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2022年12月25日

金沢紀行 11月20日~22日 その8 にし茶屋街 と 忍者寺 11月21日

近江町市場のエルザ口を出て、百万石通り(国道157号線)からタクシーに乗り、にし茶屋街に向かった。157号線を南に進み、犀川に架かる犀川大橋を右に行ったところがにし茶屋街の入口だった。
 にし茶屋街は金沢三茶屋街のひとつで、文政3年(1820年)、加賀藩12代藩主前田斉広の公許を得たことにより、ひがし茶屋街と共に誕生した。金沢城の方角からそれぞれ「東の廓」、「西の廓」と呼ばれた。現在でも料亭や芸妓置屋が立ち並び、藩政期の独特の雰囲気を味わうことができる。金沢の茶屋街において、にし茶屋街に在籍する芸妓数は最大となっているそうだ。多くの観光客で賑わうひがし茶屋街に比べ、にし茶屋街のエリアは南北130m、東西180m、1.8haが指定エリアと小さいが、約100mの目抜き通りは江戸時代の面影を色濃く残し、出格子が美しい2階建ての茶屋建築に老舗割烹が軒を並べ、趣のある一角を作り上げている。夕暮れ時になると、着飾った芸妓が街を歩き、家並みからは三味線の音色が流れて、芸の町・金沢の夜が感じられるという。いわば、現役の茶屋街なのである。確かに観光客の姿は少なかった。夕暮れ時に訪れると良かったのかもしれない。
 にし茶屋街の近くには「寺町台寺院群」がある。しかしこの日は、兼六園、金沢城公園、近江町市場と歩き回って、少々疲れてきた。ちょっと休もうと、和風のカフェとみて入った「甘納豆かわむら」という店の店員さんに、比較的近くにある忍者寺(妙立寺)へ行く道を教えてもらう。忍者村の境内に入ると、外国人を含め多くの観光客の姿があった。拝観は要予約となっている。
 そこから歩いて犀川大橋を渡り、片町にあるホテルに戻った。一休みして、夕食は、あれこれ考えるのも "しんどい" ので、また昨日と同じ、ホテルの近くにある寿司屋へ行くことにする。酒の肴に注文した、12月から禁漁になる白エビのから揚げがとても美味かった。
 記述については、wikipedia、金沢旅物語などのサイト、また、各店のことについてはそれぞれのホームページなどを参照させていただいた。

000_221121223 X700 金沢 にし茶屋街 G7X.jpg
金沢三茶屋街の一つ 「にし茶屋街」の出格子が美しい街並み 2022年11月21日 石川県金沢市野町

164_221121214 X800 金沢 にし茶屋街 G7X.jpg 164.にし茶屋街入り口
タクシーは犀川大橋を渡り、寺町通りを右に曲がって、にし茶屋街の入り口で止めてくれた。入り口の前に立つと茶屋街には観光客は少なく、それほど長くない茶屋街の全貌を見渡すことができた。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1000秒 13mm ISO125 ) 露出補正 なし
165_221121215 X800 金沢 にし茶屋街 G7X.jpg 165.にし茶屋街
にし茶屋街は、この通りがメインストリートで茶屋建築の町屋が続く。およそ100mほどだ。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1000秒 13mm ISO160 ) 露出補正 なし
166_221121216 X800 金沢 にし茶屋街 G7X.jpg 166.「らくがんや」
茶屋街の入り口の右側に、「らくがんや」という店があった。落雁とは、米や麦、豆などの穀類を蒸してから作った粉に砂糖や水あめなどの甘味を加えて着色し、さまざまな形の型に押し固めて乾燥させた干菓子である。暖簾に「諸江屋」とある。「諸江屋」は、嘉永2年(1849年)創業の和菓子屋だそうだ。落雁を中心に金沢の菓子文化を今に伝えるとうたう。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1000秒 13mm ISO160 ) 露出補正 なし
167_221121217 X800 金沢 にし茶屋街 G7X.jpg 167.手裏剣体験 忍者武器ミュージアム
金沢らしい店があった。中に入ってみなかったが、館内には、手裏剣や鎖武器、甲冑の他、50種類、約160点が展示されているそうだ。子供にも楽しめる「手裏剣体験」コーナーもあり、もちろんお土産ショップもある。近くの寺町には忍者寺もある。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1000秒 13mm ISO500 ) 露出補正 なし
168_221121218 X800 〇金沢 にし茶屋街 G7X.jpg 168.出格子 -1
にし茶屋街は、出格子が美しい2階建ての茶屋建築が並ぶ。出格子とは、町屋の1階の表通りに突き出た形式の格子のことだ。木虫籠と書いて「きむすこ」または「きむしこ」と読む金沢の町家の特徴である格子は、割付が細かい出格子(格子の桟の間隔が狭い)で、インドのベンガル地方の赤色顔料を用いたことから「弁柄(紅殻)格子」とも呼ばれるようになったという。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1000秒 21mm ISO640 ) 露出補正 なし
169_221121219 X800 金沢 にし茶屋街 G7X.jpg 169.にし茶屋街の説明板
にし茶屋街一帯は、明治13年(1880年)の大火により焼失してしまったが、通りに面して、一階に揃いの出格子を設け、座敷を備える背の高い二階を吹放しの縁側とする藩政期以来のお茶屋の伝統的な街並みが、大火以降も踏襲されて現在に残っていると記されていた。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 16mm ISO320 ) 露出補正 なし
170_221121220 X800 金沢 にし茶屋街 G7X.jpg 170.出格子 -2
外側は美しい茶屋建築である。しかし、右側の建物は「数登美」という古いお茶屋を改装した和風モダン・バーだそうだ。ここは夜に来ないとわからない。左側の建物は割烹、懐石料理 「にし料理茶屋」という。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1000秒 12mm ISO500 ) 露出補正 なし
171_221121221 X800 金沢 にし茶屋街 G7X.jpg 171.越前おろしそば「手打ちそば はなれ」
越前おろしそばという暖簾の掛かった店を、外国人連れの観光客が覗き込んでいた。ここは「手打ちそば はなれ」という店だった。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 32mm ISO1000 ) 露出補正 なし
172_221121222 X800 〇金沢 にし茶屋街 Dr.Xのすし屋G7X.jpg 172.すし屋「桜桃(ゆすら)」
赤い床几に2人の観光客が待っている店は、すし屋「桜桃(ゆすら)」という。「現地ガイドが配信する金沢観光メニュー」というサイトを見ると、この店、「Doctor-X 外科医・大門未知子 スペシャル」で撮影に使われた店だそうだ。この店は2014年2月まで「田むら」という贔屓のお客さんの多い有名な寿司屋だったらしい。店を閉める時には、石川県で最も部数のある北國新聞に「にし茶屋街の名店に別れ 寿司・田むら 今月限り」と大きく掲載されたという。店主の田村さんが高齢になったため閉店と記されていた。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2 1/1000秒 11mm ISO400 ) 露出補正 なし
173_221121226 X800 〇金沢 にし茶屋街 G7X.jpg 173.西検番事務所
にし茶屋街の芸妓たちの稽古場や管理事務所として、大正11年(1922年)に建築された。事務所のある洋風建築が正面に建ち、その洋風の事務所棟と中庭を隔てた木造2階建、和風の稽古場棟とから成り、事務所棟は寄棟造、桟瓦葺の木造2階建、下見板張りで、明治期に流行したバージボード(軒先飾板)付きの玄関ポーチに特色がある。稽古場のある和風建築が奥に繋がっている。伝統的な茶屋建築が建ち並ぶにし茶屋街において、洋風意匠が目を引くシンボル的な存在である。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2 1/1000秒 11mm ISO125 ) 露出補正 なし
174_221121225 X800 金沢 にし茶屋街 G7X.jpg 174.「甘納豆かわむら」 テイクアウト専門店「MAME ノマノマ」
西検番事務所の前、ちょうどにし茶屋街のメインストリートが終わるあたりに「甘納豆かわむら」という和菓子店のような感じの店があった。「甘納豆かわむら」には、「MAME ノマノマ」というモナカスイーツなどのテイクアウト店があった。「甘納豆かわむら」で注文すると蔵や中庭を眺められるところに用意された椅子のあるところで食べることができた。ラムレーズンの最中スイーツを注文すると、早めに食べてくれという。モナカのサクサク具合が保たれる時間が6分なのだそうだ。「甘納豆かわむら」の2階は「サロン・ド・テ・カワムラ」というカフェになっていた。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO250 ) 露出補正 なし
175_221121230 X800 金沢 にし茶屋街 G7X.jpg 175.「甘納豆かわむら」の店内
店内の様子を撮らせていただいた。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO2500 ) 露出補正 なし
176_221121231 X800 金沢 にし茶屋街 G7X.jpg 176.「MAME ノマノマ」で注文
テイクアウト専門店「MAME ノマノマ」でラムレーズンの最中を注文し、ここにあるベンチで食べた。写真に見える蔵の中にも椅子があり、空いていればそこでも食べられる。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO200 ) 露出補正 なし
177_221121232 X800 金沢 寺町寺院群 G7X.jpg 177.願念寺
「甘納豆かわむら」で会計をする際に、忍者寺への行き方を聞いてみた。西検番事務所の右手の路地を道なりに行って、国道157号線を渡って、そのまままっすぐ行くと着くという。その途中、157号線(ここでは南大通りという)を渡って少し行くと右手に願念寺という寺があった。願念寺は「寺町台寺院群」の一角にある。真宗大谷派の寺で、慶長年間(1596年~1615年)創建で、万治2年(1659年)に河原町(現在の片町)からここに移転した。本堂は文化5年(1808年)に再建されたもので、いわゆる現代の真宗の本堂形式の典型的な建物だそうだ。後から知ったが、境内に松尾芭蕉の「塚もうごけ我が泣く声は秋の風」の句碑があり、この句は奥の細道の旅の途中、弟子・小杉一笑の死を知って詠んだ句という。寺町は加賀藩3代藩主前田利常の城下町づくりによって、犀川南岸の高台に70を超える寺院が集められた町である。寺院が並ぶ寺町通りの築地塀の連なりや、苔むした石垣は、今もなお藩政時代の香りを漂わせている。寺町台は2012年(平成24年)、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定された。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO1250 ) 露出補正 なし
178_221121235 X800 金沢 寺町寺院群 妙立寺 G7X.jpg 178.妙立寺(忍者寺) -1
加賀藩第三代藩主前田利常が創建した。複雑な建築構造と外敵を欺く仕掛けから、忍者寺(にんじゃでら)とも呼ばれる。ちょっと長くなるがwikipediaを引用させていただくと、「寛永20年(1643年)、三代藩主利常が金沢城の近くから移築建立する。利常は徳川幕府により改易されるのを避けるため、徳川家から嫁を迎えるとともに母親を人質に出し、鼻毛を伸ばして馬鹿殿様を演じることで幕府を欺き安心させる。一方、多くの武士が起居できる寺院群(現在の寺町寺院群)を新築し、その中心に出城の役目を持たせた妙立寺を建立する。要塞としての機能を備えた妙立寺は、隠し階段・隠し部屋・落とし穴・見張り台・金沢城へ続く地下通路など外敵を欺く種々な仕掛けを備える。忍者寺と称されるのは、同寺に忍者がいたからではなく、伽藍の複雑な建築構造に由来する。建造は、日蓮の法孫、日像と伝えられる。」と記されている。なんで利常は城下町の寺院を移転させてまで、わざわざ寺町を築いたのだろうか。その理由は二つあるという。一つは、金沢城の防衛能力を強化する為である。金沢城は弱点も多く、あまり堅固な城郭ではなかった。そこで城下町の入口に寺町を設ける事で、有事の際にはこれらの寺町に武士を配置し、砦として用いる意図があった。もう一つの理由は、一向一揆対策だった。一向宗以外の寺院をまとめ、一向宗の寺院はあえて城下町内に散在させたままにしておく事で、一向宗に対して監視の目を光らせ、一揆を未然に防ぐという目的があったという。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2 1/1000秒 11mm ISO1250 ) 露出補正 なし
179_221121236 X800 〇金沢 寺町寺院群 妙立寺 G7X.jpg 179.妙立寺(忍者寺) -2
この妙立寺は日蓮宗の寺院である。寛永20年に日通上人が運上町に創建、のちに藩命により、能登の石動山、新堅町へと移築され、万治2年(1659年)現在地に転じている。文久2年に祖師堂の一部を焼失、それ以前は、ここ、願念寺の前の通りを正面としていたが多数の参拝者で混雑のため、13代藩主前田齋泰の命により、兼六園内にあった「竹澤御殿」の正門を移築、鶴来街道(県道179号)側を正面とした。ここ(写真178)はいわば旧正門ということか。この左わきの路地を進んだ右側に境内、本堂があった。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2 1/1000秒 11mm ISO1250 ) 露出補正 なし
180_221121237 X800 金沢 寺町寺院群 妙立寺 G7X.jpg 180.妙立寺(忍者寺) -3
旧正門と思しきところの左側の路地の先は、絵馬が奉納されているところがあり、ここから見ると閑静な寺に思えた。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2 1/1000秒 16mm ISO1250 ) 露出補正 なし
181_221121240 X800 金沢 寺町寺院群 妙立寺 G7X.jpg 181.妙立寺(忍者寺) -4 境内と本堂
絵馬が奉納されているところから右を見ると、そこは境内と本堂になっていて、多くの観光客がいた。鶴来街道側の門から入ってきた参拝者だ。本堂は幕命で3階建て以上の建物は禁止されていたことにより、外観は2階建てだが、内部は4階建て7層になっているという。中2階、中々2階があり、部屋数は23、階段数は29もあるのだとか。藩主が庶民に気づかれずに、お忍びで詣るための隠し拝殿が、本堂内に中2階のような形で設けられている。戦火を免れた妙立寺は、歴代藩主の祈願所として崇拝される。北陸の豪雪に耐え、その独特の建築様式を現在に伝えている。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 17mm ISO500 ) 露出補正 なし
182_221121241 X800 金沢 犀川大橋 G7X.jpg 182.犀川大橋 -1
忍者寺に入ってきた路地を戻り157号線に出て右へ行くと、犀川大橋が見えてきた。車道上部の梁には、現在の犀川大橋が完成した1924年(大正13年)当時の石川県知事であった長谷川久一が記した橋名板が掛けられている。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/1250秒 37mm ISO125 ) 露出補正 なし
183_221121243 X800 神明宮大けやき G7X.jpg 183.神明宮の大ケヤキ(欅) -1
犀川大橋の手前、左側に大きなお社があった。まず、大きなケヤキの木が目につく。そこは、幣形に串刺しにした餅を聖火であぶり食すると悪事災難厄除けに御利益があると言われている300年以上続く「あぶり餅神事」でも知られていて、詩人中原中也や文豪室生犀星とも縁深い神社だそうだ。境内には樹齢1000年を超える大ケヤキが立っている。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1000秒 13mm ISO200 ) 露出補正 なし
184_221121247 X800 神明宮大けやき G7X.jpg 184.神明宮の大ケヤキ -2
神明宮の御神木で、パワースポットでもある "神明の大けやき" は、樹齢1000年を越えると云われる県下最大の大けやき(樹高33m、幹周7.83m、枝幅25m)で、1943年(昭和18年)に当時の文部省より「史跡名勝天然記念物」の指定を受け、金沢市指定保存樹の第一号であると説明されていた。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 24mm ISO800 ) 露出補正 なし
185_221121251 X800 〇神明宮大けやき G7X.jpg 185.神明宮 大ケヤキの紅葉
神明宮は天照皇大神、豊受姫神を祭神とし、古来より "お神明さん" の愛称で親しまれ、金沢旧五社(藩政期より藩主・前田家の信仰特に厚く、中別当または社僧が奉仕しないで、神官だけが守護する5つの神社)の一社で、加賀藩5代藩主・前田綱紀は当宮を氏神とするに至ったそうだ。そして、全国七神(他の6つは東京・芝神明、山形・湯殿山神明、大阪城神明、長野・安曇神明、京都・東岩倉神明、京都・朝日神)、または三神明の一社と云われる。私が住む横浜市保土ヶ谷にも神明社がある。神明社、神明宮は神社本庁によると日本全国に約5千社あるとされている。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 37mm ISO320 ) 露出補正 なし
186_221121254 X800 犀川大橋 G7X.jpg 186.犀川大橋 -2
再び犀川大橋に向かって歩く。犀川大橋の橋長は62.3 m、幅員は18.7 m(完成当時の幅員は車道12.5m、歩道1.8mX2)である。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5.6 1/1250秒 37mm ISO125 ) 露出補正 なし
187_221121255 X800 〇犀川大橋 G7X.jpg 187.犀川大橋から犀川下流の眺め
浅野川の愛称「女川」に対して、犀川は、「男川」と呼ばれ金沢市を流れて日本海に注ぐ二級河川である。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/1250秒 21mm ISO125 ) 露出補正 なし
188_221121259 X800 〇犀川大橋 G7X.jpg 188.犀川大橋から犀川上流の眺め
金沢市の南端に位置する奈良岳に源を発し北流する。上流には犀川ダム、内川ダムがあり、さらに2012年(平成24年)には、洪水対策として工事が行われていた辰巳ダムが竣工した。江戸時代初期、犀川上流の水を金沢城に引いた辰巳用水が建設され、現在も流れている。そのほか、金沢市内を流れる数々の用水が取水しており、市民の水資源として重要な役割を果たしている。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/1250秒 37mm ISO125 ) 露出補正 なし
189_221121262 X800 〇犀川大橋 G7X.jpg 189.犀川大橋 -3
現在の犀川大橋は1924年(大正13年)に完成し、国の登録有形文化財に登録されている。犀川大橋の完成当時は鋼材が関東大震災の影響もあり入手し難く、英国産を一部使用している。最初の架橋は加賀藩祖、前田利家が造った木造大橋だ。城下一の大きさを誇り、犀川に架かる唯一の大橋であったことから、今と変わらず当時も人の交流や物流が盛んだったという。明治維新以後も洪水や氾濫により度々流失し、明治31年(1898年)に木造橋最後の架け替えが行われた。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/1250秒 14mm ISO125 ) 露出補正 なし

2022年8月16日

明治村 7月8日

名和昆虫博物館と、もう一か所是非行って見たいところがあった。明治村である。明治村の正式名称は「博物館明治村」で愛知県犬山市にある野外博物館・テーマパークだ。岐阜公園から、途中やなであゆを賞味した時間を除けば、約30km、1時間かかり、思っていたより遠かった。
 以下、wikipediaから引用させていただくと、明治村は1965年(昭和40年)3月18日、名鉄が用地の寄付をはじめ財政面で全面的に援助(基金拠出)し、犬山市の入鹿池の畔に開館した。明治時代の建造物等を移築して公開し、また明治時代の歴史的資料を収集し、社会文化の向上に寄与することを目的とした。第四高等学校(後の金沢大学)の同窓生だった谷口吉郎(博物館明治村初代館長)と土川元夫 (名古屋鉄道会長) が、戦後の急速な経済成長の蔭で失われつつある明治時代の建築物のうち、歴史上にも文化芸術上にも価値があるものを末永く保ちたいとの意見で一致し、そのための財団設立を構想したのが「明治村」の発端である。
 開村当時の施設は札幌電話交換局、京都聖ヨハネ教会堂、森鷗外・夏目漱石住宅など15件だったが、2007年現在では67件(蒸気機関車等も含む)に達している。博物館の敷地も2倍近くの100万㎡に広がっている。移築された建物には重要文化財に指定されたものが11件(14棟)あり、それ以外のほとんどの建物も登録有形文化財になっている。鉄道、郵便、酒造業、病院、裁判所、芝居小屋、学校、教会、灯台など明治の社会、文化の様々な領域を取り上げ、当時の建物とその内部の関連の展示で、一望することが出来るようになっている。歴史的に貴重な文化財を保存しているとともに、明治時代を追体験できる日本のテーマパークの嚆矢である。鉄道資料は静態保存だけでなく、旧京都電気鉄道(後に京都市電)の車両(狭軌1型)や蒸気機関車(名古屋鉄道12号 - 旧鉄道院160形)など、明治の車両を動態保存していることも特筆すべきことである。京都市電は1967年(昭和42年)3月18日、蒸気機関車は1974年(昭和49年)3月18日運行が開始され、いずれも村内移動用の乗り物として実際に乗車できる。京都市電と蒸気機関車は2010年12月20日より老朽による調査・点検のため一時運休していたが、京都市電は2012年9月28日より、蒸気機関車は12号のみ2012年11月8日よりそれぞれ運行を再開した。9号 - 旧富士身延鉄道1形も2015年3月15日運行再開。なお、名電1号は展示である。
 敷地面積が大きく、日本のテーマパークとしては同じく名鉄インプレスが経営するリトルワールドに次いで第3位である。歴史的建造物の多さやその広さから、ドラマの撮影やアニメのモチーフに頻繁に使われている。また明治東亰恋伽などゲームとのコラボレーションや、世界コスプレサミットのサブ会場としての提供なども実施しているという。
 説明文は、明治村のホームページ、現場の説明書きを参照されていただいている。
 明治村に到着したのは午後2時半だった。遅くとも4時には離村したい。明治村は1丁目から5丁目迄ある。北口から入ると5丁目から周り始めることになる。

000_220708212 X700 〇明治村 Z50 18-140.jpg
旧帝国ホテル中央玄関部を望む 大正12年築 昭和51年移築 2022年7月8日 愛知県犬山市 博物館明治村

033_220708199 X800 明治村 Z50 18-140.jpg 33.9号機関車 「SLとうきゃう駅」機関庫
村内には蒸気機関車が牽く列車と旧京都市電が、村内移動用の乗り物として走っている。明治5年(1872年)、日本で初めての鉄道(新橋-横浜間)が開通し、現在の明治村では、当時から走り続けている蒸気機関車12号・9号が村内の「SLなごや駅」と「SLとうきゃう駅」の間を繋いでいる。これはその9号機関車である。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/500秒 99mm ISO 2800 ) 露出補正 なし
034_220708201 X800 明治村 Z50 18-140.jpg 34.三等客車
実際に乗ることができる客車も、明治41年(1908年)製造のハフ11、明治45年(1912年)製造のハフ13・14の計3両あり、機関車も含めてすべて明治時代の車両で編成が組まれている。この日は走行中の列車を見ることが出来なかった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.3 1/500秒 72mm ISO 5000 ) 露出補正 なし
035_220708203 X800 明治村 Z50 18-140.jpg 35.旧帝国ホテル 玄関付近
北口から蒸気機関車・客車を見ながら地下通路をくぐってくると、旧帝国ホテルの脇に出てくる。写真右手がファサードである。昭和43年(1968年)に解体され、1951年(1976年)にここに移築されている。明治村ながらこの建物は大正12年(1923年)に建てられた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO 125 ) 露出補正 なし
036_220708209 X800 明治村 Z50 18-140.jpg 36.旧帝国ホテル玄関内
旧帝国ホテルの玄関を内側から撮った。首都の迎賓施設にふさわい華やかさと、設計者のフランク・ロイド・ライト(1867年-1959年)独自の設計思想が隅々まで行き渡り、全体の設計から各客室に至るまで、多様で他に類を見ない空間が実現されていたと評される。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 24mm ISO 640 ) 露出補正 なし
037_220708210 X800 明治村 Z50 18-140.jpg 37.旧帝国ホテル メインロビー
メインロビー中央は、3階までの吹き抜け空間になっている。中央玄関内のすべての空間は、この吹き抜けを囲むように配置されている。それぞれの空間で床の高さ、天井の高さが異なっており、大階段と左右の廻り階段を昇るごとに、新たな視界を楽しませてくれるのだ。建物の内外は、彫刻された大谷石、透しテラコッタによって様々に装飾。とりわけ左右ラウンジ前の大谷石の壁泉と、吹き抜けの「光の籠柱」と大谷石の柱、食堂前の「孔雀の羽」と呼ばれる大谷石の大きなブラケットは、見る人を圧倒する美しさである。大空間の中を光が上下左右に錯綜し、まわりの彫刻に微妙な陰影を与えることで、ロビーで過ごす時間を特別なものにしてくれると解説されていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3 1/180秒 24mm ISO 6400 ) 露出補正 なし
038_220708215 X800 明治村 Z50 18-140.jpg 38.金沢監獄中央看守所・監房 -1
左手に隅田川新大橋を見ながらまっすぐ進むと八角屋根の建物が見えてきた。金沢監獄中央看守所・監房である。中央看守所の屋根には見張塔がある。金沢監獄は明治5年(1872年)制定の「監獄則並図式」(監獄法)に沿って造られた監獄。八角形の看守所を中心に5つの監房棟が放射状に並ぶ洋式の配置である。監視室からは各監房棟の中廊下が一望に見渡せ、外部については看守所上部の見張り櫓から監獄全域の状況を把握できるため、管理上非常に効果的であった。石川県金沢市にあったものを、昭和46年(1971年)に解体され、47年(1972年)に移築された。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 26mm ISO 250 ) 露出補正 なし
039_220708218 X800 明治村 Z50 18-140.jpg 39.金沢監獄中央看守所・監房 -2
そのうち中央看守所と独居房として使用された監房の一部分が移築された。なお中央に置かれている監視室は網走監獄で使用されたものだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f8 1/500秒 18mm ISO 100 ) 露出補正 なし
040_220708220 X800 明治村 Z50 18-140.jpg 40.金沢監獄中央看守所・監房 -3
広い中廊下の左右には、独居監房の重い扉が整然と並んでいる。写真の左側にあるのが「書信室」で、主人たちが家族などへ手紙を書くところだ。廊下の右側に見えるのは独居監房で、扉の上にある換気用の高窓から、独房内の衛生面への配慮がうかがえる。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/160秒 18mm ISO 6400 ) 露出補正 なし
041_220708223 X800 明治村 Z50 18-140 - コピー.jpg 41.東京駅警備巡査派出所
右側の赤レンガの建物が、東京駅の丸の内側広場の中央にあった派出所。壮大な駅舎の竣工にあわせて建てられた。東京駅の駅舎は、辰野金吾の設計で大正3年(1914年)に竣工。一方でこの建物は、警視庁の設計によって同時期に建てたと伝えられている。東京駅駅舎との調和が図られている。建設年は大正3年(1914年)頃で、昭和43年(1968年)に解体、昭和47年(1972年)に移築された。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/160秒 29mm ISO 100 ) 露出補正 なし
042_220708225 X800 明治村 Z50 18-140.jpg 42.天童眼鏡橋
山形県天童市の倉津川に架けられた石造アーチ橋。もともとの名は多嘉橋。幅7.7m、長さ13.3mの規模で、地元産の山寺石を積んで造られている。日本のアーチ橋は、江戸初期に建造が始まり、長崎の眼鏡橋などが有名である。中国から伝来した技術が用いられたため、九州地方に多く架けられた。明治に入ると、欧米の技術も取り入れられ、各地で見られるようになった。東北地方のアーチ橋は、当時の県令(日本において、1871年・明治4年から1886年・明治19年まで置かれた県の長官)であった三島通庸による土木政策からも大きな影響を受けた。長崎の眼鏡橋が湾曲した床面を持つのに対し、この橋は、ローマの水道橋のような水平な床面になっている。建設年は明治20年(1887年)、昭和45年(1970年)に解体され、昭和51年(1976年)に移築された。向こうに見えるのは川崎銀行本店。左側の青い鉄骨は隅田川新大橋。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 31mm ISO 160 ) 露出補正 なし
043_220708231 X800 明治村 Z50 18-140.jpg 43.聖ザビエル天主堂 ファサード
16世紀に来日したフランシスコ・ザビエルを記念し、京都・河原町三条に建てられたカトリック教会堂。近代の京都でのカトリック布教は、明治12年(1879年)、パリ外国宣教会のヴィリオン神父が入洛したことが始まりとされている。フランスの篤志家から寄付を募って資金を集め、河原町三条にあった旧大名の蔵屋敷を購入して、明治23年(1890年)に、この教会堂が建てられた。昭和42年(1967年)に解体され、昭和48年(1973年)に移築された。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f7.1 1/500秒 18mm ISO 100 ) 露出補正 なし
044_220708234 X800 〇明治村 Z50 18-140.jpg 44.聖ザビエル天主堂 内部
建設にあたり、図面はフランスから取り寄せたとも言われている。設計は東京で在日宣教師の一人であったパピノ神父が担ったそうだ。信者であり、大阪で大工の棟梁をしていた横田彦左衛門が施工したと伝えられている。内陣には7体の聖像が鎮座する。右から、聖ステファノ(最初の殉職者)、聖ペテロ(十二使徒の第一使徒)、聖ヨセフ(聖母マリアの配偶者)、聖フランシスコ・ザビエル、大天使ミカエル、洗礼者聖ヨハネ(キリストに洗礼を施した人)、アッシジの聖フランチェスコ(フランシスコ会創設者)が配置されている。室内は身廊(入口から主祭壇に向かう中央通路のうちの袖廊に至るまでの部分)と側廊からなる三廊式で、大アーケード、トリフォリウム、クリアストーリーの3層による典型的なゴシック様式。天井は交差リブ・ヴォールト天井で、4本の柱で囲われた1つの区画の天井を、リブで四分割する四分ヴォールトとしている。柱やリブにはケヤキ材が用いられている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/320秒 18mm ISO 6400 ) 露出補正 なし
045_220708237 X800 明治村 Z50 18-140.jpg 45.聖ザビエル天主堂 バラ窓と十字架
バラ窓はゴシック様式の教会堂建築における特徴のひとつで、はめ込まれたステンド・グラスからの美しい光が、壮麗な空間を演出する。ここに展示されていたバラ窓は昭和48年、京都から移築するにあたり、保管と保存のため取り外したオリジナルと説明されていた。右側の十字架は、聖ザビエル天主堂が京都にあった当時、建物正面に立っていた。ケヤキを使い、一本から全体を彫り出した「丸彫」という技法で作られている。移築調査時、表面の劣化が進んでいたため、複製した新しい十字架を載せた。現在立っている十字架も風雪による劣化のため、明治村でも二代目になっている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/320秒 18mm ISO 6400 ) 露出補正 なし
046_220708240 X800 明治村 Z50 18-140.jpg 46.銭湯 半田東湯
知らないうちに4丁目に入った。4丁目には病院・硝子製造所・鉄道寮といった近代化する時代のなかで登場した施設はもちろん、江戸時代からの系譜を継いできた芝居小屋や銭湯なども立ち並ぶ。また、ブラジルやハワイなど、移民した日本人の住まいも見られる。この建物は、知多半島の港町に建てられた風呂屋。1階奥の浴室に置かれた浴槽は男湯と女湯がつながっていて、目隠しだけで仕切られている。銭湯は江戸時代以来、地域の社交場として欠かせない存在で、湯上がりの常連客などは、2階に上がって雑談に時を過ごしたという。表構え、番台などに江戸時代の湯屋のおもかげをとどめている。明治末年(1910年)頃に建てられ、昭和46年(1971年)に解体、移築は昭和55年(1980年)である。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 28mm ISO 280 ) 露出補正 なし
047_220708242 X800 明治村 Z50 18-140.jpg 47.村営バス停留所
帝国ホテルと正門の間を約20分で行ったり来たりしている。呉服座(次の写真)の前にあるのは、村内にある9っの停留所の中のひとつだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 28mm ISO 180 ) 露出補正 なし
048_220708243 X800 明治村 Z50 18-140.jpg 48.呉服座
銭湯・半田東湯の左隣に国指定重要文化財の呉服座があった。大阪府池田市西本町猪名川の川岸にあった芝居小屋で、もとは池田市本町にあった明治7年創業の戎座を、明治25年(1892年)に西本町へ移築したもので、このときに名称も「呉服座」と改められたそうだ。構造は江戸時代から続く伝統建築の名残をとどめた、木造2階建ての杉皮葺きである。建てられたのは明治25年(1892年)、解体は昭和44年(1969年)で、昭和46年(1971年)にここに移築された。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO 160 ) 露出補正 なし
049_220708244 X800 明治村 Z50 18-140.jpg 49.小泉八雲避暑の家
小泉八雲(1850年-1904年)はもとの名をラフカディオ・ハーンと言い、アイルランド人の父とギリシャ人の母の間に生まれた。アイルランドで教育を受けた後、アメリカで新聞記者などを経て、明治23年(1890年)に来日し、英語教師として松江中学を始め各地へ赴任した。、20年くらい前になるが、皆生温泉へ行った時に、松江では1年3か月弱暮らしたという小泉八雲の旧家を見てきた記憶が残っている。明治29年(1896)に日本に帰化し、同年東京帝国大学に招かれ教鞭をとるようになると、毎年夏を焼津で過ごすようになったそうだ。この家は魚屋の山口乙吉という人の家で、1階に通り土間を備えた典型的な町家(商人の家)である。建設年は明治初年(1868年)、 昭和43年(1968年)に解体され、 昭和46年(1971年)に移築された。 軒先を借りるように、昔懐かしい駄菓子が所狭しと並んでいる。一歩中に入る。竹とんぼや紙風船などの懐かしいおもちゃもあった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO 400 ) 露出補正 なし
050_220708245 X800 明治村 Z50 18-140.jpg 50.駄菓子屋 八雲
小泉八雲避暑の家の軒先を借りるように、昔懐かしい駄菓子が所狭しと並んでいる。一歩中に入ると、竹とんぼや紙風船などの懐かしおもちゃもあった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/320秒 18mm ISO 6400 ) 露出補正 なし
051_220708247 X800 明治村 Z50 18-140.jpg 51.本郷喜之床
東京の文京区本郷にあった屋号を「喜之床」と称する理髪店で、明治後期から大正初期にかけての商家の形式をうかがい知れる建物である。店の正面をガラス張りにしているのは当時の新しいスタイル。床屋は、ハイカラには、バーバーともいわれ、庶民の暮らしに欠かせない店屋だった。この建物の2階二間を明治42年(1909年)から間借りして家族と生活していたのが、歌人石川啄木だったそうだ。処女歌集「一握の砂」はここで暮らしているときに出版された。建てられたのは明治末年(1910年)頃。解体は昭和53年(1978年)、移築は昭和55年(1980年)だそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
052_220708250 X800 明治村 Z50 18-140.jpg 52.村営バス
呉服座の前を村営バスが通る。ナンバー・プレートにハイカラ4号とあるので、少なくとも4台は走っているのだろう。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.3 1/500秒 72mm ISO 800 ) 露出補正 なし
053_220708259 X800 明治村 Z50 18-140.jpg 53.鉄道寮新橋新橋工場(機械館) 活版印刷機
大きな建物があった。鉄道寮新橋工場は日本で初めて鉄道が走った新橋-横浜間の起点、新橋停車場に機関車修復所として建てられた。日本の鉄道はあらゆる技術をイギリスから導入して開発され、機関車や線路はすべてイギリス製だった。この機械館も柱、外壁、サッシ等、すべてイギリスから輸入し、イギリス人技術者の指導の下に建てられ、鉄造プレハブ建築として重要な建物であり、構造力学の理にかなったシンプルな美しさが魅力の建物である。内部には日本の近代化の過程で使われた多数の貴重な機械類が展示されていたが、写真はその一つ、旧国鉄の札幌印刷所で使われていた活版印刷機である。この機会を作った東京築地活版製造所は、明治6年(1873年)に日本で初めて本格的な活版印刷機の製造を開始した日本の活版技術のパイオニア 平野富二よって設立された。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/100秒 28mm ISO 6400 ) 露出補正 なし
054_220708261 X800 〇明治村 Z50 18-140.jpg 54.尾西鉄道蒸気機関車1号 -1
明治29年(1896年)に尾西鉄道が開業するにあたり、アメリカのブルックス社から購入した機関車。「2B1」と呼ばれる前輪2軸、動輪2軸、従輪1軸のタンク式蒸気機関車だ。明治31年(1898年)、弥冨ー津島間、同33年(1900年)の弥冨ー新一宮間が開通した尾西鉄道の1号機として、現在の名古屋鉄道尾西線を中心に活躍した。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 32mm ISO 640 ) 露出補正 なし
055_220708269 X800 明治村 Z50 18-140.jpg 55.尾西鉄道蒸気機関車1号 -2
大正14年(1925年)に尾西鉄道と名古屋鉄道が合併した際、この車両は名古屋鉄道の所有になり、その後、昭和10年(1935年)からは新潟県の信越線二本木駅に隣接する日本曹達株式会社内の工場専用機として使用され、入替作業に従事したという。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO 160 ) 露出補正 なし
056_220708272 X800 明治村 Z50 18-140.jpg 56.入鹿池
明治村の東側には大きな池があった。wikipediaによれば、入鹿池(いるかいけ)は、愛知県犬山市の入鹿、飛騨木曽川国定公園内にある人工の農業用ため池。2010年(平成22年)3月25日に農林水産省のため池百選に選定され、2015年(平成27年)には国際かんがい排水委員会による世界かんがい施設遺産にも登録された。周囲 は約16kmあり、貯水量 は 15,181 km3、面積 は 1521㎢あるという。池ではなく湖のようだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 58mm ISO 125 ) 露出補正 なし
057_220708280 X800 明治村 Z50 18-140.jpg 57.第四高等学校武術道場 弓道場
金沢の第四高等学校(現 金沢大学)に建てられたもので、柔道、剣道、弓道3つの道場からなる武道場。写真に写っていない母屋は、木造平屋建て、切妻造りの桟瓦葺きの建物。主屋正面の中央に切妻造りの玄関がつく。主屋内部は剣道場と柔道場の2つに分かれ、両妻の落ち棟に師範台と更衣室、背後に浴室を設けていた。この写真は弓道場で、主屋と土間を介してつながり、同じく木造平屋建て、切妻造りの桟瓦葺きの建物である。的屋は茅葺きで、厚く深い軒の下に的が置かれている。大正6年(1917年)に建てられ、昭和44年(1969年)に解体、翌年(1970年)に移築された。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 28mm ISO 360 ) 露出補正 なし
058_220708286 X800 明治村 Z50 18-140.jpg 58.名電1号形 22号
明治村開村50周年、名鉄創業120周年を記念して札幌市電に譲渡され交通資料館に保存されていた22号が期間限定で里帰りした。明治31年(1898年)京都についで日本で2番目に運行を開始したのは名古屋電気鉄道である。名電1号形は明治34年(1901年)に名古屋で製造され、明治40年代まで名古屋市内で運用されていた26人乗りの車両である。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 24mm ISO 450 ) 露出補正 なし
059_220708290 X800 明治村 Z50 18-140.jpg 59.名電1号形 22号 車内
しかし、乗降客の増加に伴い、この形の車両は使用されなくなり、予備車両として保管されていた。大正7年(1918年)に札幌電気軌道がこれらの車両20両余りを購入し改造を加え、運行を開始し、昭和11年ごろまで札幌市民の足として親しまれた。展示されている車両は札幌に譲渡された車両のうち唯一現存する車両である。2014年から2020年まで6年間の貸出展示の予定であったようだが、まだ展示されていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO 1000 ) 露出補正 なし
060_220708296 X800 〇明治村 Z50 18-140.jpg 60.レンガ通り通りと東山梨郡役所
3丁目を飛ばして2丁目に入っていた。レンガ通りの向こうに東山梨郡役所が見えて、着物姿のお嬢さん二人がこちらに歩いてくる。明治11年(1878年)に施行された「郡区町村編成法」により、県令(後の県知事)の任命する郡長が、郡内の行政を指揮監督することになり、各地に郡役所が置かれました。東山梨郡では、明治18年(1885年)にこの建物が日下部村に落成。当時の山梨県令であった藤村紫朗は、地元に多くの洋風建築を建てさせたという。突き当りに見えた東山梨郡役所は明治18年(1885年)に建てられ、昭和39年(1964年)に解体、昭和40年(1965年)に移築された。重要文化財である。レンガ通りの手前右側に、安田銀行会津支店の建物(明治40年・1907年築)があったが、そこはハイカラ衣装館となっていて、1人1着3,500円で着物を着て散策が出来る。2人のお嬢さんは、そこで着物を借り、返しに行くところだった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/500秒 87mm ISO 110 ) 露出補正 なし
061_220708282 X800 明治村 Z50 18-140.jpg 61.京都市電の線路
明治村で楽しみにしていたのは京都市電である。村内の市電名古屋駅ー京都七条駅ー品川灯台駅を往復している。レンガ通りを出たところに、京都七条駅があり、その線路が見えた。京都市電は明治28年(1895年)、現在の京都駅近くから伏見までの約6.4kmで開業。同年4月から岡崎公園で開催された第4回内国勧業博覧会の会場輸送の「足」として大いに利用された。世界では1881年ドイツで初めて電車の営業が開始されたが、日本での電車の営業においてはこの京都市電が最初となっている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 44mm ISO 250 ) 露出補正
062_220708304x 800 〇明治村 Z50 18-140.jpg 62.走行中の京都市電
現在明治村にある車両は、明治43年から44年にかけて製造された大型の車両という。京都で50年以上も使用していたため、大きく改造されていたようだが、8号車がオリジナルな形に復元された。京都市電2両は村内に静態保存されていたが、開村2年後の昭和42年3月から運転をはじめた。昭和36年に廃止された京都市電北野線で走っていた車両である。子供の頃(昭和22年頃)、両親とこの北野線に乗ったかすかな記憶がある。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 91mm ISO 100 ) 露出補正 なし
063_220708311 X800 明治村 Z50 18-140.jpg 63.蒸気機関車 SL名古屋駅
ふと時計を見ると午後4時になろうとしている。そろそろ引き上げなくてはいけない。北口に戻る途中、SLの終点、SL名古屋駅があった。汽車は1時間に1~2本しかない。走行中の汽車を見ることはできなかった。乗車区間は短く、乗車時間は5分である。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 22mm ISO 250
064_220708313 X800 〇明治村 Z50 18-140.jpg 64.帝国ホテル 撮影スポット
帝国ホテルまで戻ってきた。こんな撮影スポットが設けられていた。結局、1丁目から5丁目迄ある明治村を、北口から入ったので、5丁目と4丁目の主だったところと、3丁目のほんの一部しか見て来られなかった。広大な敷地に、充実した展示物が、70件近くもある。ゆっくりと見て歩くと1日かけても無理だと思う。次の機会に1丁目~3丁目を見たいと思うが、81歳の私には叶わないだろう。付き合ってくれた友人に、車で名古屋駅まで送ってもらったが、その車の中で、安倍晋三元首相が狙撃されたことを知った。そして帰りの新幹線の中で奈良県立医大病院で亡くなられたことを知った。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 26mm ISO 100


2022年8月12日

岐阜公園と名和昆虫博物館 7月8日

岐阜駅前のホテルにもどり、ゆっくり朝食をした。この日は朝10時に名古屋在住の親友がホテルまで迎えに来てくれる。チェックアウトをして、少し早めにホテルを出ると、すでに到着し、待ってくれていた。
 まずは名和昆虫博物館がある岐阜公園を目指す。15分くらい走って、岐阜公園の駐車場に入った。「若き日の織田信長像」と題された織田信長の銅像がある正門から岐阜公園に入った。まだ、人影は少ない。ゆっくりと緑に浸りながら、公園内を歩く。
 岐阜公園のいちばん南側の奥に「名和昆虫博物館」はあった。この日は金曜日、博物館は火、水、木曜日が休館日であったが、事前にこれを知り、ほっとしていた。入館料ひとり600円を支払って館内に入る。1階と2階が展示室になっていて、それほど広くはない。専門家だけではなく、一般の人や、子供たちにも理解でき、楽しませるような展示になっていた。受付では、標本も販売されている。記念にキナバルオナガタイマイ(ボルネオ)1頭を購入した。岐阜公園茶室、立礼茶席「華松軒」において抹茶と和菓子で一休みした。落ち着く。
 駐車場へ戻る道筋でゴマダラチョウを撮って、明治村へ移動する前に、昼食の話になった。友人から長良川沿いのやなであゆを食べないかと提案があり、賛成する。甘露煮、お造り,南蛮漬、塩焼き、みそ煮,フライ.と次々と出てきて全部で10尾ほど食べたのではなかろうか。特に新鮮な鮎の塩焼きの味は最高だった。骨抜きも上手くできた。

000_220708162 X700 〇岐阜公園 名和昆虫博物館 Z50 18-140.jpg
名和昆虫博物館入口 2022年7月8日 岐阜市大宮町(岐阜公園内)

011_220708058 X800 岐阜公園 Z50 18-140.jpg 11.「天下布武」印
岐阜公園を名和昆虫博物館を目ざして南へ進む。石囲いに腰かけて、女性がひとりスマホを使っていた。貨幣を形どったような造作がある。何だろうと思ったが、すぐそばに答えがあった。これは、織田信長の「天下布武」印と花押(いわばサイン)の石碑であった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 21mm ISO 110 ) 露出補正 なし
012_220708057 X800 岐阜公園 Z50 18-140.jpg 12.「天下布武」印の説明書き
織田信長は、永禄8年(1565年)9月頃から文書に麟(りん)の字をかたどった花押を使用するようになり、永禄10年(1567年)9月に岐阜に居城を移し、同年11月、「天下布武」印を使い始めたことが分かっているそうだ。この「天下布武」印によって、この文書が信長の意志によって作成され、それを伝えるものであることが示されている。「天下布武」という文面は、武力によって天下に号令するとの意志を示している。この翌年、信長は足利義昭を奉じて京都に進出するが、この印章の使用は、すでに岐阜を手に入れた段階で、天下を治める構想を練っていたことを示しているのだろうと目されている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 21mm ISO 450 ) 露出補正 なし
013_220708062 X800 岐阜公園 Z50 18-140.jpg 13.「信長の庭」
岐阜市のホームページでは、「天下統一を夢見た、岐阜ゆかりの武将 織田信長公 が駆け抜けた戦国時代の荒々しさをイメージした庭園です。永年にわたって岐阜公園を見つめてきた巨木を取り込み、長良川流域の巨大な石(約1,000t)を使った石庭として、当時の石組みの技法を用いて「剛」「静」「雅」の3つの滝と池からなり、近隣にはない規模の日本庭園です。また、当時の井戸を出土した場所に再現し、岐阜城下をイメージした「信長の町」やせせらぎ水路など、信長が居城していた時代を思い巡らしながら、四季折々の風景美と調和した素晴らしい眺めを楽しんでいただけます。」と紹介されている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.8 1/500秒 54mm ISO 6400 ) 露出補正 なし
014_220708065 X800 岐阜公園 Z50 18-140.jpg 14.冠木門
「信長の庭」の池が終わるところの左側(東側)に信長の居城跡が保存整備されているが、その居館跡の入り口には冠木門が設置され、館が建てられていた頃の雰囲気をしのばせている。ここより上の段には巨石列で区画された城主の居館があった。この冠木門は市内のロータリークラブから寄贈されたものであるが、当時の入り口はもう少し南側だったようだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 20mm ISO 640 ) 露出補正 なし
015_220708069m X800 岐阜公園 Z50 18-140.jpg 15.三重塔 -1
信長の居館跡辺りから三重塔が良く見えた。大正天皇御大典記念事業として大正6年(1917年)に、かっての長良橋の材木で建築された登録有形文化財だそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.8 1/500秒 45mm ISO 360 ) 露出補正 なし
016_220708079 X800 〇岐阜公園 Z50 18-140.jpg 16.三重塔 -2
日本画の巨匠として知られる川合玉堂が位置を定めたと言われている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/500秒 92mm ISO 280 ) 露出補正 なし
017_220708088 X800 岐阜公園 名和昆虫博物館 Z50 18-140.jpg 17.名和昆虫博物館 看板
岐阜公園を南へ進んでいくと名和昆虫博物館の看板が見えてきた。パンフレットによると、名和昆虫博物館は大正8年(1919年)10月26日に財団法人名和昆虫研究所の付属施設として、開館したという。当初は主に農作物害虫やシロアリなど家屋の害虫駆除のための啓蒙普及の場として先駆的な役割を果たした。時代とともに公共の害虫研究機関が発達するにあたり、その使命を自然教育の一環としての昆虫啓蒙普及に活動してきた。昆虫専門の博物館でしかも、全くの個人が設立し5代にわたって、今なお活動し続けている点で、他に類を見ないユニークな博物館と言える「日本で最も長い歴史を誇る昆虫専門の博物館」である。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 22mm ISO 110 ) 露出補正 なし
018_220708087 X800 岐阜公園 名和昆虫博物館 Z50 18-140.jpg 18.名和昆虫研究所記念昆虫館 (標本収蔵庫)
博物館の手前に、明治40年(1907年)6月に竣工した名和昆虫研究所記念昆虫館が見えた。この建物は標本収蔵庫として建てられた。昆虫博物館とともに近代日本を代表する建築家 武田五一氏の設計によるもので、歴史的にも価値がある。博物館は登録有形文化財、記念館のほうは岐阜市重要文化財に指定されている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 32mm ISO 110 ) 露出補正 なし
019_220708089 X800 岐阜公園 名和昆虫博物館 Z50 18-140.jpg 19.名和昆虫研究所記念昆虫館の側面
なお、名和昆虫研究所は明治29年(1896年)に、農作物や家屋の害虫の研究を主な目的として、名和靖 が独力で設立した。現在は一般財団法人組織なっている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 22mm ISO 400 ) 露出補正 なし
020_220708090 X800 岐阜公園 名和昆虫博物館 Z50 18-140.jpg 20.名和昆虫博物館 受付
歴史的な建物である博物館の入り口を入り、呼び鈴を押した。係の方が後ろの事務所から出て来られ、入館料をお支払いする。展示されている標本やパネルを撮影してよいかと尋ねたところOKとのこと。これは、ここで販売されている標本の写真である。標本製作は確かな技術を持った、当博物館の2名の経験豊かな職員の方がおこなっているとのこと。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 26mm ISO 3200 ) 露出補正 なし
021_220708102 X800 〇岐阜公園 名和昆虫博物館 Z50 18-140.jpg 21.ルードルフィア・ラインについてのパネル
名和昆虫研究所の創設者である名和靖氏は、研究所設立前の1883年(明治16年)に岐阜県郡上郡祖師野村(現在の下呂市金山町祖師野)で、のちに「ギフチョウ」と命名されるチョウを発見した。日本にはルードルフィア属として、ギフチョウとヒメギフチョウの2種が生息し、大まかに西にギフチョウ、東にヒメギフチョウと明確に棲み分けをしており、基本的にこの2種が同時に見られる事はない。両者はごく一部の混生地(山形の最上川流域や新潟県の糸魚川~長野県白馬村など)を除いて見事に棲み分けていて、その境界線をルードルフィア・ラインという。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 24mm ISO 2800 ) 露出補正 なし
022_220708103 X800 〇岐阜公園 名和昆虫博物館 Z50 18-140.jpg 22.ギフチョウに近い仲間
さすが、ギフチョウに関連する展示が多数あった。これは中国などに棲むシボリアゲハの仲間である。2011年8月中旬に、日本の調査隊6人が、ブータン政府の調査団とともに渓谷奥地の秘境で、78年ぶりにブータンシボリアゲハを確認した。このことはテレビでも詳しく報道された。来日したブータン国王夫妻が、日本の協力へのお礼としてブータンシボリアゲハ2頭を寄贈されたことが話題となった。ブータンシボリアゲハは「ヒマラヤの貴婦人」と呼ばれる幻の大蝶として知られている。ブータンシボリアゲハのほか、この仲間には、シボリアゲハ、シナシボリアゲハ、ウンナンシボリアゲハの3種が知られている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.2 1/500秒 36mm ISO 3200 ) 露出補正 なし
023_220708126 X800 岐阜公園 名和昆虫博物館 Z50 18-140.jpg 23.2階展示室
1階の展示室は、外国のカブトムシやクワガタの展示も多かった。そして、2階の展示室に上がる。華麗なチョウを集めた世界の美チョウ・コーナーが目を引く。自然教育の一環としての昆虫啓蒙普及を目的としてか「クイズで遊ぼう、学ぼう、不思議な昆虫の世界」と題した実物昆虫標本によるクイズ形式の展示が多くあった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 24mm ISO 3200 ) 露出補正 なし
024_220708131 X800 岐阜公園 名和昆虫博物館 Z50 18-140.jpg 24.モルフォ
世界の美チョウがグループ分けして展示されている。これは南米に生息するモルフォチョウの仲間で、中央の4頭はヘレナモルフォ、その周りを、レテノールモルフォなどが取り囲む。このグループは日本には生息していない。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.8 1/500秒 54mm ISO 4000 ) 露出補正 なし
025_220708149 X800 〇岐阜公園 名和昆虫博物館 Z50 18-140.jpg 25.各地のツマベニチョウの仲間
東南アジアに多く生息するが、日本にも沖縄県、鹿児島県に1種のツマベニチョウがいる。シロチョウ科最大のチョウで見栄えが良い。少年時代には憧れたチョウである。多摩動物園や足立区生物園の温室には飼育されたツマベニチョウが翔んでいる。私は那覇の公園でハイビスカスにきたツマベニチョウの写真を一度だけ撮影したことがある。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 29mm ISO 4000 ) 露出補正 なし
026_220708142 X800 〇岐阜公園 名和昆虫博物館 Z50 18-140.jpg 26.世界の美チョウ ギフチョウはどれ?
クイズ形式の標本展示である。東南アジアに棲むトリバネアゲハの仲間、中央アメリカ・南アメリカに住むミイロタテハの仲間、モルフォチョウの仲間を世界の3大美チョウという。この標本箱の中には、それ以外の美しい蝶も収められている。ギフチョウも入っている。博物館にお展示されているすべての標本を丁寧に見ることはできなかったし、写真に撮ることもできなかった。後日、このブログのため、ネット検索したところ、ほぼ完ぺきに名和昆虫博物館の展示について網羅されている Life Designs というサイトがヒットした。ヒナバルオナガタウマイ(ボルネオ)という蝶の標本を記念に購入した。見事な展翅である。外に出ると、先生に引率された幼稚園の子供たちだろうか、見学に来ていた。(トップの写真)

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 22mm ISO 3200 ) 露出補正 なし
027_220708170 X800 岐阜公園 華松軒 Z50 18-140.jpg 27.抹茶カフェ -1
名和昆虫博物館を退出し、駐車場へと歩き始めると右手に 立札茶房「華松軒」というところがあった。気温も上がってきて喉が渇いていた。和菓子で抹茶を楽しもうということになった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 48mm ISO 100 ) 露出補正 なし
028_220708165 X800 岐阜公園 華松軒 Z50 18-140.jpg 28.抹茶カフェ -2
落ち着いた気分になる。岐阜市政100周年を記念して昭和63年(1988年)に開室した茶室「華松軒」の立礼茶席で、80歳の男2人で和菓子と冷たい抹茶で涼をとる。抹茶は滅多にいただくことはないが、立ち寄ってよかった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.2 1/500秒 36mm ISO 400 ) 露出補正 なし
029_220708173tm X800 岐阜公園 岐阜城 Z50 18-140.jpg 29.岐阜城
茶室「華松軒」を出て、振り返ると岐阜城が見えた。岐阜城は鎌倉時代に二階堂氏が築城した山城である。斎藤道三の居城の時は稲葉山城と呼ばれ、信長が天下統一の足掛かりとした居城としても有名である。現在の城は昭和31年に再築された。標高329mの金華山山上に建ち、最上階からは、眼下に鵜飼で有名な清流長良川が市内を貫流し、東には恵那山、木曽御岳山が雄大な姿を見せ、北には乗鞍、日本アルプスが連なっている。また西には伊吹、養老、鈴鹿の山系が連なり、南には濃尾の大平野が豊かに開け、木曽の流れが悠然と伊勢湾に注いでいるさまを一望におさめることができるという。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/2500秒 140mm ISO 100 ) 露出補正 なし
030_220708071 X800 岐阜公園 Z50 18-140.jpg 30.三重塔と「ぎふ金華山ロープウェイ」
1955年(昭和30年)に「信長の庭」の傍から金華山山上へ上がるロープウェイが、開通している。天気も良いので上に上がって、信長の気分になってみたかったが、ロープウェイの山上駅から城まで徒歩8分あるという。時間が足りないので、今回は割愛する。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.8 1/500秒 45mm ISO 200 ) 露出補正 なし
031_220708178 X800 〇岐阜公園 エノキ Z50 18-140.jpg 31.ゴマダラチョウ -1
左側をせせらぎが流れる。そこで何かが翔んだ。近寄ってみるとゴマダラチョウだった。最近、ゴマダラチョウの写真を撮っていない。これはこれで嬉しい。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 140mm ISO 2000 ) 露出補正 なし
032_220708192 X800 ◎岐阜公園 エノキ Z50 18-140.jpg 32.ゴマダラチョウ -2
お腹が大きい。雌のようだ。止まっている葉もエノキのようである。NIKKOR Z DX 18-140mm というレンズは扱いやすい。チョウを撮るときも、チョウから40cmくらいに近づくことが出来る。だが、いかんせん暗い。105mm macro f2,8 が欲しくなる。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 140mm ISO 280 ) 露出補正 なし


2022年1月12日

師走の浅草界隈 12月3日

昨年の暮れも近くなった12月3日、学生時代の友人から、浅草でフグを食べようと誘いを受けた。学生時代から、いや、生まれもそうかもしれないが、向島に住む友人から、一昨年(2020年)のコロナの第一波が収まりを見せた7月6日に、土用も近いので鰻を食べようとお誘いを受け、浅草の操業220年という老舗のうなぎ屋「やっこ」で3人で会食をした。今回も、その向島の友人から嬉しいお誘いがあり、3人での会食だった。
 浅草は浅草寺の向こう側にある国際通りに近い「三浦屋」という昭和38年創業の老舗のふぐ料理の店だった。夕方5時集合ということだったので、30分ほど前に浅草について、宵の近づく仲見世通りから浅草寺の境内を抜けて、スマホ片手に「三浦屋」に向けて歩いた。
 浅草には何度か行ったことはあるが、浅草寺の向こう側を歩くのは初めてである。下町の風情が残る通りは印象深かった。友人が予約してくれた「三浦屋」さんも、また、来たいと思うほど良い店だった。ひれ酒の味が忘れられない。
 浅草寺のことを改めて知るために、インタネットで検索してみた。記述は浅草寺のホームページから引用させていただいている部分がある。

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夕暮れ迫る浅草寺境内 2021年12月3日

001_211203004a X800 浅草 G7X.jpg 1.雷門から仲見世商店街を見る
一昨年7月に来たときは観光客は少なかったが、この日は、コロナ以前には及ばないにしても、そこそこ人が戻ってきたように思えた。浅草寺のホームページによれば、雷門は浅草寺の総門であり、正式名称は「風雷神門」という。その創建年代は詳らかではないが、平公雅が天慶5年(942)に堂塔伽藍を一新した際、総門を駒形に建立したと伝わる。風雷神門の名は、風神と雷神を門の左右に奉安していることに由来する。総門が現在地に移ったのは鎌倉時代以降のことで、移築の際に風神、雷神を安置したとも考えられている。(後略)と記されている。幕末の慶応元年(1865)、浅草田原町からの失火により雷門まで延焼してしまったが、この慶応の焼失より実に95年間も雷門は再建されなかったそうだ。現在の門は、昭和35年(1960)に松下電器産業(現パナソニック)社長・松下幸之助氏の寄進により、再建されたとのこと。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 16mm ISO400 ) 露出補正 なし
002_211203012 X800 浅草G7X.jpg 2.仲見世商店街 -1
5時15分前、夕暮れが迫る仲見世商店街の灯かりが優しい。お正月の飾り付けがされていた。仲見世は浅草寺の表参道である。雷門から宝蔵門まで長さ約250mにわたって、参道の両側に朱塗りの店舗が並ぶ。日本で最も古い商店街の仲見世という名は、浅草広小路(現在の雷門通り)あたりに並ぶ店と浅草寺観音堂前に並ぶ店との中間、つまり「中店」ということからこの名で呼ばれるようになったともいわれている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 37mm ISO2000 ) 露出補正 なし
003_211203013 X800 浅草G7X.jpg 3.仲見世商店街 -2
何店かシャッターが閉まっている店もあったが、賑やかである。仲見世は、明治になり、浅草寺の土地が政府に没収されるとともに、仲見世も東京府の管轄に置かれた。そして明治18年(1885)に煉瓦造りの洋風の建物に一新される。文明開化の香りに満ちたこの仲見世は、大正12年(1923)の関東大震災で壊滅したが、同14年に鉄筋コンクリート造り、朱塗りの商店街に生まれ変わる。そして、昭和20年(1945)の東京大空襲で外構えを残して焼け落ちたが、戦後に補修して現在の姿となったそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 20mm ISO1250 ) 露出補正 なし
004_211203014 X800 浅草 G7X.jpg 4.伝法院通り
江戸時代中期に建てられた浅草寺の本坊である伝法院の門前に立ち並ぶ商店街で、仲見世通りを東西に横切る形で約300mに数十軒の店舗が並ぶ。写真は仲見世から浅草寺に向かって伝法院通りの左(西)側を見たところである。2014年頃から伝法院通りの西側「伝法院通り商栄会」32店舗が台東区から区道上に建っているとして立ち退きを求められていることが報じられた。2021年5月、営業継続への賛同を求めて署名活動が行われ、1万1千余名から署名が集まり、8月30日、区に提出された。しかし12月、区は退去を求めて提訴する事を議会で決定。事態は法廷闘争にもつれ込むことになったそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 20mm ISO1600 ) 露出補正 なし
005_211203022 X800 浅草 G7X.jpg 5.平和地蔵尊
仲見世通りを宝蔵院通りを過ぎて20~30m進んだ右側に、平和地蔵尊があった。「平和地蔵尊由来記」として、「第二次世界大戰はその規模においても、その被害についても、まことに甚大であった。ことに昭和20年3月10日の大空襲には、この附近一帯は横死者の屍が累として山をなし、その血潮は川となって流れた その惨状はこの世の姿ではない。これ等の戦争犠牲者の霊を慰めることこそ世界平和建設の基となるものである。 ここに平和地蔵尊を祭り、その悲願を祈るため、昭和24年4月こゝに安置された次第である。」と石に彫られていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/400秒 15mm ISO3200 ) 露出補正 なし
006_211203028 X800 浅草 G7X.jpg 6.母子地蔵
平和地蔵尊から宝蔵門への右側に母子地蔵があった。お母さんはとてもやさしい顔をされている。母子地蔵建立の由来として、「第二次世界大戦末期、ソ連参戦で混乱状態となった中国東北部(満州)で逃避行の末、命を落とした日本人は20万人を超えると云われています。酷寒の曠野を逃げ惑う母子が生き別れとなったり飢えや疫病に苦しみながら亡くなるなど、その悲劇は数知れません。犠牲となられた母子の霊を慰め、また、いまだ再会のかなわない親と子の心のよりどころとして、二度と戦争という過ちを繰り返さない事を祈念しつつ、ここに母子地蔵を建立いたしました。1997年4月12日 像のデザインは、ちばてつや氏 題字と碑文は、森田拳次氏」という石碑が建てられていた。私も満州生まれであり、舞鶴へ引き上げてきた。この一角には、ほかにも阿弥陀如来像、 久米平内堂、一番奥に 「濡れ仏」の名で知られる二尊仏があった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels<br> プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/400秒 17mm ISO3200 ) 露出補正 なし
007_211203030 X800 浅草 G7X.jpg 7.宝蔵門 元版一切経を収蔵する仁王門
浅草寺山門の宝蔵門である。門は初層が五間で、両端の二間には仁王像を奉安し、中央の三間が通行のために開口している。仁王像が安置されていることからもわかるように、この門はもともと仁王門と呼ばれていた。「浅草寺縁起」によれば、平公雅が天慶5年(942年)に武蔵守に補任され、その祈願成就の御礼として仁王門を建立したのが創建という。以来、数度の焼失と再建ののち、徳川家光の寄進により慶安2年(1649年)に落慶した仁王門が、昭和20年まで諸人を迎えていた。昭和20年(1945年)、仁王門は東京大空襲により観音堂・五重塔・経蔵などとともに焼失する。昭和39年(1964年)に大谷重工業社長・大谷米太郎ご夫妻の寄進により、鉄筋コンクリート造り、本瓦葺きで再建された。宝蔵門に収蔵されている経典とは、もとは鎌倉の鶴岡八幡宮に収蔵されてい「元版一切経(国の重要文化財)である。戦災で経蔵は焼失したが「元版一切経」は疎開しており無事だったそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO2500 ) 露出補正 なし
008_211203031 X800 浅草 G7X.jpg 8.浅草寺本堂
宝蔵門をくぐって正面を見ると平成22年(2010)チタン瓦に葺きかえられた大きな屋根の本堂があった。ご本尊聖観世音菩薩を祀る中心堂宇で観音堂とも呼ばれる。旧堂は慶安2年(1649年)の再建で近世の大型寺院本堂の代表作として国宝(当時)に指定されていたが、昭和20年(1945年)の東京大空襲で焼失した。現在の堂は昭和33年(1958年)に再建されたもので鉄筋コンクリート造である。再建にあたっては、建設資金を捻出するために瓢箪池の敷地(2400坪)が江東楽天地などに売り払われたそうだ。2体の金剛力士像のうち、向かって左(西)の阿形(あぎょう)は仏師・錦戸新観、右(東)の吽形(うんぎょう)像は木彫家・村岡久作の作である。阿形像のモデルは力士の北の湖、吽形像のモデルは明武谷と言われている。(wikipedia参照)

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 20mm ISO3200 ) 露出補正 なし
009_211203032 X800 浅草 G7X.jpg 9.宝蔵門の大わらじ
宝蔵門を抜けて仲見世方面を眺める。宝蔵門の左右には、高さ 4.5m、幅 1.5m、重さ 500kg、藁は 2,500kg使用するという大わらじがあった。山形県村山市有志より平成30年(2018年)10月奉納された。昭和16年(1941年)の初回以来、8回目のわらじだそうだ。わらじは仁王さまのお力を表し、「この様な大きなわらじを履くものがこの寺を守っているのか」と驚いて魔が去っていくといわれている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
010_211203037 X800 浅草 G7X.jpg 10.本堂正面
階段を上がってお参りをした。今回は上がらなかったが、靴を脱いで畳敷の内陣に上がると、その中央にはご本尊を奉安する御宮殿(ごくうでん)があり、その内部にお厨子が安置されているそうだ。浅草寺は東京都内最古の寺である。正式には金龍山浅草寺と号し、観音菩薩を本尊とすることから浅草観音として知られている。元は天台宗に属していたが、昭和25年(1950年)に独立し、聖観音宗の本山となっている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/320秒 15mm ISO3200 ) 露出補正 なし
011_211203040 X800 浅草 G7X.jpg 11.五重塔
本堂と同様、関東大震災では倒壊しなかったが昭和20年(1945年)の東京大空襲で焼失した。現在の塔は本堂の西側、寛永8年(1631年)に焼失した三重塔の跡伝承地付近(宝蔵門を出て左側)に場所を移して、昭和48年(1973年)に再建されたもので鉄筋コンクリート造、アルミ合金瓦葺き(現在は3色のチタン瓦)、基壇の高さ約5m、塔自体の高さは約48mである。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/320秒 15mm ISO3200 ) 露出補正 なし
012_211203047 X800 〇浅草 G7X.jpg 12.五重塔とスカイツリー
さて、目的の「三浦屋」さんはここからは北西の方向になると見当をつけ、本堂の前を左(西)へと歩き始めた。少し行って振り返ると、五重塔の左側にスカイツリーが見えた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/640秒 19mm ISO3200 ) 露出補正 なし
013_211203050 X800 浅草 G7X.jpg 13.木馬館
浅草寺本堂から「奥山おまいりまち」へ歩いて行くと写真のような「木馬館」があった。ここは、篠原演劇企画の「浅草木馬館」という、いわば大衆劇場だ。インタネットを検索していたら興味深いことを知った。ここは昭和52年に開場しているが、その原点は、1907年(明治40年)、昆虫学者名和靖は日露戦争の勝利記念に昆虫館を建設したいと考え、東京市に「昆虫知識普及館」を設立、浅草寺脇の土地を貸与され、「通俗教育昆虫館」名で開館したのが始まりだったそうだ。しかし、すぐに経営に行き詰まり、1918年(大正7年)、根岸吉之助率いる根岸興行部に経営が移ったという。1922年(大正11年)には昆虫の展示は2階部分のみとなり、1階には木馬が設置され、名称も「昆虫木馬館」、ついで「木馬館」となった。1938年(昭和13年)浅草オペラの流行のあとを受け、関西での流行をいち早く浅草(当初、常盤座)に持ってきていた安来節を興行の中心にした常打ち小屋(2階部分)となっている。そして、1977年(昭和52年)7月より、それまで直営していた根岸興行部から篠原演芸場が借り受ける形で、2階部分が大衆演劇の劇場となり現在に至っている。(wikipedia参照)

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO2500 ) 露出補正 なし
014_211203054 X800 浅草 G7X.jpg 14.「花やしき」
ホッピー通りを北へ歩く。すると、もう閉まってはいたが「浅草花やしき」の裏門?へ出た。この「花やしき」は映画やドラマに良く出てくるが、中に入ったことはない。機会を見つけては行って見たいと思う。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/400秒 9mm ISO2500 ) 露出補正 なし
015_211203068 X800 浅草 三浦屋 G7X.jpg 15.ふぐ料理 浅草「三浦屋」
目的の「三浦屋」さんまで最後の詰めである。スマホに道案内をしてもらい無事、約束の時間より早めについた。フグは江戸庶民に愛され、「ふぐ料理が高級料亭のものでなく、大衆の味であることを確認できます。」と店が云う通り、気楽に、美味しく、楽しめる店だった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO1600 ) 露出補正 なし
016_211203063 X800 浅草 三浦屋 G7X.jpg 16.「三浦屋」さん店内
仲居さんに「写真を撮らせてください」とお許しを得て、店内を撮らせていただいた。多分、お客さんが持ち込んでおられるのだと思うが、記念品など楽しいものが並べられていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/250秒 29mm ISO3200 ) 露出補正 なし
017_211203084 X800 〇浅草 G7X.jpg 17.スカイツリー
ふぐ刺し、ふぐちり、そして、ひれ酒等々、美味しく腹いっぱい食べ、久しぶりに会った友人たちとの会話を楽しみ、大満足で「三浦屋」さんを出た。ビールを一杯飲もうということになり、タクシーで吾妻橋の対岸へ渡った。スカイツリーがきれいだった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/20秒 17mm ISO3200 ) 露出補正 なし
018_211203091 X800 浅草 吾妻橋 G7X.jpg 18,吾妻橋
アサヒビールのビルの22階に上がり、アサヒの生ビールを向島の友人にご馳走になった。2年ぶりの会話が弾む。9時を回ったところでお開きにして、それぞれ帰路につぃた。これから渡る吾妻橋もライティングされている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/200秒 37mm ISO3200 ) 露出補正 なし
019_211203093 X800 〇浅草 吾妻橋 G7X.jpg 19.吾妻橋からスカイツリーを眺める
隅田川を挟んでスカイツリーと、今、ビールを飲んできたアサヒビールのビルを眺める。帰路、都営浅草線の浅草駅から、京浜急行直結の快速特急に乗ると、横浜まで時間はかからなかった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/15秒 19mm ISO3200 ) 露出補正 なし


2021年1月23日

蝶 自選年間ベスト10 (17) 2019年

2019年のまとめをしていなかった。遅くなってしまったが振り返ってみる。
 5月のGWに2回目の台湾旅行をした。今回も娘たち夫婦と一緒に、グルメと観光の旅である。半日だけ台北市動物園を付き合ってもらった。ここは蝶園もあるが、動物園の中に「虫虫探索谷」という探索路があり、そこに舞うチョウたちを自然な状態で楽しむことが出来る。敷地面積は上野動物園の10倍以上と広い。だが、あまりめぼしいチョウを見ることは出来なかった。
 5月中旬には、友人のご夫婦と岩手、秋田、山形をドライブ旅行した。山形の出羽三山で有名な羽黒山で、予期せずにギフチョウに出会えた。
 7月22日~25日、久しぶりに北海道へ行った。旭川便が取れなかったので帯広に宿をとり、レンタカーで大雪高原温泉や、銀泉台、十勝地方を巡った。残念ながら天候がいまひとつすぐれず、チョウは少なく、北海道の普通種に甘んじた。
 8月はキベリタテハを撮りたいと湯の丸高原へ出かけたが、成果なし。ベニヒカゲは多かった。
 9月7日、軽井沢でゴルフを楽しんだ翌日、信濃追分近くの「蝶の楽園」(個人の方がアサギマダラを呼び込もうとテニスコート2面を潰してフジバカマを植えた)へ寄ってみた。良い写真は撮れなかったが、シータテハ、クジャクチョウ、ミヤマカラスアゲハなどが、花に集まっていて、ひと時を楽しんだ。

1.クロアゲハ♂ 春型 2019年5月2日 八王子市長池公園
まだ十分に咲いていないミツバウツギの花にクロアゲハが来ていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 164mm ISO1250 ) 露出補正 なし
001_190502 X800 長池公園 RX10M4 JPEG DSC06337a.jpg
2.イシガケチョウ 2019年5月5日 台湾 台北市立動物園 虫虫探索谷
人が多い、いわゆる動物園のエリアから離れて、虫虫探索谷という散策路を歩く。最初に見たのはオナシアゲハ♀だった。ツマムラサキマダラ、クロテンシロチョウ、クロタテハモドキ、タイワンルリシジミなどが次々と現れる。どこからともなく飛んできたイシガケチョウが、大きな葉の上に止まった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 201mm ISO200 ) 露出補正 -0.3段
002_190505173 X800 台北市動物園 虫虫探索谷 DSC06686 JPEG.jpg
3、タイワンキマダラ♂♀ 2019年5月5日 台湾 台北市立動物園 虫虫探索谷
梢に止まるタイワンキマダラを見つけた。すると、もう1頭飛んできてカップルが出来た。手前が♀。このチョウは最近では八重山諸島にも生息しているが、台湾からの迷蝶由来である。

  SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 121mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
003_190505232 X800 台北市動物園 虫虫探索谷 DSC06779 JPEG.jpg
4.トラフシジミ♂ 2019年6月6日 横浜市 舞岡公園
平地産ゼフィルスを撮りに舞岡公園へ行った。飛び出してきたこのチョウは羽化したばかりと思われるら夏型のトラフシジミだった。裏面の色が濃い。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 168mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
004_190606079 X800 舞岡公園 RX10M4 JPEG DSC08015aa.jpg
5.クロアゲハ♀の吸水 2019年6月18日 横浜市 舞岡公園
もう第2化が出ているのだろうか。きれいな個体だった。なかなか近寄らせてくれなかった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 31mm ISO100 ) 露出補正 なし
005_190618017 X800 ◎舞岡公園 RX10M4 JPEG.jpg
6.ホソバヒョウモン 2019年7月23日 北海道 大雪高原温泉林道
あいにく日が差さず気温が低い。キオンの花に2頭のホソバヒョウモンが来ていた。 

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 208mm ISO400 ) 露出補正 なし
006_190723306 X800 〇大雪高原温泉林道 RX10M4.jpg
7.ミドリヒョウモン♂♀ 2019年7月24日 北海道 上川 大雪森のガーデン
北海道ガーデン街道のいちばん北へ行った。ヒヨドリバナのような花にいたミドリヒョウモンのカップルは♂♀ともストローを伸ばして吸蜜していた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 220mm ISO160 ) 露出補正 なし
007_190724415t X800 〇大雪森のガーデン RX10M4.jpg
8.コヒオドシ 2019年7月25日 北海道 十勝千年の森
帯広から日高山脈に向かって、車で45分ほどのところにある十勝千年の森へ行った。チョウの数は多い。せめてコヒオドシでもいないかと思っていたところ、ヨツバヒヨドリに来てくれた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO160 ) 露出補正 なし
008_190725615 X800 〇十勝千年の森 RX10M4.jpg
9.ベニヒカゲ♀ 2019年8月27日 湯の丸高原 池の平
池の平はベニヒカゲの多産地。8月下旬、マツムシソウで吸蜜している。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/640秒 203mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
009_190827103 X800 〇池の平 RX10M4.jpg
10.アサギマダラ♂ 2019年8月27日 湯の丸高峰林道
   池の平から湯の丸地蔵峠への林道を走っていると、ヒヨドリバナの咲くところで数頭のアサギマダラが、舞っていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 220mm ISO400 ) 露出補正 -0.3段
010_190827435 X800 〇湯の丸林道 RX10M4.jpg
補1.ギフチョウ 2019年5月22日 山形県 羽黒山
ドライブ旅行で行った山形県の羽黒山で思いがけずにギフチョウに逢った。アゲハかと思って追いかけたが、飛び方が違っていた。破損した個体で、良い写真ではないが、記憶に残る1枚となった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 220mm ISO100 ) 露出補正 -0.7段
補001_190522100 X800 〇羽黒山 DSC07136.jpg
補2.アカボシゴマダラ(外来種)春型♀ 2019年5月26日 横浜市 舞岡公園
舞岡公園にアカボシゴマダラが住み着いてからもう15年くらいになるのではないだろうか。初めて、春に、真っ白いこのチョウの♀が飛ぶ姿を見たときは、「これは何だ!」と驚いたものだった。 

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 220mm ISO100 ) 露出補正 -0.7段
補002_190526121 X800 舞岡公園 RX10M4 DSC07578.jpg
補3.ミドリヒョウモン♂ 2019年7月25日 北海道 帯広近郊
札幌に本社がある「マルセイバターサンド」というお菓子で有名な六花亭が企画運営する庭園、六花の森に寄った。ここは帯広空港に近い。花が多く、チョウの数も多かった。カラスシジミもいた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
補003_190725133t X800 六花の森 G7X.jpg
補4.サトキマダラヒカゲ 2019年9月3日 横浜市 舞岡公園
舞岡公園のサトキマダラヒカゲは数を減らしているように思う。

Nikon D750 SIGMA 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO
プログラムオートで撮影  (f4.5 1/500秒 40mm ISO1100) 露出補正 -0.3段
補004_190903056m X800 〇舞岡公園 LV D750 SIGMA18-300.jpg


2020年7月19日

コロナ禍の浅草 7月6日

緊急事態宣言と国民の自粛、協力、貢献が効果を発揮し、感染者数の増加も止まり、6月19日にほぼ全面的に自粛が解除された。そんな時、大学時代のクラスメートから、「土用も近いので鰻でも食べようよ」とメールが届いた。二つ返事で同意し、7月6日に3人で浅草の操業220年という老舗のうなぎ屋で会食をすることが決まった。
 夕方5時から始めることにしたので、早めに浅草に行き、少し歩いてみようと思った。梅雨時の平日の夕方ということで、普段でも観光客は少ないのかもしれないが、それにしても人出が少ないのに驚いた。「仲見世通り」も閉めている店がある。
 サクラの頃など、何回か浅草に来ているが、その頃は、もちろん大勢の参拝者、観光客が溢れていた。あまりゆっくりと、あちこち見て歩いた記憶がない。この日、ほんの30分から40分くらいだったが、コロナ禍の浅草を歩いてみた。
 6月24日から1週間ほど、東京の1日あたりの新たな感染者が50人を超えるような日が続いている。さらに7月9日、10日と東京都内の新たな感染者数は200名を超えた。急激に感染者数が増加することがないように祈るばかりだ。

1.雷門
横浜から京浜急行、都営地下鉄浅草線直通の特急電車に乗って、浅草で下りた。雷門方面の案内に従って、地上に出る。さて、雷門は何処かと探す。どうやら右手が吾妻橋で、左手の雷門通りの信号を渡ったところが雷門だ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/320秒 25mm ISO400 ) 露出補正 なし
01_200706004 X800 G7X.jpg
2.雷門から仲見世を見る
スクランブル交差点を渡って雷門の前に行く。人は本当に少ない。こんな浅草を見たことがない。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1000秒 25mm ISO400 ) 露出補正 なし
02_200706005m X800 G7X.jpg
3.雷門
立てられている説明板によれば、天慶5年(942年)、平公雅  によって創建されたのが始まりだそうだ。現在の門は慶應元年(1865年)の浅草俵町の大火で炎上した門に代わり、昭和35年に松下幸之助さんの寄進により復興した。シンボルである赤い大きな提灯には、「令和二年四月吉日」とある。2013年に5基目が新調されたあと、2020年に6基目として新調されたが、新型コロナウイルス感染症の流行に伴い、奉納式は中止された。松下電器産業株式会社 現パナソニック株式会社 創業者 松下幸之助の銘が入っている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/100秒 14mm ISO400 ) 露出補正 なし
03_200706012 X800 G7X.jpg
4. 風来神門
同じく説明板によれば、雷門は「風来神門」と呼ばれる。門の正面向かって右に「風神」、左に「雷神」を祀る。このことから「雷門(風雷神門)と呼ばれるという。ともに鬼面蓬髪、風袋を担いで天空を駆ける風神と、虎の皮の褌を締め連鼓を打つ雷神の姿はお馴染みのものだ。門の裏側には、向かって右に「金龍」、左に「天龍」の龍神像が祀られ、これら四神は、浅草寺の護法善神として、伽藍守護・天下泰平・五穀豊穣の守り神とされる。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/100秒 11mm ISO400 ) 露出補正 なし
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5.「仲見世通り」
梅雨時の平日の午後4時過ぎと言えども、何と人の少ない仲見世通りだろう。wikipediaによれば、"雷門から宝蔵門に至る長さ約250mの表参道の両側には土産物、菓子などを売る商店が立ち並び、「仲見世通り」と呼ばれている。商店は東側に54店、西側に35店を数える。"

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 32mm ISO400 ) 露出補正 なし
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6.浅草文化観光センター
はじめは、雷門と「仲見世通り」の様子を見て、今夜の会食の店である うなぎ屋「やっこ」へ行こうと思っていた。スカイツリーが見えるかと思い、雷門通りを反対側に渡ろうとしたとき、このユニークな建物が目に入った。かって、この地には、2階建の銀行の建物があり、1985年に台東区が買い取って浅草文化観光センターを開設したそうだ。その建物が築50年を過ぎ老朽化が進んだことから2008年にコンペが行われ、隈研吾の案が採用されて2012年に完成したのがこの斬新な建物である。総事業費は約16億円と言われる。  

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 11mm ISO400 ) 露出補正 なし
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7.東京スカイツリー
右手、隅田川の向こうに東京スカイツリーが見えた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/1250秒 23mm ISO400 ) 露出補正 なし
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8.車やさん
雷門の前に来ると、人力車が観光客を乗せて走り出す姿を良く見てきた。しかし、コロナ禍の今、人力車の呼び込みの姿は見えるものの客はなく、手持無沙汰のようだ。ここには「えびす屋」「時代屋」「くるま屋」といったいくつかの車やさんがあるようだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/250秒 37mm ISO400 ) 露出補正 なし
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9.「新仲見世通り」
今宵行くうなぎ屋さんは、雷門通りを西に行った田原町に近いところだ。再び、雷門通りを反対側に渡って、田原町に向かって歩き出すと「浅草中央通り」という筋があたので、誘われるように右折すると「新仲見世通り」にでた。うなぎ屋さんでの集合時間にまだ少々時間があったので、賑やかな右の方に歩いてみると、「仲見世通り」と交差した。「新仲見世通り」 は100店舗、380mに及ぶ大きな商店街で、ここは人通りも多かった。ひとことで言うと、江戸の仲見世、昭和の新仲見世だそうで、浅草最大の商店街とのこと。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/250秒 37mm ISO400 ) 露出補正 なし
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10.「仲見世通り」の裏側
そこから「仲見世通り」の裏側が見える。寺院建築風の外観を持つ店舗は、関東大震災による被災後、大正14年(1925年)に鉄筋コンクリート造で再建されたものだそうだ。浅草寺は付近の住民に境内の清掃を賦役として課すかわりに、南谷の支院の軒先に床店(小屋掛けの店)を出す許可を与えたのが貞享2年(1685年)頃のことで、これが「仲見世通り」の発祥といわれているそうだ。  

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/200秒 30mm ISO400 ) 露出補正 なし
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11.静かな「仲見世通り」
もう一度時計を見る。まだ少々余裕があるので、浅草寺さんにお参りして行こうと思う。参道である 「仲見世通り」を進む。閉じている店のシャッターの絵が良い。営業中の人形焼きの店があった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/320秒 11mm ISO400 ) 露出補正 なし
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12.「伝法院通り」
左手に 「伝法院通り」があった。伝法院は 宝蔵門の手前西側にあり、浅草寺の本坊である。小堀遠州の作と伝えられる回遊式庭園がある。通常、一般には公開していないが、特別公開されることがある。平成23年(2011年)、国の名勝に指定された。院内にある天祐庵は表千家不審庵写しの茶室で、江戸時代後期の建立。もとは名古屋にあったという。伝法院通りは延長150mほどの商店街で、片側が伝法院に面しているところからこの名が付けられたそうだ。明治の中頃、すでに商店街を形づくっていたという。それだけに商店会が生れたのは古く、大正15年とのこと。伝法院通りには街を飾る「だじゃれ看板シリーズ」など色々な装飾がある。写真で下馬の札の上に見える看板は「ねたものふうふ "にたもの夫婦"」と読み取れる。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/400秒 22mm ISO400 ) 露出補正 なし
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13.宝蔵門
「仲見世通り」がおわると宝蔵門がある。立派な門だ。入母屋造の二重門は2階建てで、外観上も屋根が上下二重になっている。現在の門は昭和39年(1964年)に再建された鉄筋コンクリート造で、実業家・大谷米太郎夫妻の寄進によって建てられたものだそうだ。かつては「仁王門」と呼ばれていたが、昭和の再建後は宝蔵門と称している。その名の通り、門の上層は文化財「元版一切経」の収蔵庫となっているという。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 12mm ISO400 ) 露出補正 なし
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14.宝蔵門と五重塔
宝蔵門の手前から、左側に五重塔が見えた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 12mm ISO400 ) 露出補正 +7段
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15、「小舟町大提灯」と「魚がし」吊り灯篭
宝蔵門の「小舟町大提灯」は、日本橋小舟町の商人からの奉納提灯だそうだ。日本橋の魚河岸信徒の心意気を示したもので、小舟町では、1659年に奉納したことに始まり、その伝統を江戸時代から現代へと連綿と受け継いできているという。前回は、江戸開府400年にあたる2003年に奉納された。現在の提灯は2014年10月に奉納され4回目の掛け替えがされたという。右側の「魚がし」吊り灯篭は、高さ 2.75m、重さ 1.000kg 銅製で、魚がし講(同一の信仰を持つ人々による結社)より昭和63年(1988年)10月、2回目の奉納掛け替えがされている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/200秒 16mm ISO400 ) 露出補正 なし
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16.宝蔵門の大わらじ
宝蔵門の背面左右には、魔除けの意味をもつ巨大なわらじが吊り下げられている。これは、宝蔵門の仁王像の作家である村岡久作が山形県村山市出身である縁から、同市の奉賛会により製作奉納されているもので、わら2,500kgを使用しているそうだ。 わらじは仁王さまのお力を表し、「この様な大きなわらじを履くものがこの寺を守っているのか」と驚いて魔が去っていくといわれている。宝蔵門のわらじは10年おきに新品が奉納されている。また、寺院の山門には一対の大わらじがかけられていることがあるが、これは仁王様が履いていたわらじを脱いで掛けてあるという建前らしいとも。一昨年、滋賀県の湖東三山を訪れたが、百済寺、西明寺、金剛輪寺の山門にもわらじがかけられていた。湖東三山はいずれも天台宗の寺院である。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/200秒 9mm ISO400 ) 露出補正 なし
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17.五重塔正面
天慶5年(942年)平公雅が塔を建立したと伝わる。この塔は三重塔であったといわれる。焼失を繰り返したのち慶安元年(1648年)に五重塔として建立された。本堂と同様、関東大震災では倒壊しなかったが昭和20年(1945年)の東京大空襲では焼失した。戦前までの塔は、今と反対側の本堂に向かって右側にあった。現在の塔は昭和48年(1973年)に再建されたもので鉄筋コンクリート造、アルミ合金瓦葺き、基壇の高さ約5メートル、塔自体の高さは約48メートルである。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 12mm ISO400 ) 露出補正 +0.7段
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18.浅草寺本堂
後先になってしまったが、wikipediaによれば、 浅草寺の山号は金龍山  。本尊は聖観世音菩薩。元は天台宗に属していたが、昭和25年(1950年)に独立し、聖観音宗の本山となった。観音菩薩を本尊とすることから「浅草観音」あるいは「浅草の観音様」と通称され、広く親しまれている。都内では、唯一の坂東三十三箇所観音霊場の札所(13番)である。江戸三十三箇所観音霊場の札所(1番)でもある。全国有数の観光地であるため、正月の初詣では毎年多数の参拝客が訪れ、参拝客数は常に全国トップ10に収まっている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 13mm ISO400 ) 露出補正 なし
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19.本堂正面
参拝者の数は少なかった。旧本堂は慶安2年(1649年)の再建で近世の大型寺院本堂の代表作として国宝(当時)に指定されていたが、昭和20年(1945年)の東京大空襲で焼失した。現在の堂は昭和33年(1958年)に再建されたもので鉄筋コンクリート造である。再建にあたっては、建設資金を捻出するために瓢箪池の敷地(2400坪)が江東楽天地などに売り払われたといわれる。掛けられている「志ん橋大提灯」は新橋の方々(花街?)からの奉納提灯で、平成16年12月に制作し寄進された。 江戸時代の浮世絵師・広重「浮絵浅草寺雷門之図」には、新橋から奉納された、「志ん橋」大提灯が描かれているという。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/250秒 9mm ISO400 ) 露出補正 なし
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20.本堂外陣と内陣
本堂の石段を上がってみると、478.5m2(145坪)の外陣があり、その向こうに、幅 12.7m・奥行 14.5m、226.9m2(68.75坪)60畳敷と内々陣黒漆塗鏡の間がある。中央に川端龍子画「龍之図」(縦6.4m・横4.9m)、左右に堂本印象画「天人之図」(縦6.4m・横4.9m)という外陣の天井画が見事だった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/40秒 9mm ISO400 ) 露出補正 なし
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21.21時の雷門
創業200年以上、勝海舟も通ったという うなぎ屋「やっこ」に着いたのは集合時間ギリギリの午後5時で、クラスメートの2人は既に座っていた。コロナ厄払いの浅草寺お参りを口実にギリギリになったことを詫びた。それから3時間以上、楽しい時間を過ごしたが、酒も美味かったし、友人が持ってきてくれた「響17年」も美味かった。白焼き、かば焼き、うざくなど、ぜいたくな酒の肴も美味しかった。結局、うな重はお土産になってしまった。8時半お開きにして、浅草駅へ歩く途中の雷門は静まりかえっていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/60秒 18mm ISO400 ) 露出補正 なし
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2019年7月 8日

岩手・秋田・山形 ドライブ旅行<5月19日~22日> (6・終) 鶴岡と加茂水族館 5月22日

鶴岡で昼食にしよう。すしを食べたい。K 夫人がスマホで鶴岡の旨い寿司屋を検索してくれた。決めたのは「金太郎寿し」というところ。駐車場も広い。ネタも良く、「中とろ」を何回もお代わりした。旨かった。
 次は楽しみにしていた加茂水族館だ。愛称は「クラゲドリーム館」でクラゲの水族館として知られる。見たこともないクラゲが展示されていて、足を止めることが多かった。クラゲの世界を堪能した。
 水族館の屋上広場に出ると漁港の向こうに鳥海山の美しい姿が見えた。この日は、月山と鳥海山、両方の全容を見ることができた。
 午後2時、横浜への帰路につく。山形自動車道→東北中央自動車道米沢経由→福島JCT→東北自動車道→首都高→横浜というコースだ。山形自動車道から東北自動車道に入るのは、仙台と白石の間の村田JCTと思っていたが、Kさんは山形自動車道の山形JCTで新しい東北中央自動車道に入り、米沢を経由して、福島JCTへ出て東北自動車道へ合流するコースを選んだ。もちろん初めて走る道だった。
 羽生で夕食にして、首都高を箱崎経由で横浜に戻り、それほど遅い時間にならずに帰宅することができた。4日間で1500kmを越す走行距離であった。
 今回もKさんご夫妻には、宿の予約、コースの選定と行程、見どころのピックアップ、食事処の検索等々、大変お世話になった。お陰様で楽しいドライブ旅行をことができた。感謝に堪えない。「ありがとうございました」

21.鶴岡市文化会館
羽黒山五重塔を出て、30分ほどで鶴岡市街に入った。大きな駐車場があったので車を停めたが、ここは何かの施設の駐車場のようだ。前方には大きな建物があった。「相銀タクト鶴岡」と呼ばれる鶴岡市文化会館だった。大ホールの客席数が1,120席、多目的鑑賞室15席があるコンサートホールで、その他にも小ホール/練習室/会議室/楽屋/託児室 がある。2017年8月に完成。同年9月1日には、鶴岡に本店を置く荘内銀行が命名権を取得 し、指揮棒のタクトに由来する「荘銀タクト鶴岡」という愛称になった。9月30日には竣工式が挙行され、2018年3月18日にNHK交響楽団とソリストのピアノに仲道郁代を迎え、こけら落し公演が行われグランドオープンしたそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 10mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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22.荘内藩校 致道館
鶴岡城の城下町エリアを歩いてみようと「荘銀タクト鶴岡」の駐車場から歩き始めると、すぐ右側に、庄内藩の藩政立て直しを目的に文化2年に庄内藩酒井家9代忠徳が創建した藩校である「致道館」があった。現在は表御門、聖廟、御入間( 藩主が来た時に入る所で全4 部屋のうち、特に御居間の天井と床下は、賊の侵入を防ぐようになっている)などが残され一般公開されている。ここで戊辰戦争の降伏条件の言渡しが新政府軍黒田清隆から忠篤公へ行われたという。この日は水曜日で休館だった。 

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 10mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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23.鶴岡アートフォーラム 道路の反対側には2005年3月に竣工した全面ガラス張りの鶴岡アートフォーラムがあった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1000秒 14mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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24.大宝館
鶴岡アートフォーラムの先を左に曲がって大山街道を致道博物館のほうに向かって進む。右手は鶴岡公園(鶴ケ丘城址公園)になっている。大宝館があった。大宝館は大正天皇の即位を記念して建てられた、オランダバロック風の窓と、ルネッサンス風のドームを持つ洋風建築だ。現在は人物資料館として公開され、鶴岡が生んだ先人たちの偉業をたたえる資料を展示している、ここも水曜日は休館だ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/1000秒 23mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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25.鶴ケ丘城址公園
道路を渡って、鶴ケ丘城址公園の入口まで行ってみた。堀から護国神社が見える。庄内藩酒井家が約250年居城とした鶴ケ丘城は、明治4年(1871年)廃藩置県により廃城となり、明治9年(1876年)には城内の建築物は全て破却され鶴岡公園となった。明治10年(1877年)本丸跡に藩祖酒井忠勝を祀る荘内神社が設けられた。荘内神社は護国神社の奥にある。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 16mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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26.慶應義塾大学先端生命科学研究所
再び道路を渡って、少し先の左側に慶應義塾大学先端生命科学研究所が見えた。慶應義塾大学の付属研究所であるが、知らなかった。慶應義塾は当研究所を「アカデミックベンチャー」と位置付け、失敗を恐れず未知の領域に果敢に挑戦し、新規先端技術の開発を積極的に推進させている。細胞工学、分析化学、代謝工学、分子遺伝学、ゲノム工学や情報科学といった異分野の研究者を集め、ITを駆使した「統合システムバイオロジー」という分野の開拓を推し進めているという。2001年4月、鶴岡タウンキャンパスに設置された本格的なバイオの研究所。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 10mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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27.致道博物館 「旧西田川郡役所」
信号のある交差点の筋向いには致道博物館がある。鶴ケ丘城の三の丸、酒井家の御用屋敷跡に整備された博物館。明治時代の儀洋風建築「旧西田川郡役所」「旧警察署庁舎」と田麦保の多層民家「旧渋谷家住宅」が移築されている。写真は「旧西田川郡役所」で、創建は1881年(明治14年)で1972年(昭和47年)に移築された。致道博物館も水曜日は休みで観光客はここへは水曜日に来るものではない。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 23mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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28.致道博物館 「旧鶴岡警察庁舎」
ひときわ目立つブルーの洋館は、1884年(明治17年)に創建され、1957年(昭和32年に移築された「旧鶴岡警察庁舎」で、明治前期に建設された擬洋風建築のひとつの到達点を示すものといわれている。外部窓廻りなどにルネッサンス様式を模しているが、屋根の大棟、破風妻飾りなど在来様式も巧みに取り入れているという。さて、車に残って美味しい寿司屋をスマホで探してくれていたK夫人のところに戻る。「金太郎寿し」は最高だった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 22mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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29.加茂漁港から鳥海山の眺め
鶴岡の「金太郎寿し」 から、次の目的地である日本海に面した加茂水族館へ向かう。 15分ほどで着いた。加茂漁港の向こうに鳥海山が眺められた。鳥海山は、山形県と秋田県に跨がる標高2,236mの活火山である。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 22mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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30.加茂水族館 -1 庄内の魚
クラゲの展示数世界一を誇る鶴岡市立加茂水族館 に入る。まず、庄内の魚の展示があった。スズキやマダイが泳いでいる。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/50秒 18mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
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31.加茂水族館 -2 アカエイ
荘内では「あがえ」と呼ばれるアカエイ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/125秒 18mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
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32.加茂水族館 -3 降海する魚
シロザケ(稚魚)。川で孵化した後、海に降った状況を再現し、成長の様子が観察されている。3~4年、海で成長したのち、生まれた川に戻り、産卵すると一生を終える。これは昨年の冬に生まれて3月にもらってきたシロザケのこどもだそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/80秒 13mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
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33.加茂水族館 -3 オワンクラゲ クラゲの展示室に入ってきた。これはヴィクトリアのオワンクラゲで、2008年に下村脩氏がノーベル賞を受賞し話題になったクラゲ。傘のふちに緑色の蛍光タンパク質(GFP)があり、UVライトを当てると緑色に発光する。日本産のオワンクラゲより発光が強い。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/20秒 13mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
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34.加茂水族館 -4
この水槽には、色鮮やかないろいろなクラゲが泳いでいた。 

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/80秒 26mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
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35.加茂水族館 -5 ハナガサクラゲ
好物は生きた小魚だが、入手出来ないことが多いのでアジの切り身を与えているそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/160秒 28mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
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36.加茂水族館 -6 フウセンクラゲ
長い2本の触手を持ち、小型の甲殻類等を効率よく捕まえて食べるという。クラゲは肉食なのだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/25秒 21mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
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37.加茂水族館 -7 プロカミアジェリー(仮称)
傘径50cmにもなる大型のクラゲで1mの個体も確認されている。日本のアカクラゲと見た目は似ているが、赤い縞模様はこちらのほうが毒々しく見えるようだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 21mm ISO1600 ) 露出補正 -0.3段
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38.加茂水族館 -8 アマガサクラゲ
  「かごしま水族館と同時公開・世界初展示」となっていた。姉妹園館「かごしま水族館」からポリプを譲り受けて繁殖させたとのこと。100m以深で普通にみられるが、浅いところでは稀で、生態は謎が多い。説明書きでは、アマガサクラゲはミズクラゲ科だが、ミズクラゲは、生体→受精卵→プラヌラ→ポリプ→ストロビラ→エフィラ→メテフィラ、そして成体という生活環をもつが、ポリプは根(ストロン)を伸ばして自分と同じポリプを増やす。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/60秒 15mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
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39.加茂水族館 -9 キタミズクラゲ
荘内での出現記録は、1979年に遊佐町の地引網に入ったのみ。成長すると傘のふちが茶色に染まる。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/80秒 15mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
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40.加茂水族館 -9 パープルストライプジェリー
傘径が1mにもなる大型のクラゲで、ここではミズクラゲを餌として与えているという。成長すると傘に紫の放射状の縞模様が出る。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/200秒 19mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
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41.加茂水族館 -10 クラゲ ドリームシアター
クラゲ専用の水槽としては世界最大級の直径5mに、数千匹のクラゲはゆらゆらと泳ぐ神秘的な光景だ。 

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/100秒 12mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
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42.加茂水族館 -11 クラゲ ドリームシアター 部分
クラゲ ドリームシアター に近づいて、ミズクラゲの泳ぐ姿を撮った。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/100秒 27mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3
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43.キタゾウアザラシ
水族館の建物の外に出た。キタゾウアザラシがいた。キタゾウアザラシは北太平洋の北アメリカ大陸西岸に棲息するが、2017年10月16日には山形県の海岸で1匹が見つかり、ここ鶴岡市立加茂水族館に保護された。集団での棲息地から遠い日本での放流は不適切と判断した同水族館が、2018年3月17日から一般公開している。キタゾウアザラシはアシカ亜目の中ではミナミゾウアザラシに次いで2番目に身体が大きい種である。 20年位前だろうか、江ノ島の水族館で見たミナミゾウアザラシの「ミナゾウ君」(体調4.5m)はとても印象に残っている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 37mm ISO250 ) 露出補正 -0.3
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44.もう一度 鳥海山
加茂水族館で、今回の東北ドライブ旅行の見どころはすべて終えた。八幡平も秋田県側に入って晴れたし、最終日にはギフチョウにも会えたし、月山、鳥海山の全容を見ることができた。加茂水族館の屋上広場から海の向こうに見える鳥海山を瞼に焼き付けた。帰路は順調に走り、横浜には夜9時に到着した。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5.6 1/1250秒 37mm ISO1250 ) 露出補正 なし
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2019年7月 4日

岩手・秋田・山形 ドライブ旅行<5月19日~22日> (5) 羽黒山と五重塔 5月22日

3泊4日の東北ドライブ旅行も最終日になった。この日は朝から晴れ間が広がっている。休暇村庄内羽黒は、スキー場、キャンプ場に隣接している。朝の散歩にはもってこいだ。南に月山も見えていた。
 チェック・アウトして、まず、羽黒山有料道路を標高414m羽黒山へ上がる。出羽三山というのは、この羽黒山、月山、湯殿山のことだ。羽黒山山頂には、出羽三山の神々を合祀する山で「三神合祭殿」があった。「三神合祭殿」近くの草むらで、ギフチョウに会えたのは驚きだった。はじめはアゲハかと思った。しかし、飛び方が緩やかだし、アゲハの♀より黄色い。ヒメギフチョウか、ギフチョウかと思えた。ファインダーで確認してギフチョウとわかったが、やはり時期的には遅く、大分破損していた。後で調べたら、羽黒山はギフチョウの多産地として知られ、採集者も多いようだ。ギフチョウが生息する北限は秋田県の鳥海山麓と聞いている。
 羽黒山を下りて、月山ビジター・センターに寄って、羽黒山の南側を周るようにして、五重塔へ向かった。途中月山がきれいに見える展望台があった。この羽黒山五重塔は東北地方では最古の塔と言われ、平将門の創建と伝えられているという。高さ29m。昭和41年には国宝に指定されている。塔の内側を見学してきた。次は先日(6/18夜)地震の被害があった鶴岡市へ向かう。

1.休暇村庄内羽黒 スキー場
朝7時前、休暇村庄内羽黒の外へ出てみる。北側にはスキーのゲレンデがあった。このゲレンデの上が羽黒山山頂の方向だ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1250秒 21mm ISO125 ) 露出補正 なし
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2.月山
休暇村庄内羽黒 の上に月山(海抜1,984m)の姿が見えた。その8合目までの道路は、今年はまだ開通していないという。(今年、 県道211号月山公園線が八合目まで開通したのは6月24日だったそうだ)

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1250秒 37mm ISO125 ) 露出補正 なし
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3.国立公園出羽三山案内図
朝食を済ませ出発。羽黒山有料道路を上って、羽黒山山頂へ行く。駐車場から「三神合祭殿」のほうへ歩くと、写真のような案内図があった。出羽三山といっても実は羽黒山の案内図だった。私は許す限りこのような案内板は撮っておくことにしている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 20mm ISO100 ) 露出補正 なし
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4.世界平和塔
正面の建物は参集殿でその前にあるのは世界平和塔。あとで調べてみたが、台座に乗る球は地球を表し、縦と横の線は日本人と外国人が手をつなぎ、平和であるようにとの願いが込められているという。球は開祖蜂子皇子を羽黒山に導いた三本足の八咫烏(ヤタガラス)を戴いている。上下ちぐはぐな感じがするが、実は明治の廃仏毀釈までは、「宝篋印塔」があり、台座のみが残ったのか上部は昭和に造られたもののようだ。丸い部分は地球、青いラインは日本、赤いラインは日本以外で亡くなった方々の霊を意味するそうだ。左側奥に「三神合祭殿」が見える。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 16mm ISO125 ) 露出補正 なし
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5.鐘楼と梵鐘
鐘楼は元和3年(1617年)台風で倒れたのを翌年山形城主最上源五郎家信が再建した。寛延2年(1749年)柱の根継が行われたとある。梵鐘は社伝によれば、文永11年(1274年)10月の蒙古来襲の折、幕府より所望され、祈願したところ、鏡池(「三神合祭殿」の前にある池)より九頭竜王の光影が出て酒田の港に飛んで行ったところ、蒙古の舟は残らず海中に没した。このことにより鎌倉幕府より鐘を寄付されたとされている。この巨鐘は、日本第3の大鐘で「羽黒山の大鐘」ともいわれ、「建治元年乙亥(1275年)8月27日」の年紀があるといわれている。国指定重要文化財になっている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO160 ) 露出補正 なし
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6.「三神合祭殿」 -1 内部 wikipediaによれば、出羽三山は、出羽三山神社の社伝によれば崇峻天皇の皇子、蜂子皇子(能除太子)が開山したと伝えられる。崇峻天皇が蘇我氏に弑逆(殺害)された時、蜂子皇子は難を逃れて出羽国に入った。そこで、3本足の霊烏(ヤタガラス)の導きによって羽黒山に登り、苦行の末に羽黒権現の示現を拝し、さらに月山・湯殿山も開いて3山の神を祀ったことに始まると伝えられる。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/200秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 -0.7段
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7.「三神合祭殿」 -2 内部
同じくwikipediaを参照すると、江戸時代以前、出羽三山は真言宗であったが、江戸時代の初期、羽黒山の宥誉別当が徳川将軍家の庇護を受けるために、将軍家に保護されていた比叡山延暦寺にあやかり、羽黒山・月山は天台宗に改宗した。 天台宗への改宗に湯殿山は反発し、湯殿山派のみ真言宗となった。 羽黒山出羽神社 - 伊氐波神の本地仏を正観世音菩薩とし、一山を寂光寺と称して天台宗の寺院(輪王寺の末寺)であった。羽黒山全山は、江戸期には山の至る所に寺院や宿坊が存在した。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/200秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 -0.7段
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8.「三神合祭殿」 -3 正面
「三神合祭殿」 の正面の祭壇へと上がると、中央に月山神社、左側に湯殿山神社、そして右側に羽黒山出羽神社の扁額が上がっている。「三神合祭殿」は月山、羽黒山、湯殿山の三神を合祭した日本随一の大社殿。厚さ2.1mの萱葺の屋根、総漆塗の内部など、迫力があって見ごたえがある。「三神合祭殿」は後方にある本殿と、前面の拝殿が一体となった複合建築である。文化8年(1811年)に焼失し、文政元年(1818年)8月に完成したものだそうだ。国指定重要文化財になっている。手前の鏡池は、神秘の池として古来より多くの信仰を集め、羽黒信仰の中心でもあった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/200秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 -0.7段
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9.スジグロシロチョウ ♂
ここまで、チョウは全く見なかったが、「三神合祭殿」の手前にある草むらでスジグロシロチョウが飛んでいた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1000秒 181mm ISO100 ) 露出補正 -0.7段
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10.ギフチョウ
スジグロシロチョウを撮っていると、少し離れた前方にアゲハのようなチョウが飛んでいる。ヒメギフチョウかとも思ったが、ギフチョウのようだ。いったん視界から消えてしまったが、また戻ってきてくれ、ササの葉に止まった。ちょっと離れていたが、撮れるところまで近づくことができた。擦れて破損した個体だし、良い写真ではないが、記念になった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 220mm ISO100 ) 露出補正 -0.7段
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11.蜂子皇子の墓
駐車場へ戻る途中に、欽明天皇23年(562年)に崇峻天皇の第三皇子として誕生したと伝わる蜂子皇子の墓があった。後に蜂子皇子は出羽三山を開いたとされている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 10mm ISO1250 ) 露出補正 -0.7段
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12.羽黒山神社の末社
出羽三山には百一末社と称し、羽黒山を始め月山、湯殿山の山嶺、または幽谷に多数の末社が散在している。写真の末社は右手前から、思兼神社、 白山神社、大山祗神社、稲荷神社、健角身神社、大雷神社であるが、思兼神社の手前にもうひとつ画に入らなかった八坂神社がある。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO160 ) 露出補正 -0.7段
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13.月山全容
五重塔へ向かう途中に車を停められる展望台があり、抜けるような青い空とはいかなかったが、そこからは月山(海抜1,984m)の全容が見えた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5.6 1/1000秒 70mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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14.羽黒山 随神門
私たちは有料道路を車で「三神合祭殿」のあるところまで上ってしまったが、羽黒山の入り口は五重塔のある、こちら側である。随神門より内は出羽三山の神域となり、神域は遠く月山を越え、湯殿山まで広がる。随神門はこの広い神域の表玄関である。この門は初め仁王門として元禄年間秋田矢島藩主より寄進されたが、明治の神仏分離の折り、随身像を祀り随神門と名付けられた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO500 ) 露出補正 -0.3段
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15.羽黒山天地金神社(末社)
随神門の右手前の石段の上に、朱塗りのお社が見えた。後で調べてみると、羽黒山神社の末社の一つで、天地金神社という。出羽三山神社のホームページでは、応永4年学頭法性院尊量により創建されたが兵乱のため大破し、後に羽黒山智憲院宥然により安永8年(1779)再興された。もと「元三大師像」を御本尊としてお祀りしたので大師堂と称していたが、昭和39年、須佐之男命をお祀りし、天地金神社となり現在に至っている。とあった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 20mm ISO640 ) 露出補正 -0.3段
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16.神橋と祓川と須賀の滝
随神門をくぐって、五重塔へと歩く。継子坂を下りると祓川に掛かる神橋に出る。出羽三山神社のホームページでは、昔三山詣での人々は必ず祓川の清き流れに身を沈め、水垢離をとり三山への登拝の途についた。朱塗りの美しい神橋は見事な浸蝕谷にかかり、向かいの懸崖から落ちる須賀の滝と相対し、その景観はまことに清々しく美しい。滝は承応3年(1654)時の別当天宥により月山々麓水呑沢より約8kmの間を引水し祓川の懸崖に落し、不動の滝と名付けた。又、一般的には神域とは随神門と伝えられているが、ここより山上と山麓を呼び分け、山上には維新まで本坊を始め30余ヶ院の寺院があり、肉食妻帯をしない「清僧修験」が住み、山麓には336坊の「妻帯修験」が住んでいたそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 20mm ISO640 ) 露出補正 -0.3段
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17.国宝羽黒山五重塔 -1
やがて、左手の杉木立のなかに国宝羽黒山五重塔が見えた。渋い。五重塔への道に入らず、まっすぐ進むと、一の坂、二の坂、三の坂と続き、先ほど行ってきた羽黒山山頂に至る参詣登山道である。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 20mm ISO640 ) 露出補正 -0.3段
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18.国宝羽黒山五重塔 -2
随神門から羽黒山頂までの1.7kmの参道の両側に立ち並ぶ杉並木は、総数約600本、樹齢300年~500年の老木で、慶長初期から寛永(1596年~1643年)にかけて、第48代 宥源、第49代 宥俊、第50代 天宥の三代にわたる別当が十数年の歳月をかけて植林したという。特別天然記念物になっている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 17mm ISO800 ) 露出補正 -0.3段
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19.国宝羽黒山五重塔 -3
さて、国宝羽黒山五重塔であるが、は西暦931年から939年の承平年中、平将門創建と伝えられ、昭和41年国宝に指定されている。高さ29.4メートル、杉材による三間五層の素木作り、屋根は杉板厚さ2.4ミリの木羽を重ね合わせた杮葺きである。その後幾度も修復され、中世には庄内地方を治めていた武藤政氏が1372年から1374年の文中年間に再興したと伝えられ、現在の塔は建築様式からこの時のものと云われている。お釈迦様のお墓に見立てた五重塔は、昔この周辺を龍水寺が治めていたことから明治までは瀧水寺の塔と呼ばれていたそうだ。羽黒山に残る建造物として最も古い国宝羽黒山五重塔は、明治以降公に開扉した記録はないそうだ。今年は平成から令和への御世代わりの年にあたり、また、1400年以上の歴史を持つ出羽三山神社においても、昨年「三神合祭殿」再建200年という佳年を迎えた。これらを奉祝し、4月27日~11月30日までの間、これまで秘中の秘とされてきた国宝羽黒山五重塔の扉を開き、内部特別拝観として一般公開されていた。折角の機会だったので、拝観料500円をお支払いして、開かれた扉から体を乗り出して塔の中を拝観してきた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO800 ) 露出補正 -0.3段
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20.鶴岡へ
午前10時半、五重塔の拝観を終え、鶴岡へ向かった。鶴岡までは車で30分ほどだ。左手には庄内平野の田んぼの向こうに月山が眺められた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/1000秒 31mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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2019年7月 1日

岩手・秋田・山形 ドライブ旅行<5月19日~22日> (4) 酒田市 本間美術館と山居倉庫 5月21日

増田を出たところのドライブインで昼食にした後、国道107号線を一路西へ向かった。107号線(本荘街道)の本荘を過ぎて、国道7号線(秋田街道)を日本海に沿って南へ下る。象潟町を過ぎて、遊佐町へ入るところで、秋田県から山形県に入る。右側は日本海、左側は鳥海山なのだが、あいにく雲が多く日本海も、鳥海山も見られなかった。
 やがて、酒田の市街地に入る。午後3時になっていた。酒田では本間美術館と山居倉庫が目的である。
wikipediaによれば、本間美術館は、山形県庄内地方の大地主であった本間家が収集した品を保管、展示する山形県の登録博物館で、公益財団法人本間美術館が運営する。収集品を展示する美術館としてのみならず、京風の純和風建築「清遠閣」、庭園「鶴舞園」による庭園美術館としての性質も持つ。庭園の片隅にある窯では、民芸品である本間焼が造られている。 観覧券はひとり1,000円であったが、庭園と和風建築に堪能した。ゴルフでは、パーシモンといえば本間というほど、木製ウッド全盛の時代「ヒロホンマ」ブランドは高級ゴルフクラブとして人気があった「本間ゴルフ」の創業者兄弟は酒田本間氏庶流にあたる。現在は中国企業の傘下にあるが、大統領選勝利後当時のドナルド・トランプ次期大統領と非公式会談した安倍晋三首相からトランプ氏に本間ゴルフの特注品「BERES S-05」が贈られたそうだ。
 1時間ほど、本間美術館とその庭園を見学した後、次に、山居倉庫へ行った。午後も遅かったので人も少なく、倉庫の裏側(西側)にあたる 「山居倉庫とケヤキ並木」の落ち着きのある眺めは、穏やかな気分にしてくれ、来てよかったと思った。wikipediaによれば、ここはNHK連続テレビ小説「おしん」の脚本を手掛けた橋田壽賀子さんが、貧しい農家に生まれた「おしん」が米一俵で、身売りされ、酒田に奉公に出され、その地で倉庫に続々と運び込まれる米俵を見て、驚きのあまり、言葉を失うという着想を得たところとされている。  あす、最後の日は羽黒山、五重塔、鶴岡、加茂水族館を巡ることを予定している。山居倉庫見学のあとは、もうひとっ走り、「休暇村庄内羽黒」へ。夕方5時過ぎの到着となった。

15.本間美術館入り口
1947年(昭和22年)に開館した本間美術館は、戦後の荒廃した人心を励まし芸術文化の向上に資することを目的として、本間家に伝わる庄内藩酒井家や米沢藩上杉家など東北諸藩からの拝領品を中心に展示活動を始めたそうだ。1968年(昭和43年)には新館が完成し、現在使用している「本間美術館」のロゴは新館完成を祝って画家の故中川一政氏から贈られたもの。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
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16.本間美術館庭園
本間美術館の館内での写真撮影は禁止になっていた。展示品の中では円山応挙の「紙本淡彩鼬(いたち)図」や岸駒の「猛虎図」が目を引いた。館内を見終えて庭園「鶴舞園」を歩く。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 23mm ISO400 ) 露出補正 なし
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17.茶室「六明廬」
庭園「鶴舞園」 の中に茶室「六明廬」があった。「六明廬」の名はにじり口や下地窓など6っの明り取りがあることから名づけられたそうだ。酒田の茶道は、文政2年(1819年)玉川遠州流四代大森宗震の指導に始まったが、本間家五代光暉、六代光美とも茶道をたしなみ、玉川遠州流は隆盛を極めたと説明されていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 24mm ISO1600 ) 露出補正 なし
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18.京風の純和風建築「清遠閣」へ
16の写真で見ていただいた「清遠閣(せいえんかく)」の入り口へ回り込む。「清遠閣」は日本一の大地主として知られた酒田の本間家の「本間家旧本邸」だそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1000秒 14mm ISO320 ) 露出補正 なし
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19.「清遠閣」1階広間
文化10年(1813年)に建てられた「清遠閣」 の中に入った。6000坪の敷地内に建つ本間家旧別荘「清遠閣」は、戦前は酒田の迎賓館として利用されていた。大きな広間からは庭園「鶴舞園」が眺められる。置かれている椅子は2方向に額縁庭園が広がる絶好なビューポイントだった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1000秒 14mm ISO320 ) 露出補正 なし
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20.赤石と青石
庭園「鶴舞園」は文化10年(1813年)四代本間光道が築造した鳥海山を借景とする池泉回遊式庭園である。庭園の整備は港で働く人々の冬の間の失業対策事業として実施されたそうだ。北前船が運んできた佐渡の赤玉石や伊予の青石が配されている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 20mm ISO640 ) 露出補正 なし
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21. 「清遠閣」1階
「清遠閣」は昭和22年(1947年)に本間美術館として開業し一般公開され、平成24年(2012年)に国指定名勝を受ける。ここは食堂エリアで酒田市の迎賓館としても利用されており、大正14年には皇太子殿下(昭和天皇)がご宿泊されたとのこと。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/800秒 12mm ISO3200 ) 露出補正 なし
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22.「清遠閣」2階
「清遠閣」は明治時代末には一部2階建てに増改築された。その磨き上げられた階段を2階へ上がる。2階も座敷が広がり、ここにも一脚の椅子が置かれていた。2階からは舞鶴園のほぼ全景が見渡せる。池の中心に中島があり、反り橋などで繋がっている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
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23.「清遠閣」2階「御座所」
2階の奥に「御座所」と示された床の間があり、円山応挙の「双鶏図」(寛政3年)が架けられていた。円山応挙の作品はいろいろなところで多く見ることがあるが、この「双鶏図」は鶏のリアルさが京都中の評判となり、写生画家 円山応挙の(1733-1795)の名を世に知らしめた京都八坂神社にある「双鶏図」ともよく似た構図で描かれていると説明されていた。酒田市指定文化財になっている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1800秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
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24.大正ロマン
2階のこの灯も大正ロマンを感じさせる調度品である。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1000秒 13mm ISO400 ) 露出補正 なし
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25.ウグイスの影
階段の上がり口の上に装飾として彫られた梅の木の影が、壁に映っていた。案内の女性が、その梅の木の上に、彫られていないはずのウグイスが止まっているような影があると教えてくれた。これは偶然できた影ではなく、製作者の遊び心だという。梅の花が重なって、ウグイスに見えるように、作られている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/125秒 19mm ISO3200 ) 露出補正 なし
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26.「清遠閣」全景
「清遠閣」の見学を終え、「鶴舞園」から出口へと向かう。もう一度振り返って「清遠閣」の全景を撮る。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 18mm ISO320 ) 露出補正 なし
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27.カキツバタ
出口へ向かうところにある池でカキツバタが咲いていた。そのむこうに、葉に切れ込みが見られるのでスイレンと思うが、その葉の緑もきれいだ。夏には白いきれいな花が咲くのだろう。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1250秒 22mm ISO125 ) 露出補正 なし
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28.山居倉庫(さんきょそうこ)
車に戻って山居倉庫まで移動した。山居倉庫は、山形県酒田市にある米穀倉庫(二重屋根・倉の内部は湿気防止構造・ケヤキ並木と自然を利用した低温管理倉庫) である。 山居倉庫は1893年(明治26年)に酒田米穀取引所の付属倉庫として、旧庄内藩酒井家により最上川と新井田川に挟まれた通称「山居島」に建てられた。舟による米の積み下ろしに便利な立地で、12棟の巨大な木造の倉庫を連ねた美しい建物と、最上川側のケヤキ並木が独特の風情を伝えている。建設された14棟のうち12棟が残っており、現在も米穀倉庫として使用され、一部は「庄内米歴史資料館」や「観光物産館」として活用されている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 18mm ISO200 ) 露出補正 なし
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29.三居稲荷神社
山居倉庫の木造の建物の切れ目から反対側(最上川側)に出てみた。そこに稲荷神社があった。この稲荷神社の由緒は、明治26年倉庫をこの地に建設するとき、旧藩主酒井家の太郎稲荷および徳川家の禎祥稲荷の二柱勧請して従来から鎮座せる、山居稲荷神社に合祀して三居稲荷神社と改名し、倉庫鎮守の神としたそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO320 ) 露出補正 なし
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30.ケヤキ並木と倉庫 -1
三居稲荷神社 がある12棟の倉庫が立ち並ぶ裏側(西側・最上川側)は、ケヤキ並木になっていて、しばしばテレビや雑誌で紹介されるところだった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 19mm ISO320 ) 露出補正 なし
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31.ケヤキ並木と倉庫 -2
2018年時点で12棟が残り、このうち9棟は現役の米蔵として使用されているそうだ。残りのうち1棟は1985年に「庄内米歴史資料館」、もう1棟が2004年に「酒田市観光物産館 酒田夢の倶楽(くら)」として改装され、それぞれ一般開放されている。写真は入り口側一番奥にある1号倉庫の方を撮っている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 11mm ISO250 ) 露出補正 -0.7段
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32.ケヤキ並木と倉庫 -3
前の写真とは逆に、「荘内米歴史資料館」、「観光物産館 酒田夢の倶楽」として改装され、公開されている倉庫の方向を撮った。倉庫と石畳とケヤキ並木、そしてその奥行きが景色になる。ケヤキ並木のケヤキは日本海からの強風(西風)と夏の直射日光(西日)を遮り、倉庫内の温度変化を少なくする目的で植えられたもので、現在41本残っているそうだ。また、土蔵と屋根の間を空けることで、温度と湿度が急激に上昇するのを防ぎ、倉庫内を一定の温度に保つため、二重屋根が採用された。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 12mm ISO320 ) 露出補正 -0.7段
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33.「山居橋」
倉庫の表側、新井田川に架かっている「山居橋」だ。この橋は酒田市街地方面と山居倉庫エリアをを結ぶ歩道橋になっている。 1959年までここに木橋が架かっていたようだが、1993年に現在の橋が橋長52mの鋼桁木装橋として架けられた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 10mm ISO125 ) 露出補正 -0.7段
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34.JA全農山形山居倉庫
JA全農山形山居倉庫と看板が掛かった蔓が絡んだ木造の事務所があった。山居倉庫は現在も使用されている。この事務所の傍に川に面して石畳の船着場も設けられており、舟運の拠点のひとつであったことがわかる。江戸時代は規定により平田舟による運搬が主だったが、明治に入ってからは、最上川舟運において物資の輸送のために作られた小鵜飼舟に代わった。復元された小鵜飼舟が敷地内で保管されていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 20mm ISO160 ) 露出補正 なし
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2019年6月27日

岩手・秋田・山形 ドライブ旅行<5月19日~22日> (3) 横手市増田町の伝統的建造物 5月21日

朝から雨が降っていた。この日は、盛岡から一般道を南下して秋田県横手市の増田町へ行く。増田町は伝統的建造物群保存地区になっていて、JRの大人の休日倶楽部の会員誌で紹介されたのを見て、少し回り道になるがこの機会に是非行ってみたいと思い、寄り道することを提案した。ここは、吉永小百合さんのJR東日本のテレビCMのロケ地にもなっている。
 雨の中を走って、10時半ごろ、増田町の街並み案内所になっている「ほたる」に着いた。ここで限られた時間でどこを見ればよいのかと聞き、増田町の「まち歩きマップ」をもらう。まず、無料で公開されていて、観光物産センター蔵の駅になっている「旧石平金物店」を見る。次は雨の中を歩き「ほたる」で薦められた「旧石田理吉家」を見学した。「旧石田理吉家」は残念ながら座敷蔵の撮影は許されなかったが、木造3階建ての外観は立派だった。
 増田町についての記述は増田町観光協会のホームページなどから引用させていただいた。
 12時に増田町の散策を終え、次の目的地である山形市へ向かう。国道107号線(本荘街道)の入り口のドライブインで昼食にしたが、刺身、てんぷらに、小さなざるそばが付いた、コストパフォーマンスの良い食事となった。

1.増田の町並み案内所「ほたる」
歴史的建造物が両側に立ち並ぶ「増田蔵町通り」の入り口に着いた。駐車場に車を停めて増田の町並み案内所「ほたる」に入る。雨が降っている。「増田蔵町通り(七日町通り)」は南北に400mほど続いていた。ここで、1時間くらいしか時間がないと言って、どこを見ればよいかと問うと、「旧石平金物店」と「旧石田理吉家」がrecommendされた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
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2.増田町 公開家屋
「ほたる」の中に入ると、写真のような、公開されている家屋を図示したわかりやすい地図があった。増田町は羽州街道の十文字から増田、田子、手倉峠を経て岩手県の水沢(奥州市水沢区)へ通じる街道である「手倉街道」と、増田から「手倉街道」と離れて川連、稲庭、小安を経て旧仙台領(宮城県)へ続いた「小安街道」という二つの旧街道が合流する地点に位置する。その立地特性を生かしながら、寛永20年(1643年)から始まったとされる朝市に代表されるように人と物資が往来する流通拠点として発展した。かつて東北経済の要衝として栄えた横手市増田町、秋田屈指の豪雪地帯としても知られるこの町には、母屋で覆われた「内蔵(うちぐら)」と呼ばれる豪華な蔵を構えた商家が400mほどの通りに40以上も軒を連ねる。 雨が降る中、まず、薦められた「旧石平金物店」へと向かう。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1000秒 13mm ISO1000 ) 露出補正 なし
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3.「増田町朝市通り」
「旧石平金物店」へ行く手前の左側に「増田町朝市通り」の入口があった。「寛永20年(1643年)開始、毎月2,5,9の付く日」と書かれた札が掛かっていた。今朝は市は開かれていない。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1000秒 13mm ISO125 ) 露出補正 なし
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4.「旧石平金物店」帳場
「旧石平金物店」は明治大正期に金物商などを営んだ石田家より、横手市に寄贈され、現在「観光物産センター蔵の駅」として、伝統的建造物の公開をはじめとする増田町の観光案内所兼物産販売所として運営されている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/125秒 15mm ISO3200 ) 露出補正 なし
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5.「石平金物店」座敷
この家屋には、間口が狭く奥行きが極端に長い増田の町割りの姿が残っており、増田の町屋の特徴を知る格好の家屋となっている。道路に面した正面に店舗を配し、座敷、居間、水屋とつながる部屋割りは増田の商家の基本的な配置である。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2 1/1000秒 10mm ISO2500 ) 露出補正 なし
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6.「旧石平金物店」内蔵
増田に残る建物の多くは、正面と背面が開放できる鞘で覆われた内蔵がある。内蔵とは主屋と続いた鞘付土蔵のことをいう。敷地の半分以上を連続する建物で覆い、豪雪に対応するための長大な空間が作られている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/160秒 21mm ISO3200 ) 露出補正 なし
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7.「旧石平金物店」内蔵内部
内蔵の1階は手前に板の間、奥に座敷間、2階は板の間で什器類を収納していた。写真は正面の入口から板の間とその奥の座敷間を見たところ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/250秒 35mm ISO3200 ) 露出補正 なし
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8.「旧石平金物店」トオリ
各部屋の南側に、店舗より裏口まで延びるトオリと呼ばれる通路がある。下のほうに「増田の花火」の二尺玉が見える。県内最古の「増田の花火」は月山神社の祭典行事として、毎年9月14日開催されている。正二尺玉の打ち上げをはじめ、正尺の早打ちや豪華スターマインなど約5,000発の花火が彩り、町民参加の「町民花火」でフィナーレを迎えるそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/400秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
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9.「旧石田理吉家」
「旧石平金物店」の見学を終え、中七日町通りを北へ進むと、七日町通りが終わりに近づくあたりの右側に、木造3階建ての「旧石田理吉家」 があった。ここは有料公開施設だった。「旧石田理吉家」は市の指定文化財で、文政2年(1819年)にい石田久兵衛家より分家し、戦前まで酒造業(銘柄 金星)を営んでいた。木造3階建ては県内でも珍しい。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 17mm ISO400 ) 露出補正 なし
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10.「旧石田理吉家」の3階
「旧石田理吉家」の3階は座敷になっていた。座敷内から表通り側を1枚だけ撮らせていただいた。 戦後は病院を開業し、地域医療に貢献してきたが、平成23年度に土地および建物が市に寄贈された。現在、一般公開されている家屋は、木造3階建ての母屋と主屋東側につながる内蔵とその内蔵をを含む鞘建物に設けられた水屋部分である。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO2500 ) 露出補正 なし
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11.「旧佐藤興五兵衛家」
「旧石田理吉家」 のさらに北側、中七日町通りの終わり近くの右側に「旧佐藤興五兵衛家」(まちの駅福蔵)があった。ここも内蔵を見学することができた。佐藤興五兵衛家は代々の地主で、増田銀行設立時の監査役の1人。大正期に増田勧業社を設立し、セメントなどの建設資材を扱う商いをしていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1250秒 9mm ISO125) 露出補正 なし
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12. 「旧佐藤興五兵衛家」の内蔵
「旧佐藤興五兵衛家」の内蔵を見学することができた。 あまりゆっくり見学している時間はないので、中には入らなかった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/250秒 9mm ISO3200) 露出補正 なし
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13.非公開の建物 縦に長い奥行のある家屋の構造が分かる。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2 1/1250秒 9mm ISO125) 露出補正 なし
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14.蔵のある町「くらしっくロード」
この南北に400mほどの「増田蔵町通り(七日町通り)」は、「くらしっくロード」と名付けられ、建物のひさしに写真のようなボードが下げられている。電柱、電線がなくなればもっと良くなると思う。この日はこの先、酒田市から羽黒山まで行かねばならないので12時前に増田町を出発した。次の目的地は山形県酒田市の本間美術館だ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1250秒 12mm ISO125) 露出補正 なし
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