読書日記「ある小さなスズメの記録 」(クレア・キップス著、梨木果歩訳、文藝春秋刊)
ある小さなスズメの記録 人を慰め、愛し、叱った、誇り高きクラレンスの生涯
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クレア・キップス
文藝春秋
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未曾有の惨事を引き起こした東日本大震災。テレビから眼が離せない。被災の惨状に戦りつし、犠牲者、被災者を思って胸を熱くする。
たまたま、図書館から借りている本も多かったのだが、どれを開いても内容が頭のなかに入って来ない。心がザワザワと落ち着かない。
そんな時、関西に一時避難してきた知人を迎え行ったJR新大阪駅の書店で買ったのが、この本。書評などで内容は知っていたから「これなら読めるかも」と・・・。被災地の方々に思いを寄せながら、ページを繰った。
副題に「人を慰め、愛し、叱った、誇り高きクラレンスの生涯」とある。
ドイツの空爆が絶えない第二次世界大戦中のロンドン郊外。ピアニストのキップス夫人は、玄関前で「明らかに瀕死の状態にある、丸裸で目も見えていない、おそらく数時間前に生まれたばかりなのだろう」オスのスズメを見つける。
それから12年間にわたる2人(1人と1羽)の交遊が始まる。クラレンスは、自分の目が開くようになった時、初めて見たキップス夫人を「何の疑いもなしに・・・自分の保護者として自然に受け入れた」
(羽毛が生えそろったころには)彼は私の枕の上に置いた古い毛皮の手袋の中で眠り、夜明けにチュンチュン騒いで私の髪の毛を引っ張って起こしては、朝食をせがむのだった。
彼は幾度となく、私の頭で「砂浴びをやっているつもり」を楽しんでは、一方の耳からもう一つの耳へ全速力で移り、さらに巻き毛でぶらぶら揺れたりしてふさぎ散らした。
ある時、キップス夫人に「直感が閃いた」。空襲で防空壕に押し込められている子どもたちを慰めるために「クラレンスに芸を教えよう」
夫人とのヘアピンを使った綱引き。トランプノカードをくわえて10回から12回、落とさないでぐるぐる回し続ける。
最も人気のあった演目は「防空壕」。夫人は麻の実を入れた左手を右手で丸く蓋う。「サイレンだ!」という声を聞くと・・・。
彼はすぐさまこのにわかづくりの防空壕へ駆け込んで。数分の間じっとしているが、しばらくすると、警報解除のサイレンはまだ鳴らないの?と言わんばかりに。頭だけちょんと突き出して辺りを窺うのだった。
肩に止まらせてピアノの練習をしているうちに、彼は音楽家としてもデビューする。
窓辺に来る小さなアオガラから求愛されたり「『私(キップス夫人)』に愛を仕掛け」たりする「青春時代」もあったが、その彼にも"老病死"がやってくる。
11歳を過ぎた頃から、彼の足は弱り始め、夜中に止まり木から落ちたり、時々ヒステリーの発作を起こしたりした。
ある朝彼は水浴びからふらふらと出てきて籠の床に横向きに倒れた。・・・まだ息はしていたものの、くちばしを開けたまま気を失っている・・・。
卒中だった。部分的な麻痺も引き起こした。体のバランスがうまくとれず、しょっちゅう、ひっくり返って、夫人に起こしてもらわなければならなくなった。リハビリが必要になった。
が、彼はこの難題を、自分一人の力で解決したのだ。
いったん蛙のようにぴょんとジャンプすることを学ぶと、それから間もなく、ひっくり返った状態から即座に空中に跳ね上がり、完璧な宙返りをして、正しい状態に着地できるまでに熟達した――
いったん蛙のようにぴょんとジャンプすることを学ぶと、それから間もなく、ひっくり返った状態から即座に空中に跳ね上がり、完璧な宙返りをして、正しい状態に着地できるまでに熟達した――
私のスズメは・・・一九五二年、八月二十三日に死んだ。耳はまだしっかりしていたが、目の方はほとんど見えなくなっていた。・・・私の温かい手の中に静かに体を横たえ、数時間、じっとしていた。それからふいに頭を上げると、昔から慣れ親しんだ格好で私を呼び、そして動かなくなった。
この本は60年も前に欧米で大ベストセラーになった。日本でも、2回ほど翻訳本が出ている。その幻の名作を、キップス夫人がスズメと暮らした場所から車で十数分の場所に暮らしたことがあり、「渡りの足跡」という本を著すなど鳥の生態にも詳しい梨木果歩が、ていねいな日本語でよみがえらせた。
訳者は、あとがきにこう書いている。
キップス夫人の文章は格調高く、感情表現を極力抑制し、スズメの行動を客観的に推測するのに必要な情報を冷静に著述しようとする意志が見られた。だからこそ、そこから隠しようもなく滲んでくる、クラレンスと共に過ごした日々への愛惜が胸を打つ。こういう文章を訳す喜びを幾度となく思った。いつまでも手元に置いて訳し続けていたかった気がする。