overseasアーカイブ: Studio YAMAKO

2025年11月10日

2025/8/16-24 熊野大花火大会と夏の高知・佐世保クルーズ ⑭ 終日航海日 韓国麗水から神戸へ_2 2025年8月22日 関門海峡⇒瀬戸内海 来島海峡

OCEAN FUJIは周防灘から瀬戸内海に入った。今日も良い天気だ。今回のクルーズでお日様を見ない日は無かった。午前中は瀬戸内海の景色を眺めながらのんびりと過ごした。
 船内見学をしてきていた婿殿に案内してもらって、誰もいない6F船首デッキへも行ってみた。小さなWhirlkpoolがあった。Whirlは渦巻のことか?

 船内のレストランや清掃業務などで働いている人たちはフィリッピンの人が多いようだ。みんな感じの良い人たちだった。乗船客サービスの従業員教育が行き届いているのだと思う。
 私たちの部屋を毎日のベッドメーキングや、掃除をしてくれている2人もとても感じの良い人たちだった。その一人の女性がタオルアート(バスタオルやハンドタオルを折りたたんで動物を作る)作品を掃除が終わった後、ベッドの上に置いておいてくれる。聞いてみたら自分で作ったのだという。

 OCEAN FUJIは瀬戸内海に入ると、11.8ノット(1ノット=1,852m毎時)の速度でゆっくりと航行する。夕方、5時半ごろ、どこを航海しているのか分からなかったが、見えてきた橋をヒントにいろいろ検索してみると、来島海峡に入ってきたのだと思う。しまなみ海道の来島海峡大橋が見えてきた。斜張橋の塔の形で間違いないと思った。来島海峡大橋は3つの橋からなる。

 夕食は4階のレストラン富士で、娘たちが和食を予約しておいてくれた。夕食後は8Fのプールサイドで行われた盆踊り会場へ行き、ワインを一杯飲んだ。お囃子は三日前にショウで聴いた小泉謙一さんと、篠笛は朱鷺たたらさんの太鼓と笛だった。

000_2508221550 X700 〇船首 瀬戸内海 G7X.jpg
Whirlpoolのある6Fの船首デッキ 2025年8月22日 MITSUI OCEAN FUJI

249_2508221486 X900 ◎関門海峡 Z50.jpg 249.関門橋を後に
関門橋を通り抜けた。船尾の方を見ると次々と大小さまざまな船が続いている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f10 1/500秒 18mm ISO220 )
250_2508221541 X900 22日朝 関門海峡 G7X.jpg 250.北九州市から離れる
周防灘(すおうなだ)に出る。周防灘は西は関門海峡から、北は山口県南岸、東は室津半島南端から屋代島(周防大島)に至る線で区切られる。南は大分県のアサギマダラの飛来で有名な姫島と山口県の祝島を結ぶ線を境界として伊予灘に接する。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5.6 1/1250秒 37mm ISO125 )
251_2508221545 X900 ◎22日朝 関門海峡 G7X.jpg 251.関門橋全容
9:00 東側から見る関門橋の全容が見られた。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/1250秒 37mm ISO125 )
252_2508221557 X300 〇瀬戸内海 10時50分 G7X.jpg 252.JOGMEC
変わった形をした船を見た。船体にJOGMECの文字が見えた。検索してみると、JOGMECとは石油天然ガス・金属鉱物資源機構のことだった。写真の船は資源調査船「白嶺(6,283トン)」で日本周辺海域に存在する海洋資源の探査・開発を加速するために、2012年1月、三菱重工グループの下関造船所で建造された。調査目的や海底の状態、地質の特徴に応じて選択して使用することが可能な日本初のドリルパイプやドリルカラーを継ぎ足しながら地層を掘削する大型掘削リグを2種類搭載されているそうだ。最近、小笠原諸島南鳥島沖の海底にレアアースを豊富に含む泥や岩石が分布していると話題になっている。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/1250秒 37mm ISO125 )
253_2508221559 X900 〇瀬戸内海 G7X.jpg 253.タオルアート
朝食のあと、11時ごろだったか、自室に戻ると部屋の掃除は澄んでいて、ベッドの上にタオルアートのウサギが置かれていて、その手はボールペンを握っていた。アンケートの記入依頼だった。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2 1/800秒 11mm ISO3200 )
254_2508221561 X900 瀬戸内海 13時40分 G7X_0000.jpg 254.航路図
13:40 北は山口県柳井市、西は大分県国東市、東は愛媛県西部の大洲市に囲まれた海域を航行中である。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 25mm ISO800 )
255_2508221564 X900 ◎瀬戸内海 3時40分 G7X.jpg 255.瀬戸内海の島々 -1
15時45分ごろ 船は柳井から今治に向かって航行中である。どこを航行しているのか良く判らないが時間的に見て、北は江田島、南は松山の西、八幡浜あたりの海と思う。遠くに見る煙突や町並みは何処だろうか?

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1250秒 37mm ISO125 )
256_2508221507 X900 瀬戸内海 15時45分 G7X.jpg 256.瀬戸内海の島々 -2
前の写真とほぼ同じ時刻に撮った。遠くに見る煙突や町並みは何処だろうか?航路図を丹念に見て、この船の航路を見ておけば、もっと詳しく判ったのに後の祭りである。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/1250秒 37mm ISO125 )
257_2508221514 X900 ◎瀬戸内海 G7X.jpg 257.16:46 瀬戸内海の島々
前の写真から1時間ほど経っている。呉市の沖あたりを航行中なのか? 瀬戸内海の島々は美しい眺めだ。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f8 1/1250秒 29mm ISO125 )
258_2508221516 X900 オーシャン倶楽部のバー G7X.jpg 258.8F プールサイドバー
8Fのオープンデッキへ行って見た。バーで一杯飲もうかと思ったが、もうすぐ食事の時間だ。棚に並べられているウィスキーボトルを眺めるにとどめた。残念ながら山崎などは並んでいない。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 17mm ISO200 )
259_2508221517 X900 瀬戸内海 中国中日国際輪渡フェリー 新鑑真 G7X.jpg 259.中国 中日国際輪渡フェリー 新鑑真
白い船体にCHINJIFと書かれた船が航行していた。どうやら中国の客船らしい。調べて見ると、この船は日中友好の架け橋となるべく、日中間に戦後初めての海の定期便として大阪・神戸から上海間をウイークリーで定時運航しているフェリーの新鑑真(しんがんじん)号らしい。wikipediaによると1994年に尾道造船で建造された。総トン数は14,543トン、156.67 mだそうだ。山下公園に係留されている氷川丸と同じくらいだ。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/1250秒 37mm ISO125 )
260_2508221497 X900 ◎瀬戸内海 17時27分 Z50.jpg 260.来島海峡大橋 -1
瀬戸内海に架かる大きな橋には、本州と四国を結ぶ瀬戸大橋と明石海峡大橋があるが、船はまだそこまでは進んでいない。この時の時間で見当をつけて調べていくと、広島県尾道市と愛媛県今治市を結ぶ、瀬戸内海に浮かぶ島々を7つの橋でつないだ全長約60kmの道の、いちばん今治寄りの来島海峡大橋であると推察できた。斜張橋の塔の形からも間違いなさそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/1000秒 140mm ISO200 )
261_2508221505 X900 〇瀬戸内海 Z50.jpg 261.来島海峡大橋 -2
来島海峡大橋は第一、第二、第三の三つの橋から構成される世界初の三連吊橋だそうだ。前の写真の橋が来島海峡第一大橋でこの写真の橋が第二大橋と思う。だが、どの橋の下を通過して来たのか記憶がない。見ていなかったのか、気が付かなかったのだろう。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/1000秒 140mm ISO200 )
262_2508221506 X900 〇瀬戸内海 17時30分 Z50.jpg 262.来島海峡大橋 -3
OCEAN FUJIは来島海峡大橋から遠ざかっていく。兵庫県側の来島海峡第一大橋が960m、第二大橋が1510m、愛媛県今治寄りの第三大橋が1570mである。来島海峡は関門海峡と共に瀬戸内海航路での難所だそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f10 1/500秒 46mm ISO200 )
263_2508221534 X900 〇5Fオーシャンバー 盆踊り 20時24分 G7X.jpg 263.8Fデッキで盆踊り大会
食事を終えた後、8Fのプールサイドへ行って見ると、三日前にショウで聴いた、小泉謙一さんと、篠笛は朱鷺たたらさんの太鼓と笛で、納涼盆踊り大会が行われていた。そこでは午後6時から「洋上の夏祭り」が行われていたようで、ソース焼きそばなどや台風の食事も用意されていた。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/160秒 9mm ISO3200 )

2025年11月 7日

2025/8/16-24 熊野大花火大会と夏の高知・佐世保クルーズ ⑬ 終日航海日 韓国麗水から神戸へ_1 2025年8月22日 麗水⇒関門海峡

クルーズもそろそろ終盤となった。
 朝7時15分、空は明るくなった。今日も良い天気のようだ。船は北九州・門司の北側の海を航行しているようだ。点在した島が見えるが何という島か分からない。対馬、壱岐を抜けて北九州に近づくようだ。
 PILOTボートが来た。ここから先は関門水先区となり、水先法に基づき、総トン数300トン以上の船舶(内航船を除く)が関門水先区内の特定の水域を航行する場合、原則として水先人の乗船が必要のようだ。偶然だったが水先案内人がPILOTボートから、OCEAN FUJIに乗り込むところを見た。

 海上に風力発電のファンが見えた。調べて見ると「北九州響灘洋上ウインドファーム」が工事中らしい。「国内最大級の洋上風力、北九州で25年度内稼働へ 風車組み立て進む」という日経の記事があった。ウインドファームには計25基の風車を設置する計画だそうだ。

 関門海峡に入る。門司の街が近くに見えるようになった。
昨日(8月21日)の午後5時に、韓国の麗水エキスポ旅客ターミナルを出港し約16時間で関門橋の下を通過した。

000_2508221478 X700 ◎関門海峡 Z50.jpg
関門橋の下を通過 2025年8月22日 関門海峡

230_2508221381 X800 麗水-神戸へ Z50.jpg 230.北九州響灘洋上ウインドファーム
会場に風力発電の風車が見えてきた。北九州響灘洋上ウインドファームは、ひびきウインドエナジー株式会社(北九州市)によって北九州市の響灘(ひびきなだ)地区で建設中である。2025年度中に運転を開始する計画だそうだ。年間発電量は約5億キロワット時の想定で、完成時点では国内最大級となるとのこと。風車は25基設置する計画で、風車の取り付け工事は2025年9月にも終了する見込みだそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f8 1/500秒 37mm ISO200 )
231_2508221386 X900 〇麗水-神戸へ 0730 Z50.jpg 231.北九州市の島々
地図に目を凝らして位置を探ってみた。北九州響灘洋上ウインドファームの周囲にはいずれも北九州市の男島(白島)、女島、ちょっと離れて藍島というのがあるが、どれがどれだか特定できなかった。この写真の島は、白島国家石油備蓄基地のある男島(白島)のようだ。wikipediaによれば、男島・女島ともに住民はおらず、島への定期航路はない。石油備蓄基地の関係者のみ滞在しており、関係者以外が島へ立ち入ることはできない。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.3 1/500秒 76mm ISO220 )
232_2508221395 X900 麗水-神戸へ 0740 7時40分 Z50.jpg 232.航路図 7:40 北九州市藍島の北側を航行中だ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f7.1 1/20秒 65mm ISO200 )
233_2508221398 X900 麗水-神戸 北九州響灘洋上ウインドファーム 0730 Z50.jpg 233.北九州響灘洋上ウインドファームの風車
響灘洋上に立ち並ぶ風力発電の風車。カメラは藍島の方から西の洋上を眺めている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f7.1 1/800秒 115mm ISO200 )
234_2508221401 X900 麗水-神戸 北九州辺り Z50.jpg 234.PILOTボート が近づく
ここから先は関門水先区となり、水先法により水先案内が必要のようだ。PILOTボートの船体に「みさご」というボートの名が描かれていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 44mm ISO220 )
235_2508221404 X900 麗水-神戸 北九州辺り 7時54分 Z50.jpg 235.PILOTボートがOCEAN FUJIに接近
7F客室のバルコニーから下を覗き込むと、「みさご」はOCEAN FUJIにぶつからんばかりに接近してきていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 32mm ISO400 )
236_2508221407 X900 ◎麗水-神戸 北九州辺り 7時54分 Z50.jpg 236.PILOTボートから水先案内人がOCEAN FUJIに
PILOTボートは速度を合わせてOCEAN FUJIに接触し、OCEAN FUJI は船腹のドアを開け、水先案内人が乗り移ろうとしていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 32mm ISO400 )
237_2508221411 X900 ◎麗水-神戸 北九州辺り Z50.jpg 237.PILOTボート 離れる
水先案内人がOCEAN FUJIに乗り移ると、「みさご」はすぐさま大きな波を立てて、全速力で離れていった。水先案内人の仕事が終わると、また迎えに来るのだろう。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f7.1 1/500秒 28mm ISO220 )
238_2508221419 X900 麗水-神戸 北九州辺り Z50.jpg 238.北九州工業地帯 -1
北九州沿岸が見えてきた。北九州工業都市は、八幡製鐵所(現新日鉄)の創業を機に発展した鉄鋼業を中心とする重化学工業地帯である。現在は鉄鋼・金属・化学工業が中心だが、かつて石炭産業が盛んだった筑豊炭田の衰退や素材型工業への偏重により、工業地帯としての地位は低下傾向にあるようだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/1000秒 140mm ISO200 )
239_2508221420 X900 麗水-神戸 北九州辺り 1730 Z50.jpg 239.六連島
この島は関門海峡の入り口にある六連島のようだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/800秒 140mm ISO200 )
240_2508221428 X900 〇麗水-神戸 北九州辺り 8時23分 Z50.jpg 240.北九州工業地帯 -2
北九工業地帯が近くなる。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f7.1 1/800秒 98mm ISO200 )
241_2508221434 X900 ◎北九州市小倉 Z50.jpg 241.北九州小倉
小倉のランドマークタワーになっているリーガロイヤルホテルが見えた。JR小倉駅の近くだ。現役時代九州を担当したので小倉へも良く行った。小倉城や九州の台所と言われる旦過市場も懐かしい。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/1000秒 140mm ISO200 )
242_2508221440 X900 ◎北九州 門司区Z50.jpg 242.関門海峡を航行
船は左に回り関門海峡の狭い海域に入っていく。門司の街が見えてきた。この特徴ある建物の写真は何処だろうと懸命に検索した結果、やっと、北九州市門司区松原にある「アモーレヴォレ サンマルコ」結婚式場だということが分かった。ヴェネチアのサンマルコ寺院と鐘楼を模した建物だ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/1000秒 140mm ISO200 )
243_2508221441 X900 ◎北九州 門司区Z50.jpg 243.門司港の近く
産業・貿易拠点として発展した「門司港レトロ」の近くを通る。門司港レトロは門司の繁華街だ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 140mm ISO200 )
244_2508221446 X900 ◎関門海峡 Z50.jpg 244.関門橋 -1
関門橋が見えてきた。昔は夜行寝台列車で関門トンネルを潜った。そのJR山陽本線の関門トンネルは、1944年に開通した(上り線)3,604.63m 、(下り線)3,614.04mで門司港の手前の海から掘られ、門司駅から山口県の下関駅に抜けた。新幹線では、1975年3月に見えている関門橋の少し先の海に18,713m(海底部は山陽本線のトンネルの1,140mより短い880m)の新しいトンネルが開通した。関門海峡には、関門橋と新幹線のトンネルの間に、もう1本トンネルがあり、それは国道2号線の1958年に開通した世界初の2階建て海底道路トンネルで、上部が車道、下部が歩行者用の人道になっている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/1600秒 140mm ISO200 )
245_2508221453 X900 ◎関門海峡 Z50.jpg 245.関門橋 -2
狭い海峡を順番に通過しようとしている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f8 1/1000秒 94mm ISO200 )
246_2508221460 X900 ◎関門海峡 Z50.jpg 246.関門橋 -3
水先案内人が乗船しているのだろうと思うが、OCEAN FIJI の左上の見張りデッキが出ている。調べて見ると関門海峡を通過する場合、北九州側から瀬戸内海方面へ抜けるときは。水先案内の出発地点は門司沖六連(むつれ)沖水先区またはその周辺から、関門海峡を抜け、周防灘の沖合まで案内するとのこと。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f8 1/1000秒 88mm ISO200 )
247_2508221470 X900 〇関門海峡 Z50.jpg 247.関門橋 -4
海峡の右側を通過する。航路内を右側通行することが、港則法施行規則で義務付けられている。これは、関門橋の下を通過する航路にも適用される。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f11 1/500秒 33mm ISO200 )
248_2508221473 X900 〇関門海峡 Z50.jpg 248.関門橋を通過
瀬戸内海に向かって関門橋(関門自動車道)の右側にある「めかりPA」は福岡県北九州市で、後ろ側は山口県下関市「壇之浦SA」になる。OCEAN FUJIは山口県側の海に入っていく。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f8 1/500秒 33mm ISO220 )

2025年11月 3日

2025/8/16-24 熊野大花火大会と夏の高知・佐世保クルーズ ⑫ 韓国麗水(ヨス)「空中散歩と港町散歩」_3  李舜臣広場 2025年8月21日 韓国全羅南道 麗水半島

麗水観光の最後は李舜臣広場である。海上ケーブルカーの柴山乗降場から、エレベーター乗り場まで橋を渡り下に降り、待っていてくれたバスに乗る。

 西へ進み、バスが着いた李舜臣広場は、最初に行った麗水魚市場のすぐ傍だった。どうやら私たちは魚市場から左回りで南に、そして突山大橋を東に渡り、突山乗降場から海上ケーブルカーに乗り北へ、柴山へ、そこからバスは西に走って、魚市場の近くへ、海岸沿いに一回りしてきたことになる。

 李舜臣広場は日本では文禄・慶長の役と言われる壬辰倭乱を勝利に導いた李舜臣将軍についての資料と当時活躍していた義兵の紹介など、歴史の現場を感じることができる亀甲船が置かれていた。
 亀甲船を見学した後、広場から賑やかな道をまっすぐ進むと、高台に李舜臣将軍が作戦を立て軍令を発した鎮南館がある。しかし鎮南館へ登る石段が、きつそうなので断念してしまった。

 この界隈は麗水一の繁華街だそうだ。横に入る道を覗くと多くの店が並んでいる。一軒のカフェに入って冷たいコーヒーを飲んだ。ビールを飲みたいところだが、飲むとこの暑さで歩くのに息が切れそうなので止めた。

 バスに戻った。午後1時前に麗水エキスポ旅客ターミナルに帰り、出国手続きをして船のタラップを上がった。タラップを上がったところで、冷たいおしぼりとレモン水が用意されていた。
 8階のブュッフェで昼食をして部屋にもどりしばし休憩する。一休みして太鼓の音が聞こえるので、部屋から下を見ると、民族舞踊団の人たちが小太鼓を打ちながら踊って見送ってくれていた。船は午後5時に神戸に向けて出港した。8階のオープンデッキへ行って見ると、出港の時のセイルアウェイ・パーティーでも歌ってくれたクリスティーの歌声が聞こえてきた。

000_2508211219 X700 韓国麗水 李舜臣広場 Z50.jpg
  李舜臣広場の中央に立つ李舜臣将軍像 2025年8月21日 麗水 李舜臣広場

211_2508211220 X900 韓国麗水 李舜臣広場 Z50.jpg 211.待っていてくれたバス
海上ケーブルカーの柴山乗降場からエレベーターで降りてくると、突山乗降場から回ってきてくれていたKIAのバスが待っていた。日本のバスと全く遜色ない。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f7.1 1/500秒 29mm ISO220 )
212_2508211221 X900 韓国麗水 李舜臣広場 Z50.jpg 212.李舜臣広場 亀甲船
バスは李舜臣広場の亀甲船の前に着いた。亀甲船というのは、木造船の上に鉄板(または堅い板)で覆い、敵が乗り込めないようにし、船の左右にたくさんの櫂をつけて速力を早めて敵に近寄り、無数の銃眼から鉄砲や矢を射るようにしたもの。漕ぎ手の上に屋根を被せ、刀剣を隙間無く並べて敵兵が上に乗れないようにし、また漕ぎ手も外から見えないようにし、船首に龍首を設けてそこから火砲を発射できるようにした。15世紀の初めごろから、倭寇と戦うために考案されたらしく、李舜臣が改良して実戦に使えるようにした。李舜臣はこの亀甲船と、潮の流れをうまく利用して日本の海軍を翻弄したという。(世界史の窓より)

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 18mm ISO200 )
213_2508211224 X900 韓国麗水 李舜臣広場 Z50.jpg 213.李舜臣広場 亀甲船の竜頭
壬辰倭乱で活躍した亀甲船は3隻で、全羅左水営・防踏鎮・順天府船所で1隻ずつ建造したが、いま、この亀甲船が置かれている場所は全羅左水営船所が位置していた場所だそうだ。また、(日本史サイエンス弐 播田安弘 船舶設計技術者)によれば、前方には竜頭をつくり、その口下には銃口が、竜尾にもまた銃口があった。左右にはそれぞれ6個の銃口があり、船形が亀のようであったので亀甲船と呼んだそうだ。こちら側が船首のようだ。(全羅は麗水のこと、左水営は水軍を統括する軍事施設のこと)

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f7.1 1/500秒 24mm ISO200 )
214_2508211229 X900 韓国麗水 李舜臣広場 Z50.jpg 214.亀甲船のなか -1
亀甲船の中に入って、内部を見学することが出来た。李舜臣将軍の戦闘戦略と当時の兵士たちの様子が詳しく再現されている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.2 1/500秒 18mm ISO6400 )
215_2508211234 X900 韓国麗水 李舜臣広場 Z50.jpg 215.亀甲船のなか -2
全羅左水営亀甲船は全長35m、幅10mの大きさで李舜臣将軍の知恵が詰まっているという。復元された亀甲船の内部は、当時の兵士の様子や戦闘戦略が再現されていて、大砲の模型なども展示されていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO6400 )
216_2508211242 X900 韓国麗水 李舜臣広場 Z50.jpg 216.李舜臣将軍の功績
全羅南道麗水市中央洞にある李舜臣広場は壬辰倭乱を勝利に導いた李舜臣将軍の功績をたたえる場所で将軍に関する資料や、当時活躍した義兵をたたえる石造りのパネルなどが並んでいた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO6400 )
217_2508211243 X900 韓国麗水 李舜臣広場 Z50.jpg 217.李舜臣将軍立像
李舜臣将軍は日本の海軍との23回にわたる戦いですべて勝利を収めた名将で、韓国史上最も優れた武将の一人とされている。韓国の100ウォン玉には李舜臣将軍の肖像が刻まれている。写真の像は 1967年に設置されたそうだ。ソウル特別市の光化門広場にも李舜臣将軍像があるが、それはここにある像より1年後の1968年に造られた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f8 1/1000秒 64mm ISO200 )
218_2508211248 X900 韓国麗水 李舜臣広場 Z50.jpg 218. 望海楼
広場を通り過ぎて、繁華街の中を鎮南館目指して進む。その道が右へ曲がる手前の正面に大きな門が見えた。日帝強占期(1910年から1945年まで日本が朝鮮半島を植民地支配した期間を、韓国で近年使われるようになった呼称)に撤去されたものを1991年4月に再建した2階建ての楼閣、望海楼である。望海楼は鎮南館(チンナムグァン)の敷地内にあったとされる楼閣。ここから見る麗水沖までの風景が美しい。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 18mm ISO200 )
219_2508211250 X900 韓国麗水 李舜臣広場 Z50.jpg 219.敦化門?
私はこの石段を上るのを止めたが、この門のすぐ奥に鎮南館がある。写真の門の額の文字を何と読むのか判読できなかった。「レンズ」で画像検索し、いろいろ調べていくとどうやら「敦化門」と書かれているらしい。そして「敦化門(トンファムン)」は、昌徳宮の正門の名称であり、「敦化」とは「民を教え導き、手厚く感化する」という意味である。王が出入りする際の象徴的な門だそうだ。ChatGPTは、「観光客向けの案内看板や、記念碑的な門である可能性があり、正式の名称ではないが「敦化門」として訪問者用に掲げられているものかもしれません。」と回答してくれた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6 1/500秒 125mm ISO280 )
220_2508211251 韓国麗水 李舜臣広場 Z50.jpg 220.鎮南館
敦化門のわきからは、鎮南館の大きな屋根が見えた。国宝「鎮南館(チンナムグァン)」は李舜臣が作戦・計画を立てて軍令を下したところ。李舜臣が全羅左水営の本営としたチンヘ楼があった場所で、1599年李舜臣の後任である統制使兼全羅左水使の李時言が丁酉再乱の際に燃えてしまったチンヘ楼跡に大規模な客舎を建て、鎮南館と名付けたそうだ。1716年に火災で焼失した鎮南館は2年後、全羅左水使の李済冕によって再建され現在に至る。鎮南館は正面15間、側面5間、建坪748.39㎡ の単層八作屋根の巨大かつ雄大な建物で、現存する単層の地方官衙(官庁)建物の中で最も大きいものだそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6 1/640秒 121mm ISO200 )
221_2508211262 X900 韓国麗水 李舜臣広場 Z50.jpg 221.3代麗水いちご大福=麗水イチゴモチ
「3代」という文字が目立つ大きな看板のある店があった。イチゴ大福の店らしい。ソフトクリームが人気のようで若い人たちの列が出来ている。並んでいる人たちに赤い日傘を貸すサービスをしているようだ。ホームページがあったが韓国語でさっぱり解からなかった。日本語に変換すると、麗水イチゴモチとあった。「3代」というのは店の名であろう。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6 1/640秒 121mm ISO200 )
222_2508211264 X900 韓国麗水 李舜臣広場 Z50.jpg 222.李舜臣広場から鎮南館方面を眺める -1
李舜臣将軍の像の向こうに望海楼が見える。その上が敦化門?と鎮南館だ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f9 1/500秒 43mm ISO220 )
223_2508211266 X900 〇韓国麗水 李舜臣広場 Z50.jpg 223.李舜臣広場から鎮南館方面を眺める -2
少し右へ移動してみると、一番奥の鎮南館の大きな屋根が眺められた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f9 1/500秒 31mm ISO200 )
224_2508211270 X900 韓国麗水 Z50.jpg 224.麗水国際博覧会の会場あと
麗水国際博覧会(麗水Expo 2012)は、2012年5月12日から8月12日まで大韓民国全羅南道麗水市で開催されていた国際博覧会(認定博覧会:認定博覧会とは、国際博覧会条約(BIE条約)に基づき、特定のテーマを掲げて開催される比較的小規模な国際博覧会)である。期間中の観客数8,203,956人、出展国数は105ヶ国だった。 これまで、韓国国外ではあまり知られていなかった韓国南西部の潜在力、南海岸一帯の海岸線や海上国立公園の美しさを世界にアピールし、同地域を世界レベルの海洋観光リゾート地として発展させることが、麗水万博を開催する目的だった。また、万博開催をきっかけとして、鉄道や道路など交通網の整備が、麗水を中心とした全羅南道周辺地域で大規模に実施された。メインテーマは、「生きている海と息づく沿岸:資源の多様性と持続可能な活動」。もちろん日本も参加していた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f11 1/500秒 53mm ISO200 )
225_2508211279 X900 〇韓国麗水出港 Z50.jpg 225.桟橋で地元の舞踊を披露して見送り -1
太鼓の音が聴こえたので、部屋のバルコニーから桟橋をみた。韓国の民族衣装を着た人たちが桟橋で見送りの舞踏をしてくれているのだ。麗水の伝統芸能団のチームが太鼓の演舞で見送ってくれた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/1250秒 140mm ISO200 )
226_2508211287 X900 〇韓国麗水出港 Z50.jpg 226.桟橋で地元の舞踊を披露して見送り -2
出港は午後5時。今の時刻は3時50分である。麗水の伝統芸能団が太鼓を打ちながら踊ってくれている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 140mm ISO280 )
227_2508211310 X900 〇韓国麗水出港 16時15分Z50.jpg 227.桟橋で地元の舞踊を披露して見送り -3
海風の中に笑顔とリズムが広がり、心に残る出航となった。小太鼓を打ちながら踊ってくれた皆さんが手を振って見送ってくれた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f8 1/500秒 45mm ISO220 )
228_2508211313 X900 韓国麗水出港 17時42分Z50.jpg 228.麗水を離れる
出港して40分。多くの船が浮かぶ麗水を離れていく。左に見える船の船尾にはSTI OXFORD MAJURO という文字が見えた。MAJUROというのは中部太平洋に浮かぶマジュロ環礁のマーシャル諸島共和国の首都である。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f10 1/500秒 45mm ISO220 )
229_2508211320 X900 〇韓国麗水神戸に向け出港 18地30分Z50.jpg 229.夕暮れ 18:30
この日の麗水の日没は午後7時10分。多くの島が見える。多島海は朝鮮半島南西部の全羅南道を中心に、大小多数の島々が点在するリアス式海岸の海域である。明日は一日船の中だ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f10 1/1600秒 29mm ISO100 )

2025年10月26日

2025/8/16-24 熊野大花火大会と夏の高知・佐世保クルーズ ⑩ 韓国麗水(ヨス)「空中散歩と港町散歩」_1 麗水魚市場 2025年8月21日 韓国全羅南道 麗水半島

佐世保を出航して、約15時間、午前8時に船は韓国、麗水のエキスポ旅客ターミナルに入港した。

麗水は、多島海国立公園のある豊かな地域であり、歴史的には李舜臣将軍が日本軍を破った閉山島海戦の舞台として広く知られていると言われるが、私は麗水についてほとんど知らないでいた。
 2012年の麗水万博を契機に注目を集め、現在では韓国国内でも特に人気の高い観光地の一つになっている。日本ではまだそれほど知名度は高くないが、朝鮮半島のほぼ南端に位置することから、日本発のクルーズ旅行に於いて特に訪れる価値のある港の一つになっているそうだ。

 日本のクルーズ旅行で韓国に寄港するのは、カボタージュ規制という法律があるためだそうだ。カボタージュ規制とは、外国船が日本の港と日本の港の間を自由に運航できないようにする日本の法律で、この規制を回避するために、日本発着のクルーズは海外の港に寄港する必要がある。地理的には日本から韓国は近く、釜山やここ麗水は特に日本の九州から近い。燃料補給や物資調達の中継港としても機能しやすい位置にあるため、寄港地として自然な選択肢となっている。MITSUI OCEAN FUJI の船籍はバハマである。飛鳥Ⅱの国内クルーズはその船籍が日本なので、カボタージュ規制の対象にはならない。

 事前に申し込む寄港地ツアーでは、4コースほどある中から、「ようこそ麗水~空中散歩と港町散歩~」とコースを申し込んでいた。

000_2508211331 X700 韓国麗水へ 5時20分 G7X.jpg
黎明 午前5時22分 麗水市南の海上 2025年8月21日 韓国麗水市

167_2508211093 X900 〇黎明 6時08分韓国へ Z50.jpg 167.日の出
8月21日の日の出は韓国麗水沖の洋上で迎えた。時刻は6時08分。この日の麗水の日の出は5時53分だった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f7.1 1/800秒 67mm ISO200 )
168_2508211101 X900 韓国麗水 Z50.jpg 168.麗水の高層住宅群
麗水の港は麗水エキスポ旅客船ターミナルというところだ。麗水国際博覧会Expo 2012は2012年5月12日から8月12日まで大韓民国全羅南道麗水市で開催されていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f8 1/500秒 46mm ISO200 )
169_2508211105 X900 韓国麗水 Z50.jpg 169.海上警察庁の基地
日本の海上保安庁にあたるKorea Coast Guardは大韓民国海洋水産部隷下の沿岸警備隊である。その艦船が見えた。船体に3011の文字が見える。3000トン~4000トン級の艦のようだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/640秒 140mm ISO200 )
170_2508211106 X900 韓国麗水 Z50.jpg 170.麗水エキスポ旅客船ターミナル
2012年に海をテーマにした海洋万博が開かれ知名度が上がった麗水。旧港と新港があり、旧港は沿岸漁業と旅客輸送を担当する一方、新港は国際海洋観光の拠点に浮上した。港にもエキスポの名前を使っている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f7.1 1/640秒 58mm ISO200 )
171_2508211357 X900 韓国麗水へ G7X.jpg 171.麗水エキスポ駅
入港予定時刻は8時だった。下船の準備が出来たところで、タラップを降り、ターミナルで入国手続きを済ませ、「ようこそ麗水~空中散歩と港町散歩~」ツアーの観光バスが待っているところへ歩いた。下船した麗水エキスポ旅客船ターミナルの傍に麗水エキスポエポ駅がある。韓国鉄道公社(KORAIL)全羅線の終着駅で、旧称は麗水駅だったが、2012年の麗水国際博覧会に合わせて改称されている。写真の場所は。引き込み線のようだ。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影  ( f2.8 1/1000秒 23mm ISO1250 )

000_2508211156 X700 〇韓国麗水 海鮮市場 Z50.jpg
麗水魚市場入口 2025年8月21日 韓国 全羅南道 麗水市

172_2508211109 X900 韓国麗水 海鮮市場の裏道 Z50.jpg 172.路地
バスを降りたところから、広い道路の横断歩道を渡った。市場の入り口へ歩く途中、小さな路地があった。何気なく覗いてしまった。電線がやたら多く張りめぐらされ雑然としていたが、何か活気を感じた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/500秒 48mm ISO200 )
173_2508211110 X900 韓国麗水 海鮮市場の表通り Z50.jpg 173.麗水魚市場
バスで最初に着いたのは魚市場だった。ここは是非観たいと思っていた。バスが着いたところの前の道路を渡ったところが魚市場だが、その通りには日よけをかけて並ぶ海産物の店が並んでいた。観光客が持ち帰れるような干物、乾きものの類が並べられている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO200 )
174_2508211112 X900 韓国麗水 海鮮市場 Z50.jpg 174.するめ
大きなするめが吊るされいる。真空パックされたような蛸や小さな魚も並んでいた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO200 )
175_2508211114 X900 韓国麗水 海鮮市場 Z50.jpg 175.魚「市場に入る
日本語の上手い韓国人のガイドさんの案内で、市場の中に入った。中は広い。まだ午前9時を過ぎたばかりなので人は少ない。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 28mm ISO1000 )
176_2508211120 X900 韓国麗水 海鮮市場 Z50.jpg 176.牡蠣
立派な牡蠣が容器に入れられ、注水されている。新鮮で美味しそうに見える。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.2 1/500秒 34mm ISO3600 )
177_2508211126 X900 韓国麗水 海鮮市場 Z50.jpg 177.アナゴ
ネットで画像を検索してみると、この魚はアナゴのようだ。韓国の魚市場は魚や貝類が生け簀に入れられている。新鮮さが売りなのだろう。日本市場では生きて泳いでいるアナゴは見る機会がない。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.2 1/500秒 34mm ISO3600 )
178_2508211127 X900 韓国麗水 海鮮市場 Z50.jpg 178.タラ
スマホの「レンズ」で検索すると、イシガキダイとの答えが返ってきた。だが、魚体の縦幅(体高)が違うなと思い、再度、画像で検索するとタラとの回答だった。どうやらタラが正解と思える。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/160秒 130mm ISO6400 )
179_2508211128 X900 〇韓国麗水 海鮮市場 Z50.jpg 179.イイダコ
イイダコは東アジアの浅い海に生息する比較的小型のタコだという。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/320秒 140mm ISO6400 )
180_2508211129 X900 韓国麗水 海鮮市場 Z50.jpg 180.鮑(アワビ)
大きなアワビが水槽に張り付いていた。日本でも韓国産のアワビは売られているが、こんな大きいのはほとんど見ない。


Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.3 1/500秒 79mm ISO3200 )
181_2508211133 X900 韓国麗水 海鮮市場 Z50.jpg 181.鮑、サザエ、ホヤ
韓国でもホヤを食べるようだ。注水されている水槽にいる鮑、サザエ、ホヤの数が多い。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.2 1/500秒 34mm ISO1800 )
182_2508211137 X900 〇韓国麗水 海鮮市場 Z50.jpg 182.ひらいた魚
加工された魚も売られていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 41mm ISO1250 )
183_2508211142 X900 〇韓国麗水 海鮮市場 Z50.jpg 183.ズワイガニ またはオオズワイガニ
韓国語で書かれた札が立てられている。英語なら多少は推察できるが、全く判読できない。私には、見た目ではズワイガニかオオズワイガニかはわからない。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 59mm ISO2800 )
184_2508211145 X900 〇韓国麗水 海鮮市場 Z50.jpg 184.魚市場の様子
まだ9時を過ぎたばかりで人の姿は見られない。我々、買いたくても買えない観光客はただ見て歩くだけだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 26mm ISO1100 )
185_2508211146 X900 韓国麗水 海鮮市場 Z50.jpg 185.魚市場の通り
ガイドさんによると、この通りは市場で買った魚や貝を焼いて食べられるところという。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 39mm ISO400 )
186_2508211149 X900 韓国麗水 海鮮市場 Z50.jpg 186.靴屋のおじさん
ここは何やさんかと思ったら、長靴などが並べられている靴屋のようだった。店先に座っていたおじさんと顔を合わせたら、ニッコリ笑ってくれたので、仕方なく「アニハセヨ」と言ったら、また笑顔を返してくれた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 55mm ISO900 )
187_2508211155 X900 〇韓国麗水 海鮮市場 Z50.jpg 187.麗水魚市場入口
魚市場の見学を終えた。娘たちは道路に面した店で小魚のいわゆる珍味を買っていた。通りを走る車を見ているとさすがに、Hyundai やKIAが多い。余談になるが、ガイドさんに聞くと日本の高級車に乗りたいと思う人は大勢いるが、高くて手が出ないと言っていた。KIAは Hyundai の傘下であり、Hyundaiグループとしては、日本のトヨタグループ、ドイツのフォルクスワーゲングループに次ぐ世界第3位だそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f9 1/500秒 28mm ISO220 )
188_2508211159 X900 韓国麗水ロープウェイ 突山乗り場 へ亀甲船大橋 Z50.jpg 188.麗水魚市場から海上ケーブルカーの乗り場へ
バスは南へ走る。海上ケーブルカーの突山搭乗所へ向かう。左手(東側)に亀甲船大橋が見えた。右側から築山から柴山へ海の上を渡っていく海上ケーブルカーが見える。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f9 1/500秒 28mm ISO220 )
189_2508211163 X900 韓国麗水ロープウェイのりば コンビニ Z50.jpg 189.海上ケーブルカー突山搭乗所
バスは突山大橋を渡って突山搭乗所に着いた。写真の「GS25」は韓国の代表的なコンビニエンスストアチェーン。韓国国内で約1万8千店舗以上を展開し、売上高トップだそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 24mm ISO450 )

2025年7月24日

川越散策 ① 菓子屋横丁、蔵造りの街並み 2025年5月28日 埼玉県川越市

5月28日、友達と5人で川越へ行く。
 4月2日に幸手権現堂桜堤の桜と菜の花、古河公方公園のハナモモを見る日帰りバスツアーで、1時間ほど川越の蔵造りの町並みを歩いてきたのだが、今回の川越観光は昨年暮れに、来年は川越に行こうと友人たちと決めたことだった。
 川越で鰻を食べることもその目的であったが、鰻を食べる店を決めて、予約をするのが私の役目だった。何人かの"川越通"の方々に意見を聞いたが、推されたのは「小川菊」だった。予約は1週間前の10時から受付けられるが、その日に「小川菊」電話したところ、話し中でなかなかつながらない。何回かかけて、20分ほど経ってつながり、予約できた。正午に予約しようとしたが、昼の時間の予約は11時からの席のみだった。

 友人の一人が、川越に詳しかった。集合時間や場所、この日の散策のコースを計画してくれた。
 池袋8時30分発の東武東上線急行に乗って、川越に着くのが9時5分、改札を出たところで集合する。副都心線などを利用して、いろいろな行き方がある。私たち夫婦は、杖を突くかみさんと、方向音痴の私なので余裕をみて、池袋を8時15分に出る急行に乗った。
 無事、集合し、川越駅前からバスに乗り、札ノ辻で下車。そこから菓子屋横丁→蔵造りの街並みを歩いて、時の鐘・りそなコエドテラスを巡って→大正浪漫夢通りに。そこに鰻の老舗「小川菊」があった。

000_250528091 X700 蔵造りの町並み りそなコエドテラス 頭取室G7X.jpg
りそなコエドテラスの2階から眺めた蔵造りの街並み 2025年5月28日 川越市 蔵造りの街並

001_250528008 X900 川越菓子屋横丁入口 G7X.jpg 1.「菓子屋横丁」入口
バスを札ノ辻で降り、交差点を西へ歩く。しばらく行くと左手に「これより菓子屋横丁」という表示があったが、ここは左に入らずにまっすぐ進む。。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/1250秒 9mm ISO125 )
002_250528012 X900 川越菓子屋横丁 G7X.jpg 2.「菓子屋横丁」の案内図
案内図にある焼き団子の「池田屋本店」などの前を通ってこの案内図のところに出た。ここから左へ入る。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1250秒 9mm ISO125 )
003_250528014 X900 川越菓子屋横丁 G7X.jpg 3.「菓子屋横丁」
カルメ焼きの「吉仁製菓」と、川越名物「小江戸蔵まんじゅう」の店の間の横丁をまっすぐ北へ進む。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1250秒 9mm ISO125 )
004_250528015 X900 川越菓子屋横丁 G7X.jpg 4.「大黒棒 (麩菓子)」
横丁が突き当たる手前の左側の店先に「大黒棒」というのが並べられていた。ここは小江戸茶屋という駄菓子屋さんだ。ホームページには、「昔懐かしい駄菓子から、サツマイモを原料としたお菓子はもちろんのこと、遊び心溢れたとても長い麩菓子「大黒棒」を川越菓子屋横丁で初めて販売開始。今では数種類の長い麩菓子が川越のあちらこちらで見かけるようになり、川越菓子屋横丁の風物詩になりました。」と書かれていた。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1250秒 9mm ISO125 )
005_250528016 X900川越菓子屋横丁 G7X.jpg 5.風情のある建物
大黒棒の店の角を左に曲がる。蔵造りではないが古い木造の店が並ぶ。左側に「彩香」という漬物と菓子の店、その向こうに昔の技を今に伝えるという組みあめ「玉力製菓」、右側には麩菓子の「松陸」、ベーゴマも売っている芋菓子「よしおかYA」、手作りの飴玉各種「松本製菓」、川越わらび餅などの「菓匠右門」と、さすが菓子屋横丁というだけある店が並んでいた。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 21mm ISO160 )
006_250528021 X900 川越菓子屋横丁 G7X.jpg 6.新しい店
突き当りを左へ行くと、店内の照明も明るい新しそうな菓子店があった。2人の女性が店の前で客を招き入れていた。今年の2月にここに川越店としてオープンし、同じ名称の店が2023年11月に京都伏見にオープンしている。川越に8店舗を持つ、株式会社寺子屋という土産物を販売する会社の経営だそうだ。2.の写真の菓子屋横丁案内図にはない。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1250秒 9mm ISO125 )
007_250528032 X900 まつり会館裏 G7X.jpg 7.「川越まつり会館」の裏手
菓子屋横丁を出る。これから行く川越蔵造りの街並みの通りに川越まつり会館がある。菓子屋横丁の蔵造りの街並み(一番通り)と並行する菓子屋横丁の側(寺町通り)からその後ろ側を見たところだ。毎年10月の第3土日に行われる川越まつりの山車の収納庫があるようだ。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/1250秒 37mm ISO125 )
008_250528035 X900 札ノ辻 G7X.jpg 8.「蔵造りの街並み」 北側の始まり
札ノ辻の交差点に戻り、右(南)へ。ここから一番街の蔵造りの町並みが始まる。小江戸川越ウェブというサイトには、「江戸時代、川越藩主松平信綱の町割りによって、通りに店が向かい合う形の家並みができあがったが、度重なる大火のため幕府がかわらぶきを奨励し、火事に強い建物として江戸の町で土蔵造りが流行した。これによって商業で江戸と結び付きが強かった川越でも、蔵造りの商家が建つようになった。 現在の蔵造りの多くは、川越大火後に建てられたもので、今も30数棟が残る。大正12年、関東大震災やその後の戦災によって東京の蔵造りが姿を消したこともあり、江戸の景観を受け継ぐ重要な歴史的遺産として、「時の鐘」をはじめとするこの一番街周辺は、平成11年12月1日に重要伝統的建造物群保存地区に選定された。」と説明されている。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1250秒 30mm ISO125 )
009_250528039 X900 札ノ辻から蔵造りの町並み G7X.jpg 9.「大澤家住宅」
南に向かって歩き始めてすぐに、左側に「大澤家住宅」があった。今は「小松屋」という屋号だが、店内は江戸時代の呉服屋のおもむきを残している。 和小物を中心に山車のミニチュア、時の鐘ストラップ等 川越の民芸品の店である。まだ開店前の店の中を覗き込む観光客の姿があった。wikipediaによれば、この蔵造りの建物は、寛政4年(1792年)の建造で、の川越大火(1893年)の焼失を免れた川越最古の蔵造りで、現存する関東地方最古の蔵造りでもある。国の重要文化財の指定を受けている。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 18mm ISO200 )
010_250528041 X900 札ノ辻から蔵造りの町並み 路地 G7X.jpg 10.路地 建物の壁
路地があって、その建物の壁が印象に残った。これは出格子(でごうし)または千本格子と呼ばれる伝統的な建築様式の一種で、特に川越の蔵造りの町並みでよく見られるものだそうだ。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1250秒 16mm ISO125 )
011_250528047 X900 札ノ辻から蔵造りの町並み G7X.jpg 11.「時の鐘」付近
川越のシンボルである「時の鐘」は蔵造りの街並の一番街の通りには面していない。大澤家住宅のちょっと先を左に入ったところの左側にある。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1250秒 37mm ISO125 )
012_250528049 X900 札ノ辻から蔵造りの町並み G7X.jpg 12.蔵の街にも
蔵の街にもこんな店があった。川越を観光する人たちは、若いお嬢さんがたも多い。写真で見ると、この店は、川越に8店舗ある株式会社寺子屋さんの「みっふぃーベーカリー」のようだ。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1250秒 11mm ISO125 )
013_250528050 X900 札ノ辻から蔵造りの町並み G7X.jpg 13.「蔵のキッチン&ベーカリー」
お店には「みっふぃー蔵のキッチン&ベーカリー」と書かれた看板が掛けられていた。これも、これからの蔵の街での生き方だ。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2 1/1250秒 11mm ISO125 )
014_250528052 X900 札ノ辻から蔵造りの町並み G7X.jpg 14.店じまい
「明治・大正・昭和・平成・令和と長きにわたり、あきないを続けてまいりましたが、高齢の為、令和六年十二月末日にて店を閉じることにいたしました。今までのご愛顧を心から感謝申しあげますと共に、ご迷惑をおかけすることを深くお詫び申し上げます。」という張り紙がされていた。「松岡種苗店」という種子屋さんの、歴史が沁み込んだ貫禄のある立派な板の看板である。中を覗いてみると、まだ、商品の種の袋などが並んでいた。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO320 )
015_250528059 X900 札ノ辻から 時の鐘 G7X.jpg 15.「時の鐘」
通りの右側に「川越まつり会館」がある辺りを左に入ると、「時の鐘」が現れた。wikipediaによると、「川越の蔵造りの街並みを代表する観光名所で市のシンボルとなっている。地元では鐘撞堂(かねつきどう)と呼ばれることが多い。3層構造の塔で、高さは16m。古くは鐘撞きが決まった時間に時を知らせていたが、現在では自動で1日4回(午前6時、正午、午後3時、午後6時)川越城下に時を知らせている。」と解説されていた。前の道が広くないので、全体を入れて撮る構図が難しい。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5.6 1/1250秒 9mm ISO125 )
016_250528060 X900 札ノ辻から 時の鐘 G7X.jpg 16.「薬師神社」
「時の鐘」の塔をくぐって中に入ると、「薬師神社」の境内になっていた。神社は病気平癒、特に眼病に対してご利益があるとされる。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/1250秒 37mm ISO125 )
017_250528071 X900 札ノ辻から 時の鐘 G7X.jpg 17.「時の鐘」の鐘
「薬師神社」の境内から「時の鐘」の塔を眺めると、鐘と撞木(突き棒)が見えた。wikipediaによれば、江戸時代の寛永年間に川越藩主・酒井忠勝によって建設されたのが始まりであるが、火災によりたびたび焼失しており、1654年(承応3年)正月には川越藩主の松平信綱が椎名兵庫に命じて新たな鐘を鋳造させたといわれる。現在の鐘楼は4代目で、1893年(明治26年)に起きた川越大火の翌年に関根松五郎の設計で再建されたものである。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 30mm ISO125 )
018_250528075 X900 札ノ辻から蔵造りの町並み G7X.jpg 18.「陶舗やまわ」
「時の鐘」の路地を出て、蔵造りの街並みの通りに戻る。「陶舗やまわ」という暖簾の下がった大きな蔵造りの店があった。陶舗やまわの店蔵は、川越大火後の明治26年に建てられ、現存する入母屋形式の土蔵造りとしては日本で最大級の規模だそうだ。「陶舗やまわ」として営業している建物は、もともと「原家」の商家住宅だった。通りから見る店蔵には5っの重厚な観音開きの窓が見える。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1250 14mm ISO125 )
019_250528080 X900 札ノ辻から蔵造りの町 G7X.jpg 19.「陶舗やまわ」 大きな屋根の上
「陶舗やまわ」を右に廻って南側から眺めると、軒蛇腹の上に大きな千鳥破風が見える。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2 1/1250秒 10mm ISO125 )
020_250528081 X900 札ノ辻から蔵造りの町 G7X.jpg 20.「陶舗やまわ」 大きな鬼瓦
「陶舗やまわ」の屋根には、その角に大きな鬼瓦があった。鬼瓦は魔除けや火除けの意味を込めて設けられる。特に商家や寺社仏閣に見られ、家の繁栄と安全を願う縁起物でもあるそうだ。この「陶舗やまわ」 の大きな鬼瓦は非常に精巧で、圧倒される。瓦職人の高度な技術が使われており、川越の蔵造りの町並みにふさわしい格式と意匠美が表現されている。「陶舗やまわ」は、陶器商として栄えた原家が大正時代に建てた店舗であり、鬼瓦にも当時の商家の繁栄と威厳を示す意味が込められているという。関東大震災以降に防火を意識した蔵造りの建築が復興の象徴となり、川越の町並みに調和するよう設計されたそうだ。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 17mm ISO160 )
021_250528084 X900 札ノ辻から蔵造りの町並み 日蓮宗行傳寺 G7X.jpg 21.「日蓮宗 行傳寺」
路地の先には「行傳寺」というお寺が見えた。川越にはお寺が多い。川越は江戸時代に小江戸と呼ばれ、川越藩の城下町として栄え、城下町では幕府の当時を安定させる目的で、寺社の建立が奨励されていたそうだ。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1250秒 37mm ISO125 )
022_250528086 X900 蔵造りの町並み りそなコエドテラス G7X.jpg 22.「りそなコエドテラス」
蔵造りの町並みを3分の2ほど歩くと、ひときわ目立つ3階建ての洋風の建物が現れた。ここは埼玉りそな銀行の前身銀行の一つである旧第八十五銀行本店として、1918年に現在の場所へ移転新築された。1996年に国の登録有形文化財として埼玉県で第1号の登録を受け、2023年で築105年の建物だそうだ。老朽化に伴い2020年6月に支店としての営業を終え、修繕工事を経て、コエドテラスがGRAND OPENした。ちなみにりそな銀行の前身は、大和銀行とあさひ銀行である。2003年3月に、大和銀行とあさひ銀行が合併し、りそな銀行となった。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1250秒 21mm ISO125 )
023_250528090 X900 蔵造りの町並み りそなコエドテラス 頭取室G7X.jpg 23.旧頭取室
りそなコエドテラスの中に入ってみた。1階はレストランなどがあって、2階に上がると、蔵造りの街並に面した角に旧支店長室があった。この建物で最も良い位置だと思う。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO800 )
024_250528105 X900 蔵造りの町並み りそなコエドテラス マサキ G7X.jpg 24.マサキ(柾、正木)
りそなコエドテラスのテラス席(展望台)から蔵造りの町並みを見下ろした後、建物の外に出た。建物の後ろ側に、見慣れぬ黄色い花が咲いていると思って近寄って見ると、花ではなく葉だった。後でPictureThisで検索してみると、それはマサキの葉だった。若葉は白っぽく、成長するにつれて明るい黄緑色になる。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/1250秒 12mm ISO125 )
025_250528110 X900 蔵造りの町並み 法善寺 G7X.jpg 25.「法善寺」
時刻は10時50分。そろそろ腹が空いてきた。りそなコエドテラスを出て「大正浪漫夢通り」へと歩く。そのすぐ左側の路地の先に法善寺というお寺があった。この寺は真宗大谷派寺院の法善寺といい、もとは真言宗寺院として丹波国氷上郡にあったが、寛正元年(1460年)に法印良應が当地へ移し、その後浄土真宗に改めたという。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1250秒 27mm ISO125 )
026_250528115 X900 蔵造りの町並み 電気ボンネットバス G7X.jpg 26.日本初電気ボンネットバス
目の前を見慣れぬバスが通った。「小江戸巡回バス」だ。カメラが追い付かず、そのボンネットは撮れなかったが、後ろの窓に日本初電気ボンネットバスと書かれていた。調べて見ると、このバスは、イーグルバス株式会社が、中国製の電気バスをベースに日本で改造したオリジナルモデルだという。日本で走る電気ボンネットバスとしては「初」なのだろうが、「日本初」と謳うのはちょっとおこがましいような気がする。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/1250秒 9mm ISO125 )

2023年2月19日

1999年8月22日~30日 カナダ旅行 1 of 2

ブログのネタが切れてしまった。もう、24年も前のことだが、カナディアン・ロッキーを訪れた時のことをもう一度写真で振り返ってみようと思う。詳しいことは覚えていないが、23年前の記憶を辿ってみる。
 カメラはNikon の F90XS というフィルム・カメラだった。当時としてはAFが早いということだったが、あまり人気が出なかったカメラである。この旅行ではNIKKOR 24mm~120mmズームレンズ を付けていった。一緒にオリンパスμというコンパクトカメラを持って行ったがこれが期待以上によく撮れた。

000_990825198S (文字)カナディアンロッキー アサバスカ氷河 F90 アルバム用_.jpg
アサバスカ氷河 1999年8月25日 カナディアン・ロッキー

001_990823007S X900 トロント F90 アルバム用.jpg 1.トロントの街
8月22日に成田を発ったのだが、何時ごろの便だったか定かに覚えていない。日付変更線を超えて、同じ日の夜にトロントについたのではないかと思う。次の日はまず、トロントの市街を見学した。

Nikon F90XS AF NIKKOR 24mm~120mm f3.5-5.6D
プログラムオートで撮影
002_990823016S X900 トロント F90 アルバム用 ウェランド運河.jpg 2.ウェランド運河
トロント街を少し見学した後、バスはナイアガラへ向かった。所要時間は約2時間ほどだったと思う。途中、バスは写真の運河を渡っていった。wikipediaによれば、このウェランド運河(Welland Canal)は、カナダのオンタリオ州にある全長43.4 km の運河で、エリー湖のポートコルボーン(Port Colborne)とオンタリオ湖のポートウェラー(Port Weller)を結んでおり、五大湖と大西洋を結ぶセントローレンス海路の一部でもある。船はこの運河により、ナイアガラの滝を迂回してエリー湖とオンタリオ湖の間を行き来できる。運河の水位が違うのが見える。もうすぐナイアガラ瀑布だ。

Nikon F90XS AF NIKKOR 24mm~120mm f3.5-5.6D
プログラムオートで撮影
003_990823103 X900 ナイアガラ蝶園.jpg 3.ナイアガラ蝶園
ツアーの一行は、バスを降りて、どこか忘れてしまったが行くことになっていた。わたくしは、ツアコンに別行動でナイアガラ公園の少し離れたところにあるナイアガラ蝶園へ行きたいと頼んでみた。すると、ツアー一行が観光をしている間乗ってきたバスは待っているだけなので、そのバスで蝶園まで乗せていってくれるよう運転手に頼んでくれた。そして、約1時間蝶園で楽しい時間を過ごした後、ツアーの昼食会場でみんなと合流するところまで面倒を見てもらった。チップをはずんだのは言うまでもない。

Nikon F90XS AF NIKKOR 24mm~120mm f3.5-5.6D
プログラムオートで撮影
004_990823058S X900 ナイアガラ蝶園 F90 アルバム用.jpg 4.ナイアガラ蝶園(Butterfly Conservatory) -1
ナイアガラ蝶園で翔んでいるチョウたちは、日本の多摩動物園の蝶園や、足立生物園などで飼育されているチョウとは様子が違っていて、中南米のチョウが多かった。このチョウは中央アメリカから南アメリカに産するチャクトニアドクチョウのようだ。

Nikon F90XS AF NIKKOR 24mm~120mm f3.5-5.6D
プログラムオートで撮影
005_990823087S X900 ナイアガラ蝶園 F90 アルバム用.jpg 5.ナイアガラ蝶園(Butterfly Conservatory) -2
このチョウはメルポメネドクチョウといい、南米のペルーなどの産する蝶だ。やや小型だが、いかにも毒があるような紋様である。日本でもアサギマダラなどの毒蝶がいる。幼虫がアルカロイドを有するガガイモ科の植物を食草としていて、成虫になってもその毒は体内に残る。

Nikon F90XS AF NIKKOR 24mm~120mm f3.5-5.6D
プログラムオートで撮影
006_990823105S X900 ナイアガラ F90 アルバム用.jpg 6.ナイアガラの滝 -1 アメリカ滝
ナイアガラの滝は、エリー湖からオンタリオ湖に流れるナイアガラ川にある滝。カナダのオンタリオ州とアメリカ合衆国のニューヨーク州とを分ける国境になっている。ナイアガラの滝は、カナダ滝 (落差56m、幅675m、滝壺の深さ55m)、アメリカ滝 (落差58m、幅330m)、ブライダルベール滝 (落差55m、幅15m)の3つからなる。これはアメリカ滝である。

Nikon F90XS AF NIKKOR 24mm~120mm f3.5-5.6D
プログラムオートで撮影
007_990823106S X900 ナイアガラ F90 アルバム用.jpg 7.ナイアガラの滝 -2 カナダ滝
こちらはカナダ滝で、アメリカ滝より雄大であった。アメリカとの国境を挟んでカナダ側にある。カナダ側にあることからその名があるが、馬蹄形の形をしていることから英称で「ホースシュー・フォールズ」とも呼ばれる。

Nikon F90XS AF NIKKOR 24mm~120mm f3.5-5.6D
プログラムオートで撮影
008_990823124S X900 ナイアガラ F90 アルバム用.jpg 8.ナイアガラの滝 -3 カナダ滝
展望台からカナダ滝を見ていたら、虹がかかった。観光客をいっぱい乗せたボートが滝の落ちるところへ進んでいる。乗っている人は青いビニールの合羽を着ていた。

Nikon F90XS AF NIKKOR 24mm~120mm f3.5-5.6D
プログラムオートで撮影
009_990823148S X900 カルガリー F90 アルバム用.jpg 9.カルガリー
ナイアガラの滝を観光して、空路、カルガリーへ向かう。この日はカルガリー泊だった。東から西へ、飛行時間は6~7時間かかったように思う。車だと30時間以上かかるそうだ。空港からホテルへ行くバスの車窓から、走行する貨物列車が見えた。カルガリーは、カナダ西部にあるアルバータ州の都市だ。同州最大かつ北米有数の世界都市でもある。アルバータ州の南部、カナディアンロッキー山麓から東におよそ80 kmの高原地帯に位置する。わたくしたちがツアーで訪れた時代の人口は100万人以下だったが、2017年のデータでは134万人になっている。

Nikon F90XS AF NIKKOR 24mm~120mm f3.5-5.6D
プログラムオートで撮影
010_990824147 X900 カルガリー.jpg 10.カルガリーからレーク・ルイーズへ
距離にして200km弱ある。朝カルガリーのホテルを出発し、カナディアン・ローッキーを目指してバスは出発した(バスの窓ガラスの反射が映り込んでしまった)。カルガリーの郊外には、1988年の冬季オリンピックで、フィンランドのマッチ・ニッカネンが大活躍したスキーのジャンプ台が見えた。ニッカネンは、個人戦の70m級、90m級だけでなく団体戦もフィンランド・チームで金メダルを獲得してジャンプでは史上唯一の三冠に輝いた。日本選手では、フィギュアスケートの伊藤みどり選手が、当時の女子で最高難易度レベルのジャンプを連発し地元メディアに「flying woman(空飛ぶ女性)」と紹介され一躍人気を集めた。

Nikon F90XS AF NIKKOR 24mm~120mm f3.5-5.6D
プログラムオートで撮影
011_990825155S X900 レークルイーズ F90 アルバム用.jpg 11.レーク・ルイーズ 到着
夕方、早い時間にレーク・ルイーズのホテルに到着した。湖畔にある有名な「Fairmont Chateau Lake Louise」だ。19世紀末から20世紀初頭にカナダ太平洋鉄道が建設したもので、同じロッキー山中のバンフ・スプリングス・ホテル、ケベックのシャトー・フロンテナック等とともにフェアモント・ホテルズ系列である。憧れていたホテルである。この写真は翌朝に撮った写真だったと思う。

Nikon F90XS AF NIKKOR 24mm~120mm f3.5-5.6D
プログラムオートで撮影
012_990825154S X900 レークルイーズ F90 アルバム用.jpg 12.レーク・ルイーズ
ホテルの前には、雪を冠したカナデァン・ロッキーの山を背景に、レーク・ルイーズが静かな佇まいを見せる。レイク・ルイーズ(Lake Louise)は、カナダ アルバータ州のバンフ国立公園内にある湖及びその近くにある小村の名前である。氷河から解け出た水に含まれる岩粉により、湖は独特なエメラルド色をしている。湖周辺ではハイキングや登山の他、スキーを楽しむこともできる。水面の標高は1536m である。レイク・ルイーズの名前は、ヴィクトリア女王の四女でありカナダ総督ジョン・キャンベル夫人であったルイーズ・キャロライン・アルバータに由来している。

Nikon F90XS AF NIKKOR 24mm~120mm f3.5-5.6D
プログラムオートで撮影
013_990825376S X900 レークルイーズ朝 Olympus μ アルバム用.jpg 13・朝日を浴びるシャトー・レイク・ルイーズ
早起きして、湖のほとりで写真をとった。はやばやとハイキングに出発するグループもあった。太陽がのぼり、ホテルに陽が当たり、輝いていた。

Orympus μ 35mm f3.5
014_990825164S X900 カナディアンロッキー クロウフット氷河 F90 アルバム用.jpg 14.クロウフット氷河 -1
8月25日、この日はカナディアン・ロッキーの景勝地をめぐる。レイク・ルイーズの町の北西約32kmほどの所であり、この氷河はレイク・ルイーズの町とジャスパーの町とを結ぶアルバータ州の高速道路93号線のアイスフィールド高速道路(英語版)からも見ることができた。Crowfoot Glacier、その名の通り、カラスの足の形をしている。

Nikon F90XS AF NIKKOR 24mm~120mm f3.5-5.6D
プログラムオートで撮影
015_990825165S X900 カナディアンロッキー クロウフット氷河 F90 アルバム用.jpg 15.クロウフット氷河 -1
レイク・ルイーズから93号線を北へ、アサバスカ氷河へ行く途中、クロウフットの展望所があった。wikipediaによれば、かつてはワプタ氷原につながっていて、そこから流れ出す氷河であった。ワプタ氷原も含めてカナディアンロッキーに存在する氷河や氷原は縮小傾向にあるわけだが、ワプタ氷原が縮小して、このクロウフット氷河は氷原から分離してしまったのである。さらに縮小傾向にあるのはクロウフット氷河についても言えることで、1850年頃に小氷期が終わってから後、この氷河は後退していっている。

Nikon F90XS AF NIKKOR 24mm~120mm f3.5-5.6D
プログラムオートで撮影
016_990825173S X900 カナディアンロッキー ボウサミット F90 アルバム用.jpg 16.ボウ・サミットから見るペイトー湖
レイクルイーズから30分ほど走ったところで、ボウ・サミット(BowSumit)の駐車場に入る。展望台へ行くとペイトー湖が見下ろせた。

Nikon F90XS AF NIKKOR 24mm~120mm f3.5-5.6D
プログラムオートで撮影
017_990825183S X900 カナディアンロッキー F90 アルバム用.jpg 17.ボウ・サミットからアサバスカ氷河へ
バスは93号線からボウ川に沿って北上する。車窓の景色は変化に富んで美しかった。

Nikon F90XS AF NIKKOR 24mm~120mm f3.5-5.6D
プログラムオートで撮影
018_990825184S X900 カナディアンロッキー F90 アルバム用.jpg 18.アサバスカ氷河入り口
バスはアサバスカ氷河の入り口に着いた。ここから雪上車に乗り、氷河に向かう。アサバスカ氷河は、コロンビア氷原から流れ出す主要な6つの氷河の1つとして数えられている。すなわち、キャッスルガード氷河(Castleguard Glacier)、コロンビア氷河(Columbia Glacier)、ドーム氷河(Dome Glacier)、スタッドフィールド氷河(Stutfield Glacier)、サスカチュワン氷河(Saskatchewan Glacier)、そしてこのアサバスカ氷河である。

Nikon F90XS AF NIKKOR 24mm~120mm f3.5-5.6D
プログラムオートで撮影
019_990825185S X900 カナディアンロッキー アサバスカ氷河 F90 アルバム用.jpg 19.アサバスカ氷河
雪上車に揺られて氷河の中に入って行った。wikipediaによれば、コロンビア氷原から流れ出す氷河は、近年その規模が縮小する傾向にあって、それはこのアサバスカ氷河も例外ではない。アサバスカ氷河は近年年間2mから3mのペースで後退を続けている。さらに、この125年で1500m以上も後退し、氷河の体積も、その半分以上が失われたことで知られている。このように、急速に縮小を続けている氷河であるため、あくまで参考値でしかないが、ツアーでわたくしたちが訪れた年から13年後にあたる、2012年現在のアサバスカ氷河は、全長がだいたい6kmで、約6km2の面積を持ち、氷は90mから300mの厚みを持った場所が存在していると見積もられている。なお、2012年現在のアサバスカ氷河の流速は1日に数cmである。そして、アサバスカ氷河は末端部で融解し、アサバスカ川となって流れていっている。

Nikon F90XS AF NIKKOR 24mm~120mm f3.5-5.6D
プログラムオートで撮影
020_990825216S X900 カナディアンロッキー Bow Lake F90 アルバム用.jpg 20.ボウ・レイク
アサバスカ氷河から、来た道をこの日泊まるバンフの方へ戻る。途中、レイク・ルイーズの町の北方約30kmに位置する小さな淡水湖である。湖畔に下りて休憩したが、そのターコイズブルーの水は澄み切っていた。このボウ・レイクは長さ約3.2km、幅約1.2km、面積約3.21㎢と小規模な湖だ。しかしながら、この湖は氷河の末端で融解した水が流れ込んでおり、その水には氷河が削りだした微細な粒子が含まれているため、入射する太陽光が散乱され、湖水がターコイズブルー(トルコ石の青色)に見えるのだ。

Nikon F90XS AF NIKKOR 24mm~120mm f3.5-5.6D
プログラムオートで撮影
021_990825226S X900 カナディアンロッキー Bow Lake F90 アルバム用.jpg 21.ボウ・レイク湖畔のロッジ
湖畔には、赤い屋根が印象的なナム・タイ・ジャー・ロッジがある。湖水面の標高は1920m。

Nikon F90XS AF NIKKOR 24mm~120mm f3.5-5.6D
プログラムオートで撮影

2021年9月17日

旅の思い出 海外編 4

6)1994年8月ー9月 憧れのイタリア旅行(2)
サンジミニャーノ、シエナ、アッシジ、ローマ

8月27日から8月30日までミラノからヴェネチア、パドヴァ、ラヴェンナ、フィレンツェ、を観光して、後半は8月30日から9月2日まで、サンジミニャーノ、シエナ、アッシジ、そしてローマを周る、なか7日間の観光ツアーだった。
 ローマでちょっとにわか雨に振られただけで、毎日、ほとんど快晴に恵まれた。

041 940831177S X700 ○サンジミアーノ EOS650.jpg
サンジミニャーノ トスカーナの丘

フィレンツェから南西57km、標高334mの丘の上の街サンジミニャーノ。城壁の中に形成されるこの町は高い塔が連立することで有名だが、これらの塔はかつて富や権力の象徴であり、最も多いときで70を越える塔が林立していたようだ。 いまでも14の塔が残っており、中世の面影を今に伝えている。 サンジミニァーノの塔の上からは、トスカーナのぶどうとオリーブ畑が見渡せた。なだらかな丘が幾重にも遠くまで続く。

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サンジミニャーノ ドゥオモ(参事会教会大聖堂)広場 

サンジミニャーノにもドゥオモがあった。周囲を七つの塔に囲まれたドゥオモ広場に面するこの大聖堂の元の教会は12世紀にローマ教皇エウゲニウス3世により建造された。高さ54メートルの鐘塔をもつ。モデナの司教で397年にこの地で死亡した聖ジミニャーノを祀り、ここから町の名前になっている。ファサードは東向きで、18段の広い階段の上に建つ13世紀のロマネスク様式である。

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シエナ カンポ広場

シエナはフィレンツェから南へ約50kmのところにある。中世には金融業で栄えた有力都市国家であり、13世紀から14世紀にかけて最盛期を迎えた。フィレンツェとトスカーナ地方の覇権を競い、またその経済力を背景として、ルネサンス期には芸術の中心地のひとつであったそうだ。

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アッシジ サンフランチェスコ聖堂

シエナからボローニアへ移動し、そこで1泊した。翌日、アッシジへ向かった。アッシジは首都ローマから北へ約131kmのところにある。フランシスコ会の創設者である聖フランチェスコの出身地として知られており、キリスト教の巡礼地としての性格を持つ都市でもある。最大の見所はサン・フランチェスコ聖堂である。聖堂は町の北西の斜面の上に建ち、斜面を有効に利用するため建物は上下二段に分かれている。上堂部分はゴシック様式、下堂の部分はロマネスク様式になっている。聖堂にはチマブーエ、ジョット、マルティーニなどの画家の手になるフレスコ画が多数描かれ、上堂内部はルネサンス初期の画家ジョットによる28の場面を描いた聖人フランチェスコの生涯のフレスコ画が、また下堂には「玉座の聖母と4人の天使と聖フランチェスコ」がそれぞれ一番の見所である。私たちが訪れた1994年から3年後1997年に大地震で大打撃を受けた。ボランティアによる修復工事などにより、2000年にはほぼ元の形にもどった。

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アッシジ サンタ・キァーラ修道院

サンフランチェスコ聖堂の関連施設群であるサンタ・キァーラ修道院は、聖フランチェスコの精神に従った女性キァーラ(クララ)のグループが建てた女子修道院で、1257年に完成した。ファサードはサンフランチェスコ聖堂と似ているが、アッシジの町にも多く使われている白とばら色の大理石を縞模様に積み重ね、中央にバラ窓と入口がひとつずつあるだけでシンプルです。

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アッシジ 城塞

アッシジは城壁の街と言われる。市街地は丘陵に沿って東西に長く形成されており、これに伴って城壁も東西に長く築かれた。城壁は市街地西端のサン・フランチェスコ聖堂から山上まで伸び、その山上にはロッカ・マジョーレ「大きな城砦」がそびえる。

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ローマ トレヴィの泉 -1

アッシジを巡ったあと、その足でローマに入った。いよいよ最後の訪問地である。ローマにはたくさん見るべきところがあり、翌日と2日間での観光となった。トレヴィの泉は1762年に完成している。後ろのポーリ宮殿と一体になったバロック・ロココ様式の豪華な造りが魅力の、ローマで最も大きく、 夢のある美しい噴水という。

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ローマ トレヴィの泉 -2

「後ろ向きの肩越しにコインを1枚投げ入れたなら、またいつの日か必ずローマに戻ることができる」と言い伝えられ、いつもたくさんの観光客であふれかえるローマの超人気スポットである。

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ローマ ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂 

ローマ旧市街のほぼ中心にあるヴェネツィア広場をバスで通った。写真の建物はヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂という。1885年、イタリア統一運動時に核となり、統一後はイタリア王国の王家となったサヴォイア家 のヴィットーリオ・エマヌエーレ2世を王国の国父と見なし、その偉業を讃えるべくその息子であるウンベルト1世の治世に建設が開始された。建設開始から16年後の1911年に落成式が行われ、1925年に完成した。目立って聳え立つ新古典主義の建築物は、古代ローマや中世時代の建物が入り乱れる同地において浮いた存在であり、しばしば景観についての議論の対象となったそうだ。特に地元の人間からは景観を乱す存在として、独特の柱や階段の位置から「ウェンディングケーキ」「タイプライター」「入れ歯」といった蔑称で呼ばれていた。そのためかガイドさんからはほとんど説明がなかったと記憶している。

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ローマ コロッセオ

ローマ帝政期の西暦80年に、ウェスパシアヌス帝とティトゥス帝によって造られた円形闘技場。建造後1900年以上経ってもコロッセオは今もって古代ローマの象徴でありつづけている。各種イベントに使用されることも多く、2016年5月には日本とイタリアの国交樹立150年を記念してライトアップが行われた。観光地としての評価も高く、2015年にロンリープラネット社が発表した「世界の究極の観光地ベスト500」では、コロッセオは欧州最高の7位にランクインした。(wikipediaから引用)

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ローマ ティトゥスの凱旋門 

ガイドさんの説明でコロッセオを見学したあと自由散策となった。フォロ・ロマーノの入り口になるのかどうか、「聖なる道」を歩く。行く手に見える門はティトゥスの凱旋門だ。wikipediaによれば、ティトゥスの凱旋門は82年、ローマ帝国第11代皇帝ドミティアヌスにより、先代皇帝でドミティアヌスの兄でもあるティトゥスのエルサレム攻囲戦等での戦功を称えるため建てられたそうだ。この凱旋門は、16世紀以降に建てられることとなる凱旋門のスタイルの手本とされ、その中には有名なパリのエトワール凱旋門などがある。フォロ・ロマーノを見て歩くには事前勉強不足であった。

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ローマ バチカン宮殿

バチカン宮殿  は、バチカン市国内のサン・ピエトロ大聖堂に隣接するローマ教皇の住居である。

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ローマ バチカン宮殿の衛兵

バチカン市国で見かけるローマ教皇を警護するスイス衛兵隊は、カラフルな衣装を纏ったバチカンの花形的存在として目立つ。しかし、バチカン市国なのにスイス傭兵なのだ。 現在のスイスは、傭兵を禁止しているそうだが、儀礼的要素が強いことなどから例外として維持されているという。現存する国軍では創設時期が最古の軍である。

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ローマ 法王の執務室

ローマ法王は教皇とも呼ばれる。毎週日曜にサンピエトロ広場で行っている「正午の祈り」では、教皇が広場に面した宮殿の執務室の窓を開けて姿を見せ、信者に向けて説教したり、メッセージを伝えたりする。ガイドさんから「どの窓」かを説明されたが忘れてしまった。

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ローマ バチカン美術館 地図のギャラリー

ローマの2日目はバチカン美術館見学から始まった。wikipediaによれば、16世紀末に教皇ユリウス2世により創設されたバチカン美術館は、ベルヴェデーレの中庭の大部分を占めており、世界で最も大きな美術品コレクションの一つであり、歴代の教皇が蒐集した美術品の膨大なコレクションを展示している。ミケランジェロをはじめとする画家たちにより装飾されたシスティーナ礼拝堂と、ラファエロを中心とする画家たちにより装飾された教皇の居室は、見学コースに含まれている。地図のギャラリーは教皇宮殿内にある。幅6m、長さ120mの大ギャラリーの壁面にイタリアや教皇領の地図がフレスコ画で描かれる。1580年-1583年に描かれたものである。

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ローマ バチカン美術館 無原罪のマリアの間の天井

「無原罪の御宿り」という教義は聖母マリアが、神の恵みの特別なはからいによって、原罪の汚れと穢れを存在のはじめから一切受けていなかったとする、カトリック教会における教義である。中央の祭壇にマリア像がある。

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ローマ バチカン美術館 ラオコーン像

ラオコーン像 は、バチカン美術館のピオ・クレメンティーノ美術館に所蔵されている古代ギリシアの大理石製の彫像。ギリシア神話のトロイアの神官ラオコーンとその2人の息子が海蛇に巻き付かれている情景を彫刻にした作品である。古代ローマの博物家プリニウスによると、この彫像の作者はロドス島出身のアゲサンドロス、アテノドロス、ポリュドロスの三人の彫刻家であるとしている。(wikipediaによる)

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ローマ パンテオン神殿 内部

パンテオン神殿のファサードはギリシャ神殿のようだった。最初のパンテオンは紀元前25年、初代ローマ皇帝アウグストゥスの側近マルクス・ウィプサニウス・アグリッパによって建造された。現在、ローマで見ることが出来るのは118年から128年に掛けて、ローマ皇帝ハドリアヌスによって再建されたこのパンテオンである。画家ラファエロの墓もここにある。毎年8月6日と9日には、ここで、原爆忌 Mai più Hiroshima(Never more Hiroshima) が行われている。

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ローマ パンテオン神殿 天井

建物は、深さ4.5mのローマン・コンクリート基礎の上部に直径43.2m の円堂と半球形のドームが載った構造で、壁面の厚さは6mに達するが、高さによって材質を使い分けており、ドーム上部は凝灰岩と軽石を素材として用い、その厚さは1.5mに減じる。床からドーム頂部までの高さは直径と同じ43.2mで、天井にはオクルス(ラテン語で「目」の意)と呼ばれる採光のための直径9メートルの開口部があり、当時は日時計の役割もあったようだ。雨が降ると雨水が落ちてくるらしく、床には水はけの溝があるという。

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ローマ スペイン広場

スペイン広場は近くにあるスペイン大使館にちなんで命名されたそうだ。広場の中央には、「バルカッチャの噴水(舟の噴水)」がある。東側にトリニタ・デイ・モンティ教会へと続く「スペイン階段(トリニタ・デイ・モンティ階段)」があった。映画「ローマの休日」で、オードリー・ヘプバーン扮する王女がジェラートを食べたシーンでもおなじみの場所である。 今は保全のため、広場での飲食や階段での座り込みが法令で禁止されたそうだ。

2021年9月13日

旅の思い出 海外編 3

5)1994年8月ー9月 憧れのイタリア旅行(1)
ミラノ、ヴェネチア、パドヴァ、ラヴェンナ、フィレンツェ

1981年の初めての海外渡航は、イタリアのフィレンツェで行われたある学会への出張だった。その時、その美しい街を見て、この次は観光旅行でイタリアに来たいと思ったものだった。
 それから13年後の夏休みに、家族でイタリア観光旅行を実現することが出来た。
 某旅行社のパックツアーだったが、ミラノから→ヴェネチア→パドヴァ→ラヴェンナ→フィレンツェ、そして、→サンジミニャーノ→シエナ→アッシジ→ローマ とイタリアの北側半分を巡った。この時のことはStudio YAMAKOで回顧版として2009nenn10月に 1994年イタリア 初めての海外ツアー として掲載しているので、今回は一部を除いてその写真と被らないような写真を中心に見ていただきたいと思う。フィルムカメラの EOS 650とOlympus μ で撮った写真をデジタル化している。

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ミラノ サンタ・マリア・デッラ・グラツィエ修道院

前日に空路でミラノに到着し、朝早くホテルを出発、レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」を見に行った。1296年、大聖堂を取り壊して着工し、その後の変遷を経て、建築家ソラーリによって長い年月をかけ1469年に完成した。教会は第二次世界大戦中に連合軍の空襲を受け、大きな被害を受けたが、『最後の晩餐』の前には土嚢が積み上げてあったため、かろうじて被害を免れたという。

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ミラノ サンタ・マリア・デッラ・グラツィエ修道院 「最後の晩餐」

レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画「最後の晩餐」は、ミラノ サンタ・マリア・デッラ・グラツィエ修道院の食堂に描かれたもので、420 x 910 cm の巨大なもの。レオナルドは1495年から制作に取りかかり、1498年に完成している。フレスコ技法ではなく、乾いた漆喰にテンペラで描かれたことや所在する環境から最も損傷が激しい絵画としても知られ、この時も修復中だった。

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ミラノ ドゥオモ

世界最大級のゴシック建築であり、全長158m、幅92m、高さ108mの威容を誇る。5世紀もの歳月をかけて多くの芸術家によって完成されたという。ドゥオモの前には広いドゥオモ広場がある。

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ミラノ ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世のガッレリア

ドゥオーモ広場の北にヴィットーリオ・エマヌエーレ2世のガッレリアというアーケードがある。イタリア王国の初代国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世に因んで名づけられたという。最初に1861年にデザインされ、イタリアの建築家ジュゼッペ・メンゴーニによって1865年から1877年の間に建設された。

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ミラノ ドゥオモ の屋上から

エレベータでドゥオモの屋根の上に登ることができた。ドゥオモには135本の尖塔があり尖塔の天辺にはひとつひとつに聖人が立っている。左下にヴィットーリオ・エマヌエーレ2世のガッレリアの屋根が見える。

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ミラノ スカラ座

現在の建物は2代目のもので1778年に完成した。初代の歴史的建築物のテアトロ・ドゥカーレは1776年2月25日、謝肉祭のガラ・コンサート後に焼失した。新劇場は以前サンタ・マリア・アラ・スカラ教会のあった場所に建設され、ここから劇場名がとられた。

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ヴェネチア イタリア国鉄 サンタ・ルチーア駅

ツアー一行はバスでヴェネチアへ着いた。イタリア国鉄の駅前広場を通って、運河を航行するヴァポレットという水上バスの停留所へ向かう。

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ヴェネチア サン・ジョルジョ・マッジョーレ島

この写真はサン・マルコ広場に建つサン・マルコ寺院の中から撮ったと記憶する。「サン・ジョルジョ・マッジョーレ島」は土地のほとんどが教会という。美しい鐘楼はサンマルコ広場からも見えた。

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ヴェネチア サン・マルコ広場

サン・マルコ寺院の前には大きな広場があり、カフェのテラス席もあって生演奏を聴きながら、最高の時間を過ごせる。私たちは映画「旅情」で有名な老舗のカフェ・フローリアンに入ってみた。

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ヴェネチア リアルト橋

カナル・グランデ(大運河)にかかるリアルト橋。1591年に水面からの高さ7.5mのそりの大きい、石造りの太鼓橋が完成した。橋の上にはアーケードが作られ、商店が並んでいる。

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パドヴァ サンタントーニオ聖堂

ベネチアから西へそれほど遠くないところにバドヴァ サンタントーニオ聖堂があった。1195年ポルトガル、リスボンで生まれ、1231年パドヴァ郊外で没した聖アントニオが奉られている。このサンタントーニオ聖堂はロマネスクのファサード、ゴシックのアーチ、ビザンティン様式のクーポラ、イスラム美術を取り入れた鐘楼など異なる様式の完璧な調和という特徴をもち世界でもめずらしい巨大建築物となっている。聖堂の建設は聖アントニオの死んだ翌年の1232年には始まっていたと考えられており、完成は1310年にまで長引いた。 1394年の火事とそれによる鐘楼の崩壊により聖堂の整理のための改築は15世紀まで続いたそうだ。

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ラヴェンナ ガッラ・プラキディア廟堂

つぎに訪れたのはベネチアから南へ100kmほどのところにあるラヴェンナだ。ガッラ・プラキディア廟堂が印象に残っている。外観は古く、小さくて地味な建物だが、その内部が素晴らしい。ローマ皇帝テオドシウス1世の皇女であるガッラ・プラキディアの霊廟とされる。5世紀半ばの建立。円天井は深い青色が特徴のモザイクに覆われ、奥行きのある構図になっている。

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フィレンツェ ミケランジェロ広場から

1981年、初めての海外旅行で サンタ・マリア・デル・フィオーレ(花の聖母 マリア)大聖堂 を眺めたミケランジェロ広場から、13年後に再び来ることが出来た。世界遺産フィレンツェ歴史地区の 一部として指定されている ドゥオーモ(大聖堂)、サン・ジョヴァンニ洗礼堂、ジョットの鐘楼の三つの建築物で構成される。1296年から140年以上をかけて建設されたそうだ。前回は曇り空だったが、この日は晴れてくっきりとフィレンツェの街並みを眺めることが出来た。

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フィレンツェ ベッキオ橋

ポンテ ベッキオはアルノ川に架かる橋で、イタリア語で「古い橋」を意味するフィレンツェ最古の橋である。先の大戦を生き延びたフィレンツェ唯一の橋だそうだ。河川の氾濫などで何度か建て直されており、現在の橋は1345年に再建されたものという。橋の上には宝飾店が並び人通りが絶えない。

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フィレンツェ シニョーリア広場

フィレンツェの政治の中心だ。ヴェッキオ宮殿は、共和国時代に政庁が置かれた建物で、今でも建物の半分は市役所として使用されている。イタリアが統一された約150年前、一時フィレンツェが首都だったことがあるが、その時はここが政府だったということだ。ここに立つミケランジェロ作のダビデ像は100年ほど前にアカデミア美術館に移されて、これはレプリカとのこと。1984年の国際化学療法学会の折、会社の医師のお供でこのベッキオ宮殿の古いひんやりとした大広間で行われたレセプションに出席したことを思い出す。

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フィレンツェ ウフィツイ美術館

右手前の建物がルネサンス絵画で有名なウフィツイ美術館である。近代式の美術館としてヨーロッパ最古のもののひとつである。メディチ家歴代の美術コレクションを収蔵する美術館であり、イタリア・ルネサンス絵画の宝庫である。展示物は2,500点にのぼりという。塔が見える建物はベッキオ宮殿である。

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フィレンツェ Hotel BAGLIONI

13年前に泊ったホテル バリオーニだ。なつかしい。少なくとも外観はちっとも変っていない。いま旅行案内を見ると、「中央駅前にひときわ目立つたたずまいのエレガントな4ツ星ホテル。観光名所は徒歩圏内。18世紀の宮殿を利用した館内はクラシックな雰囲気。最上階にあるレストランの窓からは、ドゥオモやジョットの鐘楼など素晴らしい景観が楽しめる。」とあった。

2021年8月31日

旅の思い出 海外編 2

3)1992年10月~11月 10年ぶりのニューヨーク

1982年に初めての海外渡航をしたが、それから10年後の1982年秋に2度目のニューヨーク出張の機会があった。その年に移動があって、新しい部署へ移ったが、その業務研修のため、英語の達者な同僚と2人で、JFK空港へ飛んだ。NJ州の郊外にある米本社の国際部門で同僚に助けられながら、5日間ほど研修を受けた。2日目くらいだったか、時差ボケに苦しんだのを思い出す。
 その後、ニューヨークに入り、この年の Awardで選ばれて米本社に招待された社員15名ほどと合流した。宿はセントラル・パークの前の The Plaza だった。ニューヨークのいちばんきれいな季節だった。Awardの一行は西海岸へ行く。

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研修期間中宿泊した郊外のホテル

ニュージャージー州の米本社国際部門の近く、確か Sheraton Towers だったと思うが、日本でいうビジネスホテルに泊った。2日目の夜だったか、非常ベルが鳴って驚かされたのを思い出す。誤作動だったらしい。

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Peddler's Villadge

研修最終日だったか、日本担当の Manager が Peddler's Villadge というところへ連れて行ってくれた。テーマパークか、ショッピングプラザといった風情だが、おとぎの国のような洒落たところだった。ニューヨークから南西へ50kmほどのところにあるペンシルバニア州の、むしろフィラデルフィアに近いところにある。小さな宿と何軒かの観光客相手のバラエティー・ショップを備えた観光スポットとして設営され、かれこれ半世紀以上の歴史があるのだそうだ。雑貨屋さんでコヒオドシというチョウのカービング(木彫)を買った。今も大事に持っている。

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The Plaza

業務研修を終え、ニューヨークへ移動した。日本から来た Award の一行と合流したが、宿はなんと有名な5番街セントラルパーク前のプラザホテルだった。

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遊覧船ニューヨーク港

ニューヨークの観光を共にした Award の一行が西海岸へ向かった後、私と同僚はニューヨークに残り、1日余暇があった。自由の女神を見に行こうと、遊覧船に乗ることにした。男二人で地下鉄に乗り、ピア83にある遊覧船の乗り場へ行った。

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ツインタワー

ビルとビルの間から、2001年にテロ攻撃で崩壊した旧ツインタワーが眺められた。

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ハロウィン

観光船の船着き場に戻ってきた。ハロウィンのシーズンだった。wikipediaによればHallowe'enとは、毎年10月31日に行われる、古代ケルト人が起源と考えられている祭のことだそうだが、現代では特にアメリカ合衆国で民間行事として定着し、祝祭本来の宗教的な意味合いはほとんどなくなっている。カボチャの中身をくりぬいて鬼火のようなランタンを作って飾ったり、子どもたちが魔女やお化けに仮装して近くの家々を訪れてお菓子をもらったりする風習などがある。渋谷のスクランブル交差点のハロウィンとは異質のようだ。

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ロックフェラーセンターのスケートリンク

ロックフェラーセンターは大富豪のジョン・D・ロックフェラーによって1930年から建設された複数のビルからなる複合施設だが、中心にある半地下のプラザには、万国の国旗とプロメテウスの黄金像が立ち、夏にはカフェテラス、冬にはアイススケートリンクとして使用される。特に12月になると特大のクリスマスツリーが飾られることで有名である。観光客が必ず訪れるところ。

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NYSE NY証券取引所

世界最大の証券取引所である。1903年に世界屈指の金融街、ウォール街に建設された。


4)1994年6月 3回目のニューヨーク

担当業務のなかには worldwide で取り組むプロジェクトがある。network 構築などはその一つの例だ。各国の人たちが集まり、そのプロジェクトの説明や、ワークショップなどが行われる。今さらでもないが、つくづくもっと英語を勉強しておくべきだったと思い知らされた。私が53歳の時である。この会議の終了後2日間ほどNYで過ごすことが出来、セントラルパーク、美術館、博物館、5番街などを歩いた。

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セントラルパークから

米本社国際部門の日本支社から来ていた友人と、朝からニューヨーク散策に出かけた。マンハッタンを南北に縦断する5番街を北へ歩く。まず、セントラルパークの中に入ってみた。プラザホテルやミッドタウンのビル群が見える。

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セントラルパーク

オジサン2人で様にならないが、セントラルパークの中を歩いてみた。ジョギングをする人が多い。

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高級住宅街

5番街の通りに出て北へ歩く。右手は高級住宅街としてもその名が知られるアッパー・イースト・サイドだ。

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メトロポリタン美術館

5番街(ミュージアム・マイル の区間)に面するセントラル・パーク東端にある世界最大級の美術館メトロポリタン美術館に入った。 ミュージアム・マイルの区間に9つの博物館や美術館がある。

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アメリカ自然史博物館

次にセントラルパークの西側にあるアメリカ自然史博物館を見学した。動植物、鉱物など自然科学・博物学に関わる多数の標本・資料が所蔵・公開されている。1869年に設立された。ちなみにパリの国立自然史博物館は1793年に開設されているが、標本数においてはここアメリカ自然史博物館の方が多いようだ。なお、ロンドンの大英自然史博物館は1753年にスタートしている。

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アメリカ自然史博物館の展示

写真に撮っていなかったが、アロサウルスから我が子を守ろうとして後ろ足で立つバロサウルスの骨格標本はこの博物館にある展示の中で際だっていると言われている。 世界的に有名な恐竜群を含む脊椎動物の骨格標本が多かったのを記憶している。

2021年8月26日

旅の思い出 海外編 1

2007年のオーストリア・イタリア旅行以降は、このブログ Studio YAMAKO で紀行文的に写真を載せてきた。それ以前は取り上げていないので、初めての海外旅行からそれまでのあいだに訪れたところについて記録に残しておこうと思う。ブログをはじめるまでは、チョウの写真以外あまり熱心に写真を撮ったことがなく、良い写真は残っていない。デジタルカメラに移行したのは過渡期を経て2004年頃からである。それまでの写真は、フィルムで撮ったLサイズの印画から、スキャニングした。画像も粗く、すっかり退色している写真が多く、ソフトで多少補正してみたのだが成す術もない。思い出しながら何枚かの写真を載せていきたいと思う。

1)1981年7月 初めての海外渡航 イタリア フィレンツェ

私が初めて飛行機に乗って海外旅行をしたのは、今から40年前の1981年、40歳の時だった。私は日米合弁の製薬会社に勤務していたが、米国の親会社で抗生物質の新製品が開発され、その製品について各国からいくつかの発表がされる国際化学療法学会という医学会だった。もちろん私は医師でもないし、また薬剤師でもないのだが、その新製品の日本でのマーケティングを担当することになった。日本からも大勢のご専門の先生方が出席されたが、それを国内で広くお医者様が治療に利用していただくにさきがけ、どのような疾患が対象になるのかなどを現地で情報収集するのが主な目的であった。
 場所はイタリアのフィレンツェだった。出張でフィレンツェへ行けるなんてめったにないことだと思う。とはいうもののもちろん観光旅行ではない。観ていただくような写真もほとんど残っていない。

ローマの空港に着いたら、たまたまその日は鉄道がストを行っていて、バスでフィレンツェへ移動することになった。その途中で、オルビエートという丘の上にある中世の街を観光させてもらった。良い写真はないが、行ったという証拠を記録しておく。カメラも何だったか忘れてしまった。ネガカラーフィルムで撮った写真の印画をスキャニングした。

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オルビエート・ドゥオモ のファサード

シニョレッリの壁画「最後の審判」などで有名なゴシック様式の壮麗な大聖堂 オルヴィエートのドゥオーモ をはじめ、今も中世さながらの街並みを残す。

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フィレンツェ駅前 ホテル BAGLIONI

フィレンツェ国際化学療法学会の会場は、ローマ・テルミニ駅より314 kmのところにあるフィレンツェ中央駅(フィレンツェ・サンタ・マリア・ノヴェッラ駅)から徒歩圏内にあった。上の写真はその開催期間中の数日間、私が宿泊した駅前の「BAGLIONI」というホテルだった。夏期に屋上で営業するレストランが人気だった。

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ミケランジェロ広場からフィレンツェの街並み

中央に見えるのがフィレンツェのシンボルとして有名な「サンタ・マリア・デル・フィオーレ(花の聖母 マリア)大聖堂」のドゥオモ(クーポラ)。

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フィレンツェの街

今から40年前のフィレンツェの街だ。観光客が多い。

海外渡航が自由化されたのは、1964年であるが、1908年代になると日本からも毎年500万人の人々が渡航、海外旅行を楽しむようになった。日本からの多くの観光客はパック・ツアーを利用した。この時の私のイタリア旅行は出張であり、フィレンツェと、帰路ローマで一泊しただけだったが、このとき、この次はイタリアへ観光旅行をしたいと思った。


2)1982年8月 アメリカ本社の招待旅行
 ニューヨーク​とロサンゼルス

私がマーケティングを担当した抗生物質製剤が国内で発売され、営業担当の社員たちが活躍したが、アメリカ本社がその成績優秀者をアメリカへ招待してくれることになり、私も同行する機会を得た。医療施設などの見学と観光である。
ニューヨークで数日間を過ごした一行は、6時間弱飛行機に乗り、ロサンゼルスに移動した。 2007年に売却され、今は Kyoto Grand Hotel and Garden となったホテル ニューオータニ ロサンゼルスに泊り、日本人街、ハリウッド、そしてアナハイムのデズニーランドを観光し、そこから日本へ帰国した。アメリカは広い、ニューヨークからロスアンゼルスへは、おおよそ4000kmあり、時差は3時間ある。

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ニューヨーク郊外の診療所見学

現地の担当者が同行してくれて、ニューヨーク郊外のクリニックの訪問を経験した。

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旧ワールドトレードセンターからエンパイアを望む

かってのワールドトレードセンタービルの屋上から、北側のエンパイアステートビルが建つミッドタウン方面を眺める。 いま(2021年8月18日現在)、報道番組はタリバンがアフガニスタンの首都カブールを占拠し、ガニ大統領がアフガニスタンから出国して、政権が事実上崩壊したと伝えている。かつてのタリバン政権は2001年に米同時テロを引き起こしたアルカイダの指導者ウサマ・ビンラディン容疑者をかくまった。今から10年前の2001年9月11日の8時46分、アメリカン航空11便がワールトレードセンター・ノースタワーに激突した。9時3分、ユナイテッド航空175便がサウスタワーに激突。テロ攻撃だと誰もが確信した。ブッシュ大統領は、テロ攻撃はテロ組織アルカイダによるものとし「テロとの戦い」を宣言した。この痛ましいテロ攻撃を受けたかってのツインタワー(110階建て、1973年4月4日にオープン)の屋上に上がってニューヨークの街を眺めたときの写真である。

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ヤンキースタジアム

ヤンキースタディアムでヤンキース対ブルージェイズ戦を観戦した。電光板に何やら文字が。

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アナハイム ディズニーランド

日本から来たオジサンたちがロサンゼルスの南東約45kmのところにある1955年にオープンしたディズニーランドで1日遊んだ。そういえば今活躍中のオータニさんのいるエンジェルスもアナハイムが本拠地だ。

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ロサンゼルス チャイニーズシアター

観光スポットであるチャイニーズシアターは派手な中国の寺院のような赤い建物が目立つ。チャイニーズシアターの前では数多くの歴代のスターたちの手形や足形を見ることがでできる。また、チャイニーズシアター前の歩道には、エンターテイメント界で活躍した人物の名前が彫られた2,000以上の星型のプレートが埋め込んであり、ハリウッド・ウォーク・オブ・フェーム(ハリウッド名声の歩道)と呼ばれる観光名所となっている。