読書日記「長いお別れ」(中島京子著、文藝春秋刊)
元中学校長で公立図書館長もした東昇平の病名がはっきりしたのは、3年前のことだった。
頻繁に物がなくなり、記憶違いも続いていたある年の夏、昇平は2年に1回、同じ場所で行われている高校の同窓会に辿り着けなかった。
認知症外来で、「ミニメンタルステート検査」を受けたところ、30点満点で20点だった。初期の アルツハイマー型認知症と診断され「3年から5年、進行をゆっくりにします」と、薬を処方された。それから、もう3年が経っていた・・・。
昇平は妻の曜子と一緒に、長女の茉莉が夫赴の赴任について行っているサンフランシスコに出かけた。行く時から着いてからも「俺は帰る、帰る」と繰り返した。
昼食のたびに生牡蠣を食べ「牡蠣を食べるなんて、久しぶりだよ!」と、いつも同じ言葉を繰り返した。
夏休みに日本に一時帰国した茉莉の長男・潤が昇平と2人、留守番をしたことがあった。
という質問に、五分に一度くらい、潤だと答えさえすれば、
「おう、そうだった」
「潤だな」
「ずいぶん、大きくなったじゃないか」
「それで、あんたのお母さんは誰だったっけな」
「二中だったよね?」・・・
いつのまにか、潤は昇平の孫ではなくて、何か失態を演じて校長室に呼ばれた生徒として扱われているようでもあった。
「だけどまあ、そういうこともあるからな。あんたが初めてじゃないんだ。次からちゃんとやればいいんだ」
と、唐突に祖父は言ったりした。
しかし、元国語教師の昇平は、デイサービスセンターから持ち帰った「難解漢字」のテストを見事に読み解いて、孫の度胆を抜いた。
簾(すだれ)、筧(かけひ)、笊(ざる)、簪(かんざし)、筵(むしろ)
潤の弟の崇が宿題の絵日記に描いたスケッチブックの隅に、昇平は「蟋蟀(こおろぎ)」と迷うことなく書いて、驚かせたこともあった。
しかし、昇平の症状はどんどん悪化していった。
電話に出た三女の芙美に、昇平は興奮気味に話した。
「すふぁっと。すふぁっと、と言ったかなあ、あれは。ゆみかいのときにだね、うーつとあびてらの感じが、そういう、あれだ、いくまっと、いくまっとじゃない、なんだっけ、なんと言った、あれは?」
アメリカから、長女の茉莉が国際便で送ってきたアルツハイマー治療の新薬は、昇平の話す意欲に働きかけても、失われた語彙を甦らせることはできなかった。
症状はさらに進んだ。話す意志を失った昇平は、訪問入浴に来た介護スタッフに「やだ!」を繰り返したり、睡眠中に紙おむつにしたうんこを妻・曜子のベッドに並べたりした。
曜子が網膜剥離で緊急入院している間に、昇平も発熱して入院した。右足を骨折していた。隣にいない妻を探し求めてベッドから落ちたためらしい。
昇平はほとんど言葉を失い、病院のベッドで終日うつらうつらしていた。
妻・曜子は思う。
・・・妻、という言葉も、家族、という言葉も忘れてしまった。・・・
それでも夫は妻が近くにいないと不安そうに探す。不愉快なことがあれば、目で訴えてくる。何が変わってしまったというのだろう。言葉は失われた。記憶も。知性の大部分も。けれど、長い結婚生活の中で二人の間に常に、あるときは強く、あるときはさほど強くもなかったかもしれないけれども、たしかに存在した何かと同じものでもって、夫は妻とコミュニケーションを保っているのだ。
米国・カルフォルニア州の公立中学の校長室。
呼び出された孫の崇は「祖父がおととい死にました。長い間、認知症の病気でした」と話した。
校長は、自分の祖母も同じ病気だったと言った。
直木賞受賞作 「小さなおうち」も書いた 筆者自身も、認知症で実父を失くしている、という。
この本の題名は、 レイモンド・チャンドラーの 同名小説にちなんだものらしい。