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Studio YAMAKOで“小堀遠州”が含まれるブログ記事

2022年4月17日

皇居東御苑から千鳥ヶ淵へ その1 皇居東御苑 3月30日

今年は千鳥ヶ淵の桜を見に行きたいと思っていて、天気予報を見ながらこの日に行こうと決めた。
 東京駅の丸の内側駅前広場は長い間工事がされていたが、2017年12月7日に約10年かけた丸の内口の一連の再整備が完了した。行幸通りからの眺めを是非撮りたいと思い、東京駅をスタートした。平日の午前10時、行幸通りを歩く人は少なかった。
 行幸通りを行き、和田倉門交差点をさらにまっすぐ進んで桔梗門から皇居東御苑に入ろうとしたが、桔梗門は工事関係者以外一般の人は入ることが出来なかった。仕方なく内堀通り迄戻り、北へ、大手門から入ることになった。
 同心番所、百人番所から、二の丸雑木林、二の丸庭園、諏訪の茶屋を見て、梅林坂から書陵部の脇を通って北桔橋門に出た。北の丸公園へ行くにはここを出なければいけなったのだが、天守台、大奥跡を左に見て、竹林、石室、富士見多門と歩き、富士見櫓へたどり着いた。千鳥ヶ淵とはずいぶん遠くなってしまったことになる。
 結果、入苑した大手門へ戻ってきていた。係のかたに千鳥ヶ淵へ行きたいのだがと尋ねてみたところ、「北桔橋門を出て内堀通りを左に行けばよかったですね」ということで、大手門から内堀通りを左へ延々と、ジョギング中のランナーを避けながら、再び北桔橋門の前を通って、千鳥ヶ淵へ向かうことになった。
 皇居から北の丸公園を歩き、千鳥ヶ淵へ行こうと考えていたが、皇居東御苑から北の丸公園へ直接入ることは出来ないのだ。
 皇居東御苑の記述にはプレスマンユニオンの「東京とりっぷ」などを参照させていただいた。

000_220330125 X700 桃華楽堂 Z50 18-140.jpg
桃華楽堂の前に並び咲くハナモモの木 2022年3月30日 皇居東御苑

001_220330004 X800 〇東京駅行幸通り Z50 18-140.jpg 1.東京駅丸の内駅前広場
3月30日(水)午前10時に東京駅丸の内北口から、駅前広場に出た。新丸ビル側に渡り、丸ビルとの間を和田倉門に向けて伸びる行幸通りに立ち、東京駅外観を正面から眺めた。この整備が終わった東京駅丸の内駅前広場と行幸通りは 駅前広場と道路空間からなる景観[東京駅丸の内駅前広場から行幸通りに繋がる景観] として 「2018年度グッドデザイン・ベスト100」を受賞している。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 56mm ISO100 ) 露出補正 +0.7段
002_220330002 X800 東京駅行幸通り Z50 18-140.jpg 2.和田倉門交差点付近から東京駅の眺め
幅73m、延長190mの行幸通りはまっすぐ、日比谷通りの和田倉門交差点を過ぎて、さらに内堀通りまで延びる。正式名称は「東京都道404号皇居前東京停車場線」と言うそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f8 1/500秒 18mm ISO100 ) 露出補正 +0.7段
003_220330018 X800 和田倉門 Z50 18-140.jpg 3.和田倉門交差点(日比谷通り)
和田倉門交差点を渡って、内堀通りへと進む。東京駅を振り返る。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/640秒 82mm ISO100 ) 露出補正 +0.7段
004_220330023 X800 桔梗門(旧桜田門) Z50 18-140.jpg 4.桔梗濠と桔梗門
行幸通りが終わる内堀通りを渡って、お濠(桔梗濠)を右手に見る。左奥に見えるのは富士見櫓。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 35mm ISO100 ) 露出補正 +0.7段
005_220330027 X800 桔梗門(旧桜田門) Z50 18-140.jpg 5.桔梗門
内堀通りから行幸通りを背に真っすぐ進むと、桔梗門が見えた。だが、一般の人はここからは皇居東御苑に入ることは出来ない。 桔梗門 は 「桜田門外の変」で井伊直弼が暗殺された外桜田門に対して、内桜田門とも呼ばれている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 23mm ISO100 ) 露出補正 +0.7段
006_220330033 X800 大手門へ Z50 18-140.jpg 6.桜田巽櫓
「ここから一般の方はご入場できません。大手門へお廻りください」と言われ、いま来た内堀通りを戻って左へ向かった。桔梗濠の向かいにそびえる二重櫓が桜田巽櫓。ジョギングをする人が多い。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/640秒 58mm ISO100 ) 露出補正 なし
007_220330035 X800 大手門へ Z50 18-140.jpg 7.大手門 -1
すぐに大手門が見えてきた。内堀通りのサクラも満開だった。ぼやけて見えるのは桝形形式の大手門の高麗門だ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/640秒 58mm ISO100 ) 露出補正 なし
008_220330043 X800 大手門 Z50 18-140.jpg 8.大手門 -2
大手門は1607年(慶長12年)に完成した江戸城の玄関である。1620年(元和6年)の江戸城修復に際し、伊達正宗や酒井忠世らの力により現在のような高麗門と渡櫓型の櫓門で構成された桝形形式(橋を渡ってから道は鍵型に屈曲する)の城門となった江戸城の正門である。その警備は鉄砲30丁、弓10、長柄(槍)20という厳重なものだったという。現存する入り口側の高麗門は、1657年(明暦3年)の明暦の大火(振袖火事)後の1659年(万治2年)に再建されたものだそうだ。江戸時代の渡櫓門は、残念ながら昭和20年の戦災で焼失している。写真は1968年(昭和43年)に木造復元により再建された渡櫓門。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 18mm ISO100 ) 露出補正 なし
009_220330045 X800 大手門 Z50 18-140.jpg 9.鯱
枡形内に入ると、渡櫓の屋根を飾っていた鯱が展示されていた。刻印に「明暦三丁酉」とあり、1657年(明暦3年)の振袖火事で焼失した後、1659年(万治2年)に大手門が再建されたときのものと推定できるという。昭和20年の空襲で門は焼け落ちたそうだが、鯱だけが残っている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 28mm ISO125 ) 露出補正 なし
010_220330051 X800 大手門 Z50 18-140.jpg 10.同心番所
今回は大手門から皇居東御苑に入ったが、他に平川門、北桔橋門からも入れるそうだ。度重なる火災で江戸城内の建物はほとんど焼失してしまったが、富士見櫓、同心番所、百人番所が現存している。この同心番所は門の外から内に移設されてはいるが、往時の姿を今に伝えている。説明板には、番所とは警備詰所のことだが、江戸城にあった番所のうち、同心番所、百人番所と大番所の3っつが残っている。ここには同心と呼ばれる武士が詰め、登城者の監視に当たっていたとあった。同心は、江戸幕府の下級役人のひとつ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 21mm ISO125 ) 露出補正 なし
011_220330054 X800 大手門 Z50 18-140.jpg 11.中之門石垣
皇居内の石垣は特別史跡「江戸城跡」に指定されていて、「本丸中之門石垣」修復工事は平成17年8月から、平成19年3月にかけて行われた。石垣には江戸城の中でも最大級の巨石が使用され、目地(隙間・継ぎ目)がほとんどない、各段の高さを水平に揃えて積んだ整層積(布積み=ぬのづみ)の美しい石垣としている。構造上は少し弱くなるが、本丸御殿への大名の登城ルートとして、見た目の美しさが優先されている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 20mm ISO110 ) 露出補正 なし
012_220330057 X800 大手門 百人番所 Z50 18-140.jpg 12.百人番所
百人番所は、数少ない江戸時代から残る江戸城の遺構で、検問するだけでなく、幕府直轄の精鋭部隊、鉄砲百人組が有事に備えて詰めていた。警備を担当したのが、徳川家と縁故のある甲賀組、伊賀組、根来(ねごろ)組、廿五騎(にじゅうごき)組。当然のことながら昼夜交代で詰めていた。与力20人、同心100人が詰めていたが、各組の同心100人が配備されたのがその名の由来となっているそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 21mm ISO100 ) 露出補正 なし
013_220330063 X800 大手門 百人番所 Z50 18-140.jpg 13.中之門跡の石垣
百人番所の右手に中之門跡があった。中之門は、本丸の玄関となる中雀門と一体となって一つの大きな虎口(曲折して出入りする狭い通路)を作り、百人番所や大番所とともに本丸護衛として重要な役割を果たしていた。門から離れたところでは石積みの方法が違っていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 18mm ISO110 ) 露出補正 なし
014_220330081 X800 二の丸庭園 Z50 18-140.jpg 14.二の丸雑木林から二の丸庭園へ
大番所跡を見落とすことになってしまったが、中之門跡からではなく、手前の百人番所の前から北へ入った。二の丸御殿跡にある二の丸雑木林。2代将軍・徳川秀忠が死去した後の1636年(寛永13年)には二の丸御殿が建てられ、東側に庭園が配置された。現存する庭園は往時の庭園を昭和43年に復元したものだそうだ。昭和天皇の発案で、武蔵野の雑木林をできるだけ自然に近い形で復元している。手前のサクラの花を明るく撮ろうと、内臓フラッシュを発光してみたが、効果はなかった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f14 1/200秒 32mm ISO100 ) 露出補正 なし
015_220330086 X800 二の丸庭園 Z50 18-140.jpg 15.二の丸庭園
9代将軍・徳川家重時代の庭絵図面をもとに復元した池泉回遊式庭園があり、全国から集められた各都道府県の木260本も植えられている。現在の二の丸池にはコウホネ、ヒメコウホネ、ヒツジグサ、赤坂御用地の池から移したアサザが生育している。小堀遠州の作といわれる庭園の池水は、古い絵図と比べてもほぼ二の丸池と同じ場所にあるそうだ。池に関しては大名庭園時代の池泉をそのまま活用したと推測できるという。菖蒲田には昭和41年に明治神宮神苑から株を譲り受けた84品種の花菖蒲が植栽されている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 31mm ISO110 ) 露出補正 なし
016_220330095 X800 二の丸庭園 カイドウ Z50 18-140.jpg 16.諏訪の茶屋とカイドウの花
池を右手に北へ進むと、紅色の花が目についた。ツツジかなの思って近づいてみるとカイドウの花だった。諏訪の茶屋は、二の丸庭園にある風雅な茶室である。火災などで焼失後、11代将軍・徳川家斉の時に創建されている。かつては吹上御苑(西の丸西側、現在の御所などのある一帯)にあったが、昭和43年、皇居東御苑の整備の際に移築された。建物は、明治45年に再建されたが、その当時、その場所に諏訪社があったことから諏訪の茶屋という名前が付いている。茶室としての利用はできない。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/500秒 20mm ISO110 ) 露出補正 なし
017_220330101 X800 二の丸庭園 Z50 18-140.jpg 17.諏訪の茶屋
諏訪の茶屋の西側に回り込むとその入り口の木戸があった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 25mm ISO100 ) 露出補正 なし
018_220330104 X800 梅林坂 Z50 18-140.jpg 18.梅林坂の石垣
西側の道に出て天神濠を右手に、石垣のある梅林坂を上がる。梅の開花期である2月上旬頃には石垣と梅の花という絶景スポットになる。もともと、太田道灌が江戸平河城を築城した際に、領地である川越の三芳野神社から祭神である菅原道真の分霊を勧請して天満社を創建したのが始まりという歴史ある梅林だそうだ。その太田道灌が1478年(文明10年)に、菅原道真を祀った際に、梅の木100本をここに植えたのが梅林坂の始まりとか。梅林坂の下から本丸方面にかけて50本ほどの梅が植栽されているが、この梅は皇居東御苑開園に先駆けて、昭和42年に植えられたものという。50年を経て立派な梅に育っている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/500秒 94mm ISO250 ) 露出補正 なし
019_220330111 X800 北桔橋門 Z50 18-140.jpg 19.北桔橋門(きたはねばしもん)の桜
皇居書陵部の前を通って北桔橋門へ向かう道の、平川濠沿いのサクラがきれいだった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 18mm ISO100 ) 露出補正 なし
020_220330117 X800 北桔橋門 Z50 18-140.jpg 20.北桔橋門 -1
江戸城本丸の大奥、天守部分から外部に直接通じる門が北桔橋門である。門の横の内濠(平川濠・三日月濠)は防御力を高めるためにほかよりも深く、石垣は最も堅固になっている。北桔梗門の内側からその石垣と濠を見た。石垣は江戸城の城壁の中でも最も高く高さは18.5mもある。地震などの揺れにも強い自然石を積み上げる野面積み(のづらづみ)になっている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f7.1 1/500秒 20mm ISO100 ) 露出補正 なし
021_220330118 X800 北桔橋門 Z50 18-140.jpg 21.北桔橋門 -2
一旦、北桔橋門を出て、濠にかかる橋の上から北桔橋門を撮った。当時の北桔橋門は、通常は橋を跳ね上げた形で、使われることがなく、いざという時の脱出路の確保としての門となっていた。現在の門は冠木門(笠木を柱の上方に渡した屋根のない門)である。現在では大手門、平川門と同様に、宮内庁が管理する皇居東御苑(江戸城の本丸・二の丸・三の丸)の入城門となっている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 18mm ISO110 ) 露出補正 なし
022_220330124 X800 桃華楽堂 Z50 18-140.jpg 22.「桃華楽堂」とハナモモ
北桔梗門から本丸跡へ入っていくと「桃華楽堂」が見えた。「桃華楽堂」は昭和41年2月に音楽好きの香淳皇后(昭和天皇の皇后)の還暦記念として建設された200名収容の音楽ホールだ。鉄仙の花弁を形どったといわれる屋根と八面体の珍らしい建物。その西側に植えられたピンクや赤・白の花のハナモモがいま、あでやかに咲いている。名前の「桃華」の由来は、香淳皇后さまの御誕生日が3月で桃の節句に因んだ桃、華の字は十が六個と一で構成されていることから還暦(数え年61歳)を意味するということで命名されたといわれている。楽堂の建物も名前も、そして傍らに植えられたハナモモの木も、人々の目を引きつける優美な佇まいである。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/640秒 59mm ISO100 ) 露出補正 なし
023_220330131 X800 天守台 北桔橋門 Z50 18-140.jpg 23.天守台から見た北桔梗門
右手(西側)に天守台があったので上がってみる。江戸城本丸北隅にあった天守閣は、東西約41m、南北約45m、高さ11mの天守台に建てられていた。日本最高だったという高さ51mの天守を支えた江戸城天守台は黒田長政が築造を担当し、石垣は、南部、津軽の二候が築いたとされている。現在、皇居東御苑内に修復、保存され、天守台の上に登ることができる。天守台から北側に北桔梗門が見えた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/640秒 37mm ISO100 ) 露出補正 なし
024_220330136 X800 天守台 Z50 18-140.jpg 24.天守台
天守台は1606年(慶長11年)に完成し、翌年五層の天守(慶長天守閣)が大手門とともに完成している。家康時代の慶長天守台・天守閣は現在の天守台遺構の南側、富士見多聞のあたりに位置していたそうだ。1922年(元和8年)に2代将軍秀忠が本丸拡張工事を実施、さらに1637年(寛永14年)、3代将軍・徳川家光は天守台・御殿を修築し、翌年には「寛永度の天守」が完成た。現存する天守台は、その寛永期天下普請の遺構がベースになっているそうだ。1657年(明暦3年)に起こった「明暦の大火」(振り袖火事)の飛び火で本丸、二の丸、三の丸はほぼ全焼。その後、江戸城の天守は泰平の世でもあり、経済的な理由もあって再建されることはなかったのだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f9 1/500秒 22mm ISO100 ) 露出補正 なし
025_220330145 X800 天守台 Z50 18-140.jpg 25.ミツバツツジ
天守台の南側、竹林の手前にミツバツツジが咲き、その奥にシャクナゲが咲くところがあった。西桔梗門跡に近い、「手洗い所」がある辺りである。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.8 1/500秒 48mm ISO110 ) 露出補正 なし
026_220330147 X800 大奥跡 Z50 18-140.jpg 26.本丸 大奥跡
富士見櫓に向かって進む。左側に本丸、大奥跡の芝生が広がる。徳川幕府の中枢となる政庁が江戸城本丸の御殿だが、表御殿・中奥から御鈴廊下でつながっていたのが大奥だった。残念ながら、往時を偲ぶものは何も残っていないそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f9 1/500秒 24mm ISO110 ) 露出補正 なし
027_220330167 X800 富士見櫓 Z50 18-140.jpg 27.富士見櫓
石室、富士見多門を見て、富士見櫓へ出た。富士見櫓は江戸城遺構として残る唯一の三重櫓。現存する三重櫓は、1657年(明暦3年)の明暦の大火(振袖火事)での焼失後、1659年(万治2年)の再建。どの角度から見ても同じような形に見えることから、「八方正面の櫓」の別名もある。天守焼失後の「代用天守」の櫓ともいわれている。富士見櫓の上からは、その名の通り富士山をはじめ、秩父連山や筑波山、江戸湾(品川沖など)、さらには将軍は両国の花火などを眺望したのだそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 40mm ISO110 ) 露出補正 なし
028_220330172 X800 富士見櫓 Z50 18-140.jpg 28.ボケ
手入れされた絞りのボケの花がきれいに咲いていた。全く方向音痴になってしまっていて、この辺りから北の丸公園・千鳥ヶ淵へ出られるのではないかと思って歩いていたら、中之門跡に戻ってきてしまっていた。結局、一回りして入苑した大手門に戻り、これから入る人たちの手荷物検査をしていた係のかたにたずねたところ、「内堀通りを左回りに歩いて行ってください」ということになってしまった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 115mm ISO360 ) 露出補正 なし
029_220330185 X800 内堀通り 平川門 Z50 18-140.jpg 29.平川門
大手門を出て、内堀通りを左へ歩いて行くと、地下鉄の竹橋駅の近くで次の門である平川門に出た。太田道灌が江戸城を築いた15世紀には、江戸湾に面した現在の平川門周辺には、上平川村、下平川村という村があったのが平川門の名の由来という。太田道灌の時代から門が築かれていたと推測され、3代将軍・徳川家光の治世である1635年(寛永12年)、高麗門(外側の第一門)、渡櫓門(内側の第二門)を備える強固な枡形門のスタイルとなった。江戸城三の丸の正門で今も濠には木橋が架かっている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f9 1/500秒 34mm ISO110 ) 露出補正 なし
030_220330193 X800 〇内堀通り 平川門 Z50 18-140.jpg 30.平川門の木橋
平川門は現在では大手門、北桔橋門と並んで、皇居東御苑(本丸・二の丸・三の丸)の入苑口のひとつになっている。木橋が往時のように残されるのは江戸城でもここだけだそうだ。現在の木橋(全長29.7m、幅7.82m)は台湾産のヒノキ材を使って昭和63年に再建されたもの。橋台は石造り、脚桁には鉄骨が使われているが、親柱の擬宝珠(ぎぼし)には、寛永や慶長などの銘が彫られており、往時のものが使われていることがわかるそうだ。長くなってしまった。ここら先は次回に回す。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f7.1 1/500秒 18mm ISO100 ) 露出補正 なし


2021年1月11日

琵琶湖をぐるっとGo To トラベル 11月25日~27日 (10)西教寺 11/27

今回のツアー最後の名刹である西教寺に着いた。今回は、西明寺、金剛輪寺、百済寺、延暦寺、教林坊、そして西教寺と滋賀県内の6つの寺院を巡ったが、いずれも天台宗の寺院であった。
 西教寺ホームページによれば、天台真盛宗総本山 西教寺は聖徳太子が恩師である高麗の僧慧慈、慧聡のために創建したと伝えられている。その後、久しく荒廃していたが、慈恵大師良源上人が復興、念仏の道場とした。恵心僧都も入寺、修業されたところから次第に栄えるようになったという。鎌倉時代の正中2年(1325年)に入寺された恵鎮(円観)上人は、伝教大師が畢生(終生)の事業として提唱された大乗円頓戒を復興、その後百有余年を経た文明18年(1486年)に真盛上人が入寺されるに至り、堂塔と教法を再興、不断念仏の道場とした。以来全国に約400余りの末寺を有する総本山となった。
 総門を入ったところにある受付で拝観券を受けとって、後は自由に参拝ということになった。約1時間滞在という制約もあったのだが、結果として、境内を中心に歩いてしまい、本堂に上がるのを割愛し、客殿やその庭園を見逃してしまっていたは大失敗だった。本殿に上がって、重要文化財である本尊「阿弥陀如来像」をお参りして、本堂の奥にある重要文化財の客殿 (豊臣秀吉の伏見城にあった旧殿で慶長3年(2598年)に大谷刑部吉隆の母と山中山城守長俊の内室が檀越となり、寄進・移築したものと言われている。)  および、その庭園を見なかったという大失態である。これも事前の勉強不足と反省した。
 正月3日もNHK大河ドラマ「麒麟がくる」を見た。池端俊策の脚本で明智光秀の生涯を描き、主人公の明智光秀役には長谷川博己が起用されている。タイトルは仁政を行う王の元に現れるとされる伝説の動物「麒麟」が由来となっており、モチーフとしての麒麟が何者で、如何にして何れの英雄の前に現れるのかを問うていく物語だ。新型コロナ・ウィルス感染症のため、5月15日には第21回(6月7日)を以て放送は一時休止され 2021年2月7日に最終回を放送することになっている。光秀が比叡山焼き討ちの戦功で与えられた地に築いた坂本城、その延暦寺焼き討ちで焼失した後、明智光秀(1528-82)が西教寺の復興に尽力したことから、西教寺の境内には、光秀一族の墓がある。
 11月に行ったこの琵琶湖一周の旅日誌も、12月以降感染者が増加し、Go To トラベルが一時中止され、1月8日には緊急事態宣言が再び発出されることになった。ブログのタイトルに肩身の狭い思いをしている。

<img alt= 西教寺ホームページより

193.西教寺到着
西教寺の総門に着いた。 西教寺は坂本城から山手に進んだところにあり、この総門は坂本城の城門を天正年間に明智光秀が移築したものと伝えられている。春には総門から勅使門までの直線の参道の両側にサクラが咲く。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 11mm ISO640 ) 露出補正 -0.3段
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194.禅智坊の門
総門からまっすぐに進む参道の両側にはいくつかの 塔頭  があった。これは総門を入ってすぐ左にあった禅智坊である。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/320秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
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195.禅明坊
禅智坊の参道を挟んで前にある禅明坊だ。明治時代に作られた門が国登録有形文化財に登録されている。文化庁の 「文化遺産オンライン」というサイトによれば、1間1戸高麗門の形式で,親柱を上部に延ばして直接棟木を受け,軒は疎垂木,屋根は桟瓦葺とする。親柱を結ぶ内法虹梁と木鼻に施した絵様や,親柱足元の八艘飾などが,意匠の見所となっている。参道の北側の東端に位置し,参道らしい連続性を保っている。また、庭園も大きいのだが最近造られたものかもしれない。この塔頭(里坊)では「麒麟がくる」の大河ドラマ館のひとつとして、「びわ湖大津・光秀大博覧会~戦国ぶらさんぽ~」というイベントが「麒麟がくる」の最終回放映日に合わせ、2021年2月7日まで行われている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 13mm ISO400 ) 露出補正 -0.3段
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196.徳乗坊の門
参道中ほどの右側の徳乗坊がある。この門も明治時代に建てられた国登録有形文化財である。 「文化遺産オンライン」によれば、 形式は1間1戸の薬医門であるが、軒は疎垂木・木舞打で、起りのある桟瓦葺の屋根を架け、冠木を丸太状の材とするなど,数寄屋風の意匠が取り込まれており、近代和風の造形と思われる。参道の北側,實成坊と禅明坊の間に位置し,参道空間に欠かせない存在。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 13mm ISO1000 ) 露出補正 -0.3段
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197.塔頭ともみじ
ちょっと記憶が怪しいが、写真は徳乗坊の庭のもみじだったと思う。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 13mm ISO640 ) 露出補正 -0.3段
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198.實成坊の門
「文化遺産オンライン」によれば、實成坊は近世より続く西教寺の塔頭のひとつである。敷地南の門は1間1戸の薬医門で、軒が疎垂木、屋根が桟瓦葺、組物は簡素な絵様肘木であるが、妻の虹梁・大瓶束架構を見所とする。両側に続く穴太衆積の石垣と一体となって参道景観を形成している。直轄教区宿坊の看板も掛けられていた。江戸時代後期に作られた門は登録有形文化財である。庭は比較的近年作庭された枯山水と池泉式の組合せた庭園だそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 19mm ISO800 ) 露出補正 -0.3段
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199.禅林坊の門
同じく「文化遺産オンライン」によれば、木造、瓦葺、間口2.3m、1830-1867ごろに建てられた禅林坊の門で、2001年10月12日に登録有形文化財に登録されている。1間1戸薬医門の形式で、軒は疎垂木、屋根は桟瓦葺、妻飾は蟇股とする。木鼻や蟇股などの絵様細部に江戸末期らしい造形がある。北にある實成坊と対になっている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 11mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
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200.筑紫門
参道の突き当りに筑紫門があった。いつ建てられた門かネットで調べてみたが、良く分からなかった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 20mm ISO640 ) 露出補正 -0.3段
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201.筑紫門の前で
筑紫門の前で猫が寝転んで見せた。ジャリ道が暖かいのだろうか?写真を撮っていると、私の方へ寄ってきた。人懐こい。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 11mm ISO1000 ) 露出補正 -0.3段
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202.真盛学院 西教寺文庫
猫が寝そべる筑紫門の右側に通用門があり、その先に、真盛学院 西教寺文庫の研修道場が見える。 もみじは少しくすんでいた。2000年11月、宗祖・真盛(しんせい)上人が文明18年(1486年)、西教寺へ入寺して不断念仏を始めてから十八万日を迎えるため、今回の十八万日大法会の記念事業では境内の研修道場前に鉄筋コンクリート2階建ての専門書3万冊を収蔵する書庫と図書館がある「西教寺文庫」と教学を研究、講義する「真盛学院」が完成した。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 12mm ISO800 ) 露出補正 -0.3段
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203.本堂
本堂は、江戸時代、元文4年(1739年)落成した建築面積240㎡。重要文化財である。境内西寄りに東面して建つ。桁行14m梁間16m規模で、入母屋造本瓦葺とし、正面に一間向拝、背面に縋破風を付ける。浄土真宗本堂の標準的な平面構成になるが、正面広縁を外陣と一体的に扱う。三斗組を重ねる妻飾りや、向拝の龍虎の彫刻など見応えがある。内陣には重要文化財の本尊丈六の阿弥陀如来(平安時代・定朝様式)が安置されている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 12mm ISO800 ) 露出補正 -0.3段
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204.明智光秀の妻の墓 -1
奥の右側にある大きい石碑の左下の小さい墓石が、明智光秀の妻・煕子(ひろこ)の墓である。手前は松尾芭蕉の句碑だ。芭蕉没後参百年記念句碑で、「月さびよ明智が妻の咄(はなし)せむ はせ越」と明智光秀の妻煕子を詠んだ句という。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/250秒 15mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段  
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205.來迎阿弥陀如来二十五菩薩像と明智光秀と妻 煕子の墓
ちょっと外れてしまったが、一番左にあるのが妻 煕子の墓で、一番右側が明智光秀の墓だ。そして中央に並んだ菩薩像は來迎阿弥陀如来二十五菩薩といい、もともとの西教寺二十五菩薩石仏(桃山時代 天正12年 1584年、笏谷石、高さ 120cm 弥陀)は破損が著しいため西教寺屋内の書院と桃山御殿(客殿)を結ぶ、「欣浄廊」に安置されている。阿弥陀如来が二十五菩薩を従え、浄土の世界から音楽を奏でながら来迎し、念仏者を極楽浄土へ導くという。旧二十五菩薩石仏は近江国栗太郡冨田民部進が愛娘をなくし、娘が極楽往生することを願って、天正12年(1584年)3月18日に造立安置した。そして、平成16年4月に復元され法要開眼されたのが、この菩薩像群である。そして右端に見える墓石が明智光秀の墓だ。天正10年にこの世を去った明智光秀は6年前に亡くなった内室 煕子や一族の墓とともに祀られている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 12mm ISO2000 ) 露出補正 -0.3段
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206.戦国武将に仕えた人たちの墓
この西教寺には、明智一族墓所の他にも、一般墓所内に歴史上の人たちの墓所がある。墓所の入口に「戦国武将に仕えた人達の墓」と言う地図入りの説明板があった。それによると、この西教寺を開山した真盛上人の持戒と念仏の布教によって、信仰した武将や民衆が供養されているという。そろばんを広めた長谷川左兵衛藤広の墓所、豊臣秀吉の家臣で、大谷吉継とこの西教寺の檀越(檀家)となり、慶長3年(1598年)に秀吉の伏見城御殿を西教寺に移築寄進した山中山城守の墓所、また、一番墓所の高い場所には、前田利家の六女であった前田菊子墓所があった。ほかにも、出雲松平出羽守の家臣、比良太郎兵衛墓所、肥後細川越中守家臣の長岡監物一族の墓所などがある。

  SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 13mm ISO640 ) 露出補正 -0.3段
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207.墓所から琵琶湖を眺める
「戦国武将に仕えた人達の墓」から、南東の方向には宗祖大師殿の屋根越しに坂本の街と琵琶湖が眺められた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 120mm ISO640 ) 露出補正 -0.3段
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208.鐘楼
本堂の前に鐘楼があった。鐘楼の梵鐘は坂本城の陣鐘で、明智光秀が寄進したものだそうだ。平安時代に造られ、重要文化財になっている。釣鐘堂から本堂にワイヤーロープが渡ってあって、そのロープを引いて撞くという大変珍しい鐘撞きになっているというが。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 10mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
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209.正教蔵
本堂を背にして左側、鐘楼の隣に正教蔵がある。文化遺産オンラインによれば、「正教蔵は2階建の土蔵。切妻造・桟瓦葺で、西面には切妻造・起り屋根の庇を設け、蔵前とする。外壁は上部白漆喰塗、下部縦板張とし、蔵前は柱から軒裏まで漆喰で塗り込める。庇の虹梁絵様や誇張的な板蟇股など、明治初期の意匠が伺える」と記されていた。登録有形文化財  西面のは切妻造・起り屋根の庇ともみじを撮った。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 35mm ISO2000 ) 露出補正 -0.3段
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210.大本坊
本堂に向かって右側に大本坊がある。ここも大河ドラマ「麒麟がくる」に関わる展示が行われているようだった。 大本坊(庫裡)、本堂、客殿、書院の中心伽藍は、回廊で結ばれている。明智光秀は 元亀3年(1572年)から天正2年(1574年)にかけて西教寺の壇信徒と協力して仮本堂の建立を始め、同年3月には落慶の運びとなったが、その時、宇佐山城の陣屋を移築して庫裏(大本坊)も造営され、その時に梁に使用されていた材木には「天正年中明智公所造古木」と刻銘が入っていて、今も残っています。

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絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 13mm ISO800 ) 露出補正 -0.3段
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211.本堂と大本坊の渡り廊下
大本坊と本堂の間を入ってみると、本堂(左)と大本坊はこの渡り廊下でつながっていた。

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絞り優先オートで撮影 ( f11 1/200秒 13mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
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212.客殿
本堂の奥には重要文化財の客殿がつながっていた。 客殿は、豊臣秀吉の伏見城にあった旧殿で、慶長3年(1598年)に、大谷刑部吉隆の母と山中山城守長俊の内室が檀越となり、寄進・移築したものと説明されている。桁行12間、梁間8間、一重、屋根南面入母屋造り、北面切妻造り、杮葺きの建物である。質素で落ち着いた、桃山様式を伝える数少ない建物でと、パンフレットに紹介されていた。狩野派によって描かれた鶴の間、猿猴の間、厳選の間、花鳥の間の襖絵、さらに、本堂の奥、西側(山側)には小堀遠州の作庭と伝わる客殿庭園があり、庭の中央にびわ湖の形を取り入れた池が配されているという。今回は、西教寺参拝で最も見てこなくてはいけなかったこれらを見損なってしまった。他にも書院庭園( 明治時代作庭 枯山水庭園 )、裏書院庭園(平成元年に地元の庭師によって作庭された池泉鑑賞式庭園) 、大本坊庭園(江戸時代初期作庭 枯山水庭園)があり、 西教寺には 計4っの庭園がある。

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絞り優先オートで撮影 ( f11 1/200秒 25mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
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2020年12月19日

琵琶湖をぐるっとGo To トラベル 11月25日~27日 (5)西明寺 11/26

金剛輪寺を出発し、次は 西明寺へ行く。東名高速に沿うように国道307号線を約10分ほど北へ走って西明寺の駐車場に入った。西明寺も天台宗のお寺である。
 平安時代、仁明天皇の勅願により三修上人が開山したと伝えられる。戦国時代には兵火のため荒れ果ててしまったが、江戸時代中期に望月友閑によって再興された。惣門をくぐると参道が続き、山坊跡の石垣が散在しており、平安、鎌倉、室町時代を通じて祈願・修行道場として栄えたことがうかがわれる。幸い織田信長の兵火を免れ、飛騨の匠によって建立された本堂や三重塔や二天門が残されている。
 紅葉は見ごろだった。さきに訪ねた金剛輪寺より見栄えがしていたと思う。金剛輪寺の「血染めの紅葉」に勝るとも劣らない。紅葉にもまして、感動したのは苔の美しさだった。苔にもいろいろと種類がある。また、秋から冬の間、少しずつ花を咲かせ続ける「不断桜」(フダンザクラ)も見られ、天然記念物で樹齢250年という樹があった。11月が満開になるという。
 湖東三山の中で一番見ごたえがあったと思う。

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西明寺境内案内板より

82.惣門
西明寺の惣門を入る。惣門とは屋敷の外囲いにある大門、正門のことで、金剛輪寺のホームページでは総門となっていた。江戸時代、最も重要な街道筋には「惣門」が置かれていた。教林坊や金剛輪寺の境内案内図では「総門」となっていたので、どう違うのかなと思って調べてみたが、どうやら意味に違いはないようだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 16mm ISO640 ) 露出補正 -0.3段
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83.惣門の屋根とカエデの紅葉
まだ緑の残るカエデの紅葉がいききとしている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 27mm ISO400 ) 露出補正 -0.3段
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84.惣門とカエデの紅葉
惣門を抜けて紅葉を見上げ、本堂へ300mほど続く参道を上っていく。惣門は2015年に再建されたそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 27mm ISO400 ) 露出補正 -0.3段
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85.カエデの落ち葉と苔
西明寺は苔が美しいことでも有名。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 42mm ISO1250 ) 露出補正 -0.3段
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86.受付と惣門
バスガイドさんが用意してくれた入山料600円の券を見せて受付を通る。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 46mm ISO400 ) 露出補正 -0.3段
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87.もみじとすすき
境内を分断している名神高速道路の上を越えて多くの僧坊があった跡地を左右に見ながら、参道を行く。東名高速は参道の下を西明寺トンネルで抜けている。歴史自然環境の保護のため、参道の景観が損なわれないように道路は地下化された。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 41mm ISO200 ) 露出補正 -0.3段
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88.苔 -1
「苔を大切にしましょう」「苔を取らないでください」「この苔は西明寺が好きです。大事にしましょう」といった西明寺執事による立札が何か所かに立てられていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 37mm ISO1000 ) 露出補正 -0.3段
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89.苔 -2
にもいろいろな種類があるようだ。日本に自生する苔は1,700種と言われる。深い緑を敷き詰めた苔の上に落ちた赤いカエデの葉が印象的だ。

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プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 46mm ISO1250 ) 露出補正 -0.3段
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90.鮮やかなカエデの紅葉 -1
左に見える塀の中は本坊庭園「蓬莱庭」になっている。参道はまだ続くが、この辺りの紅葉は美しく、見上げながら上がっていく。

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プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 53mm ISO160 ) 露出補正 -0.3段
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91.鮮やかなカエデの紅葉 -2
紅葉はまさに見ごろであった。

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プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 21mm ISO160 ) 露出補正 -0.3段
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92.夫婦杉(千年杉)
大きな杉の木があった。樹齢約1,000年だそうだ。「西明寺の霊木で、元々二本であった木が、寄添い一つになって、ともに育っていることから夫婦杉と呼ばれる。後側から子供のように若木が出ていることから子授け、安産の霊木、樹齢千年の長寿の木であるので息災延命の霊木とされている。幹や根にそっと手を当てて、霊気をいただいてください。」 と説明されていた。そして賽銭箱が立てられていた。

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プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 9mm ISO500 ) 露出補正 -0.3段
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93.二天門
20分近く歩いて、石段の上に二天門が見えてきた。二天門は重要文化財に指定されている。 wikipediaによれば、間口 3間、奥行 2間(間は長さの単位ではなく、柱間の数を表す建築用語だそうだ)。入母屋造、杮(こけら)葺きの八脚門。部材の一つである巻斗に応永14年(1407年)の墨書があり、同年の建立とみられるという。左右に阿吽の木像が祀られ、その前にわらじがある。

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プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 12mm ISO400 ) 露出補正 -0.3段
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94.二天王立像  増長天
仁王像は 二天王立像という。滋賀県犬上郡甲良町のホームページには「西明寺二天門に持国天、増長天の2体の木像が寺を守って立っています。 元亀2年(1571年)西明寺の寺域は織田信長の兵火にかかって焼失しましたが、幸いにも寺院の中心部分である本堂と三重塔、二天門、二天王立像は難を逃れました。」と記されていた。これは向かって右側に立つ増長天だ。

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プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 18mm ISO2500 ) 露出補正 -0.3段
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95.二天王立像  持国天
向かって左側に立つのは持国天である。この仏像はいくつもの木材をつなぎ合わせた寄木造という方法で造られている。2体ともに像の高さは1.95mで、仁王像と同じように、一方は口を開き、他方は口を閉じている。正長2年(1429年)、印尋(いんじん)によって造られたもので、作者と制作年代のわかる仏像として珍しく貴重なのだそうだ。

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プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO800 ) 露出補正 -0.3段
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96.国宝 本堂
二天門を抜けると目の前に本堂があった。この本堂は瑠璃殿とも呼ばれ、建造年は鎌倉時代前期。規模は桁行七間に梁間七間で、正面に三間の向拝が付く。建造当時は桁行五間、梁間五間の五間堂であったが、後の南北朝時代に大々的に改修され、現在の七間堂になったという。屋根は一重の入母屋造で檜皮葺。正面は全面が格子の蔀戸(しとみど)になっているなど、同じく湖東三山の一つで国宝の金剛輪寺本堂と類似点が多い。内部もまた、前方3間が外陣、中ほど2間が内陣、後方2間が後陣に分かれているなど、金剛輪寺本堂と良く似た天台密教の本堂様式となっている。本堂内は撮影ご法度であった。

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プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 10mm ISO400 ) 露出補正 -0.3段
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97.本堂の周囲 -1
本堂の脇に紅葉するカエデの色は鮮やかだった。

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プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 22mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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98.本堂の周囲 -2
金剛輪寺の「血染めの紅葉」より見応えがあったと思う。

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プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 78mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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99. 本堂の周囲 -3
光が演出をしてくれる。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 20mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
201126420_099 X800 〇西明寺 RX10M4.jpg
100.国宝 三重塔
本堂の右手、建物への水の浸入を防ぐため、水はけを良くするために平地の上に石を組んだ基壇の上には三重塔がそびえている。wikipediaによれば、檜皮葺きの和様の三重塔である。様式的に鎌倉時代後期の建築とされる。総高は20.1m。逓減率が小さいことと、二重目・三重目の塔身の立ちが低いことが本塔の特色である。相輪は日本の他の木造塔では銅製とすることが多いが、本塔のそれは鉄製である。初層内部には大日如来像を安置し、心柱は初層天井裏から立つ。初層内部は須弥壇と床面を除く全面に極彩色の絵画が描かれているが、現状ではかなり剥落している。絵画の主題は、内部の4本の柱(四天柱)には両界曼荼羅のうち金剛界曼荼羅成身会(じょうじんね)の三十二菩薩(四波羅蜜菩薩、十六大菩薩、八供養菩薩、四摂菩薩)を表し、四方の扉脇の壁面には計8面に法華経曼荼羅図、法華経二十八品(章)の説話の絵画を表している。このほか、扉には八方天、須弥壇周りの長押には宝相華、牡丹、鳳凰などが描かれている。このうち柱4本と壁8枚は国宝建造物の一部であるとともに、「絵画」としても別途重要文化財に指定されているとあった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 13mm ISO800 ) 露出補正 -0.3段
201126421_100 X800 西明寺 RX10M4.jpg
101.三重塔のもみじ
三重塔は後ろから日を受けている。日に当たったカエデの葉が輝く。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 45mm ISO800 ) 露出補正 -0.3段
201126428_101 X800 西明寺 RX10M4.jpg
102.これから紅葉
まだまだこれから紅葉するカエデの葉も控えているた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 121mm ISO250 ) 露出補正 -0.3段
201126429_102 X800 〇西明寺 RX10M4.jpg
103.「不断桜」
本坊庭園「蓬莱庭」に入る。もみじを背景に桜の花が咲いている。西明寺のパンフレットには 「不断桜」は春秋冬に開花、高山性のサクラで彼岸桜の系統のフユザクラに属すると記されている。少し調べてみるとフダンザクラとは五弁の花をつけるヤマザクラ(野生種)とオオシマザクラ(野生種)の交雑種とされている。パンフレットにある「フユザクラ」というのは、別名をコバザクラ(小葉桜)といい、ヤマザクラ(野生種)とマメザクラ(野生種)の雑種と推定されているそうだ。ややこしい。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 30mm ISO400 ) 露出補正 -0.3段
201126440m_103 X800 〇西明寺 RX10M4.jpg
104.名勝本坊庭園「蓬莱庭」と「不断桜」
秋から冬にかけて開花するサクラには、フダンザクラ、フユザクラ、ジュウガツザクラ、コブクザクラなどがあるが、西明寺のフダンザクラ「不断桜」は、9月上旬から翌年4月頃まで開花するが、紅葉の11月に満開となる。現在、天然記念物に指定されているものは、樹齢250年といわれる古木である。滋賀県のホームぺージには、その樹齢250年といわれる古木は、近年,衰退が著しく、その後継木の育成が課題であった。約30年前に、母樹となる指定木から取り木がなされ、後継木の育成が試みられた結果、3本が育成に成功し、現在の指定木の東側に1本、現本坊の西庭に2本が植えられている。また、10年前には母樹となる指定木の萌芽から若木を育てることに3本が成功し、本坊庭園上段、仁王門西側平坦面、および三重塔西側斜面の3箇所において一本づつ育成されている。 これら6本の後継木は、250年前に西明寺に植えられたとされる母樹(指定木)の由来樹木と認められる。これらの6本を後継木として認定し、追加指定することによって、江戸時代より継承されるフダンザクラの保全をはかると記されていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f14 1/500秒 9mm ISO1000 ) 露出補正 -0.3段
201126443_104 X800 西明寺 RX10M4.jpg
105.名勝本坊庭園「蓬莱庭」の池
甲良町のホームぺージによれば、「江戸時代、延宝元年(1673年)、望月越中守友閑が、当山復興の記念として造られた庭園である。池の中央は折り鶴を形どった鶴島で、左が亀島である。池の水の部分は心字池となっていて、池泉回遊式である。 築山の立石群は本堂に安置している本尊薬師如来と日光・月光の菩薩及び十二神将等の眷属を表し、植木の刈り込みは雲を形どって薬師の浄瑠璃浄土を具現化したものである。本庭園は小堀遠州の作庭を参考にした造園になっており、鎌倉時代の八角石灯籠(石屋弥陀六作)や連珠模様の室町時代を偲ぶ石灯籠がある。」と記されている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 10mm ISO250 ) 露出補正 -0.3段
201126451_105 X800 西明寺 RX10M4.jpg
106.名勝本坊庭園「蓬莱庭」のもみじ
本堂の方から下りて来ると 「蓬莱庭」を通って中門を出て参道に戻る。そのあたりのカエデの紅葉もきれいだった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 16mm ISO125 ) 露出補正 -0.3段
201126454_106 X800 西明寺 RX10M4.jpg
107.苔 -3
参道からは見事な苔を見ることが出来る。どこかに「苔は西明寺のことが好きです」という看板があったが、苔の持ち帰りは禁止と言うことだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 26mm ISO2500 ) 露出補正 -0.3段
201126458_107 X800 〇西明寺 RX10M4.jpg
108.石垣
西明寺は、惣門から本坊中門までの参道の左右に石垣が築かれた僧坊跡が続くが、 穴太積  の初期の石垣が保存されている。 その石垣にはりついた1枚の紅葉したカエデの葉に風情を感じた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 27mm ISO2000 ) 露出補正 -0.3段
201126460_108 X800 西明寺 RX10M4.jpg


2020年12月11日

琵琶湖をぐるっとGo To トラベル 11月25日~27日 (3)教林坊 11/25

近江八幡散策を終え、次は紅葉の名所と言われる教林坊へ行くのだが、ライトアップされた教林坊の紅葉を見るため、早めの夕食となった。今回のツアーの案内には、「近江商人の街で近江牛の夕食」とあったので期待をしていたが、残念ながら、期待外れだった。夕食を終え、教林坊に着いたのは、すでに暗くなった6時過ぎだった。
 教林坊は近江八幡市の東側、安土町にある天台宗の仏教寺院で、推古13年(605年)に聖徳太子によって創建されたとあったが、wikipediaでは、 元は聖徳太子によって推古13年に創建された観音正寺の塔頭だったとされている。境内を真っ赤に染める紅葉の名所として、また、巨石を用いた小堀遠州 による桃山時代の庭園で知られている。パンフレットによると「教林」とは、聖徳太子が林の中で教えを説かれたことに由来し、境内には「大師の説法岩」と呼ばれる大きな岩と、本尊を祀る霊窟が残され、別名「石の寺」と呼ばれていると書かれていた。
 だが、ライトアップされた紅葉と夜間拝観という謳い文句であったが、いささか思いが遂げられなかった。薄暮であればまた違うのであろうが、暗くなってしまうと闇の中に紅葉のみライトアップされている状態であり、全体が鑑賞できない。もちろん、手持ちのカメラで撮るのも難しい。散策路は狭く、百均で売られているようなLEDの小さなライトを貸してくれるのだが歩き難い。しかも観光客が多かったので、ゆっくり鑑賞などできない。昼間にゆっくり鑑賞したかった。
 写真は良く撮れていない。言い訳になるが、見た感じより暗く、シャッタースピードも遅くなり、足場も悪く、手振れしてしまう。また、ライトが当たっているところと、そうでないところの明暗差が大きくなってしまう。

教林坊パンフレットより X485.jpg
教林坊パンフレットより

40.教林坊 総門
駐車場から暗い道をしばらく歩いて教林坊の総門に着いた。「小堀遠州名勝庭園」という木札が掛けられていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/80秒 17mm ISO3200 ) 露出補正 -0.7段
201125226_040 X800 〇教林坊 RX10M4.jpg
41.教林坊の紅葉 ライトアップ
道が狭く、後ろに人の列が続いているので、立ち止まることが出来ず、いい加減な露出設定のまま、シャッターを押してしまう。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/40秒 13mm ISO3200 ) 露出補正 なし
201125201m_041 X800 教林坊 RX10M4.jpg
42.本堂 -1
教林坊で撮った写真はほとんどが失敗作である。ブログにアップするのに、明るいところを抑えて暗いところを明るくするという画像ソフトを利用して、以下の写真に手を入れてみた。原画が旨く撮れていないので、どうやってもピリッとしない。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/20秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
201125203gy_042 X800 教林坊 RX10M4.jpg
43.本堂 -2
昼間に見るときれいだろうなと思う。  

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/60秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 -0.7段
201125205gy_043 X800  教林坊 RX10M4.JPG
44.本堂 -3
秘仏願掛け不動が秋の特別拝観時に開帳されていた。残念ながら写真には写っていない。慌ただしく進んでいるので、ターゲットが定まっていない。(画面の左に外してしまった)

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/25秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 -0.7段
201125207gy_044 X800 〇教林坊 RX10M4.jpg
45.本堂 -4  十一面観世音菩薩
本尊は巨石に囲まれた岩屋の中に祀られた聖徳太子作の石仏観音だそうで、もちろん見ることは出来ない。写真は本堂内の等身大の前立ち本尊で、両脇に仁王像を従えた十一面観世音菩薩である。 

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/25秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 -0.7段
201125208gy_045 X800 教林坊 RX10M4.jpg
46.本堂 -5
本堂の奥にある本尊霊岩、説法岩を左に見て、小堀遠州の庭園に出る。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/25秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 -0.7段
201125211gy_046 X800 教林坊 RX10M4.jpg
47.小堀遠州の庭園
紅葉はライトアップされているのだが、庭園は暗くて良く見えなかった。庭園は書院に面し、枯滝、鶴、亀ン度の巨石を用いて豪快に表現された桃山様式の庭園だそうだ。書院は特に床の間を作らず独立した付書院から見る庭園を「掛軸庭園」と呼び、室町期の初期書院の名残を感じさせるのだそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/60秒 20mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
201125213mgy_047 X800 〇教林坊 RX10M4.jpg
48.書院の縁
書院の縁に拝観の人たちが座って、ライトで照らされた庭園を眺めている。シャッタースピードは1/6秒。暗い。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/6秒 16mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段 
201125215m_048 X800 教林坊 RX10M4.jpg
49.水琴窟
江戸時代前期の茅葺屋根の書院は明るい時に見たかった。教林坊境内は広くはないが、落ち着いた雰囲気につつまれ、書院と本堂を囲むように池泉回遊式庭園となっているというが、ほんとに暗くて良く分からない。書院の脇に水琴窟があった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/8秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
201125218gy_049 X800 教林坊 RX10M4.jpg
50.竹林
パンフレットには「11月15日から12月5日にかけて夜間紅葉ライトアップを行います。2千坪の境内をうめる約3百本の紅葉とそれを取り囲む竹林のコントラストをお楽しみください」と記されていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/25秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
201125221gy_050 X800  △教林坊 RX10M4.jpg
51.紅葉 -1
カエデの紅葉は見ごろだったと思う。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/25秒 50mm ISO3200 ) 露出補正 -0.7段
201125224gy_051 X800 〇教林坊 RX10M4.jpg
52.紅葉 -2
まだ、緑の葉が残っている。このころが一番きれいなのかもしれない。小堀遠州の作と言われる池泉回遊式庭園と緑の苔、そして紅葉の美しさを眺めたかったが、夜では所詮無理であった。是非、晴れた日の昼に来てみたいと思う。小一時間教林坊で過ごし、7時に駐車場で待っていてくれたバスに乗り込む。約40分ほどで草津のホテルに到着した。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/25秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
201125225gy_052 X800 〇教林坊 RX10M4.jpg


2020年7月19日

コロナ禍の浅草 7月6日

緊急事態宣言と国民の自粛、協力、貢献が効果を発揮し、感染者数の増加も止まり、6月19日にほぼ全面的に自粛が解除された。そんな時、大学時代のクラスメートから、「土用も近いので鰻でも食べようよ」とメールが届いた。二つ返事で同意し、7月6日に3人で浅草の操業220年という老舗のうなぎ屋で会食をすることが決まった。
 夕方5時から始めることにしたので、早めに浅草に行き、少し歩いてみようと思った。梅雨時の平日の夕方ということで、普段でも観光客は少ないのかもしれないが、それにしても人出が少ないのに驚いた。「仲見世通り」も閉めている店がある。
 サクラの頃など、何回か浅草に来ているが、その頃は、もちろん大勢の参拝者、観光客が溢れていた。あまりゆっくりと、あちこち見て歩いた記憶がない。この日、ほんの30分から40分くらいだったが、コロナ禍の浅草を歩いてみた。
 6月24日から1週間ほど、東京の1日あたりの新たな感染者が50人を超えるような日が続いている。さらに7月9日、10日と東京都内の新たな感染者数は200名を超えた。急激に感染者数が増加することがないように祈るばかりだ。

1.雷門
横浜から京浜急行、都営地下鉄浅草線直通の特急電車に乗って、浅草で下りた。雷門方面の案内に従って、地上に出る。さて、雷門は何処かと探す。どうやら右手が吾妻橋で、左手の雷門通りの信号を渡ったところが雷門だ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/320秒 25mm ISO400 ) 露出補正 なし
01_200706004 X800 G7X.jpg
2.雷門から仲見世を見る
スクランブル交差点を渡って雷門の前に行く。人は本当に少ない。こんな浅草を見たことがない。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1000秒 25mm ISO400 ) 露出補正 なし
02_200706005m X800 G7X.jpg
3.雷門
立てられている説明板によれば、天慶5年(942年)、平公雅  によって創建されたのが始まりだそうだ。現在の門は慶應元年(1865年)の浅草俵町の大火で炎上した門に代わり、昭和35年に松下幸之助さんの寄進により復興した。シンボルである赤い大きな提灯には、「令和二年四月吉日」とある。2013年に5基目が新調されたあと、2020年に6基目として新調されたが、新型コロナウイルス感染症の流行に伴い、奉納式は中止された。松下電器産業株式会社 現パナソニック株式会社 創業者 松下幸之助の銘が入っている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/100秒 14mm ISO400 ) 露出補正 なし
03_200706012 X800 G7X.jpg
4. 風来神門
同じく説明板によれば、雷門は「風来神門」と呼ばれる。門の正面向かって右に「風神」、左に「雷神」を祀る。このことから「雷門(風雷神門)と呼ばれるという。ともに鬼面蓬髪、風袋を担いで天空を駆ける風神と、虎の皮の褌を締め連鼓を打つ雷神の姿はお馴染みのものだ。門の裏側には、向かって右に「金龍」、左に「天龍」の龍神像が祀られ、これら四神は、浅草寺の護法善神として、伽藍守護・天下泰平・五穀豊穣の守り神とされる。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/100秒 11mm ISO400 ) 露出補正 なし
04_200706014 X800 G7X.jpg
5.「仲見世通り」
梅雨時の平日の午後4時過ぎと言えども、何と人の少ない仲見世通りだろう。wikipediaによれば、"雷門から宝蔵門に至る長さ約250mの表参道の両側には土産物、菓子などを売る商店が立ち並び、「仲見世通り」と呼ばれている。商店は東側に54店、西側に35店を数える。"

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 32mm ISO400 ) 露出補正 なし
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6.浅草文化観光センター
はじめは、雷門と「仲見世通り」の様子を見て、今夜の会食の店である うなぎ屋「やっこ」へ行こうと思っていた。スカイツリーが見えるかと思い、雷門通りを反対側に渡ろうとしたとき、このユニークな建物が目に入った。かって、この地には、2階建の銀行の建物があり、1985年に台東区が買い取って浅草文化観光センターを開設したそうだ。その建物が築50年を過ぎ老朽化が進んだことから2008年にコンペが行われ、隈研吾の案が採用されて2012年に完成したのがこの斬新な建物である。総事業費は約16億円と言われる。  

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 11mm ISO400 ) 露出補正 なし
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7.東京スカイツリー
右手、隅田川の向こうに東京スカイツリーが見えた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/1250秒 23mm ISO400 ) 露出補正 なし
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8.車やさん
雷門の前に来ると、人力車が観光客を乗せて走り出す姿を良く見てきた。しかし、コロナ禍の今、人力車の呼び込みの姿は見えるものの客はなく、手持無沙汰のようだ。ここには「えびす屋」「時代屋」「くるま屋」といったいくつかの車やさんがあるようだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/250秒 37mm ISO400 ) 露出補正 なし
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9.「新仲見世通り」
今宵行くうなぎ屋さんは、雷門通りを西に行った田原町に近いところだ。再び、雷門通りを反対側に渡って、田原町に向かって歩き出すと「浅草中央通り」という筋があたので、誘われるように右折すると「新仲見世通り」にでた。うなぎ屋さんでの集合時間にまだ少々時間があったので、賑やかな右の方に歩いてみると、「仲見世通り」と交差した。「新仲見世通り」 は100店舗、380mに及ぶ大きな商店街で、ここは人通りも多かった。ひとことで言うと、江戸の仲見世、昭和の新仲見世だそうで、浅草最大の商店街とのこと。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/250秒 37mm ISO400 ) 露出補正 なし
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10.「仲見世通り」の裏側
そこから「仲見世通り」の裏側が見える。寺院建築風の外観を持つ店舗は、関東大震災による被災後、大正14年(1925年)に鉄筋コンクリート造で再建されたものだそうだ。浅草寺は付近の住民に境内の清掃を賦役として課すかわりに、南谷の支院の軒先に床店(小屋掛けの店)を出す許可を与えたのが貞享2年(1685年)頃のことで、これが「仲見世通り」の発祥といわれているそうだ。  

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/200秒 30mm ISO400 ) 露出補正 なし
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11.静かな「仲見世通り」
もう一度時計を見る。まだ少々余裕があるので、浅草寺さんにお参りして行こうと思う。参道である 「仲見世通り」を進む。閉じている店のシャッターの絵が良い。営業中の人形焼きの店があった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/320秒 11mm ISO400 ) 露出補正 なし
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12.「伝法院通り」
左手に 「伝法院通り」があった。伝法院は 宝蔵門の手前西側にあり、浅草寺の本坊である。小堀遠州の作と伝えられる回遊式庭園がある。通常、一般には公開していないが、特別公開されることがある。平成23年(2011年)、国の名勝に指定された。院内にある天祐庵は表千家不審庵写しの茶室で、江戸時代後期の建立。もとは名古屋にあったという。伝法院通りは延長150mほどの商店街で、片側が伝法院に面しているところからこの名が付けられたそうだ。明治の中頃、すでに商店街を形づくっていたという。それだけに商店会が生れたのは古く、大正15年とのこと。伝法院通りには街を飾る「だじゃれ看板シリーズ」など色々な装飾がある。写真で下馬の札の上に見える看板は「ねたものふうふ "にたもの夫婦"」と読み取れる。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/400秒 22mm ISO400 ) 露出補正 なし
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13.宝蔵門
「仲見世通り」がおわると宝蔵門がある。立派な門だ。入母屋造の二重門は2階建てで、外観上も屋根が上下二重になっている。現在の門は昭和39年(1964年)に再建された鉄筋コンクリート造で、実業家・大谷米太郎夫妻の寄進によって建てられたものだそうだ。かつては「仁王門」と呼ばれていたが、昭和の再建後は宝蔵門と称している。その名の通り、門の上層は文化財「元版一切経」の収蔵庫となっているという。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 12mm ISO400 ) 露出補正 なし
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14.宝蔵門と五重塔
宝蔵門の手前から、左側に五重塔が見えた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 12mm ISO400 ) 露出補正 +7段
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15、「小舟町大提灯」と「魚がし」吊り灯篭
宝蔵門の「小舟町大提灯」は、日本橋小舟町の商人からの奉納提灯だそうだ。日本橋の魚河岸信徒の心意気を示したもので、小舟町では、1659年に奉納したことに始まり、その伝統を江戸時代から現代へと連綿と受け継いできているという。前回は、江戸開府400年にあたる2003年に奉納された。現在の提灯は2014年10月に奉納され4回目の掛け替えがされたという。右側の「魚がし」吊り灯篭は、高さ 2.75m、重さ 1.000kg 銅製で、魚がし講(同一の信仰を持つ人々による結社)より昭和63年(1988年)10月、2回目の奉納掛け替えがされている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/200秒 16mm ISO400 ) 露出補正 なし
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16.宝蔵門の大わらじ
宝蔵門の背面左右には、魔除けの意味をもつ巨大なわらじが吊り下げられている。これは、宝蔵門の仁王像の作家である村岡久作が山形県村山市出身である縁から、同市の奉賛会により製作奉納されているもので、わら2,500kgを使用しているそうだ。 わらじは仁王さまのお力を表し、「この様な大きなわらじを履くものがこの寺を守っているのか」と驚いて魔が去っていくといわれている。宝蔵門のわらじは10年おきに新品が奉納されている。また、寺院の山門には一対の大わらじがかけられていることがあるが、これは仁王様が履いていたわらじを脱いで掛けてあるという建前らしいとも。一昨年、滋賀県の湖東三山を訪れたが、百済寺、西明寺、金剛輪寺の山門にもわらじがかけられていた。湖東三山はいずれも天台宗の寺院である。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/200秒 9mm ISO400 ) 露出補正 なし
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17.五重塔正面
天慶5年(942年)平公雅が塔を建立したと伝わる。この塔は三重塔であったといわれる。焼失を繰り返したのち慶安元年(1648年)に五重塔として建立された。本堂と同様、関東大震災では倒壊しなかったが昭和20年(1945年)の東京大空襲では焼失した。戦前までの塔は、今と反対側の本堂に向かって右側にあった。現在の塔は昭和48年(1973年)に再建されたもので鉄筋コンクリート造、アルミ合金瓦葺き、基壇の高さ約5メートル、塔自体の高さは約48メートルである。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 12mm ISO400 ) 露出補正 +0.7段
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18.浅草寺本堂
後先になってしまったが、wikipediaによれば、 浅草寺の山号は金龍山  。本尊は聖観世音菩薩。元は天台宗に属していたが、昭和25年(1950年)に独立し、聖観音宗の本山となった。観音菩薩を本尊とすることから「浅草観音」あるいは「浅草の観音様」と通称され、広く親しまれている。都内では、唯一の坂東三十三箇所観音霊場の札所(13番)である。江戸三十三箇所観音霊場の札所(1番)でもある。全国有数の観光地であるため、正月の初詣では毎年多数の参拝客が訪れ、参拝客数は常に全国トップ10に収まっている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 13mm ISO400 ) 露出補正 なし
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19.本堂正面
参拝者の数は少なかった。旧本堂は慶安2年(1649年)の再建で近世の大型寺院本堂の代表作として国宝(当時)に指定されていたが、昭和20年(1945年)の東京大空襲で焼失した。現在の堂は昭和33年(1958年)に再建されたもので鉄筋コンクリート造である。再建にあたっては、建設資金を捻出するために瓢箪池の敷地(2400坪)が江東楽天地などに売り払われたといわれる。掛けられている「志ん橋大提灯」は新橋の方々(花街?)からの奉納提灯で、平成16年12月に制作し寄進された。 江戸時代の浮世絵師・広重「浮絵浅草寺雷門之図」には、新橋から奉納された、「志ん橋」大提灯が描かれているという。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/250秒 9mm ISO400 ) 露出補正 なし
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20.本堂外陣と内陣
本堂の石段を上がってみると、478.5m2(145坪)の外陣があり、その向こうに、幅 12.7m・奥行 14.5m、226.9m2(68.75坪)60畳敷と内々陣黒漆塗鏡の間がある。中央に川端龍子画「龍之図」(縦6.4m・横4.9m)、左右に堂本印象画「天人之図」(縦6.4m・横4.9m)という外陣の天井画が見事だった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/40秒 9mm ISO400 ) 露出補正 なし
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21.21時の雷門
創業200年以上、勝海舟も通ったという うなぎ屋「やっこ」に着いたのは集合時間ギリギリの午後5時で、クラスメートの2人は既に座っていた。コロナ厄払いの浅草寺お参りを口実にギリギリになったことを詫びた。それから3時間以上、楽しい時間を過ごしたが、酒も美味かったし、友人が持ってきてくれた「響17年」も美味かった。白焼き、かば焼き、うざくなど、ぜいたくな酒の肴も美味しかった。結局、うな重はお土産になってしまった。8時半お開きにして、浅草駅へ歩く途中の雷門は静まりかえっていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/60秒 18mm ISO400 ) 露出補正 なし
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2018年12月18日

西明寺 11月8日 高野山、奈良・長谷寺、室生寺と滋賀・湖東三山(7)

昼食は次に訪れる西明寺のすぐ傍で「一休庵」というところが用意されていた。「近江路御膳」と称され、近江牛かどうかわからないが、すき焼き鍋と豆腐が添えられていて美味しく食べた。
 西明寺は「一休庵」のすぐ傍で、その惣門が見えるところなのだが、交通量が比較的多い国道307号を渡らねばならず、一旦バスに乗って、国道沿いにある西明寺の駐車場まで移動した。
 バスガイドさんから配られたリーフレットには、「西明寺は、平安時代の初期の承和元年(834年)、三修上人が仁明天皇の勅願により開創された古刹です。本堂や三重塔は、鎌倉時代の代表的な建造物です。国指定の名勝庭園「蓬莱庭」は、四季折々の変化が見られ、秋には境内一円のカエデが紅葉し、11月には満開となる天然記念物の「不断桜」とのコントラストをお楽しみいただけます。」と書かれていた。

143.西明寺入口
バスは西明寺の入り口である惣門のすぐ下にある駐車場に止められた。国道沿いに少し移動して、正面から惣門をくぐる。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO320 ) 露出補正 -1.0段
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144.惣門
石段を上がって、惣門を入る。西明寺のパンフレットには、総門ではなく、惣門と書かれているが、外構えの門ということで意味に違いはないようだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO320 ) 露出補正 -0.3段
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145.中門 -1
参道を進むと本坊庭園(蓬莱庭)の入り口になっている中門があった。寄り道はせず、まずは本堂へ向かうが、門から中を覗いてみると、不断桜と書かれた札が掛けられた木が柵で囲まれていた。樹齢250年余という古木で滋賀県の天然記念物だそうだ。HPには例年9月上旬に咲き始め、11月には満開となり、紅葉の時期に季節はずれの花見を楽しむことができると書かれているが、この時は 花はほとんどなかった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 14mm ISO320 ) 露出補正 -0.3段
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146.苔 -1
参道の脇の石積みに生えた苔が気持ちを落ち着かせてくれる。「苔を大切にしましょう」「苔を取らないでください」「自然を大切にしましょう 苔もそのままの姿で眺めましょう」といった立札が西明寺執事によって立てられていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 26mm ISO1250 ) 露出補正 -0.3段
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147.参道のモミジ -1
石段を登って、一息ついて眼を上げたとき、鮮やかな紅葉があった。この参道は平安時代初期に設けられた参道を、鎌倉時代に現在のように拡げられ、江戸初期、更に整備されて現在に至っているそうだ。塀の内側は本坊庭園(蓬莱庭)である。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 60mm ISO640 ) 露出補正 -1.0段
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148.参道のモミジ -2
美しい紅葉が目を慰めてくれるが、それにしても昨日、今日と石段ばかり上がっている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 60mm ISO640 ) 露出補正 -1.0段
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149.二天門 -1
やがてその美しい紅葉の向こうに二天門が見えてきた。二天門は重要文化財に指定されている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 48mm ISO500 ) 露出補正 -1.0段
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150.二天門 -2
二天門は室町時代の中期、応永14年(1407年)の建築だそうだ。正面の柱間が三間で出入口が中央一間の入母屋造りの八脚門で、柱上には二手先の組物をのせて支輪をつけ、全体は和様であるが柱下の礎盤や頭貫先に繰形つきの木鼻をつけるなど僅かに禅宗様を加えている。二天門へ登る道両側には、穴太積の初期のものともされる石垣も残っている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 30mm ISO400 ) 露出補正 -1.0段
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151.二天門 -3
ここの紅葉は、深紅から橙色、そしてまだ緑の葉も残り、そのグラデーションは見飽きない。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 30mm ISO400 ) 露出補正 -1.0段
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152.ウチワカエデの紅葉
二天門の手前に「蓬莱庭」という名勝庭園があるが、その入り口のところに、ひときわ大きな葉のカエデが紅葉していた。ウチワカエデと思う。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 12mm ISO160 ) 露出補正 -1.0段
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153.蓬莱庭 -1 二天門に向かって左側が蓬莱庭だ。西明寺のホームページによれば、蓬莱庭は江戸時代初期、延宝年間に作られた池泉観賞式の庭園で、鶴亀の「蓬莱庭」と名付けられている。鶴や亀を形どった石組みや、本堂に祀る仏像を立石群に象徴させ、山の傾斜などを巧みに生かした、調和がとれた庭園である。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 34mm ISO500 ) 露出補正 -1.0段
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154.蓬莱庭 -2
江戸時代の延宝元年(1673年)、寺院の復興にあたっていた望月友閑が復興の記念にと造った庭園で、小堀遠州の作庭を参考にした造りといわれ国の名勝庭園の指定を受けている。二天門の手前から見下ろしたところである。この写真ですべてを見ることはできないが、池の中央には折り鶴の鶴島と亀島が配されている。鎌倉時代の灯籠で「弥陀六の灯籠」と呼ばれる八角石灯籠や連珠模様の室町時代を偲ぶ石灯籠がある。庫裡南側の山の斜面を利用して築山とし、築山の立石群は本堂に安置している本尊薬師如来とその眷属(従者、家来、配下の者)を表している。また、植木の刈り込みは雲を表し全体で薬師如来の浄瑠璃浄土を表し、仏の世界が具現化されているとのこと。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 18mm ISO200 ) 露出補正 -1.0段
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155.苔 -2
天台宗の仏教寺院である西明寺が創建されたのは834年。ここで生きている苔は西明寺の歴史とともに命をつなぎ、今日では「西明寺の苔」と言われるほどの存在感がある。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO200 ) 露出補正 -1.0段
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156.二天門から -1
二天門からいま上がってきた参道を眺める。紅葉がきれいだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 39mm ISO800 ) 露出補正 -0.3段
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157.三重塔 国宝 -1
二天門をくぐると正面に本堂があり、その右側に国宝 三重塔があった。鎌倉時代後期建立である。飛騨の匠が、釘を1本も使用しないで建てた、総桧の塔である。一層には一面に巨勢派(平安時代初期から室町時代を経て、明治時代まで連なる絵師の一族)の極彩色による絵が描かれている。八天画、法華経の絵説き、八大龍王、三十二菩薩、花鳥などである。日経新聞(時の廻廊)では「 これが700年以上も残る色彩だろうか。優美さを感じさせる三重塔の扉を開けると、薄暗い照明の中にきらびやかな色の世界があった。閉じられた空間は写真で見るよりも狭く、目が慣れるにつれて極彩色が息苦しいほどに迫ってくる。」と記されている。春と秋にこの国宝三重塔内壁画特別公開期間もあるようだったが、ガイドさんから説明もなく、そのことを知らなかった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 35mm ISO800 ) 露出補正 -0.3段
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158.三重塔 国宝 -2
三重塔は本堂の右側(南側)に建っている。檜皮葺きの和様の三重塔で、様式的に鎌倉時代後期の建築とされる。総高は20.1メートル。逓減率が小さいことと、二重目・三重目の塔身の立ちが低いことがこの塔の特色であるという。相輪は鉄製である。洗練されたこの塔は、離れてみても近くから見ても美しいと言われる。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 20mm ISO640 ) 露出補正 -0.3段
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159.本堂 国宝
本堂は、建築様式から鎌倉時代前期の建立とされる。当初は方五間の仏堂であったが、南北朝時代に七間堂に拡張し、向拝も附加するという大改造を受けて、今の姿になったとされる。 正面の七間は総て蔀戸(しとみ戸、平安時代から住宅や社寺建築において使われた、格子を取り付けた板戸)、側面は礼堂部分の前三間が妻戸、後四間が白壁。中央二間が内陣、後二間が後戸。縁は礼堂の三方のみに設けられている。西明寺本堂の改造時とほぼ同時期に建立された、これから訪れる金剛輪寺本堂とこれらの造りが共通するという。本尊は薬師如来。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 13mm ISO400 ) 露出補正 -0.3段
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160.三重塔 国宝 -3
初層の縁は高欄がなく、二・三層は高欄をめぐらしている。 二軒繁垂木(軒を支える垂木が上下二段からなっている)の軒が流れるように美しく、組物は三手先(梁や桁 にかかってくる上部の荷重を集中して柱に伝える役目をもつ部材の総称で組物の一形式。大斗から肘木ひじきを三段に出して軒桁のきげたを受けるもの)というそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 14mm ISO200 ) 露出補正 -0.3段
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161.二天門から -2
二天門越しに参道を眺める。この右側が蓬莱庭だ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 20mm ISO640 ) 露出補正 -0.3段
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162.二天門から -3
二天門を出て参道を眺める。このあたりの紅葉がきれいだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 35mm ISO800 ) 露出補正 -0.3段
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163.二天門の構え 重要文化財
二天門は室町時代初期、応永14年(1407年)に建立されたもので、杮葺きの八脚門であり、正面両脇間に金剛柵を設けて増長天と持国天を祀るため二天門と呼ばれる。その胎内から正長2年(1429年)の銘札が発見され、仏師(仏像,仏画の制作に従事する人)法印院尋の作であることがわかった。表道両側石垣は、穴太積(自然石を積み上げる野面積み)の初期の石垣が保存されている。ここにも百済寺の仁王門と同じように草鞋があった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 17mm ISO2500 ) 露出補正 -0.3段
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164.二天文門見上げる
西明寺は、周囲に紅葉をめぐらすこの二天門が、撮影ポイントになる。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 18mm ISO640 ) 露出補正 -0.7段
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165.十一面観音立像
参道を下りてくると、蓬莱庭の反対側に十一面観音菩薩が見えた。この十一面観音菩薩は、頭上に十面の化仏をつけ、十種の功徳と四種の果報を授けるのだそうだ。 十一面観音の後ろには棚があり、そこには奉納された三千体あるという小さな十一面観音像が奉納されている。小観音像永代供養料は一体10,000円だそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 15mm ISO320 ) 露出補正 -0.3段
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166.中門 -2
右側に蓬莱庭の入り口である中門があった。先ほどはここから庭を眺めた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO125 ) 露出補正 -0.3段
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167.惣門へ
緩やかな石段の参道を惣門に向かって下りる。午後2時を過ぎたばかりだが、陽が傾いてきている。駐車場のバスに戻って、最後の参詣先である金剛輪寺へ移動する。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 22mm ISO500 ) 露出補正 -1.0段
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2017年12月 1日

小雨の上野恩賜公園 11月16日

私が幹事を続けている小学校のクラス会を、今回は上野恩賜公園散策後、「上野藪そば」でそばを味合う会を企画した。「上野藪そば」が予約できるのは午後3時以降ということを知って、午後1時にJR上野駅の公園口で待ち合わせ、上野公園を歩いて見ようということにしたのだ。ところが残念なことに、その頃、小雨が降り始めた。
 今回の参加者は8名、内1名は「上野藪そば」に直行するということで、7人がJR上野駅公園口に集まった。平日なのに外国人を含め、上野は人出が多い。東京国立博物館の庭園に行ってみようということになった。東京国立博物館では、9月26日から11月26日の間、興福寺中金堂再建記念特別展として、「運慶」が開催されている。これはとても混雑しているようだったが、常設展及び庭園には、混雑もなく、すぐに入ることが出来た。

1.彰義隊の墓
上野公園は何回か来ていて、そこそこ見てきているが、久しく西郷さんに会っていない。かっては上野といえば西郷さんの銅像だったが、今は静かである。集合時間まで少々間があったので、その西郷さんの銅像を探して歩いていると、この「 彰義隊の墓」があった。彰義隊戦死者の遺体は、新政府軍を憚り放置されたままであったものを、三ノ輪円通寺の仏磨和尚と寛永寺の御用商人の三河屋幸三郎が戦死者供養の官許を受けて上野山で荼毘にふし、一部を円通寺に埋葬した。正面の小墓石は、明治2年(1869)寛永寺子院の寒松院と護国院の住職が密かに付近の地中に埋納したものだが、後に堀り出されたという。大墓石は、明治14年(1881)12月に元彰義隊小川興郷(椙太)らによって造立したそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f1.8 1/1000秒 9mm ISO640 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
2.寛永寺清水観音堂 「月の松」より不忍池を眺める
清水観音堂の裏手に出た。境内に入って見る。清水観音堂は、京都東山の清水寺を模した舞台造りのお堂で、寛永8年(1631)天海大僧正により建立された。ここから眺める不忍池は、比叡山から眺める琵琶湖に見立てられている。彰義隊の上野山戦争の戦火、関東大震災、東京大空襲との避け奇跡的に残っている貴重な建物である。彰義隊上野戦争図の絵が飾られている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f2.8 1/1000秒 20mm ISO640 )露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
3.西郷隆盛銅像
なかなか、見つけられなかった。あらためて見ると、思っていたほど大きくない。<西郷隆盛の銅像は日本各地に存在するが、特に著名な3体は、東京・上野の西郷銅像、鹿児島市の西郷銅像、霧島市溝辺町・西郷公園の銅像だそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f2.2 1/1000秒 13mm ISO320 )露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
4.東京国立博物館
午後1時、参加者全員7人がJR上野駅公園口に集まった。雨が降り出している。どうしようかということになった。スタバでコーヒーでも飲むかとなったが、とてもとても混んでいて入れない。一人が「運慶」特別展は混んでいるが、東京国立博物館の常設展や庭園はすぐに入れるだろうという。東京国立博物館のチケット売り場で尋ねてみると、70歳以上であればその証明になるものを提示すれば無料で入れると案内いただいた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f1.8 1/1000秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
5.東京国立博物館の庭園
10月24日から12月3日まで、秋の庭園開放が行われている。まず、その庭園を散策することになった。ここは春草廬(しゅんそうろう)という建物。国立東京博物館のホームページよれば、江戸時代、河村瑞賢(かわむらずいけん1618~1699)が摂津淀川改修工事の際に建てた休憩所で、その後大阪や横浜三渓園に移され、昭和12年(1937)に埼玉県所沢市にある松永安左エ門(耳庵・1875~1971)の柳瀬荘内に移築された。昭和23年(1948)に柳瀬荘が当館に寄贈され、昭和34年(1959)に春草廬は現在の位置に移されたそうだ。入母屋の妻に掲げられた「春草廬」の扁額は、能書家として知られる曼殊院良尚法親王(1622~1693)の筆で、三渓が耳庵に贈ったものという。木造平屋建て、入母屋造、茅葺き、座敷は5畳と3畳からなる。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f2.2 1/1000秒 13mm ISO2500 )露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
6.転合庵(てんごうあん)
東京国立博物館HPには「小堀遠州(1579~1647)が桂宮から茶入「於大名(おだいみょう)」を賜った折、その披露のために京都伏見の六地蔵に建てた茶室です。1878年、京都・大原の寂光院に伝わっていた転合庵を、渡辺清(福岡県令、福島県知事、男爵)が譲り受け、東京麻布区霞町に移築。その後、三原繁吉(日本郵船の重役。浮世絵コレクター)へと所蔵者が変わっています。三原は茶入「於大名」も入手し、茶室転合庵とゆかりの茶入「於大名」がここで再び巡り合うこととなりました。その後、塩原又策(三共株式会社 今の第一三共の創業者)を経て、妻の塩原千代から昭和38年(1963)に茶入とともに当館に寄贈されました。」と説明されている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f1.8 1/320秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
7.応挙館(おうきょかん)
さらに奥へ進むと応挙館という建物があった。板戸が見事だ。東京国立博物館HPによると、この建物は、尾張国(現在の愛知県大治町)の天台宗寺院、明眼院(みょうげんいん)の書院として寛保2年(1742)に建てられ、後に東京品川の益田孝(鈍翁・ 1848~1938)邸内に移築、昭和8年(1933)当館に寄贈され、現在の位置に移されたそうだ。室内に描かれている墨画は、天明4年(1784)、円山応挙(1733~1795)が明眼院に眼病で滞留していた際に揮亳したものであると伝えられている。墨画は保存上の理由から収蔵庫で保管されているが、2007年、最新のデジタル画像処理技術と印刷技術を駆使した複製の障壁画が設置され、応挙揮毫当時の絵画空間が応挙館に再現されたそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f1.8 1/640秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
8.九条館(くじょうかん)
庭園の一番奥にはこの九条館があった。もと京都御所内の九条邸にあったものを東京赤坂の九条邸に移した建築で、当主の居室として使われていました。昭和9年(1934)九条家から寄贈され、現在の位置に移築されたそうだ。木造平屋建て、瓦葺き、寄棟造、間口15m、奥行き10m、2室、廻り廊下が巡らされている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f1.8 1/400秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
9.九条館(くじょうかん) 襖絵と欄間
床張付、襖などには狩野派による楼閣山水図が描かれており、欄間にはカリンの一枚板に藤花菱が透かし彫りされていまる。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f1.8 1/320秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
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10.石灯籠
あとで東京国立博物館HPをみたところ、「九条館の前に、修理を終えた「大燈籠」が実に"8年ぶり"(修理期間も含めて)に、戻ってきました!」という記述と写真があった。これがそうかと改めて撮ってきた写真をみるが、写真の石灯籠はそれとは違った。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f2.8 1/250秒 31mm ISO3200 )露出補正 なし
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11.フード・スタンド
庭園の散策を終えて、本館の方へ歩いていくと、ちょっと日本庭園には似つかわしくない屋台があった。外国人観光客には親しみがあるのだろうと思う。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f2.5 1/1000秒 16mm ISO1250 )露出補正 なし
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12.池と転合庵
本館の裏を通って、庭園に入ったところへ戻る。今歩いて見てきた転合庵が眺められる。晴れているときれいだろうと思う。春の庭園開放期間もあるようなので、また、訪れてみたいなと思った。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f2.8 1/1000秒 37mm ISO3200 )露出補正 なし
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13.東京国立博物館 本館
東洋館の前に置かれているベンチに車座になって座り、自動販売機で買った飲み物を飲みながら、しばし話が弾む。雨がかからなくて良い。そこからは紅葉した大きな木をアクセントにして、本館、そしてその左に表慶館が眺められる。​​​​wikipediaによれば、この本館は、1932年(昭和7年)着工、1937年(昭和12年)に竣工し、翌1938年開館した。設計は公募で、渡辺仁の案が採用された。明治神宮宝物殿と同様に、日本伝統の木造建築を鉄筋コンクリートに置き換えた、形と技術の和洋折衷建築となっている。鉄筋コンクリート造などの不燃式建築に和風瓦葺の屋根を載せた帝冠様式の代表的建築と紹介されることがあるという。なお、「運慶」は本館左手奥の平成館で開催されていた。​​

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f2.5 1/1000秒 15mm ISO640 )露出補正 なし
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14.東京国立博物館 表慶館
こちらは表慶館である。同じくwikipediaによれば、1909年(明治42年)、東宮皇太子嘉仁親王(のちの大正天皇)の成婚を祝う目的で開館した。設計は宮廷建築家の片山東熊(かたやまとうくま)。建物は重要文化財に指定されている。石造及び煉瓦造2階建て、ネオ・バロック様式の建物で、中央と南北両端にドームがあり、中央のドームは吹き抜け、南北のドームの下は階段室になっている。正面入口左右のライオン像は大熊氏廣の作だそうだ。本館より古い建物なのだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f2.8 1/1000秒 30mm ISO640 )露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
15.これは何?
そろそろ「上野藪そば」へ移動しようとして、東京国立博物館の正門を出て、信号を渡る。博物館に入るときは、入ることが気になっていて、素通りしてしまったが、噴水池にこんな建物があった。改めて見たが、これが何だかわからなかった。帰宅して、写真を整理していて、気になるのでネットで調べてみた。これは、平成29年11月10日(金曜日)から11月19日(日曜日)まで「TOKYO数寄フェス2017」が開催されていて、日本を代表するアーティストによる、都市型野外アートフェスの作品のひとつだということが判った。これは大巻伸嗣氏による作品で、上野公園ができる以前にその場所にあった寛永寺の山門「文殊楼」をモチーフとし、かつてそこに存在したものや時間、空間、記憶の連鎖を体感することのできる大型インスタレーションが展開されるという。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f2.5 1/1000秒 16mm ISO500 )露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。 ​​


2016年12月 9日

三渓園 紅葉の季節 (1) 11月22日

早朝、小雨の降る中、自宅から車で10分ほどのところにあるゴルフ練習場に出かけた。朝7時過ぎから打ち始めたが、そろそろ上がろうと思ったころ、日が差し始めた。この日の天気予報は晴れマークなどなかったのだが、自宅に着くころには、青空が広がり暖かくなってきた。そして朝9時過ぎには晴れ間が広がった。
 ほかに予定もないので、久しぶりに三渓園へ行ってみることにした。横浜から市営バスに乗り40分弱で三渓園入り口に着く。65歳以上の横浜市民は無料とのことで、入園口を通していただいた。
 三渓園には、5年前、新緑の2011年6月同じく12月はじめの2回訪れている。

161209_027.jpg

​  これは、園内にあった案内図を写真に撮ったものだ。この日は①の「正門」から入園し、池の縁を歩いてまず②の「鶴翔閣」を見に行ったがこの日は貸切になっていて、中に入ることができなかった。次に③の所を右に折れて、内苑の方に向かう。「御門」を抜けて「白雲邸」を右に見て進むと開けたところに出た。そこから、内苑の「臨春閣」を右手に見てさらに進み④の「旧天瑞寺寿塔覆堂」へ行くと、モミジ、イチョウが鮮やかに色づいていた。ひとしきりここで写真を撮り、「聴秋閣」を見て、⑤の「月華殿」へ登った。後戻りして⑥「海岸門」から内苑を出て外苑に入る 。「三渓記念館」の裏手まで戻って、今度は⑦の「展望台」まで登る。そこから戻って⑧「旧燈明寺三重塔」を見た。「初音茶屋」というところまできて、「待春軒」という食事処があったので蕎麦でも食べようと覗いてみたが、10月からは温かい蕎麦しかやっていないという。歩いてきて汗をかくほど暑かったのでやめにした。後で気が付いたのだが、「待春軒」の奥にあった「旧東慶寺仏殿」と「旧矢篦原(やのはら)家住宅」を見ずじまいだった。⑨の「旧燈明寺本堂」を見て、大池の東側(この案内図では下側)歩き、いったん①「正門」まで戻った。もう一度内苑へ行こうと思い、最初に歩いた大池の西側を歩いて、⑩のところへ来た。前に「月影の茶屋」という茶屋があったので、今度こそ何か食べようと席に着く。幸い冷たい蕎麦があったのでざるとビールを注文した。一休みしたあと、内苑の④のところにもう一度行った。そして午後1時過ぎに三渓園を後にした。

1.三渓園正門付近からの眺め
正門を入って道筋に導かれるままに進むと左手に大池が広がる。そして池の向こうの小高い山には三重塔が見える。三渓園を紹介するのによく使われるアングルだ。池には水鳥が浮かんでいた。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f6​.3​​​ 1/​250​秒 56mm ISO250​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
2.蓮池
右側には小さな池があって、枯れてしまったハスが密集していた。草高約1mの枯れた果托は傘のようだ。ハスは7月~8月に花が咲く。花の時期はさぞ見事だろうと思う。​

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO
プログラムオートで撮影  (​ ​f6​.3​​​ 1/​1000​秒 28mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
3.「鶴翔閣」
この日は何の集まりがあるのか貸切になっていて、建物に近づけなかった。この建物は明治35年(1902年)に建築された原富太郎(原三渓)が住まいとして建てた。延べ床面積は950㎡あるという。平成12年(2000年)に修復され現在は様々な利用に対応可能な貸し出し施設として活用されている。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f6​.3​​​ 1/​250秒 31mm ISO320​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
4.睡蓮池
蓮池の向こうには睡蓮池があった。鶴翔閣は蓮池と睡蓮池の間を右に入る。恥ずかしながらハスとスイレンとは同じものかと思っていた。ハスは水面より上で花をつけるのに対し、スイレンは根茎から直接伸びる花柄の先端に水面で直径5-10cmほどの花をつける。また、スイレンはスイレン目スイレン科で、ハスはヤマモガシ目ハス科と知った。ただロータスというのはスイレンとハスの総称だそうだ。 スイレンは種類により開花期は異なるが、早いものでは4月末から咲き始め、5月中旬頃からまとまった開花が見られ、10月末まで見ることができるとのこと。ここ三渓園の睡蓮池では5月~8月が見ごろのようだ。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f6​.3​​​ 1/​320秒 35mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
5.「御門」​​
蓮池の先を右に曲がって内苑に入る。内苑は原家が私庭として使用していたエリア。この御門は京都東山の西方寺にあった薬医門で、江戸時代の宝永5年(1708年)ごろ建てられた。大正時代にここに移築されている。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f6​.3​​​ 1/​250秒 18mm ISO640​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
6.内苑の建物
「御門」を抜けて「白雲閣」の脇を通り、「三渓記念館」には寄らずに先に進む。すると芝生の庭が広がり、内苑の建物群が眺められた。右手に見えるのが「臨春閣」だ。「臨春閣」は総面積が​158​​​​坪あり​3​棟の建物からなり、数奇屋風書院の建物である。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f6​.3​​​ 1/​320秒 18mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
7.「臨春閣」浪華の間
​​ 「臨春閣」は公開されていた。「臨春閣」は江戸時代の慶安2年に(1649年)に建てられ、大正6年(1917年)にここに移築された。入園時に手渡されたパンフレットによると、紀州徳川家初代藩主の頼宣が和歌山紀ノ川沿いに建てた数寄屋造り風書院造の別荘建築という。重要文化財に指定されている。この浪華の間の欄間は浪華十詠和歌色紙(なにわじゅうえいわかしきし)といい、大阪難波から見える景色を公家12人が詠んだものを10枚ずつ表裏にして計20枚の色紙がはめ込まれているそうだ。村野藤吾の松寿荘で写しが行われている。三間4枚引違の幅広な紙張障子のデザインは単調すぎもせず、やりすぎもせず、とてもバランスがとれていると評される。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f6​.3​​​ 1/​800秒 44mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
8.「臨春閣」襖絵
​​ 「臨春閣」の各部屋にはいたるところに狩野派の襖絵がある。襖絵等はレプリカで本物は三渓記念館で保管、展示しているとのことだった。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f6​.3​​​ 1/​250秒 98mm ISO3200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
9.「臨春閣」のひろがり
​​ 「臨春閣」には、写真には写っていないが右手前から第一屋、写真で右側に見えているのが第二屋、そして、一番左奥が第三屋と3っの棟がある。浪華の間があったのは第二屋だ。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f6​.3​​​ 1/​400秒 18mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
10.「臨春閣」の池
​​ 「臨春閣」前に小さな池がある。その池に沿って内苑の奥に向かう。「臨春閣」の第二屋が小さな池に映り、小さなナナカマドの緋色が彩を添える。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f6​.3​​​ 1/​500秒 60mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
11.「旧天瑞寺寿塔覆堂」のモミジ
​​ 「旧天瑞寺寿塔覆堂」の傍に来た。この辺りはモミジが紅葉して美しいが、これからもっと紅くなると思う。背後の大きな銀杏の木の黄色も鮮やかだ。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f6​.3​​​ 1/​500秒 60mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
12.「旧天瑞寺寿塔覆堂」の後ろ側
​​ 「旧天瑞寺寿塔覆堂」を左へ回り込むと銀杏の落ち葉が地面を覆っていた。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f6​.3​​​ 1/​250秒 18mm ISO1250​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
13.「旧天瑞寺寿塔覆堂」 まだ緑濃いモミジ -1​​
​​ そこにあったモミジの葉はまだ緑色だった。これから紅くなるのだろう。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f6​.3​​​ 1/​250秒 18mm ISO360​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
161209_013.jpg
14.「旧天瑞寺寿塔覆堂」 まだ緑濃いモミジ -2​​​​
​​ 少し位置を変えてもう1枚撮った。この「旧天瑞寺寿塔覆堂」は桃山時代の天正19年(1591年)に建てられ、明治38年(1905年)に移築された。豊臣秀吉が京都・大徳寺に母の長寿祈願のために建てさせた寿塔(生前墓)を納めるための建築だそうだ。重要文化財である。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f6​.3​​​ 1/​250秒 44mm ISO360​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
15.「聴秋閣」のモミジ -1
​​ 「聴秋閣」の近くに来た。多くはないが真っ赤に染まったモミジがあった。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f6​.3​​​ 1/​250秒 18mm ISO2500​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
16.「聴秋閣」と特別公開
​​ 「聴秋閣」は上の間、次の間、そして2畳の2階の間がある。この日は特別公開されていて、上の間からなかを見ることができた。茶人として高名な佐久間将監の作と伝えられているが、千利休の後をついで茶の湯を発展させた小堀遠州の作という説もあるという。優美で繊細である。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO
​​​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f6​.3​​​ 1/​60秒 26m ISO3200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
17.「聴秋閣」 書院
​​​​ 書院となっているところの障子が開かれ、後ろの緑が眺められた。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
​​​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f6​.3​​​ 1/​25秒 26mm ISO3200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
18.「聴秋閣」​​
​​​​ 「聴秋閣」は江戸時代の元和9年(1623年)に建てられ、ここには大正11年(1922年)に移築された。京都の二条城内にあったと言われる徳川家光、春日局ゆかりの楼閣建築だそうだ。重要文化財に指定されている。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
​​​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f4​​​ 1/​250秒 31mm ISO1400​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
19.「天授院」​​​​
​​​​ 「聴秋閣」の脇の薄暗い小さな渓谷沿いの道を上がって「天授院」に出た。モミジを撮りたかったので屋根しか映ってないが「天授院」も重要文化財で、江戸時代の慶安4年(1651年)に建てられ、大正5年(1916年)に移築されている。鎌倉・建長寺近くの心平寺跡にあった禅宗様の地蔵堂に建物だ。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​​​
​​​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f6​.3​​​ 1/​250秒 78mm ISO640​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
20.「月華殿」
「天授院」のとなりに「月華殿」がある。これも重要文化財で、江戸時代の慶長8年(1603年)に京都伏見場内に建てられたものと言われている。ここへは大正7年(1918年)に移築された。障壁画は、桃山時代の画家 海北友松によるものと伝えられます。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f4​​​ 1/​250秒 18mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
21.「月華殿」の屋根​​
「月華殿」の裏手を廻った。前夜は雨が降っていたが、今日は予想外の晴天で、暖かい陽の光が当たる屋根から湯気が上がっている。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f4​​​.5 1/​250秒 32mm ISO720​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
22.「臨春閣」​​​​
再び「臨春閣」の池のところに戻ってきた。先ほど見た第二屋の池の隅のナナカマドがひときわ緋色に輝く。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​​​
プログラムオートで撮影 (​ ​f6.3 1/​640秒 92mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
23.「亭榭」​​​​​​
「臨春閣」から「聴秋閣」へは池に流れ込む小さな川に架かる橋を渡るが、その橋を「亭榭」という.「亭榭」とはあずまやのことだ。三渓自身の設計で作らせたものだそうで、修学院離宮の千歳橋に類似した橋亭だそうだ。立派な造りのあずまやである。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​​​​​
プログラムオートで撮影 (​ ​f3.5 1/​250秒 18mm ISO800​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
24.「旧天瑞寺寿塔覆堂」 -2​​​​​​​​
「旧天瑞寺寿塔覆堂」の「亭榭」側からは、陽の光を透過するモミジが眺められた。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​​​​​​​
プログラムオートで撮影 (​ ​f8 1/​250秒 18mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
25.「蓮華院」と竹林​​​​​​​​​​
「蓮華院」は三渓の構想により大正6年(1917年)に建てられた6畳と2畳中板のある茶室という。蓮華院という名は、三溪が茶会を催した際に広間の琵琶床に、奈良東大寺三月堂の不空羂索観音が手に持っていた蓮華を飾ったことに由来していると言われる。 当初、「聴秋閣」の近くに建てられたが、 第二次世界大戦後に竹林にある茶室という構想のもとに現在の位置へ再築されたそうだ。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​​​​​​​​​
プログラムオートで撮影 (​ ​f3.5 1/​250秒 18mm ISO2000​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
26.「海岸門」​​​​​​​​​​​​
ざっとであったが内苑を見て歩き、今度は三重塔の方へ行ってみることにした。「海岸門」から内苑を出る。京都・西方寺にあったという「海岸門」は江戸時代に建てられ、ここには大正時代に移築されてきたのだそうだ。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​​​​​​​​​​​
プログラムオートで撮影 (​ ​f4.5 1/​250秒 38mm ISO220​​​​ ​) 露出補正​ なし
;クリックすると大きな写真になります。


2012年5月 4日

川根温泉と大井川鉄道 4月17日~18日 2/5 川根温泉とSL列車


 島田市の中心街から蓬莱橋へ来る途中、大井神社というのがあった。帰りに寄ってみたいと思っていた。昼食に予定している そば処「ゆくら」へ行く途中で寄ることにする。蓬莱橋からは大井川の下流に当たる。大井神社にお参りした後、お茶どころの牧之原を通って、高台にある「ゆくら」に着いた。
 昼食後、近くにある「お茶の郷」というところに立ち寄った。残念ながら博物館は休館で会ったが、その日本庭園を見ることができた。そこから473号線を大井川に沿って北上し、午後3時に川根温泉に到着した。
 今晩泊る川根温泉「ふれあいコテージ」の管理棟で「15:28のSLは来ますか?」と尋ねると、来るという。チェックインは奥がた達に任せ、SL撮影を試みた。

20.島田 大井神社
大井神社が祀られるのは、ここ島田だけではないようだ。大井川流域、またはかつて流れのおよんだ地域を中心に、40数社の大井神社が祀られているという。昔は70数社あったものが、ほかの神社と統合(合祀)されて現在の数になったのだそうだ。限られた地域に、川と同じ名前の神社がこれほど多く祀られるのは全国的にも非常に珍しい。この大井神社は、創建時期は不明であるが、日本三代実録に貞観7年(865年)の当社への正五位下の神授与の記述があることから、それ以前には成立していたとみられるという。しかし、慶長4年(1604年)の以前の所在地は、上流から漂着したなどの伝承もあって定かではなく、大井川の氾濫によって度々場所を移らざるを得なかったと考えられているそうだ。現在の島田市の市街地2箇所を経て、元禄元年(1688年)に現在地に鎮座している。写真は拝殿で、その後ろに本殿がある。手前左に見える像は、大井神社の大祭「帯祭り」の大奴・鹿島踊の姿を後世に伝えるブロンズ像。

Nikon D5000 SIGMA 17-70mm F2.8-4.5G
プログラムオートで撮影 ( F10 1/400秒 17mm ISO400 ) 露出補正 -0.3段
島田 大井神社;クリックすると大きな写真になります
21.境内社 大井天満宮と春日神社
境内には、本殿の隣に京都北野天満宮より分霊奉齊されたという学業成就の神、大井天満宮が祀られ、神牛をなでてお参りくださいとあった。学問の神様として有名だが、農耕の神様としても信仰されているという。
  その隣に春日神社というのがある。春日神社は延宝年中(1673~81年)、島田に疫病が蔓延した為、宿人が春日神社の御神霊を奉じて疫病退散を祈った。鹿島踊りはこの時に伝えられ、その後約330年に渡り島田市民の健康と幸せを願い、3年に1度の大祭に鹿島踊りを奉納してきたが、平成12年よりこの鹿島踊りを春日神社の例祭にも合わせ行なう事とし、現在にいたっているとのこと。さらに境内には静霊神社、大井恵比寿神社が祀られていた。どうなっているのか良くわからない。

Nikon D5000 SIGMA 17-70mm F2.8-4.5G
プログラムオートで撮影 ( F9 1/320秒 17mm ISO400 ) 露出補正 なし
境内社 大井天満宮と春日神社;クリックすると大きな写真になります
22.牧之原台地の茶畑
大井神社のお参りをして、少し、戻るように走り、蓬莱橋の下流にある島田大橋で大井川を渡って、富士山静岡空港の方へ進んだ。しばらく行くと広大な茶畑が広がる。そこは標高40-200mの台地で、北側から南側へかけて緩く傾斜している。米作などには向かない不毛の土地であったが、明治維新の後、無禄士族対策の為、牧之原台地に多くの士族が入植し、開拓作業が始まったそうだ。石が多く、水はけが良い赤土で弱酸性であり、気候が温暖で霜が降りることも少ないため茶の育成に向いているとのことから、茶樹を植える事が推奨されたため、現在のような茶畑が広がる日本一の製茶地帯になった。

Nikon D5000 SIGMA 17-70mm F2.8-4.5G
プログラムオートで撮影 ( F8 1/1000秒 70mm ISO400 ) 露出補正 なし
牧之原台地の茶畑;クリックすると大きな写真になります
23.そば処「ゆくら」
茶畑が広がる道を走って、午後1時少し前に、昼食をそこで食べようと友人夫妻が予約をしてくれていた、そば処「ゆくら」に着いた。四季折々の眺めが素晴らしい牧之原台地のすそ野に位置し、眼下に越すに越されぬ大井川を見下ろす景観が人気のそば処だという。庭先にはその景観を楽しみながら食事ができる縁台も設けられている。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4 1/1250秒 6.1mm ISO200 ) 露出補正 なし
そば処「ゆくら」;クリックすると大きな写真になります
24.島田市と新大井川橋
そば処「ゆくら」からの大井川の眺めは素晴らしかった。茶畑の向こうに島田市の市街が広がり、大井川を渡る旧国道1号の大井川橋、その向こうに現在の国道1号線である島田バイパスの新大井川橋が見える。

Nikon D5000 SIGMA 17-70mm F2.8-4.5G
プログラムオートで撮影 ( F6.3 1/640秒 70mm ISO400 ) 露出補正 なし
島田市と新大井川橋;クリックすると大きな写真になります
25.お茶の郷
昼食を済ませ、まだ、時間に余裕もあるので、近くにある「お茶の郷博物館」へ行って見ることにした。これも友人の御主人が調べてきてくれていた。しかし、残念ながら博物館は休館だった。売店と併設の日本庭園を見てきた。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F2.8 1/60秒 6.1mm ISO200 ) 露出補正 -0.3段
お茶の郷;クリックすると大きな写真になります
26.お茶の郷 小堀遠州の庭園と建築
小堀遠州(1579~1647)は、近江小室藩主(1万2千石)で、千利休、古田織部に続く江戸 時代初期の大名茶人として知られている。しかし、彼の業績は茶の湯の世界に とどまるものではなく、江戸幕府の作事奉行として、京都御所や駿府城をはじめとする江戸幕府の関わる主だった建築工事作業奉行を勤めて活躍した。ここの庭園は、江戸幕府が小堀遠州に作事奉行を命じて造らせた、寛永6年(1629)に退位した後水尾院(ごみずのおいん)の院御所である仙洞御所の回遊式庭園である東庭を造園当時のまま復元したのもので、王朝貴族の文化に憧れた小堀遠州侯の庭園造りの特徴がよく表れているという。

Nikon D5000 SIGMA 17-70mm F2.8-4.5G
プログラムオートで撮影 ( F9 1/320秒 26mm ISO400 ) 露出補正 なし
お茶の郷 小堀遠州の庭園と建築;クリックすると大きな写真になります
27.大井川鉄橋
ごご3時少し前に川根温泉に着いた。今日泊るところは、川湯温泉「ふれあいの泉」という温泉施設に併設された「ふれあいコテージ」である。「ふれあいコテージ」でチェックインの合間に、15時28分のSL列車は、運行されているかどうか問うたところ「はい」という返事。撮ろうと思ったが、どこが撮影ポイントとして良いところなのか解からない。大井川に架かる鉄橋が良いが、今度のSL列車は「上り」なので、ここでは顔が向こうを向いてしまう。対岸へ行くのは難しい。

Nikon D5000 SIGMA 17-70mm F2.8-4.5G
プログラムオートで撮影 ( F8 1/250秒 55mm ISO400 ) 露出補正 なし
大井川鉄橋;クリックすると大きな写真になります
28.SL列車
そうこうするうちに汽笛の音と、ドラフト音が聞こえてきた。川根温泉の駐車場の脇を線路が走る。出来るだけ橋の近くでとらえて、通過した後は、さっきの鉄橋で後姿を撮ろうと考えた。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4.5 1/200秒 30.5mm ISO200 ) 露出補正 -0.3段
SL列車;クリックすると大きな写真になります
29.C10が牽くSL列車
D5000の連写は、4コマ・秒ともどかしいが、コンティニュアスAFにして、連写で撮る。C10は都市近郊旅客列車用として1930年(昭和5年)に製造された。このC108は昭和5年、川崎車両製造。 大井川蒸機陣の中では最長老、昭和一桁の生まれである。70才になるが、まだまだ元気だ。昭和37年、会津若松を最後に国鉄を引退、岩手県宮古市のサラ工業という会社で貨物の入れ替えに従事、昭和62年からは宮古市に譲渡され平成2年まで観光用として活躍の後、平66年に大井川へやって来た。本機は動態静態を問わず、形を止める唯一のC10として貴重な存在である。

Nikon D5000 SIGMA 17-70mm F2.8-4.5G
プログラムオートで撮影 ( F4.5 1/250秒 70mm ISO400 ) 露出補正 なし
C10が牽くSL列車;クリックすると大きな写真になります
30.旧型客車
連写7コマ目、私の前を通過するとき、SLはボーと汽笛を鳴らし、蒸気を吐いてくれた。SLもさることながら、旧型客車も懐かしい。機関車のすぐ後ろが スハフ42304 昭和29年、日本車輌(名古屋)の製造。昭和58年に盛岡で廃車後、平成4年に大井川鉄道にきた。その後ろが オハ47398 昭和29年、川崎車輌製造の旧スハ43398、山陰本線、倉吉線等で使用された後、昭和62年から大井川入りした。

Nikon D5000 SIGMA 17-70mm F2.8-4.5G
プログラムオートで撮影 ( F4.8 1/320秒 70mm ISO400 ) 露出補正 なし
旧型客車;クリックすると大きな写真になります
31.笹間渡-抜里 間の鉄橋を渡るSL列車「かわね路2号」金谷行き
さきほどの撮影場所から走って鉄橋の見えるところに移動した。後ろ向きだと迫力がない。河原にいた2人連れもSLを見ていた。

Nikon D5000 SIGMA 17-70mm F2.8-4.5G
プログラムオートで撮影 ( F5.6 1/500秒 70mm ISO400 ) 露出補正 なし
笹間渡-抜里 間の鉄橋を渡るSL列車「かわね路2号」金谷行き;クリックすると大きな写真になります
32.後押しする電気機関車
あれ!列車の最後部に電気機関車が付いている。これはSLのパワー不足を補うためのバックアップなのだろうか。この電気機関車は1956年日立製作所製造で、1999年の住友大阪セメント伊吹工場専用側線廃止後、大井川鉄道へと来た。社紋こそ外されはしたものの、現在でも 「いぶき501」の愛称のまま活躍を続けている。

Nikon D5000 SIGMA 17-70mm F2.8-4.5G
プログラムオートで撮影 ( F5.6 1/500秒 70mm ISO400 ) 露出補正 なし
後押しする電気機関車;クリックすると大きな写真になります