2008年2月アーカイブ: Masablog

2008年2月27日

読書日記「カラヴァッジョへの旅 天才画家の光と闇」(宮下規久朗著、角川選書)

 イタリア・バロック時代の巨匠といわれるカラヴァッジョという画家を始めて知ったのは、一昨年9月、「和田幹男神父と行く『イタリア巡礼の旅』」(ステラ コーポレーション主催)というツアーに参加したのが、きっかけだった。

 著名な聖書学者である和田神父に導かれるままに古い教会にたどり着くと、薄暗い礼拝堂に掲げられたカラヴァッジョの宗教画が、かすかな光のなかに浮かびあがってくる。

 その強烈な印象が忘れられず、帰国してからカルヴァジョ研究の第一人者と言われる著者(神戸大大学院人文学研究科准教授)の本3冊を入手した。

 著者は、最新作「カラヴァッジョへの旅」の後書きにある「カラヴァッジョ文献案内」などで、この3冊について説明している。

 「私の集大成」と言う「カラヴァッジョ 聖性とヴィジョン」(名古屋大学出版会、2004年)は、A5版、本文だけで300ページ近い大部なもの。作品の解釈なども詳しく、サントリー学芸賞や地中海ヘレンド賞を受けている。

 「カラヴァッジョ 西洋絵画の巨匠⑪」(小学館、2006年)は「これを越える画集は世界にない」と著者が自負する大型のカラー図版。

 カラヴァッジョ研究の総集編という「カラヴァッジョへの旅」は、各地に残る天才画家の足跡をたずねる旅で構成されている。

 ミラノに生まれ、ローマで後世に残る名品を残しながら、殺人を犯して南イタリアに逃亡。ナポリやシチリア、マルタ島でもけんかや暴力ざたなどの無頼をつくしながら描き続け、真夏のトスカーナの港町で行き倒れる。著書は、38歳の短い生涯を綴りながら、描いた作品を簡明に解説している。

 その内容を書くには、どうしても作品の図版が欠かせないが、著書からコピーすれば、やはり著作権にふれるのだろう。WEBを探していたら、サルヴァスタイル美術館という個人サイトを見つけた。画像はあまり鮮明ではないものの、カラヴァッジョの主要作品のコピーを見ることができる。

  一昨年のイタリア巡礼の後、ツアー仲間の岡本さんから詳細な記録をいただいた。それによると初めてカルヴァジョの作品に接したのは、ローマ滞在5日目。ナヴォーナ広場に近い聖ルイ教会(フランス人の教会)のなかにある5つの礼拝堂の一つの正面に「聖マタイと天使」、左の壁に「聖マタイの召命」、右に「聖マタイの殉教」と、マタイ3部作が掲げられていた。右側の献金箱にコインを入れると、電気の明かりがついて暗い闇に沈んでいた作品が浮かびあがる。

 「聖マタイの召命」は、絵画のなかの誰がキリストの召しだしを受けたのかという「マタイ論争」で有名な絵。諸説があるなかで、宮下准教授は右端でうつむきコインを数えている徴税吏の若者がマタイだと断言する。「次の瞬間、ばたんと立ち上がって、呆気にとられる仲間を背に、キリストとともにさっさと出て行くであろう」クライマックスの直前を捉えた作品、という。

 キリストが伸ばした右手は、システィーナ礼拝堂天井にミケランジェロが描いた「アダムの創造」のアダムの左手を左右半回転したもの。

 どこで読んだか、聞いたりしたのかの記憶がないのだが、この手を伸ばす構図が映画「ET」にも生かされていることでも知られている。

 ローマ滞在5日目の昼前には、聖アウグスチヌス教会で「ロレートの聖母」を見た。ひざまずく農夫の足の裏の汚れのリアリティさには、当時の「民衆が大騒ぎした」らしいが、聖母のモデルをめぐる著書の記述も興味深い。

 その日の夕方、聖マリア・デル・ポポロ教会礼拝堂で「聖パウロの改心」を見た印象は、とくに強烈だった。

 「画面を圧する大きな馬の足元に若い兵士が横たわって両手を広げている。この兵士はサウロ(後のパウロ)であり、今まさに改心しつつある」。

 その証拠に、絵に描かれた「馬丁も馬もパウロに起こった異変にきづいていないかのように動作を止めてうつむいている」。つまりこの絵は、パウロの脳のなかで起こったことを描いていると、宮下准教授。

 「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」(使徒言行録第9節4章)という聖書の言葉を、ガラヴァジョは「一人の人間の内面に起こった静かなドラマに変容させてしまった」のだ。

 名画の完成度が高まるにつれてガラバッジョの無軌道ぶりは増していく。そして、友人やパトロンに何度も助けられながらも、同じ過ちを繰り返す。

 著者は終章でこう書く。「私がカラヴァッジョに引かれるのは・・・こうした彼の生涯と破滅的な人間性のためである」「私も自分が抑えられないかたちで、怒りを暴発させては・・・失敗と後悔を繰り返してきた」「誰しも『内なるカルヴァッジョ』を抱えて生きているのだ」

 宮下准教授のホームページに、ある雑誌に載った顔写真が貼り付けてある。

 「趣味は、任侠映画鑑賞」と言う無頼っぽい表情は、ウイキペディアに掲載されているカラヴァッジョの肖像画に似ていなくもない。

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5 画家の生涯を旅する!


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5 カラッヴァジョについての最良の案内書


(追記:2013/3/10)  
 読書日記「カラヴァッジオからの旅」(千葉成夫著、五柳書院刊)
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 久しぶりのカラヴァッジオとの再会である。

著者のものを読むのは初めてだが、2度にわたるカラヴァッジオを訪ねる旅を綴っている。それを個人美術批判誌に連載しているうちに、表題の「カラバッジオへの旅」が刊行されたため「・・・からの旅」といった、いささか中途半端な題名になったようだ。
カラヴァッジオ作品の分析も、宮下紀久朗と一味違う。
 例えば、 「洗礼者聖ヨハネの斬首」(マルタ島、サン・ジョヴァンニ大聖堂)を見て発見したのは「色彩の二種類の美しさ」だという。
 
ひとつは、聖ヨハネの赤い布。すこし朱色のまじった、ほとんど超絶的としかいいようのない赤い色である。超絶的とは、色彩を極めていって色彩を超えるところまで到達してしまった色彩、という意味でもある。そして色彩を超えることによって「絵画」 の何かをまで超えてしまっているという意味にはかならない。この赤は、赤そのものであり、同時に赤という色を超えてしまった赤でもある。・・・
 そしてもうひとつは、背景の、というよりこの絵のひろがりそのものを作り出している色彩である。それは現実的には壁、格子窓、門、門のアーチの石組み、地面(床面)の茶色っぼい、黒っぼい色彩のことだ。この大作の面積からいうと、その部分がいちばん大きい。この色彩がうまく描けないと、絵そのものが台無しになる。左側の人物たちを描くことができても、それらを真に存在させるためには、ひとつのまとまったひろがりのなかへと着地させなければならない。そしてその「ひろがり」とは、色彩によってしか実現されえないのである。そういう「色彩」というものがある。そうして、そのような「色彩」が、とくべつの自己主張をすることなしに美しい、ということが起りうる。

「聖母の死」(パリ・ルーヴル美術館)が、現代人の心を打つのは「神々しくない」からだ、という。
 
髪はボサボサで、お腹はすこし膨れたように描かれ、美しいとはいいがたい素足の両足先が投げ出され、ありふれた、普通の死体としてころがっている。その顔は、大方の図版よりはずっと灰色に近く、骸の土気色をしている。テヴェレ河のじっさいの水死体をモデルにしたという説もある。

この絵のハイ・ライト、内容の点でいちばん光が当っているのは、いうまでもなく聖母の顔である。よく見ると、その顔には苦痛も神々しさもないかわりに、なんとも言い難い穏やかさが浮んでいる。この顔をそのように表現したことに、僕は、カラヴァッジオの鋭い直感力と天才を感ずる。

著者が「最高峰」と評価するのは、「ロレートの聖母」(ローマ・サンタゴスティーノ聖堂)
 
二人の巡礼が眼にしているのは、現実界に姿を現した聖母子というよりは、現実界に現実に存在する母子である、というように見える。・・・それはどまでに、「物語性」をこえて、「リアル」なのである。・・・
 その「リアル」さが、この絵を劇的なものではなくて、むしろ静かなものにしている。そこにいかなる大仰な身振りもなく、過剰な舞台背景もないことが、この作品の美しさをより深めている。そしてそういう深さが、静けさをもたらす。


2008年2月21日

読書日記「黄砂 その謎を追う」(岩坂泰信著、紀伊國屋書店刊)

 黄砂に持っていた、これまでのあまりよくない常識を覆させられる、ちょっとショッキングな本である。

 「バカにならない読書術」(養老孟司、池田清彦、吉岡忍・共著、朝日新書)で、吉岡、養老両氏が推薦しているのを見つけたのが、この本に出会ったきっかけ。

 名古屋大学環境学研究科教授の著者は、82年の南極観測隊に参加しながら、黄砂研究の先鞭をつけた成果で、世界的な評価を得ている、という。

 まず「黄砂は『空飛ぶ化学工場』」という記述に驚かされる。

 飛行機に乗って上空の黄砂を直接採取して、電子顕微鏡で調べたところ、黄砂が大気中を浮遊している間に、汚染物質(おそらく二酸化硫黄=SO2)と化学反応を起こして、粒子の表面に付着するらしい、という結果が得られたという。

 人間活動によって排出された二酸化硫黄は、大気中でミスト化して漂っている。それが黄砂に付着すれば、太陽放射を反射、地球温暖化の抑制に役立つ効果を生むかもしれないらしい。

 また、黄砂の通り道に当たる地域で雨の酸性の程度が予想以上に低く「黄砂が酸性雨を緩和する」可能性もあることも分かった。

 酸性雨の原因となる硫黄酸化物や窒素酸化物を取り除いているのか、それとも雨に黄砂が取り込まれたときに黄砂粒子から溶け出したカルシュムなどの金属が中和反応を引き起こしているのか、学者の間で熱い議論が続いている、という。

 「太平洋上に飛んできた黄砂が海に落ち、プランクトンのえさになっている」という推測にも驚かされる。

 大気中に浮遊している窒素酸化物(NOx)は、生き物に欠かせない。それを付着させた黄砂の粒が海に落下したのをプランクトンが食べ、排泄物と一緒に海中に放出する。海底には、黄砂が堆積しているのが発見されているようだ。

 2003年に中国が開いた砂塵嵐をテーマにした会議で、アメリカの研究者が砂塵嵐の風景と握り寿司の写真を並べ「黄砂はプランクトンの餌になり、それを大型の魚が食べている。私たちは、その魚を食べている」と主張し、大きな拍手を受けた。

 「あとがき」には、こうある。

 黄砂がとうとうと流れるところは、言い換えるなら擬似的な大地でもある。小さな生き物にとって、黄砂の粒子一つ一つが広い地面であるかもしれない。「黄砂にくっついた小さな生き物が偏西風に乗って、どこかに着地することはありそうに思われる。」


 飛行機や気球で黄砂を捕らえ、中国・敦煌でフールド調査をするなど、徹底した実地研究の苦労話もおもしろい。

 ただ書き出しには、こんな表現がある。「黄砂という言葉は、日本列島に住む私たちにとって、春一番とともに訪れる春の到来を告げるというのどかなイメージがある」

 科学者らしい楽観主義と言えなくはないが、春になると目がチカチカしたり、車や洗濯物をほこりだらけにしたりする厄介者を、とても「春の風物詩」と呼ぶ気持ちにはならない。

 昨年6月19日付けの読売新聞には「アレルギー疾患が、黄砂によって悪化する」という奈良県大和高田市民病院のアレルギー専門医の話が載っていた。

 「国境を越える黄砂の影響は、中国などの経済発展と密接に関連し"黄砂テロリズム"と呼ぶ向きもある」「韓国では、黄砂から病原菌なども検出された」というウイキぺディアの記述も読むと、著者の見解に、いささかの違和感を持ってしまう。

 参考文献:「ここまでわかった『黄砂の正体―ミクロのダストから地球が見える』」(五月書房)。著者の三上正男氏は、気象庁気象研究所環境・応用気象研究部研究室長。

 

黄砂―その謎を追う
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4 偏向しないための読書はありえないのかな
4 新たな本にきっと出合える。
4 面白い!でも題名は・・・
5 子どもは裸足で育てよ
2 意思の疎通

2008年2月12日

読書日記「久世塾」(塾長・久世光彦、平凡社刊)

 シナリオを書く気なんて、毛頭なかったが、昨年の初めだったか。この本を本屋で見つけて、ちゅうちょなく買ってしまった。最近も、横積みされているのを見たから、再版されたか、どこかの書評で紹介されたのだろう。


 「久世塾」は2000年7月、「21世紀の向田邦子を作ろう」というキャッチフレーズのもとに開講されたシナリオライター養成講座。この本は、一流講師陣による特別講義録であり、2006年3月に急死した久世光彦の追悼集でもある。

 久世光彦の朝礼から始まり、計7時限の講師の講義や久世光彦との対談で構成されているが、いたるところに苦しみながら脚本を生み出してきたシナリオライターらの"光る言葉"がちりばめられている。

 大石 静(NHK朝の連続テレビ小説「ふたりっ子」「オードリー」などの脚本家)
 「人生にはある日ぶわっと波が来るときがある。私はそこにうまく乗れたんだと思う。そうなると、沈んでいるときのこともすべて材料になる。人には必ず波が来るので、あきらめないということが大きかったように思いますが、波が来たときに乗れるだけの実力を蓄えてほしいですね」


 内館牧子(NHK連続テレビ小説「ひらり」、大河ドラマ「毛利元就」など)
 「どん底であればあるほどていねいに生きていくことが、難しいけど大切」
 「何でもおもしろく思ったり、こういうことがあるよねということがわかれば・・・自分の深さ・厚さになっていくのではないか」 「いろいろな生き方があって、いろいろな風が吹いていて、本当に嫌なことも世の中にいっぱいあるよということが自分の中に蓄積されていくことが、一番遠まわりに見えながら一番の強みではないだろうか」
 「週刊誌の、週一回エッセイを書いていますが、身辺雑記というものは、ていねいに生きていかないとネタがないのです」


 糸井重里(コピーライター、人気WEBサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」主宰)
 「本当に満足している人は、表現なんかしないのですよ。耕して、産んで、育てて、死ぬんです」


 久世光彦
 (大石 静に受講者が「脚本家としての挑戦と抱負を話してください」と質問したことに対し)「あなたが今使った『挑戦と抱負』というのはすごく難しくてすてきな言葉に見えるけれども・・・あなたの気持ちがこもっていない。もっと人にばかにされていいような、たどたどしい素朴な気持ちの言葉のほうが、何を聞きたいかということがわかると思う」


 演出家である久世光彦の書いた本を最初に買ったのは「触れもせで 向田邦子との二十年」(講談社刊)だったと思う。

 そのなかに、こんな一節がある。
 「向田さんの方は、学生のころ読んだものをもう一度、この年齢、いまの気持ちで読みたいと言った。・・・漱石と鴎外・・・プルースト、それからヘミングウエー・・・」。


 「久世塾」で、現在の自分の生きざまを、この本で最近の読書傾向が恥ずかしくなり、同時に"言葉"というものが持つ力のすごさに、改めて気付かされた思いだ。

久世塾
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久世 光彦
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触れもせで―向田邦子との二十年 (講談社文庫)
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5 触れもせで
5 清々しい読後感。

2008年2月 5日

読書日記「危ない中国 点撃(クリック)!」(福島香織著、産経新聞出版刊)

 この本を図書館で借り、流し読みをした直後に、あの中国製冷凍ギョウザ中毒事件が日本全国に広がった。

 おかげで、この本に注文が殺到、5版が決まったらしい。もう一度、読み返してみた。


 産経新聞中国総局の記者である著者は、産経新聞のニュースサイト「iza」に書いているブログ「北京趣聞博客」のなかから、アクセスの多かった36本を収録している。

 第1章の「中国の食は危険がいっぱい」が3分の2を占めているが、エッと思う記述が続出する。

  • ホルモン剤を含んだ児童食品を食べて、7歳で月経が始まった女の子や6歳でひげが生えている男の子など、子供の早熟症が進んでいる。ホルモン剤汚染食品は、大人にも影響を与え、2004年には医師である全人代代表が広州市の全人代の会議で「50年後、広東の大多数の人間は、生殖能力を失うだろう」と警告した。
  • 中国は塩の専売制を取っているが、安い密造塩が横行している。不純物が多いだけでなく、中毒を起こす亜硝酸塩を含む工業塩が紛れ込むことも多い。

  • 人の毛髪をアミノ酸液に替え、それを原料にしたニセ醤油(毛髪醤油)が、市場に出回っているといううわさが絶えない。学者は、発ガン性があるという見方をしている。
  • 2005年に、山東省検疫当局が、人工牛乳を製造していた業者を摘発した。ゴミとして捨てられていた革靴を化学処理して人工たんぱく質をつくり、それに香料、色素を加えていた。今でも時々、人工牛乳騒動が報道される。
  • 工場などの排水、下水溝にたまった油を集めて精製した食用油「地溝油」が出回っている。ウランバートルの学生2人がインスタントラーメンを食べて,中毒死したが、ラーメンに、この油が使われたな、と直感的に思った。広東省のレストランでは、客が自分専用の「マイオイル」を持参、それで調理するよう頼むのが流行している。

 このほかにも、汚染された米、お茶、飲料水など、危ない食品の実態がいくつも紹介されている。ニセ食品事件が続く日本もほめたものではないが、中国に旅行するのが、いささか怖くなる感じさえある。


 ただ、これらの文章は、ブログに掲載されたものだけに、伝聞や報道などの引用が多く、著者自身の取材をもとにしたものはほとんどない。 


 記者が取材して書いた原稿を、デスクが直し、編集幹部がチェックして掲載、その後も記事審査部門が審査する新聞記事とは、根本的に違うのだ。

 新聞に掲載する場合、取材相手などの反発、抗議を懸念して、取材の確証を得ても、掲載を自己規制してしまうケースもないことはない。


 その点、ブログというメディアを活用して、書き込みを続けている著者の意図に、ある種のおおらかさ、勇気を感じ取る。

 著者自身も、この本の「あとがき」で「ネット上の『掲示板・ブログの書き込み』『知人の話』といった伝聞を重視し、新聞記事には書き込めない中国人の本音、事象の裏側も見いだしてもらえるのではないか」と書いている。


 ちなみに、このブログ「北京趣聞博客」の「趣聞」は中国語でゴシップ、「博客」はブログのこと。


 最近の「北京趣聞博客」には、農薬・メタミドホスについての詳しいレポートや食品中毒事件についての中国各紙の報道を紹介、それに関連したコメント、トラックバックが盛んになっている。


 新しいメディアとしてのブログのおもしろさを、改めて実感せざるをえない。



危ない中国 点撃! 福島香織の「北京趣聞博客」
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1 もはや妄想のレベル(笑)
5 チャイナからやってくる毒
5 やっぱり本当だったんだ



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