2010年1月アーカイブ: Masablog

2010年1月31日

読書日記「奇跡の画家」(後藤正治著、講談社刊)「絵の家のほとりから 石井一男画集」(石井一男著、ギャラリー島田刊)



奇蹟の画家
奇蹟の画家
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後藤 正治
講談社
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おすすめ度の平均: 3.5
4 絵はその存在自身で全てであり。観て感ずるものがあれば...その絵とあなたは共鳴したのだ!それで十分ではないか?
3 ルオーの絵?
3 本人が多くを語らない以上「絵」の力を伝えるにはこの構成しかないのはわかるのだが


図書館の予約の関係で、絵画関係の本が続いてしまった。

 ノンフィクション作家の後藤正治さんが、神戸・ポートアイランドにある神戸夙川学院大学の先生になったのを新聞で何度か見て、なぜ?と思っていたが新著「奇跡の画家」の冒頭でこんなことを書いておられる。

 「(大学の誘いに)イエスの返事をしたのは・・・いささかもの書き稼業に倦むことがあって、・・・」

 物書きらしい、自虐的な表現なのだろうが、この大学で教えることになって神戸のことを少しでも知りたいと思ったことが、この本が誕生するきっかけになる。取材の行き届いた後藤さんのいつもの平易な文章を、一気に読んだ。
 後藤さんは、神戸・元町の老舗書店、海文堂の元社長で、現在は、ギャラリー島田を営む島田誠さんを紹介され、島田さんを通して無名の画家、石井一男さんを知る。

 島田さんと石井さんの出会い、石井さんの作品については、ギャラリー島田のホームページやブログ それに「石井一男の小さな美術館」という丁寧なWEBページにくわしい。

 絵の素人がとやかく言うのも失礼な話だが、本の写真やWEBページで見た最初は「奇跡の画家」というのは、ちょっと大げさすぎないかなという感じ。"奇跡"という驚きよりは、なにか静逸な奥深さ、孤独感。昨年の秋、京都・大原の三千院を訪ねた際に出会った苔むした野仏のように、知らぬ間にやすまる思いに引き込まれるような・・・。

 石井さんの取材を始めて3年、石井さんに質問しても、いつも「ウーン」と答えてくれない。しかたなく、後藤さんは石井さんの作品に出合った人の取材を続けていく。

 定年退職して間もない夫を癌で亡くした妻は、二階に上がる階段の途中の狭い空間に置いた石井の女神像を「何か気分がすぐれないとき・・・じっと絵の前にたたずんでいた夫の姿を」覚えている。


 毎日新聞朝刊のコラム「余禄」(2005年5月2日)には、こんな記事が載った。
 「その部屋にはたくさんの女神がほほえんでいた。・・・イコン(聖像画)のような、見る人の心に深く錐(すい)を下ろす作品だ」


 神戸市立本山第一小学校教諭の中西宮子は、知らない間に石井作品のコレクターになっていた。
 「中西が、石井作品から受け取ったものは、人・石井一男の感触や雰囲気を含めた全体的なものだ。おごらず高ぶらず、謙虚で物静かななかにひっそりとあるなにか確かなもの――。その知覚はふと、自身に知らず知らずの間に付着するアカを洗い流し、浄化してくれるようにも感じた」


 ギャラリー島田で、石井一男展が開かれているのを知り、出かけてみた。

 山手幹線からハンター坂を登って数分。カトリック神戸中央教会の斜め前にあるガラス張りのドアを押して作品を見た最初の印象は「なんだか、明るいなあ・・・」。黒いモノトーンの作品もあるのだが、グワッシュで描かれた初期の作品より、明るい清涼感が漂う。アクリルで描いた作品が多くなったせいだろうか。

 奥で、白髪を短く刈って、背中を少し曲げた男性が、のぞき込むように女性客と話していた。キャンバス地のシャツに、厚いゴム底の黒靴。すぐに石井さんだと分かった。
 「最初はなぜ、グワッシュを使われたのですか?」「油と違って、すぐに乾くので次が塗れますから」「油絵具より安いのですか」「少しね・・・」。失礼な質問だったなあと、後で恥ずかしくなった。

 地下の企画展会場には島田さんもおられた。細身の体に、チェックのシャツを着こなし、この仕事にかけていることを全身ににじませておられる67歳。

 「最初に絵を見た時?うまい,へたを越えたただものではない、という感じを持ちました。心に届くなにか。野道で風雪の野仏に会ったような、心に通じるものが響いてきました」

 「最近の作品がかわってきたのは、石井さんの世界が広がってきたということではないですか。孤独に生きた最初の画集の題は『絵の家』 。それが第2の画集で『絵の家のほとりから』になり、周りに広がってきたのです。女神が心とあそび、二人の女神になり、声が聞こえ、青空に鳥が飛び、花を描き、母子がいる」

 2番目の画集の巻頭語で、石井さんはこう書いている。

  
きょうも一日、さほどのものも描けていない。
そして夜・・・、銭湯へ。
ああ、ごくらく、ごくらく。
十時ごろ、落語のテープを聴いて眠りにはいる。
きょうも終わる。
そうして、あしたがくる。
感謝。


 そこには、昔と少しも変わらない石井さんがいる。
 作品の売り上げを寄付に回したいという石井さんに「将来、なにがあるかは分からないから」と一部に留めるよう、島田さんは説得を続けている、という。

2010年1月16日

読書日記「偏愛ムラタ美術館」(村田喜代子著、平凡社刊)

偏愛ムラタ美術館
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村田 喜代子
平凡社
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  このブログにも書いたことがある芥川賞作家の村田喜代子が、小説を書く時の「栄養剤」として"偏愛"している絵画の数々を独断と偏見で書き綴った、なんとも凄みのある本である。

「大道あや」という画家を、この本で初めて知った。「しかけ花火」という絵について書くなかで、聞き取り「へくそ花も花盛り」という本に書かれた大道あやの言葉を引用している。あやの夫は経営していた花火工場が爆発して死ぬ。

 主人は焼け焦げとりました。でも誰も主人を運び出してくれようとせんのです。(中略)じゃから、私が主人の頭を抱くように抱え、弟が布を添えて足のほうを持って、運び出した。そしたら、主人の頭がパカッと割れて、脳味噌がドロッと落ちました。倉庫にあった茶箱に白い布を敷いて、主人を入れ、脳味噌も、こんなところに一滴でもおいていけんと思うて、みんな手ですくうて、紙につつんで、シーツにつつんで茶箱に入れて、家に帰りました。


 その事故の2年後に「しかけ花火」は描かれた。さく裂し、崩れ落ちる花火の間を魚が泳いでいる・・・。すべてのものでカンバスを埋めつくさずにはおられない「巨大な空間に対する圧倒的な畏怖の念」を著者は感じる。

 村山槐多「尿する裸僧」について著者はこう書く。

 これは彼のもう一つの自画像だろう。彼が死んだあばら家の壁は落書きだらけで、その中に男が放尿する絵も幾つもあったらしい。槐多の絵の放尿はまるで「爆発」だ。思いっきりの射精であり、エネルギーの放出であり、それから何だろう。まるで滝だ。人体のなかに滝を落下させている。


 この絵は信州上田市の「信濃デッサン館」にある。昨年、近くの「無言館」を訪ねた時に、時間がなくて行きそびれたのが、なんとも残念だ。

   著者は、大分県湯布院町の老人ホームに隣接している「東勝吉常設館」を訪ね「由布岳の春」など、デフォルメされた独特の絵を飽きずに眺める。
 東勝吉は長年木こりを生業としてきたが、老人ホームに入ってから院長に勧められて83歳で初めて絵筆を握り、99歳で死ぬまで絵を描き続けた。

 人間というのは、つくづくびっくり箱だと思う。何十年も生きているうちに、ある日ひょいと、とんでもないものが飛び出してきたりする。

 19世紀から20世紀にかけて素朴派と呼ばれる画家たちがいた、という。普通の生活をしていた人たちが、70歳を過ぎてから絵筆を握っている。

 そうか、年を取るというのは、身軽に自在になるということだったのか・・・。


 私でも遅くないかなと、思ってみたりする。

 まだまだある。著者はロバート・ジョン・ソーントンの奇怪なボタニカル・アートに引き込まれ、このブログにも書いた河鍋暁斎の想像力に「負けないでいこう」と、わが身を奮い立たせる。

 数々の「受胎告知」の作品のうち、私も何年か前のイタリア巡礼で見たフイレンツエ・サン・マルコ修道院にあるフラ・アンジェリコの壁画について、こう書く。

 微光に包まれたような柔らかさが好きだ。・・・

絵は完全飽和なのだ。アンジェリコの「受胎告知」は受諾と祝福で飽和して、一点の矛盾も不足もない。満杯である。


▽参照
    平凡社のこの本の紹介WEBページ

▽その他、最近流し読みをした本
  • 「林住期を愉しむ 水のように風のように」(桐島洋子著、海竜社刊)
     「林住期」 といえば、2007年に発刊された五木寛之 の著書 がベストセラーになったが、なんとこの本は1998年の刊である。 図書館の返却棚に並んでいるのを見つけて、思わず借りてしまった。この著者 のエッセイは、その明るさが好きでいくつか読んだが、相変わらず生活力と活動力にあふれたタッチがいい。ほかにも「林住期が始まる」「林住期ノート」という著書もあるようだ。

  • ・「バブルの興亡 日本は破滅の未来を変えられるか」(徳川家広著、講談社刊)
     著者 は徳川将軍家直系19代目にあたるエコノミスト。
     エコノミストの経済予測ほどいいかげんなものはないと読まないことにしているだが、結構評判がよかったので、昨年10月の発刊直後に図書館に予約を入れて、先日借りることができた。
    昨年9月の政権交代直後に書かれたが「史上最大の予算出動」など、けっこう当たっている。「バブルが発生するのは、だいたい危機の二年後」「その規模は空前の巨大規模」「そのバブルも崩壊して廃墟経済がやって来る」「バブル期には金の価格が下がる」・・・。小気味のよい予想は続く。マー、まゆつばで流し読みも一興。

  • ・「ぼくたちが聖書について知りたかったこと」(池澤夏樹著、小学館刊)
     フランスなどに長く住み、聖書の知識なしにはヨーロッパ社会を理解できないことを知った著者 が、父の母方の従弟である聖書学者の碩学、秋吉輝雄 に、自らの深い教養から出てきた疑問を投げかける稀有の本。
    聖書についてより、ユダヤとユダヤ人について多くのページがさかれるが、国境を持たない国に生きてきたユダヤ人への理解がなかなか進まない。聖書とユダヤについて、なにも知らなかった自分に気づかされる。



林住期
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五木 寛之
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4 平易さを侮ってはいけない
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ぼくたちが聖書について知りたかったこと
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5 『聖書』をひもとき歴史にひらく


2010年1月10日

読書日記「森里海連環学への道」(田中 克著、旬報社刊)、「日本<汽水>紀行 森は海の恋人を尋ねて」(畠山重篤著、文藝春秋刊)


森里海連環学への道
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田中 克
旬報社
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日本<汽水>紀行―「森は海の恋人」の世界を尋ねて
畠山 重篤
文藝春秋
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4 文明の発達により失うもの
4 皆読むべき久々の本


 「森里海連環学への道」は、私のブログにリンクさせてもらっている友人、岡田清治さんのブログ「人生道場、独人房」に紹介されていた。

 なにかと新しい名前の学部や学問分野が生まれる昨今。「森里海連環学」というのも、おかしな名前だなあと当初思った。だが、ふとこれは以前に著書で知った牡蠣養殖業、畠山重篤氏の「森は海の恋人」運動と関係があるのではと、気がついた。

田中 克・京都大学名誉教授は、海洋資源生物学が専門で、長年ヒラメやカレイの稚魚の汽水域での研究を続けるなかで、森と海のつながりの大切さに注目、2003年に理学部と農学部の研究を融合、森と海の科学を統合する「フイールド科学教育研究センター」を立ち上げてセンター長に就任、新しい学問領域として「森里海連環学」を提唱してきた。

 この本は、田中名誉教授が「森里海連環学」という領域に至った道程を綴るとともに、この新しい学問分野に先行して様々な運動をしてきた人たちとの交友録ともなっている。

 著者が、新しい学問領域が必要と思ったきっかけになったのは、各地の先行する運動を紹介した「森と海とマチを結ぶ」(矢間秀次郎編著、北斗出版刊)という本だった。

 その中には、北海道の森林の荒廃がニシン資源の壊滅をもたらしたこと、・・・『百年かかって壊した森を百年かかって再生し、ニシンを復活させよう』」を合言葉に、漁民による森づくりが進められて話が掲載されていた。さらに、宮城県気仙沼にそそぐ大川上流の室根山に、カキやホタテガイ養殖の復活を願った漁師さんによる森づくり「森は海の恋人」運動に、私はたいへん興味を抱いた。この本のタイトルにあるように「マチ」の存在が森や海の再生に不可欠であることに思い至った。さらにこうした運動はすでに十五年近く経過していたにもかかわらず、それを支える学問が存在しないことに気づかされたのである。


 田中名誉教授と畠山さんの出会いは、なかなかドラマチックだ。
 2003年4月にフイールド研が発足、11月に開所記念シンポジウムを開催することになったが、基調演説に予定して予定していた海外の海洋学者が来日できなくなり、急きょ畠山さんに白羽の矢が立った。

 出迎えられた畠山さんは京都からわざわざ三名の教授が訪ねたことに恐縮されて、『何事ですか』と驚かれたようすであった。
 ともあれ、こちらへと案内されたのは事務所の奥の部屋であった。三面の壁にはびっしりと本が並んでいた。その中からこれが最近のですよと三人に謹呈していただいたのは『日本<汽水>紀行』であった。日本各地の河口域をめぐって、森と川と海のつながり、そしてそこに住みつづける人びとの森や海への思いをつづったものである。2003年度の日本エッセイスト・クラブ賞を受賞した名著である。


 本棚から畠山さんの著書「森は海の恋人」(北斗出版刊、1994年)、「牡蠣礼讃」(文春文庫、2006年)を引っ張り出した。

 「森は海の恋人」は、海の栄養分には、山の土に含まれる鉄分が欠かせないことが分かり、計画されていたダム建設を断念させたり、「牡蠣の森を慕う会」を発足させて漁師たちが山に大漁旗を翻らせて木を植えたりする感動のエピソードがしるされている。

 「牡蠣礼讃」は、牡蠣を愛してやまない著者が、宮城種牡蠣の養殖にうんちくを傾け、世界の牡蠣を食べつくす「口福のエッセイ」。牡蠣と細く切ったうどんでつくる「オイスター・スープ」、牡蠣とトマト味のジュースにスパイス、ウオッカを注ぎ込んで一気に飲む「オイスターショット」のレシピが、牡蠣大好き人間にはたまらない。

 「日本<汽水>紀行」は、図書館ですぐに借りることができた。

 アジアモンスーンの降雨量の多い緯度に位置し、背骨のような山脈の森から日本海側と太平洋側に血管のように川が注ぎ、沖積平野で稲穂が波うつこの国を瑞穂の国とたたえて呼ぶ。だがそれは日本列島を包んでいる汽水域を含めての呼び名のような気がする。


 (面積がほぼ等しい)東京湾と鹿児島湾のどちらの海が漁獲量が多いかご存じだろうか。ほとんどの人は水がきれいな鹿児島湾と答えるだろう。正解は逆である。この汚れに汚れたと思っている東京湾が、今でも鹿児島湾の約三十倍の漁獲があるのだ。秘密は川の存在だ。東京湾には一定以上の流量の川が十六本流入している。この水量は、二年で巨大な東京湾を満杯にする量だという。


 現在、田中名誉教授は畠山さんが代表をしているNPO法人森は海の恋人の理事を務め、京大フイールド研は畠山氏を「社会連携教授」(非常勤)として招へいしている。

 「森里海連環学」は、社会との連携なしには成立しない学問だからである。

森は海の恋人 (文春文庫)
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5 山に大漁旗

牡蠣礼讃 (文春新書)
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おすすめ度の平均: 4.0
5 日本の牡蠣が世界を救った
3 紀行文としても十分成立している
4 牡蠣から拡がる世界




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