晩冬の仁和寺
娘から頼まれたシューズラックを届けた午後、ようやく空も春めいてきたので仁和寺に行ってみることにした。仁和寺といえば、「徒然草」と御室の桜がすぐに思い浮かぶが、この時期広い境内で見た花は書院の庭に咲くピンク色の小さな梅と宸殿の北庭に配された馬酔木の白い花だけであった。
双岡を背景とするこの寺は、真言宗御室派総本山というだけあって非常に広大である。中門から金堂への参詣道の左側には、京都で最も晩く咲くという背の低い御室桜がぎっしりと植わっている。蕾はまだまだ固いが、4月の終わりにはきっと素晴らしい花見ができるにちがいない。昨年は醍醐寺に行ったが、今年はもう一度ここを訪ねてみたいものだ。
拝観に一人500円とられる「仁和寺御殿」は、宸殿・黒書院・白書院の広い縁で巡っていく。午後の暖かな日差しを浴びて、広い縁に座り込むと心が癒されるようだ。いつの季節でもいいようにつくってあるんですね。拝観券の裏に、仁和寺御殿について以下のような案内がある。
京都・奈良私的観光地図に掲載
双岡を背景とするこの寺は、真言宗御室派総本山というだけあって非常に広大である。中門から金堂への参詣道の左側には、京都で最も晩く咲くという背の低い御室桜がぎっしりと植わっている。蕾はまだまだ固いが、4月の終わりにはきっと素晴らしい花見ができるにちがいない。昨年は醍醐寺に行ったが、今年はもう一度ここを訪ねてみたいものだ。
拝観に一人500円とられる「仁和寺御殿」は、宸殿・黒書院・白書院の広い縁で巡っていく。午後の暖かな日差しを浴びて、広い縁に座り込むと心が癒されるようだ。いつの季節でもいいようにつくってあるんですね。拝観券の裏に、仁和寺御殿について以下のような案内がある。
御殿と呼ばれれているところで、宸殿を中心にして、左側に白書院・黒書院があり、北に池泉の北庭と、南に白砂と杉松の簡素な枯山水の南庭がある。左近の桜、右近の橘も植えられている。仁和寺再興の際(江戸初期)、京都御所の常御殿(おつねごでん)を移築したものであったが、明治20年(1887)火災のため焼失した。その後、明治から大正期にかけて、当時の最高の材と技術をもって建築された。
京都・奈良私的観光地図に掲載
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