2012年1月アーカイブ: Masablog

2012年1月30日

読書日記「ふたつの故宮博物館」(野嶋剛著、新潮選書)


ふたつの故宮博物院 (新潮選書)
野嶋 剛
新潮社
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 現在、東京国立博物館で開催されている 特別展「北京故宮博物院200選」が、北宋時代の名品 「清明上河図」(今月24日で展示終了)が日本で初めて公開されたこともあって、長蛇の列らしい。

 私もこれまで大阪や京都で開催された 北京故宮博物院展をのぞいたことがあるが、もう1つ感動が薄かった。
  西太后が着ていたという埃っぽい衣装や皇帝・溥儀 がヨーロッパから取り寄せたという自転車まで見せられてガッカリしたこともある。
 2009年秋に北京を訪ねた際にも、今は故宮博物院になっている世界遺産、 紫禁城の建物はすばらしく感じたが、知識のなさもあって展覧品はあまり印象に残っていない。

  蒋介石が台湾に逃れた際に、紫禁城(故宮)の重要な宝物をほとんど持ち去り、現在は台北の 国立故宮博物院に所蔵されていると聞かされ「本物は、台北にある」と思いこんでいたせいかもしれない。

 朝日新聞の元台北特派員が書いた表題の本には、このあたりの事情をじっくり書き込まれていておもしろい。

 「故宮は不思議な博物館である」と、著者は切り出す。
まったく同じ名前の博物館が、中国と台湾にそれぞれ存在している。商標権の侵害で訴訟合戦になっても不思議ではない。だが、現実には「ふたつの故宮」はお互いの存在を否定もせず、「我こそは本家」と声高に叫ぶこともしない。ただ、黙々と同じ名前を名乗っている。


 2011年5月の資料によると、「北京故宮」は、180万点を収蔵、うち85%が清朝が残した(清代以前のものを含めてという意味)文物。「台北故宮」は約68万点、清朝が残した文物が90%を上回る、という。その収蔵方針は「中華文明の粋を集める」こと。
 フランスのルーブルや、米国のメトロポリタンのように、世界の文化財を集めることに、まったく興味を示していない。

中華とは「文明の華やかな世界の中心」という意味を持つ。中華というのは、あらゆる面で卓越した中華王朝の政治があまねく世界に行き渡る際に、野蛮な異民族といえども礼儀や道義など優れた文化を身につけることによって中華の一員となることができる、という華夷思想の根幹にかかわる概念である。逆に言えば、中華文化以外は一切の価値がないということになってしまいかねない排他的な発想も内包しており・・・


 まったく見事というしかない「中華思想」の結実が、2つの故宮博物館なのだ。
 だから「台北故宮にはその所在地である台湾の文化の断片すら発見することは難しい」という奇妙なことが起こる。

  国民政府とともに中国本土からやって来た人々は約200万人。それに対し、当時の台湾の人口は700万人ほどだった。地元・台湾の人々は、鉄砲水のように流れ込んできた「中華思想」に戸惑いを隠せなかったことだろう。

台湾の多くの庶民にとって、台北故宮が必ずしも「誇り」の対象でないことに台湾で暮らしているうちに気づかされた。・・・「故宮についてどう思うか」という問いをぶつけると、多くの人が困ったような表情を浮かべる。「台湾の誇りです」と答える人は少ない。「すごい」とは思っても、親愛の情や誇りを抱く理由が多くの台湾人には思い当たらないからだ。


 日清戦争に敗北した清朝は、台湾を日本に割譲した。「清朝にとって台湾は辺境のなかの辺境であり、日本にくれてやっても惜しくない、という判断があった」
台湾が「中華文化圏に含まれない」という理由で中国から棄てられたと広く信じられたことは、台湾の人々にとって根深いトラウマ(心的外傷)になり、台湾の民進党が台湾独立意識やアンチ中国意識を持つ根源的な動機になった。


 ただ、2008年の 民進党から 国民党への再度の政権交代以降、中国、台湾の関係も改善された。両故宮の交流も進みつつある、という。「もともと故宮は一つであるのは事実であり、政治権力によって引き裂かれたふたつの故宮に、『相互補完性』があるのは間違いない」からだ。
例えば、収蔵品の内容について言えば、台北故宮最大の強みは、宋代の書画や陶磁器をそろえていることである。なぜなら、宋代こそが中華文明の最高到達点であり、限られた時間と限られたスペースという台湾移転前の厳しい条件下で、故宮のキュレーターたちが台湾に持ち運ぶことにしたのは宋代の収蔵品が中心だったからだ。
 一方、明、清の文物については、共産党による革命後の文物収集の成果もあって、北京故宮が質量ともに勝っている。・・・例えば明代の染付の磁器や清代の絵付けの 琺瑯彩なども実際は素晴らしい。考古学的な領域である古代の出土品については、中国大陸で戦後に行われた発掘調査の成果が大半のため、収蔵先は北京故宮に集中しており、台北故宮は皆無に等しい。


 今、北京と台北の故宮を近づける1つのプロジェクトが進行している。両故宮展の日本開催である。
  司馬遼太郎平山郁夫などの文化人やマスコミが政治を動かし、台湾が求めていた美術品の差し押さえ免除の法律(海外美術品等公開促進法)も昨年秋の日本の通常国会で成立、環境は整った。

 昨年末の台湾総統選で再選された国民党の 馬英九総統は、昨年5月の著者のインタビューに「二〇一三年の実現が適切なタイミングかもしれない」と踏み込んだ発言をした。
 中国も「中華を中台の絆として強調するため、中台故宮の交流を巧みに政治利用している」と、著者は分析している。一方で、清朝末期から世界に拡散していった文物が中国に戻っていく時流もはっきりしてきた。
中国と台湾に存在する「ふたつの故宮博物館」は、歴史の生き証人であると同時に、中華世界の未来を見極める指標なのである。


 ところで、この本にちょっと気になる記述がある。 「台北故宮には『三宝』と呼ばれる三つの超人気収蔵品がある」という。 1つは、白菜をかたどった翡翠彫刻の傑作 「翠玉白菜」。2つ目は、豚の角煮をメノウ類の鉱物を使って掘り上げた 「肉形石」。 最後が、北宋の都の生活を描いた 「清明上河図」。なんと、このほど東京国立博物館に北京故宮から持ち込まれて人気を読んだ「清明上河図」と同じ名前である。
 この2つは、同じ作品が分割されて両故宮に存在するのか、それとも別の作者の作品なのか?
 両故宮展の日本開催が、ますます待たれる。

北京の故宮博物院(紫禁城)の建物と文物(2009年9月)
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2012年1月 9日

読書日記「ディアスポラ」(勝谷誠彦著、文藝春秋刊)


ディアスポラ
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勝谷 誠彦
文藝春秋
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 日本人の精神構造を大きく変えてしまった「3・11」。文学の分野でも、これから「フクシマ」をテーマにした様々な作品が発表されていくのだろう。

 川上弘美の 「神様 2011」については、このブログでもふれた。この小説もポスト「フクシマ」の1つだろうと思って手にしたが、10年前に書かれたものと知っていささか驚いた。随所に故・小松左京の名著「日本沈没」に似た予見があふれている。

著者の勝谷誠彦のことはまったく知らなかったが、ちょっと破天荒な経歴を持つコラムニストだったことも、ちょっとした驚きだった。

「事故」とだけ呼ばれる出来事で日本列島は居住不能になり、日本人は世界中に設けられた難民キャンプに散っていく。
主人公の「私」は国連職員。チベットの首都・ラサから2000キロも離れた奥地・メンシスに「日本人難民状況巡回視察官」として派遣されて来る。

キャンプで人々がランプの灯火の下ひそひそと話す夜、ただ「事故」と呼ばれる出来事、私たちが有史以来くぐり抜けてきた災厄など語るほどのことですらないと思われる、あの出来事・・・。
 (灯)の背後の闇にこそ、会うべき人々がうずくまっているのである。東海に浮かぶ恵まれ過ぎた島に、ぬくぬくと何十万年も抱かれていた人々が、裸で、むつきもされぬ赤子のように。


難民キャンプのあるチベットの地は、世界最大級の高原が広がる自然豊かな土地だった。しかし、今やいたるところで腐臭が漂う場所になってしまった。

コンクリートで造られた階段を上がると、四角に切られた穴が並ぶのだが、そこまでたどり着くのが苦行なのだ。人糞の散乱は階段から始まる。なんとか踏まずに昇っても、穴の横には足を置く場所がない。大便の主は、すべからくここで漢人と呼ばれる中国人だ。チベット人たちは遊牧民の誇りとして、便所などというものは使わない。


キャンプの近くの湖には、苛性ソーダが飽和状態ぎりぎりまで溶け込んだぬめぬめとした異臭を放つ水が寄せている。プラスチックやガラスの砕けたものなども累々と重なりあっている。
このことは漢人の宿痾(しゅくあ)としか私には思えない。彼らは、いかなる美しい風景の中にも平気でゴミを投げ捨てるのである。


こんな描写で、著者は、 チベット自治区という名のもとに中国がこの地域を支配、チベット人はすでに"難民"になっている現状を浮かび上がらせる。

この地域の日本人難民キャンプを統括しているユダヤ人の国連職員・ダヤンが登場してくることで、表題の 「ディアスポラ」の意味が分かってくる。

 
「私たちは二千年間、世界に散らばっていました。紀元七三年 マサダという砦に立てこもっていた最後のユダヤ国民がローマに滅ぼされてから、再び建国に成功するまで。その出来事を私たちは民族離散、ディアスポラといいます」


 
ディアスポラ。今日からここにいる(日本の)人々の生には未来永劫、禍々しい影のように、その言葉が寄り添うに違いない。


 ユダヤ(イスラエル)人のダヤンの口を通して、国連、世界は日本人に終わることのない放浪を強いようとしていることが示される。

 実は「私」は、国連職員としての仕事以外に、かって日本を支配していた「組織」の人々から"密命"を受けている。

 
もし、また日本人たちがどこかで土地を得て集まろうとする時に、はたして求心力たりうるものがあるのかどうかということを、あの人々は考えているのである。・・・
 世界中に散った、日本人たちの集団の中に、新たなる「核」が生まれつつあるのか。「組織」の彼らは、少なくともそれを知りたいのだ。


 しかし難民キャンプにいる日本人の一部は、チベットの風土に同化する道を選ぶ。

 高山病に苦しんでいた中年の主婦が、不法就労で働いていた店で殴られたのがもとで死ぬ。夫と娘は火葬でも土葬でもなく、 鳥葬を選ぶ。「お母さんを風に還すの」と、娘はつぶやく。

 娘の友人であるチベット人・ナムゲルは、こう説明する。
「まず、魂を抜く。あとの肉体は、モノだ。それでも天上に送るために、鳥に食べさせるのだ。専門の処理人が、鋭いナイフなどをつかって、遺体を切る。細かく、細かくだ。小麦粉を混ぜ込むこともある。それを、岩の上に置く。すると、鳥たちがあつまってきて、食べていく。あっという間。おしまい」

 鳥葬場までは遺体と処理人しか行くことを許されていない。最後のわかれの儀式は、峠で行われた。僧たちの読経が終わった後、列席した日本人たちが歌い出す。
 うさぎ追いし、かの山
 小鮒釣りし、かの川・・・ 


 やって来たユダヤ人・ダヤンがしたり顔で講釈する。
 
「家族や民族はどうしても、二つのことにこだわるんだよ。名前と、肉体の始末だ」
 「しかし、そんなものはとどのつまり、どうでもいいことだ。・・・魂は名前を持たず、魂は肉体を持たない」
 「けれども、そのこだわりが、家族や民族のよりどころじゃないのか」
 「ヘッ」
 ユダヤ人は、足元の石を蹴る。・・・
 「名前のかわりに番号を刺青され、影も形もなくなるまで、バーナーで燃やされ、いや、それどころか髪の毛で、スーツ、脂(あぶら)で石鹸を作られても、彼らはユダヤ人だった」


 母を見送った娘は、チベット人の青年の手にしっかりと握られて、高原のなかに消えていった。

 読み終えて、あまりに長い歴史を持つ 「ホロコースト」を思い、「3・11」以降"沈みゆく"列島のなかでもがいている日本人の「核」はなになのか・・・と問いかけてみる。



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