overseasアーカイブ: Studio YAMAKO

2023年2月19日

1999年8月22日~30日 カナダ旅行 1 of 2

ブログのネタが切れてしまった。もう、24年も前のことだが、カナディアン・ロッキーを訪れた時のことをもう一度写真で振り返ってみようと思う。詳しいことは覚えていないが、23年前の記憶を辿ってみる。
 カメラはNikon の F90XS というフィルム・カメラだった。当時としてはAFが早いということだったが、あまり人気が出なかったカメラである。この旅行ではNIKKOR 24mm~120mmズームレンズ を付けていった。一緒にオリンパスμというコンパクトカメラを持って行ったがこれが期待以上によく撮れた。

000_990825198S (文字)カナディアンロッキー アサバスカ氷河 F90 アルバム用_.jpg
アサバスカ氷河 1999年8月25日 カナディアン・ロッキー

001_990823007S X900 トロント F90 アルバム用.jpg 1.トロントの街
8月22日に成田を発ったのだが、何時ごろの便だったか定かに覚えていない。日付変更線を超えて、同じ日の夜にトロントについたのではないかと思う。次の日はまず、トロントの市街を見学した。

Nikon F90XS AF NIKKOR 24mm~120mm f3.5-5.6D
プログラムオートで撮影
002_990823016S X900 トロント F90 アルバム用 ウェランド運河.jpg 2.ウェランド運河
トロント街を少し見学した後、バスはナイアガラへ向かった。所要時間は約2時間ほどだったと思う。途中、バスは写真の運河を渡っていった。wikipediaによれば、このウェランド運河(Welland Canal)は、カナダのオンタリオ州にある全長43.4 km の運河で、エリー湖のポートコルボーン(Port Colborne)とオンタリオ湖のポートウェラー(Port Weller)を結んでおり、五大湖と大西洋を結ぶセントローレンス海路の一部でもある。船はこの運河により、ナイアガラの滝を迂回してエリー湖とオンタリオ湖の間を行き来できる。運河の水位が違うのが見える。もうすぐナイアガラ瀑布だ。

Nikon F90XS AF NIKKOR 24mm~120mm f3.5-5.6D
プログラムオートで撮影
003_990823103 X900 ナイアガラ蝶園.jpg 3.ナイアガラ蝶園
ツアーの一行は、バスを降りて、どこか忘れてしまったが行くことになっていた。わたくしは、ツアコンに別行動でナイアガラ公園の少し離れたところにあるナイアガラ蝶園へ行きたいと頼んでみた。すると、ツアー一行が観光をしている間乗ってきたバスは待っているだけなので、そのバスで蝶園まで乗せていってくれるよう運転手に頼んでくれた。そして、約1時間蝶園で楽しい時間を過ごした後、ツアーの昼食会場でみんなと合流するところまで面倒を見てもらった。チップをはずんだのは言うまでもない。

Nikon F90XS AF NIKKOR 24mm~120mm f3.5-5.6D
プログラムオートで撮影
004_990823058S X900 ナイアガラ蝶園 F90 アルバム用.jpg 4.ナイアガラ蝶園(Butterfly Conservatory) -1
ナイアガラ蝶園で翔んでいるチョウたちは、日本の多摩動物園の蝶園や、足立生物園などで飼育されているチョウとは様子が違っていて、中南米のチョウが多かった。このチョウは中央アメリカから南アメリカに産するチャクトニアドクチョウのようだ。

Nikon F90XS AF NIKKOR 24mm~120mm f3.5-5.6D
プログラムオートで撮影
005_990823087S X900 ナイアガラ蝶園 F90 アルバム用.jpg 5.ナイアガラ蝶園(Butterfly Conservatory) -2
このチョウはメルポメネドクチョウといい、南米のペルーなどの産する蝶だ。やや小型だが、いかにも毒があるような紋様である。日本でもアサギマダラなどの毒蝶がいる。幼虫がアルカロイドを有するガガイモ科の植物を食草としていて、成虫になってもその毒は体内に残る。

Nikon F90XS AF NIKKOR 24mm~120mm f3.5-5.6D
プログラムオートで撮影
006_990823105S X900 ナイアガラ F90 アルバム用.jpg 6.ナイアガラの滝 -1 アメリカ滝
ナイアガラの滝は、エリー湖からオンタリオ湖に流れるナイアガラ川にある滝。カナダのオンタリオ州とアメリカ合衆国のニューヨーク州とを分ける国境になっている。ナイアガラの滝は、カナダ滝 (落差56m、幅675m、滝壺の深さ55m)、アメリカ滝 (落差58m、幅330m)、ブライダルベール滝 (落差55m、幅15m)の3つからなる。これはアメリカ滝である。

Nikon F90XS AF NIKKOR 24mm~120mm f3.5-5.6D
プログラムオートで撮影
007_990823106S X900 ナイアガラ F90 アルバム用.jpg 7.ナイアガラの滝 -2 カナダ滝
こちらはカナダ滝で、アメリカ滝より雄大であった。アメリカとの国境を挟んでカナダ側にある。カナダ側にあることからその名があるが、馬蹄形の形をしていることから英称で「ホースシュー・フォールズ」とも呼ばれる。

Nikon F90XS AF NIKKOR 24mm~120mm f3.5-5.6D
プログラムオートで撮影
008_990823124S X900 ナイアガラ F90 アルバム用.jpg 8.ナイアガラの滝 -3 カナダ滝
展望台からカナダ滝を見ていたら、虹がかかった。観光客をいっぱい乗せたボートが滝の落ちるところへ進んでいる。乗っている人は青いビニールの合羽を着ていた。

Nikon F90XS AF NIKKOR 24mm~120mm f3.5-5.6D
プログラムオートで撮影
009_990823148S X900 カルガリー F90 アルバム用.jpg 9.カルガリー
ナイアガラの滝を観光して、空路、カルガリーへ向かう。この日はカルガリー泊だった。東から西へ、飛行時間は6~7時間かかったように思う。車だと30時間以上かかるそうだ。空港からホテルへ行くバスの車窓から、走行する貨物列車が見えた。カルガリーは、カナダ西部にあるアルバータ州の都市だ。同州最大かつ北米有数の世界都市でもある。アルバータ州の南部、カナディアンロッキー山麓から東におよそ80 kmの高原地帯に位置する。わたくしたちがツアーで訪れた時代の人口は100万人以下だったが、2017年のデータでは134万人になっている。

Nikon F90XS AF NIKKOR 24mm~120mm f3.5-5.6D
プログラムオートで撮影
010_990824147 X900 カルガリー.jpg 10.カルガリーからレーク・ルイーズへ
距離にして200km弱ある。朝カルガリーのホテルを出発し、カナディアン・ローッキーを目指してバスは出発した(バスの窓ガラスの反射が映り込んでしまった)。カルガリーの郊外には、1988年の冬季オリンピックで、フィンランドのマッチ・ニッカネンが大活躍したスキーのジャンプ台が見えた。ニッカネンは、個人戦の70m級、90m級だけでなく団体戦もフィンランド・チームで金メダルを獲得してジャンプでは史上唯一の三冠に輝いた。日本選手では、フィギュアスケートの伊藤みどり選手が、当時の女子で最高難易度レベルのジャンプを連発し地元メディアに「flying woman(空飛ぶ女性)」と紹介され一躍人気を集めた。

Nikon F90XS AF NIKKOR 24mm~120mm f3.5-5.6D
プログラムオートで撮影
011_990825155S X900 レークルイーズ F90 アルバム用.jpg 11.レーク・ルイーズ 到着
夕方、早い時間にレーク・ルイーズのホテルに到着した。湖畔にある有名な「Fairmont Chateau Lake Louise」だ。19世紀末から20世紀初頭にカナダ太平洋鉄道が建設したもので、同じロッキー山中のバンフ・スプリングス・ホテル、ケベックのシャトー・フロンテナック等とともにフェアモント・ホテルズ系列である。憧れていたホテルである。この写真は翌朝に撮った写真だったと思う。

Nikon F90XS AF NIKKOR 24mm~120mm f3.5-5.6D
プログラムオートで撮影
012_990825154S X900 レークルイーズ F90 アルバム用.jpg 12.レーク・ルイーズ
ホテルの前には、雪を冠したカナデァン・ロッキーの山を背景に、レーク・ルイーズが静かな佇まいを見せる。レイク・ルイーズ(Lake Louise)は、カナダ アルバータ州のバンフ国立公園内にある湖及びその近くにある小村の名前である。氷河から解け出た水に含まれる岩粉により、湖は独特なエメラルド色をしている。湖周辺ではハイキングや登山の他、スキーを楽しむこともできる。水面の標高は1536m である。レイク・ルイーズの名前は、ヴィクトリア女王の四女でありカナダ総督ジョン・キャンベル夫人であったルイーズ・キャロライン・アルバータに由来している。

Nikon F90XS AF NIKKOR 24mm~120mm f3.5-5.6D
プログラムオートで撮影
013_990825376S X900 レークルイーズ朝 Olympus μ アルバム用.jpg 13・朝日を浴びるシャトー・レイク・ルイーズ
早起きして、湖のほとりで写真をとった。はやばやとハイキングに出発するグループもあった。太陽がのぼり、ホテルに陽が当たり、輝いていた。

Orympus μ 35mm f3.5
014_990825164S X900 カナディアンロッキー クロウフット氷河 F90 アルバム用.jpg 14.クロウフット氷河 -1
8月25日、この日はカナディアン・ロッキーの景勝地をめぐる。レイク・ルイーズの町の北西約32kmほどの所であり、この氷河はレイク・ルイーズの町とジャスパーの町とを結ぶアルバータ州の高速道路93号線のアイスフィールド高速道路(英語版)からも見ることができた。Crowfoot Glacier、その名の通り、カラスの足の形をしている。

Nikon F90XS AF NIKKOR 24mm~120mm f3.5-5.6D
プログラムオートで撮影
015_990825165S X900 カナディアンロッキー クロウフット氷河 F90 アルバム用.jpg 15.クロウフット氷河 -1
レイク・ルイーズから93号線を北へ、アサバスカ氷河へ行く途中、クロウフットの展望所があった。wikipediaによれば、かつてはワプタ氷原につながっていて、そこから流れ出す氷河であった。ワプタ氷原も含めてカナディアンロッキーに存在する氷河や氷原は縮小傾向にあるわけだが、ワプタ氷原が縮小して、このクロウフット氷河は氷原から分離してしまったのである。さらに縮小傾向にあるのはクロウフット氷河についても言えることで、1850年頃に小氷期が終わってから後、この氷河は後退していっている。

Nikon F90XS AF NIKKOR 24mm~120mm f3.5-5.6D
プログラムオートで撮影
016_990825173S X900 カナディアンロッキー ボウサミット F90 アルバム用.jpg 16.ボウ・サミットから見るペイトー湖
レイクルイーズから30分ほど走ったところで、ボウ・サミット(BowSumit)の駐車場に入る。展望台へ行くとペイトー湖が見下ろせた。

Nikon F90XS AF NIKKOR 24mm~120mm f3.5-5.6D
プログラムオートで撮影
017_990825183S X900 カナディアンロッキー F90 アルバム用.jpg 17.ボウ・サミットからアサバスカ氷河へ
バスは93号線からボウ川に沿って北上する。車窓の景色は変化に富んで美しかった。

Nikon F90XS AF NIKKOR 24mm~120mm f3.5-5.6D
プログラムオートで撮影
018_990825184S X900 カナディアンロッキー F90 アルバム用.jpg 18.アサバスカ氷河入り口
バスはアサバスカ氷河の入り口に着いた。ここから雪上車に乗り、氷河に向かう。アサバスカ氷河は、コロンビア氷原から流れ出す主要な6つの氷河の1つとして数えられている。すなわち、キャッスルガード氷河(Castleguard Glacier)、コロンビア氷河(Columbia Glacier)、ドーム氷河(Dome Glacier)、スタッドフィールド氷河(Stutfield Glacier)、サスカチュワン氷河(Saskatchewan Glacier)、そしてこのアサバスカ氷河である。

Nikon F90XS AF NIKKOR 24mm~120mm f3.5-5.6D
プログラムオートで撮影
019_990825185S X900 カナディアンロッキー アサバスカ氷河 F90 アルバム用.jpg 19.アサバスカ氷河
雪上車に揺られて氷河の中に入って行った。wikipediaによれば、コロンビア氷原から流れ出す氷河は、近年その規模が縮小する傾向にあって、それはこのアサバスカ氷河も例外ではない。アサバスカ氷河は近年年間2mから3mのペースで後退を続けている。さらに、この125年で1500m以上も後退し、氷河の体積も、その半分以上が失われたことで知られている。このように、急速に縮小を続けている氷河であるため、あくまで参考値でしかないが、ツアーでわたくしたちが訪れた年から13年後にあたる、2012年現在のアサバスカ氷河は、全長がだいたい6kmで、約6km2の面積を持ち、氷は90mから300mの厚みを持った場所が存在していると見積もられている。なお、2012年現在のアサバスカ氷河の流速は1日に数cmである。そして、アサバスカ氷河は末端部で融解し、アサバスカ川となって流れていっている。

Nikon F90XS AF NIKKOR 24mm~120mm f3.5-5.6D
プログラムオートで撮影
020_990825216S X900 カナディアンロッキー Bow Lake F90 アルバム用.jpg 20.ボウ・レイク
アサバスカ氷河から、来た道をこの日泊まるバンフの方へ戻る。途中、レイク・ルイーズの町の北方約30kmに位置する小さな淡水湖である。湖畔に下りて休憩したが、そのターコイズブルーの水は澄み切っていた。このボウ・レイクは長さ約3.2km、幅約1.2km、面積約3.21㎢と小規模な湖だ。しかしながら、この湖は氷河の末端で融解した水が流れ込んでおり、その水には氷河が削りだした微細な粒子が含まれているため、入射する太陽光が散乱され、湖水がターコイズブルー(トルコ石の青色)に見えるのだ。

Nikon F90XS AF NIKKOR 24mm~120mm f3.5-5.6D
プログラムオートで撮影
021_990825226S X900 カナディアンロッキー Bow Lake F90 アルバム用.jpg 21.ボウ・レイク湖畔のロッジ
湖畔には、赤い屋根が印象的なナム・タイ・ジャー・ロッジがある。湖水面の標高は1920m。

Nikon F90XS AF NIKKOR 24mm~120mm f3.5-5.6D
プログラムオートで撮影

2021年9月17日

旅の思い出 海外編 4

6)1994年8月ー9月 憧れのイタリア旅行(2)
サンジミニャーノ、シエナ、アッシジ、ローマ

8月27日から8月30日までミラノからヴェネチア、パドヴァ、ラヴェンナ、フィレンツェ、を観光して、後半は8月30日から9月2日まで、サンジミニャーノ、シエナ、アッシジ、そしてローマを周る、なか7日間の観光ツアーだった。
 ローマでちょっとにわか雨に振られただけで、毎日、ほとんど快晴に恵まれた。

041 940831177S X700 ○サンジミアーノ EOS650.jpg
サンジミニャーノ トスカーナの丘

フィレンツェから南西57km、標高334mの丘の上の街サンジミニャーノ。城壁の中に形成されるこの町は高い塔が連立することで有名だが、これらの塔はかつて富や権力の象徴であり、最も多いときで70を越える塔が林立していたようだ。 いまでも14の塔が残っており、中世の面影を今に伝えている。 サンジミニァーノの塔の上からは、トスカーナのぶどうとオリーブ畑が見渡せた。なだらかな丘が幾重にも遠くまで続く。

042_940831173S X700 サンジミアーノ EOS650.jpg
サンジミニャーノ ドゥオモ(参事会教会大聖堂)広場 

サンジミニャーノにもドゥオモがあった。周囲を七つの塔に囲まれたドゥオモ広場に面するこの大聖堂の元の教会は12世紀にローマ教皇エウゲニウス3世により建造された。高さ54メートルの鐘塔をもつ。モデナの司教で397年にこの地で死亡した聖ジミニャーノを祀り、ここから町の名前になっている。ファサードは東向きで、18段の広い階段の上に建つ13世紀のロマネスク様式である。

043_940831183S X700 シエナ EOS650.jpg
シエナ カンポ広場

シエナはフィレンツェから南へ約50kmのところにある。中世には金融業で栄えた有力都市国家であり、13世紀から14世紀にかけて最盛期を迎えた。フィレンツェとトスカーナ地方の覇権を競い、またその経済力を背景として、ルネサンス期には芸術の中心地のひとつであったそうだ。

044_940901205S X700 ○アッシジ EOS650.jpg
アッシジ サンフランチェスコ聖堂

シエナからボローニアへ移動し、そこで1泊した。翌日、アッシジへ向かった。アッシジは首都ローマから北へ約131kmのところにある。フランシスコ会の創設者である聖フランチェスコの出身地として知られており、キリスト教の巡礼地としての性格を持つ都市でもある。最大の見所はサン・フランチェスコ聖堂である。聖堂は町の北西の斜面の上に建ち、斜面を有効に利用するため建物は上下二段に分かれている。上堂部分はゴシック様式、下堂の部分はロマネスク様式になっている。聖堂にはチマブーエ、ジョット、マルティーニなどの画家の手になるフレスコ画が多数描かれ、上堂内部はルネサンス初期の画家ジョットによる28の場面を描いた聖人フランチェスコの生涯のフレスコ画が、また下堂には「玉座の聖母と4人の天使と聖フランチェスコ」がそれぞれ一番の見所である。私たちが訪れた1994年から3年後1997年に大地震で大打撃を受けた。ボランティアによる修復工事などにより、2000年にはほぼ元の形にもどった。

045_940901202S X700 アッシジ EOS650.jpg
アッシジ サンタ・キァーラ修道院

サンフランチェスコ聖堂の関連施設群であるサンタ・キァーラ修道院は、聖フランチェスコの精神に従った女性キァーラ(クララ)のグループが建てた女子修道院で、1257年に完成した。ファサードはサンフランチェスコ聖堂と似ているが、アッシジの町にも多く使われている白とばら色の大理石を縞模様に積み重ね、中央にバラ窓と入口がひとつずつあるだけでシンプルです。

046_940901207 X700 アッシジ EOS650.jpg
アッシジ 城塞

アッシジは城壁の街と言われる。市街地は丘陵に沿って東西に長く形成されており、これに伴って城壁も東西に長く築かれた。城壁は市街地西端のサン・フランチェスコ聖堂から山上まで伸び、その山上にはロッカ・マジョーレ「大きな城砦」がそびえる。

047_940901216 X700 ローマ EOS650.jpg
ローマ トレヴィの泉 -1

アッシジを巡ったあと、その足でローマに入った。いよいよ最後の訪問地である。ローマにはたくさん見るべきところがあり、翌日と2日間での観光となった。トレヴィの泉は1762年に完成している。後ろのポーリ宮殿と一体になったバロック・ロココ様式の豪華な造りが魅力の、ローマで最も大きく、 夢のある美しい噴水という。

048_940901213S X700 ローマ EOS650.jpg
ローマ トレヴィの泉 -2

「後ろ向きの肩越しにコインを1枚投げ入れたなら、またいつの日か必ずローマに戻ることができる」と言い伝えられ、いつもたくさんの観光客であふれかえるローマの超人気スポットである。

049_940901218 X700 ローマ EOS650.jpg
ローマ ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂 

ローマ旧市街のほぼ中心にあるヴェネツィア広場をバスで通った。写真の建物はヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂という。1885年、イタリア統一運動時に核となり、統一後はイタリア王国の王家となったサヴォイア家 のヴィットーリオ・エマヌエーレ2世を王国の国父と見なし、その偉業を讃えるべくその息子であるウンベルト1世の治世に建設が開始された。建設開始から16年後の1911年に落成式が行われ、1925年に完成した。目立って聳え立つ新古典主義の建築物は、古代ローマや中世時代の建物が入り乱れる同地において浮いた存在であり、しばしば景観についての議論の対象となったそうだ。特に地元の人間からは景観を乱す存在として、独特の柱や階段の位置から「ウェンディングケーキ」「タイプライター」「入れ歯」といった蔑称で呼ばれていた。そのためかガイドさんからはほとんど説明がなかったと記憶している。

050_940901219S X700 ○ローマ EOS650.jpg
ローマ コロッセオ

ローマ帝政期の西暦80年に、ウェスパシアヌス帝とティトゥス帝によって造られた円形闘技場。建造後1900年以上経ってもコロッセオは今もって古代ローマの象徴でありつづけている。各種イベントに使用されることも多く、2016年5月には日本とイタリアの国交樹立150年を記念してライトアップが行われた。観光地としての評価も高く、2015年にロンリープラネット社が発表した「世界の究極の観光地ベスト500」では、コロッセオは欧州最高の7位にランクインした。(wikipediaから引用)

051_940901224S X700 ローマ EOS650.jpg
ローマ ティトゥスの凱旋門 

ガイドさんの説明でコロッセオを見学したあと自由散策となった。フォロ・ロマーノの入り口になるのかどうか、「聖なる道」を歩く。行く手に見える門はティトゥスの凱旋門だ。wikipediaによれば、ティトゥスの凱旋門は82年、ローマ帝国第11代皇帝ドミティアヌスにより、先代皇帝でドミティアヌスの兄でもあるティトゥスのエルサレム攻囲戦等での戦功を称えるため建てられたそうだ。この凱旋門は、16世紀以降に建てられることとなる凱旋門のスタイルの手本とされ、その中には有名なパリのエトワール凱旋門などがある。フォロ・ロマーノを見て歩くには事前勉強不足であった。

052_940901234S X700 ローマ EOS650.jpg
ローマ バチカン宮殿

バチカン宮殿  は、バチカン市国内のサン・ピエトロ大聖堂に隣接するローマ教皇の住居である。

053_940901241 X700 ○ローマ バチカン市国 EOS650.jpg
ローマ バチカン宮殿の衛兵

バチカン市国で見かけるローマ教皇を警護するスイス衛兵隊は、カラフルな衣装を纏ったバチカンの花形的存在として目立つ。しかし、バチカン市国なのにスイス傭兵なのだ。 現在のスイスは、傭兵を禁止しているそうだが、儀礼的要素が強いことなどから例外として維持されているという。現存する国軍では創設時期が最古の軍である。

054_940901243 X700 ローマ EOS650.jpg
ローマ 法王の執務室

ローマ法王は教皇とも呼ばれる。毎週日曜にサンピエトロ広場で行っている「正午の祈り」では、教皇が広場に面した宮殿の執務室の窓を開けて姿を見せ、信者に向けて説教したり、メッセージを伝えたりする。ガイドさんから「どの窓」かを説明されたが忘れてしまった。

055_940902256 X700 ローマ EOS650.jpg
ローマ バチカン美術館 地図のギャラリー

ローマの2日目はバチカン美術館見学から始まった。wikipediaによれば、16世紀末に教皇ユリウス2世により創設されたバチカン美術館は、ベルヴェデーレの中庭の大部分を占めており、世界で最も大きな美術品コレクションの一つであり、歴代の教皇が蒐集した美術品の膨大なコレクションを展示している。ミケランジェロをはじめとする画家たちにより装飾されたシスティーナ礼拝堂と、ラファエロを中心とする画家たちにより装飾された教皇の居室は、見学コースに含まれている。地図のギャラリーは教皇宮殿内にある。幅6m、長さ120mの大ギャラリーの壁面にイタリアや教皇領の地図がフレスコ画で描かれる。1580年-1583年に描かれたものである。

056_940902258 X700 ローマ 無原罪のマリアの間の天井EOS650.jpg
ローマ バチカン美術館 無原罪のマリアの間の天井

「無原罪の御宿り」という教義は聖母マリアが、神の恵みの特別なはからいによって、原罪の汚れと穢れを存在のはじめから一切受けていなかったとする、カトリック教会における教義である。中央の祭壇にマリア像がある。

057_940902267S X700 ローマ ラオコーン像 EOS650.jpg
ローマ バチカン美術館 ラオコーン像

ラオコーン像 は、バチカン美術館のピオ・クレメンティーノ美術館に所蔵されている古代ギリシアの大理石製の彫像。ギリシア神話のトロイアの神官ラオコーンとその2人の息子が海蛇に巻き付かれている情景を彫刻にした作品である。古代ローマの博物家プリニウスによると、この彫像の作者はロドス島出身のアゲサンドロス、アテノドロス、ポリュドロスの三人の彫刻家であるとしている。(wikipediaによる)

058_940902272S X700 ローマ EOS650.jpg
ローマ パンテオン神殿 内部

パンテオン神殿のファサードはギリシャ神殿のようだった。最初のパンテオンは紀元前25年、初代ローマ皇帝アウグストゥスの側近マルクス・ウィプサニウス・アグリッパによって建造された。現在、ローマで見ることが出来るのは118年から128年に掛けて、ローマ皇帝ハドリアヌスによって再建されたこのパンテオンである。画家ラファエロの墓もここにある。毎年8月6日と9日には、ここで、原爆忌 Mai più Hiroshima(Never more Hiroshima) が行われている。

059_940902273S X700 ○ローマ EOS650.jpg
ローマ パンテオン神殿 天井

建物は、深さ4.5mのローマン・コンクリート基礎の上部に直径43.2m の円堂と半球形のドームが載った構造で、壁面の厚さは6mに達するが、高さによって材質を使い分けており、ドーム上部は凝灰岩と軽石を素材として用い、その厚さは1.5mに減じる。床からドーム頂部までの高さは直径と同じ43.2mで、天井にはオクルス(ラテン語で「目」の意)と呼ばれる採光のための直径9メートルの開口部があり、当時は日時計の役割もあったようだ。雨が降ると雨水が落ちてくるらしく、床には水はけの溝があるという。

060_940902284TS X700 ○ローマ EOS650.jpg
ローマ スペイン広場

スペイン広場は近くにあるスペイン大使館にちなんで命名されたそうだ。広場の中央には、「バルカッチャの噴水(舟の噴水)」がある。東側にトリニタ・デイ・モンティ教会へと続く「スペイン階段(トリニタ・デイ・モンティ階段)」があった。映画「ローマの休日」で、オードリー・ヘプバーン扮する王女がジェラートを食べたシーンでもおなじみの場所である。 今は保全のため、広場での飲食や階段での座り込みが法令で禁止されたそうだ。

2021年9月13日

旅の思い出 海外編 3

5)1994年8月ー9月 憧れのイタリア旅行(1)
ミラノ、ヴェネチア、パドヴァ、ラヴェンナ、フィレンツェ

1981年の初めての海外渡航は、イタリアのフィレンツェで行われたある学会への出張だった。その時、その美しい街を見て、この次は観光旅行でイタリアに来たいと思ったものだった。
 それから13年後の夏休みに、家族でイタリア観光旅行を実現することが出来た。
 某旅行社のパックツアーだったが、ミラノから→ヴェネチア→パドヴァ→ラヴェンナ→フィレンツェ、そして、→サンジミニャーノ→シエナ→アッシジ→ローマ とイタリアの北側半分を巡った。この時のことはStudio YAMAKOで回顧版として2009nenn10月に 1994年イタリア 初めての海外ツアー として掲載しているので、今回は一部を除いてその写真と被らないような写真を中心に見ていただきたいと思う。フィルムカメラの EOS 650とOlympus μ で撮った写真をデジタル化している。

024_940827006S X700 ミラノ EOS650.jpg
ミラノ サンタ・マリア・デッラ・グラツィエ修道院

前日に空路でミラノに到着し、朝早くホテルを出発、レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」を見に行った。1296年、大聖堂を取り壊して着工し、その後の変遷を経て、建築家ソラーリによって長い年月をかけ1469年に完成した。教会は第二次世界大戦中に連合軍の空襲を受け、大きな被害を受けたが、『最後の晩餐』の前には土嚢が積み上げてあったため、かろうじて被害を免れたという。

025_940827007 X700 ミラノ EOS650.jpg
ミラノ サンタ・マリア・デッラ・グラツィエ修道院 「最後の晩餐」

レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画「最後の晩餐」は、ミラノ サンタ・マリア・デッラ・グラツィエ修道院の食堂に描かれたもので、420 x 910 cm の巨大なもの。レオナルドは1495年から制作に取りかかり、1498年に完成している。フレスコ技法ではなく、乾いた漆喰にテンペラで描かれたことや所在する環境から最も損傷が激しい絵画としても知られ、この時も修復中だった。

026_940827012 X700 ミラノ Olympusμ.jpg
ミラノ ドゥオモ

世界最大級のゴシック建築であり、全長158m、幅92m、高さ108mの威容を誇る。5世紀もの歳月をかけて多くの芸術家によって完成されたという。ドゥオモの前には広いドゥオモ広場がある。

027_940827035S X700 ○ミラノ EOS650.jpg
ミラノ ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世のガッレリア

ドゥオーモ広場の北にヴィットーリオ・エマヌエーレ2世のガッレリアというアーケードがある。イタリア王国の初代国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世に因んで名づけられたという。最初に1861年にデザインされ、イタリアの建築家ジュゼッペ・メンゴーニによって1865年から1877年の間に建設された。

028_940827063S ミラノ EOS650.jpg
ミラノ ドゥオモ の屋上から

エレベータでドゥオモの屋根の上に登ることができた。ドゥオモには135本の尖塔があり尖塔の天辺にはひとつひとつに聖人が立っている。左下にヴィットーリオ・エマヌエーレ2世のガッレリアの屋根が見える。

029_940827007S X700 ミラノ Olympusμ.jpg
ミラノ スカラ座

現在の建物は2代目のもので1778年に完成した。初代の歴史的建築物のテアトロ・ドゥカーレは1776年2月25日、謝肉祭のガラ・コンサート後に焼失した。新劇場は以前サンタ・マリア・アラ・スカラ教会のあった場所に建設され、ここから劇場名がとられた。

030_940828067S X700 ベニス EOS650.jpg
ヴェネチア イタリア国鉄 サンタ・ルチーア駅

ツアー一行はバスでヴェネチアへ着いた。イタリア国鉄の駅前広場を通って、運河を航行するヴァポレットという水上バスの停留所へ向かう。

031_940828082S X700 ベニス EOS650.jpg
ヴェネチア サン・ジョルジョ・マッジョーレ島

この写真はサン・マルコ広場に建つサン・マルコ寺院の中から撮ったと記憶する。「サン・ジョルジョ・マッジョーレ島」は土地のほとんどが教会という。美しい鐘楼はサンマルコ広場からも見えた。

032_940828085 X700 ベニス EOS650.jpg
ヴェネチア サン・マルコ広場

サン・マルコ寺院の前には大きな広場があり、カフェのテラス席もあって生演奏を聴きながら、最高の時間を過ごせる。私たちは映画「旅情」で有名な老舗のカフェ・フローリアンに入ってみた。

033_940828093S X700 ベニス EOS650.jpg
ヴェネチア リアルト橋

カナル・グランデ(大運河)にかかるリアルト橋。1591年に水面からの高さ7.5mのそりの大きい、石造りの太鼓橋が完成した。橋の上にはアーケードが作られ、商店が並んでいる。

034_940829103 X700 パドバ EOS650.jpg
パドヴァ サンタントーニオ聖堂

ベネチアから西へそれほど遠くないところにバドヴァ サンタントーニオ聖堂があった。1195年ポルトガル、リスボンで生まれ、1231年パドヴァ郊外で没した聖アントニオが奉られている。このサンタントーニオ聖堂はロマネスクのファサード、ゴシックのアーチ、ビザンティン様式のクーポラ、イスラム美術を取り入れた鐘楼など異なる様式の完璧な調和という特徴をもち世界でもめずらしい巨大建築物となっている。聖堂の建設は聖アントニオの死んだ翌年の1232年には始まっていたと考えられており、完成は1310年にまで長引いた。 1394年の火事とそれによる鐘楼の崩壊により聖堂の整理のための改築は15世紀まで続いたそうだ。

035_940829117S ラベンナ EOS650.jpg
ラヴェンナ ガッラ・プラキディア廟堂

つぎに訪れたのはベネチアから南へ100kmほどのところにあるラヴェンナだ。ガッラ・プラキディア廟堂が印象に残っている。外観は古く、小さくて地味な建物だが、その内部が素晴らしい。ローマ皇帝テオドシウス1世の皇女であるガッラ・プラキディアの霊廟とされる。5世紀半ばの建立。円天井は深い青色が特徴のモザイクに覆われ、奥行きのある構図になっている。

036_940830153S X700 ○フィレンツェ EOS650.jpg
フィレンツェ ミケランジェロ広場から

1981年、初めての海外旅行で サンタ・マリア・デル・フィオーレ(花の聖母 マリア)大聖堂 を眺めたミケランジェロ広場から、13年後に再び来ることが出来た。世界遺産フィレンツェ歴史地区の 一部として指定されている ドゥオーモ(大聖堂)、サン・ジョヴァンニ洗礼堂、ジョットの鐘楼の三つの建築物で構成される。1296年から140年以上をかけて建設されたそうだ。前回は曇り空だったが、この日は晴れてくっきりとフィレンツェの街並みを眺めることが出来た。

037_940830133TS X800 ○フィレンツェ EOS650.jpg
フィレンツェ ベッキオ橋

ポンテ ベッキオはアルノ川に架かる橋で、イタリア語で「古い橋」を意味するフィレンツェ最古の橋である。先の大戦を生き延びたフィレンツェ唯一の橋だそうだ。河川の氾濫などで何度か建て直されており、現在の橋は1345年に再建されたものという。橋の上には宝飾店が並び人通りが絶えない。

038_940830146S X700 フィレンツェ EOS650.jpg
フィレンツェ シニョーリア広場

フィレンツェの政治の中心だ。ヴェッキオ宮殿は、共和国時代に政庁が置かれた建物で、今でも建物の半分は市役所として使用されている。イタリアが統一された約150年前、一時フィレンツェが首都だったことがあるが、その時はここが政府だったということだ。ここに立つミケランジェロ作のダビデ像は100年ほど前にアカデミア美術館に移されて、これはレプリカとのこと。1984年の国際化学療法学会の折、会社の医師のお供でこのベッキオ宮殿の古いひんやりとした大広間で行われたレセプションに出席したことを思い出す。

039_940830147S X700 フィレンツェ EOS650.jpg
フィレンツェ ウフィツイ美術館

右手前の建物がルネサンス絵画で有名なウフィツイ美術館である。近代式の美術館としてヨーロッパ最古のもののひとつである。メディチ家歴代の美術コレクションを収蔵する美術館であり、イタリア・ルネサンス絵画の宝庫である。展示物は2,500点にのぼりという。塔が見える建物はベッキオ宮殿である。

040_940830152St X700 フィレンツェ EOS650.jpg
フィレンツェ Hotel BAGLIONI

13年前に泊ったホテル バリオーニだ。なつかしい。少なくとも外観はちっとも変っていない。いま旅行案内を見ると、「中央駅前にひときわ目立つたたずまいのエレガントな4ツ星ホテル。観光名所は徒歩圏内。18世紀の宮殿を利用した館内はクラシックな雰囲気。最上階にあるレストランの窓からは、ドゥオモやジョットの鐘楼など素晴らしい景観が楽しめる。」とあった。

2021年8月31日

旅の思い出 海外編 2

3)1992年10月~11月 10年ぶりのニューヨーク

1982年に初めての海外渡航をしたが、それから10年後の1982年秋に2度目のニューヨーク出張の機会があった。その年に移動があって、新しい部署へ移ったが、その業務研修のため、英語の達者な同僚と2人で、JFK空港へ飛んだ。NJ州の郊外にある米本社の国際部門で同僚に助けられながら、5日間ほど研修を受けた。2日目くらいだったか、時差ボケに苦しんだのを思い出す。
 その後、ニューヨークに入り、この年の Awardで選ばれて米本社に招待された社員15名ほどと合流した。宿はセントラル・パークの前の The Plaza だった。ニューヨークのいちばんきれいな季節だった。Awardの一行は西海岸へ行く。

010_921026022 X700 Merck訪問.jpg
研修期間中宿泊した郊外のホテル

ニュージャージー州の米本社国際部門の近く、確か Sheraton Towers だったと思うが、日本でいうビジネスホテルに泊った。2日目の夜だったか、非常ベルが鳴って驚かされたのを思い出す。誤作動だったらしい。

011_921104065S X700 Merck訪問 Peddrer's Villadge.jpg
Peddler's Villadge

研修最終日だったか、日本担当の Manager が Peddler's Villadge というところへ連れて行ってくれた。テーマパークか、ショッピングプラザといった風情だが、おとぎの国のような洒落たところだった。ニューヨークから南西へ50kmほどのところにあるペンシルバニア州の、むしろフィラデルフィアに近いところにある。小さな宿と何軒かの観光客相手のバラエティー・ショップを備えた観光スポットとして設営され、かれこれ半世紀以上の歴史があるのだそうだ。雑貨屋さんでコヒオドシというチョウのカービング(木彫)を買った。今も大事に持っている。

012_921031030S X700 Merck訪問 The Plaza.jpg
The Plaza

業務研修を終え、ニューヨークへ移動した。日本から来た Award の一行と合流したが、宿はなんと有名な5番街セントラルパーク前のプラザホテルだった。

013_921101007S X700 Merck訪問.jpg
遊覧船ニューヨーク港

ニューヨークの観光を共にした Award の一行が西海岸へ向かった後、私と同僚はニューヨークに残り、1日余暇があった。自由の女神を見に行こうと、遊覧船に乗ることにした。男二人で地下鉄に乗り、ピア83にある遊覧船の乗り場へ行った。

014_921101008S X700 Merck訪問.jpg
ツインタワー

ビルとビルの間から、2001年にテロ攻撃で崩壊した旧ツインタワーが眺められた。

015_921101044S X700 Merck訪問.jpg
ハロウィン

観光船の船着き場に戻ってきた。ハロウィンのシーズンだった。wikipediaによればHallowe'enとは、毎年10月31日に行われる、古代ケルト人が起源と考えられている祭のことだそうだが、現代では特にアメリカ合衆国で民間行事として定着し、祝祭本来の宗教的な意味合いはほとんどなくなっている。カボチャの中身をくりぬいて鬼火のようなランタンを作って飾ったり、子どもたちが魔女やお化けに仮装して近くの家々を訪れてお菓子をもらったりする風習などがある。渋谷のスクランブル交差点のハロウィンとは異質のようだ。

016_921101010S X700 Merck訪問 ロックフェラー.jpg
ロックフェラーセンターのスケートリンク

ロックフェラーセンターは大富豪のジョン・D・ロックフェラーによって1930年から建設された複数のビルからなる複合施設だが、中心にある半地下のプラザには、万国の国旗とプロメテウスの黄金像が立ち、夏にはカフェテラス、冬にはアイススケートリンクとして使用される。特に12月になると特大のクリスマスツリーが飾られることで有名である。観光客が必ず訪れるところ。

017_921101052S X700 Merck訪問 NewYork証券取引所.jpg
NYSE NY証券取引所

世界最大の証券取引所である。1903年に世界屈指の金融街、ウォール街に建設された。


4)1994年6月 3回目のニューヨーク

担当業務のなかには worldwide で取り組むプロジェクトがある。network 構築などはその一つの例だ。各国の人たちが集まり、そのプロジェクトの説明や、ワークショップなどが行われる。今さらでもないが、つくづくもっと英語を勉強しておくべきだったと思い知らされた。私が53歳の時である。この会議の終了後2日間ほどNYで過ごすことが出来、セントラルパーク、美術館、博物館、5番街などを歩いた。

018_940618009S X700 ニューヨーク Centoral Park.jpg
セントラルパークから

米本社国際部門の日本支社から来ていた友人と、朝からニューヨーク散策に出かけた。マンハッタンを南北に縦断する5番街を北へ歩く。まず、セントラルパークの中に入ってみた。プラザホテルやミッドタウンのビル群が見える。

019_940618010 X700 ニューヨーク Centoral Park.jpg
セントラルパーク

オジサン2人で様にならないが、セントラルパークの中を歩いてみた。ジョギングをする人が多い。

020_940618011S X700 ニューヨーク.jpg
高級住宅街

5番街の通りに出て北へ歩く。右手は高級住宅街としてもその名が知られるアッパー・イースト・サイドだ。

021_940618012t X700 ニューヨーク メトロポリタン美術館.jpg
メトロポリタン美術館

5番街(ミュージアム・マイル の区間)に面するセントラル・パーク東端にある世界最大級の美術館メトロポリタン美術館に入った。 ミュージアム・マイルの区間に9つの博物館や美術館がある。

022_940618013 X700 ニューヨーク - アメリカ自然史博物館.jpg
アメリカ自然史博物館

次にセントラルパークの西側にあるアメリカ自然史博物館を見学した。動植物、鉱物など自然科学・博物学に関わる多数の標本・資料が所蔵・公開されている。1869年に設立された。ちなみにパリの国立自然史博物館は1793年に開設されているが、標本数においてはここアメリカ自然史博物館の方が多いようだ。なお、ロンドンの大英自然史博物館は1753年にスタートしている。

023 940618016 X700 ニューヨーク アメリカ自然史博物館.jpg
アメリカ自然史博物館の展示

写真に撮っていなかったが、アロサウルスから我が子を守ろうとして後ろ足で立つバロサウルスの骨格標本はこの博物館にある展示の中で際だっていると言われている。 世界的に有名な恐竜群を含む脊椎動物の骨格標本が多かったのを記憶している。

2021年8月26日

旅の思い出 海外編 1

2007年のオーストリア・イタリア旅行以降は、このブログ Studio YAMAKO で紀行文的に写真を載せてきた。それ以前は取り上げていないので、初めての海外旅行からそれまでのあいだに訪れたところについて記録に残しておこうと思う。ブログをはじめるまでは、チョウの写真以外あまり熱心に写真を撮ったことがなく、良い写真は残っていない。デジタルカメラに移行したのは過渡期を経て2004年頃からである。それまでの写真は、フィルムで撮ったLサイズの印画から、スキャニングした。画像も粗く、すっかり退色している写真が多く、ソフトで多少補正してみたのだが成す術もない。思い出しながら何枚かの写真を載せていきたいと思う。

1)1981年7月 初めての海外渡航 イタリア フィレンツェ

私が初めて飛行機に乗って海外旅行をしたのは、今から40年前の1981年、40歳の時だった。私は日米合弁の製薬会社に勤務していたが、米国の親会社で抗生物質の新製品が開発され、その製品について各国からいくつかの発表がされる国際化学療法学会という医学会だった。もちろん私は医師でもないし、また薬剤師でもないのだが、その新製品の日本でのマーケティングを担当することになった。日本からも大勢のご専門の先生方が出席されたが、それを国内で広くお医者様が治療に利用していただくにさきがけ、どのような疾患が対象になるのかなどを現地で情報収集するのが主な目的であった。
 場所はイタリアのフィレンツェだった。出張でフィレンツェへ行けるなんてめったにないことだと思う。とはいうもののもちろん観光旅行ではない。観ていただくような写真もほとんど残っていない。

ローマの空港に着いたら、たまたまその日は鉄道がストを行っていて、バスでフィレンツェへ移動することになった。その途中で、オルビエートという丘の上にある中世の街を観光させてもらった。良い写真はないが、行ったという証拠を記録しておく。カメラも何だったか忘れてしまった。ネガカラーフィルムで撮った写真の印画をスキャニングした。

001_810718001 X700 オルビエート.jpg
オルビエート・ドゥオモ のファサード

シニョレッリの壁画「最後の審判」などで有名なゴシック様式の壮麗な大聖堂 オルヴィエートのドゥオーモ をはじめ、今も中世さながらの街並みを残す。

002_810724001 X700 オルビエート.jpg
フィレンツェ駅前 ホテル BAGLIONI

フィレンツェ国際化学療法学会の会場は、ローマ・テルミニ駅より314 kmのところにあるフィレンツェ中央駅(フィレンツェ・サンタ・マリア・ノヴェッラ駅)から徒歩圏内にあった。上の写真はその開催期間中の数日間、私が宿泊した駅前の「BAGLIONI」というホテルだった。夏期に屋上で営業するレストランが人気だった。

003_810724002 X700 オルビエート.jpg
ミケランジェロ広場からフィレンツェの街並み

中央に見えるのがフィレンツェのシンボルとして有名な「サンタ・マリア・デル・フィオーレ(花の聖母 マリア)大聖堂」のドゥオモ(クーポラ)。

004_810724003 X700 オルビエート.jpg
フィレンツェの街

今から40年前のフィレンツェの街だ。観光客が多い。

海外渡航が自由化されたのは、1964年であるが、1908年代になると日本からも毎年500万人の人々が渡航、海外旅行を楽しむようになった。日本からの多くの観光客はパック・ツアーを利用した。この時の私のイタリア旅行は出張であり、フィレンツェと、帰路ローマで一泊しただけだったが、このとき、この次はイタリアへ観光旅行をしたいと思った。


2)1982年8月 アメリカ本社の招待旅行
 ニューヨーク​とロサンゼルス

私がマーケティングを担当した抗生物質製剤が国内で発売され、営業担当の社員たちが活躍したが、アメリカ本社がその成績優秀者をアメリカへ招待してくれることになり、私も同行する機会を得た。医療施設などの見学と観光である。
ニューヨークで数日間を過ごした一行は、6時間弱飛行機に乗り、ロサンゼルスに移動した。 2007年に売却され、今は Kyoto Grand Hotel and Garden となったホテル ニューオータニ ロサンゼルスに泊り、日本人街、ハリウッド、そしてアナハイムのデズニーランドを観光し、そこから日本へ帰国した。アメリカは広い、ニューヨークからロスアンゼルスへは、おおよそ4000kmあり、時差は3時間ある。

005_820820009 X700 Merck出張.jpg
ニューヨーク郊外の診療所見学

現地の担当者が同行してくれて、ニューヨーク郊外のクリニックの訪問を経験した。

006_820820014 X700 旧ワールドトレードセンターからエンパイアを望む.jpg
旧ワールドトレードセンターからエンパイアを望む

かってのワールドトレードセンタービルの屋上から、北側のエンパイアステートビルが建つミッドタウン方面を眺める。 いま(2021年8月18日現在)、報道番組はタリバンがアフガニスタンの首都カブールを占拠し、ガニ大統領がアフガニスタンから出国して、政権が事実上崩壊したと伝えている。かつてのタリバン政権は2001年に米同時テロを引き起こしたアルカイダの指導者ウサマ・ビンラディン容疑者をかくまった。今から10年前の2001年9月11日の8時46分、アメリカン航空11便がワールトレードセンター・ノースタワーに激突した。9時3分、ユナイテッド航空175便がサウスタワーに激突。テロ攻撃だと誰もが確信した。ブッシュ大統領は、テロ攻撃はテロ組織アルカイダによるものとし「テロとの戦い」を宣言した。この痛ましいテロ攻撃を受けたかってのツインタワー(110階建て、1973年4月4日にオープン)の屋上に上がってニューヨークの街を眺めたときの写真である。

007_820820012 X700 Merck出張.jpg
ヤンキースタジアム

ヤンキースタディアムでヤンキース対ブルージェイズ戦を観戦した。電光板に何やら文字が。

008_820820013 X700 Merck出張.jpg
アナハイム ディズニーランド

日本から来たオジサンたちがロサンゼルスの南東約45kmのところにある1955年にオープンしたディズニーランドで1日遊んだ。そういえば今活躍中のオータニさんのいるエンジェルスもアナハイムが本拠地だ。

009_820820015 X700 Merck出張.jpg
ロサンゼルス チャイニーズシアター

観光スポットであるチャイニーズシアターは派手な中国の寺院のような赤い建物が目立つ。チャイニーズシアターの前では数多くの歴代のスターたちの手形や足形を見ることがでできる。また、チャイニーズシアター前の歩道には、エンターテイメント界で活躍した人物の名前が彫られた2,000以上の星型のプレートが埋め込んであり、ハリウッド・ウォーク・オブ・フェーム(ハリウッド名声の歩道)と呼ばれる観光名所となっている。

2021年1月23日

蝶 自選年間ベスト10 (17) 2019年

2019年のまとめをしていなかった。遅くなってしまったが振り返ってみる。
 5月のGWに2回目の台湾旅行をした。今回も娘たち夫婦と一緒に、グルメと観光の旅である。半日だけ台北市動物園を付き合ってもらった。ここは蝶園もあるが、動物園の中に「虫虫探索谷」という探索路があり、そこに舞うチョウたちを自然な状態で楽しむことが出来る。敷地面積は上野動物園の10倍以上と広い。だが、あまりめぼしいチョウを見ることは出来なかった。
 5月中旬には、友人のご夫婦と岩手、秋田、山形をドライブ旅行した。山形の出羽三山で有名な羽黒山で、予期せずにギフチョウに出会えた。
 7月22日~25日、久しぶりに北海道へ行った。旭川便が取れなかったので帯広に宿をとり、レンタカーで大雪高原温泉や、銀泉台、十勝地方を巡った。残念ながら天候がいまひとつすぐれず、チョウは少なく、北海道の普通種に甘んじた。
 8月はキベリタテハを撮りたいと湯の丸高原へ出かけたが、成果なし。ベニヒカゲは多かった。
 9月7日、軽井沢でゴルフを楽しんだ翌日、信濃追分近くの「蝶の楽園」(個人の方がアサギマダラを呼び込もうとテニスコート2面を潰してフジバカマを植えた)へ寄ってみた。良い写真は撮れなかったが、シータテハ、クジャクチョウ、ミヤマカラスアゲハなどが、花に集まっていて、ひと時を楽しんだ。

1.クロアゲハ♂ 春型 2019年5月2日 八王子市長池公園
まだ十分に咲いていないミツバウツギの花にクロアゲハが来ていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 164mm ISO1250 ) 露出補正 なし
001_190502 X800 長池公園 RX10M4 JPEG DSC06337a.jpg
2.イシガケチョウ 2019年5月5日 台湾 台北市立動物園 虫虫探索谷
人が多い、いわゆる動物園のエリアから離れて、虫虫探索谷という散策路を歩く。最初に見たのはオナシアゲハ♀だった。ツマムラサキマダラ、クロテンシロチョウ、クロタテハモドキ、タイワンルリシジミなどが次々と現れる。どこからともなく飛んできたイシガケチョウが、大きな葉の上に止まった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 201mm ISO200 ) 露出補正 -0.3段
002_190505173 X800 台北市動物園 虫虫探索谷 DSC06686 JPEG.jpg
3、タイワンキマダラ♂♀ 2019年5月5日 台湾 台北市立動物園 虫虫探索谷
梢に止まるタイワンキマダラを見つけた。すると、もう1頭飛んできてカップルが出来た。手前が♀。このチョウは最近では八重山諸島にも生息しているが、台湾からの迷蝶由来である。

  SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 121mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
003_190505232 X800 台北市動物園 虫虫探索谷 DSC06779 JPEG.jpg
4.トラフシジミ♂ 2019年6月6日 横浜市 舞岡公園
平地産ゼフィルスを撮りに舞岡公園へ行った。飛び出してきたこのチョウは羽化したばかりと思われるら夏型のトラフシジミだった。裏面の色が濃い。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 168mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
004_190606079 X800 舞岡公園 RX10M4 JPEG DSC08015aa.jpg
5.クロアゲハ♀の吸水 2019年6月18日 横浜市 舞岡公園
もう第2化が出ているのだろうか。きれいな個体だった。なかなか近寄らせてくれなかった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 31mm ISO100 ) 露出補正 なし
005_190618017 X800 ◎舞岡公園 RX10M4 JPEG.jpg
6.ホソバヒョウモン 2019年7月23日 北海道 大雪高原温泉林道
あいにく日が差さず気温が低い。キオンの花に2頭のホソバヒョウモンが来ていた。 

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 208mm ISO400 ) 露出補正 なし
006_190723306 X800 〇大雪高原温泉林道 RX10M4.jpg
7.ミドリヒョウモン♂♀ 2019年7月24日 北海道 上川 大雪森のガーデン
北海道ガーデン街道のいちばん北へ行った。ヒヨドリバナのような花にいたミドリヒョウモンのカップルは♂♀ともストローを伸ばして吸蜜していた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 220mm ISO160 ) 露出補正 なし
007_190724415t X800 〇大雪森のガーデン RX10M4.jpg
8.コヒオドシ 2019年7月25日 北海道 十勝千年の森
帯広から日高山脈に向かって、車で45分ほどのところにある十勝千年の森へ行った。チョウの数は多い。せめてコヒオドシでもいないかと思っていたところ、ヨツバヒヨドリに来てくれた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO160 ) 露出補正 なし
008_190725615 X800 〇十勝千年の森 RX10M4.jpg
9.ベニヒカゲ♀ 2019年8月27日 湯の丸高原 池の平
池の平はベニヒカゲの多産地。8月下旬、マツムシソウで吸蜜している。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/640秒 203mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
009_190827103 X800 〇池の平 RX10M4.jpg
10.アサギマダラ♂ 2019年8月27日 湯の丸高峰林道
   池の平から湯の丸地蔵峠への林道を走っていると、ヒヨドリバナの咲くところで数頭のアサギマダラが、舞っていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 220mm ISO400 ) 露出補正 -0.3段
010_190827435 X800 〇湯の丸林道 RX10M4.jpg
補1.ギフチョウ 2019年5月22日 山形県 羽黒山
ドライブ旅行で行った山形県の羽黒山で思いがけずにギフチョウに逢った。アゲハかと思って追いかけたが、飛び方が違っていた。破損した個体で、良い写真ではないが、記憶に残る1枚となった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 220mm ISO100 ) 露出補正 -0.7段
補001_190522100 X800 〇羽黒山 DSC07136.jpg
補2.アカボシゴマダラ(外来種)春型♀ 2019年5月26日 横浜市 舞岡公園
舞岡公園にアカボシゴマダラが住み着いてからもう15年くらいになるのではないだろうか。初めて、春に、真っ白いこのチョウの♀が飛ぶ姿を見たときは、「これは何だ!」と驚いたものだった。 

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 220mm ISO100 ) 露出補正 -0.7段
補002_190526121 X800 舞岡公園 RX10M4 DSC07578.jpg
補3.ミドリヒョウモン♂ 2019年7月25日 北海道 帯広近郊
札幌に本社がある「マルセイバターサンド」というお菓子で有名な六花亭が企画運営する庭園、六花の森に寄った。ここは帯広空港に近い。花が多く、チョウの数も多かった。カラスシジミもいた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
補003_190725133t X800 六花の森 G7X.jpg
補4.サトキマダラヒカゲ 2019年9月3日 横浜市 舞岡公園
舞岡公園のサトキマダラヒカゲは数を減らしているように思う。

Nikon D750 SIGMA 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO
プログラムオートで撮影  (f4.5 1/500秒 40mm ISO1100) 露出補正 -0.3段
補004_190903056m X800 〇舞岡公園 LV D750 SIGMA18-300.jpg


2019年6月16日

台北・台中・台南 その8(終) 朝の台北 帰国 5月8日

今回の台湾旅行の最後の朝を迎えた。相変わらず小雨が降っている。娘夫婦は、朝はゆっくりするというので、かみさんと一緒に朝の散歩に出た。
 何の当てもなく、中山北路を北に向かって歩いてみた。wikipediaによると、中山北路(ちゅうざんほくろ)は台北市を南北に走る幹線道路。起源は乾隆帝の時代といい、士林、北投へ続く小さな街道であった。日本による台湾統治の時代の1901年、台北北部に台湾神社(現在は円山大飯店が建っている場所にあった)が建設されると、一部が参拝道路として整備され勅使街道と名づけられた。電柱や街路樹が場所をとっていたため、道路として使える幅は10メートルほどに過ぎず、手狭になっていったので紀元2600年(1940年 昭和15年)記念事業の折に台湾神社とあわせて拡張することになった。このとき電線を地下に埋設したので電柱は設置されなかった。工事は1936-1940年度に実施され、買収して確保した周囲の土地を利用し、高速車道を中央としてその両側に緩速車道、さらに外側に遊歩道を置き、それぞれを街路樹で仕切る五線道路とし、その全幅は40メートルという規模のものとなった。台湾総督府の目論見ではこの勅使街道を東京市の昭和通りや大阪市の御堂筋に並ぶ三大道路とすることを企図していたという。セブンイレブンで朝のコーヒーを求め、備えられているベンチで飲んだ。
 いったんホテルに戻る。娘夫婦と合流して、再び外へ。さっきも通ってきた「台北の家」という元アメリカ大使館の施設を改装した、古い映画館とカフェになっているところで、朝食にする。アップルパイが旨かった。
 ホテルに戻って、チェックアウトをし、荷物を預けて再び街へ出かけた。昼食は私がとても楽しみにしている小籠包を食べに長春路の「京鼎楼」まで歩いた。今回も3回ほどそれぞれ異なる店で小籠包を食べたが、私はここのが一番好きだ。
 さて、ホテルに戻り、バッゲージをとって、タクシーで松山空港へと向かう。16時45分発の全日空で、夜の8時に無事羽田に到着した。
 5日間のうち、晴れたのは1日だけと天候には恵まれなかったが、大雨に会うこともなかった。今回も娘の主人には、飛行機、宿の予約から、現地での誘導や、煩わしいMRTなどの切符の購入、食事の場所探し等々、面倒を見てもらった。楽しい旅行だった。多謝。

1.「老爺大酒店」
最後の夜に台北で泊まった「老爺大酒店」(Hotel Royal Nikko Taipei) は中山北路にあった。中山北路の新緑の並木がきれいだった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO2500 ) 露出補正 なし
190508_001.jpg
2.中山北路の朝
朝の8時過ぎ、通勤のバイクが疾走する。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 17mm ISO500 ) 露出補正 なし
190508_002.jpg
3.台北市政府警察局巡邏車
台中の街でも見かけたが、中山北路にも台北市政府警察局巡邏車が並んでいた。 最近ではヤマハ発動機が、台湾の電動バイクメーカーGogoro(ゴゴロ)からのOEMによる新型電動スクーターが導入されているらしいが、このスクーターがそれかどうかはわからない。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO800 ) 露出補正 なし
190508_003.jpg
4.アンバサダー・ホテル
2011年5月、前回台湾旅行の時に泊ったアンバサダー・ホテルがあった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/800秒 37mm ISO3200 ) 露出補正 なし
190508_004.jpg
5.セブンイレブン
台湾にはセブンイレブンの店が多い。約5,000店舗(ちなみに日本は約17,000店舗)あるそうで、2位のファミリーマートは約3000店舗( 日本は11,000店舗)だそうだ。ここで朝のコーヒーを飲んだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1000秒 13mm ISO1250 ) 露出補正 なし
190508_005.jpg
6.「台北の家」
中山北路はオフィスやホテルや有名店舗がある大きな道路だが、そんな通りの一角に洋風住宅のような「台北の家」がった。恐る恐る門の中に入って見ると、台湾語と英語の説明板があり、どうやら日本統治時代のアメリカ大使館関係の建物らしい。だが、表通りのほうへ回ってみると映画の看板が立ち並んでいる。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO800 ) 露出補正 なし
190508_006.jpg
7.「光點台北」 映画の看板
いったん、ホテルに戻り、娘夫婦と朝食にしようと立ち寄ったところがここ「台北の家」だった。木々に囲まれたこの白亜の洋館は、日本統治時代にアメリカの領事館として使用され、戦後は1979年までアメリカ大使館職員の宿舎として使われていた歴史建築物でだったが、今は「光點台北」という映画館になっていて、Cafeが併設されていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO2500 ) 露出補正 なし
190508_007.jpg
8.「光點.珈琲時光」
台北観光サイトいうページを開くと、ここは1997年に内政部により第三級古蹟として指定され、現在は台湾電影文化協会が経営する映画をテーマとした芸術サロン「台北之家」となっている。館内には88の座席を有すミニシアターがあるほか、軽食を提供する映画サロン「光點.紅気球」、毎日午後5時まで開放している多目的ギャラリー、老木が立つ庭のあるオープンテラスカフェ「光點.珈琲時光」、 映画と都市をテーマにした専門書店「誠品‧城市之光」などがあると説明されていた。ここは「光點.珈琲時光」だ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1000秒 13mm ISO1000 ) 露出補正 なし
190508_008.jpg
9.「光點台北」
ここは映画館部分である。下に切符売り場があって、上に観覧席があるようだ。ミニシアターだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/125秒 9mm ISO1600 ) 露出補正 なし
190508_009.jpg
10.「台北の家」玄関外観
ひっそりとした建物に時々人の出入りがある。映画は11時から始まる。まだ、その時間にならないので、ギャラリーや書店にくるひとたちなのだろう。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5.6 1/125秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
190508_010.jpg
11.CMCの郵便車
CMC(中華汽車)の車は商用車が多い。これは中山北路で見かけた郵便配達車。日本では郵便局の車は赤いものと思っているが、ここでは違う。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/125秒 15mm ISO125 ) 露出補正 なし
190508_011.jpg
12.モンシロチョウ
街の中は緑も多く、モンシロチョウも飛んでいる。これはタイワンモンシロチョウでなく、右上に飛んでいるのは、日本でも見られるモンシロチョウだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 21mm ISO320 ) 露出補正 なし
190508_012.jpg
13.Luxygen
この車は台湾の自動車メーカーである裕隆汽車のLuxygen U6 ターボという中型クロスオーバーSUVである。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO160 ) 露出補正 なし
190508_013.jpg
14.「京鼎楼」 -1
今回の旅行の最後の目的である「京鼎楼」。2011年にここにきて初めて食べた小籠包の味が忘れられない。もちろんその時にも「鼎泰豊」へも行ったし、横浜高島屋にある「鼎泰豊」でも小籠包は食べた。しかし、私はここの小籠包が一番うまいと思う。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO1600 ) 露出補正 なし
190508_014.jpg
15.「京鼎楼」 -2
前回の2011年5月には確か10個で170元だった小籠包が、今回は10個200元になっていた。それでも800円弱である。店は地下に50席、1階に12席、2階に60席の三層になっていて1階の奥に調理場がある。 前回来たときは夜で、混んでいて地階に入ったが、この日は1階だった。きれいに改装されているようだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels<br> プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/3200秒 23mm ISO3200 ) 露出補正 なし
190508_015.jpg
16.「京鼎楼」 -3 調理場
清潔そうな調理場だった。京鼎樓は、小籠包の有名店「鼎泰豊」で修行した兄弟が、「京鼎小館」に続いて出店した2号店で、絶品小籠包は現地の人達にはもちろん、日本人観光客やビジネスマンにも大人気だと聞く。現在は東京(恵比寿・池袋・お台場など)、横浜(SOGO)など首都圏に多数店があり、大阪、神戸、博多にも店舗を構えている。今回の旅行の最後に「京鼎楼」で小籠包を満足するまで食べることができた。さあ、横浜へ帰ろう。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO2500 ) 露出補正 なし
190508_016.jpg


2019年6月14日

台北・台中・台南 その7 台中観光そして台北へ戻る 5月7日

高鉄(新幹線)台南駅からタクシーに乗る。婿殿が「第二市場」と行き先を告げる。ここだと言って運転手さんは車を停め降ろされた。しかし、どこが第二市場かわからない。だが、私がふと歩道を見ると、その石畳に「1917第二市場」と書かれた場所が示されていた。
 なぜ第二市場が目的地だったかというと、台中に到着したらまず昼飯ということで、台中市第二市場内にある「山河魯肉飯」というところで昼飯にしようということだった。昼飯時でごった返すその「山河魯肉飯」で言わば"豚角煮ご飯"を食べた。落ち着いては食べられなかったが、さすが混んでいるだけあって味は良かった。
 第二市場から三民路を南西に歩く。台中医院という大きな病院の前を通り、次の目的は「春水堂」というタピオカミルクティーの元祖という店だった。
 次は宮原眼科という1927年築の宮原眼科の建物をリノベーションした伝統菓子の店だった。ここは包装がきれいで、チョウがデザインされたものが多くあり、私は見るだけで楽しめた。
 そこから、台中駅旧駅舎を見ながら、台鉄(ローカル線)の新しい台中駅へ行く。台南から着いた時は人身事故で動いていなかったが、今度は高鉄(新幹線)の台中駅へ接続するローカル線が動いていたので、それに乗って高鉄台中駅に直結している新烏日駅まで行った。台中発16時39分の新幹線に乗り、台北まで50分、17時29分に到着した。
 今回の台湾旅行の最後の夜は、中山にあるホテルに泊まった。夕食は新光三越にある「欣葉」という台湾料理の有名店で若夫婦にごちそうになった。

20.歩道の地図
台中の第二市場に行こうと思っているのだが、タクシーを降りたところからどう行けばよいのか、ちょっと戸惑った。ふと歩道の敷石を見ると、案内表示があった(左下)。台湾は道に案内が彫り込まれているところが多い。

  Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
190507_020.jpg
21.「山河魯肉飯」の行列
第二市場の入り口近くに目的の「山河魯肉飯」があった。午後1時、列ができていた。この列の先頭で注文した食べ物を受けとって、空いているテーブルで食べるのだ。娘夫婦が並んでくれた。注文した「魯肉飯」はご飯の上に豚の角煮をゴロンとのせたシンプルなものだ。魯肉はバラ肉か尻の肉を選べるというが、バラ肉にした。目の前にあるほかの店でも同じものを出しているのだが、そこはガラガラだった。「台湾の風」という台湾紹介の観光ガイドのサイトによれば、第二市場では、朝、昼、晩と各々の店が開店時間をずらしているので、いつでも魯肉飯を食べられるそうだ。どの店も市場内で肉を仕入れて、市場内で調理を行う。店ごとに少しずつ味はことなるようだが、どの店も地元の人たちの肥えた舌をうならせてきただけあって、そのレベルは折り紙つきといわれるが。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1000秒 13mm ISO2500 ) 露出補正 なし
190507_021.jpg
22.カメラ店
第二市場の前の大きな通りには、カメラ屋さんが並んでいた。 台湾にはヨドバシカメラはなさそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1250秒 13mm ISO125 ) 露出補正 なし
190507_022.jpg
23.第二市場外観
通りの反対側から第二市場を見る。 第二市場は三民路と台湾大道一段の交差点にあり、2000坪強の大きさがある。台中市第二市場はとにかく飲食店の数が多く、豊富なグルメ市場として知られている。しかも美味しいお店が多いのでどこで食べるか選ぶのに悩むほどとか。ここは日本統治時代である1917年、都市計画に則って作られたそうだ。ちなみにこの都市計画は台鉄「台中」駅からここ三民路までのエリアで、以前は台中で最もにぎわっていた地域だったそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1250秒 13mm ISO125 ) 露出補正 なし
190507_023.jpg
24.第二市場正面
今は地元の人々が通う市場だが、建てられた当時は日本人や富裕層向けの市場で、「新富町市場」といい、「日本人の市場」の別名も持っていたという。その当時は日本製品が多く取引されていて、現在でもその名残で日本の缶詰やお菓子などが売られている。また、台湾の市場と言えば、服屋さんの横に肉屋さんがあるなど、自由でカオスな雰囲気が漂うのが一般的だが、ここは違っていて、野菜、果物、肉、魚などはきちんとエリア分けされている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1250秒 15mm ISO125 ) 露出補正 なし
190507_024.jpg
25.台中医院
三民路を南へ歩くと台中医院という大きな病院があった。629床の総合病院だ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1250秒 10mm ISO125 ) 露出補正 なし
190507_025.jpg
26.台中市政府検察局第一分局
次の目的である「春水堂」というカフェを目指して歩いていくと警察署があった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
190507_026.jpg
27.台中市政府警察局巡邏車
警察署の前には何台もの台中市政府警察局巡邏車と書かれたスクーターが白線で指定されたところに路駐されていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 26mm ISO250 ) 露出補正 なし
190507_027.jpg
28.「春水堂」
タピオカミルクティーの元祖の店である。今では台湾を代表するドリンクとなったタピオカミルクティー、娘は挑戦していたが、私はアイスティーでお茶を濁した。日本でも、六本木、表参道などで店舗を展開している。今朝(6/10)の朝のTVで、原宿竹下通りで、タピオカドリンクを買い飲みし、空のカップをそこいらに捨て行くのが問題になっていると報じていた。インスタ映えするとかで、大きめのカップを買い、写真を撮った後、飲みきれないで、ペットボトルの回収ボックスに無理やりねんじこんでいったりするのだそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1000秒 13mm ISO2000 ) 露出補正 なし
190507_028.jpg
29.台中州庁
「春水堂」 を出て、台中駅(在来線)のほうへ歩くと台中市政府と書かれた建物があった。wikipediaによれば、かつて日本統治時代に官公庁として使われた建築物で、完工後はまず台中州の庁舎として、第二次世界大戦後は台中市の行政機関(台中市政府)として使われた。市の指定古蹟登録を経て、現在は国定古蹟。最初に使われたのが日本統治下だったため、古蹟の名義も中国語での一般的な用法の「州政府」ではなく、日本語由来の「州庁」のままである。1913年建築家・森山松之助により、建設されたバロック建築である。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
190507_029.jpg
30.台中市役所
台中州庁の道を挟んで反対側に台中市役所という建物があった。wikipediaによれば、1911年に台中地区で最初の鉄筋コンクリート建築として落成、「台中庁(中国語版)公共埤圳聯合会事務所」として使われ、1920年9月1日の廃庁置州に伴い台中州台中市 (州轄市)(中国語版)となってからは市役所となり、翌年に増築工事も竣工した。現存している建物はこのときのものを引き継いでいる。以降は初代台中市尹(現在の台中市長に相当)の金子恵教の弁公室(執務室)として使われた。東京駅を設計した辰野金吾氏の設計のバロック建築である。現在はリノベーションされ「Cafe 1922 台中市役所」になっている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1000秒 12mm ISO800 ) 露出補正 なし
190507_030.jpg
31.宮原眼科 -1
次の目的地、宮原眼科に着いた。宮原眼科と言っても現在はパイナップルケーキをはじめ、バラエティ豊かな伝統菓子を販売する店である。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2 1/1250秒 11mm ISO125 ) 露出補正 なし
190507_031.jpg
32.宮原眼科 -2
もともとは中国の最高国家行政機関国務院の任命で開業した日本人医師宮原武熊の眼科医院であった。戦後宮原氏が日本へ帰国した後は台中市政府衛生局が台中市衛生院として使用していたそうだ。現在は「日出」グループという会社が経営し、スイーツや土産ものを販売するショップとレストランになっている。1999年の大地震や2008年の台風で大きな損傷を受けた建物である。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO400 ) 露出補正 なし
190507_032.jpg
33.宮原眼科 -3
「宮原眼科」というおよそスイーツの店とは思えない名前をもつ「日出」グループを代表するこの店は、台鉄台中駅から徒歩5分という抜群の立地にある。台中旅行のガイドブックには必ず掲載されている、超人気店である。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
190507_033.jpg
34.宮原眼科 -4
もともと「日出」グループは「乳酪蛋ガオ」、つまりチーズケーキから始まった。台中市の国立台湾美術館からほど近くにある「大地的乳酪蛋ガオ」はそんな「日出」が初めてチーズケーキを扱い始めた場所である。多くの植物に囲まれたとても気持ちのいい店だそうだ。店にはチョウのデザインの包材でパッケージされた商品が多く見られた。私はそれらを見て歩くだけで楽しい。 記念にチョウがデザインされた缶に入ったパイ菓子をひとつ買った。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO1600 ) 露出補正 なし
190507_034.jpg
35.宮原眼科 -5
店内は天井が高く、何かヨーロッパの古い図書館を連想した。 もともとこの建物は、先に記したとおり、日本統治時代、眼科医院として使用されていた。当時の建物の面影を残しつつ、耐震性などは問題ないよう大幅なリノベーションを経て現在の店舗の形になっている。レンガの様子や電燈などレトロな雰囲気がよい。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2 1/800秒 10mm ISO3200 ) 露出補正 なし
190507_035.jpg
36.CMC Veryca
これも台湾製の車だった。 中華汽車(China Motor Corporation; CMC)は台湾の裕隆企業集団に属する自動車メーカー。三菱自動車工業及び三菱ふそうトラック・バスの現地パートナーである。wikipediaによると中華汽車は1969年6月13日、裕隆汽車創業者の厳慶齢によって資本金1億新台幣で中華汽車が設立されたとある。1988年12月に軽商用車のバリカ(威利、Varica)を自主開発し、生産開始している。裕隆汽車と中華汽車との関係がどうなっているのかよくわからない。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
190507_036.jpg
37.台中駅旧駅舎
台鉄台中駅へ来た。新しい立派な駅になっているが、その手前に旧駅舎があった。台北ナビというサイトを見ると、旧駅舎(2代目駅舎)は日本統治時代の1917年に、赤レンガで造られた英国風デザインの歴史的建造物である。現在もその情緒ある建物は残され、出入口も1カ所をそのまま使用し、新駅舎とも接続できるなど駅の付帯施設として利用されている。今後も旧駅舎はそのままの状態で、第一プラットホームと20号倉庫も残す予定だそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 23mm ISO160 ) 露出補正 なし
190507_037.jpg
38.台鉄(在来線)の電車
新幹線の高鉄台中駅へ接続する電車が運転再開されていたので、それで、新烏日という高鉄台中駅に接続する駅まで行くことにする。運賃は15元(約60円)と驚くほど安い。なかなかスマートな車両が走っている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO1000 ) 露出補正 なし
190507_038.jpg
39.高鉄台中駅のプラットホームから
広々とした眺めだった。これから開発されていくのだろう。昭和39年(1964年)に東海道新幹線が営業開始した当時の新横浜駅を思い出す。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 19mm ISO160 ) 露出補正 なし
190507_039.jpg
40.台北に戻る
午後4時39分発の新幹線に乗り、5時29分に台北に着いた。タクシーで中山北路二段にあるホテルまで行く。タクシーの運転手は「すぐそこだ」と不満そうだった。台北に9店舗を持つ新光三越百貨南西店の傍だった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/250秒 13mm ISO3200 ) 露出補正 なし
190507_040.jpg
41.台湾料理「欣葉」
今夜が台湾での最後の夕食となる。娘たちが、新光三越百貨南西店にある台湾料理の老舗有名店である「欣葉」に案内してくれた。なかなかの高級店で、味もよかった。何という料理か記憶していないが、干し帆立と大根の千切りを揚げた料理が印象に残っている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/250秒 9mm ISO1000 ) 露出補正 なし
190507_041.jpg


2019年6月11日

台北・台中・台南 その6 台南から台中へ 5月7日

台南で迎えた台湾へ来て4日目の朝も、雨こそ降っていないものの、どんよりとした空だった。
 朝は外で粥を食べようと、8時半ごろにホテルを出る。「阿堂鹹粥」というところへ行くつもりだったようだが、あいにく休みだった。その先にあった「包成羊肉」という店に入るが、ここもなかなか人気店のようで、客が多い。隣の席の人が注文の仕方を教えてくれた。羊肉のスープだったが、私はうまいと思った。
 台南には古い寺院が多いと前にも記したが、私が、台湾最古である孔子廟を見たいと言って、朝の散歩を始めた。ホテルからはそう遠くはない。ところが、孔子廟の「大成殿」は改修中で覆いが架けられていた。
 「孔子廟」は台南だけではなく台湾各地にある。日本にも湯島聖堂をはじめ、各地にあるのはご存知の通りである。しかし、台南の孔子廟は台湾で最古のものだ。この孔子廟は1665年に、鄭成功の参謀長であった陳永華の発議により建てられたといわれており、人材の育成を目的として、学問に精励する人格者をここに招聘したようである。孔子廟はその名の通り 儒教の創始者であり学問の神様と言われている孔子をはじめ、孔子の門弟や歴代の賢人を祀っているのであるが、単なる廟というよりも、実際は学校として機能していたようである。
 孔子廟からは府前道を西へ歩いて、「台南市美術館2」と「台南地方法院」が向き合うとろへ出て、ホテルに戻った。
 チェック・アウトしてタクシーで高鉄台南駅へ行く。台南11時13分発の新幹線に乗り、台中に11時58分に着いた。台中の街も、高鉄台中からは直線距離でも7.5kmほど離れている。高鉄台中駅から台鉄(在来線)の台中までは、電車で行こうと持っていたが、事故があって30分以上動いていないとのこと。また、タクシーに乗ることなった。

1.朝粥
ホテルで朝食は取らず、散歩がてら外に出る。娘たちが台南を代表するサバヒーという魚を用いた「サバヒー粥」が味わえる老舗「阿堂鹹粥」に行こうとしていたが、あいにく休みだった。サバヒーは鮮度が命とのこと。その先にあった、そこもお客さんが多い店に入った。この店は羊肉のスープが売りであり、スープと白いご飯を別々に頼んで、それらを混ぜて食べるのだと隣の席の人のよさそうなおじさんが教えてくれた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 16mm ISO320 ) 露出補正 なし
190507_001.jpg
2.調理場
店先でスープを調理し、道路に面したテラス席?へ運んでくれる。味は良かった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 37mm ISO1000 ) 露出補正 なし
190507_002.jpg
3.羊のスープ
羊肉のスープはボールに入った1杯が120元だった。写真ではあまり旨そうに見えないが、マトンはクセもなく旨みたっぷりだった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO320 ) 露出補正 なし
190507_003.jpg
4.「包成羊肉」
何という店なのか知らないまま、入って食べたが、「包成羊肉」という店だった。新鮮な羊肉スープが人気の台南の朝食店だそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
190507_004.jpg
5.「台南地方法院」正面
中の法廷や拘置所を見学できるようになっている。見学の小学生が列を作っていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/1250秒 19mm ISO125 ) 露出補正 なし
190507_005.jpg
6.孔子廟へ
孔子廟は府前路から南門路へ折れて入るが、道路にはこんなはめ込みがあった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
190507_006.jpg
7.オオゴマダラ
ふと先を見ると白い大きなチョウがふわふわと飛んでいる。すぐ、オオゴマダラとわかる。走って行って、紫色の小さな花に止まるところを撮ることができた。この時はRX10M4を持っていなかった。被写体まで少し離れてはいたが、チョウが大きいのでG7Xで撮れた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/1250秒 37mm ISO125 ) 露出補正 なし
190507_007.jpg
8.孔子廟「文昌閣」
孔子廟の中に入る。昨日行った 「赤崁楼 」にも「文昌閣」という建物があった。南門路に面している東大成坊から入った。右手にこの「文昌閣」が見えた。1階は四角形、2階は円形、3階は八角形という不思議な構造になった建物である。2階には楴潼帝、3階には魁星帝君という神様がまつられ、「文昌閣」もしくは「魁星樓」と呼ばれている。昔は科拳(官僚採用試験)の合格を祈願する場所だったそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1000秒 12mm ISO250 ) 露出補正 なし
190507_008.jpg
9.「大成門」
「禮門」を通って、「大成門」の前に出る。この中央の大きな門が正式な門になるが、写真にあるこの扉は祭礼のときや皇帝が孔子廟に来たときなどのみ開けられるそうで、普段はずっと閉められたままになっている。敷地の中央にドーンと構える「大成門」を中に入るが、ここからは入場料(25元)がかかる。ところが、この時は「大成門」の正面にある「大成殿」は改修工事中で写真のように覆いが架けられていて、無料で中に入った。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1000秒 12mm ISO250 ) 露出補正 なし
190507_009.jpg
10.「大成殿」
「大成殿」には写真のように白い覆いが架けられていた。 見ることはできなかったが、中央に堂々と孔子がまつられていて、そしてその上を見上げると、たくさんの大きな扁額がずらりと並んでいるいう。清の康熙帝の時代に、歴代の皇帝が扁額を掛けるようになり、現在の総統も就任後、ここに扁額を掛けているそうだ。後殿にあたる「崇聖祠」には5代にわたる孔子の先祖が、そして西側の「西廡」と東側の「東廡」には、昔の儒者たちがそれぞれまつられている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1250秒 10mm ISO125 ) 露出補正 なし
190507_010.jpg
11.「以成書院」
「大成殿」 を囲むように建つ建物は見学することができた。日本語での説明書きもある。台南孔子廟の「以成書院」は1835年に設立され、その名も古代音楽の八音を一斉に鳴り響かせ集大成の意味で孔子を祀る釋奠 (せきてん) の祭儀を担当している。「以成書院」には大正12年に皇太子時代の昭和天皇が訪れた写真が残っているということだが見損なってしまった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/800秒 17mm ISO3200 ) 露出補正 なし
190507_011.jpg
12.展示品 佾生(舞い手)の制服などの展示
大成殿の両サイドにある禮器庫と樂器庫には、「釋奠の儀」という孔子をお祀りする儀式の時に使われる楽器のほかに、樂生(演奏する人)や佾生(舞い手)の制服などが展示されていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/400秒 15mm ISO3200 ) 露出補正 なし
190507_012.jpg
13.台南市美術館2館
2019年にオープンした2つの建物からなる美術館で、1館は日本統治時代の警察署に新しい建物を加えたもので、台南ゆかりの絵画など多くの美術品を展示している。写真の2館はかっての台南神社跡地に新築された近代建築で、劇場もある大規模な美術館になっている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 +0.7段
190507_013.jpg
14.台南市美術館2館 自転車乗りとチョウのオブジェ
とても時間がないので、美術館の中に入らなかったが、府前路に面する大きな石段の左上に、背中にチョウチョをいっぱい付けて自転車をこぐ2人の青年のオブジェがあった。チョウとなるとすぐ傍まで行って写真を撮る。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/1250秒 23mm ISO125 ) 露出補正 +0.7段
190507_014.jpg
15.高鉄台南駅
ホテルへ戻り、荷物をとってタクシーで高鉄台南駅へ向かう。11時13分発の新幹線に乗るのだ。駅構内には、7-ELEVEN や駅弁ショップもあった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 18mm ISO3200 ) 露出補正 +0.7段
190507_015.jpg
16.高鉄台南駅 在来線ホーム
私たちは往復タクシーを利用してしまったが、台南の中心部へ行くには在来線の台湾鉄道も利用できる。写真は高鉄台南駅のプラットフォームから、台湾鉄道の駅(駅名は沙崙という)を見る。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 37mm ISO160 ) 露出補正 +0.7段
190507_016.jpg
17.高鉄台北行列車入線
私たちは11時13分発のこの列車で台中まで行く。発車時間は正確だった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1250秒 37mm ISO125 ) 露出補正 なし
190507_017.jpg
18.高鉄台中駅到着
列車は定刻11時58分に着いた。台中市は人口約280万人(2018年)で人口では台湾第2位の都市である。あいにく今日は雨模様だが、台中は1年を通じて雨が少なく、台風の被害も少ない気候に恵まれた土地だそうだ。台湾西部の旅の拠点となるところで、東側には台湾最高峰の玉山はじめ、標高3,000m級の山々が連なる。駅構内には「丸亀製麺」「ヤマザキパン」といった日本から進出している店舗などが並ぶ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/600秒 14mm ISO3200 ) 露出補正 なし
190507_018.jpg
19.台鉄(在来線)改札口
高鉄台中駅も台中の中心地とは離れている。台鉄が連絡しているので、列車で行こうと改札口へ行くと、何やら人身事故があって、いつ動くかわからない状況という。仕方なくまた、タクシーで台中の中心部へ行くことになった。余談だが、LED表示版を撮るときは、シャッター・スピードを1/100か1/125と遅くしなくては、読めるように撮れないことは知っていた。だが、すっかりそんなことは忘れてしまっている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 18mm ISO1600 ) 露出補正 なし
190507_019.jpg


2019年6月 8日

台北・台中・台南 その5 台南の街を散策 5月6日

「度小月」で担仔麺を食べて、再び台南の街を歩き始める。忠義路を北へ行き、民族路を左へ曲がって、1653年オランダ統治時代に建てられたプロビデンシャ城(紅毛城)である「赤崁楼」へと向かう。
 台南は寺院が多い。途中でいくつかの寺院にお参りする。また、台南は同じ業種の店が並ぶところが多い。ミシンの店やカメラの店が並んでいる通りがある。
 「赤崁楼」を見学した後、午後2時半ごろに台南で、「度小月」と並んで担仔麺がうまいという「赤崁檐仔麺」という店に入った。時間が半端なためか店内は空いていた。ゆっくりと休む。
 一休みした後、今度は西へ歩き、清代の雰囲気を持つノスタルジックな小路と言われる神農街へ行く。
 5時半ごろホテルの近くまで戻ってきたが、この日は大分歩いたので、少々疲れた。腹も減っていない。夕食をどうしようかということになったが、老夫婦はパスすることにして、ホテルでゆっくり過ごしたいと申し出た。娘夫婦はホテルの隣にある「新光三越」へでも行ってみるとのことだった。元気だ。

22.Luxgen
「度小月」 を出て歩き始めると、見慣れぬエンブレムの車が止まっていた。Luxgen とある。帰国してネットで調べてみると、これは台湾製の車で、裕隆汽車という会社で生産している。Luxgenは 1953年の設立以来、長きにわたって日産自動車と技術提携をしてきた歴史がある。台湾に国産車があることは知らなかった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 26mm ISO160 ) 露出補正 なし
190506_022.jpg
23.ミシン店
民生路という路には、このような機械ものを販売する店が数軒ならんでいた。これでお客さんを相手に商売をしているのかと思うほどの活気のない、売る気のないような店である。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO2000 ) 露出補正 なし
190506_023.jpg
24.「三宮大帝廟」
通りがかりに立派な寺院があった。調べてみたがよくわからない。道教の神である竜王の孫の三官大帝を祀る廊のようだという書き込みがあった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2 1/400秒 11mm ISO3200 ) 露出補正 なし
190506_024.jpg
25.「鄭城功祖廟」
ここは何だろうと思って眺めていると、一人の地元の年配の人が、説明が書かれたボードの前に連れて行ってくれた。その説明書きには、1663年に鄭経が父親の鄭成功を祀った祠である。台湾が清朝の支配下になった後、鄭氏大宗祠と改名し、昭格堂とも呼ばれたが、近年、鄭城功祖廟と改名された。三間口三進の優雅な伝統で門前の古い井戸は創設当時の遺跡で、庭園は七弦竹で深緑色に染められている。・・・といったことが書かれていた。残念ながらよく理解できなかった。台南には歴史のある寺院が多い。「祀典武廟」や「天壇」とか「大天后宮」といった見ておくべきところも他にあったのだが。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
190506_025.jpg
26.「赤崁楼」 御贔屭碑
「地球の歩き方」によると 「赤崁楼は 1653年、オランダ統治時代に建てられたプロビデンシャ城(紅毛城)。その後、地震で楼閣はは全壊、移り変わる政権によって改築や取り壊しを経て、今の姿になった。レンガで出来た城門と基台はオランダ統治時代のものだ。1983年に国家一級古跡に指定されている。楼閣は海神廟と文昌閣からなり、文昌閣には赤崁楼の修復に尽力した羽島又男の像も置かれている。」とあった。 写真は海神廟の前に立つ「御贔屭碑」でカメの上に立てられた9枚の石碑があった。英語ではTurtle Monument と書かれていた。wikipediaによれば、 贔屭=贔屓(ひいき)は 中国の伝説によると、贔屓は龍が生んだ9頭の神獣・竜生九子のひとつで、その姿は亀に似ている。重きを負うことを好むといわれ、そのため古来石柱や石碑の土台の装飾に用いられることが多かった。日本の諺「贔屓の引き倒し」とは、「ある者を贔屓しすぎると、かえってその者を不利にする、その者のためにはならない」という意味の諺だが、その由来は、柱の土台である贔屓を引っぱると柱が倒れるからに他ならない。とあった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO200 ) 露出補正 なし
190506_026.jpg
27.「赤崁楼」文昌閣
海神廟2階からみた文昌閣の2階と屋根だ。隣に立つ海神廟と同じく、「歇山重簷式」という中国式建築様式で、屋根が弓なりに曲がり、屋根の軒先が緩やか空に向かって延びている。軒先の鯉の造形は水しぶきを上げている。 屋根の獅子の威厳のある顔は厄除の意味を表すそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
190506_027.jpg
28.カノコハト
台湾には日本の都会にいるのと同じハトもいるが、こんなハトもいた。カノコバトという。頸の模様が鹿の子で、羽に赤味がある。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 32mm ISO3200 ) 露出補正 なし
190506_028.jpg
29.バス停
「赤崁楼」を見終えて、また、担仔麺を食べようということになった。道を歩いていると英語でTaipei Sightseeing Bus と書かれた Bus Stop あった。台南観光客用の2階建て周回観光バスがあるようだ。4時間パス 300元、1日パス 500元だそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 14mm ISO125 ) 露出補正 なし
190506_029.jpg
30.「赤崁檐仔麺」 店内から
民族路という通りにある「赤崁檐仔麺」という店に入る。ここの担仔麺は「度小月」とともに評判だという。この日ははからずも担仔麺の食べ歩きとなった。店内は時間が半端なためか空いていた。歩いてきて少々疲れていたので、のんびりと担仔麺を楽しむことができた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 19mm ISO1600 ) 露出補正 なし
190506_030.jpg
31.「赤崁檐仔麺」
店の玄関は非常に質素だった。入って左側が調理場になっていて、右側に客席がある。狭い店だった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/250秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
190506_031.jpg
32.正興街入り口
「地球の歩き方」によると正興街というのはファッションやスイーツの店が次々とオープンし、台南っ子が一番注目しているエリアだそうだ。全長230mほどの短い道だが、夕方になると大勢のジモティーと観光客で賑わうという。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 14mm ISO320 ) 露出補正 なし
190506_032.jpg
33.神農街
次に行ったのが神農街だが、清代の雰囲気を持つノスタルジックな小路である。住宅街だそうだが、素朴なギャラリーなど、午後からゆっくりとオープンする店が多く、夜には道端に灯篭が灯り、幻想的な世界が広がるという。歴史ある廟や、古民家を改造したカフェの赤い提灯が架けられている。付近には芸術家が集まり、アート横丁として注目されつつあるという。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO1000 ) 露出補正 なし
190506_033.jpg
34.神農街の路地
路地には石畳が復元されていて、かって道路標識だった石塊が復元されて道路にはめ込まれている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO200 ) 露出補正 なし
190506_034.jpg
35.薬王廟
この神農街の路地の突き当りにひときわ目立つ薬王廟が見える。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO400 ) 露出補正 なし
190506_035.jpg
36.薬王廟(神農廟) 薬王廟は神農廟ともいい、神農とは、薬と農業の神で世の中で初めてお茶を飲んだ人と言われているお茶の神でもあるそうだ。 地元の人がお参りに来ている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO1250 ) 露出補正 なし
190506_036.jpg
37.新光三越百貨店 台南新天地
ホテルに戻ろうと西門路を南へ歩いてくると、 新光三越百貨店 が見えてきた。wikipedia によれば、新光三越は日本の三越グループと、台湾の新光グループとの提携により設立された台湾企業「新光三越百貨股份有限公司」のこと。三越伊勢丹ホールディングスが約92%出資しており、同社の持分法子会社である。1991年、新光グループと三越グループの共同出資により、台北に1号店を開店。現在、台北に9店舗、桃園、台南、高雄に2店舗ずつ、他に嘉義、台中に店舗を有している。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 19mm ISO1600 ) 露出補正 なし
190506_037.jpg
38.藍晒圖文創園區
新光三越の西門路を挟んで反対側の一角は藍晒圖文創園區というエリアだった。かって司法職員の官舎として使用されていた建物群をリノベーションした一帯だそうだ。台南出身のデザイナーの作品を扱うショップや台湾クリエーターのアート作品を展示するギャラリーが並んでいる。イベントやワークショップもしばしば開かれ、文化の発信地として注目を集めている。中を歩いてみたが、雨模様の平日の夕方で、閑散としていた。私たちも歩き疲れて、見て歩く気力が残っていない。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
190506_038.jpg
39.果物屋
新光三越のほうへ道路を渡るところに果物屋があった。歩きながら今夜の夕飯の話をしていたが、我々老夫婦はホテルでのんびり休ませて欲しいと申し出た。この果物屋でバナナを買ってホテルの部屋に戻ったが、バナナはとても旨かった。新光三越へ行った娘たちが台湾製カップ麺を買ってきてくれた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/400秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
190506_039.jpg
40.路線バス
前回台湾へ生きたときに、台北から九份まで乗ったバスはガタガタだった記憶があるが、ここでは新しいスマートなバスが走っていた。車両メーカーが分からない。大台南公社は市営バスのようだ。乗りなれないと路線バスに乗るのは難しい。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 16mm ISO2500 ) 露出補正 なし
190506_040.jpg