梨木果歩アーカイブ: Masablog

2015年10月28日

読書日記「エストニア紀行 森の苔・庭の木漏れ日・海の葦」(梨木果歩著、新潮社)


エストニア紀行―森の苔・庭の木漏れ日・海の葦
梨木 香歩
新潮社
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 ナチュラリスト、梨木果歩の真骨頂あふれる紀行文。

エストニアの首都タリンに着き、旧市街(世界遺産「タリン歴史地区」)に出かけてすぐに、著者らは「なんだか場違いなほど壮麗なタマネギ屋根のロシア正教の教会に出会う。



  アレクサンドル・ネフスキー聖堂と言います。なんだかこの建物、悪目立ちしますよね、この町では」
 通訳兼ガイドで、地元の大学で日本語を教えている宮野さんは、この教会の特色に「ぴったりと当てはまる」言葉を言ってのけた。

 フインランド湾に面するエストニアは、北と東の国境をロシアに接し、常にこの国の支配と脅威にさらされてきた。「悪目立ち」する教会も帝政ロシアの支配時代に建てられたものだった。

P1080325.JPG  以前にポーランドの首都・ワルシャワに行った際、ホテルの前に旧ソ連占領時代に建てられた異常に威嚇的な宮殿風の建物(=写真:「スターリンがポーランドに贈与したという摩天楼・文化科学館」)に違和感を覚えたことがある。それと同じような感覚だろうか。








 午後の新市街で訪ねた宮殿(ロシアのピョートル1世が建てた カドリオルグ宮殿では、庭のあちこちで新婚カップルが記念撮影をしていた。

 
 市井の善男善女が人生のスタートを祝うに十分な晴れがましさと無難さ。だがやはり、この半日回っただけでこんなに惹きつけられているエストニアの魅力とは無縁のもののように感じた。あのロシア正教の派手な寺院と同じように、「浮いて」いる。これから回ることになるエストニアのあちこちでも、北欧やドイツのエッセンスが感じられることはあっても、かつての占領国・ロシアの文化のある部分は、癒蓋のようにいつまでも同化せずに、あるいは同化を拒まれ、「浮いて」いた。けれどその癖蓋もまた、長い年月のうちには、この国に特徴的などこか痛々しく切ない陰影に見えてくるのだろうか。東ヨーロッパのいくつかの国々のように。


「歌の原」は、この宮殿の東にある。

   1988年9月11日、この場所にソ連からの独立を強く願った国民30万人、エストニア国民の3分の1に当たる人が全国から集まり、演説の合間にエストニア第2の国歌といわれる 「わが祖国はわが愛」を歌った。

これが結果的に民族の独立への気運を高め、1991年の独立回復へと繋がっていく。この無血の独立達成は、「歌う革命」と言われる。

 
 しかし、実際その場所に立つと、え、ここが、あの? と、半信半疑になるほど、ガランとしたひと気のない草地、グラウンドのようにも見えるが、奥の方に野外ステージらしきものが建っているので、やはり、ここが、そうなのだ、と往時の緊張と興奮を自分の中で想像してみる。その歴史的な「エストニアの歌」から約一年後、一九八九年八月二十三日に、ここ、タリンから隣国ラトビアリガリトアニアヴイリニュス (バルト三国という言い方もあるが、使わない)(=それぞれ違う歴史を刻んできたから、という意味だろうか)に至る六百キロメートル以上、約二百万の人々が手をつなぎ、「人間の鎖」をつくつた。スターリンとヒトラーにより五十年前に締結された、この三国のソ連併合を認めた独ソ不可侵条約秘密議定書の存在を国際社会に訴え、暴力に依らず、静かに抗議の意思を表明するデモンストレーションだった。


 北の端、タリンから南下したヴォルという町にあるホテルは「厚い森」に囲まれていた。

 窓から広がるエゾマツやトドマツの森を見ていると、著者は「こうしてはいられない、という気になって」、スーツケースから旅には必ず持っていく長靴、ウンドパーカー、双眼鏡を取り出す。

 赤い土の小道の両側の木々は厚い緑の苔で覆われている。苔の上には、紅や濃紺のベリーをつけた灌木が茂り、茸の ヤマドリタケの仲間があちこちに見える。遠くでシカの声も聞こえる。転がっていた丸太に腰を下ろす。

 
 しばらくじつとして、森の声に耳を傾ける。ゆっくりと深呼吸して、少しだけ目を閉じる。右斜め前方から、左上へ、それから後方へ、松頼の昔が走っていく。走っていく先へ先へと、私の意識が追いつき世界が彫られていく。北の国独特の乾いた静けさ。


  キフィヌ島に入る。ここに住む女性が着る 赤い縦じまのスカートや織物は無形世界遺産。それらをIT技術をいかして世界に売っているという、テレビドキュメンタリーを見たことがある。

 森と森の中間にある木立に建つ一軒家で昼食をごちそうになる。大麦の自家製ビール、黒パン、燻製の魚、温かな魚のスープ。すべて、島のおばあさんたちの手作りだ。

 機を織っていたおばあさんがふと織るのをやめ、ぽつんと「自給自足は出来ても、お金持ちにはなれない」と呟いた。

 旅から帰国してすぐにリーマンショックが起きた。

 「あのおばあさんの言葉は『金持ちになれないけれど、自給自足は出来る』ということであった」と著者は悟った。

 サーレマー島は、エストニアで一番大きな島。車に乗り込んできたきさくなガイドの女性は、最後まで律儀な英語で話した。

 
 この島は、古いエストニアそのままの生態系が保持されています。それというのも、ソ連時代、軍事拠点だったせいでサーレマー島はほとんど孤島も同然、ソ連は西側からの侵入やにしがわへの逃亡を警戒して・・・そんな中、自然だけは見事なほど保たれました。ムース(ヘラジカ)やイノシシは約1万薮、オオカミ、オオヤマネコ、クマ、カワウソは数百匹が確認されています。・・・
  ――ではクロライチヨウキバシオオライチョウも・...‥。
 ――もちろんです。カワウソだっています。


 
 この時、私は本気で後半生をこの島で過ごすことを考えた。


 このところ、どうもピンと来る本に出合わない。「介護民俗学」とうたった本や今年度の谷崎潤一郎受賞作品のページを開いては途中下車ばかりしていた。やむをえず、本棚にあったこの本を取り出した。やはり、この著者の本は、老化した脳にもすっきり沁み込んでくれる。

 同じ著者の「不思議な羅針盤」(新潮文庫)が文庫本になったので、これも同時進行で読んだ。「サステナビリティー(持続可能性)のある生活」を考える、しっとりとしたエッセイ集だった。

2014年9月30日

読書日記「海うそ」(梨木果歩著、岩波書店)



海うそ
海うそ
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梨木 香歩
岩波書店
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 今年の暑さには、年のせいかいささか参った。そこへ、風邪のヴィールスが悪さしたとかで、軽いふらつきがでるおかしな症状まで見舞われた。

 本は、けっこう読んでいるのだが、どうもブログに書く気が起こらない。

 この本も、図書館で2回目に借りたまま放置していたのだが、 著者の新作が出るというAMAZONのPRメールを見たとたん、なぜか急にこの本のページを繰り直す気になった。

 昭和の初め、K大学で人文地理学を研究する秋野は、南九州にある遅島を調査のために訪ねた。

 かなり大きな島で、以前には修験道の「紫雲山法興寺」という大きな寺院があり、一時は西高野山と呼ばれるほどの隆盛を誇った。しかし今では、木々と藪で覆われていた跡地とかっての地名だけが残っている。

 秋野は2年前に許嫁が理由も分からず自殺し、1年前に両親を相次いで亡くし、今年、指導教授を亡くしていた。そんな寂寞と孤独感のなかで、教授の残した報告書にあったこの島に心を惹かれたのだ。

 護持谷、権現川、胎蔵山、薬師寺・・・その地名のついた風景のなかに立ち、風に吹かれてみたい、という止むに止まれぬ思いが湧いて来たのだった。決定的な何かが過ぎ去ったあとの、沈黙する光景の中にいたい。そうすれば人の営みや、時間というものの本質が、少しでも感じられるような気がした。


 照葉樹林帯の湿気と高温に囲まれたこの島には、様々な昔話伝説、風俗習慣が残っていた。

 宿を借りた老婆は話す。

 「昔は、こういう雨の日には、よく海から雨坊主がやってきて、縁先にずらりと並んでおんおん泣いていたというたもんやけど」・・・
 「しけのとき遭難した船子たちじゃね。こんな雨になると陸(おか)に上がりやすいがね」


 入江には、もともとアワビやウニをとるための小舟が、高齢者の島になって使われずに、風に曝されている。

 「こまい船やが、船霊(ふなだま)はちゃんとおるし、乗るときはちゃんと頼まんとあかんよ」
 「この島の、どこの船にも船霊がおるよ。船大工は船霊をつけて、仕事を終えるからねえ」
 「船のどこに」・・・
 「それは知ったらあかんの。けど船のどっかに入れてるねえ」・・・「女の子の髪やったり、歯やったり、いろいろやねえ」


 船で島を回ると、島の突端の小藪のなかに無理に壊された廃墟が見えた。

 「あそこは、モノミミさんがおいやったところじゃ」・・・  「病気を治したり、探し物を当ててもろたり、死んだ人からの伝言を伝えたり、そんなことをする人のこと」


 南西諸島の ユタ ノロに当たるものか、と秋野は思う。

 島の大寺院が跡かたもなくなったのは、明治初年前後の廃仏毀釈で壊されたためだった。

 「明治政府は神仏分離を宣言しただけで、廃仏毀釈までは指示していません。・・・が、長年仏教に下に見られることに屈辱を感じていた神道の関係者たちが、ここぞとばかりに暴走したのです」


 「政府は、ともかく浸透を国体として確固たるものにしなければならなかった。キリスト教とともに迫ってくるような諸外国に対しても、すっきりと論理的に説明できる力強い独自の宗教が欲しかった。そういう意味で、本当は、仏教より排除したかったものがあった」・・・
 「民間宗教です。この島でいえば、モノミミ、が、まずその標的になりました」

 法興寺の遺跡を訪ね歩いて、秋野は胸を引き千切られるような寂寥感に陥る。

 「空は底知れぬほど青く、山々は緑濃く、雲は白い。そのことが、こんなにも胸つぶるるほどにつらい」


 50年後、その遅島で一大レジャー開発計画が持ち上がる。次男がそのプロジェクトを担当していることを知り、秋野は島を訪ねる。

 そして開発の結果見つかった膨大な木簡のなかから、この島は平家の人々が都を落ちてきたところだった証拠を見つける。

 海岸に良信という僧がたった一人で奥深い山から石を切り出し、海岸に築いた長大な石壁は、追っ手から守る防塁だったのかもしれない。

 樹冠の緑から海へと視線を移すと、見覚えのあるものが、目に入った。遅島の人々は古来から「海うそ」と呼んでいた蜃気楼だった。

 揺らめい見える風景のなかで、白い壁が幾重にも積み重なり、長く連なっていた。それは、良信の築いた防塁のようにも見えた。

 「海うそ。これだけは確かに、昔のままに在った。」

  「喪失とは、私のなかに降り積もる時間が増えていくことなのだ。・・・私の遅島は時間の陰影を重ねて私のなかに新しく存在し始めていた。・・・喪失が、実在の輪郭を帯びて輝き始めていた。」

2014年1月 8日

読書日記「冬虫夏草」(梨木果歩著、新潮社刊)

冬虫夏草
冬虫夏草
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梨木 香歩
新潮社
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 この年末、年始を読書三昧で暮らそうと、昨年末にかなりの本を買い込んだり、図書館で借りたりした。しかし、そのほとんどは本棚に収まったり、図書館に返されたりして、読み終えたのはほんの数冊。表題書はその1冊だ。

 自分のブログを検索してみたら、梨木果歩の著書、訳書のことを書くのは,今回でなんと6冊目。たぶん同じ著者では最多だろう。児童書、ファンタジーに分類されることが多い著書に、前期高齢者のじじいが飛びつくのもいかなるものかという気がしないでもないが、この人の名前を見ると読みたくなるのだからいかんともしがたい。

 表題書は、2004年に発売されて2005年の本屋大賞3位に入った家守綺譚 (新潮文庫)の続編。

 各章に木々や草花の名前がつけられているという構成も、綿貫征四郎という物書きが、行方不明になった友人・高堂の父親に頼まれた庭付き、池付きの一軒家に住み、自然界の「気」と交流するという筋書きも、約100年前の話しだという時代設定も引き継がれている。

 読んでいて、なんとなくホッとするのは、本のあちこちに出てくる植物についての記述だ。出てくる草花のほとんどを自宅に植えているという著者の真骨頂だろう。

 
 まだ赤茶が障った、芽吹いたばかりのの新芽が、午前の陽の光につやつやと光っている。
 思わず摘みとって口に入れたくなる。だがそう思うだけで摘みとりもしないし、口に入れもしない。入れたら苦いだろう。その苦さがいやだというのではない。春の雅趣があるだろう。が、察するだけで、今は充分だ。


 
 翌朝は打って変わって、雲一つ無い晴天。庭に出ると、ぽつぽつと、あちこちに薄青の、雨の名残のような滴が残っている、と見れば、それは露草であった。
 露草が湖面のような垂日をたたえて、いっせいに花開いた、今年最初の朝であった。 昨日の雨はこの青を連れてきたのかと合点する。


 
 帰りは久しぶりに吉田山を越えた。頂上近く、稲荷社に向かう参道には、列なす鳥居の足下に、延延と彼岸花が咲いていた。それが風に揺れるさまは、まるで松明の焔が揺らぐよう、道行きの覚悟を迫りながら辺りを照らしているかのようだった。しかしそれはあの気味の悪い稲荷社へ行く者へ迫る覚悟だろう。


 
 ――あの花は、なんというのですか。
 薄茶の繊細な造りの花が、まるで野辺のタンポポのように辺りに群生をつくっていた。
 ――あれは マツムシソウです。私の一番好きな花。西洋の天国の夢のようでしょう。それからあの雲。あの雲は、まるで大礼の烏帽子を被った神官のよう。


 表題の「冬虫夏草」については、訪ねて来た大学時代の友人で、菌類の研究者である南川が説明してくれる。

 
 ――サナギタケとは何だい。
 ――冬虫夏草だよ。漢方では珍重されている薬になる。だが、漢方で使う本物は支那の奥に棲みついているコウモリガの蛹の変化した物だ。こんなところで出るのは別種のやつだ。
 それがこの辺りで異常なくらいに大発生しているのだ。それも、冬虫夏草には違いないがね。


 死んだはずの高堂も時々、前著と同じように床の間の掛け軸の向こうからやって来る。

 
 ――おどかすな。来たら声をかけろ。・・・
 ――秋も老いた。 と(高堂は)呟いた。秋がオータムの秋であることを了解するのに暫し時間を要した。
 ――秋も老いるかね。秋が老いたら、冬ということではないか。
 ――いや、まだ冬ではない。秋が疲れているのだ。家の垣根の隅で、野菊の弱弱しく打ちしおれているのに気づいていないか。


 自然の「気」にもしばしば出会う。

  
 夜半、ふと水音のした気がして目が覚めた。
 起きて勝手へ行くと、だいぶ傾いた月の明かりが吹き抜けの高い窓から差していて、流しに置いたままにしていた木地皿を照らしていた。よく見ると、皿の真ん中が波紋のように揺らいでいる。目をこすってさらによく見ると、そこから小さな魚がちゃぼんと跳ね、再び皿のなかに吸い込まれて消えた。消えた後はいつもの皿に戻っている。・・・
 「水の道があるのだ」
 南川が云った言葉を思い出した。


 行方不明になった飼い犬のゴローを見つけに鈴鹿の山中に分け入り、河童の少年や風に乗って飛ぶ天狗に出合い、イワナの夫婦がやっている安宿に泊まり、いくつもの不思議な体験をする。

 イワナの夫婦は急に立ち去ることになり、宿屋は河童の少年とふもとの宿屋で仲居をしている母親の河童と一緒に山に行ったまま帰らない父親を待つことになる。

 さらに山深く分け入り、竜神の滝という壮大な瀑布に見入る。
 高堂はこの滝に消え、ゴローは高堂を助けてなにかの役目をはたしていたらしい。  向こう側の斜面に動くものを見つける。

 
 大声で、ゴローと叫ぶ。・・・斜面を駆け下り、渕に飛び込んで走って来る。・・・
 来い。
 来い、ゴロー。
 家へ、帰るぞ。


 (おわり)

 (追記)

   2008年に著者の本 「西の魔女が死んだ」のことを書いたブログでふれた「家守綺譚の植物アルバム」のURLが変わっていた。
 相変わらず、すばらしい木々や草花の写真集だ。近いうちに「冬虫夏草の植物アルバム」もUPされることを期待したい。

2012年7月 7日

読書日記「雪と珊瑚と」(梨木果歩著、角川書店刊)

雪と珊瑚と
雪と珊瑚と
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梨木 香歩
角川書店(角川グループパブリッシング)
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著者の追っかけ"をしているつもりはないのだが、この人の新しい作品が出ると読みたくなる。

 このブログで著書にふれるのは、 「西の魔女が死んだ」 「僕は、僕たちはどう生きるか」と訳書の 「ある小さなスズメの記録」に続いて4冊目になる。そのほかにも読んだ本が数冊。自分でも、いささか驚いた。

 この本の購読希望も多く、図書館に申し込んで借りられるまで3カ月待たされた。

 それぞれの筋立ては異なるが、キーとなる縦糸は変わらないような気がする。自然への憧憬や愛着、食べ物の大切さ、そして人を思いやる心・・・。

 主人公の珊瑚は、追い詰められていた。今年で21歳になったが、1年前に結婚した同い年の男は定職もなく、珊瑚が働いていたパン屋の収入を当てにしていた。男から言われて、すぐに離婚した。赤ん坊の雪は7か月。ようやくお座りができるようになったばかりだった。

 働かなければならないのに、公立の保育園も個人経営の託児所も受け入れてくれなかった。ただでさえ、少なかった貯金はみるみる底を突いてきた。

 小学校の時、母親が何も食べ物を置かずに家を出て行き、スクールカウンセラーのところでもらったトーストとミルクで生き延びたことがあった。それ以降も、自分の力でやってきた。しかし今は雪がいた。

 
貰いものの重いバギーに雪を乗せ、向かい風の吹く中を散歩しているうち、気がつけば下を向いて泣いていた。
 自分は泣いているのだ、と気づくのに、一瞬間があった。「泣く」という行為が、かつて自分のとろうとする行動の選択肢にあったためしはなく、とった行動にあったためしもなかった。


 歩いてきた通行人を避けるために、慌てて曲がった道沿いの古びた家に小さな貼り紙があった。

 「赤ちゃん、お預かりします」

 主人の薮内くららは、外国生活が長い元・カトリックの修道女。有名な聖人である アッシジの聖フランシスコを敬愛していた。くららという名前は、聖フランシスコの教えを体現化した クララ(アッシジのキアラ)からつけていた。

くららは、総菜を作る天才だった。

 珊瑚が翌日訪ねた時に出てきたのが「おかずケーキ」。具は、おかずの残り物。シチューやマッシュルームとピーマンを炒めた物、茹でたアスパラガスの残りが入っていた。

 そのやわらかいところをチキンスープに浸して、雪の口にそっと差し込んだ。二回目にスプーンを持っていくと腕を上下させ「ぶわぁ」と言った。「もっとくれ」という意思表示だった。

 クローヴを入れたスネ肉の煮込み、フェンネルのパウダー入りコールスロー。アトピーの子供に食べさせる長芋と、うるち米の粉、蜂蜜でつくったパン。
 有機栽培のキャベツの外葉(売り物にならず、捨てるところ)を炊いてどろどろにし、ベシャメル・ソースを混ぜたスープ、魚のタラとジャガイモ、サワークリームを使ったコロッケ。
 油揚げと小松菜、水菜を油なしに炒めたもの、大根の茹で汁に塩を入れただけの吸い物。小玉タマネギをコンソメスープで半透明になるまで煮たカップ入りのスープ。タコサラダに、ニンジン、クレソンンとプルーンのサラダ。ホウレンソウは大鍋で茹でて、ソテーに生クリーム煮、ポタージュ、キッシュ・・・。

くららに教えてもらいながら「これらの総菜を提供する店を作りたい」。珊瑚は、こんな夢を膨らませていった。
 周りの人たちの思いもよらない協力で、それが現実となっていく。資金は政府系機関の起業家資金400万円を借り、食品衛生責任者の講習も受けた。

店は、保護樹林付きの古い空家を借りることができた。
 庭には、時々タヌキが出た。「西の魔女」の庭や「僕は、僕たちは・・・」の「ユージン君」が住む家の庭によく似ている。

店の名前はズバリ「雪と珊瑚」。門から店までの道は雨になるとぬかるんだ。わざわざ厚底の靴を履いて来る常連に「舗装はしないでください」と頼まれた。

  常連の1人になっていたエッセイストが雑誌に掲載した文章が、評判になった。

「......そのいわば鎮守の杜になんとカフェが出来たのです。最初感じたのは、小さな憤慨と落胆でした。けれどそこでなにやら工事のようなものが始まったとき、あれ? と思いました。木が、一本も切られなかったのです......いつも閉ざされていた門扉は開け放たれ、細い小道を堂々と歩くことが出来るようになりました。小道は、普通の民家のようなカフェの入口まで続いており、天気の良い日は、鳥のさえずる声が陽の光と共に木々の枝を通して降り注ぐし、雨の降る日は、木々の菓を伝う滴の音が辺りに響いて、深い森の中にいるようです。この小道に足を踏み入れた時から、すでにカフェ 『雪と珊瑚』 は始まっているのです」


目の回るような忙しさが続いた。

 その成功を見て「あなたの無意識な計算高さ、ずる賢さ・・・が、鼻についてたまらない」とそしる手紙を送ってきた元同僚がいた。

 疲れとショックで珊瑚は寝込んでしまい、雪もひどい熱を出して夜泣きが続いた。

 それを、周りが支えた。別れた男の母親が突然現れた。養育費をと何度も申し出た。「なんだか炊きたてのご飯のように温かい人だ」と、珊瑚は思った。

 自分を捨てた母親に、開店資金を借りる保証人を頼んだら「あんたの保証ならできる」と断言した。「母性などないに等しい女性だったが、少なくとも子どもを信頼していた」

 
雪はサトイモの含め煮をスプーンにのせ、自分で口に運んだ。そしてもぐもぐと口を動かした後、呑み込むと、楽しそうに体を揺らし、歌うように繰り返した。 「おいちいねえ、ああ、ちゃーちぇ(幸せ)ねえ」


(追記①)
 この本の冒頭近くで詩人・ 石原吉郎(よしろう)の名前が突然出てきて、びっくりした。
 このブログに書いた辺見庸の 「瓦礫の中から言葉を」で紹介されていた詩人である。
 梨木果歩は、主人公の珊瑚に「私は好きでした。なんか、きゅーと気持ちが集中していく感じが」と語らせている。作者の心の琴線にどうふれ、作品に反映しているのか・・・?図書館で石原吉郎の詩集を借り直してみようと思う。

(追記②)
 この小説のちょうど真ん中あたりで、1997年に アッシジの聖フランチェスコ大聖堂を地震が襲った事件が出てくる。4人が死亡、上部大聖堂のフレスコ画が粉々になった。修道女だった薮内くららが現場で、被災者の支援活動をした、という想定だ。
 この時、多くのボランティアが30万個に及ぶフレスコ画の破片を拾い集め、修復のプロがジグソーパズルのような作業を続け、2006年4月にほとんどのフレスコ画を元に戻した。私が巡礼団に参加して、この再現されたフレスコ画を見たのは、その年の9月だった。

 くららは語る。
 
「どんな絶望的な状況からでも、人には潜在的に復興しょうと立ち上がる力がある。その試みは、いつか、必ずなされる。でも、それを、現実的な足場から確実なものにしていくのは温かい飲み物や食べ物――スープでもお茶でも、たとえ一杯のさ湯でも。そういうことも、見えてきました」 


 この小説は、東北大震災の被災者への応援歌でもあった。

 

2012年3月17日

読書日記「僕は、僕たちはどう生きるか」(梨木果歩著、理論社)


僕は、そして僕たちはどう生きるか
梨木 香歩
理論社
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 図書館に予約してから借りれるまで、ずいぶん時間がかかってしまった。

著者の作品を、このブログに書くのは 「西の魔女が死んだ」以来。このブログの管理者 n-shuheiさんが紹介していた 「渡りの足跡」といった著書もあるナチュラリストだけに、久しぶりに"梨木ワールド"に遊ぶことができそうだと、ページを繰った。

 ところがなんとなんと、この本は、自然の素晴らしさなどを描く少年少女小説の形をとりながら、随所に社会批判の厳しい塊が埋め込まれているハードな読み物だった。

 あだ名が「コペル君」という14歳の少年が「僕の人生に重大な影響を与えたと確信している」長い1日の出来事を自ら綴っていく。コペルというのは 「コペルニクス」の略。コペル君は事情があって、現在1人住まいだ。

   1冊の種本がある。
 巻末の参考文献になかに、 吉野源三郎が、昭和12年に書いた「君たちは、どう生きるか」という小説が載っている。その主人公である中学2年の少年のあだ名が、やはり「コペル君」。
君たちはどう生きるか (岩波文庫)
吉野 源三郎
岩波書店
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 吉野源三郎の本は、満州事変が始まり、軍国主義が勢力を強める時期に書かれた。「せめて少年少女だけは、時勢の悪い影響から守りたい」と思い立って書かれたという。今でも読み継がれている名作だ。

 2つの小説の筋書きはまったく違うが、梨木果歩は、あえて主人公を同じ「コペル君」と名付けた。いじめや性的虐待、原発にふるさとを追われるなど、少年少女が生きにくくなっている今の時代を「どう生きていくのか」について問いかけるため、らしい。

 コペル君は叔父さん(母親の弟)の「ノボちゃん」と、同級生の友人「ユージン」がやはり1人で住む家を訪ねる。その家の庭は、町のなかにあるのになぜか深い森に囲まれている。

 
 「シイ、カシ、ヤブツバキ。エノキにケヤキか。いい森だなあ。この匂いは、クスノキも あるな」
 今ノボちゃんがあげた樹種は、みんな立派な大木だ。他にもハノキやら細い木もいろいろあるけれど、詳しくはよく分からない。照葉樹のちょっとほの暗い感じと、爽やかな明るい落葉樹の感じがとても良く交じり合って、陽の光があちこち木漏れ日になって差し、町中にあるのに深山幽谷の雰囲気を出している。その木漏れ日の一つが、濃い黄色の花にあたっている。一重の ヤマブキそっくりだけど‥...・。僕の視線の先に気づいたノボちゃんが、 「ヤマブキソウ」だと呟いた。
 それから二人同時に、あ、と声を上げた。派手な黄色のヤマブキソウにばかり目を引かれていたけれど、その向こうの、青々とした若葉が美しいカエデの木の根元に、何十だか分からないぐらいの数の クマガイソウの群落を見つけたのだ。
 「奇跡だな、これは」
 ノボちゃんが呟いた。思わずため息が出る。


 歩いていくと、  エビネが何本も株立ちし、 キンラン ギンラン ニリンソウの茂みがある・・・。いずれも、ユージンのおばあさんが、開発が進む付近の土地から移植したものだ。

 100年前なら、こんな風景があたり一帯に広がっていたのに「緑を見ると、コンクリートで固めてしまおう、と手ぐすね引いている人たち」がいる。「ユージンは、これからそういう人たちを相手に戦わなければならない」。そのことを、コペルは虚を衝かれたように感じる。

 木立の向こうの池には、 オオアメンボがおり、、コウホネヒシといった水草が生え、 カラスヘビが泳いでいる。

 ノボちゃんは草木染めに使うヨモギを刈り、ユージンのいとこの「ショウコ」もやって来て、 ウコギの葉を刻みこんだご飯を炊き、ゆでたスベリヒユをベーコンで炒めて昼食にする。

 食べながら、ユージンとコペルがノボちゃんに連れられて「駒追山」という山中に入り込み、人が住んでいた形跡が残る洞穴を見つけたことが話題になる。

 そこには戦時中、召集令状を拒否した男が「群れから離れて」住んでいた。戦争が終わって皆に気づかれずに出ていった男は、数十年に帰ってきた。その男は、そんなところに 籠ってずっと考えいたことについて、こう答えた。「僕は、そして僕たちは、どう生きるかについて」

 ノボちゃんは、さらに続ける。
 「彼が洞窟の中で考えていたことだけど こんなことも言ってた。群れのために、滅私奉公というか、自分の命まで簡単に、道具のように投げ出すことは、アリやハチでもやる。つまり、生物は、昆虫レベルでこそ、そういうこと、すごく得意なんだ。動物は、人間は、もっと進化した、『群れのため』にできる行動があるはずじゃないかって......」

 巻末の参考文献には、トルストイ関連の著書が多い北御門二郎の 「ある徴兵拒否者の歩み」が、挙げられている。
ある徴兵拒否者の歩み
北御門二郎
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 ノボちゃんはまた、コペルがまだ小さかったころ、一部の国会議員などが「最近の若者は軟弱だ」と言いだすなど、徴兵制度復活へのきなくさい空気があったことを話す。

 「こういう動きは、あれよあれよとどうなっていくか分からないのが世の常だ。だから、コボルのお母さんは、ギリギリの妥協として良心的兵役拒否の条項を入れてもらうために戦う覚悟をしていた」

 コペル君は、父親に教えられた土壌のなかの生き物を探すのが趣味だ。ユージンと2人で庭の土壌を掘ってみると、出て来る、出て来る。ダンゴムシのⅠ種、 オカダンゴムシセグロコシビロダンゴムシ・・・。豊かな自然が残っている証拠だ。

 土壌の虫を探しながら、ユージンは長年登校拒否をしていた理由を初めてコペル君に話す。

 可愛がっていたニワトリを飼えなくなり、校長に頼んで学校で育ててもらうことにした。
 ユージンを嫌いだったらしい担任の男の先生はクラスの皆に提案する。「今、そこのある命が自分の血や肉になるという体験をしてもらいたい」
 クラスメイトはしぶしぶ賛成し、ニワトリはその日、唐揚げや炊き込みご飯に調理された。ユージンが手をつけられないのを、教師は見ていた。
   翌日、給食が終わった後、教師は言った。「さっき君が飲んだスープは、昨日のあのニワトリのガラから採ったものだよ」。ユージンは、激しく吐いた。

 小さな人間に、取り返しのつかない残酷な行為をする大人は、ほかにもいた。

 この庭に「インジャ」と呼ばれる少女が、隠れ住んでいたことが分かる。
そのいきさつは、本文中で特にゴシック文字で書かれている。

 インジャは、図書館で少年少女向け雑誌にAVビデオの監督が書いたエッセイを読んで「アルバイトでもできるかも」と、書かれていたメールアドレスに連絡した。出版社と著者が組んだ「巧妙な素人モデル募集広告」だった。密室に閉じ込められて"レイプ"されるのを撮られた。
 部屋のなかにいるだけで呼吸困難になったインジャは、友人のショウコに勧められ、家主のユージンらにも知られず、この庭に住みついた。

 参考文献の「御直披(おんちょくひ)」(板谷利加子著、角川文庫)には「レイプ被害者が戦った、勇気の記録」と、注釈がある。
御直披―レイプ被害者が闘った、勇気の記録 (角川文庫)
板谷 利加子
角川書店
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 ショウコの母の友人であるオーストラリアの青年、マークがやってきて、庭で焚火をすることになった。

 
 ショウコは(土壌を痛めないために)アルミホイルをざっと長く引き出し、一メートルほどの長さを、地面の上に敷いた。それを数回繰り返して、一メートル四方の風呂敷を敷いた形をつくった。
 ・・・その真ん中に、真っ直ぐな枝を一本突き刺し、それを囲むようにして、枯れ葉の残っているようなワシャワシャした細い小枝を立てかけていった。
 ・・・ 風向きを調べ、風上に向かって小枝の塊に隙間をつくった。
 ・・・新聞紙を破ってくしやくしやにし、さらにそれをひねって棒状にしたものをつくった。風上に自分の体を持っていって、それの先にマッチで火を つけ、さっきつくった小枝の隙間に差し入れた。
 火はパチパチと機嫌良く、クリスマスツリーのイルミネーションみたいに火花を散らした。


 長年、スカウト活動をしてきたショウコの見事な技だった。

 そっと、インジャを焚火に誘ってみた。

 
 インジャはおずおずと、でも、確かに、こちらに近づいてきた。森の中から、やっと抜け出してきた人みたいに。


 
あの日の、あの瞬間のことを、僕は一生忘れないだろう。
人間には、やっぱり、群れが必要なんだって、僕は今、しみじみ思う。インジャの身の上 に起こったことを知った今になっても。


                               
そう、人が生きるために、群れは必要だ。強制や糾弾のない、許し合える、ゆるやかで温かい絆の群れが。人が一人になることも了解してくれる、離れていくことも認めてくれる、けど、いつでも迎えてくれる、そんな 「いい加減」の群れ。


  
けれど、そういう「群れの体温」みたいなものを必要としている人に、いざ出会ったら、ときを逸せず、すぐさま迷わず、この言葉を言う力を、自分につけるために、僕は、考え続けて、生きていく。


 やあ。
 よかったら、ここにおいでよ。
 気に入ったら、
 ここが君の席だよ。


   「さて、残された人生をどう生きるか」
 過去の「群れ」の束縛から解放された70歳の独居老人も、コボル君に大きく遅れをとられながらも、そのことを考える。
 「暖かい群れ」とは、1人だけでは生きることができない人間同士が、言葉を交わしあう、ということだろう。心をふれあい、共感していく。そんなやわらかな気持ちをずっと持ち続けたい。「死ぬ時は、一人」。その時まで。

 

2011年3月26日

読書日記「ある小さなスズメの記録 」(クレア・キップス著、梨木果歩訳、文藝春秋刊)



 未曾有の惨事を引き起こした東日本大震災。テレビから眼が離せない。被災の惨状に戦りつし、犠牲者、被災者を思って胸を熱くする。

 たまたま、図書館から借りている本も多かったのだが、どれを開いても内容が頭のなかに入って来ない。心がザワザワと落ち着かない。
 そんな時、関西に一時避難してきた知人を迎え行ったJR新大阪駅の書店で買ったのが、この本。書評などで内容は知っていたから「これなら読めるかも」と・・・。被災地の方々に思いを寄せながら、ページを繰った。

 副題に「人を慰め、愛し、叱った、誇り高きクラレンスの生涯」とある。
 ドイツの空爆が絶えない第二次世界大戦中のロンドン郊外。ピアニストのキップス夫人は、玄関前で「明らかに瀕死の状態にある、丸裸で目も見えていない、おそらく数時間前に生まれたばかりなのだろう」オスのスズメを見つける。
 それから12年間にわたる2人(1人と1羽)の交遊が始まる。クラレンスは、自分の目が開くようになった時、初めて見たキップス夫人を「何の疑いもなしに・・・自分の保護者として自然に受け入れた」

 (羽毛が生えそろったころには)彼は私の枕の上に置いた古い毛皮の手袋の中で眠り、夜明けにチュンチュン騒いで私の髪の毛を引っ張って起こしては、朝食をせがむのだった。


 彼は幾度となく、私の頭で「砂浴びをやっているつもり」を楽しんでは、一方の耳からもう一つの耳へ全速力で移り、さらに巻き毛でぶらぶら揺れたりしてふさぎ散らした。


 ある時、キップス夫人に「直感が閃いた」。空襲で防空壕に押し込められている子どもたちを慰めるために「クラレンスに芸を教えよう」
 夫人とのヘアピンを使った綱引き。トランプノカードをくわえて10回から12回、落とさないでぐるぐる回し続ける。

 最も人気のあった演目は「防空壕」。夫人は麻の実を入れた左手を右手で丸く蓋う。「サイレンだ!」という声を聞くと・・・。
 彼はすぐさまこのにわかづくりの防空壕へ駆け込んで。数分の間じっとしているが、しばらくすると、警報解除のサイレンはまだ鳴らないの?と言わんばかりに。頭だけちょんと突き出して辺りを窺うのだった。


    肩に止まらせてピアノの練習をしているうちに、彼は音楽家としてもデビューする。
 それはさえずりから始まり、小さなターンを経て、メロディを形づくろうと試み、高い音色を出し、そして――驚異中の驚異!――小さなトリルに至ったのだ。


 窓辺に来る小さなアオガラから求愛されたり「『私(キップス夫人)』に愛を仕掛け」たりする「青春時代」もあったが、その彼にも"老病死"がやってくる。

 11歳を過ぎた頃から、彼の足は弱り始め、夜中に止まり木から落ちたり、時々ヒステリーの発作を起こしたりした。
 ある朝彼は水浴びからふらふらと出てきて籠の床に横向きに倒れた。・・・まだ息はしていたものの、くちばしを開けたまま気を失っている・・・。


 卒中だった。部分的な麻痺も引き起こした。体のバランスがうまくとれず、しょっちゅう、ひっくり返って、夫人に起こしてもらわなければならなくなった。リハビリが必要になった。
 が、彼はこの難題を、自分一人の力で解決したのだ。
 いったん蛙のようにぴょんとジャンプすることを学ぶと、それから間もなく、ひっくり返った状態から即座に空中に跳ね上がり、完璧な宙返りをして、正しい状態に着地できるまでに熟達した――


 私のスズメは・・・一九五二年、八月二十三日に死んだ。耳はまだしっかりしていたが、目の方はほとんど見えなくなっていた。・・・私の温かい手の中に静かに体を横たえ、数時間、じっとしていた。それからふいに頭を上げると、昔から慣れ親しんだ格好で私を呼び、そして動かなくなった。


 この本は60年も前に欧米で大ベストセラーになった。日本でも、2回ほど翻訳本が出ている。その幻の名作を、キップス夫人がスズメと暮らした場所から車で十数分の場所に暮らしたことがあり、「渡りの足跡」という本を著すなど鳥の生態にも詳しい梨木果歩が、ていねいな日本語でよみがえらせた。

 訳者は、あとがきにこう書いている。
 キップス夫人の文章は格調高く、感情表現を極力抑制し、スズメの行動を客観的に推測するのに必要な情報を冷静に著述しようとする意志が見られた。だからこそ、そこから隠しようもなく滲んでくる、クラレンスと共に過ごした日々への愛惜が胸を打つ。こういう文章を訳す喜びを幾度となく思った。いつまでも手元に置いて訳し続けていたかった気がする。


2008年6月24日

読書日記「西の魔女が死んだ」(梨木果歩著、新潮文庫)


 児童書、童話はほとんど読まないのだが、数年前に新聞の読書欄で何人かの童話作家の作品を紹介しているのを見て数冊を購入、そのなかで一番おもしろかったのがこの本。

 童話作家に興味を持っていた娘に紹介したところ、自分のブログに書き込んでいた。
 私もそのうち書こうと思っていたが、映画化されたのを知り、別に追い立てられる必要はなかったのだが、この作品のことを急に書きたくなった。

 中学生になったまい は、登校拒否になってしまい「もう学校には行かない」と宣言する。グループの仲間たちと仲良くするための駆け引きが何となくあさましく思えてきたのでやめたところ、一人ぼっちになってしまったのだ。

 「昔から扱いにくい子だったわ。生きていきにくいタイプの子よねえ」と、単身赴任しているパパに電話しているママの言葉に傷つきながら、自宅から車で1時間ほどの山の中に住むイギリス人の祖母に預けられる。

 木々と草花の庭に囲まれた山荘で鶏を飼い、ノイチゴのジャムを作り、大きなおけに入れた洗濯物を足で踏んで洗い、森のなかにポッコリあいたお気に入りの陽だまりを見つけて"よみがえる"。

 「まい は、魔女って知っていますか」
 祖母が突然、聞いてくる。祖母の母は超能力の力を持つ魔女だったし、祖母もその修行をした。精神を鍛えれば、まい でも魔女になれると祖母は言う。「まず、早寝早起き、食事をしっかり取り、よく運動し、規則正しい生活をする」

 祖母にすっかり乗せられて始まった魔女修行。まい はこう言えるまでに成長する。「おばあちゃんはいつもわたしに自分で決めろと言うけれど、わたし、何だかいつもおばあちゃんの思う方向にうまく誘導されているような気がする」
 おばあちゃんは、目を丸くしてあらぬ方向を見つめ、とぼけた顔をする。

 二人は「死」についても、話し合う。

 「パパは、死んだらもう最後なんだって言った。もう何もわからなくなって自分というものもなくなるんだって」

 「おばあちゃんは、人には魂っていうものがあると思います。・・・死ぬ、ということはずっと身体に縛られていた魂が、身体から離れて自由になるということだと思っています」


 パパの単身赴任先に家族が合流して2年後。祖母の急死で山荘に駆けつけたまい は、サンルームの汚れたガラスに指でなぞった跡を見つける。
 
  ニシノマジョ カラ ヒガシノマジョ ヘ

  オバアチャン ノ タマシイ、ダッシュツ、ダイセイコウ


   WEB検索をしていて、「ほのぼの文庫」というサイトを見つけた。児童書の良書を紹介しているのだが、梨木果歩の作品に出てくる植物の見事なカラーアルバムを楽しむことができる。

 「西の魔女が死んだ」のアルバムでは、まい が最初に祖母とママで作るサンドウイッチにはさんだキンレンカの葉、ジャムにしたワイルドストロベリー、洗濯したシーツを広げて匂いを移すラベンダーの茂み、畑の虫よけに飲ますミントとセージのお茶、作品で大切な役割を果たす朴の木に銀龍草・・・。

 梨木の他の作品「家守綺譚」「からくりからくさ」の植物アルバムもそろっている。たっぷろと楽しませてもらった。

 6月22日付け朝刊に米国バーモント州にすばらしい園芸園を作り、絵本作家としても有名だったターシャ・テューダさん(92)が死去されたという記事が載っていた。「東の国のマジョが死んだ」。合掌!

(追記:2008/7/4) 映画「西の魔女が死んだ」鑑賞記
  大阪ツインタワーの映画館で見てきた。
 いつも、小説などが映画化されたのを見ると、ガッカリしたり、ヘーと思ったり・・・。
 「小説と映画は、別の作品」という思いを強くするのだが、この映画は梨木香歩の世界をかなりうまく再現しているように思える。
 ブログには書かなかったが、ゲンジという隣人との葛藤を通じて成長していく少女まい の心の動きが映像を通じて、小説以上に伝わってくる。
 シャーリー・マックレーンの娘で日本に12年間住んでいたという、祖母役・サチ・パーカーのおっとりした日本語がよい。母親役・りょうの演技もひろい物。
 山梨県清里高原にロケ用に建設され保存されている「魔女の家」には、東京からバスツアーまで出る評判らしい。
 この庭の花を見ながら、ワイルドストロベリー・ジャムを塗ったパンをカリッと・・・。いささか少女趣味すぎるかな?

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5 著者の最高傑作!
4 ポイントは想像力!?
5 読後感がスゴイ☆
5 ターシャ・チューダーを思い出す
5 祖母が死に際に窓に残したまいへの言葉が素晴らしい

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3 大人になったときにもう一度読み返したいです
3 "変容"のとき
 


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