高野山と京都 5/21~24 3泊4日 京都で撮った蝶
今回は、蝶の写真を撮るのは全く期待しておらず、チャンスがあればという程度に思っていた。
高野山では、コミスジ1頭を除いては、蝶を見ることはなかった。
京都では、ごく普通の蝶だけだったが、訪れた平等院や東福寺、梅小路公園で元気に飛び回る蝶がいた。蝶を見るとやはり撮りたくなる。京都の古寺を背景に入れて撮ったり、蒸気機関車を背景にして撮りたいと思ったが、そうはなかなかうまくいかなかった。
YAMAKOの写真集です。蝶の写真を中心に、旅行したときに撮って気に入った写真を簡単なメッセージとともに掲載しています。
2014年6月29日
2014年6月27日
113.京料理「藤本」 少々わかり難いところにあった。周りも普通の住宅や商店が並ぶ。目立たない。さすが、京都の風情である。京懐石の味も良かった。食後に何種類かのデザートを見せに来てくれた。その中の一つを選ぶのかと思ったら、好きなだけとってよいとのことだった。なんという太っ腹なことか。
FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F3.2 1/160秒 7.0mm ISO400 ) 露出補正 なし | |
114.金福寺 娘の発案で詩仙堂へ行く前に金福寺を拝観することにした。三条からタクシーで行くと、白川通りを詩仙堂に入る手前を、東の山のほうに行ったところにあった。観光客は多くない。この寺は松尾芭蕉と与謝蕪村にゆかりのある俳句の聖地として、また、舟橋聖一の歴史小説「花の生涯」などのヒロイン村山たか女の終焉の寺として知られているとのこと。
FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F3.2 1/160秒 7.3mm ISO160 ) 露出補正 なし | |
115.金福寺本堂と庭 入口の階段を上がったところで、拝観料を支払い、右へ。それほど大きくない本堂と小さな枯山水の庭と裏山とからなる寺の佇まいは、村山たか女が余生を過ごした場所とのこと。私は「花の生涯」を読んでいないので、思い起こすことはできない。
FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F3.2 1/680秒 6.0mm ISO400 ) 露出補正 なし | |
116.芭蕉庵 元禄の昔、松尾芭蕉はこの金福寺を訪れ、草庵で閑居していた住職鉄舟和尚を訪れ、語り合い親交を深めたという。和尚はそれまで名前のなかったその庵を芭蕉庵と名づけた。85年ほど後に、与謝蕪村が金福寺を訪れ、荒廃していたその庵を再興したと伝えられる。
FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F2.8 1/680秒 4.4mm ISO400 ) 露出補正 なし | |
117.京都の街を眺める 金福寺は高台にあり、背後は大文字焼きで有名な東山である。これは西の方向で、京都御所や二条城の方角だ。
FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F8.0 1/1000秒 14.4mm ISO400 ) 露出補正 なし | |
118.くぐり門 金福寺を後にする。振り返ると、芭蕉庵と書かれたくぐり門に風情があった。
FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F3.6 1/160秒 10.7mm ISO250 ) 露出補正 なし | |
119.詩仙堂 金福寺から詩仙堂までは歩いてすぐの距離だった。日中の日差しは強く、歩くと汗をかいたが、やがて詩仙堂の小有洞(しょうゆうどう)と書かれた間口の狭い入口があった。上へ上がる石造りの階段に人影が無くなるのを待ったが、さすがに次から次と歩く人が絶えなかった。
FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F2.8 1/160秒 4.4mm ISO125 ) 露出補正 なし | |
120.老梅関(ろうばいかん) 小有洞から石造りの階段を上っていくと老梅関という門があり、それをくぐって読書室である建物、詩仙の間がある。詩仙堂は江戸時代初期の文人石川丈山の山荘跡であり、そして現在は曹洞宗大本山永平寺の末寺で丈山寺ともいうそうだ。これはその入り口から老梅関を振り帰ったところだ。
FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F3.2 1/680秒 6.8mm ISO400 ) 露出補正 なし | |
121.詩仙の間と至楽巣(しらくそう) 詩仙の間では多くの観光客が座敷に座り庭を眺めている。ここは座らないで庭に出る。
FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F4.0 1/480秒 12.4mm ISO400 ) 露出補正 なし | |
122.ミヤコワスレ 庭の奥へと続く小道にミヤコワスレの花が咲いていた。
FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F3.6 1/60秒 7.9mm ISO400 ) 露出補正 なし | |
123.残月軒 百花を配したという百花塢(ひゃっかのう)という庭園の向こうには残月軒という建物があった。
FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F3.2 1/170秒 6.0mm ISO200 ) 露出補正 なし | |
124.小有洞 最後に詩仙の間の畳に座り、ここから庭を眺めてみた。俗人にはあまり感動はない。詩仙堂の拝観を終え、再び石の階段を下りて小有洞に戻った。詩仙堂をちょっと上がったところに、宮本武蔵開悟(さとり)の地で、決闘した当時の一乗寺下がり松の古木や、若き日の宮本武蔵像があるというが、訪ねてみるのは割愛した。
FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F2.8 1/160秒 4.4mm ISO200 ) 露出補正 なし | |
125.宮本・吉岡決闘の地 一乗寺下がり松 詩仙堂から白川通のほうへ下ってくると、剣客宮本武蔵が吉岡一門数十名と決闘を行った地として有名な一乗寺下がり松があった。立てられていた札を見ると、現在の松は4代目だそうだ。先ほどの八木神社の境内に保存されているのは初代の松の古株だそうだ。平安中期から中世にかけこのあたりにあった一乗寺という天台宗の寺が地名の由来となったが、南北朝の動乱以降に衰退して廃絶した言われる。このあと、再度ホテルに戻る。白川通で市バスに乗ってみた。この日は土曜日だったので、二条城の近くの運動公園から、大勢の人たちが乗り、バスは混み合った。京都駅行きのバスだったが、四条烏丸で下りるのが一苦労だった。ホテルで荷物を受け取り、タクシーで京都駅に向かう。新幹線の指定券も無事取れて、楽しかった3泊4日の旅も終わりに近づいた。
FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F4.0 1/950秒 5.9mm ISO100 ) 露出補正 なし |
2014年6月24日
98.東本願寺御影堂 ホテルの前から京都市営地下鉄に乗って五条駅で下車し、京都駅へ向かって歩く。御影堂門を通り過ぎて、阿弥陀堂門から入る。門を入って正面の阿弥陀堂は改修中だった。御本尊は御影堂内の仮阿弥陀堂にて御安置されている。改修は2016年春ごろまでかかるとのこと。改修中の阿弥陀堂も大きいがこの御影堂もまた大きい。一方この御影堂も2011年に親鸞聖人750回忌を迎えることから、その特別記念事業として修復工事が実施された。修復工事期間中は、修復作業を安全かつ効率的に進めるために、現在の阿弥陀堂と同じように、御影堂全体を高さ49m(最高高さ51m)の仮設の屋根ですっぽりと覆われていたという。「真宗本廟御影堂修復竣工式」は2009年8月3日に行われている。
FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F4.0 1/350秒 13.3mm ISO400 ) 露出補正 なし | |
99.東本願寺阿弥陀堂の巴瓦 工事中の大きな素屋根がかかった阿弥陀堂の中も覗いてみた。何が行われているのかよくわからない。鐘楼もみてみた。そのわきに東本願寺阿弥陀堂のものと思われるたくさんの巴瓦が保管されていた。
FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F5.0 1/850秒 25.0mm ISO400 ) 露出補正 なし | |
100.梅小路蒸気機関車館へ 大雑把に東本願寺を拝観して、タクシーに乗って、梅小路蒸気機関車館へ急いだ。現存する日本最古の和風木造駅舎である旧二条駅舎が1997年にここに資料展示館およびエントランスとして移築されている。開場時間の10時少し過ぎに到着した。
FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F4.0 1/800秒 11.1mm ISO400 ) 露出補正 なし | |
101.扇形車庫に並ぶ蒸気機関車たち 旧二条駅舎に展示された資料は後で見るとして、そのまま、蒸気機関車が展示車両として並んでいる扇形車庫に入る。
FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F3.6 1/60秒 11.1mm ISO400 ) 露出補正 なし | |
102.扇形車庫 扇形車庫には20線の引き込み線がある。ターン・テーブルの向こう側に出て、扇形車庫を見る。
FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F4.0 1/800秒 4.4mm ISO100 ) 露出補正 なし | |
103.操車場 梅小路蒸気機関車館は操車場跡に造られている。東海道本線側の操車場には現在も在来線の列車が入構している。
FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F4.5 1/680秒 23.3mm ISO100 ) 露出補正 なし | |
104.特急「つばめ」を牽いた蒸気機関車 鉄道ファンならだれでもが憧れれたC622。東海道本線の特急「つばめ」、北海道函館本線の急行「ニセコ」を牽引したことで有名である。走行距離は259万キロになるという。C62形は1948年から1949年の間に49両が製造された。貨物用のD52のボイラーを流用して作られた、最大の旅客用蒸気機関車だ。中学生のころも、東京から大阪へ行ったことがあるが、その時は「つばめ」には乗れず、臨時特急の「さくら」だったと思う。東海道線が全線電化されたのは、1956年だが、その時は東京から浜松まで電化されていた。
FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F5.0 1/500秒 39.3mm ISO400 ) 露出補正 なし | |
105.C612 C62の隣にC61が置かれていた。C62と比較すると少し小さい。C62はD52のボイラーを流用したが、C61はD51のボイラーが流用された。1947年から1949年の間に33両が製造されている。このC611は257万キロ走行しているそうだ。C622とともに動態保存されている。
FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F5.6 1/900秒 36.0mm ISO400 ) 露出補正 なし | |
106.C581 このC58形1号機は、1980年6月に横浜で蒸気機関車120周年記念号を牽引したり、1980年から1984年はSL「やまぐち号」を牽引している。 長年の運用によりボイラーが不調となり、現在は車籍が抹消され御召仕様に装飾されて静かに休んでいる。
FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F3.6 1/38秒 8.8mm ISO400 ) 露出補正 なし | |
107.SLスチーム号 スチーム号とは何とも味気ない名称だが、1日3回、館内展示運転線の往復1kmを約10分間、来館者を乗せて蒸気機関車の旅の気分を満喫させてくれるという趣向だ。この日の第1回目(11時発)の準備が始まった。
FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F5.6 1/340秒 42.3mm ISO200 ) 露出補正 なし | |
108.SLスチーム号の発進 この日は8620形の8630が牽引する。期間によってC62形、C61形、D51形、8620形が順番にSLスチーム号として運転されているそうだ。どうせならC62の牽引がいい。バックで出て行った。
FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F5.6 1/320秒 52.8mm ISO400 ) 露出補正 なし | |
109.SLスチーム号帰還 遠くの方で汽笛が聞こえたりしていたが、しばらくは姿が見えなくなっていた。やがて戻ってきた8630は蒸気を出して、サービスしていた。
FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F5.6 1/340秒 59.0mm ISO200 ) 露出補正 なし | |
110.特急「きのさき」 梅小路は東海道本線、東海道新幹線、山陰本線が分岐するところにある。京都から山陰本線と北近畿タンゴ鉄道の城崎を結ぶ特急「きのさき」が通過する。現在は287系という新型車両も投入されているそうだが、これは国鉄の特急というカラーリングの車両(381系)だった。
FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F5.6 1/600秒 185.0mm ISO100 ) 露出補正 なし | |
111.C57形1号機 扇形車庫の6番、7番には修繕中のC57形1号機が入っていた。C571はSLやまぐち号を牽いたこともある。旧二条駅舎の資料館では、企画展「C57大修繕 完結編 ~受け継がれてきた蒸気機関車メンテナンスの技術~」が行われていた。梅小路蒸気機関車館の扇形車庫では、先人より引き継がれた確かな技術を有する西日本旅客鉄道株式会社(JR西日本)の社員が、現在でもSLの動態保存を継続させるために日夜、蒸気機関車と向き合いながら修繕業務を行っているとのこと。
FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F4.5 1/45秒 20.1mm ISO400 ) 露出補正 なし | |
112.B20形 小さな蒸気機関車があった。形からすると明治時代の機関車かと思うが、意外と新しく製造されている蒸気機関車である。1945年から1946年にかけて構内入替用の小型機関車として15両が製造されている。動態保存されている。これですべての蒸気機関車を見て歩いた。このあと、資料館で前述した企画展「C57大修繕 完結編 ~受け継がれてきた蒸気機関車メンテナンスの技術~」などを見て、梅小路蒸気機関車館の外に出た。
FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F2.8 1/56秒 4.4mm ISO400 ) 露出補正 なし |
2014年6月21日
71.臥雲橋 同聚院の前を通って、東福寺の境内に入る月下門から日下門へ行く途中に臥雲橋があった。
FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F3.2 1/170秒 6.4mm ISO800 ) 露出補正 なし | |
72.臥雲橋から通天橋を望む 臥雲橋の途中から洗玉潤の緑の谷の向こうに通天橋が見えた。その右側の大きな屋根が方丈だ。
FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F7.1 1/800秒 20.1mm ISO400 ) 露出補正 なし | |
73.日下門 東福寺の西側(伏見街道沿い)には北門、中門、南門の3つの門が並んでいる。その真ん中が中門(または中大門という)だ。中門は桃山時代のもので、平成5年(1993年)に京都府指定の文化財になっている。中門から境内のほうに歩いていくと、今度は日下門がある。こちらは江戸時代に建てられたもので、中門と同時に京都府指定文化財になったそうだ。この日下門の向こう、右側に見えるのは本堂である。
FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F3.2 1/420秒 7.3mm ISO400 ) 露出補正 なし | |
74.東福寺本堂(仏殿兼法堂) 明治14年(1881年)に仏殿と法堂が焼けた後、大正6年(1917年)から再建工事にかかり、昭和9年(1934年)に完成した。重層入母屋造りの大きな建築物だ。
FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F3.6 1/900秒 7.3mm ISO400 ) 露出補正 なし | |
75.経蔵 日下門から入って左側にある。なかなか瀟洒な建物だ。摂政の九条道家が開山(初代住職)として迎えた円爾弁円(聖一国師)は、仁治2年(1241年)宋から帰朝の際一千余の典籍を持ち帰り、我が国文教の興隆に多大な貢献をなした。それらの経典が納められていたという「経蔵」である。江戸時代寛政5年(1793年)の再建になる。
FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F5.6 1/900秒 5.9mm ISO400 ) 露出補正 なし | |
76.方丈庭園南庭 -1 通天橋の手前にある受付で、方丈庭園への拝観料をお支払いし、靴を脱いで中に入った。まず、南庭から観る。方丈とは、禅宗寺院における僧侶の住居であり、後には相見(応接)の間の役割が強くなったという。東福寺方丈は、明治14年の火災により仏殿、法堂、庫裏とともに焼失しましたが、明治23年(1890年)に再建され、災禍を免れた三門、東司、禅堂、浴室などの中世禅宗建築とともに、現代木造建築の精粋を遺憾なく発揮している。方丈はこの南庭に面して建てられている。
FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F6.4 1/850秒 4.4mm ISO400 ) 露出補正 なし | |
77.方丈庭園南庭 -2 76.の右手(西方)になる。「五山」になぞらえた築山を置き、その苔地と砂紋とを区切る斜線の表現が効果的であるという。
FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F3.6 1/800秒 8.1mm ISO100 ) 露出補正 なし | |
78.方丈 明治23年に再建された方丈。この方丈の前に南庭が広がる。
FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F3.2 1/180秒 7.3mm ISO400 ) 露出補正 なし | |
79.北庭 小市松 ウマスギゴケとの対比が色鮮やかな市松模様の敷石は、もと恩賜門(南庭中央の門)に使われていたものだそうだ。方丈庭園は昭和の名作庭家である重森三玲の昭和14年の作で、「八相の庭」と命名され、近代禅宗庭園の傑作とされているそうだ。
FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F3.2 1/550秒 6.4mm ISO200 ) 露出補正 なし | |
80.東庭 雲模様地割に円柱の石で北斗七星を構成し、北杜の庭とも呼ばれる。北斗七星に見立てた石は、重要文化財である旧便所の東司の柱石の余った石を利用したものだそうだ。
FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F4.0 1/800秒 5.5mm ISO400 ) 露出補正 なし | |
81.方丈の縁側 方丈の南庭に向いた縁側に座って、観光客が庭を眺めていた。
FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F3.6 1/250秒 9.7mm ISO250 ) 露出補正 なし | |
82.通天橋へ 方丈庭園「八相の庭」を鑑賞して、外に出る。受付のところから洗玉澗(せんぎょくかん)の谷間に架けられた通天橋への道を進む。初夏の緑が美しいが、秋はモミジで真っ赤になるのだろう。
FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F4.0 1/160秒 13.8mm ISO160 ) 露出補正 なし | |
83.通天橋 -1 本堂などがある主要伽藍の北側の洗玉澗という渓谷には、西から東へ臥雲橋、通天橋、偃月橋という3本の橋(東福寺三名橋)が架かる。通天橋は、本堂から通じる廊下 がそのまま屋根付きの橋となったもので、この付近は特に紅葉の名所として知られる。
FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F3.2 1/160秒 5.0mm ISO400 ) 露出補正 なし | |
84.通天橋から臥雲橋を望む 洗玉澗の渓谷の向こうには、さっき渡ってきた臥雲橋が見えた。
FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F3.2 1/160秒 5.0mm ISO400 ) 露出補正 なし | |
85.通天橋 -2 通天橋を普門院のほうに進む。ここは通天橋の中頃にある屋根のかかったところを通り過ぎて、渡ってきた受付のほうを振り返って撮った。
FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F3.6 1/105秒 8.8mm ISO400 ) 露出補正 なし | |
86.開山堂 通天橋を渡り終わって、門をくぐって、正面に開山堂、左手に普門院がある池泉式庭園に入る。サツキや菖蒲が咲く庭園にはクロアゲハが飛んできていた。開山堂は別名「常楽庵」といい、正面柱間八間、禅式瓦敷を特徴とし、祀堂に開山国師像を安置する。この写真は開山堂上層にある楼閣である。
FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F5.0 1/850秒 15.5mm ISO400 ) 露出補正 なし | |
87.浴衣姿の生徒たち 開山堂の門をくぐって大勢の着物(浴衣)姿の子供たちが入ってきた。中学3年生くらいだろうか。どういう子供たちなのかわからない。お茶とか、お花の学校の生徒たちだろうか。
FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F4.0 1/850秒 11.9mm ISO400 ) 露出補正 なし | |
88.普門院の縁側 開山堂(常楽庵)の西側に京都十刹の一つである普門寺があった。普門寺は寛元4年(1246年)、大相国九条道家(1193年~1252年)が東福寺建立に先立って普門院を開堂し、円爾(えんに、1202年~1280年)に住まわせたのが始まりである。現在は廃寺となってしまい、名称は東福寺常楽庵の客殿・庫裏・塔司寮に継承されている。つまり、この写真の普門院は東福寺常楽庵の客殿・庫裏・塔司寮である。
FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F3.6 1/640秒 8.2mm ISO400 ) 露出補正 なし | |
89.モミジ 高野山の壇上伽藍へ行く蛇腹道にも、初夏なのに真っ赤なモミジがあったが、ここにも赤いモミジがあった。
FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F6.4 1/800秒 35.2mm ISO400 ) 露出補正 なし | |
90.愛染堂 普門院の総門である月下門のほうへ歩いていくと朱塗りの柿(こけら)葺き八角円堂の愛染堂があった。南北朝時代の建築で昭和12年万寿寺より移築された。愛染明王が祀られている。
FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F3.6 1/800秒 6.4mm ISO200 ) 露出補正 なし | |
91.本堂 本堂のお参りが最後になってしまった。大きな建物である。東福寺は1319年(元応元年)、1334年(建武元年)、1336年(延元元年)の相次ぐ火災により大部分を焼失するが、直ちに復興に着手し、1346年(貞和3年)には、前関白一条経道によって仏殿が再建され完全な禅宗寺院としての寺観を整えていた。そして、現在の本堂は1881年(明治14年)に仏殿と法堂が焼失した後、1934年(昭和9年)に再建された重層入母屋造の建物である。
FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F5.0 1/800秒 6.0mm ISO400 ) 露出補正 なし | |
92.本堂正面 創建当初の仏殿には、15mの釈迦仏像が安置され、脇侍の観音・弥勒両菩薩像は7.5mメートルもあって、新大仏寺として喧伝されていたという。現在の本堂には、本尊の釈迦如来立像、脇侍の摩訶迦葉尊者・阿南尊者立像、四天王像が安置されている。本尊の釈迦三尊像は、1881年(明治14年)に仏殿が焼失した際、万寿寺から移された鎌倉時代の作の像で、もとは三聖寺に安置されていたものだという。本尊の釈迦三尊像は外から垣間見ることができた。
FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F3.6 1/300秒 8.8mm ISO400 ) 露出補正 なし | |
93.国宝 三門 東福寺の一番南側にある壮大な伽藍の正門である三門は、最も格式の高い五間三戸の二重門である。高さは東大寺南大門の25mには及ばないが22mもある最大級の三門だ。三門とは三解脱門(さんげだつもん)の略で、三解脱とは涅槃に入るための空・無相・無作の三つの解脱門を寺院の門に擬したものだそうだ。三門は室町初期の作で、禅宗三門として最後の遺構である。
FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F3.2 1/680秒 7.3mm ISO400 ) 露出補正 なし | |
94.思遠池 三門の裏側に回ってみると思遠池という池があった。本来、こちら側が正面なのだ。これで東福寺の拝観を終えることにした。秋の紅葉のころに来てみたいが、秋の京都はホテルがとれないほどで、特にここ東福寺は紅葉の名所で、人出が多いと聞く。それを思うと今回はゆっくりと、新緑の季節に東福寺を巡ることができた。
FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F5.0 1/900秒 4.6mm ISO400 ) 露出補正 なし | |
95.祇園 東福寺からタクシーで四条烏丸のホテルに戻り、一休みした後、伏見稲荷で別れた娘たち夫婦と合流し、夕暮れの祇園を歩く。
Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F3.2 1/30秒 7.0mm ISO500 ) 露出補正 なし | |
96.建仁寺 祇園の花見小路の突き当たりに建仁寺という大きなお寺があった。京都五山の第3位だそうだ。花見小路は今までも何度か歩いたことはあるが、ここまで来たことはなかった。
Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F4.5 1/400秒 11.6mm ISO3200 ) 露出補正 なし | |
97.八坂の塔 花見小路を建仁寺の山門の前で左へ曲がる。建仁寺の塀に沿って右へいき、すぐ左へ。東大路通りを渡って、少し右に進み八坂の塔が見える石畳の道を上る。八坂の塔(法観寺)に突き当たったところを左へ行った、全く静かな、こんなところにレストランがあるのかというところに「イル・ギオットーネ」があった。娘たちが、母の日と、父の日と、私の誕生日、そして自分(娘)の誕生日を祝ってくれた。
Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F5.0 1/200秒 17.1mm ISO3200 ) 露出補正 なし |
2014年6月18日
52.JR奈良線の各駅停車車両 稲荷駅で このモハ102-590という車両は、1974年(昭和49年)川崎重工製だそうだ。40年が経つ。塗り替えはされているのだろうが、昔、山手線を走っていた色だ。ところどころ塗装がつぎはぎになっている。
FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F3.6 1/200秒 10.7mm ISO200 ) 露出補正 なし | |
53.JR宇治駅 JR宇治駅に着いたのは11時6分、稲荷からの所要時間は約25分だった。この宇治駅からまっすぐに伸びる道を歩いて宇治橋通りに出て、商店街を左へ進む。
FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F5.6 1/900秒 13.3mm ISO100 ) 露出補正 なし | |
54.中村藤吉平等院店 宇治駅を背にまっすぐ行って宇治橋通りに突き当たったところに、中村藤吉という宇治茶の老舗があった。その宇治橋通りを左に曲がって、宇治橋へ出て、右に平等院への道に入った。そこに宇治川に沿って中村藤吉平等院店という店があった。案内板を見てみると、いわば和風Cafeで宇治茶を味会うことができるし、また、茶そばも食べられる。小腹も空いたので、まだ、平等院も観ていないが入ることにした。
FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F5.0 1/900秒 5.0mm ISO400 ) 露出補正 なし | |
55.宇治川のほとり 前庭を進むと、右側に入り口があり、左手に宇治川が流れる。明治天皇の行幸の際、御座所として使用された建物を当時の雰囲気を残しつつ改装したのだといいう。宇治川の流れを眺めながら、お茶の香りがする茶そばを食べた。
FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F3.6 1/170秒 11.9mm ISO400 ) 露出補正 なし | |
56.宇治川の対岸 宇治川の上流を眺めると中州があって、その中州から宇治神社がある対岸に架かる朱色に塗られた朝霧橋が見える。
FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F5.0 1/220秒 39.3mm ISO100 ) 露出補正 なし | |
57.宇治橋 前を流れる宇治川の少し下流に宇治橋が架かる。宇治川は琵琶湖から流れ出る唯一の河川。瀬田川、宇治川、淀川と名前を変えて大阪湾に流れ込む。
FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F5.6 1/900秒 43.9mm ISO400 ) 露出補正 なし | |
58.平等院正門 中村藤吉平等院店で宇治川の流れを眺めながら、茶そばを食べて、外に出る。宇治茶の老舗が並ぶ平等院表参道を200~300m行くと、平等院正門があった。
FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F3.2 1/600秒 5.0mm ISO200 ) 露出補正 なし | |
59.平等院鳳凰堂 600円の拝観料を支払い、平等院の中に入る。左手に観音堂、藤棚があったが、ここは後にしてまず阿字池の周りを左回りに歩き、鳳凰堂の外観を眺める。この3月末に鳳凰堂の3棟の修理が完了している。鳳凰堂の中に入る人たちが見えるが、受付で聞くと鳳凰堂内部の拝観は1時間待ちとのことだったので、割愛した。
FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F4.0 1/900秒 5.2mm ISO200 ) 露出補正 +0.7段 | |
60.阿弥陀堂中堂の大棟 鳳凰堂の中央部分。鳳凰堂の呼称は後世のもので、平安時代後期、天喜元年(1053年)に、時の関白藤原頼通によって平等院に建立された阿弥陀堂である。華やかな藤原摂関時代をしのぶことのできるほとんど唯一の遺構として、このうえなく貴重な建築と言われる。
FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F4.5 1/800秒 11.5mm ISO400 ) 露出補正 なし | |
61.中堂と両翼廊 写真右側後ろにある尾廊(まだ改修中)とともに、世界遺産になっている。中堂大棟南北両端部に左右一対の金銅製の鳳凰像鳳凰像がある。北方像・南方像の一対で、北方像は総高235.0センチメートル、像高98.8センチメートル、総幅34.5センチメートル、南方像は総高228.8センチメートル、像高95.0センチメートル、総幅44.5センチメートルだそうだ。。
FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F4.0 1/850秒 4.4mm ISO200 ) 露出補正 +0.7段 | |
62.鳳凰像 南方像 東向きに建てられている鳳凰堂の向かって右側に据えられた像を北方像、同じく左側の像を南方像と称する。オリジナルの製作は阿弥陀堂の創建と同時期であると考えられているが、両像ともいまは大気汚染による錆害などの保存上の見地から取り外されて鳳翔館(宝物館)に保管され、新たに制作された複製像が大棟に載せられている。
FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F7.1 1/900秒 88.7mm ISO100 ) 露出補正 なし | |
63.鳳凰堂と阿字池 -1 阿字池には蓮の花が咲いていた。
FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F3.6 1/850秒 11.1mm ISO100 ) 露出補正 なし | |
64.鳳凰堂と阿字池 -2 池にさざ波がなければ・・・。
FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F7.1 1/900秒 8.5mm ISO400 ) 露出補正 なし | |
65.浄土院 羅漢堂 宝物館である鳳凰館で運中供養菩薩像26体をはじめとした平等院に伝わる様々な宝物を見学したあと、鳳凰堂の裏手に建てられている浄土院を見る。浄土院は平等院の塔頭で、浄土宗の栄久(えいく)上人が、明応年間(15世紀後半)に平等院修復のために開創した寺と伝えられている。 茶師星野道斎とその息子たちにより寛永17年(1640年)に建立され、 主要部材が建立当時そのままに保存され、鏡天井に描かれた龍は彩色良く保存されているという。
FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F3.6 1/400秒 10.7mm ISO200 ) 露出補正 +0.3段 | |
66.最勝院 浄土院からさらに進むと、最勝院があった。浄土院とともに、平等院塔頭2ヶ寺の1つで天台宗寺門派聖護院末だそうだ。その歴史は比較的新しく、承応3年(1654年)京都東洞院六角勝仙院(住心院)の僧が平等院に移り、その住庵を最勝院と呼んだことに始まるという。
FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F6.4 1/800秒 4.6mm ISO400 ) 露出補正 +0.3段 | |
67.観音堂 正門から入ってきたときに左手に見えた観音堂である。鎌倉時代前期に創建当時の本堂跡に再建された建造物とされており、法橋徳応のニ天像、不動明王像が祀られている。 重要文化財。どっしりとした大きな建物だ。このカメラ、HS50は、空に向けて少し仰角に撮るとフレアが出る。
FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F2.8 1/750秒 4.4mm ISO400 ) 露出補正 +0.3段 | |
68.樹齢280年と言われるフジ 平等院にはフジの名木があると聞いていた。フジの古木が毎年4月末から5月上旬にかけて香り豊かに花開き、その花房が約1mにもなるノダフジが見事というので、楽しみにしていたが、鳳凰堂修理に伴い、昨年、花付きを改善するために大規模な剪定を行ったため、フジの花は咲いていなかった。
FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F3.6 1/120秒 11.1mm ISO400 ) 露出補正 +0.3段 | |
69.つばめの巣作り 平等院の拝観を切り上げて、平等院表参道、宇治橋通りと同じ道をJR宇治駅へ戻った。途中、商店の軒下で巣作りをしているつばめがいた。巣作りはまだ、緒に就いたばかりのようだ。
FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F5.0 1/120秒 90mm ISO400 ) 露出補正 なし | |
70.郵便ポスト JR宇治駅まで戻ってきた。駅前に茶壺の形をした郵便ポストがあった。さすが、お茶の名産地である。再び、JR奈良線で、今度は上り電車に乗り、東福寺へ向かう。東福寺は「みやこ路快速」が止まるので、15分で到着した。
FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F4.0 1/240秒 12.4mm ISO100 ) 露出補正 なし |
2014年6月15日
37.伏見稲荷 表参道 JR奈良線の稲荷駅から、まっすぐ伏見稲荷大社への参道がある。正面に見えるのは楼門という。その背後は標高223mの稲荷山で、稲荷山全域が伏見稲荷の領域である。まだ9時20分だが、修学旅行の生徒たちが大勢来ている。
FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F4.5 1/480秒 27.0mm ISO200 ) 露出補正 なし | |
38.一番鳥居 JR奈良線の稲荷駅を出たすぐのところに一番鳥居がある。伏見稲荷の赤い鳥居はここから始まる。
FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F8.0 1/800秒 9.4mm ISO400 ) 露出補正 なし | |
39.楼門 楼門は檜皮葺の入母屋造りで天正17年(1589年)に建立された。昭和48年(1973年)に楼門解体修理が行われた祭、当時の墨書が発見され、伏見稲荷大社の中では本殿の次に古い建築であることが判明した。楼門の両側には、精悍な雰囲気のお狐様がいる。狛犬と同じように魔よけの意味を持っているので、やはり同じように阿吽(あうん)の対になっている。
FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F8.0 1/800秒 9.4mm ISO400 ) 露出補正 なし | |
40.本殿 本殿は、応仁の乱で消失した後、明応八年(1499年)に再建された。重要文化財に指定されている。本殿は撮影禁止である。
FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F4.5 1/900秒 7.5mm ISO400 ) 露出補正 なし | |
41.千本鳥居の始まり 本殿の奥から千本鳥居と呼ばれている鳥居が続く。稲荷山には信者から奉納された鳥居が約1万基あり、特にこのあたりの千本鳥居と呼ばれる所は狭い間隔で多数建てられている。
FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F3.2 1/80秒 6.8mm ISO400 ) 露出補正 なし | |
42.二手に分かれた鳥居の道 奥社奉拝所へと続く千本鳥居は途中で二手に分かれるが、どちらを行っても、奥社奉拝所にたどり着く。奥社奉拝所は稲荷山を遥拝するところで、一ノ峰(上之社神蹟 末広大神)、二ノ峰(中之社神蹟 青木大神)、三ノ峰(下之社神蹟 白菊大神)という稲荷山三ケ峰はちょうどこの社殿の背後に位置している。ここから稲荷山に入るが、これから先は異世界なのだそうだ。
FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F2.8 1/58秒 4.4mm ISO800 ) 露出補正 なし | |
43.奥社奉拝所から熊鷹社へ 千本鳥居は、一応、奥社奉拝所までだが、それから先も鳥居は続く。ただ、奥社奉拝所から先は上がる人が少ない。摂末社の一つである熊鷹社まで上がることにする。
FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F2.8 1/140秒 4.4mm ISO400 ) 露出補正 なし | |
44.新池と熊鷹社 やがて熊鷹社に着いた。熊鷹社は伏見稲荷の山をめぐる参道の新池のほとりに立つ。池に向かって拍手し、反射して返ってきた「こだま」の音の近さで願い事が早く叶うか遅くなるかを占い、また、「こだま」の方角を探すと家出人や失踪者が見つかると言い伝えられているそうだ。池の左側に見える社が熊鷹社である。これ以上、上に上がるのはやめにした。
FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F3.6 1/160秒 11.1mm ISO250 ) 露出補正 なし | |
45.鳥居の奉納 鳥居を奉納する習わしは江戸時代に始まったそうだ。上がってくる側には、奉納という文字しか見えないが、下る側から見ると、奉納した人の名や年月日、あるいは何々記念といったようなことが記されているのが見える。「平成26年2月1日建之 開局55周年記念 株式会社テレビ朝日」と書かれた少し大きめの真新しい鳥居もあった。
FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F4.0 1/45秒 15.5mm ISO800 ) 露出補正 なし | |
46.狐の咥え物 熊鷹社のある新池から、上がってきたときと違う道を八島ヶ池のほうへ下りてくる。本殿に出る手前に橋があり、その手前の両側に、何かを咥えた狐がいた。何を咥えているのだろうか? どうやら鍵(穀物を納める米倉の鍵)のようだ。反対側の狐は玉(穀霊を象徴する玉)のようなものを咥えている。狛犬と同様に社殿に向かって右(上座)が口を開いた「阿(あ)」であり、左(下座)が口を閉じた「吽(うん)」だそうだ。鍵や玉のほかにも鎌や稲穂を咥えた狐もいて、いくつかのバリエーションがあるようだ。
FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F3.6 1/160秒 7.9mm ISO250 ) 露出補正 なし | |
47.鳥居に願い事 神社では絵馬に願い事を書いて架けるが、ここでは赤い鳥居に願い事を書いて架ける。外国人観光客であろう、英文字で書かれたものもあった。
FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F4.5 1/800秒 4.4mm ISO400 ) 露出補正 なし | |
48.裏参道 お札やお守り、そしておみくじなどが売られている社務所の前を通って、京阪電車の伏見稲荷駅に近い裏参道を歩く。土産物屋が並ぶ。娘たちとはここで別れた。
FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F4.5 1/800秒 4.4mm ISO400 ) 露出補正 なし | |
49.JR稲荷駅前から表参道を見る -1 どこから来たのだろうか、若い3人の御嬢さんが表参道を歩いてくる。お稲荷さんはショート・パンツでもお参りさせてもらえる。寛大だ。
FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F4.5 1/800秒 20.8mm ISO200 ) 露出補正 なし | |
50.JR稲荷駅前から表参道を見る -2 表参道をベビー・カーに赤ちゃんを乗せたお母さんが横切る。近所に住んでいる人なのだろう。ここは京都駅からわずか二駅、2.7km とごく近いところなのだ。
FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F5.0 1/340秒 37.0mm ISO100 ) 露出補正 なし | |
51.JR奈良駅改札口 時間は10時半。10:42発の電車で宇治へ行くことにする。次は平等院だ。
FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F3.2 1/180秒 5.9mm ISO400 ) 露出補正 なし |
2014年6月12日
20.刈萱堂 石堂丸の秘話で有名な刈萱堂は、恵光院を出て、金剛峰寺、壇上伽藍のほうへ歩き出してすぐのところにある。ただし刈萱堂の前の道路は100m以上にわたり工事中で片側通行になり、歩きづらい。刈萱堂の中の周りの壁には、この物語が描かれた絵と解説が飾られている。撮影禁止だった。
FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F3.2 1/680秒 6.8mm ISO400 ) 露出補正 なし | |
21.ビルマ戦没者供養塔(成福院、摩尼宝塔) 刈萱堂を出て、壇上伽藍のほうへ歩くと、右側にビルマ戦没者供養塔がある。ビルマ戦線で戦い、再び祖国の土を踏む事も無く異国の山野に眠る戦没者の霊を慰めるために建立されたものだ。この塔の右側にとてもリアルに顔が彫られた立像が建っていた。
FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F3.6 1/160秒 9.2mm ISO125 ) 露出補正 なし | |
22.薬局 私は製薬会社に勤めていたので、この写真のような町の古い薬局を見ると興味がわく。「陀羅尼助」という看板が出ていた。何だろう? ネットで調べてみると、現代人の弱った胃腸を癒す伝統に支えられた民間薬だと説明があった。着物の上からすえられる弘法大師御相伝「弘法灸」という看板も出ている。アリナミンとかリポビタンDという文字は一切見つからない。
FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F3.6 1/450秒 8.8mm ISO200 ) 露出補正 なし | |
23.金剛峰寺山門 そうこうするうちに総本山金剛峰寺の山門に出た。山門は金剛峯寺の建物の中で一番古く、文禄2年(1593年)に再建されて以来、今日に至っている。ここでもシャクナゲが美しい。
FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F4.0 1/900秒 5.2mm ISO200 ) 露出補正 なし | |
24.金剛峰寺山門のシャクナゲ 今度は左側から撮る。
FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F3.6 1/340秒 7.9mm ISO200 ) 露出補正 なし | |
25.金剛峰寺本殿 山門をくぐるとそれほど広くない境内があり、本殿が建っている。現在の本殿は1863年(文久3年)に再建されている。金剛峯寺本堂の屋根は檜の皮を何枚も重ねた檜皮葺(ひわだぶき)になっている。その屋根の上に、天水桶という桶が置かれている。これは普段から雨水を溜めておき、火災が発生したときに、火の粉が飛んで屋根が燃えあがらないように桶の水をまいて湿らし、少しでも類焼を食い止める役割を果たすためだそうだ。
FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F7.1 1/900秒 4.6mm ISO400 ) 露出補正 なし
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26.壇上伽藍への道 金剛峰寺の山門を一旦出て、その塀に沿って右側に壇上伽藍に通じる幅およそ3メートル長さ100メートルの道がある。この道のことを、蛇腹道(じゃばらみち)と呼んでいるそうだ。大伽藍は僧侶達の修行の場。金剛峯寺から大伽藍に行く道がこの蛇腹道なのだ。秋でもないのに紅いモミジが、新緑のモミジと競り合うように美しい。 参照:http://www.e-momiji.com/~e-momiji/index.htm
FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F4.5 1/480秒 20.1mm ISO200 ) 露出補正 なし | |
27.東塔 東塔は、白河法皇の御願により平安時代 1127年に落慶、江戸時代に再建後焼失、昭和58年に再建された。壇上伽藍の中心は根本大塔だが、この東塔もなかなか良い。
FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F4.5 1/850秒 8.8mm ISO400 ) 露出補正 なし | |
28.根本大塔 この根本大塔と呼ばれる多宝塔(大塔)は、高さ48.48m)の大きな建造物で、弘法大師在世中には完成を見ず、高野山第二世真然大徳(804年~891年)の代に落慶したと伝えられている。現在の建物は、京都帝国大学教授天沼俊一博士(1876年~1947年)、国会議事堂の設計にも関与した武田五一博士(1872年~1938年)、古社寺修理監督の大浦徳太郎建築技師などにより設計監修され、昭和12年(1937年)に完成している。平成8年には外装朱彩塗り替え工事がなされている。
FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F5.0 1/800秒 4.4mm ISO400 ) 露出補正 なし | |
29.八角灯篭 奈良東大寺にも八角灯篭があった。この根本大塔の前にある八角灯篭も思わず写真を撮りたくなる魅力があった。両者は同じような形をしている。
FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F3.2 1/250秒 7.0mm ISO200 ) 露出補正 なし | |
30.金堂 高野山御開創当時は講堂と呼ばれていたという。平安時代半ばから、高野山の総本堂として重要な役割を果たしてきた。現在の建物は七度目の再建で、昭和7年(1932年)に完成した。梁間23.8m、桁行30m、高さ23.73m、入母屋造りで、関西近代建築の父といわれる武田五一博士の手によって、耐震耐火を考慮した鉄骨鉄筋コンクリート構造で設計、建立されている。
FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F3.2 1/480秒 5.2mm ISO400 ) 露出補正 なし | |
31.西塔 西塔は弘法大師の遺志にに従って第二世、真然大徳が平安時代仁和3年(887年)が建立した。江戸時代後期 の天保5年(1834年)再建、銅板棒引き、高さ 27.3m。とても渋い。現在の西塔は五度目の再建だそうだ。
FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F4.5 1/800秒 5.4mm ISO400 ) 露出補正 な し | |
32.逆指の藤 傍に建てられていた案内板に、平安時代に活躍した高僧に祈親上人という方がいて、長和5年(1016年)に上人は高野山へ上がるが、当時の高野山は荒廃し見るも無惨な世界が広がっていた。このありさまを悲しんだ上人は高野山の再興を誓い「願掛け」として、藤を地面に逆さに植えた。この藤はしばらくして芽生えはじめ、それとともに、高野山の再興の兆しが見え始めたと記されていた。
FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.2 1/750秒 7.0mm ISO100 ) 露出補正 -0.7段
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33.再び金剛峰寺山門 簡単な昼食をとって、恵光院へ荷物を取りに戻ろうと、再び金剛峰寺の山門まで戻ってきたのは、午後1時頃だった。壇上伽藍のそれぞれの建造物は、中に入って見学もできるのだが、今回も外観を眺めるにとどまった。
FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F5.0 1/340秒 50.9mm ISO100 ) 露出補正 なし | |
34.「鴨川をどり」 恵光院へ戻り、刈萱堂前からバスに乗り、高野山ケーブルの高野山駅に着いたのは、極楽橋駅発14:45の快速特急に接続するケーブルカーの発車間際だった。天下茶屋で南海電車を乗り換え、市営地下鉄、阪急電車で京都四条烏丸に着き、これから2泊する烏丸京都ホテルに入る。シャワーを浴びて、三条へ出かける。折からの「鴨川をどり」も明日で終わりだ。
Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F2.8 1/250秒 4.9mm ISO3200 ) 露出補正 なし | |
35.「おばんざい」 新撰組の池田屋騒動で有名な池田屋があるあたりを通って、娘が探した「おばんざい」の店「めなみ」に入る。言ってみれば居酒屋のような感じの店だったが、料理は旨かった。「めなみ」を出て、ほろ酔いきげんで京都の街を歩く。
Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F2.8 1/200秒 4.9mm ISO3200 ) 露出補正 なし | |
36.先斗町 先斗町を歩いてみたくなった。ここも外国人が多い。この道の狭さが何とも言えない。結局、「おばんざい」のはしごになってしまったが、「ますだ」という居酒屋に入る。小学校へ上がる前の子供のころ、滋賀県の草津市にいたことがあるが、そのころ食べた琵琶湖の「もろこ」が品書きにあった。稚鮎のような小さな魚だが、無性に懐かしかった。「ますだ」を出て、もう一軒行くという娘たち夫婦と別れて、私たちは老夫婦は、ホテルに戻った。
Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F2.8 1/80秒 4.9mm ISO3200 ) 露出補正 なし |
2014年6月 8日
2014年6月 5日