2009年7月アーカイブ: Masablog

2009年7月21日

読書日記「がんと闘った科学者の記録」(戸塚洋二著、立花隆編、文藝春秋刊)

がんと闘った科学者の記録
戸塚 洋二
文藝春秋
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 著者は昨年7月にがんで亡くなった物理学者(元東京大学宇宙線研究所長)。その葬儀の弔辞で恩師である小柴昌俊氏(2002年ノーベル物理学賞受賞)が「君があと18カ月生きていてくれていたら・・・」と語らせたぐらいノーベル賞に最も近い人だったという。

 奥飛騨の旧神岡鉱山の奥深くに建造されたニュートリノ観測装置、カミオカデンスーパーカミオカデンを構想・開発したのが小柴氏。長年、神岡にこもり、実際にこの装置を建造し、その装置を駆使して「ニュートリノに質量があることを発見」、これまでの物理学の基本を変える業績を残したのが、戸塚さんらしい。

 その戸塚さんの闘病ブログサイト「The Fourth Three-Months」 の膨大な内容を、同じがん闘病者である立花隆さんがまとめたのが、この本。

 驚愕し、ある種の畏れさえ感じるのは、自らのがんの実態を見つめ続ける科学者としての冷徹な"目"である。
 自分のがんのCT写真をデジタル化して、腫瘍の大きさを計測してグラフ化し、抗がん剤の投与と腫瘍の大きさの関連を論ずるなど、自らの病を客観的に見つめ続ける。  そして、戸塚氏はこんな提案をする。
 
 私のような物理学者が研究をするとき、・・・まず詳しいデータを集め、その解析により、現象の全体像およびヴァリエーションを捉えていきます。・・・このような作業のためデータベースの構築は真っ先に行うべき大切な作業です。


 さらに、このような手法はお医者さんの手法とはまったく異なり、有効なデータベースを構築することは「村社会的な病院社会では、現状ではほとんど不可能なようです」と嘆いている。

 ネット検索をしていた、同じようなデータベース構築の提案をしているブログ(TOBYO開発ブログなど)が、いくつもあるのにも驚いた。

 科学者としての知的な目は、仕事の息抜きに奥飛騨の山を歩く時にも衰えない。
 チドリノキというロマンチックな低木が、ごく普通のややハート型の葉の形をしているのに、カエデ科、つまりモミジの仲間なのに驚く。なぜカエデ科であるかを知るためにさらに観察を続け「モミジとそっくりな翼のついた特徴的な実をつける」を知り、やっと納得する。

 がんの進行は驚くほど速い。死という現実の果敢に立ち向かいながら、やはり変わらないのは科学者としての徹底した視点だ。

 ミリオンセラーになった「千の風になって」について。
 私はこの歌が好きではありません。
 この詩は、生者が想像し、生者に送っている詩に過ぎず、本当に死者のことを痛切に感じているのかどうか、疑問に思ってしまうのです。死期を宣告された身になってみると、完全に断絶された死後、このような激励の言葉を家族、友人に送ることはまったく不可能だと、確信しているからです。


 CNN.comの記事で、聖女マザー・テレサが「神がそばにいない」という懐疑の念を持ち続けていたと書かれていたのを読んで。
 Heaven(天国)は本当にないのか。誰もが死に行くとき、それが真実かどうかを実体験します。  私も最後の科学的作業としてそれを観察できるでしょう。残念なのは観察結果をあなたに伝えることが不可能なことです。


 そして、科学と宗教、仏教についての思考を続けるなかで、佐々木閑(しずか)・花園大学教授という人を知り、佐々木教授自身が「この本は、科学者たちと、そして釈尊に対する私のラブレターです」と書く著書「犀の角たち」(大蔵出版)を読み、佐々木教授とメールで意見交換を続ける。

 一連の交換メールの最後に戸塚さんは、こう書く。
 神を信じるものは幸せかな。科学に身を捧げた人生も悪くはなかった。


 ブログの最後は、前年に人からもらったコチョウランが再び満開になったという記述である。

犀の角たち
犀の角たち
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佐々木 閑
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5 世界一かっこいい人たちへのラブレター
5 科学や数学のパラダイムシフトは「諸法無我」に近づく


2009年7月12日

読書日記「朗読者」(ベルンハルト・シュリンク著、松永美穂訳、新潮文庫)

朗読者 (新潮文庫)
朗読者 (新潮文庫)
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ベルンハルト シュリンク
新潮社
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おすすめ度の平均: 4.0
4 ある時代が生み出した皮肉な物語だった
5 ハンナはわたしだ、という作者の声が聞こえる
5 みんななんか変ですよ
5 映画を見た方へ
2 あるときは献身的で、あるときは退廃的


 14年前に発刊されたこのベストセラーの文庫本が品切れの人気だという。

 この原作が、このほどようやく「愛を読む人」として映画化・公開され、主演女優のケイト・ウインスレットが今年のアカデミー主演女優賞を数度のノミネートの後で獲得したのがきっかけらしい。
あの映画「タイタニック」で、レオナルド・ディカプリオと共演した22歳の若手が、その後結婚し、子どもももうけて33歳の円熟俳優として、主演女優賞にふさわしい演技を披露してくれた。

 映画を見た後、1階下の本屋に走ったが、入荷は1ケ月以降というチラシ。AMAZONも2-5週間かかるというし、図書館も70人待ち。ところが駅前の本屋で3冊並んでいたのをひょいと手にすることができた。

 舞台は、第2次大戦が終わって10数年後のドイツ。15歳のマイケルは、21歳年上のハンナと突然恋に落ちる。

 しかしハンナは、いつも不思議な行為に出る。

 
 ハンナは僕が学校で何を勉強しているかを知りたがった。・・・ギリシャ語やラテン語を聞いてみたいというので「オデュセイア」や「カティリナへの演説」の一節を読んだ。
 「あんたはドイツ語も習っているの?」
 「どういう意味?」・・・
 「読んでみて」
 「自分で読みなよ。持ってきてあげるから」
 「あんたはとってもいい声をしているじゃないの、坊や、あたしは自分で読むよりあんあたが読むのが聞きたいわ」


 
 一度か二度、ぼくは彼女に長い手紙を書いた。でもそれに対する反応はなく、どう思ったかと尋ねると、彼女は次のように答えるのだった。
 「あんたったら、またその話?」


 二人で自転車旅行に出たある早朝、ハンナにメモを残して外に出た。
 「おはよう!朝食を取りに行って、すぐに戻ってくるよ」
 そんな文面だった。ぼくが戻ってくると、彼女は部屋の中に突っ立ち、服を半分着た状態で、怒りに震え、顔面蒼白になっていた。・・・
 「触らないで」
 彼女はドレス用の細い革ベルトを手に持っていて、一歩下がるとぼくの顔をベルトで殴った。唇が裂け、血の味がした。メモはどこにもなかった。


 ある日、彼女は突然、姿を消した。

 ハンナが車掌をしていた市電の人事課をマイケルは訪ねた。
 
 彼女に、運転手の資格を取らせてあげよう、と提案したんだが、彼女は何もかも放り出してしまった


 9年後、大学の法学部生として法廷に傍聴に来たマイケルは、43歳のハンナに再開した。彼女は、戦時中に強制収容所の看守として働き、連合軍の空襲を受けた際に教会に閉じ込めたユダヤ人囚人を焼死させた罪で裁かれようとしていた。

 そして、ハンナが他の看守の罪をかぶり、無期懲役の判決を受けることになった直前に、マイケルはやっと気づいた。

 ハンナは非識字者(字が読めない)だったのだ。貧乏ゆえの"恥"という秘密を隠すために、ジーメンス者の職長という勧めを断って看守になり、市電の運転手を薦めらたばかりに、愛するマイケルの前から姿を消したのだ。

 そしてハンナ自身も、どんな罰を受けようとも「死んだ人は帰らない」ことへの"罰"も、深く心に刻んでいた。

 マイケルは、それを裁判長に告げることも、監獄にハンナを訪ねる勇気もなかった。
 代わりに、弁護士になったマイケルは、朗読したテープをハンナに送り続けた。それを聞くことはハンナにとって生きていくことの証しだった。
 ハンナは、字が書けるようになった。

 そして、ハンナが特赦で出所することになった前日、ハンナは首を吊って死んだ。もう、マイケルからの朗読テープは届かず、彼の愛も去ったことを知ったからだ。

 この小説には、もう一つのテーマがある。文中にこうある。

 
 ぼくたちの場合その親たちは、・・・ナチの犯罪に手を染めた者、それを傍観していた者、目をそらしていた者、あるいは一九四五年以降においても戦争犯罪を追及しないどころか、戦犯を受け入れてしまった者――そんな人間が、子どもに何を言う権利があるだろう。しかし、親を責めることができない子どもや責めたくない子どもたちにとっても、ナチの過去というのは一つのテーマだった。・・・ナチズムの過去との対決は世代間の葛藤のヴァリエーションではなくて、自分自身の問題だった。




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