時代の相撲興業は京・大阪から始まるが、 トラブルが多くしばしば禁令が出た。その後禁令が緩み、貞享元年(1684)幕府より春と秋の2場所の勧進相撲が許された。その地こそがこの富岡八幡宮の境内だった。以降、約100年間にわたって本場所が境内にて行われ、その間に定期興行制や番付制が確立されたそうだ。そののち本場所は、本所回向院に移っていくが、その基礎は富岡八幡宮において築かれ、現在の大相撲へと繋がっている。明治33年、第12代横綱陣幕久五郎を発起人に歴代横綱を顕彰する碑がここに建立された。そして新横綱誕生時には相撲協会立会いのもと刻名式が行われ、新横綱の土俵入りが奉納される。また両側には伊藤博文、山県有朋、大隈重信といった賛同者の名が刻まれており、広く各界から協賛を得て建立されたことを物語っている。

​​​​​​​ Panasonic DMC SZ-10 f3.1-6.3 4.3mm-51.6mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.​3​​​​​​​ ​1/​8​0秒 ​5​mm ISO100 ) 露出補正 なし
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16.大関力士碑
こちらは富岡八幡宮の正面、大鳥居をくぐってすぐ右手に歴代大関を顕彰するために建立された 「大関力士碑」がある。この碑は明治の頃に、9代目市川団十郎と5代目尾上菊五郎により寄進されていた2基の仙台石を活用し、初代大関雪見山から2014年3月に引退した琴欧州まで歴代大関114名の四股名が彫り込まれている。(大関に在った力士が引退した時にその四股名が彫り込まれるとのこと) ​

​​​​​​​ Panasonic DMC SZ-10 f3.1-6.3 4.3mm-51.6mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.​1​​​​​​​ ​1/​8​0秒 ​4​mm ISO100 ) 露出補正 なし
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1​7.スカイツリー
富岡八幡宮のお参りの後、喫茶店でしばし昔話を楽しんだ後、クラス会は解散になった。みんなは門前仲町から地下鉄に乗ったが、私は人形町まで歩くことにした。永代通りを永代橋に向け歩く。途中、福島橋から右手に御船橋、緑橋、そしてその向こうにスカイツリーが見えた。​

​​​​​​​​ Panasonic DMC SZ-10 f3.1-6.3 4.3mm-51.6mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f5.6​​​​​​​ ​1/​125秒 3​4​mm ISO100 ) 露出補正 なし
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18.永代橋
墨田川にかかる大きな永代橋を渡る。永代橋は、元禄年間に「深川の大渡し」に代わって架けられ、佐賀町付近(現在の佐賀一丁目付近)が昔、永代島と呼ばれていたため、永代橋と名付けらた。現在の橋は、1926年に架けられたもの。1897年に、道路橋としては日本で初めて鉄が使用されたが、床が木製だったため関東大震災で焼損し、震災復興橋として現在の姿となったそうだ。

​​​​​​​​ Panasonic DMC SZ-10 f3.1-6.3 4.3mm-51.6mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5.6​​​​​​​ ​1/​125秒 3​4​mm ISO100 ) 露出補正 なし
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19.佃島タワー・マンション群
永代橋の左側(南側)には、墨田川の向こう、佃島エリアの高層マンション群が聳える。高層マンションは8棟あり、大川端リバーシティ21と呼ばれている。

Panasonic DMC SZ-10 f3.1-6.3 4.3mm-51.6mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5​​​​​​​ ​1/​125秒 ​22​​​​​​​​mm ISO100 ) 露出補正 なし
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20.人形町からくり櫓
永代通りを新川1丁目で右に曲がり、湊橋を渡って、東京シティ・エア・ターミナルに出た。そこを左に水天宮の方へ進む。そして人形町通りを人形町交差点へと進む。その人形町通りに「人形町からくり櫓」があった。時間になると人形たちが生き生きと動き出し、道行く人々の目を釘付けにするという。こちらは「江戸落語からくり櫓」で、道の反対側には「江戸火消しからくり櫓」があった。

Panasonic DMC SZ-10 f3.1-6.3 4.3mm-51.6mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.7​​​​​​​ ​1/​125秒 ​7​​​​​​​​mm ISO100 ) 露出補正 なし
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21.鉄造菩薩頭
この寺は大観音寺という。鎌倉の新清水寺にあった鋳鉄製の観音像が鎌倉時代に火災に遭い、後に頭部のみが掘り出され、その後鶴岡八幡宮に安置されていたが、神仏分離令により現在の大観音寺に遷座となったそうだ。それが明治9年のことで、安置されているここ大観音寺は明治13年に建立された。鉄造菩薩頭は関東に現存する中世に造立されたものの中でも特に優れていることから、昭和47年に東京都有形文化財に指定された、といったことが中央区教育委員会の立て札に記されていた。

Panasonic DMC SZ-10 f3.1-6.3 4.3mm-51.6mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.7​​​​​​​ ​1/​30秒 ​7​​​​​​​​mm ISO400 ) 露出補正 なし
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2016年12月29日

秋燃ゆる遠州三山紅葉めぐり(3) 可睡斎 11月29日

2時半に油山寺を出発し、可睡斎へ向かった。10分もかからぬうちにバスは可睡斎に着いた。もう日が傾きお始めている。
 可睡斎は曹洞宗の寺である。法多山尊永寺は厄除観音、油山寺は目の霊山であったが、可睡斎は火防総本殿で火伏にご利益があるという。1873年(明治6年)、秋葉山(静岡県浜松市)の神仏分離に伴い三尺坊大権現が遷座し、火防災除の寺となった。東京電気街の秋葉原の語源も、この「秋葉」だそうだ。遠州から秋葉三尺坊大権現を勧請し、鎮火神社を祀ったことが今の秋葉原という地名の起こりだそうだ。
 40分ほど、可睡斎の境内を見て回った。総門、山門から参道を進むと本堂(開山堂)がある。そこを左に曲がって右側に秋葉総本殿三尺坊御真殿があった。
  もう一つ、境内には東司という建物の別棟に大東司という昭和12年に完成したとても清潔で綺麗な水洗トイレがあったが見落としてしまった。トイレのど真ん中に、この世の一切の汚れを焼き尽くし、浄化の力を持ち、健康を守る「烏蒭沙摩明王(うすさまみょうおう)」という仏像が祀られているそうだ。
 15時20分、可睡斎を後にして、帰路につく。法多山、油山寺、そして可睡斎ももっともっと時間をかけてみるべきところがたくさんあったように思う。袋井ICから東名に入り、来た時と同じように足柄で休憩した。厚木の手前から横浜町田ICまで若干渋滞があったものの7時前には横浜駅西口に帰り着いた。明日はゴルフだ。

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総門のところに掲げられていた境内案内図

41.可睡斎総門
バスの駐車場から門前を100mとほど歩くと可睡斎の総門に着いた。ツアコンさんの旗の後をぞろぞろと境内に入っていく。可睡斎は曹洞宗の寺で応永8年(1401年)創建で、開山は如仲天誾禅師(じょちゅうてんぎんぜんじ)とのこと。大本山永平寺(福井)・大本山總持寺(横浜)を両大本山とし、總持寺の直末寺院である。wikipediaによれば、1873年(明治6年)、秋葉山(あきはさん、静岡県浜松市)の神仏分離に伴い三尺坊大権現(さんしゃくぼうだいごんげん)が遷座され火防災除の寺となった。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f4​​​ 1/​250​秒 28mm ISO280​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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42.山門の金剛力士像 開口(阿形像)
ネットで検索してみると、山門は禅宗寺院の正式な入口で、古くは寺の南と東西に面して3つ、あるいは参道に沿って3つ設けられたことからも三門または、山門と書かれた。また一つの門でも、空(くう)、無相(むそう)、無作(むさ)の三解脱門(さんげだつもん)の意味で三門(山門)とされたという。また可睡斎の山門は、昭和10年(1935年)に当時、建築界の重鎮、特に寺社建築の泰斗であった伊東忠太博士に設計依頼していたが、完成にまで至らず、このたび776年の歳月を経て、伊東忠太博士の設計図を基に平成22年(2010年)に落慶したそうだ。金剛力士は、仏教の護法善神(守護神)である天部の一つ。開口の阿形像と、口を結んだ吽形(うんぎょう)像の二体を一対として、寺院の表門などに安置することが多い。一般には、仁王(本来は二王と書く)の名で親しまれている。彫刻師は岐阜県美濃の大橋祐瑞師。日本では寺院の入口の門の左右に仁王像が立っているのをしばしば見かける。像容は上半身裸形で、筋骨隆々とし、こうした造形は、寺院内に仏敵が入り込むことを防ぐ守護神としての性格を表しているという。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f9​​​ 1/​320​秒 32mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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43.山門の金剛力士像 閉口(吽形像)​​
こちらは口を結んだ口を結んだ吽形(うんぎょう)像。阿形像は怒りの表情を顕にし、吽形像は怒りを内に秘めた表情にするものが多い。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f7.1 1/​250​秒 31mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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44.座禅堂​​​​
山門を抜けて開山堂(本堂)への参道を進むと左手にこの座禅堂がある。ここで座禅体験ができるそうだ。正面左に慈母観音、右が五重塔。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f3.5​​​ 1/​250​秒 32mm ISO250​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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45.開山堂(本堂) -1
ここは徳川家御霊屋である。徳川家康をはじめとする歴代将軍と先祖代々の位牌が祀られている。創建は1394~1428年頃と伝えられている。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f5​​​ 1/​250​秒 66mm ISO1600​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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46.開山堂(本堂) -2
wikipediaによれば可睡斎の由緒は、徳川家康が幼い頃、武田信玄の軍から逃れ父と共に匿われた礼に訪れた際、席上で居眠りをする仙麟等膳和尚(第11代)を見た家康は「和尚我を見ること愛児の如し。故に安心して眠る。われその親密の情を喜ぶ、和尚 、眠るべし」と言い、以来和尚が「可睡和尚」と呼ばれたことから、いつしか本来東陽軒であった寺の名も可睡斎となったとある。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f3.5​​​ 1/​250​秒 18mm ISO280 ​) 露出補正​ ​なし
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47.開山堂(本堂) -2
左手前に法堂と書かれた説明板が見えるが、それには禅門法堂とは説法道場をさし、一般的には本堂と呼ばれると書かれていた。正面奥に正観世音菩薩が祀られている。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f3.5​​​ 1/​250​秒 18mm ISO320 ​) 露出補正​ ​なし
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48.大黒殿​​
可睡斎のホームページを見ると、大黒尊天は、インドのマハーカラ(摩訶迦羅)神だそうだ。バラモン教の自在天という神の化身で、戦いの神、富貴の神、食物台所の神といわれ、食堂にまつられていたという。可睡斎では、沢山の大黒様が祀られている。ここは本堂横にある大黒殿で昔から祀られている開運大黒尊天である。大黒天の左に白ウサギが見える。なにか黒いひげがある。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f8 1/​250​秒 28mm ISO200​ ) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
49.秋葉総本殿三尺坊御真殿 -1
可睡斎のホームページによれば、可睡齋の秋葉総本殿は、明治6年に秋葉三尺坊大権現の真躰が秋葉山より当可睡齋に遷座したことからおこったものだそうだ。江戸時代には「秋葉信仰」が盛んで秋葉参りには大勢の信者が集まり、当時、秋葉山の山頂にあった秋葉寺の賑わいは、お伊勢参りをしのぐほどあったといわれている。その秋葉山から真躰が遷座された可睡斎は、明治時代以降、日本唯一の「火防パワースポット」、日本唯一の真躰をお祀する火防霊場だそうだ。可睡斎は、有栖川宮幟仁親王により「秋葉総本殿」の扁額があり、秋葉三尺坊大権現鎮座火防霊場として、全国津々浦々に名声が響き渡り、多くの信者の尊崇を受け今日に至っているとある。東京・秋葉原の語源も、この「秋葉」。遠州から秋葉三尺坊大権現を勧請(かんじょう)し、今の秋葉原に鎮火神社を祀ったことからとされている。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f10 1/​400​秒 31mm ISO200 ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
50.秋葉総本殿三尺坊御真殿 2​​
可睡斎は神社なのかお寺なのか?曹洞宗のお寺なのだが、1868年(明治元年)に明治政府によって神仏分離令が、1872年(明治5年)には修験宗廃止令が強行され、秋葉山も神仏分離を行うこととなった。明治5年に教部省は秋葉権現を三尺坊とは異なる鎮守と判断し、明治5年秋葉山を神道の秋葉大権現と仏教の秋葉寺に分離し、更に秋葉大権現を秋葉神社と改称した。​要するに秋葉権現は神社であり、三尺坊は寺ということのようだ。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f5 1/​250​秒 18mm ISO200 ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。161228_050.jpg
51.可睡斎位牌堂
ここは本殿から降りてきて右側にある位牌堂である。位牌堂だけに位牌がいっぱい安置されていた。位牌堂の入り口の両側には茶色と青色の象が置かれていた。なぜか調べてみたが判らなかった。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f3.5 1/​250​秒 18mm ISO1000​ ) 露出補正​ ​なし
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52.位牌堂の屋根とカエデ
可睡斎では紅葉はほとんど見られなかった。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f4.8 1/​250​秒 48mm ISO220 ) 露出補正​ ​なし
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53.座禅堂の裏側
座禅堂の裏側をちょっと覗いてみた。イチョウの葉が落ちていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/60秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
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54.池と魚籃観音
座禅殿の後ろには池があった。方丈庭園というらしい。池を渡る橋のところに魚籃観音がある。魚籃観音は魚類供養を願って、五十三世夬人が昭和60年4月建立した。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f4.8 1/​250​秒 50mm ISO400 ) 露出補正​ ​なし
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55.おさすり大黒
境内本堂前に、福徳さずかるおさすり大黒尊天があった。一さすりで福を招き、二さすりで徳を授かり、三さすりで満足を戴くと記されていた。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f3.8 1/​250​秒 26mm ISO250 ) 露出補正​ ​なし
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56.輪蔵​​
経蔵とも呼ばれ、この輪蔵を一回廻すとお釈迦様一代の説法すなわち一切経をよんだのと同じご利益いただけるという。学業成就のご利益があるそうだ。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f3.5 1/​250​秒 18mm ISO1400 ) 露出補正​ ​なし
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57.可睡斎法堂(本堂)​​​​
山門を出る前に振り返って法堂を撮る。可睡51世高階瓏仙禅師50回忌と書かれたパネルがあった。51世高階瓏仙禅師は昭和の初年に福岡より入山した。コトバンクによると高階瓏仙は曹洞宗十八代管長。永平寺七十一世貫首。福岡県生。号は玉堂。出家して高階黙仙の門に入る。曹洞宗大学教授。福岡県安国寺・静岡県可睡斎の住職となり、のち総持寺、永平寺に移り住む。全日本仏教会会長。昭和43年(1968)寂、90才。とあった。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f10 1/​400​秒 18mm ISO200 ) 露出補正​ ​なし
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58.可睡斎 東洋軒
総門を出て、門前をバスの駐車場へ歩く途中、右側に東洋軒というお堂があった。お堂の前に建てられた案内札には「当山五世対大路一遵和尚(1398年~1518年)は如仲天誾禅師について出家したことから禅師が一時寓止したと言われる久野場外の松樹下の大通庵を探り当て座禅をしていた。座禅中、毘沙門天の奇瑞を感得し、お告げ通り近くに一つのお堂を建て、東洋軒と名付けた。その東洋軒が可睡斎の始まりである。現在の建物は昭和60年に観音堂を移築したものである。」と記されていた。文言は難しい。むかし、職場のあった三越前に時々ランチをしに行った東洋軒というレストランがあったのを思い出した。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f4 1/​250秒 18mm ISO200 ) 露出補正​ ​なし
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59.東洋軒とカエデ
東洋軒の前にカエデがあった。まだ少し紅葉には早いようだ。このあとバスに戻って帰路についた。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f3.8 1/​250秒 22mm ISO200 ) 露出補正​ ​なし
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2016年9月23日

初秋の信州をドライブ 八千穂高原から松原湖 9月10日

今年の夏は信州での蝶の写真撮影が消化不良に終わってしまった。何とか9月の早いうちにもう1回チャレンジしようと思っていたが、台風が来たりして、天候が思うにまかせなかった。
9月10日、晴れそうな日はこの日しかない。しかし、土曜日だ。往復の高速道路の混雑は覚悟しなくてはならない。でも、行こうと決め、行先は八千穂高原、松原湖に決めた。時間に余裕があれば、八千穂高原スキー場のゲレンデや、海ノ口牧場へも寄りたいなと思っていた。
 朝6時に自宅を出発し、圏央道経由で中央高速に入った。談合坂S.A.でトイレ休憩し、そばでも食べておこうと思ったが、談合坂S.A.へ入る側道は手前から車が並んでいる。次のP.A.の初狩も同じようだったので、結局、双葉まで行ってしまった。須玉I.C.で下りて、国道141号線を約50km、松原湖入り口を左折して、八千穂高原自然園に着いたのは、10時近くになっていた。
  秋ぐちに多くなるキベリタテハやクジャクチョウを撮るのが目的だったが、八千穂高原自然園ではボロボロになったミドリヒョウモンの♀が飛んでいるくらいで、蝶の姿はない。カメラを持っていた地元の人がいたので話をしてみる。その方も蝶の写真を撮るそうだが、今年は蝶が極めて少ないと嘆いておられた。
 八千穂高原自然園のすぐ近くにある八千穂高原スキー場のゲレンデに何かいてくれないかと行ってみたが、残念ながらゲレンデの草はすっかり刈り取られてしまっていた。
  次に松原湖へ向かった。カーナビで松原諏方神社で行先設定すると、湖畔の駐車場にたどり着いた。松原湖は、長野県南佐久郡小海町にある湖で猪名湖・長湖・大月湖という3湖の総称であるが、一般には3湖の中でも最大の猪名湖単体を指して松原湖というそうだ。静かな湖畔を歩いてみた。松原諏方神社上社、下社、そしてその末社と思われる小さなお宮が点在し、のんびりとした時間を過ごすことができた。ここではムモンアカシジミを見たが、残念ながら撮ることができなかった。

1.八千穂高原自然園
ここへは蓼科からの帰路に、メルヘン街道を麦草峠を越えて、2度ほど寄ったことがある。2000年と2005年の記録が残っているが、その時はクジャクチョウ、キベリタテハなど多くの蝶がいた。本来、8月の終わりに来たいと思っていたが、叶わなかった。この日、蝶の姿はほとんどない。まっすぐここに来たのは初めてだが思ったより時間がかかってしまった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/100秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
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2.ヤマトリカブト 山鳥兜
有名な有毒植物だが、なかなかきれいな花だ。主な毒成分はジテルペン系アルカロイドのアコニチンで、他にメサコニチン、アコニン、ヒバコニチン、低毒性成分のアチシンの他ソンゴリンなどを全草(特に根)に含むという。

Nikon D5300 TAMRON AF90mm f/2.8 Di macro
絞り優先オートで撮影  ( f5.6 1/250秒 90mm ISO1800 ) 露出補正 なし
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3.飛竜の滝
蝶がいないので、こんな写真を撮っていた。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5 4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 (​ ​f5.3 1/125秒 39mm ISO110​ ) ​ 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。160922_003.jpg
4.もみじの滝
八千穂高原自然園の中ほどにある。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5 4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 (​ ​f3.3 1/125秒 4mm ISO280​ ) ​ 露出補正 -0.3段
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5.カラマツ林
ほかに歩く人もなく、ひっそりとしたカラマツ林に静寂を感じた。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5 4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 (​ ​f4 1/125秒 9mm ISO280​ ) ​ 露出補正 -0.3段
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6.シラカバ林
大きなシラカバの木もある。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5 4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 (​ ​f4.5 1/800秒 15mm ISO100​ ) ​ 露出補正 -0.3段
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7.フシグロセンノウ 節黒仙翁
和名は茎の節が黒褐色になることに由来する。時期的には遅く、枯れてきていた。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5 4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 (​ ​f5.6 1/200秒 90mm ISO100​ ) ​ 露出補正 -0.3段
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8.恋人の聖地
傍に、「日本一美しい白樺林が群生する八千穂高原。この地はNPO法人地域活性化支援センターの恋人の聖地プロジェクト『二人のプロポーズにふさわしいデートスポットを‼ もっと幸せになれる』の恋人の聖地に選ばれています。」と書かれた札が立てられていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/80秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
9.松原湖
八千穂高原自然園ではアサギマダラとボロボロのミドリヒョウモン♀がいたくらいで、目当てのクジャクチョウやキベリタテハは見られなかった。早々に八千穂高原自然園を去ることにし、近くの松原湖へやってきた。松原湖も何回か来たことがあるがいずれも湖畔から湖を眺めただけで、ゆっくり過ごしたことはない。標高は1,123mある。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5 4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 (​ ​f5.2 1/320秒 27mm ISO100​ ) ​ 露出補正 -0.7段
;クリックすると大きな写真になります。
10.松原諏方神社 八幡宮
湖畔遊歩道を松原諏方神社上社の方へ歩いていく。八幡宮という小さなお宮さんがあった。松原諏方神社の末社のようだ。 

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5 4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 (​ ​f3.6 1/125秒 6mm ISO360​ ) ​ 露出補正 -0.7段
;クリックすると大きな写真になります。
11.湖畔に咲くシュウメイギク 秋明菊
さらに湖畔遊歩道を歩いていくと、レストハウスがあってボートが並べられていた。釣りを楽しむ人たちがボートに乗っているが、いわゆるボート遊びをする人はいないようだ。コスモスかと思ったらシュウメイギクが咲いていた。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5 4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 (​ ​f3.6 1/800秒 6mm ISO100​ ) ​ 露出補正 -0.7段
;クリックすると大きな写真になります。
12.ミツバオオハンゴンソウ 三葉大反魂草
湖畔の茂みに咲いている黄色い花は高原に咲くオオハンゴンソウによく似ているが、花が小さいように思う。帰ってきて調べてみると、どうやらミツバオオハンゴンソウのようだ。北アメリカ原産で、明治中期に観賞用に導入されたそうだ。確認されたのは1955年。野生化し、現在では全国に分布するという。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5 4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 (​ ​f3.8 1/125秒 6mm ISO320 ) ​ 露出補正 -0.7段
;クリックすると大きな写真になります。
13.弁財天宮
湖に突き出たところがあって、そこに末社の一つである弁財天宮があった。ここで大きな補虫網を持った高校生?に出会った。埼玉からきたトンボ少年だった。彼が捕獲したオオルリボシヤンマを見せてもらった。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5 4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 (​ ​f3.8 1/1000秒 6mm ISO100 ) ​ 露出補正 -0.7段
;クリックすると大きな写真になります。
14.山宮(梅宮)
これも末社の一つだ。松原諏方神社には七つの末社が鎮座するという。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5 4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 (​ ​f3.5 1/125秒 5mm ISO220 ) ​ 露出補正 -0.7段
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15.松原諏方神社 上社社殿 -1
上社は松原湖(猪名湖)南東岸の少し高くなったところにあった。下社は対岸の北東岸にある。ホームページによれば、松原諏方神社は上社、下社共に建御名方命(たけみなかたのみこと)、事代主命(ことしろぬしのみこと)、下照比売命(しもてるひめのみこと)を祀り、明治初頭までは、仏の普賢菩薩(ふげんぼさつ)も祀っていたそうたが神仏分離令により松原より仏教はなくなったとのこと。松原諏方神社は武田信玄の崇敬が厚く、何度も信玄直筆の祈願文が届き祈願し出陣した。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5 4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 (​ ​f4.5 1/125秒 12mm ISO140 ) ​ 露出補正 -0.7段
;クリックすると大きな写真になります。
16.松原諏方神社 上社社殿 -2
この写真は社殿を横から見たところ。現在の上社の社殿は何度か火災に遭い、明和8年(1771年)の建築らしい。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5 4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 (​ ​f4 1/1​6​​0​​​秒 9​​​​mm ISO12​5​​​ ) ​ 露出補正 -0.7段
;クリックすると大きな写真になります。
1​7.梵鐘
この鐘は国の重要文化財に指定されている「野ざらしの鐘」という。信玄の曽祖父である武田信昌が佐久地方に乱入した時の落合慈壽寺からの戦利品で、松原諏方神社に奉納した物だそうだ。長野県の梵鐘で、銘ある鐘では最古のものだという。銘には「大和国下田村鋳物師伴長」と作者の名と、鎌倉時代に佐久を納めていた地頭大井太郎光長が信州の佐久市落合の新善光寺(今は廃寺)に寄進したと記るされている。天女のレリーフがあるが、これも珍しく、貴重だそうだ。

​Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5 4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 (​ ​f​3​​.5​​​ 1/12​5​​​​​​秒 ​5​mm ISO2​50​​​ ) ​ 露出補正 -0.7段
;クリックすると大きな写真になります。
18.​​芭蕉句碑
芭蕉の句碑というのは全国至る所にあるが、長野県だけでも70か所ぐらいにあるようだ。ここの句は「名月や池をめぐりて夜もすがら」。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5 4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 (​ ​f​4​​​​​​​​ 1/​16​​0​​​​​​​​​秒 5​​​​​​​​mm ISO1​0​​​0​​​ ) ​ 露出補正 -0.7段
;クリックすると大きな写真になります。
1​9.釣りをする人
ボートに乗って釣りをしている。へら鮒や鯉・ハヤ・ナマズ、冬季はワカサギなどが釣れるようだ。ブラックバスもいるらしい。対岸の方にはもっと多くのボートがでている。​

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5 4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 (​ ​f​4​​.5​​​ 1/​4​​00​​​秒 1​5​​​mm ISO100​ ) ​ 露出補正 -0.7段
;クリックすると大きな写真になります。
20.シナノアキギリ 信濃秋桐
​松原湖で発見され、長野県と群馬県の一部にだけ自生し、絶滅危惧Ⅱ類に指定されている希少種。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5 4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 (​ ​f3.3​​​ 1/125​​​秒 4​​​mm ISO280​ ) ​ 露出補正 -0.7段
;クリックすると大きな写真になります。
21.静かな松原湖
ボートハウスは何軒かあるが、この季節はボートに乗る人がいない。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5 4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 (​ ​f3.​6​​​​​​​​ 1/​4​​00​​​秒 ​6​mm ISO280​ ) ​ 露出補正 -0.7段
;クリックすると大きな写真になります。
22.カルガモ
気持ちよさそうに泳いでいる。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5 4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 (​ ​f5.6 1/200​​​秒 161​​​mm ISO100​ ) ​ 露出補正 -0.7段
;クリックすると大きな写真になります。
23.弁財天宮と釣り人
先ほどの弁財天宮へは小さな橋が架かっていた。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5 4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 (​ ​f5.5 1/200​​​秒 45​​​mm ISO100​ ) ​ 露出補正 -0.7段
;クリックすると大きな写真になります。
24.子安宮
今度は反対方向の北東岸の方へ歩く。ここにも子安宮という、小さなお宮さんがあった。そこで、ふいに小さなオレンジ色が飛ぶのが見えた。どうやら季節と、地域を考えるとムモンアカシジミのようだ。写真を撮りたかったがチャンスを与えてくれなかった。 ​​

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5 4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 (​ ​f​4​​.5​​​ 1/​1​​​​60​​​​​​秒 ​1​​4​​​​​​mm ISO100​ ) ​ 露出補正 -0.7段
;クリックすると大きな写真になります。
25.御柱​​
御柱祭は7​年に一度、猿年と寅年に開催される。丙申(​ひのえさる)の​​​​​​​​​今年、5月7日、8日はその7年に一度の御柱祭が行われた。​​​​​​​​​​​​​​​​​松原諏方神社のホームぺージによれば信濃に​​御柱祭が伝わったのは、平安時代の延暦2​3​​​年(804年​​​​​​)征夷大将軍に任命された坂上田村麻呂が蝦夷征伐に東征したとき諏訪明神に戦勝を祈願して大勝した。この報告をきいて恒武天皇が以後信濃の国は総力をあげて寅申の7​​​​年に一度の諏訪明神造営を行えと命令したと伝わっているとのこと​​​​​​​​。その御柱は下社のそばに建てられている。​​​

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5 4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 (​ ​f​3.6​​​ 1/​800​​​​​​秒 ​6mm ISO100​ ) ​ 露出補正 -0.7段
;クリックすると大きな写真になります。
26.松原諏方神社下社社殿
下社に着いた。本殿はこの覆いの建物の中にある。​​松原諏方神社下社本殿は、承応2年(1653年)に焼失し、安永3年(1774年)に建立して現在にいたっているそうだ。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5 4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 (​ ​f​3.6​​​ 1/​​125​​​​​​秒 ​6mm ISO220 ) ​ 露出補正 -0.7段
;クリックすると大きな写真になります。
27.松原諏方神社下社本殿
覆いの建物の横の隙間から中を覗いてみた。そこにあるのが本殿のようだ。本殿の壁面には、諏訪神の神紋である梶の葉の大きな彫刻が見える。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5 4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 (​ ​f​3.6​​​ 1/​​125​​​​​​秒 ​6mm ISO1400 ) ​ 露出補正 -0.7段
;クリックすると大きな写真になります。