2012年8月アーカイブ: Masablog

2012年8月22日

読書日記「ハーバード 白熱日本史教室」(北川智子著、新潮新書)



ハーバード白熱日本史教室 (新潮新書)
北川 智子
新潮社
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 「ハーバード」「白熱教室」とくれば、 NHKの公開番組でも評判になったあの マイケル・サンデル教授のことと思うが、そのハーバード大学に、もう1人日本史を教える白熱教師(レクチャラー)がいる(正確には「いた」。詳しくは後述)らしい。

 その 北川智子さんが書いたこの本、すでに11刷7・7万部という歴史書籍としては空前のベストセラーとなっている。

 ところが8月12日付け朝日新聞の読書欄で、精神科医の 斎藤環氏が、こんなことを書いている。「この本、妙に評判が悪い。いわく自慢話ばかり、理系出身なのに歴史を語るな、そもそも歴史認識がおかしい、などなど・・・」。

 ただ斎藤氏も書いているように、この本は弱冠32歳の美人教師が書いた「サクセスストーリー」として読むと、かなりおもしろい。
 先日終わったロンドン五輪で、若い競泳選手が晴れの舞台で自己記録を更新していくのと同じように、あっけらかんと我が実績に胸を張る姿勢に、ある種の痛快ささえ感じるのだ。
 かっての島国「内弁慶」を抜け出せなかったオリンピック選手と違って、おくすることなくグローバルな世界に伍している若者たちは「たいしたものだ」と・・・。

 福岡の高校を卒業して、カナダの州立大学で数学と生命科学を専攻した根っからの理系学生だった著者が、この大学の大学院で日本史を専攻することになったのは、たまたま担当教授のアシスタントのアルバイトをしたのが、きっかけだった。

 ハーバード大学のサマースクールに行ってみたいと思った。「ブランドに憧れる、そんな年頃だった。ネームバリューのある名門校に、ただ行ってみたかった」

 ところが学費が高くて、受けたかった数学や政治のコースは無理。唯一受講できたのは「ザ・サムライ」という日本史のクラスだけだった。「ヴィトンが欲しいがバックには手が届かず、仕方なくお財布を買うような論理だった」

 教鞭を取るハロルド・ボライソ教授の膨大なサムライ・コレクションには感服した。源義経と弁慶の間に生まれる闘争心と忠誠心、楠正成のゲリラ戦法、徳川三家に、ハイライトは明治の志士たち・・・。そのうち、講義がつまらなく思えてきた。

 昼休みに芝生に寝そべりながらクラスメイトたちに切り出した。「サムライのクラスに女の人がでてこないのは変じゃない?」「Lady Samuraiは絶対いたと思う」

 「この会話が私をハーバード大学の先生に導くきっかけになった」

 カナダの州立大学で博士号を取り、米国・プリンストン大学で日本史の博士課程に進んだ。東大史料編纂所研究員の1年を経て、普通なら5年から10年かかる博士号を3年で取った。

 そしてハーバード大学が新設した、大学院を出た新米が1,2年教えられる「カレッジ・フェロー」に採用された。「熱意が伝わってしまった」

 「ザ・サムライ」のクラスを「Lady Samurai」に替えて新しいカリキュラムをつくった。1年目のクラスの受講生は16人、2年目には104人、3年目は251人となった。「モストスタイリッシュ・プロフェッサー」賞をもらったり、その年の卒業アルバムに載せる「フエバリット・プロフェッサー(思い出に残る教授)」に投票で選ばれたりした。3年目の秋からは、数学史の先生も兼ねた。学生に最も支持された教師に与えられる「ティーチング・アワード」も3年連続で受賞した。

 著者が、2度の博士論文に書き、ハーバードの学生を沸かせた「Lady Samurai」は「戦わずに、かつ蔭で大いに活躍する女性たち」に焦点を当てた。とくに戦国大名の妻は「ペア・ルーラー(夫婦統治者)」として「Samurai」と同等に扱われたという主張。豊臣秀吉の妻・ねねや前田利家の妻・まつなどを例として挙げている。

   ところがこの歴史認識に、マスコミやNET上で非難の嵐が巻き起こっている。

「壇ノ浦の戦いで水に身を投げた女官たちは、単に平家の逃避行について行っていただけ」「三条河原で豊臣秀次の側室たちが処刑されたのを『サムライらしい最後』と書いているが、罪人として斬首されたのだ」「ねねやまつは例外。戦国大名の妻がすべてペア・ルーラーと書くのは、なんという事実誤認」「フジヤマゲイシャレベルの間違った概念が広まって、日本の歴史学者たちは困惑しています」・・・。

ただ著者は、こんなことも書いている。

 
武士道は、サムライという男性名詞を前提に創られた、(新渡戸稲造による)20世紀の日本文化です。今日、その概念の創成から100年が経ち、人々はもっと深く日本を知る時にきています。「Lady Samurai」のクラスは、新しい歴史の見方や捉え方を提案し、男性だけで成り立ってきた日本史に、女性の生き方と命を組み込む、21世紀感覚の日本史のクラスなのです。


 そして、なによりすばらしいのは、著者が周到に準備したカリキュラムに学生たちを同時代的に立ち入らせる アクティブ・ラーニングの手法だ。

 「Lady Samurai」とほぼ同時に始めた「KYOTO」というクラスでは、まず16,7世紀の地図をコピーすることによって、学生たちはその時代の「KYOTO」にタイムトラベルし、自らが主役のラジオや4D映画まで製作させられる。
 最後の講義と学生たちの4D映画観賞会では、20秒間もスタンディング・オベーションが続いた、という。

 
海外の大学で教えられる日本史は、それ自身がいわば「外交官」的役割を持っています。とりわけ、長い歴史がある京都には、日本のイメージをよりポジティブにできる要素がたくさんあります。日本の歴史の一部分を学生が気に入ってくれること、または自らの一部のように思ってもらえるように教えることは、きっと将来、何かの役に立つことでしょう。このように、国家としての外交政策とは違った学校からのソフトな取り組みが、現実の外交にも何かしらの効果を果たしうるのではないかと考えています。


 実は、著者はもうハーバード大学にはいない。当初から1,2年が通例だった「カレッジ・フェロー」を退職、7月から英国の科学史研究所 「ニーダム研究所」の客員研究員として数学史を研究している。1年間の予定、という。著者の次の舞台は、なんなのだろうか。

 ご健闘を「北川智子さん」。がんばれ、グローバル化に目覚めた日本の若者たち!

 ロートル・年金生活者からの、気持ちばかりのエールである。

2012年8月 8日

読書日記「くらしのこよみ 七十二の季節と旬をたのしむ歳時記」(うつくしいくらしかた研究所・編集、株式会社電通、株式会社平凡社・制作 )





 もともと「くらしのこよみ」は、スマートフォン用の 無料アプリとして開発された。

 以前にNHKラジオ朝の番組 「ラジオ・ビタミン」で旧暦を楽しむ暮らし方の特集を時々聞くことがあり、おもしろいなあと思っていた。

このアプリは、旧暦のならわしである季節を立春、夏至、秋分、大雪などに分ける 二十四節気と、それをさらに七十二候に分類し、その期間の季節の解説、旬のさかな、やさい、催しなどを巻物のようにスクロールしながら楽しむことができる。

 さっそく、私が使っているアンドロイド版のスマホにアップロードしたが、とにかくデジタル写真がすばらしい。このブログを書いている八月六日の大暑・第三十六候「大雨時行(たいう ときどきに ふる)」には「季節のたのしみ」という項目に「冷たいものは控え、温かい食べ物を」といったアドバイスまであって「そうか、今日の昼は温かいにゆうめんにしようか」と思ったりする。

 ただ、この無料アプリは七十二候、つまり五日ごとに更新されて、前後の「候」を見ることができない。

 そこで、七十二候のソフトが完成した時点で、1年分をまとめて出版(税別2980円)したのがこの本。同時に、アプリのほうでも iPhoneについては、3-72候分を170-2200円で販売している。予定通りの商業主義に乗せられたきらいがないでもないが、すぐさまAMAZONで買ってしまった。

スマホの画面イメージ【くらしのこよみ】
スクロールの右端から左へ移動してください。
 八月七日からは二十四節気で 「立秋」入り。日本間にすだれがかかる青いトーンの写真続いて、七十二候の第三十七候「涼風至(すずかぜ いたる)」が説明されている。

 
立秋を過ぎ、お盆を迎える時期になると、熱風の中にふと秋の気配を感じることがあります。まぶしいほど輝いていた太陽も心なしか日射しを和らげ、日が落ちると草むらから虫たちの涼しげな音色が聞こえてきます。真夏日や熱帯夜が続き、暑さは今がたけなわですが、季節は少しずつ、しかし確実に進んでいます。


 原発再開のための「計画停電」という電力会社の"脅し"にもめげず、例年にない猛暑を耐え抜いてきた70歳の老人に、そっと冷風を運んでくれるような文章である。

   そして季節は「寒蝉鳴(ひぐらし なく)」(第三十八候)「蒙霧升降(ふかき きり まとう)」(第三十九)候と進み、二十四節気の 「処暑」に入ると、もう八月もあと数日となる。

 そんな季節のうつろいのページを繰り、コスモスの名所を挙げた記述に旅への思いをつのらせてみたりする。  以前、このブログで稲葉真弓の 「半島へ」という本にふれたことがある。その時には書かなかったが、著者が、同じ半島(志摩半島)で生活する自然染め作家に二十四節気を織り込んだカレンダーを楽しむ暮らしを教えてもらう記述が出てくる。

「いつどんな植物が顔を出すか。この暦だとわかりやすい。春分のころを見てみると、ヨモギやセリ、ツタシって書いてある。あ、そろそろだ、とこの暦を見て野に出て春のものを染めるわけやね。春分が過ぎれば、桜の時期。花見の準備もするが、若い枝の皮をそいで煮だして染めるのに最適。穀雨って言葉もいいでしょう?字の通り、穀物を育てる雨がやってくる。芭種が来たら、藍や茜の種をまく。已種の巴は忙とも書くらしい。草取りもあるし、やたら忙しい時期ですわ。そんなわけでね、僕らの一年は十二カ月ではなく、二十四節気。この暦は僕らの仕事の水先案内人です」


 
「よく五感を研ぎ澄ますって言いますよね。このごろ思うんです。人間は五感どころか、二十四の感覚を身につけているんやないかってね。・・・たとえば、このあたりには桐や粟の木が多いが、半月もすると花のにおいの違いがわかる。同じ花なのに喚寛が違ってくるんです。あ、今日はにおいが濃いな、あ、花が腐り始めているなんてことがわかるのは、もっと微妙な感覚が入り交じっているせいやないかと思うんやけど。温度とか、その日の感情、生理感覚なんかで受け取るにおいが変ってくる。なんや不思議だなぁと思っているうち、ものの本で人間の感覚は十二あるという説を見つけてね。でもねぇ、二十四節気を基準に暮らしてると、どうもそれも少ないような気がする。半月ごとに二十四感覚、人の体も動いているんやないかな」


 感覚をとぎすまして、季節の変化を体で受けとめていく・・・。そんな生活をうらやましく感じる

 著者は、二十四節気を強調した暦を使っているらしい。「暦には、小さな文字でその季節の特徴、しなければならないことが書いてある」

   
立夏。花木の花後の努定。球根や苗の植えつけ。一年草の種まき。挿し芽。ソラマメ、アスパラガス、ワケギなどの収穫。ナス、トマ㌧ピーマンの植えつけ。Etcー

 小満。鹿児島でアジサイ開花。ウツギ、サツキ、シロツメクサ開花。アサガオ、ヨルガオ、ケイトウなど一年草の種まき。キキョウ、タチアオイなど宿根草の種まき。サヤエンドウ、イチゴの収穫。etcー


 こんなカレンダーを手に入れたくてNET検索してみたが、どうもこれだというものがヒットしない。なんとか手に入れたいのだが・・・。

 もう1冊「日本の七十二候を楽しむー旧暦のある暮らし」(白井明大/文、有賀一広/絵、東邦出版刊)を図書館で2度にわたって借りた。
日本の七十二候を楽しむ ―旧暦のある暮らし―
白井 明大
東邦出版
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 「くらしのこよみ」のデジタル写真に負けているかなと思ったが、詩人の言葉とちらばめられている色彩豊かなスケッチがなんとも味わい深い。

 絵手紙を描くのが好きという知人に薦めてみようと思う。

     


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