読書日記「詩と死をむすぶもの 詩人と医師の往復書簡」(谷川俊太郎・徳永進著、朝日新書)
詩と死をむすぶもの 詩人と医師の往復書簡 (朝日新書)
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谷川 俊太郎 徳永 進
朝日新聞出版
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この本を読んで「詩のボクシング」というイベントを思い浮かべた。
まず、臨床体験をストレートな表現のジャブで繰り出すのは、鳥取市内にホスピスを中心とした「野の花診療所」を開設している徳永進医師。 講談社ノンフィクション賞を受けた「死の中の笑み」(ゆみる出版)などの著作も多い。
受けてたつのは、現代詩の第一人者といわれる谷川俊太郎。重い言葉をグローブに包みこんで、ずっしりと効くボディブローを送り返してくる。
2人は、たまたま谷川俊太郎がこの病院で手術したことから知り合ったらしい。たった2百数十ページの新書版の往復書簡は、読みやすい文体でスラスラめくってしまうが、行き交う言葉のひとつひとつが心に響く。
医師は「医者1年生のころから『仕事』と『言葉』のことは気になっていた。臨床のことを誰かに送り届けたいと思った」と書き始める。そして診療所の朝の申し送り会議の様子などを実況中継風に伝えてくる。
詩人は、こう答える。「死が迫っている人の内側にひそんでいる言葉は、どんなことばなのでしょう。・・・おいそれとことばにならないものを抱えこんでいる人たちのことばは、日常の暮らしのことばとは違う次元に入ろうともがいていることば」
詩人は、返信書簡の最後に、自作の詩を書き添える。
見舞い
「・・・あのとき・・・あなたと・・・私は・・・」
切れ切れに言いかけてあとが続かない
だが青白い仮面のような表情の下に
見えない微笑みの波紋がひろがり
ベッドの上の病み衰えたひとは
健やかな魂のありったけで私を抱きしめた
(初出 『抒情文芸』創刊三〇周年記念号)
さようなら
私の肝臓さんよ、さようならだ
腎臓さん膵臓さんともお別れだ
・・・
とは言うもの君ら抜きの未来は明るい
もう私は私に未練がないから
迷わずに私を忘れて
泥に溶けよう空に消えよう
言葉なきものたちの仲間になろう
二人は、いろいろな場面で"死"について語り合う。「・・・あのとき・・・あなたと・・・私は・・・」
切れ切れに言いかけてあとが続かない
だが青白い仮面のような表情の下に
見えない微笑みの波紋がひろがり
ベッドの上の病み衰えたひとは
健やかな魂のありったけで私を抱きしめた
(初出 『抒情文芸』創刊三〇周年記念号)
さようなら
私の肝臓さんよ、さようならだ
腎臓さん膵臓さんともお別れだ
・・・
とは言うもの君ら抜きの未来は明るい
もう私は私に未練がないから
迷わずに私を忘れて
泥に溶けよう空に消えよう
言葉なきものたちの仲間になろう
死を前にして、二人の娘に無理難題を言い続けた父親が旅立った時、長女は「痛がりのお父さんは、三途の川渡る時、痛がりませんか」と看護婦さんに聞く。ナースが痛み止めのボルタレン座薬を一つ、肛門に入れると、二女がこう頼む。「看護婦さん、もう1つ入れて下さいませんか、ほんとうに痛がりだから」 "こんな行為に、意味はあるのだろうか"と、医師は問う。
詩人は答える。「ほんとうに深い、切実な人間関係もときには意味を超えて人と人をむすぶのではないでしょうか」
このブログで書いたアルフォンス・デーケン神父著の「よく生き よく笑い よき死と出会う」(新潮社)に出てくる、精神科医のエリザベス・キュープラ・ロスについて、話し合う記述がある。
彼女は「死ぬ瞬間」という世界的なベストセラーになった著書のなかで、死に直面した人は、それを否認し、怒り、取引し、抑うつ状態になり、最後は死を"受容する"と分析している。
しかし晩年、脳卒中で半身不随になったロスはテレビ番組のインタビューで、神への怒りをぶつける。
詩人は、戸惑い気味にこう問いかける。
あんなに真摯に献身的に死にゆく人々に尽くした人が、自分のこととなると痛ましいほど神に怒り、・・・『野の花診療所』での死の場面は・・・もっと穏やかで静かな感じがします
医師は答える。
テレビカメラに怒りをぶつけている姿をぼくも見ました。すごくよかった。こりゃ本物だと思いました。ぼくは思わずにっこり笑いました
この本は、朝日新聞の鳥取支局にいた時に2人を知った記者が、朝日新書の編集長に戻ったことから生まれた、という。そのいきさつが「朝日新書」編集長日記に書かれているらしい。読みたいと思った。
ところが、この日記は朝日新聞の読者向けインターネット・クラブに掲載されており、読者でない人は膨大なアンケートに答えなければならず、サービスも限定されるらしい。読むのは、あきらめてしまった。
「危ない中国点撃」の著者、福島香織記者が常連ライターとして登場する産経新聞のブログや、毎日、おもしろい新書を紹介してくれる日経ビジネスのWEBページに比べると、なんという煩雑さ。
インターネット・コミュニケーションに焦りながらもついていけない"大新聞"の度量の狭さを、思わぬ場面で実感した。