黄河の森緑化ワークツアー同行記・下
植樹を終えて、第1次植樹林に向かう。
まっすぐ伸びた道の向こうに、おむすび形をした小山が見える。びっしり緑に包まれているとはまだいえないが、樹木が上下左右に整然と育っている。これが、7年前から始まった神戸のNPO「黄河の森緑化ネットワーク」のボランティアと蘭州市政府の共同作業の成果なのだ。
この会の理事、Kさんによると、始めたころは、木は一本もなく、雨が降ると土壌が流れ、砂漠化現象が始まっている荒山だった、という。
「継続は、本当に力だなあ」。なんだか胸のなかに気持ちのよい空気を一杯吸い込んだような気分になる。
植えたのは、最大3メートル近くに育ったコノテガシワを中心に、イタチハギ、ニセアカシアなど8種類、合計13万2000本。
NPO所属のメンバーが、毎年シルクロードなどへの旅行も兼ねて植樹するほか、会員の会費や協力団体からの協賛金で、これまで毎年160万から180万円を緑化のために寄付してきた。
小山のふもとに「中日友好林記」と書かれた記念碑があった。三角錐をした大理石製だ。
唐詩の韻をふんでいて、とても読めない。このツアーのコンダクターで、ラストエンペラーの先代の子孫である金さんに翻訳をお願いした。
「かって(蘭州が)金城と呼ばれた時は、緑が鬱蒼と広がっていたが、人災と戦争で荒野が広がってしまった」
「新中国誕生後50年をかけ、すべての市民が背に氷を担ぎ、てんびん棒で水を運び、鍬、斧を持ち、苦難を乗り越えて3・5ヘクタールの植樹をし、海外まで知れ渡った」
「東の緑溢れる国(注:日本)から緑の文明が紹介され、生態への意識が急速に広まった。2001年、甘粛省政府の命を受け、柴生芳氏(注:元神戸大留学生)が東奔西走し、中日友好林を実現させた」
「日本黄河の森緑化ネットワークは、毎年この地を訪れて植樹し、緑を与え、金城を輝かせる」
「人々の知恵で、砂が搭になるように、美しい山河に改造しよう。シルクロードが文化を伝えた頃のように」
「海外からの初めてのお客様も、長く行き来すれば無二の朋となる。水が流れるごとく。松がいつまでも緑のように・・・」
友好林のふもとは、カラマツやアカシア、ハゼなどの苗木畑が広がっている。蘭州政府は、ここ一帯を緑のテーマパークにする計画を進めている。その中心になる建物も、年末には完成する予定だ。全面の青いガラスは、黄河が昔のような清河に帰る、という願いが込められている。「黄河を清河に」。これは、NPOがスタートした時からのキャッチフレーズでもある。
近くの蘭州市政府緑化工程指揮部の事務所(なぜか別荘と呼ばれている)での昼食会で、乾杯が続く白酒に酔った。その後、第2次友好林プロジェクトの調印式が行われた。
100ヘクタールを植樹する計画だが、新たに三井物産環境基金からの助成がきまったため、6年かかる計画が3年に短縮できた。植林だけでなく、三水造林法の開発や根を育てる菌根菌の研究も日中共同で行い、蘭州市民にアンケートしてボランティアを募ることも検討している。
緑化に力を入れた成果が出たのか、昨年の蘭州市の降雨量は約100ミリ増えた。といっても、この街の緑化率は7%とも、9%とも。まだまだ、道は遠い。
心配なのは、この街の急速な経済成長だ。蘭州は、シルクロードの要だし、黄河を抱える唯一の都市でもあるため、内陸部の物流拠点として発展している。近くに大きな石油コンビナートもあり、スモッグと交通渋滞が悩み。偶数、奇数日で屋根が緑と黄色のタクシーが、交替で走るという規制もしているが・・・。
果樹園がどんどん買い占められてマンションに変り、中山橋から見た黄河沿いも建設中のマンションが多く見えた。建設計画が発表されると、すぐに売り切れるという、どこかの国のバブル期みたいな様相らしい。
環境改善と経済発展の追いかけっこが続く。