読書日記「首都感染」(高嶋哲夫著、講談社文庫)
「クルーズ船、ダイアモンド・プリンセス号で起こったのと同じことが、東京都下で起こるんだ」
友人I・K君が電話して来て、読んだばかりの小説「首都感染」を紹介してくれた。
読んだというより、聴いたというのが正しいのだろう。彼は熟年になってほとんど視力を失った。その後、努力を重ねて本を音訳するアプリに習熟し、フェースブックには逆に話したことを文章にして連日のように発信している。
さっそくAMAZONに注文したが、注文が殺到しているらしく届くまで1ヶ月かかった。
10年前に、神戸在住の小説家が書いたフイクションだが、最近の新型コロナ騒ぎを"予言"したような作品。2000部の増刷が決まったという。
20××年6月。中国は開催されたサッカー・ワールドカップで沸いていた。しかし、首都・北京から遠く離れた雲南省で致死率60%の強毒性のインフルエンザが発生した。ワールドカップをどうしても成功させたい中国当局は、発生源の封じ込めと情報の海外漏洩を防ぐ強硬手段に出た。
瀬戸崎優司は、WHO(世界保健機構)のメディカル・オフイサーを務めた後、東京・四谷の私立病院に勤める感染症専門医。瀬戸崎総理は父親、厚生大臣で医師の高城は別れた妻の父親という設定だ。
中国軍と保健省が雲南省に移動していることをつかんだ日本政府は、対策本部を立ち上げ、優司を専門家として招聘した。
ベスト4をかけた試合で日本チームは中国に負けた。大勢のサポーターがチャーター機で帰ってくる。優司は、国内すべての国際空港閉鎖を進言した。中国への宣戦布告にも近く、世界中から非難が殺到した。帰国者のホテルでの5日間拘束なども決まった。
当事国中国が「謎の感染症」という言葉でやっと発生を伝えた。WHOは「H5N1強毒性新型インフルエンザ」という言葉を初めて使った。
厚生省に、新型インフルエンザ対策センターが設置され、優司がセンター長に任命された。
感染者が出てしまった。ホテルで拘束していたワールドカップツアー客の女性だった。
国内線飛行機、新幹線、長距離バス、トラックの運行を停止、空港だけでなく港湾も閉鎖した。閉鎖した学校の校舎を病室にした。
外交特権で、検疫を逃れた中国大使館員と家族が感染、中国渡航歴のない夫婦が感染したマンションを中心に半径50メートルを封鎖したが、数日後には都内に広まった。「針の穴が開いてしまった」。優司は、総理に進言した。
大もめにもめた閣議、国会審議を経て、環状8号線に沿った道路30キロに有刺鉄線が張られ、橋には巨大なコンクリート製の車止めが置かれた。横浜の娘夫妻宅を訪ねていた都知事は都内に戻れず、逆に都民700万人が閉じ込められた。
泳いで逃れる人を監視するため、荒川沿いに自衛隊員が約10メートルおきに立ち、ある橋では、都外に出ようとした30台の男性が警官に撃たれた。逃げ出そうとした家族の車がパトカーに追われて川に転落、2人の子どもが死亡した。
応答のない家から感染死者や餓死者が次々と発見された。都内の感染者は52万人、数十万人の死者が出たが火葬するところもない。
依頼を受けた冷凍会社の社長が、10万を超える遺体を収容する冷凍倉庫と冷凍船の手配をした。
在庫していた冷凍マグロは、都民に配られた。
WHOの発表で、世界の感染者は20億人を超え、7億人が死亡した。日本の感染者、死者の少なさが異例であることが世界に流れた。
中国、ベトナムなど東南アジアの国々から多数の難民船が日本に航行してきた。引き返すように強い警告を出し、発砲による死傷者が出た。
横浜と千葉に全国から医師と看護婦が集まってきた。封鎖エリアに入る許可を求めてきた。
受け入れの説明後、最終確認で約2割の医師と看護婦が抜けていた。
治療に使われていた抗インフルエンザ薬タミフルの乱用が耐性ウイルスを生み出した。使える薬がない・・・。
東都大学のウイルス研究所にいた優司の友人の医師・黒木が新しいパンデミックワクチンを開発した。普通なら、薬の認可には数年かかる。黒木も優司も被験者になった。このワクチンを世界で製造することが、WTOのテレビ会議で決まった。
東京・杉並にある医薬研究所にある研究員が、100人分の「M―128」という抗インフルエンザ薬を持ち込んだ。重症患者に劇的に効いた。大量生産が決まった。
東京の感染者が減っていった。3ヶ月19日ぶりに、封鎖ラインが撤去された。
巻末の解説で、書評サイトHONZ代表の成毛眞がこんなことを書いている。
友人I・K君が電話して来て、読んだばかりの小説「首都感染」を紹介してくれた。
読んだというより、聴いたというのが正しいのだろう。彼は熟年になってほとんど視力を失った。その後、努力を重ねて本を音訳するアプリに習熟し、フェースブックには逆に話したことを文章にして連日のように発信している。
さっそくAMAZONに注文したが、注文が殺到しているらしく届くまで1ヶ月かかった。
10年前に、神戸在住の小説家が書いたフイクションだが、最近の新型コロナ騒ぎを"予言"したような作品。2000部の増刷が決まったという。
20××年6月。中国は開催されたサッカー・ワールドカップで沸いていた。しかし、首都・北京から遠く離れた雲南省で致死率60%の強毒性のインフルエンザが発生した。ワールドカップをどうしても成功させたい中国当局は、発生源の封じ込めと情報の海外漏洩を防ぐ強硬手段に出た。
瀬戸崎優司は、WHO(世界保健機構)のメディカル・オフイサーを務めた後、東京・四谷の私立病院に勤める感染症専門医。瀬戸崎総理は父親、厚生大臣で医師の高城は別れた妻の父親という設定だ。
中国軍と保健省が雲南省に移動していることをつかんだ日本政府は、対策本部を立ち上げ、優司を専門家として招聘した。
ベスト4をかけた試合で日本チームは中国に負けた。大勢のサポーターがチャーター機で帰ってくる。優司は、国内すべての国際空港閉鎖を進言した。中国への宣戦布告にも近く、世界中から非難が殺到した。帰国者のホテルでの5日間拘束なども決まった。
当事国中国が「謎の感染症」という言葉でやっと発生を伝えた。WHOは「H5N1強毒性新型インフルエンザ」という言葉を初めて使った。
厚生省に、新型インフルエンザ対策センターが設置され、優司がセンター長に任命された。
「不特定多数の人が集まる所には行かないでください。不要不急の外出を避けることがいちばんです。対人関係をしっかり保つことです。飛沫は1メートルから2メートル以内に飛びます。手洗い、うがいを徹底すること。マスクは、他人のためにあるのです」
「要は、家にじっと閉じこもっていればいい」
「要は、家にじっと閉じこもっていればいい」
感染者が出てしまった。ホテルで拘束していたワールドカップツアー客の女性だった。
国内線飛行機、新幹線、長距離バス、トラックの運行を停止、空港だけでなく港湾も閉鎖した。閉鎖した学校の校舎を病室にした。
外交特権で、検疫を逃れた中国大使館員と家族が感染、中国渡航歴のない夫婦が感染したマンションを中心に半径50メートルを封鎖したが、数日後には都内に広まった。「針の穴が開いてしまった」。優司は、総理に進言した。
「東京封鎖しかありません」
「東京以外の地域が感染をまぬがれれば、その地域が東京を支えることが出来ます」
「東京以外の地域が感染をまぬがれれば、その地域が東京を支えることが出来ます」
大もめにもめた閣議、国会審議を経て、環状8号線に沿った道路30キロに有刺鉄線が張られ、橋には巨大なコンクリート製の車止めが置かれた。横浜の娘夫妻宅を訪ねていた都知事は都内に戻れず、逆に都民700万人が閉じ込められた。
泳いで逃れる人を監視するため、荒川沿いに自衛隊員が約10メートルおきに立ち、ある橋では、都外に出ようとした30台の男性が警官に撃たれた。逃げ出そうとした家族の車がパトカーに追われて川に転落、2人の子どもが死亡した。
応答のない家から感染死者や餓死者が次々と発見された。都内の感染者は52万人、数十万人の死者が出たが火葬するところもない。
依頼を受けた冷凍会社の社長が、10万を超える遺体を収容する冷凍倉庫と冷凍船の手配をした。
在庫していた冷凍マグロは、都民に配られた。
WHOの発表で、世界の感染者は20億人を超え、7億人が死亡した。日本の感染者、死者の少なさが異例であることが世界に流れた。
中国、ベトナムなど東南アジアの国々から多数の難民船が日本に航行してきた。引き返すように強い警告を出し、発砲による死傷者が出た。
横浜と千葉に全国から医師と看護婦が集まってきた。封鎖エリアに入る許可を求めてきた。
受け入れの説明後、最終確認で約2割の医師と看護婦が抜けていた。
治療に使われていた抗インフルエンザ薬タミフルの乱用が耐性ウイルスを生み出した。使える薬がない・・・。
東都大学のウイルス研究所にいた優司の友人の医師・黒木が新しいパンデミックワクチンを開発した。普通なら、薬の認可には数年かかる。黒木も優司も被験者になった。このワクチンを世界で製造することが、WTOのテレビ会議で決まった。
東京・杉並にある医薬研究所にある研究員が、100人分の「M―128」という抗インフルエンザ薬を持ち込んだ。重症患者に劇的に効いた。大量生産が決まった。
東京の感染者が減っていった。3ヶ月19日ぶりに、封鎖ラインが撤去された。
巻末の解説で、書評サイトHONZ代表の成毛眞がこんなことを書いている。
「著者の作品は、これから起こる未来の記録、未来の歴史です」