花アーカイブ: Masablog

2019年11月 2日

読書日記「英国キュー王立植物園 庭園と植物画の世界」(山中麻須美ら編、平凡社コロナ・ブックス)、「キューガーデンの植物誌」(キャシイ・ウイリス・キャロリン・フライ著、原書房)、「植物たちの救世主」(カルロス・マグダレナ著、 柏書房)

キューガーデンの植物誌
キャシィ ウイリス キャロリン フライ
原書房
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植物たちの救世主
植物たちの救世主
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カルロス マグダレナ
柏書房 (2018-06-25)
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 英国キュー王立植物園(キューガーデン)は、2度ばかりロンドンを訪ねた際に行ってみたいと思っていたが、まだ果たせていない。世界遺産でもあるこの植物園への思いはつきない。

 表題1番目の「英国キュー王立植物園 庭園と植物画の世界」は、キューガーデン初の日本人植物画家、 山中麻須美らが編集した初めての日本語公認ガイド。
 「地球上のあらゆる植物の収集」をと、1759年に英国王室の命で設立され、現在約5万の植物と700万点の植物標本、約20万点の植物画、多数の研究室を持つ世界最大の植物園。植物についての世界有数の研究拠点でもあるという。

 圧巻は、19世紀に作られた熱帯雨林の温室「パーム・ハウス」など6棟の温室や多彩な庭園群。樹木園の一角には、18メートル上の木製の道路から樹冠を観察できる「ツリー・トップ・ウオークウエー」もある。
 キューガーデンは、植物画のコレクションでも世界一。植物は標本にしてしまうと生きている時の色彩や形態が分からなくなるため、植物画は研究のための貴重なデータベースとなる。
 園内には、ヴィクトリア時代の女性植物画家が世界を回って描いた800枚以上の絵画を展示した「マリアンヌ・ノースギャラリー」や2008年に開設された世界初の常設植物画展示場「シャーリー・シャーウッド・ギャラリー・オブ・ボタニカル・アート」などがある。

 

パーム・ハウスツリー・トップ・ウオークボタニカルアート・ギャラリー
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 表題2番目の「キューガーデンの植物誌」は、キューガーデンの科学部長であるキャシイ・ウイリスと科学ライター、キャロリン・フライの共著。西宮図書館北口図書館で「キューガーデンに関する本を」と頼んだら、女性司書が見つけてくれた。
 キューガーデンで始まった植物研究の歴史が詳細に綴られており、英国放送協会(BBC)で25回にわたって放送された、という。

 正門を入ると見えてくる「パーム・ハウス」の南端に、キューガーデンの最古参の木 「Encephalartos altensteinii」というソテツがある。1773年、植物園最初のプラントハンターであるフランシス・メイソンが、南アフリカ・ケープタウン東海岸の雨林帯から若木を採取、2年かけて持ち込んだ。
 このソテツは、英国在住の日本人ガイド・ライト裕子さんの ブログによると、世界最古の鉢植えだという。鉢は、中の土を入れ替えられるように板囲いになっている。

キューガーデンの最古参の木
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 大英帝国を支えた天然ゴムの栽培にも、キューガーデンは大きく寄与した。1874年、イギリス政府の密命を受けたプラントハンターのヘンリー・フッカーは、ブラジル・アマゾン流域でゴムの種子7万粒を採取、ブラジル政府の禁輸方針をかいくぐってキューガーデンに輸出した。発芽したのは、たった4%だったが、その苗木がイギリスの植民地マレー半島に広大なプランテーションを誕生させるきっかけになった。

 キューの支援でイギリスの植民地では、コーヒー、オレンジ、アーモンド、マホガニーなども生産されるようになった。世界を制覇した「大英帝国」をキューガーデンが支えたのだ。

   キューガーデンは現在、 ミレニアム・シード・バンク・パートナーシップ(BSBP)というプロジェクトも推進している。地下の種子保存庫は、500年間保存するように設計されており、2020年までに、世界中から固有種、絶滅危惧種、有用植物を優先して全植物の25%の種子を採集する計画だ。

 世界中でミツバチの数が激減している。キューガーデンの科学者は「なにがミツバチを花に誘導するのか、より効果的な受粉方法は何かを生化学的に研究している」
 最近、キューの科学者が、コーヒーなどのカフェインが花の蜜にも含まれていることを発見した。カフェインは、ミツバチが花の蜜のある場所を認識し、記憶する能力を向上させる効果がある。そこで、科学者たちは、イチゴの花の匂いとカフェインを含む餌をミツバチに与え、イチゴが他の花より好ましい花であることを記憶させてイチゴの受粉を促進させる訓練をしている。

 3番目の「植物たちの救世主」は、上記2冊を読んでいるうちに再読したくなった本。数ヶ月前に、この図書館で借りたのだが「筆者は、キューガーデンに所属する専門家で、スペイン生まれ」「地球上で1本しか残っていないヤシの木の保存に奔走した」、という記憶しかない。これだけの情報で、先の女性司書は、この本を探し出してくれた。お見事!

 筆者、カルロス・マグダレナは、一度派絶滅した世界最小のスイレン「ニムファエム・テレマルム」の栽培に成功したことで有名になった。

 このスイレンは、アフリカ・ルアンダの、なんと温泉にしか自生していなかった。この種子はドイツのボン植物園にしか残っていなかったが、同植物園の担当者は「種子は差し上げますが、発芽して水面に顔を出す前に枯れてしまいます」と言った。

 カルロスは、自宅でパスタをゆがいている時の湯気を見て二酸化炭素の濃度を高めることがこのスイレンには必要なのでは、と思いついた。二酸化炭素は水に溶けにくく、水槽内ではすぐになくなってしまう。葉が出たら何度も空気中に出す工夫を重ねて、指の爪ほど、直径約1センチの花を咲かせた。

 「植物の保全はキューガーデンにとって最も重要な使命」だ。カルロスらは、希少植物の保全のために、世界中に出かける。
 オーストラリア・キンバリー高原では、いくつものスイレンの新種を見つけた。
 20日間、8千キロの旅を終える間に、48回の採集をし、14種のスイレンを入手した。カルロスはキューガーデンに1日も早く帰りたいと思った。「私の手には、世界中の人に見てもらえる、新種のスイレンがあるから」

世界最小のスイレン(左図の隣に写っているのは、オニバスの花。右の顔写真はカルロス・マグダレナ)
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2018年12月14日

日々逍遙「阪急西宮ガーデンズ、京都府立植物園」

 【2018年11月21日(水)】

 散歩がてら、阪急西宮ガーデンズ4階のスカイガーデンへ。
 東入口から入ると、円形花壇の内側に、小さなスイレンの花のようなものが咲きそろっている。スマホ・アプリの「花しらべ」で調べると、スイセン・ペパーホワイトと出た。このアプリ、時にはとんでもない答えを出してくれるが、多分当たりだろう。後日、同じガーデンで、副花冠が黄色いおなじみの日本スイセンも咲いていた。

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 秋明菊とならんで、黄色い石蕗(つわぶき)の花も咲き出している。石蕗は、冬の季語。周りが急に"冬めいて"みえた。

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 ここには、オリーブの木が約20本も植わっている。太くなったどの木々にも実が鈴なり。西宮阪急は、10年まえに開店したばかりだが、見事に育ったものだ。

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 帰り道、県立芸術文化センターの黄色く色づいたケヤキの木の下で、若い女性が楽譜を置いてハーモニカの練習をしていた。楽譜を見ながら、ハーモニカというもちょっと不思議。楽器のトーンも高く、澄んだ音がする。ひょっとすると、違う楽器?芸文センターの楽団員?
 ブログ管理者のn.shuheiさんによると、このハーモニカはクロマチックハーモニカという半音階が出せる楽器らしい。南里沙さんという神戸女学院を出た奏者が有名という。

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 途中の菓子店で買ったミルフイーユの中身が、これまでの梨から苺に代わっていた。「これから、当面は苺。国産が入るようになったので」と店主夫人。果物も冬の季節である。

 【2018年11月23日(金)】

 毎年、桜と紅葉の季節には、京都府立植物園に行くことにしている。シーズンでも観光客に邪魔されない秘密のスポットだと、ある京都人に教えてもらった。それに、70歳以上は入場無料である。

 隣接するピザ・パスタ店でゆっくりしすぎて、園に入った時には、午後の曇り日になってしまった。紅葉への映えはどうかと思ったが、まーまー。

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 桜林のなかで、小枝に咲く冬桜、四季桜を見つけた。紅葉を背景に、白い小さな花を咲かせている。冬桜は1月の季語。四季桜は、ヒガンザクラの一品種で、別名・十月桜。西宮市の北山緑化植物園の芝生にもけっこう大きな十月桜が植わっている。
 11月の季語である帰り花(返り花)は、これらの桜を言うのだろうか。
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 おなじみのイチョウの黄葉、冬の季語でもある花八つ手、秋バラ、まだ咲き誇っていたコスモス、夏の名残の赤いカンナと、植物園に咲く花の季節は幅広い。

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 北山門に帰る右側に大きくそびえるレバノンスギ、オオカナメモチなどの針葉樹林には、いつもほっと息をつく深淵さを感じる。
 左側の600本もあるというつばき園は、いつも見る花の時期を逃してしまう。

2018年10月31日

日々逍遙「小磯良平展」「武庫川・コスモス園」など

このブログが、管理システムの不調で約1ヶ月閲覧だけでなく、新しい記事の掲載もできなくなった(詳しくは、管理者n.shuheiさんの 10月22日付けブログで)。
 管理者の大変な努力で10月末には復旧したが、ブログ右側の「過去記事タイトルリスト」を見ると、11年もの読書、紀行記録が自分にとって貴重な財産になっていることに改めて気付いた。

 あまり好きな言葉ではないが、 "終活" の一環にもなるかと「日々逍遙」というコーナーも作ってみることにした。

2018年10月28日(日)
 阪急夙川駅で、昔テニスクラブで一緒だったYさんに20年ぶりにばったり。サングラスを外して見せた顔には、私同様それなりの年輪が刻まれていたが、テニスは相変わらず続けているという。2007年に中国にご一緒したKさんも同じテニスクラブらしいが、テニスを日課のようにしていたMさんは「もう、しんどくなった」と最近クラブを辞めたらしい。これも"終活"かな・・・と。

 待ち合わせた友人Mとポートアイランドの神戸市立小磯記念美術館へ。特別展「没後30年 小磯良平展 西洋への憧れと挑戦」が開催中で、全国の美術館から集められた代表作や新発見、初公開作など約130点が展示されている。

 見覚えのある兵庫県立美術館所蔵の「T嬢の像」や東京藝術大学が貸し出した「裁縫女」が、戦前の中産階級の生活を鮮やかに描きだして秀逸だ。

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 珍しいことに「娘子関を征く」「カリジャティ会見図」(いずれも国立近代美術館・無期貸与作品)など、かなりの戦争絵画が展示されていた。

 ちょうど、京都国立近代美術館で「没後50年展」が開かれている藤田嗣治は、多くの戦争絵画を描いたことへの非難に嫌気をさしてフランスに戻って、死ぬまで日本に帰らなかったということだ。小磯良平も自分の画集に戦争絵画を載せることを非常に嫌ったという。東京芸術大学教授として活躍した戦後の生活の中で戦争責任の声とどう決別したのだろうか。

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 戦後に描かれた「働く人びと」(小磯美術館寄託)という大作は、同じ油彩ながら戦前の作品とがらりと筆使いが違っている。なぜだろうか。

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 東京・赤坂の迎賓に飾られている「絵画」「音楽」の2作は、やはり小磯の迫力が満溢 した作品だ。この展覧会では、小さなカラー模造図が展示されているだけだったが、やはり本物が見たい、と思った。

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  【2018年10月16日(火)
 武庫川左岸(尼崎市)の「武庫川コスモス園」に出かけてみた。
 13日に開園したばかりで、まだ咲きはじめといった感じだが、7つの区画にピンク、白、黄色のコスモス約550万本が今年も元気に咲きそろおうとしている。昨年は、台風の被害を受けてほぼ全滅しており、2年ぶりに復活した風景だ。
 ここは、もともと旧西国街道を結ぶ「髭の渡し」と呼ばれる渡し場があったらしい。サイクリングロードなどが整備されている右岸・西宮市側に比べ、左岸は未整備なところが多く、ここもゴミの不当投棄で荒れていた。コスモスの名所に変身させた地元市民グループの努力をありがたく思う。

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2018年10月8日(月)
 久しぶりに、西宮市立北山緑化植物園に出かけた。まだ紅葉には早かったが、シューメイギク、コムラサキ、ミズヒキなどの秋の花が咲きそろっている。  カツラの木の下のベンチで休憩。カツラの大木を訪ねた鉢伏への旅を思い出した。
 
 秋晴れへ伸びる桂や幹太し


 まだ青いがカリンの実がたわわに実っている。自宅にカリン酒をつけているのを思い出し、帰って飲んでみた。澄んだ琥珀色をした、なかなかの出来だった。張られたレッテルに「2016年11月作成」とある。たしか、神戸女学院のシェクスピア庭園で収穫した実を漬けたのだと思う。

下のサムネイルをクリックすると大きな写真になります。
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2018年10月27日(土)
 2週間に1回の俳句講座(講師:池田雅かず「ホトトギス同人」、於・神戸六甲道勤労市民センター)の日。
 最初に講師が「鳴け捨てし身のひらひらと木瓜の花」という句を黒板に書き、主席者の評価を聞いた。「良い句」と思った人は1人、私も含めて残り20人弱は「良くない」に手を挙げた。

 実はこの句は、AI(人工知能)の作、だという。
 北海道大学の川村教授が、過去の俳句5万句をAIに詠み込ませて開発したソフト「一茶君」に「鳴」「木瓜の花」という兼題を与えて自動生成させたらしい。
 友人の1人は「なかなかいい句だ」と、高い評価をした。はたしてAIは、将棋、碁に続いて俳句でも勝利するだろうか。

2017年8月 9日

読書日記「あの頃 単行本未収録エッセイ集」(武田百合子著、武田花編、中央公論新社刊)「富士日記 上・中・下」(武田百合子著、中公文庫)


あの頃 - 単行本未収録エッセイ集
武田 百合子
中央公論新社
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 「一番好きな作家は?」と聞かれたら、すかさず武田百合子と答えるだろう。

 夫の作家、武田泰淳の死後、書きはじめた数冊の著書が、大変な評判になった。「富士日記」は、富士山ろくに建てた「武田山荘」に週の半分を過ごした日々を坦々と綴っているだけなのに、なぜか引き込まれる。もう10回以上は読んだろうか。

 例えば、こんな文章。

 「夜はまったく晴れて、星がぽたぽた垂れてきそうだ」
 「外川家具店に鏡と棚が一緒になったのを見ないで注文・・・。ヒューマニズムみたいな感じの棚が届いた」
  「朝 ごはん、味噌汁、塩鮭、卵。昼 カツ丼、トースト。夜 ごはん、コンビーフ、チクワとキャベツ煮付、コーンスープ」
 「山の雪道の運転は、体の中の細胞がぱあっとひらいてしまって、シャワーを浴びているように、楽しい」
 「昏れがた、松の芽がいっせいに空に向かってのびているのが、くっきりと目にたつ。花札の絵のようだ。心がざわざわする。私の金銭欲と物欲と性欲」

 百合子が67歳で死んだ時、残されていた日記、メモ、手帳などは遺言ですべて焼却された、という。しかし、雑誌などに書かれた単行本未収録のエッセイが、歿後24年後に本になった。もう読めないと思っていた武田百合子の文章に思いもよらず再会できることになった。

 年代グループ別に編集されているから、最初は、夫・武田泰淳の思い出が多い。

 
 歌の上手な人ではなかったが、たまに歌うこともあった。酔うと寝転んで「どこまでも続くぬかるみぞ」 という軍歌を、よく歌った。体力があったころのことだ。読経の修練をしたことのある、力の入った、張り上げない、低い声で、くり返し、ていねいに歌っていた。「懐かしのメロディー」 などで、どんな歌手が歌うこの歌よりも、武田の歌う『討匪行』は、本当の兵隊ー将校ではなく一兵卒、が歌っているようだった。革臭く、泥臭く、汗臭く、ゲートル臭く、精液臭く、兵隊の苦しさや哀しみがこもっていた。聴いていると部屋の中まで、果てもなく暗く、雨が降りつづいているような気がした。


 
 ・・・初七日、二七日、三七日と、そのことを順々に確かめてゆきながらも、家の中を見まわすと机や座布団やハンコほあるのに、持主だけ虚空へかき消えてしまったことが、何ともわりきれなくて、当分の間はキョトンとした心持だった。・・・そんなときは、お風呂にそそくさと入った。丸まってお湯に浸かり、ケッと泣いた。


 1周忌が近づいたころの文章。

  
 道を歩いていると、夫や私より年長の夫婦らしい二人連れにゆきあう。私はしげしげと二人の全身を眺めまわす。通りすぎてから振り返って、また眺めまわす。羨ましいというのではない。ふしぎなめずらしい生きものをみているようなのだ。


 自分の文章について書いたか所がいくつかある。百合子は、天衣無縫に飛び出した言葉を綴っていたのか、とも思っていた。しかし「編者あとがき」によると、百合子は「雑誌などに書いた随筆を本にする際は、必ず細かく手を入れていた」という。推敲に推敲を重ねて、やっと絞り出した文章だったのだ。

 
 美しい景色、美しい心、美しい老後など「美しい」という言葉を簡単に使わないようにしたいと思っている。景色が美しいと思ったら。どういう風かくわしく書く。心がどういう風かくわしく書く。・・・「美しい」という言葉がキライなのではない。やたらと口走るのは何だか恥ずかしいからだ。


 そう考える人が、ただ「蝉が鳴いている」ことを書くと、こうなる。

  
 午前四時半、・・・裏の崖上の林の高い遠くで、かなかな蝉が一匹、息の続く限り鳴いて止む。そのあと、しんとしてしまう。・・・別のかなかな蝉が、離れたところの樹で鳴く。消えかけたその声にかぶせ繋いで、じい一つと気のないような鳴き方で、別の種類の蝉が鳴きはじめ、ひとしきりして止む。止むのを待って、離れたところの同じ種類の蝉が鳴き、ひとしきりして止む。三匹めが鳴きはじめると、一匹めと二匹めも重唱、だんだん調子が出てきて、馴れきって、空気みたいに鳴き出す。しやおんしゃおんと鳴く蝉も混り、もう林全体が蝉の声となる。


 何度も出てくる食べ物の一節。

 
 うな井は、並一人前八十円、沢庵が二切れついていて、お茶がおいしい。蓋をとるとマッチ箱大の蒲焼が二つのっている。耳のうしろをつたう汗を指で払いながら、ひらりと一口、蒲焼を喉に通し、たて続けに、たれのたっぷりしみた御飯をはお張る。酔ったようになる。くたびれた人が汗をふきながら一人入ってきて、もうろうと腰かけて「うな井、並」といった。


 夫が生きていた頃。一人娘と3人で花見に出かけたことがあった。葡萄酒ですっかり酔っぱらった百合子は、娘に絡み始める。

 
 あんたねえ。こんないいところにきて、そんなことじゃあ、この先、生きて行くのはむずかしいよ。嬉しいときは嬉しい顔しなくちゃあ、欲しいときは欲しいと言わなくちゃあ。いったいぜんたい、あんたはどんなこと思って生きているのかえ。どんな考えを持って生きてるのかえ。え、言ってごらん。
 無表情のまま、じいっと押し黙っていた娘は、やがて涙のたまってきた眼のふちを赤らめ、かばそい声を出して言うのだった。「思おうとしても思えないよお。考えても考えがないよお。だけど、あたしは生きていたいよお。ただ生きていたいよお」
 青い空の奥の奥で、かすかな爆音がしていた。見えないその飛行機が、金紙のチラシを撒きつづけているような気がしていた。頭上の桜は、ひとひらだって散ってこない。「ユリコのマケ」限蓋の裏の眼の玉をぐりぐりと動かし、限をつぶったままの夫が、おかしくてたまらぬ風にそう言うのだった。


 この娘がこの本の編者で、著書もいくつかある写真家の武田花さん。このブログでも登場させてもらったことがあるが、浮ついたファンレターめいた文章が、今になって恥ずかしくなる。 YOMIURI ONLAINに載っていた花さんが、お母さんそっくりなのにちょっとびっくりした。



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