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2023年5月22日

いにしえの奈良 2泊3日のサクラ見物 ⑦ 2023年4月5日ー7日 朝の古都と又兵衛桜

4月7日、ツアー3日目、最終日になった。昨夜は早く寝てしまったので、今朝は早く目が覚めた。カーテンを開けて空模様を確かめるが、予報通り今にも雨が降りそうだ。
 この日は9時出発だった。ホテルから200mくらいのところに元興寺という名刹がある。7時から朝食をとり、その元興寺へ行ってみたが、残念ながら、開門は9時で境内の中には入れなかった。その足で、奈良の迎賓館と言われる奈良ホテル、荒池などを散歩して8時20分にホテルに戻った。
 バスはホテルを9時に出発した。昨日、春日山へ向かったのと同じ道を天理市、桜井市を抜けていく。途中でとうとう雨が本降りになってきてしまった。最初の目的地は「又兵衛桜」である。談山神社から東へ音羽の山並みの向こう側の宇陀市にある。又兵衛桜は福島県の三春滝桜のような、大きな一本桜であるが、花の見ごろは残念ながら終わってしまっていた。バスの駐車場と又兵衛桜までの距離が500mほどあり、傘をさしての歩行は少々つらかった。

000_2304070225 X700 〇名残の又兵衛桜 G7X.jpg
雨の又兵衛桜 樹齢300年 2023年4月7日 奈良県宇陀市

172_2304070131 X900 朝の元興寺 G7X.jpg 172.元興寺
宿泊したホテルから、南へ200mほど歩いたところに元興寺があった。拝観受付のあるところまで行ってみると、拝観時間は9時からで、中に入ることはできなかった。wikipediaによれば、元興寺は、蘇我馬子が飛鳥に建立した日本最古の本格的仏教寺院である法興寺(飛鳥寺)が、平城京遷都に伴って平城京内に移転した寺院である。奈良時代には近隣の東大寺、興福寺と並ぶ大寺院であったが、中世以降次第に衰退して、3寺院(元興寺極楽坊、元興寺塔跡、小塔院)に分立した。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1000秒 13mm ISO140 ) 露出補正 なし
173_2304070130 X900 朝の元興寺 G7X.jpg 173.元興寺極楽坊
この元興寺は旧称「元興寺極楽坊」といい、1978年(昭和53年)「元興寺」に改称された。真言律宗、西大寺末寺である。本尊は智光曼荼羅。元興寺子院極楽坊の系譜を引き、鎌倉時代から独立。本堂・禅室・五重小塔は国宝。境内は国の史跡「元興寺極楽坊境内」。世界遺産「古都奈良の文化財」の構成資産のひとつである。写真の門は重要文化財の東門。門の先に極楽堂(本堂の一部)が見える。中に入って拝観してみたかった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 37mm ISO2000 ) 露出補正 なし
174_2304070140 X900 奈良ホテル 教会 G7X.jpg 174.聖ラファエル教会
まだ出発までは時間がある。奈良ホテルを見に行ってみよう元興寺を少し南へ下って、左に折れる。まっすぐ行って左へ行くと富士屋ホテルの入り口になる。そこに教会らしきクラシカルな建物があった。「レトロな建物を訪ねて」というブログを開いて教えていただいたことには、この教会はわたくしも軽井沢で見たことがある「聖パウロカトリック教会」と同じレーモンド設計事務所の設計で1997年(平成9)年に建てられたようだ。奈良ホテルの附属教会として、結婚式などが行われているそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO250 ) 露出補正 なし
175_2304070143 X900 〇大乗院庭園 G7X.jpg 175.旧大乗院庭園 -1
左に奈良ホテルの玄関に上がっていく道を進むと、「名勝 旧大乗院庭園」があった。大乗院とは、1087年(寛治元年)に創建され、平安時代から江戸時代に栄えた門跡寺院のひとつ。(藤原氏の子弟が入室し、興福寺の別当職を輩出していた。)治承4年(1180年)の南都焼き討ちによる焼失後に現在地に移り、廃仏毀釈の影響で明治初年に廃寺となるまで存続していた。現在、その敷地内の一部が奈良ホテルとなっている。この庭園は室町時代の徳政一揆で荒廃したが、その後門跡尋尊大僧正の依頼により、室町時代に活躍した作庭の名手善阿弥によって改造された。将軍足利義政を始め公家たちがしばしば拝観に訪れ、以降、明治初頭まで南都随一の名園と称えられていた。戦後その一部が整備され、1958年(昭和33年)国の名勝に指定される。平城遷都1300年祭に伴い、2017年7月1日より、園路の一般公開を開始された。(奈良ホテル ホームページより)

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 24mm ISO400 ) 露出補正 なし
176_2304070148 X900 大乗院庭園 G7X.jpg 176.旧大乗院庭園 -2
朝なので人影のない旧大乗院庭園を眺めながら、奈良ホテルへと上がっていった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 37mm ISO320 ) 露出補正 なし
177_2304070149 X900 奈良ホテル G7X.jpg 177.奈良ホテル 玄関 -1
緩い坂を上ると奈良ホテルの建物の正面に出た。朝8時少し前で、朝食の時間なのか、表に宿泊者の姿はない。奈良ホテルは、1909年(明治42年)10月に営業開始したホテルだそうだ。本館は辰野金吾、片岡安の設計による。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 16mm ISO250 ) 露出補正 なし
178_2304070150 X900 奈良ホテル G7X.jpg 178.奈良ホテル 玄関 -2
第二次世界大戦前には国営(鉄道院→鉄道省直営)の時代が長く、近畿において国賓・皇族の宿泊する迎賓館に準ずる施設としての役割をになっていた。このため「関西の迎賓館」とも呼ばれる。今日でも著名人が多く宿泊し、皇族の奈良宿泊の際にはこのホテルが利用されることが専らだそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 16mm ISO320 ) 露出補正 なし
179_2304070154 X900 〇奈良ホテル G7X.jpg 179.奈良ホテル 本館建物
宿泊設備としては木造2階建て瓦葺き建築で創業以来の本館と、1984年(昭和59年)に営業を開始した鉄筋コンクリート造4階建ての新館からなる。現在(2010年)の客室数は本館・新館合わせて127で、ツイン・ダブルの洋室を基本とするが、少数ながら和室も用意されているという。奈良ホテルは、JR西日本と近鉄グループがともに50%を出資していたが、2018年8月31日付けでJR西日本が近鉄GHDから全株式を取得して完全子会社化した。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.0 1/1000秒 10mm ISO250 ) 露出補正 なし
180_2304070162 X900 興福寺五重塔 G7X.jpg 180.荒池越しに見た興福寺五重塔
奈良ホテルから、昨日バスで通った国道169号(天理街道)に出た。ホテルは国道169号沿いにある荒池と呼ばれる農業用灌漑池の畔、かつては興福寺の塔頭である大乗院が所在した跡地の小高い丘に建っている。写真の左側が奈良ホテルである。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 37mm ISO250 ) 露出補正 なし
181_2304070165 X900 〇天理街道 荒池 G7X.jpg 181.荒池
国道169号線は荒池を左右に割るように走っている。写真は道路の左側から荒池の右側に広がる荒池園地を見ている。荒池園地は、猿沢池や若草山を含む県立都市公園である総面積502.38haの奈良公園に含まれる。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 37mm ISO800 ) 露出補正 なし
182_2304070173 X900 春日大社 一の鳥居 G7X.jpg 182.春日大社 一の鳥居
さらに北に歩くと、右手に春日大社の一の鳥居があった。春日大社本殿はここから東へ、参道を歩いて約20分のところにある。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 20mm ISO1600 ) 露出補正 なし
183_2304070174 X900 興福寺へ 菊水楼 G7X.jpg 183.料亭 菊水楼
春日大社一の鳥居を左へ(西へ)曲がる。しばらく行くと、立派な門構えの菊水楼という料亭があった。菊水楼(きくすいろう)は、創業は1891年(明治24年)で、同年建築の旧本館、1901年(明治34年)建築の本館、円成寺塔頭から移築された表門(1615年建築)と庭門は、2000年(平成12年)12月に国の登録有形文化財に登録されている。(wikipedia)

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 16mm ISO1250 ) 露出補正 なし
184_2304070175 X900 菩提院大御堂 G7X.jpg 184.菩提院鐘楼
さらに西へ歩くと、左手の石段を下った先に鐘楼が見えた。菩提院という、法相宗の寺院で大本山興福寺の子院。本尊は阿弥陀如来。通称は十三鐘(じゅうさんかね)という。天正8年(1580年)に再建された御堂は写っていないが、石段を下りた先の境内に見えている鐘楼にかかる梵鐘は、永享8年(1436年)の鋳造で、かつては昼夜十二時(とき)だけではなく、明け七つと六つの間の早朝勤行の時にも打たれたことから、「十三鐘」の通称を持つという。大御堂前庭では、春日神鹿をあやまって殺した少年・三作を石子詰の刑に処して葬り、祀ったと伝わる塚がある。(wikipedia)

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 25mm ISO1000 ) 露出補正 なし
185_2304070179 X900 興福寺 G7X.jpg 185.興福寺 南円堂
更にまっすぐ歩いて、興福寺の境内に入った。この建物は興福寺境内の西の奥にある南円堂だ。2日前にも来ている。南円堂は、創建以来四度目の建物で、寛保元年(1789年)に再建された。江戸時代の建物といっても、その手法はきわめて古い様式で、鎌倉初期の再建である。興福寺に残る最も古い建築物で同じく八角形の北円堂を参考にして建てられたと考えられるという。北円堂には、運慶一門の手による本尊の木造弥勒如来坐像(国宝)、木造無著・世親菩薩立像(国宝)、四天王立像(国宝)が安置されている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 37mm ISO500 ) 露出補正 なし
186_2304070180 X900 興福寺 G7X.jpg 186.五重塔
この三日間に五重塔は何回も撮った。先にも触れたが、大規模修理に向けた調査が進むなか、修理現場を覆う「素屋根」の設置が始められる。2023年7月から設置し始め、30年3月には修理工事が終わる予定だ。しばらくの間、今の姿を見ることができなくなる。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.0 1/1000秒 11mm ISO250 ) 露出補正 なし
187_2304070182 X900 興福寺 本堂 G7X.jpg 187.興福寺中金堂
8時15分になった。そろそろ宿に戻らなくてはならない。創建1,300年となる2010年(平成22年)に中金堂再建工事が着工され、2017年(平成29年)には、翌年に中金堂が完成するのを見越し仮金堂内の諸仏を早くも中金堂に移した。今見る中金堂は、2018年(平成30年)10月に9代目の中金堂として落慶した。落成後、内部の一般公開がされていたが、この時は新型コロナウィルス感染拡大防止のため拝観することができなかった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO200 ) 露出補正 なし
188_2304070188 X900 〇猿沢の池 G7X.jpg 188.五十二段の石段
昨日の朝にも散歩した猿沢池に下りる五十二段の石段を下りた。子供の鹿が頭を突き合わせている。遊んでいるのだろう。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/800秒 28mm ISO2300 ) 露出補正 なし
189_2304070195 X900 名残の又兵衛桜 G7X.jpg 189.又兵衛桜に到着
ホテルを出発してから、1時間20分ほどで又兵衛桜に到着した。場所は昨日訪れた談山神社の東側である。雨はいよいよ本降りである。加えて、バスの駐車場から現地までは500mほどあったのではなかろうか。カメラ片手に傘をさして歩く。こんな時はG7Xでいかざるをえない。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 16mm ISO320 ) 露出補正 なし
190_2304070196 X900 名残の又兵衛桜 G7X.jpg 190.又兵衛桜 -1
又兵衛桜を見るには時すでに遅かった。手前に咲く菜の花が救いである。又兵衛桜は樹齢約300年のシダレザクラという栽培品種である。瀧桜とも呼ばれる。奈良県の保護樹だそうだ。比較して申し訳ないが、かって福島県で見た「三春の滝桜」(天然記念物)はエドヒガン系ベニシダレザクラで、推定樹齢は1000年と言われる。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 20mm ISO250 ) 露出補正 なし
191_2304070199 X900 名残の又兵衛桜 G7X.jpg 191.又兵衛桜 -2
例年の見頃は4月上旬から4月中旬となっているが、ご覧のような状況で、今年は時すでに遅しである。又兵衛桜の由来は、wikipediaによると、名称は大坂の陣で活躍した戦国武将後藤基次(又兵衛)に因んでいる。豊臣家崩壊後、後藤基次は大宇陀(現 奈良県宇陀市)の地で暮らし、再興の時期を待ったと伝わるが、桜はその時の後藤家屋敷跡にある。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 37mm ISO800 ) 露出補正 なし
192_2304070200 X900 名残の又兵衛桜 G7X.jpg 192.又兵衛桜 -2
2000年(平成12年)のNHK大河ドラマ「葵 徳川三代」のオープニング映像で使用されたことで有名になった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1000秒 12mm ISO250 ) 露出補正 なし
193_2304070209 X900 〇名残の又兵衛桜 G7X.jpg 193.又兵衛桜 -3
まだ、咲いていた桜もあった。これはサトザクラの一種だと思う。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 9mm ISO250 ) 露出補正 なし
194_2304070212 X900 〇名残の又兵衛桜 G7X.jpg 194.又兵衛桜 -4
又兵衛桜の周囲に植えられている桜が、咲き残っていてくれた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 15mm ISO250 ) 露出補正 なし
195_2304070219 X900 名残の又兵衛桜 G7X.jpg 195.又兵衛桜 -5
又兵衛桜の周囲に植えられている桜は、開花時期の異なる品種が混在していた。これも桜を見に来る人たちの為を思う工夫なのであろう。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 20mm ISO250 ) 露出補正 なし
196_2304070228 X900 名残の又兵衛桜 G7X.jpg 196.バスに戻る
バスまで、戻るのに10分くらいかかってしまう。スイセンが咲いていたので、又兵衛桜を背景に撮った。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.0 1/1000秒 9mm ISO200 ) 露出補正 なし
197_2304070229 X900 〇名残の又兵衛桜 ハナミズキ G7X.jpg 197.名残の又兵衛桜
手前に咲くのはハナミズキの花。傘をさして、小走りにバスへと急ぐ。決められた時間には何とか間に合ったが、一番最後になってしまった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 21mm ISO320 ) 露出補正 なし

2023年5月10日

いにしえの奈良 2泊3日のサクラ見物 ④ 2023年4月5日ー7日 金峯山寺薬王堂 吉野山桜見納め

2023年4月6日、時刻は11時である。書院の見学と吉野千本桜を鑑賞し、満たされた気持ちで吉水神社を後にした。吉野山はこの先、奥千本、吉野山最高峰の標高858mの青根ヶ峯への大峯奥駈道にかけて、花矢倉展望台など、まだまだ見どころはあるようだが、時間もないし、道も厳しそうだ。下山する。 前もって、ツアコンさんから配られていた金峯山寺蔵王堂拝観券で内陣を参拝し、金剛蔵王権現像を参拝した。
 金峯山とは奈良県の吉野山から大峰山(山上ヶ岳)に至る一帯を指し、古くから飛鳥時代の聖地として知られている。白鳳年間(7世紀後半)、修験道を始めた役行者(えんのぎょうじゃ)は、この金峯山で修業し、山上ヶ岳において、人々を迷いや苦しみから救い、悟りの世界に導くために金剛蔵王権現を祈りだす。そして、その姿を山桜の木に彫刻し、山上ヶ岳と吉野山に堂を建てて祀った。これが山上山下の蔵王堂の起こりであり、金峰山時の始まりであるとそのパンフレットに書かれている。

000_2304060743 X700 〇吉野山 七曲り Z50 Z18-140.jpg
吉野山名残りの桜 2023年5月6日 奈良県吉野町 七曲がり付近

089_2304060667 X900 吉野山 金峯山寺 蔵王堂 Z50 Z18-140.jpg 89.金峯山寺蔵王堂
勝手神社まで行って、戻り路で奈良漬を買い、金峯山寺の前へ来た。石段を上がって境内に入る。正面に国宝蔵王堂の威容があった。蔵王堂は、金峯山寺の本堂である。本尊金剛蔵王大権現三体のほか、多くの尊像が安置されている。蔵王堂は、白鳳年間に役行者が創建したと伝えられている。平安時代から幾度か焼失と再建を繰り返し、「太平記」には正平3年(1348年)に足利方の高師直(こうのもろなお)の来攻によって焼失、その後、天正14年(1586年)にも焼失しているそうだ。現在の建物は天正20年(1592年)ころに完成したものである。3体の本尊は秘仏であり、普段は見ることができない。中尊は7mを超える巨像である。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO250 ) 露出補正 なし
090_2304060669 X900 吉野山 金峯山寺 蔵王堂 Z50 Z18-140.jpg 90.蔵王堂拝観
靴を脱いで堂に上がる。係の人が、「記念にお持ち帰るください」と、靴を入れる金峯山寺と名の入った袋を渡してくれた。内陣は撮影禁止であった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 39mm ISO280 ) 露出補正 なし
091_2304060676 X900 〇吉野山 金峯山寺 蔵王堂 Z50 Z18-140.jpg 91.蔵王権現立像を拝観 金峯山寺薬王堂本尊 特別御開帳
現在進められている国宝仁王門の大修理勧進のために、国宝蔵王堂内に安置されている日本最大の秘仏ご本尊金剛蔵王大権現三体が、特別に開帳されていた。(期間:令和5年3月24日~令和5年5月7日)蔵王権現立像三体の造仏は、秀吉の発願した方広寺大仏(京の大仏)の造仏にも携わった、南都仏師の宗貞・宗印兄弟が手掛けたことが、胎内の銘から知られる。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 43mm ISO640 ) 露出補正 なし
092_2304060681 X900 吉野山 金峯山寺 脳天大神 Z50 Z18-140.jpg 92.脳天大神(のうてんおおかみ)
金峯山寺の境内にびっくりするような名前の神社の案内があった。金峯山寺のホームページを見てみると、脳天大神は金峯山寺初代管長・故 五條覚澄大僧正が霊威感得された頭脳の守護神なのだそうだ。脳天大神はその最も大切な処を守護し、頭の病気や学業試験などの願い事を成就するとあった。首から上の病気に霊験あらたかで入学試験合格、病気全癒、商売繁盛祈願の参拝参詣者が多い。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f8 1/500秒 18mm ISO110 ) 露出補正 なし
093_2304060687 X900 〇吉野山 Z50 Z18-140.jpg 93.金峯山寺鐘楼
蔵王堂の左側(西側)に鐘楼があった。かつて、金峯山寺には1264年(文永元年)に鋳造された銅鐘があった。その銅鐘は現存しないが、銘文拓本が残され「鎌倉新大仏鋳物師丹治久友」とある。久友は、同年、東大寺塔頭真言院の梵鐘鋳造にも携わり、その鐘銘には「鋳物師新大仏寺大工」とあるそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.0 1/500秒 23mm ISO100 ) 露出補正 なし
094_2304060689 X900 〇吉野山 南朝妙法殿 Z50 Z18-140.jpg 94.金峯山寺から見た南朝妙法殿
金峯山寺の西側に三重塔(妙法殿八角三重塔(昭和33年 1958年建立)、金峯山寺南朝妙法殿は1958年(昭和33年)に南朝初代で、第96代・後醍醐天皇の行在所であった実城寺跡に建立された。南朝妙法殿には後醍醐天皇と南朝第2代で、第97代・後村上天皇、南朝第3代で、第98代・長慶天皇、南朝第4代で、第99代・後亀山天皇の南朝の四帝や忠臣が祀られている。南朝妙法殿には実城寺の本尊とも言われる木造釈迦如来坐像(奈良県指定文化財)が安置されている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/500秒 92mm ISO110 ) 露出補正 なし
095_2304060691 X900 吉野山 威徳天満宮 Z50 Z18-140.jpg 95.威徳天満宮
大きな建物ではないが、蔵王堂のすぐ横に鎮座する古社が、威徳天満宮。菅原道真を祭神としている。社伝によれば、天徳3年(959年)の創建とも伝えられ、天慶年中(938年~947年)、如意輪寺を創建した日蔵道賢(にちぞうどうけん)が勧請したともいわれる古社だそうだ。威徳天満宮の江戸時代前期建築の本殿は、豊臣秀頼の改修による華麗な桃山様式を残し、奈良県の文化財に指定された。社前の石灯籠は享保13年(1728年)の寄進だそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 18mm ISO110 ) 露出補正 なし
096_2304060694 X900 吉野山 四本桜 Z50 Z18-140.jpg 96.四本桜から見た蔵王堂正面
四本桜は蔵王堂の境内、石の柵の中に桜が4本植えられている場所で、「大塔宮(だいとうのみや)御陣地」と刻まれた石柱が建っている。元弘3年(1333年)大塔宮護良親王(だいとうのみやもりながしんのう)が鎌倉幕府勢に攻められて、吉野落城を覚悟して最期の酒宴をされた所と言われる。その際の陣幕の柱跡に植え続けられているのが、この桜だそうだ。石柵内に立つ銅燈籠は文明3年(1471年)の作で重要文化財に指定されている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 28mm ISO180 ) 露出補正 なし
097_2304060705 X900 〇吉野山 威徳天満宮 Z50 Z18-140.jpg 97.中千本の桜
金峯山寺のあたりは少し高くなっていて、そこからも中千本の桜が眺められた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 125mm ISO180 ) 露出補正 なし
098_2304060711 X900 吉野山 銅鳥居 Z50 Z18-140.jpg 98.銅鳥居
銅鳥居のところまで下りてきた。時刻はほぼ正午。上がってきた時と比べて、空が明るくなり、青空も見えて光の状態が良くなっていた。鳥居額には「発心門」とある。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f13 1/500秒 27mm ISO100 ) 露出補正 なし
099_2304060714 X900 吉野山 弘願寺 Z50 Z18-140.jpg 99.弘願寺
黒門の手前左側に弘願寺というお寺があった。この寺は高野山真言宗の寺院だそうだ。本尊は阿弥陀如来立像(県指定文化財)で鎌倉時代の正元2年(1260年)の作という。もとは金峯山寺の「上之坊」だったが、高野山真言宗の寺院になったという。吉野山寺宝めぐりの一環で秘仏「虚空蔵菩薩」が公開されている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 25mm ISO100 ) 露出補正 なし
100_2304060720 X900 〇吉野山 弘願寺 ハナモモ Z50 Z18-140.jpg 100.ハナモモ
弘願寺のあたりにハナモモが咲いていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 140mm ISO250 ) 露出補正 なし
101_2304060723 X900 吉野山 ちりめん山椒 美味 Z50 Z18-140.jpg 101.ちりめんじゃこ
黒門の手前にちりめんじゃこ(ちりめん山椒)の店が出ていた。勧められて食べてみるとなかなか旨かったので、お買い上げ。京都へ行くとよく買って帰るが、ちりめん山椒は吉野名物でもあるそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 30mm ISO125 ) 露出補正 なし
102_2304060729 X900 〇吉野山 黒門 Z50 Z18-140.jpg 102.戻り路の黒門
黒門まで戻ってきた。まだまだ、上がって来る観光客が多い。黒門を出たところにあった食事処で、簡単な昼食にした。歩いた後のビールは格段に旨かった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.2 1/500秒 34mm ISO220 ) 露出補正 なし
103_2304060733 X900 吉野山 あまご塩焼 Z50 Z18-140.jpg 103.鮎とあまごの塩焼き
昨日、ホテルの近くの小料理屋さんで食べたアマゴの塩焼きは旨かった。ヤマメは北のサクラマスの陸封型、アマゴは南のサツキマスの陸封型という。アマゴとヤマメは姿がほとんど同じで、淡白な身や柔らかい骨など、川魚としての美味しさも変わりない。 ただ、アマゴには脇腹に赤い斑点があり、ヤマメにはそれがないのが特徴だそうだ。子供のころ父親のお供で多摩川へヤマメを獲りに行ったのを思い出す。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.0 1/500秒 22mm ISO100 ) 露出補正 なし
104_2304060741 X900 ◎吉野山 七曲り Z50 Z18-140.jpg 104.見納めの千本桜 -1
入山した時には下千本の桜を見るのに夢中で気に留めなかったが、大橋という橋がある。その大橋の少し先が、下千本展望台だった。バスが待っている吉野山観光駐車場はもうすぐそばだ。ここは近鉄吉野駅から七曲がりを登り切った上にある。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 26mm ISO110 ) 露出補正 なし
105_2304060746 X900 〇吉野山 七曲り Z50 Z18-140.jpg 105.見納めの千本桜 -2
枝垂れ桜は、まだまだいっぱい花をつけていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/500秒 44mm ISO110 ) 露出補正 なし
106_2304060751 X900 〇吉野山 七曲り Z50 Z18-140.jpg 106.見納めの千本桜 -3
今朝は雨も覚悟していたが、青空が顔を出すほどの天気になり、ラッキーだった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/500秒 57mm ISO100 ) 露出補正 なし
107_2304060758 X900 ◎吉野山 七曲り Z50 Z18-140.jpg 107.見納めの千本桜 -4
桜の中に町があるような眺めだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 39mm ISO125 ) 露出補正 なし
108_2304060761 X900 ◎吉野山 七曲り Z50 Z18-140.jpg 108.見納めの千本桜 -5
下千本から中千本へと尾根を桜が染めていた。初めて訪れた吉野千本桜をたっぷり楽しむことができた。吉野山観光駐車場は、来た時とは違って、びっしりと、大きな観光バスがいっぱい止まっていた。我々一行29名が集まるのを待って、午後1時に出発した。ここから奈良県高取町にある壺阪神社に向かう。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.0 1/500秒 31mm ISO100) 露出補正 なし

2023年4月28日

いにしえの奈良 2泊3日のサクラ見物 ① 2023年4月5日ー7日 奈良公園

某旅行社の「新幹線で行く!世界遺産・吉野山はたっぷり3時間滞在!いにしえの奈良9つの桜3日間」という長ったらしいタイトルの付いたツアーに1月に申し込んであった。うちの奥さんが、長い間、吉野の桜を見たいといっていたからだ。申し込む時点で最も適時と推察した4月5日出発のコースを選んだ。だが、今年のサクラの開花は各地で例年より著しく早いのでいささか心配ではあったが、日程は変更できない。しかし、開花後気温が下がる日もあって、多少は長持ちしてくれたようだ。

日程はおおよそ次の通りだった。
4月5日 新横浜から新幹線で三河安城へ。観光バスで奈良公園 泊:奈良市内興福寺の近く
4月6日 吉野山(金峯山寺・吉水神社など)、壷阪寺、談山神社、泊:奈良市内
4月7日 又兵衛桜、長谷寺、大野寺 往路と同じく伊勢湾道路を三河安城へ。新幹線で新横浜。

さて、集合は新幹線の新横浜駅に朝6時45分だった。自宅からは比較的近いが、それでも5時半には家を出なくてはならなかった。7時15分発の「こだま」に乗って、9時21分に三河安城着。愛知県岡崎市に本社のある観光バスに乗り込んだ。参加者は29名で、一人で参加されている方も数名いらっしゃった。バスは伊勢湾自動車道(略称 伊勢湾岸道)を走り、レゴランドやジェット・コースターが見えたナガシマスーパーランドを車窓に見ながら、亀山で名阪国道へ入る。関というところで休んで、天理で名阪国道の自動車専用道路を下りた。
 バスは奈良県庁の駐車場へ入る。ベテランのツアコンさんに引率されて、すぐ近くの氷室神社へ。そこでいったん解散して、各自それぞれ春日大社や、大仏殿など奈良公園一帯を自由に歩くことになった。我々2人は、かみさんの脚も考え、奈良公園の散策をしたあと、興福寺の国宝館へ行くことにした。奈良公園は外国からの観光客が多いのにびっくりした。国宝館を見るのは2度目だが、改めて国宝、重要文化財である阿修羅像や、千手観音菩薩などの数々の仏さまの豊かな表情に見惚れてしまった。
 バスを降りたところで集合し、午後4時過ぎに今宵泊まるホテルに入る。猿沢の池のすぐそばと立地が良い。夕食は各自自由となっていたので、"ならまち"を歩く。ホテルでおすすめの食事処を聞いてみた。どこか居酒屋風のところでよいところないかと思ったが、第一推薦の店に行ってみると、すでに外国人観光客の方も含めて、10名ほどの人が並んで待っていたのでやめてしまった。少々、歩き疲れてホテルに戻り、改めてホテルの方に尋ねて、ホテルの近くにあったこじんまりとした小料理屋さんに電話予約をした。朝が早かったこともあり、ぐっすりと寝ることができた。TVの野球放送は阪神戦の中継のみで、巨人戦はなかった。
 なお、東大寺や興福寺に関する記述は、そのホームページやwikipediaを参照させていただいた。

000_2304050438 X700 〇奈良 東大寺 Z50 Z18-140.jpg
東大寺鏡池と中門と大仏殿 2023年4月5日 奈良県奈良市雑司町

001_2304050001 X900 新横浜駅 G7X.jpg 1.朝6時半の新横浜駅構内
まだ、人は多くない。「相鉄新横浜線・東急新横浜線 3月18日 新横浜駅誕生」の幕が掛けられていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO800 ) 露出補正 なし
002_2304050006 X900 伊勢湾岸道 G7X.jpg 2.伊勢湾自動車道の3つの兄弟橋「名港トリトン」(車窓から)
バスは伊勢湾自動車道を走る。前方に赤い橋が見えてきた。この橋は名古屋港横断三大橋「名港トリトン 」の3本目の橋である。伊勢湾岸自動車道のうち、伊勢湾岸道路の東海IC~飛島ICの間に3つの兄弟のような橋がある。橋は伊勢に向かう順に、青・白・赤に色分けされている。見事なこの橋は、世界的にも大規模な往復6車線の海上斜張橋梁群で、長大斜張橋が三橋連立しているのは、世界でも珍しいそうだ。どの橋も夜間にはライトアップされるという。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
シャッタースピード優先オートで撮影 ( f3.5 1/1250秒 37mm ISO125 ) 露出補正 なし
003_2304050010 X900 伊勢湾岸道 太陽光パネル G7X.jpg 3.ソーラー・パネル畑(車窓から)
これは三重県、愛知県が公募し、丸紅株式会社が事業者として選ばれ、木曽岬干拓地に建設した太陽光発電所だ。ナゴヤドーム約20個分の広さ(約78ha)の土地にたくさんの太陽光発電システムが設置されていた。太陽光パネルは約20万枚で太陽光発電量は49,155kwあるそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
シャッタースピード優先オートで撮影 ( f2.8 1/1250秒 37mm ISO400 ) 露出補正 なし
004_2304050013 X900 伊勢湾岸道 ながしま G7X.jpg 4.ナガシマスパーランド(車窓から)
伊勢湾岸道路は木曽岬の先で三重県に入る。この大きなジェットコースターがあるのは、三重県桑名市長島町浦安にある長島観光開発株式会社の運営する遊園地で、同社が形成する「ナガシマリゾート」の中核施設である。西日本有数の絶叫マシンの台数を誇り「東の富士急、西のナガシマ」と並び称されている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
シャッタースピード優先オートで撮影 ( f2.8 1/1250秒 37mm ISO160 ) 露出補正 なし
005_2304050018 X900 伊勢湾岸道 G7X.jpg 5.東名阪道(車窓から)
バスは四日市JCT.で東名阪道に入る。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
シャッタースピード優先オートで撮影 ( f2.8 1/1250秒 37mm ISO125 ) 露出補正 なし
006_2304050040 X900 名阪国道終点 天理 G7X.jpg 6.名阪国道(車窓から)
バスは亀山で東名阪自動車道から名阪国道に入り、12時40分に「天理・奈良 出口」を下りた。名阪国道というのは、いわば無料の自動車専用高速国道である。東名阪自動車道(東名阪)と西名阪自動車道(西名阪)の間に位置する日本の高規格幹線道路網を構成する道路の一つで、両端が東名阪・西名阪の両自動車道と直結した一般国道25号の自動車専用道路である。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
シャッタースピード優先オートで撮影 ( f3.2 1/1250秒 37mm ISO125 ) 露出補正 なし
007_2304050474d X900 奈良 氷室神社 Z50 Z18-140.jpg 7.奈良の到着 氷室神社
奈良に到着したバスは県庁の駐車場に入る。我々ツアー一行はベテランのツアコンさんに引率されて、奈良国立美術館の前にある氷室神社を参拝した。氷室神社の縁起は、和銅3年(710年)7月22日、元明天皇の勅命により、吉城川上流の春日山にある月日磐に氷神を奉祀し(下津岩根社)たのに始まるという。氷の神様をお祭りする神社である。ホームぺージには、冷凍、冷蔵、製氷販売業の守護神、また、冷凍、冷蔵技術の守護神とあった。春日造の一ノ鳥居が、大宮通りに面する。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
シャッタースピード優先オートで撮影  ( f3.5 1/1000秒 18mm ISO200 ) 露出補正 なし
008_2304050405d X900 奈良 氷室神社 Z50 Z18-140.jpg 8.氷室神社 表門
鳥居からまっすぐ進み、正面石段を登ると表門(四脚門)があった。wikipediaによれば、表門(奈良県指定有形文化財) は、 元々は内裏の日華門で応永9年(1402年)に現在地に移築された。寛永18年(1641年)には内裏の日華門の扉と金5枚が下賜されている。門は四脚門形式で屋根は本瓦葺、東西廊は門に接続している。狛犬は安政4年(1857年)8月に奉納され石工名不詳とのこと。ぶっとい眉毛と大きな鼻の浪速顔だそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
シャッタースピード優先オートで撮影  ( f4.0 1/1000秒 19mm ISO100 ) 露出補正 なし
009_2304050406 X900 奈良 氷室神社 Z50 Z18-140.jpg 9.氷室神社 拝殿と本殿
手前の拝殿(奈良市指定有形民俗文化財)は舞殿でもある。勾欄付きの舞楽殿でかつての南都楽所の中心部であった。本殿(奈良県指定有形文化財) は文久年間(1861年 - 1864年)再建。三間社流造・檜皮葺。本殿床下には2室があり、両開き板戸が付けられている。wikipedia参照。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
シャッタースピード優先オートで撮影  ( f3.8 1/1000秒 28mm ISO900 ) 露出補正 なし
010_2304050411 X900 奈良 氷室神社 Z50 Z18-140.jpg 10.お参り
お嬢ちゃんに着物を着せ、お参りしている女性がいた。何のお参りなのだろうか ?

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
シャッタースピード優先オートで撮影  ( f3.8 1/1000秒 25mm ISO900 ) 露出補正 なし
011_2304050413 X900 奈良 氷室神社 Z50 Z18-140.jpg 11.奈良一番桜
鳥居を入って右側に手水舎があるが、その向こうの鏡池という池の前に枝垂桜があった。このサクラは、奈良市内で一番早く咲き、奈良一番桜とも言われている枝垂桜だそうだ。他にも八重桜などの桜の木が植えられ、桜と四脚門・鏡池・参道・鳥居などの光景が素晴らしいと言われている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
シャッタースピード優先オートで撮影  ( f4.0 1/1000秒 25mm ISO100 ) 露出補正 なし
012_2304050477 X900 〇奈良 氷室神社 トキワマンサク.jpg 12.ベニバナトキワマンサク(紅花常盤万作)
桜の花の向こうに深紅の花が見えた。何だろうと思い傍に行ってみる。糸状の細い花びらの集合体が花となっている花の形状はマンサクだった。トキワマンサクの変種のようだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
シャッタースピード優先オートで撮影  ( f6.3 1/1000秒 140mm ISO3200 ) 露出補正 なし
013_2304050417d X900 奈良 氷室神社 Z50 Z18-140.jpg 13.鳥居と桜
境内側から鳥居を見ると、満開の枝垂桜があった。花は一重のようだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
シャッタースピード優先オートで撮影  ( f6.3 1/1000秒 140mm ISO3200 ) 露出補正 なし
014_2304050478 X900 〇奈良 氷室神社.jpg 14.鳥居の桜と深紅のトキワマンサク
桜の花と比べて、深紅のトキワマンサク(ベニバナトキワマンサク)の印象は際立つ。境内の警備をしていた方と話すと、あの花は何だとよく聞かれるそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
シャッタースピード優先オートで撮影  ( f5.3 1/1000秒 70mm ISO800 ) 露出補正 なし
015_2304050422 X900 奈良 南大門 Z50 Z18-140.jpg 15.東大寺南大門へ向かう
氷室神社を出て、奈良公園を歩いてみた。外国からの観光客がとても多い。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
シャッタースピード優先オートで撮影  ( f5.3 1/1000秒 72mm ISO560 ) 露出補正 なし
016_2304050425 X900 〇奈良 南大門 Z50 Z18-140.jpg 16.奈良公園の鹿
奈良公園に生息するシカは国の天然記念物に指定されている野生動物である。 飼育されている動物ではない。奈良公園に生息する鹿の数は昨年7月の調査でおよそ1200頭確認され、2021年より80頭ほど増えたという。 奈良公園の鹿は「奈良のシカ」として国の天然記念物に指定されていて、保護活動をしている「奈良の鹿愛護会」が毎年7月に鹿の数を調査している。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
シャッタースピード優先オートで撮影  ( f5.0 1/1000秒 63mm ISO400 ) 露出補正 なし
017_2304050429 X900 〇奈良 南大門 Z50 Z18-140.jpg 17.南大門 正面から
東大寺は華厳宗の大本山の寺院であり、本尊は奈良大仏として知られる盧舎那仏(るしゃなぶつ)。開山(初代別当)は良弁である。正式には金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)ともいい、奈良時代(8世紀)に聖武天皇が国力を尽くして建立した寺である。奈良時代には中心堂宇の大仏殿(金堂)のほか、東西2つの七重塔(推定高さ約70メートル以上)を含む大伽藍が整備されたが、中世以降、2度の兵火で多くの建物を焼失した。現存する大仏は、度々修復を受けており、台座(蓮華座)などの一部に当初の部分を残すのみである。また現存する大仏殿は江戸時代中期の宝永6年(1709年)に規模を縮小して再建されたものである。写真の南大門は国宝である。平安時代の応和2年(962年)8月に台風で倒壊後、鎌倉時代の正治元年(1199年)に復興されたもの。「大華厳寺」の扁額がかかっている。これは古い記録にそのような扁額があったと書かれていたことに基づき、2006年(平成18年)10月10日に行われた「重源上人八百年御遠忌法要」に合わせて新調されたものである。(wipipediaを参照)

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
シャッタースピード優先オートで撮影  ( f3.5 1/1000秒 18mm ISO400 ) 露出補正 なし
018_2304050430 X900 奈良 南大門 Z50 Z18-140.jpg 18.南大門から中門へ
東大寺「中門」は「東大寺大仏殿」の正面に建つ大きな楼門である。鎌倉時代の「大仏様」建築の傑作として知られる東大寺南大門と比較すると目立たない存在ではあるが、享保元年(1716年)頃の建立と推定される建築は、東大寺では珍しく朱色が目立つ外観となっており、重要文化財にも指定されている貴重な建築である。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
シャッタースピード優先オートで撮影  ( f5.0 1/1000秒 61mm ISO500 ) 露出補正 なし
019_2304050436 X900 奈良 奈良公園 Z50 Z18-140.jpg 19.中門へ 鹿の数が多くなる
中門は東大寺大仏殿の正面、大仏殿を取り囲む「回廊」沿いに位置するため、大仏殿にお参りするために通る正式な参入門として長らく用いられてきた。現在は大仏殿の拝観料を徴収するための受付が回廊内に設けられているため、通常時は中門から入ることはできない。2010年8月に来た時には大仏殿に入り、高さ46.8mある盧舎那仏を拝んできたが、今回は中門で失礼した。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
シャッタースピード優先オートで撮影  ( f5.3 1/1000秒 68mm ISO500 ) 露出補正 なし
020_2304050440 X900 〇奈良 東大寺 Z50 Z18-140.jpg 20.東大寺鏡池と中門と大仏殿
南大門から中門へ向かう右側に鏡池(かがみいけ)がある。鏡池に中門と大仏殿が映り込む様子は東大寺の景観のハイライトとなっている。風のない日の方がきれいに映り込む。この時は池にさざ波がたっていた。鏡池という名称は、池にある小島が取っ手のある手鏡のような形をしていることからそう呼ばれている。その小島には弁財天が祀られている。紅葉が美しいらしい。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
シャッタースピード優先オートで撮影  ( f4.2 1/1000秒 35mm ISO180 ) 露出補正 なし
021_2304050442 X900 〇奈良 奈良公園 若草山 Z50 Z18-140.jpg 21.若草山
若草山は、奈良公園の東端に位置する標高342m、面積33haの、ノシバ(日本芝の一種)に覆われた山で、山頂には、5世紀頃に築造されたといわれる史跡鶯塚古墳がある。毎年1月には、若草山焼きがある。夜空をこがす壮観さはまさに、炎の祭典というのにふさわしい行事と言われる。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
シャッタースピード優先オートで撮影  ( f5.6 1/1000秒 103mm ISO250 ) 露出補正 なし
022_2304050452 X900 〇奈良 奈良公園 Z50 Z18-140.jpg 22.中門と回廊
中門と回廊を鏡池の東側から撮った。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
シャッタースピード優先オートで撮影  ( f4.5 1/1000秒 23mm ISO100 ) 露出補正 なし
023_2304050454 X900 奈良 東大寺 Z50 Z18-140.jpg 23.大仏殿
中門から大仏殿(金堂)を眺める。正式には東大寺金堂というが、「大仏殿」の名で広く知られ、東大寺の公式ホームページでも主に「大仏殿」が使用されている。大仏殿は、1181年(治承4年)と1567年(永禄10年)の戦火で2度にわたり焼失し、現在の建物は1709年(宝永6年)に公慶(こうけい)上人によって再建され、落慶(寺社などの新築、また修理の完成を祝うこと)したもので、国宝に指定されている。天平・鎌倉の大仏殿は桁行11間(約88m)であったが、財政困難の理由で7間に規模が縮小された。それでも高さや奥行は創建時のままで、世界最大級の木造建造物である。東西 57.012m、南北 50.480m、高さ は48.742m ある。大仏殿の正面には、国宝に指定されている金銅八角燈籠が見える。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
シャッタースピード優先オートで撮影  ( f3.5 1/1000秒 25mm ISO125 ) 露出補正 なし
024_2304050463 X900 奈良 南大門 Z50 Z18-140.jpg 24.南大門 裏手(北側)から
国宝である。先に記したように、平安時代の応和2年(962年)8月に台風で倒壊後、鎌倉時代の正治元年(1199年)に復興されたもの。東大寺中興の祖である俊乗房重源が中国・宋から伝えた建築様式といわれる大仏様(だいぶつよう、天竺様ともいう)を採用した建築として著名である。大仏様の特色は、貫と呼ばれる、柱を貫通する水平材を多用して構造を堅固にしていること、天井を張らずに構造材をそのまま見せて装飾としていることなどが挙げられる。裏手からは見られないが、門内左右には金剛力士(仁王)像と石造獅子1対(重要文化財)を安置する。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
シャッタースピード優先オートで撮影  ( f3.8 1/1000秒 23mm ISO1000 ) 露出補正 なし
025_2304050464 X900 奈良 南大門 Z50 Z18-140.jpg 25.南大門 横(西側)から
戻るときに改めて南大門を眺めると修復が必要と思われるほど傷んできているようにも思えた。現在は退色しているが、本来南大門は赤い門だったそうだ。ブログで、将来の修復時にも再塗装して欲しくなく、この門には歴史を感じさせる今の古色蒼然さがとても似合っているという意見を述べている方がいた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
シャッタースピード優先オートで撮影  ( f3.5 1/1000秒 18mm ISO1600 ) 露出補正 なし
026_2304050468 X900 〇奈良 南大門 Z50 Z18-140.jpg 26.世界遺産認定の碑と鹿
奈良公園クイックガイドというページに、「鹿に鹿せんべい以外の食べ物を与えたりしないでください。鹿せんべいはすぐにあげてください。焦らすと怒ります。」と記されていた。また、いつから奈良公園に鹿が住んでいるのか?という問いには、春日大社に祀られている神様武甕槌命(タケミカヅチノミコト)が白い鹿に乗ってやってきたという伝説があり、その春日大社の祭神、武甕槌命は鹿島神社(茨城県)から神鹿に乗ってってやってきたと伝わるため、鹿は神の使いとして古くから手厚く保護されてきて、万葉集(750年)に実際に鹿がいたことが書かれているとあった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
シャッタースピード優先オートで撮影  ( f4.0 1/1000秒 32mm ISO900 ) 露出補正 なし
027_2304050481 X900 奈良県庁→興福寺 Z50 Z18-140.jpg 27.興福寺へ
興福寺へ阿修羅像を見に行くことにした。県庁まで戻り、大宮通りを左に曲がって、右側の拝観受付から国宝館へ行く途中、鹿4頭が道に飛び出して、自動車を止めてしまった。何せ、鹿は神の使いである。こういう光景はどこでも見られるのだろう。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
シャッタースピード優先オートで撮影  ( f4.0 1/1000秒 32mm ISO900 ) 露出補正 なし
028_2304050498 X900 奈良興福寺 西金堂 Z50 Z18-140.jpg 28.興福寺 中金堂
国宝館で見た阿修羅像をはじめ数々の国宝の像は、そのお顔の表情がそれぞれ豊かであり、心を癒された。2010年に奈良に来た時にも国宝館は見学したが、また、新たな印象を持った。国宝館を出て興福寺の境内を歩く。まず、新しい中金堂が目に入った。中金堂は長い寺史の中で7度の火災に遭い、1717年の大火で焼失した後は仮堂が建設されただけにとどまっていた。今回は300年ぶりの復興となる。創建1,300年となる2010年(平成22年)に中金堂再建工事が着工され、2017年(平成29年)、翌年に中金堂が完成するのを見越し仮金堂内の諸仏を早くも中金堂に移し、今見る中金堂は、2018年(平成30年)10月に9代目の中金堂として落慶した。コロナ感染防止のため内部の拝観はできなかった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
シャッタースピード優先オートで撮影  ( f3.5 1/1000秒 18mm ISO180 ) 露出補正 なし
029_2304050490 X900 奈良興福寺 東金堂 Z50 Z18-140.jpg 29.東金堂
応永22年(1415年)再建された。5代目である。1952年(昭和27年)3月29日、文化財保護法に基づく国宝に指定されている。東金堂は神亀3年(726年)、聖武天皇が伯母にあたる元正上皇の病気平癒を祈願し、薬師三尊像を安置する堂として創建された。治承4年(1180年)の兵火による焼失後、文治3年(1187年)、興福寺の僧兵・東金堂衆は飛鳥の山田寺(現・奈良県桜井市)にあった天武天皇14年(685年)に蘇我倉山田石川麻呂の冥福を祈って造立されたものと思われる講堂の本尊・薬師三尊像を強奪し、それを新たな東金堂の本尊として安置した。東金堂はその後、応永18年(1411年)に五重塔と共に焼け、現在の建物は応永22年(1415年)に再建された室町時代の建築である。様式は、唐招提寺金堂を参考にした天平様式。平面規模は、創建時の堂に準じている。木造維摩居士坐像(国宝)、木造文殊菩薩坐像(国宝)、木造四天王立像(国宝)、木造十二神将立像(国宝)、銅造薬師三尊像(重要文化財)が安置されている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
シャッタースピード優先オートで撮影  ( f5.0 1/1000秒 57mm ISO720 ) 露出補正 なし
030_2304050492 X900 奈良興福寺 南円堂 Z50 Z18-140.jpg 30.興福寺 南円堂 日本で最大の八角堂
弘仁4年(813年)藤原冬嗣が父 内麻呂追善の為に建てた。 基壇築造の際には地神を鎮めるために、和同開珎や隆平永宝を撒きながら版築したことが発掘調査で明らかにされた。また鎮壇には弘法大師が係わったことが諸書に記されている。不空羂索観音菩薩像を本尊とし法相六祖像、四天王像が安置されている。創建以来四度目の建物で、寛保元年(1789年)に再建された。江戸時代の建物といっても、その手法はきわめて古様で、鎌倉初期の再建だが、興福寺に残る最も古い建築物である美しい八角形の北円堂を参考にしたと考えられる。南円堂のすぐ北側にある北円堂を見過ごしてしまったのが残念だった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
シャッタースピード優先オートで撮影  ( f3.5 1/1000秒 18mm ISO560 ) 露出補正 なし
031_2304050495 X900 奈良興福寺 南円堂 Z50 Z18-140.jpg 31.金銅灯篭
南円堂正面におかれた高さ236cmの金銅製の灯篭で、南円堂が建立された平安時代から現存するのはこの灯篭のみだそうだ。弘仁7年(816年)に藤原氏の一門が寄進したことが判明している。現存する灯篭では東大寺大仏殿の正面に立つ国宝「八角灯篭」に次いで古く、現在は国宝館に収蔵されているが、南円堂前にはそのレプリカが据えられている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
シャッタースピード優先オートで撮影  ( f3.8 1/1000秒 27mm ISO800 ) 露出補正 なし
032_2304050505 X900 奈良興福寺 五重塔.jpg 32.興福寺 五重塔
興福寺の五重塔は、730年(天平2年)に光明皇后の発願で創建された。初層の東に薬師浄土変、南に釈迦浄土変、西に阿弥陀浄土変、北に弥勒浄土変を安置し、各層には水晶の小塔と垢浄光陀羅尼経が安置されていたという。現在の塔は、1426年(応永33年)の再建で国宝である。初層の須弥壇には、東に薬師三尊像、南に釈迦三尊像、西に阿弥陀三尊像、北に弥勒三尊像が安置されている。なお、大規模修理に向けた調査が進む興福寺の国宝五重塔で、修理現場を覆う「素屋根」の設置が始められる。2023年7月から設置し始め、30年3月には修理工事が終わる予定だ。今回見ることができて幸いだった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
シャッタースピード優先オートで撮影  ( f5.0 1/1000秒 56mm ISO6400 ) 露出補正 なし
033_2304050045 X900 奈良町 G7X.jpg 33.ならまち
ホテルには4時過ぎに入った。今夜の夕食は各自でとることになっている。ホテルの方に、どこかちょっとお酒が飲めて、食べられるところで良いところはないかと相談したところ、2軒ほど教えてもらえた。まだ、時間は早いので、少し町を歩いてみようと外に出た。「ならまち」とは奈良の旧市街地で、特に元興寺や興福寺の門前町だった奈良時代に始まり、その後も発展を続け、近世以降は奈良を代表する商業地となったあたりをいうそうだ。戦後は駅周辺の開発とともに閑静な住宅地に変わっていったが、1980年代に町並み保存の機運が高まり、現在に至っている。奥深い魅力を持つ町だという。こんなアーケードの商店街もあったが、観光客の姿は少ない。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
シャッタースピード優先オートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO1250 ) 露出補正 なし
034_2304050047 X900 奈良町 G7X.jpg 34.古美術店
ちょっと雑然としたところもあるのだが、新しい感覚のカフェなどに混じって、こんな優雅な店もあった。ホームページを見ると、「初代より大和古物(仏教美術・南都漆器)、一刀彫、古赤膚焼を扱っております。現在では、三代、四代、五代目の三人により、茶道具。日本画、現代作家(人間国宝中心)鑑賞陶器など多岐にわたって取り扱っております。是非一度お立ち寄りください。」とあった。ここは西寺林町である。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels

シャッタースピード優先オートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO800 ) 露出補正 なし
034+_2304050513 X900 〇奈良興福寺 Z50 Z18-140.jpg 34+.興福寺三重塔ライトアップ
1枚追加。近くで夕食を終え、ホテルに戻ると、窓から興福寺の三重塔がライトアップされているのが見えた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
シャッタースピード優先オートで撮影  ( f6.0 1/20秒 120mm ISO6400 ) 露出補正 なし

2022年4月11日

高野山 墓参 3月28日

3日目。娘は昨日、仕事で東京へ戻ってしまったが、娘の主人が私たちの高野山墓参に付き合ってくれた。私の兄が存命の頃は、3年に1回、親族が高野山に集まる機会があったが、9人いた父親の兄弟も高齢になり、その集まりも終了した。
 その後も数年に1回、父母、兄夫婦の眠る高野山へお墓参りに来ている。前回来たのは2018年11月だったので、3年と4か月ぶりの墓参になった。
 京阪電車、祇園四条駅発6時37分の特急に乗り淀屋橋で地下鉄御堂筋線に乗り換え難波へ出た。南海高野線の特急こうや号は8時42分発だ。駅構内でカフェに入りモーニングセットを食べたが、なかなか美味しかった。
 特急こうや号の車両は新しくなっていた。(ところが後で調べてみたところ、実は30年前に造られた車両だった)終点の極楽橋から高野山へ上るケーブルカーも新型の車両になっていた。難波駅で購入した特急券に高野山でのバスのフリー切符が付いていたので、ケーブル高野山駅からバスに乗り、まず、菩提寺である恵光院へ行った。今日は月曜日で観光客は少ない。
 恵光院の本堂で位牌にお参りした。過去帳には私がお参りした記録も残されている。  家内が昨年10月にアキレス腱を損傷し、歩行が完全ではないので、いつもは歩いて石畳の杉並木を歩き、中の橋のちょっと手前にある先祖代々の墓にお参りするのだが、今回は恵光院でタクシーを呼んでもらい、中の橋のバス停まで乗って行った。そこから、杉並木の奥の院参道に戻り、その中の橋の近くにある墓にお参りした。  杉並木の石畳を歩き、再び恵光院に戻り、タクシーを呼んでもらう。娘の小学校の同級生の母親で、家内と今も付き合いのあるかたの、若くして亡くなられた息子さん(娘の同級生)の菩提寺、正智院まで行ってお参りしてきた。
 本堂でお参りしたあと、その庭園と襖絵、掛軸など寺の素晴らしい所蔵品を見せていただいた。正智院の記述については、平成29年7月7日に発行された「霊訪館だより」に鳴海祥博氏が書かれている「高野山の古建築 第27回 正智院」を参照させていただいた。
 今回は奥の院も、金剛峯寺にもお参りはしなかった。  午後1時半になった。高野山駅へ行くバスの停留所の近くの食堂に入りそばを食べ昼食にした。この季節、高野山は肌寒い。桜もまだ咲いていない。朝早かったこともあり少々疲れた。
 帰りの特急こうや号は、15時39分迄ない。新大阪に着いたのは夕方6時近かった。

000_220328441 X700 〇高野山 中の橋 Z50 18-140.jpg
高野山参道 奥の院への杉並木 2022年3月28日 和歌山県

001_220328065 X800 南海高野線 G7X.jpg 1.特急こうや号 車内
この日は月曜日であり、電車はガラガラだった。南海高野線のこうや号はJR和歌山線(王寺~和歌山)と接続する橋本駅から先は勾配が大きく、単線になる。橋本駅 -極楽橋駅間は「こうや花鉄道」の愛称が付けられ、特に高野下駅以南は50‰の勾配、制限速度33km/h、半径100m以下の急カーブが続く登山鉄道となっており、21m級の車両は走行できないため、この区間に乗り入れる列車にはズームカーと呼ばれる17m級の中型車両のみが使用されている。(wikipediaを参照)

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
002_220328072 X800 南海高野線 極楽橋駅 G7X.jpg 2.高野山ケーブル
南海高野線の終点極楽橋駅から霊峰高野山の玄関口であるケーブル高野山駅までを結ぶ、南海電気鉄道のケーブルカー路線は通称高野山ケーブルと呼ばれるが、前回来たときに比べると車両が新しくなったようだ。2018年(平成30年)11月26日 - 2019年(平成31年)2月28日:車両の新造ならびに諸設備の更新工事実施のため運休し、その間バスで代行され、2019年(平成31年)3月1日:運行再開。車両は新造の4代目のN10・20形に置き換えられたそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/800秒 37mm ISO3200 ) 露出補正 なし
003_220328493 X800 高野山 恵光院 本堂 Z50 18-140.jpg 3.恵光院本堂 外観
ケーブルの高野山駅からバスに乗って苅萱堂前で下り、まず、菩提寺である恵光院へ行った。高台にある本堂へ上がり、位牌に参拝する。この本堂は平成3年に近藤説巌上綱により再建された。昨年、第53世近藤大玄上綱が亡くなられ、現在は近藤説秀さんが住職を務められている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 40mm ISO160 ) 露出補正 なし
004_220328080 X800 恵光院 本堂 G7X.jpg 4.恵光院本堂 内部
若いお坊さんが過去帳を開いてくれた。そして、お祀りされていた位牌をご本尊様の仏像の前に配してくれたので、お参りする。ご本尊様は、中央に阿弥陀如来、向かって右に弘法大師、左に不動明王が祀られている。左手に置かれているのは、昨年亡くなられた近藤大玄上綱のお写真。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f2.5 1/320秒 15mm ISO3200 ) 露出補正 なし
005_220328082 X800 恵光院 G7X.jpg 5.恵光院 玄関から本堂への廊下
恵光院は宿坊をしており、今はコロナ禍で泊る人も少ないだろうが、世界遺産に登録された後、外国人の客が多いようで、案内板に英語が添えられていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO800 ) 露出補正 なし
006_220328439 X800 高野山 中の橋 Z50 18-140.jpg 6.写真業界先賢萬霊の碑
中の橋バス停から、大きな杉の木の立ち並ぶ奥の院への石畳の参道へと歩く途中に、写真業界先賢萬霊の碑というのがあった。昭和31年(1956年)6月1日建立。たくさんの写真が焼き付けられている。写真業界先賢萬霊の碑と彫られた石碑の形はブローニー版のパトローネの様だ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 40mm ISO100 ) 露出補正 なし
007_220328447 X800 〇高野山 中の橋 Z50 18-140.jpg 7.中の橋
昭和27年に第二次世界大戦の戦死者を供養するために建てられた、英霊殿を背にして歩いてくると、右は奥の院弘法大師御廟、左は一の橋という案内板が立つ大きな杉の木の建ち並ぶ奥の院への石畳の参道に出る。この日は奥の院へお参りするのを割愛させていただき、墓参を優先させて左に行く。中の橋が見えてきた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 40mm ISO100 ) 露出補正 なし
008_220328449 X800 〇高野山 中の橋 姿見の井戸 Z50 18-140.jpg 8.姿見の井戸
中の橋を渡る手前の橋詰に汗かき地蔵をお祀りしているお堂があるのだが、 このお堂の右側に姿見の井戸と呼ばれる小さな井戸がある。 この井戸を覗きこんで、自分の顔が映らないと3年以内に死んでしまうといわれているのだそうだ。覗き込んでみた。映った。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO3200 ) 露出補正 なし
009_220328451 X800 〇高野山 中の橋 汗かき地蔵 Z50 18-140.jpg 9.汗かき地蔵
汗かき地蔵の説明板には、「汗かき地蔵は、常に人々の犯した罪に苦しみ、その苦しみを慈悲によって変わって受け、そのため汗を流しておられると言われています。黒っぽい石材に地蔵尊が半肉彫りされていて、実際にツユが吹いて汗が流れているように見えるときがあるようです。」と記されていた。高野山に伝わる伝承としては、奥の院への参拝者を含めた世の中全ての人々の罪を一身に背負って、代わりに汗をかいていると言われているそうだ。そしてこの地蔵堂と中の橋の向こうに、私の先祖代々の墓がある。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 24mm ISO720 ) 露出補正 なし
010_220328452 X800 高野山 中の橋 Z50 18-140.jpg 10.市川団十郎墓所
中の橋から一の橋へ参道を下がっていくと、市川団十郎の墓所があった。 「初代市川團十郎供養塔」と表示されている資料(「高野山奥の院の墓碑を訪ねて」)があるという。市川團十郎と云えば、約350年も続いているという成田屋の市川宗家であり、元禄17年(1704年)没。舞台上で役者に刺殺されたといわれている。初代が最初に眠っていた墓は、東京都港区芝公園にある常照院とされ、初代から七代目までは常照院に墓があったそうだ。九代目の市川團十郎は宗派を神道に改宗したために、亡くなった後はその公営の墓地がある青山霊園に建立された。今までの歴代團十郎が眠っていた墓地を青山霊園に移す事となり、歴代の團十郎は青山霊園で合墓となったという。では、この写真の市川団十郎墓所というのは何なのだろうか。放置されて荒れているようにも見えるが。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 24mm ISO800 ) 露出補正 なし
011_220328469 X800 〇高野山 中の橋-一の橋 Z50 18-140.jpg 11.杉並木の石畳
一の橋から奥の院御廟までの参道約1.6kmの両側にそびえ立つ樹齢約200年~600年の大杉林は、和歌山県の天然記念物に指定されている。大杉の総数は1300本を数え、樹高50m級の巨木もある。なかでも樹形材質共に優れた樹木を保存し、優良な種子穂木を確保する目的で農林水産大臣が法律に基づき、特別母樹林に指定している。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 28mm ISO450 ) 露出補正 なし
012_220328472 X800 高野山 中の橋-一の橋 Z50 18-140.jpg 12.明智光秀墓所
私が知っている明智光秀の墓は、2020年11月に訪れた滋賀県大津市坂本にある西教寺である。NHKの大河ドラマにもある。しかし、一説に、本能寺の変のあと、山崎の合戦で討ち死にしたのは影武者であり、光秀は中洞(岐阜県山県市中洞)に落ち延びて荒深小五郎と名乗り、住んでいたと伝えられていて、その後、慶長5年(1600年)、関ケ原の合戦に参戦しようとした道中、増水した藪川(根尾川)で馬共に流されて亡くなったとされているそうだ。中洞白山神社の林の中に光秀の墓とされる「桔梗塚」があり、現在まで地元の荒深氏一族によって大切に守り続けられ、年に2回供養祭が行われているそうだ。では、ここ高野山の墓所は何なのだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO250 ) 露出補正 なし
013_220328475 X800 高野山 中の橋-一の橋 Z50 18-140.jpg 13.石田三成墓所
すぐ近くに石田三成の墓があった。石田三成の墓は京都市の大徳寺三玄院にあるが、江戸時代は、徳川家が三成の墓を許さなかったようである。このため三成の墓は、土に埋められ、世の中に顔を出さなかっというが、戦前にはその墓が発掘されて遺骨も出土しているそうだ。高野山の墓は生前に長命祈願のために自身が建てた「逆修墓」だという説がある。なぜ、高野山にはこのような戦国武将の墓があるのだろうか。 和歌山歴史物語というサイトには、中には武田信玄、上杉謙信、織田信長、豊臣秀吉、伊達政宗といった戦国武将の墓もある。 これは高野山、しいては空海のそばで眠りたいとの先人たちの願いがこめられているという。高野山への納骨の風習は鎌倉時代から始まり、墓石として石造りの五輪塔が登場したのが室町時代末期。現在は江戸時代初期造立の諸大名の五輪塔が墓石群の中核となっている。これは徳川家康が高野山を墓提所と定めたため、諸大名がこぞって高野山に墓石を建てたことが大きな要因。結果、大名家の墓は110家にもおよび、その数は全国大名の約40%を占めるという。「高野山で眠りたい」という願いは一般庶民も同じ。そこで、素朴でこじんまりとした一石五輪塔を奉って願いを叶えたのだ。ほかに、織田信長、豊臣一族、明智光秀ら多くの戦国武将の墓も。皇族、貴族、大名、一般庶民と、生前の所業や敵味方は死後は一切関係なし。すべての人を等しく受け入れるのは高野山の懐の深さか。しかし、私の祖先が、なぜ高野山に墓所を持つことが出来たのだろうか? 菩提寺である恵光院の当時のご住職と、コネがあったからだと聞いたことがあるが、それ以上のことは次男坊の私にはわからない。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO250 ) 露出補正 なし
014_220328485 X800 〇高野山 中の橋-一の橋 Z50 18-140.jpg 14.陽の光が差し込む杉並木
戦国大名の墓を見ているうちに一の橋が近くなった。差し込む陽の光に杉並木が生える。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.8 1/500秒 47mm ISO900 ) 露出補正 なし
015_220328554 X800 〇高野山 正智院 Z50 18-140.jpg 15.正智院
若くして心臓病で急逝した娘の小学校時代の同級生が眠る正智院に寄った。母親同士が、その頃から今もお付き合いが続いている。正智院は、壇上伽藍の北側の奥にある静かなところだ。正智院は、天平年間(1110年~1113年)に正智坊教覚によって開基され、その中興の学僧・道範大徳は高野八傑のひとりであり、聖僧・学僧等が相次いで傑出し高野山でも屈指の学問寺院として、その法灯を守り続けた寺院という。筑前の黒田家、薩摩の島津家の帰信が厚い。本尊は阿弥陀如来。有名な国宝文館詞林 、不動明王、五銛鈴その他仏像、仏画・典籍を多数所蔵されている。岩山を背景に枯山水の庭園、客間の襖絵などを見せていただいた。ご住職がとても立派なお方だった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO250 ) 露出補正 なし
016_220328495 X800 〇高野山 正智院 本堂 Z50 18-140.jpg 16.正智院 本堂
ご住職にご挨拶して、まず御本堂でお参りをした。本堂は大楽院というお寺の本堂を移築したものだそうだ。そのため、右手の一段高い内陣の奥に大楽院の本尊が、左手の奥に正智院の本尊が祀られている。中は非常に暗かった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/8秒 18mm ISO6400 ) 露出補正 なし
017_220328498 X800 高野山 正智院 庭園 Z50 18-140.jpg 17.正智院の庭
実は前回、2018年11月にも正智院に参拝している。その時は紅葉の頃だったので鮮やかだったが、今の季節はちょっと殺風景なのは仕方がない。この庭は、重森三玲が作庭した苔と岩肌の美しい枯山水庭園で国登録名勝になっている。写真は庭のごく一部。いい写真が撮れなかった。昭和27年(1952年)に重森三玲が水墨画水面的な発想を基に作庭した。庭の正面に大きな岩山があるが、この「影向岩」(明神岩とも呼ばれる)という巨大な岩は道範大徳がこの場所で明神様(影向明神・高野明神)を感得したことから名づけられたと言われている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO200 ) 露出補正 なし
018_220328510 X800 〇高野山 正智院 美術品 Z50 18-140.jpg 18.正智院の客殿
正智院の客殿は広くて立派だった。大きな客殿は襖で仕切られ、襖を開けば連続した座敷になる。庭園に面した客間の襖絵は谷文晁や、名のある絵師によって描かれている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/60秒 18mm ISO6400 ) 露出補正 なし
019_220328521 X800 〇高野山 正智院 美術品 Z50 18-140.jpg 19.正智院の大広間の襖絵 -1
部屋を取り囲むように、広間の襖に、正智院の枯山水の庭が描かれていた。ご住職が説明してくださったのだが、撮影に夢中になり、作家の名前を覚えておくことが出来なかった。襖絵には庭の春夏秋冬が描かれ、庭の正面の大きな岩山「影向岩」に降り立つ白い束帯姿の影向明神が描かれている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/160秒 18mm ISO6400 ) 露出補正 なし
020_220328522 X800 高野山 正智院 美術品 Z50 18-140.jpg 20.正智院の大広間の襖絵 -2
明神様の左側が描かれている。部屋の広さが推し量れる。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/125秒 18mm ISO6400 ) 露出補正 なし
021_220328525 X800 高野山 正智院 美術品 Z50 18-140.jpg 21.正智院の大広間の襖絵 -3
さらにひとつ襖をあけて下さり、見せていただいたのは、庭の秋が描かれた襖画だった。そして右側の襖に冬が描かれている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/125秒 18mm ISO6400 ) 露出補正 なし
022_220328543 X800 〇高野山 正智院 美術品 Z50 18-140.jpg 22.正智院 円山応挙の掛軸
右下に「應擧」の銘が見られる。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/100秒 24mm ISO6400 ) 露出補正 なし
023_220328570 X800 高野山 壇上伽藍 金堂 Z50 18-140.jpg 23.根本大塔と八角灯篭
正智院のお参りを終え、根本大塔の後ろ側から壇上伽藍に上がった。何回も高野山に来ているが根本大塔の内部に入ったことはなかった。今朝、難波駅で購入した特急こうや号の「高野山・世界遺産きっぷ」に、高野山内バスのフリー切符のほかに根本大塔の入場割引券が付いていたので、入って見ることにした。wikipediaによれば、根本大塔は何度かの焼失の後、現在の塔は1937年(昭和12年)に空海入定1100年を記念して再建したもので1階平面が方形・2階平面が円形の鉄筋コンクリート造の16間(約30m)四面・高さ16丈(約50m)の2層の多宝塔である。中尊(左右に脇立を従えて、中央に安置される仏像)は、丈六(立像のたけが一丈六尺=約5m ある仏像。座像では、その半分の高さの仏像)の胎蔵大日如来坐像、その中尊を取り囲むように、四方に金剛界四仏の、阿閦・宝生・阿弥陀・不空成就の4如来を安置し、本来別々の密教経典に説かれている「胎蔵曼荼羅」の仏像と「金剛界曼荼羅」の仏像を一緒に安置するが、これは「金胎不二(こんたいふに)」の教えで、両者は不二一体である(根本的には1つ)という空海の思想を表したもので、堂内そのものが立体曼荼羅となっている。また塔内の柱16本には、十六大菩薩画像、壁面には真言八祖画像が堂本印象画伯によって描かれている。そして内部正面の梁には昭和天皇宸筆の勅額「弘法」が掲げられている。内部は撮影禁止であった。根本大塔の前にある「八角燈籠」は東大寺大仏殿の金銅八角燈籠(国宝)とよく似ている。楽器(横笛、尺八、鈸子、笙)を奏する音声菩薩(おんじょうぼさつ)が、鉄格子と唐草文様の透かしに浮彫で表されている。これは根本大塔の再建を記念して南海電鉄が奉納したものだそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 29mm ISO220 ) 露出補正 なし
024_220328566 X800 高野山 壇上伽藍 御影堂 Z50 18-140.jpg 24.御影堂(みえどう)
私はこの建物の姿は美しいと思う。御影堂は金堂の北側、根本大塔の西側にある。wikipediaによれば、御影堂は大師の持仏堂として創建され、天保14年(1843年)の大火で消失し、弘化4年(1847年)再建、梁間15.1mの向背付宝形造檜皮葺。空海の弟子の真如親王筆とされる弘法大師御影を本尊とし、外陣には空海十大弟子の肖像が掲げられている。堂の背後には、土蔵造りの御影堂宝蔵があり、かつては数々の霊宝や貴重な文書を保管する金庫や宝物庫としての重要な役割を果たした。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO280 ) 露出補正 なし
025_220328590 X800 高野山 壇上伽藍 Z50 18-140.jpg 25.壇上伽藍入り口
いつもはここから根本大塔の方へ歩いて行くが、今回はここから出てきた。秋には道の両側の紅葉がきれいだ。壇上伽藍へ通じるまっすぐなこの道を蛇腹道と言い、高野山では紅葉のスポットとして有名である。蛇腹道という由来は、高野山全体の寺院の並びを、蛇に見立てた時、ちょうどこの壇上伽藍に通じる蛇腹道が、蛇のお腹のあたりなるので「蛇腹道」の名前が付されたという。それにしてもこの日は観光客が少ない。こんな静かな高野山は初めてだった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 42mm ISO220 ) 露出補正 なし
026_220328593 X800 高野山 壇上伽藍 Z50 18-140.jpg 26.金剛峯寺
今回は金剛峯寺は参拝しないで失礼した。金剛峯寺は弘法大師が金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経の真意に基づいて名付けられた高野山の総称だったが、現在は高野山弘法大師御廟を信仰の中心として結成された高野山真言宗3600寺、信徒1千万人の総本山の名称として知られる。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 42mm ISO320 ) 露出補正 なし
027_220328096 X800 ケーブル高野山駅 G7X.jpg 27.ケーブル高野山駅
千手院橋バス停の傍で簡単に昼食をとり、バスに乗ってケーブル高野山駅へ向かった。極楽橋からの特急こうや号に接続するケーブルまで1時間ほど待たされることになった。帰りの切符は買ってなかったので、購入し、駅舎の外へ出てみた。駅の標高は867m。1930年(昭和5年)に高野山電気鉄道鋼索線開通と同時に開業し、2015年にリニューアルされている。国の登録有形文化財に登録されている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1250秒 13mm ISO125 ) 露出補正 なし
028_220328103 X800 ケーブル極楽橋駅 G7X.jpg 28.ケーブル極楽橋駅の天井
ケーブルカーが高野線に接続する極楽橋駅は2020年7月にリニューアルされていた。和歌山経済新聞に記事によると、駅名になった朱塗りの「極楽橋」は、高野山の聖域と俗世を区切る結界とされることから「はじまりの聖地、極楽橋」をコンセプトに、高野線側コンコースを「俗世」、ケーブルカー側コンコースを「聖域」に見立て、改装されている。南海高野線側コンコースは黒を基調とし、「いのちのはじまり」をテーマに極楽鳥や高野山ゆかりの動植物など約50種を天井画にした。写真のケーブルカー側コンコースは赤色と白色で構成する「宝来」と呼ばれる切り絵をモチーフに、極楽鳥や干支、縁起物が天井に描かれている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
029_220328106 X800 〇ケーブル極楽橋駅 G7X.jpg 29.極楽橋駅に並んだ特急車両
改札がはじまって南海高野線のホームへ行くと、特急電車の車両が並んでいた。一番右側に見えるのが、来るときに乗ってきた最新の車両で、と言っても1992年11月から運用されている31000形。真ん中は1983年年5月に3代目「こうや」として誕生した30000形。左が橋本ー極楽橋の「天空」で高野線で1969年から運用されている2200系だ。一番新しい31000形でも今から30年前にできた車両だが古さを感じさせない。無事、新大阪から「ひかり」に乗って新横浜に着いたのは夜9時少し前だった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO160 ) 露出補正 なし


2020年9月19日

南房総館山へ一泊旅行敢行(1) 海ほたる→富津岬→鋸山→館山 9月9日

先月、毎年ご一緒に旅行をしているKご夫妻からお誘いをいただき、南房総の館山へ一泊旅行をすることになった。今回はそれぞれの車で行くことにした。もちろん三密を避け、手指のアルコール消毒、マスクの着用は励行する。
 第1日目は「海ほたる」で10時に待ち合わせた。良く晴れているが、湿度が高く暑い。ここから、一応、Kさんの車をフォローしていくことにするが、間に車が入ったり、信号が変わって無理に交差点に進入してしまうことを避け、お互いカーナビに次の目的地=合流点を入れて出発する。次の目的地は富津岬だ。
 富津岬から、館山自動車道を鋸南保田ICでおり、廃校を利用した道の駅「保田小学校」で昼食にした。夕食は海鮮料理なので、「Pizzeria DA Pa GONZO」でピッツァを食べたが、なかなか美味かった。
 保田から少し戻って、鋸山のロープウェイ乗り場へ行く。Kご夫妻は鋸山は行かれたことがあるとのことだったが、私たちのために、案内いただくことになり、感謝である。女性2人をケーブルカーの鋸山山頂駅に残し、男性2人で山頂展望台 「地獄のぞき」と「百尺観音」まで登ったが、暑さの中、その石段はきつかった。そのまま、歩いて日本寺(にほんじ)の大仏へも行けるのだが、時間もかかるので、計画から外し、再びケーブルカーで下りて、車で館山観光自動車道を大仏の下の駐車場に車を入れた。大仏は建立されたものではなく、彫られたものだったが、鎌倉、奈良の大仏を凌ぐという大きさだった。
 4時半過ぎに宿に到着した。思いがけず 「Go To トラベル」の対象になったのはラッキーだった。ひと風呂浴びて汗を流し、伊勢エビのお造りなど、海の幸を満喫した。

1.「海ほたる」川崎側
Kさんご夫妻とは、午前10時に「海ほたる」の「犬」のオブジェがあるところで待ち合わせた。ところが「亀」はいたが「犬」は見つからなかった。(後でネットで調べて見たら、地球儀のオブジェのある甲板に数匹の犬のようなオブジェがあったようだ) 川崎側に「川崎人工島  風の塔」が見える。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/1250秒 11mm ISO125 ) 露出補正 なし  
001_200809005 X800 海ほたる G7X.jpg
2.「海ほたる」木更津側
木更津側からは「海ほたる」がアクアライントンネルへの入り口になっている。ここから木更津までは海の上を走る。 

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/1000秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
002_200909089 X800 海ほたる RX10M4.jpg
3.モーターボート
一艘のモータボートがどんどん近づいてきた。よく見ると舳先に釣り竿らしきものが2本見える。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 203mm ISO100 ) 露出補正 なし
003_200909099 X800 海ほたる RX10M4.jpg
4.富津岬展望台
カーナビの誘導でアクアラインを出て、湾岸道路/国道16号を富津公園へ行く。東京湾に向かって約5km突き出た砂嘴が富津岬だ。その砂嘴は富津公園 になっていて、その先端に写真の富津岬展望台(明治百年記念展望塔)がある。てっぺんまで登ったが、東京湾の見晴らしは素晴らしかった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 14mm ISO100 ) 露出補正 なし
004_200909134 X800 富津岬 RX10M4.jpg
5.ウインドサーフィン
展望台の途中から君津の方向を眺めると、ウインドサーフィンを楽しむ人がいた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1000秒 67mm ISO100 ) 露出補正 なし
005_200909102 X800 富津岬 RX10M4.jpg
6.釣り人
大きな駐車場の先の堤防で釣りを楽しむ人もいた。向こうに見えるのは富津火力発電所で、液化天然ガス(LNG)を輸送するLNGタンカーが停泊している。大型の低温断熱タンクを船体内に複数備えており、内部には極低温のLNGが充填されるという。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 147mm ISO100 ) 露出補正 なし
006_200909132 X800 富津岬 RX10M4.jpg
7.富津干潟とレインボーブリッジ
潮が引き始めているようで、横浜方面を背景にした富津干潟に砂地がが見える。大潮の干潮の時は、美しい遠浅の楽園に変わるそうだ。この富津岬北側の富津干潟は日本の重要湿地500の指定地に含まれるそうだ。  

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1000秒 106mm ISO100 ) 露出補正 なし
007_200909105ms X800 富津岬 RX10M4.jpg
8.富津岬展望台から見る富津岬
富津岬展望台の上から、今通ってきた富津岬を見る。 富津岬は約6km離れた東京湾対岸の三浦半島観音崎とともに東京湾内湾と浦賀水道を区切る境界となっている。岬の北側(写真左側)では内湾の静かな波打ち際に174haの富津干潟と称される干潟を形成し、南側では外洋の荒波に対する防波堤の役割を果たしている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
008_200909108 X800 富津岬 RX10M4.jpg
9.富津岬の南側
富津干潟側の穏やか波と比べると、海岸に打ち寄せる波は白波が立っている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/1000秒 132mm ISO100 ) 露出補正 なし
009_200909119 X800 富津岬 RX10M4.jpg
10.第一海堡
富津岬から、空気が澄んでいれば富士山が見えるという横浜の方向を眺めると、第一海堡跡が見える。wikipediaなどによれば、1882年(明治15年)以後、富津洲は大日本帝国海軍の軍用地となり、沖合に第一海堡と呼ばれる人工島(1881年8月起工、1890年12月完成)が築かれた。富津市に属する。富津岬の沖合いすぐに位置し、面積は約23,000㎡。東京湾要塞の海堡として最初に運用が開始された。第二次世界大戦後に日本を占領下に置いた連合国軍により、要塞無力化のために現在は中央部が破壊されている。 1889年8月起工、1914年6月完成した 第二海堡は第一海堡の左側に、富士山を挟んで沖合に見えるはずだが、捉えられなかった。第二海堡は戦後は海上保安庁によって灯台が設置され、さらに1977年からは海上災害防止センターの消防演習場として利用されている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 110mm ISO100 ) 露出補正 なし
010_200909106 X800 富津岬 RX10M4.jpg
11.横浜みなとみらい
距離にして20km弱はあるだろうか、横浜のみなとみらいが見える。本牧ふ頭あたりだろうか、飛鳥Ⅱ(日本郵船 総トン数‎: ‎50,444t)が停泊しているのが見える。その左側奥の半円形の建物はホテルパシフィコだ。ランドマークタワー、ベイブリッジは画面の右側に外れてしまったようだ。  

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/1000秒 220mm ISO100 ) 露出補正 なし
011_200909117 X800 富津岬 みなとみらい遠望 RX10M4.jpg
12.道の駅「保田小学校」
富津中央ICから館山自動車道に上がり、終点から富津館山道路に入って、鋸南保田ICで下りる。そこからほど遠くないところに道の駅「保田小学校」があった。創立126年の歴史があり、2014年に廃校になった小学校が2015年に道の駅として生まれ変わった。昼食はここでと予定していた。房州石の石窯で焼くピッツァ専門店「Pizzeria DA Pa GONZO」で昼食にした。宿泊施設もある。 赤いフヨウの花がきれいに咲いていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/1250秒 10mm ISO125 ) 露出補正 なし
012_200809030 X800 保田小学校 G7X.jpg
13.ピッツァの MENU
「Pizzeria DA Pa GONZO」の月替わりピッツアのメニュが面白い。 

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/800秒 32mm ISO3200 ) 露出補正 なし
013_200809019 X800 保田小学校 G7X.jpg
14.鋸山ロープウェイ
私たちは行ったことがないので是非行って見たいと、コースに加えていただいた鋸山のロープウェイ山麓駅の駐車場に着いたのは、1時半だった。乗車定員40人のカゴに15人ほどの観光客が乗り込んだ。全長680m、高低差223m、所要3分20秒である。1962年12月に竣工している。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO320 ) 露出補正 なし
014_200909137 X800 鋸山 RX10M4.jpg
15.鋸山ロープウェイ山頂駅からの展望
鋸山ロープウェイ山頂駅に設けられた展望台から金谷の街を見下ろす。金谷港からは横須賀港へ東京湾フェリーが運航されている。東京湾フェリーは、東京湾の入口にあたる浦賀水道を横断し、三浦半島と房総半島を約40分で結んでいる。鋸山の正式な名称は乾坤山(けんこんざん)という。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 11mm ISO100 ) 露出補正 なし
015_200909140 X800 鋸山 RX10M4.jpg
16. 地獄のぞき
ケーブルカーの山頂駅から鋸山(標高329.4m)の頂上付近にある展望台「地獄のぞき」まで往復すると40分くらいかかる。女性2人はロープウェイの頂上駅で待っているというので、Kさんと2人で、「地獄のぞき」と「百尺観音」まで行って戻ってくることにしたが、石段と大きな石がゴロゴロした坂道が続き、楽ではなかった。汗びっしょりである。鋸山全体が日本寺 の境内になっている。「地獄のぞきき」の突き出た岩はライオンの横顔のように見えた。「地獄のぞき」は、山頂展望台の通称だ。石切場跡の絶壁の上に下方前傾に突き出した岩盤上から約100メートル下を望むことができる。 

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
016_200909145 X800 鋸山 RX10M4.jpg
17.百尺観音
「百尺観音」は、鋸山山頂の一角、金谷下山口(北口管理所)にあった。昭和41年に6年の歳月を費やして完成した巨大な磨崖仏で、高さ100尺(約30m)というのが、その名の由来である。凝灰岩からなる鋸山の大半が、その霊域となっている日本寺であるが、一歩山に踏み入れば、各所に石仏が点在する。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 18mm ISO2500 ) 露出補正 なし
017_200909153 X800 鋸山 RX10M4.jpg
18.石切場跡
「地獄覗き」と「百尺観音」 を見て、ロープウェイの頂上駅に戻り、待っていた女性2人と合流して山を下りた。ロープウェイが動き出すと車窓右側に石切場跡が見えた。 鋸山は凝灰岩から成り、建築などの資材として適している。そのため古くは房州石と呼ばれ、良質石材の産地として、江戸時代から盛んに採石が行われた。結果、露出した山肌の岩が鋸の歯状に見えることからこの名で呼ばれるようになったそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
018_200909157 X800 鋸山 RX10M4.jpg
19.鋸山ロープウェイ
駐車場までもどる。ロープウェイのカゴを下から見上げると、40人も乗れるのかと思うほど小さく感じた。15分間隔で運行されている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 34mm ISO100 ) 露出補正 なし
019_200909160 X800 鋸山 RX10M4.jpg
20.日本寺大仏
ロープウェイの駐車場からいったん国道127号線に出て日本寺の大仏広場へ上る。日本寺の正式な名称は乾坤山(けんこんざん)日本寺という。乾坤は天地の意。日本寺の山号となっている。天明3年(1783年)に大野甚五郎英令が27人の門徒と岩山を3年かけて彫刻したものが原型だそうだが、江戸時代末期になって、自然の風食による著しい崩壊があり、荒廃にまかされていたが、その後昭和41年に4年をかけて修復された。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
020_200909164 X800 日本寺 大仏 RX10M4.jpg
21.日本寺大仏 正面
この大仏様は、御丈で言えば、奈良東大寺の大仏様の14.85m、鎌倉の大仏様の11.31mに比べ、21,3mと日本で最も大きいが、岩に彫られた大仏様だ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
021_200909163 X800 日本寺 大仏 RX10M4.jpg
22.大仏様のお顔
この大仏様は正式には薬師瑠璃光如来という。宇宙全体が蓮華蔵世界樽浄土であることを表したもので、世界平和、万世太平の象徴として復元建立されたという。 日本寺は曹洞宗の参禅道場である。前後するが、案内書には「 日本寺は今から約1300年前、聖武天皇の勅詔と、光明皇后のお言葉を受けた行基菩薩によって神亀2年(725年)6月8日に開山された。開山当初法相宗に属し、天台宗、真言宗を経て徳川三代将軍家光公の治世の時に曹洞禅宗となり、今日に至っている」と記されている。薬師瑠璃光如来が日本寺の本尊である。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 125mm ISO100 ) 露出補正 なし
022_200909168 X800 日本寺 大仏 RX10M4.jpg
23.薬師本殿 医王殿立
立てられいた説明板には、当寺本尊薬師瑠璃光如来を祀ると記されていた。大仏も薬師瑠璃光如来だ。「この堂宇は昭和14年の不慮の火災により焼失したが、60余年の時を経て、鵤工舎 小川三夫棟梁の手により、平成19年10月に再建された。様式は鎌倉時代の禅宗様式、焼失前の仏殿は源頼朝による医王殿扁額が掲げられていた。」と説明されている。日本寺に本殿はない。現在の仮本堂と周辺施設を取り壊し、新たに本堂を建設予定だそうで、平成21年より本堂および周辺施設の建築に向けた工事が始まるという。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO1600 ) 露出補正 なし
023_200909171 X800 日本寺 RX10M4.jpg
24.薬師本殿 医王殿 の内部とご本尊
失礼して、薬師本殿 医王殿 の内部を撮らせていただいた。ご本尊は大仏様と同じ御姿をされているように見える。   

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/60秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
024_200909181 X800 日本寺 薬師本殿 医王殿 RX10M4.jpg
25.漱石・子規 鋸山探勝碑
明治中期、若き夏目漱石と正岡子規が相前後して訪ねた鋸南町の鋸山に、地元有志らの熱意で、「漱石・子規鋸山探勝碑」が建てられたそうだ。漱石や子規の碑は各地にあるが、ひとつの碑で2人を顕彰するものは全国でもここだけという。漱石と子規はともに1867年生まれだそうだ。日本寺の表参道は保田駅の近くから登るので、私たちは仁王門を通っていなかった。午後4時半過ぎ、東口管理所から駐車場に出て、国道127号線を今夜の宿である休暇村館山へ向かった。玄関前の塀に植えられたハイビスカスの花にモンキアゲハが来ていたが、撮影できなかった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 500秒 13mm ISO640 ) 露出補正 なし
025_200909174 X800 日本寺 RX10M4.jpg


2019年12月13日

江ノ電に乗って 12月3日 ①光則寺と高徳院 鎌倉大仏

鎌倉に紅葉を見に行こうと思っていた。今年は円覚寺、東慶寺、明月院ではなく、長谷のほうへ行ってみようと思う。 インターネットで鎌倉市観光協会の紅葉情報をみると、紅葉はそろそろ見ごろになってきているようだ。ただ、今年は台風15号、19号の影響で葉が落ちたり、傷んだりしているという。 横浜から横須賀線に乗って、鎌倉へ出る。途中、北鎌倉の駅を出たところで、車内から円覚寺の紅葉が眺められた。山門へ上がる石段のもみじがきれいだ。 鎌倉からは江ノ電に乗る。先頭車両の一番前に並んで、折り返しの電車が入ってくるのを待って乗り込む。一番前の前向きの席に座った。 鎌倉から3駅目の長谷で下車した。時刻は午前9時半。まだ観光客は少ない。この日、長谷では光則寺、高徳院の鎌倉大仏長谷寺甘縄神明神社、御霊神社へ行く予定にしている。まず向かったのは初めて行く光則寺。紅葉は見るべきところはなかったが、梅に始まる春はカイドウも咲き、良いところのようだ。次に高徳院へ向かった。

1.古都を走る江ノ電
鎌倉を発車した江ノ電が、次の駅である和田塚を出てすぐの線路際に、「無心庵」という古都を思わせる店構えの甘味処が見えた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5.6 1/1250秒 19mm ISO3200 ) 露出補正 なし
191203_001.jpg
2.由比ヶ浜駅
江ノ電は2番目の駅、由比ヶ浜に入る。左側が由比ヶ浜海岸だ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f7.1 1/1250秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
191203_002.jpg
3.光則寺門前
長谷駅で江ノ電を下車し、県道32号線を大仏に向かって歩き始める。長谷観音前という交差点があり、そこを左に行くとに長谷寺である。長谷寺は後にして、まず光則寺に向かう。長谷観音前の信号の先を左に入る。瀟洒な住宅が建ち並ぶ道を進むと光則寺の門前だった。門前には幼稚園があり、子供を送ったお母さんが自転車で走り去る。  

   Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/500秒 70mm ISO360 ) 露出補正 なし
191203_003 .jpg
4.光則寺山門
光則寺は日蓮宗の寺院で山号を行時山という。 wikipediaによれば、「日蓮の佐渡配流に際して鎌倉幕府5代執権北条時頼は、弟子の日朗も捕らえて家臣の宿屋光則邸の土牢に監禁した。しかし、監視役の光則は日朗と日蓮を私淑するようになり、1274年(文永11年)には日蓮を放免した後の自邸を寺に改め、日朗を開山に迎えに創建した」とあった。道の先には石段があり、山門があった。山門は朱塗りで、桁行1間(約3m)、梁間2軒の四脚門で、江戸初期(17世紀中期)のものとのことだ。特徴として、内法貫(うちのりぬき: 鴨居の上部に通っている貫のこと)の中間に、龍の透彫りがある大きな蟇股がある。あとで、新しくなっているが以前にあったものと同じような雰囲気をもつ見事なものと知った。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 44mm ISO800 ) 露出補正 なし
191203_004.jpg
5.オオモミジ
山門を入ってすぐ右手に真っ赤に紅葉した大きな葉を付けるカエデがった。木に「オオモミジ」の札がかけられている。葉は少し傷み始めていた。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 44mm ISO640 ) 露出補正 なし
191203_005.jpg
6.山門を振り返る
本堂の前まで来て、山門の方を振り返ってみた。境内は広くはないが落ち着いた雰囲気だ。植栽の手入れをされている人がいたが、私たち以外に参拝者はいない。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 28mm ISO140 ) 露出補正 なし
191203_006.jpg
7.ミツマタ
本堂の手前にミツマタの木があった。たくさんの蕾を付けている。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/500秒 105mm ISO1100 ) 露出補正 なし
191203_007.jpg
8.本堂
本堂への参道の前には日蓮聖人の真筆に基づく「立正安国論 御勧由来」を彫った石碑が立っていた。本堂は、慶安3年(1650年)、江戸時代初期のものだが、寛政12年(1799年)と関東大震災の修理などを経ているものの、比較的新しく見える。桁行5間、梁間5間で、正面と両側に縁がめぐらされている。外側は、角材を使い、縁長押と内法長押( 鴨居の上にあるなげし ) がめぐらされている。扁額は「師孝第一」となっていたが、写真では隠れてしまった。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 28mm ISO560 ) 露出補正 なし
191203_008.jpg
9.池
本堂に向かって右手前には樹齢おおよそ150年の海棠(カイドウ)があり、開花の時期(4月~5月)には大勢の人が訪れるという。その季節にまた訪れてみたい。本堂に向かって左手には池があり、季節の花や木々を楽しむことが出来るというが、今回は何もなく淋しかった。池の手前には宮沢賢治の碑があったが、これは宮沢賢治が日蓮宗に深く帰依し、活動したことから建てられたという。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f3.8 1/500秒 34mm ISO2500 ) 露出補正 なし
191203_009.jpg
10.土の牢
先にふれたが、日蓮上人が佐渡へ流された時、高弟・日朗が捕らえられて鎌倉幕府第5代執権 北条時頼の重臣・宿屋左衛門尉光則の邸内の土牢に監禁された。その土牢が残っている。  

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 28mm ISO1250 ) 露出補正 なし
191203_010.jpg
11.ハツカリ
今の季節は花は少ないが、境内に白い椿のような花が咲いていた。枝に名札があって、ハツカリ(初雁)、またはショウワワビスケ(昭和侘助)と書かれていた。ツバキ科である。花は11月~3月に咲くそうだ。日本原産の植物なので耐暑性、耐寒性ともに高いという。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/500秒 105mm ISO400 ) 露出補正 なし
191203_011.jpg
12.高徳院(鎌倉大仏)
仁王門光則寺を退出し、長谷寺は後で行くことにして、県道32号へ出て左に行く。少し歩くと道は右へ緩やかの曲がり、高徳院の仁王門が見えてきた。高徳院 は大異山高徳院清浄泉寺といい、法然上人(1133年 ~ 1212 年)を開祖とする浄土宗の寺院である。大仏は高徳院の本尊(阿弥陀如来)である。かって大仏殿があったが、何度も台風や震災に遭い倒壊していて、再建されていない。2004年(平成16年)2月27日、境内一帯が「鎌倉大仏殿跡」の名称で国の史跡に指定された。この仁王門は、18世紀初めに他所から移されてきたものと考えられ、安置されている仁王像も同時期のもの考えられているそうだ。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 28mm ISO450 ) 露出補正 なし
191203_012.jpg
13.大仏 -1
仁王門をくぐって、左側にある受付で参拝券を求め、石畳の参道を歩く。左手に熟したようなカエデの紅葉があった。鎌倉市観光協会の紅葉情報によれば、高徳院は「葉に傷みあり。イチョウは台風被害で葉が3/4程度落ちている。」となっていた。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f5 1/640秒 38mm ISO100 ) 露出補正 なし
191203_013.jpg
14.大仏 -2
高徳院に本堂はない。「鎌倉大仏」「長谷の大仏」また、「露坐の大仏」として名高い高徳院の本尊は、国宝銅造阿弥陀如来坐像だ。像高約11.3m、重量約121tトンのこの仏像は、規模こそ奈良東大寺の大仏(盧舎那仏) に及ばぬものの、ほぼ造立当初の像容を保ち、我が国の仏教芸術史上ひときわ重要な価値を有しているという。wikpediaによれば、高徳院 は、初期は真言宗で、鎌倉・極楽寺開山の忍性など密教系の僧が住持となっていた。のち臨済宗に属し建長寺の末寺となったが、江戸時代の正徳年間(1711年 - 1716年)に江戸・増上寺の祐天上人による再興以降は浄土宗に属し、材木座の光明寺(浄土宗関東総本山)の末寺となっている。「高徳院」の院号を称するようになるのは浄土宗に転じてからである。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/640秒 28mm ISO100 ) 露出補正 なし
191203_014.jpg
15.大仏のお顔 右側から
大仏の建造時期であるが、「吾妻鏡」には、建長4年(1252年)から「深沢里」にて金銅八丈の釈迦如来像の造立が開始されたとの記事もある。「釈迦如来」は「阿弥陀如来」の誤記と解釈し、この1252年から造立の開始された大仏が、現存する鎌倉大仏であるとするのが定説であるそうだ。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/640秒 85mm ISO100 ) 露出補正 なし
191203_015.jpg
16.大仏の背中
大仏の後ろに回ってみた。大仏像の脇に胎内への入り口があり、中に入ることが出来る。大仏の背中から自然光が取り入れられている。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 28mm ISO100 ) 露出補正 なし
191203_016.jpg
17.大仏のお顔 左側から
鎌倉大仏の眼に瞳があるのかどうか、俯き加減の眼を見上げてみたがよくわからない。インタネットで検索してみたが、わからなかった。奈良東大寺の大仏の眼には瞳があったように思う。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f6.3 1/640秒 78mm ISO100 ) 露出補正 なし
191203_017.jpg
18.大仏 -3
鎌倉大仏の高さは11.31m、重さ121トン。因みに奈良の大仏は高さ14.98m、重さ350トンだそうだ。また造られたのは、鎌倉大仏が1252年(建武4年)、奈良の大仏は742年(天平14年)と古い。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f6.3 1/500秒 35mm ISO100 ) 露出補正 なし
191203_018.jpg
19.大仏 -4
鎌倉大仏は阿弥陀如来で、印相(いんそう:手の組み方)は九品(くほん)で最も格式高い上品上生印(じょうぼんじょうしょういん)を組んでいるという。または定印(じょういん)とも言い、阿弥陀如来の一般的な印相だそうだ。この大仏の大きさなので、印相がとても目立つ。まねして写真を撮ってみたくなる。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f6.3 1/500秒 35mm ISO100 ) 露出補正 なし
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20.門と紅葉
ここのカエデはオレンジ色に紅葉していた。近づいてみるとやはりは葉は傷んでいるところがあるが、離れて撮ると隠せる。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f4.2 1/500秒 56mm ISO180 ) 露出補正 なし
191203_020.jpg
21.大仏 -5
時刻は10時を回った。だんだん外国人観光客の方々が多くなってきた。もう一度大仏を振り返って退出し、長谷寺に向かう。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f5.6 1/500秒 55mm ISO100 ) 露出補正 なし
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22.華正樓
長谷観音前に戻る道筋に、横浜中華街に本店がある華正樓の「長谷華正樓」がある。写真の右奥に立派な本館が見えるが、メニューを見ると、ランチで¥3.3K~¥7.7K、ディナーコースは、¥5,5k~¥22Kになっていた。この売店で肉まんを買って食べ歩きもできるようだが、それもお行儀が悪い。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f5.6 1/500秒 34mm ISO100 ) 露出補正 なし
191203_022.jpg
23.對僊閣(たいせんかく)
長谷観音前を右に曲がって長谷寺の参道を行くと左側に「對僊閣」という古い木造の建物があった。説明板を見ると、「對僊閣」は明治末期からこの場所で旅館業を営んいる。4っの欄間窓、高欄、組子が密な格子窓を持った華やかな北側のファサードは、創建当初の姿をよく留めている。鎌倉における戦前の和風旅館として歴史的にも貴重な建物である。平成12年に鎌倉市景観重要建築物に指定されている。と記されていた。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 28mm ISO280 ) 露出補正 なし
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2017年12月29日

2泊3日の京都紅葉狩り(3) 東寺ライトアップ 12月4日

嵐山では小雨も降ってきたので、早めに引き上げることになった。桂川の右岸から渡月小橋を渡って中之島公園に入ったところに京都駅行行のバス停があり、ちょうどそのバスが来た。ここで乗る人は少なく着席することが出来た。
 午後3時半に京都駅に着き、5時からと言われていたホテルのチェック・インもできた。4時半に京都駅の上の伊勢丹のレストラン街で、前回、京都に来た時にも寄った寿司屋で夕食にした。カウンターでしゃべりながら、東寺へ行くにはどう行けばよいか聞いてみた。歩いてはちょっと遠いし、駅待ちのタクシーでは嫌がられる距離と言い、近鉄電車で一駅乗るのが一番良いと教えてもらった。
 6時から始まると思っていた東寺のライトアップは6時半からで、30分ほど小雨の降る中で待つことになってしまった。
 東寺は平安京守護を目的として創建され、寺の歴史は新都とともに始まった。その後、弘法大師空海に下賜され、真言密教の根本道場となった。真言宗全体の総本山でもある。教王護国寺(きょうおうごこくじ)とも呼ばれる。

75.慶賀門で開門を待つ
夜6時少し過ぎに東寺のライトアップ特別拝観の入り口に着いた。小雨が降っている。拝観は6時半からとのことで、30分ほど待たなくてはならなかった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f2.5 1/125秒 19mm ISO2500 )露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
76.宝蔵の堀
慶賀門を入ると左手に宝蔵があり、その宝蔵に沿って堀があるが、さっそくライトアップされた紅葉が堀に映って美しく、シャッターを押させた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f1.8 1/125秒 9mm ISO800 ) 露出補正 なし
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77.国宝 五重塔 -1
堀の先には、五重塔が見えた。東寺の象徴として広く親しまれている五重塔は、天長3年(826)弘法大師の創建着手に始まるが、落雷などにより、4回も焼失している。現在の搭は正保元年(1644)徳川家光の寄進によって竣工した高さ55m、現存する日本の古塔中最も高い搭だそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f1.8 1/125秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
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78.国宝 五重塔 -2
ライトアップされた五重塔は、そのバランスの取れた全体の姿を見せる。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f2.8 1/125秒 37mm ISO3200 )露出補正 なし
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79.宝蔵の堀と五重塔
夜であり、宝蔵はライトアップされていないので、その建物はわからなかったが、宝蔵には弘法大師が唐の国師、恵果から授かった、現在、国宝となっている密教法具や数々の寺宝が収められていた。そのため、周囲は堀で囲まれ火事による延焼に備えていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f2.8 1/125秒 21mm ISO3200 )露出補正 なし
クリックすると大きくなります。
80.食堂から眺める五重塔
食堂と書いて「じきどう「」と読む。境内の北から南へ食堂、講堂、金堂と大伽藍が並ぶ。この配置は「仏法僧」を表しているという。一番奥の金堂が本尊の「仏」、講堂が密教の教え「法」、そして、カメラの位置の右にある食堂が「僧」で、生活の中に修業を見出すところだそうだ。講堂、金堂の前のモミジがライトアップされているが、残念ながら、葉はだいぶ落ちてしまっていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f2.8 1/125秒 22mm ISO3200 )露出補正+1.0段
クリックすると大きくなります。
81.重要文化財 講堂
講堂はライトアップの期間中、夜も特別拝観できた。国立の寺院だった東寺を託された弘法大師空海は、人生のすべてを注いで、密教の教えを伝えようとした。その中心的な建物として位置づけたのが、講堂だったそうだ。承和6年(839)に完成している。しかし、文明18年(1486)に金堂、南大門とともに焼失している。金堂が桃山時代に、南大門が江戸時代になって再建されたのに対し、講堂は焼失より5年後に最優先で再建されたそうだ。残念ながら、講堂と金堂の内部は撮影禁止であったが、講堂には、国宝 梵天、国宝 帝釈天、国宝 不動明王など21躯の仏像が安置されていて、その姿に圧倒された。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f2.8 1/125秒 22mm ISO3200 )露出補正+1.0段
クリックすると大きくなります。
82.講堂前のモミジと五重塔
残念ながら、モミジには遅かった。京都の紅葉ライトアップを特集したガイドブックには、東寺のライトアップは近年はじめられたので混雑が少ないと記されていたが、結構、多くの観光客が来ていた。。​

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f2.8 1/125秒 ​37​mm ISO3200 )露出補正+1.​0段
クリックすると大きくなります。
83.国宝 金堂 -1
​大伽藍​の一番奥は金堂だった。平安遷都とともに建立された金堂は東寺の本堂である。文明18年(1486)に焼失し、今の堂は豊臣秀頼が発願し、片桐且元を奉行として、慶長8年​​​​(1603)に竣工した。桃山時代の代表的な建築と言われる。中に安置されている重要文化財の日光菩薩、月光菩薩、薬師如来、そして十二神将は目を奪う。写真を撮りたかった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f2 1/125秒 ​11​mm ISO2000 )露出補正 +1.​0段
クリックすると大きくなります。
84.金堂前のモミジと五重塔
ここのモミジはまだ葉を残してくれていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f2.5 1/125秒 ​17mm ISO3200 )露出補正+1.​0段
171228_083.jpg
85.国宝 金堂 -2
今の建物は、関ヶ原の合戦後に落成している。宋の様式を取り入れ天竺様と和様を合わせた桃山時代の代表的な建物で、屋根の中央の切り上げは、東大寺大仏殿や平等院鳳凰堂にもみられる形だそうだ。東大寺大仏殿、平等院鳳凰堂も見てきているが、そう言われれば・・・

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f1.8 1/125秒 ​9mm ISO3200 )露出補正 +1.​0段
;クリックすると大きな写真になります。
86.国宝 五重塔 -3
五重塔の正面に来た。搭は少し離れたところから眺める方が良いようだ。新幹線の南側の窓から眺められるのが、この五重塔で、いわば仏の都、京都のランドマークである。五重塔は仏陀の遺骨を安置するストゥーパが起源とされ、弘法大師空海が唐より持ち帰った仏舎利が収められているそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f1.8 1/125秒 ​9mm ISO3200 )露出補正 +1.​0段
クリックすると大きくなります。
87.瓢箪池
五重塔の前から、講堂、金堂の東側にある瓢箪池の方へ回る。池にモミジが映り込む。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f1.8 1/125秒 ​9mm ISO3200 )露出補正 +0.7段
171228_086.jpg
88.金堂と瓢箪池
ライトアップされた金堂の屋根、瓢箪池に映り込むモミジは美しい情景だった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f1.8 1/125秒 ​21mm ISO3200 )露出補正+0.7段
クリックすると大きくなります。
89.東大門
大宮通りに面している東大門を瓢箪池の前から撮る。モミジが彩を添えてくれている。創建年は不明で、現在の建物は、建久9年(1198)に文覚によって再建された八脚門(重要文化財)だそうだ。建武3年(1336)6月に入京し、東寺に陣を布いた足利尊氏は、新田義貞と戦火を交え、義貞に攻められた尊氏は、この東大門を閉ざして危機を脱したことから、「不開門」(あかずのもん)と呼ばれているという。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f2.5 1/125秒 ​18mm ISO3200 )露出補正+0.7段
クリックすると大きくなります。
90.金堂と講堂
振り返って瓢箪池越しに金堂(左)と講堂(右)を見る。桜の季節にもライトアップ夜間特別拝観が行われるが、どんなものだろうか。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f2.2 1/125秒 ​13mm ISO3200 )露出補正+0.7段
171228_089.jpg
91.瓢箪池に映る五重塔
とてもきれいだったが、写真では、うまく表すことは出来なかった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f2.2 1/125秒 ​12mm ISO3200 )露出補正+0.7段
クリックすると大きくなります。
92.宝蔵
宝蔵の西側の堀に沿って歩く。右側にその堀に架かる石橋があった。うっすらと宝蔵が見え、その前にあるモミジがライトアップされていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f2.2 1/125秒 ​13mm ISO640 )露出補正 +0.7段
クリックすると大きくなります。
93.大宮通り
九条通りに突き当たる大宮通りから、東寺の五重塔を眺める。時刻はまだ7時半だが交通量は少ない。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f2.8 1/125秒 ​20mm ISO3200 )露出補正+0.7段
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94.551の豚まん
ホテルに戻ろうと、京都駅構内を八条口の方に歩いていると、551豚まんのJR京都駅店があった。大阪におられる現役時代の友人が今も東京出張の際、居酒屋で会う折に手土産として持ってきてくださる。大好物だ。よし! 買って行って、ホテルで、これでビールを一杯飲もう。この店、多い時は1日に7千個売るという。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f2.8 1/125秒 ​9mm ISO125 ) 露出補正 +0.7段
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2017年12月17日

2泊3日の京都紅葉狩り(1) 東福寺 12月4日

東福寺のモミジを見たいと思い、京都へ行こうと計画した。だが、11月の終わりから12月のはじめにかけて、先にいろいろと予定が入っていた。少し遅いかなと案じつつホテルの予約を取ったのが12月4日、5日だった。
 東福寺は紅葉の時期はとても混雑するようだ。ガイドブックには朝いちばんが良いと書かれている。3割引きで乗れる「大人の休日」を利用し、12月4日は朝、6時発の「ひかり」を予約した。これで行くとちょうど2時間で京都に着く。到着後、2晩泊まるホテル近鉄京都駅に行って、荷物を預けた。チェックインは午後5時以降とのことだ。
 ホテルに荷物を預け、JR奈良線のホームに降りる。東福寺は次の駅だ。鴨川沿いに走る京阪電車の駅もある。東福寺駅には8時40分に到着した。降りる人はそれほど多くない。紅葉のピークを過ぎているのと朝早い時間だからだろう。全部で25寺院あるという東福寺の搭頭のいくつかに礼をしながら、「臥雲橋」にきた。ここから見る東福寺の「洗玉澗」という谷間のモミジの眺めには圧倒される。ただ、残念ながら紅葉は終わりに近づいていた。
  拝観券を求めて列に並び、まず、「通天橋」に入る。橋の手前から「洗玉澗」を歩いて見ると、紅葉が残っているところもあった。そして「通天橋」を渡って、「開山堂」、「普門院」を見て、いったん戻り、次に「方丈」に行き、昭和を代表する作庭家重森三玲が手掛けたという「八相の庭」を見た。モミジも美しかった。   このあと、「本堂」、「三門」にも行ったが、観光客の姿はまばらだった。
 次は嵯峨野、嵐山へ行くのだが、タクシーを使おうと思っていたのをやめて、再び東福寺駅に戻り、こんどは京都駅からJR嵯峨野線に乗って、嵯峨嵐山駅まで行った。

1.京都駅 JR奈良線
JR奈良線の各駅停車は、古いタイプの電車が使われていた。東福寺駅は京都駅から一駅である。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f2.5 1/1000秒 19mm ISO500 )露出補正 なし
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2.東福寺 塔頭 「同聚院」
東福寺は慧白山東福寺と号する臨済宗東福寺派の大本山である禅宗寺院だ。鎌倉時代に九条家の氏寺として創建され、奈良の東大寺と興福寺に因み東福寺と名付けられ、室町期には京都五山のひとつとして栄えたそうだ。その東福寺には25の搭頭がある。ここは「臥雲橋」へ向かう途中にあった「同聚院」だ。「同聚院」は文安元年(1444)に、東福寺第160世・文渓元作禅師が、その師の東福寺第129世・琴江令薫禅師を開山に勧請して創建した寺院という。本尊に不動明王を祀ることから通称「じゅうまん不動さん」と呼ばれる。その不動明王坐像(重文)は 、1006年(寛弘3)藤原道長が旧法性寺に建立した五大堂の中尊と伝えられ、他の4明王 は散逸し、この像だけが残ったのは火除け像として崇敬が厚かったからという。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f2.5 1/1250秒 15mm ISO125 )露出補正 なし
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3.「臥雲橋」
東福寺の渓谷に架けれた3つの橋は、「東福寺三名橋」と呼ばれる。 上流から「偃月橋」・ 「通天橋」・「臥雲橋「」で「臥雲橋」は「洗玉澗」の一番下流の橋だ。橋脚部分から100%木造の橋である。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f1.8 1/1000秒 9mm ISO640 ) 露出補正 なし
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4.「臥雲橋」から眺める「洗玉澗」のモミジ
「臥雲橋」から「通天橋」を見上げるように眺める「洗玉澗」のモミジの光景は、いわば東福寺の紅葉のシンボルである。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影 (​ ​f​4.5 1/​250​秒 18mm ISO​2​​00​​​​ ​) 露出補正​ ​-0.段
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​5.「洗玉澗」のモミジと「通天橋」 -1​​
​モミジ​は散り始めていた。しかし、まだ、何とか見られるというところにとどまっていてくれた。​

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影( f5.6 1/500秒 70mm ISO200 )露出補正 -0.3段
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6.「洗玉澗」のモミジと「通天橋」 -2​​
時刻は9時少し前。「通天橋」にはまだ人影がない。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影( f5 1/250秒 60mm ISO250 ) 露出補正 -0.3段
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7.静かな道​​
「通天橋」の拝観受付へは「臥雲橋」をまっすぐ進んで、「経堂」の脇から入った。まだ、開門されておらず、しばらく列に並んだ。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影( f6 1/250秒 165mm ISO400 )露出補正 -0.3段
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8.「禅堂」のモミジ​​
「経堂」と「禅堂」の間の道で「通天橋」拝観の受付を待った。「禅堂」の前のモミジがまだきれいだった。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影( f5.6 1/500秒 78mm ISO200 )露出補正 -0.3段
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9.本坊庭園「八相の庭」拝観者の列​​
「通天橋」拝観と「八相の庭」拝観は別になっている。こちらはツアコンさんに引率された「八相の庭」受付の列。やはり、9時開園なのだろう。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影( f5 1/250秒 18mm ISO200 ) 露出補正 -0.3段
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10.「洗玉澗」のモミジ -1
「通天橋」および「開山堂」の拝観料400円をお支払いして入園した。まっすぐ進むと「通天橋」だが、その「通天橋」が谷を渡る前に「洗玉澗」に下りてみた。モミジの葉が落葉の絨毯となって敷き詰められている。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO
プログラムオートで撮影( f5.6 1/250秒 35mm ISO200 )露出補正-0.3段
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11.「洗玉澗」のモミジ -2
入場整理をしていた女性に「何処がきれいですか」と尋ねたところ、「今は奥の壁に沿ったところが良いですよ」と教えてくれた。「洗玉澗」には約2,000本のカエデが植えられているという。

Nikon D5300Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO
プログラムオートで撮影( f4.8 1/250秒 50mm ISO250 )露出補正 -0.3段
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12.「通天橋」とモミジ -1
「通天橋」の周囲ににもまだ美しさが残っているモミジがあった。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO
プログラムオートで撮影( f5.6 1/250秒 102mm ISO280 )露出補正 -0.3段
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13.「通天橋」とモミジ -2
「通天橋」の人通りも多くなってきた。日が当たっているモミジは明るく透き通り輝く。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO補正 -0.3段
プログラムオートで撮影( f5.6 1/250秒 40mm ISO200 )露出補正 -0.3段
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14.「洗玉澗」を歩く -1
深紅の葉のモミジもまだ残っていた。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO
プログラムオートで撮影( f4.5 1/250秒 46mm ISO200 )露出補正 -0.3段
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15.「洗玉澗」を歩く -2
紅葉している大きな木があった。何にも遮られないところで陽を浴びて輝いている。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO
プログラムオートで撮影( f5 1/250秒 18mm ISO200 ) 露出補正 -0.3段
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16.「洗玉澗」を歩く -3
同じカエデのようだが、樹によって葉の色が違う。地面はすっかり落葉で被われてしまっていた。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO
プログラムオートで撮影( f5.6 1/250秒 26mm ISO200 )露出補正 -0.3段
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17.「洗玉澗」を歩く -4
同じようなショットをもう1枚。葉が陽の光を透過する。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO
プログラムオートで撮影( f4.8 1/250秒 56mm ISO200 )露出補正 -0.3段
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18.「洗玉澗」を歩く -5
白い壁との対比が映える赤いミミジだが、ほとんど葉が落ちてしまった。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO
プログラムオートで撮影( f4.5 1/250秒 26mm ISO200 )露出補正 -0.3段
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19.「通天橋」から見るモミジ -1
地面に生える苔と真っ赤なモミジとの対比が美しい。奥の方から「通天橋」に上がり、橋の上から撮った。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO
プログラムオートで撮影( f5 1/250秒 60mm ISO500 ) 露出補正 -0.3段
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20.「通天橋」から見るモミジ -2
「通天橋」から「開山堂」へと進むコーナーのモミジが最高にきれいだった。まだ青い葉も残っている。自撮りをしようとする人たちが立ち止まる。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO
プログラムオートで撮影( f5 1/250秒 62mm ISO1000 )露出補正-0.3段
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21.「通天橋」から見るモミジ -3
「方丈」や「書院」の方向を見る。ここのモミジも色濃く残っていた。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO
プログラムオートで撮影( f4.5 1/250秒 35mm ISO220 )露出補正 -0.3段
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22.「通天橋」から見るモミジ -4
「通天橋」から「洗玉澗」を見下ろす。残念ながらモミジは終わりに近づいていた。11月の「勤労感謝の日」あたりが見ごろのようだった。下の臥雲橋」も見える。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f1.8 1/1000秒 9mm ISO320 )露出補正 なし
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23.「通天橋」から見るモミジ -5
ところどころに、まだきれいに紅葉した葉をつけているモミジに心和まされる。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO
プログラムオートで撮影( f5.3 1/250秒 82mm ISO200 )露出補正 なし
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24.「八相の庭」南庭
「開山堂」「普門院」を拝観し、一旦外に出て本坊庭園「八相の庭」を拝観する。改めては拝観料400円を納め、靴を脱いで庫裡から上がる。まず、目にするのは南庭である。広さ20坪の枯山水庭園である南庭は18尺の長石を基本に巨石を剛健に配し、渦巻く砂紋によって「八海」を表しているという。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f1.8 1/1250秒 9mm ISO125 )露出補正 なし
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25.「八相の庭」西庭 「井田市松」
サツキの刈込と砂地とを葛石で方形に区切り、大きく市松模様に図案化されている。井の字に等分した古代中国の田制「井田」に因み、「井田市松」と呼ばれる。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO
プログラムオートで撮影 ( f4 1/250秒 18mm ISO200 ) 露出補正 なし
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26.方丈の「通天台」
大方丈に沿って北側に廻ると舞台のような「通天台」があった。出発前に見た「京都ぶらり歴史深訪」=京都が染まる紅葉名所10選=というTV番組で「通天台」が紹介されていた。ここから眺める「通天橋」とモミジが美しいというのだが、残念ながら機を失していた。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO
プログラムオートで撮影( f5.6 1/250秒 32mm ISO200 )露出補正 -0.3段
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27.「八相の庭」北庭 「小市松」
大方丈の北側に面して「小市松」と呼ばれる庭がある。パンフレットの説明書きによれば、ウマスギゴケの緑との対比も色鮮やかな市松模様の敷石は、もと恩賜門に使われていたものである。サツキの丸刈りとの調和が誠に印象深く、彫刻家イサム・ノグチはこの庭を「モンドリアン風の新しい角度の庭」と評した。秋には、背景の紅葉の赤色と、聖一国師が宋より持来したと言われる唐楓「通天紅葉」の黄金色とが織りなす色彩感あふれる空間となる。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO
プログラムオートで撮影( f3.5 1/250秒 18mm ISO280 )露出補正 なし
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28.最勝金剛院
「八相の庭」の見学を終え、再び庫裡から外に出た。本堂を右に見て進むと左への道の先に小さな門があり、その門の向こうに最勝金剛院が見えた。最勝金剛院は、九条家の墓を管理するために再興された東福寺の特別由緒寺院だそうだ。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO
プログラムオートで撮影( f6 1/250秒 155mm ISO1250 )露出補正 なし
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29.国宝「三門」
「三門」の前に来た。思遠池があった。池はハスの枯葉がいっぱいだった。「三門」は大仏様を思わせる室町初期の再建で、扁額にある「玅雲閣」は足利義持筆という。楼上内部には諸仏が並び、天井や柱には極彩画が描かれているそうだ。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO
プログラムオートで撮影( f4.5 1/250秒 18mm ISO200 )露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
30.「思遠池」
「思遠池」には石橋がかかり、向こうには「勅使門」が見える。手前の石で囲われたところにはマガモがいた。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO
プログラムオートで撮影( f3.5 1/250秒 18mm ISO250 )露出補正 なし
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31.「日下門」から
「本堂」「三門」を周るように歩いて、入ってきたのと同じ「日下門」から境内を出た。竹林を背景に名残りのモミジが可憐だった。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO
プログラムオートで撮影( f5.6 1/250秒 116mm ISO1800 )露出補正 なし
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32.「芬陀院」
「日下門」を出て左側に塔頭に一つである「芬陀院」があった。ここには雪舟が作庭したという庭園があることから雪舟寺とも呼ばれるという。wikipediaによれば、元亨年間(1321年~1324年)、一条経通が父一条内経のため、東福寺開山・円爾(聖一国師)の法孫にあたる定山祖禅を開山として創建された。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO
プログラムオートで撮影( f4 1/250秒 26mm ISO200 )露出補正 なし
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33.ユキヤナギの黄葉
JR東福寺駅へ戻り道筋に、黄色く色づいた小さな木があった。寺の塀などとの絡みもきれいだ。これが何の木かわからなかったが、家内に写真を見せたらユキヤナギではないかという。帰ってきてネットで検索してみると、どうやらユキヤナギらしい。早春に白い小さな花を咲かせるユキヤナギからは想像できなかった。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO
プログラムオートで撮影( f4.8 1/250秒 56mm ISO250 )露出補正 なし
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2016年12月 9日

三渓園 紅葉の季節 (1) 11月22日

早朝、小雨の降る中、自宅から車で10分ほどのところにあるゴルフ練習場に出かけた。朝7時過ぎから打ち始めたが、そろそろ上がろうと思ったころ、日が差し始めた。この日の天気予報は晴れマークなどなかったのだが、自宅に着くころには、青空が広がり暖かくなってきた。そして朝9時過ぎには晴れ間が広がった。
 ほかに予定もないので、久しぶりに三渓園へ行ってみることにした。横浜から市営バスに乗り40分弱で三渓園入り口に着く。65歳以上の横浜市民は無料とのことで、入園口を通していただいた。
 三渓園には、5年前、新緑の2011年6月同じく12月はじめの2回訪れている。

161209_027.jpg

​  これは、園内にあった案内図を写真に撮ったものだ。この日は①の「正門」から入園し、池の縁を歩いてまず②の「鶴翔閣」を見に行ったがこの日は貸切になっていて、中に入ることができなかった。次に③の所を右に折れて、内苑の方に向かう。「御門」を抜けて「白雲邸」を右に見て進むと開けたところに出た。そこから、内苑の「臨春閣」を右手に見てさらに進み④の「旧天瑞寺寿塔覆堂」へ行くと、モミジ、イチョウが鮮やかに色づいていた。ひとしきりここで写真を撮り、「聴秋閣」を見て、⑤の「月華殿」へ登った。後戻りして⑥「海岸門」から内苑を出て外苑に入る 。「三渓記念館」の裏手まで戻って、今度は⑦の「展望台」まで登る。そこから戻って⑧「旧燈明寺三重塔」を見た。「初音茶屋」というところまできて、「待春軒」という食事処があったので蕎麦でも食べようと覗いてみたが、10月からは温かい蕎麦しかやっていないという。歩いてきて汗をかくほど暑かったのでやめにした。後で気が付いたのだが、「待春軒」の奥にあった「旧東慶寺仏殿」と「旧矢篦原(やのはら)家住宅」を見ずじまいだった。⑨の「旧燈明寺本堂」を見て、大池の東側(この案内図では下側)歩き、いったん①「正門」まで戻った。もう一度内苑へ行こうと思い、最初に歩いた大池の西側を歩いて、⑩のところへ来た。前に「月影の茶屋」という茶屋があったので、今度こそ何か食べようと席に着く。幸い冷たい蕎麦があったのでざるとビールを注文した。一休みしたあと、内苑の④のところにもう一度行った。そして午後1時過ぎに三渓園を後にした。

1.三渓園正門付近からの眺め
正門を入って道筋に導かれるままに進むと左手に大池が広がる。そして池の向こうの小高い山には三重塔が見える。三渓園を紹介するのによく使われるアングルだ。池には水鳥が浮かんでいた。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f6​.3​​​ 1/​250​秒 56mm ISO250​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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2.蓮池
右側には小さな池があって、枯れてしまったハスが密集していた。草高約1mの枯れた果托は傘のようだ。ハスは7月~8月に花が咲く。花の時期はさぞ見事だろうと思う。​

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO
プログラムオートで撮影  (​ ​f6​.3​​​ 1/​1000​秒 28mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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3.「鶴翔閣」
この日は何の集まりがあるのか貸切になっていて、建物に近づけなかった。この建物は明治35年(1902年)に建築された原富太郎(原三渓)が住まいとして建てた。延べ床面積は950㎡あるという。平成12年(2000年)に修復され現在は様々な利用に対応可能な貸し出し施設として活用されている。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f6​.3​​​ 1/​250秒 31mm ISO320​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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4.睡蓮池
蓮池の向こうには睡蓮池があった。鶴翔閣は蓮池と睡蓮池の間を右に入る。恥ずかしながらハスとスイレンとは同じものかと思っていた。ハスは水面より上で花をつけるのに対し、スイレンは根茎から直接伸びる花柄の先端に水面で直径5-10cmほどの花をつける。また、スイレンはスイレン目スイレン科で、ハスはヤマモガシ目ハス科と知った。ただロータスというのはスイレンとハスの総称だそうだ。 スイレンは種類により開花期は異なるが、早いものでは4月末から咲き始め、5月中旬頃からまとまった開花が見られ、10月末まで見ることができるとのこと。ここ三渓園の睡蓮池では5月~8月が見ごろのようだ。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f6​.3​​​ 1/​320秒 35mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
5.「御門」​​
蓮池の先を右に曲がって内苑に入る。内苑は原家が私庭として使用していたエリア。この御門は京都東山の西方寺にあった薬医門で、江戸時代の宝永5年(1708年)ごろ建てられた。大正時代にここに移築されている。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f6​.3​​​ 1/​250秒 18mm ISO640​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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6.内苑の建物
「御門」を抜けて「白雲閣」の脇を通り、「三渓記念館」には寄らずに先に進む。すると芝生の庭が広がり、内苑の建物群が眺められた。右手に見えるのが「臨春閣」だ。「臨春閣」は総面積が​158​​​​坪あり​3​棟の建物からなり、数奇屋風書院の建物である。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f6​.3​​​ 1/​320秒 18mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
7.「臨春閣」浪華の間
​​ 「臨春閣」は公開されていた。「臨春閣」は江戸時代の慶安2年に(1649年)に建てられ、大正6年(1917年)にここに移築された。入園時に手渡されたパンフレットによると、紀州徳川家初代藩主の頼宣が和歌山紀ノ川沿いに建てた数寄屋造り風書院造の別荘建築という。重要文化財に指定されている。この浪華の間の欄間は浪華十詠和歌色紙(なにわじゅうえいわかしきし)といい、大阪難波から見える景色を公家12人が詠んだものを10枚ずつ表裏にして計20枚の色紙がはめ込まれているそうだ。村野藤吾の松寿荘で写しが行われている。三間4枚引違の幅広な紙張障子のデザインは単調すぎもせず、やりすぎもせず、とてもバランスがとれていると評される。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f6​.3​​​ 1/​800秒 44mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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8.「臨春閣」襖絵
​​ 「臨春閣」の各部屋にはいたるところに狩野派の襖絵がある。襖絵等はレプリカで本物は三渓記念館で保管、展示しているとのことだった。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f6​.3​​​ 1/​250秒 98mm ISO3200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
9.「臨春閣」のひろがり
​​ 「臨春閣」には、写真には写っていないが右手前から第一屋、写真で右側に見えているのが第二屋、そして、一番左奥が第三屋と3っの棟がある。浪華の間があったのは第二屋だ。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f6​.3​​​ 1/​400秒 18mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
10.「臨春閣」の池
​​ 「臨春閣」前に小さな池がある。その池に沿って内苑の奥に向かう。「臨春閣」の第二屋が小さな池に映り、小さなナナカマドの緋色が彩を添える。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f6​.3​​​ 1/​500秒 60mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
11.「旧天瑞寺寿塔覆堂」のモミジ
​​ 「旧天瑞寺寿塔覆堂」の傍に来た。この辺りはモミジが紅葉して美しいが、これからもっと紅くなると思う。背後の大きな銀杏の木の黄色も鮮やかだ。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f6​.3​​​ 1/​500秒 60mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
12.「旧天瑞寺寿塔覆堂」の後ろ側
​​ 「旧天瑞寺寿塔覆堂」を左へ回り込むと銀杏の落ち葉が地面を覆っていた。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f6​.3​​​ 1/​250秒 18mm ISO1250​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
13.「旧天瑞寺寿塔覆堂」 まだ緑濃いモミジ -1​​
​​ そこにあったモミジの葉はまだ緑色だった。これから紅くなるのだろう。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f6​.3​​​ 1/​250秒 18mm ISO360​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
161209_013.jpg
14.「旧天瑞寺寿塔覆堂」 まだ緑濃いモミジ -2​​​​
​​ 少し位置を変えてもう1枚撮った。この「旧天瑞寺寿塔覆堂」は桃山時代の天正19年(1591年)に建てられ、明治38年(1905年)に移築された。豊臣秀吉が京都・大徳寺に母の長寿祈願のために建てさせた寿塔(生前墓)を納めるための建築だそうだ。重要文化財である。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f6​.3​​​ 1/​250秒 44mm ISO360​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
15.「聴秋閣」のモミジ -1
​​ 「聴秋閣」の近くに来た。多くはないが真っ赤に染まったモミジがあった。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f6​.3​​​ 1/​250秒 18mm ISO2500​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
16.「聴秋閣」と特別公開
​​ 「聴秋閣」は上の間、次の間、そして2畳の2階の間がある。この日は特別公開されていて、上の間からなかを見ることができた。茶人として高名な佐久間将監の作と伝えられているが、千利休の後をついで茶の湯を発展させた小堀遠州の作という説もあるという。優美で繊細である。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO
​​​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f6​.3​​​ 1/​60秒 26m ISO3200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
17.「聴秋閣」 書院
​​​​ 書院となっているところの障子が開かれ、後ろの緑が眺められた。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
​​​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f6​.3​​​ 1/​25秒 26mm ISO3200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
18.「聴秋閣」​​
​​​​ 「聴秋閣」は江戸時代の元和9年(1623年)に建てられ、ここには大正11年(1922年)に移築された。京都の二条城内にあったと言われる徳川家光、春日局ゆかりの楼閣建築だそうだ。重要文化財に指定されている。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
​​​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f4​​​ 1/​250秒 31mm ISO1400​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
19.「天授院」​​​​
​​​​ 「聴秋閣」の脇の薄暗い小さな渓谷沿いの道を上がって「天授院」に出た。モミジを撮りたかったので屋根しか映ってないが「天授院」も重要文化財で、江戸時代の慶安4年(1651年)に建てられ、大正5年(1916年)に移築されている。鎌倉・建長寺近くの心平寺跡にあった禅宗様の地蔵堂に建物だ。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​​​
​​​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f6​.3​​​ 1/​250秒 78mm ISO640​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
20.「月華殿」
「天授院」のとなりに「月華殿」がある。これも重要文化財で、江戸時代の慶長8年(1603年)に京都伏見場内に建てられたものと言われている。ここへは大正7年(1918年)に移築された。障壁画は、桃山時代の画家 海北友松によるものと伝えられます。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f4​​​ 1/​250秒 18mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
21.「月華殿」の屋根​​
「月華殿」の裏手を廻った。前夜は雨が降っていたが、今日は予想外の晴天で、暖かい陽の光が当たる屋根から湯気が上がっている。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f4​​​.5 1/​250秒 32mm ISO720​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
22.「臨春閣」​​​​
再び「臨春閣」の池のところに戻ってきた。先ほど見た第二屋の池の隅のナナカマドがひときわ緋色に輝く。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​​​
プログラムオートで撮影 (​ ​f6.3 1/​640秒 92mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
23.「亭榭」​​​​​​
「臨春閣」から「聴秋閣」へは池に流れ込む小さな川に架かる橋を渡るが、その橋を「亭榭」という.「亭榭」とはあずまやのことだ。三渓自身の設計で作らせたものだそうで、修学院離宮の千歳橋に類似した橋亭だそうだ。立派な造りのあずまやである。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​​​​​
プログラムオートで撮影 (​ ​f3.5 1/​250秒 18mm ISO800​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
24.「旧天瑞寺寿塔覆堂」 -2​​​​​​​​
「旧天瑞寺寿塔覆堂」の「亭榭」側からは、陽の光を透過するモミジが眺められた。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​​​​​​​
プログラムオートで撮影 (​ ​f8 1/​250秒 18mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
25.「蓮華院」と竹林​​​​​​​​​​
「蓮華院」は三渓の構想により大正6年(1917年)に建てられた6畳と2畳中板のある茶室という。蓮華院という名は、三溪が茶会を催した際に広間の琵琶床に、奈良東大寺三月堂の不空羂索観音が手に持っていた蓮華を飾ったことに由来していると言われる。 当初、「聴秋閣」の近くに建てられたが、 第二次世界大戦後に竹林にある茶室という構想のもとに現在の位置へ再築されたそうだ。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​​​​​​​​​
プログラムオートで撮影 (​ ​f3.5 1/​250秒 18mm ISO2000​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
26.「海岸門」​​​​​​​​​​​​
ざっとであったが内苑を見て歩き、今度は三重塔の方へ行ってみることにした。「海岸門」から内苑を出る。京都・西方寺にあったという「海岸門」は江戸時代に建てられ、ここには大正時代に移築されてきたのだそうだ。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​​​​​​​​​​​
プログラムオートで撮影 (​ ​f4.5 1/​250秒 38mm ISO220​​​​ ​) 露出補正​ なし
;クリックすると大きな写真になります。


2014年6月21日

高野山と京都 5/21~24 3泊4日 (5) 東福寺 5月23日


 宇治からのJR奈良線「みやこ路快速」は14:09 に東福寺駅に到着した。降りる人はほとんどいない。改札を出て、九条通りを南へ歩くと、東福寺の北門があった。東福寺の塔頭である退耕庵、同聚院の前を通って、臥雲橋へ出る。臥雲橋を渡りながら、通天橋を眺める。日下門を左に、東福寺の境内に入る。日下門の右手が中門だ。
 受付があり、まっすぐ行くと通天橋だが、それは後にして、まず方丈庭園の拝観料400円を支払って、中に入る。幸い観光客は多くない。
 方丈庭園を南庭、西庭、北庭、東庭と拝観し、外に出る。次に通天橋を行く。秋には一面のモミジで真っ赤に染まるところだ。さらに開山堂、普門院及びその庭園を見て、愛染堂へ回る。 最後に、本堂に参拝し、立派な三門と恩遠池へ行った。ここはほとんど人がいなかった。
 東福寺に関する記述は、東福寺のホームページWikupedia を参照した。

3時半を少し回ったころだったか、客待ちをしていたタクシーに乗り、ホテルへ戻った。娘たち夫婦が帰ってくるのを待って、この日の夜は祇園、八坂を歩き、イタリアンの夕食。娘が誕生日祝いのスイーツのバースディ・プレートを用意してくれ、ほかのお客さんにもHappy Birthday to You と歌っていただいた。

71.臥雲橋
同聚院の前を通って、東福寺の境内に入る月下門から日下門へ行く途中に臥雲橋があった。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.2 1/170秒 6.4mm ISO800 ) 露出補正 なし
臥雲橋;クリックすると大きな写真になります。
72.臥雲橋から通天橋を望む
臥雲橋の途中から洗玉潤の緑の谷の向こうに通天橋が見えた。その右側の大きな屋根が方丈だ。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F7.1 1/800秒 20.1mm ISO400 ) 露出補正 なし
臥雲橋から通天橋を望む;クリックすると大きな写真になります。
73.日下門
東福寺の西側(伏見街道沿い)には北門、中門、南門の3つの門が並んでいる。その真ん中が中門(または中大門という)だ。中門は桃山時代のもので、平成5年(1993年)に京都府指定の文化財になっている。中門から境内のほうに歩いていくと、今度は日下門がある。こちらは江戸時代に建てられたもので、中門と同時に京都府指定文化財になったそうだ。この日下門の向こう、右側に見えるのは本堂である。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.2 1/420秒 7.3mm ISO400 ) 露出補正 なし
日下門;クリックすると大きな写真になります。
74.東福寺本堂(仏殿兼法堂)
明治14年(1881年)に仏殿と法堂が焼けた後、大正6年(1917年)から再建工事にかかり、昭和9年(1934年)に完成した。重層入母屋造りの大きな建築物だ。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.6 1/900秒 7.3mm ISO400 ) 露出補正 なし
東福寺本堂(仏殿兼法堂);クリックすると大きな写真になります。
75.経蔵
日下門から入って左側にある。なかなか瀟洒な建物だ。摂政の九条道家が開山(初代住職)として迎えた円爾弁円(聖一国師)は、仁治2年(1241年)宋から帰朝の際一千余の典籍を持ち帰り、我が国文教の興隆に多大な貢献をなした。それらの経典が納められていたという「経蔵」である。江戸時代寛政5年(1793年)の再建になる。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F5.6 1/900秒 5.9mm ISO400 ) 露出補正 なし
経蔵;クリックすると大きな写真になります。
76.方丈庭園南庭 -1
通天橋の手前にある受付で、方丈庭園への拝観料をお支払いし、靴を脱いで中に入った。まず、南庭から観る。方丈とは、禅宗寺院における僧侶の住居であり、後には相見(応接)の間の役割が強くなったという。東福寺方丈は、明治14年の火災により仏殿、法堂、庫裏とともに焼失しましたが、明治23年(1890年)に再建され、災禍を免れた三門、東司、禅堂、浴室などの中世禅宗建築とともに、現代木造建築の精粋を遺憾なく発揮している。方丈はこの南庭に面して建てられている。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F6.4 1/850秒 4.4mm ISO400 ) 露出補正 なし
方丈庭園南庭;クリックすると大きな写真になります。
77.方丈庭園南庭 -2
76.の右手(西方)になる。「五山」になぞらえた築山を置き、その苔地と砂紋とを区切る斜線の表現が効果的であるという。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.6 1/800秒 8.1mm ISO100 ) 露出補正 なし
方丈庭園南庭 -2;クリックすると大きな写真になります。
78.方丈
明治23年に再建された方丈。この方丈の前に南庭が広がる。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.2 1/180秒 7.3mm ISO400 ) 露出補正 なし
方丈;クリックすると大きな写真になります。
79.北庭 小市松
ウマスギゴケとの対比が色鮮やかな市松模様の敷石は、もと恩賜門(南庭中央の門)に使われていたものだそうだ。方丈庭園は昭和の名作庭家である重森三玲の昭和14年の作で、「八相の庭」と命名され、近代禅宗庭園の傑作とされているそうだ。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.2 1/550秒 6.4mm ISO200 ) 露出補正 なし
北庭 小市松;クリックすると大きな写真になります。
80.東庭
雲模様地割に円柱の石で北斗七星を構成し、北杜の庭とも呼ばれる。北斗七星に見立てた石は、重要文化財である旧便所の東司の柱石の余った石を利用したものだそうだ。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4.0 1/800秒 5.5mm ISO400 ) 露出補正 なし
東庭;クリックすると大きな写真になります。
81.方丈の縁側
方丈の南庭に向いた縁側に座って、観光客が庭を眺めていた。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.6 1/250秒 9.7mm ISO250 ) 露出補正 なし
方丈の縁側;クリックすると大きな写真になります。
82.通天橋へ
方丈庭園「八相の庭」を鑑賞して、外に出る。受付のところから洗玉澗(せんぎょくかん)の谷間に架けられた通天橋への道を進む。初夏の緑が美しいが、秋はモミジで真っ赤になるのだろう。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4.0 1/160秒 13.8mm ISO160 ) 露出補正 なし
通天橋へ;クリックすると大きな写真になります。
83.通天橋 -1
本堂などがある主要伽藍の北側の洗玉澗という渓谷には、西から東へ臥雲橋、通天橋、偃月橋という3本の橋(東福寺三名橋)が架かる。通天橋は、本堂から通じる廊下 がそのまま屋根付きの橋となったもので、この付近は特に紅葉の名所として知られる。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.2 1/160秒 5.0mm ISO400 ) 露出補正 なし
通天橋 -1;クリックすると大きな写真になります。
84.通天橋から臥雲橋を望む
洗玉澗の渓谷の向こうには、さっき渡ってきた臥雲橋が見えた。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.2 1/160秒 5.0mm ISO400 ) 露出補正 なし
通天橋から臥雲橋を望む;クリックすると大きな写真になります。
85.通天橋 -2
通天橋を普門院のほうに進む。ここは通天橋の中頃にある屋根のかかったところを通り過ぎて、渡ってきた受付のほうを振り返って撮った。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.6 1/105秒 8.8mm ISO400 ) 露出補正 なし
通天橋 -2;クリックすると大きな写真になります。
86.開山堂
通天橋を渡り終わって、門をくぐって、正面に開山堂、左手に普門院がある池泉式庭園に入る。サツキや菖蒲が咲く庭園にはクロアゲハが飛んできていた。開山堂は別名「常楽庵」といい、正面柱間八間、禅式瓦敷を特徴とし、祀堂に開山国師像を安置する。この写真は開山堂上層にある楼閣である。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F5.0 1/850秒 15.5mm ISO400 ) 露出補正 なし
開山堂;クリックすると大きな写真になります。
87.浴衣姿の生徒たち
開山堂の門をくぐって大勢の着物(浴衣)姿の子供たちが入ってきた。中学3年生くらいだろうか。どういう子供たちなのかわからない。お茶とか、お花の学校の生徒たちだろうか。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4.0 1/850秒 11.9mm ISO400 ) 露出補正 なし
浴衣姿の生徒たち;クリックすると大きな写真になります。
88.普門院の縁側
開山堂(常楽庵)の西側に京都十刹の一つである普門寺があった。普門寺は寛元4年(1246年)、大相国九条道家(1193年~1252年)が東福寺建立に先立って普門院を開堂し、円爾(えんに、1202年~1280年)に住まわせたのが始まりである。現在は廃寺となってしまい、名称は東福寺常楽庵の客殿・庫裏・塔司寮に継承されている。つまり、この写真の普門院は東福寺常楽庵の客殿・庫裏・塔司寮である。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.6 1/640秒 8.2mm ISO400 ) 露出補正 なし
普門院の縁側;クリックすると大きな写真になります。
89.モミジ
高野山の壇上伽藍へ行く蛇腹道にも、初夏なのに真っ赤なモミジがあったが、ここにも赤いモミジがあった。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F6.4 1/800秒 35.2mm ISO400 ) 露出補正 なし
モミジ;クリックすると大きな写真になります。
90.愛染堂
普門院の総門である月下門のほうへ歩いていくと朱塗りの柿(こけら)葺き八角円堂の愛染堂があった。南北朝時代の建築で昭和12年万寿寺より移築された。愛染明王が祀られている。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.6 1/800秒 6.4mm ISO200 ) 露出補正 なし
愛染堂;クリックすると大きな写真になります。
91.本堂
本堂のお参りが最後になってしまった。大きな建物である。東福寺は1319年(元応元年)、1334年(建武元年)、1336年(延元元年)の相次ぐ火災により大部分を焼失するが、直ちに復興に着手し、1346年(貞和3年)には、前関白一条経道によって仏殿が再建され完全な禅宗寺院としての寺観を整えていた。そして、現在の本堂は1881年(明治14年)に仏殿と法堂が焼失した後、1934年(昭和9年)に再建された重層入母屋造の建物である。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F5.0 1/800秒 6.0mm ISO400 ) 露出補正 なし
本堂;クリックすると大きな写真になります。
92.本堂正面
創建当初の仏殿には、15mの釈迦仏像が安置され、脇侍の観音・弥勒両菩薩像は7.5mメートルもあって、新大仏寺として喧伝されていたという。現在の本堂には、本尊の釈迦如来立像、脇侍の摩訶迦葉尊者・阿南尊者立像、四天王像が安置されている。本尊の釈迦三尊像は、1881年(明治14年)に仏殿が焼失した際、万寿寺から移された鎌倉時代の作の像で、もとは三聖寺に安置されていたものだという。本尊の釈迦三尊像は外から垣間見ることができた。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.6 1/300秒 8.8mm ISO400 ) 露出補正 なし
本堂正面;クリックすると大きな写真になります。
93.国宝 三門
東福寺の一番南側にある壮大な伽藍の正門である三門は、最も格式の高い五間三戸の二重門である。高さは東大寺南大門の25mには及ばないが22mもある最大級の三門だ。三門とは三解脱門(さんげだつもん)の略で、三解脱とは涅槃に入るための空・無相・無作の三つの解脱門を寺院の門に擬したものだそうだ。三門は室町初期の作で、禅宗三門として最後の遺構である。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.2 1/680秒 7.3mm ISO400 ) 露出補正 なし
国宝 三門;クリックすると大きな写真になります。
94.思遠池
三門の裏側に回ってみると思遠池という池があった。本来、こちら側が正面なのだ。これで東福寺の拝観を終えることにした。秋の紅葉のころに来てみたいが、秋の京都はホテルがとれないほどで、特にここ東福寺は紅葉の名所で、人出が多いと聞く。それを思うと今回はゆっくりと、新緑の季節に東福寺を巡ることができた。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F5.0 1/900秒 4.6mm ISO400 ) 露出補正 なし
思遠池;クリックすると大きな写真になります。
95.祇園
東福寺からタクシーで四条烏丸のホテルに戻り、一休みした後、伏見稲荷で別れた娘たち夫婦と合流し、夕暮れの祇園を歩く。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.2 1/30秒 7.0mm ISO500 ) 露出補正 なし
祇園;クリックすると大きな写真になります。
96.建仁寺
祇園の花見小路の突き当たりに建仁寺という大きなお寺があった。京都五山の第3位だそうだ。花見小路は今までも何度か歩いたことはあるが、ここまで来たことはなかった。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4.5 1/400秒 11.6mm ISO3200 ) 露出補正 なし
建仁寺;クリックすると大きな写真になります。
97.八坂の塔
花見小路を建仁寺の山門の前で左へ曲がる。建仁寺の塀に沿って右へいき、すぐ左へ。東大路通りを渡って、少し右に進み八坂の塔が見える石畳の道を上る。八坂の塔(法観寺)に突き当たったところを左へ行った、全く静かな、こんなところにレストランがあるのかというところに「イル・ギオットーネ」があった。娘たちが、母の日と、父の日と、私の誕生日、そして自分(娘)の誕生日を祝ってくれた。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F5.0 1/200秒 17.1mm ISO3200 ) 露出補正 なし
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