2006年9月24日

安藤忠雄の初期の設計:近つ飛鳥博物館へ

 上の娘家族との花の文化園に珍しく下の娘が同行した。その要望で「近つ飛鳥博物館」という変な名前のミュージアムにも行くことにした。安藤忠雄の初期の設計らしい。建築を学んでいるので博物館の展示よりも建築に興味があるらしい。カーナビで探すと花の文化園と同じようにRoute170から少しはずれたところに位置している。大阪河内の山奥に忽然とコンクリート打ち放しの建物が現れる。このような公共の博物館でコンクリート打ち放しの建物はみんな安藤忠雄の作品と思われているらしいが、だいたい当っている。大阪府立狭山博物館も、コンクリート打ち放しの建物で安藤忠雄の設計である。大阪の出身だから大阪府が頼みやすいこともあるのかもしれない。「近つ飛鳥」という変な名前については、「近つ飛鳥博物館」のホームページに次の説明がある。

 「近つ飛鳥」という地名は、712年口述筆記された「古事記」に記載がある。履中天皇の同母弟(後の反正天皇)が、難波から大和の石上神宮に参向する途中で二泊し、その地を名付けるに、近い方を「近つ飛鳥」、遠い方を「遠つ飛鳥」と名付けたというもの。「近つ飛鳥」は今の大阪府羽曳野市飛鳥を中心とした地域をさし、「遠つ飛鳥」は奈良県高市郡明日香村飛鳥を中心とした地域をさす。

この夏に65回目の誕生日を迎えたので、博物館への入場料は割り引いてくれる。考古学にはあまり関心がないので、恥ずかしながら陳列品にどれだけの価値があるものかよく分からない。花の文化園と違って、こちらは閑散としている。あまり広くもない館内に4~5名の案内係の女性が立っている。入場料でペイしているとはとても思えないから税金の一部が使われているに違いない。ごく最近学会にかこつけてエジプトにいってきた娘が言うには、向こうの陳列は学校の理科室みたいで、こんなにきちんとしたものではなかったそうだ。ただ、大きさとか量とか格段の差らしいが。
 館外に出て古墳群を保存している「風土記の丘」を第一展望台まで散策した。久しぶりに緑の木々の間の結構急な坂道を息を切らして歩いた。大きな楓の木も沢山あったから紅葉の季節にはいいかもしれない。吹き抜ける風に汗を拭った展望台からは、堺から梅田あたりまでの眺望が開けていた。結構近場に緑を楽しめる公園があることを最近になって気が付き始めている。 tikatu_1.jpgtikatu_2.jpgtikatu_5.jpg
泉北近辺私的観光地図に掲載

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