ロンドン・パリ紀行①「大英博物館㊤・ライオン狩り壁画と大洪水粘土板」2014年4月26日―5月6日
この5月の連休、若い友人Yさん夫妻に連れられ同行4人でロンドン、パリに出かけた。事前勉強の半分も体験できなかったが、数々の名作や遺産と出会うすばらしい旅となった。
行った順序は逆になるのだが、大英博物館から始めたい。「大英」とはおおげさな名前だが、正式名称は「British Museum」。日本がかつて自国を「大日本帝国」と尊大に自称していた時期に日英同盟で親しかったこの国を「大英帝国」と呼んだのが、きっかけらしい。
いつも若者たちがたむろしていたロンドンの繁華街、ピカデリー・サーカスから地下鉄で3駅目の「ホルボーン」駅を降り、比較的細い通りを右に抜けて5分もかからないうちに、古今の文化遺産を集めた世界最大の博物館が見えてきた。ギリシャ・パルテノン神殿に似せた外装は、いささか意図的?に見える。次回にふれてみたい。
午前中は同行Mと回り、午後からYさん夫妻と合流して一緒に2時間ツアーに参加する予定だったが、それでも1日ではとても全部は回り切れない。事前にテーマを①アッシリアのライオン狩り壁画など古代メソポタニア文明遺産②アテネ・パルテノン神殿の彫刻群、の2つに絞ることにしていた。
入口を入ると、白い円筒形の図書室を中心にガラス天井に覆われた光あふれるグランド・ギャラリーに出た。2000年に改造された明るい空間だ。 なんと、創館以来入場料は無料なのだが「5ポンド以上のご協力を」と書かれた透明の募金箱なかに各国通貨やコインが見え、簡単な館内地図を積んだ箱にも「1ポンドの寄付を」とあった。
左にぐるりと回った入口を入ってすぐの「エジプト室」の中央に、ガラスケースに入った同館最大の人気展示物 「ロゼッタ・ストーン」が展示されていた。周りは、2重、3重の参観者。エジプトでフランス軍が発見したが、その後条約によって仏軍を破った英国に所有権が移り、あのナポレオンを地団駄踏んでくやしがらせたという、いわくつきの遺産だ。長年、エジプトからも返還要求が出ていることは、当然のことだろう。
それをチラリとみて、左に進んだ第6室入り口両側に、4メートルを超える「アッシリアの守護獣神像」が1対デンと据えられていた。頭は人間の顔をした神、身体は翼を持つ牝牛だという。斜め後ろから見ると5本脚。所々に細かいヒビが入っているが、買い取った(英国人)が解体して運んだキズ跡らしい。
正面に見えるのは「バラワートの門」と呼ばれる青銅帯で補強された杉材の門扉(紀元前9世紀)のレプリカ。
その隣10室aの両面の壁には「アッシュール・バニパール王の獅子狩り(紀元前7世紀)」をテーマにしたレリーフ(浮き彫り壁画)が次々と掲示されており、長い歴史を越えて生々としたエネルギーで迫ってくる。
舞台は、長い槍と弓に矢をつないだ兵士の長い2重の列で囲まれた王の狩猟場だ。そこにライオンが放たれ、王自らが戦車で乗り込み、矢を放ち、槍を投げてライオンを仕留める。 戦車に襲いかかったものの、王のナイフと兵士の槍にのど元を突かれ頭を天に向ける雄ライオン。3本の矢を受け瀕死の雄ライオン、その後ろに同じように矢を3本つけたまま必至で雄に1歩でも近づこうともがく雌ライオン。それらの表情はなぜか王や兵士以上に生々しく、ライオンや戦車の馬の筋肉表現がすばらしい。
ロンドンへの機中で読んだ「シュメル―人類最古の文明」(小林登志子著、中公文庫)には、こう書かれていた。
当時、アッシリアにはライオンがいた。ライオン狩りは武人としての訓練、スポーツの要素を持つとともに宗教的儀式だった。ライオンが「魔」を象徴し、その「魔」を仕留めることで王が宇宙の秩序を整えるという意味があったという。
この本を読むまで気づかなかったが、ライオン狩りをするバニバル王の腰には2本の葦ペンがはさんである。
アッシリアやシュメール文明を生んだ古代メソポタニア(現在のイラク)を囲むチグリス、 ユーフラテス川畔には太さ2,3センチもある葦が自生していた、という。
この葦ペンを使って古代メソポタニア人は、世界最古の文字楔形文字を生み、粘土板に様々な記録を書きつけた。
文武両道の人であったアッシュール・バニパール王は、多くの粘土板記録を集め、 アッシュール・バニパールの図書館と呼ばれる世界最古の図書館まで作ってしまった。
19世紀にその遺物の一部が発見され、大英博物館は、2002年からイラン・モスル大学と協力し、土に埋もれた粘土板遺産を発掘し、そのほとんど3万点以上が同博物館に所蔵されている、という。
そのなかでも見逃せない1品「洪水タブレット」があるという、ので2階北側55室に向かった。古代メソポタミアの 「大洪水伝説」を記録したもの、という。
縦横10数センチの粘土板の表裏にびっしりと楔形文字が横書きされている。古代メソポタミアの文学作品 「ギルガメッシュ叙事詩」第11章の写本である。
ウトナピシュティムは、神々が洪水を起したときの話をする。エア神の説明により、ウトナピシュティムは船をつくり、自分と自分の家族、船大工、全ての動物を乗船させる。 6日間の嵐の後に人間は粘土になる。ウトナピシュティムの船はニシル山の頂上に着地。 その7日後、ウトナピシュティムは、鳩、ツバメ、カラスを放つ。ウトナピシュティムは船を開け、乗船者を解放した後、神に生け贄を捧げる。エンリル神はウトナピシュティムに永遠の命を与え、ウトナピシュティムは2つの川の合流地点に住む。
なんと、 旧約聖書に書かれた「ノアの箱舟」の源流は、紀元前3000年近い前に描かれた作品にあったのだ。
55室の西側にある56室は、シュメール・ ウル期の王墓から発掘された「牡山羊の像」、世界最古の「ゲーム盤」などの逸品が並んでいる。期待していた 「ウルのスタンダード」(旗章と訳されているが、本当は楽器の共鳴板らしい)という小さなモザイクの箱は「テンンポラリー リムーブド」(一時的に移動しました)という表示と一緒に、両面を写真で映した紙製の模型だけが展示されていた。修復のためらしい。
これらの遺産が発掘された王墓は、シュメール文明では 「ジッグラト」と呼ばれるらしい。焼き煉瓦で天に伸びる何層もの階段状の塔を築き、その上部に神殿を設けてシュメールの神をまつった、という。
まさに、旧約聖書に書かれている「バベルの塔」のルーツとしか思えない。
その遺跡の多くが、 今回のイラク戦争で破壊された、と聞く。「多くは、アメリカ軍の行為」と、あるWEBページは批判する。
午後の館内ツアーの最後ごろ。ツアーガイドのSさんが2階のエジプト室を出た時に、こんなことをつぶやいた。
「旧約聖書にある 出エジプト記で、モーゼが海を切り開いたという奇跡。これは、地中海の サントリニ島の火山爆発による事実、という説もあるのです」
長い年月をかけて語り、書き続けられてきたのであろう旧約聖書。それを生んだ土壌、記述のルーツをこの大英博物館で垣間見ることなど、大英博物館来るまで想像もしていなかった。
新約聖書の神と比べ、あまりに人に厳しい旧約の神が、少し身近に感じられるような気がしてきた。
午後5:30の閉館直前に、地下のセルフサービスのカフェテリアにはいった。紅茶と一緒に、スコーンに クロテッドクリームとイチゴジャムをたっぷりつけて食べた。「まずい」と評判のイギリスの"おいしい"味だった。