船橋 洋一
文藝春秋
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著者とはちょっと面識がある。ご本人は覚えておられないだろうが、現役の経済記者だったころ、東京・某中央官庁の同じ記者クラブに所属していた。
ずっと大阪にいたので「東京はすごい記者がいるなあ」と驚愕かつ恐れを持ったものだが、著者はそのなかでも抜きん出ていた。
確か、京都で国際会議があった際、先斗町の飲み屋で一緒に軽くやった記憶もあり、元ボンクラ記者のなれのはてながら、その活動ぶりには注目していた。
最近は新しい著書を見かけないなあと思っていたら、すごい仕事をしておられた。
福島原発事故の後、シンクタンク
「財団法人 日本再建イニシアティブ」を設立し、この事故を民間の立場で検証する
「福島原発事故独立検証委員会(民間事故調)」を立ち上げた。
著者は「あとがき」で書いているように、民間事故調のレポートを出した後も、日本の危機管理のあり方に危惧感を持ち、自ら取材を始めた。
たまたま先月、東京の日本記者クラブで開かれた著者の講演を録画した
YouTubeのなかでも本にした意図を話しておられるので、それらに沿って、この上・下計450ページにわたる大著をひもといてみた。
著者はこの著者やいくつかのインタビューで「政府(官邸、官僚機構)のなかに、リスクに対応するガバナンス(統治能力)、リーダーシップが欠けていた」と、何度も繰り返している。
午後5時40分。NHKが、福島第一原発の2基の原子炉冷却装置が停止したと報道した。・・・
菅(直人・首相)は、誰彼なしに、質問を浴びせた。
「おまえら、この電源が止まったということがどれほどのことかわかっているのか」
「大変なことだよ、これは。チェルノブイリと同じことだぞ」
その言葉を、うわごとのようにくり返した。
下村(健一・内閣官房審議官)は、メモの余白に書いた。
「菅に冷却水必要」
池田(元久・経済産業副大臣・原子力災害現地対策本部長)は、深く感ずるものがあった。
(政治指導者に必要なのは大局観だ。いま、日本が直面しているのは福島原発事故だけでなく地震・津波もある。すべて人々の生存の可能性が高い初動の72時間が勝負だ。そういうときは、総理はどんと構えて、司令塔の役割を果たさなければならない。総理たるもの、所作、言動、言葉遣い、それなりの風格がなければならない。それがこの人には感じられない)
このブログでもふれたことがある俳人・長谷川櫂の
「震災歌集」に、こんな和歌があったのを思い出した。「かかるときかかる首相をいだきてかかる目に遭う日本の不幸」
しかし著者は同時に日本記者クラブでの講演で「(管首相には)東京電力を福島から絶対に撤退させないという動物的生存能力があった」とも評価している。
ガバナンスとリーダーシップのなさは、それまで我が国を代表する大企業と見られていた東京電力社内でもすぐに露呈した。
吉田(昌郎福島第一発電所所長)は、所長席脇の固定電話にかかってきた電話に出た。
武黒(一郎東京電力フエロー、元副社長で官邸との連絡役)はいきなり、言った。
「おまえ、海水注入は」
「やってますよ」
武黒は仰天した。「えっ。おいおい、やってんのか。止めろ」・・・
吉田がいまさら止めるわけにはいかないと言い張ると、武黒はいきり立った。
「おまえ、うるせえ。官邸が、もうグジグジ言ってんだよ」・・・
吉田は(指揮命令系統がもうグチャグチャだ。これではダメだ。最後は自分の判断でやる以外ない)と割り切ることにした。
当時の社長、
清水正孝は"フクシマからの撤退"の言質をなんとか政府から得ようと、海江田万里・経済産業大臣に何度も電話で連絡をとろうとした。仮に、放射能による死者が出た場合に訴訟で訴えられるのをおそれたからだといわれる。
(清水は)「退避を考えなければならなくなるかもしれません」という内容を言葉少なに話した。
ボソボソ話したかと思うと、黙ってしまう。
「あー、そうですかあ」と相づちとも何とも言えない言葉を埋め草のように差し込む。
「ぜひ、ご了解いただきたいと思いまして」
そう清水が言ったのに対して、海江田は、「それはないでしょう」と突き放し、電話を切った。
清水は、枝野幸男官房長官にも同じような電話攻勢をかけた。
枝野は、撤退には難色を示したが、清水はねばった。
「いや、でも何とか。とても現場はこれ以上持ちません」
枝野は、逆に聞いた。
「そんなことをしたらコントロールができなくて、どんどん事態が悪化をしていってとめようがなくなるじゃないですか」
清水は口ごもった。
本店の言い分だけでは、現場がどうなっているのか皆目見当がつかない。枝野は、福島の吉田所長に電話した。
「まだやれますね」
「やります。がんばります」
電話を切った枝野は憤激した。
「本店の方は何を撤退だなんて言ってんだ。現場と意思疎通できていないじゃないか」
東電の企業体質を如実に表す、管首相と東電会長・勝俣恒久のやりとりも記録されている。
「おまえ、死ぬ気でやれよ」
勝俣(恒久東京電力代表取締役会長)が答えた。
「わかっています。大丈夫です」
「子会社にやらせます」
「子会社に」
その言葉に、寺田(学・内閣総理大臣補佐官)は驚愕した。
日本記者クラブで著者が話した「日米同盟がどう対応したか」というテーマは、下巻の最初で展開される。ホワイトハウスはじめ米国側に強いネットワークを持つ著者の真骨頂だ。
米国海軍のシュミレーションだと、風向き次第では、ブルーム(放射性雲)が東京にも届く可能性を示していた。
15日朝。横須賀にいた空母ジョージ・ワシントンの放射線センサーが鳴った。
震災後、いち早く三陸沖に到達した空母ロナルド・レーガンはセンサーが鳴ったとたんに離脱し、その後二度と近づかなかった。
空母ジョージ・ワシントンも、ただちに出港の態勢に入った。
「米海軍関係者」としか著者が書いていない匿名談話が載っている。
「これらについても米国の同盟維持へのコミットメントの観点からは、ちょっとどうかという見方もあるだろう。自分もロナルド・レーガンに乗っていたが、沖の方遠くへと離れる時は個人的には申し訳ないと思った」
「しかし、空母というのは米国の国家防衛の王冠のようなものなのだ。もし、空母が放射能汚染された場合、世界を回ることができなくなる。各国ともわれわれを追い返すだろう。アクセスが難しくなるもしそうになつた場合、国家安全保障上の大問題となる。ウイラード海軍大将(ロバート・ウイラード米太平洋軍司令官)はその点を早くから見抜いていた。この問題は今日だけの問題ではない。それは向こう30年、40年に及んで深刻な影響をもたらす、それを彼は怖れたのだ」
一方で米軍は、JSK(統合支援部隊)が行うトモダチ作戦の司令部を設け日米共同で除染作戦をした。
米国務省も、日本側と支援のための協議を続けた。しかし、日本側の態度はかたくなで、情報が伝わってこなかった。
情報なしに支援はできない。
日本は支援される作法を知らないのではないか。
「『Trust us(信じて)』と言われても、こちらは支援できない。・・・」
米国務省高官(これも匿名)は、そう言った後、つけ加えた。
「二国間同盟でもっとも緊張するときというのは、われわれは相手の中に本当のところは入れてもらっていないのではないかと疑い、苦悩するときなのだ。日本側は(炉や燃料プールの状況を)知らないのか、それとも知っているのに何かの理由でわれわれと共有しょうとしないのか、われわれはそれもわからなかった」
米政府は、危機の過程で「政府一丸(whole of government)で対応してほしい、と何度も求めた、という。
「日本政府は統治能力を欠いているのではないか。と彼らは怖れたのである」
海上自衛隊将校の1人はこう述懐した。
「有事のときのアメリカ、それはない。そのことを思い知った。いざというとき、アメリカは逃げる。軍属の安全をタテに逃げるだろう。日本の安全、アメリカが最後の頼り、それもない、それらはすべてフィクションだった」
「アメリカがホコ、日本がタテ、といった役割分担、それは現実には起こらない。日本がホコにならない限り、アメリカは日本を助けに来ない」
官邸内では「最悪のシナリオ」について、様々な"イメージ"が飛び交っていた。官邸スタッフの1人は、こう語ったという。
「原子炉の中の水が減ってきて、燃料棒がばたんと倒れたら、原子炉の底が抜けて核物質がドーンと落ちる。コンクリートを突き破って、いずれ地下水に至れば、そこで大水蒸気爆発。そうなればチエルノブィリだ。福島第一、第二あわせて10機の炉が吹っ飛ぶことになる。総理は『そうなれば、東アジア全体が大変なことになるんだぞ』と、おっしゃっていた。大規模核汚染をわれわれは本当に心配していた」
伊藤(哲朗)は、内閣危機管理監として「官邸機能の維持」に責任を持っている。
(関西地方に逃げる以外ない。ホテルを借り切って、そこで一時的にしのぐ以外ないのではないか)
そんな考えが頭をよぎつた。
それから、天皇皇后両陛下に避難していただかなくてはならない。
(こちらは九州まで足を延ばしていただくことになるかもしれない)
原子炉の内部を探索するのに、米国製のロボットが活躍した。しかし「ロボットは、日本のお家芸ではなかったのか」という疑問が著者の頭から消えなかった。取材の結果、こんなことが分かった。
米国では電力会社が、原発事故対処用のロボット開発のパトロンとなったのに対して、日本では、電力会社がロボットは安全神話を毀損するものと警戒し、抑えつける側に回った。結局、原子力災害用のロボット開発には補正予算を一回つけたきりで終わった。
補正一度限りにするため、「維持費も大変」という理由をつけた。
政府もまた、電力会社に追随し、一緒になつて安全神話を担いだのである。
今回の福島原発事故から得た教訓は、管(元首相が)が、2012年5月の「国会事故調」で述べたことに尽きるのではないか。
そんな思いからだろうか。そこでの管の証言でこの本は終っている。
「かつてソ連首相を務められたゴルバチョフ氏がその回想録のなかで、チェルノブイリ事故は我が国体制全体の病根を照らし出したと、こう述べておられます。私は、今回の福島原発事故は同じことが言える。我が国の全体のある意味で病根を照らし出したと、そのように認識をいたしております」
「戦前、軍部が政治の実権を掌握していきました。そのプロセスに、東電と電事連を中心とするいわゆる原子力ムラと呼ばれるものが私には重なって見えてまいりました。つまり、東電と電事連を中心に、原子力行政の実権をこの40年間の問に次第に掌握をして、そして批判的な専門家や政治家、官僚は村のおきてによって村八分にされ、主流から外されてきたんだと思います。そして、それを見ていた多くの関係者は、自己保身と事なかれ主義に陥ってそれを眺めていた。これは私自身の反省を込めて申し上げておきます」
チェルノブイリ事故をきっかけにソ連が崩壊したことは、以前にこの
ブログでやはりふれたことがある。
はたして日本は、このまま崩壊していくのか。それとも放射能汚染のない新しいステージに向けて再出発する勇気と決断を持つことができるのか?
著者は、日本記者クラブでの質問に答えて、これからの危機管理で長期的に考えなければならないのは、人口問題、国債問題、そして福島事故の今後の3つだと答えた。
不毛の地となったフクシマを再生する責任は誰がどこまでとり、生活の場を奪われた人々の生活を以前のようにとりもどせるのか、原発再開の動きが知らない間に現実となろうとするなかで、今回の危機管理不在の状況を教訓とできるのか・・・。
そのことをぜひ続編で書いてほしいと、元ボンクラ記者は切に願う。
(付記)
日本記者クラブでの講演録画で聞いたある質問にア然とさせられた。
「著者が民間事故調でレポートを出してから、この本を書いたのはなぜなのか。ジャーナリストなら、最初からこの本を書くべきではなかったのか。やり方が"あざとく"みえる」
質問者は、筆者がいた新聞社の人らしいが「男のしっと」発言としか思えない。ジャーナリストを自称する人種のなかには、あまり品のよろしくない方もおられるようで・・・。