2018年11月アーカイブ: Studio YAMAKO

2018年11月29日

高野山後編 11月6日 高野山、奈良・長谷寺、室生寺と滋賀・湖東三山(2) 

古いお付き合いのある家内の友人から、高野山へ行くなら、その亡くなられた息子さんが眠る「正智院」に寄ってきて欲しいと言われていた。お土産を買った紀州南高梅の梅干し屋さんで場所を確認して向かう。杉木立が並ぶ壇上伽藍の北側にその「正智院」があった。別格本山の立派な寺院である。
 「正智院」は教覚正智坊によって永久年間(1113年~1117年)に開基され、鎌倉時代初期の学僧で高野八傑のひとりである道範を中興の祖とする。筑前の黒田家、薩摩の島津家の深い信仰があったそうだ。玄関で声をかけたところ、ご住職が出てこられた。家内が来訪の趣旨を伝えると、本堂へ案内してくださった。本堂でお参りした後、「お庭が立派だと伺ってきたのですが、見せていただけますか」と乞うたところ、快くご住職が庭と客間を案内してくださり、美しい庭と、その庭園に面した客間を見せてくださった。ここを訪ねられて良かったと思う。
 「正智院」とその庭園、そして客間の襖絵などを堪能した後、ご住職に礼を述べ、壇上伽藍へ向かった。時刻は午後3時になろうとしていた。
 壇上伽藍は蛇腹道から来ると東塔のところへ出るが、今回は「正智院」から根本大塔の西側へ入った。4年前に来たときは見られなかった172年ぶりに再建された中門を見たりしているうち、そろそろケーブルの駅へ行かねばならい時間となる。蛇腹道を通って梅干し屋さんに戻り、スーツ・ケースを受け取って、バスで高野山駅へ着く。丁度良く16:47発の特急「こうや」に接続するケーブル・カーに乗ることができた。
 高野山から奈良へ行くには一度大坂のほうへ戻らなければならない。難波のすぐ手前の新今宮で乗り換え、務めている人たちの帰宅時間で混み合うJR大和路線で、奈良へ到着したのは夜7時になっていた。JR奈良駅近くに予約しておいたホテルにチェックインし、何か美味しいものを食べようと三条通へ出かけていった。
 本編でもそれぞれのホームページや、パンフレット、および「神社・寺-御朱印めぐり.COM」というサイトから引用させていただいた。

22.「正智院」入口
「正智院」は全国レベルのアスリートの養成と指導者の育成を目指す私立高野山高校の手前にあった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 14mm ISO320 ) 露出補正 なし
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23.「正智院」の庭 -1
「正智院」の 庭をご住職に案内していただいた。庫裡の奥にある庭園は書院北庭で、面積は830㎡。昭和30年に重森三玲氏によって作庭されたもので水墨山水画的な構想をもとに造られている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO500 ) 露出補正 なし
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24.「正智院」の庭 -2
庭園の背後には岩山があり、高野山内八葉の神應岳と呼ばれる。神應岳を背景とし、州浜模様の苔に大小六十余りの石組みを配した枯山水庭園である。わざわざ見せていただいた甲斐のある庭だった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 37mm ISO1250 ) 露出補正 なし
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25.庭園に面した庫裡客間 -1
庭園に面した庫裡の襖絵は雲谷等益、長谷川等伯、谷文晁によって描かれている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/500秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
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26.「正智院」の客間
庭に面し客間のひとつ。障子から入る光で気持ちが落ち着く。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/320秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
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27.床の間の絵
前の写真にある床の間に掛けられた大きな絵は、円山応挙だそうだ。右下に「應擧」の銘が見られる。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/160秒 19mm ISO3200 ) 露出補正 なし
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28.縁側から眺める庭園
ご住職が庭園全体を眺められる奥の縁側に案内してくれた。ここからはモミジ、苔、裏山、庭の石、そして今は枯れているが春には美しい花が咲くツツジが植え込み眺められる。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 28mm ISO1000 ) 露出補正 なし
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29.「明王院」への道
「正智院」では、その庭園や、客間の襖絵に魅せられた。見せていただいてよかったという気持ちで、ご住職に礼を述べ、「正智院」をあとにした。壇上伽藍のほうへ歩いていくと、左手に先ほど見た 「明王院」への道があった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 37mm ISO400 ) 露出補正 なし
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30.壇上伽藍 金堂
壇上伽藍へはその北西側から入った。伽藍とは、僧侶が修行をする場所という意味で、由来はインドのサンスクリット語からきていという。 高野山の伽藍は、見た目では気づきにくいが、石段の上に伽藍が建立されているので壇上伽藍と呼ばれる。高野山全体を指す「金剛峯寺」の中心的伽藍である。色づいたモミジの向こうは金堂である。金堂は弘仁7年(816年)以前の平安時代後期に建立されたと推定されている。金堂は高野山の開創時から存在すると云われ、高野山内でもっとも古い歴史のある建造物だそうだ。根本大塔よりも先に造営され、金堂の落慶後まもなく根本大塔が完成している。現在の金堂は幾度もの火災に際し、その度に再建されてきた8代目の金堂であり、最近では昭和9年(1934年)に再建されている。残念ながら、現在見ることのできる金堂の姿は、創建当初の容姿を留めておらず鉄筋コンクリート造の堂舎である。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 19mm ISO400 ) 露出補正 なし
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31.根本大塔と深紅のモミジ
根本大塔の朱色と競い合うように深紅のモミジがあった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 19mm ISO160 ) 露出補正 なし
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32.山王院と明神社
弘法大師は高野山の開創に際して、日本古来の神々と仏教との融和のため、高野山の地主神として、丹生明神(にうみょうじん)と高野明神の分霊を高野山の守護神として「御社(みやしろ)」に祀った。その「御社」の拝殿として山王院は建立されている。渋い建物の山王院の奥、森の手前に建つ赤い春日造の神社は、高野山の開創以前から土地の神として信仰されてきた丹生明神、高野明神(狩場明神)を祀る「明神社」だ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 15mm ISO1600 ) 露出補正 なし
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33.六角経蔵
壇上伽藍の奥まったところに六角経蔵があった。平治元年(1159年)に創建され、昭和9年(1934年)に鉄筋コンクリート作りで再建された。高さ19,7mの二重六角造りである。「高野山・御朱印」というサイトを見せていただくと、六角経蔵は「鳥羽法皇」の菩提を弔うために、皇后の「美福門院(びふくもんいん)」が、平治元年(1159年)に建立した経蔵だそうだ。美福門院は鳥羽法皇や仏教に大層な思い入れがあったようで、なんと、自らの所領であった紀州(和歌山県)の「荒川の庄(あらかわのしょう/=安楽川荘(現在の紀の川市桃山町と打田町の一部)」を高野山へ寄進した。寄進した理由とは「六角経蔵の維持費のため」という。しかし翌年、美福門院は崩御され、なんと女人禁制が絶対の掟であった高野山に埋葬されている。一説には高野山の女人禁制が解かれた際の原動力のひとつになったとも云われている、といったことが記されていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 17mm ISO1000 ) 露出補正 なし
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34.御影堂
高野山金剛峰寺のHPによると、御影堂は、弘法大師の持仏堂として建立されが、後に真如親王直筆の「弘法大師御影像」を奉安し、御影堂と名付けられた。桁行15.1メートル、梁間15.1メートルの向背付宝形(ほうぎょう)造りで、堂内外陣には弘法大師の十大弟子像が掲げられている。この堂は高野山で最重要の聖域であり、限られた人しか堂内に入ることは許されなかったが、近年になって旧暦3月21日に執行される「旧正御影供」の前夜、御逮夜法会(おたいやほうえ)の後に外陣への一般参拝が許されるようになった、と記されている。余談だが、金堂と御影堂の中間に瑞垣で囲まれた松の木がある。 松葉が3本になっている三葉の松であり、「三鈷の松」として祀られている。現在では参詣者が、縁起物として松の葉の落ち葉を持ち帰り、お守りとして大切にするという。かみさんも3葉の松葉を見つけて持ち帰ってきた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 41mm ISO2000 ) 露出補正 なし
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35.中門
前回、高野山を訪れたときは、この中門は工事中だった。中門は弘仁10年(819年)/平安時代に創建されたと推定されるが、江戸時代の天保14年(1843年)の大火事で燃え尽きてしまい、以降、平成の現在まで「中門跡地」として残っていた。中門はかつて壇上伽藍の南を守護する門だったが、幾度も焼失を繰り返し、天保14年(1843年)/江戸時代後期)以降、平成27年(2015年)まで再建されなかった歴史がある。172年ぶりの再建工事だったのだ。そして、平成27年の高野山開創1200年記念の記念事業の一環で、中門が蘇った。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO200 ) 露出補正 なし
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36.六角経蔵とモミジ
六角経蔵の近くにいってみた。赤い葉ではなかったが枝が張り出したモミジが良かった。六角経蔵には、紺紙(紫色の紙)に金箔を溶かした金泥(きんでい)で丁寧に、綺麗に書き写したした数々のお経が納められているという。これらの経典は紺紙金泥一切経(こんしきんでいいっさいきょう)、または、美福門院経と呼ばれている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 48mm ISO1250 ) 露出補正 なし
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37.金堂とモミジ
高野山はこのとき紅葉の最適期だった。壇上伽藍のほぼ中央にある金堂の傍のモミジもきれいだったが、少し遅かったかもしれない。。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 46mm ISO1600 ) 露出補正 なし
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38.根本大塔
根本大塔は真言密教の根本道場のシンボルとして建てられた、高さ48.5mの日本で最初の多宝塔である。大塔内陣は曼荼羅の世界を立体的に表現しており、胎蔵界と金剛界をひとつに融合した空海独自の立体曼荼羅となっているというが、私は何回も壇上伽藍にきているのに根本大塔の中に入ったことがない不届きものである。根本大塔は816年~887年に創建されたと推定される。創建後は、記録に残っているだけで5回も焼失し、焼失の度に時の権力者たちの助力により再建を繰り返ししてきた歴史がある。しかし天保14年(1843年)以降、再建計画がなくなり、そのまま更地状態になっていたそうだ。現在見ることのできる根本大塔は昭和12年(1937年)に再建された時の姿であり、残念ながら創建年当初のような木造ではなく鉄筋コンクリート造になっている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
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39.不動堂の屋根
そろそろ戻ろうと思い、蛇腹道のほうへ向かう。壇上伽藍の東側にあった不動堂の屋根は苔むしていて、紅葉と美しいコントラストとなっていた。不動堂は建久9年(1198年)に創建され、その後天保5年(1834年)、明治41年(1908年)、平成10年(1998年)に再建されている。1952年3月29日に国宝に指定されている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 36mm ISO800 ) 露出補正 なし
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40.蓮池
不動堂の南側に池があり、太鼓橋が掛けられている。昭和の初頭まではこの池に蓮がたくさん群生していたようで、その蓮に因んで「蓮池」の名前が付けられている。 蓮池には、古来、東側から小島に向けて太鼓橋が架かっていたが、2015年に池の西側から小島に向けて新しい太鼓橋が造営された。見えている橋はその新しい橋だ。池の向こうは道路であり、道路の向こうに遍照尊院がある。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 28mm ISO500 ) 露出補正 なし
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41.根本大塔とモミジ
壇上伽藍の東端にある東塔の辺りから、モミジの葉と根本大塔の屋根を撮った。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 51mm ISO400 ) 露出補正 なし
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42.蛇腹道
蛇腹道とは、伽藍の入口である金剛峯寺から壇上伽藍内(東塔)へ向かう小道のことを言う。写真は東塔の側からみた蛇腹道だ。蛇腹道という由来は、前編でもふれたように、高野山全体の寺院の並びを、蛇に見立てた時、ちょうどこの壇上伽藍に通じるこの道が蛇のお腹のあたりなるので「蛇腹道」の名前が付いたようだ。ここは高野山一番の紅葉のスポットである。午後3時半、観光客の数は少なくなった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 48mm ISO1000 ) 露出補正 なし
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43.金剛峯寺
時間が差し迫ってきていて、金剛峯寺にはお参りしなかった。総本山金剛峯寺という場合、金剛峯寺だけではなく高野山全体を指す。 高野山の本堂は、大伽藍にそびえる「金堂」が一山の総本堂になる。高野山の重要行事のほとんどは、この金堂にて執り行われている。 いわば狭義のこの金剛峯寺は、明治2年(1869年)に青巌寺と興山寺を一本化したもので、高野山真言宗総本山金剛峯寺の本坊が置かれた宗務上の中心地である。現存する建物の多くは文久2年(1862年)に再建された青巌寺のもので、大主殿、奥書院を中心に、経蔵、鐘楼など、真然堂、護摩堂、山門、会下門、かご塀など県指定文化財が並ぶ。この門を正門といい、金剛峯寺の建物の中で一番古く、文禄2年(1593年)に再建されて以来、今日に至っている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 37mm ISO1000 ) 露出補正 なし
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44.極楽橋駅
秋は日が暮れるのが早い。千手院前前からバスに乗って、ケーブル・カーの高野山駅まで来て、極楽橋へ下りた。写真は極楽橋駅に停車している16:47発の特急「こうや」である。これに乗って新今宮まで行く。今夜の泊りは奈良だ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 20 mm ISO2500 ) 露出補正 なし
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2018年11月26日

高野山前編 11月6日   高野山、奈良・長谷寺、室生寺と滋賀・湖東三山(1)

私の父母や兄夫婦が眠る墓が高野山にあるということは以前にも書いた。この春に、その菩提寺である「恵光院」から母の50回忌の知らせが兄の嫡男のところに届いていた。
 11月6日から2泊3日で、まず高野山にお参りし、翌日は奈良の長谷寺と室生寺を歩き、3日目は京都駅前から定期観光バスを利用して紅葉が美しいという湖東三山を巡るという計画を立てた。
 高野山では、午前中に「恵光院」本堂でのお参りと、墓参をしたかったので、新横浜始発の早朝6時発「ひかり」に乗った。「ひかり」を選んだのは、「大人の休日」切符を利用するためでもある。ところが、新大阪に到着して、高野山行きの南海電鉄に乗るために難波へ地下鉄で向かったのだが、通勤ラッシュの地下鉄が遅延してしまい、8時42分発の特急「こうや」に乗り遅れてしまった。幸い、9:00発の快速急行があり、予定より、30分ほど遅くなったが、10:01にケーブル・カーへの乗換駅である極楽橋に着いた。ケーブル・カーで高野山まで上がり、バスで苅萱堂前で下車、「恵光院」へ向かった。「恵光院」へは事前に知らせることなく、突然に行ったのだが、本堂で過去帳を前にお経をあげていただくことができた。若い僧だったが、なかなか良い声の立派なお経だった。
 前回の高野山墓参は、2014年5月22日でシャクナゲの花が咲くころだった。今回は紅葉のトップ・シーズンであり、観光客も多かった。2004年7月に高野山が「紀伊山地の霊場と参詣道」として、世界遺産に登録されて以来、外国人観光客も多い。
 wikipediaによれば、高野山は「和歌山県北部、和歌山県伊都郡高野町にある周囲を1,000m級の山々に囲まれた標高約800mの平坦地を指す。平安時代の弘仁7年(816年)に嵯峨天皇から空海(弘法大師)が下賜され、修禅の道場として開いた日本仏教における聖地の1つである。現在は壇上伽藍と呼ばれる根本道場を中心とする宗教都市を形成している。山内の寺院数は高野山真言宗総本山金剛峯寺(山号は高野山)、大本山宝寿院のほか、子院が117か寺に及び、その約半数が宿坊を兼ねている。2004年(平成16年)7月7日、高野山町石道と金剛峯寺境内(6地区)、建造物12件が熊野、吉野・大峯と共に『紀伊山地の霊場と参詣道』としてユネスコの世界遺産に登録された。さらに2016年(平成28年)10月24日、高野参詣道(町石道を含み登録名称変更)として黒河道、女人道、京大坂道不動坂、三谷坂が世界遺産に追加登録された。」とある。
 次に墓前に向かう。「恵光院」から自動車道と別れ、一の橋を過ぎるといよいよ奥の院の霊域に入る。参道の両側には、戦国武将や江戸時代の大名、歴史に名を馳せる高僧を含む、20万基とも40万基ともいわれる墓石が所狭しと立ち並び、この世とは思えぬ幻想的な風景が広がる。石畳の道が弘法大師御廟まで約2km続く。樹齢数百年を超える杉木立の中を歩く。途中「中の橋駐車場」からの道と合流してさらに進んだところに「姿見の井戸」があるが、その近くに父母が眠る先祖の墓がある。墓の掃除はいつもお願いしている石屋さんに事前にお願いしておいたのできれいになっていた。
 高野山で母の50回忌のお参りをした後は、家内の友人の息子さんが眠る「正智院」へ行った。立派なお寺だった。趣旨を告げるとご住職に本堂へ案内され、お参りすることができた。そのあと、「正智院」の客間や庭を見せてくださった。

1.九度山駅
南海電車高野線は車輪の音をきしませながら、急勾配を登る。九度山駅に着いた。六文銭が描かれている。関ヶ原で西軍が破れ、徳川家康は昌幸と幸村を死罪にするつもりでいたが、幸村の兄・信幸と義父・本多忠勝の懇願もあり、特例として2人に高野山での謹慎を命じた。そののち、14年間住んだ九度山で、幸村は周辺の農民とも親しくなっており、幸村の心境を察した農民は大坂城に向かう幸村親子の出立に協力した。1614年(慶長19年)に大阪冬の陣となった。また、慈尊院は九度山駅から徒歩20分のところにある。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 22mm ISO320 ) 露出補正 なし
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2.南海電車高野線
高野線は山の斜面を走る。はるか下のほうに集落が見える。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 20mm ISO320 ) 露出補正 なし
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3.極楽橋
高野線の終点は極楽橋だ。標高は535mである。橋本駅からは443m登ってきたのだ。ここからケーブル・カーで867mの高野山駅まで登る。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 37mm ISO500 ) 露出補正 なし
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4.「恵光院」 -1
菩提寺である「恵光院」に着いた。「恵光院」は準別格本山で、宿坊でもある。外国人の泊り客も多いようだ。英語の案内も書かれている。そのホームページによれば、「恵光院」は弘法大師がこの地に五重の宝塔を建立し、弟子の道昌僧都が諸人の廻向(先祖の御供養)をおこなった事から、廻向院と呼ばれていた。宝永年中(1704~)頃、徳川8代将軍吉宗の命により現在の「恵光院」に改められたそうだ。延慶元年(1308)には、京都の東寺より量調阿闍梨が当院へ転任され再興し、永禄(1558~)の初め頃になって、薩摩藩17代当主島津兵庫頭義弘と縁を深め檀那関係にあった。また明智光秀の菩提寺でもある。本尊は阿弥陀如来、弘法大師、不動明王が祀られている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO250 ) 露出補正 なし
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5.「恵光院」客間から
「恵光院」では、本堂で読経をしていただいたが、その準備の間、前回宿泊した2階にある客間でしばらく待った。その2階の部屋から撮ったカットである。正面が門で、本堂は2階から右側に上がっていく。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 17mm ISO320 ) 露出補正 なし
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6.本堂と阿弥陀如来像
ご本尊の阿弥陀如来像。その前に位牌を置いて読経をしてくれた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/15秒 37mm ISO3200 ) 露出補正 なし
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7.「清浄心院」
「恵光院」の門を出て、右へ一の橋に向かう。バス通りの左側に別格本山の「清浄心院」があった。ホームページを見ると、「清浄心院」は天長年間(824~34)に高祖弘法大師により草創され、初め喜多坊と称されていたが、 後に勅命により現院号である清浄心院に改めたと伝えられている。一帯は清浄心院谷と呼ばれている。春は桜が咲き、銘木と言われる傘桜は、太閤豊臣秀吉が花見を催したという逸話も残されているそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 20mm ISO800 ) 露出補正 なし
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8.一の橋付近
奥の院(弘法大師御廟)に向かって歩き、一の橋のところでバスが通る車道と別れ、石畳の参道へと入る。奥の院へは一の橋から参詣するのが正式なルートとされている。一の橋は正式には「大渡橋」や「大橋」と言われ、お大師様がここまで送り迎えされると伝わっている場所でもあって、ここで一礼して橋を渡る。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 20mm ISO1000 ) 露出補正 なし
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9.杉並木の道
一の橋から奥の院までの約2㎞の参道には、樹齢数百年を超える杉の老木が連なり、その間に20万基を超えるという諸大名から庶民の墓石や慰霊碑などが並んでいる。空が少ししか見えないほど参道は高い木々で覆われている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 25mm ISO2500 ) 露出補正 なし
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10.石燈籠
参道の両側には石燈籠が並ぶ。灯りが入っていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/400秒 16mm ISO3200 ) 露出補正 なし
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11.中の橋付近
墓前にてお参りをしたが、その先奥の院への参道は、8月の台風20号の影響で倒れた杉の大木を撤去する作業が行われていて、通行止めになっていた。そのため、中の橋の手前を一旦右へ迂回し、中の橋バス停のほうへ出て、奥の院へ向かうことになる。このあたりも紅葉がきれいである。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO200 ) 露出補正 なし
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12.「英霊院」付近
杉並木の一本右側の道を奥の院へ進んでいくと、高野山では紅葉の美しいポイントになっている英霊院の前に出てきた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 26mm ISO320 ) 露出補正 なし
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13.台風21号の爪痕
大きなお墓が崩れていた。台風21号の影響で奥の院の弘法大師御廟近くの「奥院経蔵」など複数の国重要文化財も破損してしまったようだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO2500 ) 露出補正 なし
181106_013.jpg
14.水向地蔵
左手に水向地蔵が見える。説明板には、「玉川の清流を背にして、金仏(金属製の仏)の地蔵菩薩や不動明王、観音菩薩が並んでいる。奥の院に参詣する人々は右側にある御供所で水向塔婆を求め、この地蔵に納め、水を手向けて先祖の冥福を祈る。」と書かれていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO400 ) 露出補正 なし
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15.観音菩薩像 -1
水向地蔵の一番奥に他の像に比べて背の高い観音菩薩像があった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 14mm ISO640 ) 露出補正 -0.7段
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16.観音菩薩像 -2
水向地蔵は水掛け地蔵とは異なるようだ。水向地蔵では仏さまには水を掛けない。供養の正しい仕方は、供養したい故人がいれば、その人の名前や法名を塔婆(経木)に書いて、水向地蔵の足元に置いて、その塔婆に3回水を掛けながら大日如来さまの真言を唱えるのだそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 27mm ISO500 ) 露出補正 -0.7段
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17.「恵光院」 -2
奥の院へ参詣し、再び「恵光院」へ戻ってきた。スーツケースを受け取って、苅萱堂前でバスに乗り、壇上伽藍に近い千手院前まで行く。高野山へ来るたびに立ち寄る紀州南高梅の梅干し屋さんで買い物をし、またスーツケースを預ける。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 23mm ISO320 ) 露出補正 -0.7段
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18.高野山の街並み
千手院前から壇上伽藍へとバス通りを歩く。写真は奥の院の方向を振り返ったところ。左側は金剛峯寺だ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
181106_018.jpg
19.蛇腹道
金剛峯寺前の六時の鐘の櫓から壇上伽藍へ通じるまっすぐな細い道を蛇腹道と言い、高野山では紅葉のスポットとして有名である。蛇腹道という由来は、高野山全体の寺院の並びを、蛇に見立てた時、ちょうどこの壇上伽藍に通じる蛇腹道が、蛇のお腹のあたりなるので「蛇腹道」の名前が付されたようだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 27mm ISO320 ) 露出補正 なし
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20.「明王院」
蛇腹道は戻るときに通ることにして、その1本北側の広い道を「正智院」目指して進む。右側には大きな寺院が並ぶが、この「明王院」もその一つである。「明王院」は高野山に於ける最も初期の寺院であったと云われ、日本三不動のひとつとして知られる赤不動明王が本尊として祀られている。国宝赤不動明王と彫られた石柱が立っていた。高野山の塔頭寺院である。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 18mm ISO400 ) 露出補正 なし
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21.「宝城院」への道
紅葉がきれいなこの細い道の先に「宝城院」がある。インタネットで調べてみると、「宝城院」は約900年前、平安時代の終わりごろに権力を持っていた後白河法皇が高野山に参詣した時に、建立された寺院だそうだ。現在では元閑院宮家の御菩提所で、重要文化財にして秘仏とされる弁財天を所蔵している。高野山は宿坊が旅館のようになっているが、「宝城院」の宿坊は、高野山有数の近代的な宿坊だという。客室はすべて個室の冷暖房完備でエレベーターやスロープまで敷設されている。また、1度に30名が利用できる大浴場の他に一回り狭い広さの中浴場も完備されているそうだ。一部の客室からはライトアップされた根本大塔を見ることができるという。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 37mm ISO640 ) 露出補正 なし
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2018年11月22日

日光東照宮と古峯神社・古峯園 バスツアー(3) 古峯神社と古峯園 10月27日

日光東照宮近くのバス駐車場を出発し、日光宇都宮道路を走って約1時間半、栃木県鹿沼市の古峰ヶ原というところにある古峯神社に到着した。
 wikipediaによれば、「古峯神社は大芦川上流に位置し、もともと古峰ヶ原(こぶがはら)は修験者達の休息場だったらしい。その後天狗の社として関東、東北各地で信仰を集めるようになる。特に明治に入り1880年代以降、各地で開通する蒸気機関車が火の粉を撒き散らすようになったが当時の民家は茅葺きであるため火の粉に弱く、羽扇を持つ天狗が火防(ひぶせ)の霊験大として信仰を急速に集めるようになった。栃木でも1890年(明治23年)に日本鉄道日光支線(現JR日光線)が開通すると、一層盛んになった。関東・東北の各集落に「古峯講中」「こぶがはら講」が存在し、 村の代表が代参して、奉納された多数の天狗の面や額に見守られながら、お籠もりをする。一の鳥居(24.6m)は銅製としては日本最大の大きさを誇る。」とあった。その銅製の一の鳥居は、バスで通ってきたところだ。
 失礼ながら、神社への参拝は後にして先に、古峯園へ入る。古峯園は言うまでもなく、古峯神社の庭園だが、紅葉にはまだ早いと思っていた。ところが予想以上に見事な紅葉を見ることができた。古峯園は関東一と名高い大芦川の清流を引き、広大な自然の地形を生かして造られた面積はおおよそ82,500㎡(25000坪)の廻遊式日本庭園であるが、いつ造られたかは分からなかった。それほど古いものではないように思う。だが、この庭園は思っていたより立派だった。

52.「汽車弁当」
明治18年宇都宮駅開業と同時にゴマ塩おにぎり2個を竹の皮に包み5銭で売り出したのが発祥と言われる。その宇都宮の「汽車弁当」がこの日の昼食だった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/500秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
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53.前日光の山々
栃木県西部、鹿沼市の北西部、足尾山地にある地域。ヤマトタケルノミコト (日本武尊)を祀り、古峰神社は五穀豊穰と防火の神として知られる。一帯は前日光県立自然公園に属する。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 67mm ISO160 ) 露出補正 なし
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54.大芦川の清流
大芦川の清流を眺めながら、古峯神社の参道を進む。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 13mm ISO640 ) 露出補正 なし
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55.古峯神社
鳥居をくぐって古峯神社の境内に入る。古峯神社は右側へ上がって行ったところにお社がある。紅葉が始まっていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 28mm ISO640 ) 露出補正 なし
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56.古峯園入り口
バスツアーの皆さんは神社への参拝は後回しにして、古峯園へと入っていく。古峯神社神苑「古峯園」、この庭園内には、裏千家の「又隠」(裏千家の代表的な茶室)を写した茶室「峯松庵」や、中京の名家神野家から茶席と待合が移築され、床柱と落掛には金閣寺の古材を使った茶室「翠滴」、水辺に錦鯉が群れ集う立礼席「静峯亭」など多くの数寄施設がある。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 12mm ISO800 ) 露出補正 なし
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57.大芦川に架かる橋
古峯園の門をくぐると、橋が掛かっていた。橋の途中から上流を眺める。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 12mm ISO800 ) 露出補正 なし
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58.古峯園への橋
古峯園の門をくぐって、橋を渡る。橋の上から古峯園入り口の門を振り返った。紅葉が良い。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 16mm ISO1000 ) 露出補正 なし
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59.古峯園の池
橋を渡って庭園の中に入ると大きな池が広がる。池の向こうは紅葉が始まっていた。これは入り口から左側を眺めたところ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 30mm ISO1250 ) 露出補正 なし
181027_059.jpg
60.峯の茶屋 -1
池の右側には、積み上げられた石垣の上に「峯の茶屋」という茶店がある。池の対岸から眺める紅葉は、まだ少し早いようだが、美しい。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 48mm ISO1000 ) 露出補正 なし
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61.御神木 御神木があった。周りの苔がまた良い。神木はヒノキで、近郊の林業に携わっている人たちからこの古峯神社は「良い種木が採れる」「木が真直ぐにすくすく育つ」とされ、「子宝」「子授け」の神社と崇敬されているとのこと。推定樹齢250年、樹高32m 太さ2.9m 。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 48mm ISO1000 ) 露出補正 なし
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62.「峯の滝」 -1
造られた滝だろうがなかなか風情がある。張り出したモミジと、緑のコントラストも良い。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 48mm ISO1000 ) 露出補正 なし
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63.池と紅葉
池を右回りに「峰の茶屋」に進む。そこから見る池の対岸。池の水面に色づいた樹々が映る。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 11mm ISO640 ) 露出補正 なし
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64.池の周り
池の周りは歩いて一周できる。池を4分の1ほど回ったところから、紅葉を背に立礼席「静峯亭」が見えた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 16mm ISO1250 ) 露出補正 なし
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65.「峯の茶屋」 -2
ここで季節ごとに風雅な表情と彩りを持つ庭園を見ながら、食事(軽食・懐石料理)、甘味などをお楽しむことができるという。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 16mm ISO2500 ) 露出補正 なし
181027_065.jpg
66.「峯の茶屋」からの眺め -1
「峯の茶屋は石垣の上にある。そこから峰の滝から池に流れ込む水を眺める。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 25mm ISO3200 ) 露出補正 なし
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67.「峯の茶屋」からの眺め -2
「峯の茶屋」の石垣の上からは、自然の地形を生かして造られた、おおよそ82,500㎡(25000坪)の廻遊式日本庭園である古峯園のほぼ全景が眺められる。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 15mm ISO800 ) 露出補正 なし
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68.ガラス戸に移る紅葉
「峯の茶屋」の座敷をのぞき込むと、そのガラス戸にモミジが映り込んだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/250秒 21mm ISO3200 ) 露出補正 なし
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69.茶室
「翠滴」という茶室があった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 16mm ISO1250 ) 露出補正 なし
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70.ウメモドキ
池の入り口から見た反対側は、木々の間を歩く道になっている。9月に舞岡公園で見たウメモドキはまだ葉が若かった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 16mm ISO1600 ) 露出補正 なし
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71.幹に絡む紅葉
葉の形を見るとどうもツタではなさそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 16mm ISO2000 ) 露出補正 なし
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72.「峯の茶屋」 -3
振り返って「峯の茶屋」を眺める。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 29mm ISO2000 ) 露出補正 なし
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73.「峯の滝」 -2
「峯の滝」の近くまで下りることができる。熱心に写真を撮っている先客があった。カエデの色が鮮やかだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 39mm ISO3200 ) 露出補正 なし
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74.色鮮やかなカエデ
「峯の滝」から落ちてきた水を背景にモミジの葉が輝いていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 65mm ISO3200 ) 露出補正 なし
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75.「静峯亭」
池を4分の3周してきた。入ったときに池の左側に見えていた立礼席「静峯亭」のところへ来た。手を叩くと池の鯉が寄ってくる。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 41mm ISO1600 ) 露出補正 なし
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76.古峯神社と天狗
古峯神社の祭神の使者である天狗は災厄を除災するとして古くから信仰を集めており、別名「天狗の社」とも呼ばれ、境内では大小様々な天狗に逢うことが出来るそうだ。昨今、ご朱印集めが流行っているようで、今回のツアーの参加者の中でも行く先々でご朱印をいただいている方がいた。ここのご朱印は興味がある。天狗の社と呼ばれるだけあって、様々な天狗が描かれているが、手書きであるので同じものはないとのことだ。この絵のものが欲しいと言っても、書く人が違えば無理なのだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
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77.古峯神社社殿
日光山を開いた勝道上人は、ここで修行を積み古峯の大神の御神意によって、日光開山の偉業を成しとげられたと伝えられる。 この縁起にもとづき、古峯神社を中心とする古峯ケ原は日光全山26院80坊の僧たちが、修行に励む霊地となり、明治の初めの神仏分離令で現在の古峯神社となった。社殿には江戸時代に奉納された鼻の高さがおよそ90cmもある大天狗の面が高下駄とともに掲げられている。 また、「天狗の宿」として知られる当社の参籠は、昔から全国に知れ亘り、翌朝黎明の一番祈祷を受けて下山する慣わしは創始以来執行され、当神社の一大特色だそうだ。厳粛に斎行されるこの一番祈祷を受けることにより、崇敬者はより一層の御神陵(みたまのふゆ)を賜るものとして深く信じられており、古来より今日に至る迄、変わることなく受け継がれているという。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO640 ) 露出補正 なし
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78.古峯神社の鳥居と参道
あとさきになってしまったが古峯神社社殿でお参りをして、バスの待つ駐車場へ戻る。鳥居と参道を振り返る。14:30に帰路に着く。秋の日は暮れるのが早い。今日は降水確率80%という予報だったが、雨が降ることはなく、ラッキーだった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO1600 ) 露出補正 なし
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2018年11月18日

日光東照宮と古峯神社・古峯園 バスツアー(2) 輪王寺大猷院 10月27日

東照宮で改修なった眩いばかりの「陽明門」や「三猿」を堪能した後、二荒山神社へ回って、輪王寺大猷院に向かったのは11時20分ごろだった。二荒山神社を神門から出て右側に、輪王寺大猷院の入り口がある。この時間になって、境内は霧が降りたような感じになったが、幸い雨は落ちてこなかった。
 今回の日帰りバスツアーのタイトルに「秋色に染まる日光東照宮・・・」とあったが、東照宮と二荒山神社では紅葉らしい紅葉は見られなかった。やっと、輪王寺の境内では色づいたモミジが見られた。
 輪王寺は東照宮、二荒山神社が神社なのに対しお寺なのだ。wikipediaによれば、輪王寺は、766年(天平神護2年)に下野国出身の奈良時代の僧、勝道上人により開創されたと伝えられている天台宗の門跡寺院である。明治初年の神仏分離令以後、東照宮、二荒山神社と併せて「二社一寺」と称されている。近世まではこれらを総称して「日光山」と呼ばれていた。現在、「日光山」は輪王寺の山号とされている。
 また、輪王寺は日光山中にある寺院群の総称でもあるのだ。表参道を上がってくると東照宮の手前に、輪王寺の境内があり、そこには現在修復中の三仏堂がある。少し余談になるが、東日本最大の木造建築ともいわれる「日光山 輪王寺・三仏堂」の約50年ぶりの修復工事(平成の大修理)が、平成19年から平成30年までの予定で行われている。約10年間という長期に渡っての大修繕である。三仏堂を覆う「素屋根」が完成し、地上26メートル、ビルの7階に位置する「天空回廊」が平成23年4月29日に設けられ、三仏堂の屋根頂上と同じ高さから修理現場を見学でき、さらに外に目を向ければ東西に広がる日光門前町の眺望が眺められる日光山の新名所となっていた。しかし、本堂(三仏堂)の修理完了へ向け、平成30年3月より素屋根の解体が開始され、「天空回廊」は3月31日をもって終了となった。残念。
 東照宮、二荒山神社のさらに奥の離れたところにある輪王寺大猷院は、徳川三代将軍「家光公」の廟所(墓所)である。

27.輪王寺大猷院 入口
二荒山神社の神門をでて下ってくると、右手に輪王寺大猷院の境内が見えた。実はここは、日光輪王寺本坊のすぐ近くなのだ。三仏堂のあたりから、輪王寺大猷院を含む広大な輪王寺境内を形成している。さらに中禅寺湖畔には、輪王寺の別院として中禅寺立木神社がある。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 21mm ISO400 ) 露出補正 なし
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28.常行堂
輪王寺大猷院のほうへ歩き出すと、すぐ左に常光堂があった。輪王寺のホームページによれば、常光堂は嘉祥元年(848年)に慈覚大師円仁によって、比叡山延暦寺の「にない堂」に模して建立された。純和様の宝形造で、隣の純唐様の法華堂との間に、歩廊を設け接続されている。この形式は大変珍しいもので、現在では比叡山延暦寺と、ここ輪王寺常行堂の二か所のみとなっているそうだ。常行堂の本尊阿弥陀如来の修理完成を記念して特別参拝が行われていた。

SONY C yber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/80秒 12mm ISO3200 ) 露出補正 なし
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29.仁王門
常行堂の先の右側に、半分紅葉しているカエデがあった。その向こうに霧にかすんで仁王門が見える。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 26mm ISO320 ) 露出補正 なし
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30.仁王門石段
仁王門の石段を上がっていくとその向こうに紅葉した木々が見えた。仁王門は輪王寺大猷院の最初の門で、重要文化財に指定されている立派な門だ。その黒と赤の深みと金の輝きは偉容である。口を開いた「阿形」と、口を閉じた「吽形」の2体の仁王像「金剛力士像」が安置されている。「阿形」は密迹金剛、「吽形」那羅延金剛。「阿吽の呼吸」はここから来ていると言われている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 38mm ISO640 ) 露出補正 なし
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31.紅葉を撮る人
仁王門を入ると広場があった。右に御水舎があり、その左は二天門への石段がある。その間に色づいたカエデがあった。ここは東照宮と比べると、とても静かだ。輪王寺は寺なのだが、神社のように御水舎があるのは、明治時代前の神仏習合の名残である。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 39mm ISO640 ) 露出補正 なし
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32.仁王門付近
仁王門の石段を上がって、二天門に続くところは広場になっている。そこに御水舎があるが、その傍の木々が紅葉を始めていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 23mm ISO320 ) 露出補正 なし
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33.二天門
そのカエデの紅葉を眺めながら二天文の石段に向かう。輪王寺大猷院のHPのよれば、二天門は世界遺産日光の境内で1番大きな門だそうだ。桁行5間(約10m)、梁間3間(約6m)ある。持国天(じこくてん)、広目天(こうもくてん)の二天を安置している事から二天門と呼ばれている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 13mm ISO800 ) 露出補正 なし
181027_033.jpg
34.二天門とカエデ
紅葉はまだ十分ではないが、紅葉した赤い葉と、これから紅葉する緑の葉が美しい。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 31mm ISO800 ) 露出補正 なし
181027_034.jpg
35.二天門の像
門の正面左右には二天門の名の由来となる「二天」、四天王の内の「持国天」と「広目天」が安置されている。こちら側、すなわち正面の左側(東)を守護するのが「持国天」である。一方、右側(西)を守護するのが「広目天」だ。wikipediaによれば、四天王は、仏教の世界観における須弥山の中腹にある四天王天の四方に住んで、仏教を守護する四つの神(東方の持国天、南方の増長天、西方の広目天、北方の多聞天)のことだそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 13mm ISO3200 ) 露出補正 なし
181027_035.jpg
36.二天門の扁額
二天門は重要文化財で、創建は1653年(承応2年)で2012年(平成24年)に再建されている。正面の扁額は、108代天皇「後水尾上皇(ごみずのおじょうこう)」による筆という。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 12mm ISO2500 ) 露出補正 なし
181027_036.jpg
37.御水舎
二天門をくぐって、夜叉門へと続く石段の上は踊り場のようになっていて、ここから、御水舎と紅葉し始めたカエデを眺める。御水舎の屋根は四隅に各3本ずつ計12本の御影石の柱で支えられた構造をしていて東照宮の御水屋と同じ構造になっている。東照宮では御水屋と称され、ここ輪王寺大猷院では御水舎と呼ばれている。御水舎は 銅瓦葺切妻造り軒唐破風の建物で、天井には、狩野安信の龍の墨絵が描かれていて、その龍が水盤に映し出されることから、「龍鏡」、「水飲み龍」とも呼ばれていたそうだが、現在では墨が薄くなっているのではっきりとは映らなくなっている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 12mm ISO1250 ) 露出補正 なし
181027_037.jpg
38.二天門からの眺め
二天門の上から 御水舎の左を見ると、大きな建物と広い庭が眺められた。ひっそりとしている。これは竜光院だろうか? 大猷院霊廟別当所竜光院とすると、これも重要文化財に指定されている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 29mm ISO3200 ) 露出補正 なし
181027_038.jpg
39.夜叉門への石段
石段は二天門から、夜叉門へと続く。写真は夜叉門から二天門を振り返ったところ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 16mm ISO1250 ) 露出補正 なし
181027_039.jpg
40.拝殿 本殿
夜叉門をくぐると、拝殿、相の間、本殿が現れた。写真に見られる説明札には、「大猷院の中心となる建物で、国宝に指定されています。ここでは月に一度法要が行わら画ます。特に家光公の御命日にあたる4月20日の法要は大きなものです。手前から拝殿・相の間・本殿、と3っの部屋の並ぶ造りを権現づくりといいます。たくさんの金箔が使われていることから、別名を金閣殿と呼ばれています。」と記されていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO800 ) 露出補正 なし
181027_040.jpg
41.本殿
輪王寺大猷院のホームページによれば、拝殿に続く本殿の最奥部、「厨子(御宮殿/ごくうでん)」の中には、現在、宝物殿で初公開中の「家光公座像」と「御位牌」が、又その前後には、家光公の本地「釈迦如来」(非公開)が奉安されている。この建物を「廟(びょう)」といい、参り墓を意味し、一般の人たちの正式な参拝所となる。金、黒、赤の彩色をくまなく施された外観は、別名「金閣殿」の呼び名があるほど豪華で、江戸芸術の極みを示している。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 11mm ISO2000 ) 露出補正 なし
181027_041.jpg
42.皇嘉門
夜叉門から入って本殿の右側に皇嘉門がある。もちろん重要文化財だ。大猷院の最も奥に位置する家光公廟へは、この「皇嘉門」から入る。中国、明朝の建築様式を取り入れたその形から、一名「竜宮門」とも呼ばれてる美しい建物でである。門を潜るときに見上げると、天上には「天女の画像」が描かれており、これから先が家光公の霊を奉る聖域であることを象徴している。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO400 ) 露出補正 なし
181027_042.jpg
43.石垣の苔
皇嘉門に続く本殿脇の石垣には苔がむしていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 10mm ISO500 ) 露出補正 なし
181027_043.jpg
44.夜叉門
この写真は拝殿、本殿側から見た夜叉門である。夜叉門には、4体の夜叉「阿跋摩羅(あばつまら)、毘陀羅(びだら)、烏摩勒伽(うまろきゃ)、犍陀羅(けんだら)」が、安置されている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 10mm ISO1250 ) 露出補正 なし
181027_044.jpg
45.唐門
夜叉門を潜り拝殿の前、大猷院の中心に位置するのがこの唐門だ。輪王寺のホームページによれば、その名のように唐破風を持つ、一間一戸の小規模な門だが、隅々まで繊細な彫刻と金、白を基調とした彩色が施されており、その意匠装飾は大変気品のある。柱や貫・梁には七宝・麻の葉などの細かい地模様が彫られ、扉には上に鳳凰、下に唐草、前後の破風の下には雄雌の双鶴と白竜などの彫刻で余すところ無く、美しく装飾されている。両側の袖塀の羽目には多くの鳩が彫られ、百間百態の群鳩とされている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 10mm ISO500 ) 露出補正 なし
181027_045.jpg
46.夜叉門正面
戻る際に撮った写真なので、前後してしまったが、夜叉門の内側の写真である。背後に拝殿、本殿がある。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 10mm ISO800 ) 露出補正 なし
181027_046.jpg
47.二天門から
紅葉のポイントはここしかないので、再びカメラを向ける。皆さん、この色づいたカエデの写真を撮っている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 10mm ISO640 ) 露出補正 なし
181027_047.jpg
48.灯篭の並ぶ道
さっき二天門の上から見た竜光院への道のようだ。並んだ灯篭がシャッターを押させた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 18mm ISO640 ) 露出補正 なし
181027_048.jpg
49.灯篭と落ち葉
石燈籠の傘には、苔が生え、落ち葉が降る。落ち葉が真っ赤に染まったカエデの花なら、申し分ないのだが。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 24mm ISO1250 ) 露出補正 なし
181027_049.jpg
50.二荒山神社の鳥居
輪王寺大猷院の二天門から、常行院のところへ戻ってきた。二荒山神社の鳥居とその奥に神門が見える。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 42mm ISO1600 ) 露出補正 なし
181027_050.jpg
51.西参道
そろそろバスの駐車場へ戻らなくてはならない。西参道を緩やかに下っていく。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 34mm ISO1000 ) 露出補正 なし
181027_051.jpg


2018年11月15日

日光東照宮と古峯神社・古峯園 バスツアー(1) 東照宮 10月27日

日光東照宮の「陽明門」の修復が終わって見られるようになったと聞いていたので、是非、行きたいと思っていたところ、某旅行社より「秋色に染まる日光東照宮と古峯園・古峯神社 紅葉3景」という日帰りバスツアーの案内が届いた。さっそくインターネットで申し込んだ。
 天気予報は降水確率80%の10月27日、朝6時半に横浜駅東口に集合した。細かい雨が降っている。
 バスは東神奈川から首都高に入り、湾岸線の大井JCTを左へ、山手トンネルに入った。少々遠くなるのではないかと思ったがこのほうが早いのだろう。順調に池袋に抜けて、東北道に入った。
 途中、大谷PAで弁当が積み込まれ、宇都宮から日光道路を走り、東照宮表参道近くの日光カステラ本舗の駐車場に到着したのは、10時15分くらいだったと思う。表参道を歩いて、「五重塔」、「陽明門」や「三猿」などを見て、二荒山神社、そして家光の墓がある輪王寺大猷院を回って、バスに戻った。 日光を12時過ぎに出発したバスは鹿沼市古峰ヶ原(こぶがはら)にある古峯神社に向かう。バスの中で配られた駅弁を開く。到着した古峯神社・古峯園は紅葉も始まっていて、思っていた以上に見ごたえがあった。
 午後2時30分に古峯神社を出発、川口PAまで休まずに走り、首都高速が若干混んだものの、6時過ぎに横浜駅西口に帰着した。全行程で心配した雨に降られなかったのは幸いだった。
 まず、東照宮と二荒山神社のことから始める。それぞれの記事は、日光東照宮ホームページ、および「日光東照宮・ご朱印」というサイトを参考にさせていただいている。
 今回はあまりにも混んでいたので、2016年に修復された東回廊の坂下門にある国宝「眠り猫」は見なかった。

1.表参道を歩く
添乗員さんに案内されて歩く。バスの駐車場から東照宮への表参道へ通じる車も通る細い道は、小学校の生徒たちもいて、人が溢れていた。写真は表参道で「石鳥居」が見えるところ。日光東照宮のホームページによれば、この「石鳥居」は東照宮鎮座翌年の元和4年(1618)、九州筑前(福岡県)藩主黒田長政によって奉納された。石材は、まず九州から船で小山まで運ばれ、その後陸路人力でこの日光まで運ばれたそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO320 ) 露出補正 なし
181027_001.jpg
2.「表門」
「石鳥居」の先に「表門」が見えた。 東照宮最初の門で、左右に仁王像が安置されているところから「仁王門」とも呼ばれている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 13mm ISO160 ) 露出補正 なし
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3.「五重塔」
「石鳥居」をくぐって、「表門」に上がる石段の手前左側に「五重塔」があった。前回は12年前に来ているが、その時に見た「五重塔」はくすんでいたように思う。「五重塔」は慶安3年(1650)若狭の国(福井県)小浜藩主酒井忠勝公によって奉納された。文化12年火災にあったが、その後文政元年(1818)に同藩主酒井忠進公によって再建された。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 13mm ISO160 ) 露出補正 なし
181027_003.jpg
4.外国からの観光客
多分ツアーで来ているのだと思うが、外国人観光客のグループが「五重塔」の前で、ツアコンさんが[表門」で拝観受付をしているのを待っていた。さすがに外国人観光客が多い。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 12mm ISO640 ) 露出補正 なし
181027_004.jpg
5.「神厩舎」
「表門」をくぐって左側に見ざる、言わざる、聞かざるで有名な「三猿」の彫刻が掲げられている「神厩舎」があった。 「神厩舎」は、ご神馬をつなぐ厩(うまや)である。昔から猿が馬を守るとされているところから、長押上には猿の彫刻が8面あり、人間の一生が風刺されているという。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO1600 ) 露出補正 なし
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6.「神厩舎 」北側
猿の彫刻は全部で8面あるが、この北側に5面と、建物を右側に回り込んだ西側に3面ある。これら「神厩舎」の長押上にある8面の猿の彫刻は、人間の一生が風刺されているという。 向かって左から、第1面は母と子のくつろぎで母と子の絆の強さを表現している。第2面が有名な三猿で、親もとを離れる前に、世間の悪いことを見たり、聞いたりせず、また、人を傷付けるようなことを言ってはいけないと、兄弟三猿に対して親が戒めているとする見方と、自分に都合の悪いことがあれば、見ざる、聞かざる、言わざるで世の中を切り抜けよという処世術の教育であるともいわれるそうだ。第3面が親元を離れた猿、第4面は仲間と青雲の志を持つ。第5面は新たな展開を表し、第6面は恋愛中の猿。第7面は新婚の猿で、第8面は妊娠した猿の幸せそうな表情を表すそうだ。そして、子供が生まれると第1面に戻る。 

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 13mm ISO1600 ) 露出補正 なし
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7.「神厩舎」 「三猿」
第2面の有名な三猿の彫刻である。作者は不明だそうだ。12年前に見たときと比べると、修復され、鮮やかな色彩を放っていた。撮影条件は違うが上の写真は2006年に撮った。国重要文化財「神厩舎」の全8面にわたって取り付けられている「三猿」は、これまでも約10年ごとに修復作業を繰り返してきたが、8面すべてを塗り替えるのは65年ぶりという。屋外に面した彫刻は外気にさらされ傷みやすく、下地があらわになっていく。そのため、彫刻部を建物から取り外し、一度現状の色をすべて落としてから塗り直す方法がとられた。今回の修復も半世紀前に残された見取り図を見ながら、彫りの形に合わせ、猿の毛色や表情をゼロから描き上げたという。ゼロから描き直す以上、筆の先の太さ、筆のタッチなどが最終的に個人の力量や個性になるのは事実であり、以前のものと比べ、違和感を感じるのも当然だと言われる。それぞれの寺社によって修復へのスタンスは異なり、塗り直しはせず、劣化防止に力を入れるケースもあるが、日光東照宮は、江戸時代の造営以来、常に時代に合わせて修復を続けてきた。

上:Nikon D100 NIKKOR f3.5-4.5 28-105mm macro
プログラムオートで撮影 ( F4.5 1/60秒 66mm ISO400 ) 露出補正 なし 2006年11月9日 撮影
下:SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 39mm ISO1600 ) 露出補正 なし
181027_007.jpg
8.「陽明門」で記念写真
小学校の生徒たちが「陽明門」を背景にして記念写真を撮っていた。それにしても凄い数の観光客である。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 20mm ISO1000 ) 露出補正 なし
181027_008.jpg
9.輝く「陽明門」
日光東照宮では平成の大修理の第一期の3次工事が行われている。この国宝の「陽明門」の修復工事は、総工費に10億円かかると言われ、2013年から6年間の計画で開始された。当初は先行きが見通せない状況だったが、2017年(平成29年)3月、無事に工事が終了したそうだ。装飾廻りの根本的な更新修理が行われ、外部廻りの漆塗・彩色・錺金具の更新を主に、一部内部塗装の繕いのほか、屋根・足元・縁廻り等の消耗的箇所についても調査を行い、必要があれば部分的な木部解体修理が併せて実施されたという。そして、2017年3月10日、世界遺産・日光東照宮の国宝「陽明門」が約40年ぶりの大修理を終え、色彩鮮やかによみがえった至宝が一般公開されたのだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 32mm ISO1250 ) 露出補正 なし
181027_009.jpg
10.「陽明門」の扁額
日本を代表する最も美しい門で、宮中正門の名をいただいたと伝えられている。いつまで見ていても見飽きないところから「日暮の門」ともよばれ、故事逸話や子供の遊び、聖人賢人など500以上の彫刻がほどこされている。扁額には「東照大権現」とあった。1616年(元和2)家康が駿府で没すると,遺言に基づきいったん駿河久能山に葬り,翌年ここ日光山に遷葬、朝廷から「東照大権現」の神号が授けられた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 46mm ISO3200 ) 露出補正 なし
181027_010.jpg
11.「陽明門」の彫刻 -1
「陽明門」は、高さは11.1mの2層造りで、正面の長さは7m、奥行きが4.4mある。そこに施されている彫刻はそれぞれ見ごたえがある。これは「御宮並脇堂社結構書」という日光東照宮に関して記された書物に出てくる架空の動物(霊獣)のようだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 94mm ISO2500 ) 露出補正 なし
181027_011.jpg
12.「陽明門」の彫刻 -2
「陽明門」には、一切の空間を埋め尽くすかのように施された、おびただしい数の彫刻がある。この数は正確には知られていなかったが、 改めて数えて見た結果、独立した彫刻が508体あったという。そのうち 156体 が人物の彫刻だそうだ。これらの彫刻は、狩野探幽の作品に数多く登場することから、陽明門のデザインに関しての総指揮は、狩野探幽が単独で一任されていたのではないかと言われている。「陽明門」の上層の高欄(手すり)には「唐子の知恵遊び」と呼ばれる子供が彫られている。 子供の彫刻の少し下にある「出組(組物)」の下にも多数の人物の彫刻が存在する。写真にあるような、これらの人物の彫刻は、かつて中国の歴史上に存在した22人の著名人と伝えられ、戦乱の多かった中国を安寧(平和)に導いた人物とされている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 51mm ISO3200 ) 露出補正 なし
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13.「陽明門」の随身 右大臣
写真は「陽明門」の向かって左側の随身像である。随身とは、平安時代の武装した格好の人形のことを言い、通常は左大臣、右大臣(矢大臣)と呼称される。随身像は、寺の仁王像と同じ役割りを持っており、神に仕えて神を守護する者と言うことになる。こちらが右大臣である。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/320秒 55mm ISO3200 ) 露出補正 なし
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14.「陽明門」の随身 左大臣
こちらは左大臣。「陽明門」の出入りは右側通行になっていて、人込みで右大臣と左大臣を一緒に撮れなかったので、「陽明門」を退出した時に撮った。随身は等身大で、かつ写実的であるため、江戸時代には「生る人に違はず」と言われた傑作だそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 18mm ISO2500 ) 露出補正 なし
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15.狛犬
随身像の後ろ側には狛犬があり、ピカピカに輝いていた。日光東照宮のホームページによれば、この狛犬は滋賀県の大宝神社が所蔵する国宝(現在は重文)の狛犬を模して、大正5年に製作したものだそうだ。狛犬は一般的に唐獅子と狛犬(角がある)の一対を総称した呼び名だが、「陽明門」の一対にはどちらにも狛犬の特徴である角が付いていないので、両方唐獅子という珍しいものだという。写真は右の狛犬(吽形)である。そして、欄間には鳳凰、牡丹、桐の花の透かし彫りがある。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO1250 ) 露出補正 なし
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16.「唐門」
国宝である。全体が胡粉で白く塗られ、「許由と巣父(きょゆうとそうほ)」や「舜帝朝見の儀(しゅんていちょうけんのぎ)」といった細かい彫刻がほどこされている。創建は1617年(元和3年/江戸時代前期)で、1636年(寛永13年/江戸時代前期)に再建された。この「唐門」は「本殿」を守護する真正面の門であり、四辺に「唐破風(からはふ)造りの屋根」が備え付けられていることから「四方唐破風造(しほうからはふつくり)」と呼称されている。「唐門」の大きな特徴として、左右にひときわ目を惹き付ける昇龍と降龍の彫刻がある。龍は屋根上の左右両端にも備え付けられており、屋根上の龍はヒレが切られた龍になっている。さらにその両端の龍の間の破風の頂には「恙(つつが)」と呼称される唐獅子が備え付けられている。この「唐門」に施されている彫刻の数はなんと611(うち人物が64人)もあり、この数は「陽明門」を上回る数である。

上:SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO1250 ) 露出補正 なし
下:SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 15mm ISO1640 ) 露出補正 なし
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17.「神輿舎」
重要文化財である。1636年(元和3年/江戸時代前期)に創建された。「神興舎」は「しんよしゃ」と読む。殿舎の四辺の一辺の長さは約6mあり、この中に「春秋渡御祭」(5月18日、10月17日)に使われる、3基の神輿が納められている。神輿が3基あるのには本殿で家康公と相殿として祭祀されている御祭神の豊臣秀吉公と源頼朝公(卿)の御霊を乗せる神輿であるからだそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 10mm ISO1600 ) 露出補正 なし
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18.家康公の神輿
中央に主祭神である家康公の神輿があった。干支の虎と竹が彫られている。蝶の飾りもあった。寛永13年に制作された初代の神輿は重さが1トン以上もあったそうだが、現在の二代目は昭和40年代に制作されたもので800㎏だそうだ。徳川家康を静岡の久能山から日光に改葬した際の行列を再現する「春秋渡御祭」では、10月17日に開催される秋の「神輿渡御祭」は、春より規模を縮小して開催されるが、それでも約800人の鎧武者や騎馬、鉄砲持ち、稚児などの行列は絢爛豪華な歴史絵巻を再現しており目を見張るものがあるという。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/160秒 23mm ISO3200 ) 露出補正 なし
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19.「鼓楼」と「本地堂(鳴竜)」
「陽明門」の石段の上から「鼓楼」と「本地堂」を見る。 日光東照宮の「鼓楼」と「鐘楼」は一対で設置されている。一対で設置される場合、基本的にはその構造、大きさなどあまり変わりないようにつくられる。だが細部が微妙に違うようだ。「陽明門」から見て右側にこの写真で見られる「鼓楼」があり、左側に「鐘楼」がある。「鐘楼」、「鼓楼」は1635年(寛永12年)に建てられた。かつては実際に使っていたそうで、日光東照宮の祭礼は「鼓楼」の太鼓の音に始まり、 「鐘楼」 の鐘の音で終わったということだそうだ。そして、「鼓楼」の後方にあるのが「本地堂」だ。東照宮境内最大の建物で、創建は1636年(寛永13年/江戸前期)、1961年(昭和36年)に再建された。34枚の檜の板に描かれた6mX15mの「鳴竜」の天井画が有名で家康公を薬師如来の化身としたことから 「薬師堂」とも呼ばれ、「薬師瑠璃光如来像」が祀られている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO800 ) 露出補正 なし
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20.二荒山神社への道
東照宮から上新道(うわしんみち)を二荒山神社へと歩く。あんなに混雑した「陽明門」だったのに、ここは人が少なかった。wikipediaによれば、二荒山神社では、古名を二荒山という男体山、女峰山、太郎山からなる「日光三山」それぞれに祭神をあてて祀っている。三山のほか日光連山を境内地とし、面積は3,400haにも及び、その神域には華厳滝やいろは坂も含まれる。二荒山神社は古来より修験道の霊場として崇敬された。江戸時代になり幕府によって日光東照宮等が造営されると二荒山神社も重要視され、現在の世界遺産・重要文化財指定の主な社殿が造営された。また、国宝指定の刀剣2口や多数の刀剣等の重要文化財を現在に伝えているほか、境内は国の史跡「日光山内」に包括されている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 30mm ISO2500 ) 露出補正 なし
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21.上新道と「楼門」
上新道は日光東照宮の入口となる「石鳥居」と「表門」の広場から、二荒山神社の入口となる「楼門」へ続く。その距離は約200mほどあり、徒歩で4、5分ほどかかった。前の写真で見るように、上新道の側面には、植生する杉の木と37基の燈籠がが整然と立ち並んでいる。この燈籠は1966年(昭和41年)に執り行われた「日光東照宮350年記念祭」を記念して奉納されたものだそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 30mm ISO2500 ) 露出補正 なし
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22.シロヤシオの紅葉
「楼門」を入ると鳥居があって、その左側に社務所があった。結婚式場にもなっているらしい。社務所の門の右手に見事に紅葉している1本の樹があった。この樹は「シロヤシオ(白八汐)」といい、太平洋側の山地に生息するツツジ科ツツジ属の落葉樹という説明書が掛けられていた。5-6月に咲く花は白く大柄だそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 10mm ISO800 ) 露出補正 なし
181027_022.jpg
23.二荒山神社拝殿 -1
国の重要文化財である。霊場としての日光の始まりは、下野国の僧・勝道上人(735年-817年)が北部山岳地に修行場を求め、大谷川北岸に天平神護2年(766年)に紫雲立寺(現在の四本龍寺の前身)を建てたことに始まるとされる。そして二荒山神社の創建は、上人が神護景雲元年(767年)二荒山(男体山)の神を祭る祠を建てたことに始まるとされる。「拝殿」の創建年は不明とされているが、1645年(正保2年/江戸時代前期)に再建されているようだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO800 ) 露出補正 なし
181027_023.jpg
24.二荒山神社拝殿 -2
この「拝殿」の奥に「本殿」がある。「拝殿」と「本殿」の間には切妻造りの小屋のような建造物「渡殿」が設けられおり、渡廊の役割を担い、「本殿」と「拝殿」を連絡している。「本殿」は左右に妻側が向けられた入母屋造りで、正面の屋根には三角の千鳥破風、その軒下には緩やかな曲線の唐破風が据えられており、複雑さがありながら、実に完美とも言える造りになっているという。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 12mm ISO2500 ) 露出補正 なし
181027_024.jpg
25.「良い縁狛犬」と「足尾の大国様」
「拝殿」を下がって、「神門」へと向かう右側に「神楽殿」が見えた。「神楽殿」の中には大きく金色をした「足尾の大国様」が祀られていた。この大国様は「昔、勝道上人が二荒山中宮祠において修行中、毎年稲穂をくわえて白ねずみが現れたそうです。そこで白ねずみがどこからくるのか確かめようと、白ねずみの足の紐(緒)を結わえて放ったところ、現在の足尾の村落に至り、渡良瀬川の洞窟に入ったそうです。それ以来この村落を「足緒」と呼ぶようになったと言われております。そして、白ねずみが入った洞穴を修行の場に選び大国様とネズミを祀ったと伝えられております。」と説明されていた。手前は「良い縁の狛犬」。そこには「狛犬は、獅子や犬に似た想像状の生き物とされています。起源は、古代エジプト・メソポタミアでの神殿を守るライオン像とされています。中国を経て飛鳥時代に日本に伝わった当初は、獅子であり、左右の姿に差異はなく、開口した姿であったと言われています。平安時代になって、それぞれ異なる外見を持つ、獅子と狛犬の阿吽の開口閉口の像が対で置かれるようになりました。現在では、両者を合わせて狛犬と呼ぶようになっております。この狛犬は、飛鳥時代当初の獅子の形をインド黒大理石に彫ったもので、台座は日本三大銘石と言われる茨城県産の青糖目石です。左右の「良」「縁」の文字枠は八稜鏡を象ったものです。全国神社でも他にない、大変珍しい狛犬です。栃木県さくら市在住の飯沼休吾氏より、世界文化遺産登録十五周年を記念して、平成二十七年十二月に奉納されました。」と書かれていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 12mm ISO1600 ) 露出補正 なし
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26.「神門」
「神門」から出る。二荒山神社には「楼門」と「神門」があり、私たちは二荒山神社に入るときは東照宮からの上新道という参道を歩いて「楼門」から入った。「楼門」と「神門」はともに新しい門で、勝道上人の男体山登頂1200年を記念して作られたものなので、歴史的建造物ではないとのことだ。 「神門」を出て右へ。次に「輪王寺大猷院」向かった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 10mm ISO640 ) 露出補正 なし
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2018年11月13日

イチモンジセセリとチャバネセセリ 明神台公園 10月7日

台風25号が日本列島の北側を通り抜け、南から暖かい風が吹き込んで、この日は真夏のような暑さとなった。10日前に保土ヶ谷公園と明神台公園に来たが、その時は、ハギ、キバナコスモス、ブッドレアの花にツマグロヒョウモン、ヒメアカタテハ、アゲハ、アオスジアゲハなどが舞い、夢中でシャッターを押した。
 そして、もう一度と思い、この日行ってみたが、ハギの花はほとんど落ちてしまい、9月30日から10月1日にかけて吹き荒れた台風24号の強風で、キバナコスモスは、ご近所の方が刈り込まれていて、わずかしか残っていなかった。チョウも少なく、あんなにきれいな個体が多かったアゲハも破損した個体になってしまっていた。
 チョウは訪れないだろうと思っていた大きなフヨウの花に、イチモンジセセリとチャバネセセリが来ていた。

181007_001.jpg 1.イチモンジセセリ -1
残っていたキバナコスモスではイチモンジセセリが吸蜜している。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO500 ) 露出補正 なし
181007_002.jpg 2.チャバネセセリ
こちらはチャバネセセリだ。しっかり見ないとイチモンジセセリと区別ができない。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO320 ) 露出補正 なし
181007_003.jpg 3.イチモンジセセリ -2
大きなフヨウの花にイチモンジセセリが来た。フヨウの花でチョウが吸蜜するのを見たことがなかった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/1000秒 220mm ISO100 ) 露出補正 なし
181007_004.jpg 4.イチモンジセセリ -3
フヨウ(芙蓉)はアオイ科フヨウ属の落葉低木である。8月にベトナムでハイビスカスに来たキシタアゲハを撮ったが、ハイビスカスもアオイ科フヨウ属だ。フヨウにチョウが来ても不思議はない。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/1000秒 136mm ISO100 ) 露出補正 なし
181007_005.jpg 5.チャバネセセリとイチモンジセセリ
左側がチャバネセセリで右側がイチモンジセセリだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
181007_006.jpg 6.イチモンジセセリ -4
大きなフヨウの花に潜り込んで蜜を吸うイチモンジセセリ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
181007_007.jpg 7.ツマグロヒョウモン♂
ツマグロヒョウモンの好きなキバナコスモスは、台風24号で倒されて、すっかり少なくなってしまっていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
181007_008.jpg 8.ツバメシジミ
わずかに残っているハギの花にはツバメシジミがいた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 220mm ISO100 ) 露出補正 なし
181007_009.jpg 9.イチモンジセセリ -5
左側に杉山神社の鳥居が見える。早めの七五三のお祝いで、晴れ着を着た女の子が、両親に連れられてお参りにきていた。もう少し、クリアに撮りたかったのだが。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 11mm ISO100 ) 露出補正 なし
181007_010.jpg 10.イチモンジセセリ -6
普段はイチモンジセセリを撮ることは少ないが、この日は他にチョウが少なかった。フヨウの蕾に止まってこちらを見ている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 220mm ISO100 ) 露出補正 なし


2018年11月11日

江戸東京たてもの園 10月2日

9月30日の夜から10月1日の未明にかけて、台風24号が列島を駆け抜け、横浜でも強風が吹き荒れた。風で飛ばされた何かがガラス戸に当たる音で午前1時半ごろに目が覚め、3時間ほど起きていた。
 10月1日は、風も収まり快晴となったが、都会には後遺症が残る。
 翌10月2日もさわやかな秋晴れとなった。以前から行ってみたいと思っていた小金井公園の江戸東京たてもの園へ車で出かける。第三京浜、環八、五日市街道を走って1時間20分かかかって、午前10時少し前に駐車場に入った。  小金井公園の中を200mほど歩いて、江戸東京たてもの園の入口へ。昭和15年の紀元二千六百年記念式典の式殿で翌年、皇居前から移築された旧光華殿がビジターセンターになっていて、そこで入園料を支払って中に入る。まず、ビジターセンターで開催されていた特別展「東京150年 都市とたてもの、ひと」を見る。
 そして、外に出て野外に移築されて復元、保存、展示されている建物や展示物を見て歩いた。外観だけでなく、建物の中に入って見られるのが良い。三井八郎右衛門邸や、高橋是清邸の中を見るのに、少々時間がかかった。
 園内を一巡して、小金井公園のコスモスを見に行った。コスモスが咲くところは2か所あるが、いずれもまだ咲いている花は少なく、台風24号で倒れてしまっていた。

181002_001.jpg 1.都電と江戸東京たてもの園
自宅から第三京浜、環八、井の頭通り、五日市街道と約1時間半ほど走って、予定通り午前10時少し前に小金井公園の駐車場に車を入れた。平日なので駐車場はガラガラだった。駐車場から200mほど、江戸東京たてもの園のフェンス沿いに歩く。フェンスの鉄柵の間からは江戸東京たてもの園イースト・ゾーンを垣間見る。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 18mm ISO100 ) 露出補正 なし
181002_002.jpg 2.伊達家の門
入口となっているビジターセンターに向かって歩いていくと江戸東京たてもの園内右手に伊達家の門があった。旧宇和島藩伊達家が大正時代に東京(港区白銀二丁目)に建てた屋敷の表門だそうだ。右手に起り屋根(むくり屋根)の片番所が付き、大名屋敷の門を再現している。対照となる中国や大陸から伝承された反り屋根は、その独自の曲線が格式や荘厳を表現しているのに対して、むくり屋根は、低姿勢、丁寧さを表現していると言わる。2016年10月に犬山へ行ったときに起り屋根の商店を見てきた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 14mm ISO160 ) 露出補正 なし
181002_003.jpg 3.ビジターセンター 旧光華殿
ビジターセンターの中に入って、65歳以上ひとり200円の入園料を支払い中に入る。この建物は1940年(昭和15)に皇居前広場で行われた紀元2000年記念式典のために建設された。翌1941年(昭和16)に小金井大緑地(現在の小金井公園)に移築され光華殿と命名された。そして、1993年(平成5年)3月28日の江戸東京たてもの園の開園にあたり、そのビジターセンターとして改修されたとのこと。館内で「東京150年-都市とたてもの、ひと」が開催されていたので、見ていく。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1000秒 12mm ISO100 ) 露出補正 なし
181002_004.jpg 4.ボンネットバス
「東京150年-都市とたてもの、ひと」 を見終えて、ビジネスセンターを出て、西ゾーンのたてものを見ていく。はじめにビジネスセンターのすぐわきに野外展示物の一つであるボンネットバスが置かれていた。 このボンネットバスは、個人所有の車両だそうだ。東京都とは関係ないが、映画撮影用にかつての都営バスをイメージさせる色に塗られ、方向幕にも「上野広小路」と表示されている。 そしてこのボンネットバスはいすゞ製4輪駆動TS11型を改良し、1952年から製造された車両のようだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 34mm ISO640 ) 露出補正 なし
181002_005.jpg 5.三井八郎右衛門邸 玄関
三井八郎右衛門邸は戦後財閥解体を経て、占領が解かれた1952年(昭和27)に、第11代三井総領家当主三井八郎右衛門高公のときに港区西麻布に建てられた。高公の死後、江戸東京たてもの園に移築復元され、1996年(平成8)から公開されている。ここは玄関っである。玄関から邸内に上がり、見学することができた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 11mm ISO125 ) 露出補正 なし
181002_006.jpg 6.三井八郎右衛門邸 食堂
本邸の再建に際して、主に京都の油小路邸の奥座敷や大磯別邸(城山荘)の部材を用い、旧今井町邸からは焼け残った土蔵や正門、庭石等が、また世田谷区用賀にあった三井家関連施設からも部材が集められたという。昨年11月に大磯の旧三井邸別邸地区へ行った。写真は食堂である。食堂や客間の襖や障子、戸袋に描かれた絵の多くは、森寛斎など四條円山派の画家の手によるものだそうだ。森寛斎は円山応挙の流れをくむ日本の幕末から明治時代に京都を中心に活躍した絵師、日本画家である。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/125秒 11mm ISO3200 ) 露出補正 なし
181002_007.jpg 7.三井八郎右衛門邸 客間
客間と食堂から構成される書院部分は柱から建具、天井まで旧油小路邸の部材で構成され、玄関まわりに見られた昭和戦後のモダンさはなく、明治の重厚さが溢れる空間になっているといわれる。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/125秒 11mm ISO3200 ) 露出補正 なし
181002_008.jpg 8.三井八郎右衛門邸 シャンデリア
2階に上がると廊下があり、仏間があった。仏間は撮影禁止となっていた。仏間の前の廊下には天井からシャンデリアが下がっていた。日本初の銀行である第一国立銀行にふたつあったシャンデリアの片方だという。第一国立銀行は日本橋兜町にあった三井組ハウスにあり、1897年(明治30)に取り壊されたが、その際にシャンデリアを引き取って保存したという。このシャンデリアは、ここに移る前は、大磯の別荘「城山荘」で使われていたそうだ。大磯時代は3階ぐらいの高さを持つ吹き抜けの居間に下がっていたが、ここでは高さが足りないので、この部分だけ二重折上格天井(にじゅうおりあげごうてんじょう)という、最高級の格式を持つ天井になっている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/320秒 17mm ISO3200 ) 露出補正 なし
181002_009.jpg 9.三井八郎右衛門邸 鶏のつがい
この板戸の鶏のつがいの画は素晴らしいと思って、思わずカメラに収めた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/80秒 10mm ISO3200 ) 露出補正 なし
181002_010.jpg 10.三井八郎右衛門邸 庭
1階の食堂、客間のある書院部分を背に、庭を眺める。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
181002_011.jpg 11.農家 吉野家 玄関
これは江戸時代の後期に建てられた建物だそうだ。パンフレットによれば吉野家は江戸時代に野崎村(現在の三鷹市野崎)の名主役を務めた家といわれ、式台付きの玄関や付書院のある奥座敷に格式を見ることができるという。式台は、もともと武家住宅において身分の高い来客を迎えたり、草履などを履かずに駕籠に乗るための板張りの部分で、いわゆる表の玄関に設けられていた。農家の式台付き玄関は珍しいらしい。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 11mm ISO400 ) 露出補正 なし
181002_012.jpg 12.農家 吉野家 内部
吉野家は武蔵野郷土館時代の1963年(昭和30年)に移築復元された。建物の内部では昭和30年代ごろの農家の生活が再現されている。声をかけて、写真を撮らせていただいた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/100秒 13mm ISO3200 ) 露出補正 なし
181002_013.jpg 13.デ・ラランデ邸
新宿区信濃町にあった西洋式住宅である。1階部分は明治時代の気象学者、物理学者である北尾次郎所為が自邸として設計し田と伝えられる平屋建ての洋館だった。パンフレットによれば、1910年(明治43)年ごろドイツ人建築家ゲオルグ・デ・ラランデにより3階建てとして大規模に増築されたそうだ。その後、何回か所有者が変わったが、1956年(昭和31年)からカルピス株式会社の創業者三島海雲氏が住んでいて、1999年(平成11)まで新宿区信濃町に建っていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1800秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
181002_014.jpg 14.デ・ラランデ邸 内部 -1
1階中央の半円筒形サンルーム付きの部屋はなかなか素晴らしかった。シャンデリアが見事である。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO2500 ) 露出補正 なし
181002_015.jpg 15. デ・ラランデ邸 内部 -2
この1階のアンティーク調の部屋は食堂だったところだろうか。今は武蔵野茶房というカフェになっている。珈琲、紅茶、ビール、そしてカルピスがメニューにあった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO2000 ) 露出補正 なし
181002_016.jpg 16.旧自証院霊屋
自証院(1620年代頃 - 寛永17年8月21日(1640年10月6日))とは、江戸幕府3代将軍徳川家光の側室で、千代姫(尾張藩主徳川光友正室)の生母。通称はお振の方のこと。長女・千代姫出産後。 体調を崩し、3年後の寛永17年(1640年)8月21日に死去した。法名は自証院殿光山暁桂大姉(じしょういんでんこうざんぎょうけいだいし)という。榎町の法常寺に葬られた後、慶安5年(1652年)現在の新宿市ヶ谷、富久町の自證院に建てられた霊廟に改葬された。この霊屋は 創建以来ここに至るまでには数奇な運命を辿っていると kodairanoyama というかたのサイトに記されていた。それによると、①明治になる寺が衰退、霊屋は解体された。②駿河台の某という人物に350円で売却されるが、その後、転売され谷中の頤守院に移築された。(この時点で、「お振りの方」を祀る霊廟としての意味も機能も失われ位牌堂となってしまう)③戦後、西武鉄道によって買収され紀尾井町の赤坂プリンスホテル内に移築された。④ホテル新館計画予定地に建っていたため、またもや解体され、長らく倉庫に保管されていた。⑤そして、そののち、西武鉄道から東京都に寄贈され、ここ江戸東京たてもの園に移築された。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 10mm ISO600 ) 露出補正 なし
181002_017.jpg 17.旧自証院霊屋 彫刻
霊廟とは実在した人物を祀る宗教施設のことをいい、日光や上野の東照宮などが有名である。霊廟は細部の緻密な彫刻が近世神社建築の特質を示している。一方、極彩色や金箔、黒漆に彩られた華麗な装飾は、一般の神社建築には見られない霊廟ならではの特徴とと言える。柱の上だけでなく柱間にも組物(柱または台輪の上にあって軒を支える部材)を配する手法は詰組(組物を、柱の上だけでなく柱間にも置いて、密に配する形式。禅宗様建築で用いられる)といい正面および側面の桟唐戸(桟を縦横に組んだ装飾的な扉)とともに鎌倉時代に伝わった様式で禅宗様の影響を示 しているという。(江戸東京建物円だより48を参照した)

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プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/320秒 34mm ISO3200 ) 露出補正 なし
181002_018.jpg 18.寛永寺灯篭 屋外展示物
徳川家の菩提寺として栄えた上野の寛永寺には、全国の大名から歴代将軍への供養としてたくさんの石燈籠が献上されていた。パンフレットには、この灯篭は八代将軍徳川吉宗の没後、寛永寺に献上されたもの。年代は1751年(寛延4)と記されていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 34mm ISO400 ) 露出補正 なし
181002_019.jpg 19.高橋是清邸 玄関
経済通の政治家として明治から昭和の初めにかけて、日本の政治を担った高橋是清の住まいの母屋部分である。是清は丹波笹山藩青山家の中屋敷跡地約6,600㎡を購入し1902年(明治35)現赤坂7丁目に屋敷を建てた。1936年(昭和11)是清はこの建物の2階で青年将校の凶弾に倒れた。いわゆる2・26事件である。敷地と屋敷は間もなく東京市に寄付され、記念公園となった。是清の眠る多磨霊園に移築され、休憩所として利用されていた母屋部分がこの場所に移築された。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 10mm ISO800 ) 露出補正 なし
181002_020.jpg 20.高橋是清邸 2階
総栂普請の母屋は複雑な屋根構成を持っており、また、当時としては高価な硝子障子を縁回りに多量に使用している。赤坂にあったころは母屋のほか3階建ての土蔵や、離れ座敷がある大きな屋敷だったそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 32mm ISO1600 ) 露出補正 なし
181002_021.jpg 21.高橋是清邸 内部
玄関から中に入った。ここは2階の10畳の間。広い。はじめに見た三井八郎右衛門邸に比べると、落ち着いた和室があった。華美でなくむしろ質素な感じがする。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 10mm ISO3200 ) 露出補正 なし
181002_022.jpg 22.高橋是清邸 庭園
2階の縁から庭を見る。赤坂にあった高橋是清庭園の一部が復元されている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 11mm ISO400 ) 露出補正 なし
181002_023.jpg 23.高橋是清邸 2階からの眺め
2階から1階部分を眺める。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 11mm ISO250 ) 露出補正 なし
181002_024.jpg 24.高橋是清邸 広い座敷
2階には8畳、10畳、15畳の部屋がある。2階は是清がくつろいで読書をしたり日記をつけたりする書斎及び寝室として使われていたそうだ。2階の部屋で寝間姿で布団に座っていた高橋是清に青年将校達は、銃弾を浴びせ、軍刀で切りつけた。即死だったいう。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 10mm ISO320 ) 露出補正 なし
181002_025.jpg 25.ツマグロヒョウモン
この日は天気が良かった。園内にはツマグロヒョウモンが飛び交う。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 117mm ISO125 ) 露出補正 なし
181002_026.jpg 26.大和屋本店 乾物屋
東ゾーンへ入った。ここは下町中通りと称され、通りの両側に商店等が軒を連ね、通りの正面には先頭がある。この建物は太和屋本店という乾物屋だ。パンフレットによれば、この建物は港区白金台に1928年(昭和3)に建てられた3階建ての商店だ。3回の軒下を伝統的な出桁造にする一方、間口に対して背が非常に高いユニークな建物である。店の中を覗くとする目、玉子、昆布などの商品が並べられていた。店の右側の出窓になった煙草売り場は、子供のころよく見かけたものだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
181002_027.jpg 27.小寺醤油店
大正期から現在の港区白金で営業していた店である。1933年(昭和8)に建てられた。味噌や醤油、酒類を販売していた。看板で醤油店と掲げているのは、創業者が醤油醸造の蔵元で修行したためと伝えられているそうだ。当時、酒屋で味噌や醤油を売ることは珍しいことではなかったようだ。庇の下腕木とその上の桁が特徴の出桁造の建物である。店の中には、月桂冠やサントリーオールド、そして、果物の缶詰などが並べられていた。店の右隣には蔵があり、中は醤油にかかわる展示場になっていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO200 ) 露出補正 なし
181002_028.jpg 28.小寺醤油店 古い看板とポスター
店には「高野本家吟醸 佐渡味噌 特約店小寺商店」と書かれた古い看板と、裕次郎のサッポロビールのポスターがあった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
上:プログラムオートで撮影 ( f4 1/60秒 41mm ISO3200 ) 露出補正 なし 下:プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/125秒 29mm ISO200 ) 露出補正 なし
181002_029.jpg 29.子宝湯
東京の銭湯を代表する建物である。小学校の1~2年のころ、親父と一緒に近くの銭湯に行ったことがある。午後3時ごろ、桶の音が"カラン"と響く、開いてすぐの湯に入るのが気持ちよかった。この建物は足立区の千住元町に1929年(昭和4年)に建てられた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
181002_030.jpg 30.子宝湯 玄関
神社仏閣を思わせる大型の唐破風の切妻屋根も立派だが、写真に見る玄関上の七福神の彫刻が凝っている。(どうも6人しか見えないのだが)

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 14mm ISO1000 ) 露出補正 なし
181002_031.jpg 31.子宝湯 脱衣場
男湯の脱衣場を覗いてみた。脱衣かごが懐かしい。洗い場、湯船の向こうに富士山の画が見えた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 10mm ISO1600 ) 露出補正 なし
181002_032.jpg 32.下町中通り
子宝湯を背に東ゾーンの下町仲通りを眺める。通りを挟んで右側が小寺醤油店、左側が万徳旅館。江戸時代末期から明治時代初期に建てられた、青梅市西分町の青梅街道沿いにあった旅館で、内部は1950年ごろの様子が復元されている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 10mm ISO100 ) 露出補正 なし
181002_033.jpg 33.都電7500形
駐車場から江戸東京たてもの園のビジター・センターの入口へと歩いたとき、フェンス越しに見えた都電500形は、園の南東の端に展示されていた。東京都交通局7500形電車は、1962年(昭和37年)に登場した東京都交通局の路面電車車両である。新潟鐵工所で造られた。 昭和37年に20両製造され、すべて青山営業所に配属された。昭和37年から42年まで渋谷ー新橋間を走っていたそうだ。その後、20年ほど荒川車庫で保管された後、ここで静態保存されている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 15mm ISO100 ) 露出補正 なし
181002_034.jpg 34.小金井公園の倒木
江戸東京たてもの園 の見学を終えた後、隣接する小金井公園にコスモス畑があるというので行ってみることにした。江戸東京たてもの園のビジター・センターを退出して、東側に続く小金井公園へと歩く。途中、9月31日から10月1日に未明の台風24号の強風で、何本もの大きな木がなぎ倒されて金網のフェンスを壊していた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 20mm ISO500 ) 露出補正 なし
181002_035.jpg 35.コスモス畑
コスモス畑はつつじ山広場というところにあった。ここに植えられたツツジは六義園にあったツツジを挿木繁殖して植えたものだそうだ。ツツジはさておき、コスモスは時期的にまだ早かったのかもしれない。また、台風24号による強風で倒れてしまっていた。それでも何本かのコスモスが花を咲かせていた。一週間もすれば倒れたコスモスもまっすぐに立ち、たくさんの花を咲かせることと思う。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 9mm ISO5100 ) 露出補正 なし


2018年11月 5日

保土ヶ谷公園とキバナコスモス咲く明神台公園 9月28日

長い間晴れることがなかったが、9月28日は久しぶりに青空が広がった。ここ数日低かった気温も上がりそうである。
リスト・ストラップに付け替えたRX10M4を携えて近くの公園を歩いてみることにした。先日、ロー・アングルの撮影がしやすいようにと、ネック・ストラップからハンド・ストラップに変えて、舞岡公園に出かけ試してみたが、今一つ手が自由に使えないので、リスト・ストラップに付け変えてみた。このほうがよさそうだ。
まず、バスに乗って保土ヶ谷公園入口である明神台バス停で下りる。ブッドレアの花にナガサキアゲハでも来ていないかと期待して、上池、下池がある広場に行ってみたが、会えなかった。金木犀の甘い香りが漂うなか、アオスジアゲハやウラギンシジミを撮って、杉山神社の近くの明神台公園へ移動する。期待通り、キバナコスモスが咲いていた。その周りをおなじみのチョウが舞っている。そこで約1時間、矢継ぎ早にシャッターを切った。リスト・ストラップは、ファインダーでの撮影から、モニターを使ってロー・アングルでの撮影に切り替えるのに使い勝手が良い。久しぶりにたくさん撮ったなと満足して帰宅した。

180928_001.jpg 1.アオスジアゲハ飛翔
偶然であるが、ハギの花に来たアオスジアゲハにピントが合った。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 168mm ISO160 ) 露出補正 なし
180928_002.jpg 2.アオスジアゲハ
アオスジアゲハは年3~4回発生するが、夏から秋にかけて個体数は多く見られる。ハルジオンなどでも吸蜜するが、この時期はハギの花にもくるのだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 168mm ISO125 ) 露出補正 なし
180928_003.jpg 3.ウラギンシジミ -1
動物の落し物があって、その周りをウラギンシジミが飛んでいた。前翅の先がとがった秋型の♂だ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 168mm ISO125 ) 露出補正 なし
180928_004.jpg 4.ウラギンシジミー 2
水路のある草むらの葉に止まった。広角側でロー・アングルで撮ろうとそっと近づいていく。このあたりが限度だった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
180928_005.jpg 5.ヤマトシジミ
きれいなヤマトシジミが、草むらに咲く小さな花で吸蜜していた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 220mm ISO100 ) 露出補正 なし
180928_006.jpg 6.ツバメシジミ♂
大分擦れてしまっているツバメシジミの♂が開翅していた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 220mm ISO100 ) 露出補正 なし
180928_007.jpg 7.アカボシゴマダラ
保土ヶ谷公園を後にして、杉山神社の近くにある明神台公園に来た。公園というより子供たちが遊ぶ広場である。その脇でアカボシゴマダラが舞っていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 151mm ISO100 ) 露出補正 なし
180928_008.jpg 8.ツマグロヒョウモン♀ -1
ツマグロヒョウモンはたくさん飛んでいたので、きれいな個体を選んでカメラを向ける。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 160mm ISO125 ) 露出補正 なし
180928_009.jpg 9.ツマグロヒョウモン♀ -2
ツマグロヒョウモンの裏面はきれいだ。前翅裏面の茜色がよい。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 160mm ISO100 ) 露出補正 なし
180928_010.jpg 10.ヒメアカタテハ -1
舞岡公園では見ることが少なくなったヒメアカタテハだが、ここのキバナコスモスでは、昨年も多くみられた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 220mm ISO125 ) 露出補正 なし
180928_011.jpg 11.ヒメアカタテハ -2
前の写真とは別の個体だ。ヒメアカタテハの♂♀の区別は難しいが、これは♂のようだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 220mm ISO200 ) 露出補正 なし
180928_012.jpg 12.チャバネセセリ
芙蓉の花に小さなセセリチョウが来ていた。吸蜜するのがなく花弁に止まっている。イチモンジセセリかと思ったらチャバネセセリだった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/1000秒 67mm ISO100 ) 露出補正 なし
180928_013.jpg 13.ツバメシジミ 産卵
ツバメシジミはハギの花で吸蜜もするが、食樹でもある。ハギの新芽に産卵していた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/500秒 28mm ISO100 ) 露出補正 なし
180928_014.jpg 14.ツマグロヒョウモン♂ -1
ツマグロヒョウモンは、春のツマキチョウが出てくる頃にもみられるが、秋にはその数を増す。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/500秒 28mm ISO100 ) 露出補正 なし
180928_015.jpg 15.アゲハ この花はブッドレアの花のようだが? 痛んでいないきれいな♂が2頭絡んでいた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 187mm ISO100 ) 露出補正 なし
180928_016.jpg 16.ウラナミシジミ
ウラナミシジミもハギなどマメ科の植物を食樹としている。ハギの花には来ないでキバナコスモスで吸蜜していた。なかなか敏捷で撮りにくい。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1000秒 164mm ISO100 ) 露出補正 なし
180928_017.jpg 17.ヒメアカタテハ -3
この日、明神台公園のキバナコスモスには3~4頭のヒメアカタテハがいた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 220mm ISO100 ) 露出補正 なし
180928_018.jpg 18.ツマグロヒョウモン♂ -2
ツマグロヒョウモンも次から次へと飛んでくる。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 220mm ISO100 ) 露出補正 なし
180928_019.jpg 19.ツマグロヒョウモン♂ -3
ツマグロヒョウモン♂の裏面の茜色は♀より淡い。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 198mm ISO100 ) 露出補正 なし
180928_020.jpg 20.アゲハ 群飛 -1
1頭の♀と2頭の♂が、キバナコスモスの花畑で絡みながら飛んでいた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 78mm ISO100 ) 露出補正 なし
180928_021.jpg 21.アゲハ 群飛 -2
そのアゲハ群飛の塊がそのまま移動していく。広角で撮ろうと頑張ってみたが・・・

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 18mm ISO100 ) 露出補正 なし
180928_022.jpg 22.ツマグロヒョウモン♂ -4
子供たちの遊び場となっている広場は、陽の光を遮るものはない。久しぶりの気持ちの良い晴天だった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし


2018年11月 1日

舞岡公園 秋の入り口 9月17日

少し前のことになるが、しばらく行っていなかった舞岡公園へ久しぶりに足を運んだ。
  季節は秋の入り口で、黒いアゲハたちが訪れるクサギの花は終り、実が成っていたし、古民家裏手のウメモドキの赤い実が鮮やかだった。柿はまだ赤くなっていない。今年は少し遅いのだろうか。稲は実を膨らませ、穂は垂れている。
  チョウは端境期か、少ない。黒いアゲハも飛び去るクロアゲハらしき姿を見ただけだし、ウラナミシジミも見なかった。アカボシゴマダラだけは多く見られた。
  SONYのRX10M4をオールイン・ワンで使いこなそうと思っているが、道に止まるチョウを、背景を入れてロー・アングルで、至近距離で撮りたいときに、ネックストラップでは、首からか掛けているストラップが邪魔になってカメラの位置がとれなかった。そこでハンド・ストラップを購入して、ホールド感などを試してみた。もちろんネック・ストラップより自由がきく。まだ、うまく使いこなせないでいるが、使えそうである。

1.クサギの実
モンキアゲハやカラスアゲハなどの第3化の黒いアゲハが撮れないかと思っていたが、少し遅かったようだ。クサギの花は8月の終わりごろが盛期であり、そのころにこの花に集まる黒いアゲハを多く見ることができる。クサギの花は咲き終わって、実がなっていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 84mm ISO100 ) 露出補正 なし
181031_001.jpg
2.柿の実
2015年9月12日にここに来た時には、水車小屋の傍の熟した柿の実で、アカボシゴマダラ、ゴマダラチョウ、そしてコムラサキが吸汁していた。柿の実は今年はまだ青かった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 45mm ISO1000 ) 露出補正 なし
181031_002.jpg
3.ウメモドキ
古民家の裏庭にあるウメモドキは今年も真っ赤な実を付けていた。今年の夏はあれほど暑かったのに、秋は来ている。思い起こしたが、スジボソヤマキチョウの食樹であるクロウメモドキというのがある。クロウメモドキはその名の通り真っ黒な実をつける。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 48mm ISO125 ) 露出補正 なし
181031_003.jpg
4.キタキチョウ
このチョウは決して大きな花の蜜は吸わないようだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 217mm ISO100 ) 露出補正 なし
181031_004.jpg
5.秋の実り
公園の谷戸の田んぼはそれほど広くはないが、実を付けた穂が連なる。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1000秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
181031_005.jpg
6.赤トンボ
赤トンボは秋を思い起こさせる。これはネキトンボの♂だ。翅の付け根がオレンジ色である。♂は顔まで真っ赤に染まる。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 220mm ISO100 ) 露出補正 なし
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7.アカボシゴマダラ -1
舞岡公園でアカボシゴマダラが多くみられる季節になった。人為的に移入されたチョウでなければ、もっともっと愛されるチョウに違いない。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 187mm ISO100 ) 露出補正 なし
181031_007.jpg
8.コミスジ -1
このチョウは年3回の発生で5月から晩秋まで見られる。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 220mm ISO160 ) 露出補正 なし
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9.クリ
栗の毬はまだ小さく青かった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 87mm ISO400 ) 露出補正 なし
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10.アカボシゴマダラ -2
この日、アカボシゴマダラは比較的多くみられたが、擦れている個体も多かった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 213mm ISO1600 ) 露出補正 なし
181031_010.jpg
11.イチモンジセセリ -1
各種イネ科植物を食草とするこのチョウは、秋になると数を増す。典型的な普通種だ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 215mm ISO320 ) 露出補正 なし
181031_011.jpg
12.イチモンジセセリ -2
飛翔は敏捷であるが、各種の花に来て吸蜜をする。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 215mm ISO1250 ) 露出補正 なし
181031_012.jpg
13.アカボシゴマダラ -3
瓜久保の入り口の大きな石に止まっていた。比較的きれいな個体だった。前翅の形が丸いので♀だろうと思う。220mm望遠端で撮影。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 220mm ISO160 ) 露出補正 なし
181031_013.jpg
14.アカボシゴマダラ -4
どこまで逃げないでいてくれるか、ロー・アングルにして近づいて行った。9mm広角端で撮った。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
181031_014.jpg
15.イチモンジセセリ -3
いつもはあまり撮ろうと思わないチョウだが・・・ ほかに被写体となるチョウが少ない。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 206mm ISO1250 ) 露出補正 なし
181031_015.jpg
16.コミスジ -2
比較的きれいなコミスジだった。玉虫色の襟足とトルコ石のような色をした目玉がこの種の特徴だ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 220mm ISO160 ) 露出補正 なし
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17.ツバメシジミ
ルリシジミやヤマトシジミは全く見なかった。ツバメシジミは夏の終わりから、秋にかけて数を増す。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 220mm ISO100 ) 露出補正 なし
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18.ツバメシジミ♀
ツバメシジミの♀の翅表は一見黒いが、前翅に青い鱗粉が散りばめられた個体もいる。後翅の亜外縁の橙色が鮮やかだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
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19.ヒガンバナ
舞岡公園にヒガンバナは多くない。ところどころに、1本、2本と咲いている。ナガサキアゲハでも来てくれるといいのだが。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO250 ) 露出補正 なし
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