自然アーカイブ: Masablog

2019年11月 2日

読書日記「英国キュー王立植物園 庭園と植物画の世界」(山中麻須美ら編、平凡社コロナ・ブックス)、「キューガーデンの植物誌」(キャシイ・ウイリス・キャロリン・フライ著、原書房)、「植物たちの救世主」(カルロス・マグダレナ著、 柏書房)

キューガーデンの植物誌
キャシィ ウイリス キャロリン フライ
原書房
売り上げランキング: 809,884
 
植物たちの救世主
植物たちの救世主
posted with amazlet at 19.10.29
カルロス マグダレナ
柏書房 (2018-06-25)
売り上げランキング: 450,697


 英国キュー王立植物園(キューガーデン)は、2度ばかりロンドンを訪ねた際に行ってみたいと思っていたが、まだ果たせていない。世界遺産でもあるこの植物園への思いはつきない。

 表題1番目の「英国キュー王立植物園 庭園と植物画の世界」は、キューガーデン初の日本人植物画家、 山中麻須美らが編集した初めての日本語公認ガイド。
 「地球上のあらゆる植物の収集」をと、1759年に英国王室の命で設立され、現在約5万の植物と700万点の植物標本、約20万点の植物画、多数の研究室を持つ世界最大の植物園。植物についての世界有数の研究拠点でもあるという。

 圧巻は、19世紀に作られた熱帯雨林の温室「パーム・ハウス」など6棟の温室や多彩な庭園群。樹木園の一角には、18メートル上の木製の道路から樹冠を観察できる「ツリー・トップ・ウオークウエー」もある。
 キューガーデンは、植物画のコレクションでも世界一。植物は標本にしてしまうと生きている時の色彩や形態が分からなくなるため、植物画は研究のための貴重なデータベースとなる。
 園内には、ヴィクトリア時代の女性植物画家が世界を回って描いた800枚以上の絵画を展示した「マリアンヌ・ノースギャラリー」や2008年に開設された世界初の常設植物画展示場「シャーリー・シャーウッド・ギャラリー・オブ・ボタニカル・アート」などがある。

 

パーム・ハウスツリー・トップ・ウオークボタニカルアート・ギャラリー
191029-2.jpg 191029-7.JPG 191029-6.jpeg


 表題2番目の「キューガーデンの植物誌」は、キューガーデンの科学部長であるキャシイ・ウイリスと科学ライター、キャロリン・フライの共著。西宮図書館北口図書館で「キューガーデンに関する本を」と頼んだら、女性司書が見つけてくれた。
 キューガーデンで始まった植物研究の歴史が詳細に綴られており、英国放送協会(BBC)で25回にわたって放送された、という。

 正門を入ると見えてくる「パーム・ハウス」の南端に、キューガーデンの最古参の木 「Encephalartos altensteinii」というソテツがある。1773年、植物園最初のプラントハンターであるフランシス・メイソンが、南アフリカ・ケープタウン東海岸の雨林帯から若木を採取、2年かけて持ち込んだ。
 このソテツは、英国在住の日本人ガイド・ライト裕子さんの ブログによると、世界最古の鉢植えだという。鉢は、中の土を入れ替えられるように板囲いになっている。

キューガーデンの最古参の木
191029-4.JPG 191029-3-1.jpg
      

 大英帝国を支えた天然ゴムの栽培にも、キューガーデンは大きく寄与した。1874年、イギリス政府の密命を受けたプラントハンターのヘンリー・フッカーは、ブラジル・アマゾン流域でゴムの種子7万粒を採取、ブラジル政府の禁輸方針をかいくぐってキューガーデンに輸出した。発芽したのは、たった4%だったが、その苗木がイギリスの植民地マレー半島に広大なプランテーションを誕生させるきっかけになった。

 キューの支援でイギリスの植民地では、コーヒー、オレンジ、アーモンド、マホガニーなども生産されるようになった。世界を制覇した「大英帝国」をキューガーデンが支えたのだ。

   キューガーデンは現在、 ミレニアム・シード・バンク・パートナーシップ(BSBP)というプロジェクトも推進している。地下の種子保存庫は、500年間保存するように設計されており、2020年までに、世界中から固有種、絶滅危惧種、有用植物を優先して全植物の25%の種子を採集する計画だ。

 世界中でミツバチの数が激減している。キューガーデンの科学者は「なにがミツバチを花に誘導するのか、より効果的な受粉方法は何かを生化学的に研究している」
 最近、キューの科学者が、コーヒーなどのカフェインが花の蜜にも含まれていることを発見した。カフェインは、ミツバチが花の蜜のある場所を認識し、記憶する能力を向上させる効果がある。そこで、科学者たちは、イチゴの花の匂いとカフェインを含む餌をミツバチに与え、イチゴが他の花より好ましい花であることを記憶させてイチゴの受粉を促進させる訓練をしている。

 3番目の「植物たちの救世主」は、上記2冊を読んでいるうちに再読したくなった本。数ヶ月前に、この図書館で借りたのだが「筆者は、キューガーデンに所属する専門家で、スペイン生まれ」「地球上で1本しか残っていないヤシの木の保存に奔走した」、という記憶しかない。これだけの情報で、先の女性司書は、この本を探し出してくれた。お見事!

 筆者、カルロス・マグダレナは、一度派絶滅した世界最小のスイレン「ニムファエム・テレマルム」の栽培に成功したことで有名になった。

 このスイレンは、アフリカ・ルアンダの、なんと温泉にしか自生していなかった。この種子はドイツのボン植物園にしか残っていなかったが、同植物園の担当者は「種子は差し上げますが、発芽して水面に顔を出す前に枯れてしまいます」と言った。

 カルロスは、自宅でパスタをゆがいている時の湯気を見て二酸化炭素の濃度を高めることがこのスイレンには必要なのでは、と思いついた。二酸化炭素は水に溶けにくく、水槽内ではすぐになくなってしまう。葉が出たら何度も空気中に出す工夫を重ねて、指の爪ほど、直径約1センチの花を咲かせた。

 「植物の保全はキューガーデンにとって最も重要な使命」だ。カルロスらは、希少植物の保全のために、世界中に出かける。
 オーストラリア・キンバリー高原では、いくつものスイレンの新種を見つけた。
 20日間、8千キロの旅を終える間に、48回の採集をし、14種のスイレンを入手した。カルロスはキューガーデンに1日も早く帰りたいと思った。「私の手には、世界中の人に見てもらえる、新種のスイレンがあるから」

世界最小のスイレン(左図の隣に写っているのは、オニバスの花。右の顔写真はカルロス・マグダレナ)
191020-1.jpg 191029-3.jpg
 

   

2019年10月 5日

読書日記「はっとりさんちの狩猟な毎日」(服部小雪著、河出書房新社刊)

はっとりさんちの狩猟な毎日
服部小雪 服部文祥
河出書房新社
売り上げランキング: 19,018


著者・小雪さんは、美大・ワンダーフォーゲル部出身の主婦、40歳過ぎ。横浜の山の手に住む3人の母親。

   その夫君、文祥さんは、山岳雑誌の編集者のかたわら、山に入った時には、原則、現地で食料を調達することを実践している、自称「サバイバル登山家」。
 長男が生まれた直後に「正月に下界にいるなんて、山ヤじゃねえ」と厳冬期の黒部に行ってしまい、小雪さんは「一生うらんでやる」と心に決めた。

 文祥さんが狩猟免許を取り、雄鹿の頭部を持って帰ってきた。友人にもらった業務用パスタ鍋で、生首をゆでた。
 当時2歳だった娘の秋(しゅう)さんは、脳味噌をスプーンで食べさせてもらい「おっと(もっと)」と、ヒナのように口を大きく開けた。

 文祥さんは、犬などを使わないでじっと獲物の鹿を待つ「待ち伏せ猟」をすることが多かった。
 人間の存在に気がつく前に仕留めた鹿の肉はおいしい。「鹿が犬に追われて逃げると、全身の筋肉に血が回ってストレス物質も出るため味が落ちるらしい」
 鹿肉はあっさりした赤身の肉で、噛むと森の香りが広がる。
 「おいしいと感じる穀物や野菜も、幸せな環境で手間暇かけて作られたものだろう」
 「これからもなるべく対話ができる食べ物を身体に取り入れたい。学校や塾で詰め込まれる知識よりも、『食』こそ人生の鍵を握っているのではないかと思っている」

 庭の斜面でニワトリを飼うことになった。ヒヨコもネットで買える。メスのヒナが5羽で3千円、希望すればオス1匹がサービスでついてくる。卵を産まず、交尾のためだけのオスは、一群れに1羽しかいらない。
 飼っているうちにメンドリには羽の色、歩き方、トサカの形など、それぞれに個性があることが分かってきた。脚に色ゴムを結び、てきとうな名前をつける。
 小学3年生になった娘の秋は、ゴムの色を見なくても、一瞬でニワトリが見分けられた。「顔を見りゃわかる」と言う。
 人口孵化器で卵から孵すこともやってみた。なぜかメスが生まれる割合が低い。「日曜日ごとにちびオスをシメて鍋やスープにするのは、さすがに気がめいった」

 次男の玄次郎が高校1年の時に、学校を辞めてしまった。「勉強はいつでも自分でできるから、今は好きな絵を思う存分に描きたい」と言った。父親の文祥は「イバラの道だと思う」と話したうえで「基本的にはお前の意思を尊重して、応援する」と付け加えた。

 NHKの「大自然グルメ百名山」という番組で、夫婦と中学生になった秋、犬のナツで新潟・早出川支流にサバイバル登山をすることになった。
 沢登りをし、夜は雨のなか、タープ(雨よけ用の布)を張って野宿した。
 イワナを渓流で釣って刺身や潮汁にし、トノサマガエルと野草のウルイのソテー、同じ野草のコシアブラ丼。岩場で捕まえたシマヘビは口で皮を剥ぎ、たき火で乾燥させて行動食にした。
 「朝起きたら家族がいて、焚き火があり、温かいお茶と会話があるだけで、どんな山奥にいてもいつも同じ暮らしになる」

 巻末に、文祥さんのエッセイが載っている。

 「私が山登りを続けてきたのは、登山という世界なら理想とする自分に近づけそうだと感じたからである。その理想には少なからず『格好いいホモ・サピエンスでいたい(モテたい)』という願望が含まれていた。モテたいの半分は、あけすけにいうと、繁殖したいという本能だと思う」
 「上手に生きると、楽しく生き残るは、微妙にズレている。楽しく生き延びようと思ったら、あまり常識に囚われてはてはいけない」
 「というわけで、うまいこと、小雪を騙し、なだめ、口説き、ときには聞こえない振りをして、繁殖に成功した」

 なるほど、サバイバルに生きるというのは、人間が"繁殖する動物"であることを自覚することなのだ。

 この著書の半分は、小雪さんが描いた下のようなイラストで埋められている。それが、なんとも楽しい。
 その一端は、アマゾンの画像検索でのぞくことができる。

c3daac48a992caab59d427729ee985e7.jpg  20190629-OYT8I50032-1.jpg  vol42_niwatori_02.jpg 

2017年9月16日

読書日記「日本の色辞典」(吉岡幸雄著、紫紅社刊)


日本の色辞典 紫紅社刊
アットマーククリエイト (2014-12-12)
売り上げランキング: 126,430


 京都の染色工房を主宰する吉岡幸雄が出演したNHKのBSドキュメンタリー番組「失われた色を求めて」の再放送を何度か見た。

 日本に古くから伝わる植物染織の復活に生涯をかける工房や原料を育てる農家の人々の苦労が伝わってくる。

 そんな時に友人Mが貸してくれたのが、この本。カラ―写真紙を使ったズッシリ重い約300ページの本に、古代からの色彩豊かな衣装、色の染め方や聞いたこともない名前の色見本が詰まっている。

◇赤系の色

 太陽によって一日がアケル。そのアケルという言葉が「アカ」になった。

 
 土のなかから弁柄などの金属化合物の赤を発見し、の根、紅花の花びら、蘇芳の木の芯材、そして虫からも赤色を取り出そうとしたのは、まさに、陽、火、血が人間にとっての新鮮な色で会ったからにほかならならない。


 ▽茜色(あかねいろ)

あかねいろ.jpg

    額田王が「あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る」と、万葉集に詠った色。

 茜は、アカネ科の蔓草だが、その赤い根を乾燥させて朱色を出す手法は古くから用いられてきた。しかし、手間がかかり、色が濁って難しいため、その技法は中世の終わりにすたれてしまった。

 著者の工房では、茜の草を試験的に栽培し始めた奈良県の農家の協力で、その製法の再現に挑戦している。しかし、茜の根を煮出した汁から黄色を取り去るために米酢を加えることをやっと発見するなど、古代の色を再現する苦労が続いている。

 ▽深緋(こきあけ、ふかひ)

こきあけ.jpg

    古代色の読み方は難しい。深緋は、茜色をさらに濃く染め上げたもの。

 工房では、平安時代に編さんされた格式(律令の施工細則)である 「延喜式」の比率どおりに茜と紫根を用い、椿の木灰の上澄み液で発色させた。

 ▽曙色(あけぼののいろ)・東雲色(しののめいろ)

あけぼの.jpg

      清少納言が「春は、あけぼの」と詠った「山の端から太陽が昇る前、そのわずかな光が反射して空が白み始める」色である。著者は「多くは茜色がやや淡く霞がかかった感じ」とみている。
 色見本では「茜との黄色を重ねた」

 ▽紅(くれない・べに)

くれない.jpg

     紅花が出す赤色である。エジプト原産で、4,5世紀に日本に渡来した、という。

 この紅花から「紅」を染め出すのは、至難の業らしい。
 「自然の色を染める」(吉岡幸雄・福田伝士監修、紫紅社刊)などによると、花びらを水の中で揉み、ざるに取ってきつく絞る作業を繰り返して、花に含まれる黄色を取り去る。この後、藁灰(アルカリ性)を加えて、1-3回、色素を抽出。絹、木綿などの布を入れ、食酢を加えて色を定着させる。さらに布を水洗いして、鳥梅 と呼ばれる未熟な梅の果実を、薫製(くんせい)にしたものの水溶液に漬け、そのクエン酸の力で色素を定着させて乾燥する。
 鳥梅をつくっているのは、奈良県月ヶ瀬村の現在では中西さんという80歳強の梅栽培家だけらしい。「紅」の将来は、どうなるのか。

 このほか辞典では、盛りの桃の花をさす「桃染(ももぞめ・つきぞめ)は、紅花を淡く染めてあらわした、とある。

 「桜色」については、光源氏が、政敵右大臣の宴に招かれた時に「桜の襲(かさね)の 直衣(のうし)で出かけたことが書かれている。

 表が透明な生絹(すずし)、裏は蘇芳か紅花で染められた赤で、光が透過して淡い桜色に見えたのである。その姿は「なまめきたる」美しさであったという。

◇紫系の色

 紫という色を得るのに、中国、日本等東洋の国々では古くから紫草の根(紫根)を染料として用いてきた。

 
 ・・・染液のなかをゆっくりと泳ぐように動いている布の、だんだんと紫色が入っていくさまを見ていると、ほかの色を染めているときとはちがった、妖艶というか、神秘的というのか、眼が、色に吸いつけられて、そのなかに自分が入りこんでいくような気がしてくるのである。


 平安時代。紫は、高貴な人々だけに許された、 禁色(きんじき)であった。

 ▽深紫(こきむらさき)

こきむらさき.jpg

   紫根によって、何度も何度も繰り返し染めた黒味が閣下ったような深い紫色。

 紫根は麻の袋の入れ、湯の中でひたすら揉み込んで、色素を取り出す。その抽出液に湯を加え、絹布などで染め、清水で洗う。
 椿の生木を燃やした灰に熱湯を注いで、2,3日置いた上澄み液を越して布を入れる。椿の木灰に含まれたアルミニウム塩が紫の色素を定着させる。

◇青系の色

   青色は、古くから硝子、陶器などに使われてきたが、衣服は藍草で染められてきた。

 中国・戦国時代紀元前403~前221)に書かれた 「荀子」には「青は藍より出でて藍より青し」と記されている。「出藍の誉れ」という諺でも知られる。青という色は藍の葉で染めるが、染め上がった色はその素材より美しい青になることをあらわし、・・・すでに青という色を、藍という染料から得る技術が完成していたことを物語る。

 日本では、奈良時代には愛の染色技法はすでに完璧に完成していたとみえ、正倉院宝物のなかにもいくつかの遺品を見ることができる。

 
 (木綿の栽培が盛んになった)江戸時代に入ると、木綿や麻など植物性の繊維にもよく染まる藍染はより盛んになり、村々に紺屋ができた。 型染 筒描など庶民から将軍大名にいたるまで、藍で染めた青は広く愛される色であった。
 明治のはじめ、日本にやってきた外国人は、そうした状況を目のあたりにして、その藍の色を「ジャパン・ブルー」と読んで称賛したのである。


 ▽藍(あい)

あい.jpg

    日本では、藍を染めるのに タデを使うが、「建染」という手法が確立している。藍が還元発酵して染色可能な状態になったことを「藍が建つ」という。

 木灰に熱湯を注いで二,三日置き、その上澄み液を濾して灰汁を用意しておく。藍甕に (すくも)と灰汁を入れて掻き混ぜ、二〇度前後の温度を保ちながら十日くらい置く。その間日に二回掻き混ぜる。十日くらいたったところでふすまを加える。すると、ふすまが栄養剤となって発酵が促され、二、三日すると藍が建ち始め(ふすまを加えてあとは一日に一回掻き混ぜる)、染められるようになるのである。

 ▽縹色・花田色(はなだいろ)

はなだいろ.jpg

    藍色より薄く、浅葱色より濃い色をさす。「花田」は当て字。

 ▽浅葱色(あさぎいろ)

あさぎいろ.jpg

    蓼藍で染めた薄い藍色。色見本は蓼藍の新鮮な葉をそのまま使う 生葉染

 田舎出の侍が羽裏に浅葱色の木綿を用いたので「不粋、野暮な人を当時『浅葱裏』と揶揄した」という。

 ▽亀覗(かめのぞき)

かめのぞき.jpg

    もっとも薄い藍染。布を少し漬けて引き上げる。つまり、藍甕のなかをちょっと覗いただけ、という遊び心いっぱいの命名。

◇緑系の色

   著者によると「緑色は、身近にいつもありながら、たやすく再現することができない色といえる」らしい。

 自然のなかにある「緑」を身近な生活のなかにおきたいとと思っても、草木が持つ葉緑素という色素は脆弱で、水に遇うと流れてしまう。しかも、時が経つと汚れたような茶色に変色してしまう。

 聖徳太子が亡くなった622年につくられた日本最古の刺繍が奈良・中宮寺に伝来しており、美しい緑の色糸が随所に使われている。藍色に 苅安 黄蘗(きはだ)という黄色系の染料をかけて染められたものだ。

 ▽萌黄色(もえぎいろ)

もえぎいろ.jpg

   新緑の萌え出る草木の緑、冴えた黄緑色をいう。工房の色見本は、蓼藍の生葉染めのあとに黄蘗を掛け合わせた。

 ▽柳色(やなぎいろ)

やなぎいろ.jpg

    古い文献によると、柳色の布は、萌黄色の経糸と白の緯糸で織り上げた。

 ▽常盤色(ときわいろ)

ときわいろ.jpg

    松や杉など年中緑色をたたえる常緑樹は「常盤木」と呼ばれている。その常盤木の葉のように、やや茶色を含んだ深い緑の色。

 色見本は、苅安に蓼藍を重ねて深みをだした。

 ▽麹塵(きくじん)青白橡(あおしろつるばみ) 山鳩色(やまばといろ)

きくじん.jpg

    麹塵は、麹黴の色。橡は団栗の古称、青白橡は、夏の終わりから秋のはじまりにかけての青い団栗の実のこと。

 まったく別個の色名に思われるが、平安時代に 源高明が記した宮中の年中行事作法書 「西宮記」に、この2つの色は同じものとあるという。山鳩色も同じ色という説もある。

 「延喜式」にある、その染色法が、また難しい。椿などの生木を燃やしてつくったアルミニウム塩を含む灰汁(あく)を発色剤に苅安や紫草の根から抽出した色素を組み合わせる。著者の工房でも、失敗を重ねて。ようやく染めることができた。

 (後記)

 1項目を読むたびに、著者の工房の苦労を味わい、貴重な古代文献の名を知り、平安朝の 「襲(かさね)の色目」に自然を感じる・・・。
 なんとも興味のつきない本だ。しかし、黄、茶、黒白、金銀の項を残してブログに記すのはこのあたりで止め、座右で楽しむことにしたい。

 なお、各項にある色見本は、ネットにあった、東京カラーズ株式会社の 「色名辞典」からコピーさせてもらった。著者の工房で染めた自然素材の色調とは、当然異なっていると思う。

  ※巻末に、著書にある代表的な色名表を載せ、備忘録にした。

【赤】
 代赭色 (たいしゃいろ) / 茜色 (あかねいろ) / 緋 (あけ) / 紅絹色 (もみいろ) / 韓紅 (からくれない) / 今様色 (いまよういろ) / 桜鼠 (さくらねずみ) / 一斤染 (いっこんぞめ) / 朱華 (はねず) / 赤香色 (あかこういろ) / 赤朽葉 (あかくちば) / 蘇芳色 (すおういろ) / 黄櫨染 (こうろぜん) / 臙脂色 (えんじいろ) / 猩々緋 (しょうじょうひ) など 104色

【紫】
 深紫 (こきむらさき) / 帝王紫 (ていおうむらさき) / 京紫 (きょうむらさき) / 紫鈍 (むらさきにび) / 藤色 (ふじいろ) / 江戸紫 (えどむらさき) / 減紫 (けしむらさき) / 杜若色 (かきつばたいろ) / 楝色 (おうちいろ) / 葡萄色 (えびいろ) / 紫苑色 (しおんいろ) / 二藍 (ふたあい) / 似紫 (にせむらさき) / 茄子紺 (なすこん) / 脂燭色 (しそくいろ) など 46色

【青】
 藍 (あい) / 紺 (こん) / 縹色 (はなだいろ) / 浅葱色 (あさぎいろ) / 甕覗 (かめのぞき) / 褐色 (かちいろ) / 鉄紺色 (てっこんいろ) / 納戸色 (なんどいろ) / 青鈍 (あおにび) / 露草色 (つゆくさいろ) / 空色 (そらいろ) / 群青色 (ぐんじょういろ) / 瑠璃色 (るりいろ) など 60色

【緑】
 柳色 (やなぎいろ) / 裏葉色 (うらはいろ) / 木賊色 (とくさいろ) / 蓬色 (よもぎいろ) / 萌黄色 (もえぎいろ) / 鶸色 (ひわいろ) / 千歳緑 (ちとせみどり) / 若菜色 (わかないろ) / 苗色 (なえいろ) / 麹塵 (きくじん) / 苔色 (こけいろ) / 海松色 (みるいろ) / 秘色 (ひそく) / 虫襖 (むしあお) など 57色

【黄】
 刈安色 (かりやすいろ) / 鬱金色 (うこんいろ) / 山吹色 (やまぶきいろ) / 柑子色 (こうじいろ) / 朽葉色 (くちばいろ) / 黄橡 (きつるばみ) / 波白色 (はじいろ) / 菜の花色 (なのはないろ) / 承和色 (そがいろ) / 芥子色 (からしいろ) / 黄土色 (おうどいろ) / 雌黄 (しおう) など 36色

【茶】
 唐茶 (からちゃ) / 団栗色 (どんぐりいろ) / 榛摺 (はりずり) / 阿仙茶 (あせんしゃ) / 檜皮色 (ひわだいろ) / 肉桂色 (にっけいいろ) / 柿渋色 (かきしぶいろ) / 栗色 (くりいろ) / 白茶 (しらちゃ) / 生壁色 (なまかべいろ) / 木蘭色 (もくらんいろ) / 苦色 (にがいろ) / 団十郎茶 (だんじゅうろうちゃ) / 土器茶 (かわらけちゃ) / 媚茶 (こびちゃ) / 鳶色 (とびいろ) / 雀茶 (すずめちゃ) / 煤竹色 (すすたけいろ) など 107色

【黒・白】
 鈍色 (にびいろ) / 橡色 (つるばみいろ) / 檳榔樹黒 (びんろうじゅぐろ) / 憲法黒 (けんぽうぐろ) / 空五倍子色 (うつぶしいろ) / 蠟色 (ろういろ) / 利休鼠 (りきゅうねずみ) / 深川鼠 (ふかがわねずみ) / 白土 (はくど) / 胡粉 (ごふん) / 雲母 (きら) / 氷色 (こおりいろ) など 53色

【金・銀】
 金色 (きんいろ) / 白金 (はっきん) / 銀色 (ぎんいろ)



   

2017年3月29日

読書日記「オオカミが日本を救う!」(丸山直樹編著、白水社)「日本の森にオオカミの群を放て」(吉家世洋著、丸山直樹監修、ビング・ネット・プレス刊)


オオカミが日本を救う!: 生態系での役割と復活の必要性
丸山 直樹
白水社
売り上げランキング: 423,153


日本の森にオオカミの群れを放て―オオカミ復活プロジェクト進行中
吉家 世洋
ビイングネットプレス
売り上げランキング: 802,048


 このブログにも書いたが、シカの異常繁殖が日本の自然生態系を破壊している実態をかいま見たのは、2008年に北海道・知床を訪ねた時のことだった。

 知床の草地はエゾジカに食べつくされて、すでに「世界遺産・知床から花が消えてしまった」(自然ガイドのTさん)。

  
pic01.jpg pic02.jpg
ホテルの前庭に群がるオスジカ。見えている白い草花は食べない エゾジカに樹皮を食べられ、立ち枯れたイチイの木
       
 冬になると、ミズナラなどの樹皮をはぎ取り、樹木は枯れてしまう。街中の家屋の前の木々は、金網で覆われているが、葉っぱはほとんど食べられてヒョロリと立っている。
 明治時代に、開拓農民の家畜を襲うエゾオオカミが害獣として絶滅されたため、エゾジカの異常繁殖という自然循環のアンバランスを招いたのだ。

 「オオカミが日本を救う!」の編著者である丸山直樹は、東京農工大学名誉教授。シカの生態を研究するうち、自然生態バランスを維持する食物連鎖「頂点捕食者」である狼に注目、「日本オオカミ協会」を設立して「日本の自然崩壊を救うため、再びオオカミを導入しよう」と、呼びかけている。

 オオカミの再導入によって、シカやサル、イノシシの被害が減少し、里山や土砂の崩壊、流出などの自然破壊を防いだりすることができるという。

 オオカミは、群れで生活し、なわばり内の「頂点捕食者」として、シカやイノシシを食べ、結果的にシカなどの異常繁殖は防ぐことができる。

 しかし、オオカミが人を襲う恐れはないのだろうか。

 これについて編著者は「もともとオオカミは、人への恐れ、警戒感が強く、人との遭遇を避けようとする」という。食物が少なくなって、家畜を襲うことはあっても、健康なオオカミが人を襲った例は、世界的にも報告されていない、という。

 「日本の森にオオカミの群を放て」は、科学ジャーナリストの著者が、丸山氏らが進めているプロジェクトを平易に解説した本。知床なども、オオカミ導入の有力候補らしいが、丸山氏らは、第一候補として日光国立公園に的を絞っているらしい。

 アメリカのイエローストン国立公園では、1995年にオオカミを再導入して成果を上げているようだ。  ネット上で見つけた「オオカミってやっぱりすごい!」というページは、この公園の様子をこう伝えている。

 
 オオカミが捕獲するため、シカの数が減ったが、シカもオオカミに狙われやすい場所を裂けるようになった。
 鹿が近づかなくなったため、植物たちが息を吹き返した。シカに食い尽くされて裸同然だった谷あいの側面はあっという間にアスペンや柳、ハコヤナギが多い茂る森となり、すぐに多くの鳥たちが生息し始めた。
 ツグミやヒバリなどの鳴き鳥の数も増え、渡り鳥の数も大幅に増えた。
 木が増えたため、多くなったビーバーが作るダムは、カワウソやマスクラット、カモ、魚、爬虫類、両生動物など多くの生物の住処となった。また、オオカミがコヨーテを捕食することで、コヨーテの餌食となっていたウサギやネズミの生息数が増加し、それを餌にする「ワシ、イタチ、狐、アナグマなども増えた。
 川の特徴まで変わってきた。それまでの曲がりくねっていた川は緩やかな蛇行流となり、浸食が減り、水路は狭まり、より多くの水のたまり場ができ、野生の生物たちが住みやすい浅瀬ができるようになった。
 川の流れが変わり森林が再生されて、川岸はより安定し、崩れることも少なくなった。そして、川は本来の強さを取り戻し、鹿たちに食尽された谷間の植物たちも再び生い茂り始めた。植物が増えたことにより、土壌の浸食を抑えることにつながった。
 自然が蘇ったのだ。


pic03.png
      冬のイエローストン公園の頂点にいる捕獲者たち

 日本の北海道標茶町虹別には、20数年前に移り住み、フェンスで囲んだ約2000坪の自宅森林で、14頭のオオカミを飼っている桑原さん夫妻がいる。

 一般の人向けの「オオカミの自然教室」も開いている。

桑原さんが呼ぶと、体重30キロのモンゴルオオカミが飛びつき、ほおをなめた。地面に寝転がり、腹をみせる。「親愛や服従のしるし」と、桑原さんは言う(2013年9月5日、読売新聞夕刊)

pic04.jpg
  桑原さんらが飼っている狼たち

狼は、冬の季語である。
 参加させてもらっている「聖書と俳句の会」で昨年末に提出した句が、幸いにも入選した。

     「狼の遠吠え聞けり夢の森

 3月20日付け読売俳壇で3席になっていた栃木県の人の句。

     「日本の何処かで狼生きている」  

2014年3月20日

読書日記「渡りの足跡」(梨木果歩著、新潮文庫)、「鳥たちの旅 渡り鳥の衛星追跡」(樋口広芳著、NHKブックス


渡りの足跡 (新潮文庫)
梨木 香歩
新潮社 (2013-02-28)
売り上げランキング: 107,490

鳥たちの旅―渡り鳥の衛星追跡 (NHKブックス)
樋口 広芳
日本放送出版協会
売り上げランキング: 319,958


 先月の始め、引っ越してきた伊丹の家の近くにある昆陽池に渡り鳥を見に出かけた。このブログの管理者で野鳥観察が趣味のn-shuheiさんに誘われたのだ。

 その後、伊丹図書館南分館で、梨木果歩の「渡りの足跡」が文庫本になっているのを見つけた。n-shuheiさんがこの本のことを自分のブログに書いていたのを思い出して借りてしまった。

 著者の本にはなぜか引かれ、このブログでも何度か触れているが、この本だけは読んでいなかった。

 著者はいくつかの著書の"主役"の1つである植物だけでなく、渡り鳥についても玄人はだしの観察者らしい。この本は、北海道や新潟、信州、諏訪湖、さらにシベリア・カムチャッカにいたる渡り鳥"追っかけ"ルポだった。

 最初のオオワシを訪ねて知床にでかける章で、 「ワタリガラス」の名前を見つけてエッ!と思った。

 つい数日前に読んだ 池澤夏樹のパレオマニア」という本でこんな記述を見つけたばかりだったからだ。

   
 大英博物館でいちばん大きい収蔵物、・・・高さ十一メートルのトーテムポール。カナダ先住民族が残した巨大な米杉の柱の下部に・・・「神話的な動物、海の熊、あるいは嘴を折られたワタリガラス」を・・・見ることができる。


 池澤は「カナダ太平洋岸の先住民の神話では、ワタリガラスは創造主である」と書いているが、梨木も「ワタリガラスは、北米先住民族たちの創世神話でよく英雄として登場する、神秘的なカラスだ」と、まだ学生だったころにいた英国で、ワタリガラスの不思議な話しを聞いたことを思い出している。

 WEB上でも、そんな神話の数々をいくつも見つけることができる。

 それだけに梨木は「くぽおうん、くぽおうん」と優しい声で鳴くワタリガラスが、この日本にも"ワタッて"きていることが「にわかに信じがたかった」のだ。

 パレオ(ギリシャ語で古代の意)の昔から、渡り鳥と人との間で紡ぎだされてきた不思議なかかわりあいを知り、興味が深まった。

 一方で梨木は、渡り鳥が現在の自然破壊に巻き込まれている厳しい現実を知り「世界は一つであり、繋がっているのだという紛れもない事実に圧倒されそうになる。」

 
 日本に冬鳥として渡ってくる鳥たちの多くは、シベリア、カムチャッカ、サハリン、或いはアムール川流域等を繁殖地として使っている。アムール川ではソビエト連邦崩壊後、環境汚染が年々進んでおり、年間百五十億トンのエ場排水が垂れ流しにされている。その結果鱗(うろこ)がない等の奇形の魚が多く、アムール川の魚は食べないように言われている・・・。河口は広々とした湿原で、水鳥の格好の繁殖地だ。その魚を食べるな、その水を飲むなと、どうして鳥に知らせたらいいのか。また、鳥の多くは東南アジアの雷雨林で越冬していると見られるが、ここ数十年程の森林面積のすさまじい減少が、あるいは使用されている農薬が、最近夏山で彼らの嘲りが聞こえなくなった原因ではないかと言っている学者もいる。


 しかし、渡り鳥にとって取れる対策は皆無、といというのが厳しい現実だ。

 
 渡りは、一つ一つの個性が目の前に広がる景色と問わりながら自分の進路を切り拓いていく、旅の物語の集合体である。その環境が自分の以前見知っていたものと違っていたとしても、飲むべき水も憩うべき森も草原もなくなっていたとしても、次に取 るべき行動は(引き返すという選択も含めて)最善の方向を目指すため、今出来るこ とを(とにかく何らかの手段でエネ~ギー補給をする、等)ただ実行してゆくことだ けで、鳥に嘆いている暇などはない。


 この本の中盤で、渡り鳥観察者の醍醐味と言ってよい表現が出てくる。

   
 車からスコープ一式を運んでくる。昨日教えてもらった通りに三脚を立て、スコープを雲台にはめ込み、固定する。それから倍率を合わせる。合ったけれども、そしてどうもなにか大きな鳥(近くにカラスと思しき鳥が数羽いるのでその大きさから比して)らしいのだけれど、ぼんやりして見えない。しばらくあれこれして、ああ、そうだ。ピントはここで合わせるんだった、と、カバーの陰で見えにくくなっていたピント合わせのダイヤルのカバーを外し、動かす。次の瞬間、黄色い囁(くちばし)、黒い体に白いマフラーをかけたような肩線、それからまっすぐこちらを見つめている鋭い視線がレンズにくつきりと入る。目が合って、思わず息を呑む。まちがいない。
 オオワシだ。


 ただ、著者は専門家ではないので、渡り鳥の"渡り"の生態については、表題の2冊目にある「鳥たちの旅」 を何度か引用している。この本は図書館になく、AMAZONで買ってしまった。

著者は、人工衛星を用い、発信器を着けた渡り鳥の移動ルートを解明した研究者だ。

 「渡り鳥はなぜ渡るのか」という素朴な疑問に樋口は、こう答える。

 鳥が渡るのは、食物を十分に確保するためである。たとえば、ツバメは飛びながら空中にいる昆虫を捕って食べる。しかし、日本のような温帯地域では、秋から冬にかけて昆虫は姿を消してしまう。そこでツバメは、冬でもそれらが得られる暖かい南方の地域まで渡っていくのである。同様に、ガンやハクチョウが秋、日本に渡ってくるのは、繁殖地のシベリアが冬には雪と氷に閉ざされ、食物が得られなくなるからである。


それでは「なぜ渡り鳥は、春、越冬地から北に向かって戻っていくの ろうか? 冬の聞くらせる場所であるならば、それ以外の季節だって生活できるはず」だ。

 
 これらの鳥が北に向けて旅立つのは、春から夏にかけては北方に、春から夏にかけて北方に食物になる動物がより多く発生するからである。・・・
 また、北方地域からは冬の問、多くの鳥がいなくなっている。春にそこに行けば、越冬地に残っているよりも、個体あたりにより多くの食物を確保することができる。しかも、この春から夏にかけては、鳥たちにとって繁殖時期であり、多くの子供を育て上げるのに豊富な食物を必要としている。
 したがって、危険をおかしてでも北方まで行けば、自分自身が生活しやすいだけでなく、より確実に子育てを行なうことができるのである。


 最大の疑問点。渡り鳥は「渡る先をどうやって知るのか」だ。

 
 昼間渡る鳥たちは、太陽の位置を体内時計で補正しながら渡っているらしい。・・・夜間には星座を利用する。・・・地磁気も渡る方向を定める重要な手がかりにしているらしい。・・・鳥たちによっては、地形や季節風、日没の位置、においなども定位に利用しているようだ。・・・鳥たちは「かなりすぐれた地図情報をもっているに違いない。


 樋口は、エピローグでこう警告する。

 一つの渡来地の破壊にともなう渡り鳥の減少は、遠く離れた別の渡来地の生態系の破壊をもたらす吋能性がある。たとえば、東南アジアの熱帯雨林の破壊は、そこで越冬し日本に渡ってくる夏鳥(夏に飛来する渡り鳥)の減少を通じて、日本の里山や森林の生態系のバランスを崩す可能牲がある。一方、日本の干潟の破壊は、そこを通過する多数のシギ・チドリ類の消滅を通じて、フィリピンやオーストラリア、あるいはロシアの湿地生態系をおびやかすことになるかもしれない。
 異なる地域、国の自然は互いに独立しているように見えるが、実際には渡り鳥によってつながっている。渡り鳥の保全は、単に対象となる鳥の保全にとどまらず、遠く離れたいくつもの生態系の保仝を意味し、ひいては地球環境全体の保全にもつながっているのである。


 梨木と樋口の思いは、世界中の自然を愛する人々と共通する思いである。

2014年2月27日

読書日記「オレがマリオ」(俵万智著、文藝春秋刊)


オレがマリオ
オレがマリオ
posted with amazlet at 14.02.27
俵 万智
文藝春秋
売り上げランキング: 44,658


 「サラダ記念日」で衝撃的なデビューをした著者の第5歌集。世間の評判におされて、つい図書館で借りてしまった。

 2011年3月11日14時46分、著者は出張で東京の新聞社の会議室にいた。夕刊締め切り直後の新聞社のけん騒から、この歌集は始まる。

 「震度7!」「号外出ます!」新聞社あらがいがたく活気づくなり


 40歳で我が子を産んだシングルマザーの著者は、4日後に両親と息子のいる仙台に帰り着く。そして余震と原発事故が落ち着くまでと7歳の息子を連れ西に向かう。

 
 ゆきずりの人に貰いしゆでたまご子よ忘れるなそのゆでたまご


 
 子を連れて西へ西へと逃げてゆく愚かな母と言うならば言え


 
 空腹を訴える子と手をつなぐ百円あれどおにぎりあらず


 友人を頼って落ち着いたのは、沖縄・石垣島。豊かな自然のなかで、息子はすこやかに育っていく。

 
 「オレが今マリオなんだよ」島に来て子はゲーム機に触れなくなりぬ


 
 子は眠る カンムリワシを見たことを今日一日の勲章として


 
 ぷふぷふと頬ふくらます子に聞けば釣られて焦るフグのものまね


 
 縁側に並んでスイカを食べているぷぷぷぷぷっと我が子島の子


 
 「ケンカしちゃダメ」と言いつつおさな子は蝶の交尾をほぐしておりぬ


 「ただいま」を言え言えと言われれば「ただいません」と返すおさなご


 息子の成長をつぶやいている著者自身の ツイッターを記録したWEBも見つけた。

 つかの間のつもりが、この島の豊かな自然に引かれた。2人はいまだにこの島に住み続けている。

 
 ストローがざくざく落ちてくるようだ島を濡らしてゆく通り雨


 
 潮満ちて終了となるモズク採りすなわちこれを潮時という


 
 人の子を呼び捨てにして可愛がる島の緑に注ぐスコール


 
 オヒルギの花ぼとぼと落ちる午後 無言の川をカヤックで行く


 「子どもの歌は、刺身で出せる。・・・恋の歌は、じっくり寝かせ、ソースやスパイス、盛りつけや器にも心を砕かねば・・・」。発行社・ 文藝春秋のWEBページで、著者自身が 動画で語っている。

 
 湯上りのビールのように抱きあえり女男(めを)なれば他にありようもなく


 
 石鹸の香りを選ぶひとときに思い浮かべている人のある


 
 こんな笑顔持っていたのか子は君に追いかけられて抱きあげられて


 いのちとは心が感じるものだからいつでも会えるあなたに会える


2014年1月 8日

読書日記「冬虫夏草」(梨木果歩著、新潮社刊)

冬虫夏草
冬虫夏草
posted with amazlet at 14.01.07
梨木 香歩
新潮社
売り上げランキング: 1,996
 この年末、年始を読書三昧で暮らそうと、昨年末にかなりの本を買い込んだり、図書館で借りたりした。しかし、そのほとんどは本棚に収まったり、図書館に返されたりして、読み終えたのはほんの数冊。表題書はその1冊だ。

 自分のブログを検索してみたら、梨木果歩の著書、訳書のことを書くのは,今回でなんと6冊目。たぶん同じ著者では最多だろう。児童書、ファンタジーに分類されることが多い著書に、前期高齢者のじじいが飛びつくのもいかなるものかという気がしないでもないが、この人の名前を見ると読みたくなるのだからいかんともしがたい。

 表題書は、2004年に発売されて2005年の本屋大賞3位に入った家守綺譚 (新潮文庫)の続編。

 各章に木々や草花の名前がつけられているという構成も、綿貫征四郎という物書きが、行方不明になった友人・高堂の父親に頼まれた庭付き、池付きの一軒家に住み、自然界の「気」と交流するという筋書きも、約100年前の話しだという時代設定も引き継がれている。

 読んでいて、なんとなくホッとするのは、本のあちこちに出てくる植物についての記述だ。出てくる草花のほとんどを自宅に植えているという著者の真骨頂だろう。

 
 まだ赤茶が障った、芽吹いたばかりのの新芽が、午前の陽の光につやつやと光っている。
 思わず摘みとって口に入れたくなる。だがそう思うだけで摘みとりもしないし、口に入れもしない。入れたら苦いだろう。その苦さがいやだというのではない。春の雅趣があるだろう。が、察するだけで、今は充分だ。


 
 翌朝は打って変わって、雲一つ無い晴天。庭に出ると、ぽつぽつと、あちこちに薄青の、雨の名残のような滴が残っている、と見れば、それは露草であった。
 露草が湖面のような垂日をたたえて、いっせいに花開いた、今年最初の朝であった。 昨日の雨はこの青を連れてきたのかと合点する。


 
 帰りは久しぶりに吉田山を越えた。頂上近く、稲荷社に向かう参道には、列なす鳥居の足下に、延延と彼岸花が咲いていた。それが風に揺れるさまは、まるで松明の焔が揺らぐよう、道行きの覚悟を迫りながら辺りを照らしているかのようだった。しかしそれはあの気味の悪い稲荷社へ行く者へ迫る覚悟だろう。


 
 ――あの花は、なんというのですか。
 薄茶の繊細な造りの花が、まるで野辺のタンポポのように辺りに群生をつくっていた。
 ――あれは マツムシソウです。私の一番好きな花。西洋の天国の夢のようでしょう。それからあの雲。あの雲は、まるで大礼の烏帽子を被った神官のよう。


 表題の「冬虫夏草」については、訪ねて来た大学時代の友人で、菌類の研究者である南川が説明してくれる。

 
 ――サナギタケとは何だい。
 ――冬虫夏草だよ。漢方では珍重されている薬になる。だが、漢方で使う本物は支那の奥に棲みついているコウモリガの蛹の変化した物だ。こんなところで出るのは別種のやつだ。
 それがこの辺りで異常なくらいに大発生しているのだ。それも、冬虫夏草には違いないがね。


 死んだはずの高堂も時々、前著と同じように床の間の掛け軸の向こうからやって来る。

 
 ――おどかすな。来たら声をかけろ。・・・
 ――秋も老いた。 と(高堂は)呟いた。秋がオータムの秋であることを了解するのに暫し時間を要した。
 ――秋も老いるかね。秋が老いたら、冬ということではないか。
 ――いや、まだ冬ではない。秋が疲れているのだ。家の垣根の隅で、野菊の弱弱しく打ちしおれているのに気づいていないか。


 自然の「気」にもしばしば出会う。

  
 夜半、ふと水音のした気がして目が覚めた。
 起きて勝手へ行くと、だいぶ傾いた月の明かりが吹き抜けの高い窓から差していて、流しに置いたままにしていた木地皿を照らしていた。よく見ると、皿の真ん中が波紋のように揺らいでいる。目をこすってさらによく見ると、そこから小さな魚がちゃぼんと跳ね、再び皿のなかに吸い込まれて消えた。消えた後はいつもの皿に戻っている。・・・
 「水の道があるのだ」
 南川が云った言葉を思い出した。


 行方不明になった飼い犬のゴローを見つけに鈴鹿の山中に分け入り、河童の少年や風に乗って飛ぶ天狗に出合い、イワナの夫婦がやっている安宿に泊まり、いくつもの不思議な体験をする。

 イワナの夫婦は急に立ち去ることになり、宿屋は河童の少年とふもとの宿屋で仲居をしている母親の河童と一緒に山に行ったまま帰らない父親を待つことになる。

 さらに山深く分け入り、竜神の滝という壮大な瀑布に見入る。
 高堂はこの滝に消え、ゴローは高堂を助けてなにかの役目をはたしていたらしい。  向こう側の斜面に動くものを見つける。

 
 大声で、ゴローと叫ぶ。・・・斜面を駆け下り、渕に飛び込んで走って来る。・・・
 来い。
 来い、ゴロー。
 家へ、帰るぞ。


 (おわり)

 (追記)

   2008年に著者の本 「西の魔女が死んだ」のことを書いたブログでふれた「家守綺譚の植物アルバム」のURLが変わっていた。
 相変わらず、すばらしい木々や草花の写真集だ。近いうちに「冬虫夏草の植物アルバム」もUPされることを期待したい。

2013年12月 3日

読書日記「土と生きる 循環農場から」(小泉秀政著、岩波新書)

土と生きる――循環農場から (岩波新書)
小泉 英政
岩波書店
売り上げランキング: 17,833


 半年前ほどから、長野県小川村から有機野菜のダンボールの小さな箱が2週に一度届くようになった。おかげで独居老人の食生活が大きく変わりつつある。

 これまでは、冬は鍋物、夏は炒め物などでごまかしていたのだが、最近はカブの甘酢漬け、ニンジン、ジャガイモ、サラダ菜と軽く炒めたベーコンのサラダ、カボチャと鶏肉のクリームスープ、大根と厚揚げ、ゴボ天の炊き合わせ。冬瓜は大きく切りすぎて豚肉との炒め物はちょっと失敗。先週届いたビーツには、ウーン!どう向かい会うか・・・。

 届けてくれるのは、いとこの娘さん夫婦。なんと、ご主人は大手建設会社をあっさり辞めてしまい、3人の子供を含め家族で数年前に信州に移住してしまったのだ。
 いとこによると「かっこいいシティボーイだったが、すっかり農家の主人らしい顔になってきた」

 1948年生まれの著者は、成田国際空港建設反対運動に参加したのをきっかけに千葉県成田市三里塚に移住、地元農婦の養子になった。「循環農場」と称する里山の落ち葉などを使った微生物農法で有機野菜を消費者に産地直送する「ワンパック(セット詰め)」販売のさきがけとなって30年になる。

 ダイオキシン、ゴミは出したくないと、ビニールハウスやトンネル、ポロマルチを使わなくなって10年にはなる。

 苗床は、落ち葉に水をかけながら踏み込んでいき、その発酵熱を利用する。ある日、落ち葉の上にかぶせた古い毛布をめくってみると、ミミズたちがニョロリと顔を出し、落ち葉はミミズたちに分解されてボロボロ状態のいい堆肥になっていた。

 
「これは大発見! ミミズが山からやって来た」


 茅ぶき屋根の建物が解体される聞き、大型トラックに山盛り7台分ほどの茅を運んでもらったことがある。

 近所の農家の人には「堆肥になるには3年はかかるぞ」と言われたが、出荷の度に出るネギや里芋のひげ根、葉物の枯れっ葉などの野菜くずをコンテナ3杯ほど茅の上に乗せていたら、1年もかからずに茅の堆肥ができた。
 ほかにも、三軒分の茅屋根からでた茅が大きな堆肥の山となっており「ポカポカと湯気をだし、循環農場の未来を温めてくれている」

 猛暑の夏の時期、近所の畑ではスプリンクラーがフル回転し、軽トラックで水が運ばれる。しかし、著者は野菜の生命力を信じ、水を与えない農業を続けてきた。

 照り続ける太陽に、サニーレタスは外葉から枯れていき、モロヘイヤの苗も力なくうなだれていた。
 不安な日々が何日も続いた後、わずかに残ったサニーレタスの中心の葉に赤味がよみがえった。

「地中にある命の水をつかみとったという知らせだった」


モロヘイヤの苗も息を吹き返してきた。植えた時と大きさは変わらないが、強じんな姿をしている。

 
「野菜は強い、すごい、どこにそんな力を秘めているのだろうか。・・・ありがとう野菜たち」


 10数年も耕作していない畑を借りることにした。農薬の残留がない安全な土地で、特に化学物質過敏症のユーザーのための畑に適していると思ったのだ。
 できた葉物や里芋を、化学物質過敏症の人に送った。その人は、届いた箱をあけるなり、入っていた小松菜にかじりついたという。「これは無肥料畑で育ったのです」というメモは食べた後で見た、という便りが届いた。

「メモより何よりも、その小松菜が化学物質過敏症の方に飛びついていったのだ」


ある本から学び、トラクターの耕運を控えることにした。重量のあるトラクターを畑に入れる事によって、畑は踏み固められ、更に煩雑に土をかき混ぜることによって、土の中の世界を壊してしまうことになる。トラクターの使用を最低限に抑え、それに代わるものとして、軽量の管理機の活用、さらに除草の道具の開発が目標になった。次に、落ち葉、あるいは落ち葉堆肥で、土の表面を覆うことだ。地表を裸にしない事によって、土壌に生きる土壌生物、微生物、菌類達は活発に働くことが出来る。・・・米ぬか発酵肥料の量を少な目にし、落ち葉堆肥主体の栽培に持っていく。

そんな畑を実現させようとした矢先、福島の原子力発電所の大事故が起きた。

「ここから地続きの場所で起こっている痛ましい惨状、目に見えない放射能物質に対する恐れと不安。・・・野菜を会員の人々にいいものかどうか、迷う日々が続いた」


菜っ葉やキャベツなどの検査では、検出限界5ベクトル/kgで不検出だったが、東北から関東一帯、汚染されていることは事実で、安心、安全という言葉は使えなくなった。

妊娠されている人や育児中の人々など、会員をやめざるをえない人々が続出した。

「電話の向こうで涙を流される若いお母さんもいて、何もできなかったことを申し訳なく思った」


 原発事故以前に集めた落ち葉堆肥の山が、間もなく使い終わる。

 秋から春にかけての、野菜の出来が思わしくない。・・・踏み床温床用に集めた落ち葉を、ある程度腐熟させてから測定してみたら、330ベクトル/kgだった。国の指針では堆肥として使用できる範囲内の数値ではあるが、まだ使用しようという気にならない。

「被災地の方々が語る『一歩ずつ』という言葉が、とても身にしみる冬だった。失ったものは多いけれど、ここから一歩ずつ、気のついたことを一つずつ進めていくしかない。この夏、その続きの秋、冬を目ざして」


2013年9月 4日

読書日記「森の力 植物生態学者の理論と実践」(宮脇 昭著、講談社現代新書)

森の力 植物生態学者の理論と実践 (講談社現代新書)
宮脇 昭
講談社
売り上げランキング: 19,493


 横浜国立大学名誉教授の  著者は、85歳の現在まで、ポット苗という40年前に発案した植樹法で国内外1700カ所に4000万本もの木を植え続けてきたという驚異の人。

 最近は、東北被災地の再生に取り組む 公益法人「瓦礫を活かす森の長城プロジェクト」副理事長や 「いのちを守る森の防潮堤推進東北協議会」名誉会長として「120歳まで生きて、このプロジェクトの完成を見届けたい」と、人々に勇気を与えずにはおれないエネルギーあふれた活動をしている。

 著者はまず、ボランティアによって植樹された東北被災地の30年後の「ふるさとの森」へと案内してくれる。

 
ひときわ目立つ背の高い樹は、タブノキ。多数の種類の樹種を混ぜて植樹する「混植・密植型植樹」という宮脇理論によって、シラカシ ウラジロガシ アカガシ スダジイも見事に育っている。

 森の中に入ってみる。

 タブノキなどの高木が太陽の光のエネルギーを吸収するため、森の中は薄暗い。
 そのなかでも、 モチノキヤブツバキ シロダモなどの亜高木が育っている。

ヒサカキ アオキヤツデなど、海岸近くでは シャリンバイ ハマヒサカイなどの低木も元気いっぱいだ。トベラの花からは甘い香りが漂ってくる。

 足元には ヤブコウジ テイカカズラ ベニシダイタチシダ ヤブラン ジャノヒゲなどの草本植物が確認できる。


 著者が、長く学んだドイツには「森の下にもう一つの森がある」ということわざがあるという。「一見すると邪魔ものに思える下草や低木などの"下の森"こそが、青々と茂る"上の森"を支えている」という意味だそうだ。

  自然植生の森には、人間の手が入る必要はない。森に生きる微生物や昆虫、動物の循環システムが確立しているからだ。

 しかしこれまで我々は、森林従業者の老齢化と安い輸入ない南洋材におされて、マツ、スギやヒノキの森の下草刈りなどが行われず、森が荒れてしまったと、様々な機会に聞かされてきた。

 著者によると、マツ、スギ、ヒノキなどの針葉樹林は、第二次大戦後の木材需要に対応するための人工林。その土地になじんだ自然植生でない 代償植生であり「極端な表現を許されるなら、ニセモノの森」である、という。

 「もともと無理をして土地本来の森を伐採してまで客員樹種として植えられてきたスギ、ヒノキ、カラマツ、クロマツ、アカマツなどの針葉樹。その土地に合わないために、下草刈り、枝打ち、間伐などの人間による管理を止めた途端に、 ネザサ、ススキ、ツル植物の クズ ヤマブドウ、などの林縁植物が林内に侵入繁茂します。そのため山は荒れているように見えるのです」

 マツ、スギなどの針葉樹は、成長が早いかわりに自然災害や山火事、松くい虫などの病虫害を受けやすい。最近、大きな問題になっている花粉症も「あまりに多くの針葉樹が大量に植えられたことが影響しているのではないか」と、著者は疑う。

7万本の松原が津波に襲われ、たった1本残った松も枯れてしまった。;クリックすると大きな写真になります。" P1080967.JPG;クリックすると大きな写真になります。
7万本の松原が津波に襲われ、たった1本残った松も枯れてしまった。 高田松原再生を願う横幕。マツの替わりにタブノキを植える動きも、全国各地で見られるという。
 昨年、東北へボランティアを兼ねた旅に出かけた際、陸前高田市の海岸に植えられていた約7万本の松林が見事に津波に打ち倒された荒漠とした風景を目にした。

 近くの橋には「国営メモリアム公園を高田松原へ」という大きな横幕が張られていた。松林を再生しよう、というのだ。

 著者は「確かに クロマツは海辺の環境に強い。・・・人がしっかり管理し続けられるところでは、必要に応じて今後もマツ、スギ、ヒノキをよいと思います」と言う一方「東日本大震災を経験したいまこそ『守るべきは、人為的な慣習・前例なのか、・・・景観なのか。それともいのちなのか』を考えてみる必要があるのではないでしょうか」と語っている。

 著者は、日本の土地本来の主役である木々が、人々の命を救った例をいくつかあげている。

 昭和51年10月に起きた山形県酒井市の大火で、 酒井家という旧家に屋敷林として植えられていたタブノキ2本が屋敷への延焼を防ぎ、同市では「タブノキ1本、消防車1台」を合言葉に植林運動が続けられている、という。

 対象12年9月の関東大震災の時には、「 旧岩崎別邸の敷地を囲むように植えられていたタブノキ、 シイ カシ類の常用広葉樹が『緑の壁』となって、(逃げ込んだ)人々を火災から守った」

 平成7年1月の阪神大震災の際、著者は熱帯雨林再生調査のためにボルネオにいたが、苦労して神戸に入った。

 長田区にある小さな公園では常緑広葉樹の アラカシの並木が、その裏のアパートへの類焼を食い止めたことを目にした。
 鎮守の森
の調査でもシイノキ、カシノキ、モチノキ、シロダモなどは「葉の一部が焼け落ちても、しっかり生きていた」
  神戸市の依頼で植生調査をしたことがある六甲山の高級住宅地の上にある斜面でも「土地本来の常緑広葉樹のアラカシ、ウラジオガシ、シラカシ、 コジイ、スダジイ、モチノキ、ヤブツバキなどが元気に繁っていた」

img1_04.jpg 平成13年3月の東日本大震災の直後に、なんどか調査に行った。仙台のイオン・多賀城店の近くでは、平成5年に建築廃材を混ぜた幅2,3メートルのマウンド(土手)の上に地元の人と一緒に植えたタブノキ、スダジイ、シラカシ、アラカシ、ウラジオガシ、 ヤマモモなどの木々は「大津波で流されてきた大量の自動車などをしっかり受け止めでもなお倒れていなかった」

 土地本来のホンモノの樹種は、深根性、直根性、つまり根を深く、まっすぐ降ろして、その下にある石などをしっかりつかむため、家事や地震、洪水にもびくともしない。

 著者は、すべて瓦礫と化した被災地に言葉を失ったが「この瓦礫は使える」とも確信した。東北の本来種であるタブノキなどを植樹すれば、深く根を降ろし、埋めてあった瓦礫をしっかりつかんで、大津波も防いでくれる。それが、冒頭に著者が30年後の世界として案内してくれた"自然植生の森"なのだ。

 海岸などに瓦礫を混ぜたマウンド(土堤)をつくり、ボランティアの人々が拾い集めたドングリで育てたポット苗を植林する。「瓦礫を活かす森の長城プロジェクト」による小さな森が、こうして東北各地で少しずつ育ち始めている。



2012年9月21日

読書日記「風の島へようこそ」(アラン・ドラモンド著、松村由利子訳、福音館書店刊)「ロラン島のエコ・チャレンジ」(ニールセン北村朋子著、野草社刊)



風の島へようこそ (福音館の科学シリーズ)
アラン・ドラモンド
福音館書店
売り上げランキング: 173135

ロラン島のエコ・チャレンジ―デンマーク発、100%自然エネルギーの島
ニールセン北村朋子
新泉社
売り上げランキング: 133868


 2冊とも、風車などで「自然エネルギー100%自給」を実現したデンマークの島の話しである。

 「風の島へようこそ」は、変形版40ページの絵本。舞台は、デンマークの首都コペンハーゲンから西100キロの海峡にある面積114平方キロ、人口4300人の小さな島、 サムソ島だ。  
あるとき、デンマーク政府が1つの計画を思いつきました。
 どこかの島をえらび、そこでつかうエネルギーをすべてその島でつくろうという計画です。そして、いくつかの島の中から、わたしたちの島がえらばれたのでした。


 この計画のリーダーになったのが、この島で生まれ育ち、島の中学校で環境学を教えていた ソーレン・ハーマンセンさん(現サムソ・エネルギー・アカデミー代表)(52)。
 ソーレンさんの提案に、こどもたちはわくわくした。「でも、おとなたちがわくわくしはじめるには、もうちょっと時間がかかりました」  
ある日、電気工のブリーアン・ケアさんが、ハーマンさんをよびだしました。
 「うちに中古の風車をとりつけたいと思うんだ」


 ある夜、激しいみぞれまじりの雪が降り、停電になった。  
でも、ケアさんの家には、あかりがついていました。「停電なんてへっちゃらだ!」
 ケアさんは大きな声でいいました。「家の風車は動いている!電気をつくっているんだ」
 小さな風車は、ぶんぶんとたのもしい音をたててまわっていました。


 これがきっかけで、島民たちの自然エネルギー熱に火がついた。銀行から融資を受けて大きな風車を建て、法律による電力の固定価格買い取り制を使って電力を電力会社に売る人が出てきた。農場に太陽パネルを並べて電力をまかなう人、ナタネから採った油でトラクターを動かす人・・・。島にたっぷりある藁や木片を燃やすバイオマス暖房プラントが立ち上がり、環境保全に目覚めて電気自動車や自転車に乗る人が増えた。  現在、島には1メガワットの風力発電が11基稼働しており、島内の全電力需要をまかない、洋上にある2メガワットの風力タービン10基も、売電で年率6-7%の利益を生み出している。

 今や、サムソ島は「エネルギーの島」として世界的に有名になり、日本のNHKなどの取材が絶えない。

 ソーレン・ハーマンセンさんも、福島原発の事故以降しばしば訪日し、講演やインタビューなどをこなし「自然エネルギー100%」を推奨している。

 「ロラン島のエコ・チャレンジ」の舞台となっているロラン島は、サムソ島と同じ「自然エネルギー100%自給の島」。 著者は、ロラン島にデンマーク人の夫、小学生の息子と住む日本人環境ジャーナリストだ。

 この島は、約1200平方キロ、人口約6万9000人とサムソ島に比べるとかなり大きく、可動橋で結ばれている東隣の ファルスタ島と合わせると風車は陸上、洋上を合わせて550基以上もある。つくられた電力の一部は、首都コペンハーゲンまで供給されている、という。

 著書には、1973年のオイルショックで政府は一時、原発推進を決め、ロラン島も原発2つの建設予定地の1つだったことが書かれている。しかし、島民など国をあげてての根強い草の根運動で政府は原発を断念、それがデンマークを再生可能エネルギーの先進国にしたきっかけになった。

 大きかったのは、政府が「原子力政策推進」のために設置したはずの「エネルギー情報委員会(EOU)が、原発建設論議で公平な活動を貫いたことだった。

 著者は、こう書く。  
EOUの事務局長であったウフエ・ゲアトセンが、インタビューで語ってくれた言葉が、私たち日本人にとってはとても心に響く。
 「日本は今、エネルギー問題について考える重要な岐路にある。日本にとって大事なことは、公平な第三者委員会を立ち上げて正しい情報を提供、共有し、原発やそれ以外のエネルギーや社会について、国民と共にホリスティックに議論することだ。そこで重要なのは、見識者、専門家は 『独立した』『政府や権力の息のかかっていない』『中立的な立場』 の人選をすること。それなくして、公正な議論は成り立たない」
 はたして、今の日本は、そういう選択ができているだろうか。


 ロラン島はかって造船で栄えた街だった。それが、日本などに追われて造船業が衰退、周辺地域も含めて地形がバナナに似ていたため、長く「腐ったバナナ」と呼ばれていた。それが、廃業した造船所跡に風力発電機メーカーを誘致、自然エネルギーのメッカになることで「グリーン・バナナ」と名前を換えた。

 しかし、今回の金融危機や中国など新興国の追い上げで、人件費の高いデンマーク経済は苦境に陥り、風力発電機メーカーも大幅な工場閉鎖、人員閉鎖に追い込まれた。

 しかしロラン島自治体は、2つのプロジェクトで「自然エネルギー先進国」の看板をさらに推進しようとしている。  1つは、風力発電機メンテナンスの専門技術者を育てる職業訓練学校を設立するなど環境関連ビジネスの推進、もう1つは燃料電池で熱と電気をまかなう水素プロジェクトの開発だ。

 在デンマーク日本大使館の 住田智子さんのレポートによると、バルト海に浮かぶ デンマーク・ボーンホルム島でも「ブライト・グリーン・アイランド戦略」というプロジェクトを展開、「カーボン・ニュートラル」を目指している。

 日本にも 「エネルギー自給100%を目指す島」がある。

 対岸の原発建設計画に反対し続けている瀬戸内海、 祝島の住民が、 「祝島 自然エネルギー100%プロジェクト」を推し進めている、という。

 「エネルギー自給100%を目指す」のは、小さな島でしかできないのだろうか。

 絵本「風の島へようこそ」に、こんな1節がある。  
ちょっと考えてみてください。
 地球は、宇宙にうかぶ、とても小さな島みたいなものです。
 だから、あなたがどこの国の人であっても、
 わたしたちと同じように「島にすむ人」だと考えていいと思います。
 地球という島を守るために、あなたのできることがあるはずです。


 日本も、地球に浮かぶ島の1つ。そして揺れ動く岩盤と活断層の上の薄い地表に、 54基もの原発を建ててしまった。

 もし原発のメルトダウンが再度、起きたら 「日本沈没」 ディアスポラ(民族離散)・・・。

 ※参考にした本
 ▽「グリーン経済最前線」(井田徹治、末吉竹次郎著、岩波新書)
 共著者の1人、井田徹治さんは、表題の絵本「風の島へようこそ」でも、巻末解説を書いている。
 サムソ、ロラン島をはじめ「21世紀に目指すべき自然環境と調和した新しい『グリーン経済』への胎動を紹介している。
グリーン経済最前線 (岩波新書)
井田 徹治 末吉 竹二郎
岩波書店
売り上げランキング: 30055


   ▽画集「井上よう子作品集」( 井上よう子著、 ギャラリー島田刊)
 兵庫県西宮市在住の画家だが、長年デンマークに滞在していた。その作品の多くに風車が描かれる。深くすんだ青い色調のなかにとけこんだ風車がなんとものびやかで、たくましくみえる。
 この6月にギャラリー島田で開かれた 展覧会に出かけた。作品はとても買えなかったが、求めた画集を時々めくりながら、1昨年、デンマークで聞いたのと同じ風車の音が聞こえてきたような気がしている。



Amazon でのお買い物はこちらから