隠居の読書:松田道雄の「京の町かどから」「花洛」
先日読んだ「梅棹忠夫の京都案内」に、帰化京都人として紹介されている、小児科医であった松田道雄の「京の町かどから」と「花洛」を読んだ。最近は、このように一冊の本からハイパーリンク的にいきあたる他の本を読む傾向が強くなった。ネット時代の習性なんだろうか。
両方の本とも、Amazon で検索すると新本はなく、中古本市場(Amazon マーケットプレース)にあった。岩波新書の「花洛」はなんと 1円からある。どの程度痛んだ本なのかの興味あって取り寄せてみた。
諫早市の「たんぽぽ書店」というところから、丁寧な包装で送られてきた。郵送料は340円である。包装袋の裏に、ゴム印で「このパッケージは『つくし作業所』で段ボール箱や古紙を再利用してつくりました。」とある。『つくし作業所』とは、知的障害者通所施設のようだ。少しでも役に立っているのだろうか。
筑摩書房の単行本「京の町かどから」は、1971年の第4刷(¥520 )の中古本が¥477であったが、同じように丁寧な包装で送られてきた。
この本は、1961年に「朝日ジャーナル」に連載したものを一冊の本にまとめたものらしい。1961年といえば、私がちょうど二十歳のときである。そのようなときに、このような本を読んでおれば、ちゃらんぽらんな学生生活を少しは変える気になったかもしれない。今更悔やんでみてもしかたがないが。
松田道雄さんは1908年生まれだから、多感な時代を大正時代( 1912 - 1926) に過ごしたことになる。このころの京都のインテリゲンチャは、一般的に左偏りの思想を持っていたと思われる。松田さんは、このようなインテリゲンチャに囲まれて育っているので、かなり左よりの医学生だったようだ。ただ、父も誠実な小児科医で、今の中京区手洗水町(四条烏丸から少し北に上がったところのようだ)で開業していたから、町衆との交わりも多い。この2冊の本には、そのあたりが克明に描写されている。
茨城県の水海道で生まれで、両親とも東国育ちの文化の中で京都に育ち京都の文化人となった。そのあたりについて、松田さんは「京の町かどから」のあとがきに次のように書かれている。
『京の町かどから』は私の著書で、おそらくもっとも多様な読者をえた本であろう。大正時代の京都をえがきえたためか、その頃を知っていられる京都の年配の方から思わぬ共感をいただいた。ことに京都を遠くはなれていられる方の郷愁を何ほどかそそったようであった。
(中略)
私自身もこの本にすてがたいものを感じている。幼年期への感傷もあり、過去への低回もありはするが、私の精神の遍歴のなかで、土着的なものとは何かをときあかしていくひとつの転機をなした。
文化の古い層を残している点で京都はうってつけの風土であった。この古い京の町のなかで、東国からやってきた子どもが、西欧的な思想の洗礼をうけてそだつことほど、京都と断絶したものはなかった。この断絶を半世紀の年月をかけてうめていく過程が、ほかならぬ土着化であった。
土着ということばは、一部の学者からはあまり好まれないようであるが、それは肌の色が黄いろいとか白いとかいうのとおなじに、人間の宿命である。肌が黄いろいのに、白いかのようにふるまうのは不自然であるというのが私のいまの考えである。
(中略)
私自身もこの本にすてがたいものを感じている。幼年期への感傷もあり、過去への低回もありはするが、私の精神の遍歴のなかで、土着的なものとは何かをときあかしていくひとつの転機をなした。
文化の古い層を残している点で京都はうってつけの風土であった。この古い京の町のなかで、東国からやってきた子どもが、西欧的な思想の洗礼をうけてそだつことほど、京都と断絶したものはなかった。この断絶を半世紀の年月をかけてうめていく過程が、ほかならぬ土着化であった。
土着ということばは、一部の学者からはあまり好まれないようであるが、それは肌の色が黄いろいとか白いとかいうのとおなじに、人間の宿命である。肌が黄いろいのに、白いかのようにふるまうのは不自然であるというのが私のいまの考えである。
松田さんといい、梅棹さんといい、京都で育ち生活した人は、どうも京都からは離れられないらしい。『京の町かどから』の口絵の説明文(下のカラムと左の写真)は、そうした想いが溢れている。京都はどうも特別な町らしい。日本に来て 40年近くなり最近になって日本に帰化したビル・トッテンは、京都が好きで京都に住んでいる。京都のインテリゲンチャとは全くことなる思想の持ち主であるが、やっぱり京都がいいようである。
ながい召集から解放されて、京都駅に近づく列車のデッキから東寺の塔をみた時の感動を忘れない。とうとう京都へ帰ってきた。京都はここにある。京都は昔のままにある。
爆撃で焼けただれたいくつもの町をみてきた目には、京都の遠景は奇跡のようだった。
京都とは一たいなんだろう。
私の喜び、私の誇り、それらはすべてこの町とともにあった。京都、それは、私の過去だ。
幸いに失わずにもって帰った生命を、私は、私の過去に接続することができる。
京都ほ過去であるとともに未来である。東寺の塔は、私の回生の象徴であった。
それから十何年かがたった。
私は今また東寺の塔に向かって立っている。団地住宅の屋上で立ち並ぶテレビのアンテナを通して東寺の塔をみている。
そしてもう一度私は問う。京都の美しさとは一たいなんだろう。
それは京都が愛されているということだ。あの戦火をこえて京都が残っているのは、京都が敵からも愛されたということだ。
京都とは愛の奇跡だ。
団地のこどもたちよ、君らは東寺の塔を朝夕みながら誇るべき過去をつくりつつあることだろう。二十一世紀のある日、東寺の塔に愛の奇跡をみるために。
爆撃で焼けただれたいくつもの町をみてきた目には、京都の遠景は奇跡のようだった。
京都とは一たいなんだろう。
私の喜び、私の誇り、それらはすべてこの町とともにあった。京都、それは、私の過去だ。
幸いに失わずにもって帰った生命を、私は、私の過去に接続することができる。
京都ほ過去であるとともに未来である。東寺の塔は、私の回生の象徴であった。
それから十何年かがたった。
私は今また東寺の塔に向かって立っている。団地住宅の屋上で立ち並ぶテレビのアンテナを通して東寺の塔をみている。
そしてもう一度私は問う。京都の美しさとは一たいなんだろう。
それは京都が愛されているということだ。あの戦火をこえて京都が残っているのは、京都が敵からも愛されたということだ。
京都とは愛の奇跡だ。
団地のこどもたちよ、君らは東寺の塔を朝夕みながら誇るべき過去をつくりつつあることだろう。二十一世紀のある日、東寺の塔に愛の奇跡をみるために。
花洛―京都追憶 (1975年) (岩波新書)
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松田 道雄
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