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2024年4月16日

広大な京都御苑 2024年3月22日 京都旅行(3/22-3/24) ②

ここは見ようと思っていた約200年ほど前の江戸時代後期にたてられたという、九條家の別邸として使用された拾翠亭を見終え、その池泉回遊式庭園や、九條家の鎮守社だった厳島神社を見て回り御苑内に戻った。
 そこは九條邸跡、鷹司邸跡、宗像神社に囲まれた広場になっていて、銘木・黒木の梅のある所だった。まだ御苑の南側の一部に過ぎない。
 ここから、京都御所の建礼門が正面に見える建礼門前大通りの一本西側の道にそって北へと歩くことにした。梅の花にはもう遅かったが、桃の花が綺麗に咲いていた。西側に下立売御門が見えるところまで来ると、拾翠亭の係の人が教えてくれた出水の枝垂れ桜が咲いていた。
 そこからさらに一本西側の道を北へ歩く。賀陽宮邸跡、白雲神社、西園寺邸跡、その左側にある梅園、桃園を見ながら、京都御所の南西の角に着いた。
 ちょっと、小腹が空いたので、「檜垣茶寮」という食事処に入る。海老旬菜天ぷらうどん を食べたが、美味しかったし、思ったほど混んでは無くて、ゆっくりすることが出来た。
 一休みしたあと、御所の築地塀に設けられた6っの門のうち、宜秋門、清所門、皇后門の3っがその西側にある。清所門のところまで来ると「一般参観入口」となっていた。わが奥さんは少々、足が辛くなってきていたようだったが、またとないチャンスと思い入ってみることにした。

000_240322320 X700 京都 京都御苑 Z50 Z18-140.jpg
京都御所の建礼門が正面に見える建礼門前大通り 後ろの山並みは比叡山系
 2024年3月22日 京都市上京区京都御苑

027_240322318 X900 京都 京都御苑 Z50 Z18-140.jpg 27.京都御苑は広い
京都の高島屋や大丸といったデパートがある、東京でいえば、銀座通りのような繁華街からごく近いところにありながら、京都御苑は広大である。ここはまだ南西部から入ったところである。wikipediaによれば、京都御苑は、京都市の中心部に位置し、東西南北を寺町通・烏丸通・丸太町通・今出川通に区切られた区域。東西約700m、南北約1300mの範囲で、総面積は92ha。その内、環境省が管理する国民公園である京都御苑は65haである。江戸時代から残っている九ヶ所の外周御門と六ヶ所の切り通しを持つ。この先にある京都御所および仙洞御所・大宮御所は宮内庁が管理し、京都迎賓館は内閣府が管理している。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 38mm ISO110 )
028_240322324 X900 京都 黒木の梅 京都御苑 Z50 Z18-140.jpg 28.黒木の梅 -1
黒木の梅というのが品種名かどうなのかは解らなかったが、八重咲きの梅が残っていた。この梅は、五摂家の一つである九條家の敷地の中にあった紅梅を、大正天皇即位の大礼に際して現在地に移された「黒木の梅」という銘木とされている。原株は孝明天皇の后である英照皇太后が幼少時に過ごされていたご生家で愛でられていたものと伝っているそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.0 1/500秒 20mm ISO110 )
029_240322322 X900 京都 黒木の梅 京都御苑 Z50 Z18-140.jpg 29.黒木の梅 -2
枝先に咲く梅を入れて、京都御所建礼門へ続くまっすぐな大通りを入れて撮りたかったが、前に工事の軽トラが停まって叶わなかった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f8 1/500秒 41mm ISO110 )
030_ 240322337 X900 京都 十月桜 京都御苑 Z50 Z18-140.jpg 30.十月桜
小さな白い花が遠慮がちについていた。これは十月桜と思う。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.0 1/500秒 59mm ISO150 )
031_240322339 X900 京都 京都御苑 Z50 Z18-140.jpg 31.袴姿のお嬢さん -1
中学の卒業式だったのだろうか、お母さんが、お嬢さんを梅の花の傍に立たせて写真を写真を撮っていた。撮り終わったのを見計らって「すみません。1枚撮らせていただけますか?」とお母さんにお願いしてみた。お母さんはお嬢さんの顔を見て「いい?」と聞いてくれた。お嬢さんからOKが出た。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 135mm ISO110 )
032_240322342 X900 京都 京都御苑 Z50 Z18-140.jpg 32.袴姿のお嬢さ -2
「もう一枚お願いします」と。ちょっとピントが甘くなってしまった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/500秒 36mm ISO110 )
033_240322349 X900 京都 京都御苑 出水しだれ桜 Z50 Z18-140.jpg 33.出水の枝垂れ桜 -1
下立売御門を左にみて、出水の小川の傍の道すじに枝垂れ桜が咲いていた。拾翠亭の係の方が今咲いている桜ですと教えてくれた桜だ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 21mm ISO110 )
034_240322359 X900 京都 京都御苑 Z50 Z18-140.jpg 34.賀陽宮(かやのみや)邸跡に咲く十月桜 -1
この北側が賀陽宮邸跡であり、南側に下立売御門(しもたちうりごもん)が見える。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 41mm ISO100 )
035_240322361 X900 京都 京都御苑 Z50 Z18-140.jpg 35.賀陽宮邸跡に咲く十月桜 -2
この桜は十月桜と推定する。ジュウガツザクラ(十月桜)はエドヒガンとマメザクラの雑種と推定される小彼岸系の品種で、春は染井吉野と同じように開花期間は短期間だが、秋は9月頃から咲き始め、長期間咲き続ける。東京の中央通り日本橋の袂にも植えられている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.0 1/500秒 41mm ISO100 )
036_240322372 X900 京都 京都御苑 Z50 Z18-140.jpg 36.梅林と桃林
賀陽宮邸跡西側の道(建礼門前大通りの一本左側の道)を北へ進むと、右手に白雲神社、西園寺邸跡があり、左側には梅林、桃林があった。流石の梅は花が少なかったが、桃はまだ咲いていた。外国人観光客が多い。今回の京都では、中国や台湾、韓国といったアジアからの方々より、欧米の方々が多いように思う。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 29mm ISO100 )
037_240322375 X900 京都 京都御苑 Z50 Z18-140.jpg 37.桃林 -1
桃林の濃い紅色の桃の花。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 35mm ISO110 )
038_240322376 X900 京都 京都御苑 Z50 Z18-140.jpg 38.桃林 -2
桃林の白い桃の花。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.0 1/500秒 35mm ISO110 )
039_240322377 X900 京都御所 建礼門 Z50 Z18-140.jpg 39.京都御所の築地塀
京都御所の南西に着いた。右手に東に延びる築地塀があり、その中央に建礼門が見える見える。その中が京都御所である。今日一日の素晴らしい晴天だった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f7.1 1/500秒 19mm ISO110 )
040_240322379 X900 京都御苑 清水谷家の椋 Z50 Z18-140.jpg 40.清水谷家の椋(ムク)
御所の南西の角は、清水谷家という公家の屋敷があったことからこの木は「清水谷家の椋」といわれるそうだ。樹齢300年と苑内でも数少ないムクの大木であるという説明札が立っていた。清水谷家は西園寺家の一門で、鎌倉時代に西園寺公経の二男、実有を祖とする公家である。雅楽を家業として天皇に仕えた。この椋の木の下で、元治元年(1864年)に起こった禁門の変(蛤御門の変)の時、来島又兵衛が討死したと伝えられている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.0 1/500秒 18mm ISO110 )
041_240322383 X900 京都御所 宜秋門 Z50 Z18-140.jpg 41.宜秋門(ぎしゅうもん)
西側の築地塀に沿って北へ進む。そこに宜秋門が見えた。檜皮葺切妻屋根の四脚門の宜秋門は、天皇より、牛車の宣旨・手車宣旨を賜った者だけが車のまま、その奥の御車寄に向かうことが出来たという。。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.0 1/500秒 18mm ISO110 )
042_240322384 X900 京都御所 宜秋門 Z50 Z18-140.jpg 42.宜秋門上部
宜秋門の切妻屋根の部分。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO220 )
043_240322388 X900 京都御苑 中立売御門 Z50 Z18-140.jpg 43.中立売御門(なかたちうりごもん)
宜秋門を過ぎて左側(西側)には御苑の中立売御門が見えた。その向こうの通りは烏丸通りである。苑内の外周部にある九つの門はいずれも日本の伝統的な建築様式の一つである本瓦葺四脚門(高麗門)である。葵祭、時代祭の行列が市中に出立する堺町御門や、幕末・禁門ノ変における激戦地として知られる蛤御門などが有名である。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 40mm ISO125 )

2023年4月 4日

旅行 高松→丸亀→鞆の浦→尾道 ③丸亀 宝月堂・丸亀城・アザレ

2日目、この日は丸亀で婿殿の家の法事がある。9時前にホテルを出発し、朝の商店街のアーケードを通り抜け、右手に高松城の石垣と琴電の駅に電車が入るところを見ながら高松駅まで歩く。
 高松から丸亀までは、予讃線の各駅停車に乗った。丸亀まで1時間弱である。10時半ごろ丸亀駅に着いた。落ち着いた良い町だと感じた。今回は婿殿の母の法事だったが、親しかった方が車で駅まで迎えにきてくださっていた。その方が経営されている「宝月堂」という老舗のお菓子司の店を訊ねた。
 法事は12時から市内のお寺で行われるが、その前に丸亀城を案内していただいた。丸亀城は丸亀市民の心の支えになっている。
 法事が終わって、「宝月堂」の社長さんに、坂出にある「アザレ」というフランス料理のレストランでご馳走になった。田舎の町(失礼)にこんなところがと思うほど洗練された店だった。料理も美味しかったし、古い和風建築で昭和レトロ風の波を打つ障子ガラスの向こうには庭が見える。香川県在住の画家でセツ・モードセミナー卒業後、イラストレーターとして雑誌広告の仕事に携わってこられ、 現在は青山のDEE'S HALLなどで定期的に個展を開催し、海外のギャラリーでも展示会を行われている山口一郎さんによる玄関のデザインなど、素晴らしかった。
 坂出から予讃線の「マリンライナー」で岡山へ、岡山からは在来線の山陽線で福山へ行く。高松ー岡山間を瀬戸大橋線というのは愛称だそうで、正しくは高松駅ー坂出駅ー宇多津駅間はJR四国の予讃線で、宇多津駅ー児島駅はJR四国の本四備讃線、児島駅から茶屋町駅間はJR西日本の本四備讃線、そして茶屋町駅ー岡山駅間がJR西日本の宇野線である。(マリンライナーは宇多津駅には入らないで坂出から児島へ出てしまう。)山陽線ではSuicaが使えた。
 この日は天気は良かったのだが、中国からの黄砂なのだろうか霞がかかったように濁っていた。花粉も飛んでいたようで目が痒くてて仕方なかった。
 今宵は鞆の浦どまりである。タクシーで鞆の浦のホテルへ向かった。

000_230312547 X700 〇丸亀城 Z50 Z18-140.jpg
丸亀城の石垣 2023年3月12日 香川県丸亀市

041_230312091 X900 〇高松 百間町 G7X.jpg 41.高松アーケード商店街
翌朝、高松三越のすぐ近くにあるホテルを出て、アーケード商店街を通って、高松駅まで歩いた。後で知ったのだが高松アーケード商店街は総延長約2.7kmで日本一長いのだそうだ。アーケード商店街は全部で7つあり、それらはつながっている。写真は丸亀町商店街と片原町商店街、兵庫町商店街が交差する高松中央商店街というところ。ミラノのヴィットリオ・エマヌエーレ2世のガッレリアを思い起こさせられた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
042_230312092 X900 〇高松 アーケード G7X.jpg 42.讃岐うどん -1
丸亀町商店街と片原町商店街、兵庫町商店街のアーケードが交差する高松中央商店街から兵庫町商店街を中央通りをへ抜ける。さすが讃岐うどんの県、商店街にもうどん屋さんが多い。この店は「さぬき麺業」で午前10時開店だそうだ。1926年(大正15年)香川県香川郡川岡村(現川部町)に「香川屋」として創業。1964年(昭和39年)2月、高松市周辺の当時の製麺業者30数店が出資して「さぬき麺業」が設立された。東京、大阪にも出店している。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO640 ) 露出補正 なし
043_230312093 X900 高松 アーケード G7X.jpg 43.讃岐うどん -2
同じく兵庫町商店街の「はなまるうどん」の店だ。「はなまるうどん」は2000年に香川県高松市で創業した。全国各地、海外にも店舗があり、ホームページ検索すると、439店あった。はなまるの注文スタイルは、本場「讃岐」と同じセルフ形式。誰もが、どこかで見たことがあるという店だ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO500 ) 露出補正 なし
044_230312099 X900 〇高松城 琴電 G7X.jpg 44.高松城石垣と琴電
寿町というところに出た。右手に高松城の石垣(玉藻公園)と終点高松築港駅に入る琴電(高松琴平電気鉄道株式会社)が見える。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.0 1/1250秒 37mm ISO250 ) 露出補正 なし
045_230312103 X900 〇高松駅 G7X.jpg 45.高松駅
岡山行の8時55分発のマリンライナー16号が出て行く。マリンライナーは丸亀には止まらない。むこうのホームに見えるのは、高松ー松山間の「特急いしずち」。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1250秒 20mm ISO250 ) 露出補正 なし
046_230312104 X900 〇高松駅 G7X.jpg 46.予讃線 各駅停車
私たちが乗車する9時26分発の予讃線の各駅停車の電車(7200系)。JR四国の電化区間は予讃線 高松~松山と土讃線 多度津~琴平間のみだそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO320 ) 露出補正 なし
047_230312106 X900 高松駅 G7X.jpg 47.2700系特急気動車
この列車は徳島へ行く「特急うずしお」だ。2019年8月にデビューした。最高速度は130km/hdで制御付自然振子方式を採用し、軽量・低重心化を図り、安らぎと先進性を併せ持たせた特急車両という。ここは関東では見慣れない車両が多い。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 19mm ISO640 ) 露出補正 なし
048_230312109 X900 丸亀 宝月堂 G7X.jpg 48.丸亀 宝月堂
丸亀駅には10時20分に到着した。丸亀駅に宝月堂のT社長が迎えに来ていただいていた。車でまず、宝月堂のお店に伺う。宝月堂は2017年に創業100年を迎えた。老舗の御菓子司である。HPによれば、店舗として使用されている北側の白い漆喰がまぶしい建物は最も古く、明治31年の建築である。2017年に柱や梁など、骨組みを残したまま改築し、先代が住居として使用していた2階の部屋は全て繋げ、和菓子教室の会場として使用されている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5.0 1/1250秒 9mm ISO250 ) 露出補正 なし
049_230312112 X900 〇丸亀 宝月堂 有形文化財 G7X.jpg 49.風月堂の建物は登録有形文化財
店舗の左側の木造3階建ての建物は、大正7年に建築。昭和6年の増築により洋風建築と町屋風建築が融合する建物となっている。1階は製造工場として使用し、2階は地域の人たちとの交流の場として使えるよう、模索しているという。スパニッシュ瓦や、スクラッチタイルが目を引くこの建物は2017年に文化庁の登録有形文化財となった。写真では見えないが、さらにその隣の南側に位置する昭和6年建築の建物があり、黒漆喰が目を引く町屋風造り。二段構えのうだつが特徴である。当時の防火設備として造られたうだつは、丸亀城から丸亀港に抜ける街道だった歴史を感じさせてくれる。今でも、工場として使用しているその建物の安全を見守っている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/1250秒 9mm ISO200 ) 露出補正 なし
050_230312125 X900 〇丸亀 宝月堂 G7X.jpg 50。東京オリンピック聖火ランナー
社長のTさんは、2020年東京オリンピックの聖火ランナーとして、雨の中、香川県の瀬戸大橋のたもとを丸亀城まで走られた。店内にそのトーチのレプリカが展示されていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 16mm ISO3200 ) 露出補正 なし
051_230312131 X900 丸亀 宝月堂 蝶という名の和菓子 G7X.jpg 51."ちょう" という題の和菓子
宝月堂謹製の"ちょう"という名を付けられた生菓子をご馳走になった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/500秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
052_230312138 X900 丸亀 宝月堂 G7X.jpg 52.宝月堂のペット
宝月堂にはペットの猫が飼われていて、社長さん以下のお店の人達に可愛がられている。外で写真を撮っていたら近寄ってきてくれた。とても人懐こい。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
053_230312542 X900 〇丸亀城 Z50 Z18-140.jpg 53.丸亀城 大手二の門(高麗門)
法事の時間まで少し時間があったので、丸亀城へ案内していただいた。丸亀市街地の南部に位置する亀山(標高66m)を利用し、ほぼ四角形に亀山の廻りを堀(内堀)で囲む、渦郭式の平山城である。丸亀城は石垣で有名だが、その石垣は、緩やかであるが荒々しい野面積みと端整な算木積みの土台から、頂は垂直になるよう独特の反りを持たせる「扇の勾配」と呼ばれる。山麓から山頂まで4重に重ねられ、合わせると60mになり、総高としては日本一高く、三の丸石垣だけで一番高い部分は22mあるそうだ(wikipediaより)。丸亀城は生駒氏が慶長年間築城したが、一時廃城となり、山崎氏が寛永末年復興、万治元年京極氏が代り六万石の居城となった。大手一の門及び二の門は寛文10年の再建になり、一の門は櫓門、二の門は髙麗門で これに両脇塀が附属している。これら遺構は手法にも特徴があり。且つ大手口の堂々たる偉容を示し、枡形の保存上からも大事な建物である(文化遺産オンライン)。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.0 1/500秒 35mm ISO100 ) 露出補正 なし
054_230312544 X900 〇丸亀城 Z50 Z18-140.jpg 54.大手二の門と一の門の櫓
天守を背後にする丸亀城の正門で城の北側に位置するのが大手一の門。現存する門は1670年(寛文10年)に再建された櫓門で、国の重要文化財。藩士が太鼓を打ち、時を知らせていたことから太鼓門とも呼ばれている。内堀を渡るとまずは大手二の門(高麗門)で、枡形を経て大手一の門(櫓門)に続く。天守に遠い方が二の門となるので、登城にあたってはここが最初の門。1670年(寛文10年)に再建された高麗門で国の重要文化財である。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f11.0 1/500秒 26mm ISO100 ) 露出補正 なし
055_230312552 X900 〇丸亀城 Z50 Z18-140.jpg 55.大手一の門(櫓門)
入母屋造の本瓦葺きの大手一の門は、棟の両側に鬼瓦と鯱瓦(しゃちほこがわら)をのせている。鯱瓦は、火事の際に水を噴き出して火を消すという伝説があり、鬼瓦同様に門の守り神となっているのだそうだ。城を防御するための石落としなども仕掛けられている実戦的な門でもある。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO110 ) 露出補正 なし
056_230312555 X900 〇丸亀城 Z50 Z18-140.jpg 56.鏡石
一の門と二の門の枡形の中には、切り込みハギと言われる石垣の構築技術の一つがみられる。石を削り精加工した石を用いるが、石の合わせ口を精巧に隙間なく積んでいる。整層積みしたものや乱積みとなるものもある。大手枡形は城の正面玄関であり、鏡石と呼ばれる2mを超える大きな石が用いられている。鏡石は大手枡形などの城の重要な箇所に魅せる石垣として用いられた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.0 1/500秒 18mm ISO110 ) 露出補正 なし
057_230312555 X900 〇丸亀城 Z50 Z18-140.jpg 57.「幸運のハート石」
枡形の石垣に男石と女石のふたつの鏡石があるが、その間にハート形に見える石がはめ込まれている。男石と女石の間にあるから縁結びにご利益があるということらしい。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO110 ) 露出補正 なし
058_230312558 X900 〇丸亀城 Z50 Z18-140.jpg 58.大手一の門(櫓門)の門扉
門扉についての説明がないので、詳細は分からないが、重厚な門扉である。「お城の基礎講座 39.門扉(もんぴ)の構造」というサイトに丸亀城大手門の門扉の写真があり、そこには「門扉は肘壺(ひじつぼ)と呼ばれる金具を使って門に取り付けられている。肘壺は肘金(ひじがね)と壺金(つぼがね)の二つからなり、壺金は扉に、肘金は鏡柱に付けられる。肘金の突き出た先には乳金物(ちちがねもの)というまんじゅう型の金物で隠される。後略」と解説されていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 20mm ISO800 ) 露出補正 なし
059_230312553 X900 〇丸亀城 Z50 Z18-140.jpg 59.鉄砲狭間
丸亀城には、周囲を巡るように内堀が残り、その内堀の北側に架けられた石橋の先に大手門がある。丸亀城の大手門は、四方を囲まれた枡形に、出入り口となる虎口を二つ設けた「枡形虎口」と呼ばれる構造であるが、石橋を渡って、最初にくぐるのが大手二の門でその大手二の門の両側には、狭間が設けらtれた狭間塀があった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f8.0 1/500秒 31mm ISO100 ) 露出補正 なし
060_230312568 X900 〇丸亀城 Z50 Z18-140.jpg 60.丸亀城 天守
丸亀城の天守は1660年に完成した。築城400年余りを誇る丸亀のシンボル「丸亀城」は、全国に現存する「木造天守十二城」の一つである。「現存12天守」とは、江戸時代以前に建設された木造天守のこと。全国にたった12カ所しかない貴重な天守といわれる。頂部の本丸には江戸時代に建てられた御三階櫓が現存する。この建物は唐破風や千鳥破風を施して漆喰が塗られ高さは15mあり、現存天守の中で最も小規模である(wikipedia)。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/640秒 125mm ISO100 ) 露出補正 なし
061_230312597 X900 〇丸亀城 Z50 Z18-140.jpg 61.丸亀城の石垣
先にも記したが、丸亀城は標高約66mの亀山という丘陵地に築城された平山城で「亀山城」という名前でも知られている。丸亀城の石垣は、石垣を築く技術が最高水準であった江戸時代前期に造られており、隙間なく積まれた石ときれいな曲線が魅力的である。石垣は美しい曲線を描いて立ち上がり、「扇の勾配」と称されている。場所ごとに石垣の積み方が異なっているため、細部の違いを楽しみながら見ることができる。迫力のある高さ60mの石垣に対し、現存12天守の中では最小で、高さ15mの天守が建設されており、ほかの城にはないような独特な雰囲気が味わえるという。天守へは10分、美しい石垣を見ながら登城することになる。2018年、台風や豪雨によって(写真の右側のほうで写っていないが)南西部の石垣が崩落した。石垣崩落による観光への影響はないが、現在も修復作業が行われている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 77mm ISO100 ) 露出補正 なし
062_230312151 X900 坂出 Azalee G7X.jpg 62.アザレ(Azalée)
法事が終わって「宝月堂」の社長さんに、昼食をご馳走になったのだが、そこは素晴らしいフレンチ・レストランだった。丸亀から10分ほど車に乗って、坂出に向かった。着いたところは、「えっ、こんなところに」にと思うようなところだったが、これはその入り口で、最初に記した画家の山口一郎さんのデザインである。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 22mm ISO400 ) 露出補正 なし
063_230312152 X900 坂出 Azalee G7X.jpg 63.アザレの室内
住宅地の中にポツンとある邸宅である。和を感じる庭を通って、玄関を入り部屋に通された。昭和初期の木造屋敷をリノベーションして見事に再生させた建物と聞いた。 通された広い部屋は見事な欄間が施された和室だが、床はホワイトマーブルの大理石を敷いたようなフロアだった。詳しく食レポはできないが、料理も、その雰囲気と調和し、味わいも絶品だったのは言うまでもない。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 16mm ISO400 ) 露出補正 なし
064_230312155 X900 〇坂出 Azalee G7X.jpg 64.azareの庭
レトロを感じる波をうったガラスが嵌められた障子を通して見える庭も、また素晴らしかった、その季節になると、店の名にもなっている躑躅が見事だと思う。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO160 ) 露出補正 なし
065_230312158 X900 坂出 Azalee G7X.jpg 65.「蝶」
床の間に山口一郎さんの作品が掛けられていた。チョウの写真を撮るのが趣味である私を惹きつける。デフォルメはされているが、この渋い色で構成された翅の感じは本物のチョウを感じさせる。帰りがけにはシェフが挨拶をしに来てくれた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/125秒 14mm ISO3200 ) 露出補正 なし

2020年7月19日

コロナ禍の浅草 7月6日

緊急事態宣言と国民の自粛、協力、貢献が効果を発揮し、感染者数の増加も止まり、6月19日にほぼ全面的に自粛が解除された。そんな時、大学時代のクラスメートから、「土用も近いので鰻でも食べようよ」とメールが届いた。二つ返事で同意し、7月6日に3人で浅草の操業220年という老舗のうなぎ屋で会食をすることが決まった。
 夕方5時から始めることにしたので、早めに浅草に行き、少し歩いてみようと思った。梅雨時の平日の夕方ということで、普段でも観光客は少ないのかもしれないが、それにしても人出が少ないのに驚いた。「仲見世通り」も閉めている店がある。
 サクラの頃など、何回か浅草に来ているが、その頃は、もちろん大勢の参拝者、観光客が溢れていた。あまりゆっくりと、あちこち見て歩いた記憶がない。この日、ほんの30分から40分くらいだったが、コロナ禍の浅草を歩いてみた。
 6月24日から1週間ほど、東京の1日あたりの新たな感染者が50人を超えるような日が続いている。さらに7月9日、10日と東京都内の新たな感染者数は200名を超えた。急激に感染者数が増加することがないように祈るばかりだ。

1.雷門
横浜から京浜急行、都営地下鉄浅草線直通の特急電車に乗って、浅草で下りた。雷門方面の案内に従って、地上に出る。さて、雷門は何処かと探す。どうやら右手が吾妻橋で、左手の雷門通りの信号を渡ったところが雷門だ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/320秒 25mm ISO400 ) 露出補正 なし
01_200706004 X800 G7X.jpg
2.雷門から仲見世を見る
スクランブル交差点を渡って雷門の前に行く。人は本当に少ない。こんな浅草を見たことがない。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1000秒 25mm ISO400 ) 露出補正 なし
02_200706005m X800 G7X.jpg
3.雷門
立てられている説明板によれば、天慶5年(942年)、平公雅  によって創建されたのが始まりだそうだ。現在の門は慶應元年(1865年)の浅草俵町の大火で炎上した門に代わり、昭和35年に松下幸之助さんの寄進により復興した。シンボルである赤い大きな提灯には、「令和二年四月吉日」とある。2013年に5基目が新調されたあと、2020年に6基目として新調されたが、新型コロナウイルス感染症の流行に伴い、奉納式は中止された。松下電器産業株式会社 現パナソニック株式会社 創業者 松下幸之助の銘が入っている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/100秒 14mm ISO400 ) 露出補正 なし
03_200706012 X800 G7X.jpg
4. 風来神門
同じく説明板によれば、雷門は「風来神門」と呼ばれる。門の正面向かって右に「風神」、左に「雷神」を祀る。このことから「雷門(風雷神門)と呼ばれるという。ともに鬼面蓬髪、風袋を担いで天空を駆ける風神と、虎の皮の褌を締め連鼓を打つ雷神の姿はお馴染みのものだ。門の裏側には、向かって右に「金龍」、左に「天龍」の龍神像が祀られ、これら四神は、浅草寺の護法善神として、伽藍守護・天下泰平・五穀豊穣の守り神とされる。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/100秒 11mm ISO400 ) 露出補正 なし
04_200706014 X800 G7X.jpg
5.「仲見世通り」
梅雨時の平日の午後4時過ぎと言えども、何と人の少ない仲見世通りだろう。wikipediaによれば、"雷門から宝蔵門に至る長さ約250mの表参道の両側には土産物、菓子などを売る商店が立ち並び、「仲見世通り」と呼ばれている。商店は東側に54店、西側に35店を数える。"

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 32mm ISO400 ) 露出補正 なし
05_200706010 X800 G7X.jpg
6.浅草文化観光センター
はじめは、雷門と「仲見世通り」の様子を見て、今夜の会食の店である うなぎ屋「やっこ」へ行こうと思っていた。スカイツリーが見えるかと思い、雷門通りを反対側に渡ろうとしたとき、このユニークな建物が目に入った。かって、この地には、2階建の銀行の建物があり、1985年に台東区が買い取って浅草文化観光センターを開設したそうだ。その建物が築50年を過ぎ老朽化が進んだことから2008年にコンペが行われ、隈研吾の案が採用されて2012年に完成したのがこの斬新な建物である。総事業費は約16億円と言われる。  

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 11mm ISO400 ) 露出補正 なし
06_200706017 X800 G7X.jpg
7.東京スカイツリー
右手、隅田川の向こうに東京スカイツリーが見えた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/1250秒 23mm ISO400 ) 露出補正 なし
07_200706018 X800 G7X.jpg
8.車やさん
雷門の前に来ると、人力車が観光客を乗せて走り出す姿を良く見てきた。しかし、コロナ禍の今、人力車の呼び込みの姿は見えるものの客はなく、手持無沙汰のようだ。ここには「えびす屋」「時代屋」「くるま屋」といったいくつかの車やさんがあるようだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/250秒 37mm ISO400 ) 露出補正 なし
08_200706019 X800 G7X.jpg
9.「新仲見世通り」
今宵行くうなぎ屋さんは、雷門通りを西に行った田原町に近いところだ。再び、雷門通りを反対側に渡って、田原町に向かって歩き出すと「浅草中央通り」という筋があたので、誘われるように右折すると「新仲見世通り」にでた。うなぎ屋さんでの集合時間にまだ少々時間があったので、賑やかな右の方に歩いてみると、「仲見世通り」と交差した。「新仲見世通り」 は100店舗、380mに及ぶ大きな商店街で、ここは人通りも多かった。ひとことで言うと、江戸の仲見世、昭和の新仲見世だそうで、浅草最大の商店街とのこと。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/250秒 37mm ISO400 ) 露出補正 なし
09_200706023 X800 G7X.jpg
10.「仲見世通り」の裏側
そこから「仲見世通り」の裏側が見える。寺院建築風の外観を持つ店舗は、関東大震災による被災後、大正14年(1925年)に鉄筋コンクリート造で再建されたものだそうだ。浅草寺は付近の住民に境内の清掃を賦役として課すかわりに、南谷の支院の軒先に床店(小屋掛けの店)を出す許可を与えたのが貞享2年(1685年)頃のことで、これが「仲見世通り」の発祥といわれているそうだ。  

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/200秒 30mm ISO400 ) 露出補正 なし
10_200706027 X800 G7X.jpg
11.静かな「仲見世通り」
もう一度時計を見る。まだ少々余裕があるので、浅草寺さんにお参りして行こうと思う。参道である 「仲見世通り」を進む。閉じている店のシャッターの絵が良い。営業中の人形焼きの店があった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/320秒 11mm ISO400 ) 露出補正 なし
11_200706029 X800 G7X.jpg
12.「伝法院通り」
左手に 「伝法院通り」があった。伝法院は 宝蔵門の手前西側にあり、浅草寺の本坊である。小堀遠州の作と伝えられる回遊式庭園がある。通常、一般には公開していないが、特別公開されることがある。平成23年(2011年)、国の名勝に指定された。院内にある天祐庵は表千家不審庵写しの茶室で、江戸時代後期の建立。もとは名古屋にあったという。伝法院通りは延長150mほどの商店街で、片側が伝法院に面しているところからこの名が付けられたそうだ。明治の中頃、すでに商店街を形づくっていたという。それだけに商店会が生れたのは古く、大正15年とのこと。伝法院通りには街を飾る「だじゃれ看板シリーズ」など色々な装飾がある。写真で下馬の札の上に見える看板は「ねたものふうふ "にたもの夫婦"」と読み取れる。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/400秒 22mm ISO400 ) 露出補正 なし
12_200706031 X800 G7X.jpg
13.宝蔵門
「仲見世通り」がおわると宝蔵門がある。立派な門だ。入母屋造の二重門は2階建てで、外観上も屋根が上下二重になっている。現在の門は昭和39年(1964年)に再建された鉄筋コンクリート造で、実業家・大谷米太郎夫妻の寄進によって建てられたものだそうだ。かつては「仁王門」と呼ばれていたが、昭和の再建後は宝蔵門と称している。その名の通り、門の上層は文化財「元版一切経」の収蔵庫となっているという。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 12mm ISO400 ) 露出補正 なし
13_200706032 X800 G7X.jpg
14.宝蔵門と五重塔
宝蔵門の手前から、左側に五重塔が見えた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 12mm ISO400 ) 露出補正 +7段
14_200706033 X800 G7X.jpg
15、「小舟町大提灯」と「魚がし」吊り灯篭
宝蔵門の「小舟町大提灯」は、日本橋小舟町の商人からの奉納提灯だそうだ。日本橋の魚河岸信徒の心意気を示したもので、小舟町では、1659年に奉納したことに始まり、その伝統を江戸時代から現代へと連綿と受け継いできているという。前回は、江戸開府400年にあたる2003年に奉納された。現在の提灯は2014年10月に奉納され4回目の掛け替えがされたという。右側の「魚がし」吊り灯篭は、高さ 2.75m、重さ 1.000kg 銅製で、魚がし講(同一の信仰を持つ人々による結社)より昭和63年(1988年)10月、2回目の奉納掛け替えがされている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/200秒 16mm ISO400 ) 露出補正 なし
15_200706034 X800 G7X.jpg
16.宝蔵門の大わらじ
宝蔵門の背面左右には、魔除けの意味をもつ巨大なわらじが吊り下げられている。これは、宝蔵門の仁王像の作家である村岡久作が山形県村山市出身である縁から、同市の奉賛会により製作奉納されているもので、わら2,500kgを使用しているそうだ。 わらじは仁王さまのお力を表し、「この様な大きなわらじを履くものがこの寺を守っているのか」と驚いて魔が去っていくといわれている。宝蔵門のわらじは10年おきに新品が奉納されている。また、寺院の山門には一対の大わらじがかけられていることがあるが、これは仁王様が履いていたわらじを脱いで掛けてあるという建前らしいとも。一昨年、滋賀県の湖東三山を訪れたが、百済寺、西明寺、金剛輪寺の山門にもわらじがかけられていた。湖東三山はいずれも天台宗の寺院である。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/200秒 9mm ISO400 ) 露出補正 なし
16_200706036 X800 G7X.jpg
17.五重塔正面
天慶5年(942年)平公雅が塔を建立したと伝わる。この塔は三重塔であったといわれる。焼失を繰り返したのち慶安元年(1648年)に五重塔として建立された。本堂と同様、関東大震災では倒壊しなかったが昭和20年(1945年)の東京大空襲では焼失した。戦前までの塔は、今と反対側の本堂に向かって右側にあった。現在の塔は昭和48年(1973年)に再建されたもので鉄筋コンクリート造、アルミ合金瓦葺き、基壇の高さ約5メートル、塔自体の高さは約48メートルである。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 12mm ISO400 ) 露出補正 +0.7段
17_200706037 X800 G7X.jpg
18.浅草寺本堂
後先になってしまったが、wikipediaによれば、 浅草寺の山号は金龍山  。本尊は聖観世音菩薩。元は天台宗に属していたが、昭和25年(1950年)に独立し、聖観音宗の本山となった。観音菩薩を本尊とすることから「浅草観音」あるいは「浅草の観音様」と通称され、広く親しまれている。都内では、唯一の坂東三十三箇所観音霊場の札所(13番)である。江戸三十三箇所観音霊場の札所(1番)でもある。全国有数の観光地であるため、正月の初詣では毎年多数の参拝客が訪れ、参拝客数は常に全国トップ10に収まっている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 13mm ISO400 ) 露出補正 なし
18_200706039 X800 G7X.jpg
19.本堂正面
参拝者の数は少なかった。旧本堂は慶安2年(1649年)の再建で近世の大型寺院本堂の代表作として国宝(当時)に指定されていたが、昭和20年(1945年)の東京大空襲で焼失した。現在の堂は昭和33年(1958年)に再建されたもので鉄筋コンクリート造である。再建にあたっては、建設資金を捻出するために瓢箪池の敷地(2400坪)が江東楽天地などに売り払われたといわれる。掛けられている「志ん橋大提灯」は新橋の方々(花街?)からの奉納提灯で、平成16年12月に制作し寄進された。 江戸時代の浮世絵師・広重「浮絵浅草寺雷門之図」には、新橋から奉納された、「志ん橋」大提灯が描かれているという。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/250秒 9mm ISO400 ) 露出補正 なし
19_200706042 X800 G7X.jpg
20.本堂外陣と内陣
本堂の石段を上がってみると、478.5m2(145坪)の外陣があり、その向こうに、幅 12.7m・奥行 14.5m、226.9m2(68.75坪)60畳敷と内々陣黒漆塗鏡の間がある。中央に川端龍子画「龍之図」(縦6.4m・横4.9m)、左右に堂本印象画「天人之図」(縦6.4m・横4.9m)という外陣の天井画が見事だった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/40秒 9mm ISO400 ) 露出補正 なし
20_200706050 X800 G7X.jpg
21.21時の雷門
創業200年以上、勝海舟も通ったという うなぎ屋「やっこ」に着いたのは集合時間ギリギリの午後5時で、クラスメートの2人は既に座っていた。コロナ厄払いの浅草寺お参りを口実にギリギリになったことを詫びた。それから3時間以上、楽しい時間を過ごしたが、酒も美味かったし、友人が持ってきてくれた「響17年」も美味かった。白焼き、かば焼き、うざくなど、ぜいたくな酒の肴も美味しかった。結局、うな重はお土産になってしまった。8時半お開きにして、浅草駅へ歩く途中の雷門は静まりかえっていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/60秒 18mm ISO400 ) 露出補正 なし
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2019年3月25日

作並温泉 2泊3日の旅(2) 作並温泉と仙台駅周辺を歩く 3月15日

前日、作並駅に到着したときは、雪が降っていて、とても寒かった。作並温泉は古くから仙台の奥座敷といわれ、仙台市と山形市を結ぶ国道48号線(作並街道・関山街道)沿いに位置し、歴代仙台藩主の隠し湯として伝えられている。肌に優しい泉質と豊富な湯から「美女づくりの湯」と言われているそうだ。わたくしたちが泊った宿の風呂も広い大浴場と、いくつかの露天、岩風呂があった。確かに湯量は豊富であり、この日は泊まる人も少ないのか、夕食後に入ったためか、大浴場は人も少なく、気持ちよく、ゆっくりと温泉に浸かることができた。
 昨夜の夕食の際、かみさんと今日の行動について相談したが、作並温泉はそぞろ歩きする温泉街もない。近くに、極楽山西方寺とか鳳鳴四十八滝などはあるが、歩いては行けない。タクシーを呼ぶと30分は待たなくては来てくれないという。仙山線の3駅先には山寺(立石寺)があるが、そこへは以前に行ったことがあった。
 ニッカウィスキーの仙台工場(宮城峡蒸留所)へは宿から送迎バスがある。そこへは明日行くことにして、今日は作並駅まで宿の送迎バスで行き、仙台に出て、「るーぷる仙台」という、横浜でいわば「赤いくつ」のような市内観光循環バスに乗り、瑞鳳殿と青葉城跡などを見ようということになった。  朝食もバイキングだったが、まあまあ良かった。作並駅 9:41 発の仙台行き仙山線に乗ることにし、間に合うように宿の送迎車に乗った。
 宿を出発する前に、唯一、近くにある湯神神社へ行ってみる。特にどうということのない小さなお社だった。そこから広瀬川沿いに歩くと作並橋という橋があり、その橋の上から渓谷が眺められた。橋を渡るともう一つの大きな宿である「一の坊」があった。
 仙山線は国道48号線と並行するように走り、途中、秋保温泉への入り口である愛子(あやし)駅を経て、仙台まで30分少々の所要時間だった。乗客は思ったより多く、愛子で空席がなくなった。

1.湯神神社 鳥居とお社
宿の前を走る国道48号線を渡って、50mほど登ったところに湯神神社のお社があった。小さな地味な神社である。私たちが泊っている「鷹泉閣 岩松旅館」のお湯の神様だそうだ。白蛇が奉られているという。縁結び、子宝安産、商売繁盛、などを願う地元の人から親しまれている、知られざるパワー・スポットだそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO160 ) 露出補正 なし
190315_001.jpg
2.湯神神社 社殿
2っの鳥居を抜けて少し高くなったところに、小さな社殿があった。作並温泉一帯にあった神社は明治時代以降、愛宕の諏訪神社に合祀され正式的には無くなった。この湯神神社はその後、勧請されたもので比較的に新しいものと思われると。昨日降った雪が残っていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO320 ) 露出補正 なし
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3.広瀬川の渓流
国道を渡って、宿に戻ろうとしたところ、その先に「一の坊」という旅館に下りていく道があったので、ぶらりと行ってみた。川の音がしてきて、「一の坊」は広瀬川の対岸に建てられていた。立派な旅館である。橋を渡って行ってみたが、橋の上から流れる広瀬川の渓流は、季節がよければきれいだろうと思う。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1000秒 14mm ISO125 ) 露出補正 なし
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4.「一の坊」
わたくしたちが泊った宿は「鷹泉閣 岩崎旅館」というところだが、「一の坊」は広瀬川の少し上流にあった。作並温泉は広瀬川に沸いたといわれる。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/1250秒 14mm ISO125 ) 露出補正 なし
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5.作並橋
広瀬川にかかる作並橋。絞りは f2 と開放に近いが、広角端では被写界深度は深い。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
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6.作並駅
9時20分に宿を出発する送迎バスに乗せていただき、5分ほどで作並駅に着いた。仙台行きの列車は 9:41 発だ。この季節作並駅は、どこかのおばさんがひとりベンチに座っているだけで、ひっそりとしている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
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7.作並駅のプラット・ホーム
仙山線は単線である。駅は上りのホームと、下りのホームに分かれる。仙台寄りの先頭車両の前にあると渡線踏切を渡って、上り線ホームに行く。仙台方面からの観光客を迎えるこけしが立っている。しかし、いわゆる作並系こけしの特徴とちょっと違うように感じた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 20mm ISO125 ) 露出補正 なし
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8.仙台行き入線
9:41発の仙台行きの4両編成のE721系電車が入線してきた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/1250秒 37mm ISO125 ) 露出補正 なし
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9.仙台駅周辺
10:21 に仙台につぃて、乗車する場所を探すのに少し時間がかかったが、「るーぷる仙台」という観光地循環バスに乗った。1日乗車券で620円である。そして、瑞鳳殿と仙台城跡で下車して見て歩き、仙台に午後2時に戻ってきた。これから、仙台駅周辺のアーケード街を歩いてみようと思う。瑞鳳殿、仙台城跡については、後ほど。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/1250秒 12mm ISO125 ) 露出補正 なし
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10.仙台駅周辺アーケード街
50年以上も前のことになるだろうか、学生時代に仙台に来た時には、「東一番丁」という立派なアーケード商店街があった。懐かしいので是非行ってみたいと歩きはじめた。確かその「東一番丁」は仙台駅から500mほど離れて南北に広瀬通、青葉通りと交差するアーケード商店街だったと記憶していた。 今回行ったときは、もちろんアーケード街はさらに立派になっていたが、仙台駅の北側から東一番丁へ出るまでの縦、つまり東西の通りが発展していた。それらは、「パビナ名掛丁」、「クロスロード」「マーブルロードおおまち」という名称になり、愛宕上杉通、国道286号線と交差し、「藤崎」という老舗の百貨店のあるところで「東一番丁」の通りにぶつかる。この仙台市青葉区一番町3丁目の東一番丁通との交点から、同区中央1丁目の駅前通との交点まで至る東西の道の通称は中央通りと呼ばれる。現在はこの中央通りが仙台アーケード商店街りのメイン・ストリートなのだ。かって「東一番丁」と呼ばれた通りは、「サンモール一番町」、「ぶらんどーむ一番町」などと名前が付け替えられていた。写真は「マーブル通りおおまち」。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1000秒 13mm ISO160 ) 露出補正 なし
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11.三瀧山不動院
クリスロード商店街に三瀧山不動院というのがあった。真言宗智山派(総本山智積院・京都市東山区)に属する加持祈祷の専門寺院だそうだ。そこでは福の神として仙台四郎が奉られている。仙台四郎は民間信仰であるため本来寺社とは関係ないが、 仙台駅西側の都心部には寺が2つしかなく、真言宗の当寺がアーケード街では唯一であるので、奉られるようになったようだ。少し長くなるが、wikipediaによれば、仙台四郎は 江戸時代末期(幕末)から明治時代にかけて、現在の宮城県仙台市に実在した人物の「人神」としての名称。知的障害があり会話能力は低かったが、明治期に「四郎自身が選んで訪れる店は繁盛する」との迷信が南東北のマスメディアを巻き込んで流布し、売上増を企図する店舗等が四郎の気を引こうと厚遇した。没後の大正期に入ると、仙台市内のある写真館が「四郎の写真を飾れば商売繁盛のご利益がある」と謳って写真販売を始めた。商売繁盛のご利益は、存命中においては四郎の意志に依拠したが、写真による偶像化以降、(死没した)四郎の意志とは無関係になり、グッズを購買すればご利益が得られると転換された。すると1920年(大正9年)からの戦後恐慌以降、繰り返し発生する不景気において四郎のブームが度々発生し、商業神の稲荷神やえびす、あるいは、土着の松川だるまを凌駕して仙台で信仰され、さらには全国的に知られる福の神として定着した。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/250秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
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2018年12月30日

年の瀬の中央通りを室町3丁目から日本橋2丁目へ歩く 12月8日・16日

12月8(土)の昼、母校体育会の同期が集まる忘年会が新日本橋で行われた。昼の2時半くらいにお開きになったので、久しぶりに日本橋界隈を歩いてみることにした。私が勤務していた会社の本社が、日本橋本町にあったので、この辺りは懐かしい。
 ほろ酔い機嫌で新日本橋から、江戸通りを中央通り(銀座通り)の室町3丁目へ出た。このあたりも随分と変わってしまい新しくなっている。
 私が社会人となって、日本橋に本社がある会社に就職したのは1964年、東京オリンピックが開催された年だった。東京オリンピック開催に合わせて首都高速道路が建設され、日本橋川にかかる中央通りの「日本橋」の上空が覆われてしまった。街のシンボルだった「日本橋」の景観が損なわれたことにより、街の魅力そのものが損なわれることになったのは否めない。1980年代に入ると、バブル景気となったが、バブルの収束にあわせて、その賑わいも失速し、1998年、大手百貨店「東急日本橋店」の閉店は、日本橋の商業地としての勢いが後退したことを象徴的することとなった。
 やがて日本橋の住民や企業も、日本橋の現状に危機感を抱くようになり、かつて空前の繁栄を見せた日本橋を取り戻すべく、地域一体となって、日本橋地域の活性化と新たな魅力を創造するプロジェクト「日本橋再生計画」への取り組みが始まったという。
 三井の源流である「越後屋呉服店」は、1673年に日本橋で誕生した。以来、日本橋といえば「三越」が思い浮かべられてきた。2004年3月、閉店した「東急日本橋店」の跡地に、三井不動産が開発した新しい商業施設「COREDO日本橋(日本橋一丁目ビルディング)」がオープン。これをきっかけに、官民地元が一体となって推進する「日本橋再生計画」は、現実に大きく動き出した。その後、「千疋屋」の建物があったところに、2005年7月、三井本館と隣接する「日本橋三井タワー」がオープンした。そして、中央通りを挟んで反対側には、「コレド室町1(室町東三井ビルディング)」が2010年10月1日に竣工、続いて「コレド室町2(室町古河三井ビルディング)」、「コレド室町3(室町ちばぎん三井ビルディング)」が2014年に竣工している。
 一方、京橋寄りの日本橋二丁目周辺は「日本橋再生計画」第2ステージのプロジェクトとして、その計画地に、2009年(平成21年)には、百貨店として、その本館が初めて国の重要文化財に指定された「髙島屋日本橋店」と、三井不動産、「太陽生命日本橋ビル」が一体となった街づくりが行われている。「日本橋二丁目地区第一種市街地再開発事業」として、2014年(平成26年)に着工した新たな高島屋の新館(日本橋髙島屋三井ビルディング)は2018年6月に竣工し、2018年(平成30年)9月25日、新館および本館ガレリアの開業によって「日本橋髙島屋 S.C.」が全面開業したばかりであった。
(まち日本橋、三井不動産、高島屋の各ホームページ、および wikipedia を参考にさせていただいた)

日本橋再開発マップ

日本橋再開発マップ 390X450.jpg 三井不動産ホームページ 2017年11月27日付けニュースリリースより 転載

1.建設中のビル 室町3丁目
昭和通りを後にして江戸通りを歩き、室町3丁目の交差点に出た。この建築中のビルは「日本橋室町三井タワー」。その中に入る商業施設「COREDO室町テラス」は来年秋にオープンが予定されている。日銀のすぐ近くだ。

Canon PowerShot SX620 HS f3.2-6.6 4.5-112.5mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/50秒 4mm ISO80 ) 露出補正 なし
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2.日本橋本町
ここは、中央通りから少し昭和通り側へ入ったところである。私が福岡転勤から戻って、数年間過ごした本社ビルがここに建っていたが、敷地は売却され全く新しいビルが建っていた。

Canon PowerShot SX620 HS f3.2-6.6 4.5-112.5mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/80秒 4mm ISO80 ) 露出補正 なし
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3.仲通り
中央通りの1本手前を左に入ると仲通りだ。すっかり整備されている。日本橋室町野村ビル「YUITO」の裏側になる。

Canon PowerShot SX620 HS f3.2-6.6 4.5-112.5mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/40秒 9mm ISO200 ) 露出補正 なし
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4.仲通りを歩く
日本橋室町野村ビルの仲通り側(東側)には、こんなディスプレイがあった。地域を活性化し、新たな魅力を作り出そうとしている試みを感じる。

Canon PowerShot SX620 HS f3.2-6.6 4.5-112.5mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/250秒 5mm ISO400 ) 露出補正 なし
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5.福徳神社
仲町通りが浮世小路とぶつかるところに、福徳神社があった。コレド室町2の前だ。この神社もひとつのアクセントなのだ。

Canon PowerShot SX620 HS f3.2-6.6 4.5-112.5mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/250秒 4mm ISO400 ) 露出補正 なし
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6.福徳神社参詣
日本橋室町東地区開発に伴ない整備された福徳神社は 2010年11月着工、2012年7月に竣工した。2014年には福徳神社拝殿が完成。関連して浮世小路と仲通りが福徳神社の参道として石畳が敷かれる。以下、福徳神社のHPによれば、神社に伝わる略記によると、貞観年間(清和天皇・859~876年)には既に鎮座していたようだとある。武蔵野の村落である福徳村の稲荷神社として祀られ、その地名をとって社号としたというが、そのころからこの地にあったのかどうかは分からなかった。天正18年(1590年)8月1日に入府した徳川家康は、同じ8月に初めて参詣され、その後参詣は数度に及んだそうだ。さらに、二代将軍秀忠は慶長18年(1614年)正月8日に参詣し、「福徳とはまことにめでたい神号である」と賞賛された。この時、当社古例の椚(くぬぎ)の皮付きの鳥居に、春の若芽の萌え出でたのを見て、当社の別名を「芽吹神社」としたとあった。

Canon PowerShot SX620 HS f3.2-6.6 4.5-112.5mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/250秒 4mm ISO400 ) 露出補正 なし
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7.仲通り コレド室町1とコレド室町2
福徳神社から仲通りの日本橋寄りを眺めると、右側(中央通り側)のコレド室町1と左側のコレド室町2をつなぐブリッジがかかっていた。

Canon PowerShot SX620 HS f3.2-6.6 4.5-112.5mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/40秒 9mm ISO250 ) 露出補正 なし
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8.日本橋三井タワー
浮世小路を中央通りへ戻る。中央通りの向こう側に日本橋三井タワーがあった。千疋屋、マンダリン・オリエンタル東京(ホテル)や三井記念美術館などがある。三井記念美術館では12月13日から「国宝雪松図と動物アート」展が開催される。是非見てみたいと思った。隣接する現在建設中の日本橋室町三井タワーと外観が統一されている。

Canon PowerShot SX620 HS f3.2-6.6 4.5-112.5mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/100秒 4mm ISO80 ) 露出補正 なし
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9.三越本店
現在は株式会社三越伊勢丹ホールディングス傘下の株式会社三越伊勢丹が運営する。商号の「三越」は、三井家の「三井」と創業時の「越後屋」からとったもので、1904年に「合名会社三井呉服店」から「株式会社三越呉服店」へ改称した際からのものである。この1935年に竣工した日本橋三越本店は、国の重要文化財に指定されている。建設中の日本橋室町三井タワーから日本橋三井タワー、三井本館、日本橋三越本店本館、同新館と三井"財閥"のビルが立ち並ぶ。

Canon PowerShot SX620 HS f3.2-6.6 4.5-112.5mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 4mm ISO400 ) 露出補正 なし
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10.三越本店 天女像(まごころ)
11月15日に中学校のクラス会が日本橋室町であった。少し、早く着いてしまったので、三越本店に立ち寄った。中央ホールに堂々と存在する1960年4月19日に三越創立50周年を記念して設置された佐藤玄々製作の「天女像(まごころ)」を見上げる。スマホで撮影。

HTV31 20.2 Mega Pixels
オートで撮影 ( f2.2 1/40秒 5mm ISO80 ) 露出補正 なし
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11.老舗
江戸の城下町として栄えた日本橋には、さまざまな伝統文化を受け継ぐ店が、今なお、数多く存在している。

Canon PowerShot SX620 HS f3.2-6.6 4.5-112.5mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/40秒 9mm ISO80 ) 露出補正 なし
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12.日本橋三越本店新館
2004年に完成した日本橋三越本店新館。

Canon PowerShot SX620 HS f3.2-6.6 4.5-112.5mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/200秒 7mm ISO80 ) 露出補正 なし
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13.「日本橋」の獅子 -1
日本橋川の上を高速道路が走る。「日本橋」の獅子や麒麟の像、親柱に施されている松と榎の浮き彫りなど、装飾には意図が込められている。獅子は守護を表し、両端に配された獅子像は東京都の紋章を前足にかけ、東京を守っていることを表現しているのだ。

Canon PowerShot SX620 HS f3.2-6.6 4.5-112.5mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/250秒 4mm ISO80 ) 露出補正 なし
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14.「日本橋」
今の「日本橋」は、初めて架橋されてから20代目の橋で、明治44年(1911年)に完成した橋長49m、幅27mの石造二連アーチ橋である。今は走っていないが当時は路面電車も走っていた。

Canon PowerShot SX620 HS f3.2-6.6 4.5-112.5mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 4mm ISO250 ) 露出補正 なし
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15.日本橋乗船場
「日本橋」のたもとに日本橋クルーズの乗船場がある。このエレベータから日本橋川の岸へ下りる。下りてみればよかった。乗船場へ下りると「日本橋」の全貌が見られただろう。

Canon PowerShot SX620 HS f3.2-6.6 4.5-112.5mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/250秒 4mm ISO80 ) 露出補正 なし
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16.痛車(いたしゃ)
日本橋案内所の前の交差点で左折待ちをしている痛車があった。痛車とは、車体に漫画・アニメ・ゲームなどに関連するキャラクターやメーカーのロゴをかたどったステッカーを貼り付けたり、塗装を行うなどして装飾した自動車。また、痛車とは「見ていて痛々しい車」という意味からきた俗語であり、恥ずべき行いを「痛い」と表現する俗語に由来するものである。イタリア車を意味する「イタ車」の語感に掛けた洒落であるとも言われる。(wikipedia)

Canon PowerShot SX620 HS f3.2-6.6 4.5-112.5mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/40秒 11mm ISO100 ) 露出補正 なし
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17.高島屋新館(日本橋高島屋 S.C.)
今年(2018年9月25日)全面開業した日本橋髙島屋三井ビルディング の高島屋新館。この新館はいわば新・新館で、かっての新館と北別館を建て替えた上、本館の東側と北側の再開発ビル(日本橋髙島屋三井ビルディング)内に新たな新館ができた。この日本橋高島屋 S.Cの手前を左に入ると駐車場があるが、待たないで入れるのだろうか。

Canon PowerShot SX620 HS f3.2-6.6 4.5-112.5mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/200秒 4mm ISO80 ) 露出補正 なし
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18.高島屋新館(日本橋高島屋 S.C.)と本館
手前が日本橋高島屋S.C.で向こう側が日本橋高島屋本館である。株式会社 髙島屋は、大阪府大阪市中央区難波に本社を置く百貨店である。同社の登記上の本店は大阪店である。1831年(天保2年)、京都で飯田新七が古着・木綿商を開き、義父の飯田儀兵衛の出身地である近江国高島郡(現・高島市)から髙島屋と名付けた。1890年(明治23年)、日本橋本石町に「たかしまや東京出張所」が設置され、1900年(明治33年)11月23日、「京都髙島屋飯田新七東京店」が京橋区西紺屋町に開店した。1933年(昭和8年)3月20日、現在地へ移転した。その本館は2009年(平成21年)に、百貨店として初めて国の重要文化財に指定された。百貨店業界において再編が進む中、同社は、独立系百貨店である(wikipedia参照)。2016年(平成28年)7月30日 ベトナム社会主義共和国ホーチミン市に「ホーチミン高島屋」が開店 した。今年の8月にベトナムへ旅行した際、「ホーチミン高島屋」が入っている「サイゴンセンター」 のホテルに1泊した。

Canon PowerShot SX620 HS f3.2-6.6 4.5-112.5mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/60秒 10mm ISO80 ) 露出補正 なし
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19.高島屋本館
本館の店内に入り、コンシェルジュで重要文化財の銘板はどこにあるのか尋ねてみたところ、特にないということだった。

Canon PowerShot SX620 HS f3.2-6.6 4.5-112.5mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/320秒 4mm ISO80 ) 露出補正 なし
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20.高島屋本館店内 -1
1階から地階へ下りる大階段。地階には地下鉄への連絡口がある。重要文化財を感じさせる。

Canon PowerShot SX620 HS f3.2-6.6 4.5-112.5mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/30秒 4mm ISO160 ) 露出補正 なし
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21.高島屋本館店内 -2
重厚なエレベータは4基並んでいた。

Canon PowerShot SX620 HS f3.2-6.6 4.5-112.5mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/30秒 6mm ISO200 ) 露出補正 なし
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22.懐かしい喫茶店
私が昭和39年に新卒で会社に入ったとき、勤務したオフィスは高島屋の東側と昭和通りに面した角に建つ第二丸善ビルという建物の中にあった。懐かしくて、そこまで歩いてみたが、そのビルはすでに無くなっていた。しかし、そのころ、時々入った喫茶店はまだそのままにあった。

Canon PowerShot SX620 HS f3.2-6.6 4.5-112.5mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/40秒 10mm ISO640 ) 露出補正 なし
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23.高島屋ウォッチメゾン
2015年10月7日には、三菱UFJ信託銀行日本橋支店(旧日本信託銀行本店)跡に時計専門館「タカシマヤ ウオッチメゾン 東京・日本橋」が開業した。売り上げは好調というが。店内に入ったことはない。

Canon PowerShot SX620 HS f3.2-6.6 4.5-112.5mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/200秒 8mm ISO400 ) 露出補正 なし
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24.さくら通りから高島屋本館を見る
高島屋本館から中央通りの日本橋2丁目交差点を反対側に渡って、さくら通りを東京駅八重洲口のほうへ向かう。振り返ると、高島屋本館のてっぺんに夕日が当たって輝いていた。この日、12月8日は東京からJRで横浜に帰った。

Canon PowerShot SX620 HS f3.2-6.6 4.5-112.5mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/100秒 11mm ISO80 ) 露出補正 なし
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25.三井記念美術館
以降の写真は、三井記念美術館で12月13日から開催された「国宝雪松図と動物アート」展を見ようと改めて12月16日に出かけた時の写真である。地下鉄を三越前で降りて、日本橋三井タワーへ入る。1階の右側は千疋屋やレストランがあるが、三井本館寄りは広々としたアナトリウムになっていて、その正面に三井記念美術館への上り口があった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO1000 ) 露出補正 なし
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26.三井記念美術館 剪綵(せんさい) -1
「国宝雪松図と動物アート」展の写真撮影は残念ながら禁止になっていた。受付を通ったところに展示されている2点の剪綵のみ、撮影しても良いということだった。立てられていた説明版によれば「剪綵とはまず下絵を描き、これに紙で裏打ちを施す。線描の部分を残して、紙の部分を剪抜き、残った線に金泥を塗る。そして剪抜いた空白部分に裂地を張り付けるという工程で製作される。もともとは中国の工芸品であったが、明治初年に旧三井家8代高福(1808~1885年)が創意工夫を加え、「高福剪綵」と呼ばれるようになった。一時期「高福剪綵」の技術は衰退したが、同家11代高公夫人銀子(1901~1976年)を中心に復興された。」とある。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/400秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
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27. 三井記念美術館 剪綵 -2(部分)
剪綵は2点あった。剪綵2点を見た後、展示室に入り、北三井家旧蔵である圓山応挙の国宝「松雪図屏風」などを見学した。チョウに係わる出品は、高瀬好山作の「昆虫自在置物」と、明治時代の「紅地網目蝶罌粟模様厚板唐織」という見事な打掛があった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/320秒 13mm ISO3200 ) 露出補正 なし
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28.日本国道路元標
道路元標(どうろげんぴょう)とは道路の起終点を示す標識である。wikipediaによれば、1911年(明治44年)に現在の日本橋が架けられたとき「東京市道路元標」が設置された。 1952年(昭和27年)施行の新たな道路法により大正時代の旧道路法は無効となり、現行道路法の第2条第2項第3号で道路元標は道路の附属物とされているだけで、設置場所や道路元標を路線の起終点にするなどの特段の規定はなく、道路の起終点は道路元標と無関係に定められている。 東京市道路元標があった場所には、50cm四方の日本国道路元標が埋め込まれた。文字は佐藤栄作によるものである。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO160 ) 露出補正 なし
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29.「日本橋」の獅子 -2
「日本橋」 には、東京都の紋章を守るように抱えた獅子がいた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 26mm ISO500 ) 露出補正 なし
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30.東京日本橋タワー
高島屋新館の北隣(「日本橋}側)には、大同生命保険と住友不動産などの複数の共同事業者により建設された東京日本橋タワーが2015年に竣工した。その前側には従来からこの地で200年以上続く和紙の老舗「榛原」があった。そして高島屋新館との間の広くなったところに、このオブジェ?があった。イルミネーションがきれいなのだろう。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 29mm ISO400 ) 露出補正 なし
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31.高島屋新館のパン屋
高島屋新館に入ってみた。入ってすぐのところに、TVなどでも紹介された「365日」というベーカリーがあった。人気のパンには、全国各地から選び抜かれた国産小麦、野菜、果物などを使用。ユニークな形状のパンも多く、その1つ1つに次の時代の"新しい日本のパン"になるようにとのこだわりが詰め込まれているという。行列ができていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO1600 ) 露出補正 なし
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32.高島屋新館のレストラン
高島屋新館(日本橋高島屋 S.C)の6階、7階にはレストラン街があり、昼食時でもあったので行ってみた。結局はどこにも入らなかったがポルトガル料理の店もあった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( f2 1/1000秒 11mm ISO3200 ) 露出補正 なし
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2017年11月 8日

県立大磯城山公園(1) 旧吉田茂邸 

そのワンマンぶりは「バカヤロー解散」「ワンマン道路」などの話にもあったが、戦後の混乱期に通算5期にわたり首相を務め、日本の戦後復興の礎を築いた吉田茂が、昭和19(1944)年頃から亡くなった昭和42(1967)年までを過ごしたのが大磯の旧吉田茂邸である。
 2009年に原因不明の火災により焼失したが、その後、地元・大磯町が神奈川県からの協力を得ながら、再建事業が具体化。総工費5億4,000万円をかけ、2017年に再建工事が終了し、4月1日より一般にに公開されるということを知って、ぜひ、行ってみたいと思っていた。
 台風22号が通過した後、関東地方には好天で暖かい日が訪れている。大磯なら車でそう遠くはないので、行ってみることにした。
 午前10時に旧国道1号線沿いにある県立城山公園の旧吉田茂邸地区駐車場に着いた。昭和22年ごろ建てられた応接間棟、および昭和30年代に吉田五十八が設計し、近代数寄屋建築で建てられた新館をメインに再建されていた。まだ真新しいその応接間棟と新館の中に入った。


1. 旧吉田茂邸 正門
西湘バイパスを西大磯で降りて、旧国道1号を小田原側から平塚へ進むと右側に旧吉田邸がある。この門はその旧国道1号に面した正門である。 旧吉田茂邸は、明治17年に吉田茂の養父健三が別荘として建てたもので、吉田茂が昭和19年頃から、その生涯を閉じる昭和42年までを過ごした。 

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 17-70mm F2.8-4.5 DC MACRO​​
絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f​3.2​​​​​​​​​​ 1/​250​秒 2​4​mm ISO​800​​​​ ​) 露出補正​ ​-0.3段
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2.吉田茂元首相の出迎え
駐車場から、まずトイレに寄っていきたいと思い管理事務所へ行くと、羽織袴でステッキ、そして葉巻を咥えた吉田茂元首相のパネルに出迎えられた。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 17-70mm F2.8-4.5 DC MACRO​​
絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f​3.3​​​ 1/​250秒 26mm ISO​​360​​​​ ​) 露出補正​ ​-0.3段
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3.日本庭園と兜門​​
管理事務所の脇から日本庭園に出る。写真右に見えるのは兜門といい、2009年(平成21年)に原因不明の火災の際、焼失を免れた貴重な建造物である。本来はここから日本庭園に入る。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 17-70mm F2.8-4.5 DC MACRO​​​​
絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f​9​​​ 1/​320秒 19mm ISO​​200​​​​ ​) 露出補正​ ​-0.3段
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4.日本庭園
この庭は外国からの賓客を招くため吉田茂邸の改築が始まった昭和36年ころに造られたという。庭園を設計したのは造園家の中島健だそうだ。吉田茂は昭和30年代に建てられた新館の居間から、この庭園と富士山の眺めを楽しんだそうだ。日本庭園は約3,000㎡ある。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 17-70mm F2.8-4.5 DC MACRO​​
絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f​9​​​ 1/​320秒 24mm ISO​​200​​​​ ​) 露出補正​ ​-0.3段
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5.母屋玄関
元は昭和22年頃建てられ、このたび再建された応接間棟(母屋)の玄関である。旧吉田茂邸が火災により焼失したのは平成21年3月でそう昔のことではない。吉田茂が暮らした当時の邸宅がこのたび復原されたのだ。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 17-70mm F2.8-4.5 DC MACRO​​
絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f​5.6​​​ 1/​250秒 17mm ISO​​200​​​​ ​) 露出補正​ ​-0.3段
171108_005.jpg
6.玄関ホール​​
靴を脱いで素足、またはスリッパに履き替えて屋敷の中に入る。まだ木の匂いが残る新築だ。順路は右に楓の間に進むが、左を見るとこの玄関ホールが見えた。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 17-70mm F2.8-4.5 DC MACRO​​​​
絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f​4​​​ 1/​250秒 17mm ISO​​200​​​​ ​) 露出補正​ ​-0.3段
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7.楓の間
玄関入ってすぐ右のこの広い部屋は応接間として使われていて、吉田茂の執務机やソファーセットが置かれていた。ご覧の通り、この日はグループで来られている大勢の見学者があった。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 17-70mm F2.8-4.5 DC MACRO​​
絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f​​​2.8 1/​250秒 17mm ISO​​1800​​​​ ​) 露出補正​ ​-0.3段
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8.楓の間に展示されていた写真
楓の間のガラス戸の棚の中には、吉田茂と関りのある世界の要人の写真があった。ジョン・ダレス元米国務長官、アデナウアー元西独首相、蒋介石、チャーチルなどの顔が見える。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 17-70mm F2.8-4.5 DC MACRO​​
絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f​​​3.5 1/​250秒 32mm ISO​​1100​​​​ ​) 露出補正​ ​-0.3段
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9.書斎 北西縁​​
2階に上がる。限られた身内以外は許可なく入れない、吉田茂の私的な書斎があった。官邸直通のダイアルのない黒電話が置かれていたという。書斎には北西縁と南縁があった。これは北西縁だったと思う。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 17-70mm F2.8-4.5 DC MACRO​​​​
絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f​​​4 1/​250秒 24mm ISO​​200​​​​ ​) 露出補正​ ​-0.3段
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10.書斎 南縁​​​​
こちらはたっぷりと陽の光が注ぎ込む南側だ。相模湾の海が見渡せる。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 17-70mm F2.8-4.5 DC MACRO​​​​​​
絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f​​​9 1/​320秒 21mm ISO​​200​​​​ ​) 露出補正​ ​-0.3段
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11.書斎の書架​​​​​​
吉田茂の私的な書斎の書架には、「アメリカの新しい労働法」、「我が国の公的年金」、「災害対策基本法」、「防衛大学校」、そして「日僑秘録(中共国賓の手記1953年)といった当時の、いわば貫禄のついた書籍が並んでいた。 む南側だ。相模湾の海が見渡せる。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 17-70mm F2.8-4.5 DC MACRO​​​​​​​​
絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f​​​3.3 1/​250秒 26mm ISO​​500​​​​ ​) 露出補正​ ​-0.3段
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12.浴室
書斎の北側には舟形の風呂があった。この風呂の作成には、大磯の船大工が関わったといわれている。来客用の浴室だったのだろう。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 17-70mm F2.8-4.5 DC MACRO​​
絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f​​​2.8 1/​250秒 17mm ISO​​500​​​​ ​) 露出補正​ ​-0.3段
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13.葉巻
2階から再び1階に下りてきたところにあった展示室には、吉田茂ゆかりの品々が展示されていた。これは愛用していたシガーケース、マッチ、灰皿だ。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 17-70mm F2.8-4.5 DC MACRO​​
絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f​​​3.5 1/​250秒 32mm ISO​​1000​​​​ ​) 露出補正​ ​-0.3段
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14.食堂(ローズルーム)
1階にある食堂として使用されていた部屋で、別名ローズルームともいう。アール・デコ調の室内が特徴である。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 17-70mm F2.8-4.5 DC MACRO​​
絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f​​​3 1/​250秒 21mm ISO​​250 ​) 露出補正​ ​-0.3段
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15.新館2階
ローズルームの前から新館2階へ上がる階段が続いている。昭和30年代に建てられた新館も焼失したが、今回、再建された。まず、西側の窓からの景色が印象的だった。富士山が見える。吉田茂はこの部屋から見える富士山をたいそう気に入っていたという。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 17-70mm F2.8-4.5 DC MACRO​​
絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f​​​10 1/​400秒 29mm ISO​​200 ​) 露出補正​ ​-0.3段
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16.新館2階から相模湾を望む​​
居間の南側の窓からは、菜園広場、そしてその向こうに相模湾を見渡すことが出来た。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 17-70mm F2.8-4.5 DC MACRO​​​​
絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f​​​10 1/​400秒 55mm ISO​​200 ​) 露出補正​ ​-0.3段
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17.新館2階 「金の間」
この新館2階の居間は「金の間」ともいわれ、賓客をもてなす応接間として利用されていたそうだ。箱根の山々と富士山、相模湾を一望できる。「金の間」という名称は、部屋の装飾に金を用いたことからきている。天井に金の装飾がなされている。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 17-70mm F2.8-4.5 DC MACRO​​
絞り優先​​オートで撮影(​ ​f​​​4 1/​250秒 55mm ISO​​200 ​)露出補正​ ​-0.3段
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18.寝室兼書斎 「銀の間」
新館2階のもう一つの部屋として、寝室兼書斎だった「銀の間」がある。これは吉田茂のベッドで、ここで最期を迎えたそうだ。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 17-70mm F2.8-4.5 DC MACRO​​
絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f​​​3.2 1/​250秒 24mm ISO​​1000 ​) 露出補正​ ​-0.3段
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19.「銀の間」の天井​​
「金の間」と対になる形で、「銀の間」は装飾品に銀が使用されていた。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 17-70mm F2.8-4.5 DC MACRO​​​​
絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f​​​3.3 1/​250秒 26mm ISO​​280 ​) 露出補正​ ​-0.3段
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20.「銀の間」からの眺め​​​​
「銀の間」は吉田茂が寝起きしていた部屋であり、書斎としても利用していた。部屋のガラス棚には蔵書が並べられ、ベッド横の窓際には執務用の机が置かれていたという。ベッドからは富士山が眺められる。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 17-70mm F2.8-4.5 DC MACRO​​​​​​
絞り優先​​オートで撮影(​ ​f​​​3.2 1/​250秒 24mm ISO​​1000 ​)露出補正​ ​-0.3段
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21.ローズルーム​​​​​​
再び食堂「ルーズルーム」へ戻ってきた。新館2階へ上がる階段ある入口の方を見ている。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 17-70mm F2.8-4.5 DC MACRO​​​​​​​​
絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f​​​3.2 1/​250秒 17mm ISO​​250 ​) 露出補正​ ​-0.3段
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22.サンルーム(温室)​​​​​​​​
食堂正面から庭園を眺めて右側にこのサンルームが見える。平成21年(2009年)の3月に旧吉田邸が焼失した際、唯一焼け残った建物だそうだ。そして、この写真でもわかるが、外壁には激しい火災による焼け跡が残されている。吉田茂の生前には、ブーゲンビリアなどの熱帯植物が植えられ、吉田茂の憩いの場となっていたそうだ。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 17-70mm F2.8-4.5 DC MACRO​​​​​​​​
​​ 絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f​​​9 1/​320秒 24mm ISO​​200 ​) 露出補正​ ​-0.3段
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23.内門 (兜門)​​​​​​​​
​​ 玄関から外へ出た。内門は、焼失を免れた貴重な建築物だ。サンフランシスコ講和条約締結を記念して建てられたもので、昭和29年に完成している。別名「講和条約門」とも呼ばれる。また、兜の形に似ていることから「兜門」とも呼ばれている。京都の裏千家の兜門と同じ製作者を京都から呼び寄せて造られ、屋根は「檜皮葺き」という伝統的技法が用いられている。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 17-70mm F2.8-4.5 DC MACRO​​​​​​​​​​
​​ 絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f​​​8 1/​250秒 24mm ISO​​200 ​) 露出補正​ ​-0.3段
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24.菜園広場から
​​ 南側(相模湾側)に広がる菜園広場に出て、再建された吉田茂邸を見上げる。石垣の上に建てられていて、もはや城のようだ。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 17-70mm F2.8-4.5 DC MACRO​​
絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f​​​9 1/​320秒 21mm ISO​​200 ​) 露出補正​ ​-0.3段​​
;クリックすると大きな写真になります。
25.バラ園​​
駐車場の横はバラ園になっていた。向こう側に兜門が見える。バラ愛好家であった吉田茂は、ここに広いバラ園を持っていた。しかし、彼の死後、昭和54年に当時の大平首相とカーター大統領の会談でこの吉田邸が使われた時、バラ園を縮小して駐車場としたそうだ。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 17-70mm F2.8-4.5 DC MACRO​​​​
絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f​​​9 1/​320秒 17mm ISO​​200 ​) 露出補正​ ​-0.3段
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26.七賢堂
バラ園から駐車場に戻ろうと思ったところ、あるグループを案内していたガイドさんが「次はちょっと上りますけど七賢堂と銅像を見ましょう」と話していた。見ないで出てしまうところだったが、これを聞いてそのグループの後についていった。七賢堂も焼失を免れた貴重な建物だそうだ。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 17-70mm F2.8-4.5 DC MACRO​​
絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f​​​3.2 1/​250秒 17mm ISO​​200 ​) 露出補正​ ​-0.3
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27.「七賢堂」とは
「七賢堂」は伊藤博文の自邸、大磯の「滄浪閣」に建てられたそうだ。はじめ、明治維新の元勲のうち、岩倉具視、大久保利通、三条実美、木戸孝允の4人が祀られた「四賢堂」であった。その後、伊藤博文が祀られ、昭和35年に吉田茂がこの地に移築し、西園寺公望を加えて「六賢堂」とした。吉田茂の死後、佐藤栄作が吉田茂も加え「七賢堂」となったそうだ。正面の扁額の文字「七賢堂」は佐藤栄作の揮毫とのこと。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 17-70mm F2.8-4.5 DC MACRO​​
絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f​​​4.5 1/​250秒 49mm ISO​​200 ​) 露出補正​ ​-0.3
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28.吉田茂銅像​​
「七賢堂」から少し進むと、昭和58年に建立された吉田茂の銅像があった。日米講話条約締結の地サンフランシスコと首都ワシントンの方を向いていると言われる。銅像の後には相模湾が広がる。余談だが、皇居の北の丸公園中央通りから清水門に抜ける芝生地の一角にも船越保武により1981年(昭和56年)に建立された吉田茂の銅像があるそうだ。また、高知県龍馬空港の敷地内には、昭和59年建立された吉田茂の銅像がある。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 17-70mm F2.8-4.5 DC MACRO​​​​
絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f​​​8 1/​250秒 21mm ISO​​200 ​) 露出補正​ ​-0.3
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2017年2月12日

神戸と有馬温泉(3) 旧居留地と生田神社 12月26日

翌26日は、朝8時にホテルをチェック・アウトし、荷物を預かってもらって、元町駅から海側の南東の方向にある旧居留地を歩いてみることにする。すでに開催が終わってしまった神戸ルミナリエの会場の方角だ。
  旧居留地を見たあとは、神戸市立博物館を左に折れて、JRのガードをくぐってやや山側にある生田神社へ向かう。生田神社は「いくたロード」という商店街の先にあった。 10時過ぎに元町商店街まで戻り、老舗のコーヒー店でコーヒーを飲んだりしながら、昨日行った神戸風月堂でゴーフルや和菓子を買って、ホテルに戻り、荷物を受け取って、三宮へ行く。

旧居留地

安政5年(1858年)に幕府が諸外国と結んだ日米修好通商条約により、日本は長年に及んだ江戸幕府の鎖国政策に終止符を打ち、横浜・長崎・函館・新潟・兵庫(神戸)の5港を開港することになった。神戸旧居留地の歴史は、この時、はじまったといる。明治27年(1894年)日英通商航海条約が締結され、明治32年(1899年)7月17日午前10時、居留地返還式が執り行われ、居留地は日本政府に返還された。(神戸旧居留地オフィシャルサイト) 初めて訪れるところだが、1980年代までは、「老朽化した古いビルのオフィス街」という認識であったそうだが、1988年にはじまった旧神戸商工会議所ビルの保存運動が街再生のきっかけとなり、今では「最も神戸らしい洗練された街」として活況を呈するようになった。1992年に国土交通省の都市景観100選に選定されている。

47.神戸大丸百貨店
朝8時30分過ぎ、まだ、街はひっそりとしている。ホテルを出てメリケンロードを元町駅と反対側に海の方へ進むと、大丸百貨店があった。もちろんまだシャッターは閉まっているが立派な店だ。大丸神戸店は1913年(大正2年)に開業し、1927年(昭和2年)にこの地に移転してきたそうだ。阪神・淡路大震災で被災したが、2年後の1997年に復興グランド・オープンした。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f5.6​​​ 1/​250​秒 35mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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48.元町商店街入口
朝の元町商店街アーケードの入り口だ。ここから1番街が始まる。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f4.2 1/​250​秒 35mm ISO640​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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49.旧居留地38番館 -1​​
この歴史的建物の名称にある「38」という数字は、外国人居留地時代の区画番号を意味する。 大丸(現大丸松坂屋百貨店)が所有し、北側と西側に隣接する大丸神戸店の倉庫として使われていた。現在では、建築の価値を生かして店舗の一部として用いられている。1980年代、旧居留地が「最も神戸らしい街」に再生するきっかけとなる象徴的な建物の一つでもある。(wikipedia)

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f3.8 1/​250​秒 26mm ISO280​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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50.旧居留地38番館 -2
38番館を正面に廻ってみた。「HERMES」の文字が見える。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f3.5 1/​250​秒 18mm ISO380​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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51.海岸ビル​​
大丸の東側をまっすぐ海岸通りに出た。この建物は旧三井物産神戸支店として1918年に建てられたそうだ。現在の建物は阪神・淡路大震災後に解体、再建されものだ。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f3.5 1/​250​秒 18mm ISO2​5​​​0​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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5​2.商船三井ビルディング​​​​
関西で数々の近代建築を手がけた渡辺節の設計により、旧大阪商船神戸支店として1992年に建てられた。年代を感じさせる手動エレベータが今も貨物用として活躍しているそうだ。(みなと元町タウン協議会発行「港町の歴史を歩く地図」参照)

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f5.6 1/​250​秒 24mm ISO2​0​​​0​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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53.チャータードビル
ロンドンを本拠とする世界第5位の銀行・金融グループ・スタンダードチャータード銀行の前身であるチャータード銀行の神戸支店として1938年に建てられた。大理石をふんだんに使った豪華な造りや、南西と南東にあるレトロな回転ドアが歴史を物語る。(みなと元町タウン協議会発行「港町の歴史を歩く地図」参照) ​

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f4.2 1/​250​秒 32mm ISO3​2​​​0​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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54.15番館​​
旧アメリカ合衆国領事館。旧居留地に唯一現存する居留地時代(1868年~1899年)の建築物で、国の重要文化財にも指定されており、当時の街区境界の煉瓦塀や石柱などとともに保存されている。1995年の阪神・淡路大震災において全壊してしまったが、元の建材で明治時代の建築技術および最新の免震技術を導入した復元工事が行われて1998年に完成した。(wikipedia) 中は「TOOTH TOOTH maison15th」というレストランになっていて、先日TV番組でも紹介されていた。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f4.2 1/​250​秒 32mm ISO22​​​0​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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55.「おしくらまんじゅう」
15番館の横に小さな広場があり、そこになぜか稲荷大明神の赤い鳥居と小さなお社があって、その前にこの「おしくらまんじゅう」と題した彫刻があった。1990年 山口克昭 作 となっている。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f3.8 1/​250​秒 26mm ISO40​​​0​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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56.旧外国人居留地下水渠
15番館と神戸市立博物館との間に、日本最古の近代下水道である「旧神戸居留地煉瓦造下水道」(工事期間1868年 - 1872年)の遺構(国の登録有形文化財)が展示されている。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f3.5 1/​250​秒 18mm ISO50​​​0​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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57.高級ブランドショップ街​​
もともとはオフィス街であり、落ち着いた街であるこの辺りには、ディオール、プラダ、ルイビィトン、ブルックス・ブラザース、エルメス、セリーヌ、グッチ、ジョルジオアルマーニ・・・などなど、多くの有名店が出店している。ビルの中のテナントではなく道路に面した店(路面店舗)が多い。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f4.2 1/​250​秒 35mm ISO100​​​0​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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生田神社

58.いくたロード
旧居留地北側の三宮中央通りを起点に延長約400メートルの参道であるいくたロード商店街を北に向かって進むと生田神社の鳥居、社殿が見えてきた。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f6 1/​250​秒 185mm ISO280 ​) 露出補正​ ​なし
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59.楼門​​
生田宮の扁額がかかった立派な楼門だ。境内南側にあり神社の正面玄関にあたる。一方、東門街の由来となった東門は文字通り東側にある比較的小さめの門である。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f3.5 1/​250​秒 18mm ISO250 ​) 露出補正​ ​なし
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60.巫女さん
​​ 楼門左側の受付では、巫女さんが健康のお守り、交通安全のお守りなど、いろいろなお守りを販売していた。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f6.3 1/​250​秒 300mm ISO1100 ​) 露出補正​ ​なし
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61.拝殿​​
​​ 拝殿の前には今年の干支である「酉」の絵が描かれた大きな絵馬が据えられていた。正月の準備だ。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
​​​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f3.5 1/​250​秒 24mm ISO280 ​) 露出補正​ ​なし
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62.本殿​​
​​​​ 本殿の前には進めないが、拝殿から本殿をお参りすることができる。神様を近くで正面から撮るのはご法度である。少し斜めから撮らせていただいた。生田神社のホームページによると、祀られているのは、伊勢神宮内宮にお祀りされる天照大神の和魂(にぎみたま)あるいは妹神と伝えられ、稚くみずみずしい日の女神様であり、物を生み育て万物の成長をご加護する神様として、ご崇敬を集めているとあった。拝殿の中では正月の準備がされていた。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
​​​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f3.5 1/​250​秒 18mm ISO1100 ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
63.生田の池
​​​​ 拝殿の左側を行くと池があった。白い水鳥が寄ってきたが、アヒルだろうか?顔が灰褐色なのが気になる。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO
​​​​​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f5.3 1/​250​秒 86mm ISO250 ​) 露出補正​ ​なし
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64.生田の池 句碑
​​​​​​ 生田の池に市杵島神社があるが、その横に昨年4月亡くなられたひいらぎ会主宰で日本俳人協会顧問の小路紫峡氏と奥様の智壽子氏の句碑があった。私は俳句は不調法である。噴水のしぶき天衣の舞うごとく(紫峡) 雛顔したる巫女たち初神楽(智壽子)

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
​​​​​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f3.5 1/​250​秒 18mm ISO800 ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
65.戸隠神社​​
​​​​​​ 社殿の後が生田の森になっている。少し左に行ったところの戸隠神社があった。祭神は手力男命(たじからおのみこと)。生田神社は10世紀から存在していたことが分かっている由緒ある神社といわれる。昔、洪水で流されそうになったときに一面に茂らせていた松がまったく役に立たなかったことから松を嫌い、生田の森にも松は一本もなく、今でも正月には「門松」の代わりに「杉飾り」を立てているそうだ。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
​​​​​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f3.5 1/​250​秒 18mm ISO720 ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
66.本殿の裏​​​​
​​​​​​ 生田の森と本殿との間の静かな道を歩く。カエデの葉が少し残っていた。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​​​
​​​​​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f5.6 1/​250​秒 102mm ISO3200 ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
67.生田稲荷大明神
​​​​​​ 本殿の裏を商売繁盛の神という蛭子神社の前を東の方へ進むと稲荷神社があった。祭神は稲倉魂命(うがのみたまのみこと)。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
​​​​​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f4.2 1/​250​秒 38mm ISO1400 ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
68.正月の準備
​​​​​​ この日は12月26日である。楼門から拝殿への参道では正月の準備がされていた。2009年度警察庁発表によれば、生田神社の正月三が日の初詣参拝者はおおよそ155万人で全国第8位だそうだ。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO
​​​​​​​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f4 1/​250​秒 31mm ISO250 ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
69.箙(えびら)の梅
​​​​​​​​ 生田神社には有名な箙の梅があると聞いていたが、場所が判らなかったので受付の巫女さんに尋ねたところ、楼門の西側にあると教えてくれた。寿永3年(1184)の源平生田の森の合戦で、梶原景季(かじわらかげすえ)が梅の枝を箙(矢を入れて携帯する道具)に差して戦った故事で、ここにそのに遺跡があり、能や浄瑠璃の題材となったという。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
​​​​​​​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f3.8 1/​250​秒 24mm ISO400 ​) 露出補正​ ​なし
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70.西門
​​​​​​​​ 午前10時になった。そろそろ元町へ戻ろう。元町商店街もオープンしているだろう。生田神社の西門から出る。ここも正月のしめ飾りの準備がされていた。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
​​​​​​​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f4.2 1/​250​秒 38mm ISO1000 ​) 露出補正​ ​なし
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71.何処にいるのだろう?
​​​​​​​​ いくたロードを戻ってJRのガードをくぐり、三宮センター街を抜けて、三宮中央通りを右へ、元町商店街入り口を目指す。途中、道路の反対側にこんな建物が並んでいた。まるでヨーロッパのどこかの古い町にいるようだ。ネットで探ってみると、このビルはアパレル大手のワールドが2005年から運営してきた商業施設メディテラスといういわばファッションビルだが、昨年3月で閉店となったようだ。ワールドは一昨年(2016年)メディテラスをパルコに売却。取得したパルコは商業施設「三宮ゼロゲート」を建設する計画を表明しており、神戸進出を計画しているという。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
​​​​​​​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f4.2 1/​250​秒 35mm ISO200 ​) 露出補正​ ​なし
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2016年11月10日

犬山、郡上八幡、白川郷、飛騨高山 古い町並みを歩く 10月17日~18日 (4) 飛騨高山 10月18日

白川郷から東海北陸道を走り、日本で3番目に長いという飛騨トンネルなどを抜けて高山清美道路に入り、最後の目的地である飛騨高山に着いたのは11時半ごろだった。
  バスは古い町並みが近くにある駐車場に入った。さすがに観光客が多い。中国や台湾、韓国から来ている人も多いし、いわゆる西洋人も多い。
 高山が紹介されている写真には、よく出てくる宮川と赤い橋のところまで行ってみる。その手前を右に入ると上三之町という古い町並みだ。そこはにぎやかな商店街である。そんな上三之町を北へ進み、国分寺を見るため、宮川にかかる鍛冶橋を高山駅の方に折れ国分寺通りを歩く。
 戻ってきて、再び鍛冶橋を渡って、安川通りをそのまままっすぐ東へ進んだ。バスの添乗さんが、そのあたりに美味しい飛騨牛メンチカツを売っている店があるというので、探してみたが見つけられなかった。
 再び上三之町を歩いて、駐車場へ戻った。バスは午後12時45分に高山を出発し、国道158号線を松本へ向かう。途中、平湯で休憩し、平湯トンネルを抜けて、上高地の入り口を右に曲がって松本へ、そこから長野自動車道に上がって、岡谷から中央道へ。八ヶ岳PAで休憩したあとは、八王子から圏央道へ、そして海老名から東名に入り、海老名SAで最後のトイレ休憩がとられ、横浜駅東口には、夕方6時半に着いた。思ったより早かった。
  今回は美濃と飛騨の古い町並みを見て歩いた。時間は限られていて、上っ面しか見られなかったが、とても充実した旅となった。

73.上二之町
駐車場から宮川にかかる赤い橋(中橋)のほうへ歩き始めて、すぐ右側に古い町並みの通りが見えた。上二之町だ。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f4.8 1/​250​秒 50mm ISO320​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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74.高山市政記念館​​
中橋にむかって歩いて行くと左手にこの高山市政記念館があった。明治28年から昭和43年まで使用された町役場、市役所の建物で旧高山町役場の看板がかかっていた。高山市三町伝統的建造物群保存地区内の南端にあって、一之町、二之町、三之町を見渡す重要な位置にある。建築材は総檜で、ガラスも当時初めて導入され、硝子障子という名称で各所に使われているという。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f3.5 1/​250​秒 18mm ISO450 ​) 露出補正​ ​なし
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75.格子塀​​​​
きれいな格子塀の家があった。「料亭 洲さき」とある。今年で創業222年を迎えた老舗だ。ホームページによると「洲さきは、江戸時代の後期、寛政六年(1794年)に創業されました。岐阜県で最古の料亭として、国の伝統的建造物群に指定された町並みの一角に位置し、高山市有形文化財にも指定されています。天領だった頃の風情を今に伝える出格子の表構え、そして玄関の土間と囲炉裏が、飛騨情緒たっぷりにお客様をお迎えいたします。・・・」とあった。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f3.5 1/​250​秒 18mm ISO1400 ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
76.中橋からの眺め
上三之町に入るところを通り過ごして先に中橋へ行ってみる。この赤い橋は飛騨高山を紹介する写真にはよく登場する。中橋の上から宮川の上流方面の眺めだ。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f6.3 1/​250​秒 18mm ISO200 ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
77.陣屋前朝市​​
高山は朝市が有名だが、宮川朝市とともに陣屋前朝市がある。中橋を渡ったところに高山陣屋跡があり、朝市はそこで開かれていた。すでに11時半になっていたが、まだいくつか店が開いていた。かみさんは「秋映」というリンゴをお買い上げ。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f3.5 1/​250​秒 22mm ISO250 ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
78.高山陣屋​​
高山陣屋は、江戸幕府が飛飛騨国を直轄領として管理するために設置した代官所・飛騨郡代役所だ。現在の岐阜県高山市八軒町に置かれた。幕末には全国に60数ヵ所あったと言われている代官所・郡代役所の中で、当時の建物が残っているのはこの高山陣屋だけだそうだ。全国で唯一建物が現存する遺跡で、昭和4年(1929)には国史跡に指定されている。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f5.6 1/​250​秒 18mm ISO200 ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
79.中橋
高山陣屋の方から中橋を見る。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f5 1/​320​秒 70mm ISO200 ​) 露出補正​ ​なし
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80.上三之町​​
中橋から再び高山市政記念館の方に戻ると、その左側が上三之町だ。飛騨高山の古い町並みの象徴のような通りだ。道幅は上二之町より狭い。観光客はこの通りに集中する。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f5.6 1/​250​秒 120mm ISO560 ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
81.造り酒屋 -1​​​​
高山の古い町並みの周辺には造り酒屋が6軒あるという。ここは上三之町にある「深山菊」蔵元舩坂酒造店。飛騨高山の厳しい自然の中で、良質な酒米と飛騨の清冽な水を用いて、厳しい自然の中でで元禄年間から200年以上も醸し続けてきている酒蔵という。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f3.5 1/​250​秒 18mm ISO640 ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
82.造り酒屋 -2​​​​
​​ ここは同じく上三之町にある原田酒造場。安政2年(1855年)に創業され、淡麗辛口ながらも芳醇な米のうま味を味わえるという、小京都・飛騨高山の京文化と天領・飛騨高山の江戸文化が融合された、飛騨高山ならではの酒造りが続けられている。原田酒造場のお勧めの酒は「山車」。やわらかい口当たりが人気だそうだ。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f3.5 1/​250​秒 18mm ISO640 ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
83.外国人観光客が多い上三之町​​​​​​
飛騨高山はフランスの旅行ガイドブック「ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン」に4回連続で「わざわざ旅行する価値がある」場所として最高評価の三ツ星を獲得しているそうだ。古い建物とモノトーンの世界は幻想的という。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​​​​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f5.3 1/​250​秒 78mm ISO400 ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
84.医院
上三之町に面して「岩佐医院」という産婦人科の医院があった。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f3.5 1/​250​秒 18mm ISO640 ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
85.上三之町の賑わい
観光客で賑わっている上三之町をさらに北に進む。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f3.5 1/​250​秒 18mm ISO640 ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
86.「飛騨民族考古館」
​​ 上三之町の通りが駅前中央通りと交差する手前に「飛騨民族考古館」というところがあった。中に入って見る時間はさけなかったが、高山城主金森家の御典医(大名に勤めた医者)の住まいだったと伝えられている。戦国武家屋敷をしのばせるたたずまいで、吊天井や忍窓、井戸の抜け穴などが見られるとのこと。土蔵には飛騨の考古、歴史資料などが展示されている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
​​ プログラムオートで撮影 ( f4 1/125秒 37mm ISO125 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
87.山桜神社
上三之町の通りを駅前中央通りで左に曲がる。宮川に架かる柳橋を渡ると本町通りと交わり、その角に山桜神社があった。境内の火の見櫓は、1854年(嘉永7年)に火消しの「馬頭組」が建設したもので、1878年(明治11年)頃再建し、1936年(昭和11年)に現在地に移転された。木造鉄板板ぶきの三層構造である。2007年(平成19年)に国の登録有形文化財に登録されている。事前学習が足りず、この火の見やぐらを撮り逃してしまった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/60秒 19mm ISO125 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
88.飛騨国分寺
国指定の重要文化財であり、高野山真言宗の寺院である飛騨国分寺を見たかった。本町通を宮川沿いに北へ進んで国道158号線である安川通りに出た。左に曲がって高山駅方向に進む。鍛冶橋を背にして進むと右側に国分寺があった。高さ22mあまりの三重塔は文政4年に再建された。その奥の鐘楼の右側に見える大イチョウの木は樹齢1250年、幹周り10m、高さ37mで国指定の天然記念物だ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/200秒 9mm ISO125 ) 露出補正 +0.7段
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89.国分寺 山門・鐘楼・本堂
安川通り(国分寺通り)に面して山門があり、山門からは鐘楼とその奥の本堂が見える。 本堂(室町時代再建、安土桃山時代修復)や、木造聖観音菩薩立像(平安時代)は国指定の重要文化財になっている。741年(天平13年)、聖武天皇により国分寺建立の詔が発せられ、757年(天平勝宝9年)頃、行基によって建立されたという歴史ある寺なのだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/125秒 19mm ISO125 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
90.宮川朝市
高山では宮川朝市が有名だ。飛騨国分寺から戻って、鍛冶橋を渡ると左側に宮川朝市が見えた。飛騨高山宮川朝市協同組合によりほぼ毎朝行われている朝市だそうだ。石川県の輪島朝市、千葉県の勝浦朝市と並ぶ、日本三大朝市のひとつとも言われ、高山市を代表する観光名所の一つといわれる。しかし、時間はすでに正午すぎていてほとんどの店はなく、買い物客もいない。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 37mm ISO125 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
91.再び上三之町
鍛冶橋を渡って安川通りをまっすぐ歩いて、添乗員さんが言っていたメンチカツの店を探したが見つけることはできなかった。戻って上二之町通りを少し歩いて、また、さんまち通りへ戻ってきた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/200秒 37mm ISO125 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
92.飛騨牛にぎり寿司
なにやら行列ができている店がある。飛騨牛にぎり寿司の看板が見える。さんまち通りにある「飛騨こって牛」という店だった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 22mm ISO500 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
93.愛犬たちの散策
上三之町にペットの犬たちが集まっていた。飼い主の方は地元の方々だろうか、どこからか来られた方なのだろうか。全部で7匹いた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/200秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
94.国指定 重要伝統的建造物群保存地域
ちょっと人通りが少なくなって古い町並みの上三之町が見通せた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/250秒 16mm ISO125 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
95.人力車
お年寄りのご夫婦が人力車に乗られて観光されていた。車夫が説明している。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/160秒 21mm ISO125 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
96.中橋の眺め
赤い橋を見ようと上三之町の通りを右に折れて宮川に出て、筏橋の上から中町を眺めた。。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f8 1/​250​秒 48mm ISO200 ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
97.平湯
12時45分にバスは高山を出発し、R158を平湯バスターミナルにむかった。バスの中で食べた飛騨牛巻き寿司弁当は旨かった。午後1時半に平湯バスターミナルに到着した。天候は回復してきて、時折陽が差す。周囲の山は紅葉が始まっていた。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f6 1/​640​秒 175mm ISO200 ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
98.紅葉始まる
バスターミナルでは、トイレ休憩と買い物のためバスは25分ほど停車していた。紅葉し始めた周囲の山を眺めていたら発車時間になり、バスに戻った。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f4.8 1/​250​秒 52mm ISO1000 ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
99.梓湖
松本に向かうバスは、途中、奈川渡ダムの堤の上を走る。午後の強い日差しが梓湖に注がれていた。奈川渡ダムは2010年5月に、東電に勤務していた学生時代の同期の友人のお世話で見学したことがある。下から見上げる155mのコンクリートの堤は恐ろしく高く聳えていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f9 1/1250秒 22mm ISO125 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。


2015年11月 7日

野毛山動物園 10月28日

朝から暖かい日になった。舞岡公園に行こうかと思ったが、あまり成果を期待できないのでやめにして、先日、護衛艦「いずも」を見に行った時に、その近くまで行った野毛山動物園に行ってみることにした。先日は桜木町の駅前から動物園通りという道を歩いたが、この日は県道218号平戸桜木通りの1本左側の野毛仲通りを入っていった。途中、中央通りとか、野毛たべもの横丁のある柳通りと交差する。桜木町の駅の反対側のみなとみらい地区とはまったく趣が違う下町的な佇まいである。野毛三丁目で平戸桜木通りを渡り、野毛坂へと登って行った。

野毛山公園の入り口を右手に見て、しばらく行くと野毛山動物園の入り口があった。ベビーカーに小さな子供さんを乗せた若いお母さんたちがお仲間と動物園に入っていく。
  1951年(昭和26年)に開設された野毛山動物園は横浜市立で、その面積は1999年(平成11年)7に開園されたよこはま動物園ズーラシアの55.3ヘクタールに比べると、3.3ヘクタールと広くはない。しかし、飼育されている動物はライオン、アムールトラ、キリン、チンパンジー、レッサーパンダ、フンボルトペンギンなど100種類以上、1,000頭以上の動物を擁しており、都心部の動物園としての飼育数はかなり充実しているといわれる。
  しかし、動物園と言えば必ずいるゾウがいない。wikipediaによると、開園した年1951年(昭和26年)の4月17日にインドゾウの「はま子」(メス、推定7歳)がカルカッタから来園し、1957年(昭和32年)には2頭目のゾウ「マリ子」推定2歳が来園した。しかし、「マリ子」は1987年(昭和62年)11月2日に急死した。そして開園以来飼育されていた人気者のゾウ「はま子」は​2​003年(平成15年)に享年59歳で死亡したそうだ。それ以来、ゾウはいないようだ。
  動物園を一通り歩いて退出し野毛山公園を散策した。

1.野毛仲通り
10月11日に来たときは動物園通りを歩いたが、この日は野毛仲通りを入った。まだ11時前なので町は静かだった。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5​ ​4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 9mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
2.たべもの横丁
野毛仲通りを歩いていくと野毛たべもの横丁という提灯がかかったアーチがある路があった。この通りは柳通りというらしい。たべもの横丁はこの柳通りを入った路地のようだ。夜は賑やかなのだろうと思う。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5​ ​4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/400秒 21mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
3.野毛山動物園入口
右手に野毛山公園を見ながら坂を上がっていくと、野毛山動物園の入り口に着いた。入園料を支払おうと窓口に行くと、なんと入園無料になっていた。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5​ ​4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5.3 1/200秒 39mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
4.エントランス
入ったところは小さな広場になっていて、折からハロウィンの飾り付けがされた花壇の前ではお母さんたちが我が子の写真を撮っていた。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5​ ​4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1000秒 8mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
5.ショウジョウトキ
入口の花壇の右手には鳥舎があった。数種類の鳥が同居している。これは中央アメリカ、南アメリカに生息するショウジョウトキだ。たべものに含まれる色素で羽が赤くなるという。曲がったくちばしで浅い水辺の水の中から甲殻類などを探し出して食べるそうだ。この鳥舎の中に、これからの時期自宅近くの帷子川で良く見かけるキンクロハジロがいた。どこからか飛んできたのだろうか。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5​ ​4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5.6 1/200秒 125mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
6.インドセタカガメ
爬虫類の部屋に入るとカメやワニ、ヘビなどがいた。これは水槽で泳ぐインドセタカガメ。インド北部と南東部、バングラデシュ、パキスタン南部に生息する。左から首を伸ばしているのはバタグールガメというそうだ。ともに植物を食べるというので共食いはなさそうだ。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5​ ​4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.2 1/125秒 12mm ISO500 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
7.横浜市電
この車両が製造された年の昭和26年に開園した野毛山動物園で第二の人生を送る1518 号。横浜市傳は昭和47年に全線廃止され、この1518号は野毛山動物園で保存、展示されて43年になる。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5​ ​4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/200秒 5mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
8.インドライオン
ここの猛獣舎は少しさびしい。この日はこのライオン1頭しかいなかった。さびしそうな顔をしていた。従来はアフリカライオンを飼育・展示していたが、2014年6月21日よりよこはま動物園ズーラシアで2008年2月11日に生まれたオスのインドライオン「ラージャーを飼育・展示しているという。アムールトラもいるらしいがこの日は姿を見なかった。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5​ ​4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/40秒 21mm ISO1600 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
9.アミメキリン
昨年、飼育していた沖縄生まれのアミメキリンの雄「テビチ」が死んだらしい。夜間に転倒して頭を打ったのが死因とみられているという。人間の60歳前後に相当する15歳だったそうだ。当時の新聞には「子どものソラ(2歳、雄)と仲むつまじく歩く姿が、子どもたちに人気だった。」とあるので、このキリンは子どもの「ソラ」なのだろうか。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5​ ​4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5.6 1/200秒 116mm ISO100 ) 露出補正 -0.3
;クリックすると大きな写真になります。
10.フラミンゴ
チリ、ペルー、アルゼンチンの塩湖やラグーンに生息する。数百から数千の群れを作って湖の水辺で生活するという。脚を水たまりに踏み入れた時の波紋がきれいだった。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5​ ​4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5.3 1/125秒 36mm ISO250 ) 露出補正 -0.3
;クリックすると大きな写真になります。
11.ニューカレドニアの国鳥カグー
ほとんど飛べないそうだ。森に棲んでいてミミズなどを歩いて探すそうだが、開発による生息地の破壊、羽毛やペット目的の乱獲、人間が持ち込んだ動物による食害により生息数は減少しているそうだ。絶滅危惧種(1B類)。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5​ ​4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5.6 1/125秒 72mm ISO560 ) 露出補正 -0.3
;クリックすると大きな写真になります。
12.フンボルトペンギン
​wikipediaによれば、​フンボルトはドイツの地理学者であるアレクサンダー・フォン・フンボルトに由来する。フンボルト海流が流れ込む南アメリカの沿岸地域に暮らして​いるが、産卵場の環境破壊、餌の魚の乱獲など人為的影響やエルニーニョなどにより個体数の減少が続き、野生種は2005年には約1万羽にまで減少したとされる​。​日本動物園水族館協会の調べによると2003年に全国約70園で1480羽と、野生の生息数の一割以上を日本の水族館や動物園が飼育する状況に至っている​という​。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5​ ​4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5.6 1/​2000​秒 ​90mm ISO​100​ ) 露出補正 -0.3
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13.コンドル♂「ショウ」
1997年5月生まれの♂。コンドルはアンデス山脈に生息し​、視力が発達していて上空から食べ物を探すことfができる。野生化では主に動物の死肉を食べているという。体は大きいが心はとてもナイーブだそうだ。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5​ ​4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5.​5 1/​125秒 ​48mm ISO​1600​ ) 露出補正 -0.3
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14.コンドル♀「ヘンリエッタ」
コンドル舎には2頭のコンドルがいた。これは「ヘンリエッタ」という名前が付けられた♀のコンドルのようで、下に下りていた。♂には大きなとさかがあるが、メスには無い。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5​ ​4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5.6 1/​125秒 ​98mm ISO​1600​ ) 露出補正 -0.3
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15.ノスリ
猛禽舎​には​「ノスコ」と「ノスミ」という​2頭のノスリがいた。本州の中部以北の山林で繁殖するが秋冬には低地や暖地にも移動すると説明されていた。小型のタカという印象だ。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5​ ​4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f​4​ 1/​125秒 ​258mm ISO​1600 ) 露出補正 -0.3
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16.レッサーパンダ
レッサーパンダは動物園の人気者だ。入口を入ってすぐのレッサーパンダ舎には「キンタ」と「ケンケン」​という2頭のレッサーパンダがいた。わたくしが入園したときは、まだ外に出てきていなかったが、活動し始めたようだ。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5​ ​4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f​5.6 1/​125秒 ​90mm ISO​800 ) 露出補正 -0.3
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17.クロツラヘラサギ
最初にショウジョウトキを見たバードゲージにこんな鳥がいた。トキ科の鳥だ。へら状のくちばしを使って水中のたべものを探す。​wikipediaによれば開発による生息地の破壊、狩猟などにより生息数が減少していて環境省レッドリストでは絶滅危惧IB類(EN)となっているそうだ。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5​ ​4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f​5.6 1/​640秒 ​179mm ISO​100 ) 露出補正 -0.3
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18.ヒカゲチョウ
12時少し前、動物園を退出した。今日は暖かい日となって、動物園の中ではアカタテハ、キタキチョウ、ツマグロヒョウモン、ヤマトシジミが飛んでいた。​野毛山公園の展望台へ行ってみようと歩き始めたら、樹上から舞い降りて葉の上に止まった。キタテハかなと思ったら、ヒカゲチョウだった。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5​ ​4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f​6.5 1/​250秒 ​258mm ISO​100 ) 露出補正 -0.3
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19.野毛山配水池
展望台の手前は野毛山配水池となっていた。横浜市西区のホームページによれば、開港以来、水不足に悩まされていた横浜に、明治20年(1887年)日本最初の近代水道が創設され、野毛山に最初の浄水場が完成した。40キロメートル以上も離れた相模川上流で取られた水が、ここまで送られてきたそうだ。その後、関東大震災で壊滅し、現在は浄水場の姿はみることはできない。しかし、大正15年に浄水場跡地が公園として整備され、地下に1万立方メートルの野毛山配水池が完成した。さらに昭和42年には水需要の増加に対応して4万立方メートルの配水池が新たに整備された。配水池は「浄水場でつくられた水が家庭に届く前に蓄えておく」「災害など緊急時の飲み水を蓄えておく」という役割を持っている。現在、西区全域と中区・南区の一部の地域にここから水が送られているという。野毛山公園内には、昭和62年、横浜水道創設100周年を記念して建てられた横浜水道の設計・工事を手がけた「近代水道の父」ヘンリー・スペンサー・ パーマーの胸像があった。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5​ ​4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f​4 1/​200秒 ​9mm ISO​100 ) 露出補正 -0.3
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20.野毛山公園展望台
​野毛山は標高50mほどの小さな山である。​1966年から横浜市民に親しまれてきた展望台​は​2011年8月に45年ぶりにリニューアルされた​という。​みなとみらいの横浜ランドマークタワーや、横浜ベイブリッジ​が​一望で​きた​。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5​ ​4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f​5.3 1/​1600秒 ​6mm ISO​100 ) 露出補正 -0.3
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21.プリンセス ドゥ モナコ​
展望台の奥は地下が配水池となっている芝生の広場があった。そこはバラ園になっている。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5​ ​4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f​4 1/​2000秒 ​8mm ISO​100 ) 露出補正 -0.3
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22.中村汀女句碑
動物園の入り口まで戻り、野毛山公園の中を桜木町の駅に向かって下って行った。幕府の下田開港のうわさを聞き、これを批判、横浜開港に奔走した佐久間象山顕彰碑があった。さらに下ると​中村汀女句碑があった。女流俳人の中村汀女(1900~1988)は、大蔵省官吏の夫と昭和5年(1930)から西戸部町の税関官舎に住み結婚後に中断していた句作を再開した。文芸雑誌『ホトトギス』の同人として俳壇での本格的な活動に入り、多くの女流俳人に影響を与えた。野毛山公園には「蕗のたう おもひおもひの 夕汽笛」と野毛の早春を詠んだ句碑が建っている。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5​ ​4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f​3.8 1/​125秒 ​7mm ISO​180 ) 露出補正 -0.3
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2015年3月19日

一人旅 石垣島・竹富島そして那覇 3月9日~12日 (2) 3月10日 竹富島をめぐる


 2日目の朝、寒い。ホテルのエレベーターに張られていた天気予報では、今日も曇りで、気温はさらに低く、最高気温でも17℃だ。
  肌寒い風が吹くなか、街路を離島フェリーターミナルまで歩く。9時発のフェリーで竹富島へ渡ることにした。
 昨日、昆虫観察ガイドのかたに竹富島はどう歩けばよいか? レンタサイクルを借りた方が良いか? など尋ねたところ、島を一周するるようにのんびりと右回りに歩いて回るのが良いと教えていただいた。

 50人くらいの乗客を乗せ、石垣島を出航した高速フェリーは、港の外に出るとエンジンの音を荒立てて、白波を蹴って突っ走り、10分少々で竹富港に着いた。教えていただいたようにビジターセンターである「ゆがふ館」の先を右へ、西桟橋の方へ歩き始めた。蝶の飛ぶ気配はない。
 しかし、しばらく行くと海の方へ入る小さな道があり、ふと見るとリュウキュウアサギマダラのような蝶がひらひらと飛んでいる。そして、真っ白な大きな蝶、オオゴマダラが木陰に消えた。都会の蝶園で見る飼育されたオオゴマダラではない、生のオオゴマダラに魅了された。蝶に会えてよかった。
 西桟橋からは正面に小浜島や西表島、右手に石垣島が見えた。次にコンドイビーチに向かう。その途中で、再びリュウキュウアサギマダラが飛んでいた。昨日は擦れた個体しか撮れなかったタイワンクロボシシジミの比較的新鮮な個体にも会えた。羽化したばかりなのだろうかナミエシロチョウの♀が葉の上に止まっているのを見つけた。動けないでいる。
  コンドイビーチからさらにカイジ浜へ。ここは星の砂で有名だ。カイジ浜からは竹富島の中心部に向け、左に入る。自転車に乗った若いお嬢さんたちが行く。12時少し過ぎに石積みの塀で囲まれた民家のある集落へ着いた。1時に昼食。ここは八重山そばを食べるしかない。食後はアイアル浜へ向かって歩く。この周辺は蝶の道と言われ、天気が良く、気温が上がれば、スジグロカバマダラやオオゴマダラが多く舞うという。しかし今日は蝶の姿はない。2012年6月にオープンした「星のや 竹富島」の入り口の前を通り、アイアル浜に着いたのは午後2時を過ぎていた。
 浜には人の姿がない。午後になってまた寒くなってきた。ここからは一旦集落へ戻り、竹富港へ戻った。「ゆがふ館」で係りのおばさん「どうぞ」と差し出していただいた黒糖の甘さが疲れた体にひろがった。今日は竹富島を歩いて一周した。10km近くは歩いたと思う。そして3時45分のフェリーで石垣島へ帰り着いた。
夕食はどうしよう。昨夜は石垣牛を堪能したので、今夜は旨い「そーきそば」でも食べよう。

1.石垣港を出航
高速フェリーは石垣港を出てしばらくはゆっくりと走る。港内は結構船の出入りがあり、停泊している大型船もある。

Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f7.1 1/1250秒 7mm ISO1600 ) 露出補正 -0.3段
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2.海上保安庁
石垣港に海上保安庁の巡視船が3隻停泊していた。一番手前に見える艦にはPL83と書かれている。調べてみたら昨年12月に竣工したばかりのくにがみ型巡視船で総トン数1,500トンの「かびら」という船だった。まん中の船は"1"の文字が見え、PL81「たけとみ」に違いない。これも昨年9月竣工の新鋭船だ。いずれも海上保安庁の第11管区に所属する巡視船のようである。第11管区は尖閣諸島を含む沖縄県を管轄する。

Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f8 1/1250秒 30mm ISO1600 ) 露出補正 -0.3段
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3.竹富島「ゆがふ館」
フェリーから降りた観光客の多くは、マイクロバスに乗って("乗せられて"というのが正しいかも知れない)竹富島の中心部へ向かう。そこで水牛車に乗ったり、自転車を借りたり、あるいは歩いて集落を散策するようだ。私は昨日教えていただいた「ゆがふ館」に寄る。学生さんらしい観光客が3人ほどいたが、静かだ。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR f2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/400秒 4.4mm ISO200 ) 露出補正 -0.3段
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4.こりゃ旨そうだ
「ゆがふ館」の先を右に曲り、西桟橋に向け歩きはじめる。道は車が通れる広さの道と遊歩道からなっているが、そこに放牧されている牛たちが出てきていた。刺激しないように静かに横を通り過ぎた。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR f2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5.6 1/110秒 53mm ISO400 ) 露出補正 -0.3段
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5.竹富島の墓
竹富島のお墓も、沖縄本島と同じく、大きくて上から見ると亀の形をしてる。シャネルのお墓?

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR f2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/420秒 5mm ISO200 ) 露出補正 -0.3段
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6.北側の海岸
西桟橋への遊歩道を歩いていると、右側に入る道がある。ちょっと入ってみると浜辺があった。ここは竹富島の北側になる。向こう側には石垣島が眺められる。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR f2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/400秒 14mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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7.竹富港
そこから右の方を見ると、フェリーが着いた竹富港が見える。正確には竹富東港と呼ばれている。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR f2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5.6 1/850秒 22mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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8.バナナの花
きれいなバナナの花が咲いていた。今年の1月にBali島で見たバナナの花より美しい。少し小さいようだが違う品種なのだろうか。この花に見とれていたら、リュウキュウアサギマダラが飛び出した。続いてオオゴマダラが木陰に消えた。竹富島でやっと蝶に会えた。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR f2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/90秒 25mm ISO400 ) 露出補正 -0.3段
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9.美崎(ミシャシ)
ここは美崎御嶽(ミシャシオン)という。航海安全、海上平安の神として崇められている。島の人びとが旅に出たり、帰ってきたときに祈願したり、感謝をする御嶽である。竹富島には28の御嶽がある。この日もいくつもの御嶽を見て歩いた。「うたき」と紹介するものもあるが、竹富島の人々は「オン」と呼び拝しているそうだ。小浜島、西表島が見える。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR f2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.6 1/800秒 6mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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10.安里クヤマの墓
安里クヤマは民謡「安里屋ユンタ」で知られる。1722年に竹富島安里屋に生まれた絶世の美女だそうだ。集落にはクヤマの生家もある。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR f2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/850秒 5mm ISO400 ) 露出補正 -0.3段
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11.テイキンザクラ
深紅のきれいな花が咲いていた。Guam島のゴルフ場にも咲いていて、マルバネルリマダラ吸蜜していた。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR f2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.6 1/160秒 8mm ISO250 ) 露出補正 -0.3段
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12.西桟橋の海
西桟橋の正面には小浜島、西表島がある。写真は西桟橋から右の方の浜を眺めたところ。石垣島が見える。竹富島では稲作が困難だったため、復帰(1972年)前までは「イタフニ」よ呼ばれる松をくりぬいた船や帆船を用いて西桟橋から対岸の西表島へ長時間かけてわたり田を耕したという。また、その間は西表島に隣接する由布島に田小屋を造り、寝泊りしたそうだ。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR f2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( f4 1/340秒 13mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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13.ショウジョウソウ
花かと思った。しかし、良く見るとオレンジ色のところは葉である。これは花粉を運んでくれる昆虫に花の在処を示すためのもので、ポリネーター(花粉媒介者)に呼びかけているのだそうだ。トウダイグサ科のショウジョウソウだ。ショウジョウソウの名前は朱色に色づいた葉を、空想上の生き物「猩猩(しょうじょう)」に例えたものという。猩猩は顔が赤いのだそうだ。クリスマスシーズンに鉢植えでよく見かけるポインセチア の仲間。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR f2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/160秒 22mm ISO320 ) 露出補正 -0.3段
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14.カイジ浜
ここカイジ浜は星の砂で有名なところで観光客は砂浜を見つめて星の砂を探している。星の砂とは有孔虫の殻だそうだ。少し、探してみたが見つけられなかった。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f5.6 1/250秒 26mm ISO200 ) 露出補正 なし
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15.自転車に乗ったお嬢さん
カイジ浜から先は牧場やらエビの養殖場があり、立ち入り禁止区域になっている。カイジ浜は竹富港のちょうど反対側(裏側)になる。ここから左へ、東に向かって、島の中心地である集落の方へ歩いた。自転車に乗ったお嬢さんたちがやってきた。カメラを向け、手を揚げたら手を振ってくれた。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f5.6 1/250秒 50mm ISO200 ) 露出補正 なし
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16.岩を捉えた木の根
集落に入ってきた。大きな岩を根で捕まえているような木があった。ガジュマルだろうか?

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f5.6 1/250秒 18mm ISO3200 ) 露出補正 なし
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17.バス停
仲筋井戸というところの傍にバス停があった。時刻表がない。バスはいつ来るのかわからない。仲筋井戸というのは、その昔、仲筋村の村建ての神である新志花重成(アラシバナカサナリ)が飼っていた犬が、干ばつにも関わらず尻尾を濡らしていたため、発見されたという言い伝えのある井戸。昔は水量豊富な井戸として尊ばれていた。正月若水、お産の産水等はこの井戸水を使用していたそうだ。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f5.6 1/400秒 34mm ISO3200 ) 露出補正 なし
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18.竹富島の住居の屋根
日本観光振興協会HPの竹富島の街並みによると、「竹富島の民家は石垣に囲まれているため軒から下の部分は目立たない。よって民家の屋根が集落景観の大切な要素となる。竹富島の場合、民家の屋根の大半は赤瓦葺である。これはこの地方の風土条件の下で発達したもので、雌瓦と雄瓦をかぶせ、漆喰で固め、強風で瓦が飛ぶことを防いでいる。瓦の赤褐色と漆喰の白色のコントラストが鮮やかである。さらに赤瓦の上には魔除けの獅子「シーサー」が置かれる。昭和62年4月28日に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定される。」と記されている。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR f2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/160秒 35mm ISO250 ) 露出補正 -0.3段
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19.清明御嶽(マイヌオン) -1
この説明板には「この御嶽には島造りの神と石垣島オモト岳の神が祀られている。最初、この御嶽の神様が竹富島を造った。その後オモト岳の神様から依頼があり、両神は協力して石垣島を造り、それから八重山の島々を造った・・・」といったことが記されている。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR f2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/160秒 6mm ISO250 ) 露出補正 -0.3段
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20.清明御嶽(マイヌオン) -2
御嶽は神聖な場所であり、鳥居から中への立ち入りは慎まなくてはならないそうだ。清明御嶽は、国仲御嶽、西塘御嶽、世持御嶽と同様に、竹富公民館が管理する村御嶽(ムラオン)のひとつであり、竹富島の氏神と氏神が招いた神がまつられる6つの御嶽、六山(ムーヤマ)とともに祭事行事の中心となる御嶽とのこと。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR f2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/160秒 6mm ISO200 ) 露出補正 -0.3段
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21.民家の石積みの塀
竹富島は、島の「農村集落」がよく保存されていることから、​1​​987​年(昭和​2​年)​4​月​8​日に、国より重要伝統的建造物群保存地区の指定を受け​た​。 指定面積は​8.3ヘクタール​となって​る​。 ​指定を受けた​島のほぼ中央部にある玻座間・東、玻座間​・西、仲筋の​3​集落は、かつての農村集落の景観をよくとどめて​るという​。​竹富島の家屋は​屋敷を強風から守るために四方を​ウックと言われる​珊瑚の石積み​​(石灰石)で囲まれている。グックの高さは約​1.5m​mで、ちょうど歩く人の目線を遮る高さに構築​、​玄関部分には強風防止と、道を歩く人の視線を遮断するためのマヤカシ(ヒンプン)​が​設置​されている​。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR f2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.6 1/340秒 11mm ISO200 ) 露出補正 -0.3段
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22.集落中心部の賑わい
昨年暮れにTVで紹介された石垣牛バーガーが楽しめるという「竹富島で会いましょう」という店で食事をしたあと、​​「なごみの塔」へ上がってみようと行ってみた。若い人たちでいっぱいだったのと、階段が急なのでてっぺんまでは上がらなかった。てっぺんと言っても4.5mだが。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR f2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/240秒 13mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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23.アイアル浜へ
誰も歩いていない道をアイアル浜へ向かう。開けたところに鳥居が見えた。あの奥に御嶽があるのだろう。神社はない。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR f2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/160秒 26mm ISO250 ) 露出補正 -0.3段
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24.アイアル浜
気温が高ければスジグロカバマダラも飛んでいるのだろうが、「蝶の道」と言われる道を20分ほど歩いてアイアル浜に着いた。誰もいない。アイアル浜は竹富島の東側にあり対岸は石垣港だ。コンドイビーチ、カイジ浜とは反対側になる。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR f2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/650秒 74mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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25.デイゴの花
立ち入り禁止区域を除いては、ほぼ竹富島を徒歩で一周した。一旦集落の方へ戻り、竹富港へと歩く。途中、THE BOOMの名曲「島唄」にうたわれるデイゴの花が咲き始めていた。逆光になり鮮やかな色が出ないのでスピードライトを使った。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR f2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/480秒 19mm ISO200 ) 露出補正 -0.3段
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26.今夜はソーキソバ
今夜は旨いソーキソバを食べようと外に出た。「島そば一番地」という店に入ったが、ちょっと活気がなかった。甘く煮込まれた ゴロッとした骨付きの豚のあばら肉が3っ4っ入っている。味は良かった。

Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/100秒 8mm ISO1600 ) 露出補正 -0.7段
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27.石垣市公設市場
写真は石垣市公設市場ではない。公設市場はこの商店街(中央通り)ともう一本向こうの商店街(銀座通り)の間にある。

Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/80秒 25mm ISO1600 ) 露出補正 -0.7段
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